主役と監督

この世という舞台ではいつも次々と役者が入れ代わり立ち代われ現れる。そして次々と去っていく。
一時的に、新聞テレビなどをにぎわすが、すぐにまた新たな事件や出来事が現れる。そしてそれもまた過ぎ去り、消え去り、忘れ去られていく。
しかし、ひとたび目には見えないものを霊の眼をもって見つめるなら、そこには変ることなくあるお方が主役であり、同時に監督でもあり続けている。そしていかなる事件、歴史の流れ、人間の欲望や戦争、飢饉などの出来事にもかかわらず、厳として存在しつづけ、いまも主役であり続け、無数の人がそのまわりで、演じている。
主役とは神であり、二千年前に人のかたちをして現れたキリストである。
それは限りない深い意味のあるリアルな演劇である。私たち一人一人が知らず知らずのうちに、その主役であり監督であるお方によって動かされている。
人間だけでなく、広大な宇宙の星々も繊細な虫の歌声も、みな同様である。
そして私たちの目が開けるとき、そこに監督と主役が明らかに見えてくる。
そして天の国では、清い、いのちの川が流れる状況において、神の愛に充たされ、御使いのごとく完全な自由を与えられ、神とともに永遠に生きるのだと信じることができる。


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