リストボタン休憩室    2008/4


春、いっせいに野山の木々や野草、花壇の植物が芽を出し、花を咲かせていきます。それらのすがたを見ていると、すべてが、復活のいのち! 永遠のいのち! と叫んでいるかのようです。
タチツボスミレなど各種のスミレやモミジイチゴの純白の花、ヤマザクラなどさまざまの草木の花の美しさ、清い美は人間の世界には感じられないものです。まさにこうした自然の風物は神の国がいかなるところかを身近なところで指し示しているのです。

蜜蜂
わが家の近くの栗の木の根元に大分以前から、昔からわが国にいる日本蜜蜂が住んでいます。西洋蜜蜂よりも温和な性質で、攻撃されたり刺されたことはありません。
蜜を効果的に採取するのに向いている西洋蜜蜂が外国から移入されてから、蜜蜂を飼育しているというのはたいてい西洋蜜蜂です。私が小学生であったとき父が西洋蜜蜂を飼育していて蜂蜜を採取していたので、ずっと蜜蜂の習性には興味がありました。
蜜蜂の活動は毎日見ていても飽きることのない興味深いものでした。父は副業としていたので、春になるとしばしば仕事から帰っては巣箱を開けて調べていました。私もかたわらでよく観察をしたものです。
しかし、秋になるとスズメバチが毎日やってきて巣箱へと侵入しようとし、入口で大量の蜜蜂がスズメバチに噛まれて死んでいくのもしばしば見てきました。それで板切れを持ってそれらの飛来してくるスズメバチをたたき落とすのが私が学校から帰っての日課のようになっていたのです。そのようなとき、何度かスズメバチに刺されたりして、さまざまの蜂の習性にも関心が深められ、夏休みの宿題で昆虫採集をするとき蜂ばかりを集めて出品したこともあります。
現在わが家の近くに住み着いている日本蜜蜂は、あのじめじめした土の中でよく生きて行けると思われますが、三月はじめの寒いときでも数は少ないけれど晴れた日にはよく蜜蜂が飛び立っていました。次々と巣から大空へと飛び立ち消えていきます。
どのような方法で目的の花のところに到達するのか、人間のように周囲の建物や土地の状況、道を見ながら行くのではないのです。昆虫の目は人間よりはるかに単純なつくりであり、目で確認しながら行くのではなく、何も目印のない大空をきちんと目的地まで行くことができるのは驚くべきことです。仲間から蜜蜂固有の特別な方法で教えられ、太陽の光の方向を知って目的地に行くといいます。また目的地で蜜をたくさん吸いすぎても、また距離が遠すぎても体が重くなって巣まで帰れなくなるし、途中で風や雨のため帰る道を間違うとやはり途中で飛べなくなってしまうのです。そのためそのようなことにならないよう、微妙な調整をすることも知っているということです。
また、帰るときも、まったく目印のない大空をどうやって正確に帰ってくるのか、あの小さなからだに精密な測定器、計算機のようなものがあるのに驚かされるのです。
巣のそばで空を見ていると、次々と大空から蜜蜂が何も見えてなかった空間から小さな点となって浮かびあがり帰ってくるのが見えます。そうした活動を見ていると、こうした小さな昆虫の行動にもその繁殖から日毎の活動の一つ一つに見えざる御手によってその神秘な活動が支えられているのを実感させてくれます。


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