リストボタン私にとっての信仰とは     中川 春美    2007/11

 私が高校生の時、困ったことが生じたので、担任の吉村 孝雄先生に相談に行きました。その問題を先生が解決してくださった時、先生はキリスト教の事を話されました。
 それまで、キリスト教というと十字架や教会や牧師さんというイメージでした。
その時、教科書で習った事のある有名な内村鑑三が始めたキリスト教の集まりのがある事を知りました。
 そのすぐ後で、矢内原忠雄の「キリスト教入門」という本を貸して下さいました。その本を読んで、頭で考えていた信仰の世界が言葉で説明されていてキリスト教や信仰について輪郭を理解することができました。
 そこで自分で新約聖書を買ってきて読みました。この聖書という本から、古今東西の美しい音楽や絵画、医学や法律などが生みだされてきたのだと聞いていたので、どんな難しい教典だろうと思っていましたが、ルビがふってあり、実際に起こった事柄が書かれていて、表面的には子供でも読める内容なので驚きました。
 読んでいると所々なるほどと思い、イエス様が直接話された言葉や、ローマ人への手紙で、ここに書かれていることは真理だと直感することができました。イエス様の奇蹟の記事で、死人を生き返らせたり、悪霊を追い出したり、また五つのパンと二匹の魚で五千人が養われた記事などでこのような事は人間には絶対できないので、まっすぐ「イエス様は神様だ」と思うことが出来ました。
 私はそれまでも、人間がいつか死ぬこと、どんなに楽しくてもそれが一時的であるというはかなさや空しさを感じていたので、絶対のものを求めていました。どこかに絶対の世界があると思っていたのでそれがキリスト教だと思い、この世界に入りたい、信じたいと熱望しました。
 卒業後、吉村先生御夫妻に誘われ、初めて京都の北白川集会主催の聖書講習会に参加しました。聖書を信じているので、何か得られるだろうと期待して参加したのですが、その時まだはっきり信仰を持っていなかった私は、信仰を持つ方々の間で、強く「自分が異邦人である」という感覚を持ち、強い孤独を感じました。
 信仰を持ちたいと願っても、それがどのようにして入れるのか、聖書が事実だということを信じてはいても、そのような意味で信じることと、信仰を生きるという事の大きな隔たりを感じました。
 そのことでとても落ち込み、私は信仰者の仲間にも、この世のキリストを知らない世間の人達の仲間にも入れてもらえない、どうやって生きていったら良いのだろうと思うようになり、生き方がわからなくなりました。
 またその頃から、聖書を読む事で、自分の罪ばかりが感じられるようになり、自分を責める気持ちが強く起こり、聖書の中の地獄の火に投げ込まれるなどの裁きの箇所でとてもこわく、内面の葛藤に苦しむ日々がはじまりました。
そんな中、二〇才で結婚し、すぐに子供に恵まれ、育児の中でも、ずっとそのことを考え続ける日々を送りました。生活面では何も問題がなかったのですが、信仰面ではまるで荒野の中を引きずられているような苦しい日々でした。
 このようにキリストを知って以来、キリストは私を一日も離さず、忘れようにも無視できないものとなりましたが、どうしてもその世界へ入ることができずことばでは言えない苦闘をしました。ラクダが針の穴を通るとみ言葉にありますが、その通り私にとっても信仰は狭き門でした。
 疲れ果てて、私はクリスチャンにはなれない、別の道を探さなければ、それはどこにあるのだろう。この広い世界の誰が私を救ってくれるのだろう。この私を救うものがあるとすればそれこそが神様だと思っていた時、不思議な導きで三浦綾子の「道ありき」の本に出会いました。
以前勤めていた本屋さんの奥さんが、私の家にこの本ををわざわざ持ってきて貸して下さったのです。その方は、熱心な天理教の信者で、勤めていたとき、私にも天理教を何度も勧めた方なので、とても考えられないことが起こりびっくりしました。私はその頃もうキリスト教はいやだと思っていたのですが、わざわざ持ってきて下さったので、「読めなかったら返そう」と読み始めました。三浦綾子もなかなか信じられず、苦しんだ同じような内面の体験を読み「この人が救われたなら私も救われるのではないか」と希望を持つことが出来ました。そしてもう一度キリスト教を求めてみようと思いました。
 それから、しばらくして、題名に惹かれ家にあったヘミングウエイの「日はまた昇る」の本を開きました。その初めのページに旧約聖書の伝道の書の抜粋があり、「 日は昇り、日は沈み、その出た所に急ぎ行く。 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。」 という言葉に、自分という存在や自分の罪の問題というものを超越した、大きな摂理の世界を感じ、聖書が初めて自分にピタリとくるものだと入り口が見つかったような気がしました。
 その後、月がとっても美しい夜、自分の魂の落ち着く先きを求め、その月をじっと見つめているとはっと何かが自分の中に流れ込んできました。その瞬間キリスト教が分かったと思ったのです。
 死ぬほど苦しんできた問題に瞬時に決着がつき、この時、はらりと鎖がとけたのを感じました。
これは本当だろうかとその夜は眠りました。そして、翌日、眼が覚めて、内村鑑三の「キリスト信徒の慰め」という本を読んでみました。今まで、キリスト教的なもののふたを開けると、跳ねとばされ、どうしても近づく事ができなかったのですが、この時、不思議な事に以前にはまったく読めなかったその本が感動の心で理解できて、最後まで一気に読む事が出来ました。
 魂の再生が行われて私は生まれ変わっているという事を身をもって感じました。あんなに何もかも重荷で苦しく、息も絶え絶えで生きていたのに、心に喜びと希望が生じていました。私はうれしくてすぐ外に出て、大きな空や白い雲、眉山や目の前の田宮川などを見てみました。昨日までと同じ風景なのに、まったく違って輝き、世の中のすべてが新鮮に映りました。生きている事は何て素晴らしいのだろうと思えました。
 すぐにこの喜びを、長らく連絡していなかった吉村先生に手紙で書きました。そして、今まで持っていた数少ないキリスト教書をむさぼるように読みましたが、もっとキリストの世界を知りたい、本が読みたいと思い、ある日、夫に二人の子供を預け、徳島駅前の本屋にバスで行きました。するとその帰り、神様が次のステップを用意してくださっていたのです。
 驚くことに本屋からの帰りに、同じバスに吉村先生が乗り合わせ、すぐに私は「今日はキリスト教の本を買いに来たこと」と以前に聞いていた「無教会の集会に行きたい」事を伝えると集会の場所を地図で書いて下さいました。
 集会に行くには夫を説得しなければならず、帰って「集会に行きたいので、その間、二人の子供を見ていて欲しい」と必死でお願いすると、許可してもらえました。
 私が苦しみ悩んでいた時、夫は何も言わなかったけれど、「一緒に死んで」とせがんだ時があったので、困った事になりはしないかときっと心配していたと思います。それが、キリスト教が分かってからは、生き生きと私が変わったので、認めてくれたのでした。 
 その時から、私は集会で養われ育てられ、生活の中心が集会になりました。参加するとみ言葉が毎回自分にまったく当てはまるので、驚きました。主日にみ言葉を頂いたら、その週はずっと自分に与えられたみ言葉にてらされて「神様、イエス様」と過ごしました。けれどもみ言葉がどうしても受け取れない時は、イエス様が雲に隠れたように感じ、道を見失いそうに不安になり、必死でイエス様を呼ぶと、主はみ言葉や内村鑑三の本などから答えてくださり一瞬で霧が晴れ、疑問が解決します。
 ああ、こんな深い意味だったのかと心底理解できた時は天にものぼる思いで、この世のどんな喜びより大きな喜びを感じました。
 イエス様を信じても、自分の罪がなくならないで、悲しい思いの時、このような私が救われていると言えるのかと信仰がぐらつき、神様のお約束まで疑わしくなったとき、突然、「丈夫な人には医者はいらない、いるのは病人である」というみ言葉が天から聞こえるように魂を照らしました。様々な罪や欠点があって、なかなか思うようにいかない時があっても、このままで救われているとわかった事で、「この罪を赦して下さい」とただ十字架を仰いで進む事ができ、罪を感じれば感じる程、十字架の大きさ、あがないのありがたさを感じて感謝して受ける事ができました。
 福祉の仕事をしてきましたが、長い職業生活の中で起こる、苦しい問題で、「どうしよう」と追いつめられた時は、必死で祈ると必ずその状況から助け導かれ、神様が実際的に祈りに答えてくださる愛の方であると何度でも体験する事ができました。
 祈ることができ、必ずそれに答えて下さる神様を持つという事の素晴らしさ、眼の覚めるような体験は他では得られない感動です。
 そして不思議な事には、どんなに苦しい暗い状況の中でも、心の一点に明るい希望の光が消えた事はなく、それは神様が灯して下さっている明かりだと思います。
 集会では聖書の一行一句について説き明かしがなされ、どの箇所からも福音が語られました。弱さに悩む時、罪に苦しむ時、傷ついた時、弱い者を守って下さる主がみ言葉の中で近づきそっと起こして下さいました。み言葉はただ主だけを求め、この世は捨てていくように私に迫り、棄てて軽くなるほどキリスト者として生きやすい事を学びました。
 私が徳島聖書キリスト集会に行き始めた頃は、参加者は5~6人ほどでした。ブロックの壁の飾り気のない部屋でしたが私にとってそこは何ものにも代えがたい世界の中心地のような聖なる場所に感じ畏れをもって参加していました。
 み言葉を求めて集会に集う人達が段々増やされ、その中には視力障害の方、中途失調の方、知的障害の方、身体障害の方達、なども集うようになりました。礼拝では点字や手話やループやパソコンなど一人一人がみ言葉を聞くことができるように配慮され、どんな事でも神様の為にと考えられ実行されました。
 私も器械アレルギーともいえる程、器械が苦手ですが、集会の働きのために勧められ、車の運転や、パソコンが出来るようになりました。神様と結びつく事で困難な事も習得でき主の力を生活の中でも実感してきました。
 私がもし主に出会えていなかったら、どんな自分が今いるでしょうか。それは、考えられない事ですが、良いものはみな主から来ていることを思うと、気持ちも生活も豊かにするものは主の恵みであると思います。
 何がなくても、主がいてくださる事が私の財産であり、すべてのすべてであるように思います。
 私にとって信仰とは生きることそのものであり、また、その信仰を助け導いてくれたものは、集会と集会で語られるみ言葉によるものでした。集会の兄弟姉妹の中に働く主によって支えられ「二人三人がわたしの名によって集まるところにわたしもいる」というみ言葉は真理でした。
 今は、夫と娘が主イエス様を信じ受け入れるようになり集会に三人で通っています。
 一番大切な永遠のいのちは、「求めよさらば与えられん。」というみ言葉の通り求めたら私にも与えられたので、この道からもれる人は一人もいないことを思います。
どうか一人でも多くの人が救いに預かることができますようにと願いつつ、話させていただきました。ありがとうございました。

(二〇〇七年一〇月八日、東京の青山学院大学礼拝堂で開催された無教会・全国集会の二日目「私にとっての信仰・私の意見」というプログラムにおいて語られた内容。)


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