リストボタン早朝のさえずり

朝五時過ぎに目覚めたとき、山を少し登ったところにあるわが家のすぐ近くでホトトギスとウグイスのさえずりが耳に入ってきた。こんなに家の近くでホトトギスが鳴いたのはかつてなかったことであるし、ウグイスもともに鳴きかわしたのも初めてである。
ホトトギスは強い、訴えるような、あるいは叫びのような声で鳴く。それは古来多くの人たちに注目されてきた。他方ウグイスは流暢なながれるようなさえずりであった。
まだ朝もはやいために静まった大気のなかを、ふたつの特徴ある小鳥が私の心に天来のメッセージを送ってくれたのである。主日の朝、小鳥たちの賛美をゆたかに受けた気持になった。
小鳥たちはいかなる人間の意図も受けず、また人に聞かせて認めてもらおうとかいった不純なものがいっさいない。ただ小鳥たちを創造された神の御計画のままに、力強い、あるいは美しいさえずりをする。それゆえに、その声に耳を傾けるときには、創造された神のご意志やお心がそこに込められているように感じる。
神は生きて働いておられるゆえ、たえず何らかの生きたメッセージをご自身が創造されたものを通して送っておられる。小鳥たちもまた、神の国のよろこびを伝えるはたらきをしていると感じた朝であった。


リストボタン芽生え

六月ともなると、山道のあちこちに芽生えの若木が見つかる。種が落ちて春になって芽生え、今頃になるとそれが成長してくるので、よく目立つのである。わが家のすぐ前に植えたはずのないところにクチナシの木が芽生えて、それが今年初めて香りよき花を咲かせた。
どうしてここに種が落ちたのか不思議であるが、あちこちには一つ一つ、意外なものが芽生えているのをよく見付ける。遠いところの植物の種もあれば、付近のものもある。おそらく何年も地中にあったのが、雨などで土が削られ、芽を出してきたのもあるだろう。風に飛ばされたのも小鳥が運んだのもあるはずだ。
実にさまざまの仕方で種は地面に落ちて、思いがけないときに芽生えてくる。
福音も似たところがある。それをあちこちにいろいろな方法で蒔いていくとき、それも一つの種となり、思いがけないところで芽を出していく。だれひとり予想もしないところから、また植物とおなじように、長い年月を経てようやく芽を出すのもある。
私たちは蒔いたらすぐに芽が出るといったことを期待することなく、芽を出させるのは神がなさることを信じ、神の御手にゆだねていくことだと思う。そうすれば神ご自身が適切なときに、ふさわしい場に芽を出させて下さるであろう。


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