リストボタンパンは尽きることなく、油はなくなることがない ― 預言者エリヤ

旧約聖書の預言者として最もはやく現れたのが、エリヤである。
彼は、聖書のなかで、その家庭や生まれた場所、育った環境など一切記述がなく、突然歴史の中に現れる。
このようなことは、普通の伝記ではほとんど有り得ないことであり、一般の偉人の伝記などは、例えばアウグスチヌス、ルターとか内村鑑三といった人たちのことについて書くときには、どんな環境で生まれ、育ったか、どんな教育を受けたか、などが詳しく記される。
しかし、例えば信仰の基本的なすがたを現しているアブラハムにおいても、子供時代にどのようなことがあったか、育った環境はどうか、などといったことは一切記されていない。
彼に対する記述は、人生の途上で突然、神がアブラハムを呼び出し、語りかけて、彼が生まれた状況などはやはり一切記されていない。
これは、イザヤ、エレミヤ、アモス、ホセアといった預言者たちも同様である。
聖書は、人間について詳しく記すことが目的でなく、神の言葉が目的なのである。そして神の言葉がいかに力あるものかを示すことなのである。
エリヤについての記述は、国王のところに出向いて、数年もの間、雨が降らないと予告したことから始まっている。このイスラエルの地方で、雨がそのように降らなければ、作物はできず、飢饉となって生きていけなくなる。それは国が滅びるという宣告と同じである。なぜ、そんなことが起こるのか、それは、時の王アハブが、神の示された真実の道を歩もうとせず、偶像をあがめて人々を混乱に陥れていたからであった。
王は、外国の偶像崇拝をする女を妃として迎えた。そしていよいよ国は混乱の度をひどくしていった。
預言者エリヤが現れたのはそのような状況であった。
偽預言者たちや、民の指導者たちは、間違った道を人々に示し、滅びに向かっている。それに気付かせるために、数年も雨が降らないという危機的状況が訪れると預言した。
その預言のあと、神は、エリヤをそのままにでなく、遠い荒れ野に行くように命じた。そこでは人が住んでいないが、小さな川が流れており、カラスに食物を持ってこさせるという奇跡的な方法で彼を養うと言われた。
なぜ、そのような特殊な方法でなく、村や町の良心的な、神を敬う人々のところにやってそこで養ってもらうようにしなかったのか。それは何も記されていない。
推察できるのは、そのような厳しい環境に置かれることによって、エリヤは、これからの厳しい預言者としての歩みのなかで、孤独と簡素な生活になれること、その厳しさのなかでも神の助けは確実に与えられるということを深く経験するためであっただろう。
また、神は驚くべき方法で、神に従う者を助けるということを体験させるためであったと考えられる。
そこで雨が降らないために、河の水が流れなくなったとき、神は、エリヤを予想もしないようなところに行くように命じた。それは地中海沿岸のシドンというところであり、エリヤがいたケリテ川から、直線距離でも、一三〇キロほどもある遠いところである。道のりからいえば、一五〇キロを越えると思われるところであって、しかもそこは貧しい女と子供がいるところであった。外国人で、しかもその貧困は極度に達してもう一日分の食物しかなく死のうとしているようなところに行けと、神は命じられた。
神は、一方では、国家の最高権力者である国王のところに行けと命じられたが、他方ではそれと対極にあるような取るにたらないような女のところへ行けと命じられる。
ここに、神のご意志がうかがえる。
神の言葉を受け取った者は、ときには、最も政治的、社会的に力ある人間にも向かっていかねばならない。それは預言者では共通している。(*)

(*)例えば、エレミヤにおいても次のように記されている。
…ユダの王の宮殿に行き、そこでこの言葉を語って言え。「ダビデの王位に座るユダの王よ、あなたも家臣も人々もみな、主の言葉を聞け。正義を行い、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない…」(エレミヤ書二十二の一〜二より)
また、宗教的にも社会的にも最も重要な場であったと思われる神殿の門に立って、人々に呼びかけよと神は命じられた。
…主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。
イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。…この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく…(エレミヤ書七の一〜六より)

神は、エリヤを養わせると言われるが、それはふつうなら、経済的に余裕のある人によってと連想されるが、そのような予想とはまったく異なって、他人を養うどころか自分と自分の一人息子すら養えないでまさに死のうとしていた貧窮の極みにある貧しい女によって、というのである。
ここには、新約聖書での有名な言葉を思い起こさせる。
…わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。(Uコリント十二の九)

エリヤは、貧しい女が自分を養えるのか、と神の言葉に疑問を持つことなく、神からのうながしによって行動した。そして遠い異国の地に行った。そこで出会った女が、神から言われた自分を養うという女だとわかったから、エリヤはその女に、水少しとパンを一切れだけをもってきてほしいと願った。 このような最小限の希望を出したが、彼女は自分がもう死ぬばかりだと告げた。パンもなく、ただ一握りの小麦粉と、わずかな食用の油があるだけという状態で、木切れを拾って最後の食事をして死ぬつもりだと言った。
それでも、エリヤは言った。

「恐れるな、まず私のために小さいパンを焼いて私に持ってきなさい。その後で、あなたと息子のために作りなさい。なぜなら神はこう言われるからだ。

…壺の粉は尽きることなく
瓶の油はなくならない。

その女は言われたとおりにした。すると女も子供もエリヤも幾日も食べ物が与えられた。主がエリヤによって告げたみ言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。」(列王記上十七章より)

このような奇跡的なことは、多くの人が単なる物語だと読み流してしまうであろう。しかし、聖書という本は、不思議な本、驚くべき書物であって、このような記事が実に人生の重要な場面で、このことだった!と 気付かされることがある。
この「いのちの水」誌にしても、その前身の「はこ舟」誌に私が定期的に原稿を書き始めたのが、二十歳台の後半であって、私はものを書くなどという訓練など受けたことも学んだこともなかった。
理科系に進むのは、高校一年のときから決めていたので、そのときから、もっぱら数学や理科に時間とエネルギーを注ぎ、大学ではさらにそのようなことを続けていた。卒業後もすぐ教員となって、高校の理科や数学を教えていたので、文章を書くことには本来無縁であった。
けれども、今日まで発行にはいつも時間に追われ、不十分な内容だとわかっていてもとにかく、現在まで、三十年以上も続けてくることができた。
これは、私にとっても不思議なこと、神の力による支えだと感じざるを得ない。
これも、もともと書く力も何もなかったのであるから、「壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」という聖句を思いださせてくれる。
今後、いつまで主が書くことを許してくださるか分からないが、近いうちに書けなくなったとしても、随分続けさせていただいたと思う。
また、じっさいに、私たちの徳島聖書キリスト集会の戦後まもないころの責任者であった、大田米穂(よねお)(*)は、貧窮のときに、もう米があとわずかしかない、生活ができない、という困難な状況に立ち至ったとき、不思議な方法で、米が届けられた、という経験を語って、このエリヤの記事の真実性を書き残している。その記述を四〇年あまり前に読んで、不思議に私の心に印象深く残っている。

(*)大田米穂(一八八六〜一九六五)徳島市生まれ。一九五六年四月、「いのちの水」誌の前身である、「はこ舟」誌を創刊。召されるまで十年ちかく編集責任者。「はこ舟」誌は、その後杣友豊市(そまとも とよいち)、筆者(吉村孝雄)と受け継がれ、近年に「いのちの水」と改称して継続。

また、重いからだの障害や病気などで、到底生きていく力などない、もう死にたいと思っていた人が、信仰を持つようになり、キリストの復活の力を受けるようになって、その困難なただなかで平安を与えられて生きるようになったという人は、数知れない。
このようなことも、「生きる力は、尽きることなく、主の平安はなくならない」ということであり、もともと希望も愛も感じず、そんなものはないと思っていた人にも、信仰と希望と愛が尽きることなく、またなくなることがない、ということを生涯を通して経験するようになる。それは、新約聖書の最もよく引用される言葉のひとつ、「いつまでも続くものは信仰と希望と愛」ということを言いかえたものである。
また、福音書に繰り返し記されている奇跡、それは五千人のパンの奇跡といわれるものである。この奇跡だけが、四つの福音書に合計六回も記されている。(四千人という数になったり若干の変化はある)マルコ福音書など、最も短い福音書であるにもかかわらず、この奇跡が二回も記されている。それは、いかにこの奇跡が重要なものであったかを示すものである。
それは、弟子たちあるいは、集まった人が持っていた取るに足らないわずかなものが、イエスの祝福を受けるとき、言いかえると神の力が注がれるときには、かぎりなく増えていくということであった。このことは、単なる一時的な奇跡、ということでなく、当時のキリスト教の真理そのものの力を表す奇跡なのであった。
当時のキリスト者たちは、奴隷や地位など低い人たちが多数を占めていた。弟子たちやイエスに従った人たちがパン五つと二匹の魚しか持っていなかった、こんなわずかで、五千人など到底満たすことはできないと、はじめから不可能だと言ったが、イエスはそれを祝福してかぎりなく増やされ、残ったものも集めたら十二の籠に一杯になったと記されている。
それは、残りもまた完全数の十二になる、ということで、祝福のエネルギー、神の御手のわざは尽きることがなく続いていくということを意味している。
当時のキリスト者たちがどんなに取るに足らない弱い存在であっても、そしてローマ帝国の迫害がどんなに強いものであっても、それを越えてキリストの福音によって満たされる人たちがかぎりなく増えていく、という真理をこの五千人のパンの奇跡は示そうとしている。
これは、イエスよりもはるかな昔に生じたと伝えられてきたこのエリヤの奇跡と本質的に同じことを言おうとしているのである。
パンは尽きることなく、油はなくなることがない、…神の真理、その力は尽きることなく、なくなることがない。
私たちも、幼な子のような心をもって主を仰ぐときには、その魂の内には、霊のパンは尽きることなく、聖なる霊の油はなくなることがない、と言われているのである。
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