無教会全国集会での証し (その2)  2008/8

5月に行われた徳島市での全国集会で語られた証しを発表順に掲載しています。最初のキムさんの文は当方が示してあった分量より大分長いのですが、特に外国から寄せられた原稿なのでほぼそのまま掲載しました。)

新しい皮袋に新しいワインを
アメリカ・ニューヨーク Hae Ahm Kim
聖句マタイ917  マルコ 222  ルカ537

 新しいワインを新しい皮袋に入れるべきだというのは、新しいワインを古い皮袋に入れたら、その皮袋は裂け、酒はこぼれ、その皮袋も無駄になるからです。しかし古いワインを飲んでみると、古いワインが良いということが分かるのです。
 この比喩に関して、無教会を新しいワインと考えてみれば、無教会は新しい皮袋に入れなければ、その普及の意味があまりないと私は考えます。私は初めてアメリカに来たときから、この新しいワインと見なしている無教会のキリスト教が西洋で起こった、様々な宗派とどう異なるのか、ということを考えてきました。又その真実の表れが疑いなく新しい信仰であるということを明らかに出来なければ、無教会が世界に進出する可能性は低いと思います。この様な観点から無教会を見ると、無教会伝道の後には何が残るか、何をしなければならないか、との問題がいつもあるということを私は考えて育ってきたように思います。私の両親を始め、韓国無教会の主な先生たちの考えをよく学んできました。「信仰だけの信仰」とか「信仰があれば、行動も自然について来るし、神様が君の問題を解決して下さる」というような教えを聞きながら、無教会の基本的な礼拝様式をもよく見てきました。
要は、教会の中、又は外で救いがあるかないかということが問題なのではなく、信仰を持っていかに良く生きて行くかが問題ではないでしょうか?内村鑑三が後世に残した最大の遺産である彼の信仰的な生涯そのものが、真の無教会のあり方を表していると思うのです。東アジア諸国では、日本が驚くくらいに速く先進化し、技術的文化において優れていることには大変尊敬致しますが、私が勉強した側面から見れば、ある意味ではそう速い発展ではなかったということが分かりました。以下、このことに関して歴史的側面からのお話を致します。
 西洋の宗教としてのキリスト教は以下のように日本に広まりました。マルティン=ルターの宗教改革に対抗する反宗教改革として起こった北スペインのイエズス会が、その教えを普及するために日本に到来し、種子島銃との交換として織田信長から得た布教の権利をもとに、イエズス会の教えの普及が大変広まったのです。16世紀の後半には二百余りのカトリック教会と2030人の宣教師が日本で教えていたと私は学びました。その結果30万人の日本人のカトリック信徒が生まれたそうです。秀吉によるカトリックの迫害が始まり、その迫害が徳川幕府末まで続いたのは、皆様がご存知の通りです。私がなぜこのことをお話しするのかといいますと、キリスト教が三百年前から入ってきたことは、日本人の精神的な基盤を作ったということだと私は考えているからです。オランダ語、スペイン語を学び、その辞典もできていました。何よりも、聖書の知識が代々受け継がれて、近代化の力になったのではないでしようか。知識は一度吸収すれば去ってしまうわけではありません。信長が始めた西洋の武器の導入と研究は引き続きなされていたと見るのが正しいと思うのです。
 そんな理由で、日本は明治維新で軍事力を強め、結局は西洋の帝国主義を止めるのに成功したのですが、日本自身が帝国になって近隣諸国を侵略しました。私は網野氏による「日本とは何か」「日本の歴史を読み直す」などの良心的な歴史本が大好きです。
 こうした観点から無教会の始まりを見ますと、それは内村鑑三が西洋的なキリスト教よりは、日本的な新しいキリスト教を新しい袋に入れるようにと弟子たちに教えたことにあります。これはキリスト教だけでなく、西洋の古典を学んで、キリスト教が残した遺産をも吸収して欲しいという考えだと思います。一代目、二代目の先生達は熱心に精一杯そうした勉強を続けました。しかし現代の無教会はどうでしょうか?それが問題です。無教会の意味そのものが問題になっていると思います。教会の人々よりも、信仰と神に対しての愛にもっとも忠実な考えが無教会だと誰が言えるでしょうか。信仰的な驕慢というのが罪の中でももっとも深いものだという宋斗用先生のお話しから、私自身も分からない間にそうなっている自分を発見し、自分をとがめたことを覚えています。
 精神分析の領域ですが、人間の防衛機能の一つとして”Identification with the Aggressor”という概念があります。フロイトの娘であるアナ=フロイトが初めて発表した有名な本で紹介されています。アナ=フロイトは子供たちの精神的発達の過程を観察しながら、そういうメカニズムがあることを発見したのです。
日本の精神的な発展もその様になりましたし、現在においても神の愛とその導きに頼るのではなく、軍備で日本を守ることに専念しているのではないでしようか。網野氏の様に歴史そのものものを正直に教えるとか、平和憲法を改正することよりはもっと平和憲法を強化することに皆様に努力していただきたいと存じます。
 真の愛とは神様の前では隠すところのない正直な態度で、女性の地位の改善とか、自国民だけでなく、他国民のための援助をもっと増やすことではないでしようか?私には日本の皆様にお話しする折には必ず表明する感謝の言葉があります。それは物質的に成功して生活水準が世界最高の一つとなったことで、白人文明に対する東洋人の地位を高めたことに対してであります。それは国際連盟が日本の帝国主義に対してより厳しい態度をとったことに表れている人種差別の問題を、経済的に解決したことにあります。しかし働く虫であった日本人の精神的文化は発展していません。ゆえに世界的な思想家や哲学者が日本からあまり出ないわけです。
そういうところは日本を訪れると良く見えてきます。中央公論とか文芸春秋などをよく読んでいますと、日本の精神的文化の発展は見受けられません。夏目漱石レベルの作家が出ていません。芸術でも同じだと思います。
 なぜこのような話をするかといえば、私は日本人を愛しているからです。東アジア人の発展のために働くことができるのは日本人だと思うからです。
 神様が愛するように愛する、ということはどういうことなのか?私の考えを提示しましよう。それはありのままを見せる、助ける、そして愛するということではないでしようか?私は今回の全国集会で、そのような神様の導きによる愛が働いているのを見ました。私の不完全な日本語の話を熱心に聴いてくださった皆様に感謝する次第です。
 神の愛に対して、もう少しお話しましよう。皆様は遠いアメリカから来た私を愛して下さいましたが、以前にも私は日本でお世話になりました。一九五九年に私がアメリカに医学を学ぶために渡航する際、日本に立ち寄った折、政池仁先生の家で二日間お世話になりました。
先生は、私の父親、金鳳国様と内村鑑三の教えの勉強を通じて知り合いとなっていました。政池先生は東大病院とか上野公園などを案内してくださり、弟子たち数名と私を連れて行ってくださいました。
 数年前にリュウ・ヒセイ教授という方が、無教会の大先輩である政池先生が行った、金教臣先生のための追悼礼拝講演の内容を私に読んで下さいました。それによりますと、この聖書的な月刊誌である聖朝誌に天皇の肖像か二重橋をその一ページに載せるようにと圧力をかけられた事件があったそうです。
これに困った金教臣先生は同僚と友達の意見を聞きました。その時、政池先生は「そんな写真を出すよりは廃刊するほうが正しい。」と助言したそうです。 しかし金教臣先生は忍んで二重橋の写真を載せて聖朝誌を続けました。
けれども結局雑誌は「弔蛙」という寓話を使った論文のために、廃刊させられてしまいましたし、先生と数十名の読者、寄稿者たちが投獄されました。
政池先生はその事件だけではなく、韓国人の原爆被害者、樺太の日本人と韓国人の保護の問題などに関心があり、皆様がお分かりになるように堤岩里教会の再建と謝罪のために韓国に行きました。政池先生のような無教会信者が日本に多く出ることを願う次第です。
 政治の問題と社会的な考えが信仰の問題に対してどう関係するか疑問があるかもしれません。しかしマルティン=ルターやマーティン=ルーサー=キング牧師や政池先生たちの信仰が弱いとは誰も言わないでしょう。その人たちの生涯は信仰と行動力を持って生き抜いたものでした。
新しい袋になって新しいワインを世の中に供えた人たちです。信仰を持って生きてゆくのが行動として現れるのです。大部分の日常の生活は無意識の行動で動きます。呼吸するとか歩くのも意識的にするのではなく、考えることなく自動的に出来るのですから、信仰の問題も自然に動いていくようになることが真のキリスト教信者の生活になると思うのです。精神分析の経験によりますと、様々な人種が住んでいるニューヨークのような社会では、お互いに愛し合い、協力して住まなければならないという理解が自然に出来上がってきます。けれども、日本や韓国のように、単一民族で主に成り立っている国では、人間関係は距離的に近くても心理的に遠いところとなり、お互いにお互いを相手にするのが苦痛になる時があるそうですね。そんな事が無意識的に起こってくるのです。一般社会で若者たちは意見を交換し、共鳴する考えを共に社会に発したり、行動として現すことが多いのですが、インテリ階級ではそういう交流は難しくなるようです。今回の訪問のときに、私に自然に近寄ってくださった方々に、もう一度感謝したい気持ちです。
無教会の中でも、偉い先生がこう言ったから聖書をこう解釈し、その話に誤りがある事は考えられないという人々が韓国にも日本にもいます。最高水準にある知識人たちもそうであります。これは精神分析では先生に対しての転移現象(Transference)のためだと言いますが、尊敬するのも批判するのも感情にだけに拠ってはならないと思います。韓国と日本の文化的差異はありますが、こういう現象がこのニカ国に共通して私には目立って見えます。
 自分の信仰で自分の考えを持って生きる目的を探す、または決める事は信仰の中に生きるのに最も重要なものだと思います。今の世界ではそういう新しい知識が出来まして、新しい社会を作って行っています。ヨーロッパ人を見ればそんな事が見えてきます。ドイツ人はフランス人と殺しあいました。大量虐殺の世界大戦を二回までして、実存哲学(existential philosophy)を超えてやっと今の状態に着きました。EU共同体の組織が出来ました。運命は一つで、生きる道は共存していくことであるという事が至上命令になりました。
 東アジアでも大戦を経験しました。日本、中国、韓国、そして北朝鮮が共存しなければならないということは明らかな現実だと思いますが、どう行動するか、どう平和を構築してゆくかが十分話し合われていないのではないでしょうか。新しいワインを新しい皮袋に入れようとするのは当然だと思うのですが、どんな皮袋を作るのかについては、一つ一つの状況に合うような皮袋を作らなければならないのだと思います。
 これは信仰の問題、行動の問題ではありません。神に対しての態度によるものだと思います。礼拝とか祈りでもないのです。生きることそのものです。考えて生きるとか、考えて行動するというのは生きる有様ではありません。人が歩くように、自然に次々に来る歩みをさっさとたどって歩くのが生きてゆく姿です。
無教会の人々がそのような形で生きたら、世の人々が「さすがに無教会の人たちは信条よりも正しい生活を喜んでいるな。」と見て、自分も無教会人になりたくなると思います。
 今日は、皆様に新しい考えを持って生きて行くことが実に信仰的な生活だと思って下さい、とのメッセージを残しておきたいと思いました。イエス様が「汝の隣人を自分のごとく愛せよ。」とおっしゃったのは、要するに物質的に助けることでは必ずしもなく、愛することなのです。国境というものがなくなるような世界が来るように生きて行って欲しいです。
 皆様、愛するということは心のこと以外には何ものでもないのです。聖書を読み、解説を参考にするのもどう生きるかの問題のためだと思います。どこに行って住んでも構わないというほどの覚悟で確信を持って生きていきましよう。教会があるのが良いか悪いかとか、儀礼が必要か否か、無教会の人であるかないかというのは昔は重要でしたが、今はそう大きな問題にはならないのだと考えます。どう生きるかということは、喜びの福音を持って楽しく生きることが出来るか出来ないかによると思います。もし出来ないのであれば、それが何故かを考えてみましょう。喜ばしい笑顔でお互いに面倒を見あいながら生きてゆく態度が表れてきたら、世の中の人々が自分も無教会人のようになりたくなる、と私は思うのです。
ありがとうございました。

神の憐れみと私の信仰
徳島 K.Y.


 まず、前もって知って頂きたいことがあります。私は人工呼吸器を着けているために、発声がうまくできません。聞き取りにくい声だということです。途中で詰まることがあるかも知れません。そこのところをご理解下さい。
 私は20歳で病気になって33年、実に長い時間だったです。それは私の障害者になってからの人生が充実していなかったためです。神様にたどり着くまでが遅かったからです。生き甲斐もなく、漫然と生きてきたからです。人間とは何もすることがなくて生きていけるものではありません。常に何かを求めて生きていくものです。
 新約聖書に登場する「ベトザタ」に横たわっていた重い肢体障害者は38年もの間、希望もなく静かに寝ているだけでした。しかし、イエス様に出会って信じただけで癒され、救われました。ここが私と似ているところです。ただ何かを求めていただけで聖書やイエス様に触れることが出来ました。待っていただけで希望を与えられました。「ベトザタ」の障害者と同じような状況の中で求めただけで生きていく希望が出てきたのです。もう生きていく力がなくなった時にイエス様のほうから近づいてくれました。クリスチャンは待っているだけで失望が希望に変わり生きていけるという希望が与えられているのです。
 病は罪から来ていると言いますが、確かに私もクリスチャンになる前から多くの罪を犯してきました。私の中にもドロドロとした物が流れているのが良く解ります。神を知ろうとしなかった罪です。もし私に罪が今でも多くあれば、自虐的かも知れませんが、今よりもっと罰せなければならないという心境です。平安を求めるだけが信仰ではないと思います。
 病気とは神の御業が現れるためだと書かれています。病気が必ずしも不幸とは言えません。その人の気持ちの持ち方で幸福にも不幸にもなります。前向きになったほうが自分の人生を生きる上で得です。全盲の人を見てイエス様が「神の業がこの人に現れるためである」という言葉は、私にはまだよく理解できていませんが、この言葉が信じられた時には、幸せになれるのではないかと思えます。もうすでに私の上には、神の御業が現れているのではないかと言えます。その意味では、もう充分に幸せを手に入れているのです。癒されているのです。
 人間には人に言えることか言えないことかは別にして、誰でも弱い部分を持っています。私は私の弱さをここで告白したいと思います。今日の証しで一番言いたいことです。そうでないとキリストを証しすることにはならないからです。私には麻薬を使わなければならないくらいの脊髄の痛みが30年以上続いています。自分では解決できないどうしようもない痛みです。今の医学でも解消できません。自己解決出来ないからにはあきらめるか、神様に委ねるしかありません。
 そんな痛みを和らげる方法をご存じでしょうか。もうお解りだと思います。
イエス様の十字架の痛みを思い浮かべることです。そうすれば自然と痛みも薄くなり、信仰も深くなってきます。クリスチャンは神様に委ねるという特権を持っています。今まで生かして下さった神様だから、これからもそうして下さるだろうと言えるのです。「どんな苦痛でも、それにすこしの罪も混っていなければ、堪えられるものである。」とヒルティは述べています。痛みはいつかは安らぐものですが、そうならない時は天に召されるのです。そう強く信じて生きています。
 私は信仰の友の祈りを必要としています。どうか私の友になって下さい。そして私のためにもお祈り下さい。私には熱狂的な信仰は必要ありません。静かな信仰で充分です。御国よ早く来て下さい、イエス様来て下さい、といつも祈っています。
 神様は私に生きる希望と信仰を持たせるために一つの仕事を与えて下さいました。それはパソコンで讃美歌の入力をすることです。当初目的としていた作業は終わりましたが、その時点で私の人生も終わると信じていましたが、神様の思いは違いました。讃美歌は思ったよりたくさんあります。まだこれからもこの仕事は続きそうです。この仕事が続く限りは私は生かされるようです。神様がまだ「生きなさい」と言う声が聞こえます。
 聖書に出てくる障害者や病人はイエス様に癒されたり清められた時、神を讃美しています。私たちは実際の病気は治らなくてもイエス様を信じた時にはすでに癒されているのです。神を讃美する姿勢が必要なのだと思います。それが信仰だと思い、最期までそれを全うしたいと思っています。私は自分自身の力で生きている、などと言う思い上がった考えは持っていません。委ねて生きるという気持ちでいます。これからも、目立たぬように静かに静かにいるつもりです。
 最後に、私の好きな讃美で、心から慰められる歌詞を拝読して、この証しの終わりとします。
新聖歌 第442番 「病の床にも」第一節
「病の床にも慰めあり
 われらに代わりて血を流せる
 主イエスの苦しみ思い見れば
 痛みはいつしか忘られけり」
 
神の導き
沖縄県西表島 I.M.


若き日に造り主を覚え、信仰の歩みをはじめて50年近くなります。今朝は聖書を通して示されたことを三点から頒ちたいとい思います。
ロマ書828節に「神は神を愛する者たち、即ちご計画によって召された者と共に働いて万事を益となるようにして下さることを私たちは知っている」というみ言葉があります。私たちは長い人生の旅路に於ていろいろな体験をし、学びをします。或る時は理不尽に見え、無意味に思うことがあります。然し私達が出会う一つ一つの出来事は聖書のプリズムを通して見る時、何一つ無駄なことはなく、自分の姿を知らせ、自分に対する教え、警告であったことを思わされます。私の場合、高校卒業後、廻り道をしたことや全寮制の愛農高校に24年間勤め、そこで体験し、学んだ事が西表島へ移住して生きていく上で凡て益となって働いたことを確信します。
二つ目はピリピ書213節に「あなたがたのうちに働きかけてその願いを起させかつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」というみ言葉があります。私は戦中・戦後の食糧のない不自由な時代を過して来ました。戦後は畑を耕し、家畜を飼い、よく家の手伝いをしました。土に根ざした生き方がしたいと長年夢見て来ました。愛農高校へ導かれ小谷純一先生と出会い神を愛し、人を愛し、土を愛する三愛精神を学び、その思いは一層強くなりました。その夢は西表島に於て実現しました。私の夢は、子供たちに継承され、現在西表島の豊かな自然と農業を基盤にした休息と癒しの空間を作って、疲れている人、病んでいる人、自分を見つめ直して再出発したい人たちを受入れて家族共同体(友和村)の実現に向けて取りくんでおります。
三つ目はマタイ伝633節、「先ず神と神の義とを求めなさい、そうすれば、これらのものは凡て添えて与えられるであろう」イザヤ書4110節に「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたを強くし、わたしはあなたを助け、わが勝利の右の手をもってあなたを支える」とのみ言葉を示されて、私たちは19年前西表島へ移住しました。神様の導きのままに神の国の約束を信じての旅立ちでありましたが、凡て必要なものは与えられ備えられ、時に適う助け手を与えられました。現在4世帯家族13人が生活する家族共同体の中でそれぞれの役割を分担し、協力し、助け合いながら生活しております。創造のみ業と活きて働き給う神様の導きを日々感謝し讃美しながら内村鑑三の「読むべきは聖書、学ぶべきは天然、為すべきは労働」の言葉をかみしめ友和村の営みに励みたいと思います。

神様の祝福 
沖縄県西表島 I.
T.

私は結婚式の時、高橋三郎先生を通して創世記12章1~4の御言葉を頂きました。その中で神様は祝福の源となるようにと語りかけて下さいました。
あれから43年、私共はこの御言葉の通り、祝福の源となるべく導かれて参りました。
主は、いつどこにあっても私共を祝福し、その祝福が多くの人に及ぶように導かれました。 一九九〇年、西表島に導かれて友和村という祝福の拠点がすえられたのも、主の祝福が多くの人に及ぶために神様が用いられたのだと信じます。
祝福は神様の愛そのものであって、自分の側に信仰があるとか愛があるとかいう自分の側の条件には全くよらず、神様御自身の永遠の真実の故に神様の側から全く一方的に与えられるものでありました。その究極は罪の赦しの祝福でありました。
主は無きに等しい私にあなたは尊い存在であると呼びかけて生きる意味と喜びを与えて下さいました。
そして私の罪を赦されめぐまれた女よ、おめでとう、安心して行きなさいと呼びかけて下さいました。このような祝福を与えることの出来るお方はイエスさまのみであります。このイエスさまの祝福の御手に守られて、今日の私がここにあります。
何という喜び、何という感謝でしょうか、ハレルヤと主を讃美いたします。
最近、島崎暉久先生の書物の中で次の文に出会いました。
内村鑑三最晩年の言葉
「全人類を教会と見るのが本当の見方ではあるまいか。
選民と非選民、信者と不信者と区別するのは間違いではあるまいか。全人類を教会と見て、キリストをその首長と仰ぐならば、自分もその会員たるを辞さない。
無教会の積極的反面は全人類教会主義であらねばならぬ(1929102日の日記)」
キリストと関係のない人は一人もいないと私は信じます。
すべての人に祝福をお与え下さる主を信じていくところに無教会の生き方が示されていること、内村鑑三が最晩年に教えて下さっていると思います。
私が求めていたものはこれでした。イエスさまがいらっしゃるところが教会です。私を祝福して下さる主の愛を喜び感謝して生きたいと願い祈ります。
(付言)無教会にも祝祷があってもいいのではと私は思います。私は祝祷により恵まれます。


神の愛とその導き      盛岡聖書集会 T.S.

 私は一九四五年に秋田県の田沢湖町の農家に生まれました。終戦の年です。戦争で苦しんでいた日本中の多くの人々、特に戦争に反対し、平和と自由を求めていた方々にとってはこの終戦はまさに神の愛と正義の実現でした。戦争が終わっただけでなく、それに引き続いて与えられた日本国憲法は日本人だけの努力で獲得したものではなく、そこに神の愛と義が実現されたものだと私は考えています。 
 私の人生においてその様に感じたもう一つの歴史上の出来事は一九九一年のソ連崩壊です。一九一七年のボリシェヴィキ時代から数えると74年もの間アメリカ合衆国に匹敵する超大国として、東側陣営の総本山として君臨したソ連が崩壊し、世界を二分した冷戦の時代が終焉したことす。私はよもやその様なことが起こるとは夢にも思わっていなかったのです。
 この二つから学ばされたことは、人間の目や判断を通して見た世界の情勢や歴史がどれほど絶望的なものであっても、神は人類の歴史を支配され、生きて働かれ、正義と愛を実現してくださるということでした。
私の父は優れたところも沢山ありましたが、子どもたちにとってとても嫌だったのは夫婦げんかをしたことでした。それは大体は父のわがままから引き起こされ、父はかんしゃくを起こして大声で母に怒りをぶつけるというものでした。しかし、不思議なことに私は父の信仰していたキリスト教には反発しなかったのです。時々信仰について父と語り合うことがありました。私の両親は私たち子どもにキリスト教について沢山教える事はしませんでした。しかし、二つのことがとても良かったのではないかと思っています。
一つは両親は食前に必ずしんと静まりかえって黙祷をささげていました。それはミレーの晩鐘の絵に見られるような雰囲気のものでした。
もう一つは私の家庭は貧しかったので父と母は時々これからどうやっていこうかと話していましたが、その最後の結論は「一生懸命生きていれば神様が必ず何とかして下さる」というものでした。私は子供心に聞くともなくそれを聞いていたと思います。そしていつの間にかその両親の信仰は私にも根付き私は「神様は愛の方だから、必ずいいように導いてくださる」と信じて生きてきました。
両親がキリスト教の信仰を持っていたこと、そしてそれに反発しなかったことは神様のお導きによるものだと思っています。
私は大学進学を目指して地方の進学高校に入学しました。その高校で成績の上位のものが目指す大学を受験しました。不合格でした。その時のショックは強く、恥ずかしくてもう二度とその高校に訪れるようなことはしないと思いました。
つまり私は日本の学校に於ける価値観、つまり成績が良くて有名大学に合格する人間が一番偉いという価値観の中に生きていたので、そのプライドがずたずたに切り刻まれてしまったのです。
私にとってはそれはルターを修道院に入らせたあの落雷事件のようなものであり、パウロを回心させたダマスコでの復活の主イエスの顕現のような出来事でした。
というのはその後、山形大学に入学した私の下宿の隣が山形市の本町教会であり、私は父に伴われてその教会を訪れました。牧師さんは木俣富太郎先生で、その弟さんの木俣敏先生は農村伝道をなさった方で、私の父は敏先生を知っていました。さらにその頃木俣富太郎先生は山形大学の聖書研究会磐上会に教えに行っておられました。
この会は実は無教会の伝道者黒崎幸吉先生がお作りになった無教会の聖書研究会でした。それを木俣先生は私に教えて下さった。教会の牧師さんから無教会の聖書集会を紹介していただいた。
それが私の無教会主義との初めての出会いでした。そしてその会に教えに来ておられた、キリスト教独立学園の校長の鈴木弼美先生に出会いました。
先生のお話で最も印象を受けたことが二つあります。一つは先生は真理という言葉を頻繁に使われたことです。真理という言葉はもちろん私も知っていましたが何の内実もない言葉でした。鈴木先生の真理という言葉は今まで聞いたことのない響きを持ち、意味を持っていました。「あなたがたは真理に逆らっては何の力もなく、真理に従えば力がある」という言葉です。
 もう一つは絶対非暴力、絶対非戦主義の主張でした。私の大学時代は学生運動の盛んな時代で、デモや学内でバリケードを築くようなことがありました。 その様な具体的な問題で先生は絶対暴力を使うべきではない、平和的な手段で問題に当たらなければならないと話されました。私はその頃、非暴力について深く考えていなかったので先生のお考えを百パーセント肯定することが出来たのではありませんでした。しかし、先生のお話はどこか否定しがたい力を持っていました。
私は両親から十字架の贖いと、復活の信仰について教えられたことがなかったと思います。
私は無教会主義との出会いによって、十字架と復活の信仰、非暴力愛敵の姿勢、そして真理の絶対的な力を信じるという姿勢を教えらました。私はその後この無教会全国集会の設立に尽力された堤道雄先生などを知っていくようになります。
磐上会は夏休みにキリスト教独立学園を訪問しておりましたが、私も大学一年生の時に初めて独立学園を訪問しました。私がその時そこで感じたことはここの方々は私が今まで接してきた社会と違っているということでした。そこの方々は他の人との優劣を競うという心で生きているのではない、と感じたのでした。そして私は自分もこの高校に入りたかったなと思ったのでした。高校生として入ることは出来ないからここの先生になってやろうなどと考えたのでした。
一九七三年、二八歳の時に私はキリスト教独立学園に勤務しました。私は自分が偉いから独立学園に勤務するのでなく、学ばせてもらいに行くのだと考え、そこに務めさせていただきました。鈴木先生との交わり、独立学園の12年間を通して私が受けた恩恵は数え切れません。
一九八五年、私は向中野学園(現在の盛岡スコーレ高校)に転勤しました。この高校はキリスト教精神で行われていますが、独立学園のように入学者にキリスト教を熱心に学ぶことを条件とするということはありません。ですから入学者のほとんどの生徒はキリスト教に関わりがありません。その様な学校でキリスト教の教育をすることは容易なことではありません。より深い信仰理解と言葉だけでなく本当の愛と実行がなければやっていけません。何も出来ないままに今日に至っていますが、そのために随分鍛えられたと思います。このような試練も又神様が私のためにお与え下さったものと思います。
 最後に聖書を2カ所引用したいと思います。
・主は愛するものを鍛え、子として受け入れるものを皆、鞭打たれるからである。
(ヘブライ人への手紙12章6節)
・神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
(ローマの信徒への手紙8章28節)


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