休憩室(2008年)

リストボタン休憩室   いのちの水20089月 第571

○アシナガバチ
私たちの集会場の庭の花壇の花と樹木にアシナガバチ(正確にはセグロアシナガバチ)がかなり大きい巣を作っています。 私が子供のときには家の軒下などに必ず毎年複数の巣を見かけたもので、山にあるわが家の周囲にはいつもアシナガバチが飛んでいるのを見かけたものです。
しかし、三〇年ほども昔に、保健所が松くい虫防除と称して大量のスミチオンという薬剤をヘリコプターで何年もにわたって空中散布してからは姿を消してしまったのです。
私たちの集会場は市街地にあるにもかかわらず、庭には花壇や樹木が若干残っているためか、セミも多いのです。ハチと見れば、駆除するとしか考えない人たちがこの頃は増えてしまったようです。たまに誰かが刺されるとたちまち殺虫剤でハチの巣からハチたちを追いだし、滅ぼしてしまうのです。
しかし、攻撃的なスズメバチなら仕方ないとしても、アシナガバチの巣はぜひそのままにして見守ってやるのが正しいと思います。アシナガバチに関しては、私は子供のときからたくさん家のまわりにいたし、また、さまざまのハチをとらえて観察や収集したことがあるために、その習性をよく知っていますが、特別にアシナガバチに向かって危害を加えようとしない限りまず、人間に向かって攻撃などしてこないものです。
そしてこのハチは花の受粉をするだけでなく、ケムシ、青虫などをとらえて食べるので益虫とされているのです。
寒くなるとほかのハチは死んでしまい、巣も日光や風雨によって朽ち果ててなくなります。女王バチ一匹だけが生き残り、寒い冬をかろうじて生き残り、翌年の春になると一匹で巣を造りはじめて増えていきます。 巣の材料は木などを削って唾液とまぜてかなり丈夫なものとなっています。ハチという動物を観察するのには好材料です。
子供たちに対しても、英語とか算数などを単に点数をあげるためにやらせるより、このような生きた昆虫や植物などの生き方を見つめることのほうがずっとよいことです。
私たちも、そうした生き物の、その驚ろきに満ちた生き方は、神の創造の神秘を知る一助になります。


リストボタン休憩室   20088月 第570

○木星と金星
さまざまの問題に悩むとき、また悲しみにあるとき、とくに夜空の星の輝きは親しいものとなります。「悲しむ者は幸いだ、その人は(神により)なぐさめられ、励まされるから。」という主イエスの言葉が心に近い言葉になります。
また、そうした深い悩みや悲しみのない年若い子供や、元気に立ち働いている人にとっても、星の世界は心を永遠へと誘うものになり、魂の栄養となることが多いのです。
夜九時ころには、南の空に輝かしい星、木星が見えます。その透き通ったような強い光は、見る者の心を惹きつけるものがあります。金星は夕暮れとか早朝でないと見えないので、仕事などについている人たちには見ることができないのですが、木星の強い輝きは、夜通し見ることができます。
その木星の上方には、わし座の一等星アルタイル、その右には強い光のこと座のベガ、そして頭上には白鳥座のデネブが幾千年と変わらぬ光で輝いています。
空気の澄んだ地方では、このアルタイルとベガの間に天の川が見えます。
また、金星は、夕暮れ時には西の低い空に見え始めています。これから徐々に高い空で見えるようになり、目をひくようになります。暗くなり始めたころに木星が東の空に見え始めるので、これからは夕方暗くなるころには、西に金星、東に木星という惑星のうちでは最も明るいこの二つが見られるようになり、次第にこの二つの明るい星が近づいて見えるようになります。

○桂の大木
七月に北海道の帰途、青森から盛岡へは予定の時間にすこしゆとりがあったので、東北の植物を知る一助にと、十和田湖経由の道をたどりました。そこで最も印象にのこったのは、途中の山道と十和田湖畔にあったカツラ(桂)の巨木です。桂という漢字や言葉は京都にも桂という地名あり、桂離宮という有名な建物あり、人名にもよく用いられているのでみんな知っています。しかし、その実物の樹木を見たことのある人はごく少ないようです。徳島県でも私は二カ所しか自生のを見たことがありません。
しかし、十和田湖に至る道にはいくつもの桂の木が見られ、なかには数百年を経たと思われる巨木があり、桂の木独特の地面からいくつもの木が生じて幾本もが密生して大木になっているのもありました。
ことにそれらのいくつかは何人もが取り囲めるような堂々たる大木で、そのどっしりとした重み、風格というものは他には見られないほどでした。そして桂の木の丸い葉は採取してまもなくよい香りを発するようになるので、その大木の付近は落ちた葉からその香りが漂っていてそれがいっそう心惹かれるものでした。
数々の風雪に耐え、何百年もの間生き抜いてきた巨木には心を引き寄せる力があります。私はしばしその巨木を見つめて離れがたい気持ちでした。


リストボタン休憩室   2008 5 567号(無教会全国集会特集号)

○竹の成長
朝の山道でたけのこが七~八メートルに成長していたところを歩いたのですが、その若い竹の、まだ竹を包んでいる茶褐色の皮の先端から小さな水滴(*)が次々と頭上から降ってくるのに出会いました。
*) これは竹水といって、ヒスチジン、セリン、リジンといったアミノ酸を多く含んでいるとの分析がされています。

以前にも、裏山の竹林でタケノコが数メートルに成長したものからは、その竹の根本付近が水でぬれているのを時々見かけることがありましたが、細い雨のように頭上から降ってくるのに出会ったのは初めてのことです。
タケノコは、一晩で一メートルほども成長するという、植物としてはほかに類のないようなスピードで成長していくものです。その成長期の二〇日ほどはこのように根本から多くの水を吸い上げ、その余分のものが、竹から沁みだして滴となって落ちていたのです。
この驚異的な竹の成長も、一つ一つの細胞内であらたな物質が次々と合成されていくことでなされていますが、このような物質の合成は人間がする場合には、広大な敷地に巨大な工場を建て、高い温度や圧力をかけ、さまざまの薬品を反応させなければなりません。
しかし、植物の成長は一〇度や二〇度といった低い温度で、わずか一ミリの幅に数十個も並ぶような小さい細胞のなかでさまざまの物質が合成されてなされているのです。その複雑極まりない化学反応を、もし見ることができるとしたら、まさに驚異的なスピードで整然と化学反応が行われ、新たな物質が次々とつくられ、そこに根本からの水も次々と送り込まれているのが分かると思います。
竹が一日でぐんぐん成長する外見も目を見張るものがありますが、その目には見えない内部の化学反応を思い浮かべるときに、驚くべき指令が出されて人間の技術などはるかに及ばないことが行われているわけで、一本の竹から絶えず小さな水しぶきとなって落ちてくるのを見上げながら、しばし創造の神秘に感じたことでした。
人間の場合も、目には見えない霊的な祈りのなかで、闇の力との激しい戦いをなし、あるいは他者のために熱誠こもった祈りがなされ、そのゆえにあちこちであらたな人が神の愛に目覚め、神の国のために働こうとするように変化し、あるいは絶望の淵にいた人が天来の光に目覚めるという、目にみえる変化となっていくのだと考えさせられたのです。


リストボタン休憩室   2008 4 566

○春、いっせいに野山の木々や野草、花壇の植物が芽を出し、花を咲かせていきます。それらのすがたを見ていると、すべてが、復活のいのち! 永遠のいのち! と叫んでいるかのようです。
タチツボスミレなど各種のスミレやモミジイチゴの純白の花、ヤマザクラなどさまざまの草木の花の美しさ、清い美は人間の世界には感じられないものです。まさにこうした自然の風物は神の国がいかなるところかを身近なところで指し示しているのです。

○蜜蜂
わが家の近くの栗の木の根元に大分以前から、昔からわが国にいる日本蜜蜂が住んでいます。西洋蜜蜂よりも温和な性質で、攻撃されたり刺されたことはありません。
蜜を効果的に採取するのに向いている西洋蜜蜂が外国から移入されてから、蜜蜂を飼育しているというのはたいてい西洋蜜蜂です。私が小学生であったとき父が西洋蜜蜂を飼育していて蜂蜜を採取していたので、ずっと蜜蜂の習性には興味がありました。
蜜蜂の活動は毎日見ていても飽きることのない興味深いものでした。父は副業としていたので、春になるとしばしば仕事から帰っては巣箱を開けて調べていました。私もかたわらでよく観察をしたものです。
しかし、秋になるとスズメバチが毎日やってきて巣箱へと侵入しようとし、入口で大量の蜜蜂がスズメバチに噛まれて死んでいくのもしばしば見てきました。それで板切れを持ってそれらの飛来してくるスズメバチをたたき落とすのが私が学校から帰っての日課のようになっていたのです。そのようなとき、何度かスズメバチに刺されたりして、さまざまの蜂の習性にも関心が深められ、夏休みの宿題で昆虫採集をするとき蜂ばかりを集めて出品したこともあります。
現在わが家の近くに住み着いている日本蜜蜂は、あのじめじめした土の中でよく生きて行けると思われますが、三月はじめの寒いときでも数は少ないけれど晴れた日にはよく蜜蜂が飛び立っていました。次々と巣から大空へと飛び立ち消えていきます。
どのような方法で目的の花のところに到達するのか、人間のように周囲の建物や土地の状況、道を見ながら行くのではないのです。昆虫の目は人間よりはるかに単純なつくりであり、目で確認しながら行くのではなく、何も目印のない大空をきちんと目的地まで行くことができるのは驚くべきことです。仲間から蜜蜂固有の特別な方法で教えられ、太陽の光の方向を知って目的地に行くといいます。また目的地で蜜をたくさん吸いすぎても、また距離が遠すぎても体が重くなって巣まで帰れなくなるし、途中で風や雨のため帰る道を間違うとやはり途中で飛べなくなってしまうのです。そのためそのようなことにならないよう、微妙な調整をすることも知っているということです。
また、帰るときも、まったく目印のない大空をどうやって正確に帰ってくるのか、あの小さなからだに精密な測定器、計算機のようなものがあるのに驚かされるのです。
巣のそばで空を見ていると、次々と大空から蜜蜂が何も見えてなかった空間から小さな点となって浮かびあがり帰ってくるのが見えます。そうした活動を見ていると、こうした小さな昆虫の行動にもその繁殖から日毎の活動の一つ一つに見えざる御手によってその神秘な活動が支えられているのを実感させてくれます。


休憩室   2008年3月 第565

○梅とメジロ
三月となって梅の花も終りに近づいていますが、わが家の梅の木々にはメジロが毎日やってきては花の蜜を探し求めて枝から枝へと飛び回っています。
昔から梅にウグイスと言いますが、もう何十年と梅の木がわが家の前にあるので、いつも観察できますが、梅にウグイスが来てさえずるといったことはほとんどないと言えるほどです。だいぶ以前に、灌木から飛び移ったのがたまたま梅の木であったから、そのとき初めて梅にウグイス、という光景に出会ったぐらいです。
ウグイスは、冬の梅の木々のような葉もなくよく目立つようなところではなかなか見られないものです。冬は地味な地鳴きをしているし、春になるとよく知られた美声で歌いますが、それは必ずといってよいほど、低い木々のしげみの中から声がします。ウグイスの声は聞いたことがある人は多くとも、その姿を目の前で見たことのある人はごく少ないはずです。
だれからも見えるところで歌い、自由に飛び回るメジロ、それに対して人から見えないところでさえずるウグイス、それぞれの個性があります。
人間も、多くの人の前で語り、あるいは歌い、演奏したりする人とともに、隠れたところで祈りの声、声なき声を響かせている人もいます。神はそうしたさまざまの人を神の国のために用いられるのです。


リストボタン休憩室

○明けの明星は、「いのちの水」や集会だよりなどでも何度か紹介してきました。
今も早朝の五時ころから六時半ころによく見える金星を見た、とか、毎日のように見ている、といわれる方々がいます。また、火星は夕方七時ころにはもう東の空にその赤い輝きを強く見せており、夜一〇時ころには頭上にはっきりと見えますから誰でもが見付けることができます。
やや南に見える恒星で最も強く輝くシリウスやオリオン座の星々、火星より少し北よりに輝く御者座の一等星カペラ、また火星に続いて上がってくる双子座のポルックスとカストルという明るい星たち、今頃の冬の夜空は、澄みきった夜空に、真珠を散りばめたように輝く情景が毎夜繰り返されています。