リストボタン「真白き富士の根」とキリスト教讃美  2007/7-8

 この歌は、別名「七里ヶ浜哀歌」と言われ、昔から有名で、私は小学低学年のころからそのメロディーは聞き覚えで知っていた。そしてとても日本的な曲という気がしていた。
この歌の歌詞の部分については、一九一〇年に逗子開成中学の十二人の生徒が乗ったボートが江ノ島と逗子の間の七里ヶ浜沖で沈み全員が死亡した事件をもとにして作られたものであり、作詩は、当時鎌倉女学校の教師であった三角錫子(みすみ すずこ)によってなされた。
彼女は、東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)を卒業、若くして両親を失い四人の弟を養うために、給料のより高い北海道にいって教員を勤めた。その時に三角は、札幌のキリスト教会に出入りして讃美歌を共に歌っていたり、キリスト教と関わりの深かった時期があったというが、キリスト者となったのかどうかは資料がなく、はっきりしたことは分からないようである。
その後、結核になるという苦しみを経て、鎌倉女学校の教師となった。そのときに、この事件に出会って作詩したのである。 その後彼女は、常磐松女学校(ときわまつ)を創設して女子教育に力を注いだ。(この学校は、現在も続いていて東京目黒区にトキマ松学園として短大、高校、中学などを持っている。) さらに、彼女は、女性の社会的地位の向上のために力を注ぎ、多くの論文を雑誌に寄稿したことが分かっている。

次にこの歌の歌詞の一部を引用する。

(一)真白き富士の根 緑の江ノ島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
(四)みそらに輝く 朝日のみ光り
やみに沈む 親の心
黄金も宝も 何しに集めん
神よ早く 我をも召せよ

この四節の歌詞には、作詞者の三角錫子がキリスト教と接触していたのがうかがわれる。
この曲が聖歌に、「いつかは知らねど」という讃美として取り上げられているのを後になって知ったが、そのときは日本の昔の愛唱歌のメロディーが聖歌(*)に転用されたのだと思っていた。それで真白き富士の根という曲のイメージが強く残っていたので、何となく違和感があった。

*)後に発行された新聖歌では、四六五番として採用されているが、そこでも、作曲者は、Anonymous すなわち不詳とされている。 なお、Aは否定の接頭辞、nonymous の部分は、英語のname などと語源は同じで、名前を表すので、Anonymous とは、名前がない、つまり名前が分からない、不詳という意味。

 しかし、それが、キリスト教讃美歌が元の曲であったのをはっきりと知らされたのは、「讃美歌・聖歌と日本の近代」(手代木 俊一著 音楽之友社 一九九一年発行)によってであった。
 この本は、キリスト教史学会学術奨励賞受賞の著作であるが、高価でもあり、現在すでに出版社の目録にもなく、絶版になるとのことでもあり、一般的には入手し難いと思われるので、この歌と讃美歌との関連を紹介をしておきたい。
 
「いつかは知らねど」(新聖歌 四六五番)の原曲は、ジェレマイア・インガルス編の讃美歌集
Christian Harmony》 (1805年アメリカで出版)の中に初めて収録された、
When we arrive at home」という曲が原曲であるということが判明した。。

この曲は、インガルスが、当時知られていた曲の前半の部分を一部取り入れ、後半部を新たに作曲したもの。 それが、1835年にアメリカ南部讃美歌集《Southern Harmony》において、GARDEN という曲名(tune name)で収録された。

それは、この讃美の1節に、次ぎのようにあるからであった。
この大体の意味は、「 イエスが庭に入られる。そこでは、香木はよき香りをはなち、百合は豊かに成長し 花咲き、生き生きとした聖なる恵みは、イエスからあらゆる蔓草に注がれる。そして、死せる者が生き返る」
 これは、この世をいろいろな植物の植わった庭にたとえ、主イエスがそこに入られると、人間はそれぞれの個性を新たにされ、生き生きとよみがえったようになる、という象徴的な内容となっている。
(なお、「蔓草」と訳した vine という語は、ぶどうの木や、ツタ類、キュウリ、メロンなども含めてつる植物一般を意味するが、ここでは、すぐ上の行の divine と韻を合わせるために とくにvine を用いているのであって、意味からはとくにつる植物でなければならないことはなく、作詩者のイメージにおいては植物一般を指すと考えられる。)

(一)
The Lord into his garden comes ,
The spices yield their rich perfumes;
The lilies grow and thrives,
The lilies grow and thrives,
Refreshing showers of grace divine,
From Jesus flow to every vine
And make the dead revive,
And make the dead revive.

 この曲名(チューンネイム)が、内容に「庭」とあるので、GARDEN (ガードン)と付けられたのであったが、それを、一九三二年に堀内敬三が編集した唱歌集の中に、この曲が含まれ、そのときに、作曲者名が、間違ってガードンとされた。
(なお、曲名とは、現行の讃美歌、新聖歌などに楽譜の右上に大文字で書かれてあるのがそれである。例えば、「いつくしみ深き」という讃美歌三一二番なら、右上の WHAT A FRIEND というのが、この曲名である。作曲者は、その曲名のすぐ下に書いてあるから、間違われたのである。)
 堀内敬三(*)という音楽の権威者の手による本にこの誤りが出てしまい、それを一般の人が確認する資料もなかったゆえ、最近まで広く作曲者名がガードンとされてきた。
 私の手許にある「唱歌」(野ばら社発行)や、「抒情愛唱歌全集」(ソニーミュージックハウス発行) いずれも二〇〇一年発行のいずれも、「真白き富士の根」(七里ヶ浜哀歌)の歌の作曲者名を、ガードンというまちがった記述のままになっている。

*)堀内敬三(一八九七年~一九八三年)富士見町教会員。一九二八年に「日曜学校讃美歌」の改訂委員。 三〇歳代の半ば過ぎですでに、東京音楽協会の常務理事として、音楽会の実力者になっていたという。

元の讃美の二節、三節を引用しておく。
(二)
O That this dry and baren ground,
In spring of water may abound,
A fruitful soil become,
The desert blossoms like the rose,
When Jesus conquers all His foes,
And makes His people one.

ああ、この渇いた不毛の大地が
溢れ出る水によってうるおされ
実り豊かな土地になるように!
砂漠がバラのごとくに花咲くように!
主イエスが、あらゆる彼の敵(サタン)を打ち破り
その民を一つとするときに。

(三)
Come brethren,you that love the Lord,
In Jesus' ways go on;
Our trobles and trials here,
Will only make us richer there,
When we arrive at home.

来れ、主を愛する兄弟たちよ
主イエスの道を歩もう
私たちの地上での困難や試練は、
私たちが天のふるさとに帰るとき
私たちを、さらに豊かにしてくれるのだ。

 この讃美の曲を転用して作られた現在の新聖歌四六五番として収録されている、「いつかは知らねど」という讃美の歌詞は、右に引用した歌詞とは別の、イエスの再臨をテーマとした内容として新たに作られたものである。
 しかし、原詩では、私たちが神の国というふるさと(home)に帰るとき、あらゆる苦しみや試練がいっそうの祝福に変えられることがその内容にあるので、この再臨の歌詞の一節や四節にみられる、主イエスが復活した信徒を天の国に迎えて下さることへの希望と喜びが歌われているので、そうした点では一部共通した意味があると言えよう。 
 次に「いつかは知らねど」の歌詞の一部を引用しておく。

(一)
いつかは知らねど 主イエスの再び
この世に来たもう 日ぞ待たるる
その時聖徒は 死よりよみがえり
我らも栄えの 姿とならん。

(四)
その日を望みて 互いに励まし
十字架を喜び 負いて進まん
嘆きも悩みも しばしの忍びぞ
楽しきたたえの 歌と変らん
 
 なお、この「真白き富士の根」は「富士の嶺」と書かれることもあるが最初の歌詞のタイトルは、前者である。 なお、広辞苑によれば、
ね【峰・嶺・根】みね。山のいただき。
と説明があり、山の頂上をこれら三種類の漢字で現されてきたことが示されている。

 日本の人たちがだれでも昔からの日本の歌だと思っていたのが、実は、キリスト教讃美歌に由来しているというのは他にもいろいろと知られている。
 最も有名なのは、「しゃぼん玉とんだ」という童謡は、「主われを愛す」(讃美歌四六一番、讃美歌21-四八四番)から作られたということである。この「主われを愛す」は、日本語で歌えるようになった讃美歌としては、日本に現在幾千とある讃美歌の中の最初のものであった。
 この有名な讃美歌を歌って、それから「しゃぼん玉とんだ」の歌を歌ってみれば、そのメロディーがにているのにすぐに気付く。とくに讃美歌の楽譜の二段目「恐れはあらじ」の部分は、「しゃぼん玉とんだ」の歌の「こわれて消えた」の部分と同じである。 実際、私たちのキリスト集会のYさんが、「この讃美歌は、しゃぼん玉とんだ の曲に似ていますね」と言ったことがある。
 これは、一八七二年のことで、このとき、二つの讃美歌が日本語に訳された。このうち「主我を愛す」が訳文がさらに手直しされてとくに愛唱され、今日までずっと歌い継がれている。
 この時はまだ、明治政府によってキリスト教が禁止され、迫害が続いていた頃であったから、この讃美歌はもう日本で一三五年ほども歌い続けられてきたのである。
 この時代の状況はどうであっただろうか。
 一八六七年、江戸時代の末期に、長崎県浦上村のキリシタンたちが一斉に捕らえられ、拷問される大規模な迫害が生じた。その後の明治政府もその政策を受け継いで、村民たちを多数の県に送り、そこで水攻め、火責めの迫害を続けた。
それがようやく中止されたのは、一八七三年のキリスト教の解禁令によってであった。 他県に送られて迫害されていた信徒らはようやく釈放されたが、各地に配流された者は三四〇〇名ほど、そのうち六六二名が過酷な迫害のために死んだという。日本で最初の讃美歌は、このような時代状況のなかで日本語に訳されたのであった。
 こうした背景を知るとき、この日本で最初に歌われることになった讃美歌の歌詞にも、当時のキリスト教迫害に苦しむ人たちの思いを込めて訳されたであろうことがうかがえる。
 現行のこの讃美歌の歌詞は、当時のものからより分かりやすい歌詞になっているが、大体の意味は同じである。
 
(一)
主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
(折り返し)わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す

(二)
わが罪のため 栄えを捨てて
天(あめ)よりくだり 十字架につけり

(三)
みくにの門(かど)を 開きてわれを
招きたまえり 勇みて昇らん

(四)
わが君イエスよ われを清めて
よき働きを  なさしめたまえ

 こうした訳文にも、キリスト教を迫害する国家権力の力に対して、それを圧倒する主イエス(神)の力に頼るという、キリスト教禁止令下におけるキリスト者たちの心が託されていると考えられる。
 そしてどんなに困難や迫害があろうとも、主イエスの愛は変わらない、という強い確信をこの歌詞のなかに感じ取ったことであろう。
 この讃美歌の歌詞の内容は、一節は、人間の自分中心になってしまうという罪や病気などさまざまの意味での弱さが記され、折り返しでは、それにもかかわらず愛を注いで下さる神(イエス)の愛が言われている。二節では、私たちの罪からの救いのために、十字架刑とされるほどの重罪人のようなところにまで降りて行かれ、そこで私たちの罪を身代わりに負って死んで下さったこと、三節は、信じる者は復活して天の国に迎えられるという最も重要なことが歌われ、四節では、そのような祝福された約束を与えられているゆえに、この世の現実の生活において、神の力を与えられ、御旨に従って生きることができるように、というのがその内容である。
 このように、その内容と、この讃美歌の訳された時代状況を考えると分かるように、これは、本来は子供の歌として訳されたのでなく、キリスト教信仰を持つ日本人のために、日本語で歌える讃美歌として、その内容が単純率直にしてしかも本質的な真理を含んでいるということ、さらにメロディーも歌いやすいことなど(*)からこの讃美歌が最初に日本語讃美歌として訳されたのであろう。

*)この「主われを愛す」の讃美歌の作曲者は、アメリカのウィリアム・ブラッドベリで、十四歳のときから有名な讃美歌作者のロウエル・メイソンにピアノなどを学んだ。そして音楽書は六十種類もの多くを出し、その中には二百万部も売れたものもあった。アメリカでは、前述のメイソンととにも最も広く知られた讃美歌作曲家であった。

 適切な歌詞とその曲が心に響くものであったとき、その讃美歌は時代を越え、民族や国家をも越えて歌われていく。それは人間が創り出すことも、消すこともできない。 神がその真理を適切な詩人を選び出し、また作曲者をも呼び出して組み合わせ、この世に流れるいのちの水のようなものとして、注ぎだすのである。
 以前にこの「いのちの水」誌でも紹介した、アメイジング・グレイス という讃美歌も同様である。
 言葉による聖書の説き明かし、説教、講話や講義などは世界中で繰り返し行われている。しかし、主イエスご自身による説教(聖書に記されている)を除けば、特定の人間の説教が全世界に庶民から学者、無学な人、子供、大人、老人、健康な人、病人等々を問わず語り伝えられるということはない。
 しかし、すぐれた讃美歌、聖歌はあらゆる民族や国家、時代を越えて伝わっていく。それらはしばしばキリスト教会だけに限定されたものとなるが、しかし時に応じてキリスト教の集まりの枠を越えて、溢れ出ていき、世界へと流れだしていく。
 こうした讃美歌だけでなく、もっと重厚な内容をもったバッハのような音楽も同様で、もともとは教会だけの枠で歌われ、演奏されたものであった。
 しかし、それは大きな波となって、教会の枠を乗り越え、後のベートーベンのような偉大な作曲家たちにも大きな影響を与え、世界に流れだしていった。
 これは、キリストの真理の共通した本質である。真理は、自ずからそれを受け取るにふさわしい人々を選び出し、その人々を器としてあふれだし、そして時代を越えて、また民族や国家、距離を越えて波のように伝わっていく。
 旧約聖書の有名な詩篇で、

主はわが牧者。
主は私を緑の牧場、憩いのみぎわに導かれる。
わが杯はあふれる(詩編二三編)

 というのがある。たった一人であっても、その小さき魂に本当に満ちた真理は必ずそのようにまずその個人をあふれるばかりに満たし、そこから周囲へと流れていく。 パン種のたとえも同様である。はじめは目に見えないような小さきものであっても、次第にふくらんでいく。その内在するエネルギーは、神から来ているのである。
キリスト教讃美歌(聖歌)の流れはその源流を旧約聖書の詩編に持ち、そこから三千年もの歳月を無数の人たちの魂を浸し、そこからさらに流れ出て、旧約聖書を生み出したイスラエルをはるかに越えて全世界へと流れて、うるおしていった。
ここであげた、二つの讃美歌もその流れのなかにある一つである。
黙示録においては、天上では、昼も夜も絶えることなく讃美が続いていることが暗示されている。

彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
全能者である神、主、
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。(黙示録四・8

また、詩編にはその最後の部分には、宇宙的な讃美が記されている。

ハレルヤ。天において主を賛美せよ。
高い天で主を賛美せよ。
御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。
主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
日よ、月よ主を賛美せよ。
輝く星よ主を賛美せよ。(詩編一四八・13

神を讃美できるということは、神の賜物によって魂が深く満たされ、自由を与えられ、感謝がおのずからわきあふれることによってなされる。不満や疑問をもった心にはあふれるような讃美は生れない。神は人間を招き、その罪を知らせ、悔い改めさせそこからその赦しを与え、そこからさまざまの神の国の賜物を与えることによって、絶えざる感謝と讃美が生れるようにと導かれている。それゆえに次のようにも言われている。

後の世代のために
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。」(詩編一〇二・19

今後もキリスト教賛美はいかなる時代の状況にもかかわらず、天地が滅びようとも永遠に続いていくであろう。


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