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野性のネコ
朝ごとに、山の小さな谷ぞいを歩きます。それは心身のためによいからです。からだは運動によって血液循環はよくなり、また心は、周囲の自然によってまた祈りにより、そして聖書の言葉を思いつつ歩きますと、新たな意味が示されることがよくあります。
この「いのちの水」誌に書くべきことも、そうした朝の山を歩くときに与えられることがしばしばです。
その谷川で、野良猫を時折みかけます。そして時々新しい小鳥の羽が散乱していることがあり、そのネコが小鳥を襲って獲物にして飢えを満たしたのです。飼い猫はのんびりこたつのなかで眠っておれますが、野良猫は、厳しい雪の降るような寒さのなかでも、必死で獲物を得ようとして長時間草むらや谷の側にひそんで待ち続け、ちょうど目の前にきたものを全身を一つにして飛び掛かるわけです。
それはとても困難なわざです。いくらネコが必死になっても、羽もあり、小さくて、目のするどい小鳥たちに飛び掛かる前にたいてい逃げられてしまいます。しかし、その必死な姿は涙ぐましいものがあります。ペットとしてかわいがる人もなく、自然の厳しさのなかで野性のわざを磨いて生きているのです。
人間も、心身を集中して何事かに向かうときそれをとらえることができるのだと感じたことです。ダンテは政敵から追われ、命の危険のなかで神からの示された言葉を全力で神曲という詩に結晶させました。
聖書に記されている預言者や詩の作者たち、またパウロなど福音の伝道者たちは、神によってそうした集中力を与えられ、神の言葉を聞き取り、あるいは福音を伝えるはたらきへと導かれたのだとわかります。
私たちも、祈りに心を集中して求めるとき、新たな力や、困難から脱する道が示されたり、またすぐには与えられずとも、何年、あるいはもっと長い年月のあとにその祈りがかなえられることを知らされることがよくあります。


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