リストボタン原発推進と地縁、血縁

渡部恒三氏は民主党最高顧問であり、厚生大臣、衆議院副議長などもつとめた。彼は福島県出身で、次のような原発推進をずっと昔から語っている。
「福島県には日本の原発の30%近くがあるが、そこで育って暮らしているこの私がこの通り元気いっぱいなのだから、原子力発電所を作れば作るほど、国民の健康は増進、長生きし、厚生行政は成功していくのではないかと思う」(1984年1月5日)」
これは彼が厚生大臣のときの発言である。原発を作ればつくるほど日本全体、世界全体の危険性が増大していくにもかかわらず、政治の要職にある人がこのような誤った発言をして、人々を惑わしてきたのである。
また、この席で、「日本のエネルギー問題を解決する最大の課題は原発の建設であるというのが私の政治哲学だ」とも言ったという。
原発こそは最大の解決策だということを厚生大臣の立場からも宣伝し、さらに、原発が安全だという主張を通り越して、原発を作るほど健康が増進、長生きすると、いまから見ると笑い話のようなことを語っている。
この渡部氏の甥が現在の佐藤福島県知事であり、前任者の佐藤栄作久元知事(現知事の佐藤氏とは血縁関係はない。)が反対していた、福島第一原発にプルサーマルを導入することを、安全性等に関する議論は県議会でもほとんどしないで、決めたという。
渡部氏がこのように、原発を健康増進、長生きなどといってまで宣伝したのは、なぜか。
大事故をおこした福島第一原発を作ったのは、東京電力の当時の木川田一隆社長(福島出身)であった。
その木川田と、渡部は同じ県の出身でもあり親しい関係があった。そして渡部が代議士になったとき、木川田社長は、彼の後援会長になることを打診したほどだった。
このような地縁、血縁、そして社会的地位や権力のつながりのゆえに、原発というきわめて危険性の高いものが、安全だ、国に絶対必要だ、という主張へとつながっていく。
なお、渡部氏は東北大震災のあとでは、次のように言っている。
「恥ずかしながら、いままで全面的に原発の安全性を信頼してしまっていた。事故があっても一週間くらいで解決するんじゃないかと。
こんな状況が続いていることに責任を感じている。」
原発の地元県出身であり、何十年も原発と向かい合ってきたはずの民主党最高顧問、衆議院副議長、厚生大臣といった肩書を持つ人物が、このような認識であったことにあらためて驚かされる。
原発の爆発という非常事態がおきても、一週間ほどで解決、とは何という認識だろう。
チェルノブイリ事故では、25年経ってもなお、30キロ四方は住むことができず、燃料体にちかづけば即死するほどの放射能がいまも放出されていること、さらに原発の廃棄物は、何十万年、百万年も管理が必要だという実態から、あまりにも無知な状況を知らされる。
この渡部氏は、これほど地元の人たちが原発で苦しんでいるにもかかわらずなおも、原子力発電を推進する立場に立っていて、震災後の5月結成された地下式原子力発電所政策推進議員連盟の顧問となっているのである。
この議員連盟は、主として自民党、民主党の議員らによって今年の5月31日に初会合がなされている。これは新聞報道でも小さな記事であってほとんどの人は気付いていないと思われる。
この議員連盟の会長 平沼赳夫(たちあがれ日本)顧問は谷垣禎一、安倍晋三、森喜朗、民主党の鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、石井一、そして亀井静香(国民新党)といった名前が見られる。
このように、首相経験者が多く、両党の重要な人物がなおも原子力発電所にこだわっているのがはっきりとわかる。
原発があらゆる方面に甚大な害悪を及ぼしつつあり、原発のゆえに、何万、何十万という人たちが苦しみ、悲しみに巻き込まれているにもかかわらず、それに目をふさいで、新たな原子力発電を地下に作ろうとする新たな集まりを作るという彼らの判断には驚かされてしまう。 彼らは眠っているのだ。原発の危険性が見えないのである。
私たちもうっかりしていたら眠ってしまう。こうした社会的、政治的な問題に対してだけでなく、それ以上に、キリストに対していつも目覚めていたい。そして聖霊を受け、日々の力と洞察を与えられていきたいと思う。


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