リストボタンことば 2005/2


205)あらゆる種類の失意について心の準備をしておきましょう。私はそのような準備が必要であることがわかるのです。
自分がなすべきことをしてその結果は神にゆだねること、これより他に私たちに何ができるでしょうか。また何をするつもりでいられるでしょうか。
神の御心は、天に行なわれると同様に地にも行われるのです。(「ナイチンゲール言葉集」124頁 現代社)

・私たちがなにかをなそうとするとき、その最悪のことが生じるときの心の準備をいつもしておくということである。一生懸命にやったのに、全く理解も評価もされない、あるいは逆に悪く言われるなど、失望落胆するような事態が生じることをあらかじめ覚悟しておくように言われている。
実際、そのようなことが生じるかも知れないからである。例えば、人にキリスト教のことを紹介しようとするとき、そのために悪く言われることがあり得ると心の準備をしておくことである。また、私たちに何ができるかを祈り、考えてなしたあとは、それがどのように受けとられようと、誤解されようとそれをすべて神に預けておく。これは神を信じることから自ずから生じる姿勢となる。
 ナイチンゲール(18201910)は、イギリスの看護婦。イタリアのフィレンツェ生れ。クリミア戦争に際し多くの看護婦を率いて傷病兵の看護に当り、「クリミアの天使」と呼ばれた。

206この一つのことをこそ、真理と認めることが必要である。ー それは善き人に対しては生きているときにも死んでからも、いかなる災いも起こり得ないこと、またその人は、何と取り組んでいても、神々の配慮を受けないということはないということである。(「ソクラテスの弁明」41D)

・この言葉は、ソクラテス(470~前399)が死刑の判決を受けて、死を前にして語った最後の部分にある。これは「弁明」というタイトルで知られてきたが、内容は、弁明というよりは、彼が何を考え、いかに生きてきたかの力強い証言である。彼に言われた罪とは、自分が子供のときから神の霊の語りかけを受けて、間違ったことならどんな小さいことでもそれを差し止める声が聞こえてきた。その導きに従って彼は人間のまちがった考え方をたえず話し合いによって正しい方へと導いていったが、そうしたことが「国家の認める神々を認めないでその代わりに新しい神の霊を信じるようにと教えた」として、青年たちを腐敗させたというのであった。
 このように、聖書の世界を知らされていなかったところにも、正義の永遠的な力を信じ、いかなることがあろうとも、悪が正義に打ち勝つことはあり得ないという確信を持った人が起こされていたのである。
 私は大学時代の後半期にプラトンの著作を初めて知らされ、その深い洞察に魂の目を開かれていった。そしてそうした心の準備を経てキリスト教へと導かれた。歴史的にみても、ローマ帝国の精神的土壌は、ギリシャ哲学がもとにあり、それによって耕されたところに、キリスト教が入っていったのであった。


st07_m2.gif編集だより 2005/2

一月号の新しい誌名「いのちの水」を見て、魂をうるおす「いのちの水」という意味だと知って、サマリヤの女が水を汲みに来て、イエス様からいのちの水を教えられたことを思いだしました。
私は、讃美歌273番の四節を口ずさみました。(*(関東地方の方)

*)君はいのちの みなもとなれば
たえず湧きいで こころに溢れ
我をうるおし、渇きをとどめ
とこしえまでも やすきを賜え。

○…
私は、大学時代にヨハネ伝四章の、サマリヤ女のスカルの井戸での「いのちの水」の礼拝講話に打たれて無教会に導かれました。この時代に「はこ舟」から、「いのちの水」という誌名になりましたことは、まことに適切で時代の要請でもありましょう。ヒルティの「力の秘密」という論文など何回読んだことでしょう。まさに若き日の羅針盤でありました。(関東地方の方より)


st07_m2.gifお知らせ

四国集会五月十四日(土)午前十時~五月十五日(日)午後四時まで、キリスト教四国集会(無教会)が、徳島市で開催されます。徳島での開催のときには、近畿、中国、関東地方などからの参加者もあり、どなたも自由に参加できます。テーマは「祈りと讃美」です。今月号に書きましたように、この二つは本来一つのものです。苦しみのときにも祈りによって力を与えられ、また他者とも祈りによって深いところでともに歩むことができます。「祈り、かつ働け」という有名な言葉がありますが、その二つのことによって神は私たちにそのわざを示して下さり、そこから神に感謝と、讃美が生れます。この世の闇にあっても、なお神を讃美することができるならそれは人生の目的を達していると言えます。
・聖書講話は 関根 義夫(浦和聖書集会)、冨永 尚(松山聖書集会)、原 忠徳(高知聖書集会)吉村 孝雄(徳島聖書キリスト集会)の四名。
・証し(信仰の歩みの証言)は、四国内外から五名前後の方々にしていただきます。
・特別讃美として、独唱、コーラス、手話讃美、楽器演奏など。 また今回のテーマに合わせて、小グループに別れての祈りの集まりもあります。祈りについては、議論とか講話以上に、まず祈り合うことが重要だからです。


st07_m2.gif徳島聖書キリスト集会案内

・場所は、徳島市南田宮一丁目一の47 徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時30分から。 毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。(場所は、板野郡藍住町の奥住宅、徳島市国府町のいのちのさと、吉野川市鴨島町の中川宅)です。
その他、読書会が毎月第三日曜日午後一時半より、土曜日の午後二時からの手話と植物、聖書の会、水曜日午後一時からの集会が集会場にて。また家庭集会は、板野郡北島町の戸川宅(毎週月曜日午後一時よりと水曜日夜七時三十分よりの二回)、海部郡海南町の讃美堂・数度宅 第二、第四火曜日午前十時より)、徳島市国府町(毎月第一、第三木曜日午後七時三十分より「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町の美容サロン・ルカ(笠原宅)、徳島市応神町の天宝堂(綱野宅)、徳島市庄町の鈴木ハリ治療院などで行われています。また祈祷会が月二回あり、毎月一度、徳島大学病院8階個室での集まりもあります。問い合わせは次へ。 ・代表者(吉村)宅 電話 050-1376-3017


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