リストボタン主よ、共にいて下さい  2005/9

私たちが第一に望んでいることは、いろいろあるだろう。たいていの人にとってはまず健康であり、またお金であり、安定した職業、社会的地位、あるいは家庭の平和、そしてよき友人等々であろう。
このようなことを望むのはこれらがなかったら、毎日の生活が楽しくない、ということが多い。好きなことをして楽しむためには、まず健康、そしてお金が必要だからである。金が安定して入るのは、安定した職業であるからそれを望むということになる。
しかし、何か楽しいことをしたい、というのでなく、何か善きことを、と願う心にとってはこうしたことは重要ではなくなってくる。たとえ健康でなくても、病弱なままでも、他者のことを思いやり、祈りをもって身近な人たちを覚えることは、かえって弱い人たちがよくなすことができるだろう。お金がなくとも、与えられたものを感謝して受け取り、そこでできることをしていくことは誰にでもできる。
しかし、この何かよきことをしていくために、まず必要なのは、そのような貧しさや病気、あるいは問題をかかえた状況にあっても、つねに心がしっかりと支えられ、力を与えられている状態である。
そのために、力あるものが側に共にいて絶えず支えてもらう必要がある。
何か楽しいことをするためには、支えなど不要である。力を要しないからである。しかし、何かよいことを持続的にするには、力が必要である。まず楽しいこと、自分が好きなこと、したいことを止めて、何か善きことをするには、そうした楽しいことを捨てる力が必要であり、また継続するにも力が要る。
絶えず何かよきことをしていくために、人はどうしているだろうか。神を信じない人は、自分の固い意志でやっているという人もいるだろう。しかし、神を信じないなら、どうしても目に見えない最善のもの、滅びることのない正義や報酬を望まないような愛を持続的に持ち続けることは極めて困難である。
そのような時、最も私たちに必要となってくるのは、何が私たちとともにあって、絶えず何か善きことへと向かわしめるかということである。
聖書において、この問題が最初から一貫して記されている。
いつも共にいて下さる神が存在する、それは、聖書で言われている神が、万能であってしかも愛の神であるからである。
聖書全体について多くの箇所でこの「共ににいて下さる神」のことが記されている。ここでは、とくにこの意味ではあまり取り上げられていない箇所を通して学びたいと思う。

イエスが復活したとき、最初にこの復活という世界史上で最も重要な出来事を知らされたのは、七つの悪霊にとりつかれていたと記されている、マグダラのマリアなど一部の女性であった。これは驚くべきことで、七つの悪霊とは、その悪霊の支配が途方もないようなひどい状態であったことを示している。そのような人に示されるというところに、キリストの真理がどのようなところに及ぶかが象徴的に示されている。
それと、その他に男性の弟子としては最初に出会ったのは、意外なことに十二弟子ではなかった。それは、クレオパを含む二人の弟子であった。もう一人の弟子、それは名前すら記されていない。
クレオパという弟子も、この箇所のみで他の福音書や使徒たちの記録である使徒言行録やパウロなどの手紙にも記されていない。ここにも、主は聖霊を風のようにその御心のままに吹かせるように、重要なことを知らせる相手もまた、だれも予想できないような人が選ばれている。
彼らは、イエスが処刑されて三日目、イエスが受けた残酷な処刑のことを語り合っていたら、何者かが近づいてきて共に歩き始めた。
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
イエスは、何について話しているのか、と尋ねた。二人は暗い顔をして立ち止まった。二人はナザレのイエスのことだと説明し、彼は神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者であったが、祭司長たちや議員たちは、十字架につけてしまったこと、しかし、自分たちはイエスこそ真の解放者だと信じていたと話した。 そして今日で三日目になるが、朝早く墓へ行った仲間の女性たちに、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言った。
このようにして十字架につけられたイエスのことをその未知の人に説明していると、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ福音書二十四章より)

この復活直後の出来事は、いろいろなことを私たちに指し示している。

何者かが近づいてきて共に歩き始めた。

意気消沈した弟子たちのところに、キリストご自身が近づいて来られた。共にいて下さる主、知らないうちに身近なところに来て下さっている主を暗示している。

二人は暗い顔をして立ち止まった。

弟子たちはイエスこそ、解放者だ、メシアだと信じていたにもかかわらず、そのイエスはあえなく処刑されてしまった。そこには全く光がなかった。夕暮れに向かって歩む二人の弟子、希望が無惨にも打ち砕かれてだんだんと暗くなっていく道を歩んでいく、それは神の愛を信じない人間の状態を象徴している。
彼らの表情は「暗い顔」であった。ここで、「暗い顔をして」と訳されている原語は、新約聖書全体でも、わずか二回しか用いられていない。それは、また「悲しげな」とか、「憂鬱そうな、意気消沈した」とも訳される。 
 このように他ではほとんど用いられていない言葉が使われているということは、この福音書の著者ルカがとくにこの言葉の持っている内容を強調したかったからであろう。
私たちもまた、この世の現実を知れば知るほど、暗い顔になり、また悲しみのこもった心になっていくことが多い。それは私たちはだれでも人生の夕暮れに向かって歩んでいるからである。その道には光もなくだんだん暗くなっていくばかりだからである。
こうした闇が迫ってくる状況のただなかに、復活したキリストが近づいて来られた。
このことも、多くのキリスト者の心の出来事を象徴している。私自身もまた闇の迫るような道を日々苦しみつつ歩んでいたのであった。そこにやはり復活のキリストが近づいて下さった。それはキリストが一冊の本を私に遣わすというかたちをとった。その本の背後に復活のキリストがおられたのであった。それゆえ私はその一冊の本のわずかの部分でキリスト者となることができた。

二人の弟子たちは、暗い顔をしつつもイエスのことについてずっと語り合っていた。イエスが殺されてもなお、イエスへの愛を持っていたことがうかがえる。そのような弟子たちのところに現れたキリストは、そのかなりの道のりをずっと彼らに旧約聖書の全体にわたって、キリストについて書かれていることを説明された。
エルサレムからエマオという村までは、およそ十一キロメートルほどであったという。それを起伏の多い道をゆっくり話しながら、また聞き直したり、疑問をだしたりしつつ歩むとなると、三時間ほどもかかると考えられる。
復活したキリストとどのくらい共に歩んだのかははっきりわからないが、「聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」とあったことからもかなりの長時間であっただろう。
ここで聖書全体というのは、新約聖書はまだなかったのであるからもちろん旧約聖書である。旧約聖書は単に古い時代の記録ではなく、それは全体としてキリストを指し示している、という重要な意義を持っている。それは聖書を説き明かしてもらって初めてよくわかる。
復活されたキリストが弟子たちに、直接に、「私は復活したイエスである」、と言わなかったのはなぜだろうか。
復活のキリストに対しては、だれでも徐々に目が開かれるのだということを示そうとしている。
まずキリストが弟子たちに近づき、聖書の言葉の説き明かしを受け、さらに、次にはキリストが通りすぎて行こうとされるのを、無理に引き止めたとある。もし弟子たちが夕暮れに、キリストを強いて引き止めなかったら復活されたキリストはそのまま通りすぎて行かれたのであった。
弟子たちは、 道の途中で出会ったこの不思議な、驚くべき御方がそのまま夕闇の中をどこへともなく歩いて行こうとされるのを見て、次のように懇願した。

一緒に泊まって下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから。

これは一見ただ一夜の宿を勧めているだけの言葉だと思われるだろう。しかし、この弟子たちの強い願いに応えて、「イエスは、共に泊まるために家に入られた。」のであった。
しかし、実際はイエスは宿泊はされなかった。食事のとき、パンを裂いて弟子たちに渡したとき、二人の目が開けてそれがイエスだと分かった。そしてその時、驚くべきことだが、イエスの姿は見えなくなったのである。
このことを見ても、イエスが、弟子たちのつよい勧めで家に入ったのは宿泊するためでなかったのが分かる。それは、イエスが復活したことを知らせるためであったし、いかにして復活のキリストを知るに至るかということを示すためであった。
弟子たちが、自分がそのまま通りすぎるままにしておくか、それとも自分を引き止めて共に宿ることを強く求めるかどうかを試すためでもあった。
ここで無理に引き止めること、強く共にいて下さいと願うこと、それが重要なこととなっている。現代の私たちにおいてもこのことは同様である。復活の主に共にいていただこうと願うなら、強く願わなければならない。それは復活の主の別の現れである聖霊について、主イエスご自身が、次のように言われたことと同様である。友達が夜中に訪れた。しかし、何も食物として出すものがない。そこで夜中に友人のところに行ってパンを貸してほしいと願った。その友人は夜中だから難しいと一度は断った。そのことについて主イエスは次のように教えられた。

しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ福音書十一・)

聖霊を与えられるためには、強く求め続けることが言われている。聖書の言葉のなかで最もよく知られている言葉の一つ、「求めよ、そうすれば与えられる」という言葉で、与えられるものとは、聖霊であるのがここに記されている。
このように、復活のキリストも切実に求める魂に与えられる。
他方、このエマオ途上のキリストの記述のなかで、最初に記されているのは、復活のイエスの方から弟子たちに近づいて下さるということであった。 しかし、その一方では、人間の方からの切実な願いの必要性が示されている。
使徒パウロは、キリスト者になる前には、ユダヤ人としてモーセの律法を最高のものとしていたから、割礼などの儀式や律法なくして救われるというキリスト者たちを迫害し、彼らの信仰を打ち壊そうとしていた。
少なくとも彼の方からは、全くキリストに近づこうとする気持ちはなかった。しかし、キリストの方から近づき、彼に光を与えたのであった。夕闇に向かって突き進んでいたパウロに、突然、夜明けの光が射したのである。 ここにもエマオ途上での二人の弟子たちと同様なことが生じているのが分かる。
そしてひとたび主イエスが近づいて下さって光を体験して、まったく別の世界を知らされたパウロは、今度は激しく求め始めた。彼は、キリストの光を知ってすぐにエルサレムの使徒たちのところに行くこともせず、自分の家族親族に相談したりもせず、一人アラビアに出向いたと書いている。(ガラテヤ書一・17
それは、それまでの自分が全く間違っていたこと、真理そのものが見えなかったこと、キリスト者を迫害していたという重い罪の悔い改め、今後いかになすべきか、ユダヤ教の指導的な人物としてキリスト教を迫害していたのに、今度はキリストを宣べ伝えるということになったら、どのような困難が生じるか、今度は自分にユダヤ人からの迫害を受けるであろうこと、家族はどうなるのか、等々パウロの心のなかには、さまざまのことが浮かんできたことであろう。そうしたことを一つ一つ新たに自分の主となった復活のキリストに尋ね、今後の歩み方を深く示されたいと願って、アラビアに出向いたのであろうと考えられる。
こうした新しい世界を真剣に求めるようになって、すぐにキリストを宣べ伝え始めた。しかし、このような百八十度変えられた歩みはたちまちユダヤ人の憎しみを受けることになった。

ユダヤ人はサウロ(パウロの以前の名)を殺そうとたくらんだ。ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。(使徒言行録九・2325より)

このように、キリストの福音を伝えることは、命がけであった。ユダヤ人から裏切り者と言われることも甘んじて受け、生活の安定やユダヤ人からの評判などをすべて捨てて、当時生れたばかりのキリストを救い主と信じる道に生涯をかけていったのは、非常な熱心があったのが分かるし、そのような危険な歩みをするために真剣に主に求める生活となったのがうかがえる。
キリスト教の信仰はこのように、つねに神の方から一方的に近づき、恵みを与えて下さること、神があらゆる人に呼びかけをされていることが強調されているとともに、それを一度知った者は激しく求め続けるようにと導かれる。

エマオの村に着いた弟子たちが、まだ復活のイエスとはわからなかったが、不思議な力を感じて強く引き止めて、「共に宿って下さい」と懇願したこと、それは単に一晩の宿泊を強く勧めたということにとどまらず、ここには復活のキリストに対するキリスト者の心が表されていると言えよう。
それゆえに、次の有名な讃美にもこの弟子たちの言葉が組み込まれて愛唱されることになったのである。

これは、「私とともにとどまってください」(Abide with me)という讃美歌で、日本語訳では、「日暮れてやみは迫り」というタイトルになっている。しかし、原詩で見ればすぐに分かるし、後で述べるようにこの詩の主題は、「闇が迫っている」ということでなく、「主よ、共にいて下さい!」という切実な願いと祈りなのであって、日本語訳のタイトルは残念なことに内容を的確に表していない。
この讃美歌は、十九世紀の代表的な讃美歌の一つで、英語を使う国々で最も愛唱される夕べの讃美と言われてきた。この歌詞は、ヘンリー・フランシス・ライトという人の作詩による。ライトは、学者であり、また詩人、音楽家でもあった。彼は、幼な子のように清くやさしい心を持っていた。
イギリス国教会の牧師として働いたが病弱で、結核の影が生涯をつきまとった。そして教会での最後の説教を終えたあと、家族に一つの讃美の詩を手渡した。それがこの讃美歌であった。これは、彼が召されて八年ほど経って、ヘンリー・ワード・ビーチャ(有名なアンクル・トムス・ケビンの著者であるストー夫人の弟で、著名な伝道者)によって紹介され、結局作詞者ライトの死後十四年ほどしてはじめてこの讃美が知られるようになった。また、曲の方は、ライト自身が作ったものと違って、別の作曲家(ウィリアム・ヘンリー・モンク)が作った曲がこの詩にふさわしいものとして広く愛唱され、この詩の不滅の価値を現していった。(「The Story of the Hymns and Tunes218219P AMERICAN TRACT SOCIETY 1908年などによる)

1 日暮れて やみはせまり
  わがゆくて なお遠し
  助けなき身の頼る
  主よ ともに宿りませ

2 いのちの 終わりちかく
  世の栄え うつりゆく
  とこしえに 変わらざる
  主よ ともに宿りませ

3 うつりゆく世にありて
  誘惑は なお強し
  ただ主こそ わがちから
  主よ ともに宿りませ

4 死のとげ いずこにある
  死のちから せまるとも
  主に依れば 恐れなし
  主よ ともに宿りませ(讃美歌21-二一八番より)

この讃美歌のもとの詩(一節と三節)は次の通りである。なお、原詩の訳も付けておく。

Abide with me
fast falls the even tide;
The darkness depens; Lord, with me abide!
When other helpers fail; and comforts flee,
Help of the helpless, O abide with me!

とどまって下さい、私と共に! 夕暮れは間近です。
闇は深まる。主よ、私と共にとどまって下さい!
他の助け手が失われ、慰めも消え去る時、
助けなき者の助けよ、ああ、共にいて下さい、私とともに!

I need Thy Presence every passing hour.
What but Thy grace can foil the tempter's power ?
Who like Thyself my guide and stay can be ?
Through cloud and sunshine, O abide with me !

私はあなたが側にいて下さることを、絶えず必要としています。
あなたの恵みの他に、何が誘惑する者の力を挫くことができようか。
誰が、あなたのように、私の導き手、また支えとなり得ようか。
雲が覆うときにも、また日が照るときにも、ああ、私と共にとどまって下さい!


この原作で分かるように、この詩の一節には最初に、「とどまって下さい、私とともに!」という強い願いがあり、途中にも一度現れ、そしてその最後にも、「ああ、とどまって下さい、私とともに!」 となっていて、この詩の一節だけで、三度も繰り返し言われている。
この原作者は体の弱い人であったが、その弱さからさらに死の近づくのを予感し、切実な願いをこの詩に託したのであった。
それゆえに、この讃美歌は、決して単なる「夕暮れの歌」で終わるのでなく、人生のあらゆるときに祈りとともに歌うことのできる賛美なのである。私たちがいろいろの悩みで追い詰められたとき、窮地に置かれた苦しみのとき、とくに死の近づくときなど、さまざまのときに主に叫び、主よ、共にいて下さいと祈り願う讃美なのである。


もう一つやはり同じ箇所をもとにした讃美をあげておく。

共にいてください、主イエスよ。
闇のなかのひかり、主イエスよ。

Stay with us O Lord Jesus Christ, night will soon fall.
*
Then stay with us O Lord Jesus Christ , light in our darkness.

*)ルカ福音書二十四・29の、「私たちと共に留まって下さい」という箇所は、英語訳では、stay with us という訳と、 abide with us のほぼ二つに分かれている。前にあげた讃美歌では、後者の訳、この訳では前者の訳になっている。

この讃美は、ルカ福音書二十四章の29節を引用したものであって、この場合も、単に「私たちと共に泊まって下さい」という、宿泊を依頼するといったものでなく、霊的な意味をとって用いられている。夕方になったから、泊まって下さい、ということだけなら、単に昔の話しであって、今の私たちとは何の関係もないことになる。しかし、「夕闇が迫る」ということは、日々の生活のなかで、闇の力、あるいは死の力がひしひしと迫ってくるのを暗示している。そのことを実感するとき、どうかそのような力から守って下さい、という真剣な願いが生れる。この讃美は、フランスにある、テゼ共同体(*)で作られたもので、そこに加わっている人々が歌っているものだという。

*)フランスのロジェによって始められた共同体。彼は一九四〇年にフランスの村テゼに住み始め、一日三回の祈りと労働の生活を始めた。その後プロテスタント教会の出身者が加わり、一九四九年にテゼ共同体 が始まった。まず迫害され苦難のただなかにあったユダヤ人難民をかくまい、孤児たちを迎え入れた。しだいに彼のまわりにはさまざまの人たちが集まってきた。ヨーロッパでは毎年一〇万人規模の大会が開かれるようになっている。讃美歌21には、テゼ共同体で生み出された讃美が十五曲も取り入れられている。ここにあげたのはその中の一つ。

二人の弟子たちが強く引き止めたゆえに、そのまま通りすぎていこうとしていたイエスはそこに留まり、食事を共にされた。

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈り(*)を唱え、パンを裂いてお渡しになった。
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ二十四・3032

*)「賛美の祈り」と訳されている原語は、ユーロゲオー(eulogeo)であり、eu は「良い」 logew logos(言葉)や lego(言う)と関連した言葉。日本語訳では、塚本訳、フランシスコ訳などが、「讃美する」という訳語を用いている。 しかし、多くの訳は「祝福して」としている。英語訳もほとんどが、bless(祝福する)と訳するが、ごく一部に、give thanks (感謝を捧げて)の訳がある。またルター訳も、danken(感謝する)を用いている。

イエスが旧約聖書全体にわたって長い時間をかけて、かなりの道のりを説明しながら歩いてきたにもかかわらず、弟子たちはそれが復活したイエスとは気づかなかった。ここを読む者にとってはそれは不思議なほどである。しかも彼らはそのイエスの聖書の説き明かしを聞いていて心が燃えたという。それでもなお分からなかった。
しかし、食卓について、イエスがパンを感謝し、祝福して与えたときに、初めて弟子たちの目が開かれたという。
ここには、復活されたキリストに対して目が開かれるということは、時があること、そしてイエスによって祝福されたパンを受けとったとき目が開かれたということは、単に考えたり、知識を増やしたり、あるいは現在のように数多くの情報を得たり、また経験を増やしてもなお、復活のキリストに対しては目が開かれることにはならないこと、ただ、一方的にキリストから霊的なものを受けて初めて目が開かれるということなのである。
現在の私たちにおいても、自分の悩みのこと、他の人のいろいろの問題、社会的な問題、死後のこと、将来のこと等々、私たちはどうしたらいいのか、どのように考えるべきなのか分からなくなることもしばしばである。それは私たちが目がふさがれているからだと言えよう。
使徒パウロにしても、若いときから特別な教育を受けて、律法の世界に通じていたようであるし、ローマの市民権を持つ社会的にも上層部の家庭でそだったと考えられる。そして神の律法のためには犠牲を払って邁進するといった性格であった。にもかかわらず、彼はキリストのことが全く分からなかった。ステパノのように、石で打たれていのちをキリストのために捧げる人を目の当たりにしてもなお、復活のキリストには目がふさがれていた。キリスト者の柔和や真実さに触れてもなお変わらなかった。
そのようなパウロの目を開いたのは、一方的に注がれた神の光であり、復活のイエスからの呼びかけであった。それがなければどんな学識も経験も、霊の目を開くことにはつながらなかったのである。
私たちにおいても同様であって、どんなに大学などで研究しても、また職業的に成功しても、あるいは有名になっても、なお復活のキリストが分かるということとは関係がない。それは至る所で私たちが実際に経験することである。復活のキリスト、生きて働くキリスト、そして私たちのなかに住んで下さるキリスト、そのようなキリストがおられるということ、それを経験させていただくことは、この世の最も大いなる宝を与えられるということであるが、それは、たしかに神からの一方的な恵みなのである。
使徒パウロは私たちの救い自体が、私たちの意志や願い、あるいは知識や経験などによるのでなく、一方的な神の恵みによるということを次のように強調している。

罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(エペソ書二・58より)

復活のイエスであることが分かった弟子たちは、せっかく十キロを越える道のりを歩いてきたにもかかわらず、ふたたび夕闇迫る同じ道を引き返して、エルサレムに戻ってほかの十一人の弟子たちに復活という驚くべきことを実際に体験したことを語った。
エマオに着いたときすでに夕暮れであったから、そこでイエスとともに食事をし、それから歩いて二時間以上もかかる道を引き返した。しかもエルサレムは山の頂きにあるので、引き返す道は登り道であったはずであるから、エルサレムに着く前からもう暗くなっていたであろう。夜道になったエルサレムへの登り道を息をはずませて他の人たちになんとしても伝えなければ、急ぎ足で歩いていく二人の弟子たちの姿が浮かんでくる。 いかにこの二人の弟子たちの感動が大きかったかを知ることができる。
復活という大いなる出来事、それはさまざまのことを生み出す。死んだような人間を生かし、すべての人間が呑み込まれていく死ということをも越える力を与えられ、絶望ということを克服させ、いかなる重い病人や障害者、また見捨てられた人をも希望へと導く力をもった出来事であった。
このエマオへの道に関するルカ福音書の記事は、そうした復活にかかわる出来事を私たちにありありと思い起こさせるのであり、その復活のイエスが現在の混迷する時代に生きる私たちにとっても、いかなる他のものにも増して、私たちを励ましてくれるものとなっている。


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