はこ舟 2004年2月 第517

内容・もくじ
見つめること、見つめ返されること
ヨセフの歩み
この世のはかなさについて
パウロと彼を助けた人たち
日露戦争から百年
休憩室
ことば
返舟だより


リストボタン見つめること、見つめ返されること    2004/2

冬は最も塁の美しいときです。湿気も少なく、大気は澄んでいるし、北風の強いときにはいっそう透き通るような夜空となり、澄んだ星の光が私たちに注がれてきます。ことに最近の夜空は、夕方には金星が見られ、それが沈んでまもなく東からは木星の透明な光が強く私たちを見つめています。南にはオリオン座の明るい星やシリウスや小犬座の一等星もあり、頭上には御者座のカペラや双子座の明るい星もあります。星をじっと見つめていると、ちょっと見たところでは何の心もない冷たい輝きのような星の光が私たちを見つめているように感じられてきます。
 これは星にかぎらず自然の物は概してそのような性質を持っています。例えば、海の大波が寄せる音に聞き入ると、それは私たちに向かって語りかけるものとして感じられるし、山に入って大木のもとでたたずむとき、その樹木がやはり私たちに向かってなにかを語りかけてくるように感じるのです。これは神ご自身がそのような御性質を持っておられるからです。聖書のなかで、繰り返し神は、つぎのように「立ち返れ、私に帰れ」とか、「悔い改めよー」という表現で、神に魂の方向を向け変えるようにと語りかけておられます。わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。(イザヤ書四四・22

悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。(エゼキエル書十八・30

他の果てのすべての人々よ、わたしを仰げ、そして救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。(イザヤ書四五・22)

また、新約聖書においても、主イエスは神が最も喜ばれるのは、よいことをしたといって高ぶったり誇ったりすることでなく、自らの弱さや足りないこと、罪を悔い改めて神に立ち返ることだと言われています。
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にはある。(ルカ福音書十五・ユこのように、旧約聖書から新約聖書に至るまで神は繰り返し、悔い改めること、神に立ち返ることを特別に望んでおられるのがわかるのです。
私たちがこうした神のお心に従って神に立ち返り、神を仰ぎ、見つめるとき、神ご自身もまた私たちを見つめて下さっているのが感じられてきます。
求めよ、そうすれば与えられる、という有名な言葉はこうしたことについても言えることです。
人間は社会的動物であると古くから言われています。それは単独では生きていけないこと、たえず人間同士の交わりが必要だということです。それは物質的な面でも言えます。衣食住のすべてにおいて、自分だけでそうしたものを作っていくことなど到底できません。私たちが使っている食品や住居、日用品などすべては他の人のさまざまの働きによって生み出されているものです。
しかしそうした物質的なことだけでなく、精神的なこと、霊的なことにおいても、人間は単独では生きていけない。それはだれでも感じていることです。一人でいるのがよいといっている人も、それは他者との交わりで傷ついたとかいやな思い出があるからに過ぎず、そういうことがなかったらよき人間同士の交わりを求めているのです。しかしそれでもこの世には実に多くの人間同士の行き違いがあります。他者とともに生きること、交わるということは、絶えざる誤解やつまずきを経験することでもあります。そうした現状においてこそ、私たちは私たちがどんなに罪深いことになっても、誰も赦してくれないような大きい失敗をしても、仰そたびに愛のまなざしをもって見つめてくれる存在があればどんなによいことかと思います。
聖書が指し示す神、そして主イエスはそうした存在だと感じます。
私たちが真実な心をもって仰ぎ、見つめるときには必ず見つめ返して下さるお方だということなのです。そうした神が創造した自然だからこそ、その多くは私たちが見つめるとき、やはりどこか私たちを見つめ返してくれるなにかを感じるのです。
自然のそうした雰囲気は、その創造主である神の愛を指し示しているということができるのです。
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