今月の聖句

暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。

(マタイ福音書四・16

外と内の変革    2000/12

 政治が変わらなければという言葉はよく見たり聞いたりする。しかし、政治とは日本という大きい集団の方針などを扱うことだが、政治が変わらなければと言いつつも、自分が変わらないなら、全体としては変わるはずがない。
   自分は変わらないでいて、周囲の社会、政治が変わって欲しいというのは、甘い考えである。それなら、自分に都合のよいようになって欲しいということと同じである。
 そして自分が変わらなければ、どんなに政治が変わってもやはり本当の満足は決して得られないだろう。人間の深い満足は外側の変化によっては決して与えられないからである。
 政治が変わる、変わらないに関わらず、私たちは自分が変えられることはできる。はるかな遠い古代から、現代にいたるまで、つねに社会や政治は理想的な状況であったことはない。いつも不正や裏切り、一部の者の欲望がはびこり闘争が絶えない。
 いつになっても外の世界の本質は変わらない。変わったように見えても表面だけである。人間の欲望が変わらないなら、その同じ人間が政治家を選ぶのであるから、そこで選ばれる政治家たちも変わらない。だから政治も変わらない。
 このような繰り返しを断ち切る道は一つだけ、外を第一に変えようとせず、私たち一人一人がその内部を変えていただくことである。
 キリストはじつはそのためにこの世に来られた。一人一人の魂の奥にある闇、罪という闇に光を与えるため、そしてその闇からあがない出すために来られたのであった。
 変えていただいた上で、外にも目を向けていく。そしてできることを信仰によって手がけていく。
 そこから必ずその人の周辺で何かが生じる。
 そして、最終的には、神が万事を最善にして下さるという約束を信じて委ねていくことができる。それは神とキリストの万能を信じる者に与えられた大きな恵みである。

神を実感すること

 信仰を持つ、それは見えないものを信じることです。神は目には見えない、しかしその存在を信じる。キリストが二千年の昔に、十字架で処刑された、しかし今も生きて働いているというそのことを目には見えないけれども、それをも信じる、また私たちの罪をぬぐい去ってくれたということも目には見えないがそれをも信じる、さらに、死んでも私たちはなくなったのでなく、神のいのちを頂いて復活するということ、それも目にみえない。
 世の終わりのときにキリストが再び来られて、一切を新しくするという壮大な内容も今はだれも見ることはできません。
 このように、信仰とは、とにかく目に見えないことを信じることだと思っている場合が多いのです。
 もちろんその通りです。
 しかし、私はキリストを知らされたとき、その直前にある種の「静かな細い声」といったものを感じたことが出発点にありました。
 それゆえに、神がおられることは、単にいるかいないかわからないが、とにかく信じているということでなく、魂の奥深くで実感できることであったのです。
 母の愛、心から信頼できる友人の愛、また異性の愛などの人間どうしの愛は、遠くに離れていても実感できるはずです。
 同様に、神もそれ以上に実感できる存在なのです。聖書に記されている人たちは、漠然とした実感どころか、「私の示す地に行け」などと、語りかけたその声と具体的内容まで聞き取っています。
 神とその愛を実感するというところに、信仰生活があるということは多くの人たちが語っていることです。ここでは、アメリカの奴隷解放のときに、大きい影響を及ぼした ストー夫人の名著「アンクル・トムズ・ケビン」のなかの一部を取り出してみたいのです。
 トムが奴隷として売られて行った先の家では、愛する娘(エヴァ)を失って悲嘆にくれるその家の主人(セント・クレア)がいます。しかし彼は娘が深い信仰を持っていたにもかかわらず、どうしても神を信じることができないという場面です。 「トム、私は信じない、信じられない。私はなんでも疑うくせがついてしまっているのだ。聖書を信じたい、しかしだめだ。」 ご主人様、愛の深い主にお祈りなさいませ。
・主よ、信じます。私の不信を救って下さい・、と。
 ・中ヲエヴァも、天国も、キリストも、何もない。」 「ああ、旦那様、あります!私は知っているのです。本当です。」トムはひざまづいて言った。 「信じて下さい、旦那様、どうか信じて下さい!」 「どうしてキリストがいるっていうことがわかるんだ。トム? お前、見たことなんかないじゃないか。」 「私の魂で感じるのです。旦那様、今だって感じています!ああ、旦那様、私は年取った女房や子供たちから引き離されて売られた時には、悲しみのあまりほんとにもう少しで死んでしまうところでした。何もかも奪われたように思ったからです。そのとき、恵み深い主が私のそばに立って言われたのです。
・求[れるな、トム!
・  主は、哀れな物の魂に光と喜びを与えて下さいます。あらゆるものを平和にして下さいます。
・中ヲ私は哀れな人間ですから、私からこんな考えがでてくるはずはないのです。主から出た考えなのです。」  トムは涙をぽろぽろ流しながら声を詰まらせて話した。
・中ヲセント・クレアは頭をトムの肩にもたせかけ、その堅い、忠実な黒い手をしっかりと握った。「トム、お前は私を愛してくれるんだね」と彼は言った。「私はお前のように、心の善い正直な心をもった人間の愛などを受ける値打ちなどないのだよ。」 「旦那様、私よりもずっと旦那様を愛しているお方がいますよ。恵み深いイエス様は、旦那様を愛しておられます。」 「どうしてそれがわかるんだ、トム?」 「私の魂の中でそれを感じるのです。
・キリストの愛は人知を超えるもの」なのです。」 (「アンクル・トムズ・ケビン」第二七章より)  なお、ここで、この作品についても二人の著作家の評価を引用しておきます。  このストー夫人の名作は、ロシアを代表する大作家トルストイが、その芸術論で、「神と隣人に対する愛から流れ出る、高い、宗教的、かつ積極的な芸術の模範として、シラーの「群盗」、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」、ディッケンズの「二都物語」、ドストエフスキーの「死き家の記録」などとともにあげている。(「芸術とは何か」第十六章)  また、ストー夫人やトルストイとも同時代であった、スイスのキリスト教思想家ヒルティも、この作品については、こう言っている。
 あなたはどんな本を一番書いてもらいたいと思うか。この場合、聖書の各篇は問題外としよう、同じくダンテも競争外におこう。・中ヲ  わたしの答えは、ストー夫人の「アンクル・トムス・ケビン」、デ・アミチスの「クオレ」、テニソンの「国王牧歌」である。 そのあとに、ゲーテ、シラー、カーライルなどの幾冊かの本がつづき、ずっとあとに、たとえばカントやスベンサーがやって来る。(「眠れぬ夜のために下」七月十六日の項より」
 このように、黒人奴隷のトムが家族からも引き離され、家畜のように売り買いされ、過酷な労働に使われてもなお、深い愛の心を保ち続けられたのは、ひとえに、神とキリストを心に実感して、その生きて語りかけ、力を与えるキリストとの交わりのうちに生きていたからであったとされています。
 しかし、これは聖書では当然なことですが、強調されていることです。 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(Tヨハネ一・34)  神やキリストとの交わり、それは実感することです。単にいるかどうかわからないが、信じているというのとは大きい違いがあります。実感があるからこそ、そこに喜びが生じるわけです。

記念会ということ

 十二月のはじめ、静岡にてある方が召されての一周年記念の会で話をする機会が与えられた。ちょうどその次の日に静岡地区合同のクリスマス講演会にて話すことになっていて、静岡に行くので、そのときにと依頼を受けたことであった。
 キリスト者の場合は、神がとくに呼び出されてキリストを信じる者とされたのであり、その人が召されたことを思い起こすとき、とくに私たちは、神がその人を通して何をされようとしたのか、そして私たちに何が遺されたのか、何を受け継いでいくべきかを考えさせられる。
 神を信じ、キリストによる罪の赦しを受けてこの世を去った人はその存在が消えて無くなったのでなく、霊的な存在へと変えられたのである。使徒パウロは、死ぬとは、「天から与えられる永遠の住みかを上に着る」とか、「体を離れて、主のもとに住む」(Uコリント五章)と言っている。
 私たちは地上を去った人たちは神が最善にしてくださったと信じて委ねて、今生きている人が少しでも神に立ち帰ることを願っていきたい。だれでもいつかは必ずこの地上を去っていくのであり、召された人のことを思うことは、そのまま自分自身の前途にある死というものを見つめることでもある。死を見つめるときに、死んだらもう万事終わりなのか、それとも新しい世界へ導かれるのかということが最大の問題となる。  聖書にはその死を超えて働く力があるとはっきりと記されており、神を信じる者にはその力がすでに、与えられていることの重要さがあらためて感じられてくる。
 地上を去った人の記念会はその人が生きた歩みを覚えることであるとともに、その人をそのように導かれた主を思い、神とキリストを改めて思い起こす会でもあると言えよう。

大なる導き

 私たちのこの世で生きることは、時には非常に困難なことがあります。多くの人は、その生涯でもう死にたい、早くこの世から去らせて下さいと願い、思ったことが一度や二度はあると思います。
 そんな気持ちになったことはないという人も、残る生涯に生じる病気や、孤独、人間関係の苦しみなどでそのような気持ちが生じる可能性は濃厚です。
 元気なときには想像もできないような、激しい苦しみが襲ってくることは私たちの周囲にもいろいろと見られます。
 そのような苦しみと悲しみの満ちたこの世にあって、どのように生きるべきかは少しでも精神的に目覚めた人はだれでもが真剣に考え始めることです。
 そのようなこの世を生きていくときに二種類の生き方があります。 人間に従う道  一つは、人間の考えに従って生きることです。それは、伝統、習慣、周囲の考えかた、あるいは自分の考えなどいろいろです。伝統や習慣というのは、ずっと過去の人間のの考えや生活がしみこんだものです。多くの人たちは、このように自分の考えかもしくは他人の考えで生きていると言えます。
 携帯電話の流行とか、最近の高校生の乱れた生活姿勢なども、自分で考えたことというより、まわりの人間の考えや生活に動かされてやっているという側面が強いのです。あるいは、大学進学とか就職などもまわりの人たちの考えに動かされることが多いと言えます。
 政治の世界を見ると、首相といった立場の人も、自民党内部の評価や国民の世論に動かされています。
 宗教の問題にしても、同様で神社とか死人の供養といったことも、やはり本当に自分の内からの深い考えでしていることではなく、伝統とか習慣、まわりの人たちの考えに流されていると言えます。
 そうした伝統宗教に問題を感じて新しい宗教を言い出す人もいますが、オウム真理教のようにそうした人たちも自分のいろいろの欲望すなわち名声欲、権力欲など人間的な考えでやっていると思われる例も多くあります。
 そしてそのような宗教に入る人たちは、やはり自分でしっかり考えるのでなく、その教祖という人間の考えに引っ張られていくのです。
 そのような他人の考えや団体には引っ張られない、自分の独自の考えで生きていくという人もいます。しかし、自分の考えや意志の力で、悪に負けないで生きていくということは至難のわざです。そもそも自分の考えだけでは、何が正しいか、間違っているのかわからないこともしばしばあります。太平洋戦争の時など、精いっぱい自分で考えた人でも、あの戦争を、聖なる戦争だと固く信じてやまなかった人が大多数でした。天皇はただの人間であるのに、現人神であるとまで教えて、間違いを国民のほとんどが信じていたのです。

科学技術に頼る道 、人間が生み出した科学技術を信じるべきか。科学技術は発達するほどに便利にはなっても、それが思いがけない危険や有毒物質を生じたりすることがつねにつきまとう。それは到底全面的に信頼できるものではないのです。
 また、科学技術の世界でも、あのときに阪神大震災が起きるなどど予見できた人はだれもいなかったし、高速道路があのようにもろくも崩れるなどは決してないと専門の技術者は確言していたのです。この世は人間の考えや意志で正しく歩くことができないほどに複雑で奥深いのです。交通事故にしても、いったいだれが好き好んで事故を起こして重傷を受けたいとするでしょうか。しかし、それは生じてしまうのです。
 近ごろ問題となっているフロンなどによるオゾン層破壊の問題にしても、そのフロンは一九三〇年代に初めて作り出されたもので、これは、最初は毒性が低く、科学的にも安定なので、冷蔵庫などで熱を運ぶ物質(冷媒)としてきわめて有用であったので、奇跡の物質とまで言われたほどです。当時は、この物質が製造禁止にせねばならなくなるとはだれ一人想像もつきませんでした。このフロンは、オゾン層を破壊して、人間の健康に重大な悪影響を与え、さらには二酸化炭素の数十倍から一万倍もの温室効果をも持つという性質がありことがのちになって判明したのです。
 フロンの問題は、一九七四年に、カルフォルニア大学の学者がフロンによるオゾン層破壊を指摘してから注目されるようになったのです。
 農薬汚染にしても、DDTやBHCなどの有機塩素化合物が広範な領域にわたって生物体に濃縮されて生物の命を脅かすなどということも、それらの薬品が作り出されたときにはだれも思いもよらなかったのです。
 例えば、DDTは一八七四年にドイツの科学者によって合成され、一九三八年にスイスのミュラーによって殺虫剤としての効果が発見されました。その功績のため、彼はノーベル一九四八年度のノーベル生理医学賞を受けています。しかし、その間の数十年の間に世界的に莫大な量のDDTが製造され、まき散らされていきます。
 そして初めて作られてからおよそ百年後の一九七一年には、日本では使用禁止となりました。発見から百年という歳月が使用禁止までには必要とされたのです。
 こうした有機塩素化合物が生物体内に蓄積され、動植物や人間に重大な悪影響をもたらすことを初めて精密な資料を駆使して発表したのが「沈黙の春」を書いた、レーチェル・カーソンでした。この本は一九六二年に出版されて以来、科学書としては稀なことですが、四〇年近くを経た今日でも多くの読者を持っています。この本は、環境問題の重要さに目覚めさせたのです。アメリカの大統領であったケネディもこの本によって政府はこうした有機塩素化合物の問題について研究をを始めたと言っています。
 このように人間の考えというものは、決して未来のことを正確に予見できない。それゆえ私たちが自分にせよ、他人にせよ人間の考えに全面的に頼っている限り、私たちの心は揺れ動く波のような状態にとどまるのです。 神に逆らう者は波の荒い海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。神に逆らう者に平和はないとわたしの神は言われる。(イザヤ書五七・2021)  もし、私たちが神を信じないなら結局人間を信じるしかありません。しかし、人間は実に変わりやすい。先日の自民党の混乱も直前まで言っていたことが土壇場でひっくりかえってしまった。
 このように信頼するものがないということになると、いったい何を私たちは信じていくべきか、ということになります。  次々と生じる未知の問題に対しても対応できる生き方とは何であるのかが根本問題となります。

神に導かれる こういう不信と疑惑の満ちた世界にあって、数千年も昔から、それらあるゆる悪や混乱にもかかわらず、真実と愛に満ちた神、しかも万能の神、宇宙を創造した神を信じるという人たちが起こされてきました。
 それが聖書に記されている信仰の道です。そしてその神に導かれる歩みがあるということです。
 この神の導きは聖書に随所に記されています。聖書とは、言い換えると神の導きとは何かという書物だからです。
 その一つを聖書のなかに含まれている詩集で見てみます。聖書の詩集は詩編といわれます。
 旧約聖書で最も愛されている詩は詩編二十三編です。それは、短いけれども、深い意味を宿しています。そこにある基本的な内容は、神の導きということであり、その導きにゆだねることから与えられる祝福がその内容です。
 この詩編は真珠であるとスパージョンは述べています。また、内村鑑三も同様なことを書いています。
 この詩の冒頭で、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」とあります。羊飼いとは、羊を導く者です。ここで導きの人生ということが簡潔にしかも美しい言葉で表されています。
 この最初の一言は、すべてを凝縮しているとも言えます。主がわたしを導く羊飼いであるから、その導きに委ねていくとき、さまざまの苦しみや困難があろうとも、それらをすべて超えて導いて下さる、そしてその過程でも、そうした苦しみを通り過ぎた後においても、豊かな神の国の賜物を下さる。それは心の平安であり、喜びであり、自分の最も深いところが満たされたという深い実感なのです。 主はわたしを緑の原に休ませ、 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
 ここには、牧歌的な情景がまず思い浮かびますが、決してそのような甘い内容ではなく、涙の谷、死の陰の谷を行くこともあるということを知っていたし、敵対する人にねらわれて危険な状況に陥ることも経験済みであったことがうかがえます。
 神の導きを受けるとは、そのように苦しみも悲しみもあり、命の危険すらあります。しかしそのような中でも、この詩人が最後に述べているように、慈しみや恵みが後を追ってくるというほどに、神から受けるものは確実であるという深い実感を持っていたのです。   それでは、こうした経験を与えられた人たちにはどのような人たちがいたのでしょうか。

ソクラテスと導き キリスト教を知らなかった、ソクラテス、プラトンも人間の理性以上のものに導かれる生活を知っていた、というより、それを生き方の根源としていたのです。それは、ソクラテスの最後を書き記した「ソクラテスの弁明」に記されています。 「わたしにいつも起こる、神からのお告げというものは、これまでの全生涯を通して、いつもたいへんしばしば現れて、ごく些細なことについても、私の行おうとしていることが、正しくない場合には、反対したのです。しかし、今度、私の身に起こったことは、あなた方も親しく見て、知っておられる通りのことなのであって、これこそ災の最大なものだと人が考えるかも知れないことであり、一般にはそう考えられていることなのです。しかし、その私に対して、朝、家を出るときにも、神の合図は反対しなかった。また、この法廷にきて、この証言台 立とうとしたときにも反対しなかったし、弁論の途中でも、私が何かを言おうとしているどんなときにも反対しなかったのです。しかし、他の場合には、話をしていると、あちこちで私の話を途中から差し止めたのです。ところが、今回は、いまの事件に関する限り、行動においても、言論においても、私は反対を受けないでいる。それは私にとって善いことだったということらしい。死ぬことを災いだと考えているなら、そうした私たちのすべての考えは間違っている。私に起こったことがその大きい証拠なのです。なぜなら、神の合図が反対しなかったということは、私がこれからしようとしていることが、何か私のために善いことでなかっなら、決して起こり得なかったことだったのです。」(ソクラテスの弁明40A-C
 この言葉を見てもわかるのは、ソクラテスは哲学者の根源にある人物であって哲学は理性を用いる思索だと考えられているのに、彼は究極的な判断はじつは理性的な思考でなく、神からの声に従うことであった。神に導かれて証言台に立っているのであって、死を恐れないで最後まで弁論したのも、神の導きを確信していたからであった。
 それほど私たちは人間を超えた存在によって導かれることが重要なのである。 「死というものに対して、よい希望を持ってもらわなければならない。善き人には、生きている時にも、死んでからも、悪しきことは一つもないのであって、その人は、何と取り組んでいても、神の配慮を受けないということはないのだという、この一事を真実のこととして心に留めておいてもらわなければならない。」(ソクラテスの弁明41D

聖書の人物に見られる導き 次に聖書に記されている人物について、いかに神に導かれたかを見てみます。
 導かれるといっても、目に見える人間とか物質でないなら、何によって導かれるのでしょうか。それは、私たちの魂の奥深くに語りかけられる神の声です。静かななる細き声に他なりません。アブラハムやモーセも、そしてキリストの弟子たちも、パウロも同様です 聖書で最も重要な人物の一人である、アブラハムはキリスト教だけでなく、ユダヤ教、そしてイスラムにおいても信仰の模範とされています。これらの宗教に共通して重んじられているために、今日では全世界にアブラハムの影響が及んでいるとも言えます。
 その生涯の出発点は、神からの呼びかけを受けて、それに従うこと、神の導きにゆだねることでした。神の言に従い、神の声を聞くということは、すなわち導きの生活に入ることです。
 時にはアブラハムすら、神の導きがどんなに深いものかわからず、子が生まれずに苦しんだのちに老人となり、もはやあきらめていたときに神からの言葉によって子が与えられると言われました。しかし、アブラハムや妻のサラもそれを信じなかった。それは、神はそんな方法では導かないと思っていたからです。自分はもはや子など与えられない、神は子を持てない、いやな人生へと自分たちを導かれたのだという気持ちになっていたといえます。しかしアブラハムのような信仰に生きた人であっても、なお、神のご計画はわからなかったのです。
 アブラハム夫妻が子どもが与えられないという苦しみを通ってのちに子を与えるという仕方が神の導きであっのです。
 アブラハム以前にも神は導かれていたのですが、それははっきりとは現れてこなかったと言えます。しかし、アブラハムにおいてはっきりと始まったのです。そしてアブラハム以来、現在に至るまで、連綿として神の導きは絶えることなく続いてきました
。  アブラハムの影響力の大きさは、彼が特別な能力や才能を持っていたとか、武力を駆使して征服したということでなく、彼が唯一の神に導かれる人生にかけたことによる。
 モーセにおいても神の導きは、はっきりとしています。彼は自分の力で同胞を救おうと試みたあげく、遠く離れたミデアンまで命からがら逃げて行きます。その過程では、砂漠を文字どおり死の蔭の谷を歩むことになり、孤独な嘆きの谷を生きるか死ぬかというところで逃げて行きました。
 そしてそこで知り合った女性と結婚し、平和生活をしていたとき、一人荒野を羊を飼いつつ生活していたとき、当然神が現れたのです。そしてそこからモーセは初めて大いなる導きの生涯へと移って行きました。それまでも神はモーセを導かれていたのですがモーセ自身はそのことを知らなかったのです。
 そこから実に困難な、そして危険な生涯が始まりました。何一つ武力も権力もなく、たった一人で神から呼び出され、そしてその静かな細き声に従って行ったのです。
 モーセは自分には到底そんなことはてきない、言葉で相手に説得もできないと強く拒みましたが、神の強い御手によって妻子との平和な家庭での生活から引き出されたのでした。
 モーセが神の導きにゆだねたときから、彼の生活は困難と危険のただなかを歩むことになりました。せっかく救いだした同胞であるイスラエルの人たちは、砂漠地帯での移動ということにつきまとったあまりの苦しみのため、しばしばモーセに反抗し、殺そうとまでしました。
 その都度モーセは、神への必死の叫びと祈りによって神からの助けを受け、死の蔭の谷、涙の谷を導かれて行ったのです。
 神がモーセを導き、そのモーセが人々を導いて、ようやく目的の土地であるカナンに着いたのですが、目的地に入る直前、モーセははるかにその乳と蜜の流れる地、約束の地を遠くより見つめてそこで導かれる生涯を終えたのでした。

 パウロについて神の導きとはいかなるものであったかを見てみます。
 パウロは、ユダヤ人としてのきびしい教育を受けました。熱心に神に使えたと言っています。(使徒行伝二十二・3)  しかし、そうしたパウロが受けた教育は、神が送られた真理そのものであるキリストを受け入れることについては全く役に立たなかったのです。パウロはそのことをつぎのように言っています。 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらを塵あくたと見なしている。(ピリピ書三・8
 パウロは自分の力で考え、実行している力を持っていました。だから大祭司に許可をもらってわざわざ国外にまで出かけていってキリスト教徒を捕らえようと考えたのです。しかし、それは神に導かれる生活ではなかったのです。迫害に向かう途中でキリストの光を受けたパウロは初めて自分の考えとか意志でなく、人間を超えた意志によって動かされる経験をしたのです。
 パウロは、復活した主イエスからの呼びかけを初めてはっきりと聞き取ったのです。そして「わたしはどうしたらよいのですか。」と尋ねたところ、主イエスは「立ち上がってダマスコへ行け。そこでなすべきことが知らされる。」と答えました。その言葉に従ってダマスコに行ってそこで神からそのことを知らされていたアナニアという人が祈りをもって手をパウロの上に置くと、目からうろこのようなものが落ちて目がはっきりと開かれました。
 こうしてさらにパウロは、主からの「急げ、すぐにエルサレムを出て行け。・中ヲ行け、我はあなたを遠く異邦人のために遣わす。」(使徒行伝二十二章より)
   という具体的な命令を受け取ったのです。このようにして、パウロにおいてキリストに導かれる新しい人生が始まりました。
 パウロはキリスト教の歴史において最も重要な人で、キリスト教がヨーロッパの宗教と言われるほどに短期間でヨーロッパに広がったのも、パウロ自身が、ヨーロッパの東方たるギリシャ地方にて熱心にみ言葉を宣べ伝えたからです。
 このように彼は決して、自分の意志でキリスト教伝道を志したのではなかった。自分の意志は反対のこと、キリスト教を撲滅しようとすることでありました。最大の使徒であったパウロにおいて、人間の意志と神の意志がいかに対立するものであるかがはっきりと示されています。
 このように、偉大なる使徒パウロと言われますが、じつはパウロを動かした主イエスこそ真に偉大なお方なのだとわかります。  ペテロはイエスの生前においてすでにイエスから呼ばれ、それまでの職業を捨てて、キリストに従って行ったのです。そしてイエスの導きを第一にするのを忘れて自分の考えを主張したとたんに、サタンよ退け!と厳しい叱責の言葉を受けたこともあります。
 また、その後も救いはただ信仰によるという重要な真理において、ユダヤ人特有の宗教的儀式(割礼)が必要だという考えに傾いていったとき、パウロから厳しく人々の面前でしかられたこともあります。
 けれども、最終的には、復活の主イエスが言われたように、キリストによる導きの生涯を送り、最後は殉教するということまで預言されているのです。 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネ福音書二十一・18
 このように、神の導きによって生きることを始めた人も、途中で自分の考えや利得によって生きる方を選ぶことがあります。その時には神は何らかの人や出来事を通して警告を発して神の導きにあくまで従うようにされるのです。

歴史上の人物と導き このような聖書の人物以外にも、神の導きに従って歩んだ人は多くいます。キリスト教とは、生きて働く神の命を受けて、その神の導きに生きることです。
 歴史上でそのよき働きで広く知られている人たちというのは、じつはそのような神の導きのままに生きた人だと言えます。
 例えば、女性で最も知られているのはもちろんマリアですが、それについではジャンヌ・ダルクや、ナイチンゲール、ヘレン・ケラー、現在の人ではマザー・テレサといった人たちがあります。これらの人はみな、神の導きを深く体験したのです。
 ジャンヌ・ダルクは、ただの羊飼いの少女にすぎなかったが、十三歳のときに、神からの声を聞いて、それが強い力をうながすことを止めなかったので、ついにフランスを救うために、四百キロの道のりを出発したのです。そして男装をしていたことも、それも神の命令によると答えています。「私の行いはすべて神の命令によるのです」と。
 このように、ジャンヌは神の導きによって、砦に梯子をかけて登ろうとしたとき、矢を首に受けた、にもかかわらず、十五日以内でなおったし、その傷を受けたのちも馬にのったり、働くことをやめはしなかったと裁判のときに証言しています。
 そして捕えられ、一年ほどの苦しみのなかで神の声が嘘であったことを認めるような気持ちになった、しかしすぐそのあとで、悔い改め、火刑に処せられたのです。  さらにナイチンゲールについては、看護の世界で知らない者もない人です。彼女もまた、その生涯の初めにおいて神の声によって導かれた人でした。一八三七年、彼女が十七歳になる少し前に、「私に仕えなさい」という神の声をベッドの上で聞いたのです。それが後の彼女の大きい働きの原点でした。看護という仕事の重要性はだれもが知っています。彼女は看護は科学であり、芸術であり、専門的職業であるとして近代看護の基礎と専門職としての看護婦の地位を確立したという意味できわめて重要な意味を持っていますがそのような働きへとうながしたのが、少女のときに聞いた神の声であったのですから、いかに神の直接的な語りかけが大きい結果を生み出すかを知らされます。そしてその神に導かれて生きたわけです。
 ルターは宗教改革を開始した人で、世界の歴史にも重大な影響を及ぼしました。ルターに続くカルバンの流れを汲むキリスト者たちが、アメリカに渡り、最初の植民地を建設することになり、現在のアメリカにつながっています。  このルターは大学に入って死にそうになる出来事が二つありました。一つは自分が腰にさげていた剣の先が足にあたって、動脈が切れて多量の血が流れ出ました。意識不明になるほどで死にそうになったとき、「マリア、助けて下さい!」と叫んだとあります。
 このことの他に、夏の野原で激しい雷雨に出会い稲妻がひらめいてルターは地面にたたきつけられたのです。「聖アンナ様、助けて下さい。私は必ず修道士になります。」と叫んだのです。このときも人間の命の弱さ、死と隣り合わせた自分の命を深く知らされたのです。このことが、出世の道を捨て、父親の猛反対をも押し切って、修道院への道を取らせることにつながったのです。そこで、彼は聖書にであい、信仰によって救われるという福音の中心真理を啓示され、それを知らせる過程で、命を狙われるようになり、かくまってくれた場で、聖書をドイツ語に翻訳することになり、それが全世界に自分たちの国語で聖書を読むようにするという大きい動きの源流となり、さらに礼拝の仕方、讃美歌も新しいものに変えていきました。これが今日の世界のプロテスタントの礼拝の方式につながったのです。
 こうしたことすべてはルターがあらかじめ計画したことでなく、思いがけないところから生じていったことです。ここに神の導きがあります。神ご自身が必要な出来事を起こし、それが時には耐え難い苦しみにくながることもあります。しかし全体として神は大きいご計画によってルターを用いたのがわかります。
 こうした昔の人たちだけでなく、現代の人たちにもこうしたことは言えます。内村鑑三も全くキリスト教は好まなかった、それを無くするようにとの祈りを神社でしていたほどです。しかし、そのままいけば東京大学の教授になっていたと思われるコースを出て、札幌の農学校に移り、そこでクラークの残したキリスト教に触れて、キリスト者となった。卒業後は役人となったけれども、合わなかった。二十三歳で結婚したが半年ほどで離婚となって深い心の傷を負って、それを静めるためにアメリカに渡り、知的障害者の世話をすることになった。そうしてアメリカで出会った、アマスト大学のシーリー総長から、十字架の福音を深く知らされます。これは二十五歳のときでした。
 こうしてキリスト者として信仰を固くされて日本に帰ってから、新潟の北越学館に赴任したけれども、わずか数カ月で辞職してしまいました。その後、第一高等中学校の嘱託教員となりましたが、三十歳のときに、「教育勅語」不敬事件が起こり、学校を依願免職となります。こののち、妻が肺炎で死去し、いろいろと思いがけない苦しみが続いて生じます。
 こうした苦難や、悲しみは当時はどうしてこのような苦難が次々と生じるのかと、天を仰いで問いかけ、悲しむという状態であったと思われます。しかし、そのような思いがけないことがつぎつぎと生じるということこそ、私たちが神によって導かれている証拠だと言えます。

ダンテと導き
 神の導きということをテーマにした文学作品として特別に有名なのは、ダンテの神曲と、バンヤンの天路歴程です。
 ダンテほどの意志強固な人間であっても、その最大の作品、二度と世に出ない作品のテーマは「導かれる人生」ということでした。
 彼は神曲の最初で、つぎのように述べています。 人生の道の半ばで 正しい道を踏み外した私が 目を覚ました時は、暗い森の中にいた。 その苛烈で、荒涼とした森が いかなるものであったか、語ることはいかに難しいことか! 思い返すだけでも、その恐ろしさがよみがえってくる。 その経験の苦しさはもう、死ぬほどであった。 しかしそこで受けた恵みを語るために、 そこで見たことを語ろう。 いかにしてそんな所に入ったか、よく述べられない。 まことの道を捨てたその時、私は眠りに満ち満ちていた。
      (「神曲」第一歌の初めの部分より)
   ダンテは、三十五歳のときに、自分の歩んできた道がいかに間違っていて、そのゆえに苦しく、闇であったかを覚ります。それはもう死ぬほどの苦しみであったのです。私たちは子供時代の考え方で生きていくとき、あるときにそれでは生きて行けないことを痛切に思い知らされる時がやってきます。
 ダンテもその死ぬかと思うほどの苦しみからようやく脱出したときに、前方に山があり、そこには輝く日の光が山の肩に見えていたのです。それでダンテはその山に光を見つめて登ろうとします。しかし、そのとき三種の危険な動物が現れ、ダンテをいかなることがあっても行かせまいとするのです。それは、より高きを目指す人間に襲いかかろうとする、人間の権力や情欲、傲慢などを象徴していると考えられます。いくらダンテが光の見える山に登ろうとしても、食われそうになる、そこでダンテはあれほどの苦しみを経験したはずの暗い森へと引き返そうとするのです。
 そのとき、天にいるベアトリーチェという女性から理性の象徴であるウェルギリウスがダンテを導くために遣わされたのです。ダンテは、その天からの使者の導きによって、神に背くことがどんなことになるのか、深く体験していきます。
 そのようにして暗い地獄、そしてそれを終わって煉獄という潔めの世界へと導かれ、さらに今度は、ベアトリーチェによって導かれて天国へと登って行くのです。
 ダンテのような意志強固な人間であっても、その最大の作品のテーマが「導かれる人生」であったのです。そして、すでに述べたように、旧約聖書で最もよく知られた詩、詩編全体のなかでもとくに有名なのが、やはり詩編二十三編のように「神による導き」ということでした。それはいかにこの世というものが、自分の力や自分の意志では正しく、かつ喜びをもって生きて行けないか、神によって導かれる生活こそが人間の真の生活であるということを指し示しています。 聖書の言葉の中から  このように神または聖霊、キリストの導きに生きることは、聖書ではいろいろと記されています。  霊(聖霊)の導きによって歩きなさい。・中ヲ霊の導きに従って生きるなら、霊の導きに従ってまた前進しよう。(ガラテヤ書五章16,25
 神の導きに歩むということは、聖霊の導きによって歩むということと同じことであり、そのことは、キリストが復活して後に弟子たちによって示されています。新約聖書の使徒行伝とは、聖霊行伝と言われるほど、聖霊が弟子たちを遣わし、命じ、導いている書物です。
 羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。・中ヲ こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ福音書十章より)
 ここで言われている羊飼いとは主イエスのことで、羊とは主イエスを信じる人を指しています。キリスト者の生活とは、イエスの声を聞いてそれに従っていくことであり、歴史においてもさまざまのキリスト者たちが一つにされて生けるキリストに導かれていくのだと言われています。
 しかし、神、あるいはキリストや聖霊に導かれる生活は、時として非常な苦しみに直面することもあります。それは、最もキリストによる強い導きのもとにあったパウロがしばしば死にそうになるほどの苦しみを受け、迫害や困難をも経験していったことをみればわかります。
 だからこそ、聖書ではつぎのように、「恐れるな!」という励ましが繰り返し言われているのです。 恐れるな、わたしはあなたと共にいる神。 たじろぐな、わたしはあなたの神。 力を与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。             (旧約聖書・イザヤ書四十一・10
 こうした励ましを受けつつ、神からの静かな導きの声を聞きつつ、歩んで行くのが私たちに与えられた生き方なのです。
 そしてこのような導きは、さらに広く万物をも包んでいるのです。 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。(エペソ書一・10
 さまざまの矛盾や悪の力、そうしたものは最終的には黙示録に象徴的に記されているように滅ぼされ、キリストのもとに導かれて、一つにされるという壮大な導きが預言されているのです。
 私たちのこの世界や宇宙は、最終的には消えてしまうのでなく、キリストのもとに一つにまとめられるという導きほど大いなるものはありません。すべての悪も、汚れも、罪もなにもかも潔められ、神の国の住民となると約束されているのです。
 (なお、これは今年十二月三日に静岡でのクリスマス講演で語った内容です。)

休憩室

クリスマスという意味 十二月になるとあちこちでクリスマスという文字を見ます。また X'mas という表記も見ます。しかしこれが何を意味するのか、とくに後の記述の意味についてはたいていの人には不可解なものです。
 クリスマスとは、英語の Christmas であって、これはクリスト(Christ) のマス(mass)という意味です。クリストとはキリストのことで、マスとは、ミサのことです。ミサというのは私たちの使っている言葉で言い直すと、「礼拝」ということです。ですから、クリスマスという言葉の意味は、「キリストを礼拝すること」なのです。  これは、新約聖書のマタイ福音書にキリスト誕生のときの記事がありますが、そのとき生まれたばかりの乳飲み子であったキリストを礼拝した、東方の博士たちのことが記されています。
 X'mas と書くのは、ギリシャ語ではキリストのことを      と書きます。それを省略しているので、X' と書いています。それと英語の mass (マス)という語を結び付けた語なのです。ですから最初の文字は英語のエックスではなく、ギリシャ語の キー( )という文字であり、キリストを現すギリシャ語の頭文字なのです。 静岡での植物のこと  静岡の石川昌治兄宅に泊めていただいたので、翌朝はやく、周囲の自然とのふれ合いのために付近を歩き、その時に見た植物にはつぎのようなものがありました。
 ヤブミョウガは濃い青色の実をつけていました。徳島では、ヤブミョウガは平地では見たことがなく、一部の里山で見ただけでした。
 また、徳島では、私は見たことないシロノセンダングサが川沿いに、暖かい冬のゆえかまだ白い可憐な花を咲かせていました。これは以前に沖縄の全国集会に参加したとき、会場近くの道に咲いていたのを見て以来のものでした。センダングサとは、センダンという木の葉に似ているのでそのような名前が付いています。その実は先に小さな逆向きのトゲがあり、それが衣服にくっつくのです。
 また、野菊があちこちに見られましたが、ヨメナではなく、ノコンギクでした。私たちの地方では、平地で見られる野菊はたいていヨメナなのです。この二つは外見はほとんど見分けがつかないほどですが、花の中央部にある一つ一つの管状花を取り出すと、その違いははっきりとわかります。ヨメナには、冠毛がほとんどないのに、ノコンギクは長い冠毛があるからです。葉もざらつきも違います。こんな小さな違いを見るにつけても神のわざの不思議を思います。
 その他、アカネという植物の実が黒く熟していたのも目にとまりました。アカネとは、「赤い根」の意味であって、古代から赤色の優れた染料として使われてきました。私は小学校低学年の頃からよく昆虫をつかまえては図鑑で調べていました。その時から知っているのがアキアカネという赤とんぼです。それがアカネという言葉を知った最初です。それから茜色(あかねいろ)の空とかいう言葉もよく使われます。
 それがじつは植物の名前であって「赤根」の意味であるということはずっと後に知ったことです。
 きわめて多数の植物があるにも関わらず、赤い優れた染料になるのは、ごくわずかであるし、青色の優秀な染料としては藍が断然有名です。藍も道ばたにたくさん見られるイヌタデとよく似ているタデ科植物で、それがあの美しい藍色の染料になるとは予想できないことです。
 人間は石油化学の発達でじつに多様な色素を作り出してきましたが、そのほとんどは有毒であるのに対して、千差万別の花の色、植物の緑色などはほとんどが無害なものです。人間がきれいなものを人工的に作り出すと有毒なものになるということは、不思議なことです。
 このことは、昔の住居にくらべて現在の家はじつにスマートに美しくなっています。しかし、その背後には、そうしたきれいな内装や、外観を作っている物質を製造するためにたくさんの有毒物質を使い、また新たな有害物質が生じているという事実があります。人間の作りだした物はほとんどつねに有害なものを同時に生み出していくものであり、神の創造した自然との大きな差を感じさせられます。
県南の集会の近くにある池(周囲四キロ)では多くの鳥がいます。先ごろも集会の帰途に立ち寄ったところ、水中に立ててある数本の杭にカワウ(川の鵜という意味)がなかよくとまっていました。鵜(う)とは、黒っぽいやや大きい水鳥です。「鵜呑みにする」という言葉にあるように魚をたくさん捕らえて食べる習性があります。鵜といえば、岐阜県の鵜飼いで有名ですが、それはウミウ(海の鵜)です。
 これはかつてはたくさん日本の湖沼にいたけれどもいまは開発のために著しく減少してしまったのですが、県南の高知に近い自然の残された地帯なので、生き延びているのです。そのほか、マガモ、ヒドリガモなどのカモの仲間もたくさん見られてかつての、日本の豊かな自然を偲ばせてくれました。
  冬になると、葉の紅葉とともに、いろいろの実が見られます。わが家の裏山で、ヤブムラサキの美しい実が見られました。ムラサキシキブはよく、庭に植えられていますが、その仲間であるヤブムラサキは県内の低い山でもよく見られます。白いスズメウリ、黒いクスノキやヤブニッケイの実、赤いカラスウリとかカラタチバナなど、花だけでなく、実にもさまざまの色彩をもって私たちの世界に豊かさを加えているのがわかります。

平和の実現のために

 現在の自民党、公明党、保守党による連立政権、さらには民主党の中にも憲法のとくに第九条の平和主義を変えようとする動きがあります。軍備を増強して国を守れなどという人たちは、しばしばその逆に国の本体である国民を犠牲にしてしまうことがよくあるのは、ヒトラーや日本の戦前の軍部や政治家たちのことを考えてもわかることです。外国の紛争に軍隊をもって介入することは、しばしばかえって泥沼化を進めるようになることは、アメリカのベトナム戦争などを見てもわかります。
 軍備の増強でなく、他の平和的な手段、すなわち一般の人々の生活、医療、文化、教育などとの関わりを深め、助けることがはるかによい平和への貢献になるのです。日頃からそうした方面にエネルギーを注ぎ、周辺の国々の信頼を得ておれば、それが一番の安全な方策なのです。
 そうした意味で現在の平和憲法をぜひとも守っていかねばならないのです。
 横浜市の小舘(こだて)知子さんから、つぎのような印刷物が送られてきましたので、紹介しておきます。なお、下記に記したように、運営主体の団体のなかに、無教会の東京聖書集会とか、キリスト教横浜集会も加わっています。
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平和を実現するキリスト者ネット 「平和」は聖書が語る大切な榔のメッセージです。しかし人間の現実は、神の平和に背く歴史だと言っても良いのではないでしょうか。私たちは、そのような歴史を悔い改め、「平和を実現する者」として歩むようにイエス・キリストから招かれています。そこで、「戦争体制づくり」の憲法改悪の動きに抗し、武力によらない平和を創り出すためにキリスト者のネットワークが一九九九年十月に発足しました。
 キリスト教の各教派・団体と協力し、また各個教会また個人で活動している人々がネットワークを通して、平和への祈りを合わせ、情報を交換し、励まし合い、時には平和を脅かす動きにカを合わせて「否!」の声をあげています。皆さん、どうぞこの平和を創り出すネットに繋がってください。賛同をお待ちしています。

趣旨 ・中ヲかつて日本がアジア・太平洋地域を武力侵略した時、教会もこれにすすんで協力しました。私たちは、平和の福音を宣べ伝えたイエスをキリスト=救い主と信じる者として、自らの歴史の反省に立ち、日本は二度と他国の隣人に軍事的青威をあたえてはならないと決意しています。私たちは、「戦争体制」づくりを看過することはできません。そのため、各地で平和実現の働きを担っている個人やグループとの情報交換や支え合い等のネットワークを通して、平和憲法を堅持し、すすんで武力を捨て、あらゆる戦争への協力を拒否します。そして、弱い立場の人の視点から、アジア・太平洋地域の隣人と和解し、国際的な信頼を築くことを目指します。

運営主体 NCC(日本キリスト教協議会)加盟教団・団体
・日本基督教団・日本聖公会
・日本福音ルーテル教会・在日大韓基督教会・日本バプテスト連盟
・日本YWCA
・日本キリスト教婦人矯風会
・日本キリスト者医科連盟・キリスト教保育連盟
・日本聖書協会
・国際基督教大学教会
・日本盲人キリスト教伝道協議会
・キリスト者政治連盟
・日本友和会(FOR)
・富坂キリスト教センター
・東京聖書集会
・キリスト友会日本年会
・キリスト教横浜集会
日本キリスト改革派教会東部中会社会間題委員会
日本カトリック正義と平和協議会
日本福音同盟社会委員会
日本キリスト教会他。
賛同費 個人 一口千円 団体 一口三千円。特別協力金  個人、団体 一口 一万円
   郵便振替口座 001005165064
連絡先電話 03-3203-0374 E-mail:cp_net@jca.apc.org

返舟だより

私どもは、毎朝夫婦で、三十分聖書を読んで礼拝の時を持っていますが、「はこ舟」が届くと三日位は、「はこ舟」をいくつかに分けて読んで感想を話し合います。一人で読むより、二人で読むとさらに恵まれ感謝です。
 私が今住んでいる所は、そんなに便利な所でもなく、東京からも結構時間がかかりますのに、自然が少なくなっていますので、休憩室に出てくるいろいろなお話を読むと私まで豊かな自然の中に身を置いているような幸いな気持ちになり、とても嬉しくなります。 (関東地方の方より) びわの花が咲いて、山々も美しく装ってきました。毎号の「はこ舟」ありがとうございます。内容豊かでいつも楽しんで拝読させて頂いております。野草のこと、ヒルティ先生のこと、心ち沁みます。
 老いとともに人生き悲しみのいろいろに心揺れつつも、主を仰ぎ見ることの幸いをますます感じて、ただただ感謝いたしております。詩編二三辺を暗唱して、主の御手に支えられる日々、悲しみの心が与えられて有り難い毎日です。(近畿地方の読者より)
・中ヲテープで毎日のように、徳島の集会のお交わりに加わっているつもりで聞いております。
・中ヲ(中部地方の読者、テープ聴講者より)

十二月二日(土)〜三日(日)は、吉村(孝)は、四年ぶりに静岡にて、前年に召された方の一周年記念会、翌日日曜日の主日礼拝、午後のクリスマス講演会と、み言葉を語る時を与えられました。土曜日は石川昌治氏宅にて宿泊をさせて頂いたほか、主にある交わりを深めることができて感謝でした。
 それぞれの題は、記念会では、「二つのいのち」、主日礼拝では、「神の愛と勝利」、午後の講演会は「大いなる導き」というものでした。主がそうした講話などを祝福して用いて下さいますようにと願いと祈りをもって語りました。そのうち、「大なる導き」を今月号に収めました。

徳島聖書キリスト集会集会案内
・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)
・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で毎月場所が変わります。
    (現在の移動夕拝は、板野郡藍住町、徳島市川内町、麻植郡山川町、徳島市国府町の四箇所を移動しています。)
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町、徳島市住吉、鳴門市などで行われています。また祈祷会が月二回あります。
問い合わせは下記へ。
・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017

2000/12


今月の聖句

主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる。
・・あなたの嘆きの日々は終わる。

(イザヤ書六十・1920より)


秋・花・色・実り     2000/11

 秋は、心ひかれる季節である。
 近くの山々では木々や野草の葉はつぎつぎに変わり、黄色、赤色、褐色などさまざまの彩(いろど)りを表してくる。
そこには、緑一色であった野山とまたちがった命があふれている。そのような美しい変化を来たらせる目にみえない神の命がそこに感じられる。
 徳島と香川の県境付近では、雨量が少ないために山々は杉の植林がなく、全山がさまざまの彩りの木々で覆われるところが多くみられる。それは、神の手のなされる壮大な立体芸術である。
 無数の木々、その一つ一つの葉をもすべて独自の色合いの変化をもたせ、しかもそれが日々移り変わっていく。それに比べたら人間のどんな創作物もまるで色あせてくる。
 色の大きな交響楽ともいえる世界が見られる一方で、木陰の谷間には、ひっそりと赤い実をつけたヤブコウジや白色の玉をあちこちにつり下げているスズメウリ、さらに秋の色をいっぱいにたたえたカラスウリの赤い実が木立の中から顔を出していることもある。
 わが家にもう、五十年以上も実をつけつづけている柿の木がある。それは、以前からつるし柿にして食べたものであるが、食べるだけでなく、その美しい秋をいっぱいにたたえた色がよい。
 また、秋は野草の花が多く見られるので嬉しい季節である。高知県境に近いSさん宅での家庭集会に参加する道は、片道七十キロの半分以上が山間部の道であるため、車を止めて少し山沿いに歩くとすぐに、さまざまの野草の花が秋を告げているのに出会う。
 それらのうち、白い花のヤマシロギク、十一月終わりまで黄色の柔らかい葉と花を持つヤクシソウ、野生のキクの内でも白い大きい花を持ち、香料のリュウノウ(龍脳)に似た香りがある、リュウノウギク、シラヤマギク、野道によく見られるヨメナに似ているノコンギク(野に咲く紺色の菊の意)などなど。キクの仲間だけでもこのように、いろいろの野草が競うように神の創造の多様さを繰り広げてくれる。
 また、山の斜面には冬に近づくと赤い実をつけるフユイチゴも目だってくる。
 そうしたなかに、モズや、ヒヨドリ、ジョウビタキといった野鳥のさえずりが木立をぬって響いてくる。
 これから、寒い季節、厳しい冬が訪れるというその前に、このように自然は豊かなものを繰り広げる。葉の色、実のさまざまの色、その実の味わい、花の形と姿、色などなど実に変化の多い季節である。
 ひっそりと自然のしずまる冬の到来のまえに、このような変化と味わいの豊かな姿を見せてくれる。
 私たちの日々も晩年に近づくときにこのようにさまざまの実りと味わいがそこに生じてくるようであったらと、ふっとそんな思いがよぎった。


教育という言葉と聖書

 現在の私たちの生活においては教育という言葉はいたる所で目に入ります。また家庭も学校に通う子供を持っているということで教育ということは最も多く人々の心にある言葉の一つです。
 しかし、聖書には驚くほど教育という言葉(訳語)は少ないのです。訳によって多少違いますが、口語訳など次の箇所のわずか一度しか全聖書で出てこないのです。
なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。(Tコリント 八・10
 他の訳でも後に引用する箇所(パウロが厳しい教育を受けたことを記す箇所)などせいぜい数回といった程度です。
 なお、教育という言葉に対応するギリシャ語(パイデイア)そのものは、新約聖書では、ヘブル書12章とUテモテ三章、エペソ書六章の三つの章に少し使われていますが、それらも
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。」(ヘブル書十二・5)という箇所で見られるように、現在の意味での「教育」でなく、「鍛錬」とか「しつけ」いう意味で使われています。
 (なお、paideia の動詞の形は新約聖書では、十数回使われています。)
 どうしてこんなに少ないのかと不思議に思われる人も多くいます。古代だから教育などあまり考えなかったのではないかと思う人もいるかも知れません。
 しかし、聖書と部分的に時代が重なっているギリシャ哲学者の代表者であるプラトンの著作には教育(パイデイア paideia)という言葉(一部その関連語も含む)はたくさん用いられています。私の手元にあるプラトン全集の語句索引で調べても二百回近く使われています。
 このように、心の問題や真理にかかわる内容を扱っているプラトンの著作と聖書では教育という言葉の使われ方がまったく違っているのに気付きます。これは、どうしてなのか。
 それはプラトンの教育に対する考えが聖書と全く違っていたからでしょうか。たしかに大きく違っているところがあります。しかし、つぎのように、プラトンも近ごろの日本の教育のような詰め込みとか単なる知識教育とは根本的に異なることを考えていたのです。彼は、「教育とは、人間にもともと与えられている能力を魂全体とともに、真理そのものへと方向転換させるための方法である」と言っています。(「国家」第七巻518d
 このことは、キリスト教の出発点が「悔い改めること」、つまり心を神へ方向転換させることであるのと、似たところがあるのに気付きます。
 そのために、さまざまの方法が考えられます。そこで最も重要だとされるのが論理による探求です。言葉(ロゴス)を用い、筋道たてて正しく考えていくと、魂はそのような方向転換がされるというのです。
 そして真理を愛しつつ、さらにそのような論理的な思考によってその道を歩いていくのが人生だとします。真理(英知)を愛することこそ、フィロソフィアという言葉なのです。(フィロとは、愛を意味し、ソフィアとは、英知の意)
 このギリシャ語は明治の初めに、西周(にしあまね)という学者によって「哲学」というわかりにくい言葉に訳されてしまったために、この言葉(真理への愛)への大きな誤解を日本人に知らず知らずのうちに植え付けることになりました。この言葉は本来、「真理への愛」であるのに、なにか難解な学問である、というイメージとなってしまったのです。
 しかし、キリスト教では、神に方向転換することも、神からの呼びかけに応えることによってなされるのです。まず神はその愛をもって一人一人に呼びかけ、それに応えることが魂の方向転換であり、悔い改めです。
 そしてその後は、神、主イエスご自身が私たちを導いて下さるのです。もちろん、先輩や学問をした人にも学ぶわけですが、必ずしもそのような人間や学問は必要ないのです。これはペテロやヨハネといったただの無学な漁師が、キリストの弟子となり、世界のキリスト教に計り知れない影響を及ぼしていったことからもわかります。
 彼らにとっては、ふつうの教育は必要ではなく、ただキリストを信じて、祈りの中から聖霊を受けてその聖霊に従って歩むことから大いなる英知を与えられていったのです。
 人間の手による教育でなく、神の手による導きこそ、聖書が一貫して述べていることです。
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ八・12
 パウロは指導者となるための十分な教育を受けた人であったのは次のような言葉からもうかがえます。
彼は言った、「わたしはタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい教育を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。(使徒行伝二十二・3
 しかし、そのような教育もほかのことも含めてパウロはつぎのように言っているのに驚かされるのです。
しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損失と思うようになった。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、他の一切のものを損失と思っている。(ピリピ書三・78
 パウロはユダヤ人の優れた学者から教育を受け、家柄もよかった人でした。しかし、そのような教育をしても、キリストの真理をまったく見抜くことができず、逆にキリスト教徒を厳しく迫害していたほどでした。人間がする教育というのは、ついに魂の奥深い目を開くことができなかったのをパウロはみずからの痛切な経験から知ったのでした。
 このように、キリスト教徒の代表者ともいえる、パウロが本当に教育されたのは、キリストを知ってからでしたし、それは生きて働くキリスト、聖霊のキリストによってであったのです。
 この点で、無学な漁師であったペテロ、ヨハネ、ヤコブといった弟子たちとも共通していたと言えます。
 私たちも周囲の至るところで、学校教育をいくら受けても、その人間の本性はまるで善くなっていないという事実を知っています。昔は高等教育を受ける人はごく少数でした。明治になってからも大多数は、小学校教育だけで、大学などはきわめて少数しかいかなかったのです。しかし、今日では、大学には国民の半数ほども行くようになったのです。そのような教育の普及によって人間の心はいったいどれほど真実になったのか、正しいことへの直感や洞察力は、また周囲の人間への愛は増しているかという点から見るとむしろ、悪くなっていきつつある、というのが大多数の人々の実感ではないかと思います。
 小学校低学年ですら、授業中に歩き回ったり、かってにしゃべったりする学校が増大しているとか、大学ですら、学ぶこととは何かということも判断できない学生、あるいは、何らかの理由で登校できない学生も増えていて、大学の教官が訪問したり電話で登校を呼びかけたりせねばならないなど、驚くべき実態があります。
 このような状態を知るにつけても、聖書が二千年も昔に告げていること、私たちは神とキリストへと魂を方向転換し、キリストを信じて、神やキリストご自身である聖霊を受けることによって初めて、成長していく(教育されていく)ということに気付かされているのです。
 こうした神から来る真実や心の清さがなければ、単なる情報を洪水のように浴びせているとかえってますます人間の心は荒廃し、崩れていきます。
 人間は魂の根源に神がいなければ、悪いもの、安易なものを簡単に選び取ってしまうのです。
 私たちの心のうちにキリストが住んで下さって初めて、私たちの汚れた本質は潔めを受け、すべてを善いことに転じて下さる神によって教育され、限りない神の国へと導かれていくことが約束されています。

水や木の葉のコーラス

 谷川のほとりに立つ。そこには心ひかれる音、せせらぎの音がある。そこに立ち尽くして耳を傾けたことは何度あることだろう。山を歩くとき、しばしば谷川にさしかかる。登り口からすでに純白の水しぶきをあげて流れ下る谷川とともに歩くときも多い。
 そのとき、その川の色、水しぶきの真っ白い色とともに、岩を流れ下る音のなんという響き!
 かつてある山深い滝の近くにて長い時間その水音に聞き入ったことがあった。そこに行くまでには、家からは数時間を要した。夕方近くに着くようにしたため、誰一人いなかった。周囲に群がる樹木たち、そしてその間に響きわたる水音。ただ一人、聞き入るとき私のまえに、しずかにある何かを感じたのを忘れることができない。
 水の流れとともに、私の心にあったさまざまのもつれたようなものが流されていった。谷川のほとりで心を集中してその水と音にひたるとき、いつしか自分もまた、その水と一つになっていくようであった。
 水は清める力を持っている。その水音もまた心に深く入ってくる。
 それはどうしてなのか。不思議にも、やはり大風のときに、大きな松の木々に近くにいるとき、不思議な重々しい響きに心惹かれたことも幾度となくあった。
 また、海辺に立つとき、そこに打ち寄せる波の音も数しれない人々の心を励まし、共感し、苦しみをいやし、またともに悲しみをも受けとめてくれたと感じさせたことだろう。
 それは、みな小さな数しれないものの生み出す音。無数の水粒がいっせいにコーラスするのが、あの谷川の意味深い音であり、大波の壮大な打ち寄せる音であり、松の小さな無数の葉たちのコーラスがあの重々しい響きとなるのだった。
 神は小さきものを用いられる。無数の小さきものが、神に用いられるとき、他にはかえがたい音楽を生み出すのである。

 
パウロの祈り

 主イエスが教えられた主の祈りは、世界中で最も多く繰り返し言われてきた言葉だと思われます。それは礼拝のたびごとに繰り返し祈られてきたからです。少しでもキリスト教の集まりに参加しはじめた人は主の祈りを知っているわけです。
 そのキリストの霊を最も豊かに、圧倒的に受けてきた人はパウロです。だからこそ、彼の書いた手紙は新約聖書の相当多くの部分を占めているのです。ほかの弟子たちとは比較にならないほどに多くが聖書として、神の言として収められているということは、パウロが受けた聖霊が最も豊かであったことをしのばせるものがあります。
 そのパウロはどんな祈りをしていたのでしょうか。
 パウロの祈りは、彼の書いた手紙のあちこちに見られます。パウロはつねに祈りつつ書いていたと考えられるので、それは当然のことです。神の言とは、いつも真実な祈りの魂へ最もゆたかに注がれるからです。
  そのパウロの祈りをここでは学びたいと思います。わかりやすくするために、番号を付けてあります。
パウロの祈り(T)
祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。(エペソ書一・1519

(一)祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
 ここには、パウロが広い範囲の信徒たちに絶えず深く心を注いでいたにもかかわらず、一人一人をも思い出して祈りのうちで、神に感謝していたのがうかがえます。
 このエペソ書のほかにもパウロがこのように一人一人を思い出して祈っていることを示す箇所をあげておきます。
わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし・・(ロマ書・一・9
 
(二)どうか、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
 知恵と訳されていますが、日本語の「知恵」という語はずいぶん軽い意味です。知恵の輪というおもちゃもあるし、子供が少し生意気なことを言うと、知恵がついてきたと言ったりします。このようなことから、日本語では知恵といっても、大したことでないという感じを持たせる言葉です。しかし、この語の原語(ギリシャ語)は、ソフィアといって、これは、真理にかかわる洞察を意味します。
 このような、真理を知ってさまざまのことの本質を見抜く力をいうので、それらは神の霊を受けてはじめて与えられるということです。パウロはそのようなことを人々に対して祈っていたのだとわかります。そして、これは、主イエスが最後の夕食のときに、約束したことでした。
真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。(ヨハネ福音書十六・13
 パウロはこの主イエスの約束が実現されるようにと祈っているのです。これは現在の私たちにとっても重要なことで、自分についても他人についても、聖霊が注がれて真理を見抜く力が与えられるようにとの祈りはすべての人間に対して必要なものです。
(三)神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖徒たち(キリスト者)の受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
 私たちが神に呼ばれて見させて頂いている希望とは、どんな内容なのか、将来与えられるものがどんなに素晴らしいものか、それを知るほど私たちは現在の苦しみや闇に打ち倒されなくなると思います。将来に希望がないと思うとき、心は暗くなり、絶望的になります。希望のない心には力は生まれてきません。
 私たちが神を信じるとき、万能の神がして下さると信じるゆえに私たちは希望を持つことができる、しかもその希望は不滅の神に結びついているからこそ、決してこわれない希望です。
 
(四)わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
 この締めくくりの祈りで、パウロがいかに神の力が大きいと感じていたかが、私たちにも伝わってきます。私たちに対して働く神の力が絶大なものであると知れば知るほどにその神に対して希望を持つし、その神が私たちに与えようとしている大いなる天の国の賜物も絶大なものだとわかり、万事が希望に満ちたものとなるわけです。
 その反対にもし神が小さいものと思うなら、そこには揺るぎ無い希望もあり得ません。
 つぎに、もう一つの箇所で記されているパウロの祈りを見てみます。

パウロの祈り U(エペソ書三・1421より)
 
(五)どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
 パウロの祈りの中心にあったことは、人々の心にキリストが住んで下さるようにということでした。これは別の箇所でもつぎのように述べています。
生きているのは、もはや私ではない。キリストが私の内に生きておられる。(ガラテヤ書二・20
 キリストが私たちの内にしっかりと住んで下さってはじめて私たちは愛にしっかりと立つものとなります。なぜならキリストは愛そのものといえるお方だからです。このように、パウロの祈りの中心は、キリストが私たちのうちに住んで、そこから神から頂いた愛をもって生きるようにということであったのがわかります。
(六)あなたがたがすべての聖徒たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

 キリストが内に住んで初めて私たちは愛ということを知り、神を見つめて生きてきた人間は、ますますキリストの愛がどんなに底知れないものであったかがよくわかります。それをこのようにパウロはキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さといった物質的な用語を用いて語っています。
 キリストの愛はたしかに「長い」。それは、一時的なものでなく、二千年も続いています。私たちもキリストの愛の一端を受けるとき、他者のことを祈り続けることが少しずつできるようになります。
 また、パウロの祈りは、キリストの愛の高さを深く実感することもあったのがうかがえます。それはどこまでも高く、深い神との交わりに導かれていくミスティク(mystic)としての祈りの体験をも与えられていました。
 それは第三の天にまで引き上げられるほどの祈りだったのです。(使徒ヨハネ、あるいはアシジのフランシスコ、スペインのテレサやダンテなどにも深い神との直接的な交わりを与えられていたのがその著作に現れています。)
 人間同士の愛と言われるものが、すぐに憎しみや妬み、単なる愛欲だけのような実に低い所まで堕落してしまうのとは大きな対照をなしています。
(七)わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることができる神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 彼の祈りの最後は、栄光、神にあれ!ということでした。どんなに働いても、学んでも、業績をあげても、自分が偉いのだ、自分の努力がすばらしい・・などと自分に語っているようでは、決していいことはない。キリスト者は、いつもあらゆるよいことを自分や他人の努力とか能力のせいにするのでなく、そうした力を与えた神がして下さったと思って、神に感謝すること。それが神に栄光を帰するということです。
 「主の祈り」のあとに付けられる、「御国も力も栄光も永遠に神のものです」という祈りに共通するものがここにあります。
 以上のようなパウロの祈りをさらにこまかな内容にまで触れた箇所を見てみます。
兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。(ロマ書十・1
 ここでは、パウロは、敵対するユダヤ人のために、まさに「敵を愛し、敵のために祈る」ということを実際に行っていたのがわかります。ユダヤ人へのひそかな復讐的な気持ちとか裁きを願う気持ちでなく、絶え間ない痛みを感じつつ、彼らのかたくなさに対して深い悲しみを持って祈っていたのです。
 わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることであるが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがある。
 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っている。(ロマ書九・13
 ユダヤ人たちが彼に対してどんなにひどいことをしたかは使徒たちの記録に詳しく記されています。ある時は、石で打たれ、意識不明になって郊外に引きずり出されたこともありました。またある時には、殺そうとする人たちの手から逃れて危うく一命を取り留めたこともあったのです。しかし、そのようなあらゆる敵意にもかかわらずパウロは、ユダヤ人を憎むとか報復するということは決して考えなかった。逆にユダヤ人のためなら自分がのろわれて捨てられてもよいとまで同胞であるユダヤ人を愛していたのです。
 自分がキリストから離されてもよいとまで祈るとは!
 それはキリストがいわば、犯罪人としてのろわれたごとくに殺されたそのような死の有り様を思い浮かべているのではないかと思われます。
 このパウロの驚くべき祈りは、主イエスが十字架で息絶えるときに、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と叫んだことを思い起こさせるものがあります。主イエスは自分が捨てられたと感じるほどに深く人々のために最後まで生きたということなのです。人が他者のために命を捨てることほど大なる愛はないと記されていますが、パウロもまさにそうした祈りと願いをユダヤ人に対して持っていたのがうかがえます。
(八)共同の祈り

兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、
また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。(Uテサロニケ三・12
 パウロは二千年の歴史でも、最も高く引き上げられ、聖霊を豊かに注がれた人だから、他人から祈ってもらう必要などなかったと思われるかも知れません。しかし、そうではなく、一層他者からの祈りの重要性を知っていたのがわかります。人間は自分だけでは、うっかり祈りをしていないことがある。高ぶってしまうこともある。他人の非難に腹を立てたり、また逆に誉められたり重んじられたらいい気になってしまい、自分の罪が一時的にせよ見えなくなってしまうこともあります。

 使徒ペテロはキリストの十字架での死のあと、聖霊を豊かに注がれた人であったけれども、それでもなお、信仰の事柄で根本的な誤りを犯したことも聖書で記されています。(ガラテヤ書二・1114 参照。)
 さらに、病気や悩みなどが深刻になったら、そのことばかりで他人のことまで心が及ばなくなって心が狭くなることもあります。そうしたすべてから守られるためにも、他者に祈ってもらう必要があるのです。
 共同の祈り、それはキリスト者はすべてキリストのからだであると言われていることから、当然というべきものです。私たちがキリストのからだの部分であることを知るのは、他者のことを真剣に祈っているときにはっきりと感じるものなのです。
 
(九)祈りの戦い
 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、御霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。
(「一緒に熱心に祈って下さい」というギリシャ語原文の意味は、「祈りの内で、ともに戦って下さい。」であり、共に戦うという語 シュナゴーニゾマイ sunagonizomai が用いられています。sun は共にを表す接頭語、agonizomai は「戦う」という意味。ロマ書十五・30
 パウロの祈りはまた、戦う祈りでした。キリスト者の戦いは、目に見える人間や組織との戦いではなく、目に見えない悪の霊との戦いであることは、聖書にはっきりと記されています。(エペソ書六・1018
 そうした戦いにおいては、どんな人でも加わることができます。霊の戦いであるからこそ、寝たきりの人、老人、死の近づいた人ですら可能なのです。ここには、学問とか経験、あるいは家柄などはいっさい関係がありません。

(十)未知の大地を見つめて・世界の果てスペインまで・
このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。・・
 しかし今は、・・何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。(ロマ十五・2024より)
 パウロは、自分が知っている人たちだけを念頭においているのでなく、何があるかわからないような未知の大地、世界の果てをもキリストのゆえに見つめ、そこへと導かれることを心から願っていました。今から二千年前では、イスパニア(スペイン)というのは、文字通り世界の果てでした。パウロはローマ帝国の首都であるローマでなく、はるかな遠いイスパニアを思い浮かべ、そこに神の光を、キリストの救いの福音を宣べ伝えるべく祈りを続けていたのです。
(十一)パウロの祈りの雄大さ

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。栄光が神に永遠にあるように、アーメン。(ロマ書十一・36
 パウロは、神が万物を動かしていること、そして最終的には、万物を神に向かわせていると知っていました。こうしたパウロの言葉を見ると彼は宇宙的スケールで万物を見ていたのがわかります。そのような雄大な神のご計画を見つめつつ、果てしなく大きい存在である神にすべての栄光があるようにと祈っているのです。
 パウロの祈りは、神とキリストの深い交わりを持ちつつ、小さき者を一人一人思い浮かべる祈りであり、さらに小さい仲間だけのことを祈るのでなく、敵対する者をも祈る祈りでした。そして時間的には、世の終わりにいたるはるかな未来を見つめ、地理的には、世界の果てを見つめ続ける祈りであったのです。
キリスト者の短歌より
       横山 幸子

印の文は編者(吉村)の感じたこと。
・人生の何おそるべき嵐をも静め給える主とともにいて
この歌を見ると、聖歌にある「人生の海の嵐」(四七二番)が思い出されます。私たちを吹き飛ばそうとするような激しい嵐であってもなお、それを静めることができる神を与えられていることの幸いを感謝。
 すべてを支配されている主がいないのなら、私たちはたえず恐れて過ごさねばならないはず。自分が他人に押し出されるのではないか、無視されるのではないか、将来どうなるのか、結婚、職業は、病気、事故、そして最後の死などなど。不安と恐れの取りまくただなかで私たちの心を静めてくれるものは、いかなる人生の嵐をも静めて下さる主イエスであり、父なる神のみ。
・骨折をせしはいかなる罪ゆえぞ祈れば聞こゆ「わが愛におれ」
日々の生活のなかで、私たちはさまざまの不可解なこと、苦しみや痛みに出会う。そのたびに、そしてその苦しみが大きいほど、どうしてこのような苦しみに、痛みに会うのかと叫ばざるをえない。キリスト者なら、そんなとき過去き罪ゆえなのではないか、その罪を知らせるため、その罪の大きさを知らせる警告ではないのか、罰ではないのかという思いが心をよぎる。そんなとき、私たちの心を静めてくれるのは、「わが愛にとどまれ」という主イエスのしずかな語りかけである。
・老いて病む独りの吾を思うとき主はかたわらに立ちてい給う
どんなに健康そのものであっても、年を重ねるにつれて病身となる人が多数を占めている。家族は遠くに去っていくし、配偶者は死ぬ。そのような孤独な状況にあってなお、いっそうの輝きをもってくるのが、主イエスであり、共にいて下さることを実感してさらに感謝が生まれる。
 作者の横山幸子さんは、一九二一年高松市生まれ。一九六〇年キリスト教を信じるようになった。一九八六年から朝日新聞で「香川歌壇」などに投稿を始めた。現在も高松市在住。この歌集を贈呈下さったので、一部を紹介しました。

ことば

107)最もよい時
 最もよい時期として思い出に残るのは、しばしば、それに直面しているときには最も苦しく思われた時期である。
 というのは、その時期に、われわれは成長をとげたか、あるいは、その苦しみがなければいつまでも残ったであろう自分の欠点を脱ぎすてたからである。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」下 1114日)
だれでも、今まで自分が生きてきた中で最も苦しかったとき、危険であっときを思いだし、そこから導き出された経験を持っている人は、このヒルティの言葉に深い共感を抱くことと思います。
 単に楽しかった思い出だけでは、人間は深いところに巣くっている欠点を知ることもできないし、したがってそれから離れることもできないのです。二度とあのようなところは通りたくない、と思えるような苦しみの時、いわば死の蔭の谷、涙の荒野というべきところが実は後から振り返ってみるときには、最大の恵みを受ける場であり、時であったと知らされます。

休憩室

星と盲人
 前月に図で示した土星と木星、そしておうし座のアルデバランという一等星は十月にははっきりとした直角三角形に並んでいましたが、一か月経った十一月下旬には、その形がもう直角三角形ではなく、少し平たい三角形のようになって見えます。
 一般の人は、全盲の人は星など関心があるはずがないと思っている人が多いのではないかと思います。
 しかし、全盲の方も外に出て、目の見える人に指さしてもらって星を教えてもらうことは、宇宙の広大さに触れる思いがするし、神の天地創造のわざの一端に触れる思いがするので、私たちの集会員にも特別な関心をもって夜空の星のことを見ている方もいます。それは、心の目で星を見つめることができるからです。
フクロウ
 わが家の裏山からは、一カ月か二カ月に一度ほどフクロウの鳴き声が聞こえてきます。じっと耳をすますと夜の闇の中から、静まった山の谷間を越えて響いてくるその声は、私たちを昔の自然ゆたかな時代へと引き戻してくれるようです。
 この山には子供の頃からいた、フクロウ。以前は何の声かわからなかったのですが、その声には不思議な印象が残っています。
 ずっと昔に夜になると鳴いていたもう一つの鳥はヨタカです。クックックッと夕闇の迫る山の方から聞こえてくるヨタカの鳴き声も、心に特別な印象を残している声です。これは子供のときに親しかったものですが、この鳥はもうかなり以前から耳にすることはできなくなり、他の地域や山に行ったときも含め、長い年月聞いたことはありません。
 しかしフクロウは今も時折、その声を響かせては、私の心に、ある波紋を広げてくれるのです。
 
別の文で書きましたが、秋は少し里山に入るといろいろの野草、葉の紅葉、草や木の実などに出会います。植物、とくに野草の花は病気の人も健康な人もどこか心に安らぎを与えてくれるものがあります。
 ペットをいくら愛好する人でも病院に持っていくわけにはいきません。
 その点、植物は単調な入院生活をしている人にも新鮮な何かを感じさせるものがあります。都会はその点ではまことに残念なことに、自然のすがたそのままの野草には出会うことができません。人間の心の荒廃はこうした静かな自然とのふれ合いが断たれていくことにも原因があると思われます。私はそうした都会の人にもせめて、思い浮かべることによってでも、自然の姿に触れてもらいたいと願って、自然ことに野草などの植物にかかわることを書いています。

返舟だより

十一月三日(金)、「祈の友」四国グループ集会が愛媛県南部の北宇和郡の日本キリスト教団岩松教会で行われました。徳島からは二名の参加で、愛媛県を中心として終わり頃に参加された方も含めると十九名が集いました。
 祈りは教派とかに関係なくできることですので、近くの人、遠くの人ともに毎日の生活のなかで、祈り合うというただそれだけの集まりですが、祈りによって主といっそう強く結ばれ、遠く離れた人とも新しく主にあってキリストのからだの一員とされるのは幸いなことです。そこに神が共にいて下さって、初めての人、久しぶりの人とも祈りを合わせることが与えられてよき集まりとなりました。愛媛県の「祈の友」、会場の教会の方々に感謝です。
十一月四日、五日は東京でのキリスト教全国集会(無教会)に参加。今年は、徳島からは三名の参加。その他私たちの集会との関係の深い大阪狭山市の宮田 咲子姉が発題者の一人として参加され、かつて徳島の集会に参加されていて、今は東京在住の看護婦のKさんも参加されていました。
 全国集会は、一年に一度の集まりで、だれでも参加できるものです。今年は子供のための日曜学校も併設するという新しい試みもありました。考え方や信仰的な傾向のちがうさまざまの集会からの代表者と話し合いを続けて全国集会を実施するのはたいへんなことだと思います。しかしそうした労苦は主によって用いられていると思われます。私は今回の全国集会においても、初めての方や何年ぶりの方とも会って信仰に関わる交わりを深めることができたこと、感謝です。
「はこ舟」にはわかりやすい言葉を使うことをいつも心がけています。それは、キリスト教とか聖書に初めての人にも読みやすいようにと考えているからですが、その他にも理由があります。
 この「はこ舟」は、他の内容などとともにテープに録音されています。それは、集会員の綱野悦子さん(全盲の方です)が作成している「アシュレー」というテープ雑誌です。これは、視覚障害者を中心として希望の人たちに送付されています。
 それと別に、「はこ舟」の内容はインターネットによって送り、視覚障害者(全盲、弱視)の一部の人たちにもパソコンによって朗読させて聞いてもらっています。
 その際、音読してわかりにくいような言葉は、それがもし重要な言葉であれば、テープやパソコンを用いて聞いている人にとっては、意味不明になったり、別の意味にとってしまったりするからです。そのためにも、音読してだれでもわかるような言葉を選んでいるわけです。
徳島聖書キリスト集会のホームページ
 私たちの徳島聖書キリスト集会のホームページの内容そのもの選別は私(吉村)が担当し、それらのレイアウト、配色その他ホームページの実際の手数のかかる作成は集会員の数度勝茂兄が担当しています。数度兄は視覚障害者(弱視)でもあり、背景の色、レイアウトなどはわかりにくいところもあるので、必要なときには何種類かの案を送付してもらった上で、それらをもとに変えたり、追加してもらうなどしながら作られています。
 徳島聖書キリスト集会のホームページのアドレスは次の通りです。
 なお、以前の「はこ舟」の封筒に印刷してあったアドレスが次のように変わっていますのでご注意下さい。
 
http://pistis.jp/
http://pistis.jp/testbox/default.htm
 
 ホームページの用い方はさまざまと思いますが、先日、次のようなメールが送られてきました。
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 ずっと 貴ホームページを拝見しています・・
 実は、 毎朝オフィスに誰もいない時間に着き、まず私の部屋(個室があるので)で貴ホームページを開き、賛美歌を一曲 聴くのです。一日の働きを祈りをもってはじめるのに 最善の助けとさせていただいています。
 インターネットにはこんな使い方(効能)もあるわけです。クリスチャンにはインターネットに消極的なことを言われる方が多いようですが、新しいものに前向きに取り組むことも必要だと考えています。
 良い賛美歌を作られる方がおられるのですね。
 愛聴者がいる、とお伝え下さい。賛美歌を追加する、とありますが、それも楽しみに待っています。(九州の方より)
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杣友豊市文集のこと
 去年発行した杣友(そまとも)豊市文集を最近になって読み始めた方からの来信です。
・(いろいろと事情があり)・・やっと杣友先生の文集を読むときが与えられ、朝の雑念が入らないうちに日課としている内村鑑三の「一日一生」と「はこ舟」とともに少しずつ読み進んでいます。短い文章のなかに、光るように真理がこめられ、純粋な信仰に打たれております。さっと読み進むのはもったいなく、噛むように少しづつ読み味わわせて頂いております。今、「永遠の生命を求めて」の文を読み終えたところですが、すばらしい回心、新生で感動しましまた。(中部地方の読者より)
 
・先日お送り下さいました杣友兄の文章、まことに有り難く拝読さしてもらっています。伝道の書、イザヤ書、エレミヤ書など分かりやすく、要点がすばらしく書かれていて大事に読ませてもらいます。妻にも日曜日に話して聞かせます。礼拝のときにもイザヤ、五十二〜五十三章はくわしく学んだ所でしたので手に取るように読みました。(中国地方の読者より)
 
前号にダンテの「神曲」のことに触れましたが、読者の方からの来信です。
・若干のグループに加わっていてそこで、ダンテ「神曲」を学んでいて、今は、「煉獄編」の後半です。また、中村勝巳「近代文化の構造・キリスト教と近代」(講談社学術文庫)も読んでいます。これはぜひ皆様が読むべき本ですね。全体の進路と様子がわかるからです。また、矢内原忠雄の「嘉信」旧号も少しづつ読んでいます。(関東地方の読者から)
・ダンテの神曲は一度は読まなくちゃと思っていたのに、今まで果たせませんでした。けれどこの際、果たそうと思います。全く今までなまけてきたことを感じます。今回聖書に触れるようになりましたのも、偶然ではなかったように思います。・・何となく生まれ変わったような感じがするのは本当です。(最近聖書を読むようになった方から)

・ダンテの神曲は深い内容が込められているといっても、やはり注解書がなければその内容は十分にはわからないものです。私たちの集会の読書会では十年ほどをかけて、神曲を終えましたが、そのときに私が用いたのは、矢内原忠雄の土曜学校講義の「神曲」講義、生田長江訳や、河出書房からの口語訳、それに寿岳文章訳「神曲」など種々の日本語訳に付けられている注釈を参照して教えられました。
 なお、海外のものでは、発行されている多くの注解書のうちで、とくに「DANTE The Divine Comedy 3Vols OXFORD UNIVERSITY PRESS)」という三巻の注解書や「La Divina Commedia  Annotated by C.H.GrandgentHarvard University Press)」、「The Divine Comedy Modern Library College Edition)」などの各歌のはじめに書かれてある簡潔な注解などがとくに有益でした。英語が読める人はこうした外国の注解書を求めて参考にすることができます。
徳島聖書キリスト集会集会案内

・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。

(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)
・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で毎月場所が変わります。
(現在の移動夕拝は、板野郡藍住町、徳島市川内町、麻植郡山川町、徳島市国府町の四箇所を移動しています。)
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。
また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町、徳島市住吉、鳴門市などで行われています。
また祈祷会が月二回あります。問い合わせは下記へ。
・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017

2000/11


今月の聖句
悪をもって悪に報いるな。かえって祝福を祈れ。
あなた方は祝福を受け継ぐために呼ばれたのである。
(Tペテロ 三・9より)


神の    2000/10

 人間や歴史を真に変えるもの、それは神の声である。

 はるか数千年も昔、生きてはたらく唯一の神がおられるということをはっきりと知らされた人(アブラハム)が現れた。その時から歴史は大きくその人の信仰を軸として動き始めた。

 それは、「生まれ故郷を離れて、私の示す地に行け!」という短い神の言葉であった。 その後、やはり世界の歴史に絶大な影響を及ぼすことになったモーセが現れた。彼も、自分の力で物事をやっていこうとするとき、ただ遠いところに逃げていくだけであった。 しかし、羊を荒野にて飼っているときに神の声が聞こえ、神からの呼びかけを受けてから、彼は数千年を経ても変わることなき、刻印を歴史に残すことになった。

 そしてパウロも同様であった。キリスト教を敵視して滅ぼそうとして全力で行動しているさなかに、イエスからの声があった。

 その声を深く聞き取ったことから、パウロはキリストの福音をヨーロッパの宗教とし、さらには世界の宗教とするのにはかりしれない影響を及ぼすことになった。

 そして地味ではあるが、そうした例は、私のまわりでも今まで多く見聞してきた。私も大きく変えられたのは、大学での学びによるのでも、経験でもなく、また両親や友人との議論とか研究でもなかった。思いもよらない神からの語りかけが私の方向を根本から変えることになった。

 それは今も続いている。私はつい近ごろもそうした人に出会ったことがある。この世界のどこかで確実に神は語りかけ、新しく神の国を知らされた人たちが今も生まれているのである。

嘘と真実

 政治の世界にはじつに嘘が多い。最近も、日本の首相自ら、北朝鮮による拉致疑惑問題を行方不明者として第三国で発見されたようにして(嘘をついて)処理しようとしていることをイギリス首相に話して大きい問題になっている。しかもこうした嘘をもとにしたやり方を国家が公然とやることより、秘密であるべきことを不用意に話したという軽率さが問題とされている。

 政治家というと、汚れているとのイメージを持つ高校生が多いとのアンケート結果を見たことがある。そうした汚れは、嘘からくる。不信実から来る。そして、そうした汚れた政治家たちを選ぶ国民もまた汚れていると言えるだろう。

 政治だけでなく、この社会にはいたるところで嘘がある。これが人間の世界の現状なのである。

 もし私たちが聖書の世界を知らず、生きて働く神とキリストのことを知らないならば、ついにその不信実の大波に飲み込まれてしまうであろう。

 しかし、こうした海のような偽りの世界に浸されながら、決して嘘のない世界を知ることができるのは、なんという大きい恵みであろうか。

 聖書にもそうした嘘や不信実の現実が数千年前から記されている。しかし、新聞とかのマスコミなどと根本的に違うのは、不信実のただなかにあって、闇夜の星のように、神の真実が一貫して記されていることである。私たちは、この世をどんなに知っても真実はいよいよないのを思い知らされるだろう。しかし、聖書の世界を深く知れば知るほど、そこには計り知れない神の真実が流れているのを知らされる。

私の愛する子

 主イエスが、福音を宣べ伝え始める出発点に立ったとき、神からつぎの言葉が言われた。

「あなたは、私の愛する子、私の心にかなう者」(ルカ福音書三・22

 主イエスに言われたこの語りかけは、伝道の生涯が始まろうとするそのときに言われたのであり、それは、重要な意味を持っている。イエスのこれからの活動は、神の愛を受けてそれによって行われるという宣言なのである。神の愛を受けるのでなければ、イエスもなにもできない。

そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。(ヨハネ福音書五・19

 この言葉は愛とはべつに大した関係があるとは思われていない。しかし、子であるキリストは父なる神のすることを見るのでなかったら何もできないというのは驚くべき言葉である。

 人間はいちいち神のすることを見ないでも、すべていろいろとやっているではないか、キリストはどうして自分から何もできなかったのか、不思議なことだと単なる疑問しか感じないのが普通だろう。

 主イエスは父なる神の深い愛のなかにあり、神の愛によって神と一つになっていたからこそ、神のなさることを見て、その通りにすることができたのであった。神の愛のなかにいるのでなかったら、そもそも父なる神のすることを見ることができない。神の愛のうちにいなかったら、神ご自身すら見えないし、信じることもできないのである。

 もし、神の愛のなかにいないなら、自分勝手な考えですることになり、それでは神からの力も洞察も与えられない。

 主イエスは、このように、最初に神との深い結びつき、神の愛のもとに深く置かれていることが直接に告げられて、そこから宣教の生活を始められたのであった。

 この言葉を受けたときに、聖霊がイエスの上に下ってきたと記されている。聖霊が注がれたことと、神からのあなたは私の愛する子という語りかけは深く結びついている。聖霊を受けているということは、すなわち神からの愛を受けているということであるから。

 そして神から愛する子との言葉を受け、聖霊を受けた上で、イエスは、さまざまの誘惑を受けるという試練の場に立ったのである。そしてその聖霊と神の愛によってサタンの誘惑にも打ち勝つことができた。

 イエスの生涯の最初に神の愛が注がれているとの宣言は現代の私たちにとっても重要な意味を持っている。それは、愛こそはあらゆる人が求めているものであり、愛なくば人間は人間らしく生きることはできない。そしてあらゆる問題の解決の根本は制度とか設備、時間、場所でなく愛である。

 愛がなかったらいっさいは無であるとパウロは言った。それは、神の愛がいっさいを生かす源であるからだ。

 私たちは元気なときには、だれかに愛されているように思っている。両親、友達、上司、異性、職場の同僚などいろいろである。しかし、ひとたび病気になったりすると、いかに愛されていなかったかを思い知らされる人も多い。また老年が近づくとやはりだれからも愛されずに見捨てられることが多くなる。

 学校生活でも、生徒は友人や先生から愛されていないと実感するとき、非行に走ろうとする。一人でも愛してくれる者がいたら、さまようことがない。

 神の口から出る一つ一つの言葉で生きると言われた。それは、神の言こそ、私たちを導き、私たちの罪を赦し、私たちを励ますものであり、新しい力を与えるものであるからだ。そしてその私たちを生かす神の言のもとにあるのが、「あなたは私の愛する者」という語りかけである。

 使徒パウロがキリスト者たちを激しく迫害していたとき、そこに復活のキリストからの光が突然射してきて、パウロは倒れた。そしてその神の光のもとでいかに自分が致命的な誤りを犯していたかに目が覚めた。パウロはキリスト者たちを殺すことにまで加担していたのであった。そうした取り返しのつかない罪をも、主は赦して下さった。主イエスからの「サウル、サウル!」という個人的な呼びかけと、天からの光のなかに、パウロは、「あなたは私の愛する子だ」との語りかけを聞き取ったのである。 (サウルとはパウロの以前の名前)

 また、性に関わる罪を犯した女を打ち殺そうする人たちが、イエスはこの女の罪をどうするのか、とつめよったとき、あなた方のうちで自分に罪がないと思う者からこの女に石を投げつけよ、と言われた。そしてだれも石を投げつけることができないまま人々は立ち去ったという記事がある。

 その後、主イエスは、その女に対して「私はあなたを罪に定めない。」と言われ、「もうこれからは罪を犯さないように。」と戒めた。

 この女は、まわりのすべての人が、自分に対する敵意と軽蔑、そうして冷たい好奇心をもって見つめているのに、ただ一人、イエスだけは、全く異なるまなざしをもって見つめているのを知った。その目には、「あなたは、私の愛する者である」との深い意味がこもっていたのを読みとったことであろう。

 キリスト教の本質は、「主イエスが十字架にかかって死んだのは、私たちの罪をぬぐい去って下さるためのものだったのだ」と信じることにある。

 不思議なことだが、このような単純なことを心から信じることによって私たちの心は楽になる。

 神がイエスへの信仰によって罪を赦して下さるということは、すなわち神が私たちを愛しているということである。

 人間同士でも、相手の罪を赦さないということは、相手に怒っていることだと言えよう。

 使徒ペテロは十二弟子たちのうちでもとくに重んじられた弟子であった。しかし彼は主イエスを三度も知らないと言い張って否定する事になった。そのような悲しむべき罪を犯したが、そのときに主イエスはどうされただろうか。

主は振り向いてペテロを見つめた。ペテロは今日、「ニワトリが鳴くまえに、あなたは三度私を知らないと言う」と言われた主の言葉を思いだした。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカ福音書二十二・6162

 主は、イエスなど知らないと何度も言ったペテロを、単に怒る目で見つめたのでなく、「お前のそうした心を私は以前から知っていた。それでも、あなたは私の愛する子なのだ」という深い思いをこめて見つめたのであろう。

 このように、神から愛されているとの実感によって人は重い罪からも救われ、新しい力をも受けることができる。

「人の心は愛したいと思い、愛によって幸いを得たいと願っている。神も人間をそのように創造された。人がこの愛に関する深い願いを、移りゆくものによって満たすことができると考えるなら、それは大きな誤りである。

 そして最高の善き存在である神を求めようとしないで、自分に与えられた時間をそのような愚かな考えを追求することで空しく失っている。

 しかし人間は神によってこそ、本当の愛と清い喜びを見いだして完全な満足が与えられるであろうのに。」

(十五世紀末のイタリアの聖カタリナの言葉より。彼女は神との深い霊的交わりを与えられていたことで知られている。)
 
 人間は、神によって創造されたときから、愛によってのみその魂が満たされるようになっている。しかしその愛とは神の愛であって、人間や地上のもの、金や栄誉、人間の賛辞や地位など等への愛では決してない。そうした人間的なものに対する感情をふつうは愛といっているが、そうしたものが私たちを満たすと考えることは愚かなことであり、根本的なまちがいなのである。

 神によってのみ、神の愛を受けて、神への愛に生きることこそあらゆる不満を変えて私たちが喜びとすることができるし、人間の最もふかい愛への願いを根本から満足させてくれるのである。

 今も私たちが神を仰ぎ、耳を傾けるとき、一人一人に向かって「あなたは私の愛する子」という呼びかけが静かに細い声でなされているのを聞き取ることができる。

 アーメンとは何だろうか

 礼拝において祈りのなされたあとで、参加者が「アーメン」と言い、また讃美歌の後で「アーメン」という言葉が付加されていますが、それはどんな意味なのか、ほとんどの日本人は知らないままで終わってしまうことと思います。私自身もまだ、キリスト信仰を与えられていなかったとき、なんか変わった言葉だと不可解な思いをわずかに感じたあとはなにも考えることなくずっと過ぎていったのを思い出します。

 これは、ヘブル語(*)で、心から同じ考えであることを表したり、真実な気持ちをそこに込めるときに使います。

 ヘブル語には「アーマン」という動詞があります。アーマンは「堅固にする」「支える」といった意味が基本です。

 アーメンというのは、それから来た副詞で、「真実に」といった意味です。なぜ、この言葉が礼拝とか、讃美歌のあとに言われるかというと、礼拝で語られた神の言葉や祈りの内容に心から同意するとき、そこで語られたことを聞いている自分においても、礼拝に参加している人の内にもしっかりと内容が刻まれるようにとの真実な祈りをこめてアーメンというのです。

 たしかに、他の人の祈りや語られた神の言に対して、私もそれに心から同意しますとの気持ちを込めてアーメンというとき、その祈りや語られた神の言は、祈ったり語ったりした人だけが勝手にしているのでなく、共同のものとして堅固にされるわけです。

 とくに祈りの時に、一人の人が祈ったその祈りをみんながアーメンと言うと、他の人も「それと同じ内容の祈りを祈ります」という意味になり、同じ祈りをしてその祈りを堅固にするということになり、その同じことを心を一つにして祈りますという意味になります。

 アーメンのもとになっているアーマンが堅固にするという意味で使われている例をあげてみます。

 例えば、「わたしはあなたと共にいて、わたしがダビデのために建てたように、あなたのために堅固な家を建てて、イスラエルをあなたに与えよう。」(列王記上十一・38)」

 というように用いられています。

 そしてこの言葉こそ、つぎのように旧約聖書で「信じる」と訳されている代表的な動詞なのです。

「アブラム(アブラハムの以前の名前)は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記十五・6

 そしてこのアーマン(aman)から派生した言葉であるエメス(emeth)とかエムーナー(emunah)は、日本語風に書くと、全然別の言葉のように見えますが、原語のつづりでは、少し違うだけの言葉です。このエメスは旧約聖書では最も重要な言葉の一つになっています。それは、神の本質を表す言葉としてしばしば用いられているからです。

 例えば「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、・・」(出エジプト記三四・6)のように、記されています。ここでのまことと訳されている原語エメスは、他の箇所では、「真実」とも訳されている言葉です。

 アーメンという言葉がこのように、真実性、堅固性、永遠性という重要な意味を持っているために、この言葉はつぎのように神ご自身を指す言葉としてすら用いられているほどです。

それゆえ、自分のために祝福を求める者は、真実(アーメン)の神によって自分の祝福を求め、自分のために誓う者は、真実の神をさして誓う。さきの悩みは忘れられて、私の目から隠れてしまうからである。(イザヤ書六五・16

 ここでは、原文では「アーメンの神」いう表現になっており、神のご性質として根本的に重要なのが、この真実性、堅固さであることがこのような表現を生み出しているのです。

 このアーメンという言葉は、新約聖書でも多く使われています。

 主イエスは、しばしば「アーメン、アーメン、私は言う」と話し初めて、とくに重要な内容のことを語るときに用いられています。

 これは、日本語訳聖書では、「まことに、まことに汝らに告ぐ」(文語訳)とか、「はっきりと私は言う」(口語訳)などと訳されていますが、たんにはっきりと言う意味ではなく、文語訳のように、これから言おうとすることが、特別な重要性を持つ内容であり、その真実性を強調するときに用いられています。これは、この語の元の言葉であるアーマンという言葉が「堅固にする」という意味である故です。これから語ろうとする内容が揺るがない、堅固なもの、すなわち永遠の真理であり、そのことを強調している表現なのです。

 そして新約聖書の最後の黙示録では、イエス・キリストのことを「アーメン」そのものだと言ったうえで、「誠実、真実な」とわかりやすく言い換えています。

アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方(キリスト)が、次のように言われる。・・(黙示録三・14より)

 このように、見てくるといかにアーメンという語とその派生語が聖書では重要であるかがわかります。単なる形式的な言葉、儀式的な言葉では決してないのです。

 イエスがアーメンそのものであるということは、イエスによってあらゆる良き約束がすべて成就するのであり、それほどにイエスの言葉は真実であり、堅固なものであり、私たちの確固たる希望の源泉であるということなのです。

*)ヘブル語は今から数千年も昔の古代イスラエルの言語で、長い間旧約聖書の言語として書物の中で残ってきました。実生活の中では使われなくなっていたいわば死んだ言語でしたが、今から百年余り前にユダヤ人のエリエゼル・ベン・イェフーダーという人が、日常語としてよみがえらせて現在のイスラエルも使っています。

誘惑を受けること( 創世記三章より)

 創世記には最初に創造された人間が、ヘビに誘惑されるという記述があります。これは有名な記事ですが、すこし考えてみるといろいろわかりにくいことがあります。

 聖書は単なる神話のようなことは決して書かない。そこには、いつもこの世における事実、真実が記されています。

 ヘビに誘惑されるということは、この世における事実を象徴的に述べているということです。この世には、強力な誘惑する力があって、どんなに豊かになっても、誘惑されて間違った道へと引っ張られてさまざまの悲劇が生じるということをヘビとか、食べるのを禁じられた木などを用いて描いているとも考えられます。

 ヘビは数限りない与えられていることを感謝するように仕向けることをせず、満たされていないこと、足りないことを取り出して不満を生じさせたのです。

 私たちが罪を犯すことも、また与えられているものに正しく感謝しないことがもとにあります。

 ヘビはこのエデンの園において、真ん中に食べてはいけない木を置いたことを人間が不満だという気持ちになるように仕向けたのです。

 まず、ヘビは神が言うはずのないこと、どの木からも食べてはいけないと言ったのかと問いかけます。どの木からも食べてはいけないのであったら、飢えてしまうのであり、そんなひどいことを命令するはずがないのです。しかし、ヘビは神とは厳しい、冷たいお方なのだということをまずもちかけています。

 つぎに、食べてはいけない木の実を食べるなら、必ず死ぬと神が強く言ったのに、ヘビは決して死なないと逆のことを断言したのです。

 かえってこの実を食べると神のようにあらゆることを知るものになるとまで言いました。

 このように誘惑を受けた後で、その木を見ると、いかにも美味しそうで、目を引きつけ、賢くなるようにとそそのかしていました。それまではそんなに思わなかったのにどうしてこのヘビの言葉を信じたらそのような気持ちになったのでしょうか。

 これは人間の心理を巧みに言い表しているところです。真実に反する欲望というものは、冷静に見ればすぐにその本質がわかるけれども、私たちが誘惑を心に受けてしまうと、よくないものであってもそれが素晴らしいもののように見えてきて、ますます引き込まれるということなのです。

 少年が酒やタバコに引っ張られるのは、もともとそれらが美味であるとかでなく、たんに友人からの誘惑によってそれがなにかよいもののように錯覚していくのです。いじめなども、同様で、自分だけではする気持ちがないのに、悪い友達からそそのかされて一緒にするようになると、ますますそこに引き込まれていきます。

 ダンテは、神曲の煉獄編第十九歌において、誘惑を受けて魂が引き込まれていくことを巧みに描いています。

 夢のなかに一人の女が私に現れた。口はどもっていて、目は斜めになり、両足は曲がり、両手はともにもがれていてなく、肌の色は青ざめていた。

 私がその女を見つめていると、ちょうど太陽が上って夜の寒さに萎えて冷えてしまった手足を暖めてよみがえらせるように、その女は、舌がなめらかになり、みるみるその姿勢はまっすぐとなった。そして青ざめていた顔には、生気がよみがえり、恋する女のように紅みを帯びてきた。

 こうして舌がなめらかとなった女は、すぐに歌い始めた。

「私は、歌う女のセイレン。海のただなかで船乗りたちの行く手を惑わすほどのたとえようのない歌声を持ち、この声で、古代の英雄をも正しい道から引き離し、私のもとに引き寄せた。私の声を聞くものは私から立ち去る者は稀だ。それほどに私の声は聞く者を満たすのだから。」

 そのとき、一人の機敏で聖なる女性が現れた。そしてその誘惑しようとしていた女セイレンを混乱に陥れた。

「おお、ヴェリギリウス、ヴェリギリウス(*)よ、この女はいったいだれなのか?」とその女性はきびしく言った。

 ヴェリギリウスは、その清い女性をしっかりと見つめたまま、セイレンに近づいた。彼はその誘惑する女セイレンを捕えると、その胸を開き、衣を引き裂いて私にその女の腹を見せた。そこからは、耐えがたい悪臭が立ち上ってきた。私はそのひどい臭いで目が覚めた。(ダンテ作 神曲煉獄編十九歌より)

*古代ローマの代表的詩人

 ここで言われていることは、創世記のこの箇所とよく似たことだと考えられます。この誘惑する女とは、人間のいろいろなものへのまちがった欲望の象徴です。そうした欲望は本来醜いものであり、だれもが目をそむけるものであるのに、それに引かれて目を注いでいるとだんだん心が引っ張られて、よいもののように見えてくるというわけです。

 人間が欲望やその目的物を見つめていると、それがだんだんここのダンテの書にあるように、人間に誘惑の力を強くしていくというのです。人間が見つめるまでは、醜い正体をさらしていたのに、人が見つめるととたんにその欲望は元気が出てきて人間をとりこにしてしまう。

 昔の神話にセイレンという女がいて、その心を引きつける歌声によって、名高い勇士すら、その声に引き寄せられて進路を間違ってしまったというのをダンテは用いています。 この女の悪い力に会うと、ダンテを導いた理性の象徴であるヴェリギリウスでさえも、惑わされそうになった。しかしそこに天からの声が聞こえ、その声に叱責されたので、その天の女性の方をじっと見つめていくとき、初めてそのセイレンなる悪しき女の魔力から逃れ、その女を捕らえて動けなくし、正体をも明らかにしたのです。

 ダンテは詩人であるばかりでなく、哲学者でもあり、政治家でもあり、当時の科学にも深い素養を持っていた人だった。彼の肖像画には、そのようなダンテのきびしい理性的な表情が描かれています。

 しかし、そうしたダンテであっても、なお、セイレンという誘惑する女の強い引力には負けてしまいそうになった。ヴェリギリウスすらも同様だったのです。それほどに誘惑の力は強いものであり、だからこそ、エバもその力に抵抗できずに引き寄せられてしまったといえるのです。

 ダンテを導いていた先生であり、理性の象徴であるヴェリギリウスでさえ、引き込まれそうになったその力にいかにして立ち向かうことができたか、それは、天からの聖なる声を聞き、それを見つめるという単純な方法によって可能になったのです。

 アダムとエバたちは、神が禁じていたことをどうしてこんなにも軽々と破ってしまったのか、しかもその実を食べると必ず死ぬと言われているのに、どうしてそのような悪事をすることができたのだろう。

 どうしてアダムは何にも言わず、神の命令をも破ってしまったのだろうか。ヘビに誘惑されるまでは、この禁じられた木のことは全く破ろうとする気持ちすらなかった。しかし、ひとたびヘビが現れると、いとも簡単にそれまでに忠実に守ってきた戒めを破ってしまったのです。

 なぜ、裸が恥ずかしくなっていちじくの葉で腰を覆ったりしたのだろうか。それは、だれでも性に関して罪を犯しやすく(本能であるゆえに)、またその罪が自分や相手の人格を破壊することにつながり、さらには、その関係の結果生まれてくる新しい命をもしばしば断つことにつながるからだと考えられます。

 禁断の木の実を食べるということは、性の関係を持つことであると説明する人がいます。しかしこれはもちろん全くの誤った考えです。というのは、神は、「産めよ、増えよ」と言って、子を産むことに祝福を置いたからです。

 神は、この実を食べると必ず死ぬと言われたのに、アダムとエバは死ななかったように見えるのはどう考えたらよいのでしょうか。

 もし、この木の実を食べなかったら、アダムは命の木の実を食べて死ぬことはなかった。しかし、この木の実を食べたことによって死ぬ存在となった。また、この罪を犯した直後に神がアダムとエバのいるところに来たとき、彼らは神の顔を避けて園の樹木の間に隠れてしまった。

 このように、神に背くということが霊的な意味における死であったといえます。

 現代も、人間がいつも神の言葉に従わず、神の顔を避けて隠れているという状況になっています。このように最も愛と真実にあふれる神の顔がかつては見えていたのにわざわざ見えないところに行くというのが、神のさばきを受けたということになるのです。

 このようにして創世記という聖書の巻頭の書で、人間が神に逆らい、せっかく与えられた数々の自然の恵みを無にしていく状況が記されています。

 聖書のすべては完全な真実を持たれるお方(神)に背を向けて生きる人間の現実を描くとともに、いかにしてそのような縛られた状態から回復するかを書いている書物だと言えます。

 そして創世記の時代からはるか後になって、キリストの時代になってようやくこの神に背を向けた状態から立ち帰って神と正しい関係になる道が開かれたわけです。 

星とダンテ

 星はいつの時代にも人々の心を深く引きつけてきました。とくに聖書においてはその最初から、神が光を与えたものとして太陽とともに記されているし、神の力とわざを表すものとして星があげられています。

 神ご自身の創造したイエスのことが聖書の最後に明けの明星(金星)として、象徴的に表されています。

 ダンテは、西洋の中世の大詩人です。大詩人というのは、彼が書いた神曲によって数しれない人たちがキリスト教信仰の深さ、広さを知らされ、また導かれる人生がいかに重要なのか、神の裁きと愛、神との深い霊的な交わり、神から与えられる喜びや力、そして政治や社会の出来事とキリスト信仰との関わりがいかに重要かといった内容を驚くべき均整のとれた構成で歌っています。

 異性間の愛情等など、じつに彼が故郷を追放されて流浪の人となりつつも、長い年月を要して、生涯の終わりちかくなって完成した作品です。これは、一万四千行あまりの膨大な長編の詩です。

 しかもこのすべての行にわたって三行一組にして、脚韻を踏んであり、各行の音節も11音節にそろえられています。

 これは、最晩年までの十数年という歳月を費やして流浪の苦しみと悲しみのただなかで完成された比類のない作品です。

 さらにこの神曲は地獄編、煉獄編、天国編という三つの部分に分かれていて、それらは地獄編が三十四歌、煉獄と天国編は各三十三歌であり、合計が百歌になっているのです。 そしてこれら地獄、煉獄、天国という三つの部分の最後にいずれも、星(stelle)という言葉で終えているのもまた、意味深いものがあります。(*

 星とは、まず光に満ちたもの、堅固なもの(永遠的なもの)、そして清さに満ちたもの、であり、これはつねに最も高きを見つめ、それに向かって歩んでいったダンテの志しがはっきりと表されているのです。

 星こそは、いつまでも変わることがないと言われた神に結び付けられた希望の象徴でもあったのです。

*)参考のため、イタリア語の原文を以下に引用しておきます。日本語文では、星という語は最後にはなりませんが、原文では最後に置かれているのがわかります。

・地獄編の最後の行

E quindi uscimmo a riveder le stelle.

(そして我らは、星を再び仰ぎ見ようとして外に出た。)

・煉獄編の最後の行

puro e disposto a salire a le stelle.

(私は、清められ、星を指して昇ろうとしていた。)

・天国編の最後の行

l'amor che move il sole e l'altre stelle.

(その愛は動かす、太陽とほかの星を。)

新しく生まれ変わる
 (ヨハネ福音書三・115より)

さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ(*)、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたがたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」

イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたがたに言ったことに、驚いてはならない。

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえようか」と言った。

イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。

はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。

わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。

そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。

それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

*)ラビとは、ユダヤ人の律法の教師。もともと、ラブというヘブル語は「大きい、偉大な」という意味で、ラビとなると、「私の先生」という意味になる。旧約聖書の教師を指すことが多く、律法の「先生、教師」という意味。

 霊から生まれた者も、すべて風のよう、どこから来て、どこへいくのか誰も知らない。

 霊から生まれた者とは、キリストによって直接に呼び出された者のことです。そしてキリストを神の子として信じて、神の霊によって導かれる人です。それゆえに、霊から生まれた者も、どこから来たのか、すなわち、どのような過程を経てキリストを信じるようになったのか、本当のところはだれもわからない。パウロのようにキリストを迫害していた者、キリスト教を滅ぼそうと考えて必死になっていたような者すら、突然キリストを信じるように変えられた。

 それは、どうしても言葉では、説明のできないことです。パウロの魂の奥でどんな変化があったのか、わからないのです。ただ神の見えない御手がはたらくとき、だれにもわからないような神秘のなかでキリストへの回心が生じるのです。

 そして回心した者は、どこへ行くのか、どのようなところへと導かれていくのかは本人にしても他のだれも知らないと言えます。

 また、風はじつに自由です。どんなところへも吹いていきます。同様に霊によって生まれた者もまたそのような完全な自由を与えられていると言えます。

 この新しく生まれるということは、新約聖書では最も重要なことなのです。だから使徒パウロもしばしば述べています。

割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。(ガラテヤ書六・15
 ニコデモは、主イエスが人は神の霊によって新しく生まれ変わらねば神の国は見ることができないと教えたとき、ニコデモは、「どうしてそんなことが有り得ようか」と言いました。この言葉で表されているように、主イエスは一般の人、それがたとえ学者であっても、有り得ないと思われることを成し遂げるお方であることがはっきりと言われています。

 ニコデモは、ユダヤ人の神の言の教師であり、旧約聖書を深く知っていて、神の全能とかメシアが世の終わりに来ること、そのときに完全な神の御支配が成就することも信じていたのです。

 にもかかわらず、ニコデモは主イエスの言ったことが全くわからず、もう一度母の胎内に入って生まれ変わるのかなどという、子供じみた疑問を出したのです。ユダヤ人の教師が、イエスのことをラビと呼んで最高の敬意を表してわざわざ尋ねに来たのに、相手が母の胎内にもう一度入って生まれることなど言っているはずがないのをニコデモともあろう人はわからなかったのだろうかと疑問になります。こんな幼稚な質問をするというのはどうしたことだろう。

 神は万能であると信じている人でも、イエスの「新しく生まれ変わる必要がある」ということは理解できなかったのがわかるのです。たしかに旧約聖書では神の声に聞き従うことは繰り返し強調されているけれども、新しく生まれ変わらねば神の国(神の御支配)を見ることはできないというようなことは言われていないのです。

 それほどに主イエスの言われたことは、旧約聖書の世界とは大きく違う世界を指し示していたということです。

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(八節)

 風そのものはどこから来て、どこへ行くのか見えない。しかし、その風の作用は木々のそよぎや水面上の波などでわかります。

 ちょうどそれと同様に、神の霊によって新しく生まれた者もどこから来て、どこへ行くのかだれにもわからないというのです。この意味は、ある人が新しく生まれ変わるのにどんな経過をたどって新しくされたのか、それはだれも予想できない、全く思いがけない道筋で変えられる。それは不連続的であってしばしば突然にして生じる。それほど突然でなくとも、どんな風にして変えられたのかはだれも説明できないということです。そして、ひとたび新しく生まれた人は、どこへ行くのかもわからない。どんなところに導かれていくのか本人も周囲の人もわからないということなのです。

 それほどに神の霊によって新しく生まれるということは、深い神秘に包まれたできごとであり、それは神ご自身がなさるわざであるからです。
神によって新しく生まれ変わった人が、本人すらわからないところにと導かれていくかについて、聖書の霊を少し見てみます。風は思いのままに吹く、どこへ吹いていくかわからない。

 例えば、使徒となった漁師ペテロは、自分はただガリラヤ湖のごくふつうの漁師であり、ユダヤ人が何百年も待ち望んできた救い主の弟子となって、世界に宣べ伝えるような人になるとはいかなる人も予想しなかったことです。なぜ、ペテロという人が選ばれたのか、なぜ他の漁師でなかったのか、なぜ、他の農業とか牧畜をしている人、商人とか宗教家とかでなかったのか等など、それはまさしく風がどこから吹いてくるかわからないように、それはまったくわからないことです。風がどこからともなく吹いてきたように、ペテロは思いがけなくキリストの弟子とされたのです。

 また、選び出された後にも、彼はユダヤ人だけにキリストのことを伝えるつもりでおりました。ユダヤ人以外は汚れているという考えが他のユダヤ人同様にしみこんでいたのです。

 しかし、そのような考えをキリストは打ち破って彼が、ローマ帝国全域への伝道者となるようにとさらに導いたのです。そしてそのことがペテロ自身では思いもよらない方向であったことは、ヨハネ福音書の最後の部分にも印象的な書き方で示されています。

はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネ福音書二十一・18

 このように、風は思いのままに吹く、神の御意志のままに聖霊は人に注がれ、その聖霊は神の深いご計画のままに人を導いていくのです。

わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。(12節)

 ここで主イエスが地上のことと言っているがそれは何を意味するのかについてはいろいろの見方があります。ニコデモに話したことを指しているから、それは地上に真に生きるためには、生まれ変わる必要があることを述べたので、そうした意味では地上のことです。しかし、キリストが殺されることによって万人が罪から救われること、キリストと同じすがたに変えられること、復活のこと、さらにはキリストの再臨によって万物が新しくされることなどなどといったことは、「天上のこと」と言えることで、そのようなことは到底信じることはできないと言ったのです。

天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。

そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。

それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

 ヨハネ福音書では、ほかの福音書には見られない表現がいろいろあります。「私は・・である」(原語では、 エゴー エイミ・・)といった表現に独特の重要な内容を持たせていることとか、イエスの神性の強調、永遠の命の強調などなどです。

 天に上るということ、そして人の子が上げられねばならないということ、が重ねられています。別の箇所では、イエスをただちに信じたナタナエルという人について、その信仰を特別にほめた上で、さらに大いなることを見ると約束されたことがあります。それが、つぎの箇所です。

イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

 大なる信仰を持つものには、イエスが特別な存在であることが啓示される。それは神の天使たちがイエスの上に上り降りするという。これは何のことか非常に象徴的な表現なのでわかりにくいことです。しかし少なくとも、深い祈りによって書かれたヨハネ福音書の冒頭部分の最後におかれていることからも、ここに重要な意味が込められているのがわかります。

 天から、すなわち神から天にあるものがイエスに注がれ、イエスの人間世界に対する祈りが神へと引き上げられる。天と地上世界との絶えざる交流を主イエスは持っている。

 これは主イエスが神の子であることを示すものであると言えます。

 主イエスは天に上るが、もう一つ「モーセが荒野で蛇を木に上げたように、自分もまた木に上げられねばならない。」といって、十字架に上げられて殺されることを不可欠のこととし、それが単なる処刑でなく、万人が罪から救われて、永遠の命を与えられるためだということを明確に述べています。

 ここで、モーセが荒野で蛇を上げたというのは、初めて聖書や、この箇所を読む人にとっては何のことかまったく不明のはずです。

 イエスは神の子であるから単に死んで終わりなのでなく、天に上るお方である、このことは現在では当然のように思われています。天に上ること、神のもとにいくことは主イエスなら当然だと思うはずです。

 しかし、もう一つの木に上げられるということは、何を意味するのか、それは旧約聖書の不思議な記事をもとにして言われています。

 しかし、民は途中で耐えきれなくなって、神とモーセに逆らって言った。

「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。荒れ野で死なせるためか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、力も失せてしまう。」

 主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。

 民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯した。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。

 主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」

 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。(旧約聖書・民数記二十一章より)

 人々がエジプトからようやく救い出されたと思ったのに、つぎは砂漠のなかを歩いて帰らねばならなかったのです。そのとき、砂漠のきびしい環境のなかで人々はモーセに向かって激しく怒ったことがあります。それがこの記事です。人々はモーセにだけでなく神に対しても罪を犯したので、その罪は神ご自身が取り除くしかないのです。

 きわめて多数の人々がその罪をどうしたら取り除くことが出来ようか。この問題について神は不思議な命令を下したのです。それは、罪の償いのために何か労働をしなければいけないとか、金を捧げるとか産物を捧げるとかでもなかったのです。

 それは驚くべきことですが、青銅で蛇を作りその蛇を木に掛けて、その蛇を見上げて、見つめるだけで、大きな罪が赦されて命を与えられるというのです。

 このようにキリストよりも千数百年も古い時代から、十字架上のキリストを仰ぐだけで罪からの救いを与えられ、命を新しく受けることができるということがあったのです。

 私を仰ぎ望め、そうすれば救われる。(イザヤ書四十五・22

 この簡潔な言葉もまた、キリストよりはるか昔に書かれた旧約聖書のなかの預言書であるイザヤ書のなかに記されています。

 このようなさまざまの人たちがはるかな昔に預言し、それが主イエスによって実現されたのです。

 そのことを主イエスは引用し、それが自分にあてはまると述べました。自分が十字架の処刑をするための木にくぎ付けされ、木に上げられたけれども、それが神の永遠の計画であって、キリストには二種類の高きところへと上げられる事態が生じたのです。

 主イエスはナタナエルという人に対して、天使がイエスの上に上り降りすると約束しました。そしてこれは、主イエスを信じる人においても、その程度の多少

あっても、実現することです。

 ヨハネ福音書では、とくに十字架にあげられることが神の栄光をあらわすものと記されています。

 神と同様な存在として天にいくことも上がることであり、犯罪人として最も重い刑罰である十字架刑を受けたのです。この両極端のことがいずれも「上げられる」こととして表現されているのです。

休憩室

木星

 十月も半ばをすぎると、だんだんと夜は寒くなってきましたが、それとともに夜更けてからの空には澄んだ大気のなかで輝く星に心が引かれます。夜十時も過ぎるころになると、東の北よりの空に周囲の星とは一段と明るく際だっている星が見えてきます。それが木星です。今年は、木星と土星、そしておうし座の一等星であるアルデバランとが直角三角形をつくっています。

 木星はどんなに星のことがわからない人でもただちに見つけることができる澄んだ強い光を放っています。

 一年前の今ごろは木星はおうし座からもっと遠く南の方に離れていたのですが、今年はおうし座のところまで近づいてきて、ちょうど土星、木星、アルデバランの三つの明るい星で直角三角形を形作る位置に来ています。

 また、金星が宵の明星として夕方の西の空に見えるようになってきました。これから数カ月は夕空に輝いて目を楽しませてくれます。

コスモス

 この原語(kosmos)はギリシャ語では、秩序を意味します。整然としているもの、それがコスモスです。目に見えるもので最も整然とした秩序あるもの、それは宇宙の星です。そこで宇宙のこともコスモスというようになり、さらにきれいにするということにもつながり、化粧関係にも使われ、コズメティック(cosmetic)という言葉も生じたのです。Tペテロ 三・3には、そのような用い方がされています。

 さらに、秋に咲く美しい花でその均整のとれた花の感じからコスモスと名付けられました。

 また、新約聖書のヨハネ福音書では、特別な意味をもって書かれています。宇宙から地球へそしてこの世という意味まで生じることになり、ヨハネ福音書ではコスモスというギリシャ語は、「神などいないとするこの世」を指して言われます。私たち自身もかつては、神を知らず、神に背を向けて生きていたのであって、神不在とする「この世」の一員であったわけです。

 そうした神に背いているこの世の人々すべてをふたたび真実な神に立ち帰らせるため、そして神のいのちを与えるためにキリストはこの世に来て、そして十字架にかかって死ぬことまでされたのです。そこにキリスト教のすべてが凝縮されています。

 こうしてコスモスという言葉はさまざまのところに広がっていく意味を私たちに投げかけています。

返舟だより

 私たちの集会のテープを聞いておられる方からの来信です。

・・・(集会のテープでの聖書の解きあかしにより)こんなに深い意味があったのかと、聖日毎に驚きを共にしています。感謝です。・・(近畿地方の読者より)

・聖書は飽きることのない、唯一の書物であるとある有名なヨーロッパのキリスト教著作家が述べていました。先人の学びや鋭い研究、そして歴史のなかで膨大な量にのぼる注解書、それに加えて私たち自身の経験、さらに最も重要なことはすべての真理を教える聖霊を受けることなどなどによって聖書の意味はいっそう深い真理が示されてくるのだと思います。そのゆえに何度読んでも決して飽きることのない唯一の書物なのだとわかります。

・・パソコンの件でいろいろのアドバイスをありがとうございました。有効に使いこなす努力をしたいと思います。実は、九十二年に○○県でパソコンの講習を二カ月ほど受けて、一応当時のパソコンは操作できていたのですが、使途が広がってきた上に、ソフト・ハード共に大幅に向上しましたのでまたじっくり取り組み、聖書の勉強に活用したいと思います。・・(九州の読者から)

・定年退職の後、時間が十分に与えられるようになって、多くの人たちがパソコンを始めています。しかし、肝心の問題は、時間も購入の費用も十分にあるが、なかなか側でこまかなことまでていねいに教えてくれる人がいないことだといわれます。

 パソコンもこの来信のように、聖書の学びを深めるために用いるなら、大いに意味がありますし、印刷された書物は小さい文字で書いてあることが多いのですが、パソコン上では、画面に現れる各国語訳の聖書の文字はいろいろと自分の見やすいように好きなように変えることができます。

 聖書を日本語の各種訳を比較したり、多様な外国語訳聖書を比較参照する作業をよくする熱心な聖書の学びをしている人は、書物をあちこち広げるよりパソコンの方がはるかに効率的で、重要な聖書箇所とか文を他の人にインターネットメールによって伝道の目的で送ったり、多種多様な讃美歌、聖歌などのキリスト教讃美に親しむこともできます。その他にもいろいろと多様な応用ができます。

 ことにギリシャ語とかヘブル語など聖書の原文をも参照して聖書のより正確な学びをしたいという方には、ギリシャ語の辞書や逆引き辞書をあちこち引いて調べるよりパソコンを用いた方が断然早く、さらに多くのいろいろの情報がわかります。例えば、信仰という言葉がどこに何回現れるか、その箇所をそれぞれ表示するといった語句索引的な用法も簡単にできます。
      ・・「はこ舟」のなかで引用されている聖書の箇所はその引用の箇所を実際に聖書を開いてその箇所の前後をよく自分で学ぶことが重要と思っています。「はこ舟」を通して独りで聖書を学ぶ習慣が得られることを願っています。・・(関東地方の方)

・「はこ舟」をたださっと読むだけでなく、そこで引用している聖書箇所を一つ一つ聖書にあたって見ることは、時間のかかることですが、そうして読んだ聖書の箇所が「はこ舟」の本文より強く印象に残るようであったら、神の言がいっそう深く入ると思われます。

徳島聖書キリスト集会集会案内・場所は、
徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。

(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)
・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で毎月場所が変わります。
(現在の移動夕拝は、板野郡藍住町、徳島市川内町、麻植郡山川町、徳島市国府町の四箇所を移動しています。)
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。
  また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、
  板野郡藍住町、徳島市住吉、鳴門市などで行われています。
  また祈祷会が月二回あります。

問い合わせは下記へ。
・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017

2000/10


今月の聖句

兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
(ロマ十二・10


混乱の中で      2000/9

 最近とくに異常なほど少年の特異な犯罪が続出している。仲間や自分の親の命を奪ったり、生涯にわたって苦しむような重い傷を与えるような行動は、それは他人をも自分をも生きている限り、償いようのない苦しみに巻き込むことになるのが見えないのだろう。
 しかし、そのような混乱のなかにも、光は依然としてある。 キリスト教の不滅の価値は、いかなる事態が生じようとも、決して自分が捨てないかぎり希望を失わないでいられるということだ。
 いかなる出来事が生じようも、それでも神はいる、神の愛はあると信じ続けるものには、たしかに神の存在や、神の愛を実感できるような人と出会ったり、出来事が生じたりする。
 闇はだれも見たくない、しかし闇は周囲にある。闇深くなれば、いよいよ絶望するほかはない。しかし、キリスト者はその闇の深まるならますますはっきりと光を実感することができる。
 「闇のなかに光は輝き続けている」ゆえに、キリストと結びついているかぎり、私たちは闇が深まるように見えても、そのなかで真理の光をますます明瞭に見るようになるだろう。

受け身の生活


 私たちが生きるときに、受け身であってはいけないとよく言われます。他人から言われるままに生きている、それは意志の弱い、自主性のない人間だということになります。
 他人に動かされずに、自分で判断し、自分で行動すること、それはだれにとっても重要なことだと言えます。
 自分で判断できないなら、当然他人の判断で動かされることになるからです。
 このように、受け身でなく、能動的に、主体的に生きることはあまりにも当然のことだと思われます。
 しかし、聖書においては意外なことですが、最高の生き方は、受け身の生き方であるとされているのです。しかしそれは人間に対して受け身でなく、神に対しての受け身の姿勢です。

 まず主イエスご自身はこのことに対してどう言われたかです。

そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子(イエスのこと)は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。(ヨハネ福音書五・1920

わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」(同30

 このように、主イエスは驚くべきことですが、自分ではまったく何も行えない、ただ神からの言葉を受けて、神の意志を行うだけだと言われています。主イエスこそ完全な受け身の生活をされたお方であったのです。
 それは、聖書にいう神とは、完全な愛と真実のお方であり、万能であり、時間や空間を超えたお方であるゆえに、そのような神の御意志を受け取ることが最善だということになるからだといえます。
 キリスト教における受け身の生活とは、このような、すべてを持っておられる、永遠の岩である神を信じてはじめて生じることです。

 このような真理の霊に対しての受け身の姿勢は、ギリシャ哲学者の代表的人物の一人、ソクラテスにもはっきりと見られます。ふつうは彼は哲学者という名から自分で思索して自分で行動する代表的人間のように思われています。
 しかし、彼が裁判の結果死刑になることを承知で、あえてその裁判に臨んだのは、意外にも、彼自身の哲学的判断の結果ではなかったのです。哲学者とは、いっさいのことを、理性的に鋭く考察して、その結論にしたがって生きる人だ、ソクラテスのように人類歴史上で最大級の影響をもたらした哲学者はその典型だと考える私たちにとって、彼が生涯の終わりの最も重大な決断を要するときに、肝心の自分の理性的考察でなく、「神からの声」によって決断したというのは、驚くべきことです。
 ソクラテスには、すでに若いときから、間違った行動や発言をしようとしたときには、必ず心の奥に、ある警告の声が聞こえてきたといいます。それはじつにしばしば生じたことであって、ソクラテスはその声に従って生きてきたというのです。彼は長い生涯の経験からその声に従っていくとき、必ずよいことになると知っていました。彼の最期となる裁判のときも、家を出ようとするときにも、その神の声は反対しなかった、いよいよ裁判が始まって法廷に立とうとしたときにも、法廷での弁論の途中でも、その声は反対しなかった、だから今回の裁判の結果、死刑になるということは良いことであったと考えざるを得ない、その最大の証拠は、神の警告の声が自分の行動に反対しなかったということだと述べています。(プラトン著 「ソクラテスの弁明 40AC」)

 神の声に聞いて、その声に従って行動する、その姿勢こそは聖書を一貫して流れる受け身の姿勢です。
 私たちは真理に対しては、ただ受け身であらねばならない、私たちは真理を受け取る器でしかないということです。

つぎに二千年のキリスト教史上の最大の使徒というべき、使徒パウロについて見てみます。彼の代表的な著作は、ローマの信徒へあてた手紙です。ここには、人間の罪の本質、その罪からの救いとは何か、イエス・キリストを救い主として受け入れなかったユダヤ人はどうなるのか、救われた者はいかに生きるべきか、何が救われた者を導くのか・・などなどについて詳しく書かれています。
 そのパウロがどんな心で生きていたかは、随所に見られますが、その手紙の冒頭の表現に凝
縮されています。

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、・・(ロー
マの信徒への手紙一・1

 ここでパウロは自分の肩書きとして第一に、「僕」と言っています。しかし、この僕と訳された原語はドゥーロス(doulos)といい、奴隷という言葉です。奴隷とは、主人の言うままになる存在です。全く自分の考え通りにはさせてもらえない人間です。
 自分はキリストの奴隷である、そういう驚くべき表現をして、パウロはいかに自分がキリストを主人とし、そのキリストに言われるままに生きている存在であるか、言い換えればいかに自分はキリストに対して全面的に受け身の生活をしているかを一言で示そうとしたのです。
 つぎに、「福音のために選び出された」と言っていることについてです。
 ここでも、自分でいろいろと考えて福音のために働こうと決心したというのでもなく、ある特定の人物とか宗教的組織から命じられたのでもないのです。神によって選び出されたという受け身の表現なのです。
 つぎに、「召された」という言葉があります。しかし、この日本語は、現在ではここでの意味のように「呼ぶ」という意味では、ふつうの会話ではまず使われない言葉です。(*

*) もともと、この「召す」という言葉は、「見る」の尊敬語であって、そこからいろいろに用いられている。「ご覧になる、治める、呼び寄せる、取り寄せる、命じる、捕らえる」などに使うほか、「食う、
飲む、着る、乗る、風邪を引く」などにも使われる。

 そのために、何かキリスト教の特殊な用語のように見えますが、そうでなくごく普通の「呼ぶ」という言葉であり、「召された」というのは、「呼ばれた」という意味です。
 ですから外国語訳もほとんどすべてふつうの「呼ばれた(英語では、called)」という語を用いています。
 「召されて使徒となった」ということは、「神に呼び出された」ということであり、ここでも受け身の姿勢がはっきりとしています。自分の考えや希望でキリストの使徒となったのではないということなのです。
 事実、パウロはキリストに呼び出される前は、逆にキリスト教徒を殺そうとするほどに迫害をしていたのであって、彼自身の考えではとうていキリストの使徒になるなどということは考えられないことだったのです。
 また、召されて「使徒となった」とあります。この使徒という言葉も原語では、「遣わされた者 apostlos」であり、これは「遣わす apostello」から造られた言葉で、やはり受け身の意味を持っています。
 このように、ローマの信徒への手紙の最初にパウロは自分の肩書きともいうべきものを書くにあたって、キリストの命じるままに生きるという徹底した受け身の者であり、選ばれた者であり、呼び出された者であり、遣わされた者であるといっており、すべてにわたって、○○された者であるということを深く知っていたのがうかがえます。
 私たち自身はどんなに自分で自分を変えようとしても変えることができない、ことに私たちは、敵対してくる人のために祈る愛の心というのは、どうしても持つことができません。
 神の力により、聖なる神の霊によって変えて頂く必要があります。
 私たちはつねに自分の力では正しい道を歩んでいくことができない、どうしても自分中心の利己的な考えで歩んでしまいます。
 そのため、私たちは自分の考えや経験、あるいは他人の助言とか周囲の考えなどによって歩むことなく、神の霊によって導かれる生活が不可欠となってきます。
 さらに、この地上での最期の死ということこそ、人間にはどうすることもできない事実です。その死というすべてのものを飲み込んでいく力から救われるために、神の力によって霊のからだに変えられる必要があります。ここでもただ人間は受け身になって、変えていただくのを待ち望むばかりです。

 キリスト教の根本の精神が受け身にあること、それは旧約聖書にも多く見られます。
信仰の父と言われるアブラハムのことが詳しく書かれていますが、その出発点はアブラハムが神からの声に聞いて従ったということでした。ここでも、アブラハムは自分の考えや判断で決めたのではなく、ただ聞こえてくる神の言に従ったということなのです。
 このことは旧約聖書でアブラハムと並んで、特に重要な人物であるモーセも同様です。モーセも妻子を与えられて、平和な羊飼いの生活をしていたときに、神からの呼びかけを受けてそれに従ったのです。
 このように、聖書は数千年昔の旧約聖書の人物から、新約聖書の人々まで、つねに神に対して受け身である生活をしてきた人のことがたくさん載っています。
 この受け身の生活は、ごくふつうの人にも重要であるということが、マリアとマルタという姉妹の出来事にも記されています。

一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
ところが、マルタは接待のことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。
そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。(ルカ福音書十章より)
 この有名な出来事は、一見意外なこと、不可解なことです。姉が主イエスをもてなすために忙しくしているのに、妹がじっとイエスのところで話に聴き入っている、しかもそのような態度を重視されたのです。
 しかし、ここで言われているのも、キリストに対して受け身であるべきこと、神の言葉に対してはまず何よりも受け身の姿勢でなければならない、そうでなかったら、私たちがしている行動もやがては不満とか飽きてしまうとかでできなくなってしまう、ということです。
 また、山上の教えにおいて、第一に言われているのが、「ああ、幸いだ、心の貧しい者たちは!なぜなら、その人たちにこそ神の国は与えられるからだ。」 ということです。
 これも、心に高ぶることのない、幼な子のような心とは、すなわち、受動的な心であるからです。
 神とキリストに対しては、受け身になる。 
 しかし、人に対しては、たとえ敵対する人であってもその人に対して祈りをもってせよ、との主イエスの言葉は積極的に、能動的に関わるようにとの意味が込められています。 アブラハム、モーセ、エレミヤ、イエス、パウロといった聖書のなかで特別に重要な人たちがみな、神に対して全面的に受け身の姿勢を持っていたこと、そしてその後二千年の人類の歩みにおいても、それは続いています。
 例えば、古代末期最大のキリスト教指導者と言われ、神学者、哲学者であったアウグスチヌスの例を見てみます。彼のような天才も、三十二歳になってもなお悩み苦しんでいて、いつまでこの苦しみが続くのかと叫び続けていた。
 そうしたあるとき、近くから「取りて読め、取りて読め!」という不思議な声が聞こえてきて、それは神の命令だと悟り、それに従って聖書を開いた、そして最初に目に触れた箇所を一読した。心は光のようなものに満たされ、それまで覆っていた闇がすっかりかき消されてしまったと記しています。(「告白」第八巻12章)
 ここでも、アウグスチヌスが自分の考えや欲望で動いている間は、真理の道を歩むことができなかったが、神に対して受け身になって、神からの助けを必死に求めるようになったとき、初めて神からの呼びかけが聞こえてきて、その声を受け入れることによって新しい生活が始まったのです。
 また、女性としては世界で最も広く知られてきた一人である、ジャンヌ・ダルクも、十三歳という少女のときに、初めて神からの語りかけを聞きました。彼女のすべてはそのことから始まり、後にフランスを救った聖女として有名になりました。彼女は、フランスを勝利に導いたあと、イギリス軍に捕らえられ、宗教裁判によって異端とされ、火あぶりの刑に処せられたのです。
 彼女の裁判の記録が現在読めるようになり、そこから六百年ちかく昔のジャンヌの裁判の様子がうかがえます。そこで彼女は、自分が助かりたいといった願いから答えるのでなく、何かを質問されたとき、「この点はわが主のお許しを受けています。」と言って、答えたり、あるいは、「そのことを話してもよいという、神からの許可がないんからです。」と言って何一つ語ろうとしなかったこともあります。
 看護婦の地位を著しく高めた、ナイチンゲールも、十七歳のときに、「私に仕えよ」という神の言葉を聞いたことから、出発しています。
 こうした例はいろいろとありますが、現代ではマザー・テレサの例がとくに知られています。マザーも、列車の中で聞き取った声に従ってあのような大きい働きをしたのです。 これらはみな、神の言、神からの語り掛けに対して受け身となりその声の命じるままに、また導くままに従っていった人たちです。
 人間に対してでなく、神に対して全面的な受け身の生活こそ、限りない道がその向こうに続いているのがわかります。

女性と助け手 

(創世記二・18) 


主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これこそ、女(イシャー)と呼ぼう さに、男(イシュ)から取られたものだから。」

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世記二・1825

助け手の意味
 ここで、まず問題となるのは、創世記においては、女性はアダムなる男性の助け手として創造されたということについてです。助け手という存在は、より上の立場の人に仕える人とも言えます。
そのような助け手という存在は、私たちの常識では、劣ったものという感じがあります。例えば、大学教授に対して助手という地位がありますが、助手とは教授よりずっと劣った地位だと見なされています。
 また、たいていの職業には○○長という地位があり、それに対して助ける立場の副○○というのがあります。例えば、校長を助ける立場の人は、副校長、もしくは教頭といった具合です。
 このように助ける者は、より劣った者だというのは、だれでも知っているほどのことだと言えます。
 そのような現代の私たちの常識的考えからこの箇所を読むと、古いとか、男女差別だとかいう意見が出てきます。
 しかし、現代の私たちにとっては、旧約聖書の記述をそのまま絶対としては受け取るべきでない記述もいろいろあります。例えば、アブラハムやヤコブ、ダビデなど旧約聖書の模範となるような人物であっても、多くの妻を持っていました。そして旧約聖書においてはそれが悪いことだという記述はありません。
 また、食物にしても、複雑な規定があり、ひづめが分かれていて反すうする動物だけが食べてよいのであって、そうでないラクダとか野ウサギ、イノシシなどは汚れているから食べてはならない。
またひれ、うろこのないタコやイカのようなものも汚れているなど、あるいは、血を食べてはならない、食べる者は死刑となるなど、現在からみると全く無意味なような記述があります。
 主イエスも口から入る食物によっては汚されることはないと言って、旧約聖書のこうした記述が意味を持たないことを明言しています。(マタイ福音書十五・11

 こうしたことから考えると、私たちは旧約聖書の記述は新約聖書に照らし合わせて見るべきだということがわかります。創世記の記述もアダムとエバは夫と妻という関係でした。それなら、新約聖書では同様な夫と妻という男と女の役割についてはどう言っているのか、新約聖書でよく知られた箇所を引用します。

キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。(エペソ書五・21

 聖書では、人間の第一の義務は神を信じて、神に従って生きるということです。それがすべての前提となっています。真実と正しさ、そして愛に満ちた神を信じないということは、人間を信じ、人間に頼ることになりますが、人間がいかに過ち多いか、罪深い存在であるかを思うとき、そうした人間に従うことがすべてに間違いを生じることは容易にわかることです。
 そのことが「キリストに対するおそれをもって・・」に記されています。キリストへのおそれを持つことは神へのおそれを持つことであり、キリストを信じることはキリストを遣わした神を信じることです。
 夫婦が神を信じてはじめて「互いに仕え合いなさい」という戒めが意味のあるものとなってきます。
神を信じないときには、そもそも仕えるということはいやなこと、価値の低いこととしか考えられないからです。
 神を信じて従うということがあって初めて、仕えるということに深い意味があることを知らされます。
 助け手あるいは仕える者、これは低い存在だと思われがちです。しかし、私たちはこの地上で生きている限り、だれかによって助けられ、また助ける者にもなっていると言えます。そして、主イエスは、支配する者でなく、仕えるものこそ大きいと言われました。
 そして驚くべきことですが、主イエスご自身が、支配するためでなく、命をも捨ててあらゆる人に仕えるため、救いのために来たと言われたのです。

そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。(マタイ二十・2528

 このように、聖書においては、そもそも仕えること、助け手となることがよくないことだとか、低いことだとは言っていないのであって、むしろ神を信じて仕える心こそ、最も神に喜ばれると言われています。
 主イエスご自身が、このように、すべての人々に仕えるため、助け手となるために地上に来られ、そして十字架に付けられたのでした。
 主イエスは私たちの助け手ですが、神ご自身が私たちの助け手であるということは、旧約聖書からしばしば言われています。

我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。(詩編三十三・20

 神ご自身が助け手であることは、人の名前となっても現れています。例えばつぎのような箇所です。エリエゼルとは、「神は助け」という意味です。これはエリ(神)とエーゼル(助け)から作られた言葉です。

ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神は我が助け、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。(出エジプト記十八・4

 創世記の箇所で男の助け手として女を創造しようと言われたときの「助け手」という原語(ヘブル語)も、同じエーゼルという言葉です。

 助け手となるということは、実に深い意味を持っています。それは日常の単なる雑用の手助けとか、リーダーの雑用などをを助けるなどを連想するので多くの人は、つまらないことだと思ってしまいます。だからこそ、女性は男の助け手として創造されたという表現を嫌悪感をもって読むということになってしまうのです。
 しかし、助け手になるということの意味は、主イエスご自身や神が助け手であるということを考えても、これはたいへん大きく、深い意味を持っているのだと知らされます。
 最も深い意味での助け手であるとは、神やキリストのような役割を果たすことなのであって、それは魂に関わること、永遠の命に関わることなのです。闇に苦しむ者の助け手となることは、その魂をキリストに連れていくことであり、キリストの救いを得させることになるわけです。
 このように考えると、もし夫がキリストを信じていないときでも、その助け手となる最も深い意義は、その夫をキリストに導くことと言えます。

 双方がキリスト者である場合には、互いに仕え合うということが言われていて、片方だけが仕えるべき存在だとは言われていないのです。

妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
キリストが教会(キリスト者の集まり)の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。・・夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。

 ここでわかることは、夫婦が神を信じてキリストを畏れ、、互いに仕え合うということを前提とした上で、妻には夫に仕えるようにと言われています。そして夫には、キリストが命を捨ててまで人々の救いのために尽くされたように、そのような深い愛をもって妻を愛せよ、と言われています。 
 ここでの愛せよという動詞は、神からの愛を表すアガパオーが用いられていて、単なるふつうの人間的な夫婦愛を言っているのではありません。
 このような愛は主イエスのように仕えることに導きます。ですからこの箇所で言われている、「互いに仕え合うように」ということこそ、一言で言い尽くしているのだとわかります。
 ここで仕えるという意味について。イエスは人々のため、弟子たちのために仕えた、しかし、イエスは決して彼らの人間的考えには従わなかったのです。仕えるとは、単に何も考えずに言われた通りにすることでは決してありません。真理に結びつくようにとの祈りをもってすることこそ仕えることの本質です。
 人間が創造されたのも神に仕えるように、神の言葉に聞きしたがって神の国の建設の助け手となるようにということなのです。人間全体が神の国の助け手となるようにと創造されているのです。
 宗教改革者、ルターはその短いが、主著の一つである「キリスト者の自由」という著作の冒頭において、つぎのように述べています。

キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主(王)であって、何人にも従属しない。キリスト者は、すべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する。

 この本来矛盾するような二つのことが、キリストによって可能となるというのです。キリストご自身が、王であり、またすべての人に仕え、助け手であったゆえに、そのキリストに従う者もまた、そうした二つの本質を与えられるというのです。

 最もよき助け手となること、これは神やキリストのなさったような助けに関わることです。そうした意味で、創世記のこの記述は決して女性への差別とか軽視でなく、これは聖書全体を見て判断すべきことであり、新約聖書において、それは男女を問わず人間のあるべき姿として現れてきます。
 神やキリストこそ最大の助け手であることから考えるとき、女性に実に大きい使命が与えられていることを暗示するものだと言えるのです。 

名を付けること
 名を付ける、これは、簡単なことのように思う人が多い。しかし、決してそうでなく、例えば、植物の名前を知るとそれまでとは全く違った風にその植物が見えてくるということがよくあります。
 ある植物の名を知るとは、その植物の花、葉、茎の様子、色、形、全体としての植物の姿などを知ることなのです。さらに、月日が経って実となり、また紅葉するときの状態、春の新芽や若葉、つぼみなど、それからどういうところに生えているかなどさまざまなことが見えてくるのです。
 例えば、夏に土手などに咲いているオニユリという名を知ることは、あの独特の野生的な赤い花と葉、茎の様子、そして周囲の強そうな野草の中からそれに負けじと成長していくたくましいすがた、そしてその葉の付け根に生じるムカゴ(これが地に落ちると新しく芽が出てくる)などが一緒に思い出されるのです。
 名前を知るとは、相手の本質に関わることだったのです。少なくとも相手の何かとの結びつきができるので、名を知った植物が多くなると、その植物を創造した神の心もまた近く感じられてくるほどです。
 このように、名を知ることは、単なる暗記にすぎないことだ、として初めから放置する人が多いのですが、まったくそれは間違ったことだと言えます。
 
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。(創世記二・1920) 
 これは、単に興味半分に名前を付けたということでなく、一つ一つの動物の本質を見つめていったということなのです。そうした上で、自分の本質に合う助け手を見いだすことができなかったのです。

 その上で神は、人を深く眠らせて胸の骨(あばら骨)をとって、それから女を創造したとあります。
なぜ、神は女を胸の骨などで造ったのかと疑問になります。また、その後で、創造された女を見て、言った次の言葉は現代の私たちには実に不可解な言葉です。

人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉!これこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」(23節)
 
 長い間、本当の助け手を求めていた人がついに神から与えられた、助け手(女)を見て、「私の骨の骨!」などと叫ぶことは、日本人なら決して考えられないことです。数千年も昔の、しかも日本とは全く異なる風土、感情を持った人の言葉は日本語にはない、意味があることは当然だと言えます。ここでは、実際に人の胸の骨からとって創造されたことからそのような深い結びつきを指しているのはわかります。
 聖書においては、「骨」というのは、単に生理学的な骨だけを意味するのでなく、つぎのように心の奥深い部分を指している場合があるのです。

主よ、憐れんでください。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ、わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのか。(詩編六・3

わたしの骨はことごとく叫びます。「主よ、あなたに並ぶ者はありません。貧しい人を強い者から、貧しく乏しい人を搾取する者から助け出してくださいます。」(詩編三五・10

 このように、見てくると人が、女を見て、私の骨の骨!と叫んだのは、自分の魂の深いところで一致する存在だと実感したことを表していると言えます。
 さらに、言葉の上でも、男を表すイッシュから、女を表すイッシャーが作られたと言われています。
 このようにして男と女は、本来一つの存在であって、心あるいは魂を暗示する胸の骨から創造さたのが女であるから、からだの面だけでなく、心の深いところで一つになるようにと創造されたのです。
 そして、一つになるということは、男と女だけでなく、新約聖書になると神を信じて、キリストを受け入れるときには、男女を問わず、人間がみな「キリストのからだ」であり、一つの体であると言われるようになったのです。
 このように、旧約聖書の記事はつねに新約聖書の記述に照らしあわせて始めてその深い意味が浮かび上がってくるのがわかります。

夕べの祈りから
 (C.ブルームハルトによる)

愛する天にいます私たちの父よ、
この世においては、不安がありますが、あなたの内に私たちは平安を得ています。
聖なる霊によってあなたの天の国の喜びを与えて下さい。
あなたに仕えることによって、自分の日々の生活を生きる力を与えて下さい。
苦痛を忍び、悲しみ、不安、苦難の道を今もなお歩んでいるすべての人たちを覚え、神の賜物を与え、助けを与えて、それによって彼らが神に感謝するようになりますように。
あなたの大いなる憐れみと、誠実さによって待ち望み、望むことを許されているものによって、私たちをすべて結び合わせて下さい。

主よ、私たちの神よ、天にいます私たちの父よ、私たちはあなたの子として、みもとに行き、祈り願います。
 私たちを祝福して下さい!
 私たちはしばしば不安になります。しかし、そのような時にこそ、私たちを祝福し、約束通りにあなたの助けをあらわして下さい。
 キリストは全世界の救いのために来たお方なのです。
 私たちに、み言葉を祝福して働かせ、私たちが繰り返しいのちある者となるようにして下さい。

(私たちの祈りが自分勝手なものにならないよう、祈祷書によって祈ることも必要なことです。これは、ブルームハルトの祈りの本からの引用ですが、筆者の祈りも主イエスも弟子たちに対してそのような祈りを教えられました。主の祈りには真に必要な祈りが記されています。なお、ブルームハルトは一八四二年生まれの牧者、神学者でバルトや、ブルンナーなどにも大きな影響を与えました。)

休憩室
真珠
 マーガレットという名は、よく知られています。少女雑誌の名前に付けられたり、西洋の女性の人名でも出てきます。さらに少し花に関心がある人ならだれでもが知っているマーガレットという花の名前としてもなじみがあります。
 しかし、そのマーガレットとはどんな意味なのかになると、あまり知られていないようです。それはギリシャ語のマルガリテースから造られた言葉で「真珠」という意味なのです。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書十三・46
 福音の真理、キリストの真理は、高価な真珠だというのです。
 歳月を経ても変質することなく、その輝きを失わない本質が真珠にたとえられています。
 生きるとは、この世のすべてにまさる「高価な真珠」である真理を見いだすか、それともすぐに壊れる土器のようなものだけがすべてと思って人生を終わるかのいずれかになると言えます。

夕顔(ヨルガオ)
 八月の終わり頃から、わが家では妻が種から育てた夕顔が咲き続けています。
 夕顔というと、本来は、かんぴょうを作るウリ科のものが昔からあった夕顔です。それとはちがってかんぴょうなど取れないし、実も固くて小さい鑑賞用のもので、アサガオの仲間(ヒルガオ科)を、ヨルガオと言って区別していますが、この名称はあまり一般的ではないようです。
 夕暮れが近づくとき、真っ白い直径十五センチにもなるような大輪の花を咲かせ、香りもよい花です。夕闇に白い花が浮かび上がるように咲くその姿は、昼の太陽のつよい日差しのもとで咲く花とはちがってどこか、静けさが漂っていて、見るものに語りかけるような味わいがあります。
 キリストがつねに共にいるとき、私たちは人生の夕暮れになっても、なお純白の花を咲かせることができるのであろうと、ふと思ったことです。

返舟だより


去る八月二十日(日)の主日礼拝には、奈良県在住で、しばらく徳島県の西部に滞在中の方が私たちの集会に、堺市のMさんと共に参加されました。次はそのNさんからの来信です。Nさんはもうじき九十二歳になるというのに、とてもお元気で主の守りと祝福を感じました。

 先日は思いがけない主のお計らいにより、M姉とともに徳島の地での礼拝に参加させていただきありがとうございました。
 御集会への姉妹たちの親切により、疲れることなく、二回も出席できました。(*
 また帰りには先生のお世話になり、吉野川の水辺に立ったとき、主に満たされ、聖霊に満たさ
れて久しぶりの心境でした。主に選んで頂いたことに感謝します。
 集会の皆様の、身にある障害など気にせず、手話あるいは点字での理解により、明るい雰囲気に感激。
 今まで生かされてきた九十一歳六カ月の私は、集会の姉妹たちに教わることいっぱいでした。・・

四国地方のTさんからの来信です。

「はこ舟」にて杣友様の転居のいきさつを知りました。本当に驚きましたが、主のお導きと本人も決断されて、○○様のご協力で事が運びました由、ありがとうございます。
「はこ舟」では、聖書のみ言葉についてはもちろんのこと、自然に関する感想をも興味深く読ませて頂いています。・・

関西のある教会にて、み言葉を伝える働きをされている方(牧師)からの来信です。
 
 いろいろのことがあり、なかなかうまく教会員の訓練が思うようにできず、心に痛みがあります。
昔、杣友老人の記事を朝日新聞で拝見、たいへん感動しました。こちらは長い間、福音伝道のはたらきをしておりながら、思うようにならず、自分の非力を恥じている次第。・・

・私たちは、地上の生活である限りいろいろの悩みや苦しみがつきまとうのだと思います。使徒パウロも、同胞のユダヤ人のことを思って、「・・すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。」と言っていますし(ロマ九・2)、さらに別の箇所でもつぎのように記されているのを思い出しました。
 
このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。・・(Uコリント十一・28

次は県南のある病院に入院中の方からの来信です。

月一回の集会で教えて頂きありがとうございます。「はこ舟」もありがとうございます。たくさん教わります。毎日聖霊を感じて動けたり、生活できれば有り難いのですが・・。 集会の時間は唯一貴重な時間です。何事にも主の導きがございますように。

・いろいろの事情のために月に一度の集会にしか参加できない方ですが、その集会で何人かの人たちと共に、み言葉を学び、ともに祈り讃美することが貴重なひとときとなっているとのこと、そこに主がいて下さっているからだと感じます。 

 2000/9


神の言と人の言葉    2000/8

 この世には、この二つの種類の言葉がある。二つの言葉は、いずれもどこにでもある。人の言葉は、日々の会話、仕事先から、また近所や家族といった身近なところから、国際社会に至るまで、だれもが朝起きたときから夜までずっとその洪水のうちにある。
 テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などあらゆるマスコミや印刷物はそうした人の言葉で満ちている。私たちの心は人の言葉によって喜び、悲しみ、また傷つけられ、そしてときには励まされている。

 人の言葉と同様に、どこにでもあるにも関わらず、比較にならないほどに多くの人々が知らずにいるのが神の言である。旧約聖書にすでに神の言はこの世界に満ちていることがつぎのように記されている。

この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。

話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、

その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。(詩編十九より)

 事実、私たちを取りまく自然のさまざまの現象は、神の言が見えるかたちになったものだと言えるほどである。青く澄み切った大空、真っ白い雲、海の広大さ、そこにわき起こる波、小鳥のさえずりや、野草や樹木の花、その姿など、いずれも言葉にできない神の言を語っている。

 しかし、そうした言葉以上に、私たちの魂の最も深いところに光を投げかけ、命を与えるのが、神の言である。何一つ自然の美しさも見えない盲人にも、また小鳥のさえずりも聞くことのできない聴力の失われた人にも、また、病院で寝たきりとなった人にも、その魂の核心に届く神の言がある。

 それは、自然が破壊されようとも変わらない。私たちの体が病気や老齢、事故などのために壊されようともなお、神の言はいささかの変化も受けることはない。

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(マタイ福音書二十四・35

 神の言は、歴史を越えて流れ続ける一つの川、見えざる大河であり、宇宙のあらゆる変化にも動じない形なき岩であり、神の命である。


混乱の中で

 最近とくに異常なほど少年の特異な犯罪が続出している。仲間や自分の親の命を奪ったり、生涯にわたって苦しむような重い傷を与えるような行動は、それは他人をも自分をも生きている限り、償いようのない苦しみに巻き込むことになるのが見えないのだろう。

 しかし、そのような混乱のなかにも、光は依然としてある。 キリスト教の不滅の価値は、いかなる事態が生じようとも、決して自分が捨てないかぎり希望を失わないでおられるということだ。

 いかなる出来事が生じようも、それでも神はいる、神の愛はあると信じ続けるものには、たしかに神の存在や、神の愛を実感できるような人と出会ったり、出来事が生じたりする。

 闇はだれも見たくない、しかし闇は周囲にある。闇深くなれば、いよいよ絶望するほかはない。しかし、キリスト者はその闇の深まるならますますはっきりと光を実感することができる。

 「闇のなかに光は輝き続けている」ゆえに、キリストと結びついているかぎり、私たちは闇が深まるように見えても、そのなかで真理の光をますます明瞭に見るようになるだろう。

緑・青・白

 緑一色の山々をおおうように、青く澄んだ空が広がっている。

そしてそこには、真っ白い積乱雲がその力に満ちた姿を見せている。

ただこの三つの色、緑、青、白が目に入ってくる。

自然のただなかにおいてこの三つの色はなんと目と心に心地よく、そして意味深いことか。

それぞれに神の本質の一端を見せていただく思いがする。

緑は命を感じさせ、青は深さ、そして白は清さを感じる。

真っ白い積乱雲は、清さとともに神の力を思わせる。

神のいのち、それは永遠の命と言われ、生きてはたらくキリストを思う。

青は、神のはかりしれない清い深みを語りかけてくるし、神によって清められ、現れた姿を思わせる。

この三つがあったら私たちは他になにもいらないだろう。

これらは、どこまでも深い神のご計画にゆだねて歩み、生まれついて持っている罪の汚れを洗われ、その代わりに力に満ちた、朽ちることのない神の命を受けることを指し示している。

                                     (県南部の集会に行く途中に感じたこと)

小さきもの
大きいものへのあこがれ

 聖書では、小さきものという言葉がしばしば見られます。小さいものはいたるところにあります。すべては大きいものから小さいものまで数限りない種類があるわけです。人間においては能力の大きい者もあれば、能力の小さい者もある。すでに小学校においても算数がどんどんできる能力の大きい子供がいれば、他方では分数の意味がわからないで進めない者もいます。音楽演奏やスポーツなどでも、能力の大きい者、小さい者の差は歴然としています。

 できるだけ成績の点を大きくして、大きな評価のある大きい大学に進学して大きい会社に入って、大きい金額の給料をもらい、世間から大きい評価を受け、大きい家を建て、大きい車を購入してゆったり生きる。・・

 夏の高校野球などもできるだけ大きい得点をあげて、勝ち星を大きくし、優勝という最大の名誉を獲得しようとする。・・そのため、ヒットを全く打てず、大敗したようなチームは見向きもされません。

 オリンピックなどになると、国中をあげて、金メダルなど大きい名誉獲得に必死になるという状態です。このように、テレビ、新聞などマスコミも大きいものを宣伝して、国民がそれに引っ張られていくというのが現実で、いかに大きいものが重視されているかがマスコミ報道は如実に示しています。

 コンピュータもできるだけ大きい能力のあるものへと激しく変わりつつあります。

 そして会社もできるだけ大きく安定した状況へと向けて、合併がしきりに行われています。大は小を兼ねるともいわれ、日常的にも大きいのを好むのが当然となっています。

 国家全体が大きいほうへと異常な努力を傾けることもあります。これが戦争です。ヒトラーはヨーロッパ全土を支配下に置こうとしたし、日本も戦前には韓国、台湾、千島などを領土とし、さらに中国の満州地方をも支配してさらに大きい国家となろうとしていました。大東亜共栄圏というような、東南アジアからインド、オセアニア一部までを加えた範囲に天皇中心の支配権を及ぼそうとしたほどです。

 このように、人間は子供から大人、国家までつねに大きいものを目指そうと必死になっているわけです。宗教の世界でも、真理とか真実、愛などが目的であるのに、それよりも自分の教派とか影響力を大きくしようという人間的な動機が働くこともしばしば見られます。

 こうした傾向に対して、カール・ヒルティは最晩年の著書でつぎのように述べています。

 私は生涯にいくどか人間軽蔑者になりそうな時期があった。そうならずにすんだのは、たしかに人間社会の上層の人びとと知り合っていたためではなく、反対に、ささやかな人びとの生活や考え方を深く理解したおかげである。

 この世の小さなものに対する関心と特別の愛を持つようになると、現代の病気であるべシミズム(*)に永久にかからなくなる。これに反して、物とか地位などにしても大きいもの、身分の高いものや、うわべだけ目立つものに対する、たとえ秘かにであっても、何らかの憧れが心のなかに残っているかぎり、「この世の支配者」はいぜんとしてその人びとに対して権限を失ったわけではなく、彼らはゆるぎない幸福に達することができない。

 なお、言い添えておきたいのは、通常小さなものは、それに深く心をとめると、一般に大きなものよりもはるかに興味ある、愛すべきものだということである。巣のなかで観察された蟻、勤勉な蜜蜂や、鷺などは、ライオンや鷲や鯨などよりもずっと見ごたえがあり、興味深い動物である。

 また、小さな高山植物は、派手なチューリップやモダンな観葉植物よりもはるかに美しい。人間の場合もその通りである。この世の小さなものに眼を注ぎなさい。そうすれば、人生は一層豊かに、満足すべきものとなるのである。(ヒルティ著 「眠れぬ夜のために」上 1117日の項目)

*ペシミズムとは、この世では、悪が善よりも支配的であると考えて、この世を嫌悪すること。

 何か大きいものにあこがれている心の傾向がある限り、揺るぎない幸いは与えられないとヒルティは断言しています。たしかに聖書は、こうした人間の傾向と根本的にちがった小さきものへのまなざしを特別に重視しているのです。

主イエスと小さきもの

 このように見てくるといかにこの世は何らかの意味で、「大きいもの」にあこがれ、それを求めるということがその本性のようになっているのがわかります。

 こうした本性を思うとき、キリストが小さきものへの配慮とその重要性を特別に指摘したことは、驚くべきことであったのです。

  聖書における小さきものへの特別な関心は、主イエスの誕生のときからはっきりと示されています。それはイエスが馬(家畜)小屋で生まれたということです。当時は夜となれば電灯もないゆえに真っ暗であり、家畜の飼料やさまざまのもので汚れて臭いただなかでイエスが生まれたというのは、いかに神が小さきものを重んじているかを表すものです。 また、イエスの誕生は、地位や財産を持ったこの世で目立った人間にでなく、なんの力もなく、この世では最も小さい存在でしかなかった素朴な羊飼いたちに初めて知らされたということも同様です。

 そしてさらにその最期も、重い罪を犯した者たちと共に十字架につけられ、この世でなきに等しいものとして処刑されたのです。

 主イエスは三十歳になるまでは、田舎の村で大工の仕事を手伝い、その後の三年間も地位も権力も財産もなく、文字どおり最も小さき者として地上を生きました。

 主イエスご自身の教えやたとえにも小さい者への配慮がいたるところで見られます。

はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。(マタイ十・42

 ここで「はっきり言っておく」と訳された原語の表現は、「アーメン、私は言う」であり、アーメンとはヘブル語です。このような表現を使っているときには、「真実に、確かなこととして言う、重要な真理を言う」といったニュアンスが含まれているのであって、たんに「はっきり」というよりもずっと重い意味がこもっています。日本語では人に答えるとき、「はっきりと言いなさい」と言うように、内容の重要さとは関係なく、あいまいでないという場合に使われますが、聖書では内容それ自体に重要なことを言うときに用いられています。

 キリストを信じる小さい者に水一杯を与えるだけでも、大いなる神からの恵みは必ず与えられるというのです。

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉い(大きい)のでしょうか」と言った。

そこで、イエスは一人の幼な子を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて幼な子のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この幼な子のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。

わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。(マタイ十八章より)

 ここに引用した主イエスの言葉にいかに小さきものが、重く見なされているかがよくわかります。天の国とは神の国であり、そこにおいては、最も大きい者(*)とは、自分を低くして幼な子のように純真に神を仰ぐ者こそ、最も神の国では大きいと言われたのです。

 このような基準で大きさが計られるということは、この世とは根本的に違っています。これなら、たとえ学校き成績が悪くとも、また病気がちであって仕事も十分にできなくとも、あるいは、老人になって何もかも衰えてもなお、幼な子のような心で神を仰ぐのになんの妨げもありません。どんなにこの世で小さくみなされ、捨てられていようとも、なお神の目には大きく価値あるものとして扱って下さるということは、なんという福音かと思います。

*偉いと訳されている原語は、メガス megas であり、原意は「大きい」という意味です。この言葉は英語に入り、メガトン級爆弾とかのように使われています。

 主イエスがいかに小さき者を重んじられたか、それはつぎの箇所にもよく現れています。

・・お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。』

 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ二五章より)

 ここで王とは、キリストを表しています。

 病気で死ぬばかりの者、飢えや渇きで苦しんでいる人たち、衣服も奪われ、着替えるものもなく、寒さに震える者、あるいは、牢に捕らわれてその暗く非衛生的なところで絶望的な苦しみにあえぐ者、砂漠のような荒涼たる土地を旅しているとき、暑さや渇き、食料の欠乏で苦しんでいる者たち、そうしたすべてはじつはキリストのべつの形でもあるというのです。そうした苦しみに追いつめられ、死ぬかと思われるほどの状況におかれている人は、最も小さな存在です。助けなくば、そのまま死んでしまうような者だからです。

 そうした最も小さき者へなすことは、キリストに対してなすことだというのは驚くべきことです。

 主イエスはこのように、小さきものへの配慮がいかに重要であるかを繰り返し教えられましたが、キリストの十二人の弟子たちも漁師が半数近くいたり、当時さげすまれていた取税人もいてやはり当時の社会では小さな人たちばかりでした。

 また、イエスご自身もそのように生きたのが福音書には記されています。イエスがとくに関わったのは、当時は仕事も与えられず、捨てられた状況にあった、盲人、ろうあ者、足のマヒした人、ハンセン病(らい病)の人たちであったのです。彼らはまさに当時の世においては最も小さきもの、無視されていた人たちであったのです。そうした人たちがキリストの力によって、いやされ、新しい力を与えられていくことは、キリストによる新しい時代の到来を象徴するものとなりました。

パウロと小さきこと

 二千年のキリスト教の歴史のなかで最も重要な使徒は、パウロです。かれが書いた手紙が聖書にたくさん収められていることからも、その絶大な影響力がわかります。

わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。(Tコリント 十五・9

 彼の心には、自分は本当に小さい者だという意識がいつもあったのがわかります。また、別の箇所では、自分のことを「罪人のかしら」であるという表現すらしているのです。パウロの書いた手紙の冒頭にまず自分が何者であるかをつぎのように記しています。

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから(ロマ・一・1

 ここで「僕」と訳されている原語(ギリシャ語)は、「奴隷」という意味の言葉であり、じっさい聖書でもつぎのように使われています。

もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。(ガラテヤ書三・28

 キリストは完全な愛と真実なお方であり、そのお方に全面的に従うという意味でキリストの奴隷という特別な表現をつかい、それを自分の肩書きのように使っているのです。

 パウロはキリスト者となる前は、ローマの市民権を持つほどの家柄を誇り、高い教養や、律法の学識をもって指導的人物と自他ともに認めていたと考えられます。

 そして大祭司や長老たちも知っているほど、彼は当時新しく起こったキリスト教を迫害する指導的人物となり、自分が大きい人間だと意識していたと思われます。

 しかし、そうした見方は、当然にして破られ、キリストのまえにじつに小さい者にすぎないと思い知らされました。そこからパウロの新しい生き方は出発したのです。

 そして、彼は、自分がどうしても善いことができない、死んだようなものだという告白をしています。また、そこから自分のことを「罪人のかしら」であると思っていたのが、記されています。

 かつてはユダヤ教の指導者であるかのように、キリスト者迫害に関して大祭司のところにまで行って外国まで行って捕らえてこようとまでしました。そのように、自分のことを大きなものとして考えていたことと比べると、キリスト者となったパウロがいかに自分を小さいものだと考えるようになったか、その根本的な変化に驚かされるのです。

 新約聖書で最もよく読まれたと言われる、山上の教えの冒頭に、つぎのような言葉があります。

ああ幸いだ、心の貧しい者たちは!

なぜなら、天国は彼らのものであるからだ。

 ここでいう心の貧しい者とは、パウロのように、自分がどんなに小さい存在であるか、それを知った人のことです。

 この言葉が主イエスの教えの冒頭にあるのは、このことがキリスト教信仰の中心にあるからです。自分の心の醜さや弱さを知ることよって、自らの小さいことを深く知るとき、そこに神の赦しと恵みが初めて注がれるということなのです。

 二人、三人が私の名によって集まるところに、私はいるのである。(マタイ十八・20

 ここにも小さきものへの祝福が語られています。一般的にいうと、宗教はともすれば、大きくなってその勢力を誇示しようとしたり、その人々から多くの金を集めて政治団体と結びついたりして変質していきます。主イエスは、たとえ二人、三人であっても主イエスを心から信じて、仰ぐ心で集まるときそこにともにいて祝福を与えて下さるというのです。大切なことは、大きくなることでなく、いかに主イエスを仰ぎ、イエスの持っておられるような真実や愛をみつめて集まろうとしているかどうかだということなのです。

 そして小さき者は、永遠に小さきもののままでなく、復活のときには、キリストと同じ姿に変えられる、そして神の命を与えられると約束されています。キリストとは永遠の昔から神とともにおられ、神でもあり、万物の創造にも関わったお方であるゆえ、最大のお方です。そのようなお方と同じようにして下さるというのはそれ以上大きい約束はないと言えます。

彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さる。(ピリピ 三・21

 このように、聖書には、この世で、見下され、また悩みや苦しみを持ち続けたいかに小さきものであっても、未来においては考えられる最大のよきものを下さると約束しているので、そこに深い神の愛とご計画を知らされるのです。


神の小羊としてのキリスト

  (ヨハネ福音書一・2934

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。

『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。

わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

そしてヨハネは証しした。「わたしは、(神の)霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。

わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『(神の)霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。

わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 ここではまずイエスがどんなお方であるかが言われています。

見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ!

 この一言はじつに大きな意味を持っています。世とは世界中であり、また世界のあらゆる人たちの罪を指しています。この世とは現在の世界だけでなくあらゆる時代をも指しています。ということは時間を越えてあらゆる時代の人々という意味があります。

 そして罪とは人間がだれしも持っているものであって、真実なものに背く心、愛することが大切と思ってもできないその本性、本能のようにしみこんでいる自分中心の心などなどこうした心の傾向を罪というけれども、そのような罪を取り除くことは人間では到底不可能なことです。

 罪は自分でも気付かないことがよくあります。自分が不信実であるとか愛がないのを本当に深く知っているためには、神が持っているような完全な愛や真実をしってそれに比べるといかに自分が不信実であり、愛を持たないかがわかるのですが、神の愛や真実をごくわずかにしか知らないときには、自分の罪もわずかしかわからないということになります。自分で気付いていない罪を取り除くということはもちろんできないことです。

 このように、自分の罪すら少ししかわかっていないので、それをすべて見抜いた上で取り除くということは、たいへんなことを言っているのがわかります。

 罪とは人間の最も根源的なものです。どんな人間もふれることのできない魂の奥深いところのことです。そのような罪を取り除くということは、人間ではとうていできないことです。

 そのようなことのために来られたのがイエスだというのです。

 また小羊という表現には、イエスの時代から千数百年の旧約聖書に書かれていることと関係があります。かつてモーセがエジプトにいた民を導き出すとき、小羊の血を入り口に塗って神からの裁きを逃れたということがありました。(出エジプト記十二章)

 その時以来、小羊の血は受けるべき罰を逃れさせる力をもっているとされるようになりました。イザヤ書五十三章にはそうした小羊のことをとりあげつつ、その小羊たるお方が存在するということが預言的に書かれています。

 彼は苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠(ほふ)り場に引かれる小羊のように、・彼は口を開かなかった。

 彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。

 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。・・

 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。・・

 彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。(イザヤ書五十三章より)

 見よ、この人を!

 これに類する言葉は、気付かないことが多いと思われますが、いたるところで見られる言葉です。

 毎日のテレビ、インターネット、新聞、雑誌などで現れる人々についてそれらのマスコミは「見よ、この人を!」と言い続けているし、それらのマスコミに従って、つぎつぎといろいろな人々へと人々は注目しています。

 政治家、スポーツ選手、とくに野球やサッカー、相撲など、あるいは歌手、俳優などのタレントたち、こうした一種の偶像がめまぐるしく現れて、「見よ、この人を!」といい続けています。そして多くの人たちは、その声に惑わされて、なんの益にもならないもの、有害なものへとその視線を引っ張られているのです。

 これは、聖書の世界にもあって、ローマ皇帝が自分を神としてあがめるようにとの命令を出したことがあります。それも「見よ、この人を」という命令です。それに従わなかったら殺されたほどです。

 日本でも戦前では、宮城(皇居のこと)遥拝といって、天皇がいるところを拝むことが命じられ、そこにいる天皇をいつも心にて見つめることが要求されました。

 このようにいたるところで、しかもはるかな古代から、人間はいつも何者かを指し示して「この人を見よ!」と言い続けてきたのです。

 これに対して聖書では、神の戒めを守れ、ということが一貫して命じられてきました。神の言葉に聴け!という命令も同様です。聴いて守れということです。しかし、もっと後の時代になるまで、旧約聖書のなかでも、神を見よ!といった命令は言われていていない。それはもし直接に神を見ることになれば、人間はその汚れのために殺されるというほどに神は隔絶した遠い存在であったからです。

 しかし、旧約聖書のなかでもキリストの時代に近づいた時、キリストより五百年ほど前になって現れた預言者の言葉にはっきりと私たちは何に注目すべきであるかが言われてきました。

地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。

わたしは神であって、ほかに神はないからだ。(イザヤ書四十五・22

 キリストが来られてからそうした状況が根本から変わったのです。それは、遠くて目に見えない存在であったお方でなく、誰でも求める者の近くに来て下さる。仰ぐ者には見えるようにしてくださる。

 福音とは、いまも生きているイエスを仰ぎ見ることであると記されています。

ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。(口語訳 Uテモテ書二・8

 つぎにこの箇所で告げられている重要なことは、キリストとは、聖霊を与える方だということです。

わたしは、水で洗礼を授けに来た。・・しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、「(神の)霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」とわたしに言われた。(ヨハネ一・3134

 このように、ヨハネは水で洗礼を授けたのに対して、キリストは聖なる霊(神の霊)を注ぐお方であるとはっきり証言しています。祝福の最大のこととは、聖霊を与えられることです。キリスト教では愛が最も重要であると言われているのはだれでも知っています。しかしそのような愛は人間が生まれつき持っているものでなく、聖霊が与えられて初めて人の心に生じるとされています。使徒パウロが言っているように、愛とは聖霊の実であるからです。

 また主イエスが最後の夕食のときに、あなた方に残していくととくに約束されたのは、「主の平安(平和)」でした。人間の持っている平和でなく、神からのみ訪れる平安こそキリストがこの世に残される最大のものだったのです。そしてその平安もまた、聖霊の実として与えられるというのです。

 最後の夜に語った主の平安の重要性は、またイエスの誕生のときにも語られていました。それは、初めてイエスが誕生したことを、羊飼いたちに知らせたみ使いたちの讃美に現れています。

いと高きところには栄光、神にあれ

地には平和(平安)、御心に適う人にあれ!(ルカ二・14

これは、天使たちの讃美であったのですが、神が私たちに望んでおられることが明確に示されています。人間がよいこと、力あること、美しいものなどあらゆるよいものを人間に帰することなく、神に帰すること、それはキリスト者の基本姿勢です。

 人間が自分のしたことを自分がやったのだと誇るとき、競争が生じ、憎しみとか妬みが生まれ、そのようなことのできない者を見下すようになります。またそうした目立つことを成し遂げる力を持たない者は、自分の存在に希望が持てなくなります。

 しかし、すべてを神に帰する心、神に栄光を帰する姿勢のあるところには、必ず神からの平安(平和)が約束されているということをこの讃美は示しています。

人間の大切さを見つめる流れ


 ヨーロッパの歴史のなかで、人間が持っている自由、生命、権利を大切にする考え方は、つぎのようないくつか目立った規定となって現れてきた。

 イギリスの権利の章典(一六八九年)は、名誉革命のときにできた法律であった。ここには、当時の王が国会を無視して勝手に、法律を守らず、実行もしないとか法律が効力を停止するとかの横暴をなしていたり、かってに金を集めたりしたことから、そうした権力の乱用をさせないようにし、市民の権利を守ろうとする内容を持っていた。それは、王に請願する自由、選挙の自由や議会での自由な発言を保障するものであった。

 さらにそれからおよそ百年後に出されたアメリカの独立宣言(一七七六年)においては、つぎのような内容が宣言された。

われわれは自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天よりの権利を与えられ、そのなかに生命、自由、および、幸福の追求が含まれることを信ずる。

 ここに、人間が造物主(神)によって平等に造られたということが基本になっているのがわかる。それは神が愛であり、正義の神であるからこそそのようなことが主張できるのである。ギリシャの神々や日本の神々のような不正や欺きをする神々ならば、すべての人間を平等に創造するなどということが初めから考えられない。

 なお、このアメリカの独立宣言の表現を少し変えて、福沢諭吉が「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を述べて、広く知られるようになった。

 そして、日本国憲法にあるつぎの規定は、右にあげたアメリカ独立宣言に記されたものとほとんど同じ内容だとわかる。

 すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その羊飼いの国政の上で、最大の尊重を必要とする。(第十三条)

 フランスの人権宣言(一七八九年)では、その前文に至高の存在ということで、キリスト教的表現を薄めているが、「神の前で、そして神の護りのもとでの宣言」というかたちをとっている。

国民議会は、至高の存在の面前で、かつその護りのもとに、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する。

 そしてそのはじめの重要部分において、つぎのように人間の尊厳を述べている。

・人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、かつ生存する。・・(第一条より)

・あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。(第三条より)

 このように、国家の制度として、歴史のなかで次第に人間はだれでも平等に創造されており、したがって命を護り、自由、幸福追求においても同じような権利を持っているとされてきた。

 これらの歴史的に重要な人権の宣言を見てくると、太平洋戦争のあとでつくられた日本の憲法がこれらの延長上にあるのがわかる。国民主権、基本的人権の尊重といったことはこの憲法で明確に記されている通りである。

 そしてその上に、生命、自由、幸福追求の権利を護るために、戦争放棄ということが記されている。戦争とは、まさに自国だけでなく、相手国の人間の生きる権利、自由を奪い、無差別な大量殺人によって幸福を破壊していくことだからである。

 国家として武力を持たない、戦争に加わらないということこそ、こうした人間の生きる権利とか自由、幸福を破壊する戦争を決してしないという固い決意を表明したものである。日本の平和憲法は長い人類の歴史の歩みのなかで、到達した帰結なのであって、それを重んじることは歴史の必然の流れに沿ったことであり、歴史を導く神の御意志にかなったことなのである。

問コーナー
1)新約と旧約とは何を表すのですか。

聖書には、新約聖書と旧約聖書とがあり、聖書が万人に知られているように、旧約とか新約という言葉も広く知られています。しかし、その意味になると、どうもわかりにくいと言われることがあります。

 契約とは、約束という意味ですが、ふつうは家などの売買とか人を雇うときに使われています。だから、それが聖書のように心の問題に関わる書物で重要なものとして出てきても、どうも私たちにはピンとこないのです。

 聖書では、旧約とは、神がとくに選んだイスラエルの民に与える恵みの約束のことです。その恵みを神が与え続けるために、十戒という特別な戒めが与えられたのです。

 新約とは、新しい契約のことで、それまでの古い契約(旧約)が、イスラエルの民という特別な民と結んだ約束であったのに対して、あらゆる人間、民族に与えられた恵みの約束なのです。それは神からの一方的な恵みの約束だと言えます。その根本の内容としてキリストの十字架による罪の赦しがあり、赦された者が神に従って生きるために聖霊が与えられるということなどがその内容となっています。

2)聖書はだれが書いたのですか。

 一言で言えば、神がさまざまの人を選び、働きかけて書かせたものだと言えます。

 むかしは、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記などはモーセが書いたと長く信じられてきましたが、現在では、さまざまの理由からそうでないことがはっきりしています。

 詩編もダビデの作と記されているのが多くありますが、内容からもダビデ時代以降のものだとわかるものもあり、ダビデ以外の名が記されている詩もあります。これも有名、無名の多くの詩人が、神への信仰によって書き残したものです。それは神がそうした内容を書くように導いたと受け取ることができますし、また現在の詩編以外にも多数の詩があったのを現在のように一五〇編に限定したさいにも、それを選んだ人たちは信仰により、神に導かれながらその作業をすすめたものが今日の旧約聖書に収められていると考えられます。

 エレミヤ書やイザヤ書の預言書も、エレミヤとかイザヤという名の預言者が書いたものがもとになっていますが、それ以外に名の知られていない信仰の深い人が神からの言葉を受けてそこに追加して、全体としてエレミヤ書とかイザヤ書という名で伝えられてきたものもあります。

 新約聖書では、ルカ福音書とかパウロのローマの信徒への手紙、ガラテヤ書といった手紙のように、はっきりとその著者がわかっているものもありますが、書かれている内容や用語などからだれが書いたか確定できないのもあります。

 しかし、旧約、新約の聖書を通じて、だれが書いたかよりも、何が書かれているか、私たちに何を語ろうとしているのかがはるかに重要な問題なのです。

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(Uテモテ書三・16

 この手紙が書かれたときの聖書とは、旧約聖書しかなかったので、この言葉は直接には旧約聖書について言われています。しかし、新約聖書についても、そのままあてはまる言葉です。

 聖書とは神の霊の導きによって書かれたゆえに、最初に述べたように、その著者は神であるということができます。だからこそ、この書物だけが、数千年を越えてその力を全く失うことがなく今日までその影響が続いているのです。

(ときどき、聖書について右のような質問を受けることがあります。簡単に答えることはむつかしいのですが、できるだけわかりやすく、簡単な説明を今後もときどき掲載したいと思っています。)

お知らせ

Sさんの転居

 本文に書きましたように、長い間私たちの集会の支えとなっていただいた、姉が京都に転居されました。数々の主にあるご奉仕を感謝です。主が新しい地においても、ながく祝福と導きを与えて下さいますように。

八月二七日(日)には、静岡聖書集会の責任者であられる、S.I氏ご夫妻が来徳して、主日礼拝講話を担当して下さいます。

無教会のキリスト教全国集会が今年の十一月四日(土)〜五日(日)に東京後楽園会館で開催されます。

歌の中から

俳句の本からいくつか心にとまったものをあげてみます。句の後の文は筆者(吉村)の感じたことです。

・降り注ぐ 主のみ恵みや 蝉時雨(せみしぐれ)

・風鈴や こんな平和な 風の音

・ふれ伏して 主に祈りたき 花野かな      (以上、山下茶亭作

セミのなかでも、とくにヒグラシの独特の静けさを帯びた鳴き声は、樹林のなかにあって神の恵みが降り注ぐように感じられる。

 目には見えない風、しかしその風が風鈴の澄んだ響きを生み出す。聖霊は風のようにと主は言われた。平安を生み出す聖霊が風鈴の音から思い出される。

 最後の句は、作者がイエスの歩んだガリラヤ湖畔の野生の花に接して造った句で、それを病床にある友に送ったが、そのあとまもなく天に召されたため、最後の俳句となったという。イスラエルでなくとも、山に歩き、樹林のなか、野草の花が点在する自然のたたずまいのなかにあるとき、私たちはその背後にある主への祈りへとうながされる。


徳島を去るにあたって


           S姉の感話(2000.7.23日主日礼拝後)


 みなさんの大切な感話の時間をいただきましてありがとうございます。本当に突然こういう話をするのに私もずいぶん考えたり迷ったりしました。

 じつはこのたび、現在は大阪にいる息子の家族と同居することになり、京都にいくことになりました。1月おわり頃にそういう話がありまして、ちょうどそのころ私は風邪をひいてたいへん長引いていました。たいへんびっくりしました。どう返事したらよいかわからないほどでした。とにかく自分のからだもふだんと違うと感じて、この申し出は考えてみるべきではないかという思いになりました。

 しかし、考えれば考えるほどたいへんなことで、もし、そのようななると主人が言うには、この集会場の土地も今住んでいる場もみんな売却しなければ向こう(京都)へ行けない。私たちに財力や余力があれば別の方法があるだろうが、その余力がないので、それしかない。家族と同居するという問題はまったく私たち家庭の事情でプライベートな問題てすが、この集会場の問題はたいへん大きい問題となって残りました。それはここが長い間、神様が用いて下さった土地であっからです。そのことを考えると、どうしても私たちの一存でどうするかを決めることはできませんでした。

 それからちょうど一か月ほどたったとき、私はインターネットメールをしていますので、ちょっとメールを開けましたら、さんからの「きょうのみ言葉」というメールが入っていました。そのみ言葉の内容は、「これまで一度も通ったことのない道であるが、あなた方の行くべき道はわかる(ヨシュア記三・4)」です。それは、これから行くべき道を通っていくとき、神様の契約の箱を前にしていくことは、神の言葉を前にしてそのみ言葉に従うとき、神様から必ず新しい道を示して下さる、そういうお約束の言葉でした。もちろんYさんには当時まだ何にもいっていなかったのですがそれが答だと私にはわかりました。

 それでも私はだれにも言えませんでした。これからは、どうしたらいいか、主人とも相談して、まずさんに相談することを決めました。それが四月のおわり頃でした。さんが来て下さったので、その事情を話しました。家庭の事情はプライベイトな問題だが、集会場の問題はとても重要な問題なので、すこし考えさせて下さいとのことでした。そしてその結果は、さんはこの集会場のことをとても大切に思っていましたから、いずれはこういう時がくると考えていて、そのために、退職金、献金などそのために貯えていたお金を集めてこの場を買い取って下さるということになりました。私たちにとってはそれは感謝ですが、それではたしてよかったのか、それでよいのか、私の選択がよいのかとなお悩みました。

 そうしていましたら、今度私は思いがけなく病気になって三週間ばかり入院しました。そのときに私は一人になっていろいろ考えていました。毎朝4時に目が覚めて、五時になると私は窓を開けました。とてもあのとき涼しい風がふいてきましてひょっと讃美歌の「朝風静かに吹きて・・」(讃美歌30番)というのはこういうことかなと思ったし、近くの公園から小鳥の声も聞こえてきましたし、神様への思い、清らかな神への思い・・という讃美歌の言葉があっと思い、私は、それまで与えられたみ言葉が答だと信じながらなんで今まで迷ったり悩んだりしたか、神様は私のことを一番ご存知でした。

 そういう迷ったりしていた弱い私を神様は、もう一度念を押されたわけです。そして私の心は決まりました。とても平安になって退院することができました。

 それで今日初めてみなさんにご報告することを神様に導かれました。全く知らないところにいくので全然不安がないとはいえませんが、神様のみ言葉に従っていくときには、どんな所でも神様は新しい道を開いて下さってそこを私に下さると言うことを私はだんだんと信じることができました。本当に今まで言えなかった理由はそれでした。それともうひとつ皆さんにこのことを言うのはとてもつらくて、そのことが言えませんでした。時間的には、つきあいの長い方、短い方もいますがみんな大切な兄弟姉妹でした。そういうことを思いますと私はとてもどのように話したらいいかわかりませんでした。こんな粗末な家でいろいろ不便なことがあるのに、みなさん不満もおっしゃらないで、かえって支えて、私のゆきとどかないところもゆるしてくれました。

 本当に感謝はつきませんが、このことの報告と皆さんに長い間お世話になったことへの感謝を言わせて頂きました。皆さん本当にありがとうございました。

休憩室


 真夏の風物詩は積乱雲(入道雲)です。水平線に接してむくむくと盛り上がる積乱雲のすがたは、夏らしさとともにふしぎな力を感じさせるものがあります。

 日本人にとっては、雲とはただ、そのような眺めの対象であり、暑さをやわらげてくれる夕立を生み出すものであり、からからに渇いた畑を潤してくれる恵みの雨をもたらすものと感じます。

 しかし、雲は聖書においては、たんに雨とか日陰になるなどといった気候のことだけにとどまってはいないのです。

そして祭司が聖所から出たとき、雲が主の宮に満ちたので、祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。そこでソロモンは言った、「主は日を天に置かれた。しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。(列王記上八章10〜)

 このように、主の宮に満ちるもの、そこに神が住むと言われているほどです。私たちが雲を見るとき、そこに神が住むというようなイメージは全くないはずです。ここにも、古代の聖書の民の感じ方が私たちと相当異なっているのを感じます。

 また、旧約聖書の出エジプト記19章とか20章には、有名な十戒を神から与えられる状況が書いてあります。そこにも雲が神の臨在の象徴であることを示すつぎのような記述があります。

主はモーセに言われた、「見よ、わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨むであろう。それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである」。モーセは民の言葉を主に告げた。

そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。

 命を支える水をもたらす雲、無限に高い空に浮かぶ雲、その限りない変化の有り様、そして神の深さを示すかのように包んでしまう雲、そこに旧約聖書の人たちは、神を思い、神の臨在を感じたのがうかがえます。

返舟だより

来信より

・・以前から、本当に苦しくて、もうダメかなと思うとき、「はこ舟」誌が届き、勇気を与えられてなんとかやってきました。一つの試練が終わると、少し休みがあって、神様は必ず、次の試練を下さると思っています。-----ときどきどうしようもなく、苦しくなります。しかし、キリストとともにくびきを負うことは負いやすく、荷も軽くなると約束されているので、イエス様を信じて生きたいと思います。苦しいとき、いつもこのように、神様からはげましていただけることは大きな幸いです。(関東地方の読者より)

・神は愛する者を鍛錬されるというみ言葉を思い出します。私たちが苦しむのは、神から見放されているためでなく、神が愛して下さっているのだということを。

韓国の朴  氏からの来信です。

 昨日(八月一日)、無教会全国集会(韓国)を終わって帰りました。約七十名の参加者が集まっておもに聖書の学びを行いました。終わりの感話会のときに、徳島聖書キリスト集会のことを少しですが紹介することができました。集会に集うことがいかに大事であるかをもう一度感じることができた徳島の三週間でした。・・(中略) いつか機会がありましたら、こちらの兄弟と一緒に徳島の集会に参加できることを願っています。

 また会える日を待ちつつ集会の皆様の上に主イエス・キリストのよき導きがありますよう、お祈りいたします。

 ・朴 氏は、今年七月に再び韓国から徳島大学に三週間ほど出張で来られ、その間、私たちのキリスト集会に参加されて、主にある学び、礼拝を共にすることができました。国は別であって、遠くに住んでいても、主にあって一つに結ばれていることの恵みを感じました。右のように、韓国でも毎年全国の無教会のキリスト者が集まって全国集会が行われているとのことです。

 2000/8


今月の御言葉

わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。

(エゼキエル書三四・16


変わるもの、変わらないもの     2000/7

 私たちがどのように考えても、予想できなかったことが生じることがある。それは喜びにつながることもあれば、死や病気など悲しみや別離に関わることもある。
 世の人は、それを偶然であり、運命だという。しかし、すべては生きて働いておられる神の導きだと信じるときに、そのような思いがけないことが生じるからこそ、私たちは人間をはるかに越えた神によって導かれているのだと信じることができる。
 もし、私たちの予想や計画通りに動くなら神を信じる必要もなくなるだろう。思いがけないことが生じるとき、いっそう私たちは神に強く頼っていきたいし、そのことが促されている。

神の用い方
 クジラは最大で30メートルにもなる巨大な生物である。自由に魚を捕らえて自分の力で生きているように思う人は多いだろう。しかし、そのような大きいクジラを支えているのは実は目には見えないような、水中に漂っている植物プランクトンなのである。
 海のなかの目には見えないような植物プランクトン(緑藻類などの)が動物の幼生プランクトンのえさとなり、それがさらに大きい水中動物のえさとなる。植物プランクトンが太陽の光を受けて光合成を行い、デンプンが作られそれが水中の動物たちによって食物として利用されているのである。
 こうしてクジラのような巨大な生物ももとをたどれば、小さい植物プランクトンによって支えられているのである。
 人間の世界においても、大きな働きをしている人も、有名な人も、権力ある人も、じつはもとをたどると、そうした人が食べる食物や衣服、車、住居など小さな一つ一つのものや、部品を作っている人々によって支えられている。 
 また、能力のある人や健康な人だけでなく、力弱い人、幼児や老人、また病気の人などさまざまの人との出会いや交わりによって私たちはさまざまのことを学び、成長していく。そうしたいっさいのものを取り入れて私たちは生きているのであり、成長していくのである。
 神は無駄なものは作られない。それは神は愛であり、真実であるから。 
 人間にも不要な人間は本来いないのであり、私たちが出会う出来事も無駄なものはないのであろう。
 神はあらゆるものを用いられる。

人知れず苦しむ者
 顔面のガンによって顔の多くの部分がなくなった人のことを何度か聞いたり、そのような目にあった人が書き残した文を読んだことがある。以前にも、そして最近も。
 顔という正面の部分を手術をして、かなり切ってしまったらどんな気持ちになるか、その苦しみや心の重さは私たちの理解をはるかに越えたものだろう。
 治ってももう人前には出られない、またそのような重いガンでは助かる可能性も少ない。本人もいずれ死ぬのでないかとの恐れと痛みにさいなまれつつ病床にいるのではないだろうか。
 そして誰もそのような苦しみを共に担うことはできない。痛みと将来への絶望的な見通しのなかで人知れず涙を流す人、その苦しみは何のためなのだろう。
 その苦しみはほかの人間の罪を担い、それによってほかの人間は生かされているという意味があるのではないだろうか。
 私たちはそのようなことに気付かない。しかし、聖書にははるか昔、いまから二千五百年ほども昔に、すでにそのようなことについて書かれている。

彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。(旧約聖書 イザヤ書五十三章より)

 これはキリストの預言だと言われている。しかし、キリストだけに関係があって私たちには関係のないことではなく、私たちの身の回りに見られる重い病気に苦しむ人たち、何も特別に悪いことをしたわけではないのに、耐えがたい苦しみにある人たちもまた、この聖書の言葉で言われているようなことがあてはまるのではないだろうか。


ただ一言を (マタイ福音書八章513

 さて、イエスがカファルナウム(*)に入られると、一人の百人隊長(**)が近づいて来て懇願し、
「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。
すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。
 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブ(***)と共に宴会の席に着く。
だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。(マタイ福音書九・513

*)ガリラヤ湖の北の町
**)ローマの軍隊の100人の兵隊の指揮をとる隊長。
***)アブラハムは紀元前一九〇〇年頃の人。唯一の神を信じて生きた姿が旧約聖書に詳しく記されている。イサクはアブラハムの子で、ヤコブはイサクの子。ヤコブはイスラエルという名をも与えられ、これがイスラエル民族の名称にもなった。

 この記事からわかるいくつかのことをあげてみます。
(一)小さき者への心
 この百人隊長は、自分自身のことでなく、使用している僕のため、病気で苦しんでいるそのためにわざわざイエスのところに来て、懇願しています。奴隷のような身分であった僕のためにわざわざ、ローマ人でもないイエスのところに行って真剣に願うということは、僕への愛が特別であったことを示しています。

(二)イエスの前での謙遜さ
 この百人隊長は、支配している民族であるイエスに対して懇願しています。これは、意外なことです。かつての日本は朝鮮を支配していました。その日本の将校が自分の家で使っている召使いの病気のために、韓国人の所に行って懇願するということはなかなかむつかしいことだったはずです。今もなお、朝鮮半島の人たちへの偏見が相当あることを考えればなおさらです。
 百人隊長は自分の家にイエスを迎え入れるにはふさわしくないと思っていたほどに謙遜だった。そのような砕かれた低い心にこそ、イエスは来て下さる。その力ある言を与えて下さる。
 このように、他者への愛をもって、そのことのために心低くしてイエスの前に出るとき、イエスは力ある一言を与えて下さる。そしてイエスの言こそは、神の力を帯びているのであって、ただ一言を私たちが受け取るとき、そこには何らかのはっきりした変化が生じるということです。
 私もかつて、そうした一言で進路を変えたり、なすべきことを決断したことがありました。そうすると、たしかに不思議なこと、予想していなかったことがおこって良い方向へと事態が動いて行ったことが何度か思い出されます。
 日曜日ごとの礼拝や、各自の朝の祈りにおいても、聖書の学びにおいても、また訪問などにあっても、まずイエスの一言を求め、そこから始めるときに、神ご自身がはたらいて下さると信じるのです。

 この世には、人間の言葉は洪水のようにあふれています。テレビ、新聞、ラジオ、雑誌、小説、週刊誌等など。しかし、それらは、人間の言葉であるという点で共通しています。言いかえるとそれらは、人間を救う力がないということです。しかし、人間にとって何よりも必要なのは、人間の思いを越えた神の言葉です。神の意志を知ることなのです。
 ここに、常識的な考え方とは全く違った世界があります。ふつうに考えると、私たちの意志で物事を考えてするのが最もよいこととされています。他人の意志や考え方についていくのでなく、自分で考え、自分で行動することにまさるものはないと考えているはずです。
 しかし、聖書の世界では、そうした常識的な考え方では思いもよらない考え方が示されているのです。
 常識的考えとは、神などいないという考え方です。そこでは最も頼りになるのは、自分の考えだということになります。あるいは、優れているとされている人間の考えです。
 しかし、神が存在するということになると、全く違ってきます。神とは、人間のいかなる考え方より無限に高く、また深いからです。そして聖書でいう神とは、真実な愛の神であり、完全な正義の神であるのであって、そういったお方がいるのなら、その神の考え、意志が最もよいということは当然だということになります。
 どのような事態に直面しても、なお、神の御意志を信じること、自分の意志でなく、神の意志を求めること、ゲツセマネのキリストはそうであったのです。自分の人間としての気持ちがどんなに許さないことであっても、それが神の御意志である場合がある。
 そのとき、その神の御意志に従うことこそ、究極的な私たちのとるべき道だということになります。
 ここでの、百人隊長の心は、そのような神の意志(ここではキリストの意志)に絶対の信頼をおくということです。
 このような絶対的なイエスに対する信頼がどうして生まれたのか、聖書ではなにも語っていません。当時、イエスの生まれ育った国は、ローマ帝国の支配を受けていました。植民地であったわけです。そうした支配を受けている民族のせいぜい三〇歳ほどの少し前まで大工の息子であったイエスに対して懇願するということ自体、不思議なことです。医者でも何でもないイエスに対してこれほどの信頼を寄せるのはどうしてだろうかと思うのです。
 そしてイエスがすぐに「私が行っていやしてあげよう」と言われたのに、来ていただくのに自分はふさわしくない、ただ一言を下さい。そうすれば癒されると、驚くべきイエスに対する信頼を表したのです。
 ただイエスの一言あれば足りる、ここには、なんと深い主イエスへの信頼があることか。言葉はその人の内にある意志の現れです。その人の一言への信頼は、相手の意志への信頼にほかならないのです。それゆえ、百人隊長が主イエスの真実を心から信じていたことも意味します。私たちは、ある人の真実さ、誠実さを信頼すればするほど相手の一言を受け入れます。政治家などは選挙のときだけ、いろいろな聞こえのよいことを言いますが、多くの人はそれを信頼していないと思われます。
 二千年前に実際にイエスが生きておられた時にはそのイエスへの信頼を持つことができました。しかし、目に見える形でのイエスには会うこともできない現在の私たちにとって、この百人隊長のイエスへの信頼の心はどんな意味があるのでしょうか。
 目で見える人間のすがたをしたイエスには、たしかに会うことはできないけれども、信じる者の心の内に住んでくださる主イエスがおられる。そして、今も目には見えないけれども聖霊としておられるキリストがおられる。
 私たちも、そのようにして今も存在しているキリストを心から信じていくならば、イエスの一言が必要なときに与えられ、それが困難に向かう力となり、前途を導く光となってくれるのです。

緑の牧場に  (詩編二十三編)

主はわが牧者、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを緑の牧場に休ませ、憩(いこい)の水際(みぎわ)に導き、わが魂を生き返らせて下さる。

主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。
たとえ死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださるから。
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。

あなたは、わが敵の前で、わたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。

命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追いかけてくる。
私はいつまでも主の家にとどまるであろう。

 この詩は、旧約聖書におさめられている多くの詩編の中でもとりわけ愛され、深い共感をもって読まれてきた詩です。
 例えば、イギリスの十九世紀の代表的なキリスト教伝道者の一人であったスパージョン(*)は次のように言っています。

 これは、ダビデの聖なる牧歌である。・中ヲ彼は枝を広げる木の下に座り、まわりには、自分が養っている羊たちがいる。・中ヲ私たちは、ダビデが心からの喜びに満たされてこの並ぶもののない牧歌を歌っているのを思い浮かべるのである。あるいは、この詩が後のときに作られたものであるなら、私たちはダビデが一人きりの祈りのなかで、若き日によく休んだことのある、荒野のなかの牧場において流れる谷のほとりに導かれたのだと確信するのである。
 これは、詩編のなかの真珠であり、その柔らかく純粋な輝きはあらゆる人の目を喜ばせるものがある。・中ヲこの喜ばしい詩においては、信仰深い心と詩的感情とは一つになっており、その優雅さと霊性は比類のないものだと言えよう。(「THE TREASURY OF DAVID Vol.1-353p

*)スパージョンは、十九世紀イギリスの伝道者。詩人的傾向をも深く備えていた。十九歳で牧師となり、初めは100人にも見たなかった出席者がまもなく千五百人を越え、さらに六千人を収容する大会堂の建設に至るまでとなった。彼が教会で語った聖書のメッセージはつぎつぎと書物となって発行され、現在も需要が続いている。詩人的傾向のつよかった彼は、旧約聖書の詩編の注解に特別な力を注ぎ、「ダビデの宝庫(THE TREASURY OF DAVID)」として、自分の解きあかしとともに、内外の多様な注解書や著作家からの引用を集め、英語版では全三巻、三千ページ近い大冊となって発行されている。右にあげたのは、その著作の中からの引用。

内村鑑三もこの詩について、やはり「真珠」であるとし、つぎのように述べています。
 
 詩編第二十三編は旧約聖書中の真珠である。キリスト者であってこの詩がその口よりおのずから流れるように出てくるのでなければ、まだ深く聖書を味わったとはいえない。この詩は新約聖書における「主の祈り」とともに、信徒がつねに心に命じて暗唱すべきものである。(「聖書の研究」一九一九年六月)
 また、内村も若いときに親しんだ、注解者として有名であったアルバート・バーンズもその注解のなかで、「この詩はつねに実に見事な美しさをもった詩だと見なされてきた」ど書いています。

 この詩編は、無数の人々から愛され、また心を新たな思いにさせてきた詩、高い評価を受けてきた詩であり、少しでも私たち自身のものとするために、より深く学びたいと思うのです。
 牧者とは、羊飼いのことであり、羊を草や水のあるところへと導く者です。この詩の作者が住んでいたところは、ユダヤ地方であり、日本とはまったく違った乾燥地帯であって、草が生えているのは一部のところであり、まばらに一面の砂漠同然のようなところにも羊がいます。そのようなところでは、適切な牧者がいないなら、羊は草のまったくない場所に行ってしまい、水もなく、死んでしまいます。
 以前に読んだ聖地の記事にも、つぎのように書いてありました。(今から五十年ほど昔に書かれたもの)
「羊の一群が羊飼いに伴われて移動しているのが見えた。しかし、どこに草があるのだろうといぶかしく思ったほどに、付近は羊たちが食べる草すら見あたらない。それで辺りをずっと見回すと、はるか遠くにようやく少しの緑が見えた、そんなわずかな草のために遠いところまで連れていくのを見た。」
 聖書でなじみのある土地の雨量をみると、エルサレムはやや多く五六〇ミリ程度、ベエルシバや、エリコはそれぞれ年間雨量は二〇〇ミリ、一四〇ミリという状態です。
 日本では、例えば高知市は年間で二六〇〇ミリを越えるし、東京都でも一五〇〇ミリほども降ることから考えると、いかに聖書の舞台となった地方は雨が少ないかがわかります。
 日本のような雨の多い地方では、この詩が作られた地方がいかに乾燥していて、緑の草原がどんなに貴重であるか、また水がどんなに大切であるかがわかりにくいのです。
 緑の牧場、水際へと導いて下さる神は、まさしく最も重要なものを与えて下さるお方であるということが示されているのです。
 
 「主が私の牧者、導き手である。だからこそ、私には乏しいことはない」と詩人はこの詩のはじめで述べています。この詩の根本的内容は、この初めの言葉に凝縮されているのです。何が私たちの導き手となるか、それで私たちの主がは決まるのです。
 ほかのあらゆる導き手には、一時はよいものであっても、必ずその後にばかりついていくと何かよくないものが生じてくる。しかし、神が導き手であるなら、深い満足と喜びを与えて下さるがゆえに、私には乏しいことがないと断言できたのでありましょう。
 それではなぜ乏しいことがないのかをつぎの節でくわしく述べています。

主はわたしを緑の牧場に休ませ、憩(いこい)の水際(みぎわ)に導き、わが魂を生き返らせて下さる。

 この詩の作者は、自分の生きてきたその歩みが神によって導かれてきた人生であることを知っていたのがうかがえます。私たちの一生とは、導かれる人生なのです。
 私たちは結局、自分の意志や力で生きていくか、それとも自分以外の人間や組織、慣習などのままに動かされて生きていくか、それとも人間を越えた真実な神に導かれて生きて行くか、そのいずれかであることを知っていたのです。
 本当の人生とは、そこに静かな満足と平安が与えられるものであり、神によって導かれる人生こそがそれであると言えます。
 朝、起きてまず神によって新しい一日が導かれるようにと願うことによって始まり、仕事のただなかにおいても神の導きを見つめつつ働く。そして夜には、神による一日の導きを感謝しつつ床につく。そしてこうした神の導きは、どこまでも範囲は広がって行きます。聖書に示されている神は、宇宙万物の創造主であり、時間や空間を越えたお方であるため、その導きとは、宇宙万物をも含み、そして過去から現在、そして将来にむかって働くものです。
 自分を導いて下さる神は、決して自分だけを導くのでなく、神を信じて従うあらゆる人たちを導いていくのであり、そうしたすべての人々を一つの群れとして導き、神の国への歩みをすすめていくのです。

わたしは良い羊飼い(牧者)である。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。・中ヲ
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ福音書十・1416より)

 乏しいことがない、それは言い換えると魂を深く満たしてくれるということです。これは、キリストの時代からあとにさらにはっきりと語られるようになりました。
 ヨハネ福音書ではその初めの重要な箇所に、イエスは「恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ一・14)と述べて、さらに「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(同・17)と言われています。
 私には何も欠けることがない!
 このことを、はっきりと断言できる人はどれほどいるだろうかと思います。一時的には言える人はいくらでもいます。自分にふさわしい仕事を持ち、よき家庭、友人に囲まれ、幸いな結婚に恵まれているような人、あるいは、心が狭く、人生の苦しみや闇を知らない人がその狭い範囲で自分は幸福だと思っていると乏しいことは何もないというかも知れません。
 しかし、そのような甘い感情は、いったん事故や病気、人間関係の悪化があるといともかんたんに壊れてしまいます。
 この詩の作者は、決してそのような甘い感情にひたっているのではないのは、少しあとに記されている言葉でわかります。死の陰の谷を歩みとあるように、この世には、恐ろしい苦しみがある、死を望むほどの重荷があるということを経験してきた人だとわかります。

「私には欠けるものはない」この言葉は、この詩人よりはるか後の時代に、キリストの使徒パウロが述べています。彼は、実際にこの詩人と同様に、神(キリスト)によって導かれる人生となってこの深い満足を語っているのです。

わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。
わたしは貧に処する道を知っており。富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。(ピリピ書四・1112

 どんな外的な境遇にも満足すること、欠けるものはないという実感を持つことができるということは、キリストによって満たされていたからだったのです。わが内にキリストが生きていると語ったパウロにおいては、どんなに外側の境遇が欠けているように見えてもそれを越えて満足させてくれるお方が導き手であったからです。
 パウロもまた、「主はわが牧者である。そのゆえに私は乏しきことはない。」と証しすることができた無数の人たちのうちの一人となったのです。
 
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。

 なぜ、羊飼いの鞭や杖がこの詩の作者を力づけ、慰めを与えるのだろう。それは、よき羊飼いの鞭は、決して羊を苦しめるためでなく、まちがったところに行こうとするのを止めて、正しい道、安全な緑の草原への道に導くためであるからです。羊飼いを心から信頼しているとき、その鞭ですら、恐れることでなく、よき所へ導くための愛の現れなのだと知っていたのがわかります。
 また、鞭と訳されている原語は棒状のものをも意味するため、これは野獣から羊たちを守ることも意味していると考えられます。どんな危険に出会おうとも、神は必ず守って下さるという信頼によって、私たちは力づけられて前進していくことができるのです。

 緑の牧場にて命の糧なる草を食べ、水際にて水によって新しい力を得たゆえに、この作者は、かつての暗い谷、死の陰の谷をも導かれる神を強く自覚しました。そこから、つぎは家庭的な場面と移って行きます。
 
あなたは、わが敵の前で、わたしに食卓を整えてくださる。

 水際へ、緑の原へと導く者であった神は、また時には死の陰の谷へと導かれる。鞭をふるって間違った方向へ行こうとするのを止め、また杖をもって襲いかかる者を退け、あるいは間違った道へ行こうとする羊をやはり止めて下さるお方です。
 そしてさらに、五節では、神は家へと導き、私をもてなして下さるお方として描かれています。
 しかし、単にのんびりとした家庭的雰囲気ではなく、「敵、あるいは私を苦しめる者」を前にした状態であっても、神は、私への食卓を整えて下さると言います。
 ここに、神からの祝福や賜物は、目に見える世界でどんなであろうとも、それを越えて与えられるものだと言おうとしているのです。
 敵のまえでも、牧者たる神は信じる者によきものを与えてくださる。それによってその人は、その敵のために祈ることができる。主イエスが敵のために祈れと教えられましたが、それは、この詩の作者の体験と共通のものを感じることができます。

わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。
 
 現代の私たちには、頭に香油を注ぐということは何を意味するのか、わかりにくい表現です。また杯をあふれさせるということも同様に現代のたいていの人にはよくわからないか、もしくはまったく間違って受け取るだろうと思います。
 香油を注ぐとは、神の持っているよきものを直接に与えて下さるということです。神が持っている力、すなわち洞察力、悪に打ち勝つ力、真実さや愛、正義への勇気などなどです。
 メシアとか、キリストという言葉は本来の言葉の意味は、油を注がれた者という意味なのです。神ご自身の本質を注がれた者という意味になります。ですから、旧約聖書の時代には、王とか大祭司などが油注ぎを受けることができた人です。それに対して新約聖書においては、油注がれた者というのは、ひとえにキリストを指す言葉となりました。
 杯を溢れさせる、それは、神が私たちの心の奥深くに神の霊を注いで下さるということを象徴的に述べている表現です。杯とはぶどう酒を入れる容器です。酒はほかの食物とちがって、人を酔わせるというふしぎな作用があります。それは、人間の精神に大きな影響を及ぼすために霊的なものの象徴として言われることがあります。
 神は私たちに聖なる霊をゆたかに注いで下さるということなのです。

 若いとき、壮年期には、さまざまなところに行き、多くの経験を重ねます。神はそうしたいろいろの機会、場所において、信じる者に緑の原や憩いの水際にたとえられるさまざまの安らぎを与えてくれます。
 それだけでなく、人生の途中に深刻な悩み、苦しみといった狭い道(死の陰の谷)を歩いて行かねばならないこともあります。
 しかし、そうしたさまざまの経験を経てたどりつくのは、神が接待する者となって下さって私たちを祝福し、ねぎらって下さる目に見えない家庭だということなのです。
 これはまた老年になったり、長期にわたる病気になって社会のなかで職業をもって生きて行けなくなるときのことを暗示しているとも言えます。
 わが家にて主イエスが共に住んで下さるなら、ほかに必要なものはなくなります。老年や病気になって何もできないように見えてもなお、神は目には見えないけれども、杯になみなみと神の国のよきもので満たしてくれているのが見えてくるような思いになります。 人生の終わり頃になって、自分の杯にはなにもない、だれも満たしてくれない、いやなことばかりだという気持ちになる老人も多いと思われます。
 老年となって病気や老年の苦しみがいわば、敵となって攻め寄せてくることもあります。そんなとき、日々神に向かい、祈りをもって神に語りかけるとき、しずかに自分の前に出された杯には、神の国のよき賜物がなみなみとつがれているのを見るという預言であるとも考えられるのです。

命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追いかけてくる。
私はいつまでも主の家にとどまるであろう。
 
 ここでは、意外な言葉が使われています。それは、「恵みが私を追いかけてくる」(*)という箇所です。私たちはこの言葉に新鮮な驚きを感じます。なぜなら、私たちの経験とはまさに逆であるからです。私たちはだれでも今まで生きてきたなかで、いつもよいと思うもの、幸福と思うものを追いかけてきた人生であったはずです。にもかかわらず、よきものは逃げていく。
 しかし、ここでは、恵みのほうが私を追いかけてくるというのです。振り向けば、敵が追いかけてくる、悪意をもった人が迫ってくる、病気やいやな人間関係がうしろを追いかけてくる、絶望がどこまでもついてくるという人もいます。
 老年になるということは、死が追いかけてくるのを実感することです。老年の寂しさ、苦しさはかつて若い元気なときには思いもよらなかった苦しみや病気、親しい者との分かれ、孤独などなどがいっせいに自分を追いかけてくるように感じるということです。そしてついに死に追いつかれて、消えていくのが人間なのです。
 このような私たちの経験してきたことに対して、この詩人はいかにちがった世界を歩いてきたことかと驚かされます。
 それは、恵みと慈しみが私を追いかけてくるという驚くべき実感なのです。後を追ってきた恵みが私たちに豊かに注がれるとき、それは神の家に、神とともにいることになります。

*)ここで「追いかける」と訳されている原語(*)は、ダーラフ(daraf)といい、これは、「追跡する」とか「迫害する」といった訳語としても用いられており、口語訳の「伴う」よりも強い意味を持っています。例えば、「彼と僕たちは、別れて敵を襲い、ダマスコの北まで追跡した。」(創世記十四・15

主の家に私は帰り、生涯そこにとどまる。 

 神によってよきものを魂に注がれつつ生きてきた者は、主のおられるところに住み続ける。生涯そこにとどまるのです。
 この詩は、神に導かれる生涯を簡潔に、しかもこの世に対して深いまなざしをもって歌ったものです。こうした生涯は自分だけの力、人間の考えや計画によって生きる人生とは根本的に違ったところに行くのがわかります。自分の力にたよって生きた人生ならば、晩年に向かうにつれて確実その力は衰え、希望もなくなり、夕暮れのように暗くなっていき、ついにこの世から消えていく他はありません。
 しかし、神を信じ、神にに導かれて生きた者は、ますます神の国が近づくのを感じつつ、永遠に主の家にとどまりつ、主と同じ姿に変えられていくことが約束されています。
 キリストが現れて以来、私たちはたとえ目で見える命が失われても、復活して神やキリストとともに永遠に生きることになったのです。

神々の国ではなく

 総理大臣が「日本は天皇中心の神の国」といったことが、だいぶ問題になりました。しかし、驚かされることですが、開き直って、日本はやはり天皇中心の神の国だと言い出す人もいます。一部の宗教団体の中にはそうした主張を強めているものもあります。
 日本人の多くは、神の国といってもそこで神とは何を指しているのかがまるで、はっきりしていないのです。今回の首相の発言にしても、日本は天皇中心の神の国といっても、そこで言われている神とはいったい何者なのか、それがごくわずかしか触れられていませんでした。天皇が関わる問題には、きちんと議論しない傾向があります。
 しかし、こうした問題こそ、国家の前途を左右するのであって、まず基本的なことを知っている必要があります。
 天皇中心とは、どんな意味でいけないのか。
 天皇中心ということを押し進めていくとどうなるか、それは太平洋戦争のようになるのです。天皇を神として、天皇が政治の場でも中心となり、陸海軍の全権を握り、神聖にして、犯すべからずということになり、そのような天皇が「中心」となって、戦争の開始も、中国やアジア諸国への侵略もその天皇が命令するというかたちで行われたのです。そして死ぬときも「天皇万歳」といって死んでいったのです。
 学校教育の場においても、天皇から賜ったとして、教育勅語を神聖視して、それに最敬礼をして礼拝するかのごとき態度を取らねば処罰されるという状態でした。内村鑑三は、教育勅語への敬礼が足りなかったというだけで、教職を追われ、不敬漢として生活にも困る状態に追いやられたほどです。
 さらに、時間を数えるときにも、天皇中心を徹底して浸透させるために、天皇の名前を言わなければ時間を表すことができないようにしてしまいました。それが元号制です。その結果、現在でも、自分の生年月日をいうのに、昭和○○年としか言えない人が多数を占めている状態です。それは、昭和天皇の統治の○○年目という意味なのであって、その元号制の意図を知ったら到底使う気持ちにはなれないはずのものです。
 このような天皇中心は、また、靖国神社という奇妙な神々の社(やしろ)とも関係が深い。これは、現人神である天皇がおまいりをする神社だということで、特別に重んじられました。この神社は、江戸時代末期から、日清、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争などの戦死者を「神」として祭っている神社であり、そこで神々としてまつられているのは246万人にも及びます。このようなおびただしい神々をまつる宗教施設というのは、ほかに例をみないものです。戦死した人をどんな人であっても神々としてしまうので、戦争中にアジアの人々に残酷なことをしたあげくに、殺していったような人もみんな神々となってまつられているという、実に不可解な神社です。しかもこの神社が日本でも有数の重要な神社だというのですから、いよいよ奇妙な現象と言わねばなりません。
 また、日本は山や川などの自然を神々としているのであって、だから日本は神の国だなどという人も現れました。しかし、そうした自然が神々だというのなら、どこの国でももともと、自然の満ちた状態であって、みんな神々の国だということになってしまい、意味をなさなくなります。

 日本では「神々」というときどんな存在が神であったのかを知っておくことが不可欠となります。日本ではいたるところに神社があり、そこで祭られているのは、さまざまの神々です。さきほど述べた戦死した人はひどい悪事をはたらいた人でもなんでもみんな神々となるし、そうでなくとも、神道の考え方によれば一般的に死者はみんな神々となっていきます。だから、神々には、善い神もあれば、悪い神々もいるわけです。その上、生きている人間(天皇)まで戦前は、生きている神(現人神)とされていたほどです。
 さらに、シロヘビ、狸、キツネなどの動物も神々とされるし、大木や山、さらには人体の一部までも神々とされてまつられている例もあります。そのことからたしかに日本は「神々の国」と言えます。
 こうした神々のすがたは、聖書に記されている宇宙を創造した愛と正義の神といかに日本の神々とが違っているかを知るために、以前の号と重なるところもありますが、古事記の一部を引用します。

 スサノオの命(みこと)は、こう叫ぶと、勝ったあまりの勢いで、乱暴を働いた。天照大神が田を作っていたその田の畔(あぜ)をこわしたり、溝を埋めたりし、また食事をする御殿に糞をしてまわるという狼藉の限りを尽くした。・中ヲこんなひどいことをしても天照大神はとがめもせずにいた。あるとき、大切な衣を機織の女たちが織っていたとき、スサノオの命は、その建物の屋根に登ってそこに大きな穴をあけて、皮を剥いだ馬を投げ込んだ。女たちはそれを見て仰天し、そのうちの一人は機織りの道具で体を突いて死んでしまった。・中ヲ(古事記 上の巻・二より)

 こうした悪事をする者であるのに、スサノオの命を神として、祭っている神社には、名古屋の熱田神宮とか、京都の観光名所ともなっている八坂神社など多くあります。
 また、因幡の白兎で有名な大国主の命(おおくにぬしのみこと)に関する記述を見てみます。

 この神の兄弟の大勢の神々が、ある女を妻にしたいので出かけて行った。その途中で、皮を剥(は)がれた兎が浜辺で哀れな様で寝ていた。神々は、その兎に海の水で洗い、風の吹くところで乾かして、高い山の上で寝ていたらよいなどと言って、傷がいっそうひどくなるような偽りの助言をした。その結果、兎は見るも無惨な状態となって全身の痛みに苦しんでいた。そこに大国主命が来て、ガマの花粉を塗るように教えていやしてやった。
 その後、目的の女性を獲得しようと行ったが、その女は、拒否して大国主命との結婚を希望した。それを憎んだ兄弟の神々は、大国主命を殺そうと考えてある山のふもとで、次のように言った。
「この山には、赤いイノシシがいる。それを山から追い落とすから、お前はそれをつかまえろ」こう言って、真っ赤になるまで火で焼いた巨岩を山の上から突き落とした。それを赤いイノシシだと思った大国主命がふもとでしっかりと抱いて受けとめた。しかし、そのために黒こげになって死んでしまった。しかし、母親が特別な治療を別の神々に頼んで生き返らせてもらった。そこで兄弟の神々はまた大国主命をだまして山に連れ込み、大木を切り倒して幹の割れ目に楔(くさび)を入れておいた。そこに大国主命を入れて、いきなり楔を引き抜いたので、幹の割れ目がふさがってついに挟み殺してしまった。・中ヲ(古事記 上の巻・四より)

 こうした実際の記述を見ても容易にわかるのは、日本でいう神々というのは、聖書でいわれる神とはまったく本質が異なる存在であること、要するに人間と同じものだということです。これは、日本だけでなく、ギリシャ神話などに現れる神も同様で、その神々は人間を欺いたり、女性を誘惑したり、奪いあうための戦いをしたり、正義の神とは思えないすがたを示しています。
 天皇という偶像中心にした、何でもが神々となる国でなく、真理と正義の神、宇宙の創造主である神を中心とし、その神を信じて、その神に仕える人たちの国こそ、真に望ましい国の姿なのです。

キリスト教と戦争

 よく十字軍などを例にだして、「キリスト教は戦争をした」といって批判する人がいる。しかし、そうした人たちは、たいていキリスト教とは何かということをほとんど知らないで言っているのである。
 そもそもキリスト教とは何だろうか。
 それは、イエスが地上で生きていたときに、教えたこと、行ったことだけでなく、キリストが十字架にかかって私たちの罪を担って死んで下さったということ、キリストは殺されたが復活した、そしていまも見えない聖霊となって生きて働いている、世の終末にはキリストが再び来られて、新しい天と地にされるといったことである。
 それらが福音書とか使徒たちの手紙などとして新約聖書は構成されている。
 これらの内容のいかなる部分が戦争を肯定しているのか、新約聖書を詳しく調べるとわかるように、戦争を肯定している箇所はどこにも見いだすことはできない。また、キリスト以後の使徒たちの教えたこと、語ったこと、そして行ったことなどを記した使徒行伝にもそうした教えは見られない。
 このように、新約聖書の数百頁にわたる内容には全く武力で戦争する必要が記されていないのである。キリスト教そのものは決して戦争を肯定していないのが、聖書を見ればすぐにわかる。
 その意味でキリスト教が戦争したとかいう主張は、全く間違ったことである。

 使徒パウロは、意識不明になるほどに、石で打ち倒されたことがある。そして郊外に引きずって行かれたことすらある。しかし、そのような時であっても、パウロは全く力をもってやり返さず、意識が戻ると再びその町に入って行ったと記されている。

ところが、ユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。
しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。(使徒行伝十四・20より)

 また、キリスト教史上初めての殉教者であったステファノはやはり彼の信じる真理を語ったところ、激しい憎しみを受けて、石を投げつけられて死に至った。

人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒行伝)

 これらはすべて主イエスご自身が、無実の罪にもかかわらず捕らえられて、十字架刑にされて殺されたがそのときにも、周囲の人々のために祈って最期を迎えたということにも現れている。

 こうした例が示しているように、キリスト教そのものは、決して武器をもって殺し合う戦争を肯定していないのははっきりとしている。

 しかし、旧約聖書には戦争の例があるではないかと反論する人がいる。たしかに、旧約聖書では、さまざまの戦いが記されている。エジプトを出た民が長い年月を要して約束の地であるカナンの地に入った後も、多くの戦いがあり、のちのダビデ王の時代にも同様であった。旧約聖書では武器をもって戦うことは、神の命令としてなされたことが記されている。しかし、旧約聖書に書かれていることがそのまま新約聖書の真理ではない。
 例えば、アブラハムやヤコブ、ダビデなどは多くの妻を持っていた。今から数千年も昔のこうした例は、神がまだこうした方面において完全な啓示を与えていなかったことを示している。しかし、キリストの時代になって、結婚は、キリストと信徒の集まりとの結びつきを象徴するものであって、神聖な関係だということが記されている。そこでは、当然、一夫一婦ということが正しいこととされるようになった。
 また、旧約聖書の時代には、異邦人は汚れているとされていて、使徒ペテロすらその意識から自由になるのは困難であって、キリストの死後、夢のなかで神から直接の啓示を受けてようやく異邦人も汚れているのでないとわかったのである。
 あるいは、食物にしても、旧約聖書の時代では、タコ、イカ、あるいは豚などは食べると汚れるとされていたので、食べることは禁じられていた。しかし、キリストは、口から入るものによっては汚されないと明言された。
 それから最近では、エホバの証人が言い出したことで知られるようになったが、輸血してはならないなどということはもちろん聖書には記されていないが、血を食べてはいけないという戒めは旧約聖書にある。しかし、これは血を出すと死ぬということやその鮮やかな色のために、いのちそのものだと見なされていたからこうした規定が作られたのだと思われる。
 しかし、キリストは、すでに述べたように、何を食べても汚されない、口から出ていく汚れた思いが人を汚すといって、血を食べてはいけないなどということも全く問題にされていない。

口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。(マタイ十五・11

 また、ハンセン病(らい病)だけでなく、死体に触れることや、女性の出血の病なども汚れだと見なされて、そうした人間とは交際も接触することも禁じられた。

 割礼という儀式をしなければ、神の民とされず救われないということは、はるか古代のアブラハムのときにすでに言われていた。

あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。
無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。(創世記十七章より)

 このように、戦争のことだけでなく、旧約聖書には、キリストの時代になってから、全面的に捨てられた戒めや、より深い新しい内容になった戒めがいろいろとある。
 例えば、割礼は、実際の肉体に受けるのでなく、心に割礼を受けることが重要であり、戦いも、剣や槍などの武器をもってする戦いでなく、目に見えない悪の力、悪霊との戦いであり、武器も、信仰や、正義、神の言というようなものがキリスト者の武器だということになった。
 このような聖書の内容について知っているなら、キリスト教は戦争を肯定しているとか、歴史上でキリスト教は戦争をしてきたなどというのが、間違いであることははっきりとわかる。
 歴史的に戦争したのは、キリストの教えや新約聖書そのものの教えからでなく、キリストの教えに忠実に従わなかった王や指導者が戦争をしたということなのであり、あるいはさまざまの政治や社会的問題のために、キリストの教えには反するが、やむなく戦争になったという例もあるだろう。
 キリスト者であっても、隣人を愛せよと言われていても、どうしても愛することができなかったということがあるのと同様であり、ある問題でキリスト者が一時的にせよ、人を憎んだから、キリスト教が人を憎んだのだなどというのが間違いであるのと同様である。
 キリスト教はあくまで、戦争は認めていない。しかし人間の弱さや罪がそのようなことをさせてきたのである。キリストを信じると称してきた人たちも戦争を始めたこともある。しかし、キリスト教そのもの、新約聖書は決して武力による戦争を認めてはいないのである。
 私たちはいかに弱いものであって忠実に従えないものであっても、キリストの教えとその精神はあくまで正しいのがわかる。そこには永遠の真理がある。現在の日本や世界は、核兵器を使う戦争が全面的に生じたりすれば、滅んでしまうのははっきりしている。こうした時代にあって、真理そのものであるキリストの教え、武力を取る戦いを退けて、信仰や神の言をもって戦うことが求められている。

休憩室

ユリ
 初夏から咲き始める花、その代表的なものはユリです。純白のユリ(テッポウユリ)を好まない人はまずいないと思われます。白いユリは古くから特別に愛好され、栽培されてきました。世界で最も古くから数千年前から栽培されてきたのは、マドンナリリーという名のユリで、白いユリです。
 これは、ルネサンスの画家、ボッティチェルリの受胎告知にも取り入れられています。マリアがみごもったとき、天使が現れ、胎内の子は、聖霊によってみごもったということを知らせたのですが、その天使が手に持っているのがこのマドンナリリーです。
 他にもフラ・アンジェリコ、ティツィアーノ、ムリリョ、コレッジオなど多くの画家がこの白いマドンナリリーを描いています。
 このユリは、しかし、日本のテッポウユリが十九世紀後半からヨーロッパに入ってからは、次第にそのテッポウユリに代わっていきました。このユリの方がより気品があり、姿もよいからだと思われます。日本の南部、奄美大島や沖縄諸島などが自生地であって、そこから世界に広がったのです。現在では、ヨーロッパにおいても、その純白さや高雅な姿が愛されて、結婚や、葬儀、あるいはクリスマスのときなどさまざまに用いられています。またキリストの復活のシンボルとしても使われています。
 そのためにこのユリの英語名はイースターリリー(「復活節のユリ」の意)なのです。全世界広いにもかかわらず、小さく目立たない琉球列島付近に自生しているものが、全世界の人々にキリストの復活を思い起こすに最もふさわしい花として用いられるようになったのは不思議なことです。
 なお、ユリのことを百合と書くのはその球根が多くの鱗片(りんぺん)が合わさっているからです。

 ニュージーランドのある植物学者の書いた本のなかに、ユリに関する文があったので引用します。

 ユリにそなわった威厳ある優雅さと美しさは、この花をほかのどんな花からも際立たせている。はるか古代から庭に植えられた花の中でも、この花はもっとも深く愛されたものの一つである。そして花とか庭とかにたいしてほとんど、あるいは全く関心のない人々の多くが、ユリに対しては深く限りない愛着をもっている。夏の夕暮れの涼しい空気を心地よく包む、香り高いユリたちは、庭の最高の喜びの一つである。 
 ユリの仲間は静かな、心ひく力を持っているために、植物学者の心を動かし続け、さまざまの名を付けていった。それは、考えつくもっとも賛嘆に満ちた名を与えてきたのである。・中ヲ(「花々との出会い」A・アンダーソン著 八坂書房刊)
 
 この文はユリへの深い愛情を感じるものです。
 聖書でユリといえば、旧約聖書では、例えば詩編45編のタイトルに、つぎのように記されています。
指揮者によって。「ユリ」に合わせて。
 これも、讃美に関する用語がユリの美しさに関係づけられています。
また、雅歌には「わたしはシャロンのバラ、谷間のユリ。」(雅歌二・1)などのようにユリが多く現れます。
 このユリという原語(ヘブル語)は、ショーシャーンまたは、シューシャンといって、ここから、スザンナという女性名も生まれています。ユリやアイリスなどユリに似た花の一部も含む名前であったと考えられています。
 しかし、最も有名な、そして大きな影響を及ぼしたユリに関する文はつぎのものでした。

 また、なにゆえ衣のことを思ひわずらうや。
 野の百合はいかにして育つかを思へ。労せず、紡がざるなり。
 されど我なんじに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装いこの花の一つにも及(し)かざりき。(文語訳 マタイ福音書六・2829

 これは、現代語の口語訳、新共同訳聖書ではユリと訳された原語(クリノン krinon)が、いくつかの種類の野の花をも指す言葉であることから、「野の花」と訳されているために、最近聖書を読み始めた人は気付かないのですが、中世の標準の聖書であったラテン語訳や、英語聖書で最もよく用いられてきたジェームズ王訳で、ユリと訳されて以来、ずっと主イエスの言葉はユリとして親しまれてきました。世界の重要な現代語訳聖書でも、ユリ(lily)と訳しているのも多くあります。(*
 主イエスが詩人でもあって、みんながただ美しいとしか思わない花に関しても、重要な教えをそこから生み出されたし、それは二千年の歳月を越えて、つよい印象を世界の人々に与えてきたのです。

*)例えば、英語訳聖書の代表的聖書の一つである、改訂英語聖書(Revised English Bible)、新改訂標準訳(NRSV)、エルサレム聖書(JERUSALEM BIBLE)、新国際訳(NIV)などです。なお、現代ドイツ語訳の一つ(DIE BIBLEEinheitsubersetzung )や、現代フランス語訳聖書(TRUDUCTION OECUMENIQUE)などもやはり、ユリ(それぞれ Lilielis)という訳語を用いています。

徳島聖書キリスト集会集会案内

・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)
・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。
また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちのさと」作業所)、板野郡藍住町、徳島市住吉、鳴門市などで行われています。
また祈祷会が月二回あります。問い合わせは下記へ。
・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017

2000/7


今月の聖句

希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

(ローマの信徒への手紙十二・12


ボランティア    2000/6

 以前はあまり使われていなかった言葉であるが、最近はだれでもがよく知っている言葉の一つにボランティアというのがある。

 この言葉は、ラテン語の voluntas (ウォルンタース)から来ている。この語は「意志、自発、意図」などの意味を持っているが、この言葉は、もとは「欲する、意志する」という、 volo (ウォロー)から造られた言葉である。

 要するに、意志というのがこれらの言葉のもとにあるのがわかる。ボランティアとは自発的な意志による奉仕であり、仕事をいう言葉なのである。いくら自発的意志があっても、報酬をまず期待してすることはボランティアではない。報酬とか評判、何らかの見返りを期待しないで、しかも自発的な意志で、援助を必要としている分野で仕事をする人をボランティアという。

 ボランティアと反対のことは、強制とか、仕方なくやるとか、報酬を目指してするとかである。

 目には見えない「神の国」のために働くことも一種のボランティアであり、本来キリスト教伝道に関わる者は、みな一種のボランティアだと言えよう。

 なぜかといえば、キリスト者とは、キリストを信じて、自分の意思でなく神の意思をまず自由な心で求めようとするように変えられた者であるからだ。キリストによって罪の赦しといういかなることにもかえがたい恵みを受けた者であるゆえ、おのずからその喜びを知らせたいと思うようになっている人だからである。

 最大のボランティアとは、またそのような最も純粋なボランティア精神とは何だろう。それは、キリストであり、そのキリストを内に宿すようになった者である。内におられるキリストがうながし、キリストがそのなすべきことを導いていかれる。

 キリストこそは最大の神の国のためのボランティアであり、その後現れた無数のボランティアの模範となった。

私たちを見守る神   (詩編121編より)

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わが助けはどこから来るのか。

わが助けは天地を造られた主のもとから来る。

主はあなたの足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださる。

見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない。

主はあなたを見守る方、あなたを覆う影、あなたの右にいます方。

昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。

主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守りあなたの魂を見守ってくださる。

あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

 この詩は短い内容のなかに、繰り返し「見守る」(守る)という言葉が現れます。このような見守って下さる神を思う詩だとわかりますが、この作者はそのような見守る神を何によって思うようになったのでしょうか。

 それは、最初の言葉によってうかがえます。

 「目を上げて、私は山々を仰ぐ」

 この言葉によって、この詩人が山を仰ぐことによって神への心を燃え立たせることになったのが推察できるのです。

 山、それは私たちの思いを引き上げ、清め、広げてくれる存在です。そのことは、私自身がもう三十五年ほど昔からずっと感じてきたことです。

 人間世界は、狭く、汚れていて、たえず動揺しています。

 しかし、山の広大さ、静けさ、清さ、確固不動の姿、高さなど、心に残るものがあります。それは人間世界とはまったく異なる世界です。

 このような人間社会との大きな違いは、ただちに明らかとなります。

 聖書においても、山は信仰と特別な関わりが記されています。

 まず、最も有名な旧約聖書の場面とは、十戒を受ける場所です。そこは、シナイ半島であり、シナイのうちで最も高いところにある場所です。そんな荒々しい自然のただなかでどうして神の言という最も重要なものを頂くことになったのでしょうか。

 山は、私たちの心を俗世界から引き上げ、人間のさまざまな思いから清める力を持っています。いかなる人間の意見にもわずらわされないで、ただ神のみに目を向けている必要があったことも考えられます。

 また、モーセが地上のいのちを終えたのも、また平地でなく、約束の地をはるかに望むことのできる、ピスガ山でした。

 また、旧約聖書の預言者のなかで最も重要な人物の一人は、エリヤです。彼は、偶像を拝む指導者たちを滅ぼしたことがありました。それも、カルメル山でなされました。現在この山の頂上には、エリヤの大きい像が建てられています。

 そして一度は、その使命の重さと困難さに疲れはて、死ぬことを求めて砂漠に入って行ったこともあります。そのときに神に不思議な助けを与えられ、そこから、数百キロもある道のりを昼も夜も進んでたどりついたのがシナイ山でした。そしてその山で再び彼は神の声を聞き取り、新しい力と使命を示されて再びもとのところに帰って行ったということもありました。

 ただ神の静かな細い声を聞くために、遠い道のりを命がけでシナイ山にまで行ったということ、なぜもっと近くで、神は語りかけなかったのかと不思議に思われます。しかし、それほどまでに、山は人間に不思議な力を持っているということがわかります。

 新約聖書においても、やはり山は特別な意味があります。世界で最も読まれてきた箇所だと思われる主イエスの教えの中心的部分は、山に上って語られました。そのため、それは山上の垂訓として有名です。

 あるいは、主イエスが神と本質が同じだと示すために、十字架にかけられる少し前に、ペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れてやはり高い山に上ったことがあります。イスラエルの周囲で高い山というと、標高二八〇〇メートルのヘルモン山だということになります。(近くのタボル山ではないかという説もありますが、これは標高六百メートルほどの低い山です。)
 イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。(マタイ十七・2

 このように、主イエスが神としての本質を目で見えるように現したというのはこの箇所だけですが、ここでも高い山に上っています。

 また、主イエスが最後の晩餐を終えて、十字架に付けられる前夜には、必死で祈られたのですが、そこもまたオリブ山という場所であったのです。

 このように、山がさまざまの重要なことの舞台となっています。

 この詩の作者も前方に広がる山の連なりによって心が神へと引き上げられ、そこからさらに神の守りへと心は広がっていったのを感じます。

 わたしの助けは、天地を創造された神から来る。
 山に心を向けた作者は、この確固不動の山を創造された神の力へと向かい、天地創造の神は、私を必ず救うことができる、私を日々支えて下さると確信するに至ったのです。

 創造の神は、遠い昔にその業を終えたのでなく、現在もまた働き続けておられます。

 私たちが人生のさまざまの苦しみのとき、また生涯の岐路に立つとき、私たちの信じる神は、天地創造の神であるということを思い起こすとき、新しい展望が開けることがあります。 

 どうか、主があなたを助けて足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。

見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、眠ることもない

 人間はどんなに愛する者を見守っていようとしても、夜は眠らねばならないし、自分の目を離れるならどこでどうしているのかわからなくなります。到底一日中、見守り続けることなど不可能です。赤ちゃんを見守ることにすべてをかけている母親であっても、いつもずっと見守ることはできません。

 このごろの少年の犯罪にしても、両親がずっと見張っていることなど到底できないことであるし、もしそんなことをしていたら一層依頼心の強い子供になってしまい、精神的にも弱い人間となると思われます。 

 人間の守りというのはこのように、弱くきわめて限定されたものでしかありません。

 それに対して神の守りは、一日中眠ることなく、ゆるめることもないというのです。私たちが夜になって休んでいるときも、日中の活動のときも、また私たちの方が神を忘れているような忙しいときであってもというのです。

 これはなんという恵みだろうかと思います。

 この詩は重要な詩ですが、わかりにくい箇所があります。それはつぎの箇所です。

昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。6節)

 この詩が書かれたのは、乾燥地帯です。雨は、日本と比べるとはるかに少なく、砂漠のようなところが多い所です。現在のイスラエルの重要な都市である、テル・アビブでは、過去三十年間もの間、六月、七月、八月には、全く雨が降ったことがないという状態です。

 このような乾燥した国においては、日中の太陽が人間に大きな害を与えることはすぐに分かります。日本から行った旅行者もイスラエルに行ってまもなく、日中に脱水症状を起こしたというのを聞いたことがあります。

 しかし、「月が人を撃つ」と書かれていますが、どうして夜の月の光が人に害を与えるのかは、日本の人には全く不可解です。日本人にとって、月の光は害を与えるどころか、その柔らかな光は多くの人の心をなごませて、和歌にも多く取り上げられてきました。

 しかし、乾燥した地域では雲一つない夜の月は澄み渡っていて、その光を浴びるとなにか精神によくない影響があると信じられていたのです。英語には、ルーナティック(lunatic)という言葉がありますが、これは、精神の病の人という意味です。そしてこの言葉は、ラテン語の月(luna)という語から造られているのも、古い時代には月が人間になにか悪影響を及ぼすという考えがあったことを暗示しています。

 しかし、「昼は太陽があなたを撃つことなく、夜も月があなたを撃つことがない」というのは、砂漠地帯における太陽で象徴されるはっきりとわかる害を及ぼすようなもの、例え暴力とか悪口、貧困、病気などというようなものからも守られるだけでなく、夜の月で暗示しているような、闇にはたらく力、はっきりとはわからない力による攻撃からも守られると受け取ることもできます。

 それは、オウム真理教などのような間違った宗教の影響とか、最近の世のなかの汚れた風潮などそれらは、いわば夜の月の光のように闇の中からひそかに心のなかに忍び寄ってくる力だと言えます。

 このように、私たちにはさまざまの種類の攻撃がなされているのですが、そのようなあらゆる危害から守られるということなのです。

 昼も夜も変わることなく、見守って下さるお方がいる、それは何にもかえがたい恵みです。

 神がいないなら、いったい何者がそのように昼夜を分かたずに見守って下さるだろうかと思います。

 単なる偶然的な出来事と、悪い事が満ちているようなこの世にあって、この詩も作られたはずですが、この詩は詩編全体のなかでもとくに見守る(守る)という言葉が多く使われています。

 現実の世の中は、はるかな古代から現代にいたるまで、いつもさまざまの危険があり、事故や病気があり、戦争があり無惨にも殺され、苦痛にうめきながら死んでいくという出来事は至るところにありました。

 神を信じている人もこうした悲惨な出来事にあってきました。イエス・キリストは完全な神の守りのうちにあったお方であるにもかかわらず、あのような十字架刑に処せられました。そのあとのキリスト教の時代にも数百年という長い間、迫害が続き数えきれぬ人たちが傷つけられ、殺されたのです。

 このような状況はこの詩編を書いた作者の時代も同様であったでしょう。

 それにもかかわらず、この作者がこのように夜も昼も変わることなく守って下さる神を実感し、そのような神への賛歌を書き残したということ、そしてそれが真理であるとして数千年も伝えられてきたことに驚かされるのです。

 これは単に見える現象を見ているだけでは決して得られない確信です。ここに神からの直接の啓示と自分自身の経験が背後にあったのがわかるのです。

 私たちが個人的に、「お前をいつも守っている」という、神からの語りかけを聞き取るとき、周囲にいかなることが生じようとも、この詩人が経験したような神の守りを実感するだろうと思います。

 私たちの日々は、私たちに絶えず害を与えようと見張っているサタン的な力に飲み込まれるのか、それとも全く逆に、私たちを夜も昼も愛をもって見守って下さっている愛の神にゆだねるのかという選択の日々だと言えます。

神の愛と裁き 

 裁きという言葉と、審判という言葉があります。聖書においては、このいずれも同じ言葉であって、日本語に見られるようなニュアンスの差はないのです。

 今日では、審判という言葉は、野球やサッカーとかのスポーツなどの審判とか審判員などのときによく出てくるので、そのような軽い意味だと受けとめる者が多いと思われます。

 また最後の審判というと、何か恐いこと、この世界全体になにかたいへんなことが生じるといった受けとめ方が多いようです。

 この言葉を聖書の原語ヘブル語で調べると、日本語にはないニュアンスがあるのを知らされます。

 それは、ミシュパットという語ですが、その言葉は、「裁き」という意味のほかに、「正義、公平、公正」といった意味にも用いられています。

 この点では、英語の正義という言葉 justice は、裁きという意味も持っているのに似ています。

 旧約聖書で用いられている、「裁く」と訳されているミシュパットという語は、また「正義、公正、公平」とも訳されています。

 また、英語のジャスティス(justice )という言葉は、「正義」という意味とともに、「裁き」という意味も持っています。これらはいずれもラテン語のユース(jus ・法の意)に由来しています。

 このように、言葉の上からも、正義という言葉は、裁きということと本質は一つなのだとわかります。

 実際、正義の神であるならば、必ず裁きもある。だから、私たちが正義の神を信じるかぎり、裁きの神をも信じるということになります。

 旧約聖書において、裁きを意味するミシュパットという語は、400回以上も使われていて、いかに聖書が裁きの問題を重んじているかがうかがえます。

 これは、また聖書で現れる神は、正義の神であることをも示しています。悪を裁くことをしない、また自ら悪を行う神々とは、不正な神だと言えます。

 このような聖書に示された神のご性質と、ほかの古代社会に現れる神々を比べるとその差がいっそうはっきりとしてきます。例えば、日本の神々は、正義の神ではありません。古事記に現れる最も重要な神々のうちの一人であったスサノオの命(みこと)は、さまざまの乱暴狼藉をはたらいて、人を死に至らせたほどです。

 一国の総理大臣ともあろう人が「日本は天皇中心の神の国」などというほどに、宗教的には、古代神話的状態を脱していないのがわかります。この発言がいかに低い次元のものであるかは、日本で神というときどんな存在が神であったのかを知っておくことが不可欠となります。

 そのことをきちんと知らないと、首相が言ったことがどんなにまちがっているかもはっきりしないのです。聖書に記されている宇宙を創造した愛と正義の神といかに日本の神々とが違っているかを知るために、前月号と重なるところもありますが、古事記の一部を引用します。
 スサノオの命(みこと)は、こう叫ぶと、勝ったあまりの勢いで、乱暴を働いた。天照大神が田を作っていたその田の畔(あぜ)をこわしたり、溝を埋めたりし、また食事をする御殿に糞をしてまわるという狼藉の限りを尽くした。・・こんなひどいことをしても天照大神はとがめもせずにいた。あるとき、大切な衣を機織の女たちが織っていたとき、スサノオの命は、その建物の屋根に登ってそこに大きな穴をあけて、皮を剥いだ馬を投げ込んだ。女たちはそれを見て仰天し、そのうちの一人は機織りの道具で体を突いて死んでしまった。・・

 こうした悪事をする者であるのに、スサノオの命を神として、祭っている神社には、名古屋の熱田神宮とか、京都の観光名所ともなっている八坂神社など多くあります。

 また、因幡の白兎で有名な大国主の命(おおくにぬしのみこと)に関する記述を見てみます。

 この神の兄弟の八十人に及ぶ神々が、ある女を妻にしたいので出かけて行った。その途中で、皮を剥(は)がれた兎が浜辺で哀れな様で寝ていた。神々は、その兎に海の水で洗い、風の吹くところで乾かして、高い山の上で寝ていたらよいなどと言って、傷がいっそうひどくなるような偽りの助言をした。その結果、兎は見るも無惨な状態となって全身の痛みに苦しんでいた。そこに大国主命が来て、ガマの花粉を塗るように教えていやしてやった。

 その後、目的の女性を獲得しようと行ったが、その女は、拒否して大国主命との結婚を希望した。それを憎んだ兄弟の神々は、大国主命を殺そうと考えてある山のふもとで、次のように言った。

「この山には、赤いイノシシがいる。それを山から追い落とすから、お前はそれをつかまえろ」こう言って、真っ赤になるまで火で焼いた巨岩を山の上から突き落とした。それを赤いイノシシだと思った大国主命がふもとでしっかりと抱いて受けとめた。しかし、そのために黒こげになって死んでしまった。しかし、母親が特別な治療を別の神々に頼んで生き返らせてもらった。そこで兄弟の神々はまた大国主命をだまして山に連れ込み、大木を切り倒して幹の割れ目に楔(くさび)を入れておいた。そこに大国主命を入れて、いきなり楔を引き抜いたので、幹の割れ目がふさがってついに挟み殺してしまった。・・

 こうした実際の記述を見ても容易にわかるのは、日本でいう神々というのは、聖書でいわれる神とはまったく本質が異なる存在であること、要するに人間と同じものだということです。これは、日本だけでなく、ギリシャ神話などに現れる神も同様で、その神々は人間を欺いたり、女性を誘惑したり、戦ったり、正義の神とは思えないすがたを示しています。

 ギリシャの哲学者、プラトンもこのような側面を問題にしてこうした神々の間違った行動を記述した本は青年を惑わすものとして、その教育にふさわしくないと言っています。

 聖書に現れた神は、徹底した正義の神です。宇宙全体を創造し、しかも永遠の正義そのものであるという神は世界のどの民族も知ることができなかったのです。

 正義の神であることから必然的にさばきは生じます。

 そして神へのおそれは、ただそれだけでは終わらないのです。それは、正義の神はまた、真実の神であって、心から神をおそれ、神を求める者には必ず、よき報いを与えてくれるからです。

 聖書にも、神をおそれることは英知の始まりだと言われています。洗礼のヨハネのメッセージの中心は、神のさばきが間近だ、斧が木の根元に置かれている、悔い改めよ、ということでした。そのような正義の神への恐れこそが、出発点にあって、そこから自分の罪への裁きを予感するとき、それなら我らは何をなすべきかということになります。正義の神、その神へのおそれを知ったときは、私たちの目覚めのときです。そのときに発せられるのは、それなら私たちは何をなすべきかということなのです。

 それについて、歴史上でも有名なキリスト教の著作である、バンヤンの「天路歴程」の書き出しの部分が思い出されるし、トルストイも「我ら何をなすべきか」という作品を残しています。

 神の裁きと恵みという二つのことは、旧約聖書の最初から記されています。創世記のエデンの園には、見てよく、食べて美味であるあらゆる植物が生えていた。これは、神の愛を示すものでした。その愛に感謝して、与えられた美味なものだけを感謝して味わっていたならば、ずっとアダムとエバは祝福された生活を送っていたはずです。

 エデンの園では食べるものも豊かで、見るものも美しいという、どこから見ても素晴らしい条件で人間は創造されました。それらのあらゆるよきものも人間が努力して、働いて作ったのでなく、人間が創造されるまえからすでにそこにあったと記されています。

 常識的に考えてもそれ以上に不満なことはあるはずがないと考えられます。にもかかわらずアダムとエバは、与えられたものに感謝できずに、自分の内にある欲望のような人間中心の感情に動かされたときには、神から与えられたもの以外のものを奪い取ろうとしたのでした。ここに裁きが生じるのです。

 神の裁きと愛との関わりは旧約聖書の申命記の30章においても、はっきりと表されています。

 ここでは、神が人々の前においた二つのこと、祝福とのろいが対照的に述べられています。その二つの道とは、命に至る道と災いに至る道(裁きを受ける道)です。私たちが神の声に聴き従っていくときには、神はどんなものよりもよいものを準備し、与えて下さると約束されています。それは神のいのちなのです。

 しかし、神の言葉に聞き従わないときには、必ず裁きを受けて滅びると預言されています。
 また、この神の愛と裁きの深い結びつきについては、メシアが現れるという旧約聖書の預言が、しばしば厳しい裁きの時と結び付けて記されていることにも見られます。そしてその裁きの時は決して裁きだけで終わることなく、同時に救いの日であることが示されています。

見よ、その日が来る、炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は、すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように、躍り出て飛び回る。(旧約聖書・マラキ書三・1920
 新約聖書の最も重要なテーマは実は、裁きの問題であるとも言えるのです。

 私たちは罪を犯している。神は義の神であるから、その罪を必ず罰せられる。とすれば私たちはその裁きから逃れることができない。滅びるほかはない。パウロの心の一番奥にあった気持ちはそのようなことであったのです。

 どうしたら裁きから逃れることができるのか。バンヤンの天路歴程も同様な疑問からその有名な著作は始められています。自分は死ぬべきものであること、そして裁きを受けるものであるということを知った者は、そこからどうにかして脱出したいと願うようになります。

 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」

イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」。

 天の国(神の御支配のなされ方)は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした時、五千億円ほども借金している家来が、王の前に連れて来られた。

家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

ところが、この家来は外に出て、自分に約100万円の借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。

仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。

しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。

 そのことを知った主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』

そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。

あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタイ福音書十八・2135

 この箇所で言われていることは、神はまずその愛によって私たちの重い罪をすでに赦して下さっている。その赦しがなければ私たちは滅んでしまうものに過ぎない。滅びから救い出して下さったのが神の愛であるにもかかわらず、その愛を忘れて他人を赦さない者には、神の裁きが下されるということです。

 私たちが他人を愛することができないのは、相手のなにかよくない点、気に入らないところを赦していないからだ。何度赦したらよいのかとペテロが尋ねたとき、主イエスは、七回の七十倍赦せと言われました。それは、聖書においては七というのは特別な数であって、文字どおりの意味でなく、象徴的な意味があります。ここでは、限りなく赦せということです。そうしたら、そんなに赦すことはできない。と答えるかも知れないが実は、すでに神によってあなたの計り知れない罪は赦されているのだということなのです。だから、そのことを深く知ったら、当然他人の罪をもいくらでも赦すことができるのだと言われています。

 私たちがまず神によって重い罪を赦されている、そのことをさらにはっきりと万人に示すためにキリストは十字架にかかって死なれたのです。

 神の愛は、罪の赦しのために一人子であるキリストを私たちに送って下さったことにおいて最も明らかに示されました。それゆえに、その赦しの愛を無視するところにこそ、神のさばきは特にはっきりと生じると言われています。

 人間関係の問題は他者を赦さないことから紛糾が始まる。そして私たちは自分が神の赦しを受けたことを深く受けない限りは他者を赦すことができないのです。

 罪の赦しということがいかに大きい意味を持つか、それは私たちにはその深さがなかなかわからないようです。

 この重要性のために、主の祈りにおいても、この罪の赦しを願う祈りがあります。愛こそは一番大切なのだから、主の祈りのなかに「私が他の人を愛することができますように」というような祈りがそこにあってもよさそうに思えます。しかし、「私が他の人の罪を赦したように、私の罪をもお赦し下さい」と祈れと主は教えられたのです。

 まず、私たちはすでに神が私たちの罪を赦して下さっているという事実を深く受けとめて、それに感謝することから出発すべきだとわかります。自分の罪の赦しの実感があれば、おのずから他人の罪をも赦す心へと導かれるからです。

 このように、他者への愛は、罪の赦しと深く結び付いていて、他者の罪を赦しつつ、神の国がその人のうちにも来るように願うことが根本とされているのです。

 ここにおいて、はじめに述べたエデンの園のことと似ているのがわかります。エデンの園においても、まずよきものが与えられているのをしっかりと受けとめなかったから罪を犯したのです。私たちも罪の赦しを受けとめないとき、他者を赦さないでさばくという罪を犯してしまうのです。

 裁くと訳されている原語(クリノー・krino )が四つの福音書でどのように用いられているかの数値をあげてみます。

マタイ福音書  6

マルコ       0

ルカ        6

ヨハネ       19

 愛ということを最も多く用いているヨハネ福音書ですが、裁くという言葉もまた、四福音書のうちでは特別に多く用いられています。これは、ヨハネ福音書においては、裁きはすぐそこにあるということを一番はっきりと指摘しているからです。

 裁きということが、世の終わりに初めてなされることでなく、神の子イエスを信じないというところにすでに裁きがあります。また、悪事をして罰がないと思う者はすでにそこで裁かれています。裁きということは、決して、世の終わりだけにあるのではないということをヨハネ福音書ではとくに強調しているのです。

 悪しきことについての裁きは、将来においてなされるであろうことは誰でもが知っていました。しかし、キリストが来られてからは、神の裁きは将来にあるだけでなく、今すでに存在している、それは、神の愛の最大の現れであるキリストを受け入れないところにあると言われています。

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。(ヨハネ福音書五・24

御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。(ヨハネ三・18

 キリストの十字架も、神の裁きと愛が同時に含まれている出来事でした。十字架に付けられたキリストを信じ、受け入れることによって、私たちは本来なら受けることになる裁きを免れ、逆に神の最も深い愛を受ける道が開かれたのです。

 神が裁くなどそんなことは有り得ないと言った人がいます。その人は真の神を信じていない人ですが、聖書で言われている神を信じない人は、裁きも信じることはできないのは当然でしょう。しかし、正しいことに背けば裁きがあり、真実に従えばよき恵みがあるというのは、この世界の法則であってちょうど物理や数学の法則や真理は信じる信じないにかかわらず存在するのと同様です。

 私たちが嘘をついても見つからねばよいという考えを続けて行けば、必ず、その人の心のある大事な部分が壊れていくか、固くなってしまうのです。また、自分中心に考えて自分が得すればよいと考えたり、弱い立場の人を見下したり、逆に金持ちとか有名な人にへつらって行動していけば、必ず真実な友人はいなくなり、自分の心にも清い喜びは感じなくなります。

 私たちはたえず日常生活のなかで不信実や過ちをおかしています。そのような状態であるから、私たちは正義の神によって裁かれるのは当然だと言えます。そのような状態の者がただ、キリストの十字架を仰ぎ望むことによってその裁きから免れることができるというのがキリストの十字架の福音です。

 裁きはつねに私たちのそばにある、しかし、裁きから免れる道もいっそう近くにある。ただ神を仰ぎ見るだけで救われるということは旧約聖書から示されていました。

地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。(イザヤ書四五・22

 キリストの十字架はこのようにただ仰ぎ見るだけで救われるということを、万人に知らせ、よりはっきりとわかるようにした出来事であったのです。

 キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはない。(ローマの信徒への手紙八・1

 このパウロの言葉にあるように、私たちは実に罪を犯しやすい者なのですが、キリストを信じるだけで、今後とも裁かれることがないという恵みはいくら強調してもしすぎることがないと思われるのです。

 裁きについて、聖書に記されているいくつかのことを付記しておきます。

神は、正義の神である。しかし人は罪人である。それゆえ、人間は他の人間を裁くことができない。「裁くな、あなた方が裁かれないためである。」と主イエスは教えられた。私たちのなすべきことは、裁くことでなく、その人のために祈り、愛することである。(マタイ七・1、同六・44

パウロは、裁きは神にゆだねよと言った。悪をなす人のために善を行え。そうすれば、その人のうえに燃える炭火を置くことになる。(ローマ書十二・1921

我に来たれ   (マタイ福音書十一章より)

 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

(マタイ福音書十一・2530

 ここにあげたキリストの言葉は新約聖書のなかでも特によく知られています。私たちはどこに行くべきかということから始まっています。 

 原文(ギリシャ語)では、この箇所では、三つの命令形があります。それを原文の順序で訳してみるとつぎのようになります。日本語訳では、こうしたはっきりした三つの命令形があるというのを見落としがちで、第一の命令形(来たれ!)だけが切り離されてよく知られています。

来たれ、私のもとに。 疲れた者、重荷を運んでいる者たちよ!・・

取れ、私のくびきを。

学べ、私から。

 このように原文に即してみてみると、この三つの呼び掛けは深く結びついているのがわかってきます。主イエスは、疲れて重荷を負っている私たちにまず来たれ、と呼び掛け、そしてそこで休みを与えられてのち、イエスのくびきを取ってイエスとともに歩め、と言われ、さらに共に歩む過程で学べと言われているのです。

 このことをもう少し掘り下げて考えてみます。

 ここでは、すでに述べたように三つ呼びかけがなされています。

 最初は、「私のもとに来なさい」です。 

 私たちはまず、どこに向かって行くべきなのでしょうか。キリスト教を知らないときには、それは、遊びとか飲食や、スポーツ、趣味、そして友達ということになります。

 これに対して聖書は、イエスのもとに来なさいと言われています。これは、いったい何を意味するのかと思う人が多いはずです。イエスといっても、はるか二千年も昔の人であって、そのイエスのところに行くとはどんなことなのかと。

 私たちは、自分の心にだれかを思い浮かべることはできます。すでになくなった人のこと、遠くにいる人、伝記などで読んだだけの人、噂の人など、実際に見たことはなくとも、心に思い浮かべ、心で見つめることはできます。

 それと同様に、完全な愛をもった、清いお方である神を思い浮かべ、そのお方に心を向けることはできるはずなのです。なぜなら、これが動物と人間とを区別する根本的なちがいだからです。

 聖書にあるように、神は人を神のかたちに似せて創造したとあります。人間の魂には、神のかたちが刻まれているからこそ、人間はだれでも神を思い、神を慕うことが本来できるようになっているのです。

 そのような真実と愛に満ちた神がこの世に送ってこられたのがキリストです。だからそのキリストを、神と同様なお方として思い浮かべることができます。

 そのように、キリストを心で見つめてそこに心を注ぐことが、キリストのもとに行くということです。

 主イエスの「私のもとに来なさい」との言葉の通りに、イエスのところに行くために、だれでもできることは、主イエスの言葉を学ぶことです。言葉とは、その人の心から出てくるものであり、ある人の言葉を学び、その言葉を心に受けとめるときには、その人の心に近づいたことになります。

 それゆえ、主イエスの言葉の書かれた福音書を読むということがさしあたり誰でもができることになります。主イエスがどんなお方であるかがそれによって分かってきます。そしてさらに肉体を持っていたときのイエスの言葉だけでなく、イエスが復活してのちは、神と同様な目に見えない存在になったので、その霊的なキリストが語った言葉を使徒たちが書き残しています。それが使徒たちの手紙です。

 そこでとくに、キリストの十字架の意味が詳しく記されているのが、使徒パウロのローマの信徒への手紙です。ここには、キリストの十字架が私たちすべての人の心にある罪を除くために、また赦しを与えるために死なれたということが記されています。私たちの罪とは、真実なこと、純粋な愛、正しいこと等などに背くようなあらゆる心の思いや行動です。そうした罪を赦して、清めるためにキリストは十字架にかかったのだということが書いてあります。

 キリストのもとに行くとは、そのいろいろの教えのもとに行くということだけでなく、さらにキリストの十字架のもとに行くことでもあります。そしてそこで私たちの心の罪の重荷を下ろすことができるのです。これこそ、キリスト教の中心にあることです。

 イギリスの著作家バンヤンの天路歴程には、十字架のもとで重荷を下ろすことができることがつぎのような印象的な表現で書かれています。

 私は夢で見ていると、キリスト者が行くべき道は、両側が垣根で囲まれ、その垣は救いの垣根と呼ばれていた。それで重荷を背負ったキリスト者はこの道を走っていったが、背中の重荷のために相当な困難があった。

 こうして走っていくと、やや上り坂のところに来たが、そこには十字架が立っており、少し下のほうのくぼ地には、一つの墓があった。私が夢で見ていると、キリスト者がちょうど十字架のところに達したちょうどそのときに、彼の重荷は、肩からほどけ、背中から落ち、それからころがって墓の口までくるとその中に落ち込んで、かげも形も見えなくなった。

 そこで、キリスト者は喜んで心も晴れやかとなり、「主はその苦しみによって私に安らぎを与え、その死によって命を与えられた」と言った。

 それから彼は、しばらくじっと立ち止まって十字架を見つめて驚嘆した。それは、ただ十字架を見上げることによって、このように重荷から楽になるとは実に驚くべきことであったからである。それで彼は繰り返し十字架を見つめていると、涙があふれて頬を伝わった。

 彼が涙を流しながら立っていると、三人の輝く人たちが彼のところに来て「平安があなたにあるように」と言った。第一の人は、彼に「あなたの罪は赦された」と言った。・・(天路歴程第一部より)

 このバンヤンの物語では、人間の背負っている最大の重荷とは罪であり、その罪がキリストの十字架を仰ぐだけで赦され、その罪の重荷が軽くされるということを印象深い表現で語っています。

*)ジョン・バンヤン(一六二八〜八八年)英国の説教家、作家。妻が持参した2冊の信仰書によって回心し清教徒となった。三回も投獄され12年半にわたる獄中で彼は聖書をよく読み、多くの著述をした。代表作の「天路歴程」は一八七六年(明治9年)に初めて日本語に訳された。

 この物語の主人公である一人のキリスト者は坂になっている所で十字架を見上げ、それによってそれまでずっと背負ってきたどうにもならない重荷を下ろすことができたということ、これはキリスト者の共通した根本経験と言えます。キリスト教信仰とは、このような単純なことがその本質なのだということを残念ながら多くの人は知らないのです。

 この天路歴程に登場するキリスト者のことで思い出されるのが、今では多くの人に知られるようになった星野富弘さんのことです。彼は、最初に出版された本「愛、その深き淵より」のなかで、次のような経験を語っています。

 たしか高校生のときだった。私は豚小屋の堆肥を篭に背負い、畑に運んでいた。

暑い日に加えて、堆肥の湿った熱が篭を通して背中に伝わり、少し登るともうからだじゅうが汗びっしょりになってしまった。

 私の家の畑は裏山の斜面にあり、肥料の運搬や農作業のすべてを人力に頼っていた。・・その日もいつものように細く急な道を登っていると、突然真っ白い十字架が目の前に現れた。そこは小さな墓地で、十字架は建てられたばかりで真新しく、掘り返された土の上には花束が添えてあった。十字架のおもてには筆で短い文字が記されてあった。

「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」

思えばこれが、私と聖書の言葉との最初の出会いだった。私はしばらく立ち止まり、声に出して読んでみた。心に何か響くものを感じた。それは、そのときの私が汗びっしょりの「労する者」であり、堆肥の「重荷を背負う者」であったからである。

しかし、「我に来たれ」とはどういう意味なのだろう・・。畑仕事をしながらも、それからずっと後まで、その疑問が私の頭から離れなかった。

 このようにして神は、星野さんに事故が起こるずっと前から、聖書のこの重要な言葉をあらかじめ知らせてあったと言えます。そして脊髄損傷になって全身マヒという重荷を背負うことになって、この聖書の言葉が決定的な重要性をもってきて、後になってつぎのように書いています。

 この神の言葉にしたがってみたいと思った。クリスチャンといえる資格はなにも持っていない私だけれど、「来い」というこの人の近くに行きたいと思った。

 私のような者でも、「信じています」と言えば、神様はうなずいて天の真っ白い紙に私の名前を書き込んでくれているのではないだろうか。

 バンヤンは、罪の重荷こそ根本的な重荷として書いています。そして星野さんは、自分が生きることにも絶望的になった全身マヒという重荷を軽くしてくれるお方として受けとめています。

 寝たきりの重荷であっても、もし真実なことや正しいことに背を向ける「罪」という心の暗い部分に光が当てられ、軽くされない限り寝たきりの重荷は本当には軽くならないと思われます。

 しかし、人は現在直面している重荷をまず軽くして下さるお方として主イエスを仰ぐようになると、そこから罪を知らされ、本当の重荷は何かということも知らされていきます。

 しかし、それだけでとどまるのでなく、キリストのもとに行くとは、さらに今、生きて働いておられ、私たち一人一人を愛をもって見つめて下さっているキリストのもとに行くことであり、そのキリストから直接の励ましや力を与えられることでもあります。今は、キリストは目には見えないかたち、すなわち聖霊というかたちで私たちに望んで下さいます。

 あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け右に行け、左に行け」と。(イザヤ書三十・21

 二つの道が私たちの前途にあって、どちらをとったらよいのかわからないとき、また騒ぐ心や動揺する心、恐れる心などがおさまらないとき、主イエスのもとに行くとき、静かな細い声で私たちの動揺を静め、人間的な不安を取り除いてくれることがしばしばです。

 「あなた方を休ませてあげよう」という主イエスの約束にある、休みとか安らぎというのは、神からの賜物であり、常識的に言われるたんなる休息ではないのです。それはヨハネ福音書にあるように、キリストの持っている平安なのです。神とともにある安らぎなのです。

 何も心配ごとや仕事がないという消極的な意味での安らぎと、主イエスが私たちの内に来られて与えられる安らぎとはまったく異なるものです。主イエスが与える安らぎとか平安はこの世が与えることはできないのです。

生の海のあらしに、

もまれ来しこの身に

不思議なる 神の手により

いのちびろいしぬ

いと静けき港に着き、我は今休らう

救い主イエスの手にある 身はいとも安し(聖歌472

 この聖歌は、主イエスのところで重荷を下ろすことのできた安らぎを歌ったものだと言えます。

 このようにしてキリストのもとに行くことができたとき、私たちは程度の多少はあれ、新しい力を受けることができるのです。

 そしてそこから、つぎの主イエスの呼び掛けを受け取るように導かれます。

わたしのくびきを負いなさい。

わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。29節〜30節)

 くびきとは、耕作のときに動物の首にかける木のことです。これは、動物を苦しめることがしばしばです。だから、くびきとは苦痛とか、圧制に対して比喩的に用いられることが多いのです。

 キリストとともにくびきを負って歩むことは、一見苦しい、窮屈なように思えます。しかし、不思議なことに、キリストのくびきを負うと、確かに苦しいこともありますが、以前よりずっと軽く感じられるようになるのです。

 私たちは、だれでも何らかのくびきを負わせられています。それは、会社の同僚とか上司であったり、また子供なら、学校の同級生、悪友であったりするし、ときには、夫や妻、あるいは子供が重いくびきとなる場合もあります。また、心の奥にある罪の重荷が最も耐えがたいものとなっている人もいます。

 友達も最初は楽しいものであっても、まもなく、束縛とか押しつけを感じて自由を束縛するものと感じられることもあります。

 ときには、酒とくびきを共にして、ずっと苦しむことになり、ついには破滅することすらありますし、いろいろの体の病気とか障害がくびきとして感じられることも多くあります。

 そんなさまざまのくびきを負っている人間に対して、唯一の軽いくびきがあります。

 それがここで言われている主イエスのくびきを負うことです。くびきである限り主イエスのくびきを負うこともなんらかの苦しみは伴うことも当然あります。

 イエスのくびきを負うことによる苦しさとは、イエスに従っていく苦しさです。しかしその苦しさから学ぶことができ、そこから、私たちの心は広くされていきます。また学ぶだけでなく、聖霊を与えられるゆえに、安らぎを得るのです。

 イエスのところに行くとき、人は新しくされ、学び始めるのです。そして同時に、頭のなかだけで、理解するのでなく、じっさいに主イエスに従って行こうとするようになります。主イエスに従うとは、主イエスが聖書で教えているような考え方をあくまで第一に置こうとする考え方です。

 まず、キリストのもとに行く、そしてそこで私たちの重荷や悩み、あるいは罪、仕事の疲れなどを取り去っていただくのです。またイエスのもとに行くと自ずから学ぶ心が生まれます。そしてイエスのくびきを負っていくようになります。それがイエスのくびきを負うということなのです。

 この「私のくびきを負いなさい」という言葉は、すでに述べた「疲れた者、重荷を背負う者は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」という言葉が余りに有名であってそれに続く言葉が忘れられがちです。しかし、これはこの有名な言葉と深く結びついているのです。 主イエスのところに行って重荷を取り除き、軽くしていただいた者は、それだけで終わることがなく、イエスとともにくびきを負って歩んで行くことができるようになるのです。そしてイエスとともにくびきを負うことは、負いやすく、荷も軽くなると約束されています。

 これは言い換えるなら主イエスとともに歩めということです。狭い門を入り、細い道を主イエスとともに歩くとき、私たちの担っているさまざまの重荷は主イエスが担って下さるということです。

 そして次にもう一つの呼び掛けがあります。それが「私に学べ」ということです。

 イエスのもとに行くこと、イエスとともにくびきを負って歩むこと、そしてそこから私たちは神の言を学び、実際の人生についても学んでいくことができるということなのです。キリストを本当に知るとき、私たちの人生は絶えざる学びとなります。それは私たちの内に住んで下さるキリストがそのように絶えず学ぶように導くからです。主イエスとともに歩むときには、そのイエスが新しい場に導き、新しい経験を与え、新しい課題を目の前に置かれるからです。

 キリストとともにくびきを負うこと、それはキリスト信仰をもって歩むことですが、多くの人にとっては、たんにこの世の生活の重荷、くびきがあるのにさらにむつかしい、キリストの戒めに従って生きるのは、面倒な宗教の重荷を背負うことになるという先入観があって、キリスト信仰に入ろうとしない人が多くいます。

 しかし、私たちは今の苦しみや重荷を負ったままでキリストのところに行き、そこで自分たちの罪の重荷、生活の苦しみや重荷、心配ごとをキリストのもとで下ろして、平安を与えられることが約束されているのです。

 まずその平安と休みを心に与えられるとき、自ずからキリストのくびきを負い、キリストとともに歩むようにと導かれるというのがここで言われていることなのです。

休憩室

六月の自然

 六月となるとわが家のまわりの自然には、いくつかの心を引くものがあります。それは、ホトトギスの声、ホタルのともしび、そして裏山に自生するクチナシ、そしてウツボグサといった植物たちです。

 ホトトギスの声は、夕方からときには夜にも、そして朝にもあの独特の強い響きのある声でないているのが聞こえてきます。昔から特別に注目されてきた鳥であるのもうなづけるような気がします。

 ホタルは何年か前に、小さい谷川なのに残念なことにコンクリートで固めてしまってからは、もうわずかになってしまいましたが、それでも家のすぐ近くまで一つ二つと飛んでくる日があります。闇のなかに音もなく点滅するその光は、私たちの心をなんとなくしずめるはたらきを持っています。

 また野生のクチナシの香りはほかにはかえることのできないものです。その花のすがたも純白の花びらと黄色のめしべの配色にはどこか気品があります。園芸品種のクチナシももちろん香りはあるのですが、野生の素朴な心をひく香りには及ばないようです。

今月号で触れた星野富弘さんが描いた絵はがきは、あちこちの書店でいつも見かけるほど広く知られています。彼は、体育の教師になってわずか二カ月で事故を起こして、寝たきりになったので、絵の勉強を専門的にしたわけでもなく、詩の勉強もしたことがないにもかかわらず、このように専門的な画家や詩人をはるかにしのぐように広く知られるようになったのは実に不思議なことです。

 これは、やはり今月の文で触れたように、神があらかじめ彼を特別な器として用いるためになされた神のわざであったのではないかと思われます。

 彼がこのように知られるに至ったのは、まず耐えがたいような重荷を軽くして下さるキリストのもとに行ったこと、そしてそこから生まれた、植物への愛であったと言えます。

 植物は山や林に行かなくとも、都会のただなかであっても街路樹とか公園、軒先の鉢植え、また病院の部屋にすらあります。どこにでもあり、しかも沈黙を守り、押しつけがましくなく、またペットのように手間がかからず、心を注ぐものにはだれにでも何かを与えてくれます。

 そして、野草の小さいたった一枚の葉にも種類によっていろいろの変化があり、花も実に多様です。

 そのかぎりない変化に富んだ姿は単調な生活を強いられる病院生活の人や、自宅療養の人にはとくに心の友になると言えます。

インターネットのことなど

 現在ではインターネットを用いている人は二千万人になったということです。最近のわずか四、五年での増加ぶりには驚かされます。確かに視覚障害者や肢体の重度障害者にとって、また老人で一人家でいる人とかには、じつに便利でそれまで自分で手紙など出すことはできなかった人でも自分でメールというかたちで手紙を出すことが簡単にできるようになっています。

 しかし、他方では、その便利さが悪用されていることもじつに多いと思われます。インターネットとか携帯電話がなかったら決してできなかったような、よくない計画や内容のものが簡単に子供にも伝わってしまいます。

 こうした科学技術の産物は今後も果てしなく生まれていくと思われます。

そしてその結果は人間にとって本当に幸いなのか、どうかということは誰にも分かりません。

 科学技術の代表的なものであった原子力発電をドイツが今後二十数年間には、全廃すると決定したと報道されています。このように最も複雑で高度であり、しかも巨大な科学技術の産物を全面的に廃止せねばならなくなったというところに科学技術の性格が現れています。

 今までも、化学物質のうちDDTとかBHCなどの薬剤も、最初は極めて有用な物質とされて世界的に大量に使われたが、ずっと後になって広い範囲の動物たちにそれら薬剤が体内に濃縮されて蓄積されていき、食物連鎖によって、人間にも最終的にはその害にさらされるということで禁止になっていきました。

 携帯電話にしてもそこから発せられる電磁波の影響が案じられ、世界保健機構で何年もにわたる研究が継続中です。

 手軽にメールや情報を出して、簡単にさまざまの情報を取り出せるインターネットや携帯電話はまことに便利なものです。

 しかし、それらの便利なものも、そのうち大きな害を人間に及ぼすようになるかも知れないのです。

 そうした科学技術の危険性がつねにつきまとうこれからの世界において、それらから生じる有害な本質を見抜く力もまたますます必要になると思われます。

2000/6


今月の聖句

私が顧みるのは、低い人、心砕かれてわが言葉におののく人。

(イザヤ書六六・2より)


真実とキリスト教    2000/5

 聖書は何を教えるか、それは真実である。
 聖書にはかずかずの不思議が書いてある。海が分かれ、荒野にマナが降り、死人がよみがえり、重病人が治る、目の見えない人が見えるようになる等など。

 十字架も復活もある。
 それらを一貫して流れているのは、神の比類のない真実である。誠実である。そして悪の満ちたこの人間の世にあって、数千年という長い間、その真実なる力、誠実の力を示し続けてきた。

 私たち自身がいかに不真実であっても、なお、神は真実である。人間がすべて偽りに満ちた存在であっても、なお、聖書にいう神、キリストの父なる神は真実である。

 私たちがたとえ人が知ろうと知るまいと真実に対処するなら、そこに必ず何かよいことが生じる。忍耐をもって真実な心を続けるとき、神は報いられる。

 逆にもし私たちが不真実なことを続けるとき、必ず神は、何らかの報いをなし、それを警告し、あるいは罰せられる。

 私たちはそのような誠実の神を知らされていることが最大の恵みだと思う。

継続と力

 真理に従おうとしても、私たちは自分の弱さや醜さからくるさまざまの罪の力に打ちまかされそうになることがしばしばである。

 聖書に表されている真理、キリストにすべてが含まれている真理に従う道に時には疲れることもある。

 なにかよきことを始めてもすぐにいろいろの妨害する力が現れてやっていけなくなることが多い。

 しかし、そのような時にこそ、私たちは継続が力であると知らされる。

 どんなものよりも「継続」しているのは、聖書で示されている神であり、キリストであり、神の言たる聖書である。私たちが神を信じ続けていくとき、継続の神であるゆえにその神が私たちの心を祝福して下さるのである。

 
集会の継続

 キリスト教の集会についてもそれは言える。共に日曜日に集まり、ともに祈り、讃美し、聖書を学ぶ。ただそれだけであって、何も金を得ることやこの世の地位が上がること、病気が必ず治るというのでもない。

 しかし、そのようなキリスト教の集会を継続していくとき、そこに不思議な祝福が与えられる。思いがけない人がそこに導かれ、出会いがあり、参加する人たちの間で互いに学びあい、助けあいも生じる。

 継続するとは、神を待ち望むことであり、妨害しようとする力の背後にある神の導きを信じ続けることである。

 そこに神は必ずこたえて下さる。

 キリストの名によって集まるとき、キリストもその中に共にいて下さると約束されている。

 キリストの名によってとは、キリストご自身を私たちがしっかりと仰ぎつつ集まるということであり、人間の趣味、サークル、娯楽の集まりのように人間同士の交わりや楽しみを見つめて集まるのではない。

 しかし、キリストを見つめて、キリストに結びついて集まるといっても、だれでも最初はキリストのことはおろか、聖書のこともわからない。

 しかし、その集まりの内の二人、三人であっても真剣にキリストと神のことを見つめて集まるなら、初めての人、人間の慰めを求めて集まった人にも、主は祝福を注がれる。

 神の言を中心として集まるということは、不思議な力を生み出してきた。すでに、キリスト以前の五百年ほども昔、旧約聖書を生みだしたイスラエルの人々はバビロニアという遠い異国の地につれ去られていた。

 そこで彼らは五十年ほどを過ごすことになった。普通なら、民族は消滅してしまうにもかかわらず、イスラエル民族は滅びてしまわなかった。

 それはなぜか。彼らは異国の地にあっても、神の言を第一とし、神の言を中心として集まりを保ち続けたからであった。

 そうして神の言を学び、ともに礼拝のために集会を死守していった人々にこたえて神は、再びイスラエルの地に帰ることができるようにされた。これは奇跡的出来事であった。神の言を守り続ける者に与えられる不思議なわざであった。

 その後、キリスト教の時代になっても、集まりを続けるということは一貫していた。キリストご自身がいつも十二人の集まりを保って行動された。

 キリストが死刑になった後も、人々は集会を続け、祈りを真剣に行っていたところに、神の霊(聖霊)がゆたかに注がれて、弟子たちに新しい命が注がれ、キリスト教が伝えられていったのである。

 まもなく生じたローマ帝国による迫害の長い時代にも、キリスト者たちは集まりを決して止めなかった。集会が禁じられると、延長が数百キロもあるという迷路のような地下の墓所(カタコンベ)にて、暗く空気も汚れた中において、集会を続けた。

 どんなことがあっても集会は止めないというその姿勢はこうして長い歴史のなかでも常に祝福され、そこから新たな力が注がれていったのである。

 今日の私たちも同様であり、さまざまのこの世の力や目に見えないサタンの勢力に打ち負かされないために、私たちはキリストの名によって集まり続けるのである。



 私たちに最も身近なものの一つ、それは道です。どこに行くにも道を通っていく。高速道路、広い道、狭い道、混雑した道、田舎の道、ぬかるみの道、山道等など。それらの道はどこかへと続いています。

 こうした目に見える道のほかに、目には見えない道があります。

 聖書においても、すでに最初の創世記から「命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」(創世記三・24)とあって、早くも普通の道路とは違った、命にいたる道という表現が現れます。

 そしてつぎには、「神は地上を見られた。見よ、それは堕落し、すべての人々はこの地で堕落の道を歩んでいた。」(創世記六・12)と記されています。

 このように、聖書の一番はじめから、命への道があるということと、堕落への道が示されています。

 聖書とは、この二つの道について一貫して書いてある書物であるということができます。そして、命への道とは、

あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。(申命記八・6

 とあるように、一言でいえば、「主の道」です。これは、このように、神の戒めを守り、神をおそれる道であり、神の道からそれたら神からの罰をいつも恐れていなければならないというニュアンスがあります。

 たしかに、旧約聖書においては、主の命じられる正しい道からそれるときには、のろいがあり、災いが生じることは繰り返し言われています。神の道とはあまりにかけ離れた人間がはじめからそんな道に背を向けてしてしまうということは、聖書でも創世記の最初から見られます。

 神の道というと厳しく、けわしいものというイメージがあります。そこには楽しみとか喜びなどとは結びつかないような堅いものを感じる人が多いのではないでしょうか。

 神の言に従う道は、たしかに厳しい一面があります。歴史を見ても神の言に従うがゆえに迫害を受け、殺されるまでに圧迫された人たちも数多くいます。

 それは主イエスご自身も同様でした。神の言に従う道とは神の御意志に従う道であり、時には耐えがたいほどの苦しみが襲ってくることもありました。

 パウロもつぎのように述べています。

兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。

 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。

 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。(Uコリント一・810

 しかし、旧約聖書の詩編のなかで、主の道について繰り返し述べている詩がありますが、そこでは、この道を歩くときに何が伴うかが書かれています。

どのような宝にもまさって、私はあなたの定めの道を喜ぶ。

私はあなたの命令に心を砕き、

あなたの道に目を注ぐ。

私はあなたのおきてを楽しみとし、

み言葉を決して忘れない。(詩編一一九・1416

 この詩編で定め、命令、おきて、律法などといろいろに表現されているのは、わかりやすく言えば、「神の言」ということです。詩であるから同じ言葉を使わず異なる表現を使っているわけです。それでこのような多様な表現も現在の私たちには、つぎのように、「神の言」と置き換えて読むとわかりやすくなります。

私は神の言に心を砕き、

主の道に目を注ぐ。

私はあなたの言葉を喜びとし、

み言葉を決して忘れない。

 この詩には、ふつうは神の言に従うことは窮屈なこと、縛られるようなものと感じることが多いなかにあって、神の言に従う道を歩くために、神がまず心を広くして下さっていることが告げられています。

あなたによって心は広くされ、わたしは戒めに従う道を走る。(詩編一一九・32

 たしかに私たちは単なる戒めだけでは心は狭くなり、縛られているように感じてそのようなものから遠ざかりたくなってしまいます。聖書に示された道は、最も厳しいようでありながら、旧約聖書の時代から現在までの数千年もの間、世界で最も多くの人たちがそこを歩んで命に達した道となったのは、その厳しさの背後に、神が直接に私たちの心にふれて私たちの心を広くして下さるという事実があるからです。

 狭い心とは、自分中心の心であり、自分しか見えない心ですが、それはどんな人にも深く残っています。パウロのようなだれも越えることのできない大使徒であっても、なお「自分は欲していない悪をしてしまう」との深い嘆きの声をあげたことがありました。

 自然のままの人間には、思うままに心を広くすることはどうしてもできない。しかし、神が私たちに手を触れて下さるときに私たちの心は広くされ、狭い道、けわしい道をも主に導かれて歩み始めることができるようになるわけです。

 この詩の作者は、神によって心を広くされる経験をしたゆえに、神の言を愛することができるようになったと思われます。

わたしはあなたの戒めを愛し、それを喜びとする。

あなたに向かって手をあげ、あなたのおきてを深く思う。(4748節)

 神の戒め(神の言)を愛することができるというのは、神を愛するからです。人間においても、ある人を愛していたら、その人の言葉をも好んで耳を傾けるし、逆に嫌っていたらその人の言葉も同時に嫌うのであって、言葉とその人とは深くつながっています。

 旧約聖書では、神を愛するということは、少ししか現れていません。神を畏れる、ということが信仰を持つということの別の表現でもあったことでもわかるように、人々はその罪への罰を受けることを恐れていたのであって、アブラハム、ヤコブ、モーセなどの代表的な信仰の人物においても、彼らが神を愛したというような表現はほとんど見あたりません。

 しかし、この詩の作者は神の道が、苦しみだけでなく、喜びをも与えるものであり、神はおそれるだけでなく、愛することができるお方であることを知っていたのがわかります。

 また、この詩の作者は、神の道を歩むことは神の命が与えられることであるのも知っていました。

むなしいものを見ようとすることからわたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って命を得ることができるように。(37節)

あなたのみ言葉はわたしに命を得させる。苦しみの中でもそれに力づけられる。(50節)

 神の言葉が、私たちを生き生きとさせる、命を与えるということは、多くの人にとってはわからないことだったようです。しかし、旧約聖書の詩編には、このようにそのことを知っていた人もすでにいたのです。

 こうした神の言への愛があったからこそ、この詩人は昼間に神の言葉に従って生きるだけでなく、夜においても、神へのまなざしをいっそう強く持っていたのが次の言葉でうかがえます。

主よ、夜ともなれば御名を唱え、あなたの律法を守ります。

あなたの命令に従うこと、それだけが、わたしのものです。(5556節)

 電気のなかった昔は、夜は長い時間がありました。ひとたび外に出るなら深い沈黙があったのです。現代の私たちは、夜に光がこうこうと輝いているのが当たり前と思っています。しかし、それは電気が見いだされてからのことであって、エジソンが白熱電球を作りだしたのが今から百二十年ほど前でしかありません。それまでの長い間、人間にとって夜は暗いのが当たり前であって、この詩人はその長い夜の時間をも、神の名を思い、神への祈りをもって時間を過ごすことが多かったのがうかがえるのです。

 これは、他の詩人によっても見られます。

昼、主は命じて慈しみをわたしに送り、夜、主の歌がわたしと共にある

わたしの命の神への祈りが。(詩編四十二・9

 夜の長い沈黙の時間も、神との交わりに用いた古代の信仰者のすがたが、こうした詩から浮かび上がってきます。神を愛することを知っていた詩人、そしてその神の言に生きることを喜びとすることができたゆえに、こうした一人で静まる夜の時間にも、祈りをもって神に向かうことができたのです。

戦争と平和 詩編120

都に上る歌。

苦難の中から主を呼ぶと、主はわたしに答えてくださった。

「主よ、わたしの魂を助け出してください、偽って語る唇から、欺いて語る舌から。」

主はお前に何を与え、お前に何を加えられるであろうか、欺いて語る舌よ

勇士の放つ鋭い矢と、えにしだの炭火を付けた矢!

ああ、私はメシェクに宿り、ケダルの天幕の傍らに住む。

平和を憎む者と共に、わが魂はすでに久しくそこに住む。

平和をこそ、わたしは語るのに、彼らはただ、戦いを欲する。

 この詩の作者のまわりは、すでに長い間敵対する者たちがいた。それらは、悪意をもって中傷し、あるいは、偽りを語って陥れようとする。そこにはただ執ような悪意のみがあった。

 それに対して作者は、ただ平和(シャローム)であろうとした。私は平和に心を注ぐ、しかし、敵対する者たちは、戦争に心が向かっている。

 作者は、メシェクやケダルという、祖国からはるかな遠くに住んだ。しかし、そのような所でも、敵対する者たちはいた。どこに行っても、私は平和へと心を向けていたのに、彼らは戦いに心が向かっていた。

 戦争と平和、これこそ世界のいたるところで、古代から現在にいたるまで問題となってきたところである。

 現在の日本もまさに昨年国会で決まってしまったガイドライン関連法案や、平和憲法改悪問題などとして、この問題が大きく浮かび上がっている。

私は平和、それなのに彼らはただ戦いを欲する・・(7節)

 そしてこの詩人が深く嘆いたように、メセクに宿り、ケダルのテントのかたわらに住んでいても、そのような遠く南北に遠く離れた場所に行っても、どこにいっても、平和を語るときにそれを破壊しようとする力がそばにあった。しかもその力は、なくならない。あまりにもその闇の力とともに置かれたのである。

 この地上では闇の力からどんなに離れようとしても、そこに捕らわれて、生涯苦しみにあう人も多い。

 この詩が、なぜ「都(エルサレム)に上る歌」を集めた詩のはじめに置かれたのか、その理由は五節の言葉から推定できる。

 メシェクとは、現在のトルコ地方の北東部であり、ケダルとは、アラビア砂漠の北部であるから、当時の人々の念頭にあった南北の広い範囲を含めて述べていると考えられる。そのような広い地域のどこに行っても、敵対する者に苦しめられ、悩まされ、そのなかから、神に叫び求め、その叫びに神がこたえて下さったということを意味している。

 こうした世界のあちこちに住んでいた離散のユダヤ人が、年に三度のエルサレムでの大きな祭に上ってきて神殿にて礼拝を捧げようとするときに、その心を表したものだとされている。

 エルサレムとは、「シャレム(シャーローム・平和)の基礎」を意味するとされてきたゆえに、そのエルサレムに上るとは、平和の基礎に向かって上るという意味を含めていると考えられる。

 平和を求め続ける者を踏みにじろうとする勢力が現実には耐えず取りまいており、それらが平和を求める人たちを苦しめる。しかしその苦しみのただなかから、神に向かって叫ぶときに必ず神はこたえて下さる。その経験をこの詩は表しているのである。
 六節の原文は、簡潔に「私は平和」とだけある。私たちもまた平和を求め続ける。

 そうした平和への深い願いは、キリストによって与えられることになった。社会的な平和の本当の基礎がキリストによって初めて与えられたのである。

実にキリストはわたしたちの平和である。(エペソ書二・14
 
 キリストによる平和を実感してその平和の源であるキリストを伝えることこそキリスト者の大きな使命だと言える。

静かな細き声

 イゼベルは、エリヤに使者を送ってこう言わせた。「わたしが明日のこの時刻までに、お前の命を奪っていなければ、神々が幾重にもわたしを罰するように。」

 それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。

 彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。

「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」

 彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。

 御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」

 見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。

 主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。

 エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。

 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。

「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。

 わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ。そのとき主が通り過ぎて行かれた。

 主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中には主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。

 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。

 火の後に、静かな細い声が聞こえた。

 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。・・

 主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。

ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代る預言者とせよ。(旧約聖書・列王記上19章より)

 ここで引用した聖書の内容は、旧約聖書の列王記・上からである。

 エリヤという預言者は今から二千八百年以上も昔の人である。そんな昔の人であるけれども、現代の私たちにも強い印象を与える預言者である。

 エリヤは、神の力を与えられ、数々の奇跡をすることができた。当時の偶像崇拝の状況に対して、きびしい批判を続け、本当の神への礼拝を命がけで説き続けた人であった。

 死人をよみがえらせたり、干ばつを予言したり、そのきびしい日照りのただなかで、ある川のほとりに移り、そこでカラスがパンを運んで来て支えられたという不思議なことも記されている。

 また、彼の激しい祈りにより、天からの火が下ってきて偶像につく人々が滅ぼされたということもあった。

 そして最後には、エリヤは嵐のなかを天に上っていったという、聖書の多くの預言者のなかでもほかに例をみないような人であった。

 にもかかわらず、私たちが驚かされるのは、そのような神の力に満ちた人でありながら、他方ではとても弱い側面を持っていたということである。

 ここで神が語りかけているのは、エリヤという預言者に対してである。彼はかつて深い祈りによって、天からの火をも呼ぶことができ、偶像の預言者たちを滅ぼし尽くしたほどの、力ある人であった。

 しかし、イゼベルという王妃はエリヤをどんなことがあっても、一日のうちに殺してしまうとの固い決意をもった。そのイゼベルの激しい憎しみを受けると、あれほど神の力を受けていたはずのエリヤは、恐れて直ちに砂漠へと逃げていった。

 そしてもう逃げられないと思って、死ぬことを望むようにすらなった。力もなく、希望もなく、平安も失われていったのである。そして、自分自身の使命も分からなくなってしまった。

 どうして祈ることをしなかったのか、なぜ神はエリヤに力を与えなかったのか、少しまえにあれほど神の力をまざまざと目の前で見て、神の力はいかなる偶像の力にも増して強力であると知っていたエリヤがどうしてこのようにただちに恐れてはるか遠くの砂漠地帯まで逃げていったのだろうか。

 彼がはるか南方のオアシスに逃げていき、さらにそこから砂漠に入ってただ一人で、一本の木の下にて座り、「主よ、私の命を取って下さい!」という悲痛な叫びをあげ、あまりの疲れと絶望のためにそのまま眠ってしまったのである。

 夜になれば、著しく温度が下がる砂漠地帯においてそのまま、水もなく、眠りこんだなら死んでしまうことは確実であった。

 自分の家のなかで、死にたいと思うのでなく、はるばる遠くまで逃げていったのであるが、その途中でも神からの励ましはまったくなかったということなのである。あれほど神の声や神からの力を受けた人であっても、このように、絶望的になることが有り得るのだということに、私たちは驚かされる。

 このことからも聖書は、どんなにめざましい働きをした人であってもその本質は弱く、力のないものなのだということを示そうとしているのがわかる。

 エリヤがそうした死に瀕した状態から立ち上がることができたのは、ひとえに神の力によってであった。そのようなエリヤのところに神からの使いが訪れ、パンと水が置かれてあったという。それに気づいたエリヤは水を飲み、パンを食べて再び体を横たえた。

 生きて働く神の力に再び触れたエリヤは、もういちど、神からの使いによって今度は、かつてモーセが神の言を与えられたホレブの山(シナイの山)へ行くことになった。エリヤが死を願って眠りこんだ場所(ベエルシバ)から、そのホレブまでは、数百キロもある遠いところである。

 そのような遠い所までどうして行かねばならないのか、エリヤには不可解であっただろう。しかし、神からの使いによって命を救われ、再び力を与えられたエリヤには、そのような遠い道も、また何のために行くのかも知らずして出発することができた。

 私たちは生きて働く神が自分に触れて下さったことを実感し、神の口から出る言葉によって強められるときに、ふだんなら到底考えることもしなかったこともできるようになる。

 神を信じて着手してみなければ、どれほどの力が与えられるかわからない。

 エリヤは四十日、四十夜を歩き続けて、ホレブの山にたどり着いた。しかし、そこでもどんな目的のためにはるばるそのような長距離を歩いてきたのかは示されない。

 ただ、エリヤは神に示された道をずっと歩いたのであった。

 その山はかつてモーセが神からの言葉を直接に受けた山であった。このエリヤの記事には、そのモーセのことが意識されているのがわかる。

 神はそこでエリヤに語りかけた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」と。この問いかけによってエリヤの心が問われた。彼は自分のした大きい働きとイスラエルの人々の腐敗、そして自分の命の危険を神に話した。それは、いくら神の力で奇跡をしてもどうにもならない事態への悲しみと絶望であっただろう。

 神から与えられた食物によって力を受けて、遠いこのシナイの山にたどり着いてもなお、エリヤの心は新しい方向を見いだせずにいた。どんなに神の奇跡を見てもそれをさらに上回るような、悪の力の攻撃に疲れはてた姿がここにある。

 そのようなエリヤに対して、神は山の中で立つことを命じた。

 そのとき、山を裂き、岩を砕いたとされるほどの激しい風が生じた。また、大地を揺るがす地震も生じ、さらには、全てを消滅させる力のある火が生じた。

 これらはエリヤがかつて経験した神の奇跡をも暗示している。どんなに雨や嵐が神の力で起こされても、また火が天から注がれて悪人を滅ぼそうとも、それでもなお、神のご計画はそれとはまったく別の手段が必要なのであった。

 それは、人間の心に語りかけ、その人間を器として用いることなのである。

 長い歴史のなかで神は外見的によく見える奇跡を用いる一方で、つねにこの方法をとってこられた。

 激しい風、地震、火これはみな、最もエネルギーに満ちたものである。山をも裂くほどの嵐とは、大規模な台風のようなものであるが、それは莫大なエネルギーを持っている。また、地震も強固な山や大地をすら動かすものであり、火はあらゆる現象のなかで最も根本的に変える力を持っている。

 これらは最もめざましくその力を感じさせる現象である。しかし、そうしたものにまさって、人間の魂の奥深くに語りかけられる静かな神の声こそは、何にもまして人間を動かして神のために働かせるものとなる。

 弱い人間であっても、神は大きい力を託される。エリヤも苦しみに直面したときに、死を求めて、確実に死ぬと思われるような砂漠に入って行った。本来このような弱さをもっていたエリヤであったが、それでも奇跡をなす力が与えられたのだとわかる。

 これは、キリストの弟子たちも同様であった。主イエスに従ってまだ数年にしかならない者たちであったが、病人をいやし、悪霊を追い出す力を授けられたと聖書は記している。しかし、だからといって、弟子たちはどこまでも強い人間であったのでなく、イエスが捕らえられるときには、みんな逃げてしまって、ペテロは三度も「イエスなど知らない」という嘘をついてしまったほどである。

 そうした弱い弟子たちが、約束のものを待ち望んで祈りを続けていたとき、神から聖なる霊が注がれそこから弟子たちは動き出すことができたのであった。

 エリヤも似たことがあった。自分の弱さを思い知らされて、そこから神の力で立ち上がり、神からの直接の静かな細い声を聞くことによって、新しい使命へと導かれて行ったのである。

 神の静かな細い声を聞き取るため、内に語りかけられる神の声を聞いて新しい命令を受けるために、命を失いかけるほどの苦しみが必要であった。自分の力では死ぬしかないほどに弱いもの、絶望的になるものだということをエリヤは思い知らされたのである。

 神の直接の静かな声を聞くために、このような大きい苦しみを経る必要があったのを知って驚かされる。

 私たちも新しい神からの役目を受けるために、このような長い歩みと苦しみが必要となることがある。

 あるキリスト教思想家はこの箇所についてつぎのような説明を加えている。

 いわゆる「神の探求」については、列王紀上第一九章(特にその一一・一二節)にこの上なく見事に描かれている。それには、人生目的に対する絶望や火や嵐がつねに伴いがちである。

 しかし、正しいものはおだやかな説き勧めの声をもって訪れてくる。・・

 だが、パウロのように、かすかな神の声に向かって開かれた耳を獲得するまで、忍耐し抜く者はきわめてまれである。けれども、あらかじめ疾風怒涛の苦悩の時期を経なければ、人の心は十分に開かれることがない。(ヒルティ・眠れぬ夜のために下 五月九日の項)

 このように、ここで記されている激しい風や地震、そして火というのは、人間が直面する数々の苦難をも暗示ししていると受け取ることもできる。そうした長い鍛錬の期間を経て、私たちはようやく静かな細い神の語りかけに応じる耳を持つようになるのである。

憲法を変えることについて

 最近憲法を変えようという動きがとくに目立ってきた。
 この太平洋戦争の後にできた現在の憲法を変えようという動きは、すでに一九五〇年頃から現れていた。
 こうした状況を受けて、平和憲法はとくにキリスト教の平和主義と深い関わりがあるので、憲法の改訂問題について考えてみる。
 
 戦後新しい憲法をつくるときに、日本の政府がその案を作成したが、それは明治憲法と本質的に変わらない内容のものであった。

 それは、帝国憲法の天皇に関する第一条から第四条までは改正を加えることなく、ただ、「天皇ハ神聖」というのを、「天皇ハ至尊」つまり、天皇はこの上なく尊いというように変えただけであった。

 その上、議会の審議を天皇制に及ぼさないために、改正条文以外の審議を禁じる方針を示したのであった。

 太平洋戦争であれほどの多大の犠牲を引き起こし、そのために二度と戦争をしないという決意のもとで、憲法をつくらなければならないにもかかわらず、日本の政府が公式案として出したのは、明治の憲法とほとんど変わらないものでしかなかった。

 それほど政府が固執した大日本帝国憲法とはどんな本質を持っていたのか、そのはじめの部分を見てみよう。

 大日本帝国憲法より

第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず

第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)し此の憲法の条規に依り之を行ふ (読みやすくするために、カタカナの部分を平かなに変えてある)

 また、この天皇の主権の主体としての天皇は、現在の天皇でなく、その祖先(その極限として天照大神)であり、その意思は古事記に書いてある、天孫降臨(てんそんこうりん)のときの言葉に基づくとされる。

 要するに神話にすぎない天照大神(あまてらすおおかみ)の意思が日本の天皇制の権威の根源だとされているのである。

 このような神話を少し調べるとわかることだが、そこで記されている天照大神はイザナギという神が左目を洗ったときに生じた神にすぎないのであって、そのとき、右目を洗ったとき月読命(つくよみのみこと)や鼻を洗ったときに生じたスサノヲの命(みこと)がある。

 これらの神々のほかにもイザナギの神が投げ捨てた杖や帯、袋などからも神々はつぎつぎと生じたのであって、いろいろなものを洗ったときに生じた神々と同じように偶然に生じたものであって、なんらそこには正義や真実、あるいは、純粋な愛などというものがない。権威とかいうものはない。

 このような神話にすぎない神々が日本の明治天皇の権威の基盤をなしていて、それが憲法にも及んでいるとは驚かされる。

 しかも、そのような神話に基づく天皇の権威というものが、現在でも君が代、日の丸の強制といった形で何かにつけて現れてくる。

 そしてこともあろうに、現職の総理大臣が、「日本は天皇を中心とする神の国だ」などという奇想天外なことをいう始末である。首相がいう、神とは、すでに述べたような神話の神々にすぎない。古事記に記されているような悪いことも平気でするような神々の国だなどということは、日本を何の目標も理想もない神話的な国だと言っていることに等しい。

 明治憲法とその根本がほとんど変わらない内容が公式の政府案であったから、それでは戦争を二度としないということ、国民主権、基本的人権の尊重といった重要な内容は到底作成されないというのははっきりしていた。

 そこで連合国最高司令官マッカーサーは憲法の草案を作成し、それを政府も受け入れることになった。その後議会での審議を経て、まもなく公布されて、翌年一九四七年五月三日に実施されることになった。

 以上のような経過を見れば、日本の現在の憲法はマッカーサーの強い指導がなければ、到底できていなかったのは明白であり、もし、日本政府が考えた憲法がそのまま決まっていれば、明治の憲法と根本においてほとんど大差ないものになってしまっていたのである。

 これを押しつけだとして、自主憲法と称して新しい憲法に変えようとするのが現在の憲法議論の中心にある。

 しかし、あのおびただしい人命が失われ、国土の主要部分が焼け野原となってもなお、戦争を止めようとせず、一億総玉砕などといっていたその動きは、連合国から激しい空襲をうけ、原爆を落とされ、ソ連までが戦争に加わり、ポツダム宣言をつきつけられて(押しつけられて)やっと止まったのであった。

 そのような国民がどれほど苦しんでもなおかつ戦争を止めようとしなかった指導者たちが未来に正しく歩むべき国家の姿を呈示できるはずもなかった。

 太平洋戦争を引き起こした軍国主義の温床ともなった農村の最大の改革は、農地改革であった。この農地改革にしても日本の政府に任されていたら決してできなかったはずである。農地改革の前には、小作農は、部分的な小作農を併せると全農家の70%ほどもいたがそれが改革後には、42%ほどになった。ことに、土地を全く持たない小作農家は、二八・7%から五・一%余りへと、大幅に減った。これは日本の民主化にとっても根本的に重要な改革であったのである。

 このような大きい改革は日本だけでは到底すすまなかっただろう。憲法の根本からしてほとんど変えようとしなかったのであるから。

 だが、この農地改革を、アメリカによる押しつけがあったから、やり直そうなどという人はだれ一人いないのである。それはその改革が正しいものであったからであり、GHQによる押しつけがなかったら到底実行できなかったのを知っているからである。

 また、憲法が明治憲法のままであったら、教育の内容もほとんど変えられなかったと思われる。憲法の精神に基づいて教育の方針も決められるからである。

 それゆえ、戦後の新しい教育の方針や内容は、もとをたどっていくと、連合軍の「押しつけ」にあったのがわかる。その押しつけが、不正なことを押しつけることとか、苦しみを押しつけることでなく、日本が、戦争を二度と引き起こさないようにすること、国民の基本的人権を尊重すること、国民主権などといった善いことであったのであり、そのゆえに、日本は戦後五〇年間、自国の軍隊が他の国の人を殺すという悪を犯すことがなかったのである。

 これは、アメリカ軍が例えばベトナム戦争でおびただしい人々を殺傷することになったことを考えると大きな意味がある。

 一般的に考えても、例えば子供に教育を授けるということも、一種の押しつけである。子供が自発的に文字や算数や国語の必要を感じるまで放置しておいたら、どうなるであろうか。そんなことはだれもしない。

 それが正しいこと、本当に良いことであるなら、一種の押しつけをしているのはどこにでも見られることなのである。何らかの悪いことをしたら、罰を与えるのも押しつけである。また、しつけとは子供にとって何らかの善いことを子供に「押しつけ」て、それを習慣としていくことがたいてい伴っている。

 歴史の中では、何らかの外圧(押しつけ)がなかったら、ずっと人々が苦しむようなことはたびたびあった。

 例えば、江戸時代に開国に踏み切ったのも、外国からの強力な押しつけがあったからである。

 江戸幕府が鎖国を三〇〇年近くも続けたのは、キリスト教を絶対に排除するという間違った方針からであった。

 憲法が押しつけだと反対する人たちは、江戸幕府の開国を押しつけだといって反対するだろうか。何等の押しつけ(外圧)もせずに、江戸幕府が自主的に開国するのを待っていたらはるか後の時代になっだろうし、人権も福祉などという発想もまったくない封建的な状態、差別に満ちた体制がずっと続いていただろう。

 また、明治になっても、キリスト教などもずっと禁止されていた状態だった。明治政府が一八七四年(明治六年)にようやくキリスト教を認めたが、それまでは厳しい迫害を続けていたのであって、政府によって多くのキリシタンたちが殉教したのである。

 キリスト教の迫害を止めるべきだという強い外国からの圧力(押しつけ)がなかったなら、政府はずっとその方針を続けて多くの人々を苦しめていたであろう。

 このように、未成熟な段階のものは、より進んだものからある種の押しつけがなければ、正しい道を進んではいけないのである。

 肝心なことは、日本の現在の憲法が押しつけかどうかを議論することでなく、憲法の内容が本当の真理にかなっているかどうか、そしてその憲法の精神が本当に運営されているのかどうかである。

 日本の憲法においても、人類の普遍的真理という観点からそれを見るべきであって、そこから見るなら、平和主義、基本的人権、国民主権といったことは長い人類の歩みの到達点であって、それらがあればそこから、法律の整備をすすめていけばよいのである。

 例えば、現憲法には、環境問題の記述がないと言われるが、それも基本的人権ということを深く考えるとき、人類全体の生きる権利という観点から見ることになり、それは当然環境問題を重視することになる。

 むしろ現在の憲法を変えようとする人たちの主たる目的は、すでにずっと以前から平和主義の憲法第九条にある。

 平和主義を捨てて、戦争ができる体制にしようというのが従来からの主張なのである。そのために、多くの反対を押し切って一年前の五月に日米防衛指針(ガイドライン)関連法案が成立してしまった。

 一度、戦力を持つ国家であると正式に決まってしまえば、その軍隊の維持のためには、徴兵制というのも必要だということになっていく。そしてますます軍備のための費用は多額となっていくだろう。

 そして将来、ふたたび現在のような平和主義の憲法を持とうとしても、そのときにはきわめて難しくなるだろう。

 現職の総理大臣が「日本は天皇を中心とする神の国だ」などということを主張するほど、戦前を支配した間違った思想がいまも生きていることから考えると、憲法第九条を変えることによってどのような方向へと歩み出すか、危惧(きぐ)すべきものがある。

 首相がこの発言にある「神の国」とは、いったいどんな神なのか。それはこの発言が神社本庁の政治団体である神道政治連盟でなされたことから推察できる。神社本庁は、伊勢神宮を中心としていて、それは、天照大神を祭っている。その天照大神の権威を受けたのが天皇だと称してきたから、首相がいう「神の国」とは「天皇の国」ということになる。 しかし、敗戦の翌年、昭和天皇は人間宣言を出してその中で天皇と国民の関係は、「天皇をもって現御神(あきつみかみ)とし、日本国民を他の民族より優越しているとし、世界を支配すべき運命を持っているとの架空の観念に基づくものでもない」と述べて、天皇を現人神とすることが架空のことであるということもはっきりと述べている。

 現在の憲法にある徹底した平和主義ということは、単なる理想でなく、日本が数千万ともいう多大の人々の命を犠牲にし、無数の人々の家庭を破壊して、苦しみを与えたおびただしい犠牲の結果生まれたものであった。

 その意味でそこにアメリカや日本の政治的意図を越えた、歴史の摂理を見るべきなのである。歴史の悲劇的経験の結果として生まれたことなのだ。

 日本の真の使命は、軍備を増やして軍隊を派遣したり、戦争に加わったりすることでなく、いまの平和憲法の精神を本当に生かして、軍事と別のさまざまの方面で世界の平和に貢献することなのである。

  聖書では、二千数百年も昔から、人間が目標とすべき究極の平和についてしばしば述べられている。

 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。

彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし、槍を打ち直して鎌とする。

国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4

 見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。

わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。(ゼカリヤ書九・910

  ここで言われているエフライムとは一地方名であったが、後にイスラエル全体を指していう言葉として使われた。

 ここで子ろばに乗って来ると言われている「王」とは、キリストのことであり、これはキリストの預言とされている。キリストが来るときには、柔和のシンボルであり、武力とは反対のイメージを表す子ろばに乗ってくると言われる。しかし、そのような柔和さをこそ、神は支持される。キリストの心が浸透するときには、戦いは終わり、神の愛が世界に広がると預言されている。

 これが完全に成就するのは、終末のときである。しかし、それにいたるまでに神はその御意志をこのように明確にはるか昔から示されている。

 こうした神の御心に従うことこそ、私たちが目指すべき方向なのである。

無教会とは

 日本において無教会という言葉が初めて内村鑑三によって用いられたのは一八九三年、今から百年余り昔のことである。
 内村は彼が信じる聖書の真理をそのまま主張していったときに、教会の指導的な人々から退けられ、異端論者とまで言われた。そうした体験を書いた「キリスト信徒の慰め」という著作でこう述べている。(原文は文語なので、分かりやすい表現になおし、一部省略。)

 私は無教会となった。
 人の手によって造られた教会を私は持っていない。私を慰める讃美の声もない。私のために祝福を祈る牧師もない。
 とすれば私は神を拝して神に近づくための礼拝堂を持たないのであるか。
 西の山に登り、広い原野を眼下に臨み、この世の俗世界のはるか上に立って、無限なる存在と交わるとき、風が背後の松の木々に吹いてうるわしき讃美を奏で、頭上には鷲が翼を伸ばして天上の祝福を垂れるのを経験する。
 夕日が沈もうとし、東の山の紫色、西の雲の紅(くれない)の色が流れる水に映えるとき、また一人川の堤の上を歩みながら、すでに世を去った聖者と霊の交わりを持つとき、・・私には無声の説教を聴かせてくれるのである。・・
 私はまさしく無教会ではないのである。
 
 こう述べて内村は教会の有力な人々から排斥されて、教会のない者(無教会)となっても、一人神とともにあるとき、自然のただ中にあって、そこに見えざる教会堂があり、神の国との交わりに生きることが出来、過去の優れたキリスト者たちと霊的な交わりが豊かにできるゆえに無教会ではない・・と言っているのである。
 
 これが無教会という言葉が初めて用いられた文脈である。
 これを見てもわかるが、内村は無教会というあらたな教派をつくるなどということは全く考えてもいなかった。しかし、キリスト者となって信じるところを直接的に述べただけで排斥されるという体験を経て、おのずから教会の無い者、無教会となったのである。

 無教会とはこうして、だれも計画的に造りだしたのでもなく、何か党派的な考えから新たに造りだしたのでもなかった。いわば人の計画を越えたところで生じた言葉なのであって神が必要あって生み出されたと言える。

 そもそもプロテスタントがそうであった。ルターがとくにカトリック教会の免罪符を批判する九十五カ条を教会の扉に掲示したことがプロテスタントの始まりとなった。これももちろん誰一人このような世界的な大事件となるとは予想もしなかったのである。

 クェーカーもそうであった。キリスト教の一派として黒人奴隷の解放を他のどの教派よりもはやく主張し、徹底した平和主義を主張して戦争に加わろうとしなかったこのクェーカーも、もとは、ジョージ・フォックスというイギリス人が当時のまわりのキリスト者と自称する人たちの生活ぶりが乱れていることから、救いを求めて放浪し、ついに内なる光の体験を与えられてそれを証ししていったところから始まり、さまざまの迫害を受けたが、次第に共鳴する人たちが集まり、一つの教派となっていったものである。

 無教会の成立もこうした歴史的な実例と似ている。

 内村によって始まった無教会というキリスト教のあり方も、それは特別の教派を目的としたものではない。それは、ただ内村が聖書の真理を探求していく過程で与えられた深い内的な体験を確信をもって証しし、主張していっただけのことである。

 それは人間の単なる意見や経験でなく、聖書にすでに記されている真理であった。神は内村を用いて日本にキリスト教、聖書の真理を宣べ伝える器として選んだのであった。 無教会とはなにも難しいことでない。ただ聖書の真理を神の言として信じ、聖書に記されている通りに、キリストによる罪の赦しを信じ、生きて働くキリストによって導かれる、そうした信仰のあり方をいうのである。

 こうした単純な信仰のあり方は、キリスト教の初期の姿であり、本来のあり方であった。キリストご自身も、「二人、三人が私の名によって集まるところに私はいる」と約束された。それを本当に信じていくところに無教会の精神がある。
 このような素朴なキリスト者のあり方は、神によって本来起こされたのであって、無教会という精神の本質もそこにある。
 キリスト中心、十字架のあがないを信じる信仰を中心とし、神の言中心の精神が続く限り、無教会という群れは継続されていくだろう。真理は神ご自身の御意志であるからである。

ことば

105)わたしはわが主イエス・キリストにならって教会といわれるものを建てることをしない。
 教会は真理を制限するものである。そして制限せられて真理を広めることは困難である。
 私は真理そのものを伝えて、その保存とか植え付ける方法などを考えることをしない。私は単純な伝道者であることを望む。(内村鑑三所感集より)
歴史的教会がキリスト教の伝道に大きな働きをしてきたことは誰もが知っている。しかし、他方ではその教会が大きな組織となり、固定化してくると、さまざまな問題を生じて真理を制限しようとすることも多くあった。組織の維持のためには、いろいろの役職が生じ、その地位を欲しがる者たちが生じ、またその地位を守るために真理そのものを圧迫するという矛盾したことも生じてきた。カトリック教会もかつてそのような固定化した様相を呈していたとき、ルターが真理そのもの述べて宗教改革が起こった。
 キリストご自身も当時の固定化した宗教者たちによって制限され、圧迫され自由に真理を伝えることを禁じられていった。
 主イエスはただ真理そのものを宣べ伝えた。内村もそのような単純な伝道者であろうとしたのである。
106)祈りとは、単に何かを頼むことではない。
それは、魂の切なる願いである。
それは日々、自分の弱さを認めることである。・・
 集会における祈りは力あるものとある。私たちがしばしば一人でなしえないことを、私たちは共にすることによってなすことができるからである。(ガンジー・「Young India」誌 1926.9.23
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「心の貧しい者は幸いである。天の国は彼らのものであり、心に飢え渇きを感じる者は満たされる。」と言われた主イエスの言葉が思い出される。祈りとはこうした心の弱さと渇きを日々感じる者の呼吸に似ている。私たちは自分の弱さを強く感じるほど、日々祈らずにはいられない。

休憩室

五月の植物

 初夏となり、なにより五月は初々しい新緑が毎日心にうるおいを与えてくれる季節です。その新緑のなかで、さまざまの植物が花を咲かせています。
 香りのよい五月の花と言えば、すぐに思い出す花があります。フジです。このフジの花はとくに有名なので知らない人はいないのですが、その香りが素晴らしいということはあまり知られていないようです。
 五月の山間を通るときに、あちこちに美しいフジの花が見られます。柔らかな色調といい、その姿、そして香りもともに優れていて、神の芸術品のような気がします。
 徳島でよく山間に見かけるのは、たいていは単にフジ(ノダフジ)といわれるもので、花の房が長く、つるは右巻きですが、徳島から香川にかけての阿讃の山では、つるが左巻きで花の房が短いヤマフジを多く見かけました。
 同じフジでも、このようにいろいろの変異があるのは興味深いことです。
 同じマメ科の樹木に咲く花で、やはりよい香りのする五月の花といえば、ハリエンジュです。これはニセアカシアとか単にアカシアとも言われ、何十年か昔によく歌われた歌に出てきたこともあって、広く知られていますが、本当のアカシアというのは、これとは別の木です。ハリエンジュは枝に鋭いハリがあるのでそう呼ばれています。
 ミカンの花は、その香りがよいことを知らない人も多いようです。ミカンといえばまずビタミンCの豊富な果物としてのみ思い浮かべるからです。
 しかし、その純白の花と心を引きつけるような香りもまた忘れられないものです。

私の住んでいる徳島県小松島市の周辺では、シラサギといわれるコサギが多く見られます。また、黒みがかったゴイサギやうすい灰色がかったアオサギという種類も時には見かけます。このような比較的大きな鳥がのどかにすんでいることは心をなごませることです。
 野草や樹木、そして小鳥や昆虫など、それらの自然の生物たちは人間の造ったものにはない、深みと味わいがあります。自然のなかでこうしたものに常に接している心には荒々しいものは生じないはずだと思われます。

 最近の少年たちの悲しむべき事件の背後には、こうした自然とのふれ合いがあまりにも少ないということが一つの原因としてあるようです。

返舟だより

五月十三日土曜日の午後から、元「祈の友」主幹であった、中山 貞雄氏が私たちの集会を訪れ、土曜日午後の聴覚障害者を交えての小集会、日曜日の主日礼拝、そしてその後の大学病院個室での集会、さらに「祈の友」会員で入院されているBさん他を訪問されました。
 中山 貞雄氏は島根県で浜田独立教会を起こされて伝道の働きに従事されている方で、今回はとくに「祈の友」についても話し合う機会が与えられました。
 
ある「はこ舟」誌の読者の方から、四国にきて初めて無教会という集会があるのを知り、どうしてキリスト教にもいろいろの派があるのだろうかとの来信がありました。その方は、聖霊派の方だということです。
 また、教会のいろいろの問題に直面して無教会のあり方を知りたいと言われる方もいます。こうした要望は今までにも何度もありましたので、ときどき、これからも無教会について断片的ですが書いてみたいと思います。
 今月号で無教会について書いたのは、その一つです。
 どのキリスト教の教派も大体においては、十字架や、復活を重んじ、キリスト中心、聖書を神の言としていると主張しているので、それだけではどこがどう違うのかわからないわけです。
 神は樹木や野草を実にさまざまの形に創造されました。一本の木を見ても、全く同じ葉は二つとないわけです。また、昆虫やほかの動物たちも驚くほど多様性があります。神は画一的なのを好まれないのです。

 無教会というあり方も、神のご計画のうちに日本にとくに造られたのであって、それぞれの樹木や野草がその特性を発揮しているように、私たちも無教会という集まりの特性を発揮していくことで、神の栄光を現していくことができればと願っています。

徳島聖書キリスト集会集会案内

・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。

(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。

(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)

・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。

    その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)、

    海南、北島、国府、藍住、徳島市住吉などでも定期的な集会があります。

    また祈祷会が月二回あります。問い合わせは左記へ。

        代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017

        E-mail:typistis@m10.alpha-net.ne.jp

        集会場の電話 088-631-6360

(なお、前号で私のメールアドレスのなかで、・・@ma10・とあるのは、右に書いたように、@m10 の誤りでしたので訂正します。)

 2000/5


今月のみことば

わたしの羊(イエスを信じる者)はわたしの声を聞き分ける。
わたしは彼らに永遠の命を与える。
  (ヨハネ福音書十・2728より)


復活と春    2000/4

 春になって枯れたようになっていた木々からいっせいに、新芽が現れてきた。あたかも、暖かい日の光に命を与えられ、押し出されるようにして生き生きした新緑が木を覆うようになった。それらの樹木を見つめると、その背後の命に満ちた存在が感じられてくる。

 私たちの存在も、いずれ枯れたようになって死にいたる。

けれども、神の命は春の太陽のように、私たちの枯れた存在を新しく生かせて下さる。どんなに、病気でからだがむしばまれていようとも、またいかに罪深い者の心をも、そして汚れた罪にまみれた者であっても、ただ、神への真実なまなざしを持つとき、私たちはそこからまったく異なる新しい命に生かされるようになる。

主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた覆いと、すべての国を覆っていた布を取り除き
死を永久に滅ぼしてくださる。

主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民が受けたはずかしめを地上からぬぐい去ってくださる。(イザヤ書二十五・78

悪と災害

 この数年、日本には外国でも聞いたことのないような驚くべき出来事が生じてきた。宗教と称するものが大量殺人を周到に計画して実行にうつそうとしたことや、まだ子供でありながら、同じような子供の命を奪ったり、保険金を得るためにわが子をすら殺したり、薬物で多くの人の命を奪うことを企てたり、また、五千万円という多額の金を中学生が暴力などで継続的におどしとるなど、想像もできないような悪事をする。

 また、他方大きな地震や、噴火、そして原子力関係の事故など、いろいろと生じてきた。なぜ、そんな悪事や人間が苦しむような災害が生じるのだろうか。

 こうした事実だけを見ていたら、神が存在するなどとはとうてい思えないだろう。

 そしてこのような、悪や災害は人間の生まれたときから続いている。

 聖書の一番最初の家族の記事は、驚くべきことだが、兄弟をねたみ、憎んで殺すという目を覆いたくなるような記事から出発しているのである。

 そしてすでに旧約聖書のはるか昔から、神の選んだ民であっても、雨がふらず、作物がまるでできないために生きて行けず、遠いエジプトまで行かざるをえなかったことも書かれている。

 また、新約聖書では、最も完全な愛のお方であった、イエスが十字架でのくぎ付けという最もおそろしい刑罰を受けて殺されてしまった。

 このように、聖書は決して人間の願う通りにはなっていないことをはっきりと最初から記している。

 聖書にはこのような悪や、災害などからの苦しみのただなかにおいて、人間が神に導かれ、それらに勝利していく道が示されていると言えよう。

 復活があるということによって、あらゆる悪に勝利するための最大の道が示されていることになる。死とは、あらゆる悪や病気、災害あるいは老齢による苦しみの結果として訪れるものであるが、復活とはその死からの勝利であり、死から神の輝かしい命に復活することだからである。

 神は、復活という光をもって、この世の悪や災害に打ち倒されない道を人類に示されたのであった。


命と死と

 復活というと、死んだ人がよみがえることであって、そんなことはあり得ない、自分たちには何の関係もないと思っている人がほとんどです。

 復活ということは聖書ではどのように言われているのかを考えてみます。

エデンの園のことはたいていの人が聞いたことがあるはずです。しかし、そのエデンの園の中央に何が生えていたと聖書に書いてあるかというと、こんどはほとんどの人が正しく答えられないと思います。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。(創世記二・9

 ここで見られるように、園の中心には、命の木と、善し悪しを知る木の二つを生えるようにされたということです。多くの人は、エデンの園には、食べたらいけない木だけがあったと思っているようです。

 善悪を知る木というのは、わかりにくい表現です。原語では、善と悪というのは、トーブとラアという言葉ですが、この二つの言葉は、道徳的な善悪だけでなく、多方面の内容を持っています。例えば、善と訳されたトーブという原語は、「美しい、愛する、かわいい、貴重、きれい、行為、幸福、親しい、幸い、善行、宝、正直、正しい、反映、福祉、恵み、安らか、豊か、良い、喜び、立派」など、およそ五〇種類もの訳語があてられています。

 悪と訳されたラアも同様で多様な訳語が使われています。

 このように善悪の木とは、単なる道徳的善悪を知る木でなく、あらゆるよいもの、悪いものを知るということであり、単にそうしたさまざまのことを知るというだけでは、人間は死に至るということを意味しています。

 人間は知識欲があります。どこまでも知ることを求めていきます。それが現在のような高度の科学技術の世界になってきた理由です。しかし、そのような知識だけを押し進めると、原爆や水爆、原子力発電のような最先端の科学技術の産物が人間を大量に殺し、また環境破壊によって人間全体が住めなくなっていくという事態が生じています。 

 エデンの園には、食べてよく、見ても美しいあらゆる木が生えていたとあります。にもかかわらず、あらゆるものを知る木と、命の木があったのです。

 これは、どんなに食べ物が豊富にあってもなお、知ることへの欲望は決してとどまることなく、続いていく。しかしそれだけでは死に至るということを暗示しています。

 そうした口から入る食物や知識欲、探求欲だけでは最終的には死んでしまうのであって、園の中央にあったもう一つの木、命の木が重要になるのです。

 現代の日本はどうでしょうか。口から食べる食物は有り余るほどで、食べ残しがゴミとして大量に捨てられている状態です。また知識も学校教育が十分となって、いくらでも取り入れることができるようになっています。パソコンによって世界中の情報や知識は部屋にいて自由に取り入れることができるようにすらなりました。

 しかし、そのように知識がいくら増しても、人間の心はかえって以前にはなかったようなひどい悪事をすることが生じています。

 これは、やはり神抜きでいろいろの知識を得てもそれだけでは死に至るという聖書の記述を思うのです。食物や知識だけでは、決して本当の心の幸いには至らないというのを現在の日本の状況は示しているといえます。

 私たちにとって本当に必要なのは、命の木なのです。その命の木については、旧約聖書はずっと不思議なほど沈黙を守っています。エデンの園にあった命の木はその後どうなったのか、それははるか後のイエス・キリストの出現まで待たねばならなかっのです。

 食べるだけでも、また学校教育や、テレビ、新聞雑誌その他の手段によって知るだけでも私たちは生きてはいけない。それはついには死に至るだけです。

 人間のあらゆる営みも結局はみな滅んでいきます。それはどんなものよりも巨大な流れといえます。人間も社会も飲み込んでいくし、この地球や太陽すらその滅びへ向かう流れには抵抗することができないのですから。

 しかし、そうした滅びへの流れと全く異なる流れがあります。それが命への流れであり、歴史の中で最も鮮やかに示したのが二千年前のキリストの復活という出来事であったのです。

 だれもが一番求めているものは何かというと、実は「滅びないもの」です。友情にせよ、愛にせよ、また健康にせよ、さらには清い心などそのようなものが、一時的でなく、ずっと続いていくならどんなによいかと思います。

 けれどもどんなに愛する人も、また健康な人もいつかは死んでいくし、健康も衰えます。

 どんなことがあっても、死によってさえも滅びず、変質しないもの、それこそ私たちが魂の奥深いところで求めているものです。

 キリストの復活ということは、そのような人間の深い願いにこたえるものだったのです。

 聖書の最初の創世記には、滅びに至る木、そしてふつうに食べてよい、見ても美しい木々があり、命の木もありました。しかし、最初の人間はその命の木の実を食べることはできなかっのです。

 そして長い人類の命への願いがかなえられ、初めて朽ちることのない命が与えられる

ことになりました。創世記のエデンの園にあった命の木の実を食べることが許されたといえます。

 それゆえ、四つの福音書で最後に書かれたヨハネ福音書では、その命のことが最もはっきりと強調されています。ヨハネ福音書の冒頭に、地上に来られる前からのキリスト(「言」と訳されている。原語はロゴス)に命があったと記されています。

万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(ヨハネ福音書一・34

 そしてその福音書の本論の最後にもつぎのように書かれています。

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 (ヨハネ福音書二十・31

 そして聖書の最後の書物である、黙示録でもその終わりの部分において、つぎのように、命がゆたかに与えられることが記されています。

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・

神は自ら人と共にいて、その神となり、

彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

最初のものは過ぎ去ったからである。」

すると、玉座に座っておられる方が、

「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、

「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

また、わたしに言われた。

「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の泉から価なしに飲ませよう。

勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。

わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。(新約聖書・黙示録21章より)

 現代の日本は豊かで物はあふれています。しかし、聖書で約束されている神の命を知っている人はきわめてわずかです。

 主よ、私たちに神の命、永遠の命をゆたかに与え、私たちからさらにあふれでて、この命を知らない人たちへと流れ出ていきますように。


嘘と真実

 この一年間ほどの間に、私たちはずいぶんと高い地位にある人たちの嘘を知らされてきた。県警察本部長という人が、いとも簡単につぎつぎと嘘をつく。

 そしてとくに今回、自民党の政治家の指導的人物たちの不真実が際だったのは今回の首相交代劇である。一国の代表者が入院したというのに、そのことを二十二時間もかくしていた。その上、入院した日の首相の動きについても、「公邸で過ごした」とか「資料整理などして過ごした」などと、全くのウソを全国民と世界の人たちに向かって発表したのである。

 それも自分たちの地位や勢力を守るためであった。国民のため、真実のためなどという発想はまるでない。

 わずか数人で秘密に話し合い、ゲームか何かをするようにして首相をきめてしまったのだから恐れ入る。

 しかも、政府のスポークスマンである官房長官という重要な職務の人が、「前首相から、検査結果によっては首相臨時代理をやるよう指示された」といいながら、じつはそれは嘘であって、「前首相から、何かあれば万事よろしく頼む旨の指示を受けた」というように修正された。このような重大なことについていとも簡単にウソを国民に公表するという姿勢では、このことすら、本当にそうであったのかと疑わしくなる。

 こうした嘘は、全国民や世界の人々に対して言われたのであり、膨大な数の人たちがその嘘を聞かされた。そして、日本人の代表者は平気で嘘を世界に向かって発信する人間だということを表明したことになる。

 こうしたことは、一般の人々に対しても目には見えないが、深い悪影響を及ぼすことが予想される。真実はないのだ、国家を代表する人でも嘘を公然と言ってもいいのだというような、真理をふみにじる心を宣伝したという点においてである。

 真によいことは、目には見えない心のなかにある。同様に本当に悪いことは目には見えないところに生じる。

 嘘が地位の高い人々に公然と言われるということは、今に始まったことでない。江戸時代には、キリスト教のことを邪教だと偽りのことを教え込み、その偽りをもとにして迫害を続けていった。そして明治になっても、人間にすぎない天皇を生きた神だというひどい嘘を学校でも教えてきた。

 原子力にしても、絶対安全だなどということを言い続けて、そのあげくに、チェルノブイリ原発の大事故が生じたし、日本でも東海村の臨界事故が生じた。

 日本は長く、核兵器を持たず、作らず、持ち込ませないという非核三原則を掲げてきた。しかし、以前から言われてきたが、それは嘘であって、じつは、アメリカはずっと前から核を積んだ艦船を日本に寄港させていたのであった。それを証明する公的文書が見いだされて公表されても、なお、日本の外務省は以前の言明が嘘であったことを認めようとはしないで、核を積んだ船は来ていないなどという嘘を重ねている。

 今回の首相交代であのような嘘を、いとも簡単に言ってのける神経であることからすれば、彼らがこの問題についても嘘を言っても平気だということは容易に考えられる。

 聖書でも、この嘘の問題ははじめから出てくる。アダムとエバの誘惑のことは、たいていの人が知っている。禁断の実を食べたという通俗的な説明も知られている。しかし、この件では、神がエバにその罪を指摘したとき、ヘビがそそのかしたのだといって自分の決断で食べたことを偽った。

 しかし、神は、真実なお方であり、決して嘘をつかないお方である。

 旧約聖書にしばしば現れる神のご性質として、「慈しみ」と「真実」がある。これは、モーセがシナイ山で神から直接に授かったとされる戒めのなかにも現れる。神は真実である、だからこそ、私たちはその神にすがることを心から願う。

 神は真実なのだから、私たちもその神に結びつくとき自ずから神の真実なご性質の一端を受け取ることになる。

 私たちも時として真実を貫けない弱さに苦しむことがある。しかし、そうした時でも、心から赦しを求めて祈るとき、真実な神はその赦しを与えて下さる。

 嘘で満ちているこの世のただなかにおいて、このような、決して嘘のない存在、神とキリストを与えられていることはなんと幸いなことであろう。

 

二つの道 ・申命記三十章より

 申命記は創世記、詩編、イザヤ書などとともに新約聖書に特に多く引用されているので、その意味でとくに重要な内容を持っていると言えます。

 ここでは、とくに三十章を中心としてその一部の内容を学びたいと思います。

 あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、

あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、

あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。

 たとえ天の果てに追いやられたとしても、あなたの神、主はあなたを集め、そこから連れ戻される。・・

 あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。

 あなたは立ち帰って主の御声に聞き従い、わたしが今日命じる戒めをすべて行うようになる。・・

 あなたが、あなたの神、主の御声に従って、この律法の書に記されている戒めと掟を守り、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰るからである。

 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。・・

 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。

 見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。

 わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。

 もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、

 わたしは今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、長く生きることはない。

 わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。

 あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、

あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、・・(旧約聖書・申命記三十章より)

 申命記とは、わかりにくい書名です。現在の私たちが全く使わないような名称で、この名前を見ただけで敬遠したくなるような書名だと言えます。ですから、聖句は多くの人々に引用されるけれども、申命記からの引用はほとんど見た記憶がありません。

 申命記という書名がなぜつけられたかについて。

 英語の書名は、Deuteronomyといいます。ギリシャ語で、deuteros は second の意味で、それはギリシャ語の duo(2の意)から来ている。deutero nomos(法律)からこの Deuteronomy は作られている。もともとは、旧約聖書の七十人訳が申命記十七・18の「この律法の写し」というのを、「この第二の律法」(to deuteronomion) と不適切に訳したところから来ている。しかし、内容的には、この名称は不適ではない。出エジプト記の二十・22-二十三・33 を再び載せているからである。日本語の名称は、英語訳から中国語になったものをそのまま受けたもので、「モーセが神から受けた命令をもう一度申す記述」という意味で申命記と名付けられている。

 しかし、意外なことに新約聖書では、詩編、イザヤ書などとともに特に多く引用されている書物なのです。例えば、主イエスが荒野の誘惑を受けたとき、悪魔がイエスの非常な空腹をみて、石をパンになるように命じてみよと言ったことがありました。そのとき、主イエスが答えたのは、自分の言葉でなく、旧約聖書の申命記八章からの言葉であったのです。

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(申命記八・3)と書いてある。」(マタイ福音書・四・4

 さらに、このサタンの誘惑において、「神殿の屋根から飛び降りたらどうだ、天使が支えてくれると書いてあるのだから。」と言ったときに、主イエスはつぎのように言われました。

イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。(マタイ福音書四・7)この引用された言葉もまた、申命記六・16にある言葉です。

 そして第三の誘惑で悪魔が、自分にひれ伏したらすべての国々やその栄華を与えると言われたとき、主イエスはつぎのように答えて、サタンの誘惑を退けたのです。

すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」(マタイ福音書四・4

 ここで引用されたのは、申命記六・13にある言葉です。

 さらに、最も重要な戒めは何かという問いかけに対しても、主イエスはつぎのように言われました。

イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタイ福音書二十二・37

 これは、つぎの申命記の言葉をそのまま引用したものです。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記六・5

 また、使徒パウロはローマの信徒への手紙のなかで、

「み言葉はあなたの近くにあり、あなたの口に心にある」と申命記三十章14節を引用して、

「口でイエスは主であると公けに言い表し、心で神がイエスを死人の中から復活させたと信じるなら救われる。実に人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる。」と言っています。

 そしてさらに、ロマ書の次のような箇所にも申命記から引用しているのです。

それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、「わたしは、わたしの民でない者のことであなたがたにねたみを起こさせ、愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」(申命記三十二・21)と言っています。・・(ロマ十・19

・・他の者はかたくなにされたのです。

「神は、彼らに鈍い心、見えない目、聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」(申命記二十九・4)と書いてあるとおりです。(ロマ十一・8

 旧約聖書は膨大な内容がありますが、以上のように主イエスやパウロが多くの箇所を申命記から引用していることがわかります。

 ことに主イエスは、伝道の最初の荒野で誘惑を受けたときにも、サタンに対抗するべく言われた三つの旧約聖書の箇所はすべて申命記であったこと、また最も重要な戒めというところでもやはり申命記を引用されたことも主イエスの心のなかに申命記が大きく位置を占めていたことをうかがわせます。

 はじめにあげた申命記三十章において現在の私たちにもそのまま受け取れる重要なことは、つぎのようなことです。

1)私たちの前途には祝福と災いの二つの道があること。(115節)

2)祝福の道を歩むためには、心を尽くし、魂を尽くして神の声に聞くこと。(2820節)

3)神に立ち帰ること(810節)

4)そしてやはり心を尽くし、魂を尽くして神を愛すること。

3)その結果として命を与えられること。(61620節)

 などが言われています。

 こうした内容は、新約聖書で繰り返し言われていることに通じるものがあります。

二つの道ということについては、主イエスの次に示す教えで知られています。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ福音書七・1314

 申命記に言われている祝福の道とは、主イエスの言われた狭い門から入る道でありますが、それは滅びることのない命へと続いています。そして災いやのろいの道とは、主イエスの言われた滅びに通じる道です。

 私たちが生きていく道というのは、人それぞれであり、数しれない道がある。ある人は、出世の道、ある人はただ安定した豊かな生活を求める道、あるいはスポーツや芸能で有名になろうとする道、またある場合には、賭事や快楽を求める道などなど、また子供には、勉強だけする道から、遊びやゲームばかりする道などと、人間はじつにさまざまの道を各自で選んで生きています。

 しかし、聖書においては、じつにはっきりと人間の道は、祝福の道か災い(のろい)の道か、そのいずれかだと言っています。このように単純化してとらえる姿勢は、聖書においてはあちこちで見られます。

 主イエスも有名なぶどうの木のたとえで言われました。

人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。(ヨハネ福音書十五章56

 要するに私たちが生きる道というのは、神に聴き、神に従う道であり、主イエスに結びついて生きる道だということです。

 また、この申命記でも言われている重要なことは、「神に立ち帰る」ということです。それは、神に聞くことが根本であっても、人間は人間の声に聞き、人間的な欲に引っ張られるということがじつに多いわけです。そのようなときに、重要なのは、神に立ち帰るということです。滅びとのろいの道とは真実と愛である神に背く道ですが、その方向から方向転換をして、神の方向へと再び向きなおることです。

 道は神の方向か、神に背くかという二つしかないので、私たちはまちがった方向に進み始めたら、そのことに気づいたとき直ちに方向転換して神の方向へと向かえばよいわけです。

 主イエスが初めて、新しい福音を宣べ伝え始めたとき、その内容の要点は、「悔い改めよ、神の御支配は近づいた。」ということでした。この悔い改めという言葉も、原語(ギリシャ語)の意味は、心の方向転換ということです。

 十字架で処刑されるほどの重い犯罪人であっても、心から主イエスに方向を向け変えて帰依するとき、あなたは今日、パラダイスにいるのだとの約束を与えられたことも聖書に記されています。

 つぎにこの申命記の記述で特徴的なのは、「神を愛する」ということが繰り返し強調されていることです。旧約聖書では神はおそれるべき存在であって、神に近づいたりすると人間の汚れのために、殺されるというほどでした。(出エジプト記十九章)

旧約聖書には、神を愛するという言葉は、全体としてみると申命記以外にはごく少なく、申命記には十数回現れ、ヨシュア記に二回ほど現れる以外にはほとんど見られません。

 このことは、ほかの宗教を考えてみてもいかにこの申命記が深い啓示を受けていたかを示すものになっています。

 この地球や宇宙の数々の驚くべき現象や、不可解な出来事をまえにして、それらは大地震や台風などのようにときにはあまりにも非情なもの、胸の痛むような自然現象も生じます。

 そのような事実をはっきりと知ってなお、そのような自然現象を引き起こす神を愛するということはふつうなら到底できないことです。そうした得体の知れない力は自分にどんな厳しいことを起こすかわからないので自ずからそのような力には恐れの念が生じるのです。しかも、暴風や大波、自然に生じる山火事、津波、竜巻、稲妻など昔の人にとっては神秘きわまりない現象であって、そうした巨大な力を前にしては人間の力など無に等しいほどのものです。そしてそのような自然の激しい力に人間が巻き込まれるとひとたまりもなく、死んでしまいます。

 このようなことから、どこの人間も自然の背後の神を愛するなどとは到底思うことはできなかったのです。愛とは、最も身近な感情であり、だれでも何らかのものを愛しているはずです。

 神を愛することができるということは、このような自然現象を見つめるだけでは生まれてはこないのであって、神からの啓示がなければ到底神を愛することは考えもしないことなのです。

 キリストがこの申命記の言葉を重要なところで引用していますが、申命記は人間と神とのあるべき姿をはっきりと教えてくれている書物です。

 それならばどうしてキリストが必要となったのか、申命記のような古い書物にすでにあることを、キリストは繰り返しただけではないのかと疑問に思う人もいるかも知れません。

 申命記では教えたのであり、神に対してどうあるべきかわからない人々に光を与えて指し示したと言えます。そして、キリストはそうした昔からの教えのうちから特別に重要なものを再び掲げ、それをたんに教えるだけでなく、それを実行するために妨げとなっている罪を取り除き、実際に歩めるようにして下さったのだとわかります。

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ福音書十四・6


休憩室

讃美歌と聖歌

 私たちの礼拝とか家庭集会では、讃美歌、讃美歌第二編とともに、聖歌もよく使われています。讃美歌と聖歌とはどうちがうのですかと何度か尋ねられたことがあります。

 ここでこの両者について、その違いなどを考えてみます。

 日本では、明治政府になってもなお、キリスト教迫害の方針は変わりませんでしたが、一八七三年になってようやく、キリスト教禁止の時代が終わって信仰の自由を許されることになりました。

 その時からとくにアメリカやイギリスで歌われていた讃美が多く入ってきました。アメリカやイギリスの宣教師たちがそれぞれの教派で用いていた讃美を日本語でも歌えるようにということで、初めての日本語讃美歌は一八七二年に宣教師会議が横浜で開かれたときに紹介されました。

 また、最初の日本語の讃美歌集は一八七四年に横浜で出版されたものだとされています。

 その後、「讃美歌」という名称の讃美集が日本基督一致教会という初期の合同された教会において出版されました。これが、一八八一年です。今から百二十年ほど昔のことです。

 その後、組合教会、メソジスト教会、浸礼教会などいろいろの教派がそれぞれの讃美集を出すようになりました。

 しかし、教派別の讃美集では、ともに歌えないなど不便があるので、統一された讃美集を出そうと言うことになり、一九〇〇年に、超教派の讃美歌委員会ができたのです。そうして生み出されたのが、「讃美歌」(一九〇三年)で、これはキリスト教各教派が共通に使う讃美歌として編集された最初のものとなりました。現在日本中で用いられている「讃美歌」はこの流れを受け継いでいます。

 これは、追加版が讃美歌第二編として出され(一九〇六年)、さらに、改訂されて一九三一年に「讃美歌」が新しく発行されました。これは、それまでに現れた各種の讃美歌の集大成となりました。

 それが太平洋戦争中も用いられていましたが、戦時には、時局に迎合するような内容の「興亜讃美歌」などというものが日本人の作詞で作られ、太平洋戦争を「聖戦」とし、「八紘一宇(はっこういちう)」を神の国と同一視するようなまちがった内容のものを作ってしまったことがあり、悲しむべき歴史の傷となりました。

 こうした過程を経て、戦後従来の讃美歌の内容、言葉づかいなど全体を再検討する必要に迫られて、日本キリスト教団讃美歌委員会が一九四九年から讃美歌の改訂にとりかかり、一九五一年春に改訂の委員会を組織して、約三年半を要して、一九五四年に現在の「讃美歌」が出版されました。これが、ごく最近まで、全国の教会で「讃美歌」としてひろく用いられてきたものです。

 しかし、この「讃美歌」も伝統的な讃美が主体であったために、それよりも伝道的な歌、また若い人にも向くような讃美など、さらにより多様な讃美を取り入れた讃美集が必要となり、その結果出版されたのが、「讃美歌第二編」で、一九六七年に出版されました。

 また、その後も、日本キリスト教団讃美歌委員会の委員のほかに、カトリック教会やルーテル教会、聖公会からの編集委員なども加えて、エキュメニカル(教会一致)的な委員構成として、現代の信仰の歌としてふさわしい歌を選び、それが「ともに歌おう・新しい讃美歌五十曲・」と題して一九七六年に出版されました。

 この「讃美歌」は現在まで半世紀ちかく歌い継がれてきていますが、数年前から、改訂作業がはじまり、一九九七年に「讃美歌21」という書名で出版されました。

 この讃美歌集は、新しい讃美歌で必要とされるつぎのような歌を取り入れるという観点から編集されています。

1)長い歴史を通した伝えられてきたキリスト教信仰の内容を現代にも生かせる歌。

2)以前の讃美歌は個人的な讃美歌が多かったのに対して、新しい讃美歌は、信仰をともに証しし、信徒が共に歌える歌。

3)キリスト教信仰をまだ持っていない一般の人々に呼び掛けるための伝道的な歌。

4)教派にとらわれない歌。

5)欧米だけでなく、世界各国の歌。

6)礼拝以外の家庭での集会や聖書研究会などいろいろの集会でも歌えるもの

7)歌詞に使われている言葉が誰にでも理解できる歌。

 以上のような方針で編集された讃美歌21が今後は、従来の讃美歌に置き換えられていくものと考えられます。

 キリスト教の讃美には、これまで述べたような「讃美歌」の流れとちがった讃美があります。

 それが「聖歌」です。

 この源流は、アメリカにあります。もともと、アメリカの教会は、主としてイギリスの讃美歌を受け取って用いてきました。しかし、十八世紀の中ごろに、エドワーズという著名な伝道者が現れ、ついで十九世紀の中ごろにはムーディといった大衆伝道者たちが大きな働きをしました。

 この大衆伝道の動きのなかから生み出された讃美がゴスペル・ソングであり、それは「福音唱歌」と訳されてきました。

 この讃美は、従来の讃美歌が、礼拝堂のなかでの厳粛な、荘重な雰囲気で歌うのが目的であったのに対して、まだ信仰を持っていない人、職業も教養などさまざまなタイプの人に向けての讃美であったために、それまでの讃美歌とは自ずからちがった特徴を持っていました。

 それは、分かりやすい言葉で、メロディーも歌いやすく変化に富んだものが多く含まれています。そして、伝道的目的が重要とされていたために、未信仰の人へ語り掛けるような内容の歌、あるいはキリスト者が救われた喜びや願いを歌う内容のものが多く含まれています。そのため曲は概して明るく、短調の曲がまれで、ほとんどが長調の曲となっています。 こうしたゴスペルソングの最も初期のもののうちに含めることができる曲が、讃美歌のうちでも最も親しまれていると思われる「いつくしみ深き」(讃美歌312番)です。

 この讃美歌は、前述の大衆伝道者、ムーディに同行していた福音讃美の指導者として有名であったサンキーらが編集した「福音讃美歌・聖歌」に収められ、それから全アメリカに広く知られて愛唱されるようになったものです。

 この曲は、日本においても、明治時代に「星の世界」(*)という題で、中学唱歌として取り入れられたので、ほとんどの日本人にとっても親しい曲となりました。

 ゴスペル・ソングの代表的な作者は、全盲の女性であったファニー・クロスビーです。彼女が作った讃美歌(作詞)は八千にも及ぶということです。彼女の作った讃美歌は現在の讃美歌にも八曲が収められています。このように、現在の「讃美歌」にも、ゴスペル・ソングに含まれる曲はかなり収められています。

 伝統的な讃美歌の例として、讃美歌66番をあげてみます。

聖なる 聖なる 聖なるかな

三つにいまして 一つなる

神の御名をば  朝まだき

起きいでてこそ ほめまつれ

聖なる、聖なる、聖なるかな

神のみまえに 聖徒らも

かむりを捨てて ふしおがみ

みつかいたちも 御名をほむ

 これに対して讃美歌312番はつぎのような内容です。

慈しみ深き 友なるイエスは

罪とが憂いを 取り去りたもう

心の嘆きを 包まず述べて

などかは下ろさぬ 負える重荷を

 いつくしみ深き 友なるイエスは、

我らの弱きを 知りて憐れむ

悩みかなしみに 沈めるときも

祈りにこたえて 慰めたまわん

 これらの讃美歌の一節と二節を比べてみました。これはメロディーにおいても、312番のほうは、美しいメロディーでだれの心にも親しみやすいものです。

 これは、主イエスがいかに自分の心の友となり、慰めとなって下さるかという信仰の実感を歌ったもので、未信仰の人への信仰の証しともなる讃美です。

 これに対して66番の歌詞は、三位一体の神というキリスト教信仰の基本を讃美としたもので、個人の感情や、信仰体験でなく、神ご自身の本質を讃え、歌っているものです。

 そしてメロディーはそのような歌詞にふさわしく、荘重な感じをたたえたものとなっていて、神の厳粛を感じさせるメロディーだといえます。

 讃美歌312番は本来の意味でのゴスペル・ソングには含めないこともありますが、その特質を持った讃美となっていると言えます。

 ゴスペル・ソングとして代表的なもので、よくアメリカでも日本においても歌われてきたものに、讃美歌第二編の182番「丘の上に十字架立つ」(聖歌では402番「丘に立てるあらけずりの」)や、第二編183番の「九十九の羊」(聖歌429番)などがあります。これらの讃美の歌詞やメロディーを聞くと、ゴスペル・ソングといわれてきた讃美の特徴がさらによくわかります。 

 このように、日本のプロテスタントのキリスト教讃美には、大きく分けて、「讃美歌」の流れと「聖歌」の流れがあります。聖歌は、以上のようにゴスペル・ソングといわれる新しい形の讃美を多く取り入れるという方針を持っていて、福音派といわれるキリスト者たちが多く用いている讃美です。

 しかし、讃美歌に含まれる曲も多く聖歌に含まれており、また、讃美歌を補うものとして出版された讃美歌第二編や「ともに歌おう」には、ゴスペル・ソングの流れをうけた曲も多く取り入れられていますので、多様な讃美を使うことができるようになっています  現代はさまざまのものが激しく変容しつつある時代です。キリスト教の讃美においても、新しい歌詞や曲が多く作られていきます。

 現在の讃美歌の源流は、旧約聖書の詩編にあります。詩編とは、当時の讃美歌集でもあったのです。そこには、個人の嘆き、苦しみがリアルに述べられ、また喜びや感謝、神への讃美も多くあり、また、神の万能や英知を讃え、神の言葉への讃美を内容としたものも多くあります。

 また、詩編よりさらに古く、神への讃美の最初のすがたが見られる出エジプト記の、紅海を渡ったときの感謝や讃美は、踊りと、タンブリンなどの楽器ををもって讃美したことも記されています。

 こうしたことからも、内容的には、神の栄光を讃え、神の言を讃美するものから、個人の苦しみや悲しみを訴える内容のもの、神への感謝や喜びを率直に歌うものなど、いろいろのものが含まれるべきだと思われるし、歌い方についても、厳粛な斉唱から変化のあるコーラス、また楽器を用い、手をたたき、時には大胆に体全体で表現するなどさまざまの歌い方もあってよいのだとわかります。

 それが伝統的な讃美の形のものであれ、新しいゴスペル・ソングの流れを受け継ぐものであれ、双方が私たちの信仰を表す歌となり、福音伝道に用いられ、神の栄光を讃美するものとして主が今後も導かれることと思います。

*)「星の世界」の歌詞

かがやく夜空の 星の光よ

まばたくあまたの 遠い世界よ

ふけゆく秋の夜 すみわたる空

のぞめば不思議な 星の世界よ

きらめく光は 玉かこがねか

宇宙の広さを しみじみ思う

やさしい光に まばたく星座

のぞめば不思議な 星の世界よ

読書会から

 もうずっと以前から私たちの集会では、毎月一度読書会をしています。最近十数年は、内村鑑三所感集(岩波文庫)、ウールマンの日記、ダンテの神曲などを学んできました。神曲は、十年ほどを要してようやく一九九八年の十月に終えることができました。

 九十八年十一月から内村鑑三の「一日一生」を始めて、毎月十日分を学んでいます。今月は、五月十一日から二十日までのところでした。今回は、以前に学んだところも含めて、一部を取り出してみます。(表現は、現代のわかりやすい表現にしてあります。)

 この書物は、内村のいろいろの著作から、内村の弟子が選んだものです。聖句とともに内村の感想が記されています。なお、内村の文章のあとの、印をつけた文は著者(吉村)が感じたことです。

全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。

喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。

知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。

わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ。

感謝の歌をうたって主の門に進み、賛美の歌をうたって主の庭に入れ。

感謝をささげ、御名をたたえよ。

主は恵み深く、慈しみはとこしえに、

主の真実は代々に及ぶ。(旧約聖書・詩編第百編)

 私の祈りは大部分は願いごとではありません。私はまず胸いっぱいの感謝をもって、私の祈りを始めます。

 私はこのように、うるわしい宇宙に生きることを与えられたことについて、私の神に感謝します。

 私は良い友人を与えられたことについて、また、私に是非善悪を判別して正義の神を求める心を与えて下さったことについて、特に私が神から離れて私利私欲を追求していた時に、私の心に主イエス・キリストを表してくださって、私の魂を救って下さった絶大な無限の恵みについて深く感謝します。

 そうして感謝の気持ちが私の心にあふれるときには、私は路傍に咲くスミレのゆえに感謝します。

 私の顔を吹いていく風のために感謝します。

 また、朝はやく起き出して、東の空が朝焼けで金色にみなぎる時などは、思わず感謝の讃美歌を歌うこともあります。(五月十九日の項)

内村の祈りは感謝が中心にあったのがわかります。そしてその感謝の源は、自分が罪を知らされ、方向転換をさせて下さったことにあったのです。かつての自分は、自分中心であり、自分の欲望や願いを追求するために生きていたけれども、主イエスがそのような方向から根本的に転換させて神中心へと向け変えられたことが感謝の中心にありました。

 この感謝の心が深く刻まれていたからこそ、今生かされていることに感謝ができ、またよき友も与えられていったのです。

 そしてこの感謝があるとき、道ばたの野草の花や、顔にしずかに吹いてくる風ですらも、神が自分に与えてくれたプレゼントであると感じることができ、感謝の気持ちが湧いてくるというのです。

 自然を愛して、それを歌う人は多くいます。しかし、神を信じないならば、自然のさまざまのよきものを神からの自分への個人的な贈り物であると実感して、神に感謝することはできないと思われます。 

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イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(マタイ福音書二十一・2122

 世には金銭の力があり、政権の力があり、知識の力がある。けれども、祈りの力には及ばない。

 これは、じつに誠実の力であって、山をも透し、岩をも砕く力である。

 世の真に大きな仕事というのは、みな、祈りの力によってなされたものである。

 祈りの力によらないで、建てられた国家は虚偽の国家であり、永久的不変の基礎の上に据えられたものではない。

 祈りの力によらないで、成った美術は、天の理想を伝えるものはない。

 祈りは精神的な命を得る唯一の秘訣である。

 だから、祈りのない国民から大政治家、大美術、また大文学、大発見、その他大と称せられるものが出てくるはずはない。(一月二十九日の項)

この世で一番強力なものは、誠実の力、真実な力であると言われています。これは、ある意味では驚くべき断言です。というのは、この世では、誠実の力など全然信じない人が多数を占めているからであり、嘘、偽りの力あるいは、政治家の権利、軍事力こそ大きいと思っている人が多数を占めているからです。

 しかし、誠実の力とは、最も力ある神にまっすぐに向かう心であるゆえに、その神の力が注がれるゆえに最も力あるものだというのです。

 かつて旧約聖書の遠い時代に、ヤコブという人は、一人困難な旅路を砂漠のような水のないところを通って行きました。そのとき、夢のなかに現れたのが、天にかかる階段であり、そこを天使が昇り降りしていたというものです。この意味深い夢は神ご自身の持っておられるよき賜物や祝福が信じる者と神とを行き来するという内容を暗示するものです。

 誠実に祈るとき、宇宙の創造主から、神の力が降り、そして私たちの弱さや汚れを取り去って持っていくということなのです。

 ひたすらなる祈りなくば私たちのなすことは、自分中心となり、汚されたものとなり、崩れていくものでしかないものです。

 神のそして主イエスの真実の祈りがこの世を支えているとも言えます。そしてそのような真実な神へ心をまっすぐに向けて祈ることによって、このキリスト教が二千年の歳月を越えて、最も力あるものとして世界の人間の心に宿ってきたのです。


休憩室

オランダの自転車専用道路は二万キロにも及ぶそうです。しかし、日本はわずか二千キロ。日本は山が多いのですが、面積はオランダの十倍ちかくあります。オランダは国民一人一台以上も自転車を持っている計算になるそうです。そして、自転車の保護政策を進めていて、車道を削ってまでして自転車専用道路を増やしたり、乗り捨て自由の無料自転車貸し制度も導入しているとのことです。

 また、欧米では多くのところで、鉄道への自転車乗り入れは認められているのに、日本ではほとんど聞いたことがありません。

 また、オランダに住んだ体験のある人の話では、一番印象に残ったのが照明の明るさの違いだということで、首都のアムステルダムの繁華街でも、大阪・心斎橋の明るさの10分の1くらいの気がしたと言っています。 家庭の照明も軒並み抑え気味で、初めは新聞も読みづらいほどであったとのことですが、慣れると目が順応してきたということです。

 このような状態なので、日本に帰ったとたん、照明の強さがまぶしくて目を覆いたくなるほどの日々が続いたと書いてあります。こんなムダな照明をせめて半分にしたら、原子力発電所の一つくらいは減らせるのではないかと思ったということです。

 しかし、いくら外側の照明を明るくしても、人間の心のなかまでは決して明るくはされません。かえって、強い照明のあふれる都会に住む人たちの心は暗くなっていくのではないかと思われるほどです。

 まことに 御霊は光のごとく

 心の闇を 照らしたまえり

 わが心静かなり 嵐は止みて

 イエスきみの み声のみさやかに聞こゆ(聖歌573番より)

家庭から出る年間の食べ残しは、340万トンもあるそうです。これはなんと655万人分の食料に相当する量になります。他方、世界で飢えている人たちは八億人もいるということです。

 「人は、パンだけで生きるのでなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」というキリストの言葉が思い出されます。

 飽食の人たちには、神の言が宿るなら、もっと食物を大切にするだろうし、簡素な食事に満足できるようになると思われます。神の口からでる神の言葉こそ私たちが待ち望むものですし、貧しさに苦しむ人たちにも共通して力を与えるものとなると思われます。

アオジのさえずり

 暖かくなってから現在もわが家の周囲では、ホオジロのなかまであるアオジという小鳥が毎日のようにさえずっています。この鳥は、本州中部から北の方で繁殖するけれども、冬には、暖かい地方に下ってくるので、四月いっぱいはたぶんわが家でもそのさえずりを聞かせてくれるだろうと思われます。

 ホオジロは比較的高い木ののこずえで、明るい声でさえずりますが、このアオジはもっと小さな声ですが、変化に富んださえずりを聞かせてくれます。朝に夕に、ほぼきまったところで歌っています。

 人間の場合は、心を神に向け、神を心から信じていないと、神への讃美は生まれないし、また真実な讃美ともなりません。しかし、アオジやホオジロなどはいつも透き通ったような声で、ふつうに歌っているのがそのまま、神への讃美として聞こえてきます。


返舟だより

「はこ舟」誌の名称について

 この小さな印刷物に、「はこ舟」という名をどうして付けたのかと思われる人もいますので、少し説明しておきます。「はこ舟」は今からちょうど四十四年前の四月に創刊されました。一九五六年のことです。

信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために「はこ舟」を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となった。(ヘブル書十一・7

 私たちは、心弱き者であり、しばしばつまずくものであり、正しいこと、愛にかなったことがなかなかできない者にすぎません。しかし、そうした弱き者も、ただ主イエスを救い主と信じて仰ぐだけで、救いの「はこ舟」に助け上げられることが約束されています。「私たちはノアのように正しい人でなくとも、ただ、キリストの名を信じるだけで、正しい者と認められる。

 それゆえ、この救いの「はこ舟」に早く乗り込んで、まさに来ようとしている恐ろしい滅びの世界から救われるように、みなさんにお知らせする手紙代わりのプリントの名とした。・・」 と「はこ舟」の創刊号に当時の無教会の徳島集会の代表者であった、太田米穂は書いています。

返舟だよりとは、「ヘンシュウだより」と読みます。ときどきこれも何と読むのかと思う人や、間違って読む人もいます。これは、はこ舟を創刊した太田氏が、「編集だより」というのでは、ありふれているので、「はこ舟」の「舟」と、「舟を返す」という言葉をかけて、「返舟だより」という造語を「編集だより」のかわりに使ったのです。


お知らせ

今年の第27回四国集会は愛媛、香川両県の共催という形で、松山市で行われます。

・主題 神の審判

・期日 5月27日(土)午後一時から28日(日)12時まで。

・会場 松山市道後町二丁目1211号 電話 0899252013

       愛媛県障害者更正センター 道後友輪荘(電話 0899252013

・会費 大人 八千円(一泊二食会費込み)

・聖書講話は、各県の四名が担当。愛媛(早瀬)、香川(山崎)、高知(林)、徳島(吉村)

・その他、交流会、証し、特別讃美、自由発言など。

・申込先は、北条市光洋台二〜40  但馬 明 (電話 089-994-0656

筆者(吉村 孝雄)の電子メールアドレスが変わりましたのでお知らせしておきます。

 typistis@ma10.alpha-net.ne.jp

徳島聖書キリスト集会集会案内

・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。

(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)・なお、毎月第四火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。

☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)、海南、北島、国府、藍住、徳島市住吉などでも定期的な集会があります。また祈祷会が月二回あります。問い合わせは左記へ。

・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017 E-mail:typistis@m10.alpha-net.ne.jp

・集会場の電話 088-631-6360

2000/4


今月の聖句

主はあなたの呼ぶ声に答えて、必ず恵みを与えられる。
主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。        (イザヤ書三十・19


結び付けること、壊すこと   2000/3

 私たちが真理そのものに結びつくほど、私たちの存在そのものがよきものを結び付ける役割を果たすことができるようになる。たとえいかにその程度が少なくとも、そのような方向へと導かれる。それは真理そのものがよきものを結び付ける働きがあるからだ。

 しかし、真理から離れるとき、自分中心になるとき、必ずそのまわりで何かよいものが壊れていく。
 例えば、真理そのものである主イエスに強く結びつくなら、私たちは神の国にあるよきもの、清いものへと心は結び付けられるようになる。また、それまで無関心であった人、あるいは、自分にはいやな相手であっても、そうした人に対しても何らかの祈りをもっていこうとするようになる。
 祈りこそは、最も人を近づけるものだ。敵対する人でももし、私たちが祈ることができたら、その人とあるよき結びつきが生じたということになる。
 また、まわりの自然に対しても、真理そのものの神が創造したゆえに、身近に感じるようになって、自然の世界とも結びつきは強まっていく。
 逆に私たちが自分中心、自分の利益をまず第一に求めたり、自分のことを自慢したり傲慢になって人を見下したりすると、確実にそこでよい人間関係は壊れていく。それだけでなく、自分のなかのよい部分も弱くなっていく。
 自分の利益や名声、他人からの賛辞を求める心が強くなればなるほど、神の創造した清い自然などは心に入らなくなる。なぜなら、そうした自然はただ黙していて、なんら人間を讃えたり、金儲けとは関係がないからである。
 キリストは人類の歴史の上で、最も多くの人たちを深く結び付けてきた。国籍や人種の別、病人や弱者であろうと健康な者であろうと、また年齢や社会的な、地位の上下などあらゆる差別とか壁を越えて結び付ける働きをしてきた。
 そしてキリストの最大の結び付けるはたらきは、本来、永遠に死という現実によって永久に生命から引き離される運命にあった人間を、神の永遠の命に結び付けて下さったことにある。


裁きはあるか

 悪いことをして必ず裁きはあるかという問に対して、多くの人は、ある場合もあればない場合もあると答えるだろう。そしていくらでも私たちの周囲に悪いことをして何にも罰をも裁きをも受けずに過ごしている、かえって安定した名声や富を持っているという人もいるというだろう。
 しかし、裁きとか罰について考えるとき、何が悪いことなのかを考えないと正しい結論は出てこない。例えば、人の物を盗むことは悪いこととだれでも知っている。そして盗みを続けていたらいつかは捕まって刑務所に入れられるということは誰でも知っている。
 しかし、心の中で人の物を奪いたい、盗みたいという気持ちはいくら持っていても捕まらないし、裁きも受けないと思っている人が多い。
 しかし、実際にそれを行動に移したら悪いことを心で思うこともまた悪いことであり、そこにも裁きはある。それは、もしそのような考えを心で持ち続けていると、他のことでも、実行したら悪いことを心で思うことが多くなっていく。 
 そのような心を持ち続けることによって、人間の品性そのものが悪くなる。それが裁きである。そしてそのような悪い思いを持ち続けていくと、その人の声や表情、目などにも現れてくる。これは考えると不思議なこと、驚くべきことである。心にいつも思っていることが、表情とか目の輝き、あるいは声の調子などという目に見えるところに現れてくるのだから。
 嘘を言って得をしたといわれることがある。しかし、もしそのようなことがあったら、その人はすでに裁きを受けたのである。嘘そのものが悪いことであり、それがうまくいったということでその人はまた嘘をつくことになる。嘘に対して次第に心がマヒしてくるということ、そのような心には、清い喜びは生まれなくなっていく。そして本人はそのことがわからない。そこに裁きがある。
 また、逆に身近なできごとに少しでも心から神に感謝するとき、心にはなにかさわやかなものが生じる。たとえそれが路傍の野草や青く澄んだ空を見て、神の清さや無限の英知に対して抱く讃美の心であっても、あるいは、自分の隣人、さらには自分に害をなした人に対して小さな祈りをすることであっても、そうしたよきことは、必ずその人の心になにかよい種を植え付けることになる。
 このように人間の心の中まで考えるとき、どんなひそかなよき思いやよき行動にも、必ずよきことが伴うのであって、逆に悪い思いや行動にも必ず何らかの裁きが行われるようになっているのである。


初めに神は天地を創造された。

 この一言から聖書は始まっています。他のどの国々や民族においても、このような天地万物を創造したお方が唯一であって、その本質が変わることのない真実を持っておられるお方であり、その唯一の神が宇宙のすべてを創造したということはわからなかったのです。
 それは、天地に生じる現象はあまりにも複雑で、混沌としているように見えるからです。例えば、激しい嵐のときに風は吹きすさび、それは波をも大きなうねりに変え、山々の樹木をも荒らし、ときには大木をも倒れさせます。また大雨は洪水をもたらし、山をも崩し、堤防や田畑を破壊します。火山などの噴火による火や煙、溶岩流などは、大地を破壊するかのように見えます。また、雷の稲光やその雷鳴は天からの激しい威嚇のように思われます。あるいは、干ばつで動物や植物たちも水や食物不足で死んでいくことがあります。
 人間にも、突然の事故や病気はおこるし、自然の災害に苦しむことも数々あったのです。
 このように自然の力は偶然的に生じ、無秩序に見えるために、どの民族もそれらすべてを唯一のお方が創造し、支配しているなどとは思えなかったのです。
 例えば、よく知られているギリシャ神話では、神々が世界を創造したのではなく、神が生まれでたときにすでに世界は存在していたと信じていたのです。神々が存在をはじめたとき、すでに天と地は創造されていたのです。ギリシャの最大の詩人、ホメロスは、「オケアノスは神々の親であり、万物の始まり」だと言っています。オケアノスとは、大地の果てにあって大地を取りまいている川であらゆる海も川も泉もそこから流れ出たものとされています。
 このように、すでに存在している大地に流れている川から神々が生まれたとされているのです。
 ギリシャの最高の神は、ゼウスといいます。しかし、このゼウスは別の神々であるクロノスとレアとの子供として生まれたとされています。
 ゼウスは天空の神で、雲を集め、雨をふらせる最も力のある神だとされていながら、海はゼウスの兄弟の神であるポセイドンが支配しているということになっています。
 そしてゼウスは至高の神であるといいながら、兄弟の神々や、妻のヘラという女神にだまされたり、人間の女の魅力に取り付かれて、次々とそうした女に引っ張られるという軽薄な姿をも持っているのです。 
 こうした神々は、人間を越える力を持っているとされながら、人間そのものであってだましたりだまされたり、女性を誘惑したりするなど、到底人間の模範とは言えない存在です。
 すでにプラトンも主著の「国家」で、こうした神々の悪行は若い人々に対して、悪に対する非常な無頓着を生み出すとして、このような神々の物語は除くべきであると言っているほどです。(「国家」第三巻392A
 他方、日本の神々はどうでしょうか。 
 古事記には、最初に現れた三つの神々は、現れたがやがていなくなります。その後に、国が水に浮いた油のようでクラゲのように漂っているときに、泥の中から葦が芽を出してくるようにして現れた神々がいたがその神々もまたいなくなったとされています。
 このように、最初の神々というのは、なにか幻のようなもので、現れたと思ったら消えていったというのです。
 古事記に現れる最初の神々がこんなにはかなく、泡のように消えていくというところは、聖書に記されている神が永遠に動かされない存在であるというのとは、鮮やかな対照を示しています。
 イザナミ、イザナギの神々も自然に現れたと書かれています。そしてその二人によって日本を構成する島々が生まれたとしています。
 そして、この二人の神々は次々に海の神、風の神、野の神などの神々を生むのです。そのとき、驚くべきことですが、吐いたものや、糞尿からも神々が生まれたと書かれてあります。また、イザナギの命(みこと)は、妻のイザナミが子供を生んだことが原因で死んだので、その時に泣いた涙でまた新しい神が現れたと記され、イザナギは、その子供の首を切って殺してしまいます。その時の血からも神が生まれたと記され、さらに殺された子供の頭や腹、手などからも別々の神々が生じたと書かれています。
 また、イザナギが黄泉の国を見て汚れたので川で潔めをした。そのときに投げ捨てた杖や帯から別々の神々が生じたとか、左の目を洗ったときに生じた神が天照大神で、右の目を洗ったときに生じたのが月読命という神であったと書かれています。 
 このように、太陽の神とされる天照大神ですら別の神が目を洗ったときに生じたのであって、いとも簡単に自然現象のように生じているのです。
 杖、衣服や、死体、あるいは排泄物からすら、神々が生じるというのは、植物や動物が簡単にあちこちで生じたり、それらが死んで腐敗してもまたそこから新たに虫がわいたり、カビや苔が生えてきたりすることからの連想でこのように記されているのではないかと思われます。
 このように神々というものが、至るところで、またさまざまの物質から生じるというのは、聖書で言われているような、天地万物をただ唯一の神が創造したというのとは、根本的に異なる発想であるのがわかります。
 ギリシャや日本の神話では、はじめにすでに天地が創造されていて、そこに神々が生じているということなのです。
 このような出発点に対して、聖書においては、まず冒頭に唯一の神が存在してその神が天地万物を創造したということが宣言されているのです。
 現在ならば、神が天地を創造したと何となく信じている人は多くいますが、それはキリスト教、聖書の影響だと言えます。
 古代においては、唯一の神が万物を創造しそれを支配しているなどとは到底信じることはできなかったのです。すでに述べたように、それほどに私たちを取りまく自然の世界も、人間世界も混乱しているからです。
 美しく咲いた花も嵐によってたちまち吹き飛ばされるし、川も大水であふれ、山も崩れるし、火山の噴火があれば美しい山肌も溶岩流で死んだような状態となる、動物同士は食い合うし、人間も悪人がはびこる、こうした状態はまさに混乱であって自然の世界も人間世界も統一して支配しているお方がいるなどとは、理性的に考えるととても受け入れられない考えだとわかります。
 この混乱と不可解な出来事に満ちた世界が唯一の神、しかも真実で正しい神によって創造され、支配されているということは、人間の考えや経験から生まれるのでなく、全くそれと独立して神からの直接の啓示によって与えられたことだったのです。
 現在においても、宇宙万物がそのような神によって創造され、今も支配をされているということは、どんなに大学での学問を重ねても、経験や知識が豊かな人であっても、だからといって信じるには至らないのです。
 古代に現れた天才たちも唯一の神がすべてを創造して支配しているということには到達できなかったのは、現在も同様です。
 いくら科学的に、また経験などを通して論理的に考えても、万物は唯一の生きた神が創造したなどということは導かれないのです。それは、神とは、あらゆる論理を越えた存在だからです。 
 聖書の巻頭の言葉を心から受け入れることができるということ、それは神ご自身からの啓示を受けたということが言えるのです。
 神が天地万物を創造したということを受け入れるなら、愛や真実、正義、清さ、美しさ、力などあらゆるよいことも神が創造したと受け入れることになります。とすれば、一見不幸な出来事も、その背後に神の何らかの愛や真実が込められているのであって、人間にはそれがなかなかわからないだけなのだというように受け取ることができます。
 また、世の中のさまざまの人間、すなわち病弱な人、健康な人、障害者、勉強のよくできる人、できない人、白人、黄色人種、黒人などなどいろいろの人たちもすべて神は深い意図をもって創造されている、少なくともその背後に愛の神の心があるのだと受け取ることができるようになります。
 また、私たちのまわりの自然についても、それが神の力、また愛や美しさ、あるいは清さなどがそこに込められていると受けとめることができます。
 万物を創造したのが神であり、しかもその神は真実に満ちた存在であるという二つのことを受け入れるとき、私たちの物の見方が大きく変わってきます。たとえ身体に障害をもって生まれたり、病気がちに生まれたとしても、また学校の勉強が十分にできなくとも、健康の人と同様に神は深い目的をもって創造されたのだというように受け取ることができるようになります。
 もし、愛の神が存在しないなら、たまたま病気がちに生まれたのだ、障害をもって生まれたのも偶然そうなったのだから運がわるいだけであってそこには何にも特別な意味はないということになります。
 創世記の天地創造の記述は、天地がいかにして創造されたかとかどのような過程を経て現在の状態に至ったかということを知らせるために書いたのではありません。
 いかにして天地の創造以来現在の状態になったかということは科学が少しずつ解明してきたことです。
 それに対して聖書は、天地を創造されたお方がどんな本質を持っておられるのか、また創造の目的や意味を告げている書物なのです。
 科学と聖書の記述はこのように根本的に違った視点からなされているのですが、多くの人たちはこの二つを混同しています。科学は決して存在そのものがなぜあるのか、その存在の目的や意味を教えてはくれません。例えば、人間の生物としての働き、脳や心臓や肺などの内臓のはたらきがいかに働いているか、その仕組みをいかに詳しく知ったとしても、だからと言って人間を殺してはいけないという結論は出てこないのです。
 人間を殺してはいけないというのは、まったくそうした科学的知識とは別のところから出てきます。
 また、人間が何の目的のために存在しているのか、どんな意味があって生まれたのかなどということもいっさい科学では答えることはできないことです。
 だから、比較的最近まで人間の内臓の働きなど正確にはわからなかったし、大多数の人々はほとんどそれらについて何にもわからなかったけれども、人間を殺してはいけないというのは、古代の人から現代にいたるまでだれでも知っていることです。
 また、植物がいかにして太陽の光と二酸化炭素から、土中の水や養分を用いてでんぷんを作り、それから美しい花を咲かせたりするのかという過程は詳しく知られるようになっています。
 しかし、そのような過程を知ったからといって、野山に見られるおびただしい野草や樹木の一つ一つの姿や、花の美しさが人間にどんな目的や意義を持っているのかわかるでしょうか。それらの自然の草木の姿や花の美などが私たち人間に何を告げているのか、科学は全く答えてはくれないのです。
 同様に、毎日見られる空の雲は科学的には、空気中の水蒸気が冷やされて百分の一ミリ程度の小さい水や氷の粒になったものだということがわかっています。しかしそうしたことがわかっても雲のあの多様な色や姿が人間にどんな意味と目的を持っているのかなどは依然としてわからないままです。
 さらに夜空の星の光は核融合という現象であるとわかっており、いかにしてあの莫大なエネルギーが生み出されるかということも科学が教えてくれます。しかし、その星の神秘な輝きが人間に対してもっている意味はまったく科学は教えてはくれません。
 このように、科学はいかにして生じているかを説明できても、その現象の目的や人間にとっての意味などは教えることはできないのです。
 もし、私たちが万物を創造した神を信じるようになると、すべての現象はみんな目的と意義をもっていることになります。神は無限の愛や真実のお方であるゆえに、目的もなく創造することは有り得ないからです。これは、人間の場合を考えても類推できることです。ある人間が愛を深く持っているほど、そのなすことはみんなその愛にかなった目的をもってなされるからです。
 天地万物がある目的と意味をもって創造されたのなら、現在の世界もある目的をもっていることになります。ですからこの世界も偶然的な出来事が生じて、無目的に進んでいるのでなく、世の終わりまである目的に従って導かれていると考えることができます。
 その点では、人間もこの世界や宇宙も同様だということになります。人間も愛の神によって創造されたということは、その生涯は必ず意味と目的を持っているのです。
 この世界も終わりにいたるまで神の目的、計画に従って動かされているであろうし、いかなることがあろうともそれも人間には計り知れない大きな神のご計画に従って生じているのだということになります。
 このように、聖書の最初に記されている「初めに神は天地を創造された」という一言は実に波及するところが大きく、広く深いのがわかります。この一言を本当に信じていくかどうかであらゆる見方が変わってくると言えるのです。

君が代・日の丸

文部省が君が代・日の丸を用いようとしない学校が多い都道府県の教育委員会に圧力をかけ、それを受けて教育委員会は、校長に職務命令としてそれらを用いるようにと命じ、長い間それらを用いてこなかった特に都会地区の学校の現場に大きい混乱が生じている。
 君が代とか日の丸がなぜ問題なのか、それはそれを用いて戦前には天皇への絶対服従をさせ、その天皇の裁断によって始められた戦争を推進する手段としてきたのであって、そのような体質に深い反省もなく再びそれらを用いるのは、太平洋戦争のあの悲惨な経験をないがしろにすることになるからである。
 第二次世界大戦を引き起こしたドイツそしてイタリアは、日本と同盟していた。敗戦後それらの国々においては戦時中の指導者であった、ヒトラーやムッソリーニは処刑され、あるいは、自殺した。そして戦争中使っていた国歌や、国旗を戦後は変えてその反省をはっきりとさせた。
 しかし、日本は戦争の最高責任者であった天皇は、何等の処罰もなく、責任をとることもなく退位すらせずにその地位に居座り、また天皇讃美の君が代、日の丸も全く反省も討議もされずにそのまま戦後も続けてきてしまったのである。
 少なくとも、太平洋戦争を引き起こした最終責任者としての天皇への処分とか退位を行い、そして君が代に変わる新しい国歌を募集して決定すべきであった。君が代は明白な天皇讃美の歌であるからである。
 ことにアジアの数千万という人々を殺し、苦しめたということを深く反省して二度とそのような悪を行わないようにすることこそ、日本に何より求められていることである。

 なぜ、文部省などが君が代を強制させようとするのか、その意図はどこにあるのだろうか。
 日本人は強固な精神的基盤がない。そこで、天皇をその基盤としてそこに人々を結び付け、そのうえで人々を思うように扱うという方法がとられてきた。戦争によって日本人自身もとくに若い人々を中心として数百万も殺されることになったのに、死んだ人々を靖国神社で神としてまつり、それを天皇が拝んでくれるのだから感謝せよというように教えられた。
 本来なら、人々から戦争反対という機運が生じてくるのに、天皇の命令だと言えば、だれも反対しなくなり、戦死者を神として天皇が拝んでくれると言われると、戦死した人の家族すら天皇に感謝するなどという奇妙なことになってしまった。
 明治政府がこうした天皇を用いて自分たちの思ったように動かすという方法を強力に用い始めた。そして天皇は生きている神(現人神)であるなどという明白な誤りを公然と学校で教えるということにまでなった。
 君が代、日の丸の問題は、すでに述べたように、日本が加わった戦争、とくに太平洋戦争のときに戦争推進の重要な手段として用いられたということにあり、それへの反省なくして戦前のような考えを再び広めようとする傾向にある。

 しかし、なぜそのように日本ではただの人間にすぎない天皇が神としてまであがめられたりするのだろうか、その根本原因を考える必要がある。
 それは、日本人の精神に変わることのない支え、基盤がないことにある。天皇という偶像を共通の基盤とすることなど間違ったことであるのは、天皇がふつうの人間にすぎないのであって、本来、特定の人間がそんな精神的基盤になどなることは不可能であるのは、人間の弱さや醜さを考えるだけでただちにわかることである。
 また、このような間違った偶像を精神の基礎とすることがなにをもたらすか、それは太平洋戦争を引き起こして数しれない人々を殺傷したことで証明済みである。
 君が代、日の丸の問題が私たちに提起しているのは、究極的には、人間の本当の精神的基盤を何に置くかということである。
 これは、聖書においては今から三千年以上も昔にすでにモーセが受けた神からの直接の言葉として明言されている。
あなたは私のほかに、なにものをも神としてはならない。
偶像を作ってはならない。それを拝んではならない。(旧約聖書・出エジプト記二十章より))
 真実な神、愛と正義の神、宇宙を創造した神を人間の基盤とするのでなかったら、必ず人間は他のもの、子供であれ、友人、家族、あるいはスポーツ選手とか、天皇のような地位の高い人間、あるいは、快楽、金等などを偶像としてしまうのである。
 君が代、日の丸の問題を政府は無理矢理に学校教育に持ち込んできた。
 日の丸も天皇がその背後にある。卒業式などで校長や来賓が深々と日の丸の前で礼をするのは、戦前ではその背後に天皇を意識させていたからであり、それがいまも続いているのである。かつては天皇の祖先は太陽神である天照大神であるというような神話を大まじめに教えられたのであったが、現在にいたっても日の丸への敬礼というかたちで生きているのである。
 数年前に七月二十日を「海の日」とすると決まった。これは、単に夏だから海に親しむからこの日を選んだと単純に思っている人が多い。しかし、これは、一八七六年に明治天皇が東北地方に行ったとき船を用いたが、横浜に帰ってきたのが七月二十日であったことがもとになっている。
 つまり、ここでも夏の休日をすら天皇と関係づけようとしているのである。
 また、最近、自民党の一部の議員から出されて四月二十九日の「みどりの日」を「昭和の日」と変えようとする動きが出ている。公明党も賛成にまわったということで、成立する可能性が濃厚になっている。この日はもともと昭和天皇の誕生日であって、ここでもたんに、昭和を記念するとか思い出すとかより以上に、「昭和天皇」と結び付けることが意図されているのである。
 昭和の時代といえば、第一に十五年ちかくにわたった日中戦争、そして太平洋戦争の計り知れない害悪を思い出すのであって、それを真に反省し、記念するために「昭和の日」という休日を制定するなら、八月十五日の敗戦の日のほうがずっとふさわしいはずである。
 また、時を考えるときの基準も、世界中で日本だけが人間の個人名を用いている。それが元号である。例えば、昭和五十年という言い方は、「昭和天皇の統治の五十年目」という意味を持っているのであって、古代中国がはじめた時間をも支配しようという考えをいまだに続けているのである。この元号制度によって、多くの日本人は時間を考えるときに、いまも天皇名を使っていて、そのたびごとに無意識的に天皇に結び付けられているのである。
 こうした傾向はさらに憲法も変えようとする動きにもつながっている。防衛庁を国防省にして、自衛隊を正式の軍隊と位置づけ、核の装備をも持とうとするそんな傾向が色濃く見える。こうした軍事への傾斜と、天皇への傾斜はまさに戦前において如実にみられたものであった。戦後半世紀を経て再びこうしたかつてのまちがった仕組みの方向へと押し流そうとする動きは歴史の大きな教訓をも見ず、まちがったものであることは明かである。
 確固たる精神的基盤をもたず、天皇などというふつうの人間を国の基盤とし、軍備という結局は人を殺し破壊する道具をよりどころとするならば、それは危険なことである。まちがった方向に暴走するのを止めることができないからである。
 キリスト者としての私たちは、この問題の根本は、なにを心の真の拠り所とすべきか、人間が第一として心に置くべき存在は何かということにあるのを知っている。
 そしてそのことをいかなる書物よりも明白に伝えている聖書の真理、キリスト教の真理を堅持していくことこそ求められている。

荒れる淵と闇の中にて

地は混沌であって、闇が深遠の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ」
こうして光があった。(創世記一・23節)
 これらの言葉で、世界が創造された時には、どんな状態であったかが記されています。聖書では、まず混沌であった、すなわち一切のものが、秩序なく、完全な混乱状態であったというのです。
「神の霊が水の面を動いていた」という文の意味は、闇のただ中において、これから創造されようとするものを生み出すべく、神の霊が動いていたと説明されます。たしかに神の霊はいかなる闇にあっても、万能の力を持っているゆえに、新しいものを生み出す力をたたえているのです。
 しかし、この文はかなり異なる訳が可能とされてきました。「霊」という原語ルーアハ(ヘブル語)は、「風」という意味が本来の意味であり、「神の霊(風)」という言葉は、「神」という語が「大なる、非常な」という形容詞としても用いられている箇所(サムエル記上十四・15)もあるところから、これは、「大いなる風」とも訳されています。ですから、この冒頭の箇所は、次のようにも訳されています。
地は荒涼混沌として闇が淵を覆い、暴風が水面を吹き荒れていた。
(前田護郎訳、なお前田氏は、元東京大学教授、西洋古典学、聖書学専攻で無教会のキリスト者。この訳は、中央公論社刊行の「世界の名著」シリーズの第十二巻」に収められています。)
 なお、外国の聖書の例もあげておきます。一例として、アメリカの代表的聖書(新改訂標準訳 NRSV )では、欄外注も含めて次のようにいくつかの訳を示しています。
・神からの風が水の面を吹いていた。(a wind from God swept over the face of the waters.
・神の霊が水の面を吹いていた。(the spirit of the God swept over ・・)
・大いなる風が水の面を吹いていた。(a mighty wind swept over ・・)
  このような訳から見ると、いっそうこの創世記の冒頭の箇所は、完全な闇と混沌、そして激しい風が暗黒の中で、一面に広がる荒れ狂う海に吹いていたという状況を表していることがわかります。

 このように、聖書が闇と混乱、荒れ狂う海の描写から始まっているということは重要なことです。ここに聖書はどんな書物であるかが示されているからです。
 どんな書物でも目的を持っています。私たちが書店で見る書物は、例えば小説、雑誌、週刊誌などなど、それらは人間の意見や作者の想像して作った話を伝えたり、単に商売目的で出しているものなどが大多数です。
 聖書はそうしたものとは違って、この宇宙を創造した神の御心、御意志が書かれています。神の御意志は、恐ろしい闇と混乱のただ中に光を与えることであったのです。
 私たちの世界には、至るところで闇があります。新聞に毎日のように出ているさまざまの犯罪はその闇を表しています。その犯罪を犯す人の心は闇であるし、その犯罪を受けた人やその家族もまた回復できない闇に包まれてしまうことも多いのです。
 また、病院にも数しれない人たちが日々の生活を病の苦しみや将来の心配で心を暗くして過ごしています。政治や官僚の世界、企業の活動などもさまざまな不正が行われるので、しばしば新聞に載っていることです。
 マスコミによく出るきらびやかな芸能界やスポーツなどの世界もその例外ではありません。はなやかな世界、マスコミなどで大々的に取り上げられる世界ほど、背後には深い闇があることもしばしばです。それは、そうした世間が注目しているものは、金がつきまといその金や名声を目的として人間が集まるからです。
 例えば、スポーツの代表的祭典であるオリンピックも、その開催に当たって、特定の企業が莫大な収益をあげようとする、誘致のために不正な活動をする、委員が受けるべきでない不正な利益を受ける、選手が禁止されている薬物を使うなど、多くの闇があります。
 こうした闇を数え上げるときりがありません。そもそも人間そのものが闇の部分を深く持っているからです。光と清さそのものである神に背を向ける本質が人間にはあるからです。
 聖書の最初に出てくる人間とされているアダムとエバが神によって備えられた理想の環境で生活していたのに、そのような素晴らしい環境を与えてくれた神に背いてしまったということは、人間の深い闇を象徴的に表しています。
 こうした人間そのものが持っている闇というだれでもが知っている現実に対して、神はどのようにされようとしているのか、そのことが聖書の中心テーマとされています。私たちがどんなに科学技術の産物によって便利になっても、心は少しもよくはなりません。不便きわまりなかった昔と比べて人間の心の思いやりとか清い心、勇気などといったものは全く伴ってはいないのを知らされます。
 私たちの人間そのものが闇の部分を深く持っていること、それを聖書では罪と言っています。
 闇を直視するのでなかったら、光がどんなに必要なのかもわかりません。闇の恐ろしさを思い知った者は、そこに注がれる光を何にも増して待ち望むし、その光を何よりも大切なものとみなすはずです。
 聖書は一言で言うならば、「闇が存在すること、そしてそこに注がれる光があること」を宣言している書物だと言えるのです。
 人間を絶望させる深い苦しみがある、しかし、その絶望のなかに希望をもたらす光があること、人間には、罪がある、しかしその罪を救う救い主がおられることを言っているのです。
 私たちが多くの書物を読み、多くの経験を積み、多くの知識を持てば持つほどに、この世の闇はますます深くわかってきます。人類の過去から現在、そして将来はどうなるのか、核兵器の増大や、原発の廃棄物処理、遺伝子に関わる技術のはんらん、公害その他のため科学技術は人間を滅ぼしてしまうのではないのか、人間そのものは少しもよくなっていないのに、このような大量破壊兵器や生物の根源である遺伝子を操作する技術がますます盛んになったらどうなるのか、等など。
 私たちが真の光を得るためには、書物による学問を積むだけでは得られないのです。太平洋戦争のような大規模な戦争を引き起こし、世界に計り知れない苦しみや悲しみという闇を作りだしたのも、当時の政治や軍、あるいは経済界の指導者たちであり、多くの学問をしたはずの人たちであったのです。 
 昔の人たちはどこの国においても書物を読むことなどほとんどの人はできないことでした。字を習っていない人が多数を占めていたうえに、書物そのものがきわめて貴重であり、一般の人たちには手にすることもできなかったからです。
 このような無学な人たちが大多数であっても、光はそうした一般の人たちに注がれてきたのであり、聖書で言われている「光」とは、どんなに無学であっても、病弱であっても地位が低くても、注がれるような光なのだとわかります。
 この世には、闇がある、しかし光がある、それが聖書の一貫した主張なのです。
 だから、旧約聖書には神が光を与える存在であることが多くの箇所で記されています。そのうちの特によく知られた箇所をあげます。

見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。・・
太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず、月の輝きがあなたを照らすこともない。
主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる。
あなたの太陽は再び沈むことなく、あなたの月は欠けることがない。
主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる。(イザヤ書六十章より)

 闇は地を覆うほどに、広く深く我々を包んでいます。しかし、神を信じるときには、不思議なことにそうした闇のただなかに神の光が輝くと約束されています。

 新約聖書にもその最初のマタイ福音書においても、イエスの働きが始まったことは、旧約聖書に預言されている次の言葉が成就したことなのだと記されています。

暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。(四・16

 私たちの生活はますます便利になり、数々の科学技術の産物が取りまいています。しかし、だからと言って人間の心がやさしくなったり、清くなったということはだれも思ってはいないのです。かえって人間の心は善悪を見抜く洞察力が弱くなっていることも多く見られます。
 そして、人間の心には、科学技術がいかに発達し、コンピュータのような便利な物が多くなっても、やはり深い闇があるのです。そうした闇の一端が、オウム真理教事件、神戸の少年の驚くべき犯罪や最近の小学校に侵入して幼い命を断ったなどという異様な事件にも現れています。
 こうした犯罪を起こす人間の心は、まさに混沌であり、闇であり、激しい風が吹き荒れている状態だと言えます。そしてこのようなことは、決してそうした特別な人たちだけにあるのでなく、日頃はごく普通の人であっても、ひとたび大きい事故や重い病気、事件に巻き込まれるとき、たちまち混乱し、闇に包まれ、心に恐ろしい風が吹き荒れる状態と化してしまうのです。
 今から数十年前の戦争のときなどは、国家全体がそうした闇と混乱でファシズムという激しい嵐が吹き荒れることにもなったのです。
 このように、創世記の冒頭の箇所、従って聖書の最初の記述は単なる古代の人の創造説を書いているのでは決してなく、古代から現在に至る人間社会の困難でけわしい問題そのものを提起しているのがわかります。
 本当のものを求めようとする人たちにおいては、もっと便利さを、もっと快適さを、ということ以上に、「もっと光を!」という願いが強くなってくると思われます。
 もっと便利なもの、快適なものをという方向は科学技術の産物をはてしなく生み出してきました。しかし、身近な車一つをとってもわかるように、それはハンドルを少しきるだけで、重大事故となるものであり、その時には自分も他者も取り返しのつかない闇に投げ込まれることになります。
 また、科学技術の最先端の産物として原水爆や原発がありますが、これはひとたび使われると何十万、何百万という人たちを一瞬にして恐ろしい闇に突き落とすものです。生命科学の最先端には、遺伝子操作がありますがこれも、やはり間違って使うと、人間に取り返しのつかない闇をもたらすことになるでしょう。
 このような現在をも創世記の記者はすでに見抜いていたとも考えられます。神の霊は時間を越えて洞察する力を与えるからです。
 それゆえ、前途がどうなるかだれにもわからない私たちの時代にあって、果てしない闇と混乱の中に光をもたらすことのできる神を指し示しているのであって、この創世記巻頭の言葉は、まさに暗夜に輝く燈台の役割を果たしてきたし、今後も果たし続けていくのです。

休憩室

北斗七星
 春になると、夜空になじみ深い星は北斗七星です。「斗」というのは、「柄杓(ひしゃく)」のことで、水をくむのに使っていた用具です。だから、北斗七星とは、北に見えるひしゃくの形をした七つの星という意味になります。
 これは、三月下旬の午後七時頃なら、東の空から七つのひしゃくの形をした星が立ち上がってくるようにして昇ってくるのが見られます。柄杓の先端を五倍にのばしたところに北極星があるので、中学の理科で必ずといってよいほど学習することです。
 しかし、実際に星を見るのは、夜でないと見えないこと、生徒たちを夜にわざわざ学校に来させることが困難なことから、ほとんどの大多数の生徒たちは、北斗七星を実際に見たもないままで卒業してしまい、もう二度と星の配置などのことは考えなくなるという状態です。
 北斗七星は大熊座の中の尾と体の一部を構成している星で、星座名ではありません。しかし、昔は水をくむのにはどこの民族でも不可欠であった柄杓の形をしている上に、よく似た明るい星が七つ並んでいることから、どこの民族からも注目されてきました。
 また、地球からの距離もこれらの星たちはよく似ていて、六十年光年〜百五十光年の距離にあり、比較的近いところにある星です。
 聖書にもつぎのように引用されています。

(神の)御心は知恵に満ち、力に秀でておられる。・・
神は山をも移される。・・
神は大地をその立つ所で揺り動かし、地の柱は揺らぐ。・・
神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。
神は北斗やオリオンを、すばるや、南の星座を造られた。
神は計り難く大きな業を、数知れぬ不思議な業を成し遂げられる。(旧約聖書・ヨブ記九章より)

あなたは銀河をその時が来れば引き出すことができるか。北斗とその子星を導くことができるか。(ヨブ記三八・32

 これらの詩句を見ると、二千数百年昔にヨブ記を書いた大詩人はあの北斗の七星を見つめて神の創造の大いなるわざに思いを馳せていたのが感じられます。

ホオジロ
 小さい頃から、わが家のすぐ裏山の木の梢にとまって鳴いている小鳥をよく覚えています。澄んだ明るい声でのさえずりは、印象的であの小鳥は何という名前だろうかといつも思ったものです。
 その小鳥の名前がホオジロということがわかったのはずっと後になってからでした。最近、暖かくなってあの懐かしいさえずりが、折々に聞こえるようになっています。ついこの間は、わが家の前の庭先をえさを探しながら飛び歩いていたのです。また、それから少し後には、家の前の小枝にとまってさえずっていたこともありました。わずか十メートルにも足らない近くでさえずりを目にしたのは初めてのことです。
 野草や野鳥については、学校時代にほとんど習った記憶がありません。これは大多数の人にとっても同様のようです。小学校や中学の頃までに身近な野草や樹木ん、小鳥たちに親しむことは、その後ずっとそれらの身近な自然に対して親しみをもって見つめることになり、またそれらから善きメッセージを受け取ることにつながると思われます。

梅と桜と、唯一の神への信仰
 まだ寒さ厳しい頃から、梅はぼつぼつと咲き始め、それだけにいっそう心引く花だと感じられます。まだ他の草木が寒さのために眠っているようなときに、よい香りを放ち、そのうえに純白や赤い花を咲かせる姿は、私たちにもなにか清さを伴って感じられるものです。そしてかなり長いあいだ咲き続けることでいっそう寒さに耐え続ける姿を示してくれます。
 桜にはそうした厳しさが感じられません。暖かくなって、卒業や入社、入学シーズンでもあり、また桜の下で花見と称する宴会なども結びつくからかも知れません。そして、いっせいに咲いたらそのあとは、たちまちいっせいに散ってしまうというはかなさがあります。桜の下の宴会の楽しさもほんのひととき、入学、入社の華やかさとか、ときめきもたちまち消えていくのとよく似ています。
 このように同じバラ科で花の形や色も似ている花であっても、性格がかなり違っていて、人々に与える印象も対照的であるのは興味深いことです。
 日本人は、桜の花をことに愛して、古来「花」と言えば桜を指すほどでした。このようにいっせいに咲いて、またたちまち散ってしまうはかなさが日本人の性質に合っていたからだと思われます。
 このような傾向は、今月号の「初めに神は天地を創造された」の一文で述べたように、日本の古事記では初めに現れた最初の五つの神々が、まもなくいなくなったというはかなさに通じるものを感じさせます。
 このように短命なもの、はかないものに引かれるということは、他方、自然の世界のうちで、最も永遠的で、その存在が確固たるものといえる星について、万葉集や古今集などはきわめてわずかの関心しか寄せていなかったことにもつながっています。
 そしてこの傾向は、現在に至っても、最も永遠の存在である唯一の神への信仰を持つ人々の割合が他の国々と比べて特別に低いということも関係があると思われます。
 キリスト者の割合を見ると、日本はわずかに人口の一%にも満たない状況で、百万人余りしかいません。
 しかし、例えば日本に一番近い韓国は二十五%あると言われ、中国でも、キリスト者は最近では、二千万人から三千万人になっていると推測されており、これは人口の二%を越えていてますます増えているといいます。長い間、キリスト教が認められていなかった中国のような国でも、現在は日曜日に千五百人も集まる教会ができていて、座る場所がなくて立ったまま礼拝を受けるような教会もあるということです。(キリスト新聞・99年一月30日号による)
 また台湾のキリスト者は人口の10%ほどで、フィリピンでは94%に及ぶのです。また、以前のソ連は38%ほどでした。(以上の統計は、「世界キリスト教百科事典」教文館刊による)
 こうしたデータを見れば、同じアジアで日本を取りまく国々と日本では、実に大きい開きがあるのがわかります。


返舟だより

今月は、体調がやや不全であったことと、予定外の訪問や出来事もあったので、なかなか書き終えることができずに遅くなりました。このような月刊の小誌であっても、主が支えて下さらねば、継続はできないということをいつも思っています。

春となり、いっせいに植物たちは新芽を出しはじめ、またいろいろの花が咲き始めています。
 空や雲、太陽、星たちは変わることのない神の存在や力などを教えてくれますが、野草や樹木たちは、日々変わる姿によって、またその花の美しさなどによって神の変化に富んだ創造の力と英知を告げています。
 自然とは、言葉では表すことのできない「聖書」というべきものです。神の直接の御手によって創られたものだからです。そこにはやはり神の御意志、私たちへのメッセージが表されています。
 スイセンやウメは終わりに近づきましたが、桜の一種(実ザクラ)はわが家では満開に近い状態で咲いています。タチツボスミレや、ツボスミレ、ノジスミレといったスミレの仲間がわが家の周辺でも咲き始めています。それらは、春の訪れをその姿や色という豊かな言葉で語っています。

パソコンと「はこ舟」
 パソコンのことをしばしば集会関係の人やその知り合いの人から尋ねられます。パソコンを購入してホームページとかメールなどに使いたいと思っている人は多くいますが、ていねいに初歩の初歩から教えてくれる人がいないというのが実状のようです。
 インターネットメールとかホームページによって、単に人間の言葉や、一時的な感情とか考えだけでなく、神の言が多く交流するようになればと願っています。 
 この「はこ舟」誌もパソコンで制作して出来上がったものを、印刷所に送って増刷してもらっています。その方法によって時間的にも早くできるようになり、またパソコンでつくると、原稿はみなテキストファイルになっていますので、全盲の人に送付して音声朗読をするソフトを用いて、内容を読んでもらうこともできるようになっています。


徳島聖書キリスト集会集会案内

・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)・なお、毎月第四火曜日の夕拝は移動夕拝で場所が変わります。
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)、海南、北島、国府、藍住、徳島市住吉などでも定期的な集会があります。また祈祷会が月二回あります。問い合わせは左記へ。
・代表者(吉村)宅電話 08853-2-3017 ・集会場の電話 0886-31-6360

2000/3


今月の聖句

人の心には多くの計らいがある。
しかし主の御旨のみが実現する。   (箴言十九・21


真のキリスト教     2000/2

 イギリスの有名な聖書注解者の書にふと見いだした言葉。
真のキリスト教はつねに危険のただなかにある。(Real Christianity is always in peril.
 たしかにキリストご自身がそうであった。パウロも同様であった。そして長いキリスト教の歴史のなかで新しいところにキリストの福音が伝わっていくときには、いつも死の危険が隣り合わせていたほどであった。
 しかし現代において、キリストを信じるアメリカ、ヨーロッパそして私たち日本のキリスト者たちの多くはこのような危険のただなかにいるだろうか。
 このことは、生活のなかに祈りがあるかと深く結びついている。祈りがない生活とは、人間的な考えによっている生活であり、それはなんら危険とか犠牲を伴わない安全な生活だということになる。
 私たちが神の御旨に従っていこうとすれば、祈りがなくしては前進できない。この道をとったらどうなるかわからない時に、私たちは自然と祈らずにはいられなくなる。
 その意味で絶えず祈りをせずにいられない生活であるかどうかによって、私たちは何らかの困難のある道を見つめているかどうかを自ら知ることができると言えよう。
 前号で紹介したボンヘッファーの著書にもつぎのように記されているのが、ずっと以前に読んだときにも心に残っていたので、それを引用する。

 キリスト者にとって彼がほかのキリスト者との交わりのなかで生きることを許されているということは決して当たり前のことではない。イエス・キリストは敵のただ中で生活された。最後に弟子たちも皆、イエスをすてて逃げてしまった。十字架の上で彼は悪人や嘲笑する人々たちに取り囲まれて一人であった。だからキリスト者たちも、修道院の孤独な生活のなかに引きこもるのでなく、敵のただ中にあって生活するのである。そこにキリスト者たちは、その課題と働きの場を持つのである。(「共に生きる生活」より)
 
 このように、語ったあとで、ボンヘッファーは、つぎのマルチン・ルターの言葉をあげている。
 「あなたの敵のただ中に神の支配がある。そこでそのことに耐えることができない者は、キリストの支配を願わず、友人たちのただ中にいようとし、バラとユリの中に座っていようとし、悪人とともにいることを願わず、敬虔な人たちと共にいようとする者である。 ああ、あなた方、神をけがし、キリストを裏切る者たちよ!もし、キリストがそのようになさったとしたら、いったい誰が救われたであろうか。」
 ルターにしばしば見られる激しい調子のこの言葉には、彼自身がそのように敵のただなかに生きたという、自分自身の経験が背後に感じられる。
 私たちも現在の生活に安住するのでなく、本当に救いを受けた者として少しでもより困難な道を、祈りをもって歩んでいくようにと招かれている。
 主イエスが「狭き門から入れ。命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。」と言われたことはそうしたことをも意味すると言えよう。


信仰を持たずに強い人はいるか

信仰を持たずに強い人はいるか
 宗教を持たなくとも人は強くあることができるという考え方は日本人には多くみられます。だからこそ、特定の信仰を持っていると称する人は、日本では少ないのです。
 しかし私は今まで生きてきたなかで、信仰なくして本当に強いと感じることのできた人は一人も思い出せないのです。
 自分の力で会社を創って有名になった人、学問、芸術や、スポーツなどで生まれつきの才能と努力で大きな業績をあげた人たち、また特定の宗教に入っていないのに、まじめに一生懸命働いて、社会的にも評判のよい人、また宗教を持っている人よりもやさしくて、心が純真な人など、私たちのまわりにも多くいるでしょう。
 しかし、そのような人は、はたして信仰など持つ必要を感じないほどに強いのか、というとそれははなはだ疑問です。
 というのは、もし、そのような人がいったんガンだと宣告されたとか、交通事故で全身マヒになったとか、家族が重い後遺症になってその介護で生涯苦しまねばならないとか、あるいは、老年になって家族とか友人など親しい人とつぎつぎに別れてしまって、一人孤独な老人ホームとか自宅で病気療養をしなければならなくなったとしたら、そして必ず私たちを訪れる死というものが近づいてきたらどうでしょうか。
 ほとんどの人たちはそれまでの自分の力だけで生きて行けるという気持ちとは逆の、自分の力ではどうすることもできない苦しみや弱さ、痛みを抱えることになり、人間を越えたものにすがる必要を感じてくるのではないかと思われます。
 人間が弱いということは、たった刃物の一つによっても、また小さな弾丸一つによってもいとも簡単に死んでしまいますし、あるいは生涯回復できない傷を受けてしまいます。 数日水を呑まずにいたら、もう苦しくて耐えがたいほどになるのです。人間も生物の一つであって、すべての生物は、熱や放射線にきわめて弱いのです。
 聖書にも、つぎのように記されています。
彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。(詩編三七・2
 このように老年、病気、事故、人間関係などからも人間は弱さを思い知らされるのですが、そのようなことがなくとも、元気なとき、若いときであっても、私たちは弱さを痛切に感じることが多いはずです。
 それは、自分の気ままな生活をしているときには感じないけれども、ひとたび、正しいこと、真実にかなったこと、自分への報酬を期待しない純粋な愛を他者に及ぼそうとしたとき、どんな人でも、自分がいかにそうしたことができないかを思い知らされるはずです。
 この点においては、いかなる人も自分はそうした完全な正義や愛、真実を周囲の人々や社会に対して行っているなどということを言える人はいないのです。
 いったい誰が、神への信仰なしにキリストが言われたように隣人を愛し、敵を愛してその人のために祈るような心を持っているでしょうか。隣人とは、たんに近所の人という意味でなく、出会う人すべてという意味です。自分の家族だけでも本当に愛することは大変なのに、他人も同様に愛するなどということは、到底できないことです。
 しかも、ごく一時的にそのような気持ちでできる人はいるかも知れませんが、ずっと長期間にわたってそのような純粋な心と愛を持ち続けるなどということはありえないことです。それは、自分のまわりの人々を見ても直ちにわかることです。
 キリスト教がいうような愛とは、好きな人だけにというのでなく、無差別的であり、ある期間ということでなく、いつまでもずっと続くものをいうのであって、こうした愛を自然の人間が持てるなどということはありえないことです。
 また、事柄の真実を見抜くということにしても、例えば太平洋戦争が天皇を現人神として、アジアの国々に侵略をする戦争であったけれども、それをいったいどれほどの人が見抜き、そしてその間違いをはっきりということができたでしょうか。ほとんどの人が日本の軍部や政治家たちにだまされていたのです。 
 このように、何が正しいことであるかを見抜き、またその正しいことを実行するということは至難のわざです。そこに弱さがあるのです。
 また、原子爆弾とか水素爆弾のようなおそるべき兵器が作り出されるとは、広島や長崎に原爆が投下されたわずか八年ほど前には、世界のだれも考えたことがなかったのです。(核分裂は一九三八年、ドイツのオットー・ハーンやリーゼ・マイトナーらによって発見された)
 このようにどんな天才であっても先のことを見抜くことができないという弱さをすべての人間は持っているのがわかります。
 阪神大震災にしても世界のあらゆる科学者もだれ一人それを見抜くことはできませんでした。そこに人間の弱さ、限界があります。
 こうした科学技術に関することだけでなく、自分自身のことでもいつ不治の病になるのか、いつ死ぬのかどんな状況で死ぬのかなどまったく分からないのです。自分の病気そのものすら、たしかに医者ですら診断できないことも多くあります。 
 人間が弱いというとき、このようにさまざまの意味があります。
 どこから見ても人間の強さと思えるものはごく一時的なものであって、どんなに強そうに見える人でも必ずそのうちに弱さを思い知らされることになります。
 聖書は、そしてキリストはこのような人間だれもが持っている弱さを認めるところから出発するのです。そういう意味では、ごく当然のことが基本となっています。
 こうした弱さを知っている心の状態を「心の貧しい者」とか「幼子のような者」といった表現で言われています。
 この世には三種類の人間がいると言えます。
 一つは、自分が強いと思っている人間。
 二つ目は、自分が弱いと思っているが、そこから逃れる道を知らない人。
 そしてこの中には、その弱さの中に沈んでしまって、逃れる道を求めようとする心もない人。そしてもう一つは弱さを何とか乗り越える道を探し求めている人があると言えます。
 三つ目は、弱さを知って、そこに力を与えられる道を知っている人で、キリスト教というのは、実はこの弱さのただ中にあって力を与えられることを約束しているのです。

口に立つキリスト 戸口に立って  (黙示録三・1422

『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。
耳ある者は、(聖なる)霊が諸教会に告げることを聞きなさい。」』(黙示録三・1422より)

 ヨハネの黙示録は、多くの人々にとって不可解な書物です。この書物を読んで心が励まされるとか、慰められるという人は他の新約聖書のようには多くないのです。しかし、わかりにくい表現があるからこそ、他の聖書からは得られない真理もまた記されているのです。
 黙示録という名称からして、「沈黙して、示されたものを記録したもの」といった意味を感じます。しかし、黙示録のもとの題(ギリシャ語)は、apokalupsis
といって、これは、「被い、ベールを取り去る」という意味です。
apo 〜から、kalupto 被う、かぶせるの意で、apokalupto とは、ベールを取り去るという意で、その名詞形がここで使われている語。)

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。(マタイ十一・25

 この例では、「黙示録」と訳された原語の動詞の形が、用いられています。真理を幼子のような者に示したという意味です。これは、ほかの人にはベールがかかって見えないが、幼子のような者にはそのベールを取り去って見えるようにしたと言う意味になります。
 このように、黙示録などというと、暗闇とか沈黙とかが混じりあってなにか神秘的な暗いイメージを連想しがちですが、じつは神が人々にかかっているベール(被い)を取り去って、他の人には見えない真理を示した(啓示した)
という書物なのです。
 この黙示録の最初に、小アジア(現在のトルコに含まれる)の七つのキリストの集会に宛てた手紙が記されています。この地方は、初期のキリスト教の中心となった地方なのです。
 それらのうちの最後が今回引用した箇所で、ラオディキアという町のキリスト者たちに宛てたものです。
 この手紙では、まずこの手紙を書き送るように命じた主イエスがご自分がどんな存在であるかを知らせるという形をとっています。
 まず、「アーメンである方」と言われています。アーメンという言葉は、ヘブル語で新約聖書では百二十八回も用いられていますが、日本語訳の聖書を読んでいると、どこにそんなにアーメンという言葉があるのかと不思議に思われるはずです。
 このアーメンという言葉は、例えばつぎのように、「はっきり」という訳語で用いられているのです。

・イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり(アーメン)言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。(マタイ八・10
・はっきり(アーメン)言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイ十・42
 以上のように、アーメンという語は、主イエスがとくに重要なこと、真理にかかわることを話すときに、用いられています。
 この言葉は、数千年も昔から使われていた言葉で、このヘブル語のもとになっている言葉は、アーマン(aman)という語であって、これは「堅固にする」という意味を持っています。それでこのアーメンという語も変わることのない、堅固な、真実なという意味になります。
 この世で最も堅固なもの、変わることのない存在は神ご自身です。だから、旧約聖書でも、「アーメンの神によって祝福され」という言葉がでてきます。(イザヤ書六十五・16 これは、日本語訳では、「真実の神によって祝福され・・」となっています。)
 このように、主イエスに対して「アーメンである方、誠実、真実な証人・・」と言われているということは、いかにこの黙示録を書いた長老ヨハネが主イエスの真実さ、変わることなき、誠実さを深く感じたかを指し示すものです。
 つぎにイエスのことを、「神に創造された万物の源である方」というように言っています。主イエスがいかなるお方であるのか、それは古代から大きな問題でありましたが、現在でもその重要性は変わりません。
 黙示録の著者は、第一章で、神のことを「私はアルファであり、オメガである。」
(黙示録一・8)と言っています。そして最後のほうの二十二章では、主イエスが「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」(黙示録二十二・13)と言っています。
 このことからも、著者ヨハネは、神とイエス・キリストとを同じ本質をもったお方であり、キリストもじつは神ご自身の現れなのだと言おうとしているのがうかがえます。
 ここでラオデキアの教会(聖書では教会とは建物の意味でなく、キリスト者の集まりを意味する)に特に言われているのは、「なまぬるさ」ということです。
 
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」(1516節)
 なまぬるさというのは、飲物でも嫌われる、同様に神もキリスト者のなまぬるさを嫌われるというのです。黙示録が書かれた当時の迫害の時代にあってはとりわけ、信仰をはっきりとさせ、熱心であろうとするときには、きびしい迫害を受けることを覚悟していなければならなかったのです。それゆえ、「熱くある」ということは、相当な覚悟を要することでした。
 そうした当時の状況においてどうしてキリストを知った者であるのに、神への熱い心を持てないのか、その原因をキリストはつぎのように述べています。

あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。(17節)
 私たちが自分に満足して自分が持っている能力や、財産、生活で満足しているとき、そこには、キリスト者であっても熱心が生まれないというのです。神への熱心、真実への愛とは、自分自身が惨めなもの、哀れな者、貧しい者、目の見えない者であることを深く知ったところから始まるというのです。
 これは多くの人たちの常識とは逆です。たいていの人は、自分の弱さを見ないで、自分の力や能力、あるいは努力を信じるということ、すなわち自信を持つということで力を得ようとしています。
 しかし、そのような自分の弱さに顔をそむけて自分のうわべの強さだけを見ようとする姿勢からは決して本当の永続的な力は与えられないのです。
 学校とか一般の生活のなかでよく自信を持てと言われます。しかし、自信とは文字どおり自分を信じることです。それなら自分の何を信じるのかということになります。自分の能力か、判断力か、自分の経歴か、自分の経験、自分の財産、自分の健康か・・、自信を持つとはこのようなものを信じることです。
 しかし、病気でたえず苦しんでいる人、寝たきりでいつ死ぬかもわからない人はどうして自分の能力とか健康、財産に自信を持つことできるでしょうか。
 あるいは、死とか老後に対して、あるいは突然の事故や、ガンの宣告などに対して揺るがぬ自信を持っているなどと確言できる人はいったいいるでしょうか。
 死を迎える苦しみのとき、いったいいかにして人は、自分を信じることができるのか、そのような時に自分を信じるとは何を信じるのでしょうか。神とかを認めず、信じることもしない人にとって、死とは無になることであり、無になる自分を信じるとは意味のないことと言わねばなりません。
 このように、自信(自分を信じる)ということはよく考えてみると到底持てないはずのものです。学校で先生から自信を持て、とよく言われますが、その先生自身もじつは弱い人間にすぎないのであって、いつも不安とかおそれを持っている存在にすぎません。 
 「自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者であることがわかっていない」これは、現在の私たちにもそのままあてはまることです。このことを深く知ることからキリスト教は始まるといってもよいほどです。
 自分が正しいことも、真実なことも、愛にかなったこともまるでできないことを思い知らされたとき、自分のなかにはなんら頼るべきものはないと知ったその心こそ、新約聖書の最初に置かれているマタイ福音書の最も有名な山上の垂訓の冒頭にある言葉にほかなりません。
 「ああ、幸いだ、心の貧しい者は!なぜなら、天の国はその人のものだからである。」 このように、新約聖書の最初から、最後の黙示録にいたるまで、一貫して聖書はこのように自分自身の弱さや貧しさを深く知ることを特に重要なこととしています。失われた一匹の羊のためにキリストは来られたという言葉があります。それは、正しい道がわからなくて迷い込んだ人という意味だけでなく、自分の弱さを深く知らされた者のためにキリストは来られたということでもあります。

そこで、あなたに勧める。豊かになるように、火で精錬された金をわたしから買いなさい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買いなさい。(18節)

 私たちにとっての真の豊かさとは、物質的豊かさでなく、精神の世界にあります。それは現在の日本は歴史上で最も物質的に豊かとなりましたが、精神的に決して豊かになったとは言えず、むしろその逆であることは数々の驚くべき事件とか現代の風潮などで感じられることです。
 正しいことに対して敏感であり、清い心や真実な心を重んじる風潮は退化していると思えるほどです。
 それは、子供たちから青年、大人一般が読む週刊誌やマンガ、雑誌などを一つとってもはっきりとわかります。それらに見られる内容が破壊や殺人、闘争など、さらに性に関わる刺激的なものがはんらんしていて、そうしたものを読むことは、そのような世界が読む人の心にいつもあることを思わせるものです。
 こうした状態は黙示録に言われている状況とよく似ています。私たちにとって精神的に真に豊かになるために、どうしたらよいのかそれが「火で精錬された金」を買うことだといいます。精錬とは金属から不純物を取り除くことであり、金はどのような薬品にも、自然の風化にも侵されないでその品質を保つ物です。だからその意味は、いかなる不純物も混じっていない、永遠に変わらないものというような意味になります。
 聖書において、それは神の国の賜物であり、聖霊によって与えられるものであり、またイエス・キリストご自身でもあります。
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ一・16
 と言われている通りです。
 また、「裸の恥をさらさないように白い衣を買う」とは、罪に汚れたままの姿でなく、それを清めてもらいなさいということです。裸のままとは、人間の自然の本性のままということで、それは自分中心であり、利己的な醜いものです。それを清めて頂くことをこのように白い衣を着るという表現で言い表しています。他の箇所でも、
彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。(黙示録七・14)と記されています。
 私たちにとって白い衣とは、キリストが十字架で死んで下さったことを信じることによって受けられるものなのです。
 つぎにヨハネは「見えるようになるために、目薬を買いなさい」と言っています。この手紙が書かれた小アジアのラオデキア地方は、実際に目薬で知られていたといいます。そのようにだれもがイメージを浮かべやすい言葉を用いて語りかけているのです。
 見えるようになる、これこそ、すべての人がじつは願っていることです。私たちは、人間の本当の生きる目的が見えない、自分の将来がどうあるべきかが見えない、人の心が見えない、自分自身が何であるかも見えない、自分の罪深い本質も見えない、私たちの周囲を取りまく自然のなかに込められた意味が見えない、死んだらどうなるのかその先が見えない、神の国や神の力も見えない等など、私たちの悩みや苦しみの原因はよく考えてみると、すべてこのように「見えない」というところに原因があります。
 そこでヨハネはこのように見えるようになるために、「目薬」を買えと勧めるのです。私たちにとっての目薬とは何かが問題になります。
 キリストは見ることについて次のように言われました。
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(ヨハネ福音書三・3
 新たに生まれるためには、心を人間から方向転換して神に、キリストに向けることであり、そこから神の霊(聖霊)を受けていくことです。聖霊こそは、神ご自身の現れであり、神の万能のまなざしの一部を私たちも頂くことができるからです。

戸口にて戸をたたく
 私は戸口に立ってたたいている。だれでも私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者とともに食事をし、彼もまた、私とともに食事をする。(20節)
 これは、神への真実な姿勢がゆるみ、信仰がなまぬるくなっている人々に対しての呼び掛けです。すでに信仰を持っていながら燃えるような何かを感じなくなってしまうということは、よくあることです。それに対してキリストはつねに戸をたたいていると言われます。
 かつて主イエスは「求めよ、そうすれば与えられる。門をたたけ、そうすれば開かれる」という有名な約束を語りました。しかし、私たちが門をたたくその前から、キリストはいつも私たちの心の戸をたたいていると言われています。ここに神の私たちに対する愛があります。
 目に見えないキリストあるいは神が私たちの心の戸をたたいているなど、どうしてわかるのかという人がいると思います。そのたたく音を聴こうとすることが「祈り」です。私たちは今も生きて働くキリストが私たちの心の扉のすぐそばにいて下さって、その戸をたたいて下さっているのを知らないとき、私たちが他人の関心を引こうとして、いわば他人の心をたたき続けます。自分に関心を持ってほしい、自分を好いて欲しい、自分の友達、あるいは後押しする者になってほしいなどなどです。人間社会のさまざまの醜い出来事は政治の世界も含めてたいていこうした他人の心を自分に引き寄せようという考えと結びついています。
 しかし、もし私たちが心の扉を開くなら、キリストは私たちの心の内に入って下さってともに住んで下さる。そしてともに食事をするとまで言われています。ともに食事することはつよい結びつきの象徴として言われています。食事を共にすることはよく聖書に出てきます。主イエスが十字架につけられて処刑される前夜に最後の夕食をしたことは、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の絵画によって広く知られていますが、そのほかにも復活したイエスも弟子たちとともに食事したことがルカ福音書(二四章に二カ所)にもヨハネ福音書(二十一章)にも記されています。
 主イエスとともに食事をする、すなわちそれは単に現在の私たちが目には見えないけれども、生きているキリストと深い交流を与えられるということにとどまるのでなく、世の終わりに与えられる神の国において、豊かな神との交わりを与えられるという終末的な希望と約束をも指し示しているのです。

勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。(二十一節)
 さらにキリストは、戸を開いてキリストを受け入れる者をキリストがついている王座にともに座らせるとまで約束しています。これは驚くべき約束です。キリストとともに目に見えない食事をすることを許された者は、最も高いところに引き上げられて祝福の世界に招かれるということです。
 このことは、たんに将来の約束であるだけでなく、現在の私たちにもその一端を味わうことが許されているのです。

遣わされる者への言葉

 聖書には、神がとくに選んだ人を遣わすということが、重要な内容となっている。使徒という言葉自体が、アポストロス(apostlos
であって、それは、アポステロー(apostello)「遣わす」という語から作られた言葉なのである。

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。・・
あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。・・
 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。・・
 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人(イエスのこと)がベルゼブル(悪魔)と言われるのなら、その家族の者(主イエスを信じる者)はもっとひどく言われることだろう。」
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
 体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
 だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。
 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。
 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。(マタイ福音書十・1639より)
 
 現在の日本では、私たちはキリスト者となることを命にかかわるような危険なことだとは誰も思わない。また、周囲の人たちから見下され、敵視され、迫害されるとはほとんど考えない。せいぜい、世間とうまくやっていけないのではないか、出世できないとか、享楽できなくなるだろうとかいった程度だと思われる。
 しかし、聖書を見ると、主イエスが十二人の弟子たちをとくに呼び出して遣わすとき、私たちの現在の状況からすると、考えられないほど厳しい言葉が言われている。

 まず、主イエスから呼び出された者とは、言い換えると「遣わされた者」なのだとされている。
 神が人間をとくに呼び出すのははっきりとした目的がある。それは旧約聖書のはるか昔から示されている。アブラハム、モーセといった人々は、旧約聖書の最も重要な人物たちである。
 アブラハムについては、

 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。・・」
 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。・・アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。(創世記十二・14より)
 
 未知の所、途中でなにが生じるか分からない、そこへ行くまでにどんな困難や危険があるかもわからない。親しかった親族や知人たちから遠く離れて行くことには、当然いろいろの恐れがあっただろう。
 しかし、アブラハムはそうした恐れを越えて出発した。それは、踏みとどまろうとする力にまさって、神の遣わす力が強く、アブラハムのうちに力を注いで彼が住み慣れた場所を離れることができるようにしたのであった。
 主がアブラハムを遣わして、アブラハムがそれに従って行ったところから、神の民としての歴史が始まったのである。
 モーセについてみれば、彼はエジプトから遠い国まで逃げてきてそこで結婚して子供も生まれて平和な生活をしていた。
 そのときに、神はモーセに呼び掛け、そのときから彼の人生は根本から違ったものになっていった。それは、神がモーセを敵のただなかへ、エジプトへと遣わすという命令であった。

 イスラエルの人々の叫び声が、今わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。
 今、行きなさい。
 わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」(出エジプト記三・912より)
 
 モーセは自分の弱さを訴え、語るべき言葉を持っていないといって、神からの命令を拒もうとしたが、結局、神の言葉に従って、遣わされることになった。これは、神の民にとって、決定的に重要な出来事へとつながっていったし、それは、世界の歴史においても、きわめて重要なことへと発展していった。
 モーセが遣わされなければ、イスラエルの人々は、エジプトにおいて、滅ぼされてしまったであろうし、そうすれば、後の時代に現れたダビデ王や、多くの預言者もなく、キリストも現れることなく、キリスト教の精神も世界に示されることもなかったということになる。
 このような、「遣わす」ということの重要性が、初めにあげた主イエスの十二人の弟子たちにも見られる。そしてモーセが遣わされたときに伴っていたのは、命に関わるような危険であった。モーセが命がけでイスラエルの人々を救いだしたあとも、人々は、砂漠の旅の困難を極める生活に苦しみ、モーセに向かって反抗し、殺そうとまでしたのであった。
 このような遣わされることに伴う困難と危険は、この十二人の弟子たちの派遣においてもつよく示されている。
 
 主イエスによって遣わされるときには、私たちは安易な気持ちではついていけない。それは、鞭打たれ、死においやられることすらあると予告されている。それは、狼の群れのなかに、羊を送り込むようなものだと言われている。狼は牙をむいて待ちかまえている。しかし、遣わされるものは、その牙に立ち向かうための武力とか権力、多数の人間などいっさいを持っていない。にもかかわらず、主イエスはそうした危険のなかへと遣わすといわれる。
 それは、その危険に耐えられる力を与えるからであった。アブラハムやモーセにおいても、未知の砂漠を越えていくための力、勇気が与えられ、モーセには、語るべき言葉を与えると約束され、さらに神の力を発揮する杖をも同時に与えられて出発することになった。
 十二弟子たちも、病人をいやし、死人を生き返らせるほどの力、ライ病すら清める力を与えられた上で、遣わされたのであった。
 また、捕らえられて、尋問されるときでも神の霊が与えられて、語るべきことが与えられると約束されていた。
 イエスを信じるというただそれだけのために、「すべての人に憎まれる」とまで言われている。これは、文字どおりの意味ではないことはわかる。パウロにしても多くの迫害を受けた一方では、必ず少数ながら受け入れる人も現れ、そうした人々によって支えられて前進していったからである。
 しかし、これはすべての社会の人々、地位が高い人、無学な人、親族、家族、権力者、庶民などなどあらゆる階層や状況にある人々から憎まれるというと預言しているのだと思われる。事実、主イエスもそのように、当時の支配階級や庶民たちからも憎まれた。それは裁判のときに、あらゆる階層の人々が集まっていた群衆たちから、処刑せよ、処刑せよとの叫びがあがったという事実からもわかる。また、家族からすら受け入れられず、取り押さえられそうになったこともあった。
 主イエスすら、悪魔の頭だというような激しい憎しみを受けた。(25節)それなら、主イエスに従う者たちも、そうした憎しみを受ける覚悟を持っている必要があるのだと言われている。また、イエスと同様に家族からも敵対され、家庭的な平和をも失ってしまうことも預言されている。
 このような、厳しい状況を知らされたらだれが、従っていけるだろうか。
 しかし、長いキリスト教の歴史において、こうした厳しいことが現実に世界中で生じていったのにそれでもなお、遣わされていく人たちは絶えることがなかった。
 それは、26節以降にある、主イエスの励ましの言葉と力をゆたかにその魂に受け取っていたからであった。
 
人々をおそれてはならない。(26節)
体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れるな。(28節)
雀一羽さえ、父なる神の許しがなかったら、地に落ちることはない。あなた方の髪の毛すらも一本残らず数えられている。だから恐れるな。(3031節)

 神から遣わされた者であっても、人間であるから恐れは生じる。
「恐れるな」という言葉は、つねに神をすでに信じている人に向かって言われている。神を信じないなら、恐れは決してなくなることはない。愛の神が存在しないなら、そしてそのかわりに冷たい偶然と人間の悪意のようなものだけがあるのなら、恐れるのは当然である。
 ここで、主イエスが「恐れてはならない」と繰り返し語りかけているのは、単に○○してはならないという戒めではない。雀一羽ですら神は見守っているし、数十万本もある髪の毛の一つ一つをも知っておられるほどに、地上世界のものをすべて見つめているのであって、そのことを本当に私たちが知っているなら、人間への恐れは自ずからなくなっていくと言われているのである。
 「恐れは、なにか正しくないことのしるしである。その正しくないものを探し出して徹底的に克服しなさい。そうすれば、おそれは苦しいものではなく、むしろ正しい生活への道しるべとなる。」(ヒルティ・眠れぬ夜のために上・一月二五日)
 ここで、ヒルティが指摘している「正しくないもの」とは、一言で言えば、神への不信である。自分の欲望とか、人間に頼る気持ち自体が正しくないものであって、それが神への信頼よりも強いときに私たちは恐れを感じるようになる。
 キリストが私たちを招いて信じる者として下さったのは、単に私たち個人の平安のためでなく、主からの平安を受けて、それを他者にも伝えるために遣わされた者となるためであった。そして、どんな人でもその人でなければできない主の証しのために、それぞれの場へと遣わされているのである。
 家庭であれ、職場であれどんなところであっても、私たちは主を信じるときには、同時にその場へと遣わされた者となる。たとえ病気で入院していても、その病院のなかに遣わされた者となる。
 キリストのように、生きているときだけでなく、十字架にかかって殺される時においてもなお、神の力を証言するために遣わされた存在であったし、さらに、復活をして、死を越える力があることを人類に示すために遣わされたお方であった。
 キリスト教の最初の歴史から、人々はつぎつぎと遣わされていった。ピリポという人はユダヤの国に隣接したサマリアへ、そしてエチオピアから来た未知の人へ、さらに、名をあげられていない数知れぬ人たちは、それぞれに遣わされて行った。迫害をされ、エルサレムから追放されたのであったが、その行く先々が遣わされた場として彼らは、キリストの福音を宣べ伝えていった。
 人間の心臓が全身につぎつぎととどまるところなくその人が死ぬまで血液を送り続けているように、キリストはこの世のいわば心臓のように、世のおわりまで、呼びだした人をつぎつぎと必要なところへと遣わし続けているのである。
 ちょうど、空から降った雨が、山々や大地に注がれ、それは見えなくなって消えたかと思われるけれども、地中深く浸透して、草木をうるおし、また川となって海に注がれていく。同様に、遣わされた者は、その働きがどんなに小さくとも、み言葉を持っている限り、そのみ言葉はどこかの他者の魂のなかに注がれ、うるおし、見えない流れとなってこの世を流れていくのである。

休憩室・ウメ、自然と人工、星

ウメ
 冬にはウメとスイセンがとりわけ印象的です。いずれも北風の吹くただ中にあって、美しい花を咲かせ、しかもいずれも心をひく香りをあたりに漂わせています。
 ウメについては、わが家には白梅と紅梅があり、今年はことに多くの美しい花を咲かせています。
 かつて旧約聖書の預言者エレミアはウメとほとんどよく似た冬に咲く花(アーモンドの花)を見るように神に導かれ、そこに神の言葉を聞き取ったことが思い出されます。他の植物はほとんど枯れたようになっているのに、一人目覚めて白い花を咲かせているあり様こそ、神の言を託されたエレミアの前途を暗示するものであったのです。
 現代の私たちにもウメの清楚な姿はそれを通して何かを語りかけているようです。

自然と人工
 太陽はどんな仕組みであんなに膨大なエネルギーを放出しているのか、だれでも一度や二度は疑問に思ったことがあると思います。いくら大規模な山火事になっても、大火があっても少し離れたら熱くもなんともないのに、恐ろしく遠い太陽にあたると暖かく、日陰では寒く感じます。 それは想像もつかない仕組みであのような大量のエネルギーを出しているのだろうと思われるはずです。
 それは、核融合といって水素の原子核が核融合をしてヘリウムになるときに莫大な熱エネルギーを放出するのです。
 これは地上でもこの核融合を起こすことができるようになりました。それは、一九五四年にアメリカで完成された水素爆弾です。これは広島での原爆の一千倍もの破壊力を持っているものまで作られました。
 広島原爆でも一瞬にして八万名が即死し、その後五年間の死者を併せると、その原爆のために二十万人もが犠牲となるほどに想像を絶する被害を与えるものでした。水爆はその広島原爆の一千倍の威力をも持つというのですから、これほど恐ろしい大量殺人兵器はありません。
 原子力科学という最も時代の先端をいく科学技術の生みだしたものが、このようなおそるべき兵器であること、それは人間が物を作るという営みがいかに根本的な欠陥を伴うかを思い知らされます。
 しかし、このようなおそるべき破壊力をもった核融合という現象によって、じつは人類、否すべての地球上の生物は生きているのです。それが太陽です。人間が作ると途方もない殺戮兵器となるのに、神はそれをはるか彼方に創造して地球での生活に不可欠なものとされているのです。
 また、地球がどうしていつまでも熱いのか、時折噴火する火山などで私たちは不思議に思います。このことについていろいろと昔か考えられてきましたが、これもようやく百年ほどまえになって判明してきたのです。
 この熱源の重要な一つに、地球内部の岩石のうちに含まれるウランやカリウム、トリウムなどの放射性元素が放射線を出しながら別の元素に変わっていくときに放出する熱があります。
 例えば、カコウ岩なら、数千万年で自身を完全に溶かすのに十分な熱量を生じるということです。
 このような一部の元素が壊れるときに放射線を出すという現象は、地上でも現在では原子力発電所の内部で放射性廃棄物として大量に生じています。これは何よりも取扱いの難しいものとなって、原子力発電の最大の難問の一つでもあります。例えば、プルトニウムはその放射能が半分になるまでに二万四千百年もかかるのであり、これは人間の生活する時間から言えば、事実上永久的と言ってよいほどに放射線を出し続けるのです。
 自然界ではこのように太陽にしても地球にしても、莫大なエネルギーや危険な放射線を出す現象が驚くべきことですが、たくみに地球上のあらゆる生物を活かすことにつながり、そのエネルギー源ともなっているのです。

冬は星が一年中で最も美しく、かつ清く見える時です。冬には戸外で花火とか飲み食いで遊ぶ人も少なく、静かな戸外で凍るような冬の夜空を見ると、自然のなかでは最も私たちを高みに引き上げてくれるものです。
 この星の世界の深みについて哲学者カントの有名な言葉が思い出されます。それは、彼の三つの代表的な著作の一つ「実践理性批判」の結論に書かれている言葉です。
「くりかえし、じっと反省すればするほど常に新たにそして高まりくる感嘆と崇敬の念をもって心を満たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空と、わが内なる道徳律である。」
 星の輝く大空を見つめるとき、そこに無限に広がる宇宙を創造した見えざるお方へのおそれを呼び覚まされます。
 そして私たちの精神の奥深くに、真実なもの、正しいものを直感的に感じとり、そうした真なるものへ近づきたいという深い要求があり、「なすべき」世界があることを感じるものです。この二つによって、私たちの外なる世界と内なる世界の双方に無限なる世界があることを知らされ、神の御手をそこに感じさせるものがあります。

キリスト者の俳句から

祈ること怒涛のごとし去年今年
一冊の聖書がいのち冬ごもり・これはハンセン病に苦しみつつも俳句にその信仰の心を歌った、玉木愛子のものです。ここには、手足の自由もなくなり、目も見えなくなってしまった彼女は残された仕事として祈ることを心をこめて続けていたのがこの俳句でうかがわれます。 祈りに力をこめ、怒涛のごとくというほどに祈りが波のように押し寄せてきたのを感じているのです。

一行の詩はわが祈り寒の星 
・植木道子さんの俳句で、「ベテスダ奉仕女母の家」にて奉仕女性として社会福祉の働きをされている人だということです。一行の詩とは俳句のことですが、その短い俳句に祈りをこめ、冬空にきらめく星がその祈りの心に近いものとなって感じられる様子が歌われています。

2000/2


千年を迎えて     2000/1

 長いあいだ慣れ親しんだ千九百○○年という呼称が終わった。
 過ぎ去った二十世紀は、現代の若者には、特に強く迫ってくるものではないかも知れない。
 しかし、今や音をたてなくなった、過去の歴史のページを注意深くめくっていく者は、それが驚くべき時代であったことを知らされる。二十世紀は、実に多くの人たちが大規模な戦争で傷つき、命を落とし、苦しみと悩みのうちに過ぎて行った世紀であったのである。
 科学技術の発展とともにひとたび戦争となれば、陸からも海からも、そして空からも、おびただしい火薬が投入され、それは国土を破壊し、人の命も体も吹き飛ばし、そして深い苦しみや悲しみを蒔いていった。
 年末にNHKにおいて、連続放映された「映像の二十世紀」(再放送)は、そうしたあり様を従来は見ることのできなかった、当時のままの映像を用いて鮮やかに写し出していた。あのような映像に撮ることができたのは、ごく一部にすぎない。現実は、私たちの想像もできないような過酷なものであっただろう。
 傷ついたまま、重く痛む足をひきずりつつ、どこまでも続く荒野を未知の土地へと戦火を避けて逃れていく人々、また途中の冷たい荒野にて倒れ、そのまま放置され苦しみながら、家族とも引き離され、息を引き取っていった人たちも多かっただろう。
 そのような苦しみがどうしてこんなにもひどいのか、いつになっても絶えることがないのか、それは私たちにはわからない。 
 私たちは、現実の世界のそうした痛ましい部分ばかりを見ていたら、その重さに自分の心も暗くなってしまうだろう。そして希望などは消え去っていく。この世のどこに究極の光があるだろうか。この世を見つめれば見つめるほど、そこには深い闇と、混乱があるばかりなのだから。
 しかし、神は人類に、主イエスを送って、そのような闇のなかにも、光が見えるようにして下さった。
 紀元二千年という新しい時の始まりは、それだけ考えるなら、単なる時間の区切りにすぎないと言えるだろう。しかし、それはキリストが過去二千年もの間、闇にその光を輝かし続けてきたという長い歴史をも意味するのである。どんなに闇が濃く、悲しみが深くとも、そしていかに悪が恐ろしい力をもって迫ってきても、なお、その闇のただなかでキリストを信じ、そこから光を与えられてきた人たちが無数に存在してきた。キリストの光は過去のどのような闇の力にも決して消えることがなかったのである。

「暗闇のなかに光は輝いている。そして光は闇に打ち勝たなかった。」(ヨハネ福音書一・5より)


心の傷 どんな人でも、人に言えないような深い心の傷、あるいは悩みをその生涯のいつかにおいて持つと言えよう。それはすでに子供のときから、心に刻み込まれることもある。その傷や悩み、またある種の闇のようなものを持ち続けて、人は生きている。
 私は今までにも、何人かの人たちから、今までの生涯を振り返ってどうしても赦せないという気持ちから離れられないと打ち明けられたことがある。忘れたとか赦したと思っても、何かのときにかつて受けた心の傷がまだ癒されていないのを感じる、それはまだ赦すことができていないのだと知らされると言われた。
 しかし、そうした私たちの心の傷や、どうすることもできない弱さを抱えている心のなかにこそ、主の憐れみがしみとおるような気がする。

 まことに、彼はわれわれの病を負い、
 われわれの悲しみをになった。
      (旧約聖書・イザヤ書五十三・4より) 


善き力に守られて

ボンヘッファーは、ドイツでヒトラーの悪魔的支配に従わず、キリスト者としての真実のゆえに、一九四三年四月、ドイツの秘密警察によって捕らえられた。そしてヒトラーの自殺とそれに続くドイツ降伏の少し前に二年間の監獄や強制収容所での生活ののち、絞首刑によって命を断たれたのであった。
 それは米英国などの連合軍による解放の数日前であった。
 彼が監獄のなかでどんな気持ちを抱いていたのかを知る一つはつぎの詩である。これは、ドイツ秘密警察の監獄の中で作られたが、そのときは、ベルリンは激しい空襲を受けていたという。その空襲で自分たちのいる監獄も焼かれて死ぬかも知れないし、ドイツ警察によって殺されるかも知れない、いずれにしてもどこを見ても闇と混乱と破壊が押し寄せている状況であった。

新しい一九四五年

よき力に真実に、そして静かに取り囲まれ、
不思議にも守られ慰められて、私は毎日毎日をあなた方と共に生き、
そしてあなた方と共に新しい年へと歩んで行く

過ぎ去った年は私たちの心をなおも悩まし、
いまの悪しき日々の重荷はさらに私たちにのしかかるだろう。
ああ、主よ。
この恐れ惑う魂に、あなたの備えて下さった救いを与えて下さい。

あなたが苦き杯を、あの苦しみの苦き杯を、
なみなみとついで差し出されるなら、
私たちはそれを、ためらわずに感謝して、
あなたのいつくしみ深き愛の御手から受け取ろう。

あなたがこの闇の中に持って来て下さったともしびを、
今日こそ暖かく静かに燃やして下さい。
御心ならば、私たちを再びともに会わせて下さい。
私たちは知っている。
あなたの光が夜の闇をつらぬいて輝くことを。

静寂が今や深く私たちのまわりを包む時、
共に聴こうではないか。
ひそやかに私たちの回りに広がっていく、
世界の豊かな音の響きを。

善き力に不思議にも守られて
私たちは心安らかに来るべきものを待つ。
神は朝も夜も、また新しい日々も
必ず確かに私たちと共にいて下さる。

 この詩をもとにして作られた讃美が、新しい讃美歌21に収められている。この詩にふさわしい曲がつけられ、讃美するたびに当時の闇と恐れのただなかにあっても、なお神の善き力に守られているという信仰を保ち続け、そのゆえに希望を持ってその苦しい日々を戦っていた一人の魂が身近に迫ってくる。
 この讃美は去年の無教会のキリスト教全国集会の特別讃美の時間に紹介され、参加者全員で讃美したときの重々しい響きを忘れることができない。
 私たちの存在が巨大な悪の力によって押しつぶされそうになるときがある。そのような時、ボンヘッファーはその全存在をもって戦い、耐え、時としてはげしく動揺を経験させられるただなかにあって、神の光を見ることを得て、このような詩を作ることができたのであった。これは、あとの世代に残されたボンヘッファーの遺言のようなものだと感じる。
 悪の勢力が周囲全体を取りまき、怒涛のように弱き者を押しつぶしていくそのような時にあってもなお、彼は、「私たちのまわりに広がっていく、世界の豊かな音の響き」を聞き取っていたのがわかる。そして、押し寄せる闇の力にも増して、彼は不思議な神の力によって守られているという実感をも持っていたのである。
 
(参考)
善き力に我れかこまれ(讃美歌21 四六九番)

(一)善き力にわれかこまれ、
   守りなぐさめられて、
   世の悩み共にわかち、
   新しい日を望もう。

(二)過ぎた日々の悩み重く
   なお、のしかかるときも、
   さわぎ立つ心しずめ、
   みむねにしたがいゆく。

(三)たとい主から差し出される
   杯は苦くても、
   恐れず、感謝をこめて、
   愛する手から受けよう。

(四)輝かせよ、主のともし火、
   われらの闇の中に。
   望みを主の手にゆだね、
   来たるべき朝を待とう。
  
(五)善き力に守られつつ、
   来たるべき時を待とう
   夜も朝もいつも神は
   われらと共にいます。
(この讃美歌を覚えて歌いたい方はご連絡下さい)

目の中の丸太に気付くこと


「人を裁くな。あなた方も裁かれないためである。
 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。(マタイ福音書七・35

 初めてこの箇所を読む人は、なぜ主イエスはこのような途方もないようなたとえを言ったのだろうかといぶかしく思うのではないでしょうか。あまりにも、このたとえは極端ではないか、と多くの人々は感じるはずです。私自身も、以前は、何となくこのたとえは誇張しすぎているように思っていたものです。
 しかし、この「自分の目にある丸太」とは、自分の心がどんなに神の前に重い罪があるかを知ることだったのです。
 パウロが自分のことを死のからだであり、罪人の頭であるとまで言うほどに、自分の罪を深く感じていたこと、ペテロも主を三度も裏切るような者であったことを、じっさいに体験して初めて自分のうちに、大きな丸太のようなものがあるとわかってきたと言えます。そうしたことを知ることが「自分の目の中にある丸太に気付く」ということなのだとわかってきました。
 他人の目のなかのチリ(欠点や罪)を見つけるのは、信仰のあるなしに関わらず、また子供であれ、老人であれだれでも簡単にできます。
 例えば、小学校で、差別する先生がいたとすると、そのような教師にはたとえ小学低学年であっても敏感に見抜くことができます。これは、他人の目にあるチリに気付くことは、どんな人でも簡単にできるということを表しています。
 それは、他人の罪については人間は直感的に見抜く力がほとんどだれにもあるからです。
 しかし、自分のなかにとてつもない大きい丸太(罪)があるということは、自然のままの人間には決して考えることすらできないし、どんなに学校で勉強を重ねても自分の罪に気付くようにはならないばかりか、かえって自分が罪をおかしたら、それを他人のせいにするということが多いのです。それは神を信じて、神の無限の愛や清さ、真実を体験して初めてできることです。
 もし、自分のなかに大きい丸太を見ることができたなら、私たちは他の人の欠点や罪を見てもそれを見下したりすることはなくなるでありましょうし、逆にそのことを祈るようになると考えられます。
 マタイ福音書十八章にあるタラントのたとえは、この丸太のことを別の表現で表しているといえます。
 その内容をおおまかに言えば、主君に対して、数千億円ともなる膨大な借金のある人がいました。それはもちろん一生働いても返せない金額でしたが、自分も妻も持ち物もみんな売って返済しますといって赦してくれるよう懇願しました。
 その必死になって頼むすがたに主君は哀れに思って、その途方もない借金を帳消しにしてやりました。
 しかし、その赦してもらった人は、自分にわずかの借金をしていた人をきびしく取り立てて、牢に入れてしまったのです。しかし、そのことを主君は見ていました。自分の莫大な借金を払わないで、赦してもらったにもかかわらず、自分にその五十万分の一の借金のあった人を厳しくとがめ、赦さなかったので牢に入れられてしまったというたとえです。
「このたとえで言われている膨大な借金とは、一万タラントと言われており、当時のヘロデ王の全年収が九百タラントであり、ガリラヤからベレヤまでの税収が合計でも二百タラントであったことを考えると、この金額は一つの属州全体の管理者にとってすらもほとんど考えることのできない莫大な額であることが明白となる。人がそもそも考え得る最大の数と、近東の地域での最大の金額が用いられているのである。」と、ある外国の有名な注解は説明しています。
 このような途方もない金額を、借金することはもちろんふつうではありえないことですが、主イエスは私たちが神に対して持っている罪の深さ、大きさが計り知れないということを示すために、このようなたとえを用いたのです。
 それほどの大きい罪だからこそ、ここでは目のなかにある「丸太」とたとえているわけです。たしかに私たちがそんな考えられないほどの罪を持っているのに、他人の罪ばかり見てとがめだてするというのは実に矛盾したことになります。
 この罪を処理しなければ、他人の罪についてもどうすることもできないというのはごく自然な指摘だといえます。
 ここで言われているように、私たちの罪を処理することは自分では不可能であり、それゆえに、主イエスがその私たちの罪を担って下さり、十字架で死ぬことによって帳消しにして下さったのでした。そのことを信じて初めて、私たちは自分の目にある「丸太」を取り除くことができるわけです。
 この罪の赦しを与えられ、それがどんなに大きいかを知って初めて、他者の罪についても、単に見下して裁くのでなく、その人のために祈るように導かれます。その人が自分の罪に気付き、主イエスによる罪の赦しを受けるようにとの願いになるわけです。
 私たちが他の人間とかかわるとき、無関心か、裁くか、祈りをもってするかの二つだと言えます。
 以上のように、この主イエスのたとえは、単に、「他人の欠点を言うより自分の欠点を直せ」といった通俗的な教訓を述べているのではないのであって、キリスト教の根本である十字架による罪のあがない、罪の赦しを指し示しているのだとわかるのです。
嵐を静めるイエス イエスが嵐を静める(マタイ福音書八章より)
イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
そのとき、湖(海)に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すかっり凪(なぎ)になった。
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

 この短い内容は、一見とてもわかりやすいと感じられます。そしてイエスが風や海に命じたらそれらが静まったという記事は、多くの人にはまるで信じがたいことなので、少し読んだらもうあとは真剣に考えることなどやめてしまう人が多数であろうと思います。
 しかし、この箇所は昔から多くの人たちによって深い関心を持たれてきたのです。
 まずこれは、キリスト教の長い歴史を預言するものになりました。舟とはキリストを信じる人たちの群れであり、教会(集会)を指しています。
 そして舟に主イエスが乗り込み、弟子たちもあとに従うということを意味するのです。そして、主イエスが共にいるにもかかわらず、激しい嵐が襲ってくるということは、この福音書が書かれた当時の迫害が激しくなっている状況を暗示しているのです。

 イエスが舟に乗り込むと、弟子たちも従った。そのとき、湖(海)には、激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。

 ここで、湖と訳されている原語は他の箇所では「海」と訳されています。そして海とは、黙示録などで示されているように、この世とか、サタン的勢力が力をふるっている領域を暗示しています。(黙示録十三章一節〜)

 キリストが信じる者の集まりに共にいて、この世での歩みを始めたとき、そこに激しい敵対する力が現れたということを示しています。
 また、ここで「嵐」と訳された原語(ギリシャ語)は セイスモス(seismos)という言葉ですが、その言葉は新約聖書では十四回ほど用いられています。それらは、ここの箇所以外はすべて「地震」と訳されている言葉なのです。
 また、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、例えばつぎのように、動揺とか混乱という意味でこのセイスモスという語が使われています。

 見よ、北の国から大いなる動揺(混乱)が来る。(エレミヤ書十・22

 それは、この言葉のもとになっている セイオー(seio)という語が「揺り動かす」という意味を持っているからです。
 私(神)はもう一度、天と地とを揺り動かす。(ハガイ書二・6
 のように用いられています。
 マタイがここで、あえてこのような揺り動かすという意味の言葉からきている「地震」という語を「嵐」という意味に用いているのはどうしてでしょうか。
 湖(海)に生じた激しい嵐とは、この世における激動を暗示していると考えられるのです。キリスト教が広まっていった時代は、たしかにこの世の政府、ローマ帝国の権力との間で、さまざまの衝突が生じて迫害を受けたのです。それはまさに、海に生じた激動というべきものだったのです。
 これは、当時のキリスト者の状況を指し示しているとともに、以後のキリスト教会(キリスト者の集まり)のたどる運命をも預言するものとなりました。そしてたしかにそれ以来二千年のあいだ、たえずキリストを信じる者たちはこの世からしばしばひどい圧迫、迫害を受けてきたのです。
 日本でも同様で、キリスト教が伝わってからもたえず激しい迫害の嵐が吹き荒れたのです。キリスト教は一五四九年に初めて日本に伝わりましたが、四十年も経たないうちに、豊臣秀吉によって宣教師の追放令が出され、江戸幕府によって厳しい迫害が行われました。 キリストを信じる者は、すべて改宗を強制され、従わないときには、火山の火口に投げ込んだり、冬の凍る水に投げ込むとか、さかさ吊り、水漬け、蓑をかぶせて火を付けるなどという恐ろしい拷問が行われ、それでも改宗しないときには処刑という状態だったのです。
 そのような時代は、まさに「激しい嵐」であり、「激しく揺り動かされる」状態であったのです。そのようなキリスト教徒が後にたどることになった歴史の歩みをこの短い言葉は預言しているといえます。
 しかし、単に苦しみや激動の預言だけでは決してありません。ここには、主イエスがともに舟に乗り込んでいるとあります。主イエスはいかに激しくこの世が敵対してキリスト教の真理をおびやかそうとも、それでもなおキリストは教会(キリスト者たち)とともにいて下さっているのだということです。
 キリストがともにいて下さっても、無事平安が続くという保障はない、時代や国の状況によってじつに困難な事態におかれることがある、しかしその闇のようなただなかにも主イエスは共にいて下さっているのだということなのです。

 舟が波にのみこまれそうになった。イエスは眠っていた。
 
 ここでイエスは眠っていたということの意味を考えてみます。
(一)まず、私たちの困難なとき、神は眠っているのかと思われるほどに助けもなく、恐れに満ちている状態が続くことがあります。これは聖書のなかにも例えばつぎのようにしばしば出てきます。
・わたしの魂は恐れおののいている。主よ、いつまでなのか。(詩編六・4
・いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。(詩編十三・2
 このように、苦しみのときにもどんなに祈っても答や平安が与えられずに苦しみ続けるときには、神は眠っているのかという思いになるのです。

(二)激しい嵐に飲み込まれそうになる小舟におけるイエスの眠りは、神とともにある平安の象徴として表されています。
 小舟が激しい嵐にもてあそばれ、今にも波に呑み込まれそうになっている、そのときには、激しい風の音、波の音、そして弟子たちの叫びうろたえる声が響き、舟自身も大きく揺れ動いていたのですから、そのようなところで、眠っていることなど、本来ありえないはずのことです。
 平安など本来ありえないような所にも、キリストは静かにそこにおられる、ほかのどんなものも共にいることはできないような特別な困難な状況、死が近いと思われるような状況のただなかであっても、イエスは私たちとともにいることができる。それは奇跡のようなことです。その奇跡を私たちに告げているのだと言えるのです。
 このような状況のもとでも静かに眠っている主イエスのことを書き記したこの福音書の著者(マタイ)は、常識では想像できないイエスの眠りということのなかに、表面だけの意味とは違った意味をこめていたというのがうかがえます。
 いかに激しいこの世の動乱の状況のなかでも、主イエスはそこにおられる、平安をもってそこにおられる。弟子たちには気付かなかったけれども、恐れと不安のただなかですら、キリストは神の平安をもってともにいて下さるということをはっきりと示そうとしているのです。

 弟子たちは、そのような生きるか死ぬかという瀬戸際に置かれて、できることはただ一つそれは主に向かって叫ぶことでした。
 
 主よ、助けて下さい、死にそうだ!
 この単純な叫びを主に向かって言うことができるというところに、神を信じる者の幸いがあります。神を知らない人は、困難のとき苦しみのときに叫ぶ相手を持つことができずに助けを求めることができないのです。
 こうした必死の叫びには必ず主は答えて下さる。いかに沈黙しているように見えても私たちがあきらめない限り不思議な助けを与えられるか、主からの平安が与えられる。
 それをつぎの言葉は示しています。
主イエスは言われた、「なぜ、怖がるのか。信仰の小さい者たちよ。」そして、起きあがって風と海(湖)を叱ると、大いなる静けさになった。
 主イエスがひとたび命じるなら、荒れ狂っていた風も海も静まる、それはいかにイエスの言葉すなわち神の言葉が力を持っているかを示しています。神の言葉こそは、万物を創造していく力であったのです。イエスは神の言そのものであったゆえにこのような自然をも制する力を持っていたのがわかります。
 ここで与えられたのは、「大なる静けさ」です。そしてこれこそは、主イエスが最後の晩餐のときに弟子たちに与えると約束した「主の平安」だったのです。
 嵐の中にあっても、イエスがともにいて下さることは、奇跡のような恵みであり、そうした守りがあるにもかかわらず、弟子たち(キリストを信じる人たちも含めて)はその事実を信じることができずに、恐れおののいている、そうした弟子たちをたえず励まし、導きつつ主イエスは弟子たちとともに歩んで行かれるのだということなのです。

 以上のような内容をもったこの箇所は、二千年のキリスト教の歴史において無数の人たちによって深く体験され、受け継がれてきました。現代に生きる私たちにおいても、つねにここで象徴的に示されているような「波」や、「嵐、動揺」があります。事故や病気、家庭や職場など人間関係の複雑さ、また世界のいたるところにやはり動揺、混乱があります。
 そうした闇のなかに生きる人間に対して本当の助けと平安はどこにあるのか、それをこの箇所は指し示しているのです。


キリストの死のとき  (マルコ福音書十五・3340

 イエス・キリストは生きておられるときに、病人や目や耳、あるいは体の不自由な人たちに、神の力を注いで癒され、また新しい生活へと招かれました。そして神だけができると信じられていた罪の赦しをも与えることができる、人間以上のお方であることを示されました。  さらに主イエスは、息を引き取るときにもふつうの人たちとは異なって、驚くべき出来事があったと記されています。昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・・イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マルコ福音書十五章より) 全地が暗くなったとありますが、これは何を意味するのでしょうか。これは、旧約聖書のアモス書にある預言が成就したということなのです。その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする。(アモス書八・9) 世の終わりには、このように宇宙的な変化が生じると預言されていたのですが、実際に、その預言通りになったという意味が込められています。主イエスの死ということは、世の終わりが間近になっていることを指し示す出来事として当時の人たちに受けとめられているのです。 当時は、イエスという一人の若い人間が処刑されたなどということは、取るに足らない世界の片隅で生じた出来事だと周囲の人々には思われていたはずです。しかし、聖書では、それはきわめて重大な出来事、宇宙的な出来事であったという認識をすでに持っていました。 たしかに、イエスの死は、万人の罪をあがない、それを信じる人を新しく生まれ変わらせることになり、無数の人々を悔い改めに導き、国家を変え、歴史をも変えていく絶大な力となりました。キリスト教が全世界に広がっていく過程で、キリスト教とかキリスト教社会から生み出された文化を受け入れた地方では、そのときからめざましい変化が生じていったのです。日本においても同様でした。 キリスト教では、人間はみな唯一の神の前では平等であって、一人の罪人にすぎないという見方を持っています。その見方は身分差別を土台とする封建体制とは、根本的に異なっているのです。 キリスト教の大きい特徴は、その視野の大きさ、広さです。聖書に書いてあることが、数百年を経てようやく実現するということもあります。また、一部の人だけでなく、あらゆる民族にも伝わっていきつつあります。 この福音書を書いたマルコは、キリストの処刑後三十数年にこの福音書を書いたと考えられています。三十年後ですから、もちろんそれから二千年もの後のことがはっきりわかることは普通ではありえなかったわけです。しかし、聖霊はマルコに人間の予想などをはるかに越えた遠大な見通しを与えたと思われます。キリストの十字架上での死が宇宙的出来事であると知っていた著者は、当然この福音が世界に宣べ伝えられることを啓示として知らされていたと考えられるのです。  次に、イエスが息を引き取るときに、大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫んだとあります。それは「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」という意味です。 神と等しい本質を与えられ、数々の奇跡を行い、権力にも決して屈することなく、一貫して神の言を宣べ伝え、病人などをいやした驚くべき人イエスがこのような叫びをあげるとは、全く意外です。 死ぬときに、人からも捨てられ、自分の体においてもあまりの激しい苦しみのために「神様、どうして私を捨てたのですか!」と叫んで死んだという人のことを知らされたとすると、まず、それではそのような人は、最後には、神に見捨てられたのだ、どんなに信仰を持っていても、病気には勝てないのだなどと思う人が多いのではないでしょうか。 少なくともこんな叫びをあげて死んでいったらだれしも、その人は絶望して死んでいったと思うはずです。神に見捨てられたからこんな叫びをあげたのだと思うでしょう。 しかし、驚くべきことですが、このような絶望の叫びをあげた主イエスのすぐ側に神はおられ、死の後は、神のもとに連れ帰ったのです。だからこそ、聖霊というお方が死の後に弟子たちに注がれたのです。 私たちが神を信じて生きていても、前途にどんなに苦しいことがあるかもわかりません。しかし、いかに苦しく、また人から捨てられたようになり、実際周囲の人々はあざけり、悪口を言う、そんな状況でも、神の愛と真実を信じて神を見つめることを止めないかぎり、神が見捨てたのでは決してないということです。 これは私たちにとって大きい慰めです。私たちもいつ、重い病気やはげしい苦しみにさいなまれることがあるかわかりません。そしてそのような時には、かつてヨブが言ったように「どうして自分をこの世に生み出したのか」という叫びやうめきが生じてくることが多いはずです。しかし、そのような時、まさに神は最も近くにおられるということを、この主イエスの叫びは表しています。 次に、神殿の幕が真っ二つに裂けたということの意味についてです。 旧約聖書の時代には一年に一度だけ、大祭司が神殿の幕の奥にある至聖所に入って、牛とか山羊などの動物の血を注ぐことによって人々の罪のあがないをしていました。神殿の幕は、人々が神に近づけないことの象徴でもありました。主イエスの死はそのような神殿の幕を破ることによって、だれでも至聖所に入ることができる新しい時代になったことを象徴的に意味しているのです。 現在の私たちにとって至聖所に入れるとは、主イエスとの交わりが与えられることです。わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父(神)と御子イエス・キリストとの交わりです。(Tヨハネ一章・3) 神殿だけでなく、この世のいたるところに、そうした目に見えない幕のようなものがあって、私たちが真理に近づくのを妨げています。 この世の生涯を終えて死が訪れるときにも、そこにはいわば分厚い幕がかかっていてそこから奥の世界はどうなっているのか、まったくわからなかったので、旧約聖書の世界においても、死後は暗い影のような世界だと思われていたのです。 しかし、主イエスによってその分厚い幕は切っておとされ、新しい神の国の世界、復活の世界へと入っていくことができるようになりました。 これは、他の領域においてもいえることです。例えば、自然を見るときにも、その背後にある神の御手のわざから成る世界という至聖所へと入っていき、神の御意志の一端に触れることができるようになったからです。 キリスト教から、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなどの永遠に続く音楽家が輩出したのも、そうした人々が神とキリストとの霊的な交わりが与えられたゆえに、音楽の世界の至聖所へと入っていくことが許され、そこで聞き取った聖なる音楽を万人にわかるように広めたといえるのです。  つぎに、キリストの十字架の死は周囲の多くの人たちの前で、なされたため、さまざまの反応があったはずです。弟子たちや、主イエスに従っていた婦人たちなどはどのような驚きと、悲しみを抱いたことだろうかと思われます。しかし、そのようなことは何一つ記されていないのです。 そしてその代わりに、当時ユダヤ人を支配していたローマの一人の将軍の言葉のみが記されています。 「本当に、この人は、神の子であった」という短い言葉がそれです。 これは、人間の感情的な言葉を記すのでなく、以後のキリスト教にとっても、根本的に重要な信仰の内容がここに表されているからです。 神の子とは、神と等しい本質を持ったお方だという意味で使われています。職業も家庭も、この世の楽しみなど一切を捨てて主イエスに従った弟子のペテロですら、数々の奇跡やイエスの絶大な力を見ていながら、イエスを神の子と信じることは、弟子となってだいぶ時が経ってからであったのです。それは、主イエスが、エルサレムに行って捕らえられ、十字架にかけられるという最後のことを予告する直前でした。三年間もイエスに従っていても、イエスが殺されるときが近づいてようやく、ペテロはイエスが神の子であるとわかったのです。イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。(マタイ福音書十六・16) 主イエスがただの人間でなく、神と同じ本質を与えられている存在であるということは、決して、頭で考えたり、人から言われただけではわからない、それがわかるのは、神から直接に示される(啓示)必要があったことを右の箇所は示しています。 だれかが、重罪人として処刑されたら、そんな人にだれも見向きもしないようになるのが普通です。とくに世を指導していた人がそんなになれば、それを見ていた人は、力がないからあんなにむごい死に方をしたのだと思うようになるはずです。 しかし、意外なことに主イエスの死においてこれ以上無力な死に方はないと思われるほどであったのに、そして弟子たちはみんな逃げてしまったというのに、そのような悲劇のただなかに、「イエスこそは神の子だ!」と深く心に啓示を受けた人がはやくも生まれたということなのです。 これは驚くべきことです。神の子とは神と等しい実質を持つお方であると見なされていました。だから、ヨハネ福音書には、イエスが神の子であるといったとのことで、神を冒涜しているとして死刑にすべきだとさえ言われたのです。 それほどまで当時の人々にとって、神の子だということは特異な呼称でした。ユダヤ人はモーセやダビデ、エリヤなど最大の人物すら、神の子だとは言われていないのです。 しかもイエスの死に方を見て、神の子だったと告白したのは神のことをよく知っているはずのユダヤ人でなく、ローマ帝国の百人の兵を従えている将軍でした。 これは、のちに、ローマ帝国の人々がキリストを神の子として受け入れるという預言ともなっているのです。そして、事実、このマルコ福音書が書かれてから、二百五十年程ののち、ローマ帝国は正式にキリスト教を受け入れ、国教とするまでに変わっていったのです。 このように主イエスが、「わが神、わが神、どうして私をすてたのか!」との絶望的な叫びとみえる声をあげた時、死そのものがすでに神の子であることを宣べ伝える働きをしていたのです。それは、神がなさったことであり、苦しみあえいで、息絶えていった主イエスのすぐ側で神が見守り、祝福されたことを証しするものとなったのです。


休憩室 年賀状、木の実

年賀状 毎年新年には、多くの方から年賀状を頂きます。私のほうは毎年「はこ舟」誌を送っているので、年賀状を出す余裕がなく、何らかの理由がある場合以外は、出していません。 年賀状を形式だから止めよう、虚礼廃止ということもずっと以前からよく言われてきました。しかし、私が頂く年賀状のなかには、年賀状に自分の今までの歩みや、家族の歩みなどを書いてその反省と新しい年への願いを書いたもの、または、聖書の言葉を書いて、受け取る人が少しでも神の言に関心を持ってもらいたいとの願いを込めて出しておられる方もいます。 日本人の平均的な人では、一年間に手紙を書くのはわずかに数通だと聞いたことがあります。 このような状態のなかで、神の言を書いて日頃連絡もしない人に送るのは、そこに祈りが込められているなら、神が用いて下さる器となると思われます。 今年頂いた年賀状に記された聖書の言葉の中からいくつかをあげてみます。・私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。(ヨハネ福音書一・16)・主があなたに対して抱いている計画は、平安と将来と、希望を与えようとするものである。(エレミヤ書二十九・11)・私たちの国籍は天にある。(ピリピ書三・20)・主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えて下さる。(詩編三十七・23)・あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩編一一九・105)・主を待ち望め 雄々しかれ 汝の心を堅うせよ 必ずや主を待ち望め (詩編二七・14) これらの聖書の言葉は、短いけれども、永遠の真理です。数千年をも越えてきた味わいがあります。そのように長い間、人の心を流れてきた真理なので、もし新年にあたってこうした一つのみ言葉が私たちの魂に深くとどまるならば、その年賀状は軽い一枚の紙ではあっも、重い意味を持ったことになります。

冬になっても赤い実を残している植物があります。わが家の周辺で見られる野生植物のうちには、ヤブコウジ、カラタチバナ、マンリョウ、カラスウリ、ソヨゴ、サネカズラ、サルトリイバラ、シロダモなどがあり、栽培しているものには、ナンテン、ピラカンサ、オモト、フユサンゴといった植物たちです。 また、黒い実をつける植物たちには、ヒオウギ、ネズミモチ、ヤブラン、クスノキ、ヤブニッケイなどがあり、紫色の実には、ヤブムラサキ(ムラサキシキブのなかま)、そして白い実をつけるものでは、スズメウリ(カラスウリの仲間)や、街路樹や公園樹としてよく植えられているナンキンハゼなどが思い出されます。 これらのうち、市街地でも見られるものは、クスノキ、ナンキンハゼ、トウネズミモチ(公園などでは野生種のネズミモチはあまり見られない)、ムラサキシキブ、ピラカンサなどの実だと思われます。 このように、植物たちは、その木の姿や、葉、花などのの形、色、表面などみないろいろと違っていますが、実もまたさまざまの形になって直接的には、小鳥たちの冬季における貴重な食物となっていますが、私たち人間にとっても、生活に潤いを与え、花が終わったのちにまた、新たな美しさを私たちに見せてくれるものとなっています。このようにして、神が創造された自然の多様性の素晴らしさを年間を通して私たちに知らせてくれるものとなっています。

2000/1