リストボタン二種類のニュース

この世は、つねに表面的に新しいこと、珍しいことを求める。それがニュースである。その事柄自体はとてもつまらない、そんなことを知っても何の足しにもならないことが、たんに珍しいというだけでニュースとなる。どこかの県の課長が万引きしたといったたぐいのことがそれである。
野球やサッカーが毎日大々的に報道されていること、それ自体は、ボールが遠くまで飛んだとか、ゴールに入ったというごく単純なことである。こうしたことは、人間にとって本質的に重要な、正義とか愛、あるいは真実といったこととは何の関係もない。そのような標的に当てたり、ボールを遠くまで飛ばすことは器械でもできるし、はるかに正確に入れたり、また遠くまで飛ばすこともできる。しかし、それがいずれが勝つのかという競争が緊張感を持たせ、、しかもそれがお金にかかわってくるということもあり、相撲などとくにどんなひとにも分っておもしろいからたくさんの人たちが関心を持つ、そこに宣伝効果があるため、企業も加わる、そうして多くの人がさらに関心を持つようになるから、ニュースとして報道される。
しかし、同じニュースでも、全く異なる種類のニュースがある。それが福音である。福音とニュースはまったく違うような語感があるが、実は、「福音」という言葉の意味は、よき知らせ、グッドニュース ということである。(*)

(*)福音という漢字表現は、もともとは新約聖書のギリシャ語である euaggelion (ユーアンゲリオン)の中国語訳である。ユーとは、「良い」、アンゲリオンは、アンゲロー(知らせる)という言葉から来ているので、良き知らせという意味である。じっさいいくつかの外国語訳聖書は、そのように表記しているのもある。
例えば、あるドイツ語訳新約聖書は、そのタイトルを Die Gute Nachricht (ディ グーテ ナハリヒト)としている。グーテ gute とは英語の good 、ナハリヒト とは 知らせ という意味なので、「良き知らせ、ニュース」という意味になる。
また、英語訳聖書にも、The Good News Bible(良きニュース の聖書) と題したものもある。(アメリカの聖書協会訳)

このよきニュースは、私たち人間の根本問題である心の闇に光が射し込むということ、死んだものが復活する、そして最終的にこの世界も新しい天と地になる、といういわば宇宙的な復活を内容としている。
これは驚くべきことだが、二千年もの間、つねにニュースであり続けている。古い魂、衰えて弱った人間の心に、絶えず新たな、神の国からのニュースとして受け取られてきたのである。
この世のニュースを聞いても、心を清められたり、真実な心、愛が増大することはほとんどない。一時的にあってもすぐにその影響は消えていく。
しかし、この神の国のニュースを魂の耳で聞き取るときには、何度聞いても、繰り返しある種の新鮮なニュースとなってくる。
それは、人間の魂の最も深いところに入ってくるニュースだからである。
新聞社は膨大な費用をかけて、多くの記者を動員してこの世のニュースを調べて知らせる。私たちが決して分からない細かな事件や事故の経過などを報道する。
しかし、神の国のニュースを知るには、そうした設備も費用も何もいらない。ただ、信じて仰ぐ心があれば足りる。
人類の記録に残っている何千年という歴史においてラジオやテレビは全く存在しなかったのである。しかし、いまは洪水のようにそうしたニュースがはんらんしている。それによってひとは決してよくはならないのは、そのようなこの世のニュースがはんらんするほどかえって人間は悪くなっている様相を呈していることからも分る。
私たちに必要なのは、神の国からの良き知らせなのである。 それは、魂に静かな細い声として聞こえてくるものであり、聖書からも、また、周囲の自然を通してもその良き知らせは届いてくる。
神の国からの 良きニュースは、闇のただなか、苦しみのただなかにも届けられてくる。そしてだれかのところに届けられた良きニュースは、ほかの人のところにも伝わっていく。
二千年前に、キリストが当時の病気や差別、あるいは貧困で苦しんでいた人たちに与えた神の国の良き知らせは、その人たちにだけ留まっているのでなく、以後もずっと無数の人たちの魂に良き知らせを送り続けてきた。
一般のニュースが、今日聞いたら、もう明日は聞きたくない、だれも顧みないというような価値のないものが多いのとは、本質的に異なるのがわかる。
福音書のなかに書かれてあることは広い意味でみな福音である。それだけでなく、福音の根源にあるキリストによって与えられた福音をさらに詳しくさまざまに言い表したのが、パウロや使徒言行録などのその他の新約聖書の内容である。そしてそれら全体が、喜びのおとずれ(良きニュース)だと言えよう。
そのうち、十字架による罪の赦し、復活、そして再臨という三つのことが神の国の良きニュースの中心にある。
その中心から、次々と良きニュースが発信されていく。病の人がイエスとの出会いでいやされる、見下されていた者も力を与えられる、深い悲しみにある者も、神の慰めを受ける、求めるなら、神の国が与えられ、聖なる霊が与えられる。イエスに従うなら、いのちの光を持つ…等々。
それは神の国からのニュースであり、聖書は全体として、いわば神の国からの良きニュースの発信基地となっているのである。私たちが祈りのうちに主にあって静まるとき、神の国からの良きニュースが次々と発信されているのに気付くのである。

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