リストボタンイースター(復活祭)   2006/3

キリスト教で最も重要な祝日は何かと問われると、たいていの日本人は、クリスマスと答えるだろう。しかし、クリスマスは、キリストが十字架で刑死してから、数百年を過ぎて祝われるようになったのである。
それに対してキリストが復活した日曜日を主の日として記念して集まることは、最も初期のキリスト教の時代から始まった。聖書にも「主の日」という言葉が見られる。

わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。"
ある主の日のこと、わたしは霊(聖霊)に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。(黙示録一・910

キリストの復活によって聖霊の働きが新たになされるようになった。それによって使徒たちは目ざましい変化を遂げて、いかなる困難のなかでもキリストの福音を携えて世界に出て行くことができるようになった。
復活がなかったら、聖霊もなく、キリスト教の世界への伝道もまたなかったのである。意気消沈していた弟子たちにとって、復活こそは、すべての出発点なのである。それゆえ、復活した日曜日に集まるようになった。
それが復活祭(イースター)の起源である。このような成立の由来から、日曜日を休むという世界的になっている習慣は、実はその起源はキリストの復活にあるのである。日曜日ごとに復活を記念しているのであり、毎週の日曜日そのものが、復活祭なのである。
そしてキリストの十字架上の死は、ちょうどユダヤ人の最大の重要な祭である、過越祭のときであった。
それゆえ、キリストが十字架にかけられる直前の最後の夕食は、ユダヤ人の最も重要な信仰上の祭である、過越祭の食事でもあった。

イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなた方と共に、この過越の食事をしたいと私は切に願っていた。」(ルカ福音書二二・15

過越の祭では、子羊を用いてその血を祭壇に注いだ。十字架で血を流されたキリストは、この過越の子羊を象徴しているとみなされてきた。
このように、キリストの十字架の死は過越祭の霊的な実現として受け止められた。そして三日後の復活も過越祭と結びつきが生れた。(*

*)ギリシャ語では、過越祭をパスカ(pa,sca)という。フランス語では、復活祭のことを、PAQUES(パック)というが、これは、過越祭のギリシャ語に由来する言葉であり、復活祭と過越祭との関わりの深さが言葉の面にも現れている。

過越祭は満月に祝われたために、キリストの復活日も満月とかかわることになった。そして過越祭が現在の太陽暦では三~四月の頃であるから、復活祭もまた春分の頃の満月と結びついたのである。こうしたいろいろの理由から、復活祭は、春分の日の次の満月の次の日曜日という分かりにくい決め方になっている。このことは、キリストの復活が春分の日の頃で、最後の晩餐は満月のときであったこと、そして復活したのが日曜日であったということと関係していることなどを同時に思い起こすことにもなっている。
このように、福音書をよく見ると、復活祭とは、イエス・キリストの復活を記念すると同時に、その背後に過越祭の意味が含まれているのがわかる。
すなわち、主イエスが十字架によって血を流して私たちの罪のあがないとなって下さり、私たちに対する裁きが過ぎ越され、わたしたちが救いを受けたという重要な意味があるのである。


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