リストボタン二種類の残り物    2007/3

徳島県に隣接する美しい太平洋に面した高知県東洋町が、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の調査に応募した。その説明でそのような施設は科学技術を駆使して造られるから安全だということが繰り返しいわれる。
しかし、阪神大地震のちょうど一年前(一九九四年一月一七日)にアメリカのカリフォルニアで大地震があり、高速道路の橋桁が落下した。そのときに、日本の土木技術がすぐれているから、あのようなことは日本では生じ得ないと、土木工学の専門家が確言していたものであった。
しかし、そのような専門家の予測は見事にはずれて、高速道路の橋桁の大規模な落下が生じた。
このように、専門家が言ったとしても、信頼できないことは多くある。計算上は生じないといっても、実際に工事にかかわるのは、人間であり、耐震工事の手抜きや、最近あちこちの原発で発覚した、重大な臨界事故隠し、データ捏造や記録の抹消などでわかるように、人間が弱い不正な存在であるゆえに、安全だなどという断定をすること自体できないことなのである。
日頃の生活でゴミは多量に出てくる。そのゴミはほとんど高温で燃やしてしまうことで処理できる。コンクリートの建物などは、埋め立てなどに使ったりもする。それらはそのうち風化して土に帰っていく。
しかし、まったく異なる困難を持っているゴミがある。それが原子力発電所から大量に生み出される高レベル放射性廃棄物である。それは、原発の使用済みの核燃料から、プルトニウムを取り出した後に残るさまざまの物質(*)である。

*)それらは、ストロンチウム九〇(半減期28.8年)セシウム一三七(30年)という比較的半減期が短いものもあるが、アメリシウム二四一(430年)、ヨウソ一二九(1570年)プルトニウム二四〇(6564 年)、プルトニウム二三九(24000年)セレン七九(65000年)、ジルコニウム九三(153万年)、セシウム一三五(230万年)等々。半減期が一〇万年以上のものが六種もある。

そうした放射性物質には、外部に出される放射線の量が半分になるまでに、数千年から数十万年といった我々の生活で考える時間をはるかに超えた年月がかかるのが多く含まれている。そのような物質を大量に生み出していくこと自体、はるか後の子孫まで重大な問題を残していくのであり、間違ったことである。
こうした放射性物質を三十年~五十年間、地上で発熱や放射線の半減期が短いものが減衰するのを待ってから、ガラス固化体とし、地下三百メートルに埋める。それは大規模な地下坑道を掘ってそこに埋めていくという巨大な事業となる。
このような施設が造られるなら、その長い期間に大地震が生じたりすると、次第にその坑道が壊れ、あるいは地下水がしみ込み、どのようなことが生じるか分からないのである。検査するといっても内部に人間が入れないのであり、地上から深い穴を掘って調べるしかない。そのような調査をしたところで、一部しか分からないし、その穴をあけることで、地上に放射性物質が漏れ出る通路を造ることになって新たな危険性も生れる。
また、そうした放射性物質を原発から船や陸路で運搬するときに、何らかの事故、テロなどが発生してそれらが外部に放出されるとすれば、重大な事態となるだろう。また、そのような長期にわたる巨大な工事がなされているときに、大地震が生じて、埋設工事中の施設が破壊されるなら、大量に放射性物質が放出されることになる。
このような危険な大工事を、一部の専門家は、安全だなどと主張しているのには、驚かされる。いったい誰が何万年も先のことを保証できるというのであろうか。そのような根拠のないこと、非科学的なことを一部の科学者が政府側の立場に立って言うのである。
エネルギーをたくさん使うのは、自然のなりゆきのように前提してから、こうした危険な原発の増設をしてきた。しかし、今月号の別稿で述べたように、食物一つとっても、日本では、毎日三百万人分もの食品を捨てていることになるというし、年間千百万トンを越える膨大な量の食物が捨てられているという。それはそれらを製造、運搬するときに使われた多量のエネルギーをも無駄に消費していることになる。
このようなエネルギーの無駄は他にも数知れずある。原発のこうした永年にわたる危険性を考えるとき、このようなエネルギーの膨大な無駄遣いをなくする方に力を注ぐべきなのである。
そしてこのようなエネルギーの無駄は、生活の贅沢化に伴っている。その贅沢化の根源はやはり物質によって心の満足を得ようとするところにある。
こうした根源的な心の問題は、物質でなく、目には見えない霊的な賜物によって満たされることがなかったら、いくらエネルギーの節約などを強調されても実行が難しい。キリスト教の真理は、魂に深い満足を与えるのであり、それゆえにおのずから質素な生活に満足できるように仕向けていく。その意味で、こうした現実のエネルギー問題の根源にある人間の欲望と満足の問題の究極的な解決の鍵を握っているのである。
聖書(福音書)に六回(*)も繰り返し記されている記事、それは五〇〇〇人のパンの奇跡といわれるものである。わずか五つのパンと二匹の魚を主イエスが祝福すると、五〇〇〇人もの人たちが満たされたばかりか、その残りを集めたら十二のかごにいっぱいになった、というものである。
*)これらの記述には、五千人が四千人、五つのパンと二匹の魚が、七つのパン、など若干の違いがある。

これは、表面的に受けとるとおよそあり得ないことのように見える。しかし、実はここに深い真理が隠されている。だからこそ、繰り返しをいとわず、筆記用具や紙などがきわめて貴重であった時代であるにもかかわらず六回も書かれているのである。
神の真理は、ひとたび主イエスの祝福の手に触れると、それは無数の人たちを満たすことができるし、そのように満たした残りのものにも、その祝福の力は完全に残っているというのである。
それが「残ったものも十二のかごを満たした」という意味なのである。そしてたしかに、主イエスの時代の人々を満たした真理はいくら使っても使っても変質したり消滅したりせず、二〇〇〇年を経た現在でも、無数の人たちを満たし続けているのである。
それに比べると、人間が創り出した原子力発電所においては、使ったあとの「残り」が、何万年、何十万年も危険性を持ったものとなり、ひとたび大地震などや事故など予期できないことが起こると悲惨な事態が生じる。 ここにその違いが歴然としてくる。
この二種類の「残ったもの」の大きな違い、それこそは、神が私たちをどちらの方向に招いているかを象徴的に示しているものと言えよう。


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