リストボタン水をくみ取る    2007/10

乾いた大地にも、草が生えている。雨がずっとなくて、からからに乾いていて、どこに水分があるのかと思われるような土からもわずかの水分を取り入れて生きている。植物の吸水力は驚くべきものである。植物の根の先端部分には、直径が0.01ミリメートル前後のきわめて細い根毛があり、それが固い土の中に入り込んでいき、地中の水が吸い取られるのである。
根は、ときには石垣の中に入って石垣を壊し、あるいは岩の中にも入り込んで岩をも破壊するような強力な力を持っている。
土にしみ込んでいるわずかの水、それはもちろん人間が見ても肉眼ではとうてい見えないごく微量の水であるが、それをも植物はみずからの中に取り込んでいく。根毛はきわめて細くて植物を引き抜けばみんな取れてしまうほどでしかない。しかし、それが、だれも見ていない土の奥深くにて、植物を支える大きな働きがなされているのである。
神が人間に与える精神的、霊的な力というのも、これと似た面を持っている。弱々しいものでありながら、堅い権力や組織の中に入り込んで、それを破壊するほどの力をもっている。そしてどこにもうるおいのない恐ろしい迫害のなか、また敵対する厳しい状況のなかでも、霊的養分を吸収して成長していく。
こうしたすがたはとくにローマ帝国の迫害のときや、日本のキリシタン時代にも見られるし、世界でキリスト教が広がっていく過程で至るところで生じたことであった。
しかし、そのような過去の特別な状況だけでなく、現在の私たちにおいてもこのことは成り立っている。小さな弱いものでありながら、神の力を受けるときには、無理解と冷遇のなか、あるいは困難な病気のなかにあってもなお、神の国のいのちの水をくみ取っていく人たちは数知れずいる。
キリスト者とはその程度はいろいろあっても、本質的にそのような人たちだと言える。渇ききったこの世にあって、霊的な根毛のようなものを延ばし、日々神からのいのちの水をくみ取っていくのである。


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