主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。
わが主よ、わが神よ、私に答えてください。

(詩篇3816


リストボタン 愛は静める

私たちの心は波のように静まることがない。たえずなにかによって揺れ動いている。人のちょっとした言葉、意見の違い、人間関係、マスコミ、能力、仕事のこと、病気のこと、将来への心配等々。
それを静めるものは、何だろう。
それは愛に触れたとき。とはいえ、人間の愛は、かえってしばしば揺れ動く心を造り出す。それは絶えず相手のお返し、応答によっているからだ。相手のなんでもないような言動に反応してしまう。
しかし、揺れ動く私たちの魂が深く静まるときがある。それは、神の愛に触れたとき。
赦されないような罪、人には語れないような失敗であってもなお、主イエスだけには告白し、赦しの愛を受けたとき。心の傷口が主の御手に触れていただいていやしを感じるとき
そのとき、魂は静まる。風が凪いで静まった湖面のように。
主イエスがはげしい風で揺れ動く舟にあって、ただひと言、「静まれ!」 と言われたら、風も波も静まったと記されている。
それは、神の愛に触れるなら、私たちの魂に吹きつける荒々しい風や心の動揺が静まるということを指し示している。 主は弟子たちへの愛ゆえに、吹きつける嵐を静めたのであった。
主よ、絶えず私たちの魂があなたの愛を感じ、受け取ることができますように、主の愛を注いでください。
それがなければ私たちの魂は平安をえないからです。

政権交代のない国

わずか数年で何回も首相が変わり、去年政権交代したばかりであるが、今後もどのような政権交代が起きるかだれも予見できない。
この世は、安定していたと思われていた大会社が大きく業績を落として消えていくこともある。会社、政治、芸能やスポーツなど、どんな世界でも次々と"政権交代"がある。
しかし、この何千年というあいだ、まったく政権交代がなく続いている王国がある。
それは、目には見えないが、はるかな昔から存在を続けている神の王国である。

主こそ王。威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯びられる。
世界は固く据えられ、決して揺らぐことない。(詩篇 93:1

この詩のように、この世界は表面的にはいかに大きく変化しても、目には見えない霊の目で見るときには、変ることなき王によって固くその秩序は据えられているのであって、いかなる出来事にも動じることはない。
これは単に作者の人間的確信でなく、神から受けた啓示のゆえの確信であり、背後におられる神がこの確信へと導いたのである。それゆえに、このような確信を持つことは、神のご意志であるから、これが神の言葉とされて聖書に含まれているのである。
私たちも、こうした聖書記者の確信を共有することができるならば、そこに祝福があり、この世のさまざまの出来事に動かされない主の平安の道を与えられるであろう。


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