祝 クリスマス
わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
(ルカ福音書2の10)


リストボタン 明けの明星・キリスト

キリストが誕生したとき、大いなる星が東の博士たちの上に輝き、彼らをはるかな遠い異国のユダヤの国のベツレヘムにまで導いた。
現在ちょうど、夜明けの頃には、目を見張るような強い輝きをもった明けの明星が輝いているのが見える。
夜の闇、みんなが眠っている間にすでに輝いている。闇に打ち勝つ光を見よ、と語りかけるように、そして天の大きなまなざしのようにじっとまばたくことなく光っている。
人間の力では闇に打ち勝つことができない。心の内なる闇、それはだれもが持っている。
この世の仕事、学問、スポーツ、あるいは芸術、実業、福祉等々いくらでもよいはたらきをしている人は昔も今もいると思われるのに、聖書を書いた人は、そうした表面的なはたらきや業績の奥にある人間の心の深い闇を見抜いていた。
それゆえに、最大の使徒パウロは、詩篇を引用して「正しい人はだれもいない。みんな迷っている。」と書いたし、「あなた方は自分の罪のために死んでいたのだ」と言ったのである。
(ローマの信徒への手紙3の10〜12、エペソ書2の1)

そうした闇は人間の力では解決できない。それゆえに、人間を超えたところからの力が与えられる必要がある。光が必要なのである。
聖書はまさに光の書、力の書である。注意深く読むならば、随所に闇のなかの光、そしてそれに打ち勝つ力を記している。それはあの明けの明星のように、この世の闇のなかにあってじっと光り続けている。
イエスは暗く汚れた家畜小屋で生まれた。そのことは、いかなる闇であっても、また汚れたところであっても、そこにキリストの光は輝くことができるのだということ、そこに神の力が与えられるのだということを指し示している。
そして、聖書の最後に、闇に輝く明けの明星が、キリストを指し示すと言われているのも同様である。(黙示録22の16)
キリストを信じ、キリストの光を受け、キリストの霊に導かれるときには、私たちはどのような闇にあっても、光を見出し、その闇に打ち勝つ力が与えられる―そのことこそ、キリストが私たちのために生まれて下さった目的なのである。
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