リストボタン地球が壊れているのか

今年の暑さは、かつて経験したことのないものだということは、室内気温の状況にいつも留意している私にとってはっきりと感じられる。毎日室温が35度前後にもなるということは前例がない。
こんなとき、テレビニュースで地球が壊れているとか怒っているのだという町の人の声などが放送されることがある。
しかし、この暑さなど、地球が壊れるなどということとは関係がない。地球が壊れる、それははるか五十億年も先になれば太陽の消滅とともに地球も運命を共にすると考えられている。
環境破壊、温暖化などで気温が変化するといっても、気温の変動や雨風など人間に関わり深いなどの気象現象が起こるのは、せいぜい、地球の表面から上方の二十キロほどでしかない。また、海水温度が変化するといっても、海そのものの深さが地表からせいぜい十キロほどの深さである。
このように、人間生活に深くかかわる環境問題が生じるのは、地表からせいぜい数十qの範囲なのである。そして地球の半径は、六千四百キロほどであるから、環境問題として関わりがあるのは、地球全体から見るとごく表面のことなのである。
こうした領域における気象などの変化は、地球が壊れていることを示すのでなく、人間が壊れていることへの警告だと感じられる。
エネルギーの無駄をなくす、そのための生活方法そのものを変えていく、車や電化製品、工場などでの省エネをはかる、といったことは当然必要なことである。
しかし、そうした人間の外側をいくら変えても、人間の魂のあり方、心の状況など、根本的なものは変わらない。
人間がその存在を支えるお方を知らないで、あたかも自分の力で生きている、自由に何でもやってよいのだと考えるそうした発想こそ、いつの時代にあっても、人間を壊していくのである。
そのような人間中心の発想を転換することこそ、求められている。
聖書のなかでは、数千年前からすでにバベルの塔やノアの洪水といったかたちで、そのような人間の壊れていく状況になっていくときには、厳しいさばきがおこる、ということが神話的表現で記されている。
これは決して単なる神話ではない。個人においても、人間の集団においても、また国家、世界といった広範囲な領域においても基本的にあてはまる真理が言われているのである。
私たちが人間の欲望や人間的意志に従って歩むときには、必ず壊れていく。それに気付いたときに、私たちの存在を創造されたお方(神)に立ち返るとき、その壊れは修正され、あらたに造り替えていただけるのである。


音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。