休憩室(2011年)

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○星の世界 木星、文部省唱歌

夜の10時ころには、木星の強い光が、南東の高い空に見え、その左に(東寄り)には、昔から「すばる」と言われ、知られている有名なプレヤデス星団がみられます。そしてその下方には、牡牛座の一等星アルデバランがその赤い光で輝いています。 すばるは、牡牛座に属しています。さらに、北東の空には、御者座のカペラという一等星がかなり強い光でみられるようになっています。

なお、正確には、カペラは、0・1等で、日本でふつうにみられる恒星のうちでは、おお犬座のシリウス、牛かい座のアークツルス、こと座のベガについで4番目に明るい星ですから、よく目立ちます。

なお、アルデバランは、0・8等星、恒星で最も明るいシリウスでマイナス1・5等星に対して、木星は、最も明るいときでは、マイナス2・9等ですから、シリウスよりはるかに強い光で見えるわけです。 明るさの等級が、一等上がると、2・5倍の明るさになります。

星の世界に見入るときには、地上のものの何よりも永遠と清い世界へと導かれる思いがします。

星の世界というと、思いだされるのは、讃美歌としては最も日本で広く親しまれている「いつくしみ深き」(讃美歌312番)です。この讃美歌の曲が日本に取り入れられ、文部省唱歌として長く親しまれきたので、日本人ならほとんどだれでもこのメロディーを聞いたことがあるというほどです。

月なきみ空に、きらめく光、

嗚呼(ああ)その星影、希望のすがた。

人智(じんち)は果(はて)なし、

無窮(むきゅう)の遠(おち)に、

いざ其の星影、きわめも行かん。

雲なきみ空に、横とう光、

ああ洋々たる、銀河の流れ。

仰ぎて眺むる、万里(ばんり)のあなた、

いざ棹(さお)させよや、窮理(きゅうり)の船に。

この歌の作詞は、鳥取県出身の杉谷代水です。これは明治時代の難しい歌詞で現代の人には分かりにくいものなので、後になって口語の訳として別に、川路柳虹が、つぎのようなわかりやすい歌詞をつくり、中学の音楽教科書に採用されています。

かがやく夜空の 星の光よ

まばたく数多(あまた)の 遠い世界よ

ふけゆく秋の夜 すみわたる空

のぞめば不思議な 星の世界よ

きらめく光は 玉か黄金(こがね)か

宇宙の広さを しみじみ思う

やさしい光に まばたく星座

のぞめば不思議な 星の世界よ

この曲の作曲者コンバースは、1832年生まれのアメリカ人。ドイツの音楽学校で学び、さらにアメリカの大学の法学部で学び、法学博士の学位を得て弁護士をしながら作曲にも取り組んだという異色の人。交響曲やオラトリオ、管弦楽曲なども作曲したといいます。

このコンバースが、ジョゼフ・スクライバンという人(1819年生まれ)の作った詩のために作曲したのが、「いつくしみ深き」という讃美歌になったのです。

作詞者のスクライバンは、アイルランド生まれ。彼は、結婚式の前夜に婚約者が溺死し、さらに移民としてカナダに渡ったあと、婚約した女性もまた、結婚する前に溺死したという特別な悲しみをになった人だったのです。

こうした特別な状況において主イエスからの深い慰めと力を受けたという経験がこの詩の背後にあったと考えられます。それが法学博士で弁護士という異色の作曲家のメロディーとともに、主イエスの愛を歌う讃美歌として広く愛されてきました。

さらには、日本に取り入れられて、日本の唱歌となった讃美歌のうちでは最も親しまれているものとなっているのにも、悲しみをも祝福に変えられる神の力を感じさせるものがあります。


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○木星

この頃、夜11時ころになると、東から澄んだ輝きの木星が現れてきます。これからかなりの期間、少しずつ見える時刻ははやくなっていきつつ、その光を私たちに見せてくれます。
その、私たちを見つめるような輝き、このところずっと台風などの影響のため、晴れる日がなく、見ることができなかったので、ずいぶん久しぶりに見たその木星の輝きはとくに心に入ってきたのです。
雨上がりの月のない夜、澄みきった東の空に、輝くその透明な光は、その単純さ、清らかさにおいて他のどんなものにもまさるという感じがします。


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野性のネコ
朝ごとに、山の小さな谷ぞいを歩きます。それは心身のためによいからです。からだは運動によって血液循環はよくなり、また心は、周囲の自然によってまた祈りにより、そして聖書の言葉を思いつつ歩きますと、新たな意味が示されることがよくあります。
この「いのちの水」誌に書くべきことも、そうした朝の山を歩くときに与えられることがしばしばです。
その谷川で、野良猫を時折みかけます。そして時々新しい小鳥の羽が散乱していることがあり、そのネコが小鳥を襲って獲物にして飢えを満たしたのです。飼い猫はのんびりこたつのなかで眠っておれますが、野良猫は、厳しい雪の降るような寒さのなかでも、必死で獲物を得ようとして長時間草むらや谷の側にひそんで待ち続け、ちょうど目の前にきたものを全身を一つにして飛び掛かるわけです。
それはとても困難なわざです。いくらネコが必死になっても、羽もあり、小さくて、目のするどい小鳥たちに飛び掛かる前にたいてい逃げられてしまいます。しかし、その必死な姿は涙ぐましいものがあります。ペットとしてかわいがる人もなく、自然の厳しさのなかで野性のわざを磨いて生きているのです。
人間も、心身を集中して何事かに向かうときそれをとらえることができるのだと感じたことです。ダンテは政敵から追われ、命の危険のなかで神からの示された言葉を全力で神曲という詩に結晶させました。
聖書に記されている預言者や詩の作者たち、またパウロなど福音の伝道者たちは、神によってそうした集中力を与えられ、神の言葉を聞き取り、あるいは福音を伝えるはたらきへと導かれたのだとわかります。
私たちも、祈りに心を集中して求めるとき、新たな力や、困難から脱する道が示されたり、またすぐには与えられずとも、何年、あるいはもっと長い年月のあとにその祈りがかなえられることを知らされることがよくあります。