リストボタン上田末春兄に働いた神の御手    2008/7

六月二一日、神戸の上田末春兄が召されました。その二週間前にお訪ねしたとき、地上の命が終りに近いことをはっきりと自覚され、ヤエ子奥様に葬儀のことなど何年も前から遺言書にしたためてあるのを見せるように言われ、確認をしたことでした。その準備のよさに驚かされたことです。
 その他短くお話ししたあと、ヤエ子さんや私達夫婦がベッドの側で祈りましたら、上田さんは、私にも祈らせて下さいと言われ、寝たままで手を合わせてやや長い祈りをされました。
 それは今までのことをふりかえり、神に感謝を捧げる祈りでした。もう死期が近いという状況においてあのようにはっきりと自らの死のことを見つめ、そして感謝の祈りをもってされたことは心深く残ることでした。多くの場合、死期の近いときには苦しみのあまり祈りもただ、漠然としたすがるような祈りとなることもあり、また祈れないほど痛みや薬剤のために眠れていないこともあって、意識がはっきりしない状況となることもあり、あのように冷静に祈ることはできない方々が多いのを思いだしました。
そばで介護されていたヤエ子さんは自らもご病気であったために、相当な負担となり、私たちが訪問したあと一週間あまり経って、病院にお二人とも入院された状況でした。
しかし、私は上田さんから聞いた最後の言葉が、長い年月を神に導かれた感謝の言葉であったこと、そのことはまさしく生きて神が働いて下さったことを目の当たりにすることでした。こうした生ける神と魂が結びついていなかったら、死ということはただ得体の知れないところ、そこには光も希望も何もない闇のようなところに落ち込んでいくことであり、漠然とした不安と恐れが身体の痛みと苦しみのなか、続くことと思われます。
信仰と希望、そして神の愛はいつまでも続く、という聖書の言葉がたしかに上田さんにおいても事実であったことを知らされたことです。
上田さんでとくに私たちと関わりが与えられたのは、十数年前に、上田さんからの手紙で、夜が眠れないでとても苦しんでいる、医者にかよっても薬によっても改善されず、食事もあまりできなくなったということで、耐えがたい状況となっていること、死ぬかも知れないと言われるほど苦しんでおられる状況が記されてあった。それで入院も考えていること、しかしこのまま状態が悪化していく前に、何とか神様にかかわることがしたい、私のところで何か手伝いをしたい、とのことでした。
すでに七〇歳を越えている年齢であり、そのように病気の状態であれば何を手伝ってもらえるか、と思ってしばらくそのままにしていたら、再びていねいな手紙が届き、再度の希望が毛筆でしたためられてありました。それほどまでに言われることは、なにかそこに通常のこととはちがったものを感じて、すぐに私は来ていただくことにしました。そして私の家にきてもらいましたが、最初はとても仕事などできる状態でなく、すこし何かを手伝ってもらうと横になって休んでいるという状態でした。このままでは、どうなるだろうと案じられましたが、ともかく数日をすごしました。そして一か月後も来られ、さらに次ぎの月もというように数カ月経ったころには、はじめて来られたときより随分体力的にも向上し、夜も眠れるようになったとのこと、その間の大きな変化は驚くべきことでした。
 そこから、自分が力を与えられ救っていただいたこのキリストの福音、若き日からずっと支えられてきた福音を何とか知らせたいと、住んでいるマンションの人たちに、キリスト教案内の印刷物と、一か月に一度の家庭での聖書の集会をするというお知らせの印刷物をつくって配布されたのです。それを見て数人が、上田さん宅で行われた初めての家庭集会(住所の地名をとって「夢野集会」と名付けていました)に参加され、その中でTさんはずっと夢野集会に参加されるようになったのです。
 私たちのキリスト集会で礼拝の録音は以前から希望者に送付されていました。上田さんが来られるようになった頃は、私が時間をつくって折々にダビングして、希望者に送っていたのでしたが、時間が十分にとれなくて、なかなかきちんとできていなかったのです。希望者があっても十分それに対応できていない状況でした。
それを上田さんの全面的な助力があるようになったので、「いのちの水」誌の読者と県内の集会員に希望の有無を出してもらって、テープダビングを定期的にきちんと行って配布、郵送するようになりました。
それは県内外の希望者を合わせると全部で三〇数名となり、毎月のテープは、一人分が、日曜日と火曜日の礼拝の録音なので、一か月分では九〇分テープで八本~十本になり、30数名では三〇〇本を越える多量のダビングとなりました。
それを数台の高速ダビング機を用いてつくり、それを希望者に郵送するということになりました。この作業は、器械がときどき故障したり、うまくダビングできていないのがあったりするので、一つ一つダビングしたテープの始めの部分を聞いて確認したりする必要があり、ずいぶん時間とエネルギーを要することでした。この仕事を中心として、午前中から午後四時くらいまで、長時間にわたって集会関係その他さまざまのことを手伝っていただきました。これによって多くの県内外の方が私たちのキリスト集会の録音を聞いてみ言葉を学ぶことになったのです。
この仕事を七年ほども続けられました。それは毎月一回神戸から徳島まで来て、一週間近く滞在してなされたもので、その間に行われる主日礼拝や夕拝、各地の家庭集会にも参加されました。
この間、数回心臓病の発作があって、安静にしておらねばならない状態になったり、私の家からの帰途、水のない谷に落ちてはっとすることもありましたが、長い年月を冬でも雨のときでも、一度も休まずに神戸から毎月来ていただいたのです。こんなことは、ふつうの考えでは到底なされないことで、内にあるキリストがそのようにさせたのだと思われます。一九九三年に永年の運輸省勤務のゆえに勲五等を受けたとのことですが、その仕事ぶりを間近に見ていて、なるほど公務員のときもこのようにきちんとされてきたのだと思われたことです。
 健康なからだがあったら、悠々自適と称して自分の好きなことをしてのんびりすごすということが多くの人の願っていることのようですが、上田さんは、それとは全く違って、神のための仕事になんとかかかわりたいという強いお気持が伝わってきたのでした。そしてそれはいよいよ体力が弱って神戸からくることができなくなるまで続けられました。
 上田さんによってしっかりと土台をつくっていただいた、各地への録音テープの配布ということは、上田さんが来られなくなったあと、集会員のNさんが自発的に申し出て下さり、何年か継続され、今年の春ころからは、さらにSさんによって継続されています。
 かつてのテープ録音に加えて、最近はデジタル録音機も二台購入され、Kさん夫妻を中心に録音が的確になされ、MP3形式で録音され、二つの方式で録音、配布されるようになっていきました。そしてテープを聞いていた多くの方々はMP3形式のCD録音へと変更されています。
 そしてそのCDのダビング、CD表面の印刷、県外希望者への発送は、県南のSさん夫妻によってなされるように受け継がれています。
 このように、きちんとデジタル録音すること、そしてそれをCDに入れてMP3プレーヤで聞けるようにする技術的なことも、毎月の礼拝CD作成のために上達し、今年の五月の全国集会でもそうした録音体制が効果的に用いられ、一〇〇名ほどの希望者に対応することができたのです。
 このように考えてきますと、上田さんがふつうならとても考えることもしないようなこと、心身ともに消耗され息子さんにも徳島で死ぬかもしれない、とまで書いて覚悟をきめて徳島に来られるようになったこと、そこに一時的なもので終わらないものにつながっていったのがわかります。
 私は、上田さんから二度にわたって、繰り返し真剣な内容の手紙を受けて、これは何か神から来ているのだと感じたことは、それから十数年経って右に述べたようなことにつながっていったことを思い、たしかに神の御手が上田さんに働きかけて、衰弱し弱りきった老体を徳島に送り出して下さったのだと思われます。
 まことに、「弱いところに神の力は完全である」というみ言葉が真理であることを証しして下さったのでした。

上田末春兄の文章から
わたしのようなどうしょうもない者を、神はあえて選ばれたのです。まさに感謝であり、歓喜のきわみであります。どんなに考えても、どのように思いめぐらしても不思議であり、ただただ神の憐れみの賜物であります。
 この憐れみに対して無為にすごすことなく、私たちは全身全霊を捧げて、ただ主を信じて残りの生涯を全うすることを願い祈る毎日であります。(「「野の花」文集二〇〇六年1月」より)


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