リストボタン元号の問題性について

現在は、グローバルな時代である。どこかの国で大きな事件が生じたら、ただちに全世界に伝わる。インターネットを用いれば、世界の現在の状況についての情報はいくらでも手に入る。こうした国際的な時代にあるにもかかわらず、日本しか通用しない、そして日本しかやっていないようなことがある。
それが、一世一元制度である。天皇一代の間にただ一つの元号を用いて改めないことである。この制度は、一八六八年九月八日の改元の詔(しょう・天皇の言葉)によって制度化された。江戸時代の徳川の支配から、明治政府になってただちに手がけるということは、新政府の指導者がとくに重要視していたことを示すものである。なぜ、一世一元制というのがそれほどまでに重んじられたのであろうか。
それまでは、元号はあったが、それは天皇が死んだら変えるというのでなく、一人の天皇の在世中でも地震、暴風、火災、飢饉、戦乱などの特別な出来事が生じたとき、あるいは逆にめでたいことがあれば変えるということがしばしば行われた。
例えば、一八四六年から一八六七年の二〇年間に、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応などと七回も変えている。これは、アメリカからペリーが来て動揺しているので、政治が安泰となるようにということで、安政と変えた。しかし安泰とならないので、万延とした。さらに井伊直弼が殺害されたので、すぐに一年で文久と変えた。それでもまた動揺が続くので元治と変えさらに、喜びが応じるようにと、慶応とするなどと、実に気まぐれで、迷信的であった。
このように明治より前の元号は天皇の時間支配と迷信との合体したものであった。しかし、明治時代になって、最初に制度化したことの一つが、この一世一元制度なのであった。
このようなことをなぜ、考え出したのか、それはふつうの人間にすぎない天皇を現人神としてまつりあげ、その天皇への忠誠を強制していくために、時間を考える際にいつも天皇の名前を用いるように仕向けて、天皇の支配を人々の心にしみ込ませ、その天皇の権威によって自分たちの支配を安定化するという目的のためであった。
そのような意味では、靖国神社が、天皇が戦死者を神として拝んでくれるのだと称して、天皇と関連させて戦争への反対を封じ込め、政治支配がやりやすいようにする道具として用いたというのと本質は同じなのである。
徳川幕府を倒したのは、かつては身分の低い武士、しかも年齢も若い人たちが中心となったが、彼等だけの力ではかつての自分たちの主君である大名に命じたりすることは到底できない。しかし、天皇を現人神としてしまえば、自分たちの意見をも、天皇の名によって布告することで、大きな力を持たせることができるというわけである。
こうした全く政治的な発想から一世一元制度も取り入れられたのである。
このような一世一元制度は、世界では、中国では明・清両朝で行なわれていただけで、ほかにはどこにもなく、今日では世界で唯一なのである。(*)
このようなことは、世界の常識から考えても、まちがったことであるにもかかわらず日本ではそれが官公庁、学校、病院などではあたかも正式であるかのように用いられているという奇妙な状況となっている。歴史のなかの悪名高いヒトラーのような独裁者でも、年を数えるのに、自分の名をもって年を数える基準にしようなどとはしなかったのである。

(*)中国では漢の武帝が元号制度を始めた。その後、十六世紀になって明の洪武帝のとき、一世一元制が作られて、次の清朝においても続けられた。しかし、辛亥(しんがい)革命で一九一二年に中華民国が成立して、清朝が倒れると元号制度は、皇帝の支配の象徴であったから当然廃止された。それに対して日本では天皇の支配が一九四五年に終わったにもかかわらず、今もなお一世一元制が続いている。
世界には数々の特別な制度を持つ国があるが、なぜ、このような一世一元制度は日本だけなのであろうか。
それは、一人の人間が生きているか、死んだのかということをもとに全国民の時間を考えるということは、だれが考えても不合理なことであるからである。例えば、徳島県で飯泉(いいずみ)という人物が知事になったとたんに、それ以後の全文書の日付を飯泉元年とか二年とかに変えるというようなことをだれが考えるであろうか。そんなことを命じたら、そのようなことを言い出した人間の常識が疑われるだろうし、たちまち猛反対を受けるであろう。
あるいは、アメリカのオバマが大統領になったら、すべての公文書などを、多大な経費やエネルギーを使って、オバマ元年、来年はオバマ二年などというように変更する、などということが考えられるだろうか。そんなことは、誰一人思いつくこともないであろう。それほど、個人名を時間という基本的なものの呼称に使うということの無意味さは自明のことだからである。
ところが、日本国全体が、そのようなことをしているのである。天皇が変った途端に、それ以後は全文書の年号の記述を変えているのだ。これは実に無意味で間違ったことなのに、天皇というのが結びつくと、途端に事の善し悪しが見えなくなるのは不思議なことである。
これは例えば病院に長期入院している人がいつからそういう状況かを知ろうとするときとか、何かの有効期間とか、過去からの時間の経過、歴史とかを考えるときには極めて不便となる。例えば、昭和六二年から、平成一五年までといっても、ほとんどの人にとっては、何年間なのか直ちには分からない。
また、平成二〇年などといって、インタ−ネットで世界に発信しても外国人は何のことか分からない。世界には全く通用しないからである。
年齢にしても、大正十二年生まれだといわれても、大正、昭和、平成と数えねばならないので、一体何歳なのか、たいていの人にとってはすぐには答えられない。しかし、一九二三年生まれだと言えば、直ちに年齢は分かる。
現在の天皇も当然死が訪れるときが来る。その時には元号が代わり、一切の公文書、印鑑などもすべて変更され、そのために要する費用や事務的なエネルギーは非常に大きいものとなる。
そして、全世界で通用しないし、どこにもなされていないこの一世一元制度を事実上学校教育でも強制しているが、そのようにして一体何の利益があるのであろうか。
それは何もないのである。時々、昭和時代というと一つのイメージが浮かぶから便利だという人がいる。しかし、昭和時代といっても、昭和二〇年の敗戦までと、敗戦以後とは、主権者も天皇から国民に移り、戦争を聖戦として重要視したのに対して、戦後はいっさいの戦争はしない、ということになった。戦争が悪であるからだ。そのように、まったく価値観が変化しているのであって、昭和時代というのが、統一的な内容を持つものではない。
また、大正時代はわずか十五年であって、人間の個人の生きている期間を一つの元号でいうのであるから、ある人はこのように短命、別の人は、一〇〇歳まで生きるかも知れない。そのような偶然的な時代区分は到底歴史的な意味を持たないと言えよう。
だからこそ、敗戦後まもなく日本学術会議(*)が創立された一九四九年の翌年五月の総会で、「元号廃止、西暦採用について」という決議を採択しているのである。その理由としてはつぎのことがあげられていた。
(1)科学や文化の立場からみて元号は不合理である。…西暦は何年前、何年後ということが一目してわかるうえに、現世界のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは日本だけにすぎない。歴史上の事実でも、今から何年前にあるかを容易に知ることができず、世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつごろに当たるのかをほとんど知ることができない。… 天文、気象などは外国との連携が緊密で世界的な暦によらなくてはならない。
したがって、元号は、非合理的、非科学的、非文化的である。能率のうえからいっても、文化交流のうえからいっても、すみやかに西暦を採用することが適当である。
(2)新しい民主国家の立場から言っても、元号は適当ではない。元号は天皇主権のひとつの現れであり、天皇の統治を端的に表したものである。…
新憲法の元で、天皇主権から国民主権に代わった現在では、元号を維持することは、意味がなく、民主国家の概念にふさわしくない。
(*)日本の科学者,研究者の内外に対する代表機関として1949年に設立された。学術会議は,その第1回総会で「これまでわが国の科学者がとってきた態度について強く反省し,今後は,科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に,わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献することを誓うものである」との声明を採択した(一九四九年一月二二日)。
このように、純粋に学術的に考えても、元号を用いることが何の長所もなく、間違ったことであるのは明らかにされていたのである。
それにもかかわらず、官公庁や学校で元号を事実上強制のようにしているのは、何の目的か。それは単に人々を天皇と結びつけようとしているのにすぎない。
このような考え方は、教育基本法を変え、さらに平和憲法を変えようとする人たちがよく持ち出すこと、つまり日本の伝統、文化を重んじるということにつながっているのである。
こんな不可解なことはない。日本人にも、外国人にも一世一元制度を使って何の益もないことを、日本の伝統などというのなら、そんな伝統は無意味な伝統だと言わねばならない。
平成二〇年とかいう言い方は、(平成)天皇の支配(統治)の二〇年目という意味なのであって、天皇が絶対的な権力者であった戦前においては、支配者にとっては、天皇の名をしみ込ませる都合のよい表現であった。平成というのは、現在の天皇の死後の贈り名(諡)であるから、時間を言うのに、事実上、天皇の名によって言っているということになる。
自分の生れた年などを昭和○○年と言わねば、ぴんとこないという人が多数を占めているのは、この一世一元制度が目的としたことが達成されているということである。すなわち、天皇の名前が日本人にしみ込まされた結果このように、自分の生れた年や出来事を言うにも、天皇の名前を言わないではおれないようにされてしまったのである。
最近の教育現場で、「君が代」を国歌だからとして歌うことを当然として、強制する考えが浸透しているが、この考えと、一世一元制度を強制する考えとは、天皇という存在を、日本人の心に植えつけようとすることにおいて共通であり、同じ土壌の上にある。
現在の「君が代」については、その歌詞の内容が、新しい激動の時代にふさわしいと言えるのか、はなはだ疑問である。なぜ、このような天皇の賛美の歌の歌詞を根本的に変えて、曲も刷新して、若い世代もだれもが歌えるような国歌を制定すべきだということにならないのか、とても不可解なことである。
本来あるべき姿は、天皇のような単なる人間に若い生徒たちの心を結びつけるのでなく、二〇〇六年に改訂される以前の教育基本法が述べているように(*)、真理と正義を愛する人間、真理そのものに心が結びつく人間の育成こそ重要なのである。
(*)教育基本法(一九四七年〜二〇〇六年) 第一条 真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
新しく改訂された教育基本法の第一条では、従来の基本法にあった、「…平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた…」国民の育成、ということであったが、《真理と正義を愛し》が削除され、「平和で民主的な国家および社会の形成者として必要な資質を備えた…」国民の育成を、ということになった。
元号制を日本の伝統だといって守るべきだ、という人たちがいる。しかし、伝統というのであれば、日本では和服は伝統の衣服であるが、会社や学校で日常の勤務を和服でしようなどというところはあるだろうか。それは考えられないことである。また、住居を畳や障子というのが一般の伝統であったが、いまさら、障子をつかって、ガラス窓やサッシ、ドアなど洋式のものを廃棄しようとする人がいるであろうか。
伝統の象徴的存在である天皇家の人たちも、日本の伝統の和服でなく、洋服で公的行事をやっているのである。
また、現代の日本や世界的に常識となっている一夫一婦制度も、まったく日本の伝統ではなかったのであって、これもまたキリスト教によって世界的な標準となったものである。天皇家にこどもが生まれない場合、二人目の女性を妻として迎えるということは以前では当たり前であったが、キリスト教の影響のゆえに、そのようなことをしないのであり、現在の皇太子夫妻にも、男子が生まれないからといって、第二の妻(側室)を入れたりしないのは、まったく日本の伝統でなく、キリスト教の伝統からきているのであって、日本の伝統の象徴的存在である天皇家自身が、みずから一夫多妻の伝統を捨てて、キリスト教の伝統を取り入れているのである。
音楽や美術、女子教育、盲、ろう、養護などの障がい者教育や、福祉一般、病院、看護師、さらに、今日の電気関係のさまざまの技術、医学、薬学、車や飛行機、列車など交通機関全般などの科学技術などもそのもとは、ほとんど外国から入っていたものであって、日本の伝統にはなかったものである。
日本を含めて世界がつかっている暦も、これまた日本の伝統の暦ではない。明治になってから、外国で使われていた太陽暦を取り入れたのである。
これは、グレゴリオ暦といって、一五八二年にローマ教皇グレゴリウス十三世が、復活祭の季節を一定の範囲におさめることを目的にしてそれまでのユリウス暦を改良した暦であって、キリスト教と深い関わりがある暦なのである。
現在日本人が当たり前とみなしている外国からきたものやキリスト教からきたものを排除するなら、生活は全面的に止まってしまうであろう。
天皇家すら、キリスト教の伝統たる一夫一婦制度を入れているのは、それがより人間のあり方として優れているからにほかならない。
日本の精神的な伝統を言うのなら、キリスト教が入ってくるまでは、人間はみな平等だといった考え方などは有り得なかったのであり、身分差別は当然のことなのであった。
だからといってこのような差別を復活しようという人はだれもいない。それはなぜか、真理に反するからであり、真理の力は間違った伝統を打ち壊していくものだからである。
このように考えてくれば自明であるが、元号という制度は、あらゆる面―社会的にも政治的にも、あるいは経済的な観点からも、また宗教的に考えても何一つ利点はないのである。だからこそ、世界のあらゆる国でこのような制度は存在していないのである。
キリスト者でありながら、キリスト教紀元の西暦を使わずに、元号をつかっている人もいるが、それは以上のような理由を知らないからだと思われる。
かつて私が教員をしていたとき、同僚に元号を学校で教えることの不合理を職員会議で主張し、生徒たちにもその不合理をていねいに説明して西暦を使うように指導していた。
そのときどこの学校に転勤しても最初は同僚の教員たちが、「吉村さんはキリスト教だからそのように言うのだ。個人的な問題を持ち込むな」と反対されたが、これまで書いてきたような理由を詳しく文書に書いて配布し、読んでもらって説明するとどこの学校でも反対する人はなくなっていった。それはだれが考えても元号の起源から見ても、また世界的な常識から見ても、その不合理性はあまりにも明らかなことだからである。
元号の問題は、日常的な問題である。こうした小さなことに見える問題のなかに、日本の持っている問題点が象徴的に現れている。それは未だに精神的なバックボーンをもてず、ふつうの人間にすぎない天皇などにそれを求めようとしていることである。
これからの日本は国民の老齢化、資源がないこと、中国やインドの発展など、かつてない厳しい状況へとだんだん押しやられていくであろう。 取りわけ、精神的な脊椎骨を持たないことは、国家の根源においてきわめてもろいと言わねばならない。
単なる伝統を守るのではなく、それが永遠的価値があるのか、普遍的に通用するものなのか、要するに真理にかなっているのかどうかという観点から考えねばならないことである。単なる伝統には、よいものも悪いものもあり、多くはすでに述べたように、身分差別や弱者、障がい者をたたっているとして見下すなど、よくない内容を持っているからこそ、すたれ、廃止されてきたのである。
伝統というならば、最も永続的な、しかもあらゆる民族や国にも通用する世界的な伝統こそ、真理にかなったものであり、人間の最も奥深い根源にかかわるものと言えるものであり、そうした伝統こそ守るべきである。
そしてそうした観点から最も価値あるのは、聖書に示された伝統なのである。

音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。