リストボタン全国集会の証しから   2008/6

私が受けた神の愛とその導き
杵渕麗子

最近、友人と話している時「私が仏壇に手を合わせて祈るように、キリスト教の神様に祈っているの?」と質問されました。また、職場で「光も宇宙も全て作ったのが神様なんて、すごいね!」と私が言った言葉に同僚は驚いて「君はそれを信じているの?」と言い返してきました。私が今、当然のように思っている「聖書の神様がこの世界を創造された」事は万人が同じように思っていないのです。すっかり忘れていました。その彼らの言葉に「懐かしいな」と感じるほど。でも、かつては私も彼らと同じように最近まで聖書の神様を心から信じていませんでした。
私はいつの間に、イエス様を信じていない向こう側から、信じ、生きる希望とするこちら側に来ているのでしょうか? 
私は幼い頃に教会で洗礼を受けたのですが、時が経ち、働き始めた頃から次第に「神様は心の弱い人のもの。」と教会から離れていきました。ちょうどその頃、オウム真理教などが事件を起こしニュースで騒がれたので「宗教を持つ=怖いこと」といったイメージで、さらに聖書から遠のいていきました。でも、そんな状況になっても、朝晩の祈りだけは続けていました。矛盾しているのですが、祈らないと眠れませんでした。 
神様は放蕩娘の私の毎晩の祈りを聞き、願いを全て叶えてくださいました。 そして、願う事がなくなった所で私は鬱になりました。仕事の忙しさと上司からのイジメとが重なり、愛と許しも知らないので精神的に追い詰められた結果でした。夢や目標がなかったので乗り越える気力がなくなっていました。当時(6年ほど前)はまだ、鬱の知識が一般的になかったので、私も体調不良に始まり、無気力と不安感と恐怖心に襲われて過ごしていましたが、それが鬱だとは気がつきませんでした。 
回復のきっかけは、私の頭に出来た円形脱毛を母が見つけたことでした。これを見て、「私は疲れているのだ。休まなければいけない」と自分に教えることが出来ました。同時期に、皇太子妃の雅子様が適応障害になられたのをテレビ番組で知り、私も彼女と同じ状態であったことを知りました。回復までに1年以上かかりました。 鬱の中では「なぜ私だけがこんなに苦しいのか」と思う日々だったのに、自分に起こっている病を認め、回復していく過程では神様が私の命を守ってくださっていたのだと再確認する時間となりました。鬱を通らされたことで私の人生には喜び、深み、感謝が増えました。
喜びの一つに、妹が長い間苦しんだ鬱から回復された事がありました。彼女は心療内科からもらった大量の薬を飲み、痙攣で倒れた事もあり、目はどこを見ているのか分からない状態でした。私は彼女とどう接していいのか分かりませんでした。心療内科に通えばいつかは治る、脳を活発にする食べ物を与えれば正常になると思っていました。しかし、状態は悪くなっていき、全く先の見えない戦いが続きました。しかし、妹はあの状況の中で「教会に行きたい」と色々な教会に行き始め、ついに聖書の言葉に心の平安を見出だしたのでした。妹の説得で私たちも教会に聖書の神様に再び戻ることが出来ました。 私が鬱になったことで妹の気持ちを理解でき、妹と共に鬱を乗り越えることが出来ました。そして、心の痛みを経験することで優しさを持つようになり、神様からの愛を知ることが出来ました。 今では家族が神様を軸にして御言葉にしたがって歩めるように、互いに励ましあい、時には修正しあいます。他では得られない喜びです。神様によって救われた家族です。この幸せを今、かみしめています。
心の病になったことで、自分の限界を知り、神様に生かされている命の奇跡を知りました。お金や物では本物の幸せを得ることはできないと知ることが出来ました。無神論者の多い日本では現在、鬱に苦しむ人が多くいます。私は自分の判断基準に任せて人生を生きることは、自分を神様とすることだと思っています。その神様は時に体調不良になり判断基準にも変化があります。知識を得て理解に限界があり確実性、永久性はありません。そんな不安定な神様に多くの人は従い、全ての問題を一人で解決しようと、抱え込む状態に陥るのだと思います。神様を知らない多くの命が、雑誌やインターネットで得られる膨大な情報から「自分という神様」に判断基準となる資料を取り入れます。かつては私も同じ中にいました。

「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ二二・32)の御言葉は、教会に再び戻った時に牧師からもらったしおりに書かれていました。 一人ひとり、違う御言葉が手書きされていて、私はこの言葉を受け取りました。今はこの御言葉が私の人生のテーマです。聖書に生きる人生を与えられ、こうして神様のしてくださったことを証しできる場所に導いてくださったこと全て含めて、神様に感謝しています。そして、まだ神様を知らない人たちに本物の神様を知ってもらう為に神様の示す方法でこれから先の人生を用いられたいと願っています。

杵渕麗子 三四歳 会社員 沖縄県出身
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歳で洗礼を受けました。その間、迷いを経験し教会を離れましたが4年前に本当のキリストに出会い、2年前に内村鑑三と無教会に会う導きが与えられました。今回、妹と二人で証しする機会が与えられたのも神様からの導きと感謝しています。 神様から受けた恵みについて書くためのブログをはじめました。http://inunoanyo.blog.shinobi.jp/ 


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