リストボタンたたけ、そうすれば開かれるマタイ七章七~八節

求めよ、そうすれば与えられる
探せ、そうすれば見出す。
たたけ、そうすれば開かれる。(マタイ福音書七章78

これはよく知られたイエスの言葉である。しかもこのことは、一部の人だけでなく、「すべて求める人には与えられ、すべて探す者は、みいだし、すべてたたく者には開かれる」と、右の言葉に続いて言われている。
この文を原文のニュアンスに近く訳するならば、次のようになる。

求め続けよ、そうすれば与えられる。
探し続けよ、そうすれば見出す。
たたき続けよ、そうすれば開かれる。

原文のギリシャ語では、求めるという動詞の現在形が使われているが、ギリシャ語では、現在形は、継続をも含む時制である。それゆえ、そのニュアンスは、一度求めたら与えられる、というのでなく、求め続けるという意味を含んでいるのである。
それゆえ、英語訳でも次のように訳しているのがある。

Keep on asking,and it will be given you;
Keep on seeking,and you will find;
Keep on knocking and it will be opened to you.
(ウィリアム・バークレイ William Barclay訳)(*

*)バークレイは、イギリスのスコットランドの新約学者。グラスゴー大学の教授。新約聖書全巻の注解書が有名(The Daily Study Bible )。わかりやすい説明、独自の見方で掘り下げて平易な英語で記されている。他にもこのように継続の意味をはっきりさせた訳は、New Living Translationや、The Amplified New Testament などがある。

求める、これはどんな人にもみられる。だれでも何かを求めているものである。生まれ落ちたときから、乳児はミルクを求める。少し大きくなっても、食物、母親、遊び道具や友達、さらに、成績とかスポーツとか何らかの活動において他人から認められることを求めるようになる。
病気などの苦しみを少し知ると、健康を第一に求める人も増えてくる。
また、そうしたことと並行して、同性や異性の友人を求めるようになり、よい結婚相手を求め、住居、車とかの持ち物などに広がる。
そうして人生の途上において、数々のものを求め続け、老年になると今度は、孤独となり、いっそう健康や人間同士の交わりを切実に求めるようになる。
このような求め続ける人生において、与えられた、という実感を持つ人もいるだろう。しかし、そうした人も老年になり、病気がちとなると、それまで与えられたものを感謝する余裕はなくなり、ただ与えられていないものを求めて苦しむようになる。
そして、老年になって病気がちになると、たいていはそれらは求めても与えられる状況はますます少なくなっていくばかりとなる。
このような状況を考えるとき、キリストの「求めよ、そうすれば与えられる。すべて求める者には与えられる」という確言は、あまりにも現実性が乏しいと感じる人も多いであろう。
しかし、福音書には数々の病気や重度の障害者全盲、ろうあ者、精神が錯乱状態になった人、長い年月寝たきりになっている人たち、あるいはその親が必死になって主イエスにいやしを求める場面がしばしば記されている。
イエスの生きておられた当時のユダヤの国は、ローマ帝国に支配されていた。支配している側のローマの百人の兵を支配下に置いている将軍がイエスのところに来て、嘆願していやしを願い求めた。

主よ、わたしの僕が中風で寝込んで、ひどく苦しんでいます。

この真剣な求めの姿に接した主イエスは、すぐに「私が行っていやしてあげよう」といわれた。しかし、その将軍は、「あなたを私の家に迎える資格はありません。 ただ、ひと言を下さい。そうすればいやされるのですから。」(マタイ八・59

このように、主イエスに全面的に信頼して、幼な子のようにまっすぐに主イエスに向かった。そのような信仰を主イエスは受けいれられた。そして、イスラエル人のうちでも、これほどの信仰を見たことがないと、言われた。そして、「あなたが信じたとおりになるように」と言われて、実際にその百人隊長の僕がいやされた。
これは、実際に主イエスに求めて、それがかなえられた実例である。イエスはたしかにこのような切実な願いを聞かれてその願いを実現されたのであった。
このような実例は他にも多く記されている。全盲で生活できないゆえに道端に座って通りがかりの人にお金や食物を求める乞食がいた。彼は当時のような時代では見捨てられた最悪の状態に置かれた人の一人であっただろう。その人が「ダビデの子よ、私を憐れんでください!」と叫び続けた。周囲の人々が黙らせようとしたが、それでも必死に叫び続けたので、イエスは立ち止まっていやされたことがあった。(マルコ福音書十・4652
このような昔の記事は直接的には、現在の自分と関係がないと思う人が大多数であろう。盲人でも乞食でもないし、自分はローマ時代の将軍とは何の関係もない、単なる昔話だ、そんなことは伝説であって、本当にあったのかどうか分からない、といった気持ちで大多数の日本人がこうした箇所を読んでも自分と関わりあることとしては読もうとはしない。だからこそ、聖書は日本でもよく売れても、ほとんどがキリスト者にはならないのである。
しかし、このようなことは、「求めよ、そうすれば与えられる」という真理を、イエスは具体的に実行されてその真理性を永遠に証しされたということなのである。
私たちの多くは盲人でもなければ、乞食でもない。だから関係ないというのではなく、当時のそのような極めて苦しい状況にあった人が主イエスに真剣に求めていくときには、ほかのいかなる人間からも与えられないことが与えられる、という真理はだれにとってもあてはまるからこそ、聖書に記されているのである。そのすべての人に生じ得る真理を歴史に刻み込むために、実際に主イエスは当時出会ったそのような人たち、闇に置かれた人たちをいやされたのであった。
求めよ、そうすれば与えられる、それはこのような必死の求めであり、そこにすべてを注ぐようなまっすぐな気持ちで求めるときには、与えられるということなのである。
しかし、実際に目が見えない人が必死で求めても、聖書に書いてあるように目がみえるようにならない、ということがほとんどである。だからといってこのことが架空のことだ、ということでない。それは、肉体の目が見えるようにはならなくとも、心の目、魂の目が見えるようになっていくということは万人に開かれた真理である。私たちのキリスト集会にもそうした方々が何人もいる。
それまで見えなかった神のこと、神の国のことが実感できるようになること、聖書の言葉の意味が示されてわかるようになっていくこと、こうしたことはたしかに真剣に求める人には誰でも生じることなのである。主イエスは、「あらゆる求める人は、与えられる」と約束されたのである。
こうした奇跡は、本来誰でもに生じることなのである。それを、主イエスは、「すべての 求める人は、与えられる」と表現された。愛と真実の神(あるいはキリスト)を信じて、病気のいやしを真剣に祈るときには、たとえそれが文字通りいやされなくとも、それに変る何かよきものが、求めるすべての人に与えられるということなのである。
十字架でイエスとともに処刑された一人の罪人は、息を引き取るまぎわに、「あなたの御国に行かれるとき、私を思いだして下さい!」と、願い求めたとき、ただちにイエスは、その求めに答えて、「あなたは今日、私とともにパラダイスにいることになる」と言われた。それは、求めよ、そうすれば与えられるという約束が、どんな大きな罪を犯した人であっても、また死を間近にした特別な状況であってもかなえられるということを示している。
これは、与えられるものは、究極的に目に見えないこと、あるいは死後の世界においての救いであるのがわかる。この世においてもたしかに真剣に求めるときには良きものが与えられる。健康も与えられることがあるし、友人や社会的地位や結婚その他のことも与えられることがある。しかし、それらも老齢化や病気、状況の変化などとともに変質したりなくなっていくことが多い。
求めて与えられ、しかも変質もしないし、なくなることもない、そうしたものとは、当然目に見えないものとなる。死後の世界の幸いである。さらに、生きているうちから、目に見えないものが与えられる。しかもそれは最高のよきものが与えられるという約束がなされている。それこそ、神ご自身が持っておられる愛や真実、力といったものであり、それらをすべて持っているのが聖なる霊である。
事故などで失われた手足や視力、聴力損失など、またガン末期などの重い病気のため回復不可能だと思われる状況もある。とくに死ということはどんなに求めてもそれを除き去ることはできない。そのような状況であっても、与えられるのが、聖霊なのである。
ルカ福音書において、この「求めよ、そうすれば与えられる」という言葉に続いて言われているのは、次のようなことである。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。 (ルカ福音書十一・1013

すなわち、真剣に求める者に、すべて与えられるというのは、目に見えるものでなく、目には見えない聖霊である、ということが明確に言われている。
先にあげた、イエスとともに十字架で処刑された重い罪人は、キリストが十字架で殺されたらそれで終わりなのでなく、復活して神の国に帰ることをすでに知っていた。これは驚くべきことである。というのは、三年間もイエスとともにいた弟子たちですら、イエスが復活するということは信じられなかったからである。
イエスを主である、と信じて告白することは、聖霊によらなければできない、と言われているように、十字架で処刑された罪人は、イエスを復活することのできる主である、と信じていたことがわかる。それはすなわち聖霊を与えられていたことを意味する。
そこで、あなたがたに言っておくが、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
コリント十二・3
求める者、信じて求める者には、聖霊が与えられ、死後も復活して御国へとイエスとともにいくことが与えられるのである。
聖霊が与えられる、といっても、ほとんどの日本人にとっては、何の意味も持たないであろう。愛と真実の神などいないと思っているなら、その神と同質の存在である聖霊なども存在しないとみなしていることになるからである。
愛や真実なもの、健康、美しいもの、力あるもの等々は人間にとって極めて重要かつ必要なものであり、私たちを心の底から満たすものである。それらが豊かに与えられていれば私たちは病気のとき、貧しいときであっても、不足は感じないであろう。
このような良きものすべてが完全に満ちているもの、それが聖霊である。それゆえに、聖霊が与えられるならそれはこの世で最高のもの、ほかのどんなものも埋めることのできないよきものが与えられたことになる。
聖霊こそは、いのちであり、生きがいを与えるものであり、困難なときにも力を与え、絶望的なときでも新たに立ち上がるための力を与えてくれる。
主イエスは、このように求めるものには、この世で最高のもの、永遠に続くよきものが与えられると言われたのであった。
かつて、私は肢体不自由の人たちのいる養護学校で短い期間、勤務したことがある。時々、生徒たちに聖書やその他のよい本の紹介をしていたが、あるとき、この「求めよ、そうすれば与えられる。」という言葉を紹介したことがある。そうすると、ある肢体不自由な小学六年生が、立ち上がって、「私は今、この足を直して下さいと求めました。でも何も与えられません。」と反論したのを思いだす。
求めたら与えられる、そんなことはない、きれいごとだ、といった気持ちは、この言葉に親しんできたはずのキリスト者でも何となく持っているのではないかと思われる。
たしかに、健康も与えられ、家族関係もよい、子供も有名大学に進んでいるといった人もいる。そのような人の中には、確かに求めたら与えられたという人もいようが、自分は病気であるし、家族にもいろいろと難しい問題がある、求めても与えられないことばかりだ、といった人も多くいるであろう。
けれども、主イエスは、求めたら与えられるのは、一部の恵まれた人だけに与えられるのでなく、「すべて求める者には与えられる」といわれたのである。
これだけ与えられているものが大きく異なり、健康も家庭も、職業などもすべて与えられていないような病気の人、重い障害をもった人たちもいるのに、なぜ、主イエスは、「すべて求める人には与えられる」といわれたのだろうか。
このことを考えてもすぐにわかるのは、主イエスがいわれたすべての人に与えられるものは、目に見えるものではないということである。目に見えるものなら、それが金や地位、持ち物といったものは、求めたとおりのものが与えられた、といった経験を持っている人は ごく一部の人であるからだ。
また、私たちが第一に求めるべきものは何か、についてすでに主イエスは、この引用した有名な箇所の少し手前で明言している。
何よりもまず、神の国と神の義をもとめよ。そうすれば、これらのものは添えて与えられる。 (マタイ福音書六・33

まず、衣食住のことを求めるな。第一に求めるべきは、神の国と神の義である、といわれた。 しかし、衣食住のような目に見えるものを第一に求めるのが通常の人間だれでもにみられることである。ことに、昔のように社会的な保証の制度もなく、病気、災害や飢饉、戦争などで突然働き手を失うことなどもよくあった時代において、まず求めるものは、それがなかったら生きていかれない食物のことであり、衣服や住居のことである。
こうした求めはごく当然のことであるにもかかわらず、主イエスは、そうしたことをまず第一に求めるべきでないことを示された。これは驚くべき発言である。当時の人間の常識を根本からひっくりかえすようなものであった。 そしてこのことは現在でもそのように、一般的な常識にまっこうから対立することである。だから神の国と神の義を求めよという言葉は、一般の世界ではほとんど引用されないのである。
しかし、私たちが、まず神の国と神の義を求めるという姿勢があれば、神の国が与えられ、それに添えて衣食住など目に見えるものも与えられるといわれている。
このように、はっきりとした条件があるにもかかわらず、一般的には、「求めよ、さらば与えられん」というように、一部だけが切り取られて知られている。そして、前提条件があるのを知らないから、このような言葉は、本当でない、聖書の言葉だからといって真実ではないのだ、と思ってしまうことになる。
この条件が重要であるからこそ、別のところでは次のようにいわれている。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
(ヨハネ 十五・7

ここでは、イエスの言葉がいつも私たちのうちに留まっているならば、という条件がいわれている。主イエスの言葉が私たちの内にあるとは、イエスご自身が私たちの内におられるということである。イエスの言葉とは、そのままイエスご自身のお心であり、イエスそのものである。
もし主イエスが私たちの内に留まっていたら、主が持っている目に見えない喜びや力で満たされるのであるから、この世の快楽とか名声とか高価な衣食住にかかわるものなどを求めることはおのずから少なくなっていく。
求めるならば、与えられるということ、それが最も直接的に表現された聖書の文書は、詩篇である。詩篇のなかには、生きるか死ぬかという瀬戸際まで追い詰められた人の魂の叫びがしばしば見られる。

神よ、わたしを憐れんでください。わたしは人に踏みにじられています。
わたしを虐げ、陥れようとする者が絶えることなくわたしを踏みにじる。
恐れをいだくとき
わたしはあなたに依り頼む。
人々はわたしに対して災いを謀り、命を奪おうとして後をうかがっている。

神の言葉を賛美しよう。
神に依り頼めば恐れはない。人がわたしに何をなしえようか。
あなたは死から私の魂を救い
突き落とされようとしたわたしの足を救い
命の光の中に
神の御前を歩かせて下さる。 (詩篇五六篇より)

このように、死の危険にさらされている絶望的状況のなかからこの詩の作者は神にのみ頼り、必死で神の憐れみを求めた。憐れみを求める、というと、日本語では何かあまりよいニュアンスではないことが多い。他人に憐れんでもらいたくない、というのが大抵の人の感情であろう。しかし、詩篇であらわれるのは、他人にでなく、神からの憐れみを願う祈りなのである。神は私たちの直面する問題を解決し、あるいは打ち倒されないだけの力を与えて下さるお方である。神のうちにはすべてがあるのであり、それゆえに、そのような苦しみにあるときに耐える力や希望をも与えることができる。神に対して憐れんでください、と祈り求めることは、苦難に耐える力を与えてくださいということと同じなのである。
人間は健康で自分がやっていることが順調なときには自分の力で生きていけるなどと錯覚をして、人の憐れみや、神の憐れみなど要らない、といった強気になっていることが多い。しかし、一度難しい病気になったり、事故や予想していなかった大きな失敗や罪を犯してしまって、人々から見下されるようになったときには、たちまち立ち上がる力もないほど弱いものとなる。
そのようなとき、人間にどんなに求めてもそうした力は与えられない。人間はその人自身わずかな力しか持っていないからである。そして相手の人間もまた弱いもの、問題を抱えた者でしかない。
それゆえに、どんな困難な問題のときでも、必ず力を与えてくださるというのは人間を超えた存在、神でしかない。
憐れんでください! という切実な祈り求めは、こうした追い詰められた状況から生まれたものであり、私たちがそれに近いような状況に置かれるとき、初めて共感をもってこの詩篇の叫びや祈りを自分の物のように受け取ることができるようになる。
この求めに応じて、神が力を与えられるとき、この詩にあるように、神への賛美と感謝に代わり、さらなる確信へと導かれる。そしてそのような深い闇を通っての経験は、必ず周囲へと証しせずにはいられなくなる。それがこの詩であり、事実、数千年という歳月を通して神の確かなる助けとして、求めるなら必ず与えられるという証言として無数の人たちを励まし続けてきたのである。
求めよ、そうすれば与えられる、という約束は、また言いかえると神の光が与えられるということである。その光にいのちあり、力あり、また平安がある。そして前途を正しく歩んでいく導きともなる。
聖書の巻頭に、闇と混沌のただなかに、神が光あれ!と言われたときただちに光が生じたとある。また第二章においても、水のない砂漠的状況においてある所にはすでに水が流れていたことが記されている。
これらは、いかなる闇や渇ききったうるおいのない世界であっても、すでに目に見えない霊的な世界では、光があり、いのちの水が流れているのだという神の確言なのである。
闇のなかにすでに光が輝いているからこそ、求めたら与えられるのである。その背後には、神の愛がある。暗黒だけなら、そして 与える主体である神がいないのなら、与えられることは有り得ない。
こうした聖書の巻頭の言葉は、そのままキリストによって完全に成就されている。それゆえに、ヨハネ福音書の最初の部分で、つぎのように記されている。

(キリストは)わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ一・1416より)

キリストがこの世に来られたということは、このような無限の豊かさをたたえたお方がこの世に来られたということである。闇がいかに深くあっても、またどんなに渇ききった状態であっても、キリストが来られて今も霊的存在として私たちの社会のただなかにおられる。
だからこそ、私たちが求めたら与えられるのである。それゆえ、恵みの上にさらに恵みをといってあふれるばかりにキリストからの恵みを受けてきたことを証言しているし、このことは、福音書が書かれた時代の人たちだけにあてはまるのでなく、永遠の真理として成り立つことなのだと言おうとしている。

探せ、そうすれば見出す

この言葉は、求めよ、さらば与えられん という一連の言葉のなかでは最もなじみが少ないものであろう。求めるということは、幼児から老年の死が近づいたひとまであらゆる人の日常的な行動である。しかし、探す、ということ、何かを無くした人に特有であっても誰にでも探すということはない。毎日の生活でも、何かを求めている、いうことはすべての人に言えても、何かをみんなが探しているとは言えないであろう。
探すということは、はじめから存在しないとわかっているなら探すこともない。例えば、部屋の鍵を無くしたときそれを探すのは、可能性のある場所であって、自分の家で無くしたのに、近所の人の家にいって探すなどはしない。
同様に、私たちが探すということは、あるということが前提となっている。
このことは、例えば書物なら誰でもが考えて探すであろう。何かについての本を買うときには、そこに自分が知らない一種の知識や考え方、あるいは興味深い内容という宝があるはずだから、その宝を探すつもりで読むであろう。
ある著名な思想家は、一冊の本を読むとき全部読む必要はない、何か一つこれはよい、と感じる考え方や知識を見付ければそれで十分だ、と言っていた。これは四〇年も前に読んだ本に書いてあったことだが、その通りである。
この「いのちの水」誌においても、どこかで何か一つでも、読む人の心に残ったらそれでよいと思っている。神がなさろうとすればどんなに貧しい内容であっても、そのなかのわずかの文や言葉を読む人の心に深く残し、魂に刻むこともできるからである。
そのような書物において、何かよいものを探すと必ず見つかる、ということは言えるがここでも最初に書いたように、その本がそもそもよき著者によるものであるほど、そうした宝が見つかる。
そのような、探せば必ずよきものが見つかるという最高の書物は、言うまでもなく聖書である。私自身四〇年以上、毎日一日も欠かすことなく手に取ってきた。山を何日かかけて縦走しているときでも、また勤務で、生徒たちの付き添いでの修学旅行という個人的な時間の持てないときであっても、病気のときも、来客があってずっと対応せねばならないときでも、聖書をまったく手にしない一日というのはずっとなかった。そして、一五年ほど前に教職を辞してみ言葉のためのはたらきに一日を費やすようになって、あちこちの家庭集会で別々の聖書の箇所を語るようになったらなおさら聖書はつねに座右の書となった。
そして、聖書の内容は、創世記から最後の黙示録まで、日曜日の主日礼拝以外の夕拝や家庭集会などですべてどこかで語ったり書いたりしてきた。さらに近年は、旧約聖書続編も夕拝や家庭集会で学んできたからほとんどの続編もやはり学んできた。
それほどの時間をかけてわかってきたこと、それは聖書という本は実に無尽蔵の宝の隠された書であり、広大無辺の世界である、ということである。それゆえ、探せ、そうすれば見つかる、という主イエスの言葉の真実性は、聖書を心して読むことによって知ることができる。
聖書の最初の言葉、「はじめに神は天と地を創造した。そのとき世界は闇であって混沌としていた。」というひと言もさまざまの意味がそこに隠されているのを、何十年もかかって少しずつ見出していく。
この世の宝というべきものは、事故や病気などあるいは予期しない出来事によって簡単に壊れ、あるいは奪われ、失われていく。しかし、神の国にかかわる宝は、決して奪われない。
主イエスが言われたように、見出した宝(*)を天に積んでいくなら、そこでは虫に食われることもなく、さびがつくこともないし、盗人によって奪われることもない。(マタイ六・19

*)新共同訳では、宝を「富」と訳しているが、この原語(ギリシャ語)は、セーサウロス で、宝(trasure)を意味する。新共同訳でも、ほかの箇所例えば、イエスの誕生のときに東方の博士たちが「宝の箱を開けて」(マタイ二の11)の箇所や、天の国のたとえで、「畑に宝が隠されている」といった箇所などでは、「宝」と訳している。他の日本語訳聖書である、口語訳、新改訳なども「宝」と訳している。 「富」には、次のような箇所に使われているプルートスという別のギリシャ語がある。「あなた方の富は朽ち果て」(ヤコブ書五の2)

神がこの世界のすべてを創造された、しかもその神は愛と真実の神であると信じるのがキリスト者の信仰である。とすれば、その愛の神の創造された世界で起きる出来事は、何らかの意味で神の愛や真実があるのだということになる。
宝探しというのがある。子供のとき、近くにきれいで遠浅のよい海岸があったため、林間学校ということで何日も学校全体でて水泳を主として過ごしたが、そのときに宝探しがあった。砂のなかに隠されているのであるから、それを探して見付けるというのである。
私たちのこの世も、実は神の国の宝が至る所に隠されているのである。日々私たちの周囲に見られる自然のたたずまい、夜空の星、月、太陽の輝きのなかに、雲や青空、夕日といった一見単調な光景のなかに、そして山野の野草や樹木の姿のなかに、あるいはさまざまの生き物のなかに、神の国の宝を探すことなのである。
また、そのような自然の事物だけでなく、人間世界の日々の出来事のなかにおいてもその宝を探すという気持ちで臨むときには、なにかが見付けられる。
主イエスが、次のように言われたことも、真理は小鳥一羽や、野の花の一つにも隠されているのであって、探す者にとっては、そこから神の導きと守り、その愛を学びとることができるのを示したものである。

空の鳥を見よ。種もまかず、刈り入れもしないが、天の父は鳥を養って下さる。
野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。(ルカ十二・2627

神の愛という最も重要なことも、むつかしい議論やたくさんの書物を読んだり他人の経験を聞かなくとも、どこにでもある身近な植物や動物のいとなみのうちに隠されているのである。真理を探し求める目には、神の日々の導きや守りということと一見何の関係もないことのような中に深い意味を見出すことができる。探せよ、そうすれば見出すということは、私たちにとってとても日常的な真理なのである。
主イエスは、つぎのようなたとえを話された。

天の国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。(マタイ十三・44

このたとえ話における天の国とは、死後の世界でなく、神のこの地上での御支配という意味である。人は、神がこの世を愛と真実をもって御支配されていることを知るとき、また、その神の御支配のうちにある計り知れないよきものを知るときには、喜びのあまり、ほかのものを捨ててその宝を得ようとするということである。
救われるということは、そのような絶大な宝を発見することであり、本当の救いを与えられたときには、かつて自分をつよく引きつけていたこの世のものの力から自然に解放されていくという心の世界を示すたとえなのである。
探せ、そうすれば見出す、という言葉はこうした神の国に属するものを探すと必ず見出すということである。天の国の宝を多く見出すほど、私たちはこの世で重要視されている物事から自由になっていく。

聖書のなかに、「いつも感謝せよ、つねに祈れ」(テサロニケ五・1718) という言葉がある。だれでも、この言葉を読んですぐに思うであろうことは、こんなこと、できるはずがないということである。いつも感謝するどころか、いつも不満とかいつも苦しみや悲しみがある、という人も多いであろう。しかし、もし私たちがさまざまの苦しみのなかに隠された深い意味、よき目的を見出すことができれば、それは感謝をもって受け止めることにつながっていく。私たちが直面する困難の意味が分からないからこそ、苦しみもいっそう大きくなるからである。
探し求めているときに、時がきて、神のほうから一方的にその意味を示される言葉があり、また私たちの小さくとらわれた魂に翼を与えて困難な問題を乗り越えることができるようにし、そこからそれまで分からなかった深い意味が示されることもある。
旧約聖書にヨブ記という書がある。ヨブという人は、信仰を強く持って正しく生きていたのに、財産も失われ、子供たちも死ぬ、といった突然の苦しみが降りかかった。彼はそれに耐えようとしたが、さらに自分自身に恐ろしい病気が生じてもだえ苦しむようになって妻からも、そんな苦しみに置かれたのに神に頼るなど止めて、「神をのろって死んだほうがましだ」とまで言われるようになった。そうしてヨブは、耐えられなくなり、自分など生まれてこなかったらよかった、と叫びをあげるようになった。
そうして長い期間にわたって、なぜこんな目に遭うのか、というその意味の探求が始まった。慰めにきた友人たちとの議論になり、ヨブの罪のためにこんな目に遭うのだと言われたが、ヨブは、どうしても自分の罪のせいだとはうけいれられなかった。
だが、そのような苦しい探求の果てに、神が直接に応えて下さった。それは、神はご自身の創造された自然の深い神秘へと導き、神のなさることがいかに広大無辺であるかを自然の事物を用いて指し示されたことであった。それによってヨブは神が最善をなして下さっていることに目が開かれたのである。
旧約聖書で、信仰をもった人が理不尽な苦しみに出会うのはなぜなのか、という一つのテーマを内容としたヨブ記が六十ページ近い分量をもって記されているのは、意外なほどである。それは現実の生活というものが、信仰を持っていて、神の守りのうちにあるはずなのに突然の不幸、苦しみなどが襲いかかってくるという事実があり、それに応えるものなのである。

門をたたけ、そうすれば開かれる

私たちの前には大切なことがたくさんある。しかし、それらはそのままでは見つからない。扉が閉じられている。それゆえに、重要なこと、価値あるものを見出すためには、その扉をたたかねばならないということなのである。 前の「探せ、そうすれば見出す」ということと、共通しているところがあるが、異なる内容をも持っている。
原文は単純な、「たたけ、そうすればあなた方に開かれる」である。(*

*)日本語訳のうち、従来最も多く読まれてきた日本聖書協会の口語訳やその後の新共同訳、さらに以前の文語訳聖書などにおいて、「門をたたけ、そうすれば開かれる」と訳されていた。しかし、原文のギリシャ語では、「門」という語はない。直訳すると、「たたけ、そうすれば、あなた方に開かれる」 krouete kai avnoigestai hyumin である。塚本虎二訳では、門でなく、戸と訳し、「戸をたたけ、きっと開けていただける」としている。
外国語訳においても、例えば英語訳をみれば、「門 gate」をたたく、と訳しているのは、私の参照した20種を越える英訳でも皆無である。knock, and it will be opened to you.RSV)などのように、原文通りに訳するか、knock and the door will be opened to you.NIV) のように、「door 戸、扉」を付加して訳している。

自分の未来は、求めていけば開かれる、開かれないなら自分の力でこじ開けてでも開きなさい、とある人が言っていたのを聞いたことがある。しかし、病気になったり事故が生じ、その結果、体の自由がなくなってしまったといった事態に直面すると、たちまち自分の健康な時の希望など根底から壊れてしまって、閉じている扉など開くことはない。
私は、学生時代に、自分たちの前途は、閉じられているのではないかという深刻な疑問に陥ったことがあった。当時私は、自然科学の道に進んでいたのであったけれど、人類の未来は暗澹たるものがあり、科学技術の進展によって滅んでしまうのでないか、と湯川秀樹が当時出版された「科学と人間」という本の最後のほうに書いてあったのを見て、同じ学部にいる友人たちとそのようなことをいろいろ議論し合ったが、だれもそのような人類の未来と科学技術といったことについて確信ある希望を語れる人はいなかった。大学の教師たちも同様であった。政治や社会のことについては学生も非常に雄弁であった。何時間でも学生たちを前にして独特の調子で語り続けるものも多くいた。しかし、人類の未来はどうなるのか、という最終的な問題についてはだれも語ろうとはせず、避けていた。 毎日洪水のようにさまざまの学生たちから配布される政治的問題に関する印刷物にもそうしたことはまったく記されていなかった。
まさに、そのような問題は、当時の学生や教師たちにとって閉じられた問題だったからである。そしてそれは現在の多くの人たちにとっても同様である。
人類の未来と科学技術、といったことだけでなく、私たちの最後はどうなるのか、死のかなたに何があるのか、といった問題もまた、固く閉じられているかのように、ほとんど語ろうとしないし、テレビや新聞、雑誌など膨大な情報にもそうしたことはほとんど語られない。
この世界や人類の最後とか人間の最後(死)ということ、それは閉じられていてその奥には何があるか分からない。だから大多数の人たちはそのことについて語ろうとしないし、そこから避けようとする。
門をたたき続けるなら開かれる開かれるというのは、それははじめは閉じているということになる。閉じていてもたたき続けることによって開かれる。
このことの最もはっきりしている例は、真理の世界、言いかえると神の国の扉である。私自身振り返ってみると、真理の核心と言えることには、まったく閉じられていたという気がする。そしてそれは小学校から中学、高校、大学の教育を受けてもなお、その扉は開かれなかった。むしろますます現代の人間や社会は、どうすることもできない壁で取り囲まれているような閉鎖的なものを感じていた。それはどんな人でも開かれないのだと思った。この世の終わりはどうなるのか、私たちはみなそうしたことに関しては閉じられているのである。天才的科学者も世界的スポーツ選手も、俳優、政治家、教育家皆同様である。
そうした閉じられた世界が、開かれた人がいる。それが聖書に記されているアブラハムやモーセ、ダビデ、エリヤといった神に呼びだされ、命をかけて従っていった信仰者、王、そして預言者たちである。彼らには、求める前から、まず神のほうから彼らに迫っていき、他のすべての人たちには閉じられている世界が開かれたのである。そしてそれは後の世界の人々に、開かれた霊的な世界、信仰の世界がどのようなものであるかを指し示す役割を果たすことになった。 そしてそれが書物(聖書)として記されて、後の無数の人たちは、それを知って自分もまたそのような世界が開かれるようにと霊的世界の扉をたたき続けていく人生と変えられていった。
扉がしまっていても、それが開いたとして荒れ地しかない、というのなら、だれもたたいて開けようとしない。しかし、私たちの霊的世界というのは計り知れない奥深いものだと知らされたときには、私たちはその戸をたたいて、それが開かれ、私たちもその奥にある無限の豊かな世界へと導かれていきたいと思う。
神を信じ、閉じられているものをたたき続ける、そこから戸は開かれさまざまのことが、始まる。
死の向こうには何があるのか、ほとんどの人にとって死とは固い扉があってだれも開くことのできない状態である。しかし、そのような強固な扉は、二千年前にキリストによって開かれた。それ以後、人間は、ただ信じるだけで、死という本来その扉を開けることは不可能であった重い扉を開くことができるようになった。信仰とは、未知の世界を信じて、扉を叩くことである。
人間同士の関係についてもこれは言える。人の心は閉ざされていることが多い。同じクラスとか、会社が同じということで、毎日会っていても、あるいは家族同士であっても、互いの心は固く閉じられているということもある。他人の心には扉があってそれを開くことはできない状態が非常に多いといえよう。しかし、それも神の愛をもってたたき続けるならば、時至れば開かれると信じることができる。
神(キリスト)への信仰と、主は信じる者には、すべてを転じてよきになされるという希望、そして万人を最善へと導こうとされる神の愛、 これらを持ってたたくならば、どのようなものも開かれていく。神の国のとびらも開かれる。主イエスが約束されたこと、それは、信じる者には、「天が開け、天使たちが、人の子の上に昇り下りするのを、あなた方は見る」(ヨハネ福音書一・51)と約束された。 これは、ほとんどの人たちに閉じられている天の国が開けて、人の子すなわちイエスに天の国に属する天使たちが昇り下りする、すなわちイエスこそは天の国と地上世界との架け橋になるということなのである。そしてイエスを信じ、イエスを魂のうちに持つ者もまた、そのように天が開かれ、そこから御使いが昇り下りするように、天の国のことが注がれ、地上の願いが天の国へと運ばれる霊的交流が与えられるということを暗示している。なぜなら、イエスを信じるものは、イエスに生じたことがまた起きると言われているからである。
扉をたたき続けよ、そうすれば開かれる、というイエスの約束は、個人的なこと、心の問題だけにあてはまるのでは決してない。
次にあげる例はその一つであるが、社会的にも閉じられていた扉が開かれていった例は数知れない。
日本においてプロテスタントのキリスト教が初めて入ってきた当時、いかにキリスト教に対して、また外国人そのものに対して固く扉が閉ざされていたかは、次のような状況であった。
一八五九年、江戸時代の末期にアメリカから宣教師たちが来日した。その中に、今日ヘボン式ローマ字という名称で知られているヘボンがあった。
(本来の発音は、Hepburn であるから、ヘプバーン。日本語としては発音しにくいので、ヘボンと発音されていたと思われる。女優として有名なヘップバーンは一族という。)
キリスト教が解禁されるより十四年ほど前で、キリスト教信仰を持つとかキリストのことを伝えようとすることが発覚すれば直ちに逮捕、処刑されるような時代であった。キリスト教のことと関係なくとも、外国人に対しては強い偏見があり、開国すること自体にも強い反対が国内にあった。開国後一年間で、外国人十数人が日本の武士たちによって暗殺されたという時代であった。
ヘボンが来日した翌年には、日米修好通商条約を結んだ井伊直弼が殺された。外国人を追い払うべきだという考えは当時の孝明天皇も強く持っていて、アメリカとの条約を認めようとしなかった。また、その条約を締結し、日本で初めての駐日公使となったハリスの通訳として重要なはたらきをしていた、ヒュースケンは、人づきあいのよい青年であって何等悪いこともなかったのに暗殺された。
その二年後、横浜に来ていたイギリス商人の妻やその知人、友人たち四人は馬に乗って道を進んでいたとき、薩摩藩の島津久光らの四百人を越える大名行列に出会った。道一杯に広がった行列に出会って制止されたがよけることができず右往左往してしまったとき、いきなり切り付けられ殺傷された。
このような状況の中にヘボンは来日し、医師として深い祈りをもって日本人への宣教を志したのであった。
彼は、アメリカで二六歳という若さですでに東洋への伝道の志を神によって点火された。当時はアジアに向かうには帆船であり、大西洋からアフリカ、インドを回って行くという長大な距離であり、その旅自体が危険なものであった。その荒れる船旅の途中で最初の子は流産、シンガポールに着いて生まれた子供も生まれてまもなく死に、夫人も病気となりやむなくニューヨークに帰った。そこで眼科医として信頼され著名となったがそこで生まれた三人の子供は次々となくなるという悲劇に見舞われた。そのような状況にあってもアジア、特に日本へのキリスト伝道の志が新たに強く起こされた。親や周囲の激しい反対をも越えて、大きな病院、邸宅など財産すべてを売却して日本の伝道にそれを使ったのである。
しかし、一人息子の教育という困難な問題が生じた。日本では教育することができないために、涙をのんで、父や友人にその世話を依頼して日本に向かったのである。ヘボンは一人息子を友人に預けて出発するとき、つぎのように兄弟に心の痛みを記している。
「これが私の出会う最初の別れであり、最も耐えがたい試練でもあります。ほとんど胸も裂けんばかりの悲しみでありました。しかし、私は主なるわが神を信じています。」(「ヘボンの手紙」34頁 有隣新書)
こうした悲しみや苦しみを持ちつつ、ヘボンは固く閉ざされた日本人の魂をたたき続けていく。そして医者として日本人の苦しみに向かいつつ、聖書の日本語訳のために日本で初めての和英辞書を苦心して作った。そのときに用いられた表記法が今日ヘボン式ローマ字といわれるものである。キリスト教が厳しく禁じられていた江戸時代の末期であったが、そうした危険のただなかで、ヘボンは聖書の日本語訳に取りかかり、まず福音書の訳が完成されていった。
今日私たちが聖書を各種の日本語訳で自由に読めるということは、こうした先人たちの血のにじむような信仰と努力があったのである。日本は、当時は政治的にもまた、言語的にもキリスト教や聖書に対しては、固く閉ざされた状況であった。そのようななかで、ヘボンはその信仰によって神からの力を受け、そうした固い扉をたたき続け、聖書を日本語にしていくことができたのであった。たたき続けよ、そうすれば開かれるという主イエスの約束は、このような歴史の中にもその真実性を見ることができる。
聖書においてはっきりと、どんな固い扉も開かれていくという約束が記されいる。
また実際に開かれて言った実例も記され、開かれた天の国のこともさまざまに記されている。 さらに、神ご自身がそのように人々をうながし、新たな力を与えてきたゆえに、それ以後の人々は、それを信じて、前途に立ちはだかる扉をたたき続けるようにと導かれていった。
そしてその願いは聞き届けられ、さまざまの形で扉は開かれていった。
現代に生きる私たちも、この古くて新しいキリストの約束を信じて、日々神の国を求め、真理を尋ね、そして前途にふさがる扉をたたき続け、開かれた扉を通って御国へと導かれていきたいと願うものである。


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