リストボタン坂口シマコ姉、召される。

4月2日、徳島聖書キリスト集会の最も古くからのメンバーであった坂口シマコさんが召されました。92歳でした。前夜式は、私が埼玉県に出向いていたので参加できず、ご家族、親族の少数者の方々と、集会員有志の参加でなされました。
葬儀は、翌3日にキリスト教式でなされました。(吉村孝雄司式)シマコ姉の愛唱の讃美歌「慈しみ深き」、「あまつ ま清水」、「主われを愛す」などを賛美し、姉のとくに愛された詩篇23篇をもとに語りました。
シマコさんは、戦前、若き日に大阪茨木市の西田五郎宅(その息子さんが元キリスト教愛真高校長の西田潔氏、いずれも故人)に、お手伝いとして一時働いたことがありました。そのとき、西田さん夫妻の導きによってキリスト教信仰を与えられ、さらにそこでなされた無教会の伝道者、服部治氏の講話にも教えられ、後々まで服部さんとの関わりも与えられることになったのです。
シマコさんが使っておられた聖書の表紙裏には、次の聖句が添付されてあります。

「あなた方は、立ち帰りて
落ち着いているならば救われ
穏やかにして信頼しているならば、力を得る」(イザヤ書30の15)

またその次の頁には、次の言葉が書いてあります。
「聖書を一つの指輪に例えるなれば、その先端に光り輝く宝石は、一つは、ローマ書3ー4章であり(十字架の真理を示されている)、今一つはコリント前書の15章である。(復活と世の終末を示されている)
ー娘時代に、西田かつ様よりまなぶ。」

シマコさんの、次女多恵さんによると、この指輪のたとえは何度もきかされていたとのことです。私(吉村孝雄)も何度か聞いたのを覚えています。

また、その聖書の裏表紙には次のようなことが書いてあります。

…1978年7月号の「はこ舟」(「いのちの水」誌の旧名)に毎日聖書を5分間素読せよとのおすすめに従い、8月30日より素読を始める。まず、旧約聖書から1章ずつ学ぶことにした。

そして、それを1年4カ月ほどして旧約聖書を読み終えたときの感想も、裏表紙に次のように書き留めてあります。

…1978年8月30日より学びかけた旧約聖書を今日(1979年12月22日)学びおえた。(一読するだけの学びであったが) また、種々なる事情で素読のできない日もありて、長くかかった。旧約聖書を学んでいかに主は義に在し、愛の恵みの御神であられたかを、また選民の民イスラエルの人々をいかに愛されたかを学ぶことができた。地上に生を許される間、何べんでも素読をつづけたく思ふ。
明日から(23日)新約聖書を素読するが、旧約にもまさるともおとらない御恵みがいただけるようおいのりを捧げる。(12月22日夜)

坂口さんは、内村鑑三がよく使った「仰瞻」(ぎょうせん)という言葉を深く受け止めておられ、家族にも書いて渡したりしておられたとのことです。私もよくシマコさんから聞いていました。難しい漢字で現在では意味の分る人は少ないかもしれないのですが、この「瞻」(せん)という漢字自体に「仰ぎ見る」という意味があり、仰瞻という言葉は、仰ぎ見るという意味が強調されたニュアンスを持った言葉です。
長女の宇山典子さんは、母の一番の思い出としては、ただ何をするにも祈っているその姿が忘れられないと話されていました。
また次女の月岡多恵さんは、やはり母親が祈りの人であったことを話され、家族への伝道を心に深くとどめていたこと、クリスマスのときには家族、親族を集めての集まりを続け、最初にもらったクリスマスプレゼントは、「ナイチンゲール」という本であったこと、そのときは「何や、本か」と思ったりしたけどあとになってその本に託された意味がわかってきたこと、そのような福音の種まきを子供や孫たち、知り合いの人にもいろいろとやっていた。
「… でも、母もいっぱい人として足りないところもあって、私も、なんや、クリスチャンなのに…と反発をいっぱいしました。でも、弱い者だったからこそキリストを信じすがっていたのだと今は分かります。…」とも話されました。
キリスト教信仰というのは、立派だからでなく、弱くだめな者だと知ればこそ、キリストにすがり、その罪の赦しがとてもありがたく、何にも変えがたいと実感するところにあります。そして罪赦され、新たな力を与えられるということ、それに尽きると私も思っています。
坂口シマコさんの長男、義和さんは、すでにキリスト教信仰を与えられていたのですが、県外に就職したばかりなのに、勤務先の仕事中の事故で25歳の若さで召されました。
大きなショックを受けたにもかかわらず、坂口さんは、その死を生かすべく、家族や集会の有志を招いての記念会を毎年自宅でされるようになりました。その会に私も参加してその家族に伝えようとする熱心がとても印象的だったのです。
その後も、私は召された義和さんとは年齢もほぼ似ていたためもあり、お家を訪問した折りなどにシマコさんから「吉村さんを見ると義和を思いだす」とよく言われました。お家には、ずっと義和さんの写真が飾ってあり、召された長男を主にあって覚え続けていたのだと感じていました。
また、郷里の山村に住んでいたシマコさんの実妹も数十年前からキリスト者であり、天理教の家に嫁いだが、そのしゅうとめさんも後には天理教を止めてキリスト者となったと言われていました。
その後の長い生活における日々の祈り、そしてまた祈りを込めた記念会やクリスマス会によって次女の多恵さん、そして長女の宇山典子さんも信仰が与えられ今日に至っています。次男の望さんは、奥様を最近亡くされたばかりで深い悲しみのなかで今回の葬儀を迎えました。望さんにも信仰が与えられ、若くして召された御長男の信仰が受け継がれ、主イエスが約束された「ああ、幸いだ、悲しむ者は!その人たちは(神によって)慰められるからである」というみ言葉が成就しますようにと祈っています。


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