リストボタン北海道での聖書の集会

今年も北海道南西部の日本海側にある瀬棚地方での、瀬棚聖書集会において、聖書の言葉を語る機会が与えられました。今年で、36回目を迎えたこの集会に参加する方々は、酪農をしている方々が多数を占め、その他に養豚や米作農業をされている方もいます。参加者(部分参加含む)は、28名ほどで、ほかに子供たちも七~八人が食事のときなどには共に加わっていました。
今年の瀬棚の聖書集会は、青年たちがテーマやプログラム、運営なども話し合って決めて開催をしたこと、そして老年を迎える以前から瀬棚にて働いてこられた方々も祈りをも含めた準備や食事その他のことに加わって助言、感想、また幼な子たちの世話などをも部分的に担当し(とくに土曜日のこどもの学び)、老若男女、乳幼児、子供たちもともに、見えざるキリストを中心としてすすめられたと感じました。
現在事務局を担当している野中信成さんが幼児のときにはじまってから、長い年月を受け継がれてきたことを思うと、主の特別な導きがあったのが分かります。
いろいろな事情から、ごくわずかしか参加できなかった方や全く参加できなかった方もいましたが、来年はそうした方々も参加できますようにと願われたことです。
今回の瀬棚聖書集会のテーマは、「お話しください」というものでした。これは、サムエル記にある、幼な子サムエルの言葉や、新約聖書のルカ福音書における、マルタとマリアの記事のなかからとったものですが、このようなわかりやすい言葉でのテーマは今までの無教会のキリスト教集会ではなかったことだと思います。
今回のテーマの決定までのいきさつを、事務局担当の野中 信成さんから次のように知らされていました。
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テーマについては例年のようにいろいろな話が出ました。
話の流れとして
 何人かから「生活(日常)と信仰」という声があがりました。
 もう少し具体的にできないかということから、日常の中で神様はいつも語りかけている、家庭集会の中で神様は離さない、いつも招いているという感話が心に響いたという話。
信仰は形に現れるとは限らない、私は何をしたらいいのですかと問うている自分。日常の生活の中で無意識で祈ること感謝することが大切では?
 「神様の声を聞こう」
 テーマとしてどういうふうにいうとふさわしいかということが議題になり、「日常の中で神様の声を聞く」という案を経て 「主よお話ください」と決まりました。
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このテーマになるべく沿ったような聖書講話になるよう、旧約聖書から二回、新約聖書から二回、そして日曜日の日本キリスト教団利別教会での説教(聖書講話)として、一回、と合計五回(各四〇分~五〇分)をかけて話すことになったのです。
雨や曇りの日ばかりが続いていて、太陽が顔をだすことがあるだろうかと思われたほどだったとのことですが、私が瀬棚に到着した日とその翌日は、青空と白い雲が浮かぶよい天気となり、主の祝福を感じたことです。
瀬棚聖書集会に参加している方々は、青年たちが主体ですが、その幼い子供たち、さらに青年たちのご両親にあたる方も含まれ、乳飲み子から、老齢の方までが加わりました。
仕事をしながら、聖書の学びの集会に参加するというのは、ほかの地域でもほとんど聞かないやり方です。いろいろな仕事上の困難に加えて、個人的な悩みを抱えた方々もあり、それぞれの人が何らかの重荷を感じつつ参加されている方々も多いのを感じます。
そのような状況だからこそ、み言葉に聞く必要があり、今回のテーマ「お話しください」というのが生まれた背景にもなっていると思われたのです。
今回は、私の聖書講話が四回にわたってなされ、その一つ一つに対して感話が一時間ほどとられました。そこで、聖書のメッセージに関しての感想、日常生活からの関連などを自由に話すということで、そのなかで、参加者の思いがよりはっきりと知らされ、聖書の学びと信仰的な交流を深めることになったと感じます。
参加者の方々は、日常生活からの問題や考えていることなどを率直に話され、その飾らない姿勢が印象的でした。
去年、そして数年前に結婚して瀬棚に初めて来られた若い女性の二人の方々も、聖書は初めてとのことでしたが、去年と今年の瀬棚聖書集会にも参加されて、このような内容の集会は、居心地がよく、来年も参加したい、と話されていたことも主の導きと感謝でした。
み言葉中心の集まりが、心に違和感がなく集えるということは、主の御手のはたらきによるもので、人間的説得ではどうしょうもないことだからです。
また他方では仕事や体調の問題もあって、参加がほとんどできない方もおられましたが、来年はそうした方々にも主の導きがありますようにと祈ったことでした。
毎年、夜のプログラムの一つとして、山形のキリスト教独立学園卒業生たちによってコーラスがなされることも、聖書の学びにさらに霊的なよきものを添えるかたちになって感謝です。卒業して二〇年前後も経ってもなお、ほとんど練習なしに美しいハーモニーを響かせて、賛美の歌を歌い、聞く者に神の国の雰囲気の一端を感じさせてくれるのは、独立学園の音楽教育のよき実だと思われました。
四日目の、日本キリスト教団利別教会における、主日礼拝での説教の時間が与えられ、「わが愛に居れ」というテーマで、今回の瀬棚聖書集会の主題の「お話しください」ということと関連付けて四〇分ほどの話しをさせていただきました。この教会での説教というときが与えられているために、教会の方々とも主にある交わりが与えられることも大きな恵みで、こうした瀬棚集会と合同の礼拝を準備して下さる、相良展子牧師や、教会の役員の方々の御配慮にも感謝でした。
このように、青年たちが企画し運営すること、三六回を重ねるほどに、次々と受け継がれてきたこと、参加者がみなじっさいの農業(酪農、養豚、米作など)にかかわっている方々であり、その仕事をしながらこの聖書集会に参加されているということ、そして教会の後援という形をもっていることなど、ほかの地域の無教会の夏期キリスト教集会では見られない特徴があり、この特別なかたちをも主が導かれてきたことを思い、その不思議なわざに、今回で七年目という長い期間にわたって関わりを与えられてきたことを感謝しています。
瀬棚聖書集会が終わったあと、札幌に移動したのですが、そのとき、上泉 新兄が、瀬棚から札幌まで二七〇キロほどを、私の代りに車の運転をして下さることになり、感謝してお受けしました。私はずっと助手席に横たわって仮眠も少しでき、疲れをいやすことができ、翌日以降のために身体の具合を整えるのに役だちました。
翌日は、札幌での合同集会で、釧路や苫小牧、札幌独立教会、そして去年に引き続いて小樽からの「祈の友」会員の方(日本基督教団の教会員)などの参加者があり、瀬棚の上泉さんも参加されてよき学びと交流の会が与えられました。(24名)
また、かつて札幌の集会を導かれていた市川道夫兄は高齢となって入院されていますが、そこにもお訪ねして、市川さんの喜ばしい表情に接することができ、長い歩みを導かれてきた主によって今も病床の単調な生活をも支えられているのを知らされて感謝でした。
また、今回は、旭川の荒川 巌兄からの希望があって、初めて旭川に行きました。旭川で集会を希望されていましたが、直前になって入院され、自宅では集会はできないことになったのですが、病院に訪問ということでお伺いしました。そうすると旭川集会の田中さん、長谷川さんたちの準備や病院側のご厚意によって病院のあいている場所を使ってよいことになって、そこで車いすにのった荒川さんと長男ご夫妻、そして旭川の二人の方々との集会が一時間ほど与えられたのも予期せぬ恵みでした。
今回は、体調の維持と管理にとくに注意をしていました。去年、一昨年と長距離の車の運転と長期にわたる集会の連続のため、帰宅してから体調の異常がなかなか治らず、このような状況が今年もおきると車ではもう行けないと感じられたからです。
それで、今回は自動車運転と集会ばかりでは体調がくずれて眠れなくなり、いっそう身体が持続できなくなるので、予備の日をもうけて休養日をとることにしました。旭川から石狩川の上流(層雲峡)へと数十㎞さかのぼり、大雪山のふもとにて一泊することにし、その一日をロープウェイとリフトを使って中腹まで登り、周辺を歩くことによって体調をもとに戻し、さらに高山植物の観察にあてようと考えました。 山も植物も渓谷もまた、神の言葉であることを今回あらためて深く感じて霊的な収穫をも与えられたのは、予想していなかっただけに上よりの恵みでした。
そこで見出した多くの植物のうちいくつかを「今日のみ言葉」でも紹介して、行きたくとも決して行くことのできない方々に、神の栄光の現れとしての自然のよさを、少しでも感じていただけたらと願っています。
(なお、「今日のみ言葉」は、今から十年あまり前に、インターネットでみ言葉をお届けしたいという気持からはじめたもので、植物や自然の写真とそれにかんするコメントなども付けて希望の方々には、インターネットメールとして配信しています。現在では、一か月に一度程度送るものとなっています。インターネットをしていない方々には、希望によって印刷して「いのちの水」誌とともにお届けしています。また、過去の「今日のみ言葉」は、徳島聖書キリスト集会のホームページで見ることができます。 (http://pistis.jp


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