リストボタン独立、自由、無教会精神―その根源としての聖霊、神の言葉の力

自由と独立、これは信仰のあるなしにかかわらず、人間がつねにその目標とすることだと言えよう。 誰も、他人に束縛、支配されたくないのはごく当たり前のことだからである。しかし、通常の意味における自由と独立ということと、キリスト教、聖書における意味とではその意味するところ、内容は大きくことなっている。
一般的には、言論の自由、信教の自由、居住移転の自由…等々を連想するであろうし、独立とは他人に支配されたり、助けを受けないで自分の力、考えでやっていくことなど、ごく身近なことばである。
これに対してキリスト教信仰においては、独立と自由ということがそうした常識的な意味と異なる重要な意味を持っている。
独立ということに関して、とくに内村鑑三は繰り返し強調した。日本のキリスト教がアメリカの宣教団体によって援助を受けて、信仰の姿勢にも、その依存的な体質を反映して、神にのみ寄り頼む信仰の本質にかかわると考えられたのである。
それゆえ、すでに内村が札幌農学校を卒業したばかりの若い時代に札幌に仲間と協力して建てた教会にも、札幌独立教会という名前をつけていてそれは今日も続いている。また、内村鑑三の強い影響を受けて、鈴木弼美(すけよし)が、山形県の山深いところに創立した基督教独立学園もまた、独立という名称をつけている。その他、組織に頼らないでなされる独立伝道という言葉、そして東京独立雑誌や、独立短言という本も出した。彼はその著作において700回以上もこの独立という言葉を用いている。
これは、当時の日本の国際的状況をも反映していると言えよう。欧米の真実の姿を見るにつけ、圧倒的な科学技術の進展、国力、軍事力、政治文化の発達などを知らされ、そうしたなかに呑み込まれかねない状況のなかで、内村は敏感に独立の重要性を感じ取ったのである。そして彼が与えられたばかりの、キリスト教信仰においても、アメリカの宣教団体や教派という人間的なものに支配され、またそれに依存していく危険性を感じ取り、それらからの独立の重要性を強く感じ取ったのである。
こうした、当時の時代的状況から内村は独立ということを強調した。しかし、これはキリスト教信仰そのものにとって本質的なことである。
それは主イエスを見れば直ちにわかる。主イエスはいかなる人にも依存せず、また当時の権力者をも恐れず、支配されず、まったくそれらから独立した生き方をされた。人間と深く交わりつつ、しかもいかなる人間にも、また人間的感情にも支配されなかった。
イエスが生きていた地方の当時の支配者であった領主へロデが、イエスを殺そうとしていたとき、次のように言われた。

…ある人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしてる」。
そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終える。
しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。(ルカ13の31〜33より)

当時の領主が自分を殺そうとしているという危機的状況にあっても、あの「きつね」に向って言え、というような驚くべき表現を使って、自分にふりかかる迫害があろうとなかろうと、主イエスの進む道は変ることがないという確信を伝えている。
ここには、いっさいの人間的権威に対しても全く独立していた姿がある。
その独立の精神は、後のキリスト者たちにも受け継がれて行った。十二弟子たちの一人は脱落したが、残りの弟子はイエスが処刑されたのち、意気消沈していた。復活したという知らせを受けたのちも、なお恐れて部屋にこもって鍵をしめていたということが記されているがそれは弟子たちの弱々しいすがたを示すものであった。
しかし、そこに復活のキリストがあらわれ、直接に彼らを力づけた。その復活したイエスによって約束の聖霊が与えられる時が来るまで待ち続けよ、と言われて使徒たちやイエスに従っていた女性たちは祈りをもって待ち続けていた。
そうした熱心な祈りの日々が重ねられていたあるとき、突然、聖霊がゆたかに注がれた。それによって、それまではまったく外に向ってイエスのことなど言えなかった弟子たち、いちどはイエスを捨てて逃げてしまい、イエスなど知らないと三度も否定したペテロたちにも決定的な変化が生じた。
それは、人間的なもの、権威からのまったき独立であった。
キリストの復活を証言しはじめた弟子たちにたいして、当時の権力者、指導的立場の人たち(律法学者、議員、長老)が、ペテロやヨハネに対して、決してイエスの名によって話したり教えたりしてはならない、と厳しく命じた。しかし、ペテロとヨハネは、「神に聞き従うよりも、あなた方に聞き従うことが、神の前で正しいか判断してもらいたい。私たちは、自分の見たこと、聞いたことを語らずにはいられない。」(使徒言行録4の19〜20)
このような独立の精神、それは何によって生み出されたか。権力者たちが、ペテロたちをとらえて、「お前たちは何の権威によってあのようなことをしたのか」などと尋問したとき、「ペテロは聖霊に満たされて言った…」(使徒言行録4の8)と記されている。
イエスを三度も否定して逃げてしまったペテロをかくも変革させたもの、それは単なる後悔でも人間的決断でも、他人からの説得、あるいはそれまでの人生経験などでもなかった。
それは聖霊であった。聖霊こそは、このような独立を生み出す根源となったのである。
そしてそれと共にペテロたちが経験したキリストの深い愛であった。イエスを裏切り、見捨てたにもかかわらずその重い罪を赦してくださったというその愛に触れたゆえに、ほかの何ものにも代えることのできない力が与えられた。それは神の愛の力であった。愛は力を生み出すからである。
この使徒たちに続く数知れないキリスト者たちが、ローマ帝国のなかで生みだされていった。そして彼らは激しい迫害のなかを、命をすててまで、キリストに従う道を選んだのも、このいかなる権力や圧迫からも独立していたからであり、それはこの使徒たちと同様に聖霊が与えられていたからであり、キリストの十字架による罪の赦しを深く受け、そこに神の愛を実感していたからであった。
罪の赦しを受けることなくして、神やキリストのことは分からない。どんなにキリストについての本を読んでも分からない。ただ幼な子のようにキリストが私たちのさまざまの心の弱さ、醜さを身代わりに負って死んで下さったという単純率直な信仰によって赦しを与えられることこそが、本当の独立の出発点になる。 キリストに罪赦されてそこから私たちは、自然にさらにそのキリストを、そしてキリストの別の現れである聖霊を求めるようになる。求めるなら、与えられると主イエスが約束して下さっているからである。(ルカ11の13)

旧約聖書における独立
このような、人間的なさまざまのことからの独立ということの最初のはっきりとした記述は、聖書の最初から見られる。
それは、人間はみないかに長寿であっても、次々と死んでいくという記述が繰り返されているただなかに、「エノクは神と共に歩み、神がとられたのでいなくなった」(創世記5の24)というのがある。
人間的なものからの影響とは独立して生きる、それは言い換えると神とともに歩むということであり、それは神が取られる、ということでエノクだけは死んだという表現がなされていない。
エノクは、死の世界に行ったのでなく、神が取られて、神のところへと導かれたということが暗示されている。
このように、主とともに歩む独立した生き方の祝福は、神が取られること、死ぬことなく神の国へと導かれていくことであり、それはのちの新約聖書によって詳しく記されていくことになる。
また、アブラハムにおいても、周囲のあらゆる人たちの生活や習慣から離れ、神が示された土地へと行け、との神の言葉を聞き取ったとき、その言葉に従って未知のはるかな遠い目的地に向って出発した。 神の言葉が明確に聞き取られたときには、こうした独立が生まれる。
このことは、のちの時代にも、そして現在に至るまでも、同様である。人間の言葉は、変わりやすく、しばしば依存や動揺をもたらすが、生きた神の言葉は独立をもたらす。
モーセにおいても、神から命じられて素手でエジプトという大国に向って、そこにとらわれた状態になっているイスラエルの人たちを解放するようにとの要請をするために王のところに向った。
彼はとても言葉で説得などする力はないと強く神の命令を辞退しようとしたが、神は強くうながし、そのモーセのために助け手として兄弟のアロンがともなうことになった。 しかし、そのアロンはモーセが神の言葉を受けるためにシナイの山に登っている間、人々と偶像を作って民を大きな罪に引き入れてしまうことになった。モーセはただ一人、単独で神によって支えられ、人々を導いていくことになった。 神はさまざまの試練をとおして、モーセをまったく神とともに歩む、独立した人間となるように導かれたのである。
モーセにおいても、彼に敵対する人たちが取り巻く状況にあってもなお、それに巻き込まれず独立を保てたのは、神の生きた言葉のゆえであった。
そして、羊飼い出身で、詩人にして政治家、武人、音楽家という多様な特質を与えられていたダビデ、彼も神の御計画によって王の道へと導かれたが、それに至る過程において、当時の王サウルに仕えていた。
ダビデの圧倒的な力は彼を国の随一の武人という地位に押し上げた。それをねたんだ王はダビデを殺そうとするようになり、執拗に彼を追跡していく。
しかし、そうして荒野での逃避行において、彼は使おうとすれば使うこともできた武力にも頼らず、自分を殺そうとするサウル王を攻撃もせず、ただ神とともに歩んだ。
その苦しみと悲しみの痛切な感情と、そこから神に祈り、助けを求める彼の信仰は一部が、詩篇にもおさめられ残されている。
聖書に初めて記されてていたエノクという人物の「神とともに歩む」ということは、独立をもたらすが、このように厳しい直面にさらされる事態ともなる。
しかし、そこからただ神のみを見上げて叫び、祈ること、また与えられたことに神に感謝、賛美をすることによって、いっそう神からの祝福を受け、神とともに歩む独立の精神を強められていく。
さらに、預言者という人たち、それはアモス、ホセア、エレミヤ、エゼキエル、イザヤ、…と多くの人たちがいる。彼らの受けた啓示をみるとき、彼らがいかに独立の人であったかが知られる。
国家の主要人物がみんないつわりの宗教家、まちがった預言者や政治家などに汚染されている状況にあって、こうした預言者たちは、まったくそれらの金や権力、習慣などに影響をされずに、独立して神の言葉を語り続けた。
それは、当時のそうした時代の状況に閉じ込められず、民族的、地域的な枠をはるかに超えて、時間をも超え、数千年を経て現代に伝えられている。その神だけによる徹底した独立した姿は、今も新鮮である。
預言者イザヤが、その書の冒頭にかかげた言葉、それはその書に示された神の啓示は、あらゆる時代や民族的制約から独立した真理であることを宣言している。

天よ聞け、地よ 耳を傾けよ、主が語られる。…

真理そのものが、確かにこの世の一切から独立した存在なのである。この世の全てに関わりつつ、しかもそれらによって影響されず、汚されない。それゆえに、その真理を聞き取ったイザヤもまた、語る言葉をこのように、天地のすべてに向って語りかけているのである。
こうした真理の独立性は、神ご自身がそのような完全な独立を持っておられるからである。独立の根源は神にある。そのような神の独立した本質、いかなるものによっても動かされず汚されない本質を、聖書では コーデシュ「ヘブル語で、聖という訳語の原語」という言葉で表現している。
イザヤが初めて神から呼び出され、預言者として新たな歩みをはじめるときに示されたのも、その神の「聖」なる本質であった。彼は、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と呼び交わすのを聞いた。
こうして、イザヤは預言者として必要な真の独立の根源となる神の本質を知らされたのであった。

独立と共同体
独立というと、周囲の人と何ら関係なく、助力をも受けないということを連想しがちである。しかし、この世の一般的な生活を考えてもすぐにわかることは、人間が生きるためには、無数の人たちの協力関係によって支えられ、生きているということである。
日々の食物、衣服、住居一切は自分が作ったのでない。他人が造り、運搬し、購入できるかたちになっている。それらをたどっていくと原料を栽培する人、またそこに必要な肥料や器械を作る人たち…無数の人が関わっている。
自分の金で得たといっても、そのお金を得るための会社や勤務先もまた、多くの人たちの共同でなされている。一人で山中で過ごすといった特殊な場合でも、そこで生きるための家の材料、種蒔くための種やノコギリ、クワなどの器具類はまた誰かによって作られたものであり、それらの人たちの労力がなければできない。
真の独立は、こうした一般的なこととは異なる、真実な人間との関わりを生み出す。
最も完全な独立を保って生涯を歩まれた主イエスはどうであったか。主がなされた伝道の3年間は、主に対する少数の人々の愛によって支えられていた。

…イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。
悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。
 彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(ルカ8の1〜3)

 このように、イエスや12人の弟子たちも一緒だったのであるから、少なくとも13人分の食事や衣服の世話などをするのは、一人や二人では難しかったと考えられる。
それゆえに、多くの婦人たちがイエスと12人の弟子たちに同行して、いろいろな世話をするだけでなく、自分の持ち物をも出し合ってイエスの一行に奉仕を続けたのである。
 このように、主イエスご自身、単独で行動したのでなく、12人の弟子たち、そして彼らに奉仕をする女性たちも行動をともにした。そこには、信じる人たちのあつまりは、キリストのからだである、という特別な表現で表される世界がある。
パウロも、多くの人の援助により、祈りの助けと支えがあった。

パウロはいかにキリスト者たちに支えられたか
パウロは、テント作りをしながら生計をたてたということが言われ、あたかもいつもそうであったかのように書いてあるものも見たことがある。しかし、つぎのようにパウロ自身が書いている状況は、果たしていつもテント造りなどやっていられたであろうか。 到底そのようなことではあり得ない。

…苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。(Uコリント11の23〜27より)

このような状況にあって、パウロはいかにして生き延びたのであろうか。それは神が必要なものを備えたのである。あたかも、かつて荒野で水も食物もなく、飢えと渇きで死にそうになっていたとき、神が岩から水を出させ、天からマナを降らせたように。
 また、エリヤが死を求めて砂漠のなかで一人横たわっていたとき、不思議な鳥によって養われたとある。
 こうした何か不思議な助けがあり、人が使わされ、あるいは出会った人の心に神がはたらいてパウロへの食物などを提供したのであろう。
 また、コリントで生活に困ったときに助けを送ったピリピとは、500キロ以上も離れた遠いところであるが、そのようなところからパウロを助けるために献金を寄せたのである。

…それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。
また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
(ピリピ 4の14〜16より)

このように述べて、まだ信仰を持って間もないコリントの人たちには、彼らをつまずかせないためにあえて負担をかけようとせず、遠く離れたマケドニアの人たちの主にある愛から出た捧げ物によって生活できたのである。
パウロがさまざまの人たちから助けられ、支えられていたことの一端は、かれの代表的な著作であるローマの信徒への手紙にも記されている。

フェペという女性を、多くの人々の名前をあげる最初にあげて、彼女がローマの信徒たちの群れに受けいれられ、必要な助けを与えるようにと特にしるしている。フェペは、多くの人々の援助者であるだけでなく、とくにパウロの援助者であったと記している。また、あるキリスト者の夫妻(プリスカとアクラ)はとくに、パウロを助け、命がけでパウロの命を守ったという。この夫婦の名前を記すにあたって、パウロは、特に妻のプリスカのほうを先に記すという異例の書き方をしている。
(使徒言行録18の18も同じ)
また、ローマの信徒たちのために、非常に労苦した女性にもよろしくと伝え、またパウロの協力者としてキリストに仕えている人にも、あるいは、主のために労苦している別の人たち、そして、ある人(ルフォスという名)の母親は自分にとっても母だというほどに、主にあって敬愛していた人にもよろしくと書いている。
このような記述の背後にどのような具体的な関わりがあったのか、それが命がけで助けるというような記述からも、迫害を受けるパウロを助けるために、自らの一身上の安全をすらささげて、パウロのため、福音のため、キリストのために労苦した人たちの姿がほのかに浮かびあがってくる。
パウロの働きは、こうした数々の協力者の祈りと物質的援助、さらには具体的な助けによって支えられていたのであって、決してパウロが単独でテント造りをして生きたのではなかったのである。

独立と自由
真理そのものが持っている独立性、それを受け取った者もまたその独立を受け継ぐ。
真の精神的な独立とは、言い換えれば主とともにあるということである。
そしていかなることがあっても主とともにあることを第一とする心は、はじめに触れたように、自分の人間としての根本問題―どうしてもよくない心が生じてしまう、自分中心になってしまう、この世のものにひっぱられる等々という罪の本質が清められ、赦されるという恵みを与えられることによって生まれる。
そしてこの単純なキリストによる罪の赦しこそ、キリスト教の福音の本質そのものである。そのことによって深く神の愛を知れば知るほど、ほかの人間的な力には引き込まれないで魂の独立を保つことが可能となる。
こうした福音による独立、それはまた自由と深く結びついている。最初に述べた職業とか言論、信教の自由といった一般的な自由と大きく異なるのは、右に述べた罪からの解放こそ、最も深い意味の自由なのである。独立の魂は、自由を得る。主イエスが言われたように、「真理は自由を与える」(ヨハネ8の32)からである。
そして真理とは何か、キリストであり、聖霊である。そしてそのキリスト(聖霊)の言葉もまた真理そのものである。
「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」
(ヨハネ17の17)
このみ言葉にあるように、私たちはただイエスを信じるだけで、その真理によって罪赦され、清めを受けてこの世の力から分かたれることが与えられる。そして永遠の真理そのものである神の言葉によって私たちは導かれ、生かされていきたいと願うものである。
この神の言葉こそは、神の本質から出ているゆえに、主イエスの言われたように「天地は滅びる。しかし私の言葉は決して滅びることがない」からである。(マタイ24の35)
そしてこの永遠の神の言葉は、天地創造のときに光あれとの神の言葉によって光が創造され万物が創造されたように、今日までも数知れぬよきものが創造されてきた。私たちもまた、そうした神の力によって新たに創造されたものなのである。

…キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(Uコリント 5の17)
このような、古いものから離れて、新しい創造の世界をつねに実感しつつ生きる道をキリストは備えてくださった。そしてこれはこのパウロが書くより500年ほども前から、すでに言われていたことなのである。

…はじめからのことを思いだすな
見よ、新しいことを私は行う。
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか
私は荒れ野に道を開き、
砂漠に川を流れさせる
(イザヤ43の18〜19)

現代において、至るところに霊的な荒野がある。アフリカやアジアの貧しい国々における飢えや迫害における生活の困難、そして身近なところでは東北大震災と原発災害による多大の困難にある方々―みなそうした荒野に置かれている方々である。
そのようなところにおいてこそ、新しいことを創造すると言ってくださっている。
現代だけでなく、過去数千年を通じて、無数の荒れ野があった。その広大な精神の荒野にたしかに神は道を開き、命の水の川を砂漠に流れさせて下さったのである。
こうした創造の神、愛の神をどこまでも信じて歩むこと、そこに新たな川が流れはじめることをこれらの聖書の言葉は指し示している。
(2011年11月6日の無教会全国集会・内村鑑三生誕150周年記念シンポジウムにて語ったことをもとにしたもの)

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