真実をあなた方に言う。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。

(ヨハネ3の29)


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私たちはニュースは最新のものを求める。それに応えて、インターネット、テレビなども刻々と新しいニュースを報じている。
そして、それについてくわしく報道する価値がさほどないことであっても大々的に報道されることが多い。人の命を奪ったとか、その家とか場所とかを映し出したり、どこかで水の事故あった、○○大臣が余計なことを言ったとか…。
だが、いつも神の国からは、霊的な最新のニュースが報道されている。聖書を開いて心静めて聞き入るとき、これこそ最も新しいニュースでありながら、遠い昔から告げられてきたニュースでもあったのに気付かされる。
しかも、そのニュースは、時代を超えて、場所やあらゆる民族の違いなどを超えて、魂に届く内容と力を持っているのである。
福音とは、「良き知らせ(ニュース)」 という意味である。実際、英訳聖書にも、「良きニュース」というタイトルをもった、Good News Bibleというのがあり、ドイツ語訳の新約聖書にも、「良き知らせ」Die Gute Nachricht というタイトルの新約聖書も私の手許にある。
テレビや新聞などで常に新しいニュースを求めるほどの熱心さで、聖なる霊によっていつも告げられている霊的なニュースを聞き取るようでありたいと思う。
いろいろな出来事からも聖書からも、また日々に私たちに身近な自然の世界からも。

声なき声を聞き取ること

聖書は神の言葉だと言われる。そして言葉なら聞き取ることができるはずのものである。しかし、聖書を読んでいて、そこから神が自分に語りかけているのを聞き取った、という実感を持つ人は多くはないかも知れない。
私たちの目標は、単に読む、のでなく、そこに書かれてある言葉が神からの私たちへの生きた語りかけとして聞き取ることができるようになるということである。
静かなる細き声を聞き取るためには、静けさを要する。 
 周囲の自然を見ても何も神からの語りかけなど感じない、という人も多いだろう。
 聖書も同様であって、とくに初めて聖書を手にしたとき、読んでも神の言葉などととても思えない、何を言っているのか分からないということも多いと思われる。
 しかし、そこに耳をすませ、小さき細い声を聞き取ろうとする姿勢があるとき、そしてそれが持続されていくとき、確かにその文字を通して、個人的に語りかけをかすかではあるが実感するようになる。
 聖書における預言者と言われる人たちは、それを明瞭に聞き取った。ときには轟く音のように聞き取ったことも記されている。(アモス書1の2など)
 神の国に関することは、待つこと、心を集中すること、聞き取ろうとする姿勢、といったものが必要になる。
 海や空、雲、星など一瞥しただけでは、とてもそこからの語りかけは感じないだろう。
 聖書もさっと読んでも何も感じないということと同じである。
 ドイツの詩人リルケの書いたもののなかに、石に耳を傾ける人としてミケランジェロのことが出てくる。聞き取った声に従い、大理石を刻んで死せるイエスを抱いたマリア像(ピエタ)を造り出したという話しである。
 だが、そうした特別な芸術家の話しでなく、私たちは普通の生活において、周囲のさまざまのことを通して神が語りかけているということを信じ、聞き取るようでありたいと思う。
 主イエスが、種まきや野の花や小鳥、あるいはぶどうの木とその実などどこにでもあるものをとおして神が語りかけた言葉を聞き取り、人々に教えられた。そしてその教えは書かれたものとなって2000年後の現在も私たちに語りかけている。
 主イエスは、聖霊は、あなた方にすべてのことを教えると約束された。それは、聖霊が、主イエスがそうであったように、私たちの日常で出会う自然や出来事を通してその意味を語りかけてくるということでもある。
 すでにこのことは、前の号で書いたように、旧約聖書のときから言われている。

…話すことも、語ることもなく
 声は聞こえなくても
 その響きは全地に 
 その言葉は世界の果てに向かう。(詩篇19の4〜5)

 たしかにこの世は、そうした声なき声で満ちているのである。


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