ことば

304)聖霊の重要性
まず第一に人はこの霊(聖霊)を自分で獲得することができないということである。またこの霊は生まれつきの才能ではなく、あるいは人間的伝承によっても得られない。それはそのような人間や組織などの外からやってくる事実であって、それ自体としては説き明かしがたいものである。
しかし、この霊が与えられるとき、それはキリスト教の最上の、かつ唯一の完全な証しである。
この霊を持つ者は、もはや一瞬たりともキリスト教の真理性を疑うことはない。
人の心の状態がそれを受けうるまでに成熟し、それを願う気持が切実であれば、おそらく直ちにこの霊は訪れるであろう。
しかし、いずれにしてもそれは純粋に神の賜物である。
あらゆる人が、学問のあるなしにかかわらず、老人でも若者でも、男でも女でも、みなこの霊を受けることができる。
この霊は人間の間に少しも外的な差別をもうけない。(カール・ヒルティ著「幸福論」第三部296297頁 岩波文庫)

305)愛と非暴力
非暴力こそが、言い換えれば、暴力や弾圧によらず、それらに打ち勝つことこそが、人間には不可欠であり、我々の時代の政治と道徳の重大な問題に対する答えなのだということである。
我々はあらゆる人間同士の対立に対して、復讐、攻撃、報復を拒絶する方法を見出さねばならない。そしてそのような方法の基礎となるものは愛である。(マルチン・ルーサー・キング 「ノーベル平和賞受賞講演より」一九六四年一二月十日 ノルウェーにて)
…nonviolence is the answer to the crucial political and moral question of our time -- the need for man to overcome oppression and violence without resorting to violence and oppression. …
…man must evolve for all human conflict a method which rejects revenge, aggression and retaliation. The foundation of such a method is love.

・ 実際の、目にみえる暴力のほかに、心の中で生じる暴力がある。それは憎しみである。そのような内なる暴力によって、その人自身の心のうちなるよきものが打ち倒されていく。そうした内外の暴力に打ち勝つ唯一の方法こそは、神から与えられる愛である。


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