2014

もくじ

201412月 第 646

201411月 第 645

20149月 第 643

20148月 第 642

20147月 第 641

20145月 第 638

 

201412月 第 646

編集だより  

来信より

〇…み言葉を食べるといいますが、いつも新しい味わいで、汲めども尽きない思いです。ほんとうに神さまのみわざには驚かされます。

 最初は、こんなところまで導いてくださるとは思ってもいませんでした。み言葉によって導れていることを、深く感謝です。(四国の方)

 

〇世の中だけでなく、私たちの集りの中でも言葉が氾濫しているとつくづく思わされます。その中で、何が真実を、真理を語る言葉なのか、何が神のみ旨であって喜ばれる事なのかを見抜く目を失わないようにしなければならないと思わされています。

 また、語る側も、特に主日礼拝においては、語るべき事(言)は何かをよく見極めて簡潔に語らねばならないと自戒しております。

 「今日のみ言葉」244号で示してくださった「光あれ!」という神の言葉は確かに闇を退ける神のみ言葉であり、今も生きていることばでした。

 今の日本の政治、国民の向かうところは全く闇であり、そのことに国民が全く気が付いていないことを毎日これでもかこれでもかと示され続けていると、この「光あれ!」という神の現実をつい見失いそうになります。

「闇は光に勝たなかった」という聖書の言葉にも力づけられて神への信頼に歩みたく思いました。

 

〇マラキ書3の20のみ言葉

見よ、その日が来る  ‥わが名を畏れ敬うあなたたちには 義の太陽が昇る‥

今まで聖霊を受けず素通りしていた御言葉が、魂の深い部分に喜びをもたらしてくれます。

主のなさる事は時にかなって美しい…。(四国の方)

 

〇昨日、いのちの水645号と集会だより412号が届きました。

ありがとうございました。

… 天使たちは皆、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。

「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」           (黙示録7の1112

「それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。」

            (アモス書8の11

  いのちの水を早速拝読し、予定していたテゼの祈り特別集会(超宗派)に久々に出かけました。 雑念が消えた静かな聖なる時間を過ごすことができました。

 終了後帰り道で、「晩秋の白い花の賛美」(「いのちの水」誌11月号)などに掲載の聖句が強く頭に浮かびました。                  (九州の方)

 

〇「いのちの水」2013年3月号の「アンクル・トムス・ケビン」を読んでいます。…

 トムの言葉「私の魂の中でそれを感じるのです。…『キリストの愛は人知を超えるもの』なのです。」…

 に触れ、私がキリストを信じると言ってる事は、まだ単にどちらかわからないのを信じる所から抜け出せず‥ただ経験させて頂いた事実によって、かろうじて魂でキリストを信じる事へ立ち返ろうとしている途中です。

 自分の傲慢さ 罪深さに顔を上げる事が出来ません…。

 明日は、…静かな祈りの中に、主を トムのように感じたいと思います。

今夜はミリエル司教の様に(*) 眠りにつく前に庭に出て目に見得る星の輝きと目に見える神の輝きに触れたいと思います。(四国の方)

*)「いのちの水」誌 二〇一三年二月号。 「レ・ミゼラブル」―聖書 との関連について。

201411月 第 645

編集だより

来信より

〇最近、祈りの時間を確保する重要性を感じています。短くても、神様と一対一で対話する静寂の時間を持つのです。そこから神様からのよきもの、力を賜物として頂けます。

 聖書を読む時間、賛美をする時間を1日のうちにとっておくのも大切ですが、祈りの時間をとっておくのも忘れてはなりません。祈りながら思いました。

 人間は肉体が死ぬとき、病気などで思考が安定しなくなってきたとき、最後に出てくるのは難解な神学書などではなく、暗唱していた聖句を伴う祈りや好きな讃美歌のメロディーの一節くらいしか出てこないのではなかろうかと。生きがい、のことを人はよく口にしますが、主イエスを救い主として仰ぐ信仰こそは、死にがいのある本当の生き方のような気がしました。                (四国の方)

 

〇カトリックとプロテスタントの違い、それと万人救済説の問題点について聖書を基に正しい見解を示して下さりありがとうございました。

 カトリックのことをどう受け止めるべきか、今回の吉村さんの見解の中に、解決がありみ言葉を通ってしか正しい信仰への道がない事を思います。

 自分の気持ちや感性をみ言葉より重視していたら、万人救済説のようにキリストの十字架の意味も復活もなくなるという事を思いました。

 私達のこの信仰生活も伝道の意味もなくなりみんな同じになってしまいます。

 神様は人間とは比較にならない超越した存在であり、人間の知恵で分からない事もみ言葉を良しとして受け入れていく姿勢が、「いのちの水」誌10月号によりはっきり示され、こうした問題で迷っている人には目からうろこだと思いました。

 大抵の人にとって謎のような苦しい人生に、み言葉の解き明かしによって意味を見いだし、励まされ、生きた主イエスの霊を具体的に受け取れるよう、目の前の手の届く所に「いのちの水」誌のような印刷物を置いてくださる、そのような橋渡しのための働きはとても大事だと思います。

 神様の世界は目に見えないので、この世の強力な力に支配されすぐ曇って見えなくされ、誤謬や迷信が入ってきます。

  キリスト者の方々が、日曜日の礼拝のたびに、心の中のゴミが取りのぞけられ、霊の目が見えるように、み言葉が解き明かされること、そして、目的地である神の国に迷わず向かっていくことができるようにと願っています。(四国の方) 

20149月 第 643

編集だより

 

○前月号に報告を書きました、北海道の瀬棚聖書集会と札幌交流集会に関して、参加された一人であった関 聡兄が書かれた感想などを掲載しました。

 各集会での聖書講話の要約なども書かれていたのですが、それらは編集の都合上、掲載できませんでした。

 

来信から

○…先に「エフェソの信徒への手紙」のCD(*)を手にして、まだ14回目を聞いた途中ですが、信仰の初めの段階で書いたものではなく、パウロの晩年の手紙の内容に、信仰の究極の姿が示されていることを知りました。学ぶこと少なく、今にして初めて知る感動です。

 改めて、吉村先生の聖書講話を通して、福音を学んでゆきたいと思って、購入の申し出を行った次第です。

 そして、知人に教会に籍があった人ですが、その後いろいろの事情で久しく礼拝を守ることができなかった人に勧めたい思いを持ち、それにはまず福音書がいいのではないかと思い今回手にした次第です。

 イザヤ書の聖書講話は、まず私の学びに使わせて戴きたいと思っています。(近畿の方)

 

*)吉村孝雄の聖書講話シリーズに含まれる。MP3版CDで3巻 52回の講話=約30時間。価格は 1500円。(送料込)これを聞くためには、MP3対応の機器が必要。現在の製品で一番推薦できるのは、ソニー製のCDラジオ(ZS-E20CP)で、価格は五千円前後。

 

・パウロの手紙と言えば、まず「ローマの信徒への手紙」が、思い起こされるのですが、それ以外の書簡は、ガラテヤ書がそれに次いで取り上げられることが多いと感じます。

 しかし、エペソ書、フィリピ書、コロサイ書などは、あまり力を入れて読まないというキリスト者が多いのは残念なことです。

 聖書講習会や特別集会でも同様で、これらの小書簡の重要性が残念なことによく知られていないと言えます。

 

○…(7月下旬の集会での)お話しは大変説得力のあるものでした。聴覚や視覚の乏しい人に何か伝えることの難しさ…を語られましたね。

 その後で、ほんのひと言だったと思いますが、「神の言葉が分からない人は、聴覚の障がいがあってまだ言葉の分からない人と同じで、何かちょっとしたきっかけで急に解るようになる。」(*

 このたとえ話は、実に良く理解できました。私にもいつか神の声が聞こえてくると良いのですが、今のところ、自分流の理解をしています。…

 お話しの仕方は、昔、基督教独立学園が学んでいた頃、当時の鈴木校長が語ってくれた聖書の言葉に似ていました。多くの知識のなかから、導き出した解釈でした。…当時の私は聖書に関心がなく、校長の語る言葉をほとんど覚えていません。今となっては本当に残念なことをしたと思っています。…(東北地方の方)

 

*)私(吉村)が聴覚障がい者の教育にかかわっていたとき、一人の特別に言葉がわからないろうの子供を(教科でも教えていなかったけれど)、私が申し出て、周囲に一度その児童の教育を特別に受け持たせてもらったことがありました。ほかの子供たちとは、あまりにも差が大きく、ほとんど言葉がわからない状態で、ほかの子供はみなわかっている言葉の意味も解らず―例えば遊ぶとか学ぶ、読む等々の基本的な言葉もわからず、曜日や、一日という概念がどうしても解らず―これらの言葉は、目に見せて示すことができないために、担任の教師もそれを解らせる方法が見つからず、当時は手話を禁じていた状況であり(したがって担任も手話は使えず)、そうした手段もいっさい使わずに放置してあるという状況だったのです。 1~2ヶ月にわたって、手真似、手話も使い、いろいろな手を尽くしてやってあるとき その子供は、「曜日」という意味がわかり、目に見えないものに言葉がある、ということに気づいたのです。それからぐんぐんとその子供は成長しはじめたということがありました。

 

○「天からの風」…神からの風は予想もつかないというところに吹く。

 自然―海や山に近づくほど、神の存在を感じる一方、人間関係が近くなりすぎると天からの風は遠のくことを実感します。 だから自分のまわりを神の風が通りやすくしておくことを忘れないようにしようと思います。(近畿の方)

 

○8月号の「人と人との間に、神の風を吹かせよ」とはとても教えられる言葉です。真実な交わりを持つためには、不義な私たち、真実な方を通して交わるしかないということだと思います。

…たとえて言うなら、僕は、花を咲かせる泉が与えられたことよりれ、ようやく咲いた花のほうを大切にしてしまったのです。

 花は一時咲いてもまた枯れます。僕は、花のことばかりを気にして、肝心の泉のことをおろそかにしていました。

 その花を咲かせるためにどれほどの犠牲をはらってくださったかを忘れ、与えられた喜びを自分の楽しみのために使おうとしました。

…救い主イエス・キリストによって与えられた泉から湧く水は、ただの水ではなく、尊い血潮だと思います。…

 たとえ闇の力にしり込みして逃げ帰っても、イエス様はすでに世に勝っておられます。

 どうしょうもない弱さとみじめさの中から引き上げてくださった神の愛は、何度でも絶望の中から引き上げてくださると信じます。

 そしてその度に新たな力を与えてくださり、完全な者へと導いてくださると思います。

 救われてなお罪人であり、弱さを抱えた者を生涯にわたって導かれる主に望みをかけ続けようと思います。(関東の方)

20148月 第 642

編集だより 

 

○今月号は、私が一か月近く県外に出ていたために、発行が遅くなりました。 

○CDラジオと聖書講話シリーズMP3版

 最近完成して発売したイザヤ書の聖書講話、意外な方から、意外なときに申込が県内外から続いています。「いのちの水」誌のすべての内容を読まない方々もおられるので、後から読み直していたときに気づくとか、あるいは別のことからそれを使ってみようという気持ちが生じることがあるようです。  イザヤ書やエペソ書、ルカやヨハネ福音書、創世記など、私の聖書講話シリーズを聞くためには、パソコンかMP3対応のプレーヤが必要ですが、ソニーのこのMP3対応のCDラジオ(型番ZS-E20CP)は、CDラジカセの764種の製品のうち、売れ筋ランキングは第一位となっているもので、その使いやすさが高く評価されているのがわかります。価格は変動があり、現在の平均価格は5000円程度。


リストボタン来信より

 

○「いのちの水」641号と集会だよりNo.408が届きました。ありがとうございました。

 「神を仰ぎ見る」 強いインパクトを受ける言葉です。

 内村先生の最晩年、病床の先生は「キリスト教とはどの様な宗教ですか」との質問に、「神を仰ぎ見る宗教です」とお答えになったと聞いています。一言でのご回答がこの言葉でした。

 6月13日天宝堂集会の講話、印象が強いですね。会の情景が、その時の吉村先生のお姿が目に浮かびます。(九州の方) 

○「いのちの水」7月号が届きました。どの稿も大変心にしみ入るように読ませていただきました。

特に「神を仰ぎ見る」が特に心に残りました。

 また「主の平和と社会的平和」も学ぶものが多くありました。

 共産党の友だちが最近、赤旗を送ってきて購読を勧めてきたので私の方も、いろいろと主の平和について、また社会での闘いについて話しました。(関西の方) 

○…イエス様のみ言葉を「聴いて」それを、時に語られた神の言葉を、「語る」という、まことにシンプルな道を示されたように思っています。 

 十字架につけられたイエス様が、共にいてくださることを常に感謝し、主の十字架を誇りにしていきたいです。…(関東の方) 

○ペテロ第二の手紙の1~15を繰り返し読んでいます。10節の、召されていること、選ばれていること…いっそう努めなさい。日頃の生活のなかで、この「大切なこと」を忘れかけている自分がいることにはっとしました。感謝です。(東北地方の方) 

○記録映画「日中戦争」を見て。

 私の父は日中戦争で砲兵隊長将校として長沙作戦に従事しました。

 感想と学んだことを長くなりますが、忘れないために書いておきます。

 父の参加した長沙作戦の歴史的な位置づけが、これでようやく理解できました。

 アメリカからみた、日中戦争の全貌ですが、よくこれだけのフィルムを 1944年の時点で集め、編集できたと感服します。

 中国4000年の歴史と日本の海外侵略構想を明確に位置づけ、

 中国侵略の全体像を軍事的な視点で分かりやすく見せてくれます。

そのほか教えられたことですが、

1.上海、重慶への無差別爆撃、この二つの爆撃の効果が全く異にしていること。

2.南京侵攻での虐殺、その後、主要都市「長沙」の侵攻に日本軍が失敗敗走したこと。

3.分裂した中国人民、軍閥、孫文-蒋介石、共産中国が一致団結して抗日したこと、

4.膨大な物資と人々が、戦略的に中国国内で西方に大移動し、あとに何も残さないようにしたこと、

5.連合国側のビルマからの陸路物資搬送、その為の道路は手作業。

6.後にインドから空路輸送、アメリカ国内での中国空軍の訓練育成。

7.中国侵略が日本の田中男爵(田中義一のこと?)により世界制覇まで構想されていたこと。 

 11944年時点でのアメリカの映画ということで、ずいぶん大雑把なとらえ方なのかもしれないと割引をしても、全体像を強烈に見せてくれました。

 こんな馬鹿なことを日本人は、なにも知らないでやっていたのかと、

 あまりの非常識にあきれましたが、そのときには、疑わないで、命を賭して、やっていたのですね。

 いまも集団的自衛権が行使できると閣議で決定していることが、これからどうなってゆくのか、

「日中戦争」の映像と重なりました。歴史をしっかり学ぶことが大事と思いました。

  政府、支配層は武力行使について架空の想定をしているわけではなく、これ から実際に、

 日本国外のどこかで、具体的に武力行使を実際に行おうとしているのでしょう。

それが、どこで、いつ起こそうと計画しているかは特別秘密保護法によって隠したいのでしょう。

 主の平安を御言葉によって与えられ、平和の祈りができるようにと思いました。

「アッシジの平和の祈り」を聖学院大学長の姜尚中(かんさんじゅん)さん(*)があいさつで取り上げたと教えられましたが、8月の敗戦記念の時にとくに大事なこととして受け取りました。(中部地方の方) 

*)聖学院大学のもとになったのは、今から100年余り前に設立された、キリスト教伝道のための聖学院神学校。

 姜尚中は、1950年熊本市生まれの政治学者。在日韓国人二世。東京大学名誉教授。(編者注)

20147月 第 641

 リストマーク編集だより 

来信より

○イザヤ書CDの全巻をありがとうございました。さっそく1章、2章を聞く事ができました。イザヤ書のスケールの大きさに驚かされます。2700ほども前に語られたこれらの言葉が、現在の「私」に「現在の日本」に何を語りかけているか、心の中で思いつつ学びたいと思います。(中部地方の方) 

・主日礼拝や各地の家庭集会などで私(吉村)が話した聖書講話は、不十分な点が多いのですが、それでもヨハネによる福音書CDの完成以来、多くの方々から申込あり、次の来信にあるように、個人としても用いられ、また各地の集会でも用いられていること、感謝です。 

○…神から与えられるあらゆる手段を用いて伝道に用いさせていただこうと思います。「いのちの水」誌を4部これからはお願いします。

 永遠に続くいのちの水の流れを感じます。(関東地方の方) 

○「いのちの水」誌によく天体のことを書いてくださり、共感を覚えています。5月26日に、月と明けの明星(金星)が横に並ぶことがわかり、早起きして撮影しました。(関東の方、その写真も送ってくださいました。)

20145月 第 638

編集だより

 

・今月号は、「祈りの友」会の会報第2号の編集と重なったために、時間が十分に取れず、 不十分なものですが、主がそれをも福音のために用いてくださいますようにと願っています。

・テロがあちこちで生じるのも、一つには武器弾薬が大量に拡散してしまったからです。 国家間においても、それぞれの国が軍備の拡大をするほど、安全は高まるのでなく、全体としてみればますます危険な状況になります。

 集団的自衛権の行使ができるようにするなら、制限を付けるなどといっても、そのような制限は状況に応じて簡単に変更されてしまう可能性が大きく、他国の戦争に巻き込まれる危険性が高くなります。

 憲法9条こそは、日本が世界平和のために今後も貢献できる大切な道です。軍事の協力でなく、そして軍事に要する莫大な費用を、個々の国々の災害や貧困、難民、公害等々に心のこもった援助を多く注ぐことこそ、真の防衛であり、安全につながることです。

 

リストボタン来信より

○先日は、第40回キリスト教四国集会のDVDを御送付頂き、妻と3日間で全部拝見し、大きな恵みと感激を味わいました。

 吉村先生と関根先生の講話、石巻の被災者、原光子さんと数名の方々の証言、また、讃美の数々感激を与えられました。

 特に、手話を交えた讃美は圧巻でした。

 私達も、主がお導き下さるならともに出席できる日をと願ったことです

北田康広さんご夫妻の讃美演奏が素晴らしかったことと参加者の方々の感話も実によかった。(関東地方の方)

 

○いのちの水の、「海の上を歩くイエス」。

 わたしも、この十数年なんとかこの世の海に飲み込まれずに来られたことを感謝です。-本当はもっと、幾度も、また決定的に飲み込まれることがあるだろうと思ったりしたこともありましたが…。 不思議なことです。感謝です。

 わからないことが霊的にほんの少しでも見えるようになることは、大きなよろこびです。

 普段、漠然と思ったり、ちょっと気づかされたりすることも、このようにわかりやすくはっきりと書いてくださることで、あらためてみ言葉にゆたかに触れ、その深い意味と広がりを知り、じっさいにいのちの水とパンとしていただくことができると思わされ、本当に、なによりの感謝です。(四国)

 

○毎月の「いのちの水」(併せて「集会だより」も)を読ませて頂いておりますが、聖書の奥深い福音のメッセージを楽しみにして読ませていただいております。

 特に、聖書について、福音について知らない身近な人にメッセージを知らせるための参考にさせていただいております。

 私は、専門的な聖書学などの学びはできませんので、大いに喜んでおります。ご健康が守られて、ますます大胆に、御言葉を語り、取りつがれますようにとお祈り申し上げます。(中部地方のYさん)

 

○昨日はじめて 徳島聖書キリスト集会のイースター特別集会(4月20日)の模様を聞かせていただきました。

 多少聞きづらいところもありましたが、すべて聞かせていただきました。

 素朴な感じで、単なる行事に堕せず、本当に神様への感謝の念が満ち溢れているように思いました。

 皆さんそれぞれ主イエス様への真実な愛にあふれていることが伝わってきました。

 私も一度徳島県にお伺いして参加させていただき、皆さんにお会いできることを願っています。(関西地方の方)

 

○キリスト教に出会えて、何が一番大事なことなのかを、教えられたことは感謝でございます。信仰の歩みは、遅々としており、神様に見捨てられまいと必死で歩んできたように思いますが、そうではなく、聖霊の力により、導いてくださっているのだと…。