九州、中国地方での集会・訪問

十一月十二日(金)から、一週間ほど、九州、中国地方の各地の集会や個人訪問の機会が与えられました。主の守りと導きのもと、各地の集会の方々、キリスト教独立伝道会、さらに徳島の私どものキリスト集会の方々の祈りと支援など多くの方々によって支えられた一週間でした。
最初は愛媛県南部の大洲市在住の冨永尚兄宅を訪問、信仰の問題など語り合うことができました。
その後、九州に伸びている佐田岬半島を通ってフェリーで大分に向かい、夜は大分市の梅木宅にて、初参加の視覚障がい者の二人の若い方も交えての集会でした。その内一人は、このようなキリスト教の集会は初めてとのこと、主がそうした機会を用いて下さって神様と主イエスを信じる心を与えられますようにと祈ったことです。
翌日(土)は、熊本に向かいましたが、いつもの河津宅での集会。今回のテーマは、「待っていて下さる主」ということで聖書からのメッセージを語らせていただきました。(今月号に掲載)
熊本のハンセン病(*)療養所からの参加者もあり、ほかに、いつも参加されていたけれども高齢となって参加が難しくなった人もありました。集会場所の河津さんご夫妻は全盲です。1年に一度ですがこのようにして神の言葉によって集められることの祝福を思いました。

(*)ハンセン病は、らい病と言われ、はるか古代からその病気の恐ろしさが伝えられてきた。病状の悪化とともに顔や手足も大きく変形し、また最悪の場合には失明、手足などの切断といったことも生じるため、さらに感染する病気であること、その上、以前には遺伝もすると間違って考えられていたこともあり、一度ハンセン病の患者が出るとその家族もみな非常な衝撃を受けた。そしてその病気となると、生涯離れで閉じ込められて生活せねばならないとか、遠くへ行ったとか言われてその存在を事実上抹殺されたようになり、その苦しさに耐えられず家を出て寺社の屋根の下や橋の下でなどで宿って放浪し乞食の生活をしながら朽ち果てていくという人たちも多く、恐ろしい運命が待っていた。
聖書においても、マタイ福音書で山上の教えが記されたあと、次に主イエスが実際に行われたことが書かれてあり、その最初に現れるのは、ハンセン病の患者に手を差し伸べられるイエスのことである。それはまったくの闇、絶望のなかに生きる人にその愛を注がれる主イエスの象徴的なすがたとして記されている。人間にはじつにさまざまの病気があり、全身のどこでも病気はあり、どの病気も深刻になると非常な苦痛をもたらすものである。
しかし、その数ある病気などの中から、とくにハンセン病や、全盲、ろうあ者、足の立たない人…といった人たちがあげられているのは、以前においては、その病気や障がいがとりわけひどい差別や深い苦しみを伴うものであったからだと言えよう。
今から百年あまり前に日本でもこの病気への対策が始められた。その当時は効果のはっきりした薬もなく、この病気を撲滅するという目的で強制隔離という非情な制度が作られていった。一九四三年にプロミンという薬が発表され、治る病気だということがはっきりされたが、その後も隔離というやり方は継続され、病人であるのに犯罪者のような扱いもされることがあり、そうしたまちがったやり方が廃止されるまでにさらに長い年月を要した。

盲導犬を連れておられる方がいつも参加されていますが、盲導犬は集会が行われている部屋の階下で、数時間にわたって、じっと待ち続けています。その忍耐強さと主人が帰るのをひたすら黙って動くこともせずに待ち続けるその忠実な態度に感心させられます。
今回の「いのちの水」誌に書いたことですが、主を「待ち続けること」、そして主に対する「忠実」ということは、このような動物からも教えられます。
なお、ハンセン病の療養所におられる方々の数は、高齢化のために次々と減少の一途をたどっています。入所されているキリスト者の方々が、信仰を守り、残された生涯を主からの豊かな恵みによってうるおされて過ごされますようにと願ったことです。
熊本から福岡に向かう途中で、夜になりましたが、「祈の友」の九州地区の世話人を長い年月にわたって担当されていた野口さん宅を訪問、ご夫妻との交流のときが与えられました。
次の日曜日は、福岡市での主日礼拝(福岡聖書研究会と天神聖書集会との合同の集会)。
そこで用いる賛美の曲目や感話会、交流会の持ち方に関しても私の希望を、責任者の秀村 弦一郎さんがよく取り入れて下さって感謝でした。
ここでは現代の渇ききった世界を真にうるおすものは何か、聖書からのメッセージは何かということを語らせていただきました。(「いのちの水」誌11月号掲載)
この会場はもと、県庁であった建物で、福岡市の中心部にあることからさまざまの催し物が各階で行われています。その催し物の紹介が、定期的に市民向けの広報で案内されているということで、その中に福岡聖書研究会の日曜日ごとの集会の案内もされているとのこと、しかもその案内のためには費用もかからないとのことで、多くの方々に無教会の集会の存在を知らせるためにとても役だっていると感じました。実際、いろいろな方々が、福岡聖書研究会に参加されるとのこと、その集会に定着するのは少数だとのことですが、一度でも聞いたみ言葉があとになって芽を出すということもあるので、初めての人が聖書と出会う接点となっていることの重要性を思います。
その後、「祈の友」会員の福岡市内に一人で住んでおられる内村さん、そこから40数キロ北部の玄界灘に近い花田さんを訪問し、高齢になっても「祈の友」として何十年も昔から、互いに祈りを合わせてきた人たちの信仰と祈りにも触れて私も印象深くありました。
そこから、さらに10キロあまり離れたところに移動し、夜になりましたが、「いのちの水」誌読者の黒木さん宅での家庭集会。聖書もまだ持っていない若い方も交えての集会でした。その日は夜遅くに山口市に移動して宿泊。
翌日の月曜日の午後は、島根県の浜田市にて「祈の友」の栗栖さん宅でご夫妻とともにみ言葉を学び祈り賛美のときを与えられました。
そのときにうかがった話で、栗栖陽子姉が嫁いだとき、家庭の問題があって悩み苦しんだことがきっかけで、キリスト教へと導かれたこと、そしてご夫君にも信仰は伝わり、さらに二人の息子さんたちもキリスト者となっていったことなど話して下さいました。息子さんの一人は、キリスト教愛真高校の教師となって若い魂にキリスト教に基づく教育をされています。
もしそのような家庭の苦しみがなかったら、キリスト教には導かれなかっただろうとのことで、神のなさる導きの不思議さを思うとともに、私たちの決して望まない道をとおって主は導かれるということを知らされます。
その後、次の目的地は、そこから一四〇キロほどの道のりで、奥出雲の土曜会館です。そこは、かつてその地域にキリスト教を伝えた加藤歓一郎が、そこでキリスト教集会を続けていた意義深い建物での集会です。去年この地を初めて訪れましたが、今年五月に徳島で開催された第三七回の四国集会には、その奥出雲の方々のうち、初めて宇田川夫妻、田中姉の三名の方が参加され、私どものキリスト集会とも関わりが与えられることになったのです。
山地でいろいろな困難のなかを信仰をもって農業を続けてこられた方々、二度目の出会いでしたが、主の導きによっていっそう主にある兄弟姉妹としての学びと祈り、交流が与えられて感謝でしたし、この集まりにも「祈の友」会員がおられます。その方々の信仰の一端に触れて私もまた励まされる思いでした。
大地に根ざした信仰、農業に従事しつつ信仰の歩みを続けておられる方々、それは北海道南西部の瀬棚地方の方々も同様です。また、今夏、短い出会いでしたが、舞鶴地方の農業をやっている愛農高校卒業の若い方々の集まりにも参加してそうした方の内にもいきて働く信仰に触れることができました。
それは、都会で大学の研究室や講義室で、書物や大学生や研究者たちばかりのなかで、そしてコンクリートの建物や機械、機器に囲まれて生活している方々とはまたちがった雰囲気と力があります。
人間は多様な場で、神を信じて歩んでいる、そうした数知れない場所でじつに多様な状況において神はその愛を注ぎ、それぞれに導かれ、全体として大きな樹木のように一つとされつつ、神の国へと導かれているのだと思います。
島根から、翌日は鳥取に向かいましたが、途中で大山の力強い姿に出会いました。
大山は、40数年も昔、大学生であった夏に友人と二人でテントなどを携行して登り、ナイフリッジといわれたきわめて細い稜線を、蒜山への縦走のために、重いリュックを背負って降ったことを思いだします。
左右はすべると数百メートルは滑落すると思われる危険な稜線でしたし、実際折々に小石などが滑落してくるようなところでした。(現在はその稜線は危険のゆえに歩くことは禁止となっているとのことでした。)
大山は遠くからみるとき、その姿は広大なすそ野を広げ、力強い峰々がそびえる心惹かれる山です。
すでに雪が積もっているのが見られ、その姿は不動の力を示し、その清い姿をも見る者の心に深く刻むものでした。予定にはなかったことでしたが、その山の清い美しさと力に惹かれ、若き日に登った懐かしい山道を少しでも歩き、神の御手なるわざに触れたいと、大山のふもとへと車を走らせました。登山口から少しだけ登り、そこでほとんど人もいない静かな大自然の中、美しい紅葉や落葉、ブナの自然林などに包まれて、神の大いなる御手の内に置かれ、聖なる神の書といえる山の自然を短い時間であったけれども、ひもとくという恵みを与えられました。
私は、そのような人のいない山に入ると深い平安を感じ、樹木の一つ一つ、小鳥の鳴き声やその付近の大地もじつに近い関わりのように感じられてきます。 その後、長谷川さんが続けられている鳥取の集まりに出向き、そこでの少数の方々との礼拝、学びも、一年に一度であっても、毎年の訪問によって主がエクレシアの一員としての絆をより強めて下さっていることを思います。
その集まりに、毎週日曜日に五〇キロ以上も離れたところから参加されている方がおられますが、主がそうした小さな集まりをも顧みて下さってそのような力を与えられているのだと思われたことです。
翌日、岡山に向かう途中、その鳥取の集まりに参加しておられる方の一部をも訪問し、信仰にかかわる交流が与えられたことも感謝でした。
岡山での集会は、岡山城近くの会館で、香西ご夫妻のお世話によって集会が持たれました。香西さんとは、全国集会や四国集会などでの出会いがずっと以前にあり、そのときからの交わりを与えられています。そして最近はこのような集会というかたちで、ほかの集会員の方々ともともに学び、賛美、祈りをともにすることが与えられています。
初めての参加の方もおられ、高齢の方、また普段は参加していない方も加わって、平日の午後ということで参加者は限られますが、よき集会のひとときを与えられたことでした。
岡山に向かう途中では、タイヤがパンクしたこともあり、車での長距離の移動は、危険なこともいろいろあり、主の守りがなかったら本当に移動もできなくなり、事故にもなりかねないことをあらためて思ったことです。
しかし、この世に生きるということ自体、安全なことでなく、バンヤンの「天路歴程」に記されているように、至るところで危険な場所があり、落ち込んだり深みに入って出られなくなったり、悪の力の攻撃にさらされて苦しめられたり…と霊的にみれば危険はいたるところであるわけです。車のパンクに似て、心が壊れてしまって前進できなくなる、ということもあります。
また、体調が悪くなっても、霊的な緊張が続かなくなっても各地での集会にてみ言葉を語ることはできないことで、そうした意味でも主の守りと恵みなくば、何もできないことを思います。
そのことを思うとき、私たちはただ主を見つめて、主がともにいてくださることだけを祈りつつ、歩んでいきたいと願います。私たち自身は弱く小さなものですが、主がその土の器をも用いてくださるということもまた事実なのです。
九月の全国集会で、長野県在住の方が言っておられたことを思いだします。それは、地方で少数の人とともに集会をしている者にとって、別のところからの講師訪問による集会の恵みを話され、そのような外部の方を交えた集会がより多く与えられたいとの希望を話されました。
キリスト教独立伝道会はそうした願いに応えて、毎年各地を訪問する人たちを送り出していますが、その方々にさらなる聖霊が注がれ、力をもって語ることができますようにと願われますし、さらに御国のため、福音のために、日々の時間とエネルギーを、そして祈りを注ぎだす人が各地で起こされますようにと願っています。


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