竹林の拡大に思う

わが家の裏山に竹が生えている。今から五十年以上昔は、手首ほどの太さにも及ばない細い竹が、何本か生えている程度であった。父がこれに肥料をやったら太い竹が生えるようになるといって、周囲の雑木を切り開き、肥料を次々とやっていた。何年か経つうちに、次第にひろがり、そして太くなっていった。それから半世紀を経て、折々には伐採もしていたが、相当な労力を要するために時間が取れず、それよりも竹の増殖するはやさが大きくなってきて、わが家のすぐ裏にまで迫ってきてそれ以上放置すると家の中にまで侵入しかねない状況になった。
こうした竹の状況は、全国的に同様で、手入れする人がいないために、どんどん竹林が増え、本来の広葉樹林をも破壊していっているというのを報道で見たことがある。
私が竹の伐採に苦労していたとき、いつも思わされたのは、竹の根の広がり方の強靱さであった。踏みしめられた固い土の中でも着々と根が伸長していく。
そして付近に生えていた雑木を次第に枯らしていき、竹ばかりが増えていく。
こうした状況は、この世の状態をも暗示していると思った。悪いものが根を張ってひろがりはじめると、次第に次々とその組織に浸潤していき、よいものを駆逐していく。同様に、一人の人間の心の世界においても、悪しき力が入り込むと、徐々に子供のときに持っていたよきものがだんだんと枯れていく。
大体において、聖書にも最初から書いてあるように、この世には悪しきもの、目に見えない悪の霊(力)のようなものがあって、人間の心のなかにその根を広げていく。そしてかつて持っていた純真さ、幼な子らしさ、感動する心などが次々と枯れていく。
そして大人になって生きていく過程で、美しいもの、清いものへの感動や関心を失っていくことが多い。
しかし、これと全く逆の状況にもなる。一つの清い種、天来の種がある人の心の中に入ってそれが徐々に根を張ってその人の精神世界全体に広がっていく。それによって入り込もうとする悪の力、悪霊ともいうようなものが入り込まない。そしてその人の心にはさまざまの良きものが芽生え、成長していく。固いかたくなな心の部分をもその良き種から出た根は壊していく。 そして変化に富んださまざまのよきものが成長していき、花を咲かせ、実を結んでいく。
この世は、悪の根のようなものが伸長していくのと、良きものが根を張っていくのとの戦いである。
キリストが生まれたときは、へロデ王の時代とある。この王は、自分の王位を守るため、妻や子供すら次々と殺害していった深い闇をもった人物であった。イエスが誕生したときに新しい王が生まれたと聞いて殺害しようとしたが見付けることができなかったために、付近の幼児をみな殺害したということが聖書に書かれている。
そうした悪の根が広がっていた時代に、イエスは誕生した。そしてそこから良き根を広げていった。この良き根の出発点は暗く汚れた家畜小屋で生まれた一人の乳児であったが、そこから着実に根を民衆の心に広げていった。
数十年後、権力ある人たちの手によってイエスは十字架で処刑されたが、それも新たな神の霊的な真理を伸長させていくための出来事であった。
そして、数十年という短期間で、広大なローマ帝国全域にキリストという大樹の根は広がっていった。そしてさらに、ヨーロッパ全域にその根を延ばし、アメリカ大陸へ、またアジアの全域に、さらに世界の果てにあった日本にもその真理の根を広げてきた。
どんなにその真理の伸長を妨げようとしても、その伸びていく力をおさえることはできない。
竹は肥料があるとぐんぐんとそこに伸びてきて広がる。
しかし、福音の真理は、富も能力も健康など、この世で評価されるものが何もなくとも、そこにかえって根を広げていくという不思議な性質がある。
キリストの真理は、この日本には根を降ろし、張っていくということがとくに少ないゆえに、さらに福音の真理がこの日本の人々の心に広がっていくことを私たちも今後一層願っていきたいと思う。


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