リストボタン人の計画と神の導きと    2003/12

私たちの現在かかわっている仕事、職業や人々との出会いなど、自分がかつて考えた通りになっているというような人はほとんどいないと思われます。
私自身、高校教員をしていたが、大学の三年の終わり頃までは、教育関係の仕事にかかわりたいというようなことは、全く考えていなかったし、たえず人間を相手にする仕事にはかかわりたくなくて、自然科学の研究的な仕事を求めていました。
しかし、ギリシャ哲学を知り、その一年後にキリスト教を知って決定的な精神的転機を与えられてからは、だれにも勧められなかったし、反対すら受けたけれども人間相手の高校教員になりたい、そして理科教育に携わることで、神の創造された自然に関する不思議を教えつつそのような大きな転機を与えてくれた、哲学的に考えることや、キリスト教の福音を伝えたい、そのような導きを与えてくれた、書物を紹介していきたいという願いが何よりも強くなって、教員になりました。これも全く考えたこともなかったことです。
また、その過程で、プラトン哲学やキリスト教は書物によって知ったのですが、そうした書物も自分が見定めて買い求めたものでなく、何気なく手にとった書物でした。
一つは、姉が購入していた、河合栄治郎の「学生に与う」です。それは、ファシズム批判のゆえに、東京帝国大学教授の職を負われた著者が、若い世代への情熱を傾けて書き下ろしたものでした。 当時大学二年の頃、私は精神的に非常な苦しみにさいなまれていたのです。
以前に、その本は姉が在学中の大学の先生からよいと言って勧められた本だというのだけは覚えていたので、書棚から何気なく手にとって見たのが、私がおよそ哲学というものを知った最初であり、ギリシャ哲学とかプラトンとかの思想の世界の深い意味に初めて触れることになりました。
この哲学との出会いは、後にキリスト教に出会う伏線ともなったのです。
その後、その哲学の限界を思い知らされて再び精神の苦しみに落ち込んでいたとき、古書店でふと手にして立ち読みした本が、矢内原忠雄の「キリスト教入門」でした。この本のわずか数行で私はキリスト者となったのです。それは神の御手が私の魂に触れて下さったというような出来事でした。
それから、私がキリストの十字架の死の意味を知らされ、それを信じてキリスト者となったのは、大学四年の六月ですが、どこかの教会に属することなど考えたこともなかったのです。しかし、たまたま大学食堂に啓示してあったビラで、「矢内原忠雄記念講演会」があるのを知り、そこで話すのが、最も親しかった友人の所属するゼミの物理の教授で名前を聞いていた人であったので、生れてはじめて宗教関係の会に出てみたわけです。そこでの講演が心に残ったので、すぐにその教授を大学の部屋に訪ねたところ、家に来るようにとすすめられ、集会もしていると知りました。理科系で実験を主体とする学科であったので、連日夜遅くまで実験をしていたから日曜日に集会に出るなどは考えてもみなかったので、聖書の参考書を紹介してもらいたいと言ったのですが、一度だけ出てみようと思って参加したのが、
高校教員となって、この仕事が私に向いていることがよくわかり、そこでキリストの福音を伝えることができるのもわかり、ずっと若い人を相手に仕事をしたいと願いました。
そうしたとき、県外の人から一人の視覚障害者を知らされ、そこから少しあとに、また別の視覚障害者も紹介されて、続けて二人の視覚障害者との関わりができ、そのことから神がその方向に行くようにと示されたのだと直感して、盲学校の教員になったのです。
しかし、私は障害者とのかかわりは、大学卒業するまでにもまったくなくて、そうした教育にかかわるということは私の念頭には全然なかったのです。しかし、そこに神が思いがけない人を介して障害者の方々との関わりへと導かれたのです。
その後に出会った人たち、そしてずっと続いているのは、どの人たちも自分が交際を求めてつながりができたというのはなくて、みんな聖書の学び、キリスト教信仰を与えられてから私の希望とかと関わりなく、与えられていったのです。
また、私は高校教員として定年まで勤めたいと思っていたし、退職後も講師とかの立場で山間部の高校などに勤めて続けられる限り若い人たちの教育にかかわりたいというのが私の計画でした。
しかし、私の予想とは違って、集会にかかわる時間が次第に増えていき、両立がだんだん困難となってきて、十年近くまえに高校教員を辞めなければどうしてもできないという状況となり、退職したのです。
高校教員の仕事を辞めてまでして、聖書の言葉の説き明かしや、キリスト教の真理を伝えることに生活のすべてを費やすようになるということは、以前には、まったく私の計画になかったことであったし、そのようなことを願ったこともなかったのですが、自分の計画や予想を超えた神の御手によってそのように導かれたのです。

人の心には多くの計画がある。
しかし、主の御旨のみが実現する。(箴言十九・21

私たちは何かを将来のことで、計画し、また予想するのは自然なことです。しかし、そうした計画はたいてい無残にも壊れ、まったく違った結果になることが多いのです。そしてそれを運が悪いとか、周囲の人や社会のせいにします。
けれども、神を信じるときには、自分の計画が成就せず、思いがけないことが生じることを感謝をもって受け止めることもできます。それはもし、自分自身の思うままに事柄が進めば、私たちは自分を一番大切なものと思い、自分の判断をいつのまにか頼りにしていくからです。そうした考えこそが、私たちを間違った道に連れて行くものです。
聖書には、人間の計画や予想がいかに成り立たないか、もろく崩れてしまうかを随所で記しています。それと同時に、私たちを自分の考えや計画を越えた神のご計画に従うように導かれる神のなさりかたが繰り返し記されています。
聖書に詳しくその信仰の歩みが記されている最初の人物であるアブラハムも、自分の予想では、ずっとユーフラテス川下流地域に住むことを考えていたと思われます。しかし、全くアブラハムの予想や計画を超えたところから呼びかけがあり、まったく知らないところへと導かれたのです。
神を信じない立場の人も、予想しないところへと人生が進んでいくのを感じているのですが、それはどこへいくのか、わかりませんし、最終的には死によって滅んでしまうわけです。
私たちは絶えず、まちがった方向、自分の人間的な考えによって進もうとしますが、神はそれを苦しみや困難な事態を起こすことによって妨げ、神の国に向かって進ませようとして下さっているのがわかります。
聖書には、預言ということがしばしば書いてあります。例えば、新約聖書の最初の書物である、マタイ福音書には、その冒頭から預言ということが繰り返し現れます。
マリアが聖霊によってイエスをみごもったときに、

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ福音書一・2223

イエスが生れたとき、ユダヤの国のヘロデ王がイエスを殺害しようとしましたが、そのときに、天使が現れてエジプトに逃げるようにと教えた。このことについても、

ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(マタイの福音書二・15

(イエスの父、ヨセフに対して)夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ二・2223

このように、聖書には、主イエスの誕生そのものも、偶然的に生じたことでなく、はるか昔から特別に神に選ばれた人によって預言されていたことだと記されています。預言されていたこととは、神の御計画があるということです。預言が実現したとは、神の御計画の通りに歴史のなかで進んでいったということにほかなりません。
人間が、どのように権力や武力、策略を用いて、その計画を実現しようとしても、最終的にはそれらは壊れていく。そしていかなる妨害や悲劇的だと思われる事件や、動きにもかかわらず、神の御計画は成就していく。歴史とは、人間の計画や野望によるのでなく、神の御計画がなし遂げられていく過程そのものなのです。
新約聖書の最初に、「系図」と称する名前の羅列があります。これはほとんど誰でもがまず聖書を手にとったときに、目にするものですが、なぜこんな無意味な名前が書いてあるのだろうかと疑問に思うものです。
日本で系図というと、貴族や大名などがどんなにすぐれた家柄であるかを示し、それを誇示するために持ち出すということが多いようだし、一般の人でもやはり自分の家柄を誇るために出してくることがあるので、普通の人にとってはつまらないものです。
そのような見方があるので、新約聖書のような心の問題を書いてあるはずの書物になぜ、こんな無意味なことが書いてあるのかと、疑問に思うのです。
しかし、この系図は決してそうした家柄を誇るためでなく、アブラハムからイエスまで、いかに神が導いたか、神の御計画を表しているものなのです。
アブラハムから、民族の頂点とも言える状況になったのは、ダビデ王のときで、ここまで十四代、そこからダビデの重い罪のゆえに王国は転落し、民もまちがった道を転げていくように堕落し、ついに周囲の大国に攻撃され、滅ぼされて遠い異国に捕囚となってしまう、バビロン捕囚までも十四代、その深い闇の中から神の憐れみによって奇跡的に、およそ、半世紀の後にバビロンから帰ることができ、その救い出された民の子孫としてイエスが生れたのですが、そのバビロン捕囚からイエスまでも十四代だと記されています。
このように、信仰の父であるアブラハムからイエスまで、三つの大きな歴史上の区切りがあり、その一つ一つが十四代、すなわち、七×二という数となっています。そして三とか七というのは、一種の象徴的な数であり、神の御旨にかなった完全なという意味があります。
神は歴史のなかの数々の動き、悲劇や混乱、戦争、分裂などありとあらゆる出来事の背後におられて、それらすべてを最終的に支配され、大きな御計画をもって動かしている。そのただなかに、イエスは生れたのだと言おうとしているのです。
こうした神の御計画のことは、聖書に記されている重要なことです。使徒パウロもつぎのように述べています。

こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのである。(エペソ信徒への手紙一・910より)

神を信じ、キリストを信じるというのは、たんに自分だけの心の平安を与えられて、他の人や世界がどうなっていくか関心がないということでなく、この世界全体における、神の壮大な御計画を知らされ、それを信じて生きることでもあります。
聖書に含まれる最後の書物である、黙示録というのも、なにか不可解な神秘的なことが書いてあるように思っている人が多いのですが、そうでなく、歴史を通じて実現されていく神の大きな御計画を記した書物なのです。
最終的には、歴史というのは、真実と正義の神に敵対するような悪の力や、死そのものも滅ぼされる。そして「新しい天と地」にされるということを指し示している内容となっています。
パウロはその代表著作である、ローマの信徒への手紙において、ユダヤ人問題を取り上げ、どうして本来は、まずユダヤ人の救いのために遣わされた主イエスが彼らによって受け入れられなかったかについて説き明かしています。
それは、ユダヤ人が受け入れなかったのは、広く世界に伝わっていくためであり、そうした後に、時至ってユダヤ人も受け入れるようになるとの啓示を述べています。
いかなる不幸なように見える出来事も、どんな偶然的なことと思えることでも、人間の願いなど聞いてもらえていないと思われるような事態のなかであっても、いっさいが、神の御計画のままにすすんでいると、そしてそれは深い愛ゆえのことであることを知って、パウロは、深い讃美の声をあげずにはいられなかったのです。

ああ、神の持つ豊かさや英知はなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。(ローマ信徒への手紙十一・33

そしてさらに次のように述べて、神の壮大な御計画への讃美をもって、この手紙における大きな区切りとしています。

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのである。栄光が神に永遠にあるように。(十一章の最後の節)

この世の情報では、いかに人間の計画がさまざまの方面にわたってなされているか、それは個人や会社、国家、国際社会などさまざまのところで、つねに計画がなされ、またそれが挫折していく過程や出来事が報道されています。
それはまさに、混沌としています。そのようななかに、神の御計画だけが最終的には成るということを信じて生きることができるのは、今後の動揺し続ける社会にあって、大きな慰めであり、励ましです。

区切り線

音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。