リストボタン前進と後退    2007/9

私たちのこの世界は前進しているのだろうか。それとも後退しているのだろうか。
さまざまの犯罪は減る兆しがなく、戦争や民族同士の対立、戦いは止む様子もない。科学技術の進歩は前進だと言い切れない。わずか十数年間で、何千万もの人たちが殺されるような大戦争、そして一瞬にして何十万も人たちを殺傷する核兵器、そして地球全体に及ぶ環境破壊等々は科学技術の発達によって生れたのである。
よき科学技術の代表のように言われる医学はたしかに進歩していろいろな病気が治るようになったが、他方、耐性菌の発生とか薬のさまざまの副作用、治療の間違いなどによって、新たな病気が医学薬学が進歩したゆえに多数生じている。
子どもの頃から強制的に働かされたり学校へも行けないといったようなことはなくなって日本では誰でもが教育を受けられるようになった。しかし、子どもの純真さ、幼な子らしさという重要な性質が失われていきつつある。私たちの個人的な性質をみても同様で勉強を重ねて大人になってものの考え方がしっかりしてきたといっても、他方ではこの世の汚れに染まっていくという面がある。
このように、何をとっても前進と後退は常に見ることができる。 この世に生きること自体、いかに努力して前進したとしても、最終的には死んでしまって、生れる前のゼロのようなものに後退してしまうのだと思うとき、この世に生きること自体空しくなってしまうだろう。
このような前に進めない現実にあって、絶えざる前進の道を開いて人類に示したのがキリストである。
いかに私たちが罪を犯して後退しようとも、悔い改めることによって再び前進でき、さらに病気になってすべてできなくなったときでも、霊的にはさらに高くされて前進するようにと導かれる。最終的にゼロに戻ると思われている死のときすら、そこに最も大いなる御国への前進が一挙になされるようにして下さっている。 それだけでなく、この世界の「全ては、神から出て、神によって保たれ、神に向かって」前進を続けるのである。(ローマ十一・36)


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