リストボタン待ち望む   2005/8

今年は梅雨においてもほとんど雨が降らず、水不足が次第に深刻なものになっている。科学技術がいくら発達しても雨のようなきわめて身近なものもどうすることもできない。水こそは、生活に不可欠な最も基本的な重要性を持つものであるけれども、台風や梅雨前線のような大量の雨を降らすことなど人間の技術ではもちろん不可能なことで、ただ、待つしか方法がない。
これは心の問題、霊的な問題においても同様の側面がある。単に知識を覚えたり、技術を習得するのは強制したり、一定の時間をかけて訓練すればだれでも次第に身についてくる。
しかし、人間そのもの、その魂が新しくされるような重要なことは、どのように強制しようともできないことである。それはただ、神の御手が望むのを祈り、待ち望むしかない。
神の力、神ご自身そのものとも言える聖なる霊についても同様で、復活された主イエスも次のように言われた。
「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(使徒言行録一・4
主イエスは、世を去る前に自分が十字架にかかって処刑されいなくなるがその代わりに、聖霊を与えるという約束をされていた。
そして、共に集り、祈りをもって待ち望んでいた人々に時が来て、聖霊がゆたかに注がれたのである。
私たち自身が新しく創造されること、この世が神の国へと変えられること、復活のこと、悪が滅んで善が勝利すること、この世の苦しみや悲しみからの究極的ないやし等々、重要なすべてのことについて最終的に神がすべてを成就されると信じつつ、私たちは待ち望む。


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