リストボタン平和主義の流れ  2005/10

現在の平和憲法を変えて、軍隊を持つと規定し、自国の防衛のため、また他国が起こした戦争に武力を用いて加われるよう、道を開こうとしている勢力が多くなりつつある。
聖書は武力を用いることが危険であることを遠い昔から説いている。「王は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ちなおして鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(旧約聖書・イザヤ書2章より)
イザヤとは今から二千七百年も昔の預言者である。日本では縄文時代であって、文字もなく、一切の書物もなかった原始時代のころだ。こんな大昔にすでに聖書では、武力による戦いを止め、戦力を持たないことが望ましいあり方であると記されている。これはおどろくべきことだ。「助けを得るためにエジプトに下り馬に頼るものはわざわいだ。彼らは戦車の数が多く騎兵の数がおびただしいことを頼りとしイスラエルの聖なる方(神)を仰がず、主を尋ね求めようとしない。(イザヤ書三〇章より)
 ここにも武力に頼ることの間違いが言われている。武力ではなく、目にみえない真実なお方である神に頼ることこそが、最善の道と記されている。
 イエス・キリストはこのイザヤからおよそ七百年の後に現れた。イエスを捕らえようと剣をもって来た者たちに対して弟子のペテロが剣を抜いて切りかかった。その時、主イエスは言われた、「剣をもとのところにおさめよ。剣をとる者はみな、剣によって滅びる。」この主イエスの精神はイザヤ書ですでに言われていることを明確にしたものであった。
そして世界の歴史において徐々にこの精神が浸透して、武力に訴えることをやめようとする傾向となってきた。例えば一七九一年のフランス革命後の憲法では「フランス国民は征服の目的で戦争に訴えることを放棄し、いかなる国民の自由に対しても決して兵力を使用しない」と決定された。
 また一九三二年のスペインの憲法においても、スペインが君主制から共和国となったとき、人民戦線政府の採用したもので、「国家政策の手段として戦争を放棄する」とされた。また同年のシャム憲法でも「国際連盟規約に反するような戦争は行わない」とする規定がなされたという。
 一九二八年の六三か国加盟の不戦条約(戦争放棄に関する条約)には、第一条に「締約国は国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段として戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する。」とされた。
 また国際連合の基本的な原則の中にも「紛争はすべて平和手段によって解決すべし」とか「いかなる国の領土保全と政治的独立に対しても脅威または兵力行使に出たり、そのほか連合の目的に反する態度に出ることを避ける」と規定されている。
日本の平和憲法は、こうした流れの到達点といえる。これははるか昔から聖書のなかで言われていた平和主義が、憲法として制定されたものであって歴史的な意義を持っている。
日本の憲法は日本が自主的につくったものでないといって、変えようとする動きがある。しかし敗戦当時の日本の指導者が提出した憲法の草案は一体どんなものであっただろうか。一九四六年一月に出された日本側の改正案(松本案)の一部についてみてみよう。

・第三条 天皇は至尊にして侵すべからず。
・第十一条 天皇は軍を統帥す。
・第五七条 司法権は天皇の名において法律により、裁判所がこれを行う。

これを見ればこれらの内容は明治憲法と本質的に同じものだというのがうかがえる。例えば明治憲法の第三条の「天皇は神聖にして侵すべからず」とか第十一条の「天皇は陸海軍を統帥す」といった内容とほぽ同じであり、五七条の「司法権は天皇の名において法律により裁判所がこれをおこなう」などを比べてみてもわかる。裁判が天皇の名によつて行われるということから、どんなに不正な裁判が行なわれていったか考えても、何らの戦争に対する反省が成されていなかったのがはっきりとしている。 
 日本人がもし自主的に憲法を作っていたら、明治憲法とほとんど同じになり、あいかわらず天皇の絶大な力が残り、強い軍事力を持つことへの反省もなく、国民の基本的人権などということは到底保障されてはいなかっただろう。日本の歩みは全く違ったものとなっていたはずである。そしてあの太平洋戦争におけるおびただしい犠牲は空しかったことになる。
 天皇を神聖化して絶大な権力を与えたことから、あのような戦争での多大な犠牲となったのに、そのことに関して日本の指導者は全くわかっていなかったのである。
 これは太平洋戦争の末期、一九四五年の八月になってもなお、日本の軍部の指導者であった陸軍大臣は「一億まくらをならべて死んでも大義に生くべきである。あくまで戦争を継続すべきだ。」と御前会議で発言している。天皇のためにどこまでも戦え、日本が焦土と化してもなお最後まで戦争を続けるというのであり、全く国民の苦しみや悲しみを考えもしない発想であった。
 また日本に無条件降伏を勧告するポツダム宣言の受諾に関しても、当時の外相は「国体(天皇が日本の中心として支配する体制)の保持さえあればあらゆる苦痛も我慢する。」といった考えであった。無条件降伏を受け入れるという指導者たちも、それを拒否して戦うという指導者も、共通していたのは天皇制を最も重要なことだと考えていたことである。
 それゆえに、敗戦後において新しい憲法をつくるときになっても、天皇を中心に置く考えの根本は全く変わっていなかったのだ。
 私たちは現在の憲法が持つ平和主義はすでに見たように、長い人類の歴史のなかで、その到達点を示しているのであって、おびただしい犠牲を払って日本に与えられたものなのである。だからこそその平和主義を守り、軍事力を用いないで世界に貢献する道に徹しなければならないし、そうすることが日本独自の本当の国際貢献だと言えよう。


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