荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。
(イザヤ35の6)


リストボタン手のひらに刻みつける愛

神の言葉こそは、神様のご意志と、万物を創造した力がこめられているゆえに、最も大切なものである。
聖書の最初に書いてあるように、いかなる闇にも神の言葉によって光はもたらされる。 死という最大の闇にも光を与え、復活させる力がある。
それゆえに、最も大切なものである。私たちは人間の言葉でなく、神の言葉を求めることで、祝福される。
それゆえに、次のように言われている。

…あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、
これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、…(申命記 11の18)

人間の本当の不幸とは、病気や事故、あるいは貧困ですらない。それは神の言葉を知らないことである。それゆえにこのように繰り返し強調して言われている。
けれども、このように刻みつけるということは、人間の側のなすべきことで終わるのでない。
神がその愛のゆえ、信じる者を決して忘れないことをあらわす象徴的なこととして、その手のひらに刻みつけてまでして覚えて下さるという。

…たとえ、女たちが(自分の生んだ子を)忘れようとも、
わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。 (イザヤ書49の15〜16)

現代の人も、何かを忘れないために、手のひらに書いておくという場合がある。
神が愛するものをどうしても忘れることがないようにと、手のひらに刻みつけるという。
大多数の日本人は、残念なことに神の愛どころか唯一の神がおられることすら信じない状態であるが、このイザヤ書の著者は、神がその愛するものを覚えて手のひらに刻むその愛をはっきりと感じ取った。それは特別に神の愛を啓示された体験であったゆえに、このように記したのである。
また、別の箇所では、詩篇の作者が、神につぎのように願っている。

…瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の蔭に隠してください。(詩編 17の8)

からだ全体で最も敏感に反応して守ろうとするのが瞳であるから、神はそのようなお方だということをこの詩の作者は知っていたのである。
神がそのようなお方であると全く信じていなかったらこのように、祈り願うこともあり得ないからである。
さらに、神は私たちの深い悲しみを顧みてくださる。
別の詩篇の作者は、神は私たちの涙を革袋にたくわえてくださるお方であるのを知っていた。

…あなたはわたしの歎きを数えられたはずです。
あなたの記録にそれが載っているではありませんか。
あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください。(詩編 56の9)

革袋に涙をたくわえる、この意表をつく表現の背後には、深い悲しみのゆえに、とめどもなく流れる涙があったのがうかがえる。ほかの何ものによってもいやされないその悲しみを神だけは分かってくださる。
そしてその涙の一つ一つを覚えて下さっているという信頼があったゆえに、このように願っているのである。
大国の攻撃によって国が滅びゆくという苦難のときに現れた預言者エレミヤにも、そうした深い悲しみがあった。
…わたしの頭が大水の源となり、わたしの目が涙の源となればよいのに。
そうすれば、夜も昼もわたしは泣こう、娘なるわが民の倒れた者のために。
(エレミヤ書 8の23)
あなたたちが聞かなければ、わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。主の群れが捕らえられて行くからだ。 (同13の17)
このような箇所は、単にエレミヤ個人の悲しみを書き記しているにとどまらず、その深い悲しみを知ってくださり、そして慰め、励ましてくださる愛の神を、作者ははっきりと知っていたのを表している。
そしてたしかに、エレミヤは、その深い悲しみと敵対するものに取り囲まれた孤独な歩みを神によって励まされ、支えられていたのであった。

それでは、歩けない者、疲れて立ち上がれないような者に対してはどうされるか。

…同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ書 46の4)

神は私たちの弱さを深く顧みてくださり、その慈しみによって、私たちを背負って歩いて下さるという。
さらに、砂漠的な土地、草木もほとんど生えないような所を、エジプトから目的の祖国に導かれるとき、つぎのように言われている。
…あなたたちは見た。
わたしがエジプト人にしたこと、また、あなたたちを鷲の翼に乗せてわたしのもとに連れて来たことを。
(出エジプト記 19の4)

こうした記述は、今から二五〇〇年から、三〇〇〇年ほども昔に、神から語られたこととして伝えられてきた。
そしてそのようなはるかな昔から現代に至るまで、こうした神の愛に関する記述はそのままあてはまるのである。
私たちも静かに振り返るとき、目には見えない神の大いなる翼に乗せられて今日まで歩んでくることができたのである。
また、さまざまの罪を犯してもなお、私たちを神の手のひらに刻んで下さっていたからこそ、今もなお、神の御手のうちに置いてくださっているのである。


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