リストボタン全国集会でのキリストの証し(その2)    2008/7

主の導き
     上泉 新(北海道)
ファーム・ブレッスド・ウィンド(Farm Blessed Wind―農場名)

 私の家庭は祖父の代からのクリスチャンホームです。明治生まれの祖父は苦労人で筋金の入ったクリスチャン、大正生まれの父にもその信仰は引き継がれました。
 私が三人兄弟の末息子として生まれたのは父が四四歳、母が三九歳の時でした。何に対しても独特でユニークな考え方をする父は高齢のせいもあったのか、与えられるものはモノでも愛情でも最大限の物を与える方針で私は甘やかされて育てられたように思います。感受性の強さ、精神的なもろさはこうしたところから形成されたのかもしれません。

小学校時代はオホーツク海に面していて冬には流氷が来る田舎町に住んでいました。川での釣りに、山でのクワガタムシ採集、毎日を大勢の友達と共に過ごす腕白な少年でした。
家庭の事情と私の勉強の為、中学は父を田舎に残し母と姉とで札幌のマンション暮らしになりました。田舎とは余りにも違う環境と学校の不毛な勉強、生徒の暴力、教師の暴力、塾通い、友人がほしかった私は万引きグループに入りました。少しずつ心が荒れていったように思います。

自然の恋しさと荒れた都会の学校に嫌気がさした私は山形のキリスト教独立学園高校を受験し合格しました。しかし、「悪」は都会ではなく私の心の中にありました。学園の在学期間を私は自分勝手に、およそ学校が望む反対の方向の生活をしてしまいました。次第に自分自身に対して諦めの感情が芽生え、投げやりになって行きました。大学は父が薦めるまま、酪農大学を受験し合格しました。
ところが大学に入ったときには私は全てを投げ出したくなっていました。入学後数ヶ月で学校を辞める事を決意し、父には「もう自分の事は諦めてほしい」と伝えました。親との話し合いの結果、即時に退学するのではなく、休学可能な四年間のうちに気持ちが変わらなければその時は辞める事となりました。休学の間やったことは全てが中途半端。ただ無為に過ごしていたように思います。しかし、三年目「これではいけない」と気持ちを変え、先生になることを目標に復学しました。

大学に戻った私はひたすら「真面目」になろうと無理をしていたように感じます。実際に教師になってからも、一所懸命でしたが、重大で致命的な欠陥がありました。「真に祈ること」をしていなかった事です。
精神的なもろさをもった私は神のもとへ帰ることもせず、教員を続ける事が出来なくなってしまいました。人間的な努力で自分の罪深さから脱出したいと思い、あえいでいた私は救われることはありませんでした。汚れた霊が出て行って自分以上に悪い七つの霊を引き連れて戻ってきた(ルカ十一・24~)喩えが思い浮かびます。

北海道に戻った私はアイスクリームの加工場で仕事をして、ただ家に帰るという全く無気力な生活をしていました。漠然と豚の農場がしたいと思っていましたが、「無理に違いない」と行動に移す気力はありませんでした。そんな時、妻の畔菜と出会いました。神様は彼女との出会いを通して私に力を与えて下さり、なんとか二人で農場を始めることが出来ました。
前後しますが、結婚の前に牧師が訪ねて来られ、妻に洗礼を勧めました。家族としても個人としてもその喜びが分かっていない私は「どちらでもいい」と言いましたが、彼女は洗礼を受ける決意をしました。でもそれは私たちの進むべき方向への一歩でした。
教会へは農場の基礎を作りつつ毎週通っていました。しかしまず組織ありきの体制に失望し、救いの実感も喜びもなく、教会の帰り道には重石を乗せられるような気持ちになり、「本当に神を求めたい」との思いから日曜日は夫婦二人でテープ集会をするようになりました。

そうして数年が経過して、瀬棚で夏に行われる聖書集会で徳島の吉村さんが講師になり、その時初めて聖霊の話が心に入りました。聖書の中にこんなに沢山書かれているのに私のキリスト教に聖霊は完全に抜けていました。聖霊についての理解が深まるにつれ聖書に書いてあることが命を持ち、平面的だったのが立体的に、白黒だった世界に鮮やかな色がついて行くようでした。私にとって道徳という重石であった聖書は全く違うものになってゆきました。

私に与えられたガラスのようにもろい心はキリストの元に導かれていきました。独立学園に行かなければ妻とも出会わず、酪農大学に行かなければ今の仕事に必要な免許を持つことは出来ませんでした。愛農高校の教員時代には忍耐を教えられ、中学時代の「辛さ」さえも甘やかされて育った私が最低限「命」を投げ出さない力を育てる為に備えられた道でした。
人間にはその時起こる事件や苦しみの意味が分かりません。しかし、後になると聖霊により意味が教えられ、その全てが導きであり、不要な事が無い事を知らされます。
まだ聖霊について全く知らなかったころ農場に付けた名前ブレッスド・ウィンド(Blessed Wind 祝福された風)は後に「聖霊」を意味すると教えられました。自分で選んだように見えるものの中にも神様の御業が示されています。
今年の一月には父が八二年の生涯を終えました。悲しみは大きいですが、人にではなくただ神にのみ頼り、誰もが直接神と結ばれる為、死がある事を教えられました。これからも様々な試練や苦しみはあるでしょうが、ただ、主のもとにとどまって歩んでゆきたいです。
四月二六日より友人の家庭三軒と吉村さんの聖書講話CDをもって家庭集会を始める予定です。この集会が祝福されますようどうぞお祈りの中にお加え下さい。


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