リストボタン奏でる手    2007/4

家に古いピアノがある。ピアノは楽器の王とも言われる。しかし、弾く人がいなかったら、ただの重い箱にすぎない。
しかし、ピアノの名手が弾けばそこから驚くべき音楽を生み出し、人の魂を揺さぶる力を聞く人に与え、その魂をこの世から引き上げて、天上のハーモニィに心を溶かし込むことができるであろう。
この世にはこのような、弾き手のいないピアノのようなものが至るところにある。
聖書も、その深い意味を奏でる人がいなかったら、ただの紙である。そこには、永遠からのメッセージ、世界のすべての人の意見よりはるかに抜きんでたその深遠な発想と表現がそこに込められている。
しかし、それを説き明かす人がいなかったらそうした世界は開かれない。
私自身、聖書の存在は小学校低学年のときから知っていたが、それは弾く人のいないピアノのように全くそこからは真理の響きを聞き取ることはできないものであって、私の魂とは何の関わりもなかった。だが、大学四年のとき、それを説き明かすごく短い言葉によってその広大な真理へと目が開かれた。それは、その本の著者が聖書の真理を神の指をもて奏でたのであり、それを私が聞き取ったのである。
すでに使徒言行録においても、聖書のイザヤ書を読んでいた遠くからの人が、説き明かす人がいなかったらどうしてわかるだろうか、と嘆いた。それに答えてピリポが説き明かしたときに、霊の目が開けた。

御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。
そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
そこでピリポは口を開き、(彼が説き明かしを求めた)聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。(使徒言行録八・2935より)

未来は一体どうなるのか、過去の歴史、そして現在のさまざまの出来事の本質、生と死の本質、死のかなたには何があるのか、等々も同様である。それは大学の学びをしたからといって分かるようなものではない。
 信仰の父と言われるアブラハムにしても、学者ではなかったし、多くの深い内容の詩を作ってそれが神の言葉とみなされるほどになったダビデも同様であった。その他、聖書に現れる大いなる神の人、イザヤ、エレミヤといった人たちも学問をしたからそのように用いられたのではなかった。
新約聖書では、かえって聖書にかかわる学者(律法学者)がイエスの本質を深く見誤った。それだけでなく、ついにイエスを激しく憎み、十字架に付けることにつながっていったと記されているほどである。
キリストが特に用いた弟子であった、ペテロ、ヨハネ、ヤコブたちも学問とは無縁の漁師であった。旧約聖書をきちんと学んだと思われるパウロにおいても、その学問によってかえってキリストのことがわからず、キリスト者を激しく迫害するようになっていたのである。
彼らがキリストに本当に仕えるようになり、キリストの使徒となったのは、学問でも経験でもなく、神からの霊を与えられたからであった。それによって目が開かれ、現在、過去、未来の世界を、また人間の深い魂の世界をその霊によって奏でるようになり、その響きが以後二千年にわたって続いているのである。
 神の霊が与えられてはじめて、経験や学問、あるいは行動も生きてはたらき、キリストのことを体得する助けとなっていく。
古典といわれる著作も同様である。ダンテや今回ごく一部を紹介したセルバンテスの主著であるドン・キホーテなども、また私たちを取り巻く自然のさまざまの姿、そうした世界をもより適切に説き明かす人が必要である。
それだけでなく、私たちにふりかかる困難や悩み、悲しみ、そうした出来事をもその深い意味を神の霊もて奏でることが期待されている。それによって非常な苦しみや悲しみの中からもそれまで聞いたことのないような、天からのハーモニィを聞き取ることができるのであろう。 旧約聖書の詩編には、それが文字となって歴史のなかに刻み込まれていると言えよう。
主イエスは、「しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」(ルカ十一・20)と言われた。
そして悪の力(霊)を追いだすといった神秘的なことは、だれにもできないというのでなく、福音書によれば、まだ、イエスを信じて間もないような十二弟子たちを呼び寄せて、汚れた霊(悪の霊)に対する権威を与え、そのような霊を追いだすことができる力を与えたと記されている。(マタイ十・1
このことからわかるのは、いかに信仰を与えられたばかりのようなものであっても、神からそうした力を与えられるならば、悪の霊を追いだすことが可能だということである。
私たちもまた、どのような現象に接しても、聖霊によって「神の指」を与えられ、私たちの魂の内や周囲の人間、社会にある悪の力を追いだし、この世において天の国のハーモニィを奏でていくことが期待されている。
この世界全体は、部屋に置かれたピアノのように、神から与えられた霊の指もて奏でる人を欲しているのである。


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