地の果てのすべての人々よ。わたしを仰いで、救いを得よ。

(イザヤ書45の22より)

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聖書には、キリスト者の集まりはキリストのからだである、といわれている。

…もし体の一つの部分が悩めば、ほかの部分もみな共に悩み、一つの部分が尊ばれると、ほかの部分もみな共に喜ぶ。
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその部分である。(コリントの信徒への第1の手紙十二の二六〜二七)

人間の体においても、じっとしていたら血液循環が悪くなり、健康はそこなわれる。キリストのからだとしての信徒の集まりも、何もしないでいれば霊的な風、聖霊の風は吹かないであろう。
歴史上で最もはげしく聖霊の風が吹いてキリストの復活という真理が全世界に伝えられるそのきっかけは、単独の祈りでなく、多くの信徒たちが、あつまって心を一つにして祈っているときであった。(使徒言行録一の十四、二の一〜四)
日曜日ごとの主日礼拝に出席するということは、そうしたキリストのからだの霊的ないわば血液循環をよくすることである。
老齢や病気、家庭事情などでそれができなくなっている人においても、聖書やふさわしい信仰の書物を読み、録音を聞いて礼拝を守ることがそうしたキリストのからだの部分として霊的に守られていくことにつながる。
五月十五日(土)〜十六日(日)に開催されたキリスト教四国集会のような特別集会は、そのために特に遠距離からの参加者は多くの犠牲をはらって参加される場合が多く、受けいれる側も、礼拝集会のたびに祈りをもって主の祝福と導きを祈っていくので、いっそう霊的な風が吹くことになる。
たしかに、今回の四国集会もそうした御国からのさわやかな風を感じた。それはこの世のいろいろな会合では決して経験できない風であった。
一人一人が相互によきものを受ける、それは聖霊の風の働きのゆえである。

…このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカ十一の一三)

祈り求め続けるものには、主イエスが約束されたように必ず聖なる霊を与えて下さる。その聖霊が神と人を、人と人とをいっそう強く結びつけ、この世のさまざまの困難にもかかわらず前進していくことができるよう、導いて下さる。
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