父なる神が、どうか、あなたがたの心を励まし、
また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。


(Ⅱテサロ二ケ二・17


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五月になって山の木々は一面に若葉が茂り、それらすべてを動かしている生命力を強く感じさせる季節となっている。単に自然に育っていると思っている人たちが大多数であるが、その「自然に」とか「偶然」といったことは人間には、いろいろの事柄の背後が分からないだけのことである。
万能の神であり、すべてを支えている神を信じるならば、いっさいは神のわざであり、偶然などというものはなくなる。こうした若葉の一つ一つも神のわざなのである。
動くことのないように見える植物であっても、その葉のひとつひとつのなかでは複雑な光合成などの化学反応が生じているし、そこで作られた物質は、茎や幹を通って根など必要なところに運ばれていく。そして新芽や花、果実、あるいは幹や根で複雑な化学反応を起こしつつ、幹を太らせ、成長させていく。
沈黙している植物であってもそのように絶え間なく神のわざはそこでなされているのである。
私たちが生きていけるのも、神の守りがあるからで、さまざまの悪に巻き込まれてもそこから神を真剣に仰ぎ見ることによって、その悪のただなかにも神のわざなる励ましや力を与えられる。
人の計画や行動、考えなどいっさいのものが尽きるとき、そこから神のわざがようやく見えるようになることがある。
神は眠ることもなく、まどろむこともない。(詩編一二一・4
神は、絶えず一人一人を見守り、万物を支え、すべての内にてそのわざをなされているのである。


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