今月の聖句

暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。

(マタイ福音書四・16

ライトをつける   1999/12

 夕方になると、車はライトをつける。それは自分が走るときに暗いからライトをつけるのだとたいていの人は思っている。それはその通りであるが、もう一つライトをつけるのは、自分の位置を知らせるという意味がある。
 一部のヨーロッパの国では、昼間であっても自動車はライトをつけることになっているという。かつて、イスラエルに行ったとき、エルサレムに向かう路上で、はるか彼方から砂漠のような荒涼とした大地の上を、こうこうとライトをつけてつぎつぎと走ってくる車を見たときにはどうして昼間からつけているのか、消し忘れなのかと思ったことがあった。その地方では、車の位置をはっきりと知るのに効果的なのでライトを昼間でもつけるのだと説明を受けたことがある。
 最近では、日本でもバイクは昼間でもライトをつけるのが普通になっている。それは、ライトをつけた方が事故の率が少ないという統計が出たからだという。
 
 私たちは人間にもライト(光)が必要である。日々のいろいろの問題に直面するとき、どちらの方向に歩いていったらよいのか、私たちはずっとこのまま歩いていったらどこへいくのか、など答えられないことが数多くある。それは適切なライトがないからであった。
 光なるキリストを持つことによって、正しく私たちの前方を照らしてもらえるようになる。私たち一人一人の前途、また私たちが今かかえている問題にどうしたら正しく対処できるのか、私たちの社会はどうあるべきなのか、何がこの世で一番大切なのか、等などはキリストの光によらないときちんと判断できず、先が全く見えない。
 それだけではない。私たちがあと数十年したらどうなるのか、死んだらどうなるのかというすべての人に訪れるきわめて重要な問題や、人類の将来はどうなるのかも、キリストの光がなかったら、前途は見えず、死んだらすべてが消えていく闇のなかに入ってしまうとか、無になってしまうということしかわからない。
 このように、キリストの光はたしかに私たちの考えや、将来、現在の問題を照らし出してくれる。
 しかし、それだけではない。私たちがキリストの光を持っているということをはっきりと言い表すことによって、まわりの人たちも私たちがどこにいるのかという位置をはっきりと知ることができる。
 車がライトをつけていると、遠くからでもその車がどんな色や車体の車であるか、だれが運転しているのかなどより、はるかにライトそのものに私たちは目を向けるようになる。
 それと同様に、私たちは自分がいかに弱く、貧しくあっても、キリストの光を持っている(与えられている)というだけで、まわりの人は私たちの持っている光そのものに関心が向けられる。
 そしてその光は、私たちがどこにいるのかをはっきりと示すものになる。そしてその光に注目する人が生じ、その光を吹き消そうとする人が生じる一方で、その光そのものの力に引き寄せられる人も少数ながら必ず現れる。
 
ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。
入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。(ルカ福音書八・16
 
 私たちが、周囲の人に唯一の神とキリストを信じていると表明するだけで、私たちはキリストというともしびを燭台の上に置いたことになる。


闇と光

 悪はなぜ、どのような過程で存在するようになったのか、人間の問題を深く考えようとするときに、だれしもそのことを一度や二度は考えたことがあるだろう。
 しかし、聖書はその問題についてはごくわずか、象徴的な表現で述べているだけである。 人類の祖先とされているアダムとエバが禁じられた木の実を食べたからだという表現である。しかし、このような物語で納得する人はごく少ないと思われる。
 さらに、主イエスも、この世になぜ悪があるのかという問に対して毒麦のたとえという象徴的な表現で答えている。
 
イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国(*)は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。
人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。
僕たちが主人のところに来て言った。『ご主人様、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』
主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、
主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。
刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
 
*)この箇所における天の国とは、死後の世界のことを意味するのではない。天とは、神のことを言い換えた言葉で、国とは王の支配という意味。それゆえ、「天の国」とは、「神の(王としての)御支配」という意味になる。神がこの地上を王としてどのように御支配なさっているかということを示すたとえだということになる。
 
 ここでも、なぜ毒麦があるのか、なぜ、そんな有害な種を蒔いていく者がいるのかなどといったことは全く触れていない。
 しかし、聖書がはっきりと告げていることがある。それは、それらの悪は最終的には、神によって裁かれ、滅ぼされるということである。
 そして、ほかの箇所では、悪がいかにしてその力を失うのか、どのようにしたら私たちは悪の支配から免れることができるのかということを繰り返し告げている。
 聖書の一番最初にも、私たちの世界や人間の心の状態が暗示されている。
 
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け・・、(創世記一章より)
 
 このように、最初の状態はいかなる秩序もない混乱と、闇があったということから、聖書は始まっている。たしかに周囲の社会を見ても、いたる所に闇があり、混乱が満ちています。教育の世界、政治、経済、科学技術、家庭などなどどの部分をとっても、混乱と暗い状況が浮かび上がってくる。一見はなやかなスポーツの世界でも、その最大の祭典である、オリンピックにもさまざまの闇の部分があることが、報道されている。
 新聞とは多くの場合、そうした社会の混乱と闇を伝えている。そして社会とは人間一人一人によって構成されているのであって、社会の状況はそのまま、一人一人の人間のなかに、混乱と闇が深く宿っているということになる。
 この創世記の最初の記述は、そのようなあらゆる混乱と闇のただ中に光が注がれるという事実を直接的に述べている。
 神がひとたび「光あれ!」と言われるなら、いかなる混乱と闇があっても、そこに光が臨むという真理を聖書は巻頭に宣言しているのである。
 この世の悪とか、闇がどのようにして生じたのか、なぜ存在するのか、等などの哲学的問題を私たちの頭でいくら考えても結局は、納得のいく説明などはできないのであって、そこに光はやっては来ない。
 ただ神の言葉を待ち望むこと、神の御手が働くことを信じて歩むとき、神は、必要なところに「光あれ!」と言われ、そこに光は宿る。
 私自身の過去を振り返っても、この世界や宇宙を真実な唯一の神が創造し、見守っておられることを知らなかったときには、まさしく混乱と闇が心にあった。その解決のためにいろいろの書物を読んでも、一時的にそうしたものへの光を感じることはあっても、ふたたび混乱と闇が忍び寄ってくるという状態であったのを思いだす。
 しかし、あるときからそれまで全く考えたこともなかった神がおられ、私たちを導いておられることを知った。そして心の最大の問題の解決の道を指し示してくれた。
 それは、神が迷える羊であった私に、「光あれ!」と言われ、私の心にそれまで全くなかった光で照らして下さったからであるとわかった。
 キリストは闇のなかに輝く光となるためにこの地上に来て下さった。心に闇を感じる人、この世の闇に心ふさがれる思いになっている人は、静まってキリストのもとに行こう。そこからどんな闇にも打ち勝つ光が注がれるのだから。

もし、私が足を洗わなかったら

 イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
 イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
 シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
 イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
 ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
 そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
 イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
 さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、・席に着いて言われた。「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。(ヨハネ福音書十三・115より)

主イエスが弟子たちの足を洗ったこと

 主イエスが最後の夕食を弟子たちと共にしようとしたとき、だれもが予想もしなかったことが生じた。それは、主イエスが弟子たちを最後まで愛し抜かれたことを象徴的に示すものであった。
 弟子たちが、エルサレムに来る途中に主イエスは自分がもうじき殺されるといって重大な事態になると予告しているのに、弟子たちは、自分がイエスの新しい支配の国で、高い地位につきたいと願ったり、だれが一番偉いかと議論している有り様であった。そうした弟子たちのかたくなな心がこの、主イエスが弟子たちの足を洗ったという記事の背後にある。
 イエスは、手ぬぐいをとって、上着を脱ぎ、たらいに水を汲んできて、弟子たちの足を洗い始め、てぬぐいでふき始めた。
 このことは、当時の習慣を反映していると考えられている。当時は、晩餐に参加するときには、会場となる家に出発する前に、自宅で体を洗う習慣があり、途中の道での汚れを、目的の家について奴隷たちが洗うのであった。
 足を洗うということは、当時は奴隷がする仕事であった。だから、弟子たちは主イエスがそんなことをしようとしたので、とても驚いてペテロはただちに拒んだほどであった。そのようなペテロに対して、主イエスは、「もし、私があなたを洗わなかったら、あなたは私と何の関わりもない」と言われた。
 足を洗わないだけで、それまで三年間もずっとともに行動してきた主イエスとペテロが何の関係もなくなるということは、本来はありえない。今までも夕食のときに、主イエスがペテロの足を洗わなかったことが普通であっただろう。だからこそ、弟子たちは驚いたのであった。それゆえこの主イエスの言葉は、キリスト信仰の重要な内容を象徴的に現していると言えるのであって、その意味を考えてみよう。
 私たちが主イエスから足を洗ってもらうとは、どんな意味が込められているだろうか。、足の汚れとは、私たちの霊的な汚れ、罪の汚れを意味している。そしてそのような罪の汚れを清めて頂くのでなかったら、たしかに私たちは主イエスとは何の関わりもなくなってしまう。私たちが主イエスと関わりがなくなるということは、実に大きなことである。この箇所は、たいてい、互いに足を洗い合うという側面が強調され、そのことがとくに印象に残ってしまうことが多い。しかし、主イエスと何の関わりもなくなってしまうということは、滅びるということをも意味している。それは直前に言われている裏切り者のユダと同様になってしまうことを意味する。
 私たちは、主イエスから洗ってもらった、だからこそ、主イエスとつながりを持つことができるのである。
 ユダはどうして滅んだのだろうか。それは、同じようにキリストの愛のなかに置かれ、その神の言によって導かれたにも関わらず、それを受け取ろうとしなかったからである。 主イエスが奴隷と同様な最も低い姿となって、弟子たちのために足を洗おうとされた。そのことを受け取らないときには、関わりがなくなってしまう。
 私たちが最も必要なことは、主が私たちにして下さった愛のわざを感謝して受け取ることなのなある。もちろん、当時の弟子たちのように、文字どおりに主イエスに足を洗ってもらうなどということはありえない。主イエスが十字架で死んで下さったこと、犯罪人と同様な低い低い姿で私たちのために汚れを担い、身代わりに死んで下さったことを感謝して受けることである。
 それによって、私たちは主イエスとのつながりを保ち続けることができる。
 主イエスは、つぎのように言われた。
 
「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」

 この箇所も用いられている言葉はわかりやすいが、必ずしも意味は分かりやすいとは言いがたい。すでに体を洗ったといっても、いつどこで洗ったのだろうか。どこにもそれは書かれていない。
 この言葉は、ヨハネ福音書の十五章三節の「私の話した言葉によって、あなた方はすでに清くなっている。」という言葉と関連がある。弟子たちが主イエスの愛のなかに生き、その真理のみ言葉によって導かれているとき、すでに清められていると言われているのである。
 主イエスに身をゆだねた者は、「からだを洗った」と言える。これは、その後の箇所で、ユダは「清くない」と言われていることからわかる。主イエスの愛を拒み、み言葉を拒絶するとき、清められていないということができるがユダはまさにそうした拒絶する人であったと考えられる。
 
 主イエスに足を洗ってもらうということ、すなわち清めてもらうということの意味は、「そのときには弟子たちにはわからないが、後で、分かるようになる」と主イエスは言われた。これは自分は清いと思っていてもどんなに汚れた思いが生じるか、どんなに重い罪を犯してしまうかを知らないからであった。ペテロも自分は正しいと思っていても、主イエスを三度も知らないと言ってしまうほどであった。そんな自分の弱く醜い本質を知るとき、主イエスによる清めがいかに必要であるか、それなくしては、たしかに主イエスとはつながりを持つことができない存在であることを思い知らされるのである。
 それは聖霊を受けて初めて真理が明かになっていったことを意味している。聖霊はすべてのことを教えると、ヨハネ福音書に記されているとおりであった。聖霊によって、主イエスが足を洗うこと、(清め)が不可欠であること、十字架の死こそ、その清めと赦しを万人に与えるものであったこと、をも知らせるものであった。復活も十字架も聖霊を受けて初めて弟子たちもその意味が分かったのである。
 現代の私たちにおいても、主イエスが私たちの汚れを洗って下さったということがどんなに深い意味を持つか、あとになって少しずつ分かってくる。
 からだを洗ってもらったから、足だけを洗ったらよいという言葉の意味については、私たちが聖霊により、主イエスキリストにより新しく生まれ変わっているなら、あとは、日々の生活でこの世の汚れを日々洗って頂くことだけが必要なのである。たしかに、キリストの十字架を信じて罪赦された者であっても、日々の生活の中でさまざまの悪との戦いによって次第に世の汚れがしみこむとき、私たちはいつのまにか、キリスト信仰からはずれていく。実際、そうした離反していく人をいろいろと私たちは見てきた。
 
 このように、私たちは信じてキリストの言葉を受け入れた時点で、清くされているが、その後の生活においてつねに何らかの汚れはつきまとってくる。それゆえ、日々の罪を告白して赦して頂き清めて頂くことが必要なのである。

 「もし、私(イエス)が足を洗わなかったら、あなたは私と何の関わりもない。」この箇所は、現代の私たちにとっては、キリストによって汚れ、罪を洗って頂いて初めて、イエスとつながることができることを意味している。それは私自身の経験であった。そして主イエスによる罪の赦し、清めの重要性がわかるということが、すなわちキリスト信仰の世界に招き入れられるということなのである。
 ここからすべては始まる。これはキリスト信仰の出発点であり、だからこそ、決別遺訓の冒頭で言われていると考えられる。
 主イエスによる清めを受けて始めて、そこから互いに奉仕しあうこと、互いに足を洗い合うことが可能になる。だからこそ、主イエスもまずイエスが弟子の足を洗ったのちに、互いに足を洗い合うこと、互いに愛しあうことが命じられている。それをすることによって初めてキリストの弟子となれると言っている。
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカ福音書七・47
 多くの罪を赦されるとは、主イエスによって、より多く洗って頂くことである。もし、主イエスが私たちの罪の汚れを洗わなかったら、私たちは愛を知らず、他者を愛するという本当に意味がわからないままになっていたのである。
 
 ヨハネ福音書では、この箇所にある、互いに足を洗い合うようにとか、互いに愛し合いなさいという戒めが多く見られる。
 それでは、新約聖書のほかの内容ではどうだろうか。互いに○○せよという教えがいかに多くの箇所に現れるか、実際に感じていただくためにその箇所を別にあげておく。

なぜ、新約聖書には「互いに○○せよ」が多いのか
 それらの箇所を見ればわかるように、新約聖書において、「互いに○○せよ」というのは、私たちが想像する以上に多いと言えよう。
 旧約聖書においては、このような「互いに○○せよ」といった戒めは、次の一カ所しかないことを比較するなら、新約聖書の特徴が歴然としてくる。
「万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げず、互いに災いを心にたくらんではならない。」(ゼカリヤはダレオス王時代の預言者。紀元前520518頃に活動した。心を合わせてエルサレム神殿の再建につくし、ユダヤ人指導者を激励した。)(ゼカリヤ書 七・910
 
 新約聖書にみられる、「互いに教え合い、互いに相手を優れた者と思い、互いに忍耐し・・」など、のさまざまの互いに○○せよという戒めは、一言で言えば、「互いに、愛しあうように」ということに尽きる。
 なぜ新約聖書では、これほどまでに互いに愛し合うことを強調しているのだろうか。それは、つぎのような理由が考えられる。
 まず第一に、キリストを信じる者の集まりは、「キリストのからだ」であるからだ。もし、私たちが一つのからだであるならば、一つの部分が苦しめば、別の部分もまた苦しむというのは、ごく自然なことになる。キリストご自身が、愛そのもののお方であるゆえ、私たちの苦しみを苦しみとして受け取って下さり、喜びをともに喜んで下さる方である。それゆえ、私たちも、互いに愛し合い、重荷を担い合うことによって、よりキリストと一つになることができる。そしてそこからキリストからの慰め、励ましもまた受け取ることができる。
 互いに○○せよという戒めは、それが可能であるから言われている。それは、まずキリストが私たちを愛して下さって、その愛を下さっているからである。
 次の理由は当時は迫害が始まっている時代であり、そうした時代には、互いに愛し合うこと、命まで捨てる覚悟でキリスト者たちが相互に愛し合うことがきわめて重要であったからである。それは、キリスト者として当時の国家権力と戦って信仰の道を生きていくために、不可欠のことであったのである。
 次に、互いに愛し合うということは、周囲の偶像崇拝の世界に真の神を宣べ伝えるためにもきわめて重要であったと考えられる。それは、つぎの言葉のように、互いに愛し合うということは、単に相手が困っているからとか、可愛そうだからそうするというだけでない。それは、神を私たちの内に強くとどまっていて頂くための最も重要な手段ともなるのである。
 
愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきである。 いまだかつて神を見た者はいない。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのである。(Tヨハネ四・1112
 そして神が私たちの心のうちに、また、私たちの人間関係のただなかにとどまっていて下さるならば、私たちが福音を伝えるときにも、そのとどまり続けておられる神が働いて下さるであろう。そしてまだ神を知らない人へと、福音を伝わらせていくのである。
 キリスト教がローマ帝国に広がっていく時代は、三百年ほどもずっと迫害がつきまとったのであって、そのような迫害の時代においては、互いに主にある愛で、命がけで愛し合うということが必要であったのである。そのようなところに神が働き、その神がキリストの福音を迫害のただなかにおいて伝えていったといえよう。
 さらに、こうした迫害のほかに、キリスト教の真理をゆがめる異端の教えが忍び込んでくるという状況があった。ローマ帝国の迫害が目に見える形で襲ってくるのに対して、このほうは、霊的なものであって、キリストの福音の根源を破壊しようとするものであった。こうした偽預言者とか異端の教えに惑わされないためにも、互いに愛し合って、主が信徒のただなかに生きて働いていただく必要であった。
 理論的に、異端を論駁することは、知的理解力が恵まれている人たちには、効果的であろうが、一般の人々にとってはその議論そのものが十分理解できないことが多いから力とはならない。しかし、互いに主にある愛で愛し合うことは、そこに働く主が聖霊を注いでなにが真理か異端かを教えてくれることになる。
 
私自身の経験

 互いに足を洗い合うという意味について、私自身が私たちの集会において実際に、学んでくることができたのは、主の恵みというほかはない。
 私たちが主イエスを愛すれば、主から愛し返して頂けるように、私たちの集会または、集会員に何らかの関わりをもってきた人に、主にある愛をもって関わるとき、相手もまた私たちに何事かを与えてくれる。また、関わること自体が新しい学びとなっていく。
 私たちの集会でも互いに奉仕しあうことによって、今日まで集会が続けられてきた。その点で、例えば集会を継続していくために不可欠となる、集会場がもう三十年ちかくも、杣友さんによって提供されて、そこで集会が継続されている。それは、まず杣友さん宅を集会のために、最初は一週間に一度、現在では、三〜四回も毎週使わせて頂いているが、それは実に大きい奉仕である。毎週日曜日の礼拝集会はもちろんのこと、そこでどれほどか、信仰への導きのための交わりの場や、集会が持たれてきたことだろうか。
 問題をもった人、悩みのある人、またまだ信仰に入れない人、あるいは、聴覚障害者との交わりや、聖書の話を伝えるには必須である手話のこと、子供の日曜学校、信徒同士の交わり、集会準備等など実に多くのことに使うことができてきた。このように、家を提供すること、またそこに多くの奉仕をすること、それによってまた集会員も、その精神を学んで、他者に奉仕をするようにと導かれていくことになる。
 単なる言葉による勧めだけでは、人間はあまり動かされないが、杣友さんご一家の奉仕があったからこそ、集会員もそれを実地に学ぶことができてきたのである。
 こうした、よき集会場が与えられていたので、日曜日に集会に参加できない人たちのために、とくに日曜日以外の日に定期的に集会をもうけること(火曜日夜の集会)も可能となった。また、集会に加わろうとしている人の具体的な問題に何らかの形で関わっていくこと、家を訪ね、少しでもキリストのことを紹介し、集会へと導くこと、そのために例えば、盲人なら継続的に送り迎えすること、聴覚障害者との関わりのために手話を覚え、手話で聖書の講話をすること、病気の人、あるいは自分では移動することができない身体障害者のために家を訪ねること、集会をその人の家で開くこと等などがなされてきた。
 こうした奉仕は、一方的な奉仕では決して終わらない。必ず不思議なことだが、奉仕を継続的に行う人にも、また何らかの奉仕がなされるようになるのである。
 それは、この世の形式的なお返しといったものとは根本的にちがったもので、内に働く主イエスが相互に仕え合うようにと導いていくのである。
 互いに足を洗い合うこと、それは互いに重荷を担い合うことでもある。私たちは自分だけの重荷を背負うことで精いっぱいであって、他者の重荷を担うことまでなかなか考えない。しかし、それは私たちの内に主イエスが住んでくれることによって、そのイエスが相手の重荷を担って下さるのがわかる。そして同時に自分自身の重荷をも担って下さるのを感じる。私たちが互いに○○せよという主イエスの言葉を困難でできないと思ってしまうのは、主イエスが内にいないからである。
 私たち自身が担おうとするなら、それは到底できない。
 
使徒パウロの例

 キリストの使徒たちの中で、具体的にどんな奉仕が互いになされていただろうか。
 パウロ自身は、しばしば天幕を作ることを仕事としながら、キリストの福音を宣べ伝えたことが書いてある。しかし、つぎのパウロ自身の言葉に見られるように、数々の迫害にであった身であり、あちこちとたえず居場所を変えていたのであるから、到底いつもそのように天幕作りで生きていくことができたとは考えられない。
苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。
ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。

鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。
しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(Uコリント十一章より)
 
 実際、彼自身が述べているように、テント造りをキリスト者のアクラ夫妻とともにやっていたが、すぐあとには、 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉(神の言、福音)を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。(使徒十八・5
 と記されていて、パウロは神の言を伝えることに専念し、パウロ自身の生活はべつの人が支えていたのがわかる。
 また、コリントのキリスト者の集会の人々に宛てた手紙には、つぎのように記されている。
 
わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。
あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきた。(Uコリント十一章より)
 
 このように、パウロはコリントのキリスト集会の人々には、負担をかけなかったが、そのパウロの生活を支えたのは、コリントの北方のマケドニア州から来たキリスト者たちであった。その点でパウロは福音を知らせ、真理を提供するという奉仕を人々にしたが、他方では人々からの奉仕を受けて伝道を続けることができたのがうかがえる。
 パウロはまた、エルサレムのキリスト者たちのために危険をおかして献金を持っていった。多くのキリスト者たちが、エルサレムに行けば、捕らえられて異邦人に引き渡されるという預言をきき、必死になって行かないようにと懇願したが、パウロは、つぎのように答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(使徒行伝二十一・13
 これほどの決意をもって、エルサレムに行こうとした目的は、私たちにとっては意外だが、エルサレムのキリスト者たちに異邦人のキリスト者たちから捧げられた献金を持っていくことであった。
 パウロ自身は、イスパニアへと伝道のために赴くことが希望であった。当時の世界の大都市であったローマですら彼の最終の目的地ではなく、当時世界の果てであったイスパニアこそが目的地であったということのなかに、パウロのただ神のみを信じてどこまでも未知の世界にキリストを伝えようとする志しを感じることができる。
 彼はそのような大きい目的を持っていたにも、かかわらず、イスパニアとは正反対のエルサレムに行って、ギリシアの諸教会からの献金を携えていこうとした。
 結局パウロは預言された通りに、エルサレムで捕らえられ、危うく殺されそうになる危険にも直面したが、ローマに護送されることになった。
 使徒パウロが、献金の問題をいかに重視したかは、使徒行伝の他に、ガラテヤ書にも触れられ、コリント書では前後書に、とくに後書にくわしく述べられ、さらにロマ書にも述べられていることからもうかがえる。
 このようなパウロの生き方を見ても、いかに彼が、互いに足を洗い合う、重荷を互いに負い合うということを実際に行っていたかがはっきりと浮かび上がってくる。
 このようにパウロが仕え合うということを命がけで重視したことは、意外なことにあまり知られていない。 
 このようにヨハネ福音書やヨハネの手紙、パウロの手紙などにつよく表現されている「互いに○○せよ」という教えは、すでに述べたように、当時の迫害という困難な時代を考えるとよくわかる。
 しかし、現在では迫害がそんなにないのだから、そうした視点はいらないのだろうか。決してそうではない。私たちすでにキリストを知らされた者が、まだ知らない人にキリストを伝えようとして、多くの祈りとエネルギーを注いでようやく一人の人がキリストによる罪の赦しを知り、聖書が永遠の真理き書であることを知ったとしても、集会員が互いに祈りあい、主にある愛をもって重荷を担い合うことをしなければ、続いていかないことが多い。互いに愛しあうことによって神はそうした人間の内におり、その神が集会から離れることを止めるということがある。
 
一つになるために

 そしてもう一つの重要な意味は、ヨハネ福音書にもパウロにも強調されているが、「一つになる」ということである。
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ十・16
 
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。(ヨハネ十七章より)
 このように、互いに愛し合うことは、一つになるために不可欠のことだといえる。そしてその一つになるということが、神を知らないこの世に対しての証しとなること、福音伝道にもつながることが言われている。
 キリスト教は独立の精神を持たせる。だからこそ、内村鑑三も雑誌の名前を「東京独立雑誌」と名付けた。そしてそのなぜ「独立」と名付けたかについて次のように述べている。
「・・頼るべきに頼る、これこそ高尚なる依頼である。弟子がその師に頼り、あるいは、友が相互に頼るがごとき、みなその類である。真正の独立とは実にこの種の依頼をもって成っている。頼ることを知らない者は実に一人立つことを知らない者である。・・」(東京独立雑誌第一号「初言」一八九八年)
 このように、独立といっても決して全く一人、単独という意味ではない。完全な独立あるいは、単独ということが可能なのは、神か動物であると内村も昔の人の言葉を引用して言っている。
 このように、真正の独立とは、いかなる者にも頼らないのでなく、頼るべきに頼るものである。主イエスも、弟子たちもそのようにされた。まず第一に神に頼るなら、そして神の国と神の義を求めていくならば、必要な人や物が与えられる。主イエスも弟子たちもやはり伝道の日々の生活のとき、食事や、宿泊などは、さまざまの人たちによって支えられていたのである。
 キリスト教独立学園にしても、その名前からみると一見どこにも頼らないでやっている学校のように見えるが、決してそうでなく、無教会関係の団体としては、最も多くの献金を受けてきた団体である。しかし、それは内村が述べたような、全く自発的な神への捧げ物とする気持ちで捧げられた献金であり、援助であり、祈りがそこには込められている。 このように、独立ということ自体、それが真正のものであれば、神のみに頼るゆえに神が愛される人たちの援助をも感謝して受けるのであり、そうした互いに仕え合う姿勢を内に含んでいるのである。そしてそこから、多くのよきものが生み出されていくのである。そこに捧げる者も、受ける者も、一つになるのであって、聖書でいわれていることが実現していくのである。
 このようにして、キリスト者の集まりは一つになることを目指している。無教会のキリスト者が集まる全国集会もまたそのような仕え合うということのために、なされているのである。
 
 このように、新約聖書においては「一つになる」ということが言われている。
 しかし、キリスト信仰以外の世界においては前途をどのように考えるだろうか。
 物理的に考えると、私たち人間は、寿命が尽きると焼かれて、大気へと分散し、あるいは一部の金属成分は大地に帰っていく。また、この地球は次第に、太陽が熱くなり、あと数億年で地表の温度は百度に達して、水は失われ、生命は失われる。五十億年後には、太陽が膨張しはじめて、赤色巨星となって水星、金星、地球をも飲み込んでしまう。膨張する太陽の高温のために、地球は太陽に引き寄せられ、溶け、ついには蒸発してしまう。そして太陽とともに、宇宙空間へと飛び去ってしまう。
 このように、物理的に考えると、人間も地球も次第に分散していく方向にある。
 しかし、主イエスを信じる者は、一つになる。最終的には、天も地も一つに
なると言われている。そうした方向を私たち自身が実感することができるようになっている。それは、キリストを信じる者が一つになるということである。
 私たちはキリストのからだであって、一つとなるように召されている。
 弟子たちとの最後の夕食が終わって、イエスが捕らえられる直前にしたと伝えられる、つぎのような主イエスの祈りがある。
 
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。
そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。(ヨハネは十七・21
 人間や社会、そして物理的には、この地球もまたバラバラになっていく方向にある。そうした大きい流れとまったく異なる流れが、キリストによって与えられている。それは、一つになるという流れである。そしてその大きい流れを私たちが実感できるようにしてくださった道がある。それは、キリストを信じて生きる私たちはキリストのからだであり、一つであるということである。
 私たちキリストを信じる者はキリストの目に見えないからだである。だからこそ、互いに重荷を担い合い、赦し合い、奉仕しあうのは自然なこととなる。
 そしてそのように一つとされていくことは、それだけで終わるのでなく、さらに雄大な前途に向かっている。それは、パウロの次の言葉に表されている。
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。(エペソ書一・10
 これほど、大きい前途の希望があるだろうか。まずキリストを信じる者たちが一つになり、そこに働く神の愛が自ずから周囲へと広がり、隣人への愛へと流れ行きキリストの福音が世界へと伝わっていく。
 しかし、決してそれだけで終わるのでない。神が定めたもう時には、天にあるもの、地にあるもののすべてがキリストのもとに一つされるというのである。
 互いに足を洗いあい、互いに重荷を担いあい、互いにキリストの愛をもって愛し合うということは決して単なる道徳的な教えで終わるものではない。私たちが互いに足を洗い合うことは、こうした神の宇宙的なご計画の流れのなかに移し入れて頂くことになると言えよう。
「もし、私があなた方の足を洗わなかったら、あなた方は私とは関わりのない者となる。」
 そしてこうしたすべての祝福への入り口に、このイエスの言葉がある。まず、主イエスが私たちの足を洗って下さったこと、すなわち主イエスが十字架において死んで下さり、私たちの罪の汚れを潔め、赦して下さったことを信じて受け入れることにある。


0.001グラムが引き起こした危険と不安

 今回のウラン加工施設で生じた、臨界事故では、火災が生じたわけでも、爆発があったわけでも、建物が壊れたのでも、また工場内で作っている物質が大量に漏れだしたのでもない。
 現実に変化があったのは、わずか、一ミリグラム(一グラムの千分の一)という、極微量のウラン二三五という原子が核分裂しただけだ。にもかかわらず、数人の被爆した人は、取り返しのつかない損傷を体内に受けたし、三〇万人という人々が避難するという事態になり、内閣改造すら一時延期するほどの国家的災害となった。三十万人の避難ということも、じつは、事故現場から半径十キロメートル以内の人に屋内待避要請が出されたが、十キロメートルを越えたら安全だという保障はもちろん全くなかった。なぜ十キロメートル以内としたかといえば、半径十五キロメートル以内とすると、茨城県庁や、水戸市の中心部まで含まれてしまい、三十万人よりはるかに膨大な人間が含まれパニックになってしまうからであったという。
 そしてこの一千分の一グラムという微量の核分裂は、現在も多くの人々に、将来何らかの病気になるのではないか、乳児や胎児への悪影響はどうか、農産物への不安など、毎日の生活や、将来の生活にも暗いかげを落とし続けている。
 こんなに極微量で何十万人という人たちに甚大な影響をあたえ、国際的にも大きいニュースとなって世界をかけめぐったのであり、今さらながら、核物質の持っている想像を絶する力に驚かされる。
 石油であれば、例えば十キログラムも燃えたとしても、それが人家などのないところなら、燃やしている現場で熱くなるだけで、燃えたあとも二酸化炭素と、水蒸気になって空気中に飛散し、後には危険なものは何も残らない。
 このように、今回の事故は、いままでの日本の歴史において、最も微量の物質によって多数の人々が大きな混乱に巻き込まれた事件であったと言えよう。
 放射線の危険は、外部からも、内部からも受けるのであって、この点においても、他の有毒物質とはまったく違っている。例えば、青酸カリは猛毒物質だとして広く知られている。しかし、その致死量は人間では百五十ミリグラムであって、その量で一人が死ぬという毒性であるから、今回の一ミリグラムのウランの核分裂であれほどの大きい被害と混乱が将来にもわたって持続するというのと比べると、色あせるほどの毒性だとわかる。
 しかも青酸カリがいくら多量にあっても、そのそばにいても、体内に取り入れない限りなんら毒性はない。 
 しかし、今回のような核分裂では、その分裂の結果生じる物質(放射性物質のことで、死の灰とも言われる)を体内に取り入れていないのに、臨界になったウランの近くにいるだけでも、そこから出される放射線によって作業員が受けたような重篤な被害を受けることになるし、数百メートル離れていても年間線量限度を何倍も越えていた。
 今回は少量ですんだが、ウランの核分裂で生じる放射性ヨウ素が空気中に放出されて、それを人間が吸入すると、体内の甲状腺に取り込まれ、そこからベータ線やガンマ線を放出して、周囲の細胞に害を与え、ガンを引き起こす。こうした被爆は内部被爆といわれる。ストロンチウム九十などは、骨に入ると出るまでに何十年もかかる。その間中、体内にあって、放射線を出し続けて細胞に害を与えていくのである。
 それらよりはるかに強力な毒性を持っているのが、原子炉を運転していると生じるプルトニウムである。これは、人間が肺の中に取り込む限度は、四千万分の一グラムという極微量である。言い換えれば、わずか一グラムが、四千万人もの許容量に匹敵してしまう。
 なぜこんなに異常に強い毒性を持つかといえば、プルトニウムが呼吸とかで体内に入ると、そこでアルファ線を出して付近の細胞の核のなかにある遺伝子が攻撃され、肺ガンや白血病を引き起こすからである。
 このように、放射性物質は、体の外にあっても、また内に取り入れても危険を持つという、他の有毒物質ではありえない性質を持っているのである。
 今回に問題となったような、中性子を出すような状況であれば、コンクリートで閉じこめてあってもそれを突き抜けて外に出てくるという特殊な性質を持っているし、プルトニウムなどは、何万年もその放射線を出し続ける点では、他の有毒物質とはまるで状況が違うのである。
 また、原子力発電所は強い放射線にさらされるから、その寿命は三十年程度とされている。寿命のきた、原子力発電所は、普通の工場のように機械で破壊したらすむものでは決してなく、その発電所自身がぼう大な放射性廃棄物となってしまうのである。こうした点も、取扱いがきわめて困難であるという点で、他の工場とは本質的に異なっている。
 核物質は、極微量でもその取扱いを誤ると今回のような国家的重大事態を引き起こす。原子力発電所は、このような危険物質を大量に扱い、またさらにそこからは、毎日莫大な放射性物質が生み出されている。例えば、通常の百万キロワット級の原発を運転すると、広島型原爆の一千倍もの放射性廃棄物を生み出してしまうのである。そのなかに、今回のウランよりはるかに危険で毒性の高い、プルトニウムも含まれている。
 こうした危険性は、ほかの薬物とか廃棄物とかのいずれと比較しても、段違いの危険性を本来持っているものである。
 今回の事故も、起こることはありえないと想定されていた。しかし、現実には起こったのである。その理由は、人間とは弱い存在であるからだ。どんなに機械でチェックしても、その機械や器具を設置し、動かしているのは人間であって、その人間は、金や権力、欲望には弱く、また体の病気や、疲労もあり、機械などの操作に間違いもある。
 そしてどんなに安全装置を施しても例えば、原子力発電所の上から、ミサイルが打ち込まれたり、ハイジャックされた飛行機が落ちてくれば安全装置などで守ることは到底できないから、原子炉が破壊されてしまう。そうなれば、原発が制御できなくなり、チェルノブイリの事故のような状態となって、莫大な放射能がまき散らされることになり、核戦争並の事態となり、日本中が大混乱に陥るだろう。
 しかし、やはり「そんなことはきわめてありそうにない」という理由で、そのことはだれもが避けて通る。けれども、今回の事故を見ても、誰一人予想もしないようなことが現実には起こるのである。罪深い人間、弱い人間であるから、ハイジャックとか戦争とかを起こさないとは断定できないのである。
 私たちは、こうした人間の存在にとって、現在および未来にわたって重大な危険をもたらす可能性を持っている施設を廃止していくという前提に立って、そこからそれではどうしたらよいのかと一人一人が考えていかねばならない状況に置かれている。


中国のキリスト教の現状について

 以下に引用するのは、関西学院大学で経済学を教えておられる河野正道さんが最近、中国に経済学関係の講義に出張された折りに、見聞した中国のキリスト教の状況です。中国から帰国してすぐにインタネットメールで知らせて頂いた内容ですが、「はこ舟」読者にも読んでいただきたいので、その一部を取り上げました。
 私がまず訪問したのは、遼寧省瀋陽市の朝鮮族の教会、西塔教会でした。そこの牧師さんは、以前、関西学院に講演のために来訪されたことがあったからです。その教会は説教も聖書も賛美歌もすべて朝鮮語であり、私には説教は「ハノニム(神様)」という言葉以外は全く分かりませんでした。しかし、賛美は力強く活き活きとしていました。聖歌隊には老若男女が入っていました。出席者の年齢構成も日本と変わらなかったと思います。
 その教会の現在の会員数は千五百人であり、十五年前には五百人でした。かなりのスピードで成長しています。また、瀋陽市内の漢民族中心の教会の出席者数を合計すると十万人になるとのこと。瀋陽の人口は二百万ですから、これはかなりの数と言えるでしょう。なお、この教会の牧師さんは数名おられるようですが、私がお話をさせて頂いたのは女性の牧師さんで大変に流ちょうで正確な英語を話す方でした。
 今年の春、関西学院を訪問された中国キリスト教協議会の韓文藻会長はその講演の中で、「中国にはたくさんの聖書があるから密輸しないように」、と言われました。確かに、中国で聖書はふんだんに売られており、その価格は、中国語の聖書が十二元(百八十円)、朝鮮語の聖書が二十元(三百円)でした。なお、聖書は、一般の書店には並べられておらず、教会の売店で売られています。しかしそれは、教会員だけに販売するのではなく、一般の外部の人にも販売しています。そのとき氏名や住所を尋ねるということはありません。だから誰でも気軽に買うことができるとのこと。
 この十二元、二十元というのがどれほどの金額であるかというと、市内のバス代が二元、タクシーの初乗り料金が五元、ホテルのご飯一杯が.五元です。一方、所得の方は、大学教授の給料を例にとれば、これは地域によって数倍の開きがあるのですが、私が訪問した吉林大学では、教授の給料は月に二千元+ボーナス(専門分野によって異なりボーナスがない分野もある)とのことですから、聖書はかなり安い値段で売られていると言えるでしょう。
 次の訪問したのが、吉林省長春市の長春市キリスト教会です。ここは漢民族の教会であり、長春市では一番大きな教会です。なお、同じ名称で朝鮮族の教会も別にありました。この漢民族の長春市キリスト教会も急速に会員数が増えています。文革前は百?二百人で
したが、(文革中はゼロ、教会堂は印刷工場として接収されていた)文革後の新宗教政策の下で千人に増えて、現在では一万二千人となっております。最近の特徴としては、若い人が増えたこと、高学歴の人が増えたことです。九七年には四千人が同時に礼拝できる巨大な会堂を建設しました。
 日曜日の礼拝は四千人づつの三部礼拝です。訪問した翌週の日曜日まで長春に留まり、礼拝に出席した私の同僚から聞いた話によりますと、その日は正餐式を行い、会堂に入りきれない人が外の階段まで溢れ、パンを配り盃を回収するまで一時間かかったとのこと。その間、四千人の賛美が続いていたそうです。その教会には牧師さんが五人おりました。
 一般的に中国の牧師さんは女性が多いようで、私が直接お会いした方はすべて女性でした。日本同様に信徒には女性が多く、そのために牧師も女性の方が好ましいという説明を受けました。聖書を根拠として女性が牧師になるのは不適当などという人は中国にはいないとのこと。なお、会堂は男性席と女性席に分かれておりました。
 この教会の建物のなかに、吉林省および長春市の三自愛国運動委員会が入っています。三自愛国運動とは、中国プロテスタントの自立運動であり、中国人が教会を担い(自治)、外国から援助を受けずに経済的に自立し(自養)、中国人が聖書に基づき布教に当たる(自伝)という運動です。このように、自、というのを強調しており、その新しい会堂の壁にも「建設資金信徒奉献」と書かれていました。また、「愛国愛教栄神益人」という文字もありました。このように、愛国というのが前面に出てきているのに驚くと同時に、内村鑑三が「二つのJ(日本Japan とイエスJesus)を愛する」と言ったことが思い出されました。
 この教会には、三自愛国運動委員会の省、および市の本部があるからこのように強調しているのでしょうが、この点について、牧師はつぎのように説明しました。「中国は五十年前までは外国から侵略を受け続けてきた歴史がある。国あってこその信仰である」と。 この教会は元々は戦前にイギリスの長老会が建てた教会ですが、外国との付き合いは
個々の教会単位では行っておらず、中国キリスト教協議会本部を通じてのみ行っているとのこと。外国との関係にはかなり神経を使っているような印象を受けました。自養(経済的自立)、というが、外国からの献金を受けることを必ず拒否しなければならない、というのではなく、銀行の口座番号も持っており、外国からの振り込みも自由である、しかし、中国の教会を束縛するような条件が付いている援助は受けない、との説明を受けました。 この中国キリスト教協議会に属さない「家の教会」というのがありますが、それは表からは見えません。教会の人たちもその問題に関してはコメントできない、とのこと。
 愛国というのが前面に出てきており、しかも、愛教よりも先に来る。
 このことは、内村鑑三が、「二つのJを愛する」、とわざわざ言ったその当時の日本の社会環境と、現在の中国のキリスト者を取り巻く環境に共通するものがあるのかも知れません。愛国心というのは、単なる隣人愛の延長線にあるものではなく、ちょっと社会科学的分析が必要な概念でしょう。私が中国訪問しているときは、台湾問題が大きな政治問題としてクローズアップされていました。台湾の李登輝総統が「二つの国」という言葉を使っただけで武力行使をしようという。台湾は中国の一部であり、「千兵を失うも寸土を失う勿れ」という論評が新聞に掲載されていました。
 このような状況下でした。なお、欧米の教会では様々な行事の際に国旗を掲げたり、国歌を歌ったりするところもあり、愛国の看板を掲げないで教会の中で愛国心を表現するのは、そんなに珍しいことではないようです。中国は、これを看板を掲げてやっているという違いがあります。今の日本では想像し難いような、政治と宗教の間の厳しい緊張関係があるのかも知れません。
 ともあれ、現在、中国には千六百万人のクリスチャンがおり、牧師はまだ千人とのこと。牧師の養成が急がれております。先に訪問した瀋陽の教会の中に朝鮮族の神学校がありました。中国で最も充実している南京の神学校(南京大学の中にある)を訪問した人の話によれば、かなり豪華な絵画教室や音楽室まであり、立派な設備が整っていたとのことです。つまり、神学の勉強のみならず、キリスト教に関する総合的な教育を着々と進めているようです。


休憩室


紅葉を生み出すもの

 晩秋から十二月にかけて、平地では木々にさまざまの紅葉が見られます。紅葉という言葉は紅の葉と書きますが、黄色や褐色になるのも含めていうこともあります。
 カエデやハゼノキのなかま、そして高い山に見られるナナカマドなどがとくに鮮やかな赤い色になります。カエデのなかまは、数多くあり、私自身が各地の山で見たことのあるものでも、イロハカエデ、オオモミジ、コハウチワカエデ、コミネカエデ、オオイタヤメイゲツ、ウリハダカエデなどが思い出されます。これらのうち、一般によく知られているのは、イロハカエデであり、これは単にカエデとかモミジ、あるいは、京都の高雄地方にこの名所があるので、タカオカエデとも言われます。カエデひとつとっても、実に多くの種類があり、それらは秋になるとたいてい美しく色づきます。
 カエデなどが美しい赤色になるのに対して、クヌギ、ケヤキ、コナラ、ブナなどは褐色になります。これらのうちでも、ケヤキは一部赤くなります。
 それから、黄色になる木々としては、イチョウ、ポプラはよく知られていますが、カツラ(桂)も美しい黄色となり、丸い独特の葉の形とあいまって、晩秋にその落ち葉を谷間の山道で見かけると忘れられないものです。カツラは、京都の桂離宮とか、人名の桂小五郎などといった名前でだれでも知っているのですが、カツラの木そのものを見たことのある人はごく少ないようです。
 私自身も、八百メートルほどの山の渓谷沿いと、剣山(徳島県の最高峰で標高一九五五メートル)の七合目付近のやはり渓谷沿いで見たもの、それから徳島と香川の県境の山の谷間の三つの場所だけです。
 このうち紅葉は、秋になると葉の付け根に特殊な細胞ができて、葉で作られた糖分が移動するのが困難となり、葉の細胞にたまる傾向が生じ、それが赤い色素であるアントシアンを作りだすのを促進するからだと考えられています。
 また黄色になるのは、秋になって葉が老化すると、葉の緑色の原因になっている葉緑素がこわれ、もともと葉にあった黄色い色素(カロチノイド)の色が現れてくるからです。また、褐色になるのは、さらにべつの褐色色素がつくられるからだと言われています。
 このように、葉としての役割を終えて、散って落ちようとする葉の中にも複雑な化学反応が生じ、私たち人間にとってさまざまの感動を呼ぶ美しい色になるのは、驚くべきことです。
 寒さという本来化学反応を鈍らせることが、美しい色を作り出すのに役だっていること、そして厳しい寒さがより美しい紅葉を生み出すということも、あらゆることを用いる神の御業を感じさせてくれます。
 これは、神に結びついた人間は、病気になっても、老齢で命を終えようとするときでも、不思議な輝きを周囲に感じさせ、元気で働いていたときとは違った何かを生み出すことがあるのと似ているように思われます。

1999/12


今月の聖句

わが魂は黙してただ神を待つ。わが救いは神から来る。
神こそわが岩、わが救い、砦の塔。私は動かされることはない。

(詩編六十二・12

打ち壊そうとするもの   1999/11

 この世には、よきことを妨げようとする力が働いている。私たちがなにか善いことを継続して実行しようとしたり、真理に向かって歩もうとすると、それを妨げようとするあるものが動き出す。

 それは、自分自身が病気や事故になったり、あるいは何らかのほかのものに心が奪われてしまったり、また計画を壊そうとする人間が現れたり、家庭の難しい問題であったり、あるいは、他者との人間関係が壊れたり、また思いがけない社会情勢が生じたり、周囲の社会や国家が圧迫を加えてきたり・・である。

最も真実な愛に生き、真理を宣べ伝えたキリストがわずか三年の働きしかできずに、最も重い犯罪人として処刑されたことはその著しい例であった。

 使徒パウロはかつて自分がキリストの福音を伝えたエペソ地方の長老たちに別れの言葉を述べたことがあった。

わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっている。

また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れる。

だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。

そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねる。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖徒(キリスト者のこと)とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのである。(使徒行伝二十・2932


 キリスト教信仰をもって生き始めた人々を、迫害あるいは、異端といった悪の力が襲ってくるということを、パウロは神から示されていたのである。

 しかし、そのような打ち壊そうとする力に打ち勝つ道もまたはっきりと示されているのであって、それは神とキリストを信じて神の言をかたく持ち続けることであった。

 長い歴史においても、このようなことはずっと生じてきた。

 しかし、いかに悪の力が忍び寄ってきて打ち壊そうとしても、決して打ち壊されないものが残ってきた。

 それは、そのようなあらゆる悪の力に主イエス・キリストはすでに勝利されているからである。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ福音書十六・33)と言われた通りである。


失敗と成功


失敗と成功 1999-11

 失敗と成功という言葉はだれでもわかっていると考えているだろう。

 大学入試に失敗したといえば、誰でもわかるし、また野球などで、盗塁に成功した、失敗したなどとよく言っているから、子供でもよくわかっている気になっている。こうした単純なことなら、たしかにだれでもよくわかる。

 人生で失敗するとは、また成功するとはどんなことだろうか。

事業がうまくいって、有名になったらだれでもそれは成功したというだろう。

 しかし、キリスト教の視点からよく考えてみると、そんなに単純なことではないのに気付く。

 例えば、主イエスは、神の国の福音を宣べ伝えることをもって生涯の目的とされた。しかし、彼はわずか三年にして捕えられ、十字架にかけて処刑されてしまった。そのとき、わずかな弟子たちすら、裏切って逃げてしまい、民衆は、重罪人より、イエスを殺せと叫んだのであった。

 これだけを見ると、イエス・キリストの生涯は完全な失敗であったということになる。たった十二人の弟子たちにすら、最後まで従うことを教えられなかったのだから。

 しかし、主イエスの仕事は歴史上のいかなる人の働きよりも、どんな事業よりも、天才の研究とか発見よりも、比較にならない絶大なはたらきを、以後二千年という長い間にわたって続けることになった。そして無数の人々に神の国の福音は受け入れられ、数しれぬ人たちがキリストの弟子となり続けている。

 これをみると、主イエスほどその仕事が成功している者はいない。

 成功とは、永続であり、失敗とは、ある事柄が壊れ、消えていくことである。

 真理に私たちが結びついているとき、私たちは決して、壊れたり、朽ち果てたりする存在ではなくなるがゆえに、自ずから成功する。たとえ生きているときに世間の人がに評価されず、見捨てられることがあろうとも。

真理に結びついているならば、そして私たちが神の国の建設のために働いているならば、神がその働きを続け、その人の死後も別の人にと受け継がせていく。そこには失敗はない。 

 成功か失敗であるかの鍵は、結果でなく、いかに私たちが永遠の真理に結びついているかということである


神への讃美(詩編第百編)


全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。

喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。

主こそ神であることを知れ。

われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。

われらはその民、その牧場の羊である。

感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。

主に感謝し、そのみ名をほめよ。

主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、その真実は永遠に続くからである。

 この詩は、神への礼拝の源泉はどこにあるのかを教えてくれます。喜びの声をあげよとありますが、私たちは喜びの声など到底あげることはできないという状況にしばしば直面します。ことに自分の病気が苦しいとき、また家族に大きい問題が生じたとき、あるいは、職業上での悩み、人間関係で苦しんでいるとき、いったいどうして喜びの声などあげることができるでしょうか。

 私たちが目にする喜びの叫びのようなものは、テレビとか新聞などで、プロ野球で○○が優勝したとか、人気歌手が来たときなどに、ファンが熱狂的な声をあげるとき、あるいは難関の大学入試に合格した時などのような場合が思い出されます。

 こんな一時的な喜びは、ただちに冷えて後には何も残りません。その人の本質は何も変わらないわけです。

 普通の人の毎日の生活において、声をあげるほどの喜びというのは、だんだん年齢がかさんでくると、病気や、将来の心配、家族の病気とか老齢のための介助などで、喜びどころか心が重く、暗くなることが多いのです。

 この詩を作った人の時代は、どうだったのか考えてみます。

 旧約聖書の時代には、どの時代をとっても、のんびりした、何も波乱のない時代というのは少なく、たいてい周囲の国々との戦争や、内乱が起きていて、国が責められたり、家が焼かれたり、あるいは、外国に捕囚となって連れて行かれたり・・と平和とはほどとおい状態が多くありました。そのたびに戦いにかり出され、その結果、死んだり負傷したりすると、残った家族は、喜びなどにはずっと見放されてしまうのです。

 しかし、旧約聖書の多くの讃美の詩は、そうした時代のただなかで生まれ、愛されてきたのです。

 このように考えると、いったい、この詩の作者は、どこにその喜びの源泉を得ていたのだろうかということが疑問として浮かび上がってきます。

 それこそこの詩が言おうとしていることです。それは、神が何にもまして善きお方であり、その真実といつくしみとは、永遠に変わることがないということを知ったときに、外部の事情はどうであれ、私たちの魂の奥からある喜びが湧き出てくるということです。そうした経験を与えられた人がこの詩の作者だけでなく、無数に現れてきたのです。

 人間どうしの関わりにおいても、最もいやな思いをさせられるのは、相手の不信実であり、裏切り行為です。ということは、言い換えると私たちが最も喜びを感じるのは、相手の真実さに触れたときです。しかもその真実が変わることがなく、いつくしみに満ちたものであれば、私たちにはそれ以上の喜びはありません。

 人間であっても、そうなのだから、相手が宇宙を創造した神であり、そのような大きいお方が私たちに対して変わることなき真実といつくしみを示して下さったのがわかるなら、なおさら私たちには喜びが感じられるはずです。この詩の喜びに満ちた雰囲気はそのような背景を考えるとよくわかります。

 この短い詩では、ことに讃美の重要性が感じられます。

 ある有名なドイツの注解者が言っているように、讃美とは、たんに感情の表現だけでは決してなく、讃美によって私たちは神がすぐそばにいて下さることをありありと実感するようになるし、そこからよりはっきりと神の本質が直感的に示される機会となるのです。 適切な讃美は、讃美する人々のところに神を呼び寄せ、讃美のつばさは私たち自身を神へと近づけるものとなるのです。

 旧約聖書の動乱の時代にかくも多くの喜びの讃美が書き記されてきたのは、いかにそうした人たちが自らの魂の奥深くに神を保ち、そこから喜びの深い泉を持っていたかをうかがわせるのです。

 また、この詩には、私たちが神のものであり、神によって養われる羊というべき存在であることが示されています。私たちはだれかに持たれています。子供は親に持たれ、その親はまた勤務先の会社に持たれ、また夫婦は互いに持たれ、持っているとも言われます。また、国民は国家に持たれているといえます。

 しかし、そのようなものに持たれていても、いつ捨てられるか、あるいは持ち主がいなくなることもあります。それだけでなく、あやしげな宗教団体に持たれてしまうと、何もかも奪われてしまうことすらあります。

 しかし、神に持たれているなら、私たちは神の持ち物なのであり、どんなことがあっても捨てられることはないのです。それはその神がとこしえに真実であり、いつくしみを持ったお方であるからであり、それゆえに、私たちは安心していることができます。

 神によって魂に生み出された喜びは、神へと帰っていきます。人間に向かって自分の感情を訴えたり、自分の歌を聞いてもらったりしようという思いでなく、主なる神に讃美が向かうのであり、これこそこの詩の冒頭で、


主にむかって喜ばしき声をあげよ!

 と言われていることです。神から与えられた喜びであるがゆえに、神に向かってその喜びを表すのです。そして神から生まれた喜びは、個人的なものではなく、それが全世界のあらゆる人々にも生まれるものだとこの詩人には、神からの啓示としてわかっていたゆえに、この詩は、まず「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」ということができたのです。


(参考)この詩は、キリスト教の讃美歌としても取り入れられ、長い間親しまれてきました。今使われている讃美歌にも収められています。(讃美歌第四番)


一 よろずの国びと、わが主に向かいて

  こころの限りに 喜びたたえよ


二 主こそは神なれ 主はわが飼い主

  われらはその民 み牧の羊ぞ


三 もろ声合わせて 大御名ほめつつ

  みかどに入りゆき、み前に近づかん


四 めぐみ豊かに  憐れみ尽きせず

  こよなきまことは ときわにかわらじ


・この讃美歌は、OLD HUNDREDTH (オールド・ハンドレッドス)という曲名が付けられています。

 この意味は、「古い訳(オールド・バージョン)の詩編歌集」に含まれている第百編(ハンドレッドス・HUNDREDTH)の曲という意味です。これは、宗教改革者カルヴァンの協力者であったルイ・ブルジョワという人が一五五一年に作曲したものです。讃美歌の作曲者名は、楽譜の右上の曲名の下に書かれてあります。

 曲名といっても我々日本人にはわかりにくいのですが、讃美歌そのものには名前がなく、讃美歌三一二番といったように番号で呼ぶのに、曲には名前があるのです。それは、ある曲を別の歌詞につけて歌うことがあるから曲にも名前がある方が便利なのです。(例えば、讃美歌三一二番の曲名は、WHAT A FRIEND です)

 それぞれの讃美歌の楽譜の右上の英語大文字で書いてあるのが曲名です。

 この讃美歌は、日本で讃美歌が明治の初めに入ってきたとき、最初に作られた讃美歌集である「教えのうた」(一八七四年出版)の第一番目に掲載されていました。そして一般の教会では、讃美歌五三九の頌栄(しょうえい)として、礼拝のたびに歌われる重要な讃美にも用いられています。

 ある讃美歌学者がこの讃美歌をつぎのように言っています。

「讃美歌のうちで、優秀な作品として、今日に至るまで、重んぜられて来ている。・・第百編の歌詞にふさわしい単純な旋律の進行のうちに、力強さと明るさとを感じせしめる立派な歌曲である。」

 このように、数千年も昔に作られた詩がすでに旧約聖書時代に曲をつけて歌われ、それがキリスト教にも入ってこの讃美歌四番のように、世界中ですでに四百年以上も歌われ、日本でも、百三十年近くもの間歌われ続けてきたのがわかります。

 このように寿命が長く、かつ世界的にも歌い続けられている歌は、キリスト教の讃美以外では、ありえないことです。

 こうした永遠的に続くのは、この詩がたたえている真理のゆえであるのです。真理こそは、とこしえに続くものだからです。

狭い門より


狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(マタイ福音書七・1314

 狭き門というのは、フランスの作家ジイドの小説の題にも用いられたり、大学入試は狭き門であるなどというマスコミでの用語とともに、広く知られています。しかし、それが聖書の言葉であるということ、そしてその意味についてはほとんどの人がはっきりとは知らないようです。

 私たちが生きていく過程で、二つの門があり、二つの道があると言えます。一つは狭い門であって、そこから続く道は細い、しかし、他方の広い門とそこからの道は広くそれは多くの人が通っているというのです。

 狭き門とはどんな門であるかについては、聖書ではそれが有名大学入試が狭き門であるといわれるような意味では全く言われていないのです。それは、その狭い門が「命」へと通じていると言われていることからわかります。ここで「命」というのは、生物としての命でないことは、わかります。犬や猫などの動物が持っている命はなにも狭い門から入って達する必要などありません。生まれたときから持っているものです。

 ですから、ここでいう命は、別の箇所で言われている「永遠の命」であり、神が持っているような命のことです。それは目には見えないものでありますが、肉体が死んでも残るような命なのです。そのような命があるからこそ、主イエスは、つぎのように言われたのです。

「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」(マタイ十・28


 ですから、狭き門とそこから続く細い道とは、この聖句の少し前に出てくる「まず、神の国と神の義を求めよ。」という言葉と深いつながりがあるのがわかります。神の国と神の義を求めるとは、人間の自分勝手な欲望とか自分中心的な考えで物事を追求していくのでなく、宇宙の創造主であり、完全な真実と正しさ、そして愛を持っておられる神の御支配や、そのような神が求められるものを第一に求めていくことです。

 まわりの人々の考え、テレビ、新聞、雑誌などにあふれている考え方にそってものごとを考えていくのでなく、それら全てを越えたところの神の御意志に照らしてものごとを考えていく姿勢を言っているのです。

 みんなが目に見えない神などいない、真実と愛に満ちた神などいないといっているただなかで、そのような神を信じていくこと自体が、狭き門から入ることであり、そのような神を信じて生きることが、その門から続く細い道を歩くことにほかならないといえます。

 逆に広い門から入るということは、神などいない、だから金とか富、地位、あるいは世間の評価などが第一に重要だといった考え方、嘘をついても見つからなかったらよいのだ、まず自分中心に考えて行動することだ、などといった考え方を持って生きようとすることは、みな広い門から入ろうとすることであり、広い道を歩くことになります。

 しかし、そうした考え方で生きるとき、滅びに至ると言われています。それは、私たちの内にある純真なもの、正しいもの、真実な心といったものは、確実になくなっていき、ついにはあとかたもなく消えてしまうということです。

 そして最後は死んでしまったら、そのような魂は、死後になんらかの裁きを受けることになると思われます。さばきなど受けることはないという人も多いのですが、そのような人は、実は生前からすでに裁きを受けているわけです。なぜかというと、そのような考えでは、心に清い喜びとか、平安、あるいは、内から湧き出る泉のようなものを決して経験することはできないからです。そしてそのような喜びや平安こそ人生で最大の宝であり、なににも代えることのできない宝だからです。

 永遠の命が与えられると、こうした内なる喜びや力などが生まれると約束されています。そうしたものは、神から来ているのであって、肉体が死んでもなくなるのでなく、かえってそのような清い喜びの満ちたところに移していただけるという確信が与えられのです。

 いくら富や権力があっても、真実な神に背を向けているなら、そのような喜びや平安は決してその人の心に訪れることはありません。それが、すなわち裁きです。

 大学入試での狭い門というのは、それを通っても決して、聖書で約束されているような「命」すなわち永遠の命へとは通じていません。数学や英語などの教科の成績がよかったら、また、有名会社に入りさえすれば、狭い門を通っていくことだという考え方がふつうですが、それこそ広い門から入ることであり、広い道を歩んでいくことにほかなりません。

 こうした狭い門そこから続いている細い道のことは、聖書では多くの箇所で、いろいろの表現がみられます。 

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。(ヨハネ福音書十五章より) 

 私たちは、何かに結びついているし、何かの中にいつも置かれています。例えば、周囲の流行とか、考え方、政治や伝統、習慣といったものが気付かないうちに、私たちを包み込んでいます。

 そうしたものに包み込まれて、考え方も感じ方もそれらの中からなかなか出られないという状況になっています。

 しかし、主イエスは、そのような大多数の人たちがつながれているものでなく、主イエスにつながっているようにと言われています。それは、ほとんどの人がかえりみない生き方であるけれど、それこそ狭い門から入ろうとすることであり、狭い道を歩むことになるというのです。

 門は、狭く、道も細い。しかし、その行き着く先には、無限の広く深い世界が待っているのです。この道を歩んでその約束通りに「命」を与えられた使徒パウロは、その広く深い世界のことを次のよう述べています。


しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。(ピリピ書三章より)


 狭い門とは、言い換えると「神の意志」を求めていく生き方であると言えます。いくら信仰熱心にみえても、それが自分の人間的な欲望とか名誉心とか、他者を見下す気持ちにつながるのであれば、それは、神の御意志でなく、人間の意志でやっていることになります。 このことに関して主イエスはつぎのようなたとえを話されたことがあります。

ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でなもないことを感謝します。

わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」。

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と。

あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる。」(ルカ福音書十八・1014) 

 このたとえで示されているパリサイ人とは、どん欲でも不正でも、この取税人でもないといったし、毎週二回も断食して、全収入の十分の一を捧げているというのだから、外見的には、熱心な人であったと思われます。しかし、その熱心は、神の御意志を求めるのでなく、自分が自慢したり、誇るためであったのです。そのような心は人間的な自分中心の意志に従っているということになります。

 しかし、そのような立派にみえる行いはできていないが、心から「神様、罪を犯してしまう自分を赦して下さい」と心から悔い改める心を神は喜ばれるというのです。それは、そのように心砕けて神に悔い改める心は、神の御意志にかなった心です。

 山上の垂訓という、聖書で最も有名な箇所のしめくくりとして、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」と述べて、神の御意志を行うことの重要性が述べられています。

 狭い門か広い門かを選択する機会とは、私たちが朝起きたときから始まっています。まず目覚めて私たちが最初に心に思うことは、何であるのか、神の国の方向に心を向けようとするか、それとも、自分の人間的な思いや、日常の雑事とかに心を向けていくかということです。

 そのとき、まず神の国の方に心を向けるなら、すでに一日の初めに狭い門をくぐったことになります。

 そして一日の初めに目を通す印刷物が新聞なのか、それとも聖書やそれに類する書物なのかによっても、一日に歩む道が決まってくるわけです。後者の聖書などをまず目に留めることや、そこからたえず神を仰ぎつつ一日を歩んでいくとき、その狭い門から続く狭い道を歩んでいくことになります。

 このように考えると、私たちは、だれでもが強制されることなく、自分で狭い門と細い道を選んでいくことに気付きます。


わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。(ヨハネ十・9


 この主イエスの言葉にあるように、私たちが狭い門を選ぶということは、主イエスを信じて主イエスを仰いでいくことであり、そうすれば自ずと狭い門を通り、狭い道を歩いていくことになるというのがわかります。そんな窮屈なことはいやだという人も多くいる、というより大多数だと思います。

 しかしそのような狭い門を通っていく者は、右にあげたヨハネ福音書における主イエスの言葉が示しているように、「門を出入りして、牧草を見つける」のです。広い世間の人たちがあるく道を行くときには決して与えられない牧草、すなわち目に見えない賜物を下さるということです。その命の牧草の味わいをしっかりと実感したもの、そしてその牧草によって新しい力を与えられ、喜びをも知った者は、決してその狭い道を捨てて、世間一般の広い道を歩もうとはしなくなると思われます。

 生涯この道を歩き続けた人で、それを後悔した人はかつて一人もいないとある、有名なキリスト教思想家は書いていました。

 狭い門から入れ、この言葉は、同じ山上の垂訓で、別の表現でも言われています。それは、「まず、神の国と神の義を求めよ。」(マタイ福音書六・33)です。

 そしてこの言葉は、さらに有名なつぎの言葉、「求めよ、そうすれば与えられる。探せ、そうすれば、見いだす。門をたたけ、そうすれば、開かれる。」(マタイ七・7)ともつながっていると考えられます。

 求めよ、そうすれば与えられるなどといっても、与えられないではないか、私はずっと前から○○を求めているのに、全然与えられないとかいう批判をよく耳にします。たしかに、一千万円を今、下さいなどといくら求めても与えられるはずはなく、病気に苦しむ人がすぐにいやして下さいと求めても癒されず、そのまま病気が重くなって死んでいったということもいくらでもあります。

 しかし、それは求めるものが間違っているからです。神の御意志と関係なく、金や病気いやし、入学とかのことを求めても、与えられないのは当然です。

 ここで言われているのは、狭き門を入っていく人、そしてそこからの細い道を通って行こうとする人が、彼方の光を見つめつつ、求め、探したたくときに、その細い道を歩くために必要な力や導き、平安などを与えられ、狭い道であるのに、広く開かれた世界へと導かれるという約束なのです。


天に至る階段 (創世記二十八章)

 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。

とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。

すると彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がって行くであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

ヤコブは眠りから覚めて行った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」

そして、恐れおののいて言った。「ここはなんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」 (創世記二八章より)


これは創世記においても特によく知られた部分の一つです。天が開けて天に至る階段が見え、天使たちがそれを上り下りしていたということは、子供の聖書物語でも必ず入っている内容で、昔の牧歌的ともいえる風景だと感じます。また、昔から絵画にもよく描かれており、ウィリアム・ブレイクもこのことを主題として印象的な絵を残しています。

 しかし、これは単なる昔の現実離れした童話などのたぐいでは決してありません。聖書には一見、何ら特別な信仰的意味がなさそうに見える箇所でも実は、今の私たちに深い関係のあることが多いのです。

 ヤコブとは旧約聖書では最も重要な人物の一人です。ヤコブの子孫からイスラエルの十二部族が生まれ、そのうちのユダ部族が残ってユダヤ民族という名称のもとにもなっています。

 そのヤコブとはどんな人であったか。それは聖書的な人物とは思えないという人もときどきいるように、私たちがふつう思い描くような聖者的人物とは違います。兄が外で猟をして空腹で帰って来たとき、長男の権利を食物を兄にやるのと引き替えに横取りしたとか、母の強いすすめで、兄から父の重要な祝福をだまし取ってしまったり、よい感じのすることではないようなことが記されています。

 そのために兄から激しい憎しみを受けるようになり、兄は「ヤコブをなんとしても殺してやろう」と考えるまでになったのです。そのままにしておくと兄弟殺しが生じるのを知った母ははるか遠くの親族のところまで逃げるようにと命じて送り出したのでした。

 ヤコブが夢の中で、天の階段を見たのはそうした逃避行のさなかであったのです。

 この時には、背後には殺そうとまで憎んでいる兄がありました。慣れ親しんだ家庭はもはやなく、あるのはただ、荒涼とした大地のみ。前途は遠く、未知の土地であり、途中にも何がおこるかわかりません。

 昔の旅とは苦しみと直接に結びついていました。

travel(旅行)とtravailとは同語源の言葉です。travailは産みの苦しみ、苦しい労働を意味する言葉です。これらの言語からも昔の旅が苦しみと同一視されていたのがうかがえます)

 何らの安全の保証もなく、将来の確たるものもなく、あるのは岩石や土の広がる荒野のみ。どこにも心を休めるようなところはありません。しかし、そうしたところに神は最も重要な啓示を与えたのです。

 ヤコブ自身もまさかそのような神の直接的啓示が与えられようとは思わなかったのです。人生の荒野のただなかにおいて神はしばしばその深い姿を現してくださいます。主イエスがもうこれから十字架にかけられて殺されるという時、血の汗を流して必死で祈られました。しかし、その時に天使が来て力づけたとされています。

 天に至る階段とは、以前の訳でははしごと訳されていました。しかし、この原語は旧約聖書では一度しか現れない言葉であって、ここでは階段がよりふさわしいと考えられています。

 天からの階段を天使が上り下りしていたなどといって一体今の私たちに何の関わりがあろうか、と多くの人々は思うでしょう。こんなおとぎ話のような古代の物語が今の私の苦しみや悩みを一時的に童話的内容にふれて気晴らし程度にはなっても、深い意味はなにもない、日曜学校の子供の話にはよいかも知れないが、自分には何の意味もないと多くの人は思ってしまうはずです。

 しかし、それはヨハネ福音書におけるキリストの言葉をみると、そんな子供向けの話ではないのがわかってきます。

 というのは、キリストを信じる者に与えられるよいことと言えば、一般の人々はどんなことを思い浮かべるでしょうか。健康、周りから好かれること、やさしい人間になる、力強い人になる、愛を持った人間に変わる、学ぶ意欲を強められる等々が思い浮かぶかもしれません。

 しかし、意外なことにヨハネ福音書において主イエスはふつうに予想されるそうしたことと全く違ったことが与えられると言われているのです。

 「ナタナエルは答えた。・ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。・イエスは答えて言われた。・いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。・

更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(ヨハネ福音書一・4951

 主イエスを神の子と告白することは、信仰の根本です。神の子というのは単に神が作った子供という意味ではありません。神と同じ本性を持ったお方」といった意味を持っています。このことはどうしてわかるかというと、主イエスが神の子だと言ったら、当時のユダヤ人が「おまえは自分を神と等しい者としている」と言って神を汚したと言い、イエスを殺そうとまでしたことからもうかがえるのです。

 キリストが神の子であるというのは、人間みな神の子などと言われるような用法とは根本的に違った意味で言われているのです。

 ナタナエルという人が主イエスの短い言葉で、直ちにイエスがそうした意味で「神の子」である、すなわち何百年と預言されてきた救い主であると直覚したのです。ヨハネ福音書では事実上の最後の章にこう記されています。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(ヨハネ福音書二十・3151

 これを見てもいかにヨハネ福音書においてイエスを「神の子」と信じることが重要なこととしてみなされているかがわかります。それほど重要なことに対して、なぜ主イエスは「それよりももっと偉大なことを見る」と言われたのでしょうか。ナタナエルはイエスを神の子と信じることができたが、なおイエスはイスラエルの王であるという信仰にとどまっていました。単に大工の息子であって何の権力も見栄えもない人を見て、イスラエルの王だと直感的に召命されたのは確かに特別に啓示を受けた故だと考えられます。しかし、主イエスは単にイスラエル民族の王であるにとどまらず、人類の王なのです。こうした不十分なナタナエルの見たイエス像に対して 「もっと偉大なことを見る」と言われたのであろうと思われます。

 ヨハネ福音書において、イエスを神の子と信じる者に与えられる大いなることが、ヤコブの見た天に至る階段のを上り下りする天使たちの姿に結びつけられています。

 なぜこれが主イエスを神の子と霊の目で見ること(信じること)以上の大いなることであると言えるのでしょうか。

 人の子とはキリストのことです。キリストの上に天使が上り下りするのを見るとは、キリストの上に神の本質が天から注がれ、キリストを通して地上の願いが天に運ばれることを象徴していると理解することができます。

 また人の子キリストに結びつく者、すなわち一人一人のキリスト者にもこのことはあてはまると考えられるのです。私たちのキリストに生じるよいことは、キリストに結びつく人間にも生じることです。キリストの上に、天使が上り下りするのと同様に、キリストを信じる私たちの上にも天使が上り下りするのを見る(霊的に体験する)ということになるのです。これには、次のような意味が象徴的にこめられています。

 私たちの祈りや願いは天に運ばれて聞かれ、御心に留めて下さる、あるいは私たち人間の持っている様々の汚れたものが天に引き上げられて、処理され、清められるということも思わされます。十字架のあがないとは私たちの罪をイエスが身代わりに背負い、処理して下さったことです。それは言い換えれば、地上の罪を引き上げて取り除いて下さったということなのです。

 そして天から下って私たちのところに来るのは、聖霊であり、復活した活けるキリストにほかなりません。こう考えると、ヤコブの階段の夢は十字架のあがないと聖霊を注がれること、生きたキリストが私たちのところに来て宿って下さることをも思い起こさせる豊かな内容をたたえているのがわかります。十字架のあがないと復活のキリスト、聖霊、これこそキリスト教の中心です。だからこそ、これが「大いなること」だと言われているだと思われます。
 私たちの上に、この地上にたえず天使が上り下りして私たちの祈りを運んでもらい、地上の罪を運び去って頂きたいものです。 

 この箇所に関して、ヤコブの見た階段はそれがイエスご自身であり、ヤコブの夢によって神ははるか後に現れるキリストを預言しているのだとも言われてきました。確かに主イエスは、私たち人間と神を結ぶ架け橋ともいうべき存在だと言えます。

 キリストが和解となり、隔てになっているじゃま物を取り除いて下さったことはつぎのように記されています。


「ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。

キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、   彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。   

 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、    」 (エペソ書二章より)

 長い人類の歴史において神と人間とはあまりにも遠く離れていました。聖書はキリスト以前の時代がいかに神と人間が遠く離れていたかを詳しく記しています。その大きいへだてを取り除いてくれたのがイエス・キリストであったのです。

 神と人間との隔てを取り除かれるとき、人間同志の深い対立も解消されていきます。ユダヤ人と異邦人との根深い対立もキリストが来て下さったことによって根本から解消されるとパウロが述べているのです。 

 ヤコブはこの天からの階段の夢を見て次のように言いました。

「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。ここはなんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」 (創世記二八章より)

 神など到底いるはずがないと思われるような荒涼とした砂漠のような所で、しかも孤独のただなかにいるヤコブのところに、神は現れた。神は私たちの日常生活においても、こんなひどい状態のなかに神はいるはずがないと思われるような状況においても、むしろそのような所だからこそ現れて下さる。これはなんと私たちに励ましを与えてくれる約束でありましょう。

 私たちの人生の砂漠においても病気や家庭の問題、人間関係等などいろいろの状況に追い込まれます。こんなところに神などいるはずがない、そう思われる時においても神はむしろそのただなかにいて下さり、現れて下さるということはすばらしいことです。

 そして「ああ、ここにも神はいて下さったのだ!」ということを知ることは私たちが知る最も深い喜びの一つであります。

 そしてヤコブが「なんと畏るべきところだろう!」と叫んだように、私たちも神との出会いにより、思いがけないところで神に出会うことにより、私たちは神は畏れをもって対すべきお方であるのがわかります。

 神は愛である、といってもなれなれしく対することはまちがっています。

「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ福音書四・24)と主イエスが教えました。神はすべてを見抜き、必ず背くもの、悔い改めない者には裁きを与えるということを知った者にはなれなれしくはできません。また罪深い自分をも赦し、さらに見えない神の賜物をもって自分を満たしてくれるのを体験したならば、私たちはただみ前にひざまずくだけです。

 こうした心はおよそなれなれしくするとかいう感情とは異質なものです。

 宇宙の創造主である神に対する畏れを知らない心は、自分が大きいと思っているからでありましょう。

 ヤコブはかつては兄をだまし、また父をもだますほどに厚顔な者でした。しかし、荒野の一人の苦しみにみちた旅によって初めて自分の小さいこと、神の無限と万能を思い知らされたのです。

 私たちも自分がひとかどの者であるとか、自分は偉いのだといった高ぶりが潜んでいます。そうした傲慢は苦しみや痛みを通してはじめて砕かれていくのです。ヤコブの天の階段の経験はそうしたことも私たちに暗示しているのです。


       休憩室

木星、土星、すばる

 前回に紹介した木星が今ごろは、夕方からずっと夜通し見ることができるので、何人かの人からも空に木星を見るようになって、身近になったとか、夜に空を見上げるようになったとか、聞かされています。

 現在(十一月下旬頃)、夜の九時頃に空を仰ぐと、南のやや高い空に、明るく木星が輝いています。そしてその少し東寄りには、木星よりは弱いがかなりの明るさで土星が見えます。木星は、ほかのどの星よりもはっきりとした強い明るさで輝いているので、だれでもすぐに見つかります。

 木星から、土星までの間隔をやや長めに土星の方向に延長していくと、ぼんやりと白いものが見えます。目のよいに人は、六個ほどの星が白い雲のようななかに見えます。これが、昔から有名な「すばる」です。プレヤデス星団のことです。

 これは、日本でも、今から千年ほども昔の清少納言がその随筆である枕草子につぎのように書いていることは広く知られています。

 星はすばる。牽牛(ひこぼし)、夕づつ(宵の明星のことで、金星)。 

 清少納言はどうして冬のオリオン座とかその中に含まれる青く輝くリゲルとか、あるいはシリウスのような強く輝いて目立つ星をあげずに、すばるを第一にあげているのか、不思議に思われますが、これは独特の白くくもったようななかに六つほどの星が見えるその姿がことに心を引いたものと思われます。(なお、ひこぼしとは、わし座の一等星アルタイルのこと)

 日本だけでなく、中国やインド、ヨーロッパなど世界的にこのすばるは古くから知られている星団なので、見たことのない人は、木星と土星をたどって見つけるとよいと思います。

 聖書のなかにも、つぎのように現れます。

あなたは、プレヤデスの鎖を結び、オリオンの綱を解くことができるか。・・大熊座とその星々を導くことができるか。あなたは天の法則を知っているか、その支配を地に及ぼすことができるか。(ヨブ記三十八・3133

 これは、ヨブという非常な苦難に突然にして陥った人が神はよい人も悪い人もみんな同じに扱うのだ、神は正しくないなどと苦しみのあまり神への不信を叫んでいたとき、神が最後に答えられたその言葉のなかにあります。ヨブ記を書いた信仰の大詩人もまた、夜空のすばるやオリオンなどに特別な関心を持ち、そこに神の大いなるわざを感じとっていたのがうかがえるのです。

 また、明け方には、素晴らしく輝く明けの明星(金星)が東の空に見えています。この時間の前後には、東から西の空に至るまで、たくさんの明るい星が輝いており、これほど多くの明るい星が一度に見られるのは珍しいことです。金星以外に、南の空にはオリオン座のリゲル、ベテルギウスなどの明るい星、大犬座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、双子座のポルックスとカストル、ぎょしゃ座のカペラ、雄牛座のアルデバラン、そして西の方に低くなっていますが、土星、木星といった明るい星が見えるのです。

 空の星に親しむと、私たちの心をいつもより高い方へ、また清い世界へと引き寄せられる思いがします。

1999/11


今月の聖句
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。  (マタイ福音書二十四・12


秋色深し    1999/10

 モズは鳴き、ススキの穂は風に揺れ、クリは実り、柿は色づいている。風もさわやかさを増し、青空にも秋らしさが満ちてきた。自然のたたずまいは、毎年同じように繰り返されていく。そのような自然と比べて、人間の世界では、かつて元気であった人も老年となり、病気がちとなり、さらに先輩も一人去り、二人去っていく。

 時間の大きい流れの中で私たちはすべて飲み込まれ、消えていくように見える。
 しかし、そのなかで目には見えない大きい流れ、神の国に向かう流れのなかに私たちは活かされていると信じることができるのは何と幸いなことだろう。
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。(ローマの信徒への手紙十一・36


雲と創造

ある老人が、ある日の雲の変化に満ちた美しい姿を見て、こんなすばらしい色や形は人間では決してできないと感嘆した。
 雲ほど神の日々の創造力をまざまざと身近に知らせてくれるものは少ない。
 神ははるかな時間の彼方に宇宙を創造しただけでなく、現在も日々無数のものを創造しつつある。それは人間の心に、自然のなかに、社会の流れや歴史のなかに見ることができる。
 雲は背後の青空や朝夕の赤く染まった空とともに、その姿、色、動き、力などによって大空全体に、日々壮大なスケールをもって無限の創造のエネルギーを目で見えるかたちに繰り広げている。それは、日々、新しい創造をなしつつある神からの私たちへのメッセージでもある。


権威なき時代に

 近ごろは、学校でも授業が成り立たない学級崩壊という現象が増えているという。最近も、ある中学生から、生徒が授業中に携帯電話を使ったり、おしゃべりしたりするクラスの現状を聞いたことがある。
 教育において教師の権威がなくなり、教師が児童、生徒と同じレベルになって単に、子供の友達のような状況となりつつある。

 現在、権威喪失の時代にあって、日本ではふたたびまちがった人為的な権威を教育の場にも導入しようとしている。国旗、国歌を敬えとかの命令によった国家的権威を児童・生徒の心のなかに持ち込もうとしているのもその一環である。


 しかし、そのような本質を外れた発想では、かえって児童・生徒の精神的空白と混乱を増し、ゲームや俗悪なマンガ雑誌あるいは、性的快楽などに興じる人間をふやし、あるいはあやしげな宗教教祖などを崇拝したりするまちがった権威がはびこるだけである。

 人間的な権威、たんに年齢が上だとか、立場が違うとか、地位が上であるとかの権威などはいまも昔もいくらでもある。そしてそうした権威は、かつては、制度や法律などで人為的に作り出され、あるいは伝統や長年の習慣として続いてきた。

 江戸時代には士農工商といった身分差別を徳川幕府作り出したし、戦前では、天皇に生きている神であるという最高の権威をあたえ、それに従うことが強制されていた。また、両親や教師の権威も当然のこととして続いてきた。

 戦後は、民主主義の考えが浸透し、人間はみな同じであるということが当たり前となって、かつて人間が造りだした制度による権威は相当失われていった。それとともに、およそ権威など存在しないのだという誤った考えが浸透していった。

 しかし、今も昔も権威は揺るぎなく存在している。それは、人間が造った権威でなく、宇宙の創造主である神が持っている権威であり、真理に立つ権威である。私たちが真理に結びついているとき、自ずから権威は生じる。

 それは真理は地位や教養、あるいは年齢にかかわらず宿ることができる。主イエスは、わずか三十歳ほどであったが、周囲に驚くべき権威を持っていた。

 そのことは新約聖書にも多くの箇所で記されている。

あなたがたは、キリストにおいて満たされている。キリストはすべての支配や権威の頭である。(コロサイ書・二・10


人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。(ルカ福音書四・32

人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」(マルコ一・22,27
 
 主イエスの時代にも、祭司長とか長老、聖書学者、ローマ総督などいろいろの権威をもった者がいた。そしてそうした人間的権威によって、イエスを捕らえて殺してしまった。
 けれども、かれらの権威は時の流れとともに跡形もなく消え去った。そして後に残ったのは、キリストの権威だけであった。キリストの権威は神から来ていた。神は永遠であるゆえに、主イエスの権威もまた永遠であり、過去二千年を経てもなおその権威は揺らぐことなく続いている。
 権威の失墜した現代において、キリストが持っておられる本当の権威こそ、私たちに必要なものなのである。


眠りこんだ弟子たち

 イエスは十字架につけられる前夜、弟子たちとともに食事をしたあと、
一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」(マルコ福音書十四・3234

 
 神の子である、イエスが「ひどく恐れて、もだえた」というのは、私たちには驚かされるような表現です。そんなことが主イエスにあるのだろうか、死人をよみがえらせ、ライ(ハンセン病)のような重い病人をいやし、中風の人をも一声で立ち上がらせることすらできた神の子が、そんな恐れやもだえて苦しむようなことがあったのかと思われます。
 ここで、「ひどく恐れて」と訳されている原語のギリシャ語はエックサムベオマイという語で、マルコ福音書だけに四回用いられている言葉であって、この原語は驚くという言葉の強調形であるから、他の三回はすべてつぎの例でわかるように「非常に驚く」という意味で使われています。

 
墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。(マルコ十六・5
群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。(同九・15
 
 そのため、このゲツセマネの祈りの箇所でも、「非常に驚いた時のように、心が乱れた」という意味が含まれていると考えられます。この箇所の他の福音書の並行箇所でもこの言葉は用いられておらず、マルコしか使わなかったということは、著者のマルコがいかに主イエスの苦しみ、悩みが並外れて深かったかを示そうとしているようです。
 あとの福音書記者(マタイ、ルカ)たちはこの言葉の持つ強い表現になじめなかったからではないかと思われるほどです。
 主イエスの生涯の中で最も激しい苦しみともだえにさいなまれていたその時、一番近くにいて三年間もともにしてきた弟子たちは、一人残らず眠っていた。しかも三度も見に来たがそのいずれも眠っていたと記されています。
 ここに、いかに主イエスが孤独のなかで、生涯最大の苦しみを戦っていたかが浮かび上がってきます。そしてひどく恐れ、もだえるほどに苦しんだということから、私たちと同じ弱さを持っておられたということがわかるし、このような点において、イエスは神の子であるとともに、人の子でもあられたということがよく感じられるのです。
 このことからつぎの聖書の言葉が思い浮かびます。

 
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。(ヘブル書四・15
大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。(ヘブル書五・2

 
しかし、このようなゲツセマネの祈りにおける苦闘によって、主イエスは最終的な勝利をサタンに対しておさめることができたと考えられます。
 この箇所をしずかに読むときに、多くの人が感じる疑問は、弟子たちはどうして、すべてが眠りこんでしまったのだろう。裏切ったユダを除いて十一人もいたら、一人くらいは、目を覚ましている者がいるだろうと思われるのに、ということではないかと思います。
 主イエスが弟子たちと共に過ごす最後の夜に、主は、「弟子たちの一人によって裏切られる」と言い、「今夜、ペテロすら、明け方までに三度もイエスを知らないと否認する」と預言しました。しかし、そのような重大な時であるのに彼らはみんな寝てしまったのです。
 ここに、弟子たちがいかに弱いかがはっきりと記されています。この記事の目的は、一つには弟子たちの徹底した弱さを記すためであったのです。ペテロは命がけでついていくと誓いました。
「あなたと共に殺されることになっても知らないなどと言わない。」(31節)とまで言ったペテロでしたが、いとも簡単に、眠りこけてしまったのです。
 弟子たちに言われた言葉「ここを離れず、目を覚ましていなさい。」(十四・34)という言葉は、このゲツセマネの祈りのときに、弟子たちに言われた言葉であって、今の私たちには関係がないと思われる人が多いはずです。
 しかし、主イエスは、この「目を覚ましていなさい」ということを、他の箇所でも、繰り返し言われています。

 
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。・・
だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。
目を覚ましていなさい。」(マルコ十四・3236より)

 なお、この「目を覚ましている」という原語はグレーゴレオー(gregoreo)といいますが、この言葉の重要性から、人名としてグレゴリウスという名が作られ、その名のローマ教皇は六世紀から十九世紀まで十六人もでており、またグレゴリウスという名のキリスト教思想家も多くいることも、この言葉の重要性を人々が認識していたからと思われます。
 さらにこの箇所はつぎのようなことを知らされます。
 ペテロは三度、主イエスを否認すると預言され、三人の弟子を連れていき、三度弟子たちのところに来て、祈りを促(うなが)された。このように、三という数字が多く用いられているのは、こうした悲劇的なこともすべて神の大きいご計画のなかにあったことを示していると考えられます。

 神は、人間の目から見て、はなばなしい勝利と見えることでなく、かえって、弱い、情けないような実態のただなかにその勝利をすすめていかれるということです。
 弟子たちも、主イエスご自身も最も深い弱さをまざまざと現したそのようなときにこそ、最も重要な勝利がおさめられたのがわかります。


ゆだねられたものを用いること   ・タラントのたとえ・

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。
早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。

同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』

主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」(マタイ福音書二十五章より)

 このたとえ話はタラントのたとえとして、よく知られているたとえの一つです。これは、少し聖書に関わった人はよく知っているのですが、それにもかかわらず、このたとえの意味となると、わからないという人、あるいは、全くの誤解を持っている人が多いようです。
 ことに、人間一人一人に与えられるタラントが違う、一人には、一タラント、別の人には、二タラント、他には五タラント与えられている人がいる。それなのにどうして自分だけ一タラントとしか与えられていないのか。
 一タラントしかもらわなかった人が怒るのは当然ではないか。自分も一タラントよりもずっと小さい額しかもらっていないといって、不満や不平を持ち続ける人がいます。実際、最近もある人から、そのような疑問を出されたことがあります。
 まず、神様が人によっていろいろのタラントを別々に与えることについて考えてみます。私たちの身の回りを見てみると、自然の世界、例えば身近な植物などの世界を少し注意深く観察すると、それが実に多様なものであることに気がつきます。松、杉、クスノキのような数十メートルにもなる大木から、小さな下草、シダや日陰に生える苔のような目立たない植物、またバラやチューリップのような大きく美しい花から、イネ科の草のように花びらのない花、さらには水中に繁る水草など、驚くべき多様性を持っています。
 さらに同じシダ類においても、数十センチ程度のシダもあれば、沖縄にあるヘゴの仲間など八メートルに及ぶものもあるわけです。

 これらは神からそれぞれのタラントを与えられていて、そのような変化を保っているということができます。それらを比較して松や杉などは大木になるからそのような植物だけが価値あるもので、コケなどは小さく目立たないから不要だというようなことではなく、それらさまざまの植物が互いにいろいろの場所、環境において生育しているのです。
 これらは大きな神のご計画のもとで、配置されているということができます。
 同様に、人間についてもみんな同じように創造されているのでなく、一人一人異なるものが与えられていること、それぞれに多様なタラントが与えられているのがわかります。 このようなさまざまのタラントを与えられているということは、神の大きいご計画のもとで深い意味があると思われますし、人間についても実に多様な人々がいるのも全体としてみるとき、神がそうした変化のある存在を必要とされているからだと思われます。
 五タラントもらった者は出て行ってそれを使ってほかに五タラントもうけた。そして二タラントもらった者も同様にして二タラントをもうけた。しかし、一タラントもらった者はそれを使わないで、かくしておいたというのです。
 多くの日の後、主人が帰ってきて、精算を始めた。五タラント預かった者は、ほかの五タラントを差し出して五タラントをもうけましたとあります。
しかし、一タラント預かった者は、主人が「蒔かないところから刈り取る」人だと言ってそれが恐いから、土に埋めて隠しておいたと言い訳をしました。蒔かないところから刈り取るとは、主人は自分では働かないのに、収穫をみんな持っていってしまうというところから来ている言い方です。私たちが働いても結局は死んだら終わりだ、神がみんな持っていくのと同じだというような意味だと思われます。
 しかし、この一タラント預かった人の主人に対する気持ちは、特殊な気持ちではなく、誰にでもあることと言えます。それは、神に対する誤解なのです。この一タラント預かった人が、主人に対して、どんなに慈しみをもっているかをわかろうとせず、ただ一方的に悪く思っているだけなのです。それは、私たちが信仰を持たない限り、私たちに何が与えられているかを感謝せずにただ、不満を持っている状態と同様です。私たちはだれでも、自分が与えられているものを感謝するどころか、反対に、自分にはこんなものしか与えられていない、他の人にはあんなよいものが与えられているのに、といって不満や不平がいつも出てきます。そして神からゆだねられた賜物を神の国に用いようとせず、それを地のなかに隠しておくという状態になってしまいます。
 主イエスもだれもともしびを灯して隠しておく者はいない。その灯を机の上に置いて周囲を照らすのだと言われました。
 この一タラントを預かった者は、主人への反感を持っていたこと、つまり神への反感を持っていたということです。実際、現在の日本人の何と多くの人たちが私たちの主人というべきお方でもある神への反感を抱いていることか、と思います。そうした神に逆らう心の状態こそは、罪深い自然のままの人間の姿です。

 しかし、私自身も、ある時に主イエスが心に住むようになってから、自分に与えられたことに対しての感謝がようやく芽生えてきたのを思い出します。
 二タラントや五タラントをもらった人たちはキリストを信じるようになった人たちのことなのです。神から預かったものを用いて神の国のためにすぐに働くということは、神を信じているのでなければできないことです。
 真に主イエスから大いなる恵みを受けたと実感する人は、このような人たちであって、さらに与えられたものを活かして用いようとするのです。多く赦された者は多く愛するという言葉があります。
 また、ヨハネ福音書十五章には、有名なぶどうの木のたとえがあります。そこで言われていることは、「私につながっていなければ、何もできない」ということです。二タラントもらってすぐに働くために出かけていくというのは、主イエスにつながっている人のことです。
 つぎにこの箇所で、ほとんどの人が疑問に思うことは、
「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」という箇所です。
 聖書のことをよく知らない人が、「これはアジアなどのように、富んだ国はますます豊かになり、貧しい国はだんだん持っているものを取り上げられて貧しくなる状況を言っている。聖書はこのような差別的なことを認めているのだ」などと勝手な解釈をすることがあります。たしかに表面的にこの聖書の言葉をとらえるとそんな意味にまちがって受け取る人もいると思われます。
 しかし、これはもちろんそんな意味ではなく、神から預かったものをすぐに用いて神の国のために用いようとする信仰のある者は、ますます豊かに与えられるということなのです。
 このことについて、主イエスがぶどうの木のたとえで話されたことがあります。


わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ福音書十五・5
 
 この有名なたとえで言われていることもほぼ同様です。「持っている者はいよいよ豊かに与えられる」というとき、持っているとは、何を持っていることを指しているのでしょうか。それは、主イエスに対する信仰であり、主イエスのうちにとどまることであり、それは主イエスとつながっていることであり、主イエスを内に持っているということなのです。そうすれば、「いよいよ豊かに実を結ぶように」主が手入れをして下さると言われています。これこそ「持っている者は、さらに与えられて豊かになる」という言葉と同じです。
 この世は、目に見える世界のことを考えると、権力や金を持っているものは、貧しい人から奪ってますます豊かになると思われています。貧しい人は持っているものまで奪われてますます貧しくなると考えられています。
 しかし、聖書はただ信仰を持って、真剣に求めていきさえすれば、だれでも聖霊が与えられ自ずから、ますます与えられて豊かになることを約束しているのです。
 これは、例えば、人生の途中で失明しそれまで楽しんでいた職業や家庭生活、友人との交際、趣味などあらゆるものが失われていった人、また生まれつきの何らかの病気、あるいは交通事故その他で、全身マヒの障害者となっている人など、そのままでは、絶望的なほどになにもできないので、精神的にも落ち込む一方であった人が、キリストの福音に触れて、そこから生きる希望や力を与えられて、歩んでいくようになった人は数かぎりなくいます。かつて、ハンセン病(ライ)は文字どおりあらゆるものを奪われていく最も恐ろしい病気でした。病気の苦しみとともに、学校生活、家庭生活も奪われ、職業や結婚も失われ、隔離されて療養所に行くほかはなくなり、そこでも病がすすむとともに、手足の神経はマヒし、ついには手足の一部も切断、そのうえに失明にまでいたる人もいる恐ろしい病気です。これは文字どおり持っているものがつぎつぎと奪われていく病気です。
 しかし、そのような中からキリスト信仰に導かれた人は、目に見えるものが失われていく一方で、目に見えない神の国の賜物、心の平安、生きる力や希望、新しいキリスト者どうしの交わりなどが与えられていったのをそうした人が書き残した記録で知ることができます。
 このように心にキリストを持っていると、増し加えられるということは、別のところでも主イエスがたとえで語っています。
イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」(マタイ福音書十三・3132
 他方、もしある人が主イエスにつながっていないなら、与えられている能力まで次第に奪われてなくなっていきます。
 それは、ヨハネ福音書でつぎのように言われている通りです。

わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。(ヨハネ福音書十五・6
 
 この言葉は厳しいように見えますが、実際このことは私たちの周囲にいくらでも見られることです。主イエスにつながっていなければ、日々かつては持っていたはずのよいものが確実に失われていきます。かつては、純真な心を持っていた人もそれがなくなり、かつては生き生きして働いていた人も、働く目標がなくなり、健康を失って、そうした生き生きした心を根底からなくしてしまった人、かつては、忍耐づよく、前途にあるものを求め続け、捜し続ける熱心を持っていた人でも、それらがみな失われてただ食べて生きているだけというような存在となってしまいます。
 こうした状況こそ、主イエスが言われた、「枝のように外に投げ捨てられて枯れる」ということです。そして最後は文字どおり火の中に入れられて骨や灰となってしまいます。 持っていない者、すなわち、神とキリストへの信仰を持っていない者は、このようにますますかつて持っていたものまでも奪われていくのです。主イエスの言葉は恐ろしいほどに的中しているのです。

 ここで初めに引用した聖書の箇所をもう一度見てみます。気付くことは、五タラントゆだねられた人も、二タラントの人もその与えられたタラントを用いて働いたときには、どの人もつぎのような全く同じねぎらいの言葉を主人から受けていることです。
 
主人は言った。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」

 このことは、何を意味するのでしょうか。もし、私たちが主イエスに信頼し、主イエスを心に持っているときには、どんなに能力が恵まれていないように見えても、またいかに老年や病気などで身体の自由が不自由であっても、持っているその信仰を働かせることができるように導かれる。そのときには、健康なからだをもって、社会的に大きい働きをした人も、寝たきりの人もまったく同じように神から認められ、神の国の賜物を下さるということなのです。人間は外側の業績、目に見えるはたらきを見て評価するだろう。しかし、神はそのような目に見えることでは判断されず、どんなに小さいように見えても、与えられたものを神への信頼の心をもって使うかどうかだけを見ておられるというのは何と幸いなことかと思うのです。


原子力の危険性について

 今回の東海村の核燃料加工会社で生じた大事故において、初めて原発関係施設からの放射線の危険が一般市民にも体験されることになった。
 原子力を利用しようとするとき、必ず生じるのが放射線である。そしてこれが特に問題となるのは、人間にはそれを知覚したり、守るための感覚が備えられていないということである。
 ほかの危険なものに対しては、人間(動物)にその危険を知覚し、それから身を守るようにできている。例えば、熱さについてはただちに熱さを知覚して、そこからからだを移動させたり、そうした熱いところに近づかないようにして身を守ることができる。
 また、刺のようなものに対してもそれが皮膚を刺す痛みによってその危険をただちに感じとって、わずかの痛みによって、その刺に刺される危険から身を守ろうとする。
 あるいは、寒さに対してもそれを感じて暖かくしようとするし、寒さの中に置かれると、ふるえるがそれは筋肉を収縮させて熱を発生させ、寒さから身を守ろうとするための現象である。
 また、毒虫の毒についても、刺されるとただちに痛みが生じてそれ以上刺されることから身を守ろうとする。有毒物質についても、苦さ、しびれ、痛みを感じて吐きだそうとするし、有毒ガスなら強い刺激臭などを感じて息を止めようとするなどして反射的に身を守ろうとすることが多い。
 このようにさまざまの感覚によって危険なものに出会ってもそれを感知し、それを取り入れることを避けるとか、そこから逃げることができるように人間(動物)は創造されている。
 しかし、放射線はこうしたものと全く違っていて、人間は防御する仕組みを持っていない。放射線を浴びても痛くもかゆくもない。これは、だれでも放射線の一種であるエックス線を病院で照射されてもなんら熱くも寒くもないし、痛みもないことでだれでも想像できる。
 もし、放射線を受けて吐き気がしたら、もはや相当の放射線を浴びてしまっているという状態である。だから、チェルノブイリ原発事故のときも、今回の東海村の事故の場合も駆けつけた消防隊員たちは、放射線事故だと知らされない限り痛くも熱くもないので大量の放射線を浴びて一部の者は取り返しのつかないことになったのである。
 人間の五感で、放射線を感じることができないということは、神が人間や動物を創造されたときに、放射線から身を守るような能力を与えていなかったということになる。それほど原子力を人間が用いるということは自然に反していることだと言えよう。
 しかも、ひとたび原子力を用いて発電をするということになると、そこから生じる廃棄物はプルトニウムのように、二万四千三六〇年も経ってもやっと、そこから発せられる放射線の量が半分になるにすぎないような物質もある。だから、放射線を出す量が初めの四分の一になるまでには、その倍であるから、五万年ちかくもかかることになる。これは、人間の生活の長さからいうと、ほとんど永久的といってよいほどに長い寿命をもっていることになる。
 今回のような事故が生じて、原子力を用いるということがいかに危険を伴うかを庶民も実感したにもかかわらず、政府は一向に従来の原子力政策を変えようとしていない。
 他方、ヨーロッパの状況はどうであろうか。
 スウェーデンでは、二十年ほども前にすでに「脱原発」の方針に転じている。一九八〇年に原発の国民投票で「二〇一〇年までに、全部の原発を段階的に停止する」と決議された。そのために、使用済み燃料の施設の建設や、最終処分のための研究などに八千億円もの巨額の費用を投じる予定になっているという。
 ドイツでは、昨年誕生したシュレーダー政権によって、原発を徐々に減らすという脱原発の方針が打ち出されている。そして、期限は明示しないが、原発を廃止するという方向に進むことになっている。
 また、昨年末までに三百万キロワット近い風力発電機が設置され、世界最大の風車大国となっているという。こうした姿勢は第二次世界大戦で敗戦となった日本とドイツが原子力に対する姿勢では大きく異なっているのがはっきりとしている。
 日本では、原子力発電に向かって、突き進むばかりであって、こうした風力や太陽エネルギーを本格的に用いる研究とかに力をわずかしか注ごうとしていない。風力発電の分野では、ドイツの百分の一にも達していないという。
 また、イタリアでは、チェルノブイリ事故の翌年に、国民投票で、八〇%が反対の意志表示をし、政府も原発推進を止め、計画中の二基も白紙に戻すことに議会でも承認されたのであった。フィンランドでも新規の五基の原発の計画は凍結となった。
 そしてスイスでも新規原発を十年間凍結することになった。そのほか、ベルギー、オランダ、ギリシャ、デンマークなどでもそろって、新規の原発建設計画は凍結された。
 フランスでも、「放射性廃棄物の健康と環境への害は数十万年、あるいは数百万年にわたって継続する」このような人間にとっては、永久的とも言える害をもたらす原発への依存度を少なくしていく方向へと向かっている。その一つの現れは、高速増殖炉の開発を中止することにし、世界最大の高速増殖炉である、「スーパーフェニックス」を廃止する作業が今年から始まっている。フランス政府は、これ以上原発を建設しないで、エネルギーを別の手段でまかなう計画を出したが、これは、それまでの原発は不可欠だとする大前提が初めて破られた例だという。
 高速増殖炉にしても、アメリカやロシア、ヨーロッパなど欧米の国々がみな中止、または廃止の方向に向かっていたのに、日本だけが、強力に推進という立場を崩さなかった。それが、「もんじゅ」のナトリウム漏れの大事故が生じてやっと、高速増殖炉に向かっていた方向を転換することになった。しかし、今度は、危険なプルトニウムをウランと混ぜて発電に用いる方法にかえて無理に使っていこうとしている。
 何度事故が生じても、今回もまた政府は原発推進の方向は変えないと断言している。こんなことでは、ある外国の研究者が、アメリカのスリーマイル島原発事故や、チェルノブイリ原発のような大事故が生じなかったら日本の政府は原発の危険性に目を開こうとしないと言っていたが、本当にそんなことになりかねない様相を呈している。
 なぜ、日本人はこのように、現在および、将来の人間に対して永久的ともいえるほどの危険を持つ原発に対して鈍感なのであろうか。ひとたび大事故が生じると、はかりしれない放射能汚染や、犠牲者をつくることへの重大な罪の重さ、あるいは何万年もの歳月にわたって危険な放射線を出し続ける廃棄物を子孫にのこすことの罪の深さを認識できないのである。
 こうした人間の弱さともろさ、醜さなど、人間の罪そのものに対する認識の低さは、太平洋戦争というアジア全体に多大の悲劇を起こした大事件に対して、最高責任者であった天皇の罪を明らかにせず、太平洋戦争の時の商工大臣であった岸信介が戦後(一九五七年)に、首相にさえなったことなどと共通している傾向である。彼は、太平洋戦争の際に戦時経済体制の実質的な最高指導者であって、あの戦争においては、多大の責任があった人物であり、それゆえにA級戦犯となっていたのである。
 こうした問題は、やはりキリスト教を受け入れる人が日本ではごく少ないという事実と深く関係がある。私たちに目先のことだけでなく、将来のことを見据えるまなざしを与えてくれるのがキリスト教信仰であり、聖書なのである。



休憩室

秋になると、野山ではいろいろの野草の花が見られます。花というと春を思い出す人が多いようですが、野山には春にもまけないほどにいろいろな野草が花を咲かせて、神の創造のわざを見させてくれます。  秋を告げる強力なメッセージとなっているのがヒガンバナです。この花は日本では、あまり好まれてこなかったのですが、最近では、海外では鑑賞用の花として用いられ、日本でも、次第に秋の代表的な花の一つとして取り上げられることが多くなっています。

 キツネノカミソリとかナツズイセンという美しい野草もヒガンバナ科ですが、それらの花は愛好されているのに、ヒガンバナだけが、いろいろな不当な誤解によって仲間外れにされている感があります。スイセンもヒガンバナ科なのですが、こちらのほうはだれでもに好かれる花となっています。 

 私は以前に、学校でヒガンバナの球根が含むデンプンやリコリン(アルカロイド)のことを教える理科実験のために、毎年近くの小川の側から採取していたことがあり、それを自宅にも植えてあります。毎年きちんとその美しい花を咲かせて周囲の緑と鮮やかなコントラストを見せてくれます。あぜ道や小川のふちにその印象的な赤い花を咲かせるのですが、近年は小川の改修やあぜ道の拡大などでつぎつぎと住む場所が狭くされていきつつあるのは残念なことです。

 また、秋の野山には、野菊といわれる野生のキクがいろいろと見られるようになります。多いのは、ヤマシロギクです。これは、野に一番多い野菊であるヨメナの花びらを白くしたようなものなので、シロヨメナとも言われますが、この花が山道のあちこちに咲くようになると、いかにも秋の山だという感を与えてくれます。 
 それから同じ白い野菊でも、シラヤマギクというのは、野菊の葉とは思えないような葉を茎の下のほうにつけ、白い舌状花もややまばらにつき、山深い所でひっそりと咲いている感じがして山の秋を知らせてくれる野草の一つです。


アサギマダラ

 先日、わが家のそばで美しいアサギマダラがその独特の飛びかたでゆったりと飛んでいるのが見られました。二年ぶりくらいに見たものです。それがまたその翌日、こんどは家の庭の青い花に蜜を吸っていたのが見られました。

 小学生のとき、アサギマダラを初めて見つけたときの感動を今も覚えています。徳島ではめったに見られないチョウだったからです。

 その後、愛媛県にて関西の最高峰の石槌山(標高一九八一米)を数日かけて縦走していたとき、その稜線にて何度か見つけ、このチョウが高い山を好むのを知りました。その後、剣山にても四国では珍しいすらりと高く、美しいクガイソウ(ナンゴククガイソウ)の花に群がっているのを見る機会がありました。わずか一匹のチョウとの出会いであっても、その姿形の美しさに触れて神の創造の神秘の一端に触れさせていただく思いがします。


ことば

103)神に何かを与えようとする人より、神から何かを求め望む人の方を、神はいっそう愛するのである。(ブースの言葉。ブースは一八二九〜一九一二年、イギリスの人。救世軍の創設者として著名)

 
心に誇るもののない人は、たえず神に求めていく。心の高ぶりがあれば、神に対して、人に対してもこんなよいことをしたのだなどという誇りや高ぶりが生じるだろう。神はそうした心を退けられる。主イエスご自身、まず「神の国と神の義を求めよ」と言われ「求めよ、そうすれば与えられる」と約束された。 
 
104)クリストフ・ブルームハルトの祈り

愛しまつる在天の父よ、

この世においては不安がありますが、あなたのうちにわれらは平安を得ています。
み霊によってあなたの天の国のよろこびを与えてください。
あなたに仕えることによって自分の人生に対する力を与えてください。
苦痛を忍び、悲しみ、不安、かん難の道をなおあゆむすべての者たちをおぼえ、賜物を与え、助けを与えてみ名を讃えさせてください。
あなたの大いなるあわれみと誠実さによって期待し、のぞむことを許されているものによって、われらをすべて結び合わせてください。
                                                   アーメン


(クリストフ・ブルームハルトの祈祷集、九月三〇日の祈りから)

私たちは祈りは自分の心のままに祈ったらよいという考えがあります。しかし、どんなことにも正しく導かれる必要があるはずです。すでに聖書においても、キリストに従うためにいっさいを捨てたほどの弟子たちすら正しい祈り、神に聞き入れられる祈りや願いはどんなことなのかと尋ねたことが記されています。有名な主の祈りはその答であったのです。主の祈りは私たちの毎日の祈りとなるべきものですが、それを土台としつつ、さらにより具体的に祈るために、祈りを集めた書(祈祷集)がよき導きとなってくれます。


 この祈祷集はそうしたもののうちで優れたものの一つとして用いられてきました。

 なお、ブルームハルトは、一八四二年生まれ、ドイツの牧師。神学者カール・バルトやブルンナーなどにも強い影響を与えた人。また父親のブルームハルトも特別ないやしの賜物をも与えられていた優れた牧師として知られていますし、同時代のキリスト教思想家ヒルティもとくに高く評価していた人です

1999/10

打ち倒される時に  1999/9

 キリスト教史上の最初の殉教者であったステパノは、周囲を取りまく多数の人々が、激しくわめいて彼を取りまいているただなかに、彼は引きずられ、まわりの暴徒たちによって石を打ちつけられて殺されることになった。

 主イエスのことを証言し、人々が過去に預言者たちを迫害してきたことを述べただけで、人々は怒りだし、とうとうステパノを殺すところまでいってしまう。そのような場面を私たちが想像するとき、どこに神がいるのかと感じられるかもしれない。無実な人を襲い、よってたかって引きずっていき、石で撃ち殺すというような場面のどこに神はいると思えるだろうか。

 しかし、不思議なことに、そのような最も神はいないと思われるようなところに、神と主イエスはその姿をステパノの前に現したのであった。それまでのだれもが見ることができなかったほどにはっきりとである。 

ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、

「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。

人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。


人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。

それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒行伝七章より) 

 主イエスに従う人が、憎しみを受けて打ち倒されるとき、そこに神などいないと思われるとき、静かに神はその姿を現されている。人が倒されるとき、主イエスは立っておられる。

 キリストを信じるとは、不思議な世界である。自分という人間が、弱さのゆえにまた罪のゆえに倒れるとき、そのときにこそ主はわが内に立って下さるというのである。

 キリストが弟子たちとの最後の夕食を終えたのち、ゲツセマネの園において、生涯で最も深く厳しい祈りをされた。そのとき、弟子たちはみなそろって眠りこけてしまった。しかし、そのようにして人間が弱さのゆえに倒れるとき、主イエスは一人で霊の戦いに立たれ、神の力によって最大の戦いを勝利されたのであった。


キリスト教礼拝での讃美歌

讃美歌はどんな意味があるのでしょうか。かつて私たちのキリスト集会員が召されたとき、その前夜式で讃美歌が歌われ

ましたが、そこに参加していたキリスト者でない人たちが、人が死んだときなのに、歌を歌うなんてと驚いたと言っていました。

 これは、歌うとは楽しい気分のとき、遊びのとき、行楽や宴会などのとき、また音楽会のときなどであって、日本人にとっては、人が死んだときに歌をいくつも歌うなどということは考えられないことであるからです。仏教による葬式の場で、だれかが歌を歌ったらまともな人間扱いされないかもしれません。

 これは、歌うということの意味が日本人にはひどく狭い意味でしか知られていないからです。

 私もキリスト教信仰に出会うまでは、歌などというものは、気晴らしとか、気分転換あるいは、一種の趣味、娯楽程度のものだと思っていました。

 しかし、キリスト教においては、重要な会にいつも歌を歌うのです。礼拝であっても、クリスマスの集会や人が死んだとき、葬式、結婚式、祈りの会、家を建てるとき等などあらゆるときに歌(讃美歌)を歌います。

 私がキリスト教信仰を持つようになってすぐに読んだ本の一つに、若くして高熱を出してこの世を去った人の記念文集がありました。そこに書かれていた人は、死に瀕したとき、高熱で意識がないような状態であったのに、その口からとぎれとぎれに出てきたのは、讃美歌五二〇番「しずけき川の岸辺を」であったと知って強い印象を受けたことがありました。 それは、そばで看病している両親のこともわからないほどに意識がうすくなっているのに、なおそこから「安し、安し、神によりて安し」という讃美歌の一節が出てきたというのは、いかに讃美歌が深く魂に刻み込まれていたかをしめすものです。

 それは、祈りであり、神の言に次ぐほどのものとなって魂に刻み込まれていたのがうかがえるのです。

 キリスト教における讃美とはたんに楽しいから歌うのでは決してなく、最も苦しいとき、死にかかっている時ですら、出てくるほどのものなのです。

 主イエスも、いよいよこれから捕らわれるという前夜にも、最後の夕食のあとで締めくくりとしてしたのが、讃美を歌うことであったのです。

一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。(マルコ十四・26

 殺される直前においても、なお歌ったのは、神への祈りだからです。祈りをさらに長く引き延ばして祈り続けることが讃美であったのです。だからこそ、主イエスも捕らえられ、殺される直前に讃美の歌を歌ったのです。それはこれから起きるたいへんな事態に対処するための祈りであったからです。神を信じる者なら、祈りはどんなときにもすることが期待されているし、神はその祈りの姿勢を最も喜ばれます。だからこそ、結婚式でも、葬式でも、また新しい家を建てるときも、苦しい時も、感謝と喜びのときもどんなときにも讃美歌を歌うということが生じるのです。

そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。

真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。(使徒行伝十六章より)

 このように、鞭打たれ、暗くてじめじめした牢に閉じこめられていたし、真夜中でもあるのに、なお神への讃美を続けていたというのです。

 ここにも讃美というのが祈りであるというのがよくわかります。古代の鞭というのは、数十回も打たれたら死んでしまう者もいたほどです。そのような恐ろしい鞭打ちの刑罰を受けて、どうして歌など歌えるのかと日本人は思います。しかしそのようなたいへんな事態だからこそ、祈る必要を感じて、讃美し続け、祈り続けたのです。

このように、讃美ということが、祈りと深く結びついているのは、旧約聖書から見られ、そのことは、詩編の例えば七十二編は
、その終わりの部分がつぎのようになっていることからも推察できます。

主なる神をたたえよ、イスラエルの神、ただひとり驚くべき御業を行う方を。

栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ、栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。

エッサイの子ダビデの祈りの終り。

これを見ると、この詩編第七十二編は第二巻(四十二編〜七十二編)の最後の詩編ですから、それらの讃美の歌(詩)を総称して、「祈り」と言われていたのがわかります。

 詩編が讃美であり、それはまた祈りでもあったということは、例えば、詩編十七編のタイトルに「ダビデの祈り」とあり、九十編のタイトルには、「神の人モーセの祈り」とありますがこのようなタイトルは他にもいくつも見られます。 

 祈りであるからこそ、苦難のとき、喜びのとき、結婚や葬儀のとき、あるいは、悲しみのときなど、どんなときにもそれは用いられることになります。そのような意味で、讃美はキリスト教のあらゆる行事に用いられているのです。


 このように見れば、私たちも讃美を歌うときにはその言葉の意味をはっきりと知って、その言葉を祈りをこめて歌うというというのが正しい讃美の仕方だとわかるのです。

 このように考えてくると、キリスト教の礼拝において、単に最初と最後だけ、二回歌って終わりとし、他はいっさい讃美しないという形式でなく、多くの讃美を用いることもそれが祈りとして用いられるときには、礼拝そのものでも有り得るのがわかります。

 聖書の講話の初めと終わりだけに形式的に歌うだけでなく、礼拝の中に適当なところに配分して、祈りを持って全員が集会に関わるための重要な手段となるのです。しかも、聖書の解きあかし(聖書講話、講義あるいは、説教)は、話されることをただ聞くだけとなりますが、讃美というかたちの祈りは、全員がその祈りに加わることができます。

 そして、讃美という形をとった祈りはメロディーとハーモニーが加わり、言葉にならない祈りをも神のもとに運んでくれます。

そのため言葉だけでは十分に祈れないときでも、讃美の祈りで助けられて祈ることができる場合もあります。

 私たちも礼拝において讃美を歌うときには、形式的に歌うことなく、祈りとして歌い、さまざまの讃美をいろいろな状況のときに用いることができるように導かれたいと思うのです。

主こそ王  (詩編九十三編) 

主こそ王。

威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯びられる。

世界は固く据えられ、決して揺らぐことない。

御座はいにしえより固く据えられ、あなたはとこしえの昔からいます。

主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。

潮は打ち寄せる響きをあげる。

大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。

さらに力強く、高くいます主。

主よ、あなたの定めは確かであり、あなたの神殿に尊厳はふさわしい。

日の続く限り。

 主こそ王!

 この詩は、神こそ王であるということを中心とした、実に明確な詩です。

私たちがふつう、神のことを思うとき、神を王として思い描くことがあるでしょうか。

 神は愛である、神は真実である、神は正義である、神は万能である・・といった言葉は私たちもつねに見るし、耳にします。

 しかし、神は王であるということを自然に思い出す人がどれほどいるだろうかと思います。

 聖書では神こそ本当の王であるということがしばしば現れます。どうして、このような表現が出てくるのかと不思議に思う人もいるはずです。

 これは、聖書において最初から現れます。

 神というとき、支配ということを抜きにしては考えることもできません。支配のない神など考えられないのです。

 天地を支配しているからこそ、万物を創造することもできるはずです。また、人間の世界にどんなに悪が栄えるよう見えても、必ずそうした悪の

繁栄はくつがえされるのです。 これは旧約聖書のいろいろの箇所において見られます。例えば、つぎのような箇所です。

その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。(イザヤ書二七・1

 レビヤタンとは、古代の神話的な怪物で、神に敵対する国や力を象徴として用いられています。

 このような表現だけを見ればなんのことかわかりませんが、これは、「神の定めた時には、神に敵対する力、サタン的な力を完全に滅ぼされる」という意味なのです。

 これに対して、多神教の世界では、さまざまの神々がいるとされ、それらの神々が互いに自らが王であるとして、力を競い合い、争っているということになります。

 しかし、聖書に示された神は、そうしたあらゆる神々やいろいろの霊的な力のいっさいの上に立つ力を持ったお方がいるということを明確に言っています。

 それが、この詩の冒頭に宣言されていること、「主こそ王」なのです。


 私たちは神のことを王というイメージで思い浮かべることは、ほとんどないと思われます。それは、王というと、古代の専制的な、人権を無視するような支配者を思い出すからです。家来を従え、立派なお城に住み、人民から搾取しているというような王が、愛と真実の神とはどうしても相入れないという気がするからです。

 また、支配という言葉も、冷たい、不正なイメージがつきまとっています。江戸時代の徳川幕府の支配は、多数をしめていた農民を「生かさぬように、殺さぬような」といった方針で支配していたほどですし、士農工商という厳しい身分差別をし、また、職業や住所も変えられないように支配していました。また、外国でもヒトラーの支配とか、日本でも明治時代になっも、天皇制の支配によって、あのようなまちがった戦争を始め、数千万といわれる多くの自国人や、外国人を殺傷してしまったといういまわしいイメージがあります。

 しかしそうした言葉の固有のイメージとらわれて、神が王であるということに心を向けないなら、この詩が持っている重要な意味をつかむことができなくなります。

 神が王であるという宣言は、要するに、いったい何がこの世界を、人間を、歴史を支配しているのかという、重要な疑問への解答になっているのです。

 現実の世界では、強力な外国が次々と現れ、それらの国は、容赦なく弱い国々に襲いかかってきて、征服していきます。イスラエルの国も、古くはエジプトやアッシリアの勢力に脅かされ、紀元前七二一年には、アッシリアに滅ぼされ、そして百数十年の後には、バビロンによってユダの国は滅ぼされています。そしてその後もペルシア、マケドニア、ローマ帝国とつぎつぎと周囲の大国に支配されていきました。

 聖書が書かれた地域は、アジア、アフリカ、ヨーロッパなどの国々の接点にあり、それらの国で現れた大国の支配にほんろうされることになりました。

 このような状況をみると、世界の支配は武力や権力の強いものが握っていると考えられるのが当たり前と思われるのに、かえってこのイスラエルの民が、この世の支配は、そうした国々や権力でなく、神にあるという信仰がこの詩にはよく表されています。

 何がこの宇宙を、世界を支配しているのか、という問題は、そのような古代から現在の私たちにいたるまで、最も重要な問題であり続けています。

 この世を支配しているものはいったい何であるのか、善でも悪でもない得体の知れない神々(いろいろの霊的な存在)か、それとも偶然か運命か。それとも、科学的な法則なのか、現代のような科学技術の発達した時代にあっては、科学の法則が宇宙を支配していると思っている人も多くいます。たしかに太陽や地球の動き、また地上のさまざまの運動は、万有引力や、運動の法則、作用・反作用の法則などというごくわずかの法則によって支配されているからです。

 聖書によって初めて、そうしたあらゆる支配の問題に最終的な解答が与えられということができます。神は、その選んだ民に、まず唯一の神が存在していて、その神こそがあらゆるものを支配していること、しかもその神は冷たい法則とか、人間を苦しめる支配をするのでなく、真実と慈しみをその本質としているお方であるということです。

 この問題は、新約聖書になっても、当然のことながら大きい問題でした。

 主イエスが生まれたとき、マタイ福音書によれば、そのことを初めて知らされたのは、東方の賢者たちでしたが、その賢者が光輝く不思議な星によって教えられたのは、「ユダヤ人の王として生まれた方」ということでした。ここにも、イエスは、最初から王として生まれたのだということが示されています。

 主イエスが初めて福音を宣べ伝えはじめた時にも、「神の国(御支配)は近づいた」と言われました。これは、日本語の訳語には現れていませんが、「国」とは、「王の支配」という意味がもとにある言葉ですから、「神の王としての支配が近づいた」という意味になります。長い間、人々が待ち望んでいたのは、神を信じる王が現れ、そのような王の支配が確立されることでした。

 神が王であるから、その神の性質をそのまま備えたお方が、人間のもとに来るなら、当然そのお方もまた、王であるという本質を持っていることが考えられます。ユダヤ人は、ダビデのような地上的な権力をもった王を救い主として待望していましたが、神はそうした王でなく、まったくだれも考えたことなないような、王のあり方をした王を地上に送られたのです。

 しかし、この二つの王のあり方は鋭い対立を持っていて、そのことがヨハネ福音書に記されています。

 主イエスがめざましい奇跡を行ったあと、人々はイエスを王にしようという動きが見られました。しかし、イエスはそうした人々の考え方が根本からまちがっていることを深く知っておられたのでそこを逃れて、一人山に入って祈りに入られたということです。

イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。(ヨハネ六・15

 また、このことは、主イエスが最後に捕らえられ、ローマ総督から尋問されたときにも、主イエスは次のような含みのある答え方をしています。

そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
 このようなイエスの言葉はたしかに自分は王である、しかし、自分の王としてのあり方は真理そのものである、という意味が込められています。

真理に属する者は、自ずからイエスを王として認めるのです。

 さらに、十字架にはりつけになったときに、その十字架にかけられた罪状書きに、ローマ総督ピラトが書かせたのは、つぎのようなものでした。

ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。

イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。(ヨハネ福音書十九・1920

 ここにも、この三つの言語は当時の全世界を代表する言語とみなされていたのであり、これら三つの言語は今日まできわめて大きい影響を及ぼしてきたし、いまもそうでありつづけています。ヘブル語は聖書の原語(旧約聖書)として、ギリシャ語は哲学(科学も含め)の世界を、またラテン語は、ローマ帝国の言語であって、それから現代のフランス語、イタリア語、スペイン、ポルトガル語などが生じてきたからです。

 このことは、このピラトの罪状書きは本人自身はその深い意味がわかってはいなかったが、その後二千年のキリスト教の歴史を預言するものともなったのです。

 たしかにキリストは目に見えない世界の王として、全世界でほかの何よりも尊重され、崇拝されてきたからです。

主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。

潮は打ち寄せる響きをあげる。

大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。

さらに力強く、高くいます主。

 これらの言葉で何を言おうとしているのか、必ずしもはっきりしないが、これは詩編の他の箇所にあるつぎのような言葉と関連していると考えられています。

あなた(神)はラハブを砕き、刺し殺し、御腕の力を振るって敵を散らされた。(詩編八九・11

 これは、神に向かって敵対しようとする、この世の力が存在すること、そしてそのような力はサタンの力ともみなすことができますが、それが神に対して絶えず攻撃してくる、打ち倒そうとしてくる。それがこの潮(大水)のとどろきであり、そうした力に対してもそれに決して倒されない力を神が持っていて、いっさいのそうした力の上に存在しているということが、これらの言葉の意味するところです。

 長い歴史において、また現代の私たちにおいても、たえずこうした潮が打ち寄せています。しかし、いかにそのような悪の力が真理を打ち倒そうとしても、真理という堅い岩は決して倒されることなく、永遠に続いていくことをこの詩編は告げているのです。


教育基本法とは

 現在、日本では、憲法の改正がいろいろと言われるようになった。わずか数年でこれほど状況が変わるとはだれも想像しなかったであろう。

 そしてさらに教育の根本方針を定めた教育基本法をも、変えようという動きが自民党にある。しかもその改訂のテーマを「歴史・伝統の重視」にしようとしている。自民党などには、従来から、この教育基本法が「愛国心教育の足かせ」になってきたなどと不満を持ってきたという。

 なぜ、教育の基本そのものも変えようとするのか、そこにはどんなねらいが込められているのか私たちは知っておく必要がある。

 一般の人々においては、教育基本法といってもどんなことが書いてあるのかわからないという人々がほとんどであろう。

 つぎにその基本精神が現れている教育基本法の前文をあげる。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここにはっきりと目標とされていることは、つぎのような人間である。

一、個人の尊厳を重んじる。

二、真理を願い求める。

三、平和を願い求める。

 このことは、十五年ちかくにわたる中国との戦争と太平洋戦争がこの三つを否定し、または著しく軽んじたことの反省から生まれたものである。この戦争においては、個人の尊厳が驚くべき仕方で、無惨に蹂躙された。戦争とは、なんの危害も加えたことのない、一般の住民に対しても、無差別に爆弾を落として、殺害し、住居を破壊し、生活を根本からくつがえすものであって、最も個人の尊厳を否定していくものだと言えよう。

 一人の人間は無限の価値があるという考え方からは、到底戦争という発想は生じないはずである。国家の利益と称して、一人一人の人間の自由や権利、尊厳を平然と奪い、侵していく全体主義が戦前は堂々とまかり通っていたのである。

 つぎに、戦前は、真理でなく、天皇というただの人間にすぎない人物を現人神として、生きた神とまで持ち上げ、その天皇が世界を支配するのを目標とするまでに到った。人間を生きている神だなどという偽りを日本の国全体が必死になって教え、信じ込ませ、その現人神の命令ということでアジアへの侵略を行っていったのである。

 このような考え方は、真理とするどく対立するものであり、その偽りの本質は中国やアジア諸国への侵略行為によって、明らかになったし、敗戦によって世界中にそのことを表すことになった。

 戦争を正しいこととし、自国を守ると称して、近隣諸国への侵略戦争を繰り返していった。一九三一年九月の柳条湖事件に始まる、中国満州への侵略戦争である満州事変、また、一九三七年七月の蘆溝橋事件から引き起こした戦争を北支事変といい、のちに支那事変といった。さらに、上海への大規模な攻撃を上海事変と称した。このように、日本は中国に対して、つぎつぎと戦争をしかけていき、それらを○○事変と称し

て、○○戦争という呼称を用いず、戦争であったのに、たんなる衝突であるかのように見せかけようとし、次第に国民が大規模な戦争へと飼い慣らされていくようになっていった。

 こうした戦争に明け暮れた戦前の状況は、戦争が大量殺人という意味で、最悪のことであるという感覚を失わせていくものとなった。教育において戦争が悪であるということを教えることなく、逆に戦争をする職業(軍人)が最も重要な職業であるというように教える状況であった。
 以上のような戦前の教育を根底から変えるために、教育においても平和を愛し願い求める教育を根本においているのである。

 そして「普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」とある。

 これは、戦前の文化は天皇を中心とした日本の伝統ということを極度に重視するようになり、(とくに日中十五年戦争以降)世界のどこにも通用しないような、著しく普遍性を欠いたものであった。

 そして同時に、自由な言論は禁じられ、みんなが天皇に向かって生きるような画一的な人間を養成しようとする状況となり、個性的人間の育成とは逆の方向であった。このようなまちがった教育方針を根本的にあらためる観点から、この「普遍性」、「個性的」ということが言われている。

 戦前は、教育においても、天皇からの言葉だと称する教育勅語が国民道徳の絶対的基準とされ、それが教育の最高原理ともされて、それに向かって最敬礼を強要するほどに、神聖化されていった。

 このように、万事において天皇が中心とされ、天皇に仕える人間を育成することが目標とされた。

 英語すら敵の言葉だといって排斥するような、著しく狭い考え方が支配するようになっていた。

 こうした戦前のまちがった教育方針を根底から除いて正しい方向を指し示している基本的精神から、それをさらに詳しく述べたのが、つぎの第一条である。

第一条 (教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、

勤労と責任を重んじ、自主的な聖書に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない。

 このように教育基本法の前文と第一条を見れば、なにを目的としているかがはっきりとわかる。この新しい教育の方向を決めることになった、この基本法はどのような人たちが作ったのであろうか。 敗戦後にあらゆる社会のしくみが再検討され、変えられていく過程で、当然教育についても根本的に見直すことが考えられた。日本の教育の民主化を積極的にすすめるために、アメリカの教育施設団が来日し、その人々に協力して日本の教育の方針を決める重要な委員会が作られた。それが日本教育家委員会である。

 その委員長は南原繁(東大総長)で、その下に、山崎匡輔(成城大学長、東大教授、文部次官)、天野貞祐(第一高等学校長)、田中耕太郎(学校教育局長、後に文部大臣、最高裁判所長官)、長谷川如是閑(芸術院会員、文化功労者)、柳宗悦(日本民芸館長)などのメンバーであった。
 このうち、南原繁は内村鑑三門下の無教会キリスト者であったし、山崎匡輔も、「内村の著書によって救われた一人であった」と言っている。

そして「私は、内村先生の弟子としては、あるいは正統派に属しないかも知れないが、ひそかに内村鑑三先生の本当の弟子の一人である言っても、今は天にある先生は、おそらくそれをきっと許して下さるものと信じるものである。」と書いているような人物であった。(「回想の内村鑑三」

岩波書店刊254頁)そして天野も、またキリスト者にはならなかったが、若いとき、内村の門をくぐったことのあり、長谷川も、内村の創刊した「東京独立雑誌」の読者の一人であった。

 また、田中耕太郎も最初は熱心な内村の弟子の一人であって、彼のキリスト教信仰の元は、内村から学んだと言えよう。(彼は、友人の結婚問題に関わる内村のキリスト者としての厳しい判断についていけずにカトリックにかわった。)

 この少しあとに、教育刷新委員会ができ、その委員長は、安倍能茂、副委員長に南原繁(後に委員長)がなり、その委員会の審議を経て今日の教育基本法の制定へとつながっていった。

 また、戦後の三人の文部大臣は前田多聞、安倍能成、田中耕太郎たちであった。田中はすでに触れたが、前田多聞はやはり内村鑑三の日曜集会で学んだキリスト者であり、安倍はキリスト者にはならなかったが、岩波茂雄(岩波書店の創設者)のすすめで、毎日曜日の内村鑑三の聖書講義に一年ほど出席していた人である。

 このように見てくれば、戦後の新しい教育がいかにキリスト教、とくに内村鑑三の深い影響のもとにあったかがよくわかる。

 そして、これは、内村鑑三がキリスト教の本質、真理そのものを最も鋭く見抜き、それを体得していたからであったと言えるし、彼らの弟子たちもそのキリスト教の真理を深く受け継いでいたことがうかがえる。

 南原繁は戦後教育の方向の決定に最も大きい役割をはたしたが、彼は、こうした戦後教育の基本を決める全過程で、そうした委員会や審議会に占領軍の介入があったりしたことは一度もなかったと再三にわたって言明している。(小学館版・日本の歴史・第31巻による)

 こうした事実を知らない人たちが、アメリカの押しつけであるなどと言ったりしているのである。

 キリスト教こそ最も普遍的な真理をうちに持っているものであり、そのゆえにこそ全世界に広がり、老若男女のあらゆる年齢層に、また職業や身分的なもの、貧富の差や、健康と病弱などあらゆるものを越えて広がっていった。

 教育基本法の前文において、「真理と平和を希求する人間」、「普遍的にしてしかも個性的な文化の創造をめざす」と言われているのは、以上のような背景を考えると、キリスト教の精神がそこに深く流れているのが感じられる。

 これは、人間を天皇と教え、侵略戦争をも正義の戦争などと教える偽りの教育を根本から変える方針を明確に持っているのである。

 このように考えると、そのような過程を経て作られた基本法をなぜ変えようとするのか、変えてどのようにしようとするのだろうか。

 改訂しようという人たちは、「日本の歴史・伝統」を重視する方向へと大きく曲げようというのである。しかし、その日本の歴史・伝統を徹底的に重視した教育とはすでに実験済みである。それは戦前の教育である。

 その戦前の教育の根本方針は教育勅語に表されている。ここではくわしくは触れないが、教育勅語では、教育の根本は日本の国体にあるとされていた。それは天皇を現人神として絶対的な位置もおく体制を指している。

 そのような天皇というただの人間を絶対的な存在として位置づけることは、世界に通用しないものであり、偽りにすぎない。

 現在の日本の動向は、教育というつぎの世代の人々を形作る重要な領域においても、真理に反する動きがしだいに目につくようになった。

 人間に本当に必要なのは、一国だけにしか通用しない伝統や歴史でなく、万国にわたって、しかも永遠に通用する真理である。そうした真理とは、二千年の歴史を見ても証しされているように、聖書に記されているのであって、教育の基本も当然そのような永遠の真理に基づかねばならない。




虹  ワーズワース

私の心はおどる

 虹が空にかかるを見るとき

私の生涯のはじめがそうであった

大人になった今もそうだ

老いてもそうであるように

 さもなくば死んだがまし

子供は大人の父だ

私のおくる一日一日が

自然に対する深い敬意の心で結ばれるように。
 

THE RAINBOW

MY heart leaps up when I behold

   A rainbow in the sky:

So was it when my life began ;

So is it now I am a man;

So be it when I shall grow old,

     Or let me die!

The Child is father of the Man;

And I could wish my days to be

Bound each to each by natural piety.

     (William Wordsworth

ワーズワース(一七七〇〜一八五〇)はイギリスの代表的詩人の一人。一八四三年に桂冠詩人に選ばれた。自然を深く見つめた詩人として有名。

 この詩はワーズワースの詩の中でも、わかりやすく内容的にも親しみやすいので特に知られています。虹のスケールの大きさ、そして美しい七色、さらに虹が現れるときは、少しの雨と、空に広がる雲、わずかの間しか見られないことなど、とくに神秘的かつ、雄大な現象であって、すでに数千年も昔から注目を浴びていたのがわかります。

 例えば、旧約聖書のノアは神を信じて正しく生きる人であったとして、神の恵みを受けて、人類を滅ぼした大洪水にも生き残ることができました。洪水がひいたあとで、美しい虹が現れました。


わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。

わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。


雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。(創世記九章より)

 このように、神が立てた契約のしるしと言われています。虹を見て、単に驚くだけでなく、そこに神の立てた契約を啓示されたということは、旧約聖書に出てくる人々の見方がいかに自然と深く結び付けられていたかを示すものです。

 ワーズワース三十二歳のときに作られたこの詩は、詩人がいかに虹に心打たれたかを感じさせてくれます。ニュートンは、虹のできる仕組みを科学的に解明しましたが、虹はそれにもかかわらず、人々に特別な印象を与え続けています。

 太陽光が水粒で屈折して生じるのが虹だとわかっても、そのような仕組み、法則を創造して美しい七色が大空に現出するようにしたのは神であり、その不思議さ、素晴らしさは変わるものでなく、別な意味でまた神の創造の力を讃える気持ちが湧いてくるものです。 虹への驚きはちいさな子供のときから持っていたが、大人になっても変わらずに虹への驚きを感じることに詩人は、深い喜びを感じているのです。そしてこのような自然への敬意、それはその自然を創造した神への敬意と重なるものがあると感じますが、それが老年になっても持続するようにと願っています。虹に現れているような自然の美しさや深い意味に感じなくなるなら、死なせて欲しい、死んだ方がましだというのです。

 さらに、子供の持っているこうした、驚異の心、感動の心こそは、大人が手本とせねばならないことだと言い、自分の今後の毎日がそうした自然への深い敬意で結ばれていく一日一日でありたいとの願いで結んでいます。

 このことも、聖書にあるつぎのようなことにワーズワースが影響を受けたことを感じさせます。


あなたの栄光は天の上にあり、幼子と乳飲み子との口によって、ほめたたられています。(詩編八・12より)

イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者に示されました。(マタイ福音書十一・25

 幼子のような心にこそ、神の栄光は讃美され、真理が示されると言われています。

 私たちはこうした自然の深い本質はその背後にある神の御手の業であるからだと知っているので、美しい自然に触れたときにもそこでとどまらずに、そうした自然を創造された神への信仰と感謝へと導かれていきたいと思うものです。


新古今和歌集より


秋風に たなびく雲の 絶え間より

    もれいづる月の 影のさやけさ

                  左京大夫顕輔


 この歌からは、今から八百年ちかく昔の人が、秋の風のさわやかさの中にいて、雲の間から洩れてくる月の光に心を動かされている様子が浮かんできます。

(なお、ここでの「影」とは「光」のことであって、現代の意味とは違っています。このような用例は、讃美歌にもときどき見られます。例えば、讃美歌三五五番の三節にある、「うららに 恵みの日かげ照れば・・」の箇所では、恵みの日の光という意味です。)

 さやけさとは、清く澄んでいるさまをいうのであって、現代のようにコンクリートの建物もなく、舗装道路も車も、工場などいっさいがなかった時代であり、ほとんどの地域においては、少数の茅葺きの家のほかには、ただ山々と草原、田畑、そして小川などばかりが広がっていた時代なので、雲の間からもれてくる月の光はまさしく清く澄んでいたことと思われます。

 空気も澄みきっていて、そのようなところに静かに注がれる雲の間からの月の光を浴びていると、心の奥まで清められるような気持ちになってきます。こうした自然のただなかに身を置くことは、現代では、困難な地域が多くなっていますが、だからこそ、いっそうこのような歌によって神の創造した自然の清さを心によみがえらせる必要があると思われます。

 なお、この歌は、後代のいくつかの歌集にも選ばれており、藤原定家が高く評価していた作だと言われています。

 現代の私たちにとって、聖霊が注がれるときには、こうしたよき自然の失われたところ、都会のただなかにあっても、この歌で言われているようなさわやかな光を内に感じさせて下さることを期待できるのです。


ことば

103)神に何かを与えようとする人より、神から何かを求め望む人の方を、神はいっそう愛するのである。(ブースの言葉。ブースは一八二九〜一九一二年、イギリスの人。救世軍の創設者として著名)

104)クリストフ・ブルームハルトの祈り


愛しまつる在天の父よ、

この世においては不安がありますが、あなたのうちにわれらは平安を得ています。

み霊によってあなたの天の国のよろこびを与えてください。

あなたに仕えることによって自分の人生に対する力を与えてください。

苦痛を忍び、悲しみ、不安、かん難の道をなおあゆむすべての者たちをおぼえ、賜物を与え、助けを与えてみ名を讃えさせてください。

あなたの大いなるあわれみと誠実さによって期待し、のぞむことを許されているものによって、われらをすべて結び合わせてください。

               アーメン


(クリストフ・ブルームハルトの祈祷集、九月三〇日の祈りから)

私たちは祈りは自分の心のままに祈ったらよいという考えがあります。しかし、どんなことにも正しく導かれる必要があるはずです。すでに聖書においても、キリストに従うためにいっさいを捨てたほどの弟子たちすら正しい祈り、神に聞き入れられる祈りや願いはどんなことなのかと尋ねたことが記されています。有名な主の祈りはその答えであったのです。主の祈りは私たちの毎日の祈りとなるべきものですが、それを土台としつつ、さらにより具体的に祈るために、祈りを集めた書(祈祷集)がよき導きとなってくれます。

 この祈祷集はそうしたもののうちで優れたものの一つとして用いられてきました。

 なお、ブルームハルトは、一八四二年生まれ、ドイツの牧師。神学者カール・バルトやブルンナーなどにも強い影響を与えた人。また父親のブルームハルトも特別ないやしの賜物をも与えられていた優れた牧師として知られていますし、同時代のキリスト教思想家ヒルティもとくに高く評価していた人です。



休憩室

木星のこと

 最近、夜十一時頃に東のやや北寄りの空に、澄んだ強い光で輝く星が見えます。これは、太陽系に含まれる惑星のうち最も大きい、木星です。どんなに星や星座にうとい人でも、まちがうことなく見えますので、まだ見たことがない人はぜひ見て欲しいと思います。 田舎の澄んだ夜空で、月のないときにはいっそう清い輝きとして見ることができます。

 夜空の星座はまったくわからないという人も多いのですが、それは、夜空の星を直接に理科の授業時間で見ることができないこともその理由の一つです。また、夜空の星の位置に関して高校入試に出題されるのは、北斗七星とか、オリオン座などのように毎年きまった位置に現れる恒星や、星座に関してです。

 惑星は地球のなかまであるのに、そしてめざましく輝いているのもあるのに、位置が変わっていくので、出題しにくいということもあります。そのために、その名前は子供のときからだれもが熟知しているのに、火星、木星、土星などを一度も見たことがないという人がほとんどであり、夕方にどんな星よりもつよく輝く金星ですらまったく見たことがないという人が大部分のようです。

 昼間は、青い大空、さまざまのかたちに変化して時として雄大な姿を見せてくれる雲や山野に咲くさまざまの野草の花などが神の国へと心を向けてくれます。そして、夜には、星の輝くすがたやそのたたずまいが最も私たちを、神に引き寄せてくれるものとなります。こうした自然は神の直接のわざであるために、時には書物とか人間の話以上に心を神の国のたまもので満たしてくれることがあります。

寝たきりを防ぐための十ヶ条


 表題のものを最近見たことがあります。その中のいくつかを書いてみます。

1、あきらめない

2、あせらない

3、目標を持つ

4、役割の変更を受け入れる

5、仲間をつくる

6、外に出る、閉じ込もらない


 なぜ、これらが寝たきりを防ぐための心得なのかという説明はなかったのですが、私が思うところでは次のような理由によるのではないかと思います。

 病気になって、老齢にもなっているから、もうどうにもなるものでないとあきらめてしまったら、寝たきりにはやくなってしまう。また、病気をなんとか早く治さないと寝たきりになってしまうとあせってもいけない、また、体が病気になると、生活が単調になっていく、そこでは日々の生活の目標がなくなる。しかし、生きる目標がなかったら立ち上がろうとする気力が失せてしまう。

 かつて元気な頃にしていたこと、自分が重要な役割をはたしていたことが一つずつなくなっていき、他人のお荷物のような存在になっていく、それを受け入れないで、過去の元気な頃のことにしがみついているのではいけない。

 仲間からの刺激が必要で、それがなかったら日々が単調となる。

 外に出ないと、自分だけの狭い世界がさらに狭くなっていく。

 こうした心得は、身体の面だけでなく、そのまま心の方面でも言えると思われます。しかし、老齢になり、しかも病気になって自分き身体のことだけで精いっぱいになってくると、いったいどんな目標を持つことができるだろうかと思います。

 また、あきらめないと言われても、老化による衰弱は必然的であり、いろいろのかつてできていた仕事や趣味などがだんだんできなくなっていくことはどうすることもできません。

 このような心得を本当に少しでも可能にするのが、神とキリストを受け入れることだと思われます。

 私たちが万能の神、創造の神を信じるかぎり、どんなことがあっても、あきらめることはなくなるはずです。また、神の国が実現すること、復活するという目標をどこまでも保ち続けることができます。

 また、キリストを信じるかぎり全くの孤独にはならず、たいてい不思議な導きで神を信じる友が与えられます。そして、閉じ込もらないということにしても、そうした友が与えられるかぎり、その友との交わりのゆえに閉じ込もらずにすむ状況へと導かれることがあります。また、たとえ体があまり動かせない状況となっても、私たちに神の聖霊が臨むなら、はるかな過去の真理の証人や、離れたところにいるキリスト者たちとも祈りの世界で交わることができるし、まわりの単純な自然のすがたによって、それらを創造した神を思い、心は広やかな世界へと出ていくこともできます。


 そして、自分の役割もしだいに祈りこそが弱っていく自分の仕事なのだと示されるとき、いかに普通の仕事ができない状況となっても、なお、最も重要な仕事に関わることができるのだという実感を与えられると思われます。

 体が丈夫であっても、精神的に「寝たきり」同様になって、何に対しても力が入らず、心の弱ってしまうことも多いのです。

 主イエスが長い間中風をわずらって、寝たきりになっていた人に対して、次のように言われたことがあった。


「人の子(イエス)が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。

 
その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。(ルカ五・24


 長いあいだ動けなかった人が、主イエスの言葉によって、起き上がり、歩けるようになったとは驚くべきことです。これは、このような奇跡が二千年前に、起こったきりでもう二度とないのでなく、それと本質的に同様のことが、ずっと生じ続けるという象徴的な意味があったのです。

 人間は精神的に寝たきりになって、立ち上がれない、しかし、そこに生きて働くキリストの言葉が臨むとき、私たちは立ち上がり、歩き始めることができるということなのです。

1999/9

神は導く  1999/8

 私たちが目には見えないが、この宇宙を創造し、いまも愛をもって一人一人の人間をみつめ、導いて下さる神を信じるとき、私たちは不思議な経験を与えられる。神がいないと思われるような災いや悪事がいたるところで行われているにもかかわらず、私たちの行く手に思いがけない出会いを与えられ、機会が目の前に現れることが生じる。

 人生の危機にあるときに、思いがけない人が現れてその道のないようなところに道が開けたことが何度かあった。

 また、自分自身はまったく求めてはいなかった方向へと導かれてそこに神のはっきりとした導きとはたらきを知らされたこともいろいろとあった。

 聖書に現れる人物は、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダビデなどみな自分の計画や能力で生きていった人ではなく、みな、生きて働く神の導きにゆだねた人であった。

 キリストの最大の弟子であったパウロもそうであった。

 キリスト教はヨーロッパの宗教と思われるほどに深い結びつきがあるが、キリスト教をヨーロッパに根づかせたのはパウロである。しかし彼がヨーロッパに行こうとしたのは、自分の考えや判断からでなく、神からの導きがあり、それにゆだねたのであった。

 ふつうには、自分の考えで生きることを最善のことのように言われる。しかし、それがいかにできないかを聖書ははっきりと示している。使徒のペテロが主イエスの最期が近づいたとき、「私はたとえ殺されることになっても、先生に従って行きます」と誓った。しかし、実際には、三度も主イエスなど知らないといって否認してしまったのである。

 自分の考えや判断で歩んで行こうとする考え方が砕かれ、神の導きにゆだねるところから、キリストを信じる者としての歩みが始まる。 

死と生の宣言

 私たちはみな、死ぬという宣告を受けた者である。重い病気とかガンになった者が死の宣告を受けるのでなく、どんなに健康であっても、すべて同じように死の宣告を受けたものである。人間は必ず死ぬのだから。

 しかし、それと同様に、また神は信じるものに、永遠の命の宣言をして下さっている。

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。(ヨハネ福音書五・24

はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」(ヨハネ八・51


ダビデ王の生涯のクライマックス

 ダビデは今から、三千年ほども昔のイスラエルの王である。彼は、幼少のときから信仰あり、かつ勇敢で、竪琴を引くなど音楽にもすぐれた才能を与えられていた。

 彼は、王国のためにすばらしい働きをして、敵に勝利していったのに、当時のサウル王のねたみを受け、命をねらわれて追跡をさんざん受けるが、いっさいの武力による反抗もせず、ただ神にゆだねて砂漠をさすらった。そしてさまざまの出来事ののちに、不思議にもダビデ自身はまったくサウル王への攻撃などしなかったのに、神の導きによって、ダビデ自身が王となったのである。

 しかし、それだけ信仰のつよい人であったのに、周囲を平定して国が安定してきたときに、部下の妻を奪い、その夫を他の部下をつかって死ぬような状況へと追いやってしまった。こんな人間がどうして聖書に記されているのかとだれしも不思議に思うだろう。

 しかし、このように人間の本質がどんなに弱いかを記しているのが聖書であり、そのような醜さや弱さからいかにして救われるのかを記しているのもまた聖書なのである。

 ダビデの子には、母親が違うアムノンとアブサロムという二人の男子があった。また、アブサロムには、タマルという妹がいた。この兄妹は、ダビデを父とし、母も同じであった。

 アムノンが成長したとき、彼は全く人間的な欲望にかられ、母親違いの妹であるタマルを辱めた。その結果タマルは生涯、結婚することもできず、恥ずかしめられた女として日陰のように生きて行かねばならない状態となった。

 このような悲劇も、ダビデがかつてバテセバという名の美しい女性とその夫に対して不正なことをしたことに対するさばきであり、報いであった。

 タマルの兄であるアブサロムはそれを心に秘めて後での復讐を誓った。

 二年の間、機会をうかがっていたアブサロムは羊の毛を刈る行事をして、その際に王子全員を集めた。そしてアムノンに襲いかかって暗殺してしまった。

 異母兄妹同士の姦淫が行われ、兄弟同士で激しい憎しみが生じて、跡継ぎであった長男は異母兄弟によって殺されるという異常な事態が生じた。このようないまわしい事態も、ダビデがウリヤを人を使って死に追い込んだということへの裁きであった。

 そのことを知っていたゆえに ダビデはこうした恥ずべき事件に対しても毅然とした態度をとることができなかった。

 さらにアブサロムは王である自分の父を差し置いて、しかもその地位を奪おうとしている。このように子としては最大の反抗をしているのに、ダビデは何一つそのアブサロムに対して怒らなかった。それどころかアブサロムを攻撃して滅ぼそうともしなかった。

 しかもアブサロムは王に対する攻撃をする前には、

「主への誓願を果たすため、ヘブロンに行かせてください。僕はアラムのゲシュルに滞在していたとき、もし主がわたしをエルサレムに連れ戻してくださるなら主に仕える、と誓いました。」(サムエル記下十五・18

 と言って、信仰に関わるような嘘を言って父親をだましたのである。そのような態度にも関わらず、ダビデは何一つ怒った言動を見せていない。

 ここには、自分の犯した罪の裁きを受けていることを思い知らされている弱い一人の人間の姿があるだけである。

 しかもアブサロムの攻撃の手が伸びていることを知って、ダビデが直ちになにをしたかというと、逃げることであった。抵抗せず、戦わずである。こんな弱気に見えることはあるだろうか。敵の兵隊ならば、次々と戦いを起こして勝利に導いたその武将が、自分の子の反乱に対しては何一つ怒ることも攻撃することもしなかったのである。

 ダビデはかつて、サウル王からねらわれた時も同様に何一つ抵抗せず、攻撃をも加えなかった。

 ダビデの勇敢な性質、武人としての優秀性などは、ここでは全く見られない。それどころか誰よりも力がなく、弱々しい者と見える。

 しかし、このような弱さをそのまま表していくところに神の導きはある。

 これらの章を見てダビデがいかに重い罪を犯した弱い人間であるかがよくわかる。家庭の重大問題、王国を揺るがすような大問題であるのに、それに対して思い切った処置を取れなかったのである。

 かつてサウル王に命を狙われていた頃にも、砂漠同様の荒野をあちこちさまよった。(サムエル記上二三・13〜)ここでは、自分の子に王国を奪われ、殺されようとして荒野をさまよった。聖書はダビデについて彼がいかに、外国をたくみに攻撃して征服したかということより、いかに彼が苦しんだか、そのなかからいかに神のみに頼ることを学んでいったかを告げようとしているのである。

 子どもの一人は恥ずかしめられ、兄弟同士の殺人が生じ、王国は実の子供によって奪われ、人々もまたアブサロムに従っていく。そのような状態の中で少数の家来とともに王宮を逃げていく。

 このとき、ダビデにとっても思いがけないことが生じた。それは外国人の一団がダビデに従って来るというのであった。

王はガト人イタイに言った。「なぜあなたまでが、我々と行動を共にするのか。戻ってあの王のもとにとどまりなさい。あなたは外国人だ。しかもこの国では亡命者の身分だ。

昨日来たばかりのあなたを、今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい。主があなたを慈しみとまことを示されるように。」

イタイは王に答えて言った。「主は生きておられ、わが主君、王も生きておられる。生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです。」(サムエル記下十五章より) 

 自分の家来であった人たちが敵となったアブサロムに従っているのに、外国人であり、一時的に寄留している者であるのに、ガト人はダビデに深い敬意と服従の気持ちを表したのである。自分の子が反乱を起こし、実の父親であるダビデの命をねらっているのに、思いがけなく外国人が命がけでダビデに従っていくという申し出をするのであった。

 このように、神を信じる者には、思いがけない出来事が生じて、追いつめられても不思議な道が開けて守られていくということがはっきりと記されている。

 ガト人たちの一団は六百人ほどであったが、彼らが従っていくというダビデは逃げていく王であり、王位を奪われているのである。そのような弱い、滅んでいくように見える王に命がけで従っていく者があろうとは、ダビデは想像もできなかっただろう。

その地全体が大声をあげて泣く中を、兵士全員が通って行った。ダビデ王はキドロンの谷を渡り、兵士も全員荒れ野に向かう道を進んだ。(23節)

ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。(30節) 
 王は、神の言葉を刻んだ神の契約の箱を持ってきた祭司に次のように言った。 
王は祭司ツァドクに言った。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。

主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように。」

 このような絶望的な状況において、ダビデは神を全面的に頼るようになっていた。もし、神が顧みて下さるならば、必ず再び自分を王宮に連れ戻してくれると信じていたのである。自分の武力でアブサロムを攻撃して滅ぼすという方法は決してとらないなら、いかにして再び自分が王宮に帰ることができるのか、それはだれもわからなかった。敵を武力で攻撃しないでどうして再び王に返り咲くことができるのか、そんな道はありえないはずであった。

 しかし、ダビデはそうした人間のあらゆる予想や考えを越えたところで、もし神の御心ならば、神は再び自分を連れ戻して下さると信じることができたのである。

 わが子同士が憎しみを持ち、殺そうとまでしており、わが子の一人は父親の王位を奪い、しかも王である自分を殺そうとまでしている、そして自分は息子から逃げ延びていく、今後の命もどうなるかわからない、そのような絶望的な状況のなかで、ダビデはふたたび神に命がけで頼っていくようになったのがわかる。

 こうした最もみじめな状態のときこそ、ダビデの本当の姿が示されている。聖書にいう偉大とはこうした偉大さである。

 聖書はダビデを私たちにとって身近な存在として、またあるべき姿として示しているといえよう。それは、深い悔い改めである。悲しみである。家庭と王国に生じたこのいまわしいことに対して、引き起こした人間たちに怒ることなく、憎むことなく、ただ自分の罪による裁きを知って深い悲しみに泣いた。

 そして自分の力で取り返そうとか復讐しようともせずただ、神にすべてをゆだねた。人間にしてもガト人のイタイにはこんな状況で従ってこようとする者であったが、反乱した王(アブサロム)のもとに帰そうとした。少しでも多くの兵を引き連れて行くという考えもなかった。「ただ、行ける所に行くだけだ。」それは神が導かれるままにゆだねるという心がある。

 家族の平和も、王国もすべてを失い、今後どうなるかわからない、荒野での逃避行によって死ぬかも知れないという事態となり、ダビデのこれまでの歩みがすべて崩壊する状況になった。にもかかわらずこの逃避行の記事はダビデの人生の歩みのなかでもとりわけ、読む者の心を打つものがある。

 周囲を平定して安定した王国の最高権力者となって豊かな生活をするようになったときでなく、このようなすべてを失って、荒野に逃げ延びていく状況において、ダビデの生涯のクライマックスがあったのである。

 私たちの人生のクライマックスとは、この世の名声とか権力や金がたくさんできることでなく、最も深く神に頼る心の状態になったときであるからだ。

 ダビデほどの勇気あり、才能に満ちた王であったのに、かくも激しく崩れ落ちていったところにすべてはダビデの能力でなく、人間の計画でなく、神がすべてを把握しているということを示そうとしているのである。

 そしてその中からダビデがすべてをあげて神に叫び、頼っていくとき、その深いくらやみから神はダビデを救い出されたのであった。


最近の傾向の意味するもの

 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法が国会で成立したのが、五月二四日。それからわずか数カ月で、日の丸・君が代の法制化、通信傍受法案、住民基本台帳法改正など、やつぎばやに重要法案が決められていった。

 これらは国民の福祉や自由を尊重するという方向でなく、国家権力で国民を規制し、自由を束縛する方向を持っている。

 こうした方向がどこまでも押し進められていったのが、戦前であった。そしてその方向の結果、日本は中国に戦争をしかけて、以後十五年ちかくにわたる長期の戦争(日中戦争)になっていった。

 そして、その終局として、太平洋戦争が行われた。そしてこの方向がどんなに重大な結果をもたらしたかはそこで失われた人命がおびただしい数にのぼっていることでよくわかる。

 一九三一年の満州事変によって日中戦争が開始され、一九四五年の太平洋戦争の敗戦までの十四年間にどれほどの人命が失われたかを私たちはいつも念頭においておかねばならないだろう。戦争がいかに不条理であり、最大の悪事であるかはそれによって失われる人命が、ほかの出来事とはおよそ比べものにならないほど莫大な数に上ることでわかる。

 十五年戦争から太平洋戦争の終わりまでの十四年間で、日本人はどれほどの命が失われただろうか。

 陸海軍人と一般人の死を合計すれば、およそ三三〇万人にも達するという。(「日本の歴史」・第三十一巻 小学館発行による)これらの死者は十四年ほどの間の数であるから、それは、毎月二万人ほどが十四年間にわたって死に続けて、このような数になる。

 さらに日本が攻撃し、占領、支配した東アジアの国々で失われた人命は、中国だけでも二千万人とも言われ、ベトナム、インドネシアでそれぞれ二百万人ずつ、フィリピンでは一〇〇万人が死んだとされており、合計では二五〇〇万人にも達するのである。

 これは、毎月平均して十五万人もの人々が十四年間にわたって殺されていったという計算になる。

 このようなおびただしい人命が失われていく戦争というのはまさしく悪魔のわざとしかいいようがない。

 このような戦争の被害に比べれば、歴史上最大級の台風でも五千人の死者、また今回のトルコ大地震の被害も数万人と言われているから、戦争がいかに想像を絶する数であるかがわかる。

 このようなおそるべき戦争を続けていくためには、戦争を批判する言論を封じ込めて、政府の言うとおりに従わせる必要があった。もともと戦争は大量殺人であり、そのような最大の犯罪行為を始めようというのであるから、それを実行するには、べつの重大な悪を使う必要がどうしても生じる。それが国民一人一人の自由を奪い、国家の権力のままに支配するということであり、それに批判的な者を捕らえ、厳しく罰していくことであった。

 戦前には、国歌や国旗への尊重、愛国心の育成などは教育上においても最大限になされた。しかし、その結果は何があったのか。それは自分の国である日本人の三百万人以上も殺すことになり、アジアの人々を数千万人もの命を奪うことになったのである。

 このような教育がどうして愛国心を育てるなどといえようか。これは、いかなる意味においても、国を滅ぼし、外国にも計り知れない害悪を加えることでしかなかったのである。

 こうした戦前の事実をみれば、多数の批判意見をまったく無視して法制化を強行していったことや、どんな疑いで電話などが盗聴されているかからない通信傍受法その他の法律の制定や改正は、その方向が何か正しくないことへと向かっていると感じずにはいられない。


イエスに対してなされた美しいこと

 イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。

 
そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。

 
イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いこと(美しいこと)をしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

 
はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(マルコ福音書十四・39 

 この高価な香油を捧げた女性の記事は、少しずつ内容に違いがありますが、四つの福音書にすべて記されています。それはこの出来事の重要性を指し示すものといえます。


 しかもこのような美しい行動をなしたのが、ルカ福音書では、社会的にも非難されるような罪を犯した女であったと記されています。

 この記事の直前には、つぎのような記事があります。 

さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。

彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。(十四・12 

 このように、祭司長とか律法学者といった、当時の宗教的指導者たちが、主イエスに対して、反感を抱くという状態にとどまらず、殺そうとまで考えるようになったと記されています。このような殺意と、三節以降のナルド(*)の香油を注いだ女と、さらにその女の行いを非難した弟子たちを含む周りの人たちと、この三者がはっきりとした対照に置かれているのです。 

*)ナルドとは、サンスクリット語(古代インド語)で、 nalada (香りを放つ)という言葉から来ている。ナルドは植物名で、ヒマラヤ原産のもの。オミナエシ科の植物で、その根茎からとれる香油は香りが高く、非常に高価であった。 

 
この女性が主イエスに注いだ香油というのは、三百デナリオン以上の値打ちがあったと記されています。当時の一日の給料が聖書の別の箇所(*)の記述によって一デナリオンほどであったことから、これは、現在の日本でいえば、大体三百万円ほどにもなる大金です。一方では、弱い人たちを救い、すべてを神の愛の御心をもって生きておられたイエスに対して、殺そうとまでするほどの深い憎しみを持つ地位の高い人たち、そして他方では、最も身分の低いような、また汚れたような女性がイエスに示した深い敬意と、あまりにも鋭い対照に驚かされるのです。

*)「主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。」(マタイ二十・2

 
なぜ、この女は、このような高価な香油を持っていたのか、どうしてこの香油を壷の口から注ぎ出すことをせずに、一度に壷を壊してまで、イエスに注ぎ出してしまったのかといったことについては全く記されていません。

 そのような高価なものがあれば、それを売ったら立派な家土地、または人を雇って豊かな生活ができたかもしれないし、女性は当時働くことがたいへんであったから、老後の生活にたくわえておいたらずっと生活の安心ができたはずです。

 しかし、そうしたすべてのことを考えないで、一挙にその高価な香油をイエスに注いでしまったのです。しかも、その香油の一部を主イエスに注いだというのでなく、その石膏の壷を壊してまで一度に注いでしまったとあります。

 これは、常識では考えられないことでした。しかし、自分のことは考えないで、すべてを主イエスに捧げることの美しさがここに示されています。

 私たちの本当の美しさは化粧とか生まれつきでは決してありません。それらは人間の肉的な気持ちを引き寄せることはあっても、そこからは本質的によいものは何も生じないのです。それはただ健康というだけでは、よいものを生み出すことはできず、その健康によって悪いことをするということもたくさんあるのと似ています。世の中の犯罪はほとんどみな健康な人たちによってなさているのであって、病弱でずっと入院している人たちとかではありません。

 この女の行動に対して主イエスは、「(この女は)私によいことをしてくれたのだ」と言われましたが、その「よいこと」というのは、原語(ギリシャ語)では、「美しい(kalos)」という意味を主として持っている言葉が使われています。(*

*)この言葉は、思想的方面でみると、ギリシャ語としては、最も重要な言葉の一つで、ギリシャ哲学者の代表的存在であるプラトンは著書のなかでその言葉を驚くほど数多く用いており、外形的な美しさだけでなく、内面的な美、魂の美しさといって意味にも多く用いています。

 なお、新約聖書でもこの言葉は百回ほど用いられていますが、日本語訳聖書では「美しい」という訳語が用いられていないために気付きにくくなっています。しかし、英語聖書では、原語のニュアンスを生かして「美しいこと」と訳してあるのもあります。例えば、アメリカの英語訳聖書として広く知られてきた改訂標準訳(RSV)、また新国際訳(NIV)、モファット訳、フィリップス現代英語訳なども、この箇所の「よいこと」をbeautiful thing(美しいこと) と訳していますし、現代英語訳聖書(TEV)では、 fine and beautiful thing(すばらしく、美しいこと)と強調して訳してあります。 

 主イエスへの深い信仰と敬愛の心は、美しい行動を生みだし、それはそのときまだ誰も見抜いていなかった主イエスの死を見抜くことにもつながったといえます。イエスの死は人間すべての罪のためのあがないの死であって、終わりでなく始まりでありました。そのような重要なイエスの死に対する洞察を持つことになったことが強調されています。

 主イエスが殺される直前に、一人の女性によっておきたこの不思議な出来事、高価な香油を注ぐということは、どこで生じたのでしょうか。それは、意外なことに当時から、比較的最近にいたるまで、二千年ちかくもの間、最も恐れられていた病気であったハンセン病(ライ)の人の家であったのです。

 ハンセン病になると、おそるべき肉体の苦しみと変形だけでなく、家族からも周囲の人からも切り放され、宗教的にも汚れたとされあらゆる苦しみや悲しみが襲ってくる病気でした。主イエスは、自分が最期を迎える直前に、そのような闇を象徴する人の家にいたということは、キリストがどんなお方であるかをよくあらわしています。

 また、そのときの主イエスの周囲には、殺そうとまで考えていた、宗教的指導者たちの敵意と憎しみがありました。

 さらに、その女性がきわめて高価な香油を主イエスに捧げたことに対しても、そばにいた人々が、怒って彼女を厳しくとがめたというのです。マタイ福音書によればこの人たちは弟子たちであったと記されています。弟子たちですら、この女の主イエスへの信仰と捧げ物をまったく理解できなかったほどに、主イエスがもうまもなく捕らえられて殺されるということを考えてもいなかったのです。

 しかし、この女だけは、そうした主イエスの間近に迫った死を直感的に見抜き、彼女にとってすべてであったといえる高価な香油をすべて注ぎ尽くしたのです。主イエスの死はそれによって万人の罪を身代わりに担い、信じる人をすべて罪の重荷から解放するというきわめて重要な出来事でした。そのような重大な死ということに、この名も記されていない女性が最も切実な関心を持っていたということなのです。

 祭司長、律法学者たちのイエスへの敵意、そしてライ病人の家、さらに女の主イエスへの献身の心をつよく非難した人々の心、そうした闇のなかにこそ、強い光が輝いたのです。いかに闇が強くてもそのなかにかえって神は、いっそう強い光を輝かせるのです。

 キリスト教の二千年の歴史において、神のため、イエスのための美しいことというのは、数かぎりなく行われてきたのがわかります。

 何が神のための美しいことなのかについて私たちに考えさせることを主イエスは教えています。

 これはつぎの聖書の箇所を思い起こさせるものとなっています。それは、世の終わりのときに、人々を裁かれるときがある、そのときに、ある人々を右において永遠の祝福を受ける者とし、ある人々を左において滅びのなかに入れるという内容です。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。

いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。

いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ福音書二十五章より)

 世から無視されているような最も小さい者の一人にしたこと、しかもそれを他人に認められるためとか、人に見せるためでなく、それをした本人もそのことを覚えていないほどに自然になされたとき、そのような行いこそ神から祝福されるものであって、それは主イエスに対してしたことと同じなのだと言われています。

 このようなことこそ、神のため、イエスのための美しいことだと言えます。

このことで思い出すのは、マザー・テレサがあるとき、「神様のために何か美しいことを・・」(Now let us do something beautiful for God)と言ったことです。(*

*)この言葉は一人のあるイギリスのジャーナリストの心に深く残り、彼はその後この言葉を題名とする本「Something beautiful for God」を出版した。日本語訳の書名は「マザー・テレサ すばらしいことを神さまのために」。 

 彼女の関わった多くの仕事は、「神のための何か美しいこと」であったのがわかります。 そして、そのマザー・テレサのさまざまの活動と本質的におなじことが、ここであげた聖書の高価な香油を主イエスのために捧げ尽くした一人の女の行動に表されているのに気付くのです。

 主イエスの言葉として、「私につながっていなさい。そうすればあなた方はゆたかに実を結ぶことができるようになる」というのがあります。

 私たちにとっての高価なもの、大切なものを神のために捧げることができるためには、この主イエスの言葉に言われているように、何よりも神にしっかりと結びついていることだとわかります。そのとき、初めて私たちもそれぞれの置かれた場において、何かを喜んで、神のために捧げ、神のための何か美しいことをなすことができるのだと思われます。


真理を押し流そうとするもの

 現在では私たちは一九三一年から始まる日中戦争、そこからつながっていった太平洋戦争というものが明かな侵略戦争であり、膨大な人命を奪い、施設や自然を破壊した巨大な悪であったことを知っている。

 しかし、いまから六〇年ほど前に出された、つぎの文書を見るとき、キリスト教会がいかに大きい過ちを犯したかをも知らされる。 

皇紀二千六百年奉祝(一九四〇年) キリスト教信徒大会宣言

 神武天皇国を肇め給ひしより、ここに二六〇〇年、皇統連綿としていよいよ光を宇内(うだい・世界のこと・)に放つ、この栄ある歴史を思ふて我ら転た(うたた)感激にたへざるものあり。

 本日全国にあるキリスト教信徒相会し、つつしんで天皇の万歳を寿(ことほ)ぎ奉る。思ふに、現下の世界情勢はきわめて波乱多く、一刻の偸安(とうあん・目前の安楽を求めること・)を許さざるものあり。

 西に欧州の戦禍あり、東ち支那事変ありて未だその終結を見ず。

 この渦中にありてわが国はよくその針路を誤ることなく、国運国力の進展を見つつあり。これ誠に、天佑(てんゆう・天の助け・)の然らしむる所にして一君万民尊厳無比なるわが国体に基づくものと信じて疑わず。

 今や、この世界の変局に処し、国歌は大勢を新たにし、大東亜新秩序の建設に邁進(まいしん)しつつあり。我らキリスト信徒もまた、これに即応し、教会教派の別を捨て、合同一致以て国民精神指導の大業に参加し、進んで大政を翼賛し奉り、尽忠報国の誠を致さんとす。


昭和十五年十月十七日

                 皇紀二千六百年奉祝全国キリスト教信徒大会

(右に引用した文章は、表現のわかりにくさを避けるため、一部漢字を使わず、カタカナ表記に代えてひらかなを用いた) 

 この宣言の問題点は、すでに十年近くも行われていた中国に対する侵略戦争を「わが国は針路を誤ることなく、国運、国力の進展を見つつある」としている点である。日中戦争がどんなに正義に反するか、また戦争がどんなに悲惨なものかに対しての認識は全く見られない。

 さらにそうした侵略戦争における勝利をば、「天佑による」としていることである。天佑とは天の助けという意味であり、しかも、それが天皇制のおかげだと言っているのである。絶対的な権力を持っていた天皇を現人神とする天皇制こそあの侵略戦争を実行していった背後の力なのであった。数千万に及ぶという死者を出したあの戦争を支えていた天皇制を批判することが全くなく、それをむしろ世界の誇りとしており、その天皇制に支えられた戦争をも正しい戦争としていたその判断に驚かされるのである。

 この教会合同宣言によって、無教会主義の集会とカトリック教会を除くプロテスタントの全教派は合同して、日本基督(キリスト)教団となった。この宣言の出された翌年にその創立総会が開かれたが、そのときに行われた宣誓はつぎのようなものであった。 

 われらキリスト教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽くすをもって第一とす。

 ここでわかるのは、キリスト者とは、目に見えない神の国のために忠誠を尽くすのを第一とするのであるが、この宣誓では、皇国(天皇の国)に忠誠を尽くすことを第一にすると言っている。それは、国の命じること、天皇の命じることならなんでもそれを第一にして従うという宣誓であって、戦争という名の殺戮であっても侵略であっても行うという方針を明確にしたものであった。


 また、日本基督教団戦時布教指針では、つぎのような綱領がある。 

一、国体の本義に徹し、大東亜戦争の目的完遂に邁進すべし

二、本教団の総力を結集し率先垂範宗教報国のまことをいたすべし

三、日本キリスト教の確立をはかり、本教団の使命達成に努むべし 

 このように、日本のキリスト教の合同教会であって、キリストの福音こそ一番大切であるにもかかわらず、侵略戦争たる太平洋戦争の目的を遂げることを第一に置いているのに驚かされる。 

 こうした日本の教会全体の動きを見るとき、無教会主義に立ったキリスト者、矢内原忠雄は当時の動きの本質を鋭く見抜き、日中戦争が侵略戦争であることを知っていたのは驚くべきことであった。。一九三三年におこなった講演会で、矢内原はつぎのように指摘している。(矢内原忠雄はキリスト信仰を内村鑑三に学んだキリスト者である。) 

 国際連盟において日本を支持した国は一つもありませんでした。日本は全く孤立しました。まことに非常な出来事であります。・・ほんとうの非常時はそんなところ(貧乏)にはありません。経済問題は忍ぶことができますが、忍ぶことのできないのは、国民の道徳の低下、良心の破滅、罪の上に罪を重ねることであります。


 なぜ、日本は孤立したのですか。日本は約束を守らないと諸外国は言うのであります。それはほんとうのことであろうか。そういうほうがまちがっているか、あるいは言われるほうに落ち度があるのか。これは日本の興亡にとってまことに大問題であります。・・我々の国は嘘つきだと世界中から言われているのであります。

 もしそのことが少しでも本当であるならば、誠にわが国にとりまして重大問題であります。・・一昨年(一九三一年)九月一八日における満鉄路線爆破事件は、日本側ではあれは支那(中国)兵がやったのだと言います。支那側では自分たちがやったのではないと言います。

 そして(国際連盟の)リットン調査団は両国の言い分を並べて日本軍の行動は自衛権ではないと断じました。・・しかし、事実は一つしかないはずです。この混沌ななかにあり、もし本当の事実を知っている人があれば、その人は悲哀の人たらざるを得ないでしょう。

 このように述べて、矢内原は事実は日本が嘘を言っているのだ、と直感していたことを示している。日本の国家が嘘つきだとして世界から言われる事態はまさに重大事態であり、罪の上に罪を重ねている状態であり、それこそ非常事態であると知っていたゆえに、自分は哀しみの人とならざるを得ないと言おうとしているのがわかる。

 このように時代の流れを正しく認識して鋭く時局を批判したがゆえに、この講演の四年後には、東京帝国大学教授の地位を追われることになった。

 また、内村鑑三に学んだやはり無教会の政池 仁(まさいけ じん)は、一九二八年に(二七歳)、(旧制)静岡高校の化学の教授として赴任したが、それからわずか四年後、満州事変の批判を学生たちにしたことや、山形の山間部にての平和発言が問題とされ、平和主義を撤回するか、それとも平和主義に固執して教授の地位を失うかのいずれかを選ぶことを余儀なくされ、祈りと熟慮のすえに、「まず神の国と神の義を求めよ」の聖句の通り、聖書に基づく平和主義をとって、職を辞したのであった。

 日本キリスト教団は、日本の全プロテスタントキリスト教の合同教会であり、多種多様なキリスト者たちの集団であり、専門の聖書学者も多く擁していたにもかかわらず、当時の時代の根本的にまちがった流れを見抜くことができずに、かえってその流れを支持し、支援する団体となってしまったのである。

 そして日本が中国相手に始めた侵略戦争を、正しい戦争とする時代の流れに押し流されていった。

 このような歴史の事実を見るとき、キリストを信じているといっても、真理をしっかりと見据える目がなければ、世の大波に飲み込まれていくのだとわかる。無教会の指導者たちの多くがその大波に飲み込まれなかったのは、内村鑑三以来の聖書による非戦論に堅く立っていたからであり、預言者の生き方に深く学んでいたからでもあった。

 最近の日本の状況を見ると、戦前に日本を覆い尽くした、真理に反する流れがあちこちに見られるようになった。こうした時代にあって、私たちはマスコミや評論家たちの意見に押し流されないよう、主イエスとの結びつきを強め、聖書の真理をいっそう正しく学ぶ必要が感じられる。


   水野源三

讃美し語りたい 

もり上がる入道雲

わき出る泉のごとく

心のあふれる言葉をもって

とどろき渡るかみなり

はげしく落ちる滝のごとく

力のかぎり大きな声をもってまことの御神の愛とみざを

讃美し語りたい


入道雲やとどろく雷の音に心が引きつけられる人は多いだろう。しかし、そのようなものを見て、それらが神の言葉を語り、讃美したいというその願いを託して見つめるということは、ほとんどだれも考えたことがなかったのではないだろうか。

 長い間、寝たきりであって、言葉を語ることすらできなかった、水野源三であったが、神の真理と神の愛を語りたいという切実な願いがいつも胸いっぱいにあったのがこの詩でうかがえる。

 かれのその願いはある意味において今日、かなえられている。彼のその入道雲のようにわき上がる神への讃美と神の言葉は、彼が地上からいなくなっても、なお、日本のあちらこちらで語りつがれている。それほどに彼の語る「声」は大きかったのである。それほどに彼の神を語る言葉は泉のようにわき出ているのである。 

仰いだ時から

主なるイエスを仰いだときから

行きなれた道にかおる白い花

みどりの林に歌う小鳥さえ

私に知らせる御神の慈愛を 

主なるイエスを仰いだときから


見慣れた消えゆく夕ばえなる空

屋根ごしに光る一番星さえ

私に知らせる御神の力を

主なるイエスを仰いだ時から

ききなれた窓をたたく風の音

夜更けの静かに降る雨の音さえ

私に知らせる御神の恵みを

キリストを知った人が感じるのは、自然というものが、一段と深い意味をもってくるということである。神を信じない人、キリストを受け入れていない人も自然を愛する人はいくらでもいる。

 しかし、愛の神を信じ、その神からの励ましや罪の赦しを受けるようになったとき、以前から親しかった自然が、そうした神の愛を表すものとなり、神がその愛でもって語りかけてくるものとなってくる。万能の神を信じないとき、自然も死のかなたにあるものを教えてはくれない。しかし、神を信じるときには、青空や雲、夕日や野草の花などの自然が私たちに死のかなたにある永遠の命を暗示するものともなってくれる。


休憩室

アジアンタムと言えば、鑑賞用のシダとしては最もよく知られているものの一つです。しかし、それはほとんどが園芸用のもので、自然に生えているものは見たことがない人が大部分と思います。最近、珍しいシダを、手話と聖書の集まりのときに持って来られた方がいました。

 それはかつて私が県内の標高千五百メートルほどの山に登っていたときに、途中の山深い谷間で見つけたことのあるハコネシダという美しいシダに似ていました。調べてみるとそれはその仲間のホウライシダであり、日本のアジアンタムと言えるものだとわかったのです。(なお、ホウライシダの学名は (アディアントゥム)という語を含んでいますがこれは、「水にぬれない」という意味を持っています。このシダの葉が水をはじいてぬれないからです)

 シダの仲間は花を咲かせることもなく、地味で判別が難しいものも多く、花瓶に飾られたりすることもほとんどないので、大多数のシダは知られていませんが、アジアンタムとか、シノブ、タニワタリ、イワヒバなどといった少数のシダ類が鑑賞用として飾られています。

 こうしたシダのうちでも、ホウライシダのように美しいシダが市内の民家の庭に自然に生えてきたのは珍しいことです。思いがけないところに、予想もしないような植物が生えてくる、それは胞子とか種が人間の予想できないようなところから運ばれてきて、いろいろの条件がかなったときに、発芽して成長していくのです。

 神は人間についても、予想できないようなところに、大きい働きをする人物を起こしたり、だれもが注目しない地味なところにとても優れた人を起こしたりします。

 主イエスも当時の人が「ナザレから何のよいものが出ようか」と言っていた、田舎のナザレ地方の出身であったのです。

 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。(神の)霊から生まれた者も皆そのとおりである。(ヨハネ福音書三・8

 ギリシャ語では風も霊も同じ(プネウマ)です。風が思いのままに吹くように、神の霊(聖霊)も、神のご計画のままに吹くのであって、人間のあらゆる予想を越えたところに吹くのです。あるところで、美しい花を咲かせ、力強いキリスト伝道をする人を起こし、みんなが見下しているところにも、驚くべき出来事を起こすのです。 

最近、讃美歌と童謡関わりに関して目にとまることが何度かありました。以前、手話と聖書の小さな集まりで、讃美歌「主われを愛す」(四六一番)を讃美していたとき、参加していた方が、この歌はどこかで聞いた事がある、なにかの曲に似ていると言われ、ああ、「しゃぼん玉とんだ」と似ていると言われたことがありました。

 たしかに、この讃美歌の二段目の「おそれはあらじ」という箇所のメロディーは、しゃぼん玉とんだという曲の「こわれて消えた」という箇所とまったく同じメロディーだし、全体として似ているのはわかります。

「しゃぼん玉とんだ」を作詞した野口雨情は、十七歳のとき、内村鑑三の「月曜講演」を聞いたし、内村の執筆していた「東京独立雑誌」を読んでいたのです。作曲者の中山晋平とキリスト教との関係は不明ですが、作詞者とキリスト教の関係が作曲者にもなんらかの影響を与えたということ(例えば、讃美歌の紹介など)は十分考えられることです。

 また、「赤とんぼ」の作詞者は三木露風ですが、彼はキリスト者でした。かれの母は熱心なキリスト者であり、その影響を受けたと思われます。また彼女は、再婚しましたが、その相手の人もキリスト教徒であり、裁判官であったのに、教会堂を建てた人であったということです。また、「赤とんぼ」の作曲者は山田耕作ですが、山田はキリスト教の大学である関西学院大学卒業ですから、こうした広く親しまれた童謡の背後にもキリスト教の流れがしずかに脈打っているのが感じられます。

「赤とんぼ」という曲は、NHKの「日本のうた ふるさとの歌」のアンケートで六十五万通の応募のなかで、第一位に選ばれた曲であったということです。

1999/8

この石ころをも  1999/7

 キリストのさきがけとして現れた洗礼のヨハネは、当時のユダヤ人が自分たちは神の民だとして安住しているのを見て、こう言った。

「我々の父はアブラハムだ」などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことができる。(マタイ福音書三・9

 私たちはたとえ石ころのようなものであっても、神がひとたびその御手を触れるときには、有用なものとされる。そして神の国のために小さいながらも働くことができる。その働きとは、目に見えるようなことを社会のなかですることもあろう。

 しかし、たとえ病身であり、外に出られない者であっても、また年老いてふつうの仕事などできない状態となったとしても、神を仰いでその苦しみを堪え忍び、あるいは、神への祈りを深めることによって、神の国のために働くことができる。

 祈りは神の国のための働きの基となり原動力となるが、神の国の働きそのものでもありうる。

 この世では、病気で身体をこわすと、たちまち雇ってくれない状態となり、じゃま者扱いされるだろう。

 しかし、神の国のためには、いかなる状態となっても神は働き人としてやとって下さるのである。


二つの情報

 インターネットはもう、日本でも到るところに広がってきた。それによって世界の情報がいとも簡単に部屋にいながらにして、手に入る。それは驚くべきことであるし、たしかにそれらを善用することもいろいろとできる。

 しかし、人間はテレビでも雑誌でも簡単に情報が手にはいるとなると、安易な内容のもの、良くない内容のものに引っ張られることは、現在のテレビや週刊誌、雑誌の内容を見ればすぐにわかることである。

 インターネットも同様で、きわめて多数の情報は本来どうでもよいこと、あるいは、そうした情報を知ることによって害を受けるものではないだろうか。

 インターネットは知識は与えるが、力は与えない。

 しかし、神は、インターネットなどができるはるか以前、永遠の昔から、神の国の情報を人間に与え続けているのである。神の国の情報を手に入れるために必要なのは、パソコンでも、電話回線でもなく、ただ聖書があれば足りる。さらに昔は聖書なくとも、祈りだけで神の国の無限の情報を、力を与えられてきたのである。

 しかも、その情報はだれでも求めるたけで得られる。

 今日の私たちにおいても、このような神の国の情報こそ、一番必要なものなのである。


神を讃美する歌を

 君が代とはこの百数十年の間、天皇への讃美の歌として歌われてきた。どのように解釈をこじつけようとも、君が代とは明治政府以来、たしかに天皇讃美の歌として続いてきたのである。

 しかし私たちは天皇という特定の人間や、その支配を讃美していったい何が得られるだろうか。それをどこまでも押し進めていったその結果が、太平洋戦争であり、数しれないアジアの人々の命を奪い、傷つけてしまい、日本人もまた、多大の命を失ったのである。 私たちが讃美するべきは、そのような特定の人間でなく、宇宙万物を創造し、すべての人間を愛をもって見つめ、導く神でなければならない。すでに内村鑑三は、今から百年ちかく昔にそのことを述べている。

いずれの国にも国歌なるものがなくてはならない。しかし、わが日本には、まだこれがない。「君が代」は国歌ではない、これは天子(天皇)の徳をたたえるための歌である。国歌とは平民の心を歌うものでなくてはならない。国は実は平民の中にあんて貴族の中にはない、平民の心を慰め、その望みを高くし、これに自尊自重の精神を提供する歌が日本国民の今日最も要求するところのものであると思う。(内村鑑三・万朝報・一九〇二年)

 聖書は人間に真の意味で神こそ讃美の最もふさわしい対象であることを示してきた。本当の神を知らされるところにこそ、神への驚嘆があり、感謝があり、叫びがあり、喜びがある。それらが歌となる。

 しかし、そのような愛と真実の神を十分には啓示されていなかったと思われる古代ローマの哲学者ですら、神への讃美こそ人間にふさわしいと書き残している。

われわれに理性があれば、我々は人と一緒の場合にも、一人の場合にも、神を讃美したり、誉めたたえたり、神の愛を数えあげるべきではないだろうか。

 土を掘っているときも、働いているときも、食べているときも、神への讃美歌を歌うべきではないだろうか。

「偉大なるかな神、神は手を与え、胃を与え、知らないあいだに成長させ、眠りながらも呼吸させて下さる」と。

 多くの人々はこのような大切なことがわからなくなっているのだから、だれかがその埋め合わせをして、みんなのために神への讃美歌をうたうべきではないのか。
いったい、足の障害を持つ老人である私は、神を讃美するのでなければ、他のなにができるだろうか。私は理性的存在なのである、私は神を讃えねばならない。これが私の仕事である。私はそれをする、そして私に与えられている限り、この地位を捨てないだろうし、またあなた方をも同じこの歌をうたうように進めるだろう。(エピクテートス・語録より)(*


*)エピクテートス(AD.50頃〜138頃)はローマ帝政時代のストア哲学者。ローマの奴隷の身分であったが、ストア哲学を学んで、セネカなどと共に古代ローマの代表的哲学者の一人となった。

 人間を讃美するべきでない、神こそ讃美すべきだ。古代哲学者すら、このように神への讃美を最も重要なこととして認識していたのである。

 本当に讃美すべきお方を知らない日本、

 主よ、ここに真の神を啓示したまえ。


深き淵から

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐えましょう。

しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです。

わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。

わたしの魂は主を待ち望みます、見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして。

イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。

主は、イスラエルをすべての罪から贖ってくださる。

 
この詩は詩編のすべての詩のうちでも、珠玉の詩の一つであると広く認められています。

 宗教改革者ルターにおいても、この詩は彼が最も愛した詩のうちの一つでした。
彼が詩編のうちのどれが最も重要な詩であるかと問われて、ためらうことなく、「パウロ的なもの」と答え、それらは詩編の三二、五一、一三〇、一四三編であると言いました。


 この詩編一三〇編からルターが作詞したのが、讃美歌二五八番、讃美歌21の一六〇番(*)で、曲もルターが作曲したと言われ、ドイツの代表的な名曲の一つとなっており、バッハのカンタータ(**)にも、「深き淵より」というのがあります。

*)讃美歌21の一六〇番


深き悩みより われは御名を呼ぶ

主よ、この叫びを 聞き取りたまえや

されど、わが罪はきよき御心に

いかで耐え得べき(讃美歌21・一六〇番)


・讃美歌二五八番

尊きみかみよ、悩みの淵より

呼ばわるわが身を 顧みたまえや

み赦し受けずば きびしき裁きに

たれかは堪うべき

**)カンタータとは、独唱、合唱、管弦楽などから成る大規模な声楽曲をいう。

 深き淵、罪という深い淵を現代ではあまり深刻なものと考えていません。キリスト教でいうような罪のことはほとんど問題にしない傾向があります。

 しかし、よく考えてみると、現代のあらゆる問題は実は罪の問題です。
経済問題ということも、物を第一に考え、物をできるだけ自分のものにしようとする物欲と深い関わりがあります。環境問題も実は人間が必要以上の快楽や便利さをどこまでも求めていく物欲の産物でもあると言えます。


 人間は深い淵を持っています。その淵は病気であったり、人間関係であったり、また職業の問題であったりします。家族や親族の問題で深い淵にいる人もあるでしょう。

 病気はそれが重いものであって、末期ガンのように治らないとはっきりわかっている場合には、ことに深い淵にあると思われます。

 しかし、人間関係、家庭の問題、職場の問題、あるいは、将来の問題などそれが深刻になればなるほど、その当事者にとっては、だれよりも深い淵に投げ込まれていると感じるはずです。

 そこからどんなにしたら脱出できるのか、どんなにあえいでも人に相談する気にもならない、それは深い淵にあればあるほど、他人はその深刻さを知らないのがはっきりと感じられるからです。

 聖書とは、そうしたあらゆる深き淵にある人へのメッセージを豊かにたたえた書物であると言えます。

 人間の生涯にはそれぞれの人が数限りない淵に出会うことがあります。そのような時に、何がそこから引き出し、助け出してくれるのかということがこの詩に示されているのです。

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。(一〜二節)

 この詩のはじめの部分は、そうしたあらゆる深い苦しみにある人の祈りとなって、二千数百年の歳月を流れてきたのです。

 いま、健康な人、家族が仲良くできている人、職場でもとくに問題のない人は苦しみの深い淵というのは感じないかもしれません。しかし、そうした人にも深い淵はあり、じつはその人はまさにその罪の深淵のただなかにいるかも知れないのです。

 パウロは言っています。

次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。

悟る者もなく、神を探し求める者もいない。

皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。・・彼らの目には神へのおそれがない。

」(ロマ書三・10〜)


わたしはなんと惨めな人間なのか。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるのだろうか。(ロマ書七・24


 最も深い淵にあってもなお、この詩の作者は神に向かって叫ぶことを止めませんでした。

 神を信じていても私たちは深い淵に陥ることがあります。主イエスも十字架にかかるときに、その深い淵から叫んだことが記されています。

「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と。

 もちろん主イエスが叫んだのは罪の淵からでなく、その激しい苦しみの淵からであったのです。

 どのような深い淵にあってもそこから叫ぶこと、希望を持ち続けることがキリスト者には与えられています。そこから必ず救いがあり、淵から引き出される道が約束されているのです。

 聖書は重い罪を犯した人、身体のさまざまの病気や障害、例えば、目や耳が聞こえなくなった人、足の不自由な人、精神の病、悪霊につかれた人、ハンセン病など、ありとあらゆる深い淵にあった人たちがなお、絶望せずそこから叫び続け、そこから救いだされた記録なのです。

 この詩の作者は自分の罪の重さと深さを知っており、そのことを思ったら神に顔向けできないことを十分に知っていました。

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐えることができようか。(三節)

 人間の前には罪を隠すこともできます。しかし、神の前ではいかなる罪もすべて知られており、隠すことはできません。そのような重い罪を犯したときに、ただ裁きを受けるだけです。

 そうした神の厳しい姿を知っているとともに、この作者はもう一つの神のご性質をも深く知っていました。それは、赦しの神ということです。神は宇宙を創造し、万物をいまも支え、すべての悪を裁くという無限大のお方であるにもかかわらず、私たち一人一人の心を深く見つめて、悔い改めの心には、赦しを与えて下さるということは、神の最も根源的な性質であると言えます。

 神に心を向け、心を尽くして赦しを願うときには実際に赦しの実感を与えられるということは、キリスト信仰を与えられた者にとっての最大の経験です。これこそ、使徒パウロが力をこめて新約聖書で語っていることです。

 そのように、はるか後に現れる新約聖書での罪の赦しの深い実感をこの作者ははやくも経験していたのがわかります。

しかし、赦しはあなたのもとにあるからこそ、人はあなたを畏れ敬うのです。(四節)

 ここでは神は赦しの神であるからこそ、人間は神を真の意味で畏れ敬うということが言われています。このような神への見方はふつうには知られていないと思われます。昔から人間が神をおそれるというとき、それは地震や雷、台風、火山といった人間の力をはるかに越えた自然の力への恐怖がそのままそうしたことを起こす神へのおそれとなっています。そこには信頼や真実、愛などといったものはありません。

 しかし、聖書でいう神へのおそれは、そうしたおそれをも含みながらも、それと全く違ったところから生じているのを示しています。それは、自分の最も弱いところ、また誰にも言えないような心の深いところでの罪の赦しという経験です。そのような罪の赦しを受けた者は、そうした赦しを与える神というお方がどんなに偉大で、また深い愛のお方であるかを知らされます。それは地震とか火山とかの自分の外で生じることでなく自分の最も奥で生じることであるので、何にもまして深い実感を与えてくれるのです。

だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。(ルカ福音書七・47

 神への愛、主イエスへの愛は罪の赦しをいかに深く受けたかということと結びついているということです。

 同様に神への真の畏れもまた、罪をどれほど豊かに受けたかによって生じるのがわかります。

 このように神への畏れというのは決して単なる恐怖でなく、深い神の愛を受けたところから自然に生じるものであって、人間的な愛とはまるで違うのがわかります。

 この詩の作者は、罪の重さと神の裁きを知っていました。そしてもし赦しがなかったら、自分は苦しみのうちに滅びてしまうことも知っていました。そこからは絶望への道が続いているのが見えていたのです。


 しかし、そうした絶望のただなかから、神を待ち望み、神の赦しの言葉を待ち続けることを知っていたのです。どれほど真剣にこの作者が神の言、自分を赦し、励ましてくれる言葉を待ち続けたかがつぎの言葉に現れています。

主よ、わたしは待ち望む、

わが魂は待ち望む。

あなたのみ言葉をわたしは待つ。

わが魂は夜の番が朝を待つにまさり、

しかり、夜番が朝を待つにまさって

主を待っている。(五〜六節)

 神を信じる者とは、神を仰いで待ち続ける者なのだとわかります。

 聖書には、旧約聖書のときから、はるかな年月を越えて、メシア(救い主)の到来を待ち続け、迫害のときには、神が裁きをして下さることを待ち続けてきた記録が記されています。現代の私たちもまた、神を信じるときには、あらゆる状況におかれても、望みを失わずに、待ち続け、そこからの解放と御国に入れられることを待ち続け、さらにはキリストがふたたび神の力をもって来られることを待ち続けるのです。


 後ろを振り返ったり、望みを失ったりすることなく、あくまで神へのまなざしをもって待つ民へと変えられていくのがこの詩によって表されているのです。

イスラエルよ、主を待ち望め。

慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとにある。

主は、イスラエルをすべての罪から贖ってくださる。(七〜八節)

 このように、罪の赦しを待ち望み、そこから赦しを深く受けたものは、その体験の深さを自分だけで隠しておくことは決してできなくなります。

 自分に与えられた罪の赦しの経験、深い淵から救い出される経験こそは、万人の共通の経験となることを深く知らされたこの作者は、同胞のイスラエルの人々への呼び掛けをせずにはいられない魂へと変えられていくのです。

 キリストの十字架による罪の赦しを受けた者がそれを決して自分だけのものとしておくことはできずに、告げ知らせるようになって、世界にその福音が知らされるようになったのは、この詩の作者の経験と同じ本質があったのがわかります。

一人の見捨てられていた人の救い

   ザアカイの回心

 エリコは古い古い町です。紀元前七千年も昔にすでに町ができていたということです。乾燥した広大な一帯のただなかに緑が見られるオアシスがエリコという町なのです。

 エルサレムは八百メートルほどの山の上の町であり、そこからほとんど草も木も生えていない山の斜面を曲がりながら下っていくと、下方に緑のある町が見えてきます。それがエリコです。

 ここで主イエスは、一人のザアカイという人に出会います。彼は取税人(徴税人)であり、金持ちでした。当時の取税人というのは、現代の税務署の役人のように公務員として社会的に安定した地位にある人とは全く違っていました。

 当時のユダヤの取税人は、ローマの政府の命令によってユダヤ人から税金を取り立てるのが仕事ですが、本来取り立てるべき金額以上の税金を徴収してもうけることができたのです。

 したがって、ユダヤ人からは、自分たちを支配しているローマ帝国のために働く人たちだということ、必要以上の税金を取立て、しかも異邦人と交わって汚れている人たちであり、神への信仰に反する人たちだとして、ユダヤ人は見下し、憎んでいたのです。

 だから、彼らは罪人として、まともな人間でないとされていました。

 ザアカイはそうした取税人の頭であり、部下の取税人をも用い、多くの利益を得て、金持ちとなっていたのです。

 ザアカイがどうしてこのような同胞から嫌われ、憎まれ、見下されるような取税人になったのかわかりません。何らかの理由で家が貧しく、どうしても収入が必要だったのかも知れないし、同胞との友好関係より金を大切にする心があったのかも知れません。

 取税人の頭となるまでにそれなりに努力したと考えられますが、その努力はローマの支配者のためになされることになり、それはいっそう、同胞のユダヤ人から憎まれることになったはずです。

 その努力のかいあってザアカイは取税人の頭となり、金もたくさん持つようになりました。しかし、彼の心を推察すると、平安がなく、金はたくさんできても金ではどうすることもできない心の平安がないことを次第に思い知らされることになったのでありましょう。自分が人々から嫌われ、憎まれ、そして見下されて、いまさら同胞のユダヤ人に詫びて取税人を辞めることもできないという気持ちになったと思われます。

 彼は自分の民から嫌われ、今までの自分の生き方がだんだんといやになってきたことは考えられます。しかしその光のない生活をどうしたら改めることができるのか、全くわからなかったのです。

 それと背がとくに低かったということは、それも周囲から見下されがちになっていたと思われます。

 そのようなとき、イエスというお方のうわさを聞きました。その人は今まで全く聞いたことのなかった人のような気がしたのです。彼は主イエスを見たいと思いました。多くの群衆がいるところでは自分の悩みなど到底聞いてもらえる状態ではないと知っていました。しかし、それでもなお、彼の心は主イエスにひかれたのです。自分のなにかを変えてくれるかも知れないと感じたのです。

 それは不思議な引力であって、取税人の頭であるような人が子供のように、いちじく桑の木に上ったほどでした。ふだんなら、威厳を重んじてそんなことは決してしなかったでありましょう。

 主イエスは不思議な力をそのザアカイの心に感じさせたのです。

 ふつうなら、わざわざ木に登ってまで人を見るなどという子供じみたことは決してしないはずです。しかし、彼は、そのような世間体を越えて、主イエスに何かある力を感じたもののようです。


 彼は走って行っていちじく桑の木に登りました。

 その時には多くの群衆がイエスを取りまいていました。その群衆でなく、意外にも木に登ったザアカイを主イエスは見つめ、呼びかけたのです。

 ザアカイの心に以前からずっと続いていた心の暗がりを、主イエスはただ一人しっかりと見つめられたのです。

 この時多くの群衆がいたのになぜ主イエスはみんなから見下され、相手にされていなかった、罪人をとくに見つめられたのでしょうか。

 それは主イエスこそは、どんな多くの人がいてもそれに惑わされず、ただ本当に求めている人を捜すのだと思います。

「人の子(イエスのこと)は、失われたものを捜し求めるために来たのである。」と言われた通りです。

 主イエスはザアカイにその名を呼ばれたように、現在の私たちをも名をもって呼ばれるのです。人間は相手が多くなると、どうしても機会的に扱ってしまいます。

 例えば、医者はが病人の治療にあたるとき、病気の人はそれぞれみんな食事内容や仕事、人間関係、睡眠時間、運動など日常の生活の仕方がみな違うのに、医者は忙しいこともあって、そうしたことを詳しく問うことなく、表面に診断し、薬を処方することが多いのです。

 しかし良心的な医者であれば可能な限りそうした病人の生活のことも詳しく尋ねるだろうと思います。

 同様に、主イエスは私たちの心の医者として、一人一人の心の状況を知って下さって、そこに呼び掛けをして下さいます。誰からも注目されず、見放されていたような人をこそ、見つめられるということはなんとありがたいことかと思います。

 主イエスは金持ちの議員が何をしたら永遠の命に入ることができるのかと尋ねたとき、「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。」と言われ、さらに「金持ちが神の国に入るのよりらくだが針の穴を通る方がやさしい(ルカ十八・25)とまで言われたことがあります。

 しかし、ザアカイについては、金持ちでしたが、財産を捨てるとかいっさい主イエスからは言われることなくして、このように即座に救われました。神の国に入ることができたのです。

 これはどうしてなのでしょうか。

 それは、金持ちの議員は、自分は子供のときから、正しいことを全部守ってきたと言ったことで表れていますが、心に高ぶりがあったからです。高ぶりこそ最も神の国に遠いのです。それゆえその高ぶりを砕くために主イエスは最も厳しいことを言われたのです。

 しかし、ザアカイには、主イエスへ向かう素朴な眼差しがありました。

 神はこのように、外的なことでなく、主に向かおうとする心を大切にされるのがわかります。

 主イエスに対しては、私たちは遠慮することはないのです。ただ切実な求める心があったら足りるのです。

 主イエスによって救われるためには、金をすべて捨てる必要もなかったし、学問を積むことや、善い行いをいろいろと重ねていく必要もなかったのです。

 ザアカイは人をだましたり、脅かしたり、不正の金を持っていたような者だったと考えられますが、彼はただ主イエスに向かう幼子のような心をもっていただけで、救いに入れられたのです。

 ザアカイが主イエスから個人的に呼び掛けられたときから人生が変わったように、私たちも「あなたは私の愛する子」という呼び掛けを聞いたときから私たちの人生は変わるのです。

 ザアカイは主イエスからの呼び掛けを聞いただけなのに、「自分の財産の半分を貧しい人々に施します。もし、だれかから何かをだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」と言ったのです。

 同胞から嫌われ、見下されながら貯めてきた財産の半分までもを、ただちに貧しい人々に与えようというような決断がどうしてできたのでしょうか。

 わずかの金でも全くの他人にやってしまうとなると、惜しいという気持ちが働くのが当然だから、財産の半分を捨てるというような気持ちになったということは、実に驚くべきことです。

 しかもそのような決断は、そのようにせよと権力者から命じられたのでもなく、おどされたものでもなかったのです。まったく自発的にそのような考えにと導かれたのでした。

 それほど主イエスの呼び掛けの力は大きかったのです。ザアカイにおいて真の悔い改めがなされたのがわかります。

 ザアカイは、自分のかつての罪深い行動やそのために同胞たるユダヤ人が自分をさげすんでいること、それはそれまでの自分の行動などがいろいろと思い出されたでありましょう。

 しかし、そうしたことをどれだけ考えても、後悔してもそれは自分というところから自分自身や周りの人間を見つめているばかりでした。そうした人間を見つめる視点から全くちがった方向、イエスに方向転換することをザアカイは初めて知らされたのです。

 彼が、イエスを見たいと思ったが、背が低くて見えなかった。ふつうならあきらめてしまいますが、彼は今回はどうしても見たい、何としても見たいという願いを抑えることができなかったのです。だからこそ、木にまで登ったわけです。

 私たちが何としてもイエスを見たい、イエスと出会いたいと強く願うとき、その心はイエスへと方向転換をしているといえます。そのような方向転換をした魂には、それまで聞いたことのなかった声が響いてきます。それが、「ザアカイよ、今日はあなたのところに泊まる(留まる)」ということでした。

 たしかにこの言葉は、現在の私たちにもあてはめるこができます。私たちがただ主イエスに出会うことを願うとき、必ず主は私たちに個人的に応えて下さる。そして私たちの心に留まって下さるということです。

 主はかつてたとえ話をされたことがあります。

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。

高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書13章より)

 このたとえでいう喜びのあまり持ち物を売り払ったという、「宝の隠された畑」とか「高価な真珠」とは、ザアカイにとっては、主イエスご自身であったのです。

 ザアカイは財産のすべてを売り払うことはしませんでしたが、やはり喜びのあまり、それまでたいへんな執着心でしっかりと持っていた財産を、半分は他人にあげてしまおうという気持ちになり、

 ここに今日の私たちにもあてはまることがあります。

 私たちが本当によいことができないのは、主イエスからの個人的な呼び掛けを聞いていないこと、主イエスのまなざしを受けていないからです。

 もし、主イエスからの呼び掛けを聞き取るなら、それまで何一つよいことができなかった者が、突然に変えられて本当によいことを、誰からも強制されないで、喜びからすることができるようになるということなのです。

 ザアカイは、周囲の人から、大人のくせに木に登ってイエスを見ようとしているとかの嘲笑的に見られても気にすることはありませんでした。また、主イエスが「今日はあなたの家ちぜひ、泊まりたい」と言われたときにも、初めて出会う他人を、しかも群衆が注目しているただなかであったけれども、直ちに、イエスの言葉通りに急いで降りてきてイエスを喜んで迎えたのです。

 すると、そのようなイエスとザアカイの言動に対して、それを喜ばずに、冷たく批判する人々がただちに現れました。いつでもこのようにして神のわざが働くところには、それを崩そうとする力も働くのです。

 けれどもそうした妨げる力を越えて、神の方へと魂の方向を転じて、新しい世界に導き入れられる人は今日まで二千年の歳月をこえてずっと続いています。

 主イエスが初めてガリラヤ湖のほとりで福音を伝え始められたとき、「悔い改めよ、神の御支配は近づいた。」と言われました。この悔い改めということは、自分が犯した個々の罪を思い出して、あのようにするのでなかったとか思うことでなく、魂が神への方向転換をすることを指しています。

 神が預言の通りにイエスを遣わして、そのイエスによって新しい支配をなさる時代になったということです。だから神とイエスの方向に心を方向転換せよ、ということです。

 ザアカイはまさにその心の方向転換をして、神の国に導き入れられたのですが、この主イエスの呼びかけは現代の私たちにもいっそう強くなされているのです。


君が代の問題点

 君が代、日の丸とセットで扱われることが多いが、ここではとくに君が代に重点をおいて考えてみる。

 私は高校や盲、ろう、養護学校などで教員を三十年ちかく勤めたが、その間ずっと君が代の問題は念頭にあった。生徒に歌わせるということは、その歌詞を歌うことであり、その意味がわからなかったら歌う意義がなくなる。

 そのとき、どう考えても君が代は私たちが歌える歌ではないとの感を深くしていたため、その歌詞が戦前はどのように歌われていたか、どんな意味のものとして歌われていたのかを生徒たちに教えることにしていた。

 天皇の御代(天皇が支配する時代)が永遠に続きますようにとの意味で歌われてきたし、たしかに現在においてこれほどまでに力を入れようとするのは、やはり君が代が天皇を歌う歌であるからだ。

 政府はよく外国での国歌、国旗の尊重を持ち出すが、外国の例を見てみよう。(毎日新聞六月十二日付けなど参考)

 イギリスでは、国歌は慣習として、メロディーだけが演奏される。学校の入学式とか、卒業式では、国旗や国歌は掲揚も斉唱もしない。

 アメリカでは、連邦法で、学期中は校舎に国旗を掲揚すべきだと規定されている。国歌は各州の政府に扱いがゆだねられている。

 またフランスでは、入学式とか卒業式自体がないので、それらの式に国旗、国歌を用いること自体が問題となっていない。

 ドイツでは、入学式、卒業式でも通常は、国歌や国旗は掲揚されたり、斉唱されることはない。また、国歌を法律で規定するということもなく、有名な作曲家ハイドンの「皇帝」という曲に歌詞をあてている。

 中国では、一九四九年の建国のときに、一般から募集して選ばれた「五星紅旗」が国旗に制定されている。

 オーストラリアでは、一九七四年に国民投票が行われて、十九世紀に作られた国民歌が支持されて八四年に国歌となっている。国旗も一九〇一年のオーストラリア連邦の成立したときに、やはり公募で選ばれている。


 こうしたヨーロッパの主要国の例をみると、いかに日本が特別に学校での掲揚や斉唱を強力に推進しようとしているかがわかる。

 アメリカが国旗については掲揚に力を入れ、学期中は掲揚し、学校によっては毎日国旗に宣誓することが規則とされている学校もあるという。このような状態をみて日本も国旗を学校でいつも掲揚すべきだなどという議論をする人がいる。

 これはアメリカと日本の国家ができたいきさつや地理的状況の大きな違いを知らないところからくる。アメリカは、合衆国(United States)というが、それは united(結合された)state(国家)という意味であり、その名の通り、多くの民族や国が寄せ集められた国家なので、たえず意識的に一つの国であるということを国民の意識にたたき込んでおかねばならない。

 しかし、日本は島国であり、外国からの侵略にはほとんど会うこともなく、長い年月を過ごしてくることができた。民族的にも圧倒的多数が日本人であり、アイヌ人や韓国の人は全体からみると、ごく少数者である。

 だから、日本において、北海道とか四国が日本から離れて独立するなどはおよそ考えられないほどに、一つの国として歴史的にも民族的にもまた地理的にもまとまっている。(ただし沖縄は歴史的にも違った歩みをしてきたので、独立という考えを持つ人もいる)

 このような日本において、あえて国旗への忠誠を強制するなどということは学校教育において今、何が一番重要なのかを見失っているところから来ている。

 学校で心の支えになるもの、時間や場所によって変わらないもの、すなわち真理が教えられないし、教師もそれを知らない者が多数を占めているからこそ、生徒たちも心の奥底で本当に信頼できるもの、頼るものを知らないままで大きくなっていく。

 土台がない状態なのである。そうした土台こそ一番重要であるのに、そのような土台づくりをしないで、本来ただの布切れである日の丸や天皇への賛歌にほかならない君が代を半ば強制的に歌わせることによって、生徒たちの心を荒廃させることにつながっても、何等よいことは生じないだろう。

 学校にも校歌や校旗があるように、一般的にいえば国に国歌、国旗を決めておく必要はあるだろう。国旗、国歌は国のシンボルとなるからこそ、国民の間で、歌詞、音楽の両面から十分な時間をかけて新しいものを考えていくことこそ必要なのである。

 ドイツやイタリアは第二次世界大戦のときに日本と同盟していたが、それらの国は侵略戦争に重大な関わりをしたということで、その戦争当時の国旗や国歌を戦後は変えている。

 戦前は君が代、日の丸ともに天皇を意味し、または天皇を指し示すものとして最大級の尊重がなされた。そして天皇が現人神として崇拝されたほどであった。

 戦後五十数年たって再び君が代、日の丸へのある種の不可解な力の入れ方からうかがえるのは、日本人の精神の根本に天皇にかかわる何かを植え付けようとする勢力が感じられる。

 しかし、そのようなただの人間にすぎない天皇を学校教育で特異なほどに強調することこそ、若い魂になかに一種の偶像的なものを刻み込むことになりはしないか。そんなまちがったものを心のなかに刻むことからさらによくないものが若い世代に醸成されてくるように思われる。

 日本では天皇が象徴だとされるが、そもそも天皇というような人間が国歌の象徴となれるだろうか。鳩は平和の象徴であり、白は純潔の象徴であると言われる。そして鳩や白というものは変わらずに存在している。鳩の柔和さ、また、純白の持つ清いイメージなどは変わることがない。

 しかし、天皇というのは、本質的に我々と同じ人間であり、ときには精神的に未熟な人、あるいは何らかの罪を犯したり、病的な人が天皇になることもあるだろう。世襲の王とか支配者のなかには、つねにそうした人間として未成熟な者も見られてきたところである。日本の天皇に今後とも、そんなことはないなどと決していうことはできない。

 もし、そのような不適格な人が天皇となった場合、そうした人物が日本を象徴できるであろうか。イギリスの王室に見られたように、王となる予定の人物が男女の関係で不正なことをしたりすることもあり得る。もし、日本の天皇となる人物が同様な罪を犯した場合、このような人間が日本の国を象徴するというようになってしまうではないか。

 このように、天皇という人間を国の永続的な象徴にするということ自体が問題なのであり、そのような象徴天皇を年若い人々に強制的に歌わせるということは何等よい結果を生まないだろう。 

日の丸の問題点

 また、日の丸は太陽が真ん中にあるきわめて単純、率直な図柄である。これは、本来は、その図柄から多くの人に親しまれやすいものであろう。

 しかし、この日の丸をどうして戦前から、特別に重んじようとするのかというと、そこにも、天皇との関連が見られる。

 戦前において、天皇家の祖先は太陽神である天照大神であり、天皇はその天照大神の子孫であって、現人神であるとされた。そこから太陽を表す日の丸を見るときに、天皇を連想するようさせるという目的があった。

 七月六日の沖縄における国歌・国旗法案の地方公聴会にて、平良 修氏(日本キリスト教団佐敷教会牧師)が次のように述べているのもそうしたことを言っているのである。

「日の丸は日本国を・日出ずる国・とし、太陽神の神の霊を受け継ぐ天皇によって支配されるべき特別な国体であるという思想を表している」

 このように、君が代、日の丸の根本問題は、それがいずれも、戦前のように天皇を国民の意識に深く植え付けようとするところにある。ただの人間をそのような日本人の精神の根源に据えるというようなことからは、真によいことは決して生じない。それは戦前がそのような思想からどんな悲惨なことが日本やアジアの国々にもらたしたかを見ればわかることである。

 現代の日本の問題はそうした人間精神の根本に据えるべきものが教育においても教えられないというところにあるのであって、天皇のような人間でなく、宇宙を創造した、愛と真実に満ちた神、今も生きて働く神にこそ置くべきなのである。

 君が代、日の丸の問題は単に国歌、国旗を法制化するかどうかの問題でなく、日本人の精神の根源に関わる問題であり、未来の日本人がなにを精神の基とするのかという問題とつながっているのである。


101)上を仰ぐ心からの愛のまなざしは、それを受ける神のがわからは、たしかに最も美しい形式的な祈りよりも価値があるものである。

 私たちもまた、そのような「物を言うまなざし」・それは小さな子供やさらに小さな動物すらも持っている・をどんな、表面的にきれいな言葉よりも愛する。(ヒルティ・眠れぬ夜のために上二月二五日)


・神は私たちの心からのまなざしを一番に喜んで下さるということは、実にありがたいことです。苦しみの折には、ただそうすることしかできないことがあるからです。

 多くの美辞麗句よりも、真実な何ものかを語るまなざしこそが心に届くと言われていますが、それはヒルティの言うように動物すらも、さらには夜空の星や野草の花の一輪、山にしずみ行く夕日などもそのような、いわば神からの何ものかを語るまなざしのようなものを感じることがあります。


102)キリストがあって、聖書がある。聖書があってキリストがあるのではない。

 キリストがもし実在しないのなら、聖書を百万回読んでも我らはキリストが今も生きておられるということを実感することはできない。

 キリストは想像された存在ではない。実在するお方なのである。
 キリストは聖書を離れてもなお、存在しておられるお方なのである。
 我らは聖書を尊ぶあまりに活ける救い主を古き文字の中に発見しようとしてはいけないのである。(「内村鑑三所感集」一九〇五年)


Y.K

まよい

いつになったら実行するか
まだ決められなかった
自分の迷い
あの頃は悩み続けた
不安だらけの日々

主イエスと出会い感動した

これからは過去を捨てて

新たな道で

主とともに歩いていく


どんなときも

祈るときも歩いている時も

 すべて生きている時も

  頭は神のことばかり

   
力を与えくれるかのように

  私の心は燃え続ける

   主とともに歩き

   平安をもって

   
失われた人々を救いたい

     
どんな時も求めて、願い

   
感謝し、新鮮な日々を・・

  すべてどんな時も

主イエス様を忘れない・・

(作者のY.Kさんは、徳島ろう学校を経て筑波大学付属ろう学校、筑波技術短期大学を卒業後、現在は会社員)


短歌

主を頼み思いわずらうことなかれ

  すべては神の御手にあるなり

幼な子のごとき子の者たちに

  父なる神は現れにけり

   (加藤茂樹著 「短歌で読む新約聖書」より)

休憩室

音楽は良薬

 服部正といえば、作曲家として有名な人です。彼は、音楽家としての生涯を送ることになったそのきっかけを次のように言っています。

 十三歳の秋、青山学院の中学部に(日)がすることで私は初めて音楽の美しさを知ることができた。それは毎日、学校で行われる礼拝の時間に讃美歌を歌ったからである。讃美歌・・それはすばらしい音楽であった。長い伝統のなかで、選びに選び抜かれた名曲ばかりであった。毎日の礼拝の中で、この名曲集を歌うことが、私にとって一日のなかの最高の時間であった。・・もともと腺病質で、肋膜炎を患ったりする虚弱児であった私が、音楽に専念することになってから、次第に健康に恵まれてきた。美しい音楽を演奏している間に、私の身体の細胞が元気になって、病気をなおしてくれるような気がした。確かにそうである。熱があっても、頭が痛くても、演奏している間に、その病気は悪化したことは今日まで一度もなかった。それとは反対にさわやかなものが体内にみちあふれ健康が戻ってくることが自覚されるのだった。(一九八〇年発行の「サインズ」より)

 今、私がときどき尋ねている盲人の方で未信仰の方がいます。その人は、聖書は理解しがたく、信じがたいことが多いけれど、讃美歌の美しさに深く感じるといわれる人がいます。私は讃美歌から入って行けるのではないかとも言われたことがあります。

 讃美歌の言葉とそのメロディーには、神の言と同様に、この世の移り変わりを越えて人間の心の深いところを流れていくものがあるようです。現代のあわただしい状況にあっても、神への讃美こそは永遠に続いていくことと思われます。

フィンランドでのキリスト教

 日本では、真の神のことについて全く知らされないままに、生涯を終わることになることが大多数の人の状況だといえます。北欧の国の例をあげてみます。(これは、元神奈川県町議であったフィンランド人ツルネン・マルティさんが語ったことです。毎日新聞九五年十月23日付)

フィンランドは、国民の九五%がキリスト教徒(プロテスタント)です。日曜の朝ごとに、国営テレビ局がどこかの教会の礼拝の様子をありのままに一時間半放映します。ふだんの日でも毎朝、十五分ほど牧師の話を流します。これは、心豊かな日々であろうとするのには、信仰心は欠かせないということで、国民と教会、それに国家の間で折り合いがついているのです。

 これを見てもいかに、日本と大きい差があるかを知らされます。国営放送で日曜日ごとに一時間半も礼拝の内容を放送することによって、その国の人々にとっては、キリスト教の真理が知らず知らずのうちに深く浸透していくことになります。

 日本では仏教国といっても、ほとんどの人が自分の教派の仏教経典すら知らない状態ですし、世界中で読まれている聖書にしてもほとんど知らない状態となっています。こうした状況がまちがった宗教へ若者を追いやる土壌となっているのです。

1999/7



弱き者を  1999/6

私たちは弱い。どんなに強そうなことを言っている人でも、みなその内部はというと、実にもろい。揺れ動いている部分がいろいろとある。

 人間の社会ではそうした弱さをそのまま出せば、見下される。そのために弱さを隠そうとする。強い部分、私たちの優れた部分を出そうとする。

 しかし、神には、弱い部分をそのままさらけ出しても受け入れて下さる。むしろ、弱いことをありのまま、言えば言うほど深く受け入れて下さる。また、神の愛をもいっそうはっきりとわからせて頂ける。

 意志の弱い者、身体の弱い者、能力に自信のない者、人から見下されて苦しむ者、仕事のできない状況ある者・・いろいろの意味における弱さを持つ者は、主イエスのもとに行くとよい。

 そこではどんな人間にも受け入れてもらえなかった自分の弱さのなかに、神の新しい力と励ましを受けることができる。

いつくしみ深き  友なるイエスは、
われらの弱きを  知りて憐れむ。
悩み悲しみに   沈めるときも
祈りにこたえて  慰めたまわん (讃美歌三一二より)

 使徒パウロの比類のない強さは、だれよりも自分の弱さを深く知っていたところにあった。彼は、自分は弱い者の頭(罪を犯す第一の者)とまで言ったほどであった。

 そのような弱さを深く知り、そこに限りのない神の力を豊かに受けたがゆえに、彼の影響は二千年を経た今日もなお、変わることがない。それほどに神の強さを受けたのであった。

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、それに行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(Uコリント十二・10

キリストは出会いを与える

かつてまだキリスト教信仰のなかったとき、友人を求めたことがあった。心をすべて打ち明けることのできる友を求めてやまないある寂しさのようなものが心にあった。

 そのうちに、いろいろのことを打ち明けて話しあうことのできる友が与えられた。大学での学び、自分の現在の悩み、当時、学生の切実な関心事であった政治・社会的問題への関心、女性との交際のこと、人類の将来など、ほかの友人には話したことのないことも話しあうことのできる友人であった。

 しかし、そうした友も私がキリスト信仰に出会ったときから離れていくことになった。あれほど親しい友であったにもかかわらず、キリストのことを持ち出すことで、離れていった。

人間の友のはかなさを知った。

 しかし、主イエスを知ったときから、あれほど求めていた人間の友を求める心が消えていった。主イエスが心にいつもある友になってきたからであった。

「私はあなた方を友と呼んだ」と主イエスは言われた。

 そして神は必要な友をあちこちに与えて下さった。キリストを知ったときから、私たちの生活は受け身となる。自分で友を獲得するのでなく、神が必要なときに必要な友を与えて下さるようになる。そこからいろいろの出会いを与えて下さるようになる。

 今も、生きて働くキリストこそ、出会いをもたらしてくれるお方である。

 求めよ、そうすれば与えられるという有名な言葉は、たしかに真実な言葉である。

 また、主イエスは山という自然をもさらに深い味わいある友のようなものにして下さった。山野の野草なども同様で、それらも次々に友となっていった。 

この終わりの時代には、御子(イエス・キリスト)によってわたしたちに語られた。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造された。

御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられる。(ヘブル書一章より)

 主イエスが私たちの心に住むようになると、私たちはこの世のさまざまのものに関心が生じてくる。キリストを信じて学ぶ心が生まれてこないなら、本当に信じていないのだと言った人がいるが、たしかに心の内にキリストを受け入れるとき、私たちは学びたいという心が燃え始める。

 それは、すでに引用したヘブル書にあるように、キリストがこの万物を創造し、いまも万物を支えているからなのだ。 

思いのままにすすまないこと

 人は誰でも自分が予想したままに動いていって欲しいと思う。自分の健康についても、結婚や家庭のこと、子供についても、人欲しい、男と女をとか、職業でもこんな職業につきたい、それもずっと勤めたい、また、自分や子供将来についてこうあって欲しいと希望する。

 そしてその希望通りにならなかったとき、落胆し、悩み、苦しむ。

 その度合いがひどいときには、運命をのろい、神などいるものかと思ったりするだろう。

 しかし、神は私たちの思いのままになることを止められる。それはもし私たちが考えるままに成っていくなら、私たちは自分の力だと錯覚し、自分を誇るようになる。

 そのような危険から守るために、私たちの予想をくつがえすような形で、物事が生じる。しかし、そのとき、私たちは人間の思いをはるかに超えた神のご計画の一端に触れる思いになる。

天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を

わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ書五十五・9


重荷を担う(になう)者はだれか

 人間は自分の重荷を背負うのに精いっぱいである。苦しみ悩みを自分で担うことも、なかなかできない。むつかしい問題が生じたら、自殺する人も生じるのは、重荷が背負いきれないからである。

 だから、それを正しく担って解決するのでなく、忘れようとする。そのためにいろいろな方法、例えば遊びとか飲食、ことに酒が昔から用いられてきた。

 しかし、遊んで、いろいろの娯楽をしても心の重荷を一時的にはわすれることはできても、いやすことはできない。必ずその重荷が再びのしかかってくる。

 重荷とはいろいろの悩み、つまり病気、人間関係、職業のこと、家庭のこと、自分の欠点、将来のこと、あるいは、心の広い人なら、他国の飢餓や貧困などいろいろある。

 しかし根本的な重荷は、自分が正しい道を歩めない、人を心から愛することができないという心の傾向である。このような心をキリスト教では罪という。だから罪こそは私たちの最大の重荷である。

 そしてその重荷をいかにしたら、軽くできるのか、なくすることができるのかが聖書の根本目的でもある。

 世の中にたくさん出ている本やテレビなどの内容はほとんどそのような重荷を軽くするどころかかえって重くするような内容が多い。


旧約聖書における重荷

 聖書はこの問題についてどのように書いてあるだろうか。

 箱船でよく知られているノアは自分と家族だけが救われたことが記されてあって、他の人の重荷を担うということはなかった。

 しかし、旧約聖書ではとくに重要な人物であるアブラハムはどうだろう。

 彼は神の言葉に聞き従って、はるかな未知の土地へ旅だっていくということによって、神の民、イスラエルの先祖となった。彼はまだ他者の重荷を負うということは十分にはできず、エジプトに食料を求めて行ったとき自分の命を救おうとして、妻を自分の妹であると偽ったことも記されている。

 しかし、そのアブラハムはすでにとりなしの祈りをしていることが詳しく記されている。彼は滅びようとするソドムの町のために必死で祈った。

アブラハムは、進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。

ソドムの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。

正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」

主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。

もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」

 このように、必死で神に願って、ソドムの町のためにとりなしをしたために、神は最後には「十人の神に従う人がいたら、滅ぼさないようにしよう」と言われたのであった。

 それは、悪い人間たちだからといって見捨てず、何とか救われてほしてという願いであり、祈りであった。祈りとはつねにそれが真実であれば、ある種の重荷を負うことにつながる。

 このように、聖書では他者のため、滅びようとする者への祈りというのが早い時期から現れる。

 つぎに旧約聖書では最も重要な人物といえるモーセについて見てみよう。モーセは、エジプトの王子同様に育てられていたとき、自分はじつはエジプト人でなく、イスラエル人なのだと知った。自分の力で当時奴隷として苦しめられていたイスラエルの人々を助けようとしたが、それは全く不可能なことであってエジプトから遠く逃げていくことになった。イスラエルの地からはるか遠い地で、結婚し、子供も与えられ、平和な羊飼いの仕事をしていた。

 そのとき、神がモーセを呼出してエジプトにいるイスラエル人を救い出すようにと命じられた。モーセはそんなことは自分には到底できない、と強く辞退した。

「私は何者なのか、どうして自分がエジプトからイスラエルの多数の人々を導き出すことができようか」と言った。

 しかし、神の強いうながしにより、エジプトに出向き、イスラエルの民を救いだし、あらゆる困難と危険に直面しながら、砂漠を四〇年の間、民の重荷を担い続けたのであった。(出エジプト記三〜四章)

 このようにして、モーセは旧約聖書で最も、他者の重荷を担い続けた人として知られるようになったが、彼は、決して自分の力でそれができたのでなく、ただ神の全面的な支えによってのみ、可能となったのであった。

 旧約聖書のダビデは今から三千年ほども昔のイスラエルの王であった。彼は、子供のときからすでに神を信じて、何者をも恐れない勇気を持っていて、どんな武将も倒せなかった敵の巨人を石の一撃で倒し、その後も武人としても卓越した能力を現していったために、ついに王となったのである。その過程においても、つねに神を信じてみずからの益を求めようとはしなかった。

 しかし、このようなダビデであっても、その王としての栄光が頂点に達したときに、自分の欲望のために他人の妻を奪い、その夫を策略をめぐらせて死に至らせるなど他人の重荷を担うどころか、他人に耐えがたい重荷を背負わせた。しかし、後に深く悔い改め、かつその罪の罰としての苦難のかずかずを受けて心は深く耕され、その苦しみと神への叫びと、神への感謝が旧約聖書の詩編のもとになったほどであった。

 詩編とは、自分の重荷は神様が担って下さるということを深く知っていた人の書である。

わが神、わが神、なぜわたしを見捨てるのか。

なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉を聞いてくださらないのか。

神は、昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、わたしは黙ってははいられない。・・

母がわたしをみごもたときからわたしはあなたにすがってきました。

母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。・・

わたしを遠く離れないでください、苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。・・

主よ、あなただけは、私から遠く離れないで下さい。

わが力の神よ、今すぐにわたしを助けて下さい!(詩編二十二より)

 このように襲いかかる激しい苦しみと重荷を必死になって神に訴え、神に担ってもらおうとする叫びがこの詩には流れている。そしてこうした真実な祈りは必ず聞かれ、再び神による平安が与えられる。

 この詩の最後の部分は、つぎのようになっている。

わたしの魂は必ず命を得、

子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に語り伝え、

成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるだろう。

 この詩に続く有名な詩編二十三編は、苦難を経て与えられた深い平安が流れている。

主はわたしを緑の野に休ませ、憩の水のほとりに伴い

魂を生き返らせてくださる。

主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。

死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださるからである。

あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編二十三編より)

 ここには、死を思わせるほどの苦しみ、重荷からも救い出されて、軽くされた人の経験がここにある。

 旧約聖書のなかで、とくに預言書には、他人の重荷を担うべく神に呼び出された人(預言者)のことが書いてある。

 エレミヤは特別に民の重荷を担い続けた人、命がけで担っていった人であった。

 その重荷がどれほどであったかは、エレミヤ書を見るとうかがえる。

主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がる。押さえつけておこうとしてわたしは疲れ果てた。(エレミヤ書二十・9

 人々がいかに神に反しているか、それを指摘し、今後とるべき道を神の言によって指し示したが、人々は、ただそのようなエレミヤを攻撃し、彼を迫害するばかりであった。そうした苦しさに耐えかねて、エレミヤはもう生きていく気力もなくなるほどであったのが次のような言葉でうかがえる。

わたしの生まれた日はのろわれよ。母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな。・・

なにゆえにわたしは胎内を出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすのか。(エレミヤ書二十章より)

 このような叫びをあげるほどにエレミヤは人々の重荷を自らが担って、苦しんだのがわかる。

 しかし、たとえ預言者であっても、人間の罪や背信といった罪そのものを消し去ることはできないということは古くから知られていた。

 人間の重荷の根源にあるのが、罪である。罪とは、真実と愛の神に背くいっさいの心の動きや行いを言うが、そうした罪があるからこそ、人々は苦しみ、悩みが生じる。そしてその罪とは、人間の最も奥深いところにあるものだけに、ほかの人間がその罪の重荷を取り去ることは決してできない。

 預言者や宗教者自身がその罪の重荷を取り去ってもらわねばならないのである。

 そのために旧約聖書では、祭司自身が、雄牛を殺してその血を注いで潔めを受けるということが書いてある。(出エジプト記二九章など) 

 そうした罪の重荷を人間の身代わりになって担う方が将来において現れるということが、預言されるようになった。そのことはイザヤ書にはっきりと示されている。

彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(イザヤ書五三章より)

 この預言の成就として現れたのがイエス・キリストであった。

新約聖書における重荷

 このような流れを受けて、新約聖書では、イエス・キリストこそが、そうしたあらゆる重荷を担って下さるお方として現れる。

 旧約聖書では、神に重荷をゆだねることを知っている人はイスラエルの人だけであったし預言者というのもイスラエルだけに現れたのである。

 しかし、新約聖書では、そうしたことが世界のあらゆる人へと広げられていった。    「疲れた者、重荷を担っている人はだれでも、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ福音書十一・28

 十字架とは、キリストが万人の重荷を担って下さったというしるしである。

 私たちの重荷は主イエスが担って下さるということである。罪という最大の重荷を担って下さったこと、それは、中風の人のいやしのなかにも現れている。

 古代にあっては、中風になって起きあがることができないという状態は、たいへんな苦痛であった。車も車イスもなく、福祉的制度もない時代であり、日々が耐えがたいような状態であっただろう。

 そのような苦痛に満ちた日々を送っている人をその友人たちが、主イエスが滞在している家の屋根を取り外して、ベッドに乗せたまま、運んできた記事がある。

すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。

しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。

イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(ルカ五章より)

 他人の家の屋根であるのにそれを破ってまでして、中風の人をいやしてもらいたいとの願いは強かった。どんなことがあってもこの身体の病気からくる重荷を取り去ってもらいたいという友達の熱意が伝わってくる。

 しかし、意外なことに主イエスは、その病気をいやして直ちに立ち上がらせることもできたのに、そのことを第一にせず、「あなたの罪は赦された」と言われた。

 これは驚くべきことである。私たちの周りでこんなことを考える人はほとんどいないだろう。身体の病が重荷となっているとわかっていて、なお、その背後に実は罪というものこそ、最大の重荷であるという見方がここにある。

 この世界には、愛と真実の神に背いているという罪がずっと根深くある。そこからあらゆる人間の重荷が生じるということを主イエスは知っておられた。

 人類全体の罪の重荷から解放するためにこそ、主イエスは来られた。それが十字架によるイエスの死であった。

「疲れた者、重荷を背負っている者はだれでも私のもとに来なさい。」という招きは、すべての人になされている。どんな人でも何か重荷を持っているからである。

 罪ということがわからない人は、その重荷の根源を知らないが、日々その重荷を感じている。

 中風の人の友人たちは、病気こそ、立ち上がれないことこそ、重荷のすべてだと思っていた。しかし、主イエスはそれよりもっと根本的な重荷を見抜いておられた。

 同様に、私たちが自分で感じる重荷は、生活の問題、職場の人間関係、病気などいろいろとあるだろう。しかし、主イエスはそのような私たちに対して、罪こそ私たちの重荷の根源なのだと言われる。

 さらに、その罪はイエス・キリストのみが取り去ることを知るとき、次のことに気付かされる。

 私たちが他者の重荷を負うと思っているが、じつは私たちの内にいるキリストが重荷を負って下さっているということである。苦しむ他者への祈りが真実であるとは、私たちのつながる幹であるキリストへの結びつきが堅固であるということだが、そのとき、私たちが担おうとする重荷は、実は、その内なるキリストが担って下さる。

 そして他者の重荷に関わる私たちはそうした相手によってもまた、担われているのを感じる。

 子供の難しい病気に直面して、母親が必死にそのために心を注ぐとき、その子供の病気は母親にとって非常な重荷となる。しかし、しばしば、そのたいへんな重荷であると感じていたそのことが、じつは自分をも支えていたのだと気付くことがある。
神を知らない場合でも、こうした経験をすることがある。

 私たちが神を信じて、キリストを私たちの内に持っているときには、私たちの心を注ぐところにキリストがともにいてくださるのであって、私たちが祈り支えようとする相手も、そのキリストが支えてくれる。そして同時に、そのキリストは祈る私たちをも支えてくれることになる。

 私たちが誰かの重荷を担うのでなく、私たちの内にいるキリストが担うのである。

 寝たきりの病人はいつも誰かにその重荷を担われている。たしかに医者や、看護婦、あるいは介助する人の助けがなかったら、生きていけないほどに、支えられている。

 しかし、他方では、そのような重度の病人は、その重い病気を信仰によって担っているとき、その存在そのものが他者をまた自ずから支えるのである。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ福音書十五章より)

 私たちがぶどうの木であるキリストにつながっているだけで、そのキリストが私たちの重荷をも、また私たちの関わるひとたちの重荷をも担って下さるのである。

 そのようにして初めて私たちはつぎのパウロの言葉が実現していくのだと知らされる。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤ書六・2

 いつも誰かが他者の重荷を担っている。

語らず、言わず聞こえないのに、その響きは天地にあまねく・・

「私はお前を担う」という声が響いている。 

わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ書四六・4

使徒のはたらき(八

最初のキリスト教徒たちの生活(使徒行伝二・4247

 
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。

 
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。(使徒行伝二・4247

 ここにキリスト教の最初のすがたが見られます。

 彼らの生活には四つの柱があり、それは次の通りです。

(一)使徒の教え
(二)相互の交わり
(三)パンを裂くこと
(四)祈ること

 これらを一つ一つ考えてみます。

(1)彼らが心を注いでいた「使徒の教え」ということは、現在の私たちにとっては、聖書の学びだということになります。使徒たちが主イエスから受けた教え、生きて働くキリストから受けた教えは聖書となって私たちの前にあります。それは神の言であり、神の言を第一に置くということです。聖書はそのまま読んだのでは、意味がわからないことがしばしばあります。

 例えば、聖書のなかで最もよく読まれてきた箇所の一つである、山上の垂訓にある「心の貧しい者は幸いだ」ということにしても、日本語では心の貧しい者とは、心の豊かな人の反対となり、愛することもなく、飲み食いのことばかりしか念頭にない、思いやりがない、自分の利得しか考えない、自然を愛する心や音楽を味わうこともできないような人間を意味して使われてます。

 私がいろいろのところで聖書について語るとき、とくにまだ聖書を読んでいないとか、教会に行ったことがないという人にこの箇所の「心の貧しい者」というとどんなイメージがありますかと尋ねると、たいていの場合、すでに述べたような意味の答がかえってきます。

 そんな「心が物欲で固まった、うるおいのない人間が死んだら天国に行くのだ」というように受け取ってしまうのです。これでは大きなまちがいで、真の意味はそれとは根本的にちがった意味だと言わねばなりません。

 このような誤解を避けるためにも神の言は学ぶ必要があるわけです。自分の考え中心でもなく、他人の考えにならうのでもなく、永遠の真理である神の言そのものの意味するところを、正しく受けとめるために日々神の言を学んでいくことが求められています。

(二)相互の交わりについて。

 信仰は神と自分のことであり、一人でもできます。事実、どこの教会や集会にも属さないで一人で聖書を読んで信仰を守っている人もいます。しかし、聖書はそのような一人だけで信仰を持って、ほかのキリスト者と交わらないというような信仰を支持していないのです。

 主イエスご自身、完全な神の力を持ち、いかなることにも耐えて神の道を歩むことのできるお方であったにもかかわらず、十二人の弟子を選び、いつもそばにおいて、ともに歩まれたのです。

 そして神を信じる人の集まり(*)が「キリストのからだ」であるといわれているほどに、重要視されています。

*)これは聖書では「教会」と訳されていますが、原語はエクレシアであり、これは「神から呼び出された人の集まり」を意味するのであって、建物を意味するところは一カ所もありません。

 また、主イエスは「二人、三人私の名によって集まるところに、私はいる」と約束されました。ここにも、キリストの名によって集まることの重要性が述べられているのです。 また、ヨハネ福音書で最後の夜に教えた言葉として伝えられている内容に、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの戒めである。」というのがあります。(ヨハネ福音書・十五・12

 ここで、とくにキリストの弟子たち同志の愛を重んじているのがわかります。
パウロも、キリストを信じる人の集まりを一つの「体」とたとえています。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っている。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分である。(Tコリント 十二・2527

 この箇所も、キリストを信じる者同志がいかに深く結ばれているかを示しています。キリスト者は一つの体であるから、互いに配慮しあっているし、一つの部分が苦しむとき、また、喜ぶときにもすべての部分が共にその心を同じくすると言われています。

 このような記述を見るとき、キリスト者は一人でいてよいのだということは考えられないことに思われます。

 こうしたキリスト者のあるべき姿がキリスト教の最初の群れにすでに見られたと、使徒行伝のこの箇所で言われているのです。

 そしてこのことは、現在の私たちにもそのままその重要性はあてはまります。同じキリスト教の集まりに属していながら、そのなかの一員が苦しみ、あるいは喜びを感じているのにそれをともに感じようとしないことは、本来のエクレシア(キリストの集会)にふさわしくないということです。

 そしてそのような心であるということは、そもそもキリストとも深く結びついていないということになります。キリストと結ばれているとき、キリストは愛であるから、自ずから他者の苦しみや喜びにもともに感じるということになるからです。

(三)つぎにパンを裂くことが言われています。これは聖餐としてキリスト教会に受け継がれてきました。地上で弟子たちと共にする最後の夕食のとき、主イエスがパンとぶどう酒についての特別な意味を言われたのは、福音書の記事の方がよく知られていますが、使徒パウロも主が言われたこととして、つぎのように伝えています。

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(Tコリント 十一・2326

 パウロ自身は最後の夕食のときに同席していませんでしたし、そのときはまだ主イエスのことも全くしらなかったと思われます。しかし、キリスト者を迫害していくさなかに神からの光を受けて、キリストから直接に呼び出されてキリスト者となった以後、生きてはたらくイエスからこの言葉を聞き取ったのだと考えられます。

 聖餐に使われたパンとぶどう酒は当時の食事としてはごく自然なものでした。それがキリストのからだであり、キリストが人々のために血を流して生み出された新しい契約のしるしであると言われています。

 これは信仰によって感謝して受けるなら、霊のキリストとの交わりを与えられ、イエスが私たちのために流された血によるあがないをよりつよく私たちの心に刻みつけることになると思われます。

 もはや集会に参加できなくなるほどに体が衰弱していき、聖書の学びなどできなくなった苦しみのとき、重い病気のとき、死が近づいたときでもキリストとの霊的な交流が与えられて、力づけられ、新しい命が与えられていく機会となり得るのです。

 内村鑑三の愛する娘ルツ子が重い病となり、もうあと数時間で臨終というときに、内村がルツ子を含めた親子三人で聖餐をしたのも、こうした意味があったからだと考えられます。

 キリストの集会に参加すること、野山の自然に親しんで、神の英知と万能を学ぶこと、聖書を学ぶこと、キリスト者同士の交流、祈りなどなどいろいろのことによって私たちはイエスとの交わり(霊的な交流)が与えられます。聖餐のパンとぶどう酒もそうした一つの霊的な賜物が与えられるための一つの恵みの道だということができます。

(四)最後にあげられているのは、「祈り」です。すでにあげた三つのものすべてに祈りを欠くなら、それは最後の完成がなされない不十分なものとなってしまいます。聖書の学びも祈りなくば、知的遊技となり、信徒同士の交流も祈りなくば、人間的な情の交流となり、神から引き離そうとするものにすらなってしまうでしょう。

 また、聖餐のパンとぶどう酒も祈りなくば、そして神の祝福なくばそれは無意味な儀式にすぎないものとなってしまいます。

 私たちの日々のすべてに塩味をつけ、前進させ、力を与え、汚れなきもの、透き通ったものにしてくれるのが祈りです。

 主イエスは、「まず神の国と神の義を求めよ」と言われました。いろいろの場合にまず祈ることは、神の国と神の義をまず求めようとすることだと言えます。

 ペテロはキリストが捕らえられたとき、一度は逃げて、三回も主イエスを知らないと言ったようなよわい者でした。しかし、彼が全くべつの人物となったかのように生まれ変わった力に満ちた存在になったのは、聖霊が与えられたからであり、その聖霊はみんなで真剣に祈りを続けていたときに注がれたのでした。

 祈りのなかで浮かび上がる十字架を仰ぐことによって、罪を潔められ、祈りによって聖霊を、また神の言を与えられ、力づけられます。祈りによって私たちはこの悪に満ちた世界のかなたに永遠の光が輝いているのを見ることができます。

 以上のように、今回あげた短い箇所によって、最初のキリスト者たちの生きた様子がうかがえるのです。 

君が代と元号について

 平成○○年ということを何も考えないで用いている人は実に多いと思います。なぜ、西暦とともに昭和とか平成とかの年号(元号)があるのか、考えたこともない人がほとんどのようです。

 最近、君が代の問題がいろいろと言われるようになっています。そしてこれはなぜ問題になるかというと、君が代の歌詞が天皇の御代が永遠であるようにとの内容だからです。もし、これがそんな内容でなく、もっと明るい国民の平和への希望や正義への願い、日本の美しい自然を歌い込んだ内容なら、そもそもそうした歌を歌うことを強制したり、そのために自殺する校長が出るなどありえなかったことだけは確かです。

 戦前では、天皇を現人神としており、君が代の歌詞がちょうどその天皇を祝う歌として都合のよいものであったからこそ、戦前に強力に戦争を後押しするものとして使われたのです。

 このように考えると、君が代の問題は、天皇制の問題だと言えます。

 この天皇制と深く関わっているのが元号なのです。元号は中国の古代の制度をまねて、造ったものです。その元号は明治になるまでは、一人の天皇の時代に何回も元号を変えることがありました。それは、何か事件が生じると縁起が悪いといって変えていたことがあるからです。

 しかし、明治になると天皇を現人神として絶対的な権力を持つようになったため、その天皇を国民の意識に深く植え付けるために考え出されたのが一世一元制です。天皇一代においては、一つの元号しか存在しえないということになったのです。天皇が死んで代替わりになって初めて、元号をも変えるということです。

 こうなると元号は天皇の死後の贈り名として贈られるので、事実上、その天皇の名をもって、時間を考えるようになってしまいました。中年以上の人に、あなたは何年生まれですかと尋ねると、ほとんどの人は、大正○○年とか昭和○○とかでしか言えません。それは西暦何年ですかと尋ねると、言えないという状態です。(この意味は大正天皇の支配の○○年目という意味になってしまう)

 これは、それほど深く天皇の名前が人々の心に刻み込まれているということですし、まさにそうしたことを目的として一世一元制は造られたものだったのです。

 ある人間の名前で時間を表すというのがいかに奇妙なことかは、例えばつぎのような例を考えてみるとわかります。

 アメリカで大統領が変わるたびにアメリカではクリントン元年、二年などというようにしようと誰かが言い出せばそれは笑いものになるでしょう。あるいは、どこかの県で、例えば佐藤という人が知事になったとすると、その人がこれから、自分の名前で県のいっさいの文書を表す、佐藤元年、佐藤二年というようにせよなどということになったら、それは正気とは思われないでしょう。

 歴史上で数々の暴君が現れても、時間を自分の名前でもって表そうなどと考えた人はいなかったのです。しかし、そのような無意味で不合理なことを現在の日本では行っているのです。

 日本の天皇は長生きするから何十年も一つの元号が使えるという人もいるかも知れません。しかし、大正天皇は十五年ほどで終わっている例もありますし、人間の命はだれも決められないはずです。

 特定の人間の名前で、時間をよぶというのは、もしその人が死んだら、たちまち一切の文書類を書換える必要が生じます。それは膨大な手数がかかりし、費用も非常な多額になります。

 もともと、日本の元号は中国古代の王が時間をも支配しようとして考えだしたものをまねたものにすぎません。そうした原始的な制度なのです。

 また、病院などでも、昭和○○年に入院したとか、発病したとか表すと、いまから何年前かとてもわかりにくかったのです。しかし西暦で表すと、ただちに何年の病歴があるかわかるのです。

 このような全く不合理な制度なので、世界では日本しか行っていない制度です。

 君が代の歌詞は天皇の支配でないのに、天皇の御代(支配)が永遠に続きますようにという内容であって国民主権になっている戦後からは全く不適切な歌であるのに、それを強制的に歌わせようとするのです。

 元号は、天皇の事実上の名前で時間を表すという無意味なことなのに、官公庁などでは、事実上強制的に使わせている事実があります。このように、元号問題は君が代の問題と共通したものがあります。

 君が代の問題を考えるときには、もっと日常的なこと元号のことをも考えて、それがいかに世界的に、また歴史的にも、実際的にも無意味であるかを知るべきだし、そのことをわきまえた上で、元号を使わないようにしていくべきと思います。 

100)自分自身は決して感じたことのない、他人の感情のただ中へ自分を投入する力をこれほど必要とする仕事はほかに存在しないのです。・・

 そして、もしあなたが、この力をもっていないならば、あなたは看護から身を退いたほうがよいでしょう。

 患者に彼が感じていることを言う努力を強いることをせず、その顔つきに表れるあらゆる変化を読み取れること、これこそ看護婦のABCなのです。(ナイチンゲールの言葉・「音楽の癒しの力」(*)日野原重明著18Pからの引用) 

*)日野原重明 一九一一年生まれ。京都帝大医学部卒業。聖路加(ルカ)国際病院内科医長、院長を経て現在名誉院長、聖路加看護大学学長。

・自分は経験していない、病人の痛み、苦しみ、悲しみのなかに自分を投げ入れ、少しでも共感するということは、看護婦でなくとも、私たちすべてに求められていることである。このことは、私たちには至難のことであるが、主イエスはあらゆるそうした病人の感情に共感することができた。私たちも主イエスとともにあるとき、少しでもそのような共感を持つことができるようになり、それがまた「重荷を担う」ということへの小さな一歩となる。

休憩室

ホタル

 わが家の下にある小さい谷川は、幅わずか二メートルほどの小さいものであって、ほとんど水は流れていないことが多い。しかし上流の一部にはいつも水がある。そのわずかな流れのなかに、ずっと以前からホタルの幼虫が住んでいます。そして毎年六月の初めころになると、数は少ないけれども、ホタルが暗闇に点滅して遠くのものを呼び覚ますような、なつかしい気持ちにさせてくれます。

 闇に輝く光はだれの目にも印象的であり、心をなごませてくれるものです。聖書にも「光は闇のなかに輝いている。そして闇は光に勝たなかった。」(ヨハネ福音書一・5)とあります。

 清流に住み、その清い流れを私たちに分かち与えようとするかのように、澄んだ光を点滅させてゆっくりと飛ぶホタル、これからも生き延びてこの谷間で光を放ち続けてほしいと願っています。

六月に咲く花と言えば、たいていの人の心に浮かぶのはアジサイだろうと思います。私も同様ですが、それとともに、私にとって同時に浮かぶのが、クチナシ、ウツボグサ、そしてハンゲショウといった植物です。

 わが家の裏山にある自生のクチナシのその素朴で端正な姿、そしてその何も代えることのできない香り、それは得難い神からの贈り物です。(園芸用の八重のクチナシは公園、家庭の庭などで多くみられます)

 このような野生のクチナシは今日では、ごく少なくなっていて、園芸店でもおいていませんし、一般の家庭でも見かけることはありませんので、多くの人には目に触れられないものとなりつつあるのが残念です。

 ハンゲショウは上部の葉だけが、部分的に白くなり(斑入り状)それが自然にできていく珍しいものです。その葉や地味な花のすがたが、静かさと落ちつきを感じさせる植物です。

 植物は沈黙でありつつ、その静けさのゆえにいっそう、心して見るときには言葉を超えた神からのメッセージを感じさせてくれるものがあります。

お知らせ

第二十六回キリスト教四国集会のテープをご希望の方は、お送りします。約十本で送料込みで千五百円です。なお、部分的に必要な方は、希望のプログラムを指定していただけば、それだけをお送りします。その場合の代金は送付のときにお知らせします。


1999/6


支えることと支えられること   1999/5

 半年以上以前から、私たちのキリスト集会につながる人で、重い病にあったIさんという人がいた。ガンの重い状態だということで、この数カ月は地上の命はもう残り少ないという状態が続いていた。医学でもどうすることもできないし、その病気のために、あごをも取り除いているため、言葉を出すこともほとんどできず、また食物を歯でかんでふつうに食べることもできず、ミキサーでジュース状にしてからでなければ食べられない状況であった。
 いよいよ病状が重くなるにつれ、その苦しみを思うとただ祈るほかはなかった。到底言葉で言い表せない苦しみにさいなまれているのが直ちにわかるほどの表情に接すると、他者の苦しみにはどうすることもできないというのを思い知らされた。

 召される数カ月前からは、いよいよその苦しみがつのってきたが、それでもIさんは聖書の言葉を求め、讃美歌を小さい声でそばで歌うことを求められた。

 私はそうした状況にあって、日々祈らずにはいられなかった。何もできないが、ただ祈りで神の御手その人をより強く支えて下さるようにと祈るばかりであった。

 長い苦しみののち、Iさんは召されていった。

 彼への祈りによって私も支えられていたこと、他者への祈りはまた、祈る者自身をも支えるものだということを改めて実感した。

神の子とはどんな意味か

 聖書において神の子とは一体どういう意味かを知ることは重要なことです。

 新約聖書においてイエス・キリストは神の子と言われています。しかし私たちにとってはイエスが神の子だと言われても別に大したことではないように思ってしまいます。それは「人間みな神の子」などと言われたりするので、イエスも我々と同じただの人間ではないかというほどの意味しか感じられないのです。

 これは聖書の誤った理解へと導いてしまうことがあります。(例えば、エホバの証人) しかし聖書ではそうした簡単な意味ではないのです。それは次のような箇所を見ればわかります。

「イエスは彼らに答えて言われた、・・『わたしと父とは一つである』。

 そこで ユダヤ人は答えた、『我々がお前を石で打ち殺そうとするのは、お前が神を冒涜したからだ。お前は、人間なのに、自分を神としているからだ。』

 イエスは彼らに答えて言われた、「・・父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしが神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。」(ヨハネ福音書十章より)

 この箇所でわかるように主イエスがユダヤ人から石で打ち殺そうとされたその原因は主イエスが自分のことを「父と一つである」と言ったからです。それに対してユダヤ人たちは「自分を神としている」と言って非難したのです。そしてそれに答えて主イエスは自分のことを「神の子」であると言っています。

 要するに「神と一つである」ということと「神と同じであるとすること」と「神の子」であるということとは同じような意味であったのがわかります。

 私たちが日本語で「神の子」ということで思い出すようにだれでもが神の子であるならば、決してユダヤ人は主イエスを殺そうとはしなかったはずです。神の子という人を神を汚したとして死刑にせねばならないほどの罪であったのです。

 聖書は二千年も昔の書物であり、しかも日本語でなく、ギリシャ語で記されているので、日本語とは意味が大きく違ってくることがあります。

 マルコ福音書ではその冒頭に「イエス・キリストの福音のはじめ」という文があります。しかしこの福音書の古い多くの写本では「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」となっています。またマルコ福音書の最後に近い部分では処刑されるのを見てローマ人の将軍が「まことにこの人は神の子であった。」(マルコ福音書十五・40)と告白しています。これはマルコ福音書の究極的な目的が「イエスは神の子である」ということを示すことにあったのがわかるのです。

 このことを考えても聖書においては時々私たちが耳にする「人間みな神の子」というような簡単な意味ではありえないのがはっきりとわかります。

 さらにキリストの弟子の代表格であったペテロはイエスのことを

 
「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えています。(マタイ 十六・16

メシアとはユダヤ人が何百年も昔から待ち望んでいた救い主のことです。ペテロは大工の息子にすぎないイエスをばまさにそのメシアであって、神と同じ本質をもったお方ですと直感したのでした。

 このことは決定的に重要なことであったので、主イエスは「ああ、あなたは幸いだ。私のことを神の子と信じることができたのは、人間的な考えによるものでなく、神が直接にあなたに現したからこそ分かったのだ。」と祝福されたのです。

 イエスを神の子であるとわかるのは、理性的に考えたり、教えてもらってわかることではなく、神からの直接の啓示によるというのです。それほど神の子ということの意味は深いものがあるのです。

 主イエスが初めて現れてから、現在に至るまで「イエスとは何者なのか」ということは根本問題となっています。イエスはただの偉人かそれとも人類の救い主なのかという問です。

 イエスが単なる人間でなく、神と等しい本性を持っていることを啓示されることが、人間にとって一生の転機になってきます。それが「イエスは神の子」と告白することなのです。

 以下の箇所を見ても「神の子」という言葉がいかに常識的な意味とは違っているかがよくわかります。

「イエスが神の子ですことを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。」(Tヨハネ 四・1

 イエスが神と一つになっているお方ですということを分かった人、そしてそれを他の人の前で告白するなら、神も共にいて下さるというほどに大きいことなのです。キリスト者であるかどうか、それは「イエスを神の子と告白する人」ですということになります。

だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子ですと信じる者ではありませんか。(Tヨハネ 五・5

 この言葉も同様であって、イエスを神の子と信じることができるならその人と共に神がいて下さるゆえに、この世のいろいろの悪いことから守られるというのです。

舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(マタイ 十四・33

 イエスを神の子として受け入れることは、イエスを神と等しいお方として受け入れることですからイエスを拝したと記されています。

「イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」(マタイ 二十六・63

 イエスを裁判にかけた時、最大の問題はやはりイエスがふつうの人間でなく、神の子なのかどうかということでした。

「ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当ります。神の子と自称したからです。」(ヨハネ 十九・7

 神の子だということは死刑になるほどの重い罪でした。それは自分を神の子ということは神ですということに等しいからです。

「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアと信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためです。」(ヨハネ 二十・31

 この箇所は事実上のヨハネ福音書の最後の部分となっていますのはこの表現によってもうかがえます。(あとの第二十一章は一種の付録だと考えられる)

 ヨハネ福音書が記された目的は、イエスが神の子であるということを信じるためでした。

 以上の箇所でわかるように新約聖書においては「神の子」というのは決して、神が造ったからだれでも人間は神の子だなどという意味には用いられていません。イエスを神の子と信じるかどうかは、永遠の命が与えられるかどうか、救われるかどうか、という最も重要なことにつながっているのがわかります。

 
また新約聖書の中のヘブル書にはヨハネ福音書と同様にその冒頭に、キリストが神の子であるということを述べるとともに、キリストの神性をはっきりと述べています。

 主よ、あなたは初めに、地の基を据えられた。もろもろの天もみ手のわざである。これらのものは滅びてしまうが、あなたはいつまでもいます方である。(一・10〜)

 この言葉は旧約聖書の詩編にあります。そして主とはもちろん唯一の神に対して言われた言葉です。しかしヘブル書においてはそれがキリストに対して言われています。キリストこそ地の基を据えたのであり、永遠の存在であるというのです。

 以上のように新約聖書において、キリストが神の子であるというとき、父なる神と子が異なる存在であるということを言いたいのでなく、逆に神と等しい存在なのであるということを力をこめて語っているのがわかります。

神のものは神に

さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。

彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか、。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」

イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」

彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、

イエスは言われた。「皇帝(カイサル)のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(マルコ福音書十二・1317

 この聖書の記事を初めて読むときには、ローマ皇帝などというのは、二千年も昔のことであり、私たちには何の関係もない話だと思ってしまうかも知れない。

 まず、当時にどんなことが意味されていたのかを考え、その後で、現代における意味を考えてみたい。

 もし、イエスがローマに税金を納めるなら、メシアでないことになる。メシアとは、ローマの支配をくつがえすお方なのであるからだ。それゆえこの問答はたんに権威に従うかどうかの問題だけでなく、イエスはメシアなのかどうかという問題が背後にあった。

 しかし、主イエスはローマに税金を納めよと暗に言われた。ローマに屈服するようなメシアとは当時のユダヤ人には考えられなかった。ローマに税金を納め、ローマ帝国にむざむざと捕らえられ殺される、それがどうしてメシアなのか。

 税金を納め、捕らえられるイエス、そして十字架という最も厳しい刑罰を受けて殺されてしまうイエス、それがメシアなのであった。

 いかなる宗教も、政治もこんな貧しく、弱く見える王はないだろう。イエス・キリストは最も弱く貧しい王であった。

 しかし、こうした弱さの極みに見えることのなかに、最も徹底的に皇帝のものは皇帝に返し、神のものは神に返したという姿がある。

 皇帝のものは皇帝に返すとは、皇帝の権威に従うということを意味する。税金を納めることは、それを命じる皇帝の権威に服するということになる。また、神のものは神に返すとは、税金を納めるからといって、ローマ皇帝を神として仰ぐのでなく、唯一の神への信仰と礼拝はあくまで止めないということになる。

 私たちはこの世で生きるかぎり、どの権威に従うかが重要な問題となる。

親の権威、学校の先生の権威、勤務先の長の権威、地方自治体の権威、国の権威などなど。そうしたすべての権威と全くちがった権威がある。それが神の権威である。

 この世で生きる私たちは、つねにこの世の権威にも従わねばならない側面をもっている。それによって、社会生活の便利さ、安定などの利益を受けている。例えば、道路、警察、学校教育、社会保険、医療などなどである。

 そのゆえに、私たちは政治的、また社会的権威に従わねばならないところがある。

 親の権威に従うのも、親が生まれ落ちたときから、私たちが世話し、数々の面倒なことをもその子供のために行ったがゆえに成長することができたのである。それゆえに、子供は親という権威にも従わねばならない。

 こうした側面はたいていの権威について言える。

 しかし、これらの権威と全く別の権威がある。それが神の権威である。

その神の権威に従いつつ、この世の権威にも従うということが求められている。

 主イエスは、この世の権威である、ローマ総督が決めた判決に従って、十字架を担って歩くこと、その十字架で殺されることを甘んじて受けた。

 しかし、他方で神に従った。神の権威に従ったがゆえに、律法学者や長老、祭司長たちの権威に従わなかった。キリストはこのように、権威者のものは権威者に返し、神のものは神に返すということを徹底的に行ったお方であった。

 この聖書の箇所を読むたびに私に思い出されるのは、西洋哲学の源流にあるソクラテスである。

 ソクラテスは、晩年において、ソクラテスは犯罪人であり、若者を惑わすといって訴えられた。そしてもう明日、死刑になるというとき、その友人が獄舎にやってきて、何とかして死刑を免れて欲しい、獄吏などを金で買収することもできる、今晩中にどうか逃げて欲しい、そうでなければ、いままで、ソクラテスが真理へと導いてきた人々を放置することになるではないか、自分としても助け出せるのにしなかったら非難されるのだといって、ソクラテスを救いだそうとした。

 その時、ソクラテスは法によって死刑の判決が降ったのにそれを正しく指摘する努力をしないで、逃げ出すのは法に従うことをかつては認めていた人間がすることではない。それは、自分が不正を受けたからといって、不正をもって仕返しすることだ。しかし、どんな場合にも不正をしてはならないのだ。

 このようにソクラテスは言って、自分を助けだそうとした弟子(クリトンという名)の説得を断ったのである。悪法も法であるという主張だとして有名である。

 これは、カイザル(皇帝)のものはカイザルに返した例としてみることができる。

 しかし、それだけでなくもう一つの有名な作品である「ソクラテスの弁明」においては次のように言われている。ソクラテスには子供のときから、ある声が聞こえてくるのであって、その声はなにかをせよとすすめることは全くなく、何かいけないことをしようとするとき、それを差し止める声となって聞こえてくるであった。そして、今度の裁判を受けるために法廷に出てくるときには、その声が差し止めなかったという。だからソクラテスは自分が法廷に出向くことは正しいことであり、またそこで自分の考えを明確に述べることにもその天からの声は差し止めなかったから、それは正しいことなのだと判断したと言っている。

 このように、ソクラテスは目には見えないが、神からの声というものに命をかけても従っていく姿勢があった。

 ここに、神のものは神に返すという態度がはっきりと見られる。

 このように、ソクラテスは権威に服従させようとする国家には従って、死刑をも甘んじて受けたが、また他方そのような決断をしたのは、人間でない存在からの「声」に従ったからだということになる。この点で、ソクラテスは神のもの(神への礼拝)は命をかけて返したということになる。

 主イエスはどうであったろう。

 主は裁判の席に立たされたときにも、ローマ総督ピラトがひどく驚いたほどに全く何も言い返そうとはしなかった。その当時の法が定める裁判の決めるままに、いっさいの反論をもされずに全面的に従った。そうしてその判決の通りに最も残酷な刑罰にも服したのであった。ここに、カイザルのものをカイザルに徹底して返した姿がある。

 他方では、主イエスは、逮捕される前夜にはひどい苦しみをもって祈り続けた。

 できることなら、十字架の刑罰を逃れさせてほしい、しかしただ父の御意志をなして下さい!と必死に祈った。それは、神のものを神に返そうとする激しい戦いであった。それは、人間としての弱さをも主イエスは持たれていたためであった。

 そしてその必死の祈りの最後にすべてはただ神の御意志にゆだねるという決断をされたのである。そして処刑された。

 使徒たちは、当時の権威者たちから、キリストの復活のことを話してはならないと命令された。しかし使徒たちは、あなた方に従うより、神に従うといって、復活を証しし続けた。

 信仰者の苦しみと戦いは、神のものを神に返そうとするところにある。自分の楽しみというものを持っていて、それを楽しむだけなら神に返すことがない。

 だが、ここで私たちが考えておく必要があるのは、カイザルのもの、支配者のものといってもそれはじつはもっと大きい視点でみると、すべては神のものなのである。神が一時的にカイザルにゆだねているにすぎない。

 それゆえ、究極的に重要なことは、神のものを神に返すことだということになる。

だからこそ、キリストが処刑されて以後、キリストの復活により聖霊を注がれて、使徒たちが新しい力を与えられて、キリストの復活を宣べ伝えていったとき、彼らは逮捕され、牢獄に投げ込まれたことがあった。そのとき、使徒が言った言葉はつぎのようなものであった。

しかし、ペテロとヨハネは答えた。「神に聞き従うよりもあなた方に従う方が、神の前に正しいかどうか判断してもらいたい。」(使徒行伝四・16

 
ここでも自分のいのちをかけても神のものを神に返そうとする姿勢が見られる。これこそ、キリスト教が世界に広まっていった理由なのである。

 だが、他方このような姿勢は、ときには非常な苦痛をともなうことがある。

すでに聖書において、旧約聖書のダニエル書でも、そのようなことが記されている。

バビロン王は、金の像を造らせてそれにひれ伏して拝むことを命じた。家来は人々の前で叫んだ。「人々よ、この像を拝め、もしひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる。」(ダニエル書三章より)

 このように神に返すべき礼拝を人間が奪い取ろうとすることは歴史上でいかに多くあったことだろう。

 日本においても、キリスト教が伝わって数十年後、一五八七年に出された豊臣秀吉のバテレン(宣教師)追放令から三百年にわたる長い年月の間、この問題のために現在では想像もできないような恐ろしい刑罰が下されることがあった。

 江戸時代には、神のものを神に返そうとするキリスト者たちを根絶するために国家が鎖国という方針をとって外国との関わりを拒絶するほどであった。

 また明治になっても、ふつうの人間にすぎない天皇を現人神とする国家の方針が出されて、真実に神のものを神に返そうとする人々を苦しめてきたのであった。

 この一見すると、個人の内面の問題にすぎないように見える問題がいかに国家、社会を揺るがすほどの大きい問題をはらんでいるかがうかがえるのである。

 以上のような歴史的、また社会的問題となる一方で、この問題は個人の日々の生活にもふかく関わっている問題である。

 神のものを神にかえす、この短い言葉はじつにさまざまの内容を含んでいる。キリスト教会でずっと行われている献金ということも、はたらいて得た報酬の一部を神に返そうとすることである。いろいろの奉仕もよきわざも同様である。日曜日を何とかして神への礼拝として用いようとすること、ほかの趣味やスポーツなどよりも優先して日曜日の礼拝に参加しようとすることは、神のものを神に返そうすることである。

 しかし、よく考えてみると、私たちのものだと言えるものはあるのだろうか。職業から得られる報酬(お金)にしても、健康がなかったら、そうした報酬はない。その健康はいくら自分で気をつけていても、突然の事故や病気で失われる。それはどんな人も自分を超えたものの力で守られてはじめて健康な状態を続けることができる。

 私たちの健康もからだも心もみな神のものなのである。神こそが万物を創造し維持しているのだから。

 それゆえに、私たちが神のものを神に返そうとするとき、例えば、収入の十分の一を献金したらそれで十分ということでなく、私たちが神のものであるということがわかればわかるほど、すべてを捧げるということが究極的な意味で神のものを神に返すことなのだと知らされる。

 だからこそ、聖書では「あなた方のからだを聖なる捧げものとして神に捧げよ」(ロマ書十二・1)と言われている。

 ここでいう、「からだ」とは単なる肉体のことでなく、肉体と心、精神などもあわせた全体としての人間であって、私たちの全体を神に捧げよということである。それは日々の生活そのものを神に捧げたものとして送るようにとの意味である。

 現代の問題は、カイザルのもの(政治的権威あるものの支配)をカイザルに返すことはしても、神のものを神に返そうとする姿勢がないということである。

 それは、そもそも神のものがあるということも知らない人が大多数となっていて、みんな自分のものだと考えている。

私たちは真の道からそれるとき、いつも神のものを自分のものと錯覚する。

 主イエスは神殿において、激しい態度をもって、そこで商売している人たちを追い払い、その机をひっくり返すほどの厳しい態度を表された。それは神のものを神に返そうとせず、かえって神に礼拝する場所で自分の利益をむさぼっていることがいかに罪ふかいかを全身でもって指摘するためであった。

 私たちの罪というのは要するに、神のものを知らず自分のもの、あるいは他者である人間のものと思いこむところにある。

 旧約聖書のヨブという人が、自分の財産や子供たちを思いがけない事件が起こって失ったとき、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記一・21)と言った。

 ここには、自分の財産や家族といえども自分のものでなく、神のものであってそれを失ってもそれは神が人間にはわからない深いご計画をもって取り去られただけなのだという考えがある。

 今持っているものも実はみな神のもの、神からゆだねられているにすぎないのであって、必要なときには神が取り去られると思っているとき、私たちから何かがなくなっても、平安を持ち続けることができるだろう。

 そのような自分のものなど実はないのだと感じている心こそ、主イエスが言われた「心の貧しい者」であり、そのような心にこそ、神の国は与えられると約束されているのである。

休憩室

手話辞典、ろう教育とキリスト教

 日本で最もくわしく、内容的にも今までと違った考え方で作られたもので、日本の代表的手話辞典といえるものが数年前に、発行されました。

 それはこの編者の一人のキリスト教会での出会いからでした。著者の米川明彦氏(大阪・梅花女子大学教授)は、教会において、ある聴覚障害者の女性と知り合い、その女性から手話への関心を強められていきます。そして米川氏は手話に関する論文で博士号を取るほどに手話の世界に深く入って行きました。そうして全日本ろうあ連盟が決定した本格的な手話辞典をつくることになり、それの中心メンバーとなって加わったのです。

 日本の代表的な手話辞典も、その生み出される背後にキリスト教があったのがわかります。

 また、日本の聴覚障害者が全国で統一的な指文字を使っています。それはいつごろ、だれが考案したかというと、戦前の大阪市立ろう学校の校長であった高橋潔が、部下をアメリカに派遣して、アメリカの指文字を取り入れ、それをもとにして、さらに日本で作った指文字を組み合わせて完成されたのが、現在ひろく全国で用いられている指文字です。一九三一年のことでした。高橋も、アメリカに派遣された部下もともにキリスト教の大学である東北学院の出身でした。

 高橋潔は、今から七〇年ちかく以前、全国が手話による教育を否定して、口話教育(*)に全面的に傾斜していくなかにあって、手話の重要性をはっきりと認識していた人でした。そうした流れの中で、大阪市立ろう学校は、ただ一つだけ手話をも重視して教育を続けたろう学校であったのです。その高橋潔はキリスト者でした。

*)口話教育とは、発語、補聴器による耳の訓練、読話(唇の読みとり)を重んじる教育で長年、手話による教育と対立するものとして見なされてきました。しかし、私自身のろう学校教育の経験ではその双方が必要なのであり、互いに補いあうものです。手話だけでは、声を出して話すこともできなくなり、日本語をきちんと身につけることはできません。また、口話教育だけでは、それについていけない多くのろう者を見捨てることになり、また、互いの会話も十分にできず、互いの心情が十分に伝わらなくなります。口話だけでは、楽しい会話、長時間の会話など到底できないのです。

 また、世界で最初の手話はフランスのレペ神父が考え出したと言われてます。

 このように、手話もキリスト教との関わりが深くあります。

 他方、手話による教育と対立してきた感のある、口話教育はだれが取り入れたのでしょうか。それは、A・K・ライシャワー夫妻でした。(*

 
ライシャワーはアメリカから日本にキリスト教を伝えにきた、宣教師でした。彼らに聴覚障害の娘が生まれ、その娘の教育のためにアメリカに帰った母親がアメリカのろう教育によって身につけたのが口話教育であったのです。それを日本に持ち帰って、日本聾話学校を設立し新しいろう教育法として広めていきました。

*)ライシャワーは一九〇五年来日。明治学院で教え、東京女子大学や日本聾話学校の創設に中心的役割を果たしました。次男のエドウィン・ライシャワーは駐日大使でした。

 それから次第に口話教育は日本のろう教育に広がり、手話は悪としてろうあ者の教育の世界から追い出されていきました。

 現在、相当数のろう者が一般の人と会話が何とかできるのは、ひとえに口話教育の成果といえます。もし、幼児期から手話だけしか使わなかったら、到底そのように発声もできず、手話を知らない健聴者と話すこともできなかったのです。この点で口話教育の批判をする人も口話教育がいかに重要な意味を持っていたかを十分に認識しないで言っている場合も見受けられます。

 しかし、口話主義をあまりにも強調しすぎて、ろう者の母国語というべき手話を否定し、禁止したために、唇の読みとりがうまくできない聴覚障害児たちは、ろう学校の授業がわからず、事実上、見捨てられるようなことまで生じていきました。

現在では、そうした状況の反省に立って口話か手話かのいずれかだけが重要なのだという議論でなく、そのいずれもがろう教育には必要であるという考え方が多く受け入れられるようになってきています。

 このように、ろう教育において六〇年にわたって教育の柱であった口話教育も、またそれ以前からあった手話による教育も、いずれもキリスト者が深く関わっていることに驚かされるのです。

お知らせ


今年の四国集会は六月五日(土)の午前十時から、六月六日(日)の午後四時までの日程で徳島市で開催されます。今年は、従来よりもより広い範囲のかたがたに呼び掛け、一部の発題や証しをもお願いしました。参加者は四国以外では、十を超える都道府県からとなっています。

 また、視覚、聴覚、肢体、知的などいろいろな障害者も参加予定です。そのような多様な地域からの人やさまざまの障害をもつ人たちがともに主イエスのもとに集められ、聖霊によって導かれ神の言の学びや讃美を共にできますよう、そして神の栄光があがめられますように祈っています。

ことば

98)私どもは、たとえ命に関わる場合でも、嘘をついてはならないのです。それが私どもの教えで、心をこれに合わせていきたいのです。

・・私たちを見て下さい。私たちには、別れもないし、苦しみや悲しみもありません。そういうものが起こってきてもやがて喜びに変わります。

 あなた方には命の終わりになっている死が、私たちには、ただ命の始めですし、さらにみじめな幸福からもっといい幸福、不安な幸福からもっと安心な永遠の幸福に変わることです。

 敵に対してさえ憐れみを命じ、嘘を禁じ、私たちの魂を悪から清めて死んでからも絶えることのない幸福を約束する教えがどういうものか考えて下さい。・・そうですとも。キリストを信じていて不幸になるわけがありません。(「クォ・ヴァディス」(*)中巻第四章のリギアの言葉より)

*)ポーランドの作家シェンキェヴィチ作。一八九六年刊行。ローマ帝国のネロ皇帝による迫害の時代におけるキリスト教徒を題材にした小説。著者は、一九〇五年ノーベル文学賞授賞。パウロやペテロも現れ、信仰とそこから生まれる愛によって敵すらも変えられ、悪が克服されていく。

99)どんなに敬虔な熱心な人でも、時として恵みが退くことを経験し、あるいは熱心が減じるのを感じないような人をわたしは知らない。どんなに深く喜びにひたり、光を受けた聖徒でも、先か後に誘惑をうけなかった者はいない。しかし、誘惑で試練を受け、それに勝利した者には、天の慰めが約束されている。(「キリストにならいて」第二編九章より トマス・ア・ケンピス著)


1999/5