聖なる単純    2002/12

闇夜の光なる星ー清さ
青一色の大空ー深さ
川の水の流れーいのち

 いずれも、単純そのものである。
 星は音も立てない、何千年も変わることなく全く同じような光で輝いている。なんの飾りもなく、ただ暗闇のなかで光を放ち続けているだけである。それでも不思議な力をもって、はるか昔から無数の人々の心を引きつけてきた。
 澄み切った青空、それはただ青い色が空一面に広がるだけである。それが私たちの心に人間世界とまったく異なる深みのある世界を指し示してくれる。
 水の流れ、それは透明でただ同じように水音をたてて流れているのみ。その単純な有様が心にいのちを与え、心にしみ通る音楽となって聞こえてくる。
 深いものは単純である。ただ光り続けているだけなのに、衣装、飾り付けなどのいかなる人間的な装飾にもまして清い美しさを放っている。
 神は単純さをうちに秘めている。
 それゆえ、私たちもそうした単純さをもって見つめるときに、最も神の本質に近づける。
 主イエスがつぎのように言われたことの意味の深さを感じさせられる。

「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。
よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。(ルカ福音書十八・16〜17)


st07_m2.gif火を投じるために

 キリストはどんな目的で地上に来られたのか、それは今月号で述べたように、罪からの救いであり、救われた者が神(キリスト)と共に生きることができるようになるためであった。
 このことと関連しているが、別の表現で言われたのがつぎの箇所である。

わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。(ルカ福音書十二・49〜51)

 火を投じるため、それは驚かされるような表現である。私たちはこのような表現によってあまりよいことを連想しないのではないだろうか。それゆえこの言葉の背後にある意味を考えようとしないことが多い。
 火、それは聖書ではしばしば裁きの象徴として用いられる。

・主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて…(創世記十九て・24)
・見よ、主は火と共に来られる。主の戦車はつむじ風のように来る。怒りと共に憤りを、火と炎をもって責められる。

 主イエスは救いをもたらすためであって、裁きなどまったくしないと思いこんででいる人が多い。しかし、主イエスはしばしば悪の霊に取り付かれた人から悪霊を追い出したがそれは救いであるとともに、悪に対する裁きでもあった。
 また、神殿は祈りの家であるべきなのに、商人たちが、売買の場としていることを指摘し、商人たちを追い出したり、机を倒したりされた。これは神の権威をもってされた一種の裁きである。
 主イエスは神の愛や真実とともに裁きの力をも与えられていた。その力をもって人間を裁くとき、誰一人その裁きに耐えることはできない。
 このような正義の力をもっておられるのであるが、それを人間に及ぼしてつぎつぎと滅ぼすのでなく、自分の身にそのさばきの火を受けて、自らが十字架の上での激しい苦しみに耐えられたのである。
 たしかに主は火を投じられたが、それは当時の一般のユダヤ人や、キリストの前に現れた洗礼のヨハネが予想したような、天からの火や人間の武力でもって悪人を滅ぼすことではなかった。十字架で自分が苦しみの極限まで味わうことによって、罪の根源を滅ぼしたのである。

 火が燃えていればと、どんなにか願っていることか!(四十九節) 

 この火ということではもう一つ別の意味が込められている。
それは聖霊の火ということである。聖書において初めて聖霊が弟子たちの上に豊かに注がれたのは、使徒たちが熱心に祈っていたときであった。

…一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、霊(聖霊)が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒行伝二・2〜4より)

 このように、聖霊が炎のようなものにたとえられている。それは聖霊の力を象徴しているい。ここではとくに舌と関係付けられて言われているが、その時以後、聖霊によって火のような力をもって、神の言葉が語られることの預言となっている。主が心から望んでいたのは、この聖霊の火が燃えていることであった。
 黙示録のなかには、「七つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である。」(黙示録四・5)とあるが、ここにも、霊(聖霊)が燃え続けるものであることが暗示されている。このように私たちの心や、信仰、あるいはキリストの集会において、その聖霊のともし火が燃え続けているようにというのがパウロの願いでもあった。それはつぎの言葉からうかがえる。

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけよ。
いつも喜べ。
絶えず祈れ。
どんなことにも感謝せよ。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることである。
霊の火を消すな。…
すべてを吟味して、良いものを大事にせよ。(Tテサロニケ五・15〜22)

 私たちもたえず気を付けていなければ、聖霊の火が燃え続けていかない。この世にはいろいろの他の火が燃えているからである。さまざまの犯罪が生じるのも、あの人が!というようなことが起きるのも、それは、いわば異なる火が燃え移って、それによってその人間の行動が別人のようになるからである。
 日本という国全体が、異なる火によって燃えさかるときもある。中国との戦争、太平洋戦争のときの日本はまさにそうであった。ただの人間(天皇)を現人神と偽って教え、戦争もその命令で開始し、天皇のためにアジアの国々の人々を殺し、それで王国を築き上げるなどと称していたのである。

 聖霊の火が燃えていたらと、どんなにか願っていることか!

 それはそのまま、現代の私たちの願いでもある。キリストは当時の人々から捨てられ、弟子たちにすら裏切られ、そのような残酷な刑罰と苦しみを受けることによって、聖霊の火を全世界の人々に点火されたのである。その時以来、人は心から求める者はだれでも与えられるようになった。
 キリストによって聖霊の火は燃え始め、それは受け継がれていって二千年がすぎた。私も学生時代の最後の年に、思いがけずそのような火を魂に受けた。
 この聖霊の火はどんなに消そうと思っても消すことができない。ローマ帝国や、日本の江戸時代の三百年ほどもの長い歳月、その全権力をもって滅ぼそうとした。しかしできなかった。今も、主イエスが望んでおられる通り、聖霊の火は世界に燃え続けている。私たちはたえずそこから新たな火を取って、燃やされ、エネルギーを与えられ、さらに別の人にも分かち与えることができるようにならせていただきたいと思う。


st07_m2.gifイエスが引き寄せた人々

 十字架上で処刑されたイエスの体をどうしたかなどということは、聖書的にはどうでもよいことだと思われるであろう。それは、心の問題や真理に関わることを主題とするはずの聖書にはそのような雑事のようなことは記さないと思われるかもしれない。
 しかし、聖書にはそのような遺体の処置に関する記述のなかにも、信仰にかかわる重要な意味が込められている。
 イエスの遺体を受け取って、新しい墓に埋葬したい、という特別な願いを持っていたのは、十二弟子でもなく、主イエスと行動を共にしたとも記されていない人であった。それはアリマタヤのヨセフという人物である。だれも顧みないような、重罪人として処刑された人間の遺体をわざわざ引き取って、自分の新しい墓に入れるということ、それは、よほどの主イエスへの愛と尊敬の気持ちがなければできない。
 そのために自分が周囲の人から批判され、地位が引き下ろされるかもしれない。けれども、主イエスはそうした危険をも顧みないほどに、このヨセフの心を自らに引き寄せたのである。イエスは、どんな状況であっても、さまざまの人間を引き寄せる。
 イエスは誕生のときからすでに、はるか東方の博士たちを引き寄せた。砂漠を越えて、数百キロをはるかに越える長い旅路を危険を冒しても主イエスに会いたいとの切実な願いを起こさせる存在であったのがわかる。
 また、イエスの一言、私についてきなさい!という一言で、ヤコブ、ペテロ、ヨハネたちは主イエスに引き寄せられ、従うようになった。そして、弟子のペテロに言われた、「あなたを人間をとる漁師にしよう」という主イエスの言葉は、イエスに向かって引き寄せる特別な力を、ペテロにも与えようという約束に他ならない。
 また、当然毎日の生活の衣食のことについても、だれかがイエスの世話をしたのである。
そのような身の回りの世話をするための女性たちもまたつぎのように、イエスのもとに集められていったことも記されている。

イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち…そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。(ルカ福音書八・2)

 ヨセフが自分の地位や将来において重大な損失となるかも知れないのに、あえて、主イエスの弟子であることを言って遺体を引き取るという、だれもしなかったことを申し出たのである。これは十二弟子たちすら考えもしなかったことである。
 主イエスはさまざまの人を徹底して愛し抜かれた。(十三・1)その現れをここにも見ることができる。 だからこそ、このヨセフはこのように遺体を引き取ることを申し出たのであった。主イエスの愛に動かされたのでなかったらこのような行動をとることはあり得なかった。
 私たちの言葉や行いは、主イエスを見つめてなされているか、あるいは人間の個人的な欲望や感情でなされているか、の二つに分かれる。イエスの愛を受けた者、実感した者は自ずからその主イエスを見つめて何事もするようになる。主イエスの愛を感じていない場合には、人間の欲望や、人間的感情や意思で行うようになる。その場合には愛といっても、自分を愛してくれる者だけへの感情であり、憎しみやねたみも当然つねに生じてくる。しかし、主イエスから受けた愛に動かされるほど、どのような状況やどのような人に対しても祈りの心をもって対するようになる。
 主イエスが死に至る最後まで人間を愛し抜かれたということの他の例は、ルカ福音書に記されている。それは十字架上の重罪人のことである。そのような最後の場面においてすら、一人の犯罪人は主イエスの愛が伝わってきて、その愛に感じて悔い改めたのであった。

 また、息を引き取るときに、ローマの将軍のような権力と武力のただなかで生きてきた人すら、つぎのように深く心を動かされ、イエスがふつうの人間でなく、神の本質をもった特別な人であることを示されたのであった。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(マルコ福音書十五・39)

 このように、主イエスは生きているときから、死の直前、そしてその死後もさまざまの人を引きつけていくのである。これは、つぎの主イエスご自身の言葉が実現していったのである。

わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネの福音書十二・32 )

 このようなキリストの大いなる力は、地上に来られる前から神とともに存在していた。それはこの福音書の冒頭に書いてある。

万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 (ヨハネ一・3)
 これは万物がキリストによって創造されたという宣言である。神とともに創造のわざをなされたというおどろくべき記述であって、一般の人が、キリストというと地上の人間のかたちをしていた時だけだと思っているのは、キリストのごく一部を知っているだけなのである。
 また、ヨハネ十二章には、マリアが三百デナリもする高価な香油をイエスの足に塗ったこと、ルカ七・38には、罪深い女が、やはり高価な香油をイエスに塗ったことが記されている。こうした行動は、主イエスが人間の最も奥深い心を引きつけていくこと、主イエスの神からの愛に引き寄せられた者は、そのために自分の最も重要なものを捧げようとする心になっていくことを示している。
 私自身も、二十一歳のときにキリストと聖書を知るまでは、キリストとはまったく無関係な人間であって、およそ宗教というものに心惹かれたとか、何らかの関心などは皆無に等しかった。それが、わずか古い小さな一冊の本の一頁によって、キリストに引きつけられるようになった。
 人間世界には数々の心を引きつけるものがある。子供であっても上に立つことに目を注ぐ。子供仲間の上に立とうとする傾向である。趣味や娯楽、飲食なども引きつける。さらに異性は場合によっては全存在を引きつけるため、間違った異性愛のために生涯を破滅させてしまうことすらある。
 女性であると、身を飾ることにたえず心が引かれて大金をはたいてしまうこともみられる。
 こうしたさまざまのことに人間は引き寄せられるがそれらはたいてい、一時的である。どんな娯楽、快楽も生涯を通して引きつけるというのはまずない。けれども人間の最も奥深い本性を引きつける存在というのはたいていの人が経験していないことである。だからこそ、たえず自分を引っ張るものを変えているのである。 しかし、ひとたびキリストが私たちの心の奥深いところに宿るとき、キリストは私たちを日々、どこまでも引き寄せてやまない。なぜか、それはほかのあらゆる心を引くものの最善、最も美しいもの、最も力強いもの、最も変化あるものなどをすべて持っているからである。
 イエスの遺体の処置というようなふつうは目にも留めないようなことについて、聖書はさらにもう一人の人物のとった行動を記している。それはニコデモという人物である。
 ニコデモは、イスラエルの信仰のいろいろの派のうちでは、パリサイ派に属し、ユダヤ人議会の議員であり、律法の教師であり、指導者であった。そうした地位の高い人でありながら、イエスにどうしても尋ねたいことがあって主イエスを訪ねた。しかし多くのパリサイ派のユダヤ人はイエスを憎んでいたので、夜にわざわざ訪問したのである。
 主イエスはニコデモに対して、こう言われた。

(聖霊によって)新たに生まれなければ、神の国を見ることができない。(ヨハネ福音書三・3)

 この言葉はニコデモには理解できないことであった。たしかに聖霊によって新しく生まれるというようなことは、旧約聖書の膨大な内容にもほとんど記されていないことである。しかし、それでもニコデモは、分からないからといってあきらめることはしなかった。その後もずっと自らの内に、キリストに引き寄せられるある力を感じ続けていた。そしてそれがだんだんふくらんできたのが、キリストの処刑された時であったのであろう。
 だれもが恐れて逃げてしまうようなただなかで、ヨセフという人が、ローマ総督に特に許可をもらって、イエスの遺体を十字架から降ろし、引き取ることを申し出た。その時、ニコデモも待ちかねたように、高価な香料などを多量に持っていった。その量はおよそ、三十三Kg にも達するのであった。(*)これは、大人一人で、かなりの距離を運ぶのはむつかしい重さである。遺体に塗る香料とかのたぐいはそのような多量を要しない。それにもかかわらず、ニコデモは多額の費用をそれに注いだのであった。
 主イエスに引き寄せられた魂は自ずからこうした行動にと導かれる。周囲の者からみると、理解できない無謀なこと、無駄なことと見えるだろう。しかし、主の愛に動かされ、主への捧げものとしてそうせずにはおれない心になったのである。キリストは、そのような心にさせる力を持っている。
 同様なことは、すでに触れた箇所にも記されている。これは主イエスが十字架にかけられて処刑されるときが近づいてきたときのことである。

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」(ヨハネ福音書十二・3〜5)(**)

 この場合にも、キリストの弟子であっても、このようなきわめて高価な香油を一度に主イエスのために注いでしまうのはあまりにも無駄であり、浪費だと思われたのである。しかし、主イエスに救われた者はそうせずにはいられなくなったのである。それが、まず神を愛するということなのであった。そのような神(主イエス)への愛に応えて、神ご自身が必要なことをして下さる。

(*)聖書の原文には、「百リトラ」の量と書かれている。一リトラは約三二六グラムなので、百リトラはおよそ三十三Kgとなる。
(**)当時は一日の給料が一デナリオンと主イエスのたとえにあるので、現在の日本では、おおまかに言って一日一万円とすると、この香油は、およそ三百日分の月給にあたり、日本では三百万円ほどにもなる。

 このように、主イエスの力は驚くべきものがあって、地上で福音を宣べ伝えておられたときにも、ハンセン病の人、貧しい人、重い病の人、さまざまの障害者といった多様な人々を引き寄せたけれども、死後もなおこうした地位の高い人、裕福な人をも引き寄せ、多額を捧げようとする心を起こさせたのである。
 宗教というと、その強固な組織で縛られ、組織のトップの言うままに洗脳されていき、人間の個性や自由も奪われ、金も奪われていくといった暗いイメージを持っている人が日本では多いようだ。
 けれども本当の神への信仰は、このように自発的であり、魂の奥から動かされて何かを捧げようとする心を起こさせるものである。それは人によって時間やエネルギーであり、祈りであり、愛の心であり、また物品や金であったりするであろう。どんな人でもこれらのうちの何かは捧げられる状況にあるので、神に深く引き寄せられた人間はそのように自発的に捧げていく道を歩み始めていく。
 水野源三という人も寝たきりで何十年も生きた人であるから、物品や金などを捧げることはできなかった。しかし、その詩には、主イエスへの精一杯の心がにじみ出ており、彼が心を捧げていたのだとはっきりわかる。

私のようなものが 水野源三

主イエスの御姿は見えない
御声は聞こえない
だけど―
私のようなものが 喜びにあふれ望みに生きている


今年も毎朝

今年も毎朝
母に聖書を
一ページ一ページをめくってもらい
父なる御神からの
新しい力
新しい望み
新しい喜びを受ける

まだ母ら静かに眠る春の朝 寝床の中でみ言葉思う

 イエスの遺体を取り下ろし、墓に葬るという目立たない行動は、一般の人にはほとんど意味のないことであっただろう。もうあのさまざまの奇跡を行って、権威と力をもって教えたその人は殺されてしまって、すべては終わってしまった。残された人々はだれもまだキリストの復活などは信じられなかったし、そのような無惨に死んだだけのイエスが神のように罪をあがなうなどとも、信じられなかった。十字架処刑の直後には、イエスに関わっていた人々には底知れない虚脱感があり、神への疑い、深い悲しみや裏切ったという苦悩、無力感だけが残っただろう。
 しかし、そのような特別な状況のなかでも、キリストは人間を引き寄せ、精一杯の行動をとらせるのだということを、ヨセフとニコデモたちの記事が示している。死んでしまって何の意味もないような遺体にすら、そのような愛と真実を注ぐようにさせるのがキリストの力であったから、復活したキリストが絶大な力をもって、全世界の無数の人たちを引き寄せていくのは当然であった。この二人の記事はそうした以後の歴史に生じることを預言する象徴的な行動となったのである。
 さまざまの困難な問題が生じて、どうなっていくのか前途が見えないような現在の世界においても、主イエスは昔と変わることなく、たえず新しく人間を引き寄せておられる。そしてそのような複雑きわまりないこの世にあって、罪を赦し、本当の平安を与えて、自分の大切なものを神に捧げていく人間が生み出されていくであろう。


st07_m2.gifキリストが地上に遣わされた目的

 キリストは何のために来られたのかについて、たいていの人は、よい教えを説くために来たと思っているようです。仏教とかイスラム教、儒教というように、日本では宗教の名前に、○○教と付けています。これは、中国語の表記をそのまま持ち込んだものです。(*)
 このため、キリスト教とは字の通り、「キリストの教え」だと思いこんでいる人が多数を占めていると思われます。立派な教えを説くために来たのだというわけです。 もちろんキリストは歴史上でかつてない深い内容をわかりやすい言葉で、しかも権威をもって教えられたお方です。しかし、キリスト教といわれている信仰の本質は決してそのようなキリストが地上でおられたときに話した教えにとどまるものではないのです。

(*)中国語では、キリスト教のことを、「基督教」と書きます。これは、現在の若い人なら、まちがって「キトクキョウ」と読む人が多いと思われる。中国語では、「基督教」と書いて「チィー トゥー チャオ」(ji du jiao)と読み、仏教も中国語で、フォー チャオ(fo jiao)と言う。
(**)英語では、キリスト教のことを、Christianity という。-ity の部分は、「性質、本質、状態」などを表す接尾語。ドイツ語では、キリスト教のことを、Christen-glaube (キリスト信仰)または、 Christen-tum と表していて、-tum の部分は、英語と同様に、本質や状態を表す接尾辞。「教」というような語を含んでいない。

 それは新約聖書の最初にある、マタイ福音書の冒頭の箇所に記されています。

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
 主の天使が(夫のヨセフに)夢に現れて言った。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
 この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ福音書一・18〜25より)

 初めて聖書を読む人は、ここではまず、聖霊によってみごもるということが不可解で、信じがたいことと感じることが多いのです。そして最初に書かれてある「系図」と称する名前の羅列とともに、意味が不明でまるで心を惹かない内容だと思って、後を読む気がしなくなる人もいます。
 しかしこの系図と訳されている部分にも重要な内容が含まれています。(ここでは、それは触れませんが)そして、ここにあげた、聖霊によってみごもるということも、同様にまったく初めての人には不可解で受け入れがたいことです。そのために、聖書はわけのわからないことが書いてあると思いこむ人もいます。
 この聖霊によってみごもるということ、それはふつうには私たちの周囲では聞いたこともないことです。しかし、聖書でいう神とは、万能の神であり、万能とはあらゆることができる神ということです。もし、聖霊によって身ごもらせることができないような神であれば、それは万能の神ではありません。
 ということで、まだ一緒になっていない前に身ごもるなどということがない、というのは、そのような万能の神を信じない人であれば当然ですが、ひとたび一切のことができる神を信じるときには、そのような無限の力をもった神が無限の深い配慮と計画によって、歴史のなかで、一度だけ、このように特別にまだ結婚していない女性に身ごもらせるということも可能だということになります。
 要するにそんなことがあるかどうか、それはひとえに万能の神を信じるか、信じないのかという単純な問題になります。
 ここで、強調されているのは、「聖霊」ということです。新約聖書のこの最初のところで、いきなり聖霊という言葉が現れて意外に思うのは当然です。これは、聖書がいかに聖霊を重んじているかということの現れなのです。主イエスが生まれるときに、聖霊によって生まれたと記されており、また別のところでもこのことの重要性が強調されています。

祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている霊(聖霊)について言われたのである。(ヨハネ福音書七・37〜39より)

 この箇所では大切な祭りの最後の日、しかも大声で言ったと書かれています。これは特別な強調を感じる表現です。これはこの内容がとりわけ重要であったことを示しています。
 主イエスがそれほどまでの力を込めて大声で語った内容とは、信じる者には、「いのちの水」が与えられること、そしてほかのいかなるものも満たすことのできない心の渇きをうるおすということであり、その命の水とはすなわち、聖霊のことであったのです。

キリストがもう今夜捕らえられて翌日には殺されるという最後の夜の夕食の席で語った言葉のなかでもとくに強調されているのが、聖霊です。
 
 わたしは父にお願いしよう。父は別の助け主(弁護者)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
 この方は、真理の霊(聖霊)である。
 世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。
 しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
 この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。(ヨハネ福音書十四・16〜17)

 また、キリストの使徒たちが、世界に福音を宣べ伝える最初の記録が、新約聖書に記されています。そこにも、つぎのように聖霊の重要性が見られます。 

イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。(使徒言行録一・3〜5)

 キリストが復活して四〇日にもわたっていろいろと教えられたのに、聖書ではそれらのことは、ここに書かれたこと以外はすべて省略しています。それは「聖霊」を与えられるということがいかに重要であるかを示しています。水による洗礼はキリストが始めたと思われていますが、ここでも書かれているように、キリストの道を備えたヨハネという人物がすでに水の洗礼をしていたのです。
 復活されたキリストは、水による洗礼でなく、聖霊による洗礼、すなわち神の霊を注ぐお方であることが強調されているのです。

 マタイ福音書の最初のところで、初めに引用したように、キリストの二つの名が示されています。
 その一つは、イエスであり、もう一つはインマヌエルです。イエスとは、「ヤハウエ(神)は救い」という意味です。(*)
 救いとは、たんに病気とか事故とかを治すということよりもっと深い魂の問題、つまり人間の心がどうしても正しいこと、真実なことに従えず、自分中心に生きてしまうという罪からの救いを与えるという意味です。病気が治っても、もしその人が自分中心に生きて、嘘をいうことも平気で、他人を愛する気持ちもないということなら、その人間は救われていないわけです。

(*)もともとのヘブル語は、イェホーシューアといい、イェの部分は、ヤハウエ(聖書にいう、天地創造をなし、いまも宇宙を支配されている神の名)の短縮形で、ホーシューアの部分は、「救い」を意味する。それでこの言葉の意味は「ヤハウエは救い」となる。それがヨーシューア、イェーシューアともなり、(これは旧約聖書のモーセの後継者であったヨシュアの名。)そこから、ギリシャ語で、イェースースという発音となり、それが英語のジーザス、ドイツ語では、イェーズス、中国語の耶蘇(イェースー)、日本語のイエスという発音にもつながっている。中国の耶蘇については、日本では中国語の発音でなく、日本の漢字読みにして、ヤソと読んでいた。

 罪からの救いということは、キリスト教信仰は単に、隣人を愛せよとか、物を施せとか嘘をついたらいけないとかいうものと大きく異なっているのを示しています。そのような教えがキリスト信仰の本質でなく、そのような教えが実行できない心の傾向(罪)そのものからの救いこそがキリスト信仰の本質なのです。
 つぎに、生まれる救い主の名前は、「インマヌエル」と言われています。この言葉は、「神、我らと共に」という意味です。(「イン」は「共に」、「(マ)ヌー」は、「我ら」、「エル」は、「神」を意味する言葉。)

 キリストが来られたことによって、神が私たちとともにいて下さることが、はっきりとしたのです。というのは、キリストは神の本質をそのまま持っておられる方であり、キリストが私たちのうちに来られたということは、神が私たちのところに来られたということと同じです。
 このことはキリスト信仰の最も重要な内容の一つでもあります。そのために、ヨハネ福音書でも同様なことがその冒頭に記されています。
 
初めに言(*)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 ここでの「言」とは、地上に来られる前のキリストを意味しています。この原語はロゴスであり、「言は肉となって…」とあるように、ロゴスなるキリストが肉体をまとって、人間のかたちをとって私たちの間に宿られたと記されています。(**)

(*)この「言」とは、キリストを意味しているのであって、ふつう私たちがだれでも使っている「言葉」とはまったく異なる意味で使われている。この言葉の原語(ギリシャ語)は、ロゴスという。これは、非常に多くの意味をもった言葉であるが、ギリシャ哲学では宇宙を支配する理性といった意味にも用いられる。ここでは、そのような意味を含んでいる。ギリシャ人にとってとくに重要とされていた宇宙の理性といったものがじつはキリストであったのだという意味もここにある。それと、旧約聖書で表されているように、天地創造が神の言によってなされたほどに、力ある本質を持っているという意味もある。こうしたさまざまの意味を含んでいるのがこの箇所のロゴスという言葉であり、そのようないっさいを持っておられるお方がキリストであると言おうとしているのである。

(**)「宿られた」の原語は「テント(幕屋)を張る」であって、砂漠地帯でイスラエルの人々が宿営したときに、神がともにおられる象徴でもあった神の箱(そこに神の言葉刻んだ石が収められていた)を幕屋に入れて運んだことを指している。

 このことは、とくに重要なことであったので、ヨハネ福音書でも最初の部分に書かれているのです。それが、インマヌエルということの別の表現となっているのです。
 宇宙を創造し、全世界を支配して導いている絶大な存在である神が、小さな人間である私たちとともにいて下さるということは、すでに旧約聖書から記されています。アブラハムやヤコブ、ヨセフといった創世記に登場する人物は神がともにおられたことがはっきりとわかります。
 またその後にエジプトに奴隷として強制労働させられたときに、モーセが神から使わされて砂漠を越えて故郷に帰るとき、そこでもその荒野の四〇年という苦しい歳月の生活のなかで、神が人々と共におられたことも旧約聖書の出エジプト記に詳しく記されています。ここでも神がともにおられなかったら滅んでしまっていたのです。
 神がともにいて下さるということが、キリストが来られてから以後の時代の決定的な特徴となりました。先ほどあげたヨハネ福音書の第一章に「言が肉体となって私たちの間に宿った」という、現在の私たちには不可解な表現も、じつはそのことを意味していたのであり、インマヌエル(神我らとともに)ということがたしかにキリストによって実現したということを意味しているのです。
 神ご自身と同質であったお方が、人間の体をもって、(肉体をもった姿となって)私たちの間に宿られた、すなわち私たちの生活、社会のただ中に宿られたということです。
 これは神が共におられるようになったということを意味しています。
 旧約聖書の時代では、イスラエル人というきわめて少数の人たちにだけ、神は共におられたのです。しかし、新約聖書のキリストの時代から後には、一挙に世界のいかなる人も、分け隔てなく、求める者にはだれにでも共におられるようになったのです。
 キリスト教というとキリストの教えを連想してしまうだけの人が大多数であって、今も活きて働いておられるキリスト(神)が私たちと共にいて下さることがその本質的な内容であるとは知らないのです。これはとても残念なことです。
 ヨハネ福音書では、そのような共にいて下さるキリストのことを、とくに繰り返し強調しています。最後の夜の食事のときのつぎのような言葉があります。

「父は別の助け主(弁護者、慰める者)を送って、永遠にあなた方と共にいるようにしてくださる。」(ヨハネ福音書十四・16)

「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛して、父と私はその人のところに行き、共に住む。」(同23節)

 そしてこのようにずっと共にいて下さるようになるために、必要なことがあります。それが、つぎの主イエスの言葉です。

イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。(ヨハネ福音書十三・)
 
 キリストによって足を洗っていただくということ、つまりキリストによる罪の清めを受けることです。そのためにこそキリストは十字架にかかって私たちのあらゆる罪を身代わりに背負って下さったのです。主イエスによって足を洗って頂く、つまり汚れたところ(罪)を洗っていただかねば、キリストとは何の関わりもなくなると言われます。私たちが十字架のキリストによって心の奥深い不真実である罪の力から解放され、赦され、清められるということが不可欠だというのです。そしてそれが出発点となり、さらに日々の生活のなかでもその汚れを主イエスによって清められねばならないということです。
 十字架はだれもが知っているキリスト教のシンボルですが、なぜそのようになったのか、それはキリスト(神)が私たちと共にいて下さるようになるために、罪からの清めが必要であり、その清めを果たしたのが、十字架での死だったからです。
 つぎの言葉もそのことを意味しています。

次の言葉は真実です。
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、
キリストと共に生きるようになる。(Uテモテ書二・11)

 キリストと共に死ぬといっても分かりにくい表現です。これは、キリストが私たちの罪のために死んで下さったと信じるだけで、キリストとともに死んだと同様に扱ってくださるということです。そうすれば、私たちはキリストと共に生きることができるようになるという意味なのです。

 キリストの霊(聖霊)を最もゆたかに受けた人は、たしかにパウロであったと思われます。だからこそ、彼の書いた手紙が断然多く新約聖書に収められているのです。そのパウロが特別に多く用いている表現があります。それは、「キリストにあって、主にあって」という言葉です。これは、パウロが百六十四回も用いているほどです。(*)

(*)キリストのことを代名詞を用いて「彼にあって」などとなっている箇所も合わせての回数。
なお、新共同訳では、「主と結びついて」と訳していることが多いが、原文は en kurio (in Christ)であって、「主の内にあって」という意味を持っている。 

 これほど多く用いられているのは、パウロにとって「生きることは、キリスト」であり、聖霊なるキリストの内に留まり続けて生きていたことがうかがえます。それほどにパウロにとって、キリストは神が我らと共におられるということを実現した存在であったのです。
 そしてそのことは、単にパウロだけにとどまるのではもちろんありません。聖書に書いてあることは、どれも一種の約束で、そこに書かれていることはその程度こそ違え、信じる人にはだれにでも実現することなのです。
 それこそ、私たちが聖書をいつまでも読み続けて飽きることがなく、そこから命をくみ取ることができる理由でもあります。聖書はたしかに生きた書物であり、そこにキリストが私たちと共にいて下さることを実感させ、実現させる導きをしているのです。
 この地上に生きている限り、私たちはいろいろの問題に悩まされます。職業において、家庭の問題、また病気の苦しみ、孤独の淋しさ、将来の不安等など。そうしたときの最終的な希望は、死後の希望となって私たちの心を天にと引き上げます。
 私たちの死後にこそ、完全な意味で神は私たちと共におられるようになると約束されています。パウロもそのことを強く願っていたことはつぎの言葉でわかります。

 (自分の前途には)、地上で働くことと、この世を去って、キリストと共にいることの二つがある。自分としてはキリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。しかし、人々のためには、この地上に留まることが望ましい。(ピリピ書一・22〜23)

 こう言ってパウロは、この世を去るとキリストと永遠に共にいることを心に強く願いつつ、地上の使命を果たすべく、日夜主のために霊の戦いを続けたのです。

 こうして、キリストが生まれるときにその名として記されている二つの名、イエスとインマヌエルは、キリスト教の本質を指し示しているのがわかります。イエスという名は、私たちを罪から救うことを意味し、インマヌエルとは、その罪の束縛から解放され、救われた者には神が共にいて下さるという生活になる。そしてこの神と共にある生は、人が背いて捨て去るのでないかぎり、この地上においてだけでなく死後も、私たちとともに永遠に続くことを指し示しています。


st07_m2.gif悲しみと幸い

多くの人には人知れず流す涙がある
だれにも言うことのできない悲しみがある
その悲しみを主だけはご存じである
ああ、幸いだ、悲しむ者は!
と主は言われた。
その悲しみの奥までも、主のまなざしは届くから。
その涙を知っていてくださると実感できるから。


st07_m2.gifイージス艦派遣

 政府は、今まではその派遣について考慮してきたが、慎重論に配慮して見送ってきた。しかし今回のテロとの戦いを支援するという名目で、ついにイージス艦を派遣することに決定した。イージス艦は、一隻千二百億円という高価なもので、世界でも、アメリカとスペインの他には持っている国がないというだけでも、これが世界の先端をいく護衛艦であることがわかる。福祉関係予算などは今後もつぎつぎと削減していく方向にありながら、このような高価な護衛艦を四隻を保有し、さらに五年以内に二隻を追加することになっているという。
 アメリカのテロとの戦いというが、テロというのは例えば暗殺といった形で、昔からあったし、どこからがテロで、どこからが独立への戦いなのか決して明確ではない。
 また戦争はすべて本来は大規模なテロ行為であって、広辞苑には、テロとは「暴力或いはその脅威に訴える傾向」とあるが、戦争ほど、暴力を大々的に行うものはない。いろいろな独立戦争や民族対立の戦争は必ず暴力行為を伴うのであって、どこからがテロでなにがテロでない暴力行為や戦争なのかは到底明瞭に区別することはできない。
 そのようなあいまいさを持つテロとの戦いと称するものに、日本が加わることになれば、今後アメリカが始める各地でのあいまいな「テロとの戦い」につねに加わっていくことになってしまう。現在の自衛隊そのものが、大規模な軍事力であってそれはすでにこの憲法の精神に反するものとなっているが、イージス艦のような優秀の機能を持つ護衛艦を遠くインド洋へ派遣し、今後もアメリカに追随してアメリカが起こす戦争には世界のどこにでも加わっていくことになると、それはいかなる国とも永久に戦争をしない、戦力も保持しないと定めた、日本国憲法の第九条の精神を根底からくつがえすことになっていくであろう。
 日本はこの平和憲法を持っているがゆえに、どんな国にも相手からの疑念を持たれずに仲介できる立場があった。日本やアジアの国々の数千万の犠牲者のゆえに成り立ったこの平和憲法のゆえに、現在まで半世紀を越えて、日本は世界のいかなる国民をも自国の武力で殺傷するということなく歩んでくることができた。そして軍事予算である、自衛隊関係の費用も他国とくらべてずっと少なく抑えてきたからこそ、日本の経済的な繁栄にも役立ってきたのである。現在の平和憲法によって日本は過去五〇年間、いかなる損失を受けてきたというのであろうか。しかし、軍事力を増大させ、今回のように海外までその卓越した自衛隊の装備を派遣していくことになれば、世界に広がろうとしているテロの脅威は日本にも当然ふりかかってくる。例えば、ひとたび東京とか、大阪などの大都市であのようなテロが行われたら、その損害や影響は甚大なものがある。そしてそのようなことが生じれば、さらにまた軍事力を増大させて、テロを防ぐのだと言い出すであろうし、イギリスやフランス、中国などもさらに現在のような武力によるテロ撲滅という方向になるだろう。そしてさらにそれは新たなテロを生み出す…という悪循環が生じている可能性を色濃く持っている。
 現在の日本のとっている方向はそうした可能性を高める方向へと進んでいるのである。それはテロを防止するのでなく、テロの範囲をさらに広範にさせる要因を含んでいる。
 テロとの戦いには、平和主義に徹すること、武力を取らずに話し合いでもって解決を図ること、テロの温床となっている、貧困や差別などを解消していくための真剣な話し合いや、取り組み実践、そうしたことが最も効果的な戦いなのである。武力による戦いでなく、貧しさや差別、権力欲や不正などに対する目に見えない戦い、精神的な戦いこそが最も根源的な力を持っている。
 ひとたび武力に訴えるとき、現在のイスラエルとパレスチナの紛争にあるように、果てしなく憎しみは広がっていく。そして新たな復讐心を生みだし、テロの温床となっていく。武力行為は、テロリズムを根絶するのでなく、その根をさらに広く深くしていくことにつながるのである。 日本人の考え方が、次第に武力を容認する方向に傾いているが、私たちは永遠の真理たる聖書に基づいてこのような方向が間違っていることを明確に知っておかねばならない。


st07_m2.gifことば

(148)他のある者は自分の田畑をより立派にしたときに喜び、また他のある者は、生まれより善くしたときに喜ぶように、私は毎日私自身がより善くなるのがわかる時に喜ぶ。(エピクテートス(*)「語録」第三巻五章より)

 何に喜びを感じるか、それによって私たちは自分の精神の成長を知ることができる。食物に喜び(快楽)を感じるのは、人間も他の動物にも共通している。人間は、財産や物、お金を増やして喜びを感じることもある。また、何かを学んで喜びや楽しみを感じるのは、人間の特質だといえよう。人から誉められたり、認められることも喜びになる。
 しかし、物はなくとも、食物も乏しくとも、また人から誉められたりしなくとも、単独でも喜びを感じることができる驚くべき世界が人には与えられている。それがここでいう、自分自身がより善くなることを喜ぶことである。
 聖書で約束されているように、私たちのうちに主イエス(神)が住んでくださるとき、その内なる主によって、直接に「あなたの罪は赦された!」とか「恐れるな、私が共にいる!」などの静かな語りかけを感じるようになり、そのことで私たちは実際に自分が善くされたことを感じて喜ぶのである。罪赦されることは、罪が清められることであり、確実に私たちは善くされたからである。また、恐れるなとの励ましで力を受けるとき、やはり私たちはこの世の悪に負けないで歩みを続けられるということで、たしかに善くされるからである。このように、主からの語りかけを感じることは私たちを必ず善くする。それはその静かなみ声そのものが、私たちの魂を清め、新しい力をも与えてくれるからである。
 私たちが神ご自身を喜ぶことができれば、自分がより善くなっていることを実感させるものとなる。

(*)ローマのストア哲学者。(AD五五〜一三五年頃)奴隷の子として成長したが,向学心があったため,主人は当時の有名なストア哲学者のもとに弟子入りさせ,後に解放して自由人としてやった。真理への愛(哲学)を教えて生涯を終えた。生涯,著作を書かなかったが弟子が書き残した語録などがあり、それは後のローマ皇帝マルクス・アウレリウスに大きい影響を与えた。

(149)「ありがとう」
…水野源三さんという方は、寝たきりで、小さい時から言葉も出せず、手も動かないで、それで伝道した方ですけど、その方が寝たきりのそういう生活のなかで、やがて亡くなるという前に創った歌を申し上げます。
「幾度もありがとうと声に出して言いたしと思いきょうも日暮れぬ」
私たちは口が利けますが、幾度も幾度も「ありがとう、ありがとう」と言いたい思いで生きているでしょうか。(「なくてならぬもの」三浦 綾子著 光文社)

(150)代わってくださった
どうしてこの私でなくてあなたが?
どうしてこの私でなくてあなたが?
あなたは代わってくださったのだ。
あなたは代わってくださったのだ。
(後に長島愛生園の精神科医となった、神谷美恵子が、二十一歳のときに、ハンセン病療養所に行ったときに作った詩)

 弱い人、苦しい人、つらい人を見たときに、私たちがこのように、あなたは代わって下さったのだという思いを持つことができますならぱ、それこそが本当の愛だと思います。私があなたに何かしてあげるというのではなくて、私たちのために代わって下さった、その人に対する謙遜な思い。(同右 112頁)


st07_m2.gif休憩室

○再び、明けの明星、木星、火星などについて
 前号で、今、明けの明星として夜明けの空に強く輝く金星のことを述べましたが、それ以来、何人かの人は金星を初めて見たとか、あんなに強い光の星だとは知らなかったと言われています。
 ついでに、明け方まだ暗いうちに、金星よりも、高い北寄りの空に赤い火星が見えますから、それもぜひ見てほしいものです。それから、同じ夜明け前の南西の高いところには、やはりとても強い輝きの木星が見えます。ですから、天気のよい夜明け前の夜空には、東からは金星と火星、目を南西の高い空に転じれば、木星が競うように輝き、私たちの心を引き寄せてくれます。これらの星は、星座のことをまったく知らなくとも、その輝きの強さですぐにわかります。またこの三つを同時に見たことのある人はとても少ないと思いますので、神の創造された宇宙への関心を深め、天からの光の贈り物を受け取るためにも一度早起きして見て頂きたいと思います。

勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。…
わたしはまた、彼に明けの明星を与える。(黙示録二・26〜28より)

 このように、金星はキリストの象徴として、信仰を堅く持ち続けるものに与えられると書かれてあります。明けの明星のつよい輝きを見つめていると、いまから二〇〇〇年前の黙示録の著者がやはりこの星を見つめていて、キリストご自身をこの強い光と重ね合わせていたのだと思われ、私たちの心を時間と空間を越えて運んでくれます。


st07_m2.gif返舟だより

○…一度は通らねばならぬ人生の峠にさしかかっております。無力な私は、ただ、祈る他に道はありません。(中国地方のある方)

・困難な状況のもとにある方からの言葉です。御夫妻ともに老年を迎えて、いずれも病気や体力の著しい衰え、心身ともに弱ってきたなかで、若いときの体力や生活の力も失われていく状況において、長い人生における最大の苦境に置かれていると感じます。私たちはそうした苦しみは若い元気なときには実感としてはなかなか分からないことです。しかしこの世に生きることはそうした孤独な苦しみにじっと耐えていかねばならないところに置かれる人も多くいます。どうか主よ、そのような一人の生活、あるいは二人とも高齢化した中での病気と衰えで苦しみの内に人たちに、力と支えが与えられますように。またその苦しみが軽くされますように。

○前月に書いた、明けの明星に関して集会関係の人や、「はこ舟」読者の方からも初めて見たといわれる方がかなりいました。つぎにあげるのは、そのような一つの例です。

・当地は星空が降るように美しく、星の記事に関心があります。私は星の知識が何もありませんでしたから「はこ舟」を読んで星を探しました。明けの明星も観察することができました。今夜も澄み切った星空を眺めておりますと、東方の博士たちがイエス様の誕生を拝みに来た時のようすを思い、聖きクリスマスの近づきを感じ、ベートーベンの歓喜の歌が響いてくるようです。(関東地方の方)

○今月は、私たちの集会が発行している文集の発行と重なっています。文集は書く人も多く、内容もさまざまであり、そうした多様なものが主によって用いられますようにと願って編集をしています。「はこ舟」とは、書く人、内容ともに異なっていても、目的は同じで、神の言葉を語り、神のわざを証しすること、それによって神の栄光のためにそれらが用いられますようにということです。

○十二月の七日(土)〜九日(月)は、偶数月なので、京阪神地方のいくつかの集会、家庭集会に参加してみ言葉を語る機会が与えられました。み言葉を中心として、老齢の人、若い人、また障害をもった人たちとともにみ言葉を学び、祈り、讃美できる幸いを感謝です。

○十二月は、クリスマスの月で、二千年前に生まれたということにとどまるのでなく、現在の私たちのところに来て下さることをとくに祈り、願う期間といえます。聖書の最後の言葉が
「主よ、来て下さい! 
 主イエスの恵みがすべての人々と共にあるように!」
となっています。その願いの気持ちは、黙示録が書かれて二千年ほどの経った現在の私たちの願いでもあります。
 また、新年を迎える際にも、たんに年が改まって気分一新というだけでなく、私たちの魂がさらに神の霊によって、新しく造りかえられますように。
2002/12

   2002/11

 空が青く澄み渡るとき、雲もいっそうその白さが目に映える。
 そしてその高くに浮かぶ雲からも、青い大気からも透明な何かが伝わってくる。
 吹く風が冷たくとも、その汚れなき空気に触れていると心まで清まる思いがする。
 秋の深夜、しずかにあたりが寝静まっているなか、夜空の星の輝きが天からのものに思えてくる。
 オリオンの明るい星々が上り、シリウスの強い光や木星の澄んだ輝きも見えてくる。それは目に見えるどんなものよりも清い世界を映し出している。
 たしかに星の世界は、神が私たち汚れたところにいる人間を、ご自分のところへと呼び戻そうとするために作られたように思われる。
 
月なき み空に きらめく光
ああその星影 希望のすがた

 これは讃美歌312番の「いつくしみ深き」の曲を借りて、日本で中学唱歌として今から百年ちかく前に発表された「星の界(よ)」のはじめの部分である。
 たしかに星は、神がこの無限の宇宙を創造し、支配されていることに思いを新たにし、その大いなる力に頼ろう、その清さによって心を清めて頂こうというあらたな希望を起こしてくれるものである。


st07_m2.gif心の平和と社会的平和

 だれでも社会的な平和を望む。戦争が生じたらあらゆる悪がつぎつぎと生じていく。大量殺人はその最たるものであり、家庭の破壊、人間を障害者にして生涯にわたって苦しめる、略奪、人権無視、差別、支配、自然の破壊…、戦争とは最も悪いことであるはずの人を殺すということを国家が肯定し、それを讃美するところまでいってしまうことであるから、当然であろう。
 だからこそ、戦争をしてはならない、戦争はどんな性質のものであっても始めるべきものではない。キリスト者の戦いは武力によるものでなく、目には見えない霊的な戦いであると聖書には明確に記されている。
 しかし、他方で戦争がなかったらそれで人間はよくなるのかといえば現在の日本を見てもわかるように、決してそうは簡単にはいかないのである。太平洋戦争が終わって五十年以上が過ぎ去った。そしてその間、日本は他国に戦争をしかけることもなく、平和が続いている。
 それで、日本人の心は本当によくなっているだろうか。多くの人はそうは思わないだろう。
 人間の心がよくなるためには、単に戦争をしないというだけでは十分でないのである。人間のからだも、病気になることなどだれも願っていない。できるだけ健康でいたいというのは万人の願いである。しかし健康であっても心はよくなるとは限らない。かえって、冷たい心、傲慢な心、不真実な心など、からだの健康な人にもいくらでも見られる。そして病気がちの人やからだの障害をもって苦しい生活をしている人のほうが、最も大切な他者の苦しみに敏感に感じたり、その苦しみへの配慮を持っていることも多い。
 それは戦争があってもなくても、また健康であってもなくても関わりなく存在する人間の一番深いところの問題であり、真実なものに従えない心の弱さ、自分中心に考えてしまう醜さ、他者を愛することができないということ、キリスト教でいう罪というものが除かれないかぎり、人間の問題は解決しないのである。
 社会的に平和のときにも、苦しみのとき、例えば自然の災害や飢饉、戦争のときであっても、地上のものでない心の平和を与える道をキリストは過去二千年の間、指し示してこられた。
 それが「主の平和(平安)」である。
 キリストによる罪の赦しをうけ、キリストの愛を感じ、この主の平和を少しでも味わうときには、これこそが永遠の真理だと確信させる力を持っている。私たちはまず、そうした主の平安を与えられてから、職業におけるはたらきや、社会的な平和運動など、それぞれが置かれている場で力を注ぐことが求められている。


st07_m2.gif沈黙はうみだす力

天の沈黙

黙示録に、これから封印された巻物を開く直前に、不思議な半時間ばかりの沈黙があったと記されている。

… わたしは、玉座に座っておられる方(神)の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。… しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。…
小羊(*)が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。(黙示録七・1−3、八・1より)

 小羊とは、キリストのことであり、神の手にある七つの封印をされた巻物があり、そこにはこれから起きる出来事、神のご計画が記されている。しかし、その封印を解くこと、すなわち、その神の計画をあらかじめ知らされるのはキリストのみである。それゆえ、封印を解くことは、ただ小羊なるキリストだけだと言われている。
 黙示録は、とてもむつかしい書物である。新約聖書のなかで最もわかりにくい書物と言えるだろう。 しかしそれは、これからの世界がどうなっていくのか、神の大いなる御計画と導きが書かれているものなのである。
 神の手にあった巻物は、小羊なるキリストの手によって、第一の封印からひとつずつ開かれていった。最後の第七の封印が開かれることによって最も大きい内容が示されていく。そのような重要な場面の冒頭にこのような不思議な半時間ばかりの静けさがあった。

 (*)キリストのことをなぜ、「小羊」と言っているのかというと、キリストより一三〇〇年ほども昔、モーセの時代に、エジプトに奴隷状態となっていた人々を神の助けによって導き出すという旧約聖書で特別に重要な出来事があった。そのとき、小羊の血を家の入り口に塗っておいたら、その家の者はさばきを受けずに救われたということがあった。それは、キリストが十字架で血を流して人間のために犠牲となって死んで下さったが、それを信じることによって裁きが過越して救いを受けることの預言的な出来事であった。

 それはどんな意味があったのだろうか。これから生じる神の大いなるわざを前にして、それまでの無数の人々の大声での讃美も消えて、静寂が支配した。
 それまではつぎのように、讃美の大声に満ちていたのである。

 わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、…玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」
 また、天使たちは…玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」(黙示録七・9〜12)

 このような、救われた人々の大声でのすばらしい讃美や天使たちの讃美はいつまでも響いていてもよさそうであるにもかかわらず、それらがすべて沈黙してすべてが静寂に包まれたのであった。その情景を思い浮かべるときには、人間から出てくるあらゆる思いを退け、ただ神の大いなるわざを受け止めるために、天の世界が集中したのがうかがえる。

現代における沈黙の必要性
 現代の私たちにとってもこのような沈黙が不可欠である。天の世界において、裁きに関わる神の言葉が実行に移されようとするときに沈黙が全体を支配したように、私たちもそのような静けさが必要なのである。
 黙示録は未来のことを預言している書物である。しかし、現代に生きる私たちの世界においても、神のさばきはつねに行われている。さばきは世の終わりといったいつのことか分からない未来にだけあるのでは決してない。
 
彼を信じる者は、さばかれない。
信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。(ヨハネ三・18)

 こうした裁きがいわば常時行われている。私たちは神を信じていてもさまざまの時がある。苦しみのとき、感謝のとき、悩みのときあるいは讃美のとき、また喜びのときがある。そうしたどのような時においても、つねに沈黙のときを持つことの重要性を感じさせられる。
 苦しみのときには神から離れそうになる。神がおられるのならどうしてこんなにひどいことが生じるのか、なぜほかの人には起こらないで自分はこの大変な重荷を負って生きていかねばならないのか…そうした苦しみや痛みのときはまた誘惑の時であり、神への信頼を揺るがされ、ついには信仰を捨ててしまうことすらあるだろう。旧約聖書にはエリヤという神の大いなる預言者ですら深い挫折感のゆえに死ぬことを願って砂漠の一本の木の下に赴いたことが記されている。
 苦しみの深いほど、静まることも深くなければ、私たちはその苦しみの意味をまったく理解できないままとなるだろう。突然の別離や人間関係が壊れること、大きな罪、失敗や中傷などで傷ついた心は、そうしたことを引き起こした相手があるとき、その相手への憎しみや恨み、ねたみが深く巣くってしまうことになりかねない。 
 これは闇の力に敗北することであると言えよう。そうした悪の力に負けることなく、勝利していくためには、主イエスのすでになされた勝利の力を与えられる必要がある。そのためにこそ、祈りを伴う沈黙が必要となる。
 
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平安を得るためである。
あなたがたにはこの世では苦しみがある。
しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っているのだから。」(ヨハネ十六・33)

 逆に、神の恵みによって大きな喜びが与えられることもある。健康が続くこと、よき結婚、仕事、生活の安定、家庭の幸い等など、しかしそうしたものが与えられているとき、もし私たちがそれを当たり前と思ってしまうとそこから神への切実な心を失っていく。それを正しく受け止めて感謝するためには、沈黙が必要である。神のまえに静まることによってそうした恵みも当然のことでなく、一つ一つ神からの賜物として感謝をもって受け取っていくべきものだと知らされる。そうした感謝は「沈黙」のときを持つのでなければ、つい忘れていくものである。

 沈黙といっても何でもよいのではない。沈黙にも二種類ある。
 私たちは命じられなくとも沈黙することも多い。それは無関心や、言うことによる圧迫への恐れ、あるいは心の冷たさのゆえの沈黙もある。
 けれども、聖書にはそうした非生産的な沈黙でなく、前向きの沈黙のことが記されている。本当の沈黙、静けさとは、祈りであり、神へのまなざしであり、神への訴えであり、神からの力を受けようと待ち望む姿勢でもある。それは弱い者への心や不正なものへの嫌悪と正しいことへのあこがれ、願いとなっている。そしてそれは最終
的には、愛となっていくものである。
 聖書にもそうした沈黙の必要が記されている。

おののいて罪を離れよ。

床に横たわるときも自らの心と語りて沈黙に入れ。(詩篇四・5)

マザー・テレサの言葉から
 私たちは神を見いださねばなりません。そして神は騒がしいなかとか落ち着きのないところでは見いだされないのです。
 神は沈黙の友なのです。いかに、自然、すなわち樹木や花、草などが沈黙のうちに育っているかを見なさい。また星や月、そして太陽、いかにそれらは沈黙のうちに動いているかを見なさい。
 私たちが、沈黙のうちに受け取れば受け取るほど、私たちは実際の生活のなかで、与えることができるのです。私たちがほかの魂に触れるためには、沈黙が必要なのです。
 本質的なことは、何を私たちが言うかではなく、神が私たちに何を語っておられるか、神が私たちを通して何を語っておられるかなのです。
 私たちのあらゆる言葉は、内から来るのでなければ無益なのです。キリストの光を与えない言葉は、闇を深めるだけなのです。(Something Beautiful For God 「神のために何か美しいものを」66P)(*)

 このマザー・テレサの言葉は、二〇年ほど以前にこの原書を見つけて読んだとき、とくに印象に残っている箇所の一つである。私たちが沈黙のうちで、神から、主イエスから受け取っていないなら、他者にも何も与えることはできない、ということはことに心に残った言葉であった。この書物のタイトルは、「神のために何か美しいもの」であるが、私たちが何か美しいものを神のためになすためには、沈黙のうちに神から与えられるということが不可欠だと言おうとしているのである。

主イエスの沈黙

 主イエスは、夜通し祈られたことがしばしばあったようである。

朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ福音書一・35)

このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。(ルカ福音書六・12)

 このような長時間の一人での祈りこそは、神のみまえの沈黙の時であり、そのようなときに神からの力を豊かに受けておられたであろうし、世の中の不信とその背後にある悪霊との戦いをされていたと思われる。 聖書ではあえて、そうした長時間の祈りのときになにを祈っておられたのかについては一切記していない。しかしそれは神と霊的に交わりを持つことであり、神の力を受けて、神の洞察力を注がれ、また周囲の弟子たちや人間がサタンに負けないようにと祈りを続けられる時でもあっただろう。
 そうした祈りは、つぎの言葉のようにまさに愛へと開いていくものであった。

真の沈黙は、平安へ、礼拝へ、愛へと開く。
沈黙を通して、愛することを学べ。沈黙は友愛にみちた交わりの実であると同時に、こうした交わりへの道でもある。(*)

 神とともに私たちがあるとき、自ずから沈黙を愛するようになるだろう。なぜなら神は愛の神であり、愛とはつねに目に見えないものを注ぎ、語りかけるからである。もし、私たちが主イエスの言葉のように、まず神を愛しているならば、その神からの語りかけを聞こうとするはずである。
 それは山や谷川、星空や樹木、野草などを愛するときも同様である。それらを愛する心は、必然的にそれらに心を注ぐとともに、それらから発せられている目には見えないものを受け取ろうとする。山を愛する心は山から語りかけてくるある種の言葉に耳を傾けるであろう。
 主イエスは最も重要な戒めは、神を愛することであり、次にそれと同様に重要なのが隣人を愛せよということだと教えられた。神を愛することは、第一であり、それは神への沈黙を通してより純粋なものにされる。 

 主イエスも弟子たちとともに歩んだ数年間において、しばしば夜を徹して祈られた。現代のように電気による照明は全くなく、自動車や工場もない時代において夜とは、真っ暗な長い時であったであろう。そしてガリラヤ湖畔の低い丘においては、ほとんど民家もなく、風の音しか響いてこない静けさに包まれていたと考えられる。そのような静寂のなかで、主イエスの祈りは深まり、神からの力と語りかけを深く受け止められたのであろう。

しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ福音書二十二・32)

このように言われた主イエスは常に弟子たちのために祈っておられた方であった。そうした祈りもこの夜の沈黙のときにもなされたと思われる。祈りは神からの力を受けるだけでなく、またその受けた力や愛によって人間に注ぎ出すのが本来の目的であるからである。

 こうした沈黙は、三年間のみ言葉の福音を宣べ伝えているときだけでなく、いよいよ捕えられて裁判にかけられたときにおいてもみられた。ユダヤ人の指導者たちが、イエスは神を汚したと、最も重い犯罪をしたと繰り返し主張しているのに、主イエスはまったくそれには答えようとされなかった。ローマ総督のピラトが驚くほど、主イエスは沈黙を通されたのである。
 しかしそのようなときにもいっそう神の御計画が確実に進んでいることを確信されていた。そのような神への信頼に基づく沈黙はますます確信を与え、周囲にも何かが伝わり、波及していくのである。

 このような黙して歩む姿は、すでにキリストよりもずっと以前の預言書に驚くほどあざやかに記されている。

彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
…そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。
…彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。
…多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。(イザヤ書五十三章より)

 このように、キリストの十字架はそれより五百年以上も昔にすでにその意味が告げられ、とくにその沈黙によってその使命が担われたことが強調されている。主に結びついた沈黙は愛であるという言葉が、キリストの十字架によって実現されたのである。
 このような事実を学ぶとき、私たちもそうした沈黙を日々の生活のなかで、持ち続けていくことの大切さを知らされるのである。

(*)次にあげるのは、「沈黙について」の引用文の原文。
On Silence
We need to find God, and he cannot be found in noise and restlessness.
God is the friend of silence. See how nature -trees, flowers, grass - grow in silence;
see the stars, the moon and sun, how they move in silence.
… The more we receive in silent prayer, the more we can give in our active life.
We need silence to be able to touch souls.
The essential thing is not what we say, but what God says to us and through us.
All our words will be useless unless they come from within - words which do not give the light of Christ increase the darkness.

必要なことは沈黙なのである。それによって私たちは神に従おうとしている者はいっそう静まって神の御心にかなった歩みができるようでなければならないし、また神に背いている者はその大いなるわざが始まる前に

ふつう私たちの生活ではあまりにも沈黙は少ない。いつも家の中では、テレビとかラジオ、CDなどの音が響いており、およそ物音一つしない静けさというのは想像できないほどである。
 しかし、少し以前であれば、


st07_m2.gif王の中の王

 聖書においては、主イエスが王として言われている。しかし、現代の私たちには王であるイエスというようなイメージを持っている人はどれほどいるだろうか。イエス・キリストといえば、多くの人にとっては、聖人、立派な教えを説いた人、奇跡を行った人、十字架で殺された人というようなことが連想されるだろう。しかし、聖書では私たちが通常では思い浮かべない、「王」であるということがしばしば現れる。

 神とかキリストというとき、私たちはどのようなイメージを浮かべるであろうか。神については、創造主、全知全能、目に見えない存在などを思い浮かべるであろう。そして、支配という言葉とか王という言葉はあまり、思い浮かべないであろう。
 しかし、神ははじめから私たちに神は王であることを示そうとされている。キリストについても、キリストはどんなお方か、と尋ねられるならたいていは、キリストを救い主と受け入れていない世間の人なら偉い教えを説いた人というのが最も多いだろう。キリスト教という名前からもそうした「教え」を説いた人、というイメージが浮かびやすい。
 しかし、神は私たちに単によい教えを説くというだけのお方ではないことを示して来られた。それは、新約聖書の一番最初にある、マタイ福音書のはじめの部分にすでに見られる。

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、見よ、東から来た博士たちがエルサレムに着いて言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ福音書二・2〜3)

 何百年もの長い間、神の民には、ダビデの子孫から救い主が現れるという信仰があった。しかし、マタイ福音書によれば、最初にキリストの誕生を知らされたのは、はるか東方の国から来た博士たちであった。
 それはキリストが、神の民と言われるユダヤ人でなく、異邦の国々の人々によって受け入れられるということの象徴的な出来事であったと言えよう。
 そしてその博士たちは、キリストのことをたんに、やさしい慰め手であるとか、教えを述べる人だとかいうのでなく、「王」だと啓示されたのであった。
 王、それは支配ということである。東方からの博士たちは、まったくユダヤの国のことはなにも知らなかったのであるが、生まれたイエスが「王」として生まれたということを、神から啓示されたのであった。
 これは、イエスは王であるということを、神は異邦人に啓示されるのだという預言的な出来事となっている。
 王なるキリスト、それは個人の罪を赦し、苦しみ、悩みを慰めてくれる愛に満ちたお方というイメージとはことなる側面を感じさせるものがある。それは、悪の力をもその支配下におき、人間のすべてや世界全体を支配し、歴史を動かし、導いていく、さらにはこの宇宙全体をも支配しているお方という、壮大な存在を暗示しているのである。
 キリストがそのような絶大な力を与えられたお方であり、だからこそ王であるということは、一般的にはあまり気付かれていないようである。
 しかし、聖書をよく見ると当然のことながら、すでにイエスが王であることが繰り返し強調されている。
ことに新約聖書のヨハネ福音書で、イエスが裁判にかけられて、十字架刑に処せられるところの記述にはほかの福音書よりも、ずっと多く「王」という言葉が用いられている。イエスを裁いた、ローマ総督のピラトと主イエスの裁判の場での会話はつぎのように記されている。

そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。
イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのか。」…
そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることだ。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ福音書十八・33〜38より)
 
 そのあと、兵士たちはイエスをあざけり、茨の冠を作ってイエスにかぶらせ、そばで「ユダヤ人の王、万歳」といって平手で打った。ユダヤ人たちも、イエスが、王と自称したといって皇帝に背く罪を犯したと断罪した。総督のピラトは、ユダヤ人に「見よ、あなた方の王だ」というと、彼らは「殺せ、殺せ、十字架につけよ」と叫んだ。ピラトは「おまえたちの王を私が十字架につけるのか」と言った。…ピラトはイエスの罪状書きを書かせたが、そこには「ユダヤ人の王」とあり、それはヘブル語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに「ユダヤ人の王」と書かずに「この男はユダヤ人の王と自称していた」と書いてくださいと希望したが、ピラトは、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と命じた。(ヨハネ福音書十九章より)

 このように、主イエスが処刑される場面の記述に、繰り返し「王」ということが出てくる。イエスを殺そうとする者、処刑に関わる兵士、赦そうとするローマ総督のピラト、そして主イエスご自身もそれぞれいろいろの思いで「王」という言葉を用いている。
 そしてピラトは、「見よ、お前達の王だ!」といったが、これは、その少し前に、主イエスを指して「見よ、この人を!」といったことと同様に、深い意味が込められている。主イエスこそ、私たちがどのような人生の場面においても、見つめるべきお方であることを、神がピラトの口を通して言わせていると考えられるのである。私たちは日常の生活において、新聞、テレビなどのマスコミで、「この人を見よ!」と毎日毎日見せつけられているのである。それは歌手であったり、政治家、スポーツの選手、あるいは犯罪を犯した人など多様な人々である。少し前までは、鈴木宗男を、その後は、田中真紀子、さらに北朝鮮に拉致された人たちなどなどつぎつぎに繰り出されてくる。そうした人を国民がテレビや新聞をつうじて一斉に注目しているのである。
 しかし、いくらそのようなマスコミで登場する人物を見つめていても、私たち自身の精神にはなんのよいこともない。単に目先の興味に振り回されているだけになってしまう。
 ヨハネ福音書において、「この人を見よ!」という言葉は、このような現代に生きる私たちにも投げかけられているのがわかる。現代のような、世界中の人間がつぎつぎと現れてくる時代にあってこそ、いっそう、ピラトの言った、「この人を見よ!」が重要性を帯びていくのである。私たちはたしかに、「この人」イエスを見つめるべきなのである。主イエスこそ、万人が見つめるべきお方であり、そこから神の国にあるよきものが注がれてくることになる。
 ピラトが、「見よ、お前たちの王だ!」と言った一言もそれと同様な意味をもって、現代にも語りかけていると言えよう。王、すなわち、真の支配者は、キリストなのだと。
 いつの時代においても、何者が支配しているのか、という問題は最重要な問題であった。日本においても戦前は、天皇こそが真の王であり、世界を支配する王になる存在なのだという宣伝をしきりに行った。「八紘一宇」(*)という言葉はそうしたことを意味している。戦前のキリスト者たちが受けた迫害の一つは、キリストが王であるという信仰であった。当時の日本では、天皇こそが本当の王である、キリストが王であるとか、黙示録にあるように信徒も一時的にせよ、王のように支配するなどというのは、日本の国家方針と相容れない考え方だとして厳しく迫害された。

(*)八紘(はっこう)のうち、紘(こう)とは、「つな」という意味の言葉で、八紘とは、もともとは大地にはりわたした八本のつなを表す。そこから「大地の八方のはて」を意味する。1940年8月、第二次近衛(このえ)内閣が、日本の国家方針は、八紘を一宇(いちう)とすることだとして以来、しばしば用いられた。「宇」とは「家」を意味するので、この方針は、世界万国を日本の天皇の支配のもとに統合して、一つの家となそう、ということであった。それは、中国への侵略戦争をも正当化する考え方でもあった。

 このように、何者が王なのかという問題をめぐって、キリストこそ真の王なりと信じるゆえに、古代のローマ帝国のキリスト者への迫害となったし、日本の徳川時代の過酷な迫害も生みだした。
 またそのような社会的な問題にとどまることなく、個人の生活においても、何を自分の内なる王とするか、つまり何者に自分が仕えるのか、ということは日常生活や人生全体においてもきわめて重要な問題となる。
 あなたは、何を自分の王としているのか、何を自分がつねに敬い、心から従おうとする存在としているのかと尋ねられたら多くの人は何と答えるだろうか。それは、幼少の頃においては両親であり、学校の教師であるだろうし、友達関係では力の強い者であるかもしれない。大人になると、職場の上司であるかもしれない。また、夫とか友達など特定の人間に全面的に従い、仕えているという場合もあるだろう。また、長い病気になると、医者がそうした存在にもなりうる。
 しかし、心から信頼して仕え続けることができる存在は、どんな人間もふさわしくはない。人間は不正なことをすることもしばしばあり、不真実であり、弱い存在だからである。また何かの事故や病気ですぐに死んでしまうはかないものであるからである。本当の支配を永続的に続けることなどだれもできないのである。
 そうしたなかで、どこまでも仕え続けていくことができる存在、しかも何者をも支配できる力を持っている存在といえば、神のごとき存在でしかない。私たちはそうした観点からも目には見えない、神と同質の本質をもったお方ならば、仕えていくし、そういうお方こそ、真の王であるということになる。
 聖書はまさにそのようなお方として、キリストを指し示しているのである。そして私自身の個人的な経験によっても、かつては、そのように仕えるべき存在がなく、いわば自分に仕えていたということである。自分が少しでも認められるようになりたい、自分が強くなるのだといったことで自分、自分というのがつねにある意識であった。
 多くの人たちも同様で、他人に仕え、また自分に仕えているのが実態であろう。
 ヨハネ福音書でとくにいわれているように、キリストこそ、万人の王、あらゆる支配者のなかの最高の支配者である。ピラトが、イエスの罪状書きに「ユダヤ人の王」と書いたが、それについて異論を出したユダヤ人達に対して、「私が書いたものはそのままにしておけ」と言ったが、それもたんにローマ総督ピラトがユダヤ人に出した命令にとどまらず、歴史のなかで、二千年にわたって実現されてきたのである。ピラトはもちろん自分が神の道具となっているとは知らなかったが、歴史のなかでたしかに、キリストが王である、ということは、大書されてきたのである。ユダヤ人から出たただの人、処刑されてしまった哀れな罪人としか当時の人は思わなかっただろう。しかし神が、キリストこそは真の支配をされている王であると、人類の歴史のなかに書き込まれたのであった。
 このように、王であると強調されているイエスであるが、そのイエスは、嘲弄され、茨の冠をかぶせられ、平手で打たれ、鞭打たれて、重い十字架を背負わされて、処刑場への道をよろめきながら歩いていった。そこにはいかなる意味においても、王などということは感じられなかった。最も低いところまで、突き落とされた人間、もう一切の自由も奪いとられた死をまえにした哀れな人間でしかないと見えただろう。
 しかし、聖書は、そのような屈辱と弱さのただなかのキリストこそ、真の王であったと記しているのである。それは茨の冠ということが象徴的に意味している。茨をかぶせられるほどにあざけられ、見下され、苦しみを受けた。しかしそうした状況においてこそ、万物を支配されている王なのであると…。
 この世の王(支配者)は、敵と戦い武力で攻撃して多くを殺傷することによって王となったり、策略によって自分のライバルを排除していって王になる。しかし、キリストはみずからが人々から嘲笑され、見下され、重い傷を受けていてもなお、王なのであった。
 こうした性質を持つ救い主が現れるということは、キリストよりも五百年以上も昔に、すでに偉大な預言者イザヤによって預言されていた。(*)そのお方が預言の通りにたしかに現れ、王という本質を持った救い主として地上に来られたのである。

(*)彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、
多くの痛みを負い、…
私たちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのは、私たちの病であったのに、
私たちは、彼は神の手にかかって
打たれて苦しんでいると思っていた。…
私たちの罪のすべてを
主は彼に負わせられた。
彼は、捕らえられ、裁きを受けて
命を奪われた。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。(イザヤ書五三章より)

 また、ヨハネ福音書においてもここにあげた、福音書の終わりの部分だけでなく、その最初から、キリストが王であることを述べている。

…その翌日、イエスはフィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。…フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」
するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。
ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(ヨハネ福音書1・43〜50より)

 これはヨハネ福音書の第一章の終わりに出てくる場面である。十二弟子の筆頭格であったペテロですら、イエスの数々の奇跡や、不思議の力、深い教えを聞き、もっと後になってようやく、イエスが「神の子」であること、すなわち神と同質のお方であることを知った。にもかかわらず、ここで現れるナタナエルは、右に引用した部分でわかるようにほんの一度の出会いで、主イエスがいっさいを越えて見抜くお方であることを知って、ただちにイエスのことを「神の子」であり、しかも「王」であることを啓示されたのである。
 ヨハネ福音書ではこのナタナエルの言葉もまた、一種の預言となっている。それはたしかに真理であり、以後の歴史も、イエスが神の子であり、王であることを啓示されて信じる人が、実際に無数に生じていったのである。
 私たちが用いてきた讃美歌には、「君なるイエス」とか、「イエス君(きみ)」といった言葉がしばしば出てくる。これを、親しみを込めた表現と思っている人もいるようだが、それは間違いである。万葉歌人として知られる、額田王(おおきみ)も「王」という漢字を「きみ」と読ませている。このようなことでもわかるが、。もともと、「君」とは、「王」という意味を持っている。それゆえに「君主」という言葉がある。だから、「君なるイエス」とは、「王であるイエス」という意味なのである。

 キリストが王であるということ、あらゆる支配の力を持っておられることは、旧約聖書の最初の書物である、創世記にもごくわずかであるが閃光のように示され、ダニエル書においては、はっきりと記されている。
 まず創世記の箇所を見てみよう。その創世記では、キリストを指し示している不思議な人物が現れる。(*)それは、メルキゼデクである。これは、「正義の王」(**)という意味であり、新約聖書のヘブル書では、これがキリストを指し示していると、繰り返し強調されている。メルキゼデクとは不思議な人物で創世記の一箇所に現れる以外には、旧約聖書の分厚い内容のなかでは、あとは詩篇に一度出てくるだけである。ここに、キリストが初めて「王」として預言的に言われている。
 このように、このメルキゼデクという人物によって、はるか後に現れるキリストが、人間の罪をぬぐい去って、神と人間の間を橋渡しする存在(祭司)であるとともに、支配する権威を与えられた王でもあるということが、一瞬のきらめきのように暗示されているのである。

(*)創世記十四・17〜24
(**)ヘブル語で、メルキは王、セデクは、正義という意味。

 つぎに旧約聖書のダニエル書はどうであろうか。つぎの箇所がよく知られている。

…夜の幻をなお見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り、日の老いたる者(神)の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。
 諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続きその統治は滅びることがない。(ダニエル書七・13〜14)

 ダニエル書は独特の預言的内容に満ちているが、ここで言われているのは、「人の子」のような者が、神のところに行って、永遠に朽ちない支配の力、王としての権威を受けたということである。ここに出てくる「天の雲に乗って」という表現は、主イエスがそのまま、ご自身の再臨のときについて語ったときに用いている。また、このダニエル書のこの箇所で、「人の子」と言われている者が、神のまえに行って永遠の王権、支配の力を与えられたとある。これが、主イエスの言葉によって、イエス自身のことを指しているのがわかる。主イエスは地上で福音を宣べ伝えておられたとき、自分のことを「人の子」といわれたが、それは単なる人間の子供といった意味でなく、このダニエル書で言われているように、神から特別に永遠の支配の力を受けた存在、すなわち王であることの称号として用いられているのである。
 こうしてキリストは、すでに旧約聖書の時代から、神から、世界を支配する王として預言されていたと言える。
 ヨハネ福音書において、キリストの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書かれていたが、それがわざわざヘブル語(*)、ラテン語、ギリシャ語で書かれたと記されている。殺してしまう人間の罪名をどうして三ヶ国語で書いたりしたのか、不可解なことである。そしてそんなことは、キリストが殺されるということに比べたらどうでもよいことに見える。ヨハネ福音書でなぜこのようなことに強調が置かれているのだろうか。

(*)正確には、ヘブル語と同族のアラム語。

 それは、ここにも神の不思議な御手のはたらきがあるのだと言おうとしているのである。このような特別な仕方で書かせることについて、ピラトはそれが深い意味を持っているということはもちろん考えることもしなかった。一時の気まぐれでそのようにしたのであろう。しかし、神はピラトの手を用いて、キリストが全世界の「王」であることを宣言したのである。ヘブル語で書かれた旧約聖書は、現代では、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つの宗教の教典となり、世界を覆っている状況となっている。また、ラテン語は古代のローマの言語で、現在のフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語などはそのラテン語から生まれたものであり、世界にその影響は及んでいる。またギリシャ語は、当時の世界語であり、哲学や自然学、政治学などさまざまの分野でギリシャ語の書物は大きな影響を及ぼしていった。
 こうしたことから、イエスが「王」であるという罪状書きがこれら三つの言語で書かれたということは、全世界に、イエスが王であることが宣言されていくことの預言でもあったのである。
 このことは、以後二千年の歴史を通じて徐々に実現していくことになった。キリスト教が広まるとき、最初にユダヤ人から迫害があった。ついでローマ帝国からの長期にわたる迫害が続いた。しかしそれらは、目には見えないが、王たるキリストの力によってその迫害の力は除かれ、キリスト教は広く浸透していった。はるか後に日本に伝わってきたときも、江戸幕府は全力をあげて、キリスト教を撲滅しようとした。けれどもやはり、三百年にわたる迫害も止めざるを得なくなった。それは目には見えないが、キリストが王としてこの世界を、御支配なさっている証しだと言えよう。
 将来の世界はどうなるのか、飢餓の問題、環境問題、核兵器の問題、各地でのテロや内戦、あるいは世界的な規模で生じるかも知れない紛争などなど考えると、人間の理性などで考えるだけでは、およそ解決不能だと言わざるを得ない。地球そのものも未来は消滅してしまうと言われている。
 こうした答えの与えられない状況にあって、聖書はこうしたグローバルな問題、はるかな未来の問題も視野におさめて答えを人類に与えているのである。それこそは、キリストが王であり、いっさいを支配しているゆえに、キリストに委ねることによって私たちはその大いなる力によって救い出される、霊的な「新しい天と地」が訪れるということを信じることへと導かれる。その信仰以外には、解決はなく、また将来への明るい展望は決して開かれないのである。
 キリストのことを、聖書の最後の書である黙示録では、キング オブ キングズ(King of kings)と言われている。(黙示録十九・16)まさに、キリストは、あらゆる種類の支配者のすべての上に立つ、真の王なのである。それは単に、国々の支配者の上にあるというにとどまらず、自然を動かす力、宇宙を動かしている法則の上にもある。そうしたあらゆる支配の上にあるのがキリストの支配なのである。
 キリストは昔も今も、そして将来も真の王であり続ける。しかしその王は、茨の冠をかぶせられ、侮辱され最も低いところまで降りて行かれたお方であった。最後にエルサレムに入って行かれたときも、旧約聖書の預言通りに、わざわざ小さいロバの子に乗って入っていったのである。
 
…シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、
柔和な方で、ろばに乗り、
荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』(マタイ福音書二十一・5)

 このように、キリストは王であったが、たしかにみすぼらしい小さなロバの子に乗って来られたのである。しかしそれもすでに旧約聖書に預言されていた。この新約聖書にある言葉は、旧約聖書のゼカリヤ書九章九節からの引用なのである。王とか皇帝など支配者は、ふつうはみごとな白馬にまたがって、家来を従え、堂々とやってくるものである。それといかに対照的であることだろう。
 私たちに与えられた王とは、そのような最も低いところまで来て下さる王である。私たちがどんなに低くされ、人から理解されず、また侮辱されることがあろうとも、主イエスはそこにも降りて来て下さる。そして落ち込んでいる私たちに、王の力を与えて立ち上がらせてくださる。病気で一人苦しむとき、孤独に悩み、将来に絶望するような事態に直面してもなお、そこに主イエスは降りてきてくださる。そして、悲しみに沈む心や孤独に悩み、体の痛みに耐えがたい思いをする者の心の内にまでも来て下さり、神の国の力を与えて下さる。一番の底辺にまで来て下さる王、それこそが聖書で記されているキリストなのである。


st07_m2.gif植物の効果

 植物は、さまざまの面で人間によきものを与えています。生きるために不可欠な酸素は植物が作っているし、毎日の食事の主食である米や小麦などの主食、それから副食も植物に由来しています。ここでは、いくつかの書物やインタネット、食品分析表などを参考にして、そうしたものを参照できにくい人のために書いてみました。
 今多くの人の関心が集まっているガンに対しても、植物、とくに緑黄野菜や大豆、玄米などが注目されています。
 緑黄野菜は発がん促進物質の効力を低め、がんの発生を防ぐ作用のあることが動物実験などから明らかになっています。
 緑黄色野菜に多く含まれるベータ・カロチン(体内でビタミンAに変わる)やレバーなどに含まれるビタミンA、緑茶や緑黄色野菜に含まれる植物成分のポリフェノールなどは、発がん促進物質の効力を低め、がんの発生を防ぐ作用のあることが動物実験などから明らかになっています。
また、カロチンやビタミンAを含む食品をたくさん食べることで、肺がん、膀胱がん、喉頭がん、胃がんなどにかかりにくくなることが知られています。
 ビタミンCというとみかん類を思い浮かべますが、柿、パセリやピーマン、いちごなどにも多く含まれています。日本では昔からもっともなじみのある果物といえる、柿は栄養的にもすぐれた食品です。甘柿についていうと、ビタミンAもビタミンCも、ミカン(温州みかん)にくらべると、いずれも二倍ほど含まれていますが、(*)たいていの人は、柿よりミカンがビタミンCを多く含むと思いこんでいるのではないかと思います。柿は、薬用植物でもあり、秋の果実も見て美しく、里の風景を豊かにし、心を和らげる働きもあります。

(*)みかんには、ビタミンAは、33IU、甘柿には、65IU、ビタミンCは、みかんは35ミリグラムに対して、柿は70ミリグラム含まれており、それぞれほぼ二倍となっています。(可食部100グラムあたり)

 食品に含まれる物質同士が体内で反応しあって、発がん物質がつくられる場合があるのですが、ビタミンCにはこの反応を抑えるはたらきがあります。胚芽米や大豆、いわしや卵などに多く含まれるビタミンEにも同じような作用が認められています。
 また、食物の繊維質は、大腸のはたらきを活発にして、便通をよくします。便が腸の中にある時間が短くなり、さらに、繊維成分が腸内にある発がん物質の濃度を薄めるので、大腸がんにかかりにくいといわれています。
 葉酸とビタミン12を与えて実験すると、それらを毎日与えると八割が、前ガン病変が消え始めたが、それらを与えなかった場合には、大半が改善しなかったといいます。
 また、葉酸はビタミンの一種で、緑黄野菜に多く含まれています。ビタミン12は、イワシ、アサリなどの魚介類に多い。これらは傷ついた遺伝子を修復する作用があるのではないかと言われています。予防としては、緑黄野菜を摂るのが基本だということです。
 また、トマトにあるカロチノイドの一種、タマネギやニンニクに含まれる物質も大腸ガンや肺ガンなどにも抑制効果があったということです。
 また、最近では、緑黄野菜のほかに淡色野菜が免疫機能を強める成分を含むことが明らかになってきました。免疫のはたらきに重要な関わりを持っている白血球の一種であるマクロファージによって作られるある物質は腫瘍を攻撃することがわかりました。そのマクロファージを活性化させる物質が、キャベツ、ナス、ダイコンなどの淡色野菜やバナナ、梨などに多く見られたということです。
 また、大豆製品がよいというのは特に最近は多く言われるようになっています。国立がんセンターでの調査では、みそ汁を毎日飲む人ほど胃ガンが少ないと報告されています。みそ汁に含まれている塩分のことが気になる人がいますが、みそ汁と同じ量の塩分を入れたものを与えるた群と比べると、みそ汁を与えたほうが胃ガンの発生率が少なかったとのことです。こうした結果から、みそ汁は胃ガンの発生を抑えることがわかっています。また、それに野菜や豆腐などを入れるとさらに効果的となるわけです。また、牛乳を一日に三六〇CC 以上飲む人は、胃ガンになるリスクが、五分の一〜四分の一になるという研究結果も出ています。
 私自身、三〇年ほども昔、夜間高校に勤務していたとき、激しい暴力が横行していて、夕食時間がほとんどなく、まともに食べられないことがしばしばあったうえ、理科関係の実験器具などを、食後すぐに準備したり後かたづけしたりしていて胃を悪くしました。食後数時間すると、胃が痛くなり、からだが重くなり、夜にはじっとしていられないほど痛むこともありました。そのようなとき、暖めた牛乳をよくかんで(唾液とまぜて)飲むこと、玄米を五〇回以上十分に噛んで食べること、植物性の食物にすることなどで薬を使わずに治っていった経験があります。それ以来、暖めた牛乳を愛用しています。
 また、岐阜大学の清水教授らの研究で、岐阜県高山市の三万人ほどの住民を対象として一〇年ちかく追跡調査した結果、豆腐、納豆、豆乳、味噌などの大豆製品を日常的に摂ると、胃ガンの死亡率が、半減するというデータが得られたと報告されています。それは大豆に含まれるイソフラボンという物質が細胞にできた腫瘍の増殖をおさえる働きがあるからです。
 ガンだけでなく、緑黄野菜や果物がよいということについては、最近アメリカで、ハーバード大学公衆衛生学教室の研究班の調査で、最大14年間にわたる大規模な疫学調査がなされました。調査対象者は、女性看護婦で7万5596人、男性は病院などに勤務する医療職に従事する男性3万8683人の計10万人を超える。その結果、つぎのような野菜の効果が明らかになりました。
・野菜は100gを1単位とすると、ブロッコリー、カリフラワーなどアブラナ科の野菜を毎日1単位以上食べている人は、ほとんど摂らない人より、脳梗塞の発症が29%減少していた。
・緑黄野菜を毎日1.5単位以上摂っている人は、ほとんど摂らない人より脳梗塞が24%少なかった 。
 このように、ガン以外の病気にも野菜の効果ははっきりと出ています。最近よくその著書が話題になる、聖路加病院の日野原重明さんも、夕食にはご飯は茶碗半分て、緑黄野菜をボール一杯を摂ると言っています。このように、野菜がよいというのは、言い換えると植物そのものがよいからです。主食でも、白米よりも自然のままの玄米がよいのは当然のことです。玄米とはイネの実そのままのものですから、主成分のデンプンのほかに、繊維分もビタミン類やミネラル、脂肪、タンパク質も多く含まれています。
 例えば、玄米は、白米に比べてご飯にした場合、繊維分は四倍、カルシウムは、二倍、鉄分は五倍、カリウムは四倍、ビタミンB1は五倍余り、B2は二倍、ナイアシンも五倍余り、ほかの栄養分についても、ビタミンE、ビタミン6、葉酸、リノール酸、パントテン酸等も白米よりも当然多く、白米と比べるとずっと栄養価値が高くなります。主食は毎日食べるものなので、この差は大きいと言えます。しかも玄米の食事はよく噛む必要がありますから、それも体によいわけです。
 サトウキビも自然のままのものを食べると、ビタミンやミネラルも含まれているけれども、それから白砂糖にしてしまうと、一種の化学薬品といったものになります。
 このように植物そのままのものはたいてい体によいのがわかります。からだの病気だけでなく、心の方面に対しても言えることです。私たちの心が憂鬱になり、沈みそうになるとき、植物の多いところ、つまり野山の自然に触れると心のなかのしこりが洗い流されるような気持ちになることがしばしばあります。植物、ことに樹木たちの沈黙とそのすがた、あるいは野草の花の清楚な美しさなどが心の栄養になり、よくないものを除く作用があるからです。
 最近は森林浴ということの重要性が知られるようになっています。
 森や林の中で清浄な空気を呼吸し、樹間を吹き抜ける風に当たりながら歩くことは、だれでも心身によい影響を感じるものです。森の樹木はさわやかな香気を放っていて、これはテルペン類という炭化水素化合物によるもので、人間の精神神経、とくに自律神経に作用して精神の安定によい効果をもたらすといわれています。
 植物は、酸素を作り出す以外にも、空気中の二酸化炭素をも吸収しています。それから、樹木や野草など、見ても心にさわやかさを与えてくれるし、果物もできる。暑さも和らげ、また山に降った雨をも貯めておくいわば自然のダムのような役割をも果たしています。
 食事においても、生活の場にあっても、植物との関わりを深めることで、人間はいろいろの意味で健康的になるのがわかります。


st07_m2.gif休憩室

秋の夜空

 最近、夜明けには「明けの明星」として知られる、金星が夜明け頃に輝いています。明け方の静まった大気のなか、多くの人たちがまだ目覚めていないときに、夜空の闇にひときわめだって輝いているのが、金星です。明け方に戸外に出て、星をしずかに眺めるということはほとんどの人にとっては、経験していないことと思います。
 しかし、明けの明星をまだ見たことのない人は、ぜひ夜明け前の五時半ころに起き出して、東の空を見ることをお勧めします。星座にはまったく分からないという人でも、必ずただちに見付かる強い輝きです。古代からそれは見る人に特別な感慨を起こさせてきた星であり、人間のちいさな小さな世界から翼を与えられるような、人間世界とは別の国からの輝きのような気がするほどです。それはじっとまばたくことなく、私たち人間を見つめるかのようです。
 聖書の最後の書である黙示録には、つぎのように記されています。

…わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16)

 なお、まだ夜明け前の暗いうちなら、その金星のすぐ上に、金星ほどではないけれども赤く輝く星が見えます。それが火星です。
 また、土星は、夜中に見えてくるオリオン座のすぐ上に見えます。木星は、ややはなれて、東から登ってきます。


st07_m2.gifことば

(146)「キリスト者であるとはどういうことかね、エヴァ?」
「何よりも一番にキリストを愛することよ」と、エヴァが言った。(「アンクル・トムの小屋」第二六章)

"What is being a Christian,Eva?"
"Loving Christ most of all," said Eva.

・主イエスは、最も大切な戒めとして、「神を愛すること」、「隣人を愛すること」と言われた。信じるということは愛するためには不可欠であるが、信じるだけでとどまっていては深い主の平安は与えられないだろう。人間関係でも、相手を信じることで留まっているのよりは、相手がどうあろうとも、よりよくなることを祈る心、つまり主にあって愛するということへとすすむのが本来であるから。
 キリストを何者よりも愛するとは、ほかのどんなものよりもキリストに心を注いでいることでもある。そして愛するからこそ、その声につねに耳を傾けようとするし、語りかけてくる静かな細い声に従おうという気持ちが自然に起きる。そしてそのキリストとは神と同様なお方であるから神の国のあらゆるよきものを持っておられる。そのよき天国の賜物へと心を開いていることでもある。

(147)あなたの悩みをすべて主にゆだねよ、
主はあなたに代り配慮される。
あなたの家族のための心配を
われらの信ずる主にゆだねよ、
主は思い悩むことを好まれない。
しかし、あなたがささげる天に向っての祈りはよろこんで聞き給う。…

あなたを苦しめるために
理由なく苦難が与えられたのではない。
信じなさい、まことの生命は
悲しみの日に植えられることを。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために上 三月十五日より」)

・悲しみをわざわざ求めるものはいない。しかし悲しみがなければ、私たちの心は深く耕されないゆえに、神は私たちにさまざまの苦しみや悲しみを与えるのであろう。主イエスも「ああ、幸いだ、悲しむ者! その人たちは神によって慰めされるから」と言われた。


st07_m2.gif返舟だより

○十一月十五日(金)から十九日(火)にかけて、松山、熊本、福岡、大分などでみ言葉を語る機会が与えられたことは、主による導きとして感謝でした。また広島、岡山、香川などで、主にある方々と交わり、「祈の友」会員をも一部ですが訪問して語り合う機会が与えられました。この五日間を祈りによって支えてくださった集会の方々、また各地の信徒の方々の主にあるご配慮にも深く感謝します。
 私たちは、一人一人が直接神と交わり、主イエスの生きた働きに導かれることが必要ですが、それとともに信徒の方々との主にある交流も重要なことと思います。聖書にも使徒行伝や使徒の手紙などにも、キリストを信じる者同士の深い交流が記され、たがいに祈り、支え合っていたようすがうかがえます。信じる者同士はキリストのからだであると言われている意味が、あちこちの集会に参加してみるといっそうよくわかります。パウロも身近にいる信徒だけでなく、めったに会うこともできない遠くにいるキリスト者たちとも、キリストのからだであると言っていることを思い出します。
 神の言葉こそ、そのような結びつきを生みだし、支え、そしてそこからよきものをくみ取ることができるようになっていることを思い、神の言葉を知らされた祝福を感じました。

○愛媛県の佐多岬半島を通るときには、道路が山の斜面を通るので、秋の植物があちこちでみられました。徳島県では一部にしか見られない、リュウノウギクの白いキクがたくさん見られ、その一部をつんで熊本の集会に持参しましたが、集会の人にとってもその葉の独特の香りが印象的なようでした。
 また、海岸植物である、ダンチクの上部の穂がついている部分がうまく採取できたので、それも持っていきましたが、参加者の一人の方はハンセン病療養所におられる方ですが、子供のときに海岸近くの家であったために、このダンチクに親しんでいたといわれ、そうした遠い昔とふるさとのことを思い出すよすがとなったようでした。ダンチクは、ヨシタケ(葦竹)とも言われ、三メートルの高さにも達する植物で、草のなかまとしては日本では最も大きいものの一つとされています。
 その他、ヤマシロギクの白い花、ヤマハッカの青紫色の花の群生があり、秋らしさを味わうことができました。また、熊本の集会に行く途中の阿蘇山に通じる道、大分県の竹田付近の山道では、シマカンギクという黄色の野菊が多く見られました。これは徳島の山々では私はまだ見かけたことがないように思います。

訂正
。十月号六頁三段目左より三行目 「懇願した」→「ひれ伏して」(すでに訂正されて届けられたのもありますが、未訂正のものがあります。)
2002/11

の言葉    2002/10

 私たちが最も必要としている言葉は、人間の言葉でない。人間を越えた存在から語りかけられる言葉である。だれでも高い山に歩けば心がすがすがしい気持ちになる。眼前に広がる海の雄大な波音を前にしても心は清められるような感じがする。
 それはそれらの自然を通して、その自然を創造した神からの私たちへの言葉が伝わってくるからである。山々の力強い連なりや、渓流の水の流れや、野草や木々のたたずまい、波音も、風の音、真っ白な波の寄せる姿や、青い海原や大空、白い雲などもみな、一種の神からの言葉だからである。
 しかし、神の言葉は決してそれだけでない。私たちの理性によって理解できる神の言葉がある。

「心に何も高ぶりとか誇るものをもたない人たち、
すなわち心の貧しい者、悲しむ者が幸いだ。
その悲しみのなかから神を仰ぐときには、
神によって力づけられ、慰められる。
その人たちには、神の国が与えられるのだから」
(マタイ福音書五より)

 このような言葉は、風の音をいくら聞いていても与えられることはない。私は台風の近づいている風の強い日には、しばしば裏の山に登る。そこで聞き取る木々の風音はからだ全体に力が注がれるような不思議な感動を与えられることが多いからである。
 にもかかわらず、さきほどのような真の幸いについての言葉とか、罪の赦しが十字架のキリストを仰ぐことによって与えられるといった経験は、そうした自然との交わりだけでは与えられない。それには、やはり理性で受け止める言葉によって語られなければならないのである。
 聖書はそのためにある。聖書を詳しく、深く学ぶにつれてそれは世のあらゆるベストセラーとかマスコミなどで話題になる人物の言葉と全く異なる内容を持っているのに気付かされていく。学ばないときには、わからない。浅い理解のままになる。
 確かに聖書は単に信ずべき書物にとどまらず、学ぶべき書物なのである。そこから泉のように真理が私たちの心に届いてくる。そのように聖書の言葉の意味の深さを学ぶとき、自然のさまざまの風物から与えられる神の言葉もいっそう私たちの心に深く入ってくる。
 そうしてそれがまた、書かれた神の言葉である聖書の意味をいっそう深めるということになり、聖書と自然はたがいに働き合って神の言葉をより深く知らせてくれるのである。


st07_m2.gif天における大いなる喜び

 人間が最も喜ぶときとは、人から認められたとき、それは有名になったり、賞をもらったり、欲しいものが与えられたとき、または気の合った友人との交わり、好きな飲食をするとき…などなど多様なものがあるだろう。
 それなら神が最も喜ばれるときというのはどういう時なのであろうか。

このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない(と思いこんでいる)九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。…

(ルカ福音書十五章より)

 天において喜びがわき起こるのは、たった一人でも心から悔い改めて神に立ち返るときであるという。そのようなことに最も深い喜びがあるなどと、ふつうは考えたこともない人が多数であろう。
 私たちは、自分たちの小さな喜びばかりに目を取られて、私たちすべてを支配されている神のいます天においてどんなときに大いなる喜びがわき起こるだろうかなどとあまり考えたことがないのではないだろうか。 
 この世には、神に祝福された喜びと、単なる自分本位の喜びや楽しみがある。飲食の楽しみは一人でも味わえる。あるいは、数人の仲間との飲食も楽しいだろう。しかしこれも健康を損なうとたちまちそのような楽しみは消えていく。飲食自体ができないほどに病気も重くなることがある。
 さらに、楽しみや喜びは悪いことをしても生じる。人を困らせておいて楽しみを感じるとか、または禁じられたことをして楽しむとか喜ぶなどということも多く見られる。
 しかし、そうしたことと全く異なる喜びがある。
 それがここで言われている、たった一人の罪人が悔い改めて、神に立ち返ることである。私たちが神のお心を与えられるならば、このことがどんなに深くて清い喜びであるかがわかってくる。
 新聞やテレビでは、能力のある者がもてはやされ、優勝とかで最大の喜びがあるかのように書いている。オリンピックとかサッカー、野球、相撲など新聞でも大々的に取り扱われている。例えばサッカーのように、一個のボールを相手のゴールに蹴って入れたということがどうしてそんな新聞で一面トップで写真入りで掲載する必要があるのか、じつに不可解である。
 それは正義とか愛、真実といったこととはまるで関係のないことである。もともと長い人間の歴史においては、大多数の人々は広いグラウンドでボールを追って遊ぶというような余裕は全くなかった。一日中仕事に追われていた。朝暗いうちから、夕方暗くなるまでまで働いても飢え死ぬことすらある状況が身近にあった。
 時間のあるときに近くの広場でそうしたスポーツをして、心身のさわやかさを経験し、楽しみを持つということが本来であって、あのように世界的大事件のように書き立てることはもっともっと重要なことがあるのにそこから目をそらしてしまうことになる。
 高校の野球部など、毎日数時間も一年中やっているところもある。そのような膨大な時間を単に、ボールを一本の棒で打つことと、それを追ってとらえるという単純なことに費やしてどれほどの精神的な成長があるだろうか。こうした贅沢な時間の使い方は、日本のような豊かな国であるからできるのであって、食物もまともになく、飢えで苦しむ無数の人々、子供のときから一日中働かねばならないような人々にとっては、スポーツで毎日何時間も費やすというのは考えられない贅沢とうつるだろう。
 若者はそうしたことより、本来は、田畑を耕し、自分で作物を育てたり、国立の施設を作ってそこでさまざまの障害者や病の人たちへの介助などの仕事に従事するとか、外国の貧しい国々で働いたりする経験を重ねることがずっと有益だと思われる。
 聖書はスポーツ世界の楽しみや喜びとは本質的に異なる世界の喜びを告げている。そうした喜びとか楽しみは、強い者が中心である。弱い者は、見下され無視され退場するだけである。
 しかし、聖書の世界では、弱い者、この世から見下された者、はみ出したもの、迷い込んでどうにもならなくなった者、うずくまってしまった者を中心にしている。そうした者が神の愛を知って悔い改めるときに、その当事者も深い喜びが与えられ、それが神の御心にかなっていることであるから、最大の喜びが天にある、神はそうした者が悔い改めることが最大の喜びなのだと記されている。
 聖書にいう神とは何と感謝すべきお方であろうか。私たちは自分の能力の弱さや不足に悲しむことはないのである。この世から見下され、無視されても構わないのである。私たちが神へのまなざしを持ち続けるかぎり、そうした弱いところから見つめる心を最も大切にしてくださるからである。
「ああ、幸いだ。心の貧しき者は。その人たちには、神の国が与えられるからである」との言葉通りに、最大のよきものである神の国がそうした人々に与えられる。


st07_m2.gif一つになること

 人間の最大の願いの一つは、みんなが友になること、心が一つになることだろう。家庭や学校といった小さなところから、会社、国全体、さらには国際的な平和まで、だれもが本来は一つになって友になることを願っているはずである。
 戦争は、この一つになれないということが、大規模になってしまった悲劇である。戦争を止めて平和を、という願いは繰り返し語られてきた。しかし今日までの長い歴史のなかで、たえず戦争は生じてきたのである。そして現在もまた、アメリカがイラクに戦争を仕掛けようとしている。イラクにしても核兵器や生物化学兵器の開発を密かにしているという疑惑が持たれている。それらもみな、戦争のための開発である。
 戦争によっておびただしい人々が殺され、あるいは生涯治らないほどの傷を体に受ける。それによって家庭も破壊されたり、癒しがたい心身の傷を受けていく。また、戦争が終わってもなお、国家内部の混乱や内乱が生じたり、原爆のような恐ろしい兵器は数十年を経てもなお被爆した人々に苦しみを与え続けている。
 戦争が残すいまわしい例として地雷がある。これは、現在世界で一億個が七〇カ国で埋められたままになっている。そして一個を大変な苦労をして探しだし、廃棄するには、一個につき、十万円以上の経費がかかることも多いという。現在の調子で、地雷を除き去るには、千年以上もかかる計算になるという。
 地雷によって腕や足が吹き飛ばされ、働くこともできなくなって生涯を破壊されるという、悲劇的事態に巻き込まれる人たちは、毎日世界のどこかで生じている。毎月二千人以上が死んだり、手足を吹き飛ばされているから、一日になおすと二十人もの人がどこかで犠牲になっているのである。
 こうした悲しむべきことも、戦争を起こすからである。内戦であれ、外国との戦争であれ、戦争が生じると地雷を畑とか道路とかあちこちに埋めてしまう。そして結局は一般の農民、市民がその犠牲になることが多い。
 現在の北朝鮮の拉致問題の悲劇も南北が一つになれないところから来ている。この問題を考えるときに、私たちは単に北朝鮮の拉致を非難するだけでなく、今からつい六十年ほど前には、日本がいかに朝鮮半島のおびただしい数の人々を強制連行してきたかを知らねばならない。前号にも少し触れたが、ここではもう少し詳しく見てみよう。
 日本は一九三九年から、一九四五年までの七年足らずの間に、実に百万人を越える朝鮮の人たちを強制連行して日本に連れてきて、とくにおびただしい粉塵や有毒ガスの漂う炭坑や金属鉱山を主として働かせた。
(*)
そのときの状況は、つぎのようであったという。

 動員計画数を達成するために深夜や早暁、突然に男のいる家の寝込みを襲い、あるいは田畑で働いている最中にトラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して北海道や九州の炭坑へ送り込み,その責を果たしたという。
 また,女性は女子愛国奉仕隊とか女子挺身隊として狩り出され,各地の戦線で従軍慰安婦にされた。(**)

 これはまさに拉致であり、現在問題となっている北朝鮮の拉致とは比較にもならない膨大な数である。このような悲劇が起きるのは究極的には、一つになれない人間の罪が根底にある。

(*)この七年足らずの間の強制連行された数は、敗戦が近づくにつれて増大した。太平洋戦争の始まった一九四一年には、十万人であったのが、敗戦の前年の一九四四年には、三十二万人もの人たちが強制連行されている。炭坑や金属鉱山、土木などにはこの七年たらずの期間でおよそ、九十四万人を越えており、さらに軍事用員としては、十四万五千人もが連れて来られたという。これらの合計でおよそ、一〇八万人以上となる。その他に樺太(サハリン)や南方の戦線に軍事要員として動員された人たちは、四万人を越えている。これらを合わせると百十二万人もの朝鮮半島の人たちが強制連行されてきたことになる。(大蔵省「日本人の海外活動に関する歴史的調査」朝鮮編 一九四七年。この項と(**)はともに、平凡社 世界大百科事典による)

 人間がたがいに一つになれないとき、単に個人的な争いや憎しみが生じるのに留まらずに、戦争という形をとって、大規模な悲劇となっていくのである。
 こうした事実を知るとき、また、現在のように、新しい形の戦争が生じるかも知れないという状況においては、いっそう主イエスが言われた、「一つになること」の重要性が浮かび上がってくる。
 そして一つになるためには、まずその一番重要な出発点がどこにあるかを示された。それがヨハネ福音書において強調されている。

父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。
 彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。…
あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。
  こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
(ヨハネ福音書十七・21〜23)

 ヨハネ福音書ではこのように、とくに「一つとなる」ことが強調されている。
 ここに引用した箇所のすこし前には、キリストを信じる人たちを聖なる者としてください、聖別されるようにとの主イエスの願いが記されていた。(*)
 キリスト者とは、神の国のために、「分かたれた人々」なのである。そうした人々にとって、孤独はつきものである。

(*)新共同訳では、「捧げられた者となるため」と訳されている。しかしこの箇所の原語は、ハギアゾーであって、神のために分ける、聖別するということであって、この世から分けるという意味がもとにある。新改訳では「 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。」と訳して、分かつという意味をはっきり出している。

 実際にヨハネ福音書の書かれたときには、すでに厳しい迫害が始まって数十年にもなっている。そうした孤立せざるを得ないキリスト者にとって、きわめて重要なのが、主にある民が一つになるということであった。そのため、ヨハネ福音書ではとくに、この一つになるということが繰り返し現れるのである。神のために分かたれるという箇所のすぐ後に、信じる者たちが一つになるということが言われて、キリストの最後の祈りが締めくくられているのもそのような理由による。

わたしは、もはや世にはいない。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。(ヨハネ十七・11)

 また、この精神は、すでに有名なマタイ福音書の次の言葉でも言われている。この世は分裂している。家庭も、仕事先も、また社会も国際社会も分裂が至るところでみられる。そうしたただ中に、キリストは来られた。キリストの本当の心が私たちに宿るときには、分裂でなく、一つになる方向へと導かれる。少数でも、心を合わせて祈る心が一つの方向へと進めていく。小さな所からでも一つになって主イエスに求めていく心が言われている。

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。(マタイ十八・19)

 祈りの心は、一つにする。それは、祈りは神が働かれるからである。それと正反対なのが、悪口、中傷である。それは愛もなく、祈りもないところから生じる。どんな敵対する人がいても、その人のために祈ることで、一つにされる。相手は背いたままであってもなお、祈る人の世界にはそうした敵する人も一つに祈られている。祈りは主にあって、一つにまとめる力を持っている。敵対者だけでなく、健康なもの、病気の者、遠くの者、死んだ者とすら一つにするような力がある。
 地上で最後の夕食のときに語られた主イエスの言葉は、そのような一つへの切実な祈りで終わっていることに、分裂に悩む現代の私たちへの特別なメッセージがある。


st07_m2.gif娘よ、起きなさい
(タリタ・クム)

イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。
すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。
「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。
イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、
言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。
群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手を取って、「タリタ・クム」(*)と言われた。これは、「娘よ、起きなさい」という意味である。すると、少女は起き上がった。
このうわさはその地方一帯に広まった。
(マタイ福音書九・18〜26、マルコ福音書五・21〜43より)

(*)タリタ・クミとなっている写本もある。これは、イエスの時代に用いられていた言葉であるアラム語。主イエスの十字架上での叫びとして知られている、マルコ福音書にある「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ!」(我が神、我が神、どうして私を捨てたのか!)も、アラム語である。

この聖書の記事は現代の私たちにとっては、奇異に見えるであろう。
なぜならこのようなことは現代においてはまず見られないし、誰も経験したことがないからである。このような記事がなぜ書いてあるのか、今の私たちの生活とは全く何の関係もないではないかと思われる。わたし自身、こうしたことが書いてある意味が以前はよく分からなかったが、最近ではこのような奇跡の意味が次第によくわかるようになってきた。
ここでは二人の人が印象に残る。この会堂長とは、ユダヤ人の生活の中心をなしていたユダヤ教の中心をなしていた。一方では、ユダヤ人はイエスに対しては、強い反感を持っている人が多かった。それは、次のような記述からうかがえる。

これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(ルカ福音書四・28〜30)

イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。
イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。
そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。
(マルコ三・1〜6)

 このような記事からうかがえように、ユダヤ人の会堂というのは決して主イエスに好意的であったとは言えない。敵意を持つことが多かったと思われる。最初にあげたヤイロという人は、そうした会堂の責任者であったから、一層この人の主イエスに対する姿勢には驚かされる。しかも、この人は社会的に注目を集めると考えられる会堂の責任者であるが、他方、主イエスは社会的には何も地位もなく、年齢もまだ三十歳すぎであったから、このような会堂の責任者が主イエスにひれ伏してまで懇願した(*)というのは驚くべきことであった。
どうしてこの会堂長はこんなに深い信仰を持つことができたのだろうか。そのような信仰はだれから教わったのだろうか。まわりがどのような人であったからこのような深い信仰が与えられたのであろうか。
このようなことについては、聖書は何も触れていない。 主イエスに対しては、このようにしばしば思いがけない人たちが深い信頼をおいてきたのであった。

(*)ここで「ひれ伏した」と訳されている言葉は、次のような個所で、「拝した」とか「拝んだ」というように訳されている言葉であり、この会堂長のイエスに対する信仰がどのようなものであったかを暗示している。

・舟の中にいた弟子たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。(マタイ四・33)

・東から来た博士たちは言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ二・2)

・するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。(マタイ四・10)

このようにこの会堂長は、社会的な地位もあった人であり、しかもそこには大勢の群衆が取り囲んでいたのに、そうした人々のただなかで主イエスに対して、拝する(礼拝する)と言えるほどの敬意を示したのであった。当時においても、死んだ者を生き返らせることができるなどということは、ほとんどだれも考えたことがなかったに違いない。死んだ者がよみがえるということを信じるものが一部にはあったが、それも世の終わりの時に、正しい人は復活すると信じていただけであったと思われる。それは次のような例をみればわかる。

イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえる」。マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。(ヨハネ十一・23〜24)

当時の状況がそのようなものであったことを知るとき、一層この会堂長の信仰の深さがわかる。たんに頭のなかでそのように考えていたというのでなく、自分の社会的地位にもこだわることなく、大勢の群衆の前で主イエスに対して、神を拝するかのように最大級の敬意を下げたのである。この驚くべき信仰はどうして生じたのだろうか。だれに教わったのであろうか。主イエスにつねに従っていて、さまざまの奇跡を目の当たりにしていた人、主イエスの教えをすべて聞き取っていた弟子たちですら、イエスが神の子であるとはっきりとわかったのは、かなり後になってからであった。
このような会堂長の信仰が示されたすぐあとで、もう一人の人物が現れる。
それは、十二年間もの間、出血の病にかかって苦しみ続けてきた一人の女性であった。当時ではこの出血の病というのがどのようなことを意味していたか、それはこの新約聖書の文面だけではわからない。それをうかがうには、旧約聖書を参照することが必要となる。

もし、生理期間中でないときに、何日も出血があるか、あるいはその期間を過ぎても出血がやまないならば、その期間中は汚れており、生理期間中と同じように汚れる。この期間中に彼女が使った寝床は、生理期間中使用した寝床と同様に汚れる。また、彼女が使った腰掛けも月経による汚れと同様汚れる。また、これらの物に触れた人はすべて汚れる。その人は衣服を水洗いし、身を洗う。その人は夕方まで汚れている。(レビ記十五・25〜27)

このような記事から推察できるのは、この女性はもう十二年もの長い間、出血が止まらない病気であったから、その苦しみは単に病気の苦しみだけでなく、社会的に排除され、まともな人間扱いをしてもらえないというところにあっただろう。このような病気になると、その人が触れるものまで汚れてしまうというのであったら、この女性はどこにもいけないということになる。汚れているということは、どうにもならないことであって、医者にかかって治してもらおうとしても、できなかった。ルカ福音書によれば、そのために全財産をすら使ってしまったという。

ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。(ルカ福音書八・43)

それほどまでしても癒されない難しい病気であった。このような状況であればたいていはもうあきらめてしまうであろう。しかし、この女は、どこから聞いたのかは記されていないが、今までのいかなる医者や祭司、宗教家であってもどうすることもできなかったこの難病を、イエスだけは癒すことができると確信していた。これはじつは驚くべきことである。医者でもなんでもない年齢もまだ三十歳すぎの若い人が、十二年も治らなかった病気をいやすことができると確信できたのは、なぜたろうか。何が彼女をそのような確信に導いたのだろうか。
聖書はここでもそういうことについては一切沈黙を守っている。この女性は汚れているとされてきたため、どこにも行く事もできず、仕事も与えられなかっただろう。そうした閉鎖的な生活を続けてきた人が、いかにしてイエスだけは自分を癒してくれるという確信に導かれたのだろうか。
最も閉鎖的な生活をしてきたと思われるような人が、だれよりも深い信仰を持っていたということ、それは驚くべきことである。このことは、神が御心のままに、人を選んでとくに救いを知らせるということがうかがえる。キリスト教信仰はこのように、だれも予想もしなかったような人が、驚くべき深い信仰を持つようになり、神に用いられるということが、こうした箇所で示されている。
神がその御計画にしたがって人間をこの世から選び出し、近くにいる人のわずかな会話とか、伝聞といったわずかの情報からでも深い確信を与えるからである。
この箇所で現れる二人の人物は対照的に置かれている。娘が死んだけれども主イエスが手をおいてくれるだけで、生き返るとまで深く主イエスに信頼していた人は、社会的にも地位のあった人であった。しかし、もう一人の女性は、汚れているとされ、社会的に排除されてきた人であり誰からも注目されない人であった。
しかし、その両者において共通していたことがある。それは主イエスへの絶対的な信仰であった。まっすぐに、ただ主イエスだけを見つめ、イエスは神の力を与えられている御方であるということであった。
この箇所が言おうとしていることは、信仰というのは、学識や経験、社会的地位とかそうしたあらゆる問題とは別のことであり、だれも予想できないよう人が主イエスに対する真実な信頼を持つことがあるということである。


するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。(ルカ福音書十八・16〜17)

会堂長や長い間出血の病に苦しんできた女性は、こうした幼な子のような心をもって、まっすぐに主イエスを仰いだのがわかる。
十二弟子たちすら、キリストが十字架で殺されて三日目に復活するといわれてもそれを信じることができなかったし、実際に復活したときでも、なお彼らは次のように信じることがなかなかできなかった。

(二人の神の使はイエスの墓を訪れた婦人たちに言った)「イエスは、ここにはおられない。復活なさったのだ。…人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。…婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。(ルカ福音書二十四・6〜11より)

こうした記事を見ると一層この記事は驚くべきことだとわかる。三年間のあいだ絶えず主イエスのそばにいて親しくその教えを聞き、さまざまの奇跡を目の当たりにしていた弟子たちですら、死人からの復活を信じることはできなかったのであり、そのために主イエスの復活を聞いてもなお、信じなかったのである。
死人からの復活を信じるとは、神は死に死に打ち勝つ力を持っておられるということを信じることである。そのことが困難であったことは、使徒パウロもギリシャのコリント地方のキリスト者に宛てた手紙で述べている。

キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけか。
死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずである。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄となる。…
死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったことになる。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになる。
(Tコリント 十五・12〜17より)

このように死の力はきわめて大きく、それを打ち破って復活するなどということはキリストを救い主と信じることができた人々であってもなお、困難なことであったのがよくわかる。この世で最大の力を持っているように見えるのは、死の力である。死はいかなる権力者も、世界の組織、状態も飲み込んでしまい、全くそれを消滅させてしまうことができるからである。
そのような死の力がなににもまして強いと信じられていた世の中において、この会堂長は主イエスの御手がそこに置かれるだけで死からよみがえらせることがてきると確信していた。
この確信はいままで述べてきたように十二弟子たちやほかのキリスト者たちのことを考えると特別に際立っているのがわかる。死んだ者すらも復活させることができるというのは、神の絶大な力を信じることである。そしてこのことは、文字通り、肉体が死んだ者を復活させることができるということだけでなく、精神的な意味、霊的な意味において復活させることができるということも含んでいる。

さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのである。(エペソ書二・1)

このように、人間はみな、神の持っている真実や愛、正義といった面から見るときには、それらを持っていないのであり、よいことをしているようであっても、それは一時的であるか、自分の益のためにやっているという自分中心の状態が深くしみこんでいる。こうした状況を「死んでいた」と言っているのである。そのような状況からよみがえらせることができるのは、人間ではない。人間はすべてそのような弱点(罪)を持っているからである。それができるのは、唯一、神であり、神の力をそのまま受けている主イエスだけであるというのがキリスト教信仰の根本的な内容となっている。
キリストは、罪のゆえに死んでいた者をも、自らが十字架につくことにより、さらに日々、神の霊を注ぐことによってよみがえらせ、新しい命を注ぐことができる。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
(ヨハネ十一・25-26)

このように、キリストを信じる人はだれでも、生きているときから新しい命を与えられることが約束されている。

会堂長が、「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」といった一言は、こうした主イエスの神の子としての絶大な力への信仰を象徴的に表すものなのであった。そしてその信仰がその後二千年の歳月を超えて世界に伝わっていくことになる、預言的な出来事にもなっているのである。
主イエスがこの死んだ娘に対して、手を取って、ただ一言「タリタ・クム(クミ)」と言っただけで、少女はすぐに起き上がった。
ここに、わざわざ当時の主イエスが使っていたそのままの言葉(アラム語)がそのまま使われているのも、理由があると考えられる。ほかにもアラム語がそのまま残されている箇所である、十字架上での叫び「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」は、重要な意味を持っているゆえに、この箇所でも特別な意味があると考えられる。
この一言は、驚くべき印象をそこにいた人々に与え、その一言が周囲に波のように伝えられ、その言葉の持つ深い意味が語り継がれ、この言葉が言われてから、三十数年ほどなった頃に書かれた、マルコ福音書にもそのときの感動が波及してそのまま載せられることになったのである。
「このうわさはその地方一帯に広まった。」とこの記事の最後に記されている。それは、その地方一帯にまず、この「タリタ・クム」という言葉が広がって言ったが、このマルコ福音書とともに、ローマ帝国全体に広がり、さらに世界中に広がっていった。
そしてさらにそのときから二千年ちかく経った現代においても、ますますこの主イエスの一言が重要となってきている。
主イエスの数えきれないほどの教えや言葉から、きわめて少数だけがこのようにアラム語がそのまま使われているのであるから、この記事を書いたマルコ福音書の著者はそれをとくにアラム語のまま残すように、主からうながされたと考えられる。それは、主イエスがそれまでだれもできなかったこと、いかなる人間もできないことを、わずか一言のこの言葉で、死人をよみがえらせたということは、歴史のなかで特別に重要な言葉だと感じたのであろう。
たしかに、主イエスの一言は、死人をもよみがえらせることができる。使徒パウロはもともとは、キリスト者でもなく、逆にキリスト者を全力をあげて迫害していた人物であった。それが主イエスからの光と、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」という主イエスの一言で
変えられて、新しく主イエスの使徒として立ち上がることができたのであった。
今も、この「子よ、立ち上がれ」という主イエスの一言はこの世界に投げかけられている。
私自身もまた、このような主イエスの語りかけによって、実際に迷い苦しんでいた状況から、立ち上がることができてそれまで知らなかった全く新しい道を歩むことができるようになったのであった。
主よ、その力ある一言をこの世に与えて下さい。一人一人の心に。


st07_m2.gifベートーベンの「喜びの歌」

 毎年、年末になるとベートーベンの第九交響曲「合唱」が繰り返し演奏されているし、各地でも大規模な合唱がなされている。この合唱は、「喜び」を歌っているものであるが、それは具体的にどんな内容なのか、また聖書には、そうした深い「喜び」の世界があって、それが指し示されていることも一般の人には知られていないことが多い。
 この彼の最後の交響曲には「喜びを歌う」という、ドイツの詩人シラーの詩の一部が組み込まれている。ベートーベンは日本でも最も多くの人が愛好する音楽家と言われているが、その多数の音楽のなかでも、とりわけこの第九番交響曲は広く知られてきた。音楽の専門家もこの交響曲には高い評価を与えている。この音楽に対する評価の言葉はいくらでもあると思うが、ここではその一つをあげておく。

「…(第九交響曲の)第三楽章は、変奏曲形式を主体にしているが、比類ない天国的な感情を示し、彼が晩年に到達した祈りの世界を完全に表現している。
 さて第四楽章であるが、この楽章は、シラーの詩による声楽が導入されているところに最大の特徴がある。中心の主題は、かの有名な、「喜びの歌」の旋律である。
 声楽部は、四人の独唱者と大合唱とによって作られ、まことに、その表現は、全人類的感情にみちみちている。
 前人未踏の大交響曲であるし、また、彼以後においても、この曲に比較する音楽を見いだすことが出来ない、といっても過言ではないであろう。」(*)

「この交響曲は、喜びの情が、博愛の徳を生むことを讃美し、そのなかに神を敬う心を鼓吹したもので、ベートーベンは若いときから深くこの詩を愛し、再三この作曲を試みたのであるが、ついに最後の交響曲の最後の楽章によってその宿望を果たしたのである。
…天国の平和を夢見るような第三楽章は、現世の苦悩と戦ってこれを克服する意思を表し、最後の「喜びの歌」は、神を敬うことと、博愛によって生きることを喜ぼうとした作曲家の思想を告白したものと見られるからである。…」(**)

 ベートーベンの音楽がなぜ際だって有名なのか、それはそこに力を感じるからである。弱っている者、うずくまっている者をも奮い立たせるような、不思議な力をベートーベンの音楽は持っている。とくに、晩年の作品には、私たちを打ち倒そうとするようなこの世の力に抗して、立ち上がらせる力が強く感じられる。
 このシラーの詩はベートーベン の心にとくに一致したようである。それは、この詩を用いようと考えたのは、ベートーベンが二十三歳のときであったことからもうかがえる。その時すでに、この作者であったシラーの夫人にそのようなことを触れているという。ベートーベンの有名な伝記を書いた、ロマン・ロランの伝記の中から一部を引用しよう。

…ベートーベンが「喜び」を歌おうと考えたのは、こんな悲しみの淵の底からである。それは彼の全生涯の計画であった。まだ、ボンにいた一七九三年(ベートーベンが二十三歳のとき)からすでにそれを考えていた。生涯を通じて彼は「喜び」を歌おうと望んでいた。そしてそれを自分の大きい作品の一つを飾る冠にしようと望んだ。生涯を通じて、彼は、その「喜びの歌」の正確な形式とその歌に正しい場所を与える作品とを見いだそうとして考えあぐねた。…(***)

 その意図が、第九交響曲のなかに実現したのは、それから、実に三十年も後の、五十四歳のときであり、それは彼の死の三年前であった。ベートーベンの心のなかに、このシラーの詩がそれほど深く結びついていたのがわかる。
 そしてその交響曲が生み出されるまでの長い間には、さまざまの苦しみが彼を襲った。二十六歳ころから耳の異常を知った。音楽家としては、耳が聞こえなくなるということは、致命的な問題だと思われるために、次第に聞こえなくなる耳のことでベートーベンは、非常に苦しんだ。ベートーベンはほとんど鬱病になり、自殺まで企てて、遺書も書いたほどであった。そして重い病気にかかって死にそうになり、たえず死の問題を考えずにはいられなくなっていた。
 また、弟が死んでその子供を引き取り、こまやかな愛情を注いだが、その甥は、面倒な問題をいろいろと起こした上に、ピストル自殺まで企ててしまい、ベートーベンは非常な苦しみを覚えるようになっていた。
 こうしたさまざまのわずらわしい苦しみのただ中にいたにも関わらず、彼はかえって耳が聞こえなくなっていくとともに、交響曲やピアノ・ソナタの傑作を生みだしていったのである。
 そして、彼は数々の苦しみや悲嘆、絶望などを経験しながらも、若き日に知ったシラーの「喜びを歌う」という詩にはずっと心が結びつけられていた。
 本来は、喜びへの力強い讃美、そのようなものがとても持てないような状況に置かれてもなお、大いなる喜びを歌おうという心が留まり続けたのであった。

 ここでは、「第九の合唱」と言われてもどんな内容なのか知ることができない多くの人のために、交響曲第九番の第四楽章にある、「喜びに寄せて」という詩の中から、その一部を引用して簡単な説明を加えておきたい。なお、原文に触れてそのニュアンスを知りたいという人のために、原文は終わりにおいてある。

おお友よ、これらの調べではなく、
もっと喜びをもって、楽しくともに歌おう。

 この合唱の最初の部分は、シラーの詩でなく、ベートーベン自身が作詞したものである。この部分は、最初の草稿では、「われわれは、シラーの不朽の詩である『喜び』を歌おうではないか」となっていたけれども、後から現在のように変更されたと、身近に生活していたベートーベンの伝記著作家のシントラーが述べている。
 従来の音楽は、直接的に「喜び」を歌っていることが少ない、もっと喜びそのものを讃美しようではないかとの呼びかけである。喜びには、地上的な楽しみとは全く別の天から来る喜びがある。それを歌おうではないか、とベートーベンが冒頭に自らの言葉を書き込んだと言われている。
 つぎに続くのが、シラーの詩からの引用である。


喜びよ、美しき神の光なる喜びよ、
楽園からのたまものよ
我らは感激に満ちて
天国のあなたの聖殿にすすもう

神の力であなたは、
世のひきはなされたものを、ふたたび結び、
あなたのやさしい翼のとどまるところ、
人びとは、すべて兄弟となる。
……
幾百万の人びとよ、たがいに抱きあおう!
全世界にこの口づけを与えよう!
兄弟たちよ、星空のかなたには、
愛する父が、かならずおられる。

幾百万の人びとよ、地にひざまづくか
世界よ、創造の神をみとめるか
星空のかなたに、神をもとめよ!
星のかなたに、神はかならずおられる!


 シラーの詩の中にあるこうした言葉に、ベートーベンはとくに惹かれていたのがうかがえる。それゆえに、シラーのもとの詩はもっと長く二倍以上の長さのある詩であるが、とくに、右に引用した内容を中心にベートーベンが用いている。
 ここにベートーベンが見つめていたものが何であるかの一端をうかがうことができる。この世には暗い、絶望的な事態が数多く生じる。どこに神がいるのかと思わせることも多い。それゆえ一時の逃避的な音楽や、軽薄な内容の乏しい音楽も多くなっている。そうしたことは昔も同様であったろう。そこでベートーベンはそのような表面的な音楽でなく、ことなる雰囲気と力の音楽、すなわち喜びそのものを正面に出した音楽を強調している。この壮大な力に満ちた合唱は、この世界に小さな、利己的な楽しみや影のようなはかない喜びしかなく、またそれどころか不安や恐れの影がいつも背後にあるような世界にあって、いわば神が、ベートーベンを用いてそうした背後に、力強い喜びの世界があることを、知らそうとされたように感じられる。
 神のつばさ(御手)が臨むとき、人々の差別的な考えは消えて、そこには神を共通の父としているゆえにみんな兄弟姉妹なのだ、という考え方が生じる。私たちが必要なのはそのような人間の努力とか力を越えた神のつばさであり、神の御手なのである。
 本来人間同士は兄弟姉妹なのだ、だから全世界に兄弟姉妹のしるしであり、愛情の表現であるキスをおくろう。私たちを敵対するもの同士でなく、兄弟姉妹であるというのは、愛する父なる神がおられるからである。神がいますからこそ、その神によって新しく生まれた子どもたちなのであり、しぜんに兄弟姉妹だということになってくる。
 星空の彼方には、必ず神がおられる、ここに著しい強調がおかれていて、それが締めくくりの内容となっている。星空の彼方といった無限に遠いところに神がいる、ということでなく、それは詩的な表現であり、本来神は、どこにでもおられるのである。キリストが、私はあなた方のただなかにいると確言され、また他の箇所でも、キリストは私たちの心に生きておられるということも言われている。
 「神は星空の彼方にいます」という言葉の意味は、神は、人間世界の汚れた状況とは全く隔絶されたところにおられるということなのである。地上の人間やその社会は、周囲の汚れたもの、罪深いものに染まっていったり、何らかの影響を受けてしまう。自然界ですら、人間の科学技術によって破壊され、汚染さていく。
 しかし、神はそうしたいかなる人間の営みによっても汚されたりしない、それは、言い換えると「聖なる神」ということである。いかに、人間社会が混乱と汚れ、また不正に満ちていても、そして地上のものはみんなそうした汚れにがしみこんでいるように見えても、神はそうした一切の地上的なものとは、別個にその聖なる本質を保っておられる。それを詩的に表現した言葉が、「神は星空のかなたにいます」ということなのである。
 ベートーベンが数々の言いしれぬ苦しみや悲しみと憂いのただなかでもこのような力強い喜びの歌を生み出すことができたということは、その背後に聖書の影響をふかく感じさせられる。

 「喜べ、いかなる状況のもとでも、主によって喜べ」といわれた使徒パウロの心が現在においても、聖書が読まれている世界の至る所でところで繰り返し新たに経験されているが、ベートーベンのこの第九交響曲に組み入れられた「喜びの歌」も、やはりこの聖書の言葉の影響を感じさせられる。

あなたがたは、主によっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。(ピリピ書四・4)(****)

最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。…
互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。
そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。(Uコリント 十三・11)

 ベートーベンが、シラーの「喜びの歌」を自分の音楽にの死の三年ほどまえにようやく完成したこの大交響曲は、新約聖書にある、使徒パウロのこの言葉、「喜べ、主によって喜べ!」という言葉の音楽的表現の一つだといえよう。
 この世界にはそのような大いなる喜びなどあり得ないように見える。しかし、この世界の根底を見抜いていた使徒パウロ、そして彼に啓示を与えられた主イエスは、私たちに、この世の背後に実際に存在する大いなる喜びの世界を指し示しているのである。

(一)
Freunde, nicht diese Tone,
Sondern lasst uns angenehmere
anstimmen, und freudenvollere.

(二)
Freude, schoner Gotterfunken,
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische dein Heiligtum!

(三)
Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Bruder,
Wo dein sanfter Fluger weilt.

(四)
Seid umschulungen Millionen!
Diesen Kuss, der ganzen Welt!
Bruder! uber'm Sternenzelt
Muss ein lieber Vater wohnen.

(五)
Ihr sturzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schopfer, Welt?
Such ihn uber'm Sternenzelt!
Uber Sternen muss er whonen!


(*)諸井三郎著「ベートーベン」216頁(旺文社文庫)諸井は、作曲家、音楽評論家。元東京都交響楽団楽団長。東京帝国大学文学部美学科、ベルリン国立高等音楽院作曲科卒業。
(**)「西洋音楽史」中巻 371頁 音楽之友社 乙骨三郎著  
(***)「ベートーベンの生涯」ロマン・ロラン全集第十四巻 41頁 みすず書房刊
(****)「喜べ、主によって喜べ!」の英訳、ドイツ語訳を参考にあげる。
R
ejoice in the Lord always. I will say it again: Rejoice!
Freuet euch im Herrn allezeit; und abermal sage ich: Freuet euch!


st07_m2.gifことば

(145)真実は、まことに、最も美しく、最も大切な性質である。真実は動物をも非常に尊いものとし、ほとんど人間なみの価値と品位にまで高めるほどである。
 しかし、真実が全く欠けているときには、最も才知あり、教養のある人間でも、社会一般に危害を及ぼす野獣にすぎない。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために第一部十月十六日」参考のために原文を付けておきます。)

○ここでヒルティが強調しているように、真実がない場合、いかに数学や英語などの能力が恵まれていても、また会社で業績をあげても、それらはかえって悪用され、社会に害悪を及ぼすことになる。しかし、能力が乏しくとも、真実な心は誰をも害することなく、神の性質の本質的な部分を周囲の人々に指し示し、ひとの心をうるおすことになります。聖書における神とは、何よりも真実な神であり、それゆえに私たちも真実な心をもって神を仰ぐことが最も神に喜ばれることだと知らされます。

Treue ist eigentlich die schonste und wichtigste Eigenschaft.Sie veredelt auch ein Tier so sehr,dass es fast zu menschlicher Bedeutung und Wurde emporsteigt,und wo sie ganzlich fehlt,ist der geistvollste und gebildetste Mensch nur eine gemeingefahrliche Bestie.



st07_m2.gif返舟だより

○「はこ舟」五〇〇号についての静岡県浜松市のT.M氏よりの来信です。他にも集会の内外の方々からお祝いの言葉と祈りを頂きました。ありがとうございました。今後ともこの「はこ舟」が主に祝福され、神の国のために用いられますようにご加祷下されば幸いです。なお、M氏には三年前に徳島でのキリスト教四国集会にて講話をしていただいたことがあります。

ますます内容が充実して、福音を証しして下さいますことを心から感謝申し上げます。神のお支えなくしては到底続くものでなく、心か神を讃美いたします。五〇〇号についての貴兄の文章を読むと、主の支えがいかに具体的な形で現れているかが、よくわかります。心からのおめでとうを申し上げます。

○県外の老齢で、かつ体調も十分でない方からつぎのようなメールが送られてきました。

先日バイク転倒 腰を痛め 幸い骨折は無かったが未だに時折激痛あり。集中力に欠け「肉の痛み」が「心」をも支配。 おのが信仰の弱さを知る。ヨブの信仰を改めて感じる。今までの「信仰、祈り」は何だったのか、また「ゼロ」からの出発です。
 神を悲しませた事 不信仰とも思える中からですが 神の赦しと愛の翼の中に再び抱かれ歩みの力と導きを願ってやみません。これを書いている間 痛みもなく 書き上げられました。 感謝。

・私たちは健康なとき、問題がとくにないときには、神を信じて堅く立っていると思っていても、痛み激しいとき、思いがけない困難や、生涯の重大問題に遭遇したとき、しばしば心が動揺し、信仰が揺さぶられます。主イエスですら、あのゲツセマネや十字架上での苦しい叫び声をあげられたことを思うとき、それは地上の生を生きるかぎりつきまとうことなのだと知らされます。けれども、そうした中にあってもこの方のように再び新たに主にすがろうという心が起こされることこそは、キリスト者の大きな恵みと感じます。いま苦しみや痛みのただなかにある方々に主がともにいて下さって、支えを与えて下さいますように。
2002/10

平和は川のように    2002//9

 私たちが自分の浅い考えや自己中心的な発想で歩んだり、この世のさまざまの考えに流されて歩むのでなく、真実な神、万能の神を信じて導かれて歩むという道が聖書には示されている。 
 私たちが神に心を向けているなら、平和は川のように流れてくる。神の言葉に耳を傾けていくだけで、神の恵みが海の波のように満ちているのが実感できるようになる。今から二五〇〇年も昔から、すでにこの世の背後にこうした世界があるのが知らされていたのに驚かされる。
 真の平和が見失われているこの世界にあって、私たちが心の耳を傾けるべきは、こうした聖書の言葉である。

 聖なる神、あなたを贖(あがな)う主はこう言われる。
わたしは主、あなたの神、わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。
わたしの戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる。(イザヤ書四八章より)


st07_m2.gifキリストの力と驚き

 マルコ福音書の最初に記されている記事によれば、主イエスが最初に会堂に入って教え始めたとき、人々には非常な驚きがあったのが記されていて、しかもこの「驚き」が二回、繰り返されていることからも、このことが強調されているのがわかります。

イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。…
そのとき会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。…
イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。
人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。…」(マルコ福音書一・21〜27より)

 これはこの福音書を書いたマルコの驚きをも反映しているであろうし、キリストを信じるようになったものがその程度の多少はあれ、だれもが感じることなのです。
 私たちの心は本来は、善いこと、美しいこと、真実なものに驚き、感動するように造られています。だれでも嘘に対しては嫌悪感を持つし、美しい風景に感じる。
 けれども、だんだんとこの世の醜さに触れて、そうした良いものへの驚きや感動がなくなっていく。そしてこの世の事件や悪いこと、本来悲しむべきこと、目をそむけるべきようなことに驚き、関心をもってしまうようになる。テレビや雑誌の数々の悪や罪についての報道や番組などが強い関心を呼び、たくさん読まれるのもその現れと言えます。
 しかし、そうしたただ中で、この福音書が強調しているように、キリストが私たちのところに来られるときには、神の力に驚き、その力が今も働いていることに心を動かされるようになります。
 キリストを信じることとは、そうした新しい感動を与えられることなのです。ことに、この箇所で言われているように、人間の心に宿る汚れた霊、悪の力を追い出されるということに最大の驚きを感じるのです。
 この箇所にあるようなことは決して特異なことでありません。「汚れた霊」とかいったことは私たちは話題にはしないことです。ですからこうした用語があるために、何かこんな記事は私たちには何の関係もないと思ってしまいがちです。
 しかし、私たちは、それぞれの心の中に、そしてその人間の集団である社会全体に入り込んでいる、汚れた霊、言い換えると悪の力につねに悩まされています。毎日の生活における悩みや問題はみな、そうした何らかの悪の力に支配されているからであり、国家同士の戦争や争いなどもみなそこに宿る悪の力の故です。
 そうした悪の力そのものを人間とは全く異なる力と権威をもって追い出すのがキリストの働きなのです。本当にキリストを私たちが心に受け入れるとき、たしかに闇の力が追い出されるのを感じます。信じたからといってまったく人間が善くなるのでなく、まだいろいろと罪が残っているのですが、それにもかかわらず、それまではどうすることもできなかった魂の深い部分を支配していた悪の力が追い出されたという実感を与えられます。
 そこに私たちの驚きの原点があるのです。
 キリスト教では十字架がそのシンボルとなっています。それも、人間の奥に宿る悪の力、罪の力をキリストが十字架上で死ぬことによって滅ぼしたことが意味されていて、やはり人間から汚れた霊、悪の力が追い出されたという象徴であるからなのです。 
 ヨハネ福音書のはじめの箇所に、
「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(ヨハネ一章16)
 と記されているのも、それを書いたヨハネ―すでに相当高齢になっていたと推測されています―の深い驚きが感じられます。最晩年になって、この世の数々の悲哀や悪に心が枯れてしまうのでなく、神(キリスト)から満ちあふれる豊かさを受けて、恵みのうえにさらに恵みを受けてきた、という実感は深い魂の驚きから生じているのがわかります。
 私たちはだれでも、主イエスを信じて歩むなら、こうした驚きの生活へと導かれていくのだというのが、こうした福音書が告げようとしていることなのです。


st07_m2.gif神のさばき

 現代では、神の裁きなどということは、日本においては全く言われない。小学校から大学までの長い学校教育においてもそのようなことは、私自身もただの一度も耳にしたことはない。
 しかし、これはきわめて重要なことであり、現代も古代からずっと変わることなく存在している事実である。
 例えば、神は真実で愛のお方であるゆえ、そうした神の本質に反することを続けるならば、必ず裁きがある。例えば、嘘は明らかな神への背きである。だから嘘をやったり、嘘を言えば裁きがある。先頃から大きな問題となっている、日本の代表的な会社がつぎつぎとその社長などが辞職していったのも、要するに嘘をやっていたからである。日本の代表的企業の社長や会長であっても、何十年もの経験と経営手腕があり、経済界や政治の世界にも幅広い人脈を持っていて、金もありあまるほどあってもなお、嘘をやっていたことが明らかにされると、たちまちその地位から崩れ落ちる。雪印食品のように会社そのものまで、崩壊してしまうこともある。
 こうした事実は、神の真実に反すると、神はひとたびその御手を伸ばすならいとも簡単に、会社などつぶされてしまうということである。
 しかし、多くの人は考えている。それは偶然なのだ。同様な嘘をやっている会社はいくらでもあるではないか。それなのに裁かれない。それは神がいるからでなく、偶然見付かっただけではないかと。
 たしかに雪印食品のように、虚偽をやっているのは、多くの会社も同様であろう。しかし、それが摘発されないからといって、神の裁きがないというのはまったくの間違いである。
 そのような考えをもってやっている人間の心に裁きが下されているからである。私たちの心が嘘を言っても平気になっていけば、真実ということに対しての感動がなくなっていることであり、それは真実そのもののお方である神からの喜びや平安を感じることができなくなっていることを示している。そこに裁きがある。 
 そうした神の国の喜びというものに全く感じなくなってしまった魂は、だんだんと表情や声、まなざしにまで、変化が生じてくる。それは若い時にすでに現れている場合もよくある。最近の高校生などの表情が、ゆるんでいて、目にも輝きがなくなってどこかよどんでいる者が多いということは、それを現している。また、だれでも中年以降になってくると、そうした神の国の真実や清さに対して背を向けてきた者は、やはり目がよどみ、声もどこか濁ってくることが多いし表情も変質してくる。
 こうしたことは実に不思議なことである。 
 裁きとは、決してこのように、世の終わりだけにあるのでなく、今も現に行われており、それは変わることがない。
 しかしそうした裁きは、じつは神の大いなる恵みやそのもとになっている愛を現しているのである。神は愛であるからこそ、間違った道を歩む者に警告を発して、それを見るものもそれが間違っているということを知らされていくようにされている。
 神の国に反することを続けるなら、必ず裁きがあり、神の国からの水路は断たれる。しかしそれを気付いて、神に赦しを求めるとき、必ずふたたびその水路は開かれて、御国からのいのちの水は流れはじめる。


st07_m2.gif嘘と真実

 最近のニュースで大々的に報道されたこと、外務省関係の問題、鈴木宗男議員に関係する問題、秘書給与の流用問題、雪印食品のこと、日本ハム、そして東京電力など一連の事件は、みな何らかの嘘が関わっている。政治家たちが、国のため、地元住民のためなどといいながら、実は自分の利益のためにやっていたというたぐいの嘘は昔からいくらでもある。 
 長い伝統のある会社が、わずかの期間に行った虚偽によって無惨につぶれてしまった。
 さらに北朝鮮でも日本人の拉致などないと言い切っていたにも関わらず、それを国家の代表者が認めたことで、国家自体が大きな嘘を長年にわたってついてきたということも明らかになった。
 あれほど明白に拉致などやっていないと言い切っていたにも関わらず、掌を返したように、実は、拉致をやっていた、そして多くの拉致された人たちの命まで失われていたと明らかにして、謝罪した。
 東京電力にしても、もう何年も前から原子炉の重要な部分に生じたひび割れなどのトラブルを隠して、虚偽報告をしていたことが、発覚して社長や会長などが辞任せざるを得なくなった。
 こうした事実に接して分かることは、この世はいかに嘘が多いかということである。日本の代表的な企業であり、信頼されていたはずの会社が長い間信じられないような嘘をついてきたとかの事実を見れば、ほかの企業も同様ではないのかと当然疑いが生じてくる。
 だが、こうした事件はある意味では当然生じることである。なぜなら人間そのものが不真実であり、嘘に満ちた存在だから、そのような人間の集団もやはり嘘が横行するということになる。
 北朝鮮の拉致と死亡という事実に対して、当事者には、深い悲しみと、強い憤りが生じていることは当然の反応である。何の罪も犯していないのに、突然連れ去られ、どんな仕打ちを受けたのか分からない状態で、死亡したと知らされては耐え難い思いであろう。
 日本は、今回のことで北朝鮮がひどいことをしたと声を大きくして非難しており、それは当然のことである。今後とも、なぜそのような仕打ちを受けたのかについての詳しい説明が必要であり、当事者たちへの十分な対応がなされねばならない。そして今回のことで、単に北朝鮮を非難、攻撃するだけでなく、二度とそのようなことが生じないようにするには日本としてもどうすべきかが問われている。
 しかし、何かの問題が生じたとき、目先のことだけを見ていたのでは問題の真相は明らかにはならない。現在の問題は、過去から流れてきたのであり、つねに歴史的にものごとを見ることが必要である。
 今回の問題においても、朝鮮半島と日本の関わりについて過去の歴史から学ぶ必要がある。
 過去において日本はそのような拉致をしたことがなかったのか、拉致した人を殺害したことはなかったのだろうか。あるいは不法に他国の人々の命や財産を破壊したり奪ったことはなかったのだろうか。 それは少し調べるとただちに判明することである。
 戦前は、日本が、十人、二十人といった程度でなく、桁違いの百万人以上の朝鮮半島の人々を拉致して、劣悪な条件での強制労働や従軍慰安婦などとして用いてきたと言われている。そしてこのようなおびただしい人々の苦しみに対して何ら償おうとしなかったのである。
 また、中国に対しては、十五年ほどにわたる長い戦争において、それよりもはるかに膨大な人々を攻撃し、住居を破壊し、二千万とも言われる人々を殺傷していった。こうした想像を絶するような野蛮な行為の前には、今回の北朝鮮の拉致と死亡といったこともかすんでしまうほどである。
 また、政府の嘘ということでは、戦争がはじまると、軍部や政府にとって都合の悪いことは、つぎつぎと嘘でごまかしていく。今から五十数年前には、太平洋戦争を引き起こしたが、わずか半年ほどたった一九四二年六月に、太平洋のミッドウェー海戦において、貴重な空母四隻、三二二機もの飛行機、そして三五〇〇人もの兵士が戦死するという、大敗北を喫した。
 にもかかわらず、海軍はこの敗戦を完全に偽ってあたかもめざましい戦果をあげたかのような発表をした。マスコミもその偽りを発表した。こうして四年近くにわたる太平洋戦争ははじまってから半年ほどで軍部が国民に大きな嘘をついて、その後もこうした偽りが発表されていくことになる。
 この太平洋戦争が起きる原因となった中国との戦争の始まりも、また嘘から始まっている。そのきっかけは、一九三一年の満州事変であった。それは奉天近くの柳条溝で満鉄の線路が爆破されたことに始まる。それは中国軍が爆破したのだといって中国を攻撃する口実とされて、中国との長い戦争が始まった。これが後の太平洋戦争へとつながってしまったのである。
 しかし、これは実は日本の軍部が計画的に爆破したのであった。それを中国軍がしたのだと虚偽を発表した。
 このように、中国をはじめとして、アジア、太平洋地域での十五年にもわたる長期の戦争が嘘から出発しているのであって、嘘がいかにはかりしれない害悪をもたらしたかを証明していると言えよう。
 また、日本の基本方針となっているはずの、非核三原則とは、核兵器に関して,(1)持たず,(2)作らず,(3)持ち込ませずという内容を持っている。一九六八年に佐藤栄作首相が国会で答弁をして以来,国是として歴代政府によって受け継がれてきた。しかし、一九七四年には、アメリカの元海軍少将が、アメリカ両院合同原子力委員会で証言をして、核兵器を装備した艦隊が外国の港に入る時、核兵器をはずすことはないと言ったこと、また、一九八一年のライシャワー元駐日アメリカ大使がアメリカ艦船は核を積んだまま日本に寄港していると発言したことなど、重要な地位にあった人が公然と証言しているにもかかわらず、日本政府は、歴代の首相もそのような核の持ち込みはないなどと、強弁している。
 これなども、政府が明らかな嘘を言っているということである。一方で、核を搭載した艦隊などは入らせないことは、日本の基本方針であると言っておきながら、アメリカで公然と高い地位にあった人物がアメリカ議会のような公的な場で、核を積んだ艦船が日本に寄港してきたと証言してもなおかつ、そんなことはないと主張している。
 この問題はもともと、核兵器を積載して航行していると思われる,航空母艦,原子力潜水艦などが日本に寄港するときだけそれを取りはずすとは考え難いことから、ずっと以前から核を持ち込ませないということは、すでに偽りであることが指摘されていたのであった。
 一部の食品会社が、外国の牛肉を有名な和牛肉だと偽って販売したり、政府からの補償金を虚偽によってだまし取ったとかの事件によってうっかりすると、あたかも嘘をやっているのは、そうした一部の者だとか北朝鮮だけが大嘘をつくテロ国家だと思いこむかも知れない。
 しかし、実はすでに述べたように、こうした嘘は、日本のかつての政府にも現在の政府にも見られることなのである。
 また、アメリカが正義の戦争だといって、アフガニスタンに対して報復の攻撃を行う際に、こともあろうに、正義の戦争だとか神の守りがあるようになどと言っているのも、大きな嘘がある。
 なぜかというと、キリストは報復することは間違ったことだと明白に教えておられるからである。
 このように見てくれば、大きな問題、国家的、世界的な困難や危険、戦争などもそのもとを突き詰めて調べていくとどこかに嘘があり、いたるところに真実に反することがあったために、人間同士、国家同士の憎しみが生じて、争いとか戦争という事態へと進んでいってしまうのである。
 歴史を見ると、このような不真実、嘘をもって物事をなしていくことは、決して永続的なよいものを生み出さず、なにかのきっかけで滅んでいくのがわかる。虚偽はあるところまでは栄えることもあるが、突然崩壊してしまうじつにもろい本性を持っている。
 他方、真実はいかに誤解され、中傷され、また真実を主張するものを殺すようなことがあっても、それによって決して滅びることはなく、かえってその真実の力は後世に伝わっていく。それは神がそのようにされるのである。その典型がキリストであった。  
 人間社会の嘘に満ちた状況に対して、キリストは真実な世界があることを宣べ伝えるために来られた。私たち自身は決して世の中全体にしみこんでいる嘘の体質から完全に出ることはできない。
 それならどうしたらよいのか。それはそのような嘘、不真実な本性そのものを主イエスが担って十字架にて死ぬことによって、私たちの身代わりになられたのである。
 自国の正しさだけを主張し、他国の非を非難、攻撃するだけでは決して真の解決にはならない。歴史をふり返りつつ、双方に非があり、嘘があり、弱い立場の人々を犠牲にしてきたこと、罪があることに気付いて、双方が真実に立ち返るのでなければ本当の出発はできない。 
 私自身のことを振り返ってみても、聖書やキリストのことを知るまでは、人間そのものに宿っているこうした不真実な本質に気付かなかった。しかし、聖書の内容をより深く知り、キリストのことを知らされて、いかに人間は真実がないかを知らされたのである。そして聖書とキリストはそうした不真実な人間が真実なものとみなされる道が記されてあるのだと分かってきた。
 キリストは不信の海のなかに、真実そのものの道をまっすぐに神の国に向かって備えてくださったのである。


st07_m2.gif苦しみの中から 
旧約聖書・詩編五六編より

神よ、わたしを憐れんでください。
わたしは人に踏みにじられている。
私に敵対する者が絶えず私を苦しめ、
陥れようとする者が
絶えることなくわたしを踏みにじる。

恐れを心に感じるとき
わたしはあなたに依り頼む。

私は神の御言葉をたたえます。
神に依り頼めば恐れはない。
肉にすぎない者が私に何をなしえようか。

彼らは、たえず私の言葉をあざけり、
その計画はみな私を害することに向けられている。
待ち構えて争いを起こし
命を奪おうとして後をうかがう。

あなたはわたしの嘆きを数えられた。
あなたの記録にそれが載っているではありませんか。
あなたの革袋にわたしの涙をたくわえてください。

私が神を呼べば、敵は必ず退き
それによって神はわたしの味方だと知る。
私は神にあって御言葉をたたえる。
私は主にあって御言葉をたたえる。
神に依り頼めば恐れはない。

人が私に何をすることができようか。
神よ、あなたに誓ったとおり
感謝の献げ物をささげます。
あなたは死からわたしの魂を救い
突き落とされようとしたわたしの足を救い
命の光の中に
神の御前を歩かせて下さる。

 この詩には、嘆きと苦しみ、悲しみのただなかにおいて、神に必死に頼って悪の力から逃れ、新しい力を得ようとしている一人の魂の姿が浮かび上がってくる。
 この詩の冒頭は、「神よ、私を憐れんで下さい!」(*)という叫びから始まっている。
 「神よ、憐れんで下さい!」という言葉は、聖書のなかに多くの祈りの言葉があるにもかかわらず、この言葉が、ミサ曲でとくに繰り返し歌われる。(**)それは、この短い一言のなかに、キリスト者の心の願いのすべてを託すことができるからである。

(*)これは、ヘブル語の原文では、ホンネーニ エローヒーム という二語の表現である。ホンネーニとは、ハーナン(憐れむ)という動詞の命令形に、「ニ」という接尾辞がついたもので、「ニ」は、「私を」という意味を持つ。エローヒームは、「神」。これは、ギリシャ語では、エレエーソン メ キューリエとなる。(「神」を「主」と言い換える) エレエーソンとはエレエオー(憐れむ)という動詞の命令形、「メ」は「私を」という意味。これは、キリエ エレイソンという言葉で、ミサ曲ではよく知られた言葉である。キリエとは、ギリシャ語で「主よ」という意味なので、キリエ エレイソンとは、「主よ、憐れんで下さい!」という意味になる。
(**)通常のミサ曲は、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アグヌス・デイ(アーニュス・デイ) という部分からなっている。キリエ(KYRIE)とは、「主よ!」という意味のギリシャ語、グローリアは、「栄光」、クレードー(CREDO)とは、「私は信じる」、サンクトゥス(SANCTUS)とは、「聖なるかな!」、アグヌス・デイ(AGNUS DEI)とは、「神の子羊」という意味である。
 最初の、キリエの部分だけが、ギリシャ語で、あとは、ラテン語。キリエの部分は、「主よ、憐れんで下さい!キリストよ、憐れんで下さい」という言葉の繰り返しである。グローリアの部分は、キリストが生まれたときに天使たちが歌った、神に栄光あれ、という讃美と共に、キリストに対して、罪を除いてくださることを待ち望んで、「憐れみたまえ」という言葉も含まれている。そして最後の、アグヌス・デイの部分も「私たちを憐れんで下さい!」という祈りが含まれている。
 このように、ミサ曲の五つの構成部分のうち、三つの部分に「主よ、憐れみたまえ!」が含まれていて、神への礼拝の中心に罪の赦しを願い、さまざまのこの世の苦しみや悩みからの救いを願って、主の憐れみを切実に求める心が反映している。

 私たちは罪の重さを考えるとき、裁かれてしまっても当然という存在でしかない。そのような人間にすぎない私たちが神に向かって祈る言葉は、「どうか、そのような無に等しいような存在である私を憐れんで下さい、赦しを与えて下さい」という祈りになる。人間のそうした最も深い心の願いに応えて、神はキリストを送って下さって、ただ信じるだけで、私たちの罪を赦し清めてくださるようになった。それは人類全体の切なる願いに神が応えて下さったのであった。
 しかしそのように赦しが十字架のキリストの死によって与えられても、なお私たちは日々に罪を犯してしまう存在である。それで、日々の私たちの願いは、やはり「私を憐れんで下さい!」という短い言葉に込められるのである。 パウロのような大使徒であっても、「自分の死のからだをだれが救ってくれるのか!」と苦しい叫びをあげざるを得なかったのである。このような自分をどうか憐れみたまえ!ということは万人の心の奥深くにある。ただそれが人間の根本的な願いであるということを自覚していない人も多い。罪に気付いていない人は、その叫びを本来持っていながら、まだ自分で気付いていない状態といえる。
 この詩の作者も、まず冒頭において「神よ、私を憐れんで下さい!」という簡潔な叫びから始めている。その短い叫びはそのまま彼の祈りが凝縮されたものであっただろう。私たちの内にある罪、あるいは病気の苦しみ、また、外にあるさまざまの悩みや問題、それらすべてにおいて、私たち自身の力はあまりにも小さい。その小さな自身を知らされるときには、立ちはだかる困難を前にしてたじろぎ、恐れてしまう。
 もし私たちが神とキリストを知らないなら、そこから心を暗くして引き返すしかないだろう。善や正義などということに向かっては歩いて行けないと感じるからである。
 しかし神はそうした叫びに応えて下さる。この詩の作者も同様であった。そのような恐れのただ中から、神にまなざしを向けて、
「私はあなたにより頼む。神により頼めば恐れはない。敵対するものが私に何をなしえようか。彼らももろい人間に過ぎないのだ。」
 という心へと変えられていく。
 しかし、そのような信頼もしばしば揺るがされ、再び恐れと神への真剣な叫びへと戻ることもある。命をねらおうとまでしている敵対者が、この作者のまえに立ちはだかっていた。
 そうした状況において詩の作者はあくまで神に頼り続ける。それは神は人のあらゆる悲しみや苦しみをすべて見て下さっているという確信からであった。

あなたはわたしの嘆きを数えられた。
あなたの記録にそれが載っているではありませんか。
あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。

神は、私たちの苦しみや悲しみを決してなおざりにされることはない。この詩の作者の確信はここにあった。なおざりにするどころか、宇宙の創造主であるにもかかわらず、小さな私たちの苦しみや悲しみを一つ一つを数えてくださった、それほどに一つ一つと覚えていて下さるという実感がある。
 さらに、涙を神の革袋に貯えてくださるということも知っていた。それゆえにこのように、神に祈り願うことができた。
 私たちの悲しみが深いほど、それは人には言うことができないだろう。誰にもわかってはもらえない、当事者だけが知っている深い心の傷というのがある。そのような傷をかかえて一人苦しむとき、神はそのような悲しみや傷みのすべてを一つずつ覚え、その涙を、その悲しみを一つも失われないように持っていて下さる。そしてその悲しみを決して無駄にはなさらない。

ああ、幸いだ、悲しむ者たちは。
彼らは、(神によって)励まされるからである。(マタイ福音書五・4)

 悲しみの深い意味は、パウロもよく知っていた。

神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらす。(Uコリント七・10)

 こうした苦しい経験を通して、この詩の作者は、確信へと導かれる。

私が神を呼べば、敵は必ず退き
それによって神はわたしの味方だと知る。

 この作者の確信は、現代に生きる私たちにとっても、是非とも与えられたいものである。私たちに反対するもの、それは人間であったり、私たちの内にある罪の思い、狭い考えであったりする。またあるときは、病気であったり、将来の不安や心配であったりする。
 そうしたものは、私たちが神に従って歩んでいこうとするときに反対するもの、敵対するものとなるが、もし私たちが神に向かって、心を込めて祈るとき、そうした力は必ず後ろに退く。
 こうした経験を重ねたとき、この詩の作者は神をたたえ、神の言葉への讃美が生まれていく。

私は神にあって御言葉をたたえる。
私は主にあって御言葉をたたえる。
神に依り頼めば恐れはない。
 
 このような作者の人生の経験は、この詩の最後の言葉に結晶している。

あなたは死からわたしの魂を救い
突き落とされようとしたわたしの足を救い
命の光の中に
神の御前を歩かせて下さる。

 この詩の作者にとって、神とは単に宇宙の創造者であって、私たちの心の問題と無関係に存在しているのでなく、いかなる人間もできないような仕方でもって、私たちが苦しい問題に直面したときにも、そばに来て助けて下さり、その恐ろしい死の闇から救い出してくださるようなお方なのである。
 神など存在しないという根拠として、よく持ち出されるのは、神がいるのならどうしてこんなに世の中に悪が多いのか、ということである。
 しかし、そうした無神論の考えをいかなる議論よりも打ち砕くのが、この詩の作者が体験してきたような、死の淵から救い出された、まさに突き落とされようとしたところから助けられたという実感なのである。そうしてたんに危険から救われただけでなく、それまで知らなかった「命の光」というものを与えられて、新しい歩みができるようになっていく。
 この命の光ということは、旧約聖書ではこの箇所以外には、ヨブ記に一度しか現れない言葉である。(*)

(*)「しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」と。
まことに神はこのようになさる。人間のために、二度でも三度でも。
その魂を滅亡から呼び戻し命の光に輝かせてくださる。(ヨブ記三三・28〜30)
 なお、ヨブ記は旧約聖書のなかでも、新約聖書に近い時代(紀元前五世紀頃)に書かれたとされている。

 旧約聖書では命の光というのは、まだほとんど知られていなかったと言える。しかし、この詩の作者は特別に苦しみや悲しみの経験を通して、この世界には、そのような暗黒と死の世界から救い出され、新しい命を与えられつつ、神の光に歩むことができる世界があるということを啓示された。
 ふつうの自然の命や物理的な光とは全く異なる、命の光があるということは、このように死の蔭の谷から救われた者に初めて啓示されたといえる。その点ではヨブ記も、また旧約聖書では、神を信じて生きる正しい者になぜ恐ろしい苦難が降りかかるのかということをテーマにした詩的文書である。苦難のひどい状況からこうした新しい時代を先取りするような、深い経験が与えられるのがわかる。
 新約聖書ではこの「命の光」は、前面に現れてくる。

 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ福音書八・12)

 キリストこそは、闇に輝く光として来られたお方である。また、朽ちることのない神の命である、永遠の命を与えるために来られたのであって、キリストを信じる者には誰でもが命の光を与えられることになった。
 私たちのこの世での苦しみや悲しみは、命の光へ導こうとされる神の導きなのだと知らされる。


st07_m2.gif他者のために祈ること

モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。
しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足元に置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。(出エジプト記十七・11〜12)

 この聖書の言葉によって、戦いにおけるモーセの役割がうかがえるとともに、いかに祈りが重要であるかが示されている箇所です。これは単に戦いにおける祈りの重要性を示すにとどまらず、同胞への祈りであるとも言えます。
 すでに古い時代からこのように他者のために祈るということが象徴的な表現で記されています。モーセが手を上げているとは、祈っているということです。モーセの手が重くなったとは自分だけでは祈りが続かなくなったということであり、そのような時には他者によって支えられる必要があるのです。
 このことは現代の私たちにおいても当てはまります。私たちも祈ります。それによって悪の霊との戦いに勝利が与えられることを期待できます。しかし自分自身が疲れや苦しみに遭ったときには祈れなくなることもありましょう。そんな時でも誰かが祈りを続けていくことが重要なのです。
 そうした祈りの人の周りには、いわば天使がいてその祈りを助けてくれるように思われます。み心にかなった祈りとは、私たちの自我中心の心が砕かれてなされる祈りであり、また幼な子のような心でなされる祈りであり、そのような祈りはまっすぐに神のもとに届くように思われます。そしてそのように幼な子のような心をもって祈る者の周りには、天使がいる、しかもその天使は神の御顔を仰いでいるほどに最も近くにいる天使であると主イエスは言われたのです。

これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。(マタイ福音書十八・10)

 このような祈りは主の祝福を受けるゆえに、続けられていく、そしてそれは互いに支え合う祈りとなります。それはそのような祈りを主イエスが支えられるからです。
 主はつぎのように言われました。

しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ福音書二十二・32)

主イエスは、自分自身が十字架上で釘付けになるというこの上もない苦しみに会いながらも、「彼らの罪を赦してください」と祈ったとも伝えられています。

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ福音書二三の34)

 使徒の働きを記録した文書(使徒行伝)においても、最初の殉教者となったステパノという人は、やはり殺されるとき、つぎのように言ったのです。

それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。(使徒言行録七・60)

 このような死を前にした時ですら、自分を殺そうとしている憎しみにあふれた人々のために祈ることができる魂は、当然、日頃のさまざまの状況におかれた人々のために祈ることができただろうと思われます。
 自分のためだけなく他人のためにも絶えず祈る心、そこにとくに主はともにいて下さるのです。

 主ご自身が、私たちのために祈ってくださっている。それは主イエスは愛であるから。そして主は真実なお方であるから。

 敵のために祈れ、苦しみを与えようとするもののために祈れと言われた主御自身は私たちのために祈りを続けていて下さる。モーセの手は疲れることがあったが、主イエスの手は決して疲れることはない。それは神の御手だからです。
 キリスト者は本質的に祈りで結ばれた人たちだと言えます。キリスト者とは、キリストのからだであり、苦しみをある部分が味わうとき、他の部分もともに苦しむとあります。そうした心は祈りの心の現れです。絶えることのない祈りの心だけがそのように他者の痛みを、程度は少しであるにしてもわがもののように感じるからです。私たちの苦しみを御自分の苦しみとして感じてくださってご自身をも捧げられた主が共にいて下さるとき、初めて私たちも少しでもそのようにしていただけるのです。

「祈りの友」という祈りを主とする集まりを初めて提唱した内田 正規(まさのり)(*)は、つぎのように言っています。
「…私たち病める者、ことにながい、病床生活をよぎなくされている者の最も尊い仕事は祈りであると思います。いかなる重症患者も祈りだけはできます。…
 幸いにも、憐れみの父なる神を知ることができ、救われて病床に感謝の生活をおくっている私は、同じ病気になやみ苦しんでいる人たちを思うと祈らないではいられなくなりました。そこで私は毎日、朝夕の祈りのときに病気の友たちのために祈ることにしていました。…
 私は病気によって信仰に導かれたのでありますから、病友の一人でも多くがこの病気を通じて神のふところに入れられて、神のみ恵みによっていやされることを祈るものであります。」

(*)一九一〇年岡山市生まれ。一九四四年、三三歳で召される。一九三二年一月に当時では死の病として恐れられていた結核に苦しむ人たちに、自らも結核で苦しんでいた内田が呼びかけてその救いのために共に、時を定めて祈ることを提唱し、そこから「祈の友」という集まりが生まれた。ただ、互いの祈りを目的とするこの「祈の友」は七〇年の歳月を、数多くの病の人たちの祈りを軸とし、さらに健康な者もともに祈る集まりとして今日まで続けられてきた。

 この「祈の友」の祈りの中心は、他者のための祈りです。
 私たちの精神が十分に発達していないときには、祈りも自分中心となり、困ったときの神頼みという言葉のように、自分が病気とか家族の問題、あるいは仕事の上での困難など、なにかの事情で困ったことが生じたときだけ祈るということになります。
 旧約聖書に見られる祈りは、とくに詩篇に集中的に記されています。

呼び求めるわたしに答えてください
わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください
憐れんで、祈りを聞いてください。(詩篇四・2)

神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。(詩篇五十一・3)

 このように、何よりもまず自分が置かれている苦しみや悲しみの中からの叫びとしての祈りがあります。これは現代の私たちにとっても同様で、さまざまのこの世の問題に苦しみ悩みが生じるのは誰にとっても同様です。そうした中から、神を信じる者は神にむかって力を求め、救いを祈るのは最も自然なこと、そこに力の源があるのです。
 こうした出発点に立って祈るとき、神は何らかの力や救いを与えて下さる。そこから他者への祈りも芽生えてきます。
 旧約聖書の詩編にも、そうした他者への祈りは見られます。

救って下さい、あなたの民を。祝福して下さい、あなたの民を。
とこしえに彼らを導き養ってください。(詩篇二十八・9)

 また、つぎの詩は、神のはたらきを後の世まで宣べ伝えさせて下さいとの祈りです。

わたしの口は恵みの御業を
御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできない。

しかし主よ、わたしの主よ
わたしは力を奮い起こして進みいで
ひたすら恵みの御業を讃えよう。

神よ、わたしの若いときから
あなた御自身が常に教えてくださるので
今に至るまでわたしは
驚くべき御業を語り伝えて来ました。

わたしが老いて白髪になっても
神よ、どうか捨て去らないでください。
御腕の業を、力強い御業を
来るべき世代に語り伝えさせてください。
(詩篇七十一・15〜18)

 ここに切実な心で祈っている心にあるのは、神の驚くべき愛と正義のわざを、まだ知らない人たち、後の世の人たちにも知らせることができるように、との深い愛の気持ちです。まだ、見てもいない、自分とは直接に何の関係もない人々に対して、神のわざを伝えさせて欲しい、彼らが何としてもこの大いなる神のわざを知ってその力を受けて欲しいというあふれるような愛の心があります。
 このような他者への祈りは、すでに創世記においてアブラハムが滅び行くソドムとゴモラの町々のために真剣に祈っている姿のなかに見られます。
 さらに、そうした他者への祈りは、旧約聖書では預言者といわれる人たちによって深い祈りとなって後の世に流れていきます。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ書二・4〜5)

 イザヤとは、今から二七〇〇年ほども昔、はるかな古代に現れた預言者です。そのような大昔、日本では文字もなく、文書もまったくなかったような原始時代に、数千年を経てもその真理が少しも衰えないような光が輝いていたのがわかります。
 これは、直接的には、「ヤコブの家」すなわち、当時のイスラエルの人々、神の民とされていた人々への呼びかけです。唯一の神が存在しているなどということは、全世界で、このイスラエルといわれる人々だけに知らされていたことです。その人々に対して神の定めたときには、あらゆる武力、戦争がなくなって、神からの平和に生きるようになる、そうした未来の輝かしい世界に入れて頂くために現在必要なことは、神の光に歩むことだと、呼びかけている。それは同胞のイスラエルの人々への呼びかけでありながら、じつは、その後の数千年にわたる世界の人々へのメッセージとなっています。
 他者への祈りとしてこのように雄大なものがあるでしょうか。自分だけの祈りから少し成長すると、私たちは身近な家族や友人、同じキリスト集会の人たちへの祈り、知人への祈り、ほかの様々の関わりある人々への祈りと広がっていきます。しかし、数千年もの期間にわたる、世界の人々を視野に入れた祈り、というのは通常の人のなかには生じないはずのものです。
 これは、神がイザヤという預言者に臨んでこのようなスケールの大きい、しかも深い祈りをさせるようにうながしたからだと思われます。
 預言者とは、神に背き続けている当時の人たちのために祈り、神の言葉を命がけで伝えた人々のことです。預言者が語った言葉は、その当時の時代への言葉であって、現代の私たちにはたいして関係はないと思っている人も多いようです。しかし、預言者たちが神から受けた言葉は、そこからあふれ出て世界の人々への祈りとなっているのです。
 
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(イザヤ書九・1)

 このようなイザヤの言葉は、預言だと言われています。未来に救い主が現れる、それをこの言葉は預言しているのだと。その通りです。しかしこうした言葉は、預言者に多くありますが、それは単に未来に起こることを予告しているといっただけのものでは決してありません。
 多くの混乱と苦しみに置かれている人々に対して、それがなぜ生じているのかその原因を指摘し、裁きを告げることもみなその奥には同じ目的があります。
 それは、深いところで流れている他者への祈りです。どうか人々がよくなって欲しい、間違った道を歩いて裁きを受けて滅びることになってはいけない、神の道を正しく知って歩いて欲しい、間違っているところに気付いて悔い改め、神の道に立ち返ってもらいたい、神とともに歩む幸いを知って欲しい…という切実な祈りが背後にあるのです。
 だからこそ、間違った道を歩んでいく人々はそのようなことでは必ず滅びる、神の裁きの手によって大いなる苦しみや悲しみが生じると警告し、またいかに弱い者たちであっても、罪を犯してしまった者であっても、悔い改めることによって神は大いなる救いの道、幸いの道へと導かれるのだということを知らせるために、このように随所で希望の光が存在していること、決定的な希望が訪れることを予告しているのです。
 そむく者にもそのようにして愛を注がれ、何とかして救いを与えようとされる神の愛を知って、立ち返って欲しい、との願いがあります。

 闇の中を歩む民、死の蔭の地に住む人々が大いなる光を見たというのは、そのような光が臨むのだから、あなた方、罪を犯した者、裁きを受けた者も希望を捨てるな、あなた方も救われるのだ、ただ神を仰ぎ、立ち返るだけでよいのだ、との祈りの込められた呼びかけとなっているのです。
 預言者の言葉それ自体が、当時の人々への、そして後の幾千万という人々へのとりなしの祈りなのです。 こうした深い他者への祈り、人々が真理を知って罪を赦され、神の平和と神の国の幸いを与えられるようにと、キリストを神はこの世界に送って下さった。
 そしてキリストが来られてからこの他者への祈りは、旧約聖書のときのように、特別なきわめて少数の預言者といわれる人々だけでなく、キリストを信じた人すべてがこのような他者への祈り、とりなしの祈りができるようにして下さったのです。
 それが信じる者に与えられる聖霊のはたらきです。つぎにあげる使徒パウロの言葉にあるように、私たちの不十分な祈りをも、私たちに与えられる聖霊がとりなしてくださって、最善の祈りとしてくださるというのです。私たちの祈りの心が不十分でさまよいがちであっても、小さな祈りの芽を持っている限り、そこに聖霊が注がれてその小さな祈りに水を注ぎ、正しい祈りへと導いて下さる。


同様に、(神の)霊も弱いわたしたちを助けて下さる。
わたしたちはどう祈るべきかを知らないが、(神の)霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからである。…
(神の)霊は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからである。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。…

もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できようか。
わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがあろうか。
だれが神に選ばれた者たちを訴えるのか。…
だれがわたしたちを罪に定めることができようか。
死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのである。(ローマの信徒への手紙八章より)

 私たちも自分の信仰が小さいとか祈りが弱いといって祈りをしないのでなく、私たちの祈りをとりなして導いて下さる神と聖霊を信じて祈りを続けたいと思います。

あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。…
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは大きな力があり、効果をもたらします。(ヤコブの手紙五・13〜16より)

 このように使徒ヤコブが教えています。パウロは互いに祈り合うということについてもその重要性を繰り返し私たちに告げています。


終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。
主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、
また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。…
主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。(Uテサロニケ三・1〜3より)

 キリストを信じる者とは、このように互いに祈り合う間柄だと言えます。
 それは、単独で悟りを開くのでなく、また精緻な思索で孤高の存在となるのでなく、また特定の指導者が命令通りに動かすのでもなく、組織の歯車のように機械的に動かされるのでもない、また信仰箇条だけを信じているとか聖書を研究するのが中心となってしまった知的集団でもありません。
 キリスト者とは、キリスト(聖霊)に導かれ、ともにいて下さるキリストにあって互いに祈り合い、そこで示されたことを各人が自発的になしていく人たちのことです。
 私たちがこのように日々互いに覚えて、祈り合って生きること、それがキリストのからだとして生きるということだと言えます。
 
「主の祈り」
だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。』

 祈りの文で最も広く知られているのは、「主の祈り」です。弟子たちが自分たちにもいかに祈るべきか、どんな祈りが最も神の御心にかなった祈りなのかと尋ねたときに、答えられた祈りで多くの教会では礼拝のときに毎回この主の祈りがなされています。
 主の祈り、それはこうした他者への祈りが最も簡潔に、また広くそして深い内容をもっているものです。「御国が来ますように」とは、神様の真実で愛の御支配が自分や他人、そしてこの世界全体に来ますようにとの願いです。壊れた心をかかえて苦しむ人間や家庭や社会に神様の御支配が来ますように、神の愛と真実が注がれますようにとの願いです。だからそれはあらゆる他者への祈りとなることができます。
 本来なら罪ゆえに滅びてしまうはずの自分がこのように生かされ、救われたことは何にも変えることができない、だからこそそのような神の力がこの世のすべてに及ぶようにとの願いです。
「ご意志が、天に行われるように、地上でも行われますように。」
 この祈りも同様で、地上では悪の意思が至るところではびこっているのが感じられます。
 しかし、そのようなただ中で、神のご意志が行われますようにとの願いがこの祈りです。ここにも、周囲のさまざまの人々の心が、不純な人間の意志によって動かされている、だからこそ、真実そのものの神のご意志が為されますようにということも、他者へのとりなしの祈りであり、他人の前途をいつも心にかけていることを伺わせるものとなっています。
 このように、他者への祈りということは、旧約聖書にはまだごく一部の内容にしか載っていないのですが、新約聖書の時代、キリストが来られてから、全く違ってきて、それが中心的な内容になっています。
 それは隣人を愛せよ、敵のために祈れ、と言われた主イエスのお心に従うことであり、また実際そのようにして前に進んでいこうとするとき、神は必ず救いの御手を差し伸べられるのです。


st07_m2.gif五〇〇号の感謝

「はこ舟」は今月号で五〇〇号となり、これまでの長い年月を主が守り、導いてきて下さったことを思います。「はこ舟」のために多くの協力者が与えられ、祈りや協力費が捧げられ、制作に必要なコンピュータや印刷ソフト、プリンタなども与えられて今日に至っています。
 それで、ここでは「はこ舟」誌の歩みの一端を記しておきます。

 「はこ舟」誌が発刊されることになったいきさつは、創刊号によれば次のようなことでした。
 今から四六年あまり前の一九五六年三月の第二日曜日の集会のときに、印刷物発刊の話が出て、そのとき現在も私たちの集会員である垣塚千代子姉が謄写刷りを奉仕したいからとの申し出があり、集会員の賛成も得られて早速有志が原稿を引き受けられ、徳島聖書研究会(徳島聖書キリスト集会の最初の名称)の同人誌として、月刊の印刷物が出されるということになりました。
 翌月四月八日に第一号が発刊されています。そのあと、当時本県の地方課長をしていたY氏から思いがけない献金があり、第二号からは活字印刷となったので、謄写版刷りは創刊号のみでした。
 その時に名称がいくつか考えられましたが、結局「はこ舟」となりました。それについて「はこ舟」の最初の編集者であった、太田米穂氏はつぎのように書いています。

「旧約聖書のノアのはこ舟の記事にあるように、私たちは罪深い悪の生活をしている以上、神の裁きを受けることによって滅びる他はないような存在です。
 しかし、ただ一つ幸いなことは、イエス・キリストを信じることによってのみ神さまの前に正しい人であると認められ、その救いのはこ舟に助け上げられることが約束され、この世の滅亡のときが来ても、キリストの恵みによって新天地に住まう資格が与えられるので、ノアのような正しい人でなくても、ただキリストの名を信じるだけで、正しい者と認められる。
 これがすなわち真の福音というものであります。現代の私たちもそのような救いの「はこ舟」に乗り込んで、滅びから免れるようにと、みなさんにお知らせする手紙の代わりのプリントの名としました。私どもはこの新天地に住まうべき望みを確信し、まだ見ぬその事実を確認して、一歩一歩聖書と日々の生活から体験しつつ前へ前へと進むのであります。」(「はこ舟」一九五六年四月創刊号より)

 ちょうど「はこ舟」が創刊されたのと同じ月に(一九五六年四月十九日)、当時東京大学総長であった、矢内原忠雄(やないはら ただお)が徳島での全国学長会議に参加のため、徳島を訪れました。矢内原(やないはら)は、無教会のキリスト者の有力な指導者として全国的に広く知られていた人であり、徳島聖書研究会にも矢内原忠雄が参加されて特別集会となりました。それで「はこ舟」の第二号は、「矢内原忠雄先生来徳記念特集」と題されています。また、「はこ舟」のレイアウトなどについては、次のように記されています。
「ちょうど、矢内原忠雄先生が来徳された記念にもと、同先生発行の『嘉信』型を模倣して活字印刷発行した次第である。…」
 以来、四六年という歳月が過ぎていきました。その間、最初の編集責任者であった、太田米穂氏が一九六五年に召されて、杣友(そまとも)豊市氏が次の編集を担当することになります。
 杣友さんは、当初「はこ舟」といった印刷物を出していくことには反対の立場でした。
 編集者であった太田氏が高齢の上、交通事故で入院したため、「はこ舟」編集ができなくなったとき、杣友さんは、一九六五年の日記には、「はこ舟百十三号にて休刊と決した。」と書いています。この時点では、杣友さんは「はこ舟」を継続する意思がなかったのです。
 しかし、その少し後の日記には、「太田様から、「はこ舟」を休刊せぬようと言ってきたので、次の段取りを始めた。政池 仁(まさいけ じん)先生からも、太田兄から電話があって休刊になると知ったが、休刊するなと言ってきた」
 と記しています。このように、最初の編集者の太田さんや、当時無教会のキリスト者の指導的人物の一人であった政池 仁氏からの励ましによって、休刊にしようという考えを変えて、続けることになったのがうかがえます。
 こうした初期の経過を経て、数年後には、つぎに述べるように杣友さんにとって「はこ舟」の編集は神から自分に委ねられた仕事なのだと示されていったのがわかります。
 初めて私が徳島聖書集会(杣友さんが代表者となってから、徳島聖書研究会という集会名は、徳島聖書集会となった)に参加して、二回目の集会で、杣友さんがつぎのように言われたのを今もはっきりと覚えています。
「私は、かつては『はこ舟』を出そうと言う提案には反対であった。矢内原忠雄、塚本虎二(つかもと とらじ)、黒崎幸吉(くろさき こうきち)、政池 仁(まさいけ じん)…など、立派な無教会の先生方の月刊の印刷物がたくさんあるのだから、これ以上くず箱のゴミを増やさないほうがよいと言って反対した。しかし、現在(一九六八年)では、定期的な発行はなかなか困難だから止めようかと思うこともあったが、神様から、発行を止めるな、と言われて続けています。」
 穏やかな表情で独り言のように静かに言われたのです。当時の私は信仰を与えられて、一年半ほどでしたから、神様が「発行を止めるな」などとはっきり言うのだろうか、とふと思いつつも、いかにもさりげなく言われる杣友さんの姿を見るとそれは事実なのだと直感したものでした。
 そしてそれ以後、「はこ舟」発行に関して杣友さんがいかに力を注いでおられるかもつぶさに知ることになりました。
 一九六五年に杣友さんが「はこ舟」の編集を太田さんから引き継いだとき、すでに七〇歳でした。それから二八年間ほど続けられ、九八歳になる直前まで、編集を続けてこられました。このような高齢になるまで、月刊の印刷物の編集を実際に続けてきたというのは、ほかにはほとんど例がないのではないかと思われます。神からの励ましと支えによって、それを神から自分に任された大切な仕事だと知っていたからそのように情熱を傾けられたのだと思われます。
 引き受けて数年後の日記には、
「…『はこ舟』編集を辞退しようかと考えたが、これは自分の信仰不足のためにこんな考えになったのである。大いに反省。私がまず先頭に立とう。そしたら孫も子も友人も動くであろう。」
と書かれています。
 杣友さんにとって、「はこ舟」を書くということは、決して老人の余暇を使う趣味的なものでなく、それは神の国のための戦いという象徴的意味があったのです。「はこ舟」を伝道のために用いるわけですが、神の言葉に関して書き続け、それをこの世に提供していくということのなかに、サタンの力に対抗していく、戦いの旗印なのだという気持ちであったのがわかります。
 九八歳が近づき、いよいよ限界に来たことがわかり、私(吉村 孝雄)が編集責任者として続けていくことになりました。一九九三年四月のことです。
 なお、個人的なことですが、私(吉村)は、大学四年の初夏に、京都の古書店で、その矢内原忠雄の一冊の本を読んでキリスト教信仰を知らされた者です。当時私が在学していた大学の理学部には冨田 和久(とみた かずひさ)氏という、矢内原の信仰上の弟子がおられて、私もその冨田氏が主催している無教会のキリスト集会に参加することになり、キリスト者としての一歩を踏み出すことになったのです。
「はこ舟」が創刊されたちょうどその時に矢内原忠雄が徳島に来て、記念集会をされたこと、私が信仰を与えられたのも矢内原の本であり、初めてのキリスト集会に参加したのも矢内原の信仰上の弟子が主催している京都の集会であったことなど、ふしぎな導きを感じています。
 そしてその一年後に徳島にかえって高校の理科教員となりましたが、そこで当時は隔月発行となっていた「はこ舟」に出会ったわけです。そのときには、杣友(そまとも)豊市氏が編集者でした。そしてその少し後から私も「はこ舟」に時々投稿するようになり、一九七五年秋に、杣友さんと話し合って隔月発行を毎月発行に変えること、毎月の原稿と出版のための費用を杣友さんと私とで半分ずつ受け持つことにして、それから私も毎月定期的に書くようになりました。 
「はこ舟」は、現在は、原稿は吉村個人が書いて、レイアウトなども一九九六年からは、私のパソコンで仕上げて、それを印刷所に持っていき、増刷とのり付けをしてもらっています。これはパソコンがなかったらずっと費用も時間もかかって多くの人に気軽に用いて頂けなかったと思います。こうした印刷物の制作にはパソコンはとくに有益なものとなっています。
 「はこ舟」のような月刊の印刷物を続けていくのはなかなか大変で、毎日のように県内各地での集会を持っていることもあって、時間的に執筆するのが困難なことも多くあります。そうしたなかでともかくも今日まで続けられてきたのは、神の支えと導きによって書き続けることができたこと、集会員や読者の方々の祈りと支えによって今日があると感じます。
 この「はこ舟」はいろいろの人によって、聖書の学びの一つの手段として、また知人にキリスト教を知らせるためにも用いられてきました。今日まで、主がそれを用いて下さっていることを知らされて感謝です。
 この「はこ舟」が神の国のため、神の言葉を告げる器として継続され、用いられるように、今後ともご加祷下されば幸いです。


st07_m2.gif休憩室

子供の詩から

きせつのプレゼント
神様は、
きせつごとにプレゼントをくれる
春は、
少し寒いから温かい風と花をくれる
夏は、
暑いだけじゃさみしいから、
せみの鳴き声をくれる
秋は、冬ごもりする動物のために
果物をくれる
冬はしんとして、さみしいから
雪をくれる
神様は、
きせつごとに、プレゼントをくれる

 これは小学五年の女生徒が作った詩です。朝日新聞に掲載されていたものです。
 一般の新聞や雑誌に、天地創造の神のことが出てくるのはほとんど見たことがありません。「読者の声」の欄においても、そうした内容のものは除いているようです。
 そうした中では、このような詩は、珍しいことです。
 なお、この詩の評者はつぎのようにコメントしています。
「…神の視点で愛の心を歌うのです。創造主(神)の愛を季節(自然)に重ねて歌ったところが光ります。しみじみとした感動のこみ上げてくる詩です。」


st07_m2.gifことば

(142)人間がその身体で、善と真とを健康に益あるものとして感じ、反対に悪や偽りや不純を、それがたとえどんなに快いかたちをしていても、気づまりや不健康なものとして感じるようになったとき初めて、その人はまさにあるべき通りの人間に、また最良の場合にありうる通りの人間になったのである。
 それまでは、どんな立派な原則に従って生きようとも、いぜんとして悪の影響のもとにあるのだ。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」 第一部 四月十七日の項より)

・このように、心とからだ全体で、善きものや真実なものを心惹かれるものとして感じるとき、たしかに悪をも直感的に嫌悪を感じて退けることができると思われます。そしてこのためには、そのような善きものの根源である存在(キリスト)が私たちのうちに住んでくださることがぜひとも必要なのです。

(143)始めることを忘れなければ、人は老いません。七十五歳を過ぎてこそ始める必要があるのです。…
 志(こころざし)は高く、暮らしは簡素に。
 生活習慣の大切さに早くから配慮した人の人生は実りも大きく、侮った人の人生はむなしいものになるでしょうね。(「朝日新聞」二〇〇二年二月二五日」より日野原 重明氏の言葉)なお、日野原氏は九〇歳、聖路加国際病院の理事長など六つの財団のトップを務めている。現在も医者として診察を続けており、この朝日新聞の記事も、移動の車中でようやく実現したとのことです。現在も国内各地だけでなく、外国にもしばしば講演に出かけている。聖路加とは、ルカ福音書を書いた、聖ルカのこと。

・老年になっても新しいこと、良きことを始めるには、内にそのようにうながすものをもっていなければそうした心は生じません。そのようなものがなければ、もし初めても永続できないと思われます。死が近づいてもなお、日々新しくする力を持って、新しい心を与えるもの、それは死を克服されたキリスト以外にないと信じます。

「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達する。」(コロサイの信徒への手紙三・10)
 この「新しい人」とは、いまも生きて働くキリストであり、聖霊を日々受けることを意味しています。

(144)伝道と十字架
 伝道は人を救うことである、救いのためには、犠牲は不可欠である、犠牲がなくして救いはない、救いにつながらない伝道は伝道でない。伝道は単なる説教ではない、また著述ではない。
 伝道はひとのために、あるいは人に代って苦しむことである。
 十字架を負うてキリストの後に従うとは、ただに自分に臨んだ艱難に耐えることではない、ひとに代ってその罪を担うことである。
 伝道は十字架である、犠牲をもって人を救ぅことである。(「聖書之研究 一九一三年四月号」)

・最大の救いを人類に与えて下さったキリストは、全くの無実であるにもかかわらず、最大の犯罪人として十字架で釘付けられたことを思います。私自身は、一冊の本でキリスト教信仰を与えられましたが、その背後にそれを書いた著者が信仰によって多くの苦しみを担って来られたことを後で知らされました。キリストの福音が伝わる背後には、つねに誰かがどこかで苦しんだ跡が刻まれています。
2002/9

神の心と戦争    2002/8

 八月は第二次世界大戦を思い出す。日本はもう半世紀以上、他の国に武力攻撃をして殺傷するということはなかった。それは平和憲法のおかげであった。いっさいの戦力を持たないという規定が現在では、世界のトップクラスの兵力を持つ自衛隊を持つ状態となっている。
 聖書の思想は単純率直である。戦争は人を殺すことであり、それは最大の悪である。愛とは生かそうとする心であるが、戦争の思想は敵を徹底的に殺そうとする。キリストは、たった一人の傷ついた者をも生かそうとするのに、戦争は何千、何万という人たちを平気で、傷つけ、その生涯を破壊していく。
 すでに旧約聖書から、神の心は弱い者、傷ついた者をいつくしまれることが記されている。

わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。
彼は国々の人々に道をしめす。
彼は…傷ついた葦を折ることなく、暗くなっていく灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
(イザヤ書四十一・1〜3より)

 そして主イエスはどのような使命をもって地上に来られたのかについては次のように記されている。

暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。
(マタイ福音書四・16)

 キリストは暗闇に住む民にかつてない永遠の光を与え、死に瀕する人たちには生きる希望と力を与えるために来られたのである。
 しかし、戦争とは、まさに無数の人たちを暗闇に投げ込み、平和な生活を送っていた者たちをも死の苦しみへと突き落とすものに他ならない。

 さらに、次の箇所を見てみよう。これはキリストが何のためにこの世に来られたかを説明している箇所である。

目の見えない人は見え、
足の不自由な人は歩き、
ハンセン病(*)を患っている人は清くなり、
耳の聞こえない人は聞こえ
死者は生き返り、
貧しい人は福音を告げ知らされている。
(マタイ福音書十一・5)

(*)従来は、「らい病」と訳されていたが、最近ではこの病名は使われなくなったので、「重い皮膚病」とも訳されている。しかし、単に重い皮膚病のためにキリストは来られたのでない。それならなぜ、ほかにもいくらでも重い病気はあるのになぜ、皮膚病だけ重いものが取り上げられているのかが説明できなくなる。当時は社会的にも見捨てられ、汚れた者とされて顧みられなかった最も恐ろしい病気としてのハンセン病の人のいやしのために主イエスが来られたのである。

 キリストはこうした最も圧迫されている人たち、苦しみや悲しみのただなかで打ちひしがれている人たちを助けるために来られたのであった。
 こうしたすべてを考えるとき、武力をもってする戦争というのは、見える人の目をつぶし、元気な人の手足を砕き、生きた人を殺し、自然や産業を破壊して人々を貧困のただなかへと突き落とすものとなるのであって、キリストのお心とは全く正反対のものであることが明確になる。聖書を片手にしてこともあろうに、報復の戦争を「聖戦」だ、などというアメリカの大統領や彼に盲従する人たちは、全く聖書を知らない者の言うことと同じなのである。
 「あなたの敵のために祈れ、報復は私のすることである。」というのが、神とキリストのお心であるのが、聖書から明確になってくる。
 
 しかし、現代の日本の状況を見ても、単に戦争がないだけでは人間の心は神のお心にやはりそぐわないものとなっていくことを知らされる。人間はもともと、罪深いものであって、そのままでは戦争がなくとも、別の悪の力に引っ張られていくのである。
 日本が戦争をしなくなって、五十年以上が過ぎた。しかしその間、人間の心はより一層清く、心は神のお心にかなうような真実な状態になってきただろうか。本当の清い愛が深まったであろうか。
 大多数の人たちの見るところでは、そのようなことは全く見られない。むしろ逆に退廃的になったり、虚弱な精神になりつつある。
 戦争は悪のあらゆる総合物であり、あらゆる堕落と退廃が伴う。他方、何も戦争がなくも、人間精神は落ちていくのである。
 こうした双方の危険性をキリストははっきりと知っておられた。私たちが「まず、神の国と神の義を求め」、神から聖なる霊を与えられてそれに従って生きていくのでないかぎり、どのような状態であっても、いかなる国や制度においても、人間の精神は次第に汚れていくのである。
 外的な戦争は何としても生じないように、またその戦争に巻き込まれないように心せねばならない。それとともに、内的な悪との戦いはつねに生じているのであって、その戦いに負けるならば、その人間がすることは、最終的には崩れていく。
「私はすでに世に勝利している。」と宣言された主イエスの力を受け、従っていくことこそ、真の勝利への道であり、そのような人は決して武力による戦争などを支持しない。ここにこそ、外的そして内的なあらゆる戦いを終わらせる道があるのを知らされる。


st07_m2.gif主の山に備えあり

 旧約聖書で最も重要な人物の一人がアブラハムである。アブラハムは旧約聖書を教典とするユダヤ教においても、モーセとともに最も重要な人物であるが、イスラム教にとっても、彼らの信仰の模範がアブラハムなのであって、そういう点からみると、現在も全世界にその影響を及ぼしているほどに重要な人物なのである。
 そのような特別に神に召された人物であるアブラハムについては旧約聖書に詳しく記されていて、後世の人間がどのようにアブラハムの信仰から学ぶべきかが浮かび上がってくるようになっている。
 ここでは彼に生じた出来事のうち、とくに備えをされる神ということについて見てみよう。 
 アブラハムの生涯にはさまざまのことが生じた。それらはつねに何らかの試練でもあった。まず、生まれ故郷を離れて、遠い未知の国、神が指し示す国に行けという神の言葉に従うことがそうしたさまざまの試練の出発点となっている。
 ようやくたどり着いた目的地において生活していたが、食料がなくなり、その地では生きていけない状態となった。そのために、遠いエジプトまで行き、そこでは自分の命の安全が保証されないという恐れのために、妻を妹と欺いて、エジプト王に妻を差し出して、窮地を逃れようとした。そのようなことをすれば、神の約束などすべて無にしてしまうことであったので、神みずからがアブラハムの弱さを顧みてその困難から救い出したのであった。
 また、他のところから攻めてきた連合軍に自分の甥であったロトとその親族が連れ去られてしまったが、その連合軍を追跡して戦いとなり、彼らを取り戻したこともあった。
 しかし、そのロトの住むソドムとゴモラの町が滅びることを知り、その町のために必死でとりなしの祈りをささげた。
 さらに、家庭の問題で悩み、ハガルを追い出したこともあった。
 自分たちが老年になるまで、子供が与えられず、神がかつてあなたの子孫は空の星のようになるとの約束がいくら待っても実現されないため、全くあきらめてしまっていた。
 しかし、驚くべきことに神の約束は実現してすでに老年になっていたアブラハム夫妻に一人子が与えられた。
 これは、神の御計画が実現するまでに、待つということがいかに重要であるかを示している出来事であった。そうした過程を通じて、アブラハムは、自分の弱さと限界、神の大いなる導きを学んできた。
 アブラハムが受ける神からの祝福は、彼ら自身が祝福の基となり、生まれる子供も星のように増え広がるということであった。
 しかしその一人子を神に捧げよとの命令が神からあった。老年になってやっと与えられた子供を神に犠牲の動物のように捧げるなどということがどうして神からの命令なのか、アブラハムは驚き、神からの命令をどうすべきか夜通し苦しみ続けたであろう。
 しかしそうした長い苦しみののちに、まぎれもない神の言葉であることを思い、アブラハムはその神の言葉に従って、一人息子のイサクを連れて、神から示された土地へと旅立っていった。
 しかし、それほど大きな出来事であって、妻のサラも自分の子供が犠牲の動物のように捧げられようとしていることに対してどのように言ったのか、あるいは、アブラハムは妻にはこのことを話さなかったのか、それは全く記されてはいない。
 妻には、愛する一人息子であるイサクを連れ、従者も連れて遠い旅に出ることをどのように話したのだろうか。途中、三日もかかるような遠いところであった。そこまでの行程でアブラハムと子供との会話も記されていない。ただ、神の謎のような言葉の意味を深く思いつつ、祈りつつ歩いて行ったのであろう。
 神はこのように、全く人間には不可解なこと、しかも最も大切なものを奪うというようなことをされることがある。
 神が示した土地にようやく着いて、アブラハムがいよいよイサクを捧げようとしたそのときに、神が天使を通して備えられた羊が与えられた。
 この大いなる出来事のゆえに、アブラハムはそのことを場所に名前を付けることによって、記念した。

アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり」と言っている。(創世記二十二・14)

 これは単にアブラハムに生じたことでなく、以後の無数の神を信じて生きる人々に対しての大きな約束となったのであった。
 アブラハムの場合はぎりぎりのところで神の奇跡がなされて、備えがあったのがわかる。しかし実際には、そのような大事なものを神が取り去ることも多くある。そのようなことを通して、神は祝福を与えられる。その大切なものが取り去られることがあっても、その場合には必ず別のものが「備え」として与えられる。
 「悲しむ者は幸だ、その者は神からの励まし、慰めを受ける」(マタイ福音書五章)と、約束され、心の貧しい者は天の国がその人のものとなると約束されている通りである。それは愛するものが奪い去られることがあろうとも、何よりもよい、天の国が与えられる(備えられる)という約束なのである。
 大切なものが失われるとき、私たちの心は自分の力がいかに無力であったかを思い知らされ、それまでの心の高ぶりとか誇りなどは打ち砕かれる。そこに「心の貧しさ」が訪れる。そうしてそのような心の貧しい者に神は、最大のよいものである天の国がその人のものであると言われたのであった。
 神は備えたもう、聖書に記されている神はたとえ大切なものが失われても、それにかわる必要なものを必ず備えてくださる神なのである。
 ここでは、信仰がどこまでも深まっていくとはどういうことか、また、その信仰の歩みに応じて与えられる神の備えとは何かが言われている。
 それは決して自分が人間的な気持ちから求めるものが与えられるということでなく、かえってそれを差し出さねばならないことが生じること、しかしそのようにして大切なものをお返しして初めて本当に重要なものを知らされ、与えられるということが示されている。
 キリストも命すら神にお返しした。そこから復活の命を与えられ、それが全人類に祝福の源となった。私たちが大切なものをお返しせねばならない事態になったとき、それは神がいっそう私たちを祝福の源にしようとされる前触れなのである。 
「ヤハウエ・イルエ」とは「ヤハウエは備えたもう」という意味である。
「神は備えたもう」ということは、実は旧約聖書の最初から見られる。聖書の最初の書物である、創世記にはエデンの園というのがある。そこには見てよく、食べてよいあらゆる果実が備わっていた。神は本来そのように人間に必要なものをすべてを備えていてくださるのである。しかし、アダムとエバが自分たちの罪によって神の戒めを破り、そこから追放された。そのようになるまでは神はすべてを備えておられたのであった。
 神の備えを人間の方から断ってしまったというのがわかる。
 ということは、人間が神の備えを心から感謝して受けようとするときには、神はエデンの園に見られたような豊富な備えをもって私たちを養ってくださるということになる。
 聖書においては、アブラハムの記事から始まって「備えてくださる神」のことは随所で見られる。
 モーセはアブラハム以上に重んじられている人物であろう。そのモーセは自分の力では同胞を救うことも全くできず、かえって自分の命が失われる危険に落ち込むことがわかった。その経験からだいぶ経て、結婚し、平和な生活を送っていたがそのモーセに、エジプトにいる同胞を救い出せとの命令が与えられた。そのような状況にあって、モーセは一人の羊飼いにすぎないのであって、いかにして大国のエジプトに行ってそこでたくさんの同胞を救い出せるのか、武力もない、部下となる人間もいない、たった一人でどうやって何万もの人々を救い出せるだろうか。まったくこのように何一つない状況のなかで、神はモーセを呼び出したのであった。
 しかし、神はまことに備えをされる神である。まず、モーセがエジプトに行っても、エジプト人や王に対して、口が重く語ることができないと言えば、モーセの兄のアロンをモーセの口のかわりにと備えられた。そして、それ以後も、何一つ持たないモーセにたいして、驚くべき奇跡を行う力を与え、荒野を四〇年もの間、導くだけの力を与えたのであった。エジプトを出てもシナイ半島は全くの砂漠であって、そこには水も食料もなかった。そのような何一つない状況にあって、神が食物を備え、水を備えて人々は命をつなぐことができたのであった。
 このモーセの召命と砂漠での危険に満ちた長い旅は、何一つなくとも、神への信仰のみで神が備えられるという信じがたいようなことを後世の人々に証言することになった。
 こうした備えをされる神は、現代の私たちには驚くべきことである。人間の判断で備えをするのだ、それには金が何より必要だという発想に浸(ひた)されて育ったのが現代人なのである。
 こうした神の備えをしてくださる本質は、新約聖書の時代、キリストに至っていっそう明確となった。それは、主イエスの教えの根本はつぎのようなことであったからである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
(マタイ福音書六・33〜34)

 「これらのもの」とは、衣食住の必要なものということである。人間はまず真実な神のこと、神のご意志を求めて生きることが根本だ、その精神があれば、必ず必要なものは備えられるという約束である。
 明日のことも、神に委ねて思い悩むことはない、それよりもまず神の国と神の義を求めて生きることこそが大切なのだと言われている。
 この主イエスによる明確な備えの約束は、どこまでも及ぶ。それは死んだら何もなくなるという日本人の大多数の持っている考え方にも真っ向から挑戦するものといえよう。
 死んだ後は、人間がいろいろの供養とかをして、カミになっていく道を備えるというのが、伝統的な宗教の言うところである。しかし、そのような備えの仕方は、古代の迷信的な宗教が、本来ならば消えていくべきであったにもかかわらず、宗教に関わる人間の根深い金への欲望(戒名に高額の金を要求するなど)と、そうしたことをしないとたたってくるなどという周囲の人間の思惑によって造られてきたものである。
 主イエスはこうした備えでなく、神ご自身が、神を信じて召された者には、天の国に備えをしてくださっていることを告げられた。
 それは復活ということであり、霊のからだである。こうしていかなる貧しい者も、事故や思いがけない病気などで死んでいくものも、孤独のうちに死する者もみんな、完全な備えがなされていることになった。
 そしてさらに、この世の終わりにも、キリストの再臨と新しい天と地が備えられるという、壮大な備えが約束されている。
 人間が生きるとは、生まれてからすべては何らかの意味で将来のための備えをしていると言えよう。国家的にも政治とはそのような将来の備えをいかにしていくか、経済や軍事防衛、人口問題、環境問題、教育問題、医療等などすべてはそうしたことのためである。
 しかしそうしたことがかえって備えにならず、危険を生み出すことになる場合すらある。軍事や防衛のために巨額の費用を使って武力の増強に努めることを、将来の備えと称し、備えあれば憂いなしというような日本の首相のような人間が多い。そのようなことをするから世界的にかえって軍事的緊張が増して、莫大な費用を使って武力を増大させ、紛争が生じるのである。それは備えどころか、足もとを揺るがすようなことであるのに、そのことが見えないのである。
 このような政治的、社会的な備えの仕方の間違いを洞察するためにも、一人一人の人間がまず、神による備えを実感することが求められている。私たちは日々の生活でまさにそうした備えを切実に求めているのである。それに気が付いていない人もあるが、その人間的な備えのために日々心配し、苦しんでいるというのが多数の人間の現状である。
 私たちの一番身近な備え、それは苦しみのとき、無気力になるようなとき、他人からの誤解や中傷、差別、あるいは病気などのときに、それにうち勝つ力である。私たちの心が萎えてしまうようなときに、私たちを立ち上がらせる力こそ、私たちにとって日々の備えなのである。
 備えられる神、それは私たちの日々の祈りによってそのことが実感される。キリスト者とはその心のかたわらに「祈り」といういわば万能の備えを持っている者といえよう。 


st07_m2.gif目に見えない力−キリスト教における聖なる霊−

― キリスト教における聖なる霊 ―

 キリスト教とは何かといえば、単にキリストの教えだと思っている人が大多数を占めているのではないだろうか。ソクラテスやプラトンのような哲学者、あるいはシャカ(ゴータマ・シッダルタ)、孔子などの教えと同様な一つの古代の聖人の教えだと考えている場合がほとんどである。
 しかし、キリスト教といわれているものは、決してそのような教えが本体ではない。実際、一般には、キリストが始めて教えたと思われている、「隣人愛」ということも、つぎのように旧約聖書にすでに記されている。

復讐してはならない。人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。(旧約聖書 レビ記十九・18)

 また、主イエスは失われた一匹の羊を探し求めるというよく知られた記述も、つぎのようにやはり旧約聖書にすでに見られることである。レビ記とはモーセが神から受けた教えとして伝えられているものであり、モーセとはキリストよりも千三百年ほども昔の人物である。

まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。
牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。…
わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。

                        
(旧約聖書 エゼキエル書三十四・11〜16より)

 また、キリストの教えとして代表的な、山上の教えにはつぎのよく知られた言葉がある。

ああ、幸いだ。心の貧しい者!
なぜなら、神の国はその人たちのものだからである。
ああ幸いだ、悲しむ者たち!
なぜなら、その人たちは(神によって)慰められるからである。
(マタイ福音書五・3〜4)

 この言葉は、つぎの旧約聖書の言葉をより明確に表現したものだといえる。

わたしは、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。
(イザヤ書五十七・15より)

 打ち砕かれた人とは、心に何にも支えとなるものがなくなった人のことであり、それは心の貧しい者なのであり、また、悲しむ者でもある。大切に思っていたものが、失われ、また自分が生きていても何の役に立つのだろうかといった疑念からくる悲しみもある。いろいろの悲しみや空虚な心をかかえて苦しむとき、そこからキリストに求めるならば、神の国が与えられ、それは神の励ましと慰めを受けることができる。

 このように、キリストが教えられたこと自体は、旧約聖書にもよく似た内容がしばしば見られる。
 そのようなことを知ると、いったいキリスト教の独自性はどこにあるのかと思う人もいるであろう。キリスト教の独自性は、教えの内容よりも、つぎのような点にある。
 それは、人間のすがたをしていながら、神と同質のお方としてキリストが地上に現れたこと、そして神の力と権威をもって数々の驚くべき奇跡をなされ、十字架で処刑されたが、その十字架の死こそが、万人の罪を背負って死なれたということであった。また、死んでから三日目に復活されたこと、このこともキリスト教の独自な内容である。
 それらとともに、もう一つ、旧約聖書においてもごくわずかしかみられない重要な内容がある。
 それが、目には見えないが、聖なる霊が生きて働いており、私たちにも与えられるということである。この聖なる霊は、神の霊、聖霊、主の霊、キリストの霊など、いろいろに表現されているがいずれも同一のことを指している。
 
 キリスト教というのがキリストの教えだと思っている人にとっては、聖霊を与えられることこそは、キリスト教の中心にあるなどと言われると驚いてしまう。キリスト教は単なる教えでない。そのような教えがキリスト教の本質であるならば、それはとっくに滅びてしまっていただろう。
 なぜなら、キリストの教えをすぐそばにいて、キリストが十字架で殺されるまで、三年間最も身近にいて、たえずその教えを聞き取り、さらに主イエスのなされるあらゆる驚くべき奇跡をも目の当たりに見ていた弟子たちですら、キリストが捕らえられたときには、みんな逃げてしまったし、弟子たちの代表格であったペテロすら、キリストの逮捕のときに、自分も同罪で捕まえられることを恐れて、三度もイエスなど知らないと強く否定してしまったほどであった。
 これは、単なる教えがキリスト教の本体でないということを鮮やかに示している出来事である。
 いくらよい教えを受けて、そのときは感心して受けたように見えても、困難のときにはたちまちそのような教えなどは吹き飛ばされてしまうのである。
 どのようなことが生じてもなお、変わらぬ心で神に従っていこうとする心は、単なる教えでなく、強制でもなく、生まれつきの性格や意思の強さなどでもない。
 そのような心こそは、聖なる霊が生み出すものであり、聖霊の賜物なのである。
 聖霊については、新約聖書のさまざまの箇所に記されている。とくに、ヨハネ福音書、使徒行伝、使徒パウロの手紙などに多く見られる。
 ここでは、ヨハネ福音書からまず聖霊がどのような存在かを学びたい。
 主イエスが捕らえられて殺される前夜に、弟子たちとともに最後の夕食をされた。これは、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」という絵で広く知られている。なおこれは決して「晩餐」などという言葉で表現されるようなごちそうの会ではなく、きわめて質素な最後の夕食であった。この絵ばかりが有名で、その最後の夕食のときに語ったとされる長い、深い意味の込められた教えは一般にはほとんど知られていない。
 それは、キリストが山に登って教えた、「山上の教え」とともに、「別れの教え」としてきわめて重要な内容なのである。そのなかに、聖霊についても繰り返し説明されている。

わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者(パラクレートス parakletos)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
(ヨハネ福音書十四・16〜17)

 主イエスはまもなく十字架に付けられて殺される。そうすれば弟子たちは一体どうなるのか、数百年もの間、待ち望んできた救い主、メシアが現れたというのに、わずか三年で無惨にも殺されてしまうのなら、まったくそれはメシアでもなかったことになるし、弟子たちはすべてを捨てて主イエスに従ったのにこれもまた空しかったということになる。 
 こうした虚脱状態に陥ることは必然的であった。それゆえ肝心の導き手が殺されてもなお、神の御計画は続いていく、いっそう発展していくということを知らせることが不可欠であった。そしてキリストはやはり、世界の救い主であり、メシアであることを、弟子たちが世界に知らせるという重要な任務を与えられる必要があった。それを導くのが聖霊なのである。聖霊が与えられなかったら、弟子たちは、キリストを裏切って逃げてしまい、三度もイエスなど知らないと大きな偽りまで公言してしまった、哀れな敗北者の集団と化していただろう。じっさい弟子たちは、キリストが捕らえられて以後は、部屋に閉じこもって、内側から鍵を掛けていたほどであった。(*)

(*)
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。(ヨハネ二十・19より)

 こうして、単に教えだけでは何の力にもならないということが、鮮やかに示されている。このように、恐れて閉じこもっていた弟子たちのただなかに復活のキリストが現れ、「聖霊を受けよ」と言われた。聖霊が与えられてはじめて、耳で聞く教えだけでは決して与えられないものが、与えられるからである。
 このような重要な存在を指して言うのに、ことにヨハネ福音書だけが、すでに記したように「パラクレートス」というギリシャ語を用いている。
 
パラとは、「側(そば)」、クレートスは、カレオー(呼ぶ)という動詞がもとにあってその受動態の形をしている。すなわち、パラクレートスとは、「側に呼ばれた者」という意味を持っている。何のために側に呼ばれたのか、それは「慰めるため、力づけるため、罪赦された者だと弁護するため、とりなすため、訴えを聞いてくれる相手になるため、助け主となるため、」なのである。(**)

(**)
この言葉の原語がこのようにいろいろの意味を持っているために、外国語訳もさまざまになっている。(Helper(助け主)、Paraclete(パラクレート これはどの英語にも訳せないとの考えから、原語のギリシャ語をそのまま)、Counselor(相談相手)、Advocate(弁護者、代弁者)、Comforter(慰め主))
 

 このような多様な意味を持っている言葉をヨハネがとくに用いたということは、聖霊が多様なはたらきをする存在であることを指し示そうとしているのがうかがえる。ヨハネ福音書だけでも、そのはたらきはさまざまに記されている。
 
 まず、聖霊とは、「
永遠にあなた方と一緒にいる」(ヨハネ十四・16)存在だと言われている。主イエスが殺されても、そのかわりに永遠にともにいて下さるという。そういう存在は神しかいないし、神とともにいるキリストだけにあてはまる。また、私たちの地上のいのちはごく短いのであって、永遠に私たちとともにいるという表現がされているのは、私たち自身も聖霊とともにあることによって永遠的な存在に変えられるということが暗示されている。

 また、この聖霊は「ともにいる」だけでなく、信じる人たちの「内にいる」とも言われている。そして主イエス御自身があなた方のところに戻ってくる、「父なる神とわたし(イエス)は、キリストを愛する人のところに行ってともに住む」とも言われている。このように、聖霊はキリストが処刑されてのちに、弟子たちに与えられると約束されているが、その聖霊と、復活したキリスト、そして神とは同一の存在として扱われているのがわかる。
 つぎにこの聖霊は、たんに内に住むだけでなく、「真理の霊」(17節)であるから、つぎのようなはたらきも持っている。

しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。(ヨハネ十四・26)
 
 真理の霊であるということは、何が真理か偽りかを見抜く霊であり、したがって人間に関わる精神的な真理、霊的な真理はことごとく知らされていくという。このことは、学校教育や家庭教育、社会に出てからの職業経験からも教えられることはないので、このキリストの言葉はとくに重要なものとなる。
 神に関すること、この世は何が支配しているのか、死んだらどうなるのか、世の終わりはどうか、何が正しくて、何が悪なのか、裁きはあるのか等などに関して、正しく知らされることは、学校や社会、家庭でもまったく期待できない。
 聖霊とは、こうした人間にとって最も重要な問題について、教え、また思い起こさせるものだという。
また、「父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」(ヨハネ十五・26より)と言われているように、キリストも単に古代の偉人といった認識でなく、神と等しい存在だということ、キリストがすべてを持っているということも、聖霊が教える。聖霊なくば、キリストは過去の人間であって今は活きて働いてはいないと思ってしまうだろう。
 ヨハネ福音書では、以上のように聖霊についていろいろと語られているが、さらにつぎのように、そのはたらきがキリストによって言われている。

 今わたしは、わたしをお遣わしになった方(神)のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
 むしろ、わたしがこれらのこと(地上から去っていく、つまり殺されるということ)を話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
 
しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。
 わたしが去って行かなければ、弁護者(聖霊)はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
 その方(聖霊)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
(ヨハネ十六・8〜11)
  
 ここでは、いくつかに分けて聖霊のはたらきが言われている。しかしそれは必ずしもわかりやすいものではない。
 まず、どこへ行くのかとも尋ねようとしないとあるが、すでにペテロは主イエスに「どこへ行かれるのか」と尋ねている。(十三・36節) ここにあげた箇所は、そのように尋ねたがだんだん主イエスの話を聞いていると殺されるのは確実な様子だと分かってきた。メシアがそんなに殺されるなどと考えたこともない弟子たちにとって不安と悲しみと絶望的気持ちがつのり暗い心になって沈んでしまったために何も問わなくなってきたということである。
 そうした前途が見えない悲しみのなかにあって、主イエスはそのような悲しみを持つべきでない、なぜかというと、世界を変えていく最も重要な存在である聖霊が注がれるためには、主イエスは殺されねばならないということを説明している。
 死んだら終わりだというのが当時の弟子たちの気持ちであった。そしてそのような気持ちは現代も同様である。しかしそのような心は、聖霊が注がれるということが事実なら、全く異なってくる。
 キリストが殺されるという悲劇的な出来事は、聖霊が与えられるという、最大のよいことが生じるための通過点に過ぎないのである。
 聖霊の働きは何か。この箇所では三つに分けて説明されている。それらは、「罪と義と裁き」について明らかにするということである。
 この表現は分かりにくい。どうして聖霊が来ると罪について世の誤りについて明らかにするのだろうか。 なぜ、
「罪とは私(キリスト)を信じないことである」と言えるのだろうか。(九節)
 聖霊は、罪がどういうところにあるかをはっきりと示すのである。世の中の人は、罪とは盗み、殺すなどだと知っている。そのような悪いことが罪であることは、なにも聖霊などというものがなくてもだれでも分かっていると、考えるだろう。
 しかし、聖霊が明らかにするのは、そんな新聞やテレビなどで知られているような罪を明らかにするのでなく、人間はだれでもそうした盗みや憎しみの根を持っているということである。それが何らか特別な状況が生じたときに、新聞で見られるような、実際に目でみえる形で行われるのである。そうした根はみんな持っているのであって、人間すべて罪人というのはそうした意味からである。キリストのことが分かって初めて、私自身も人間の心には真実に反する思いや考えが深く宿っているのを知らされたことであった。
 キリストはそのような、罪深い人間を救い出すために来られたお方である。しかし、そのような存在などいらない、罪などないと思いこむところから、さらに罪は心にはびこっていく。
 問題はその現実から救われる道がある、そのような罪深い人間の状態が変えられていく道があり、まったく異なる世界、神の国があるということなのに、それを信じようとしないことである。すべての人の罪が赦され、光と真実な世界が開かれていて誰でもが招待されているのに、それを否定し、背を向けて踏みにじろうとすることである。そのような心から、悪はいくらでも増大していく。私たちがいくら学問があり、頭があり、金を持っていても、そうしたこの世に存在する救いの道を信じないで、神の真理を否定するなら、そうした能力は必ず悪いほうに使われてしまい、罪は増大するばかりとなる。このように、罪とは、キリストを信じないところからますます力を持ってきて増えてしまうのである。
 主イエスを信じないばかりか、イエスは神を汚しているなどとしてイエスに憎しみを抱いて殺そうとまで考えるようになった当時のユダヤ人の指導者たちもこうした深い罪のなかにあった。そして現在の私たちにとっても、イエスを究極的な救い主として受け入れず、拒むならばやはり罪はいっそう深まってしまう。
 
 つぎに義について。なぜ、キリストが父のもとに帰ることが「義」なのか、一見しただけでは、分かりにくい。義とは正義のことである。正義とは、悪の力に負けないで、正しいことを貫くことであり、悪に勝利することである。正義の人とは、悪に負けないで悪にうち勝っている人である。とすれば、最大の悪に勝利することこそ、最大の正義であるということになる。
 そして最大の悪とは、罪の力であり、一切を滅ぼす力である死の力である。だから罪をほろぼし、死にうち勝つ力こそ最大の正義だということになる。それはまさにキリストである。キリストが死にうち勝ち、復活して「神のもとに行く」ということは、そういう意味で最大の「義」を世の中に明らかにすることなのである。
 次に「裁き」について、ここでは、
「この世の支配者が断罪されることである。」(十一節)と訳されているが、原文は「すでに裁かれている、裁かれた状態にある」という意味(現在完了形)である。だから、これと全く同じ形の表現は、ヨハネ三・18では、「すでに裁かれている」と訳されている。
 すなわち、表面的には、この世の支配者がイエスを裁いたと見えるが、実は、神の子であるキリストを受け入れず拒否して殺したということのなかに、すでに裁きが行われているということなのである。裁きははるか未来になってやっと行われるのでなく、現在すでに行われているということなのである。

 つぎに、聖霊の働きは「真理をことごとく悟らせる」といわれる。悟るといっても、頭の中での知識ではない。地球の内部の化学組成とか、植物の無数の葉の数や形をすべてわかるとか、明日のことを言い当てるとか、アメリカや他の国の人口や産業の構成を言い当てるなどの知識でない。
 
そのためには、「私は道であり、真理であり命である」というキリストの言葉を思い出すとよい。聖霊が与えられて真理がわかるとは要するにキリストが深く分かるということである。キリストが分かるとはキリストの力、真実や愛、正義などが分かることである、それが分かるとはそうした愛や真実が与えられなければ分からない。すなわち、キリストそのものが私たちに与えられる、パウロが言っているように、キリストが内に住んでくださることによって愛も正義も真実も全身で体得できるようになるということである。
 そして最後には、聖霊が与えられるとき、その人は栄光をキリスト(神)に帰するようになる。聖書とはまさにそうした本である。「聖霊は私(キリスト)に栄光を与える」
(十四節)
 聖書はどんな人間にも栄光を帰してはいない。アブラハムもダビデもモーセもみな罪ある人間にすぎない、その弱い人間を用い、導き、大きいわざをさせたのはまさに神であり、キリストに他ならない。人間のあらゆるわざの背後にキリストの導きと力を実感するようになること、それが聖霊の働きなのである。
 聖霊を受けていないときには、当然、人間をあがめる。スポーツなど最近のサッカーや、野球などでみられるように、ほかのいかなる人間の活動領域でも決してあり得ないような、大きな紙面をさいて、特定の人間を大きく映し出したり特定の人間を大々的にほめあげたりしている。人間に栄光を帰している典型である。
 しかし、聖霊が注がれたときには、決してそのような特定の人間に栄光を帰することがなく、キリストと神に栄光を帰するようになる。だからこそ、主の祈りの最後にも、「御国も力も栄光も永遠に神のものです」といって絶えず私たちの心をキリストに、そして神に向けるようにと祈るのである。
 まことに聖霊こそは、現代の私たちの個人的、また社会的なあらゆる問題を解決する鍵なのであって、私たちの祈りと願いは聖霊をゆたかに注いでくださいということに集約される。



st07_m2.gifことば

(今回は、去る八月に京都桂坂で行われた、無教会のキリスト教合同集会において、一部の人たちと読んだテキストから選びました。いずれも内村鑑三の「聖書之研究」の巻頭言からです。)

(136)
信仰の道
    信仰は第一に誠実、第二に信頼、第三に実行である。
これら三者のうち、どの一つを欠いてもその信仰は、本当の信仰ではなくなる。人は信仰によりて救わるというのは、このような信仰によりて救われるという意味なのである。このほか別のかたちの信仰や救いがあるのではない。信仰の道というのは、大空に輝く太陽のように明らかである。(一九〇八年六月)

・神に対して真実な心をもつこと、そして自分の抱えている問題や悩みを神に信頼して委ねていくこと、さらに聞き取った神の言葉、神のご意志に従って日々を歩んでいくこと、これらの三つが確かにキリスト信仰の基本姿勢となっている。


(137)
逆境の感謝
 逆境を嘆くことをやめよ、この曲がった世にあっては順境こそむしろ嘆くべきものである。我ら世に逆らって立った者にとっては、逆境は我らのあらかじめ予想したところである。我らはかえってこれを歓び、昔のキリスト信徒とともに「イエスの名のために辱め(はずかしめ)を受くるに足る者とされたことを喜び」て神に感謝すべきである。使徒行伝五章四十一節。(一九〇八年十月)

・キリストは世に逆らって生きていかれた。それゆえにわずか三年で捕らわれ、十字架刑に処せられた。私たちもそのようなキリストに従う限りは、この世では評価されず、また程度の多少はあれ、キリストの御名のために苦しまねばならないことは当然のことなのだ。

(138)
完全なるこの世
 この世は不完全きわまる世であると人はいう。確かに自分の快楽を得ようとするためには実に不完全きわまる世である。しかし神を知るためには、そして(神の)愛を行うためには、私はこれよりも完全なる世について考えることができない。
 忍耐を鍛錬しようと、寛容を増そうとして、そして愛をその極致において味わおうとして、この世は最も完全な世である。私は遊ぶ所としてこの世を見ない。鍛錬場としてこれを理解している。ゆえにこの世が不完全であるのを見ても驚くことはしない。ひとえにこれによりて私の霊性を完成しようと考える。(一九〇九年二月)

・この世は悪がひどく力を持って働いている。どこに神がいるのかという疑問はしばしば聞いてきた。しかし、自分が神からの罪の赦しを受けて、苦しみや悲しみのときに励ましを受けて新しい力を受けるときには、確かに神はおられるというのを確信するようになる。また、ひとたび主と結びつけられるとき、少しながらも、神から頂いた愛を行っていくことができるようになり、そのとき、この世は愛という最も重要なものを行う機会で満ちているのだとわかる。このことについて、興味深いことにヒルティもほとんど同様なことを書いている。

(139)ひとたび完全に愛の国に入ってしまったら、この世はどんなに不完全であっても、美しくかつ豊かなものとなる。なぜなら、この世はいたるところ愛の機会にみちているからだ。(ヒルティ 眠れぬ夜のために上 十月七日)

・自分が愛してもらおうと思ったり、楽しもうと思うとこの世は妨げに満ちている。しかしひとたび、神からの愛を頂き、それをこの世で用いようとするときには、至る所でそうした機会に満ちていることに気付く。最も重要なよきものを生かして使うことが至る所にあるという点では、この世は不思議なほどによく創造されているのがわかる。


(140)
私が理想の人
 善き人は必ずしも私の理想の人ではない。わが理想の人は勇者であることが必要である。真理と正義のために情と闘い、慾と闘い、友と闘い、家と闘い、国と闘い、世と闘う者であることが必要である。私は自分のをもって多くの善き人を見た。しかし勇者を見たことはきわめて稀だ。私は完全なる人を求めない。厳しい戦士を求める。
 私の理想の人は、世と相対してひとり陣を張る者である、終生の孤立に堪えることができる者である。

・やさしい人、知識を多く持っている人、能力のある人、いろいろと神は用いられる。けれども、内村が理想とするのは、「戦う人」であった。キリストはやさしい人、奇跡をする力のある人、旧約聖書に通じた知識にも豊富な人であった。しかし世が重んじている権力者や指導者などをも全く意に介せず、神の真理のみを語り続けた。いかに敵対する人がいようとも、それに決してひるむことなく勇気を持って語り続けたお方であった。

(141)
庭園の奇蹟 
 過去の奇蹟についての議論は教会に譲ってよい。私には他の奇蹟がある。ガリラヤ湖畔においてではない。私の家の狭い庭園において大なる奇蹟は行われつつある。
 黒い土から野百合は白き花びらを織り出し、ダリヤは赤い衣裳を紡ぐ。ビヨウヤナギは黄金色に輝き、ナデシコに紅白が織りなされる。神は私の庭園におられるのである。私は教えてもらうための教師を要せず、花の間を歩き巡って直ちに神に教えられる。(一九〇九年七月)

・自然に親しむこと、日常出会う自然を見つめるとき、そこに尽きることのない、神のわざに触れる思いがする。ことに日本はこの点では、四季折々に樹木や草花はつぎつぎと異なる姿を見せ、山々も緑一色から紅葉の季節、冬枯れ、そして雪景色などじつに多種多様である。
 こうした自然のたたずまいに触れて、その繊細さや美しさを味わうだけでなく、その背後の創造主たる神の御心にふれ、神の万能と広大無辺に触れる窓口となる。


st07_m2.gif休憩室 「真白き富士の根」と讃美歌

○「真白き富士の根」といえば、今から九〇年ほど昔、鎌倉の七里ヶ浜で逗子開成中学生の乗ったボートが遭難し、十二人の生徒の命が失われたことを記念して歌われたものだと知られています。
 真白き冨士の根 緑の江ノ島 仰ぎ見るも今は涙
 帰らぬ十二の 雄々しき御霊に 捧げまつる 胸と心

 この事件は、一九三五年に映画化もされ、この曲はその主題歌として広く知られるようになったとのことです。私も子供のときに七里ヶ浜のことを母から聞いたり読んだことを覚えています。
 そういうわけで、私はずっとこれは日本の歌だと思っていたら、そうでなく、原曲は今から百六十年ほど昔にアメリカ南部讃美歌集に讃美歌として掲載されたものです。作曲者は、インガルス(JEREMIAH INGALLS) です。その讃美歌の歌詞は、つぎのようなものです。

「主が、その庭(garden)に入って来られる。そうすると、ユリは成長し、茂ってくる」
The Lord into His garden comes …The lilies grew and thrive …

 そのために、この曲名は、GARDEN と名付けられたのですが、これが間違って、作曲者の名だとされて、ずっとこの曲の作曲者は、「ガードン」ということになってしまいました。(讃美歌には作詞者、作曲者名と別に、讃美歌の楽譜の右上の作曲者名の上に、その曲名が記されています。)なお、作曲者は、インガルス(Jeremiah Ingalls)です。インガルスは、もとは、讃美歌とは関係のないふつうの曲であったものの一部をとって、それを編曲して現在の曲にしたということです。 
 現在発行されている、一般向けの歌集にもこの曲は含まれていることが多いのですが、それらも作曲者は「ガーデン」となっています。最初の頃にこの曲を紹介した人が間違って書いたことが、ずっと受け継がれてしまった例です。
 このように、もともとアメリカで、讃美歌として用いられていたのが、日本では全く違った内容の歌として用いられ、しかもそれが広く日本全国にまで広がっていきました。現在五十歳以上の人は、この「真白き冨士の根」という曲は誰でも知っているはずです。
 これが日本で讃美歌として収録されたのは聖歌(一九五八年発行)で、キリストが再び来られるのを待ち望む再臨の歌となっています。(聖歌六二三番)
 そして去年新発売された、新聖歌にもこの讃美はおさめられています。(新聖歌四六五番)しかし、ここに書いたような事情を知らなかったようで、作曲者は、不明(Anonymous)となっています。
 歌詞は次の通りです。

(一)いつかは知らねど 主イエスの再び この世に来たもう日ぞ待たるる
その時聖徒は 死よりよみがえり 我らも栄えの姿とならん

(二)悩みは終わりて 千歳の世となり あまねく世界は君に仕えん
荒野に水湧き、砂漠に花咲き み神の栄えを仰ぎ得べし

(三)されば萎えし手を強くし もとめよ 弱りし膝をも 伸ばして歩め
約束のごとく 主は世に来たりて 迎えたもうべし そのみ民を

(四)その日を望みて 互いに励まし 十字架を喜び負いて進まん
嘆きも悩みも しばしの忍びぞ たのしき讃えの歌と変わらん

 このように、もとは、讃美歌としてアメリカで用いられたのが、日本にきて遭難事故の悲劇を歌う歌として広く知られ、それが再び、讃美歌として今回の新聖歌にも掲載されています。
 「真白き冨士の根」としてはもう過去のものとなって歌われなくなっていますが、この讃美は今後も再臨の歌として長く歌い継がれていくと思われます。こうしたところにも人間の考えや思いを越えた不思議な神の導きを感じさせられます。(以上の内容は、「讃美歌・聖歌と日本の近代」九三〜九八P 音楽之友社 一九九九年から得たものです。)


st07_m2.gif返舟だより

京都・桂坂での集会
 八月三日(土)〜四日(日)の二日間、京都西部の桂坂のふれあい会館において、第二回目の近畿地区無教会 キリスト集会が行われました。もともと、この合同集会の母胎となったのは、毎年行われている四国での合同集会に参加していた近畿の人たちが、大分以前から、神戸、大阪狭山市、京都大山崎などの地で交代しながら、集会を初めていたものです。しかし、京都大山崎の集会の責任者が召されたことがあり、一時休止状態となっていました。その後、私(吉村)が、教職を退いて、京阪神のそれらのいくつかの集会に偶数月に出向いてみ言葉を語るようになりました。また、それとは別に、徳島で長くおられたS.S、H.夫妻が京都桂坂に転居されることになりました。ちょうどその桂坂に宿泊できる施設があるので、それらの各地の集会が合同して集会を持ったらどうかと、大阪狭山市のMS姉が提案され、京阪神の有志の信徒の方々のご協力によって、去年からその地で合同集会が開催されることになりました。
 今回のプログラムはつぎのようでした。テーマは、「苦しみの時にも」とされ、とくに苦しむ人たちへの関わり(入佐さんの講話)、苦しみの意味とそこからの救い(聖書講話)について語られました。

三日(土) 13時〜14時20分 開会礼拝 「いと小さき者の一人に」A.I 
      14時30分〜17時30分 自己紹介、証し、発題など。
      19時30分〜21時 夕拝 聖書講話 吉村 孝雄
四日日  6時30分〜7時30分 朝の祈り グループ別 近くの公園にて
     10時〜12時 主日礼拝 特別讃美 聖書講話 吉村 孝雄
     午後は、読書会。テキストはジャン・バニエ著「心貧しき者の幸い」の中から「苦しみの神秘」、内村鑑三とヒルティの短文集。

 開会礼拝の講話で、I(いりさ)Aさんは、若い時から大阪の大阪市西成区の釜ヶ崎(愛隣地区)にて、ボランティアとして日雇い労務者と共に歩んで来られたご自身の経験を、キリスト信仰をもとにしつつ、語られました。主の前に低くされ、上から何かをしてあげるという姿勢でなく、共に歩もうとされているのが感じられ、主がIさんを動かしてきたのだとわかりました。キリストはそのような働き人を古代からつぎつぎと起こされてきたのを思います。今後とも一層、主の祝福と導きを受けて歩まれますようにと祈りました。
 今回も、徳島からは十二名ほどが参加して(聴覚障害者も一名参加)、京阪神のキリスト者の方々と共に学び、讃美し、祈り合って主にある交わりを深めることができました。参加者は、大阪、京都、兵庫、徳島のいつもの府県からの参加者のほかに、遠く鳥取や、滋賀、高知からの参加者もあり、約四十名ほどが集まりました。また、中高校生や二十歳代の若い人たちも五名ほど参加できたことも感謝でした。
 京阪神のそれぞれの集会の方々の祈りと準備、当日のお世話をありがとうございました。

特別集会の恵み

 京都桂坂の集会もそうですが、毎年の四国集会や全国集会、あるいは、私たちの集会だけで行う特別集会など、ふだんの日曜日ごとの礼拝集会とはちがった形で行われる特別集会はまた別な恵みがあるのがわかります。いつもの日曜日の集会には決して来ないような人が参加されたり、長い間参加していなかった方がそのような特別集会には思いがけず参加する、また、信仰が弱っていて長く集会に参加していなかったような人が参加して新しい力を受けたり、またいつもと違った聖書講話が心にとくに深く入ってきたりします。
 それから意外な出会いがそうした特別集会で与えられることもあります。そしてその出会いがまた新たな人や集会との交わりとなり、さらに相互の集会にとっても祝福となる場合もあります。 
 それは一つには、そうした特別集会には日頃からの準備として、祈りを続けていくこと、多くの労力を注ぐことなどから、主がとくに目を注いでくださり、祝福を与えて下さるのだと思われます。
 いつもの日曜日ごとの集会を大切にしつつ、こうした特別集会もまた主がさらに祝福して下さって御国の栄光のために用いられますように。

関東地方の方からの来信より。

 …イエス様に目を向け、歴史を支配して下さる神様を信じるとき、希望を持って世界の平和のために祈り続けることができます。日本の若者に、また政治家に神を畏れる信仰を与え給えと祈る毎日です。
 平和憲法の存在が危うくなりかけた今、高齢の夫とともに何度か東京まで出かけ、有事法案反対の集まりに参加し、デモにも加わっています。今黙って見過ごしていると、流されてしまっては一生後悔するだろうと思うのです。

○九州の読者よりの来信です。
 今日は「はこ舟」により一人で聖日を守らせて頂き感謝でございました。
「神ともにいます」ということ、旧約聖書の冒頭より、新約聖書のヨハネ黙示録に至るまで、神は信じる者と共にいて下さり、現在も共にいて下さいますことを詳しく、わかりやすく説いてくださり、聖言に取り囲まれているような、心の熱くなるのを覚えました。
2002/8

神の言葉    2002/7

 私たちは学校教育で多くの時間を勉強に費やした。そこで多くの言葉も学んだ。しかし、それはみんな人間の言葉であった。新聞、テレビ、雑誌など至るところで目にするのもすべて人間の言葉である。
 神の言葉などあるのかというのが一般の人の気持ちではないだろうか。
 神の言葉とは、永遠的な力をもつ言葉、時間や社会状況によって変わることがないし、どこの国の人であっても、身分や家柄、教養、学識などと全く関係なく働く力をもった言葉である。
 そしてそれはわずか一言であっても、その人の生涯を変えるほどの力を持っている。
さらに、その言葉は繰り返し学んでも、さらにその奥の意味が見えてくるために、はかりしれない実感を持たせるのである。
 私自身も、神の言葉について書いてある、たった一冊の小さな本の数行で生涯が変えられることになった。それは神の言葉の力だった。あの時の不思議な経験は忘れることができない。どんなに人間によって説得されても決して受け入れなかったであろうようなことが、わずか数分で私の魂の根本を変えるに至ったからである。
 また、神の言葉は文字すら読めない人であっても、病床で苦しむ者にも、また孤独や不安、死の苦しみと絶望のただなかにある人にすら、働きかけてその人間そのものを根本から変えることができる。
 聖書にも、十字架上で釘付けされるという最も残酷な刑罰、最も激しい痛みと苦しみを強いられる恐ろしい状況にあっても、神の言葉を信じた者が救いへと入れられる有様が記されている。
 混乱と汚れた言葉、不真実な言葉が洪水のようにはんらんしているこの世において、たしかに神の言葉は存在している。そして今も静かに働きかけている。
 人間の言葉に疲れた者、永遠不変の真実をもとめる者、みずからの存在の支えが欲しい者は、この神の言葉によって必ず満たされる。
 次に引用する聖書の言葉において、水とかぶどう酒、乳とか言われているのは、この「神の言葉」であり、神の言葉を生み出す「聖霊」のことである。

渇きを覚えている者は皆、水のところに来たれ!
銀を持たない者も来たれ。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め
価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
(イザヤ書五五・1)

働きと休憩と

 ふつうの仕事には休憩は必須である。しかし、神とともに、神の国のために働くとき、休憩の時間はそれほど必要がなくなる。
 それは神の国のための働きはそれ自体が休憩の要素をうちに持っているからであり、魂の内なる休憩所を持っているとき、はたらきながらもいつでもその休憩所にて休むことができるからである。それは主の平安(平安)である。
 キリストが、明日は十字架で処刑されるという最後の夜、弟子たちにとくに与えようとされたのが、この主の平和であった。
 しかし、この主の平和もつねに心して主に求め、それを用いるようでなければ消えていく。それゆえ、一週間に一度の日曜日はふだんの仕事を休み、神の国のために心を働かせるのである。二人、三人がキリストの名によって集まるならば、祈りは聞かれることが約束されている。
 そうして毎週毎週、繰り返して主の平安、平和をたえず新しく受け取っていくとき、日常の生活のただなかにおいても、その主の平安を実感することができる。そして働きつつも休憩を感じることができる。


st07_m2.gif神の栄光−真に重いもの−

 最近の若者がなぜわざわざ面倒なことをして茶髪にするのか、黒い髪では「重い」のだそうだ。茶髪とは要するに、ヨーロッパの人たちの髪の色の真似であり、江戸時代が終わってから百三十年以上を経てもなお、ヨーロッパの真似をしなければ落ち着けないような心理がある。
 「重い」ものをさけて、ますます軽くなる現代の風潮の一つがこうした茶髪の増大にも現れている。書物にしても、字のつまった書物、古典といわれる内容の重厚なものなどは、大多数の若者には読まれていない。今から半世紀以上以前には、岩波文庫のような細かい字のぎっしり詰まった本が若者の愛読書であったことを考えると、この半世紀の間の、軽いものへの流れの甚だしさに驚かされる。
 政治も軽く、歌謡曲のような大衆的な音楽もますます軽く、若者向けの雑誌や週刊誌なども重みの感じられないような、娯楽や服飾、食事、異性問題やスポーツ関連記事などで埋まっている。
 こうした軽い方向へとすべてが流されていくように見えるただなかで、聖書だけは数千年前と変わらない内容の重みをもったまま、読まれ続けている。その内容がごく一部しか理解できなくとも、それでも全世界では圧倒的なベストセラーであり続けている。
 聖書ほど重い内容はない。愛とは、正義とは、生きる目的とは、罪とは、裁きとは何か、また命とは何か、死とは、歴史とは創造とは、そして世界の終わりにはどうなるのか…等々の古代から最も深遠な思想家や宗教が問題にしてきたことがぎっしり詰まっているのである。
 たった一言がある人の生涯を変えていくほどに、聖書の内容は力あり、重みがある。
それはどうしてなのか、この世界、宇宙のすべてを創造されて今も維持されている神ご自身がそこに存在しておられるからである。万物の創造者である、神の「重み」は全宇宙より重い。
 栄光という言葉がある。この言葉は、旧約聖書の出エジプト記や詩編、イザヤ書、エゼキエル書などにとくに多く現れる。(*)この栄光という言葉の原語(ヘブル語)は、カーボードという。この言葉の形容詞や動詞の形は、カーベードであるが、この言葉の原意は、「重い」という意味を持つ。(**)

(*)この原語とその関連語は旧約聖書全体では、367回現れ、そのうち、詩編では64回、イザヤ書63回、出エジプト記33回、エゼキエル書25回などと、一部の書物に特別に多く用いられている。(Theologiocal Word Book Of The Old Testament 426Pによる)こうした使われ方は、詩編やイザヤ書のような詩的な書物ではとくに神の栄光、神の霊的な重みを実感することが多かったこと、エゼキエル書はことに霊的な啓示の多い書物なので神の栄光を強く示されたのだと考えられる。
(**)彼は老いて、(太っていて)重かったからである。(サムエル記上四・18)この「重い」という言葉の原語は「カーベード」である。

 澄み切った大空、夜空のきらめく星を見つめ、宇宙へと心を向けるとき、はるか古代から一部の人はそこに神の重みを実感していた。人間においても子供や、大人であっても精神的に浅い人間は、軽く感じる。他方、人生の中で幾多の苦しみや困難を乗り越えてきた人には独特の重みを感じさせるものがある。
 そのような重みの背後にある、究極的な存在こそは、あらゆる深い経験や苦しみの彼方にある神ご自身であり、この世界や宇宙全体を創造された神はまことに何よりも重い存在である。命は地球より重いと言われることがあるが、地球どころか全宇宙そのものより重い存在、すべての人間の命を集めたものよりはるかに重い存在が、それらを創造された神にほかならない。
 このゆえに、つぎのように旧約聖書の詩集(詩編)で最も有名な詩の一つが、神の重み(栄光)を歌っているのである。

天は神の栄光を物語り
大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え
夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。
(詩編一九編より)

 私たちの現代の言葉では、栄光と重みのあることとは全くといってよいほど関係していない。パウロのつぎの言葉も栄光と重みとが関連して述べられている。

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれる。(Uコリント四・17)

 人間はいとも簡単に命を失う存在である。小さな鉄の球(弾丸)一発でも死ぬ。交通事故においても一瞬にして帰らぬ姿となってしまう。そのようなはかない、軽い存在であっても、神はここでパウロが述べているような、不滅のもの、永遠なる神の重み(栄光)を与えて下さるというのは、驚くべきかとである。私たちが苦しみを神への信仰によって乗り越え、導かれていくとき、そこに神の栄光の世界がどこまでも広がっていることであろう。


st07_m2.gif小鳥への説教

 二千年にわたるキリスト教の歴史のなかでも、とりわけその影響力が大きく、多くの人に親しまれてきたキリスト者がいる。アウグスチヌスやマルチン・ルターなどはことに有名だが、ここで一部を紹介するフランシスコ(*)も世界中で広く知られている。彼は、特にキリストに似た人と言われるが、彼の言動を書いた、「小さき花」という書物にはさまざまの驚くべきことが書かれている。ここでは、そのうち十三世紀末の画家のジオットーも絵に書いた、有名な「小鳥への説教」を引用する。(**)

……… フランシスコが道ばたの木を見ると、その地方では見たこともないほどのあらゆる種類の小鳥の大群が見えた。木の下の地面にもたくさんいた。
 彼はこの小烏の大群を見ると、神の霊にみたされて、弟子たちに『ここで待っていなさい、あそこへ行って兄弟の小烏たちに説教したいから』といった。彼は地面の小鳥たちの方へ行った。
 彼が説教を始めると、木の枝にとまっていた小鳥たちは飛び下り、彼の周りに群れ、その衣にも触れたが、じっと動かなかった……。
 フランシスコは小烏たちに話した。
『わたしの兄弟である小鳥たちよ!お前たちは神に感謝せねばならず、いつどこでも神をほめたたえねばならない。というのは、お前たちはどこへでも飛んでゆけ、二、三枚の服、色もきれいな服装、働かなくともえられる餌、創造主のたまものである美しい歌声に、恵まれているのだから。
 お前たちは種をまかず、刈り入れもしないが、神はお前たちを養い、水を飲むための河や泉、身を隠すべき山や丘、岩や絶壁、巣をつくる高い木を与え、お前たちはつむがず、織らないが、神はお前たちや子鳥たちに必要な服を与える。
 創造主がお前たちをたいせつにされたのは、お前たちを愛している証拠である。だから、わたしの兄弟である小鳥たちよ、恩を忘れずに、いつも熱心に神をたたえなさい!」
 小鳥たちはみんなくちばしをあけ、はばたき、首をのばし、小さい頭をうやうやしく下げて、さえずり体を動かしながら、フランシスコのことばを喜んでいることを示した。
 フランシスコはそれを見て心満たされて喜び、小鳥の数がおびただしいこと、美しさ、様々の種類があること、親しみ深さに驚嘆した。
 それから彼は、鳥たちとともに創造主(神)を熱心に讃美した。そしてフランシスコは、小鳥たちに創造主をたたえるように、やさしく勧めた。さて、それがすむと、彼は小鳥たちの上に十字を切って祝福した。すると、小鳥は驚くべき(***)歌を歌いながら飛び去っていった。………
 このような記事を見ても、現代の多くの人はなにも感じないで、小鳥に説教するなどということはあり得ないと思ってしまうかもしれない。
 この小鳥への説教はどのような文脈で書かれているかというと、フランシスコは、自分は祈りに集中すべきか、それとも折々に福音を説教すべきかということで、なかなか神の指示を受けることができなかった。そこで、彼ほどの深い祈りの人であったにもかかわらず、信頼する他者の祈りによって決めたいと願った。それは一人の姉妹クララと兄弟シルベストロであり、ともに祈りにおいて深い力をもった人であった。彼らにこのことを祈って神からの答えを求めると、兄弟シルベストロは、すぐにひれ伏して祈って神の言葉を求めたところ、「神がフランシスコを呼びだしたのは、彼自身のためでなく、彼に他の人の魂を得させるため、すなわち多くの人がフランシスコによって救われるためである」との、神からの言葉を与えられた。姉妹クララも同様の答えであった。
 このことによってフランシスコは、町々へと出かけていき、そこで神の言葉を宣べ伝えるようになったのであった。
 この小鳥への説教は、そのような伝道のために歩き続けていく途中の出来事であった。
 キリストの福音は、人間だけでなく、小鳥にも通じる力を持っていること、フランシスコのような特別に選ばれた人間には、人間以外の動物をも動かす力を与えられていたことがわかる。
 小鳥たちにも通じるということ、それはキリストの福音がどんな人間にも通じうることをも暗示している。その内容自体がどれほど理解できるかということでなく、福音が持っている霊的な力はどんな人にも働きかけ、影響を及ぼすということが暗示されている。
 また、フランシスコは神への讃美をつねに重んじていたが、その心が小鳥たちにも通じて、フランシスコからキリストの福音を聞いた小鳥は、「驚くべき、素晴らしい歌」を歌いつつ、大空へと舞い上がっていった。この小鳥たちの姿は、そのままフランシスコ自身のことでもあった。彼は生きて働いておられるキリストからの福音を聞いてから、それまでの物質的な富への執着が消え去って、神とキリストの無限の豊かさ、愛を歌い続けて天へと飛びかける魂となったからである。
 私たちも、キリストの福音を聞き、本当にキリストの愛に触れたときには、そのことの比類のない力を感じて讃美せざるを得なくなる。
 ここに出てくる小鳥のように讃美しつつ、神の国、天へと飛びかけるものでありたい。

(*)一一八二年に、イタリアの首都ローマの北の小さい町アシジで生まれた。そのため、アシジのフランシスコと言われる。フランシスコは、イタリア語の発音では、フランチェスコとなる。カトリックでは「聖」をつけて聖フランシスコというが、プロテスタントでは、人間はどのような人も罪人であり、特別な存在でない。みんな同じような存在であり、神を父と仰ぐ「兄弟、姉妹」であって、本来は特別な敬称を付けるべきでないので、どのような人にも、「聖」という呼称をつけるべきでないという考え方が生じてくる。だから「聖フランシスコ」というようには言わない。
 なお、このフランシスコの名前をとったアメリカのカリフォルニア州にある大都市が、サン・フランシスコ(聖フランシスコという意味)である。
(**)ここに引用したのは、ヨハンネス・ヨクゲンセン著「アシジの聖フランシスコ」と、フランシスコの弟子(フランシスコ会の無名の修道士)の書いた「小さき花」の二つを元にして引用した。
(***)イタリア語の原文では、maraviglioso という語が小鳥の歌について二回用いられており、小鳥の歌が驚くべきものであったことが強調されている。英語のmarvelos にあたる語で驚くべき、不思議な、素晴らしいなどの意味を持っている。


st07_m2.gif備えられる神

 旧約聖書で最も重要な人物の一人がアブラハムである。アブラハムは旧約聖書を教典とするユダヤ教においても、モーセとともに最も重要な人物であるが、イスラム教にとっても、彼らの信仰の模範がアブラハムなのであって、そういう点からみると、現在も全世界にその影響を及ぼしているほどに重要な人物なのである。
 そのような特別に神に召された人物であるアブラハムについては旧約聖書に詳しく記されていて、後世の人間がどのようにアブラハムの信仰から学ぶべきかが浮かび上がってくるようになっている。
 ここでは彼に生じた出来事のうち、とくに備えをされる神ということについて見てみよう。 
 アブラハムの生涯にはさまざまのことが生じた。それらはつねに何らかの試練でもあった。まず、生まれ故郷を離れて、遠い未知の国、神が指し示す国に行けという神の言葉に従うことがそうしたさまざまの試練の出発点となっている。
 ようやくたどり着いた目的地において生活していてが、食料がなくなり、その地では生きていけない状態となった。そのために、遠いエジプトまで行き、そこでは自分の命の安全が保証されないという恐れのために、妻を妹と欺いて、エジプト王に妻を差し出して、窮地を逃れようとした。そのようなことをすれば、神の約束などすべて無にしてしまうことであったので、神みずからがアブラハムの弱さを顧みてその困難から救い出したのであった。
 また、他のところから攻めてきた連合軍に自分の甥であったロトとその親族が連れ去られてしまったが、その連合軍を追跡して戦いとなり、彼らを取り戻したこともあった。
 しかし、そのロトの住むソドムとゴモラの町が滅びることを知り、その町のために必死でとりなしの祈りをささげた。
 さらに、家庭の問題で悩み、ハガルを追い出したこともあった。
 自分たちが老年になるまで、子供が与えられず、神がかつてあなたの子孫は空の星のようになるとの約束がいくら待っても実現されないため、全くあきらめてしまっていた。
 しかし、驚くべきことに神の約束は実現してすでに老年になっていたアブラハム夫妻に一人子が与えられた。
 これは、神の御計画が実現するまでに、待つということがいかに重要であるかを示している出来事であった。そうした過程を通じて、アブラハムは、自分の弱さと限界、神の大いなる導きを学んできた。
 アブラハムが受ける神からの祝福は、彼ら自身が祝福の基となり、生まれる子供も星のように増え広がるということであった。
 しかしその一人子を神に捧げよとの命令が神からあった。老年になってやっと与えられた子供を神に犠牲の動物のように捧げるなどということがどうして神からの命令なのか、アブラハムは驚き、苦しみつつ神からの命令をどうすべきか夜通し苦しみ続けたであろう。
 しかしそうした長い苦しみののちに、まぎれもない神の言葉であることを思い、アブラハムはその神の言葉に従って、一人息子のイサクを連れて、神から示された土地へと旅立っていった。
 しかし、それほど大きな出来事であって、妻のサラも自分の子供が犠牲の動物のように捧げられようとしていることに対してどのように言ったのか、あるいは、アブラハムは妻にはこのことを話さなかったのか、それは全く記されてはいない。
 妻にはどう言って、イサクを連れ、従者も連れて遠い旅に出ることを話したのだろうか。
途中、三日もかかるような遠いところであった。そこまでの行程でアブラハムと子供との会話も記されていない。ただ、神の謎のような言葉の意味を深く思いつつ、祈りつつ歩いて行ったのであろう。
 神はこのように、全く人間には不可解なこと、しかも最も大切なものを奪うというようなことをされることがある。
 神が示した土地にようやく着いて、アブラハムがいよいよイサクを捧げようとしたそのときに、神が天使を通して備えられた羊が与えられた。
 この大いなる出来事のゆえに、アブラハムはそのことを場所に名前を付けることによって、記念した。

アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり」と言っている。(創世記二十二・14)

 これは単にアブラハムに生じたことでなく、以後の無数の神を信じて生きる人々に対しての大きな約束となったのであった。
 アブラハムの場合はぎりぎりのところで神の奇跡がなされて、備えがあったのがわかる。しかし実際には、そのような大事なものを神が取り去ることも多くある。そのようなことを通して、神は祝福を与えられる。その大切なものが取り去られることがあっても、その場合には必ず別のものが「備え」として与えられる。
 悲しむ者は幸だ、その者は神からの励まし、慰めを受けると、約束され、心の貧しい者は天の国がその人のものとなると約束されている通りである。それは愛するものが奪い去られることがあろうとも、何よりもよい、天の国が与えられる(備えられる)という約束なのである。
 大切なものが失われるとき、私たちの心は自分の力がいかに無力であったかを思い知らされ、それまでの心の高ぶりとか誇りなどは打ち砕かれる。そこに「心の貧しさ」が訪れる。そうしてそのような心の貧しい者に神は、最大のよいものである天の国がその人のものであると言われたのであった。
 神は備えたもう、聖書に記されている神はたとえ大切なものが失われても、それにかわる必要なものを必ず備えてくださる神なのである。
 ここでは、信仰がどこまでも深まっていくとはどういうことか、また、その信仰の歩みに応じて与えられる神の備えとは何かが言われている。
 それは決して自分が人間的な気持ちから求めるものが与えられるということでなく、かえってそれを差し出さねばならないことが生じること、しかしそのようにして大切なものをお返しして初めて本当に重要なものを知らされ、与えられるということが示されている。
 キリストも命すら神にお返しした。そこから復活の命を与えられ、それが全人類に祝福の源となった。私たちが大切なものをお返しせねばならない事態になったとき、それは神がいっそう私たちを祝福の源にしようとされる前触れなのである。 
「ヤハウエ・イルエ」とは「ヤハウエは備えたもう」という意味である。
「神は備えたもう」ということは、実は旧約聖書の最初から見られる。聖書の最初の書物である、創世記にはエデンの園というのがある。そこには見てよく、食べてよいあらゆる果実が備わっていた。神は本来そのように人間に必要なものをすべてを備えていてくださるのである。しかし、アダムとエバが自分たちの罪によって神の戒めを破り、そこから追放された。そのようになるまでは神はすべてを備えておられたのであった。
 神の備えを人間の方から断ってしまったというのがわかる。
 ということは、人間が神の備えを心から感謝して受けようとするときには、神はエデンの園に見られたような豊富な備えをもって私たちを養ってくださるということになる。
 聖書においては、アブラハムの記事から始まって「備えてくださる神」のことは随所で見られる。
 モーセはアブラハム以上に重んじられている人物であろう。そのモーセは自分の力では同胞を救うことも全くできず、かえって自分の命が失われる危険に落ち込むことがわかった。その経験からだいぶ経て、結婚し、平和な生活を送っていたがそのモーセに、エジプトにいる同胞を救い出せとの命令が与えられた。そのような状況にあって、モーセは一人の羊飼いにすぎないのであって、いかにして大国のエジプトに行ってそこでたくさんの同胞を救い出せるのか、武力もない、部下となる人間もいない、たった一人でどうやって何万もの人々を救い出せるだろうか。まったくこのように何一つない状況のなかで、神はモーセを呼び出したのであった。
 しかし、神はまことに備えをされる神である。まず、モーセがエジプトに行っても、エジプト人や王に対して、口が重く語ることができないと言えば、モーセの兄のアロンをモーセの口のかわりにと備えられた。そして、それ以後も、何一つ持たないモーセにたいして、驚くべき奇跡を行う力を与え、荒野を四〇年もの間、導くだけの力を与えたのであった。エジプトを出てもシナイ半島は全くの砂漠であって、そこには水も食料もなかった。
そのような何一つない状況にあって、神が食物を備え、水を備えて人々は命をつなぐことができたのであった。
 このモーセの召命と砂漠での危険に満ちた長い旅は、何一つなくとも、神への信仰のみで神が備えられるという信じがたいようなことを後世の人々に証言することになった。
 こうした備えをされる神は、現代の私たちには驚くべきことである。人間の判断で備えをするのだ、それには金が何より必要だという発想に浸(ひた)されて育ったのが現代人なのである。
 こうした神の備えをしてくださる本質は、新約聖書の時代、キリストに至っていっそう明確となった。それは、主イエスの教えの根本はつぎのようなことであったからである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。
(マタイ福音書六・33〜34)

 「これらのもの」とは、衣食住の必要なものということである。人間はまず真実な神のこと、神のご意志を求めて生きることが根本だ、その精神があれば、必ず必要なものは備えられるという約束である。
 明日のことも、神に委ねて思い悩むことはない、それよりもまず神の国と神の義を求めて生きることこそが大切なのだと言われている。
 この主イエスによる明確な備えの約束は、どこまでも及ぶ。それは死んだら何もなくなるという日本人の大多数の持っている考え方にも真っ向から挑戦するものといえよう。
 死んだ後は、人間がいろいろの供養とかをして、カミになっていく道を備えるというのが、伝統的な宗教の言うところである。しかし、そのような備えの仕方は、古代の迷信的な宗教が、本来ならば消えていくべきであったにもかかわらず、宗教に関わる人間の根深い金への欲望(戒名に高額の金を要求するなど)と、そうしたことをしないとたたってくるなどという周囲の人間の思惑によって造られてきたものである。
 主イエスはこうした備えでなく、神ご自身が、神を信じて召された者には、天の国に備えをしてくださっていることを告げられた。
 それは復活ということであり、霊のからだである。こうしていかなる貧しい者も、事故や思いがけない病気などで死んでいくものも、孤独のうちに死する者もみんな、完全な備えがなされていることになった。
 そしてさらに、この世の終わりにも、キリストの再臨と新しい天と地が備えられるという、壮大な備えが約束されている。
 人間が生きるとは、生まれてからすべては何らかの意味で将来のための備えをしていると言えよう。国家的にも政治とはそのような将来の備えをいかにしていくか、経済や軍事防衛、人口問題、環境問題、教育問題、医療等などすべてはそうしたことのためである。
 しかしそうしたことがかえって備えにならず、危険を生み出すことになる場合すらある。
軍事や防衛のために巨額の費用を使って武力の増強に努めることを、将来の備えと称し、備えあれば憂いなしというような日本の首相のような人間が多い。そのようなことをするから世界的にかえって軍事的緊張が増して、莫大な費用を使って武力を増大させ、紛争が生じるのである。それは備えどころか、足もとを揺るがすようなことであるのに、そのことが見えないのである。
 このような政治的、社会的な備えの仕方の間違いを洞察するためにも、一人一人の人間がまず、神による備えを実感することが求められている。私たちは日々の生活でまさにそうした備えを切実に求めているのである。それに気が付いていない人もあるが、その人間的な備えのために日々心配し、苦しんでいるというのが多数の人間の現状である。
 私たちの一番身近な備え、それは苦しみのとき、無気力になるようなとき、他人からの誤解や中傷、差別、あるいは病気などのときに、それにうち勝つ力である。私たちの心が萎えてしまうようなときに、私たちを立ち上がらせる力こそ、私たちにとって日々の備えなのである。
 備えられる神、それは私たちの日々の祈りによってそのことが実感される。キリスト者とはその心のかたわらに「祈り」といういわば万能の備えを持っている者といえよう。 


st07_m2.gif新しいことを

 神は万物を創造されたお方であり、周囲の自然の風物を見てもわかるが、無限の多様性をもっておられる。道ばたの雑草といわれる野草たちの一つ一つを手に取って観察すれば、それがいかに複雑な仕組みを持っているかに驚かされる。また、毎日見られる雲の形や動き一つとっても、無数の変化ある形が日々に大空に現れる。
 神はたえず新しいものを創造される。その神からのインスピレーションによって、無数の作曲家たちが次々と起こされ、新しい音楽が生み出されてきた。絵画や文学などの方面も同様であり、科学技術で生み出されたものも同様に実に変化に富んでいる。そうしたすべての源が神であるから、神はいくらでも新しいものを生み出す力を持っておられるのが実感できる。
 実際、聖書にはそのような神のわざが随所に書かれてあるが、どのような事態になってもそこから新しいことをなされ、人々に絶望や悲嘆、意気消沈のただなかから、その新しく開かれた道を指し示し、実際に救いを与えてこられた。
 旧約聖書にはすでにそのような神のわざが数多く記されている。

見よ、新しいことをわたしは行う!
今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒れ野に道をつくり、砂漠に川を流れさせる。
(イザヤ書四三・19)

 かつて、モーセは神の指示により、神の力によって海のなかに水を作って民を導いたことがあった。そのようにいかに道がないところであっても、神は新しい道を開かれる。
 神に背き続けた結果、国は滅ぼされ、その中心であった神殿も破壊され、焼き払われた。そのとき、多くの人々は遠いバビロン(現在のイラク地方にあたる)に捕囚として連行された。
 それから半世紀を経て、バビロンにて捕囚となっていた人々が、イスラエルの地に帰ってくることができるようになった。それは、モーセの出エジプト記から、八〇〇年ほども後のことである。ここに引用したのは、その時に告げられた神からの言葉の一節である。
 砂漠を越えてはるかな遠い所へと多数の人が五〇年ぶりに帰っていく。そこには不安があり、恐れがあり、途中の生活や目的地に着いたとしてもそこでの生活に大きな心配がつきまとっていた。
 そうした状況のなかで、神は新しいことをなされるというメッセージが告げられたのである。人間的な判断によっては、いかなる道もない、ただ絶望的な状況しかなく不安あるのみという事態のなかであっても神はつねに新しいことをなされる。その新しいこととは、本来道もなく、水もない砂漠に道を造り、川を流れさせるということであった。
 このことは、この書物が書かれて二五〇〇年ほども歳月が過ぎ去った現在の私たちに対してもそのままあてはまる内容だとわかる。神が新しいことをされるというのは、単に珍しいことではない。ニュースのように時間的に新しいというのでない。それは、乾ききった私たちの心のただなかにいのちの水を流し、前途に向かって歩むべき道があることに目覚めさせるものである。
 誰でも水がなかったら渇きで死んでしまう。そうした「死」によって人間は、感動する心を失い、良きものへの憧憬をなくし、清いものに喜びを感じる心が消えて、逆に汚れたものに快楽を求めようとするほどになる。しかし、そこに神が新しいわざをなされるとき、私たちはよみがえり、永遠の道そのものである主イエスが内に住んでくださる。 人間の心は砂漠のように、いのちの水がなく、道もない。それは、真理を愛することができず、人への真実な愛もなく、少しのことで腹を立てたり、憎んだりねたんだりしてしまうことからもわかる。そして大多数の人が生涯を通じて見つめるべき道も分からないままとなっている。
 しかし神はそこに、泉をつくり、命の水を流し、川のように流れさせる。そのことを少しでも体験した者は、そのことに永続的な驚きと感謝を覚えるようになり、そのような不思議をされる神への讃美がおのずから生まれる。

新しい歌を主に向かって歌え。
地の果てから主の栄誉を歌え。
海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの、島々とそこに住む者よ。
荒れ野とその町々よ。…村々よ、呼ばわれ。岩山に住む者よ、喜び歌え。山々の頂か
ら叫び声をあげよ。
主に栄光を帰し、主の栄誉を島々に告げ知らせよ。

(イザヤ書四二・10〜12より)
 
 地の果てにいる人たち、さらに島々に住み、また各地の町や村そして、山々からも神の栄光をたたえ、神がなされることへの新しい歌を歌おうと呼びかけられている。ここには海と陸、砂漠とオアシスなどが言及され、それは全世界の人々に呼びかけられていることを示している。それほどこの真理は特定の民族とか場所に限られることでなく、あらゆる地方のどんな人にも実現していく真理であるからだ。
 神の本当のはたらき、その御業を知らされるときには、どのような存在も新しい心にされ、神への感謝と讃美がおのずからわき起こるのである。
 このような霊的な新しさは、このイザヤ書では預言的に言われており、その実現ははるか未来のこととして言われている。
 そしてイザヤの預言が実現するのは、数百年も後のキリストの時代であった。
それゆえ新約聖書には、キリストによる新しい創造、魂が新しくされるということが多く記されている。

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのである。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(Uコリント五・17)

 このように、聖書は旧約聖書から新約聖書の双方にわたって、一貫して新しい世界がもたらされることを強調している。まだ、神を知らない者をもアブラハムのように、神ご自身が招き、そこに数々の新しいことを起こしていっそう神への信仰が深まるように導かれる。キリストの十二弟子たちも、主イエスご自身が神の国のことなどに無関心であった漁師や取税人のような人たちを招かれた。さらに、パウロのように背いているものをも直接に呼びかけ、招いてみずからの弟子とされた。
 共通しているのは、そのようにして招かれた者には、神(主イエス)ご自身がさらに新しいことをなされるということである。その人に神の言葉を与え、聖なる霊を注ぎ、新しく創造される。新しく造られた者は、さらに真理の世界へと限りなく歩みを続けていくので、絶えず学びを愛するようになる。新しく聖霊が注がれるときには、つねにどのような単調な生活といえども、そこに大きな意味を感じるようなる。
 はじめに引用したように、神は私たちに対してたえず新しいことを創造されているのである。

もう以前のことは考えるな。
過ぎ去ったことを顧みるな。
見よ、私は新しいことを行う!  
それはすでに芽生えているのだ。
あなた方もそれに気付くであろう。 

 この箇所についてある注解書はつぎのように述べている。
「教義的に固まった信仰がある。それは、新しいことを今も神は、本当に実現されるのだと信じて希望を持つことが全くできなくなっているような信仰である。そのような信仰は、何であれ非常に危険なのである。」(ATD「ドイツ旧約聖書注解」イザヤ書) 
 神への信仰があるといっても、たんに機械的に信仰箇条を唱えて信じているだけであるような信仰はかえって危険であるというのである。なぜなら聖書に現れる神とは本質的にたえず新しいことをなす神、創造の神、導く神であるからだ。信じる一人一人の中に住み、その一人一人に霊的に新しいことをされる神なのである。それは新しい感動であり、新しい道であり、新しい発想であり、新しい意味の発見であり、新しく働きかける相手を見いだすことであり、新しい人との出会い…等などである。主イエスからのいのちの水を注がれた者は、内部に一種の泉を頂いたようなものであり、そこから絶えずそうした新しいものがわき出てくる。

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
更にわたしは、聖なる都が…神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。(黙示録二十一章1〜2より)

 地上にある間からすでに私たち一人一人に働いて新しい世界へと導く神は、究極的には万物を新しくされるという約束が聖書の最後の部分で記されている。このようにキリスト者の歩みは、地上においてまたその死後も含めてどこまでも、神による新しい創造の道を歩んでいくと約束されているのである。


st07_m2.gifことば

(133)神の御心にかなうならば、ただその場所にとどまっているだけで、彼らは勝利を収め、み心に逆らって戦った場合には必ず敗北したのである。(フラウィウス・ヨセフス著「ユダヤ戦記第五巻」九)

・聖書に記されている戦いに関する基本的な考え方は、ここに引用したように、私たちが神に結びついているとき、神が戦ってくださるということである。現代の私たちの戦いは、パウロが教えているように、目に見える人間が相手でなく、目には見えない悪(悪の霊)との戦いである。そしてその場合も、この言葉にあるように、人間的な手段を揃えることでなく、神を信じて委ねていく時、神ご自身が戦ってくださる。主イエスが、「わた
しにつながっていなければ、あなた方は何一つできない。私にぶどうの木の枝のようにつながっているとき、豊かに実をむすぶ」と言われたことも同じような意味を持っている。

(134)真理が天の星のように見えた。(ダンテ「神曲」天国編第二八歌より)

・神の啓示あるいは真理の象徴的な存在である、ベアトリーチェによる説き明かしを聞いたとき、ダンテの気持ちはこのようであったという。聖書という書物自体が、この世において闇のなかに輝く星のようなものである。キリストの存在も同様であって、私たちがキリストを信じている限り、その人の魂の内にあって、星のような存在であり続けるであろう。星はいかに地上世界が戦乱や病気、悪で覆われようとも決してその輝きを止めることはない。同様に、神の真理もキリストも人間世界のあらゆる混乱や動揺にも関わらず、星のようにその輝きを続けている。

(135)キリスト教の極致
 「キリストは今なお活きて、われらと共におられる」、キリスト教の極致はこれである。
キリストがもし単に歴史的人物にすぎないのなら、キリスト教の教える倫理はいかに美しく、その教義はいかに深くとも、そのすべては空の空にすぎない。
 キリストが今なお生きておられないならば、われらは今日直ちにキリスト教を棄ててもよい。キリスト教の存在は、ひとえにキリストが今も活きておられるかどうかにかかっている。(内村鑑三・「聖書の研究」一九〇八年二月号」)

・キリスト教という宗教を、その「キリスト教」という名前の故に単に昔のキリストの教えを教訓としている宗教だと思っている人は実に多い。しかし、これは、仏教とか儒教とかいう中国の表現をそのまま取り入れたにすぎないのであり、キリスト教といわれる宗教は、そのような単なる教えでなく、内村が述べているように、日々生きて働くキリストに導かれ、力を与えられて、自分の罪赦され、神の愛を実感しつつ生きることである。


st07_m2.gif休憩室

○沈黙のなかで
 七月から八月は平地や低山では最も野草や樹木などの花は少ない季節です。山は緑一色で、ふつうの山道にもほとんど花を咲かせる野草は見あたりません。しかしそうした季節は、その緑の葉の内で、たくさんの日光の光を受けて、デンプンが造られています。そのデンプンによって、つぎの世代のための実をつくり、幹を伸ばし、太らせて成長していくための材料も造られているのです。その沈黙のなかにも、葉の内部を見るならば、光による複雑な化学合成や分解などの化学反応が日夜活発に行われているわけです。そしてそれらの葉も秋になると多くは枯れて地上に落ち、今度は無数のバクテリアの食物となっていき、葉に含まれていたミネラルはふたたび植物の肥料ともなっていきます。
 自然は片時も休むことなく、何も変化のないようなときでも、つねに働いているのがわかります。こうした働きの背後につねに今も働き、創造を続けておられる神がおられます。主イエスも「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」と言われています。(ヨハネ福音書五・17)私たちの心の内に、そのような主イエスが住んでくださるとき、私たちもたえず、神の国のために働く者と変えられていきます。それは病床にある人も共通です。ベッドで周りの人のために、祈ることも、神の国のための霊的な働きだからです。

○夏には花などは少なくなるけれども、そのかわりに日本ではセミがたくさん鳴き始めます。ヨーロッパの国々では雨量も少なく、昆虫類は日本よりはるかに少なく、セミもあまり見られないところが多く、日本に来てセミのコーラスを耳にすると何という鳥が鳴いているのかと不思議がるといいます。
 樹木の沈黙あり、セミのコーラスあり、緑の海あり、また涼しげな渓谷の流れの音あり、夏の山道もまた、神のはたらきを知らされる場となっています。

○夏の夜空を眺める機会は多くあります。夏は夜の涼しさを求めて野外に出ることが多いからです。そして夏の夜空といえば、天の川と、それにまつわる織女星(しょくじょせい・こと座の一等星ベガ)、牽牛星(けんぎゅうせい・わし座の一等星アルタイル)が知られています。
 しかし、最近ではその天の川を見たことがないという人が多数を占めるようになっています。都会に住む「はこ舟」のある読者が、天の川を見たいと書いておられました。夏の星座を知っている人なら、さきほどあげたこと座のベガや白鳥座のデネブという一等星や鷲座のアルタイルという星を見つけて、さらに南の空に見えるさそり座の一等星であるアンタレスをつなぐあたりに、白く見えるのですぐに見付かります。
 都会でなければ、これらの一等星はすぐに見付かりますからそれらの背後にある天の川もわかります。この天の川を見ていて思うのは、つまらないたなばた伝説などでなく、大空の広大さです。光の速さはよく知られているように、一秒間に三〇万キロ、一年では、九兆四六〇〇億キロメートルも進みます。しかし、天の川として見ることができる私たちの銀河系宇宙は、その直径がその速い光でも十万年もかかるほどの距離です。
そして最も銀河系に近いとなりのよく似た星雲であるアンドロメダ星雲は、地球から光が二百三十万年もかかって到達できるほどの距離なのです。そしてこのような星雲が宇宙には数知れずあるというのですから、その広大さは私たちの想像をはるかに越えています。天の川を見つめていると、そのような宇宙の広大無辺の一端に触れているのを感じて、神の創造の無限の大きさに驚嘆します。そしてそのような大いなる神が、宇宙の広大さに比べるとゼロに等しいような小さな一人一人の悩みや苦しみをもわかって導いて下さるということに、さらに驚かされるのです。
2002/7

祈りの友    2002/6

 この世において、特に日本では最も取るに足らないものとして見なされているが、神の目には最も力あるものとみなされるものがある。
 それは祈りの力である。神など存在しない、個人的に心に祈ったからとて、そんなものを聞いてくれる神など存在しないというのがおおかたの日本人の気持ちである。そうした前提に立って万事がなされている。祈りが力あるもので実際にそれは大きな働きをするなどということは、日本においては、小学校から大学までの長い教育を受けたとしても、一度も耳にすることはないであろう。
 しかし、聖書はこの点でもそうした常識とまったく逆であって、随所に祈りがいかに大きい働きをするかを書いてある。聖書とは「祈りの書」とも言えるほどなのである。じっさい、創世記にしても、出エジプト記や、ヨシュア記などにしても、祈りに応える神が先だって進んで戦われるのであった。
 旧約聖書のハート(心臓)とも言われる詩編とは、まさに祈りの集大成なのである。
 今も活きて働いておられる神、しかも目には見えず、いかなる小さなよきことも見逃さず、悪も心の奥深いところまで見抜く方、そして天地創造の力をも持っておられる神がおられるなら、祈りとはその神に直接に訴えることであり、その神の万能の力を引き出すことになるのだから、最も力あるものとなる。
 主イエスも、つぎのように、祈りの力を驚くべき表現を用いて教えられた。

主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(ルカ福音書十七・6)

イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」(マタイ福音書十七・20)

 この言葉は、私たちの心がまっすぐに神に向かい、ひとすじの心で祈るときには、人間的な予想では決して変わらないと思えるような事態も大きく変えられる、祈りが現実に働いてくるということを意味している。 
 神を信じるとは、祈りに応える神を信じることである。祈りの力を信じないことは、すなわち神を信じないことでもある。
 しかし、祈りの力に信頼するとは、自分の祈りの力を信頼することでない。私たちが自分のなにかにひそかに誇ったりするならば、そのようなところには神の力は働かない。
 それとは全く逆に、自分がいかに弱い者であるか、取るにたらない者であるかを思い知って、そこから自分のすべてをあげて神に委ね、神の万能に信頼すること、神の力に寄り頼むことこそ、聖書で言われている祈りである。
 私たちは、日々そうした祈りを捧げてともに連なり、互いに祈り合う「祈りの友」でありたい。

何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信である。(Tヨハネ五・14)

妨げる力の働くとき

 私たちが真理のため、神のために働こう、何らかのよいことをしようと始めるとき、必ずといってよいほどに思いがけない妨げが入る。それは自分や家族の病気や事故であったり、予期しない不都合な人物が現れたり、中傷や誤解、あるいは敵視する者の出現、また予想しなかった問題があるのが後から分かったり、信頼していた人が心変わりするとか…である。
 主イエスも伝道のはたらきの最初に、会堂で聖書を読んで真理を語り始めたが、その最初の活動のときに、はやくも、それを聞いた人たちが主イエスを会堂から追い出し、憎しみをもって、崖から突き落とそうとしたと記されている。

これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。(ルカ福音書四・28〜30)

 真理を語っていたらだれでも納得するだろう、感謝して受け入れるだろうといった甘い予想はこの世では成り立たない。それとは逆に、いかに私たちが真理と一つにされたからといってこの世で安全によい評価を受けていくなどという保証はない。この世にはそうした妨げる力が確かに働く。
 しかし、主イエスがその妨げる力のただ中を通って立ち去られたように、私たちもまた、そうした闇の力のただ中を通って御国へと進んでいくことができる。信じる者には主の大いなる御手が導くからである。

空からのメッセージ

 夏になると、時折、雨風の後など、空が真っ青に澄み渡り、そこに雄大な雲がむくむくと大空にわき起こるのが見られる。
 それは神が私たちへ与える大空からのメッセージである。
 その深みに満ちた青色と、立ち上がる純白の雲はいかなる芸術家も到底及ばない、大空というキャンバスに描かれた神の絵画である。
 そこに私は神の力を感じる。そして神のはかりしれないお心の一端を感じる。


st07_m2.gif求めよ、探せよ、門をたたけ

求めよ。そうすれば、与えられる。
探せ。そうすれば、見つかる。
門をたたけ。そうすれば、開かれる。(マタイ福音書七・7)

 これは聖書のなかでも最も有名な言葉のうちの一つであろう。そしてほとんどの人はこの言葉の深い意味に感じないままで、忘れていくだろう。
 求めていく意思の重要性をこれはきわめて簡潔に述べている。しかもそれは人間にでなく、何よりも神に求めていく姿勢の重要性である。神を信じて求め続ける心は必ず報いられるという約束がこの言葉なのである。
 求めたら与えられるといっても、自分が求めているものそれ自体が与えられるとは限らない。例えば、ある病気になったとする。だれでも病気の苦しみと痛みはひどくなるほど耐え難いものがある。それを必死でいやされるように祈っても、病気がなおらないこともあり得る。ついに病気がいやされないまま、死に至ったキリスト者ももちろん無数にいる。
 それなのに、なぜこの言葉はかわらぬ力をもって過去二千年の間、人々を惹きつけてきたのだろうか。
 それは、神の万能を心から信じ、そこに信頼し、その神に向かって切実に求める心は、神の国に属する何かが必ず与えられるのを実感するからである。たとえ愛するものが祈り空しく若くして召されたとしても、たとえ大きな誤解を親しい者から受け続けているとしても、そのために祈り続けるならば、必ず神の国が与えられる。聖霊のいぶきを受けることができる。そしてそこから、神の国を遠望するかのように、見ることを許されるようになる。
 求めているものが与えられないという現実によって、神は求める者のまなざしが、もなおも、遠く、なおも高く引き上げられていくようにと導いていかれる。神に求めよ、そうすれば霊的な視力がますます遠くまでのびていく、深まっていくという恵みが与えられるのである。主はそのような意味でも私たちに約束されている。
 まず神に向かって求める心が必要である。そしてそれから具体的に探し、門をたたかねばならない。真理を欲しいという切実な求める心が必要である。ただ求める気持ちだけではいけない。それを理性を用いても、また実行によっても探して行かねばならない。また、じっとしていては開かれない。人間も事柄も、事件も門をたたいていかねばならない。具体的にある人間のところを訪問して門をたたく、また文書の類、書物などでも探す。求めるだけでなく、探さねばならない。
 求めよという呼びかけに私たちは神に求めるまなざしを向ける。そしてそこから神の励ましを受けるとき、探していく、それは同じ苦しみを持つ友であるかも知れない、同じように神を信じる友であり、また彼らの賜物を分かち与えてもらうことであるかも知れない。ほかの人にも祈ってほしいと求めること、それは祈ってくれる人を探すことであり、ともに祈ることによって、開かない扉をたたくことである。ともに祈ることは、「二人、三人主の名によって集まるところには、主がともにいる」という約束の通り、そこに主がいて下さるゆえに、一人では開かない扉も開くのである。
 門をたたけ、ともに祈りによって開かない門をたたこう。
 探せ、自分だけでは探せないところを他のひとの助けによって、探そう。苦しむ人への助けの道は、手段はどこにあるのか、一人で考えても分からないことがある、そんなとき、ともに祈ってその道を探そうとするとき、主が与えて下さることがある。 
 この世は、神にむかって求め、その神へのまなざしを持ちつつ、この地上の生活で探し続け、門をたたき続けることで成っている。伝道も同様である。求める人はどこにいるのか、探し求める気持ちをもっているとき、神はそのような求める人を近くに招き寄せてくださる。また、固い心になった人をも、動かないような困難な状況に直面しても、不思議な力が働いて、それが開いていく。
 主イエスご自身も、この典型であられた。世を徹しての祈り、それは神に求めることであった。激しく求め続けることであった。そして自分に従う者たちを探された。本当に福音を必要とするもの、失われた羊をどこまでも探し続けられた。それはつぎのよく知られた箇所に見られる。

あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。(ルカ福音書十五・4〜6)

 主イエスは形式や権力、あるいは伝統や習慣で縛られていた、当時の信仰のあり方に、神の力をもってその扉をたたいた。すると、それまで決して開かないと思われていた新しい命の信仰の世界へと扉が開いたのであった。 
 今日の私たちはその主イエスが開いてくださった門から導き入れられ、主の平安を知らされた者なのである。


st07_m2.gif重荷を担うこと

 この世では様々の重荷がある。まず病気の重荷、体の痛みや異状による苦しみは忘れることができない重荷となる。痛みがひどくなるとき、ほかのことを考えることも十分にできなくなり、心も明るくならず、生活そのものが重荷となる。
 自分の体に関係した重荷は子供のときからある。私も中学一年のときに、左足の骨が炎症を起こし、固いギプスを入れたので歩くこともできなくなり、七ヶ月にわたって学校を休まねばならなくなった。その時の重荷は初めての経験で、今もなおはっきり覚えている。そしてその経験からはじめて私は他人の苦しみに少しなりとも共感することができるようになったのがわかった。
 私の場合は、一年足らずでだいたい元通りになったが、生涯にわたって歩くこともできない重荷を背負っている方々も多い。両足で歩くことを当然と思ってそのことに何にも感謝も喜びもないのが大多数であろうが、生まれて一度も自分の足で歩いたこともない人にとっては、両足で歩けるということは、夢のような喜びであるだろう。
 こうした体に関わる重荷以外にも、学校や家庭での重荷、職業上での重荷もある。自分の体は何とか大丈夫であっても、家族の介護ということで大変な重荷を背負う場合も多い。ことに痴呆状態がひどくなって家庭で介護するとなると、世話する人にとっては精神的にもたいへんな重荷となる場合がある。病気にしてもそばを離れられない状況となると、病気の本人と介護の家族もともに倒れてしまうほどに心身の重荷が降りかかってくることがある。
 母がかつて召される前には、夜も寝られないで付き添っていたがまだ私が若い頃であったのに、夜通し付き添って、さらに翌日もふつうに仕事に出かけるということになると、疲れ果ててしまったことを覚えている。健康なものでもあのように疲れたのだから、介護する人が老齢となれば、その疲労はたいへんなものとなるだろう。
 また、自分の心と一つに結びついていた者、愛する配偶者や肉親を突然にして失った場合にも、いやされがたい心の空白は重荷となり、心が晴れず、重い心となってしまうこともあるだろう。 
 現代の日本のように、いろいろの社会福祉の制度もかなりの程度整い、生活が相当ゆたかになっても、なおいくらでも重荷となることは生じてくる。それゆえ、社会保障などの制度もなかった時代には一般の人々の背負っていた重荷はいかばかりであっただろうか。
 病気になっても、医者にもかかれないでそのまま、苦しみや痛みの激しくなるにまかせて、苦しみもだえながら死んでいく、老人や障害者にとってもその苦しみを除いてくれる制度も何もなかった。健康な人も封建体制のゆえに、身分も固定され、居住移転の自由や職業選択の自由もなく、食べ物すら十分にないことが多かった。
 こうした時代においての苦しみ、重荷は現代の我々には理解できないほどである。繰り返し生じる戦争などで国土は荒廃して、他国に連れ去られることもあった。
 このように考えていくと、この世はたしかにいつまで経っても「重荷」はなくなることがないのがわかる。
 主イエスが来られたのはこうしたさまざまの重荷を根底から取り除くためであった。それゆえ、病を治し、ことに重荷となっていたハンセン病の人、盲人や耳の聞こえない人々に近づいてその重荷を取り去ることをされたのであった。
 しかし、主イエスが見いだされた本当の重荷は、病気や社会的な問題でなく、一人一人の人間の一番深いところにある重荷は、私たち人間や世界、宇宙をも創造された、真実な存在に背くことだということである。
 この魂の奥深いところでの背きがあったら、どんなに健康であっても、また家庭も幸いのように見えても決してその人の魂は深い平安を得ることはできない、心は深い心の自由を実感することはできないということであった。
 この世界に存在する真実な存在、完全な正しさや愛を持たれたお方が存在する、それに気付かない限り、私たちは自分がそうした存在に背いていることもわからず、心の重荷の深い理由も分からないことになる。
 キリストは、こうした人間すべての内に宿る、最も根源的な重荷の原因を取り除くために来られたのであった。この重荷の根源が除かれるとき、たとえ病気が直らなくとも、生涯にわたって寝たきりであってもなお、心は軽く自由にされ、その心の世界を他者にも伝えていくことすらできるようになる。この魂の奥深いところにある重荷の根源を、聖書では「罪」と言っている。それは表面的に悪いことを指していうのではない、逮捕されるような窃盗とかももちろん罪であるが、聖書では人間すべてのうちにひそむ、真実なる存在へ背く心を指して言っている。
 このような目には見えない重荷(罪)が取り除かれることを、イギリスの有名な物語はつぎのように描いている。

 さて私は夢のなかで、キリスト者がそこを通っていかなければならなかった大通りは両側がともに壁で垣をしてあった。その壁の名は「救い」であった。この道を重荷を背負ったキリスト者は走った。しかし、それはかなり大変なことであった。なぜかといえば、彼の背には、重荷があったからである。
 彼はこうして少し上り坂になっているところまで走った。その場所には十字架が立っていて、少し下のところには、石で作った墓があった。
 私はつぎのような情景を夢の中で見た。すなわち、キリスト者がその十字架のところにたどり着いたちょうどその時、彼の重荷は肩からゆるんで背中から落ちた。そしてそれはころがりながら墓の口まできて、その中に落ちて何も見えなくなった。
 そこでキリスト者は喜んで晴れやかな気持ちになり、喜ばしく言った。
「彼はその悲しみによって私に安らぎを与え、その死によって私に命を与えて下さった。」
 そして彼はしばらくの間じっとそこに立って、十字架を見つめ、不思議な驚きを感じていた。
 というのは、「十字架を見る」という単純なことがこのように重荷を軽くするということは、きわめて驚くべきことであったからである。
 彼は、それゆえに十字架を見つめた、そしてさらに見つめた。するとついに涙が頬に流れ落ちてきた。彼が涙を流しながら立っていると、見よ! 輝ける三人の者が彼のところにやってきて「平安があなた方にあるように」と言った。
 そのうちの第一の者が彼に言った。「あなたの罪は赦された」
 そして第二の者は彼の体から、汚れた服を脱がして「代わりの服」を着せた。
 第三の者は、彼の額にある印(しるし)を付けたうえで、封印した一つの書物を与え、それを走りながら読み、「天の門」に着いたらそれを差し出すようにと命じて去っていった。
 キリスト者は喜びのあまり三度飛び上がり、讃美しながら道を進んでいった。

ここに至るまでずっと、私は罪の重荷を負って来た。
ここに来るまでは、私がそのただなかでいた悲しみを和らげるものはなかった。
しかし、これは何という所なのだ!
この所でこそ、私の幸いが始まるのだろうか。
この所こそ、わが重荷が落ちた場所、
この所でこそ、私をしばっていたものが断たれたのだ。
何とありがたき十字架よ、(重荷を取り込んだ)墓よ、
さらにありがたきは、私のために恥に遭わされたあのお方(イエス)よ。

(ジョン・バニヤン著「天路歴程」より(*)。この本の題名の意味は、「御国を目指す人の歩み」というような意味である。)
(*)ジョン・バニヤン(一六二八〜一六八八) イギリスの説教者,寓意物語作者。読み書き以外にほとんど教育も受けず,家業につき鋳掛屋となった。鋳掛屋とは、なべ・かまなど銅・鉄器の穴をふさぐ仕事をする人。一六四四年ピューリタン革命において議会軍に従ったが,まもなく除隊し結婚する。妻の持参した宗教書を読んで感動し,遊びを絶って非国教徒の教会に入る。みずから説教を行い説教者として名をなした。しかし王政復古(一六六〇)とともに,法を犯して説教したというかどで捕らえられ、十二年にわたって監禁された。この監禁中に、霊的な自伝である《あふるる恩寵》を書いて出版した。その後釈放され,再び説教活動を盛んに行ったが,一六七五年再び投獄された。今度は六ヵ月で自由になったが,その投獄中に書かれたのが代表作《天路歴程》第一部である。このように、この作品は、獄中で書かれたという特別な背景を持っている。それは神がそのような困難なただなかで、力を与えて書かせたのではないかと思わせるものがある。この本はキリスト者の天の国を目指す歩みを、霊的に描き出しており、ヒルティもダンテの神曲とともに、導きの生を最も深く描いているものとして高く評価している。また、これは《ロビンソン・クルーソー》《ガリバー旅行記》と並んで,英文学の作品中最も多くの言語に翻訳されている。

 この天路歴程に出てくるように、キリストの十字架を仰ぎ、みずからの罪の重荷を軽くしていただいた者は、その喜びはこの物語に出てくるようにほかでは代えがたいのを深く実感する。それゆえに、他者の重荷を見ても、それを見ると少しでも関わりたいと思うようになる。

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになる。(ガラテヤ書六・2)
 
 使徒パウロのこの戒めは、自分自身がまず重荷を軽くして頂いた人への戒めなのである。偽りの宗教者は、このように重荷をたがいに担い合うことをせず、かえって、組織が命令して物を高価な値段をつけて売らせたり、金を無理矢理にまたはだまして出させたり、さまざまのその宗教独自の規定を押しつけて、あらたの重荷を人々に負わせることすらやってしまう。これは現代の偽りの宗教によく見られるところである。
 そしてこうした態度は、キリストの時代からあったのがうかがえる。

律法学者やパリサイ派の人たちは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが自分ではそれを動かすために指一本も貸そうとはしない。(マタイ福音書二三・4)

 聖書に記されている警告は万人に対してのものであって、私たちと関係ないのではない。私たちも気をゆるめていると、このように互いに重荷を負うのでなく、互いに悪口を言ったり、重荷をほかの人に負わせて自分だけ楽をしようとしたりする方向に落ちていくことになるだろう。

 身動きできない重度の障害者は、だれが見てもその重荷は耐え難いと思われる。しかし、魂の根源的な重荷(罪)を取り除いてもらった人は、健康そうな人よりも深い魂の自由を実感しつつ生きている例も多くある。
 例えば、水野源三や星野冨弘などは有名な例であるが、そのようなよく知られるようになった人以外にも多数の人が重い病のただなかで、その重荷が除かれてその幸いを証言し続けていった。ハンセン病の療養所では多くの人たちがキリストによって、最大の重荷が取り除かれ、それによってハンセン病という地上では最も恐ろしい重荷を与える病気とされていたものすら、軽く感じられるようにした例もしばしばみられる。

 ハンセン病の治療のために生涯を尽くした一人の医師がいる。その夫人もまた医者であり夫君と同様にハンセン病という悲惨な病人のために日々を生きたのであった。その人たちは、林文雄、富美子夫妻である。文雄は新婚早々であったにもかかわらず、妻富美子との新婚の楽しさを味わうことをあえて退け、結婚して九日目に妻の富美子に遠い沖縄行きを命じて、手当を受けることもできずに各地に隠れるようにして生きていて、苦しみのさなかに置かれているハンセン病の患者たちを慰問させたのであった。その時の富美子の手紙はつぎのようである。

「山の上の隠れ家に一人住んでいる姉妹も、海岸の洞窟にいる兄弟にも、キリストの御名を讃美して祈ることを知っている者たちの割合に多いのに驚き、主の御足跡がいずこの僻地(へきち)にも刻印されていることを思って、いっそう主をあがめ奉る幸せを得ました。」(一九三六年四月二四日付の書簡より おかのゆきお著「林文雄の生涯」二四七P)

 ハンセン病の治療を受けることもできず、家族からも捨てられ、迫ってくる痛みの激しさや孤独と生活の苦しさ、食べるものもまともに得られないような恐るべき状態に置かれ、山の上、海岸などで死を待ちつつ生きているような人のなかにすら、キリストを信じて、なお讃美して祈ることを知っている人たちが多くいたという、そのことにキリストが今も活きて働いておられ、二千年前と同様に、最も苦しい人、重荷を背負う人のところに近づいておられることを知って驚かされる。
 そのような人の生活はどんなであったろうか、それはまさしく闇、自分の周囲を恐ろしい闇が取り囲んでいる状況であっただろう。しかし、そのような深い闇のただなかにてもキリストは光を与えることができた。キリストが、「星」(明けの明星)にたとえられているのもうなづける思いがする。
 このような恐ろしい孤独と痛みの伴う重荷は、私たちの想像をはるかに越えるものがある。そして、よほど愛のある人でもわずかにそこを訪問することしかできなかった。しかしキリストは、山の上の暗い粗末な家にも、波音近い海岸の洞窟にひそむ重い病人のところに毎日、いな、常時ともにいて支え、その重荷を担い続けておられるのであった。
 このようなことは、二千年の歴史のなかで、数限りなく生じたことであった。主イエスがつぎのように言われたことは、そうしたすべての預言であり、約束でもあったのである。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ福音書十一・28)


st07_m2.gif聖書における平和 その一(旧約聖書から)

 だれでも本来は平和を求める。人間が争ったり、武器をもって戦いをするのも、そうした戦いで、平和を乱す者を滅ぼしたなら、そのあとで何らかの平和が来ると思っているからである。また、平和とは戦争がないことだ、と簡単に考えている人も多いだろう。しかし、国家間の戦争がなくとも、人間が心の中で、たがいに憎しみを持っているなら、それは決して平和な状態とは言えない。
 平和のために一切の戦力を放棄すると宣言した、日本国憲法は世界大戦の大きな教訓から生まれたものであった。戦力の放棄こそは、最も直接的に平和を維持する道であり、それが他国へも影響を及ぼすであろうと期待された。
 去年、アメリカの高層ビルが、飛行機によって崩壊させられてから、世界はいっそう平和の問題を切実に論じることになった。平和を守るために武力を増強するのだという国もあり、そういう方向へ進もうとする日本のような国もある。しかし、これは全く平和とは逆行する道であることを多くの政治家たちは知らない。
 このように、平和については、個人的な心の問題から、家族や周辺の社会における平和、さらに日本国全体や国際間の平和などいろいろの領域で論じられている。
 しかし、こうしたいかなる平和論も、決して達することができないところに、聖書の平和論がある。それはこの世の平和に関する議論とは大きくかけ離れた内容を持っている。だからこそ、キリスト者はとくに聖書は平和についてどのように教えているのか、すなわち神は永遠の真理の書たる聖書においていかに平和ということを指し示しているのか、それを私たちは学びたいと思う。

旧約聖書における平和

 旧約聖書のはじめに置かれていて、旧約聖書全体の基礎となっている、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記といった書物について、すでに繰り返し聖書を読んできた人にとっても、平和というイメージは少ないのではないかと思われる。
 しかし、創世記においてすでに平和への道が暗示されている。第七日目を神がやすまれて、聖別したとある。このことは、新約聖書の時代以降では、主の復活を記念する日と結びついて、それが主の平和を継続的に与えられるための重要な場となっていった。
 新約聖書には、私たちの救いを、「神の安息にあずかる」(ヘブル書四・3)という言葉で表現している箇所もある。神の安息にあずかるということは、神の平和を与えられるということである。
 そして、エデンの園においてすでに、平和への道と逆の不安への道が示されている。それは善悪の木(*)を食べることが、不安への道であり、動揺への道だということである。アダムとエバが神が命じられたように、エデンの園にあるあらゆるよい木の実を食べることで満足していたならば、その後の動揺と不安、裁きはなかった。このエデンの園からの追放によって、彼らの子供であるカインはその動揺と不安を受け継ぎ、そこからアベルを殺すという大罪を犯してしまう。
そのことが、カインの前途を預言したときに言われている。

「お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれない。今日、あなたがわたしをこの土地から追放し、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すだろう。」…
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。(創世記四章より)

 この箇所を注意深く読むとわかるが、この短いところに何度も「さすらう」という言葉が出てくる。これ以外にも「さまよい」という言葉もある。神に背いた人間の特徴は、このようにたえず、さまよい、さすらい、動揺するということなのである。現代においても、神の平和を持たない者は、このように精神的にたえず、さまよい、さすらっていく。他人がなにかを夢中になって始めるとおのずからそこへと引き込まれ、またそれが飽きると別の人に引かれていく、特別な事件が生じたり、病気になったり、あるいは死が近づいてくるようなときに、人間はどこに魂を安住させるか全く分からなくなる。
 魂はもともと主の平和など持っておらず、さまよっているものなのである。行く目的も定かでないなら、どこに向かって進むべきか分からないのは当然であろう。
 こうした神に背くという罪は後の人間にもふかく刻まれていくことになり、それが戦争にもつながっていった。
 このように、聖書はその冒頭から人間に真の平和が与えられているのに、人間が神に逆らってその平和から追放されたことが記されている。

 旧約聖書の言葉では、「平和」は、シャーロームという。(***)旧約聖書のヨシュア記やサムエル記には、しばしば激しい戦いが記されている。ヨシュア、ダビデなどの時代はたえず周囲の民との戦いがあった。そこでは戦いのない社会的な平和ということもはるか将来のことであり、霊的な平和ということもあまり記されてはいない。
 つぎに引用する箇所も、イスラエル民族全体を「あなた」と言っていて、民族全体に与えられる平和を祈っている。しかし、これは一人一人の個人にとってもあてはまる真理である。この箇所で言われているのは、個人や民族、国家全体を問わず、その祝福は神によるのであり、私たちへの恵みや、平和も神から来るということである。単なる人間の話し合いや自分の国を武力で守るなどといったことからは、神の喜ばれるような平和は決して来ない。

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安(シャーローム)を賜るように。(民数記六・24〜26)

The LORD bless thee, and keep thee:
The LORD make his face shine upon thee, and be gracious unto thee:
The LORD lift up his countenance upon thee, and give thee peace.

 旧約聖書のはじめの部分には、後の時代に現れるような深い霊的な平和ということは現れない。これは平和の原語である、シャーロームという言葉は、創世記から申命記にいたる重要な五書にはあまり現れず、もっと後の時代の霊的直感の深く与えられた詩人、預言者がこの神とともにある平和を知らされていった。(**)

(*)エデンの園にあった、食べてはいけない唯一の木は、「善悪の木」と訳されることが多いが、もとになっている原語は、単に日本語のように道徳的な善悪を意味するのではない。善と訳された原語は「トーブ」であり、「悪」と訳された原語は「ラァ」であるが、それらは、それぞれ口語訳では五十種類ほどの訳語が当てられている。例えば、トーブ については、愛すべき、祝い、美しい、麗しい、かわいらしい、貴重、結構、好意、幸福、好意、高齢、ここちよい、財産、好き、親しい、幸い、親切、順境、親切、正直な人、善、善人、宝、正しい、尊い、楽しむ、繁栄、深い、福祉、ほめる、まさる、恵み、安らか、愉快、豊か、喜ばす、りっぱなどと訳されている。
 「ラァ」については、悪、悪意、悪人、悪事、痛み、いやな、恐ろしい、重い、害、害悪、悲しげな顔、危害、逆境、苦難、苦しい、苦しみ、汚れた、そしる、つらい、悩み、罰、破滅、不義、不幸な、滅び、醜い、物惜しみ、悪い、災いなどである。それゆえ、「善悪の木の実を食べる」とは、「(神を抜きにして、神に背を向けて)好ましいこと、好ましくないことなどの総体、すなわちあらゆることを知る」という意味を持つことになる。実際、神などいないという考え方に立って、科学的なこと、社会的、人間的なことを知り尽くしていこうとしてもますます将来への不安とか希望のない状態がわかるだけであって、その困難な状況を前にするならば、その人の精神はますます暗くなっていくであろう。

(**)シャーロームという名詞は、「平和」という訳語だけでなく、安心、安全、安否、穏やか、勝つ、幸福、親しい、栄える、繁栄、無事、平和、和解、やわらぎ、勝利、健やかなど、三十通りもの訳語があてられている。また、この動詞形である、シャーレームとかシャーラムという言葉は、「完成する、栄える、成し遂げる、平和、平安、真実、正しい、全うする、満ちる」などやはり三十通りほどもの訳語がある。
 これを見ても、旧約聖書でシャロームという言葉を私たちの現代の言葉のように、「平和」という意味にだけ限定することができないのがわかる。こうした多様な意味の背後にあるのは、「完成する、全うする」という意味であって、そこから「平和」とか「安全、幸い、繁栄」といった意味が生じてきたと考えられる。神は完全なお方であり、神と結びつくとき何でも、完全への道へと導かれる。

(***)シャーロームという原語の使われている頻度は次のようである。
創世記12回、出エジプト3,レビ記1,民数記2,申命記5回であるのに対して、詩編27回、イザヤ書26回、エレミヤ書28回となっている。最初の五つの書物のうち、創世記はやや多いが、単なる挨拶的な意味で用いられていることが多い。シャーロームという言葉は、その内容が霊的、詩的な直感によって記された詩編や預言者などの文書に多く用いられているのがわかる。

イザヤ書の中から

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4)

 この有名な箇所は、今から二七〇〇年ほども昔に生きた預言者イザヤによって書かれた。イザヤの生きた現実の世界は、大国アッシリアが自分の国に攻めて来ようとしている危険な状況であった。そこでは、このような剣を打ち直して、鋤とする、国と国がもはや戦争をしないなどということは、およそ考えられないことであった。いつの時代にも、たえず強い国が弱い国を滅ぼしていく戦争はあった。
 そしてそれから二七〇〇年経った現在でも、そのような状況は変わることがない。しかしそうした現実の世界のただ中で、この預言者は、ここに引用したような平和の状況が訪れることを知らされていた。それは、政治や社会的な知識の分析や総合ではない。学問的な結論でもない。
 ただ、必ず歴史はそのようになる方向に進んでいくという、神の国からのメッセージをこの預言者は聞き取ったのである。


わたしは唇の実り(*)を創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。
わたしは彼をいやす、と主は言われる。
神に逆らう者は巻き上がる海のようで、静めることはできない。その水は泥や土を巻き上げる。
神に逆らう者に平和はないとわたしの神は言われる。(イザヤ書五七・19〜21)

(*)唇の実りとは、神への讃美を表す。

 このように、以前は国家や民族的な平和という意味でしか現れなかった平和(平安)という言葉が、イザヤ書の後半部では、霊的な平和、魂の平安といった意味でも現れてくる。そしてこの箇所の少し前に、つぎのように言われている。

わたし(神)は、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。(イザヤ書五七・15)

 心が砕かれ、痛み、悔い改める心が神へのまなざしをしっかりと持つとき、神はそのような魂に神の命を与えられる。その時初めて、その人は神の平和を持つことになる。この世で与えられる真の平和とは、そうした苦しい戦いを通り、自我が壊され、神以外のどこにも救いがないことを知らされて、神への叫びと祈りをもって見上げるとき、初めて上より与えられるものなのである。

エレミヤ書の中から平和

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。
それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。
わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、
わたしに出会う、と主は言われる。(エレミヤ書二九・11〜14)
 
 これはイスラエルの人々が罪を犯して、神に逆らい続けた結果、遠いバビロンに地に捕囚として連れて行かれた。その絶望的状況にある人々にエレミヤがエルサレムから書き送った手紙の一節である。バビロンという遠い国に捕らわれて行くというような民族解体、滅亡の危機にある人々に対して、神の御計画は決して、滅ぼすためでない、希望と平和の計画なのだと確信をもって告げている。そうした神のご意志をエレミヤだけははっきりと聞き取ったのであった。
 当時の状況は、人々の目には、最も平和とはかけ離れたものであり、このエレミヤの言葉は人々にとっては驚くべき言葉であっただろう。預言者というのがその名の通り、神の永遠の真理の言葉を預かった者であり、その真理は当時の人々に当てはまるだけでなく、数千年の歳月と国土の制限を越えて、現在にいたるまで、私たちに呼びかける内容となっているのである。
 私たちの前途にもさまざまの絶望的状況が生じるかも知れない。しかし、そうしたただなかにこのエレミヤと同じような、深い神の御計画が告げられ、そのような不幸にみえることも、決して災いのためでなく、シャーロームのため、平和のため、平安のためであること、将来には必ず神のもとによき結果となっていくのだと教えられる。
 このように、聖書でいう平和(シャーローム)というものは、人間のあらゆる絶望的状況にもうち勝って、神から与えられるものである。そのことを知り、そこに希望を置くときに、人々はいかなる苦境にもうち負かされない力を与えられてきたのである。

 旧約聖書では、神ご自身が武力による戦争を命じられることがしばしばあった。それゆえ、当然のことながら、武力による戦争が悪であるとは言われていない。しかし、それはすでに述べたように、ある時期までのことであって、「その時」という未来のある時点においては、あらゆる武器は廃棄されて、鍬(くわ)や鋤(すき)という、農耕具に変えられると預言されている。「その時」とはいつなのか、それは人間の予見することもできない時である。
 そうした未来のいつかは分からないが成就する平和とは別に、社会的、また政治的な平和とは違った、心の深い平和(平安)への道がイザヤ書の終わりに示されている。

彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎(とが)のためであった。
彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(イザヤ書五三・5)

 ここで「彼」とは、はるか後に現れる救い主、メシアを預言的に指している。私たちが真の平和を与えられるためには、武力とか政治の変革、あるいは私たち自身の努力とか心の持ち方とかではない、まったく別の道が必要なのであった。それはそれまで誰も考えたこともない方法によってであった。
 それは愛の神、万能の神と同じ本質をもったお方を、傷つけ、苦しめ、刺し貫くといった驚くべき仕打ちを与えることによってであった。こんな方法で平和がほかの人に来るといったい誰が想像したことがあっただろう。ふつうの人間をこのようにしたところで、他の人間全体、後世にいたるまでの世界の人間すべてに平和を与えるなど、考えることもできない。普通の人間なら、自分の心の平和すら保つことは容易でないからである。
 混乱と憎しみ、そして飢えや貧困、抑圧などなど、平和とはまさに逆の状況が満ちているこの世界において、そうした闇のただなかに、神の国からの平和をもたらす道が示されたのであった。
 このイザヤの預言からはるか七百年もの後、人の子であるとともに、神の子であるイエスというお方が神から送られ、そうしてそのイエスがこのイザヤ書にあるように、傷つけられ、砕かれ、実際に槍で刺し貫かれたのであった。
 そしてさらにそれで終わるのでなく、その後二千年間、ずっとそのイエスの十字架の死を、私たちの罪を担って死んで下さったのだと信じるとき、実際に私たちの魂に平和が訪れることになった。これは驚くべきことである。このような人間の魂に関わる最も重大な問題が、いまから二千七百年も昔に神の言葉として、一人の人が聞き取り、それを人々に告げて、文書として書き残されていったが、それがそのまま現実の歴史の中で、長い歳月を通して実現されていったのである。
 こうして、旧約聖書では平和とは、現実には訪れてはおらず、ごく一部の人しかそれを実感していなかったようであるが、未来の「その時」には、全世界に武力や戦争が終わるときが訪れること、そして人間全体の罪を担って、私たちに平安をもたらそうとされるお方が現れることを、確かな神のご計画だと預言しているのである。
 そしてすでに預言者や詩編などにおいては、神からの平和を実感している人たちの経験がつづられている。
 その一部をつぎに取り上げよう。

詩篇の中から

 詩編では、神からの平和(平安)については多くの箇所にそれが見られるが、とくに詩編二十三編において、神から与えられる平和が、美しく表現されている。

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。

 この詩で言われている状況とは、主なる神が私たちを導くお方となって下さるならば、私たちには欠けるものはなくなるという実感を与えられる。それは、まさに主の平和が与えられていることである。
 いかに神を信じていようとも、大きな苦しみや悩みは生じる。神の平和を与えられるとは、決してこの世の苦しみや困難が降りかかってこないということではない。だれにも言えないような困難な問題も出てくる。そうした時にあっても、神がともにいて下さるゆえに、平和を実感する。その平和とは、たんに何も動揺を感じないという消極的な内容でなく、平和という原語(シャーローム)の原意である、「満たされた状態、完成された状態」を思わせるものがある。
「わたしの杯をあふれさせてくださる」とは、神が周囲の状況はいかようであれ、自分の魂の深いところを満たしてくださり、神の恵みであふれるようにして下さるということである。
 また、預言者イザヤは大いなる預言者であるが、また稀なスケールをもって万物を見つめている預言者でもある。そのイザヤが最終的な平和とはなにかについてつぎのように述べている。
 
ついに、我々の上に、霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、園は森と見なされる。
そのとき、荒れ野に公平が宿り、園に正義が住まう。
正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。
わが民は平和の住みか、安らかな宿、憂いなき休息の場所に住まう。(イザヤ書三十二・15〜17)

 このように、「平和」とは神の霊が天から注がれて初めて訪れるものであり、荒れた野は緑ゆたかな所となり、正義が宿る。そこに永遠的な平和が訪れると預言されている。イザヤの時代は、戦乱のただ中であり、ほとんどだれもそのような状況が訪れること夢にも思わなかっただろう。しかし、まことに預言者は神の言葉を担う人間である。千年、二千年以上の歳月をもはるかに見つめ、必ずそのような時が訪れることを、神が与えられた視力によって洞察することができたのであった。
 旧約聖書はこのように、武力による戦いの記事がいろいろ見られるが、それは決して最終的な姿でない。そのようなただなかにあって、未来のある時に聖なる霊が天より下って、文字通りの平和、平安が訪れることを確言しているのである。旧約聖書はそのように、私たちをキリストの時代へと、キリストの平和へと強力に指し示す力を持っているといえよう。
 新約聖書に入ると、堰(せき)を切ったように、それまでごく部分的にしか実現していなかった、「主の平和」があふれるようになる。


st07_m2.gif休憩室

○五月から六月にかけて、小さな山を少し登ったところにある我が家で心に呼びかける声となるのが、ホトトギスであり、アオジ、ヤマガラ、ウグイスといった小鳥たちです。とりわけホトトギスは今年はかつてなかったことですが、深夜午前一時や二時ころにもたびたびあの特徴ある声で鳴き続け、遠いところから呼びかける声のように感じたことです。ほかのものが寝静まっているそのような深夜になんの目的であのように激しい声で鳴くのか、動物学的には不可解なことですが、そのような科学的なこととは別に私には


st07_m2.gifことば

(131)ほんとうの幸いのため
 ジョバンニは首を垂れて、すっかりふさぎ込んでしまいました。
「何が幸せかわからないです。本当にどんなつらいことでもそれが正しい道を進む中での出来事なら、峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づく一あしづつですから。」灯台守が慰めていました。
「ああそうです。ただ一番の幸いに至るためにいろいろの悲しみもみんな、おぼしめしです。」青年が祈るようにそう答えました。
………
 ジョバンニは、ああ、と深く嘆息しました。「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ。どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもう、あのサソリのように本当にみんなの幸いのためならば、僕のからだなんか、百ぺん灼(や)いてもかまわない。」
「うん、僕だってそうだ」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。…(宮沢 賢治著「銀河鉄道の夜」より)

(132)たった一人の祈りであっても
多くの人が去っていった教会の中で、まったく一人であっても、あなたは祈り続けますか。
 一人の人が祈り続けることによって、いつかそれが人々の祈りへと引き継がれていくことがよくあるのです。たった一人でも十分なのです。(ブラザー・ロジェ著 「信頼への旅」140P)


st07_m2.gif返舟だより

四国集会への感謝
○去る六月十五日(土)〜十六日(日)は、三年ぶりに徳島にて、キリスト教四国集会(無教会)が行われました。前回の高知での四国集会の後から、祈りを始めて一年間、集会のたびに祈りをもって覚えてきた集会でした。ことに今年に入ってからは、各地での家庭集会においても、絶えず祈り、神がその四国集会を祝福してくださいますように、それが神の栄光のため、苦しむ人や未信仰の人にも働きますように、さらに信仰を与えられている人も、み言葉と聖霊がゆたかに注がれるようにとの祈りを続けてきました。
 そうした祈りに主が応えて下さって、今回の四国集会で、特別な重い出来事を抱えて参加された方が、たしかな変化を与えられたという人、やはり厳しい状況のただなかに置かれて、苦しみつつ生きておられる方が、神の愛をあることで実感したと言われた人、今までの四国集会より以上に確かな聖霊のはたらきを感じたと言われた盲人の方、長く集会から離れていた方やキリスト教のことを聞くのは初めてだという老齢の方の参加もあったり、心が不思議な喜びで満たされたと言われて帰って行かれた遠くからの参加者などありました。
 また、直前まで入院生活をされていた、高知の林 恵(さとし)兄が、高齢でもあり参加を危ぶまれる状況であったのですが、無事守られて参加され、聖書講話の責任を果たして下さったことも大きな感謝でした。
 今度の四国集会を終えての感想は、たしかに祈りは聞かれる、ということです。悪のはびこるこの世においてそれは驚くべきことです。真実の神などいるはずがないと思う人が大多数をしめるこの日本において、たしかな神の御手の働きを実感させていただいた集会でした。
 他方、気がかりな方々もおられま。すでに二月からだれよりも早く参加申込をされていた九州の方が、急な手術のために、やむなく参加できなくなったり、北海道の方がやはり体調の不具合のために参加希望を強く願いつつも最終的には断念されたなど、いろいろの事情で参加できなかった人たちも県内外にあったのは、とても残念なことですが、その方々にも主がどうか祝福を与えて下さいますように。
 今回の四国集会のために、捧げられた多くの祈りを心から感謝しています。そしてそのような人間ではできない、魂に関わる働きをされる神に、栄光がさらに帰せられますように。

○今回の四国集会では、前回と同様に、四国四県以外に、広島、岡山、兵庫、大阪、滋賀、神奈川、東京、埼玉といった地方からの参加者もあり、申込して参加できなかった人もありましたが、申込してなくて直前に希望されて参加できた方もあり、実質では部分参加も合わせて百十五名ほどの参加でした。
 また障害者も多く集うことができました。視覚、聴覚、肢体、知的などさまざまの障害者も集められてともに主のみ言葉に聞き、祈り、讃美できたこと、主イエスを中心としての主にある交わりを多く与えられたことも大きな恵みです。

○また、個人的なことですが、私が京都の学生時代(大学四年のとき)に初めて、キリスト教の講演会に参加して、話を聞いたとき、心に深く残った講演をされたのは、当時京都大学理学部の富田和久教授でした。そのお話のゆえに、私はその冨田氏が責任者であった北白川集会と言う無教会のキリスト集会に、卒業までのごく短い期間でしたが加えて頂いたのです。 冨田氏は今は天に帰られましたが、奥様であられる富田 節氏が今回の四国集会にも参加して下さって、霊の戦いをともにしていただいたのも三十数年前からの神の不思議な導きを改めて思い起こし感謝でした。


○中部地方の方からの来信です。
 いつも「はこ舟」感謝しつつ、拝読、かつ朝夕の祈りに貴兄の伝道のお働きのことを他の教友にあわせて覚えている者です。小生、4年ほど前、目の手術のため片方の目を失明し、視力0・2の視覚障害者になりました。…現在八十二歳に近づき、目の衰えを自覚するに至りました。新聞はじめ読むものを極力減らし、必要最小限にしぼるよう努力しています。
 「はこ舟」もあきらめようと、一度は考えたのですが、五月号の中「憲法を変える問題」を読み、考えが変わりました。これは絶対止めてはいけない。否むしろ、「はこ舟」のために祈りを深めなければならない、著者をつよめ、導き給えとのねがいを深めなくてはならない、どうにかしてこの「はこ舟」が用いられ、この国の為政者を動かし、今のあり方を根本から変えなければならない、考え方を根本から変えさせねばならないと強く思った次第です。(小泉首相の靖国神社参拝に際して、奉書に筆書きして、諸国つまり中国、韓国との平和を計るべしと、意見を具申しました)…

・高齢であるにもかかわらず、日々祈りに覚えていて下さることは感謝にたえません。そして日本に福音の真理が広がるように、国の方向が正しい方向に進むようにと切実な願いを持っている方がおられるのがわかります。神はそのような心からの願い、神の国(神の御支配)が来ますようにとの祈りを聞いて下さることを信じます。

○関東地方からの来信です。
 「はこ舟」を毎月感銘深く読ませていただき、悲しいときは励ましを、さみしい時はお慰めを頂いて大変感謝しています。昨年夫が天に召されました。十数年の闘病生活で、その間に十数回の入退院・通院でございました。そのような時、実姉が、「はこ舟」をカバンの中に入れてくれて、看護の間や待合いの時間に大変読みやすいからと紹介してくれたのでした。今年はじめの号の「道」という詩ではとくに感銘を受けて、自分が今まで歩んできた道の不思議を感じたものでした。…

・「はこ舟」のような小冊子の利点の一つは、このようにどこかに出かける時に持っていくと、本のように重くなく、かさばることもないので、だれでも持ち運びできることにあります。書物に比べて内容はごく少ないものですが、それでも神が用いられるときには、この方のように心のどこかに触れることもあるのだと思われました。すべては人間のわざでなく、「石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができる」神のはたらきによるのであり、神の御手を待ち望むばかりです。

○近畿のある方からの来信です。
 この五月から主日の礼拝を自宅で守ることが許され、感謝しています。いまは、夫婦で聖書はマタイ福音書を学んでいます。どのようにして進めていくか考えてみましたが、小さな家庭集会として始めていくことに導かれました。…たどたどしい歩みですが、み言葉を信じていきたく思っています。

・キリストを信じる者は、「二人、三人私の名によって集まるところに、私はいる」との主イエスの約束を信じることになります。会堂なく、組織なく、牧師なく、集まる人が少なくとも、そこに主イエスがともにいて下さるとき、なくてならぬ唯一のものがあるのであり、それはエクレシアであり、神の「教会」なのだといえます。新約聖書において、「教会」と訳された原語であるエクレシアとは建物を表していることは一度もなく、主イエスを中心とする集まり、主イエスによって呼ばれた人の集まりを意味するからです。
2002/6

私たちを守るもの    2002/5

 私たちは様々の危険のうちにある。病気や事故、また社会的な不安からくる危険もある。そして目には見えない悪の攻撃を受けること、正しい道からはずれるという危険もある。
 そのようなただなかで何が一番私たちを守ってくれるのだろうか。それは、主の平和である。神からくる平和(平安)である。この世の平和とはまったく異なる主の平和が与えられるとき、私たちはさまざまの誘惑からも守られ、また苦しみに出会っても新しい力を与えられ、希望を持ち続けることができる。
主は近くにおられる。どんなことでも思いわずらうことを止めなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神にうち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るであろう。(ピリピの信徒への手紙四・7)


st07_m2.gif新緑
 五月は初々しい緑の季節。冬枯れの木々も見違えるような生き生きした新緑に包まれる。そこにあふれる命の力は、この世の奥深くに存在する命を暗示している。そして次々と野草や花壇の花も開いていく。その細かなつくりや美しさをみるとき、この世界の背後にある、永遠の美というべきものをやはり象徴しているようである。
 青い空、白い雲、それらの織りなす日々変わっていく風景、それらもまたそのかなたの清められた世界を指し示している。

ここも神の み国なれば
天地(あめつち)み歌を うたいかわし
岩に木々に 空に海に
妙なる 御業(みわざ)ぞ 現れたる

ここも神の み国なれば
鳥の音(ね)花の香 主をばたたえ
あさ日、ゆう日 栄えにはえて
そよ吹く風さえ 神を語る
(讃美歌九〇より)


st07_m2.gif味わい、見よ! 詩編三四編より

どのようなときも、わたしは主をたたえ、
わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
わが魂は主を賛美する。
苦しむ人よ、それを聞いて喜び祝え
わたしと共に主をたたえよ。
ひとつになって御名をあがめよう。

わたしは主に求め、主は答えてくださった。
あらゆる恐れから救い出してくださった。
主を仰ぎ見よ、そうすればその人の顔は輝く…
苦しむ人の呼び求める声を主は聞き、苦難から救ってくださった。
主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けてくださった。

 神を讃美するということは、よほど神からのよきものを与えられた経験をしないとできないことです。それが五節から十一節に記されています。
 この詩の作者は、個人的な深い経験があったのがうかがえます。それは

「わたしは主に求め、主は答えてくださった。
 あらゆる恐れから救い出してくださった。」

との表現からわかるのです。信仰とは、つねに個人的な経験がその基礎にあります。他人の経験や意見でなく、自分自身の苦しみや孤独、なやみのなかで神がして下さったこと、それが原点にあるのです。
 そうした苦しみのとき、その叫びを神は聞いて下さった、という体験がなければいくら書物で研究しても、議論しても唯一の神のことはわからない。
 この作者は、苦しむ人をいかに神が愛をもって助けて下さるかの実感を、「神が天使を送り、その天使が苦しむ人の周りを取り囲んで、助けて下さった」という言葉で表しています。
 神は私たちの切実な願いや叫びに対してそのままで放置しておくことはなさらない。答えて下さる神である、そして私たちがただ仰ぐだけで、神の光を私たちにも注いで下さるお方であると言っています。これは生きている神、いまも私たちの苦しみやなやみを知ってくださっているということなのです。

 こうした個人的に神の助けと答えを深く体験したゆえに、つぎのような勧めと結論がなされるのです。

味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、主に信頼する人は!
主の聖徒たちよ、主をおそれよ。
主をおそれる人には何も欠けることがない。…
主に求める人には良いものの欠けることがない。

 神はいかに良きお方であるか、その恵み深さ、愛の深さは味わうことができる、霊の目で見ることができるというのです。主に信頼することの中にこそ、真に永続的な幸いがある、祝福がある。そしてこの詩の作者が経験したところでは、私たちが真剣に神を信じて、畏れをもって神を仰ぐとき、何も欠けることがないと言えるほどに満たされるという経験を与えられることになりました。
 これは神と心が結びついた人の共通した経験なのです。
 詩編のなかで最も有名な詩編二三編にはそのことが心に残る表現で記されています。

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。

この世は、欠けていると思わせることが実に多い。新聞を見てもいろいろの悲しむべき事件が生じています。そうした状況は自分自身についても同様で、いろいろと自分の仕事の問題、健康上のこと、将来の心配、家族の問題などなど、「欠けることがない」などと心から言える人はほとんどいないと思われます。
 しかし、この詩の作者は、現実に存在する敵対する者がまわりにいても、そこから主に求め、祈って神の驚くべきよき力が与えられたのです。


主は、正しい人(神に従う人)に目を注ぎ、助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。…
主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される。
主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。
主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し
骨の一本も損なわれることのないように、彼を守ってくださる。…

主はその僕の魂を贖ってくださる。
主を避けどころとする人は、罪に定められることがない。(詩編三四編より)

 この詩の終わりの部分で、再び苦しむ者の叫びを聞いて下さる神として強調されています。繰り返し、弱く苦しめられている者の叫びには必ず耳を傾けて助けて下さると言います。これがこの詩の作者の確信となっているのがわかります。
 そして自我のうち砕かれた人、生まれながらの自分を高しとする心が砕かれた人に近く、そのような心は自然に悔い改めて神へと向かうようになりますが、そのような心にこそ近くにいて下さり、救って下さる。 ここには、主イエスがこの詩の書かれた時代からはるか後の時代に、つぎのように述べたことを思い出させてくれます。

ああ、幸だ。心の貧しい者は!
天の国はそういう人たちのものだから。(マタイ福音書五・3)

 この言葉にある、「心の貧しい」とは、この詩でいわれている、心砕かれた人、悔い改めた人ということです。

 なお、「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。」という箇所は、英語訳のなかには、つぎのように訳しているのもあります。

主は落胆している者に近くおられる
主は、あらゆる希望を失った人たちを救われる。

The Lord is near to those who are discouraged;
He saves those who have lost all hope.(Today's English Version )

 さらにこの詩の作者は、
「主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し
骨の一本も損なわれることのないように、彼を守ってくださる。」

 と述べて、ふつうの人の考えることとは大きく異なって、主に従って生きる正しい人ですらも、災いが重なるとまで言っています。神を信じること、神から愛されるとは、決して何も苦しいことが生じないのではない、かえって苦しみや悲しみが多くなることすらある。
 しかし私たちには大きな希望があります。それはここで言われているように、いかなる災いが次々生じて来ようとも、神は必ず守って下さる。その魂が神の国の味わいを感じるようにしてくださるということなのです。
 そしてこの詩の最後に、最も深い問題、すなわち罪のあがないと赦しのことが置かれています。それはこの詩の作者が罪の問題の深さと重大さを知っていたことがうかがえます。

主はその僕の魂を贖ってくださる。
主を避けどころとする人は、罪に定められることがない。

 私たちの魂をあがなうお方、それは神です。新約聖書にはその神からあらゆる力を受けていた主イエスが十字架で処刑されることによって、信じる人たちの魂をあがなって下さったという事実があります。
 こうしてこの詩は新約聖書の最も重要な真理、十字架上で神の子キリストが私たちの罪をあがなって下さったことを指し示しているのがわかります。


st07_m2.gifクローン人間

 クローン人間とは、ある人と全く同じ遺伝情報を持っている人間をいう。このような人工的に同じ人間を体細胞から作るなどということは、以前では想像もつかなかったことで、科学者の間でも不可能とされていた。しかし、一九九七年に初めてイギリスで羊のクローンが作られてから、人間にもそのことが応用されるのではないかと案じられている。
 クローン人間を作るには、男性または女性の体細胞から核を取り出し、女性から卵細胞を取ってそこから核を取り除く。そうして体細胞から取り出した核を卵細胞中に入れる。そしてその細胞を女性の子宮に移植して出産させると、もとの体細胞の持ち主である親と全く同じ遺伝情報を持ったクローン人間が生まれる。 羊でできたのだから、人間にもできることになる。そして体細胞を女性からとると、女性だけからでも、クローン人間は生まれることになる。このような技術が使われると、人間を尊重しない風潮がますます甚だしくなると案じられる。そして生まれたクローン人間の親は誰なのかという問題も生じる。普通に生まれる子供は父と母とそれぞれから遺伝子を半分ずつ受け継いでいる。だから父母は科学的にみても、半分ずつ関わっている。しかし、クローン人間では、体細胞を持っていた人の遺伝子を生まれる子供もそのまま持っているのであって、卵細胞を提供した女性の遺伝子は関わっていない。
 こうした従来は考えたこともないような問題が生じるほかに、このような処置の過程で遺伝子に何らかの損傷を受けると、生まれる人間に悪影響を生じるという可能性もある。
 例えば、最近報道された内容でいえば、世界で最初の体細胞クローン羊を作ったイギリスのイアン・ウィルムット博士は、これまでに作られたクローン動物すべての遺伝子に何らかの異常があるとの調査結果を発表した。博士は世界のクローン動物を追跡調査した結果として、胎盤が四倍に肥大しているとか、心臓の欠陥、体が巨大化すること、発育障害、肺の異常、免疫機能不全などさまざまの異常があったという。それゆえ、博士は「果たして正常なクローン動物がいるのだろうかという疑問に行き着いた」という。(「毎日新聞四月二九日」)
 こんな状況を生み出すクローン人間の技術であるが、医学的にそれを利用して移植用の細胞や組織、臓器を作ることも考えられている。
 しかし、全体として見ればこうした技術は科学技術によって人間を操作する方向へと向かい、人間のいのちが軽んじられる方向になるだろう。自然のままの川や野山が本来の姿であり、それが全体としてみれば最も人の心をも潤すのであり、人工的に公園を作っても、雄大な流れの大河や海、自然の広々とした海岸風景などには到底及ばない。
 それと同様に、全体として考えるとき、女性一人だけでも子供を作ることができるなどというきわめて自然に反したことを実行するということからは、さまざまの予期しない難問が生じることが考えられる。
 医学に用いられるといっても人間の心において重大な悪影響が予想される状況であればそうした方向は決して好ましいことではない。科学技術は概して自然に反したものを生み出していく。自動車にしても人間の体は時速百キロで激突することなどには到底耐えられないように作られている。だから自動車が衝突することで、深刻な傷を人間は受けてしまうか死んでしまう。科学技術が生み出した原子力エネルギーにつきまとう、放射線にはもともと人間は感知することもできないから、防御もできないように作られている。放射線を多く受けると、癒しがたい深刻な病気となって苦しまねばならなくなる。
 現在の深刻な問題となっている地球温暖化、大気汚染なども同様で、自然に反したことを大規模にやっていくのが科学技術であり、(言うまでもなく科学技術からさまざまな利益も受けているのであるが)どうしても人間に害悪をも与えていく。
 クローン人間の問題が、ほかの科学技術のことと大きく異なっているのは、新しい生命が誕生することとその生まれた生命はずっと後々まで子孫を産み、永久的な影響をもたらすということである。もし、遺伝子的に障害を受けるなら、それはずっと将来もついてまわることになるし、新しい命がそのような誕生のゆえに精神的にも不安定となる可能性もある。
 クローン人間ができるとどうなるのか、詳しいことを知らなくても、同じ人間を作ることは大変な混乱が生じるのではないのか、人間を動物のように勝手にどんどん作っていくのではないか、などなど、いろいろと案じられている。
 こうした問題においてキリスト教ではどう考えるのか。神だけが新しい生命を誕生をさせることができるのであって、クローン人間についても、受精卵が増殖していき、生物として成長していくのは人間がするのでなく、もとからそなわっていた力によってそうなっていくのであり、その成長させる力や遺伝子そのもの、遺伝子を構成している化学物質などは人間が作ったのでない。天地創造の主である神が造ったのである。人間が科学技術の力で作り出したものも、みな、もとはといえば人間が存在するまえから、そうした物質は神によって創造され、物質世界のさまざまの法則も人間の存在のはるか以前から、神によって創造されていたのである。科学技術の産物はそうした神のつくった科学法則を用い、神の創造された物質を用いているにすぎない。それらを工場や研究室で、造りかえるときに使う法則も人間が作ったのでなく、天地創造のときから存在している法則をある時に誰かが見いだしたということである。
 このように考えると、科学技術のさまざまのことも、いわば神の手のひらの上で行われていることだといえよう。この神の手の上にいながら、あたかも人間がすべてを握っているかのような傲慢に陥るなら、必ず罰を受けるだろうし、神の手の上にあることを自覚してそこから神のために用い、神にひざまづく謙虚な心をもっているときには、神はそのような人間を必ずいかなる科学技術の悪影響にもかかわらず、救い出されることであろう。
 多くの人間が自然を求めても、この世の力が押し流していく傾向にある。クローン人間というものもそのうちにどこかで作り出され、だんだん広がっていくことも可能性としてはある。こうしたことに漠然と不安を感じる人も多い。そしてその不安は相当現実的に起こりうることである。
 もし私たちが人間の力だけしか信じないとすれば、こうした人類の未来はまことに暗雲のたれ込めた状態といえる。
 しかし、キリスト者はこのような状況を知った上でも、希望が与えられている。クローン人間は遺伝子的にまったく同じ人間だからといって、悩みとか悲しみは同じではない。置かれた状況がそれぞれに異なってくるからである。生後の環境によっても大きく人間の心は変わっていく。
 環境すらそのように変えていくのだから、万能の神の力が働くことによってどのようにでも変えることができる。私たちが信じる神は何でもできる神である。天地創造をされ、いまも万物を支え導いておられるからである。
 クローン人間が、いかに遺伝子的に同じであっても、神は新しい霊を注ぐことができる。新しい創造と言っているほどである。キリスト教の最も重要な弟子となったパウロも、キリスト者を迫害し、殺すことさえしたというのに、キリストに出会って、主の力を受けて、全く新しく造りかえられた。
 遺伝子が同じであっても、神はその人間を霊的にはまったく異なるように造り変えることができる。
 殺人のような重大犯罪を犯してもなお、心からなる悔い改めによって、そうした悪事とはずっと縁がなかった者のように変えられるのと同様である。死んだ者すら、死して三日にもなる人間すら造りかえて新しい命を吹き込むことができることを考えればそのこともうなずける。
 
 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる。(ピリピ書三・21)

 私たちの世界には、クローン人間のようなさまざまの不可解なこと、あってはならないようなことが生じていく。その先はどうなるのかという漠然とした不安が生じてくる。しかし、聖書に記されている神は、万能の神であっていかなるそうした思いがけないような事態が生じてもなお、私たちに希望の光を与え続ける神なのである。


st07_m2.gif憲法を変える問題

 憲法のどこが問題なのかよくわからないで、なんとなく戦後五〇年以上も経ったのだから変えたらよいだろうなどと思っている人が多い。住んでいる家も五〇年も経ったらリフォームしたり、立て替えるのが当たり前だ、衣服も何十年も着られない、車でも何でもある程度使ったら新しいのに替えなければなどといったような気持ちで、憲法をも変えないといけないなどと考える人が多い。
 しかし、現在問題になっている憲法を変えるかどうかということは、衣服とか家、あるいは車などとは根本的に違う。憲法がうたっている最も重要ないくつかのこと、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重などは、普遍的な真理を持っているのであって、古くなるということがない。
 ことに現在一番問題となっている、平和主義ということは、聖書でははるか数千年も前から人類の究極的なあり方だと記されているほどである。今から二千七百年ほども昔に書かれた旧約聖書のイザヤ書という書物ですでにつぎのように記されているのは驚くべきことである。

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(イザヤ書二・4)

 現在の憲法は太平洋戦争において、日本が広大な中国やフィリピン、インドネシア、ビルマ、タイなどアジアの広い地域において戦争を行い、数千万の人々を殺傷したこと、そしてそこでは無数の人々が家族を殺され、障害者となり、人生を破壊された人、家族の平安を奪われた人などはかりしれない害悪を及ぼしたという深い反省に立って作られている。それは憲法の前文を見ればわかる。

再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し…
日本国民は恒久の平和を念願し、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…
我らは平和を維持し、…
我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
我らは…自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって…

 このように、「平和」とか戦争をなくすること、自国中心に考えて他国を侵略してはならないなどという言葉が繰り返し現れる。ここには、太平洋戦争のような悲劇が二度と起こらないようにという切実な気持ちがにじみ出ている。そしてその目的のためには、最も根源的な道は武力を持たないこと、いっさいの戦争を捨て去ることである。それゆえにその道を取ったのが日本の憲法なのであった。
 この平和憲法に反対する人は、武力で守る必要がある理由として、警察を不要とする人はいない、だから軍隊も必要だという人がいる。
 しかし、警察は国内の犯罪者を取り締まるのであって、警察によって、数百万人が殺されたとか、警察が大空襲を行ったとか、あるいは無実な人が、家庭を無数に破壊されるとか、広大な世界が戦火に遭うだとかはあり得ない。内戦による大規模な殺害なども、軍隊が主となって行われてきたのであって、警察ではない。
 また、ある国が警察の人員をふやしたからとて、他国が競争して警察の規模を大きくしていくなどということも考えられない。 
 他方、軍隊が動き出して、戦争となるときには、数千人どころか、数万、数十万といった人々が殺されたり傷つけられたりしていくことすらあるのであって、警察と軍隊とを同列において、警察が不可欠だから軍隊も不可欠だなどというのは、こうした事実を十分に考えていないからである。
 そして軍隊の場合は、一国が軍備を増強すれば、隣国も触発されて多大の軍備増強に向かうということは歴史的にもよくあったことであるし、現在もインド、パキスタンとの核兵器装備など多く見られるところである。
 日本が今後も守られていくためには、戦後五十年余り他国を軍事力で脅かすこともなく、実際に戦争にも参加することなく、平和主義を守ってきたその方針を守り続けることである。それが真の意味で日本を守るのである。
 軍隊を造って、アメリカの言うままに、世界のどこにでも軍艦を派遣してアメリカと共同して戦争に加わるという方が、はるかに危険性が高い。軍隊を用いないで、平和主義で一貫していくことこそ、世界につねに新たなメッセージを送り続けることになる。
 人間を本当に大切にしようとする考えからは戦争は生じない。戦争によって数知れない人々が死んだり、障害者となったり、家族を奪い取られたりするからである。
 万一侵略されることがあっても、武力でなく、ねばり強い反対の意思を表していくことこそ、最も力ある守りの道である。
 憲法が全く問題がないかといえば、変えるのが望ましいような点ももちろんある。例えば天皇に関する内容が憲法の冒頭にあるというのは、不適切である。天皇は象徴にすぎないのであって、それが憲法の最初にあるというのは戦前において、つぎのように天皇が絶対的とされていて、天皇に関することが最も重要なものとみなされていたため、憲法の最初に置かれていたことからきている。天皇にかんすることは、もっと後に位置づけするのが適切である。
 それから環境問題のような戦後かなり経ってから次第に大きい問題となったことについての条項を入れることも望ましいことであろう。
 しかし、こうしたことは、現在のままであってもとくに大きな不都合はない。環境に関することもそのための法律を制定し、国や地方の政治を行う上で、いくらでも力を注ぐことはできるのである。
 しかし、憲法の平和主義を変えることは、きわめて重大な問題を引き起こすことになる。去年問題になったアフガニスタン攻撃にインド洋まで自衛艦を派遣したが、後方支援という名でアメリカの戦争に加わることになっていくなら、それは戦争そのものに巻き込まれることを意味する。アメリカはまた、イラクへの武力攻撃を計画していると伝えられるが、それにも加わっていくなら、日本はイラクとも戦争をすることになりかねない。
 日本が武力攻撃されたらどうするのか、そのために有事法制という名の戦争のための法律をつくるという。しかし、日本のような戦後五〇年以上、他国に戦争をしかけたこともなく、戦争はしないというのが国是である国が武力攻撃されて侵略されるというような可能性がいったいどれほどあるというのか。
 そもそも、過去数千年の日本の歴史をとってみても、外国から突然にして侵略されたということは一度もない。十三世紀に蒙古軍が攻めてきたことがあっただけである。現在のような状況で、何にも他国を武力で支配するとか、攻撃もしていない文明国にいきなり攻め込むなど、きわめてありそうもないことである。
 それよりもはるかに可能性が高いのは、アメリカに追随して、戦争に荷担して泥沼状態になり、周辺の多くの国々からも敵国とみなされていくことである。アメリカのいうままに後方支援していくなら、世界のあちこちに敵国をわざわざつくって日本がそうした国々から攻撃を受けるという危険にさらされることになっていく。それがはるかに危険度が高い。
 そうした方向に対して、日本が平和主義を守り、軍備を縮小して、軍備費という巨大な金額を他国の福祉や医療、生活の安定のために用いていくなら、そのような国をいきなり武力攻撃などする国があるだろうか。そんな可能性はきわめて少なくなるだろう。
 軍備のためには巨額の費用がかかる。性能のよい戦闘機一機が百億円、一隻のイージス艦(*)を導入するだけで千三百億円以上というおどろくべき費用となる。
 しかもこれらは、国民の生活に有益なものをなに一つ生み出すことがない。ほかの費用、環境問題や、都会の緑地整備、品種改良とか医療や大学の基礎研究、山村の生活援助、学校の一学級の児童生徒の数を減らす、教師の数をふやすなどなどはそこに費用を用いてもそこからあらたな有益なものが生み出される。外国への教育や生活、医療などに対する適切な援助も同様である。
 しかし、軍事費用はいかに巨額のものを使ってもただそれだけで終わる。災害地の復旧などに自衛隊が働くということも、本来はそのようなはたらきのために別に部門をもうけて強化するほうがよいのであって、そうした目的のためなら、一機百億円もの戦闘機などまったく不要なのである。
 さらに、軍事費の増強は、国民生活を圧迫するだけでない。他国をも刺激して、他国も財政が貧しいのに、いっそうの軍備増強をさせていくことになり、その国の生活をも圧迫するということにつながっていくし、さらには、軍備増強は戦争の危険性を増大させていくことになる。もしもそうした軍備増強の果てに実際に戦争が生じるなら果てしない悲劇が生み出される。
 このように考えると、軍備増強の方向は闇の方向に向かっていくことに他ならない。
 現在の小泉政権の危険性はここにあるのであって、靖国神社への参拝を子供だましのような方法で、いきなり行い、周到に準備していたにもかかわらず、「今朝思いついて実行した」などと国民を欺くようなことを言っているのである。直前に中国を訪問し、かつての中国との戦争に反省しているふりをしたのに、このような方法で靖国神社を参拝強行したことで、中国の代表者が、信義を守らないとして非難したのは当然だろう。
 こうした状況を考えると、現在の憲法を変える必要はないのであって、最近の自民党や外務省などの腐敗ぶりを見るにつけても、そのような自民党が熱心にやろうとすることは国民のためかどうかがはなはだ疑わしいし、もし憲法を変えると今でさえ巨額の費用を軍事費に使っているのであるから、ますます公然とそうした方面に使おうとするだろう。そしてアメリカのいうままに世界のあちこちに戦闘機や軍艦を派遣するというような状況となって戦争に巻き込まれる可能性が一段と高まる。それこそが、日本の平和と安全をおびやかし、同時に世界の平和をも乱すことになっていく。日本が今までのように、武力によって国際紛争を解決しようとせず、平和主義を貫いていき、軍事費を削減し、それをアジア、アフリカ、中南米などの貧しい国々への福祉のために用いていくこと、そのようにすることが日本と世界の平和を実際的にも進めていくことになる。
 また、憲法を変えるという人たちは、それがアメリカの押しつけ憲法であるからと言う。しかし、日本の敗戦時のときの指導者たちは戦後日本の方向をどう考えていたか、全く国民のためを思っていなかったのである。例えば、一九四五年八月六日、広島に原爆が落とされ、一瞬にして二〇万人ほども死に、さらにその数日後、ソ連が日本に戦争をはじめ、満州地方に激しい攻撃を開始した。そしてその同じ日に、二発目の原爆が長崎に投下された。その同じ日になされた閣議では、当時の阿南陸軍大臣は「一億マクラをならべて倒れても大義に生くべきなり」と主張した。
 また、陸軍大臣の布告として、発表されたのは、「全軍将兵に告ぐ。ソ連、ついに皇国に冦す。…断固、神州護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ」というような内容であった。
 つまり、日本人がみんな死んでも、天皇中心の国家体制を守るための戦いを続けるべきだというのである。軍の指導者たちも同様な意見であった。このような驚くべき発想で戦争が行われていたのであった。
 また、日本の降伏条件を定めたポツダム宣言を受け入れる決定がされた時でも、当時の政府の考え方は国民を第一に守ることでなく、「今や、最悪の状態に立ち至ったことを認めざるを得ない。正しく国体を護持し、民族の名誉を保持せんとする最後の一線を守るため、政府は最善の努力をしつつある」というものであった。国体、すなわち天皇の支配体制を守ることが唯一の目標とされて、降伏をも受け入れるという状態なのである。
 こうした発想は、天皇が敗戦の日にラジオ放送で国民に発表したいわゆる「玉音放送」においても、同様であった。
「朕ハ、ココニ国体ヲ護持シ得テ、忠良ナル爾(ナンジ)臣民ノ赤誠ニ信倚(シンイ)シ…神州ノ不滅をシンジ…国体の精華ヲ発揚シ…」
 と言うのがそれである。天皇が最も重要なこととして繰り返し強調しているのは、国体すなわち、天皇が日本を支配するという方式を守るということなのであった。国民の生活と命のことが肝心であるのに、それらには触れてもいない有様である。
 このような考え方の者が戦争を指導していたのであるから、戦後のことも、国民を主体に考えるはずがなかったのである。敗戦後にできた内閣は、なにを第一に考えたか、天皇制を守ること、天皇が以前と同じように国家の元首として支配し続けるということを掲げたのであり、従来の秩序をできるだけ残そうということを考えたのである。当然、人々を苦しめてきた治安維持法、治安警察法などを温存していき、当時の岩田法務大臣は天皇制の議論をしようとするものには、不敬罪を適用して逮捕すると言明する状況であった。
 それゆえに、一九四五年十月に、連合国軍総司令部(GHQ)は治安維持法や治安警察法などの撤廃や、治安取り締まりの中枢であった内務省警保局を廃止し、内務大臣や警察官僚を大量に辞めさせることを要求した。これが契機となって東久邇内閣は退陣し、幣原内閣が生まれた。

 このように、当時の政府は頭の切り替えなどはできずに、明治以来の天皇中心の考えがしみこんでいたのである。彼らがどうして憲法を造りかえようなどと考えるだろうか。
 敗戦後の内閣は憲法を改正する積極的な意思もなかった。しかし、敗戦後二ヶ月後に、マッカーサーから憲法の改正を示唆されてからその方向に動きだした。しかし数ヶ月後に出されたのは、天皇が統治権を全面的に持っているということなどは、以前の大日本帝国憲法(*)とまったく変わらないものであった。わずかに、第三条の「天皇は神聖にして犯すべからず」というのを、「天皇は至高にして…」と変えただけなのである。

(*)大日本帝国憲法より
第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
第三条 天皇は神聖にして侵すべからず
第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん *)し、し此の憲法の条規に依り之を行ふ (読みやすくするために、カタカナの部分を平かなに変えてある。)

(*)総攬とは一手に掌握すること。
 
 そのような状況であったから、GHQが自ら憲法草案を作って政府に示したのであった。もし、そのとき、日本の自主性に任せていたら、明治憲法とほとんど本質が変わらないものとなっていて、もちろん平和主義、つまり戦争放棄や軍備撤廃などの条項も入ることはなかったのである。
 実際、憲法だけでなく、治安維持法や治安警察法などの撤廃もGHQ(連合国軍総司令部)の強力な指導のもとになされていった。農地改革も政府案では地主を温存させるものであったから、やはりこれもGHQが徹底した改革を指導した結果、長い間農村を支配していた地主制度が一掃されたのである。その他、婦人の解放、労働者の団結権の保障、学校教育の自由化、経済の民主化など、こうした各方面に及ぶ大改革はすべて、連合国軍総司令部(GHQ)の強力な指導のもとになされたのであった。
 これらの改革があったからこそ、学校教育も国民がだれもが中学教育まで保障されるようになり、小作人の多かった農村の苦しい状況も大幅に改善され、女性の権利や労働者の権利も認められるようになっていった。そしてこれらの改革によって日本人は現在も大きな恩恵を受けている。
 以上のように、連合軍総司令部の強力な指導がなかったら、これら一切は行われなかっただろうし、行われたとしても憲法のようにごく小規模の改変でしかなかっただろう。それらはみな、いわばGHQの「押しつけ」によって始まったのである。
 内容そのものがよいかどうかなのであって、押しつけが悪いなら、それらの教育、農地改革、経済改革、女性や労働者の権利の保障などもみな、棄てるべきものとなるがそんなことはだれも言わない。これにらっても、憲法が押しつけだから変えるなどという議論は間違っているということになる。
 肝心なことは、その内容が正しいものであるかどうかであって、それが正しいものならば、押しつけであっても、それを守り尊重していくことが重要なのである。押しつけでなく、自主的に決めたということが、国民や日本の前途に悪いものであるなら、それは撤廃すべきことである。
 日本の降伏に関する処理を決めたポツダム宣言の受け入れそのものも、諸外国から押しつけられたのである。その強力な押しつけがなかったら、日本の天皇や政府、軍部支配者たちははまだまだ数知れない国民の命を奪う戦争を続けていただろう。
 日本の憲法もまた、こうした一連の動きのなかでなされたのであって、もともと戦後の内閣は憲法を根本から変えるなどは考えていなかったのだが、そのことはこうした一連の動きを見てもわかることである。連合国軍総司令部(GHQ)の強い要求がなければ日本はまったく古い体制のままで戦後を歩むことになったのである。
 こうしたことから考えてもわかるが、憲法が押しつけだから変えるなどというなら、古い治安維持法の撤廃や農地改革、教育改革などさまざまのことも変えねばならないという議論になるがそんなことはだれも言わない。
 テロについては、げんにアメリカの世界最高の設備をもってしても去年のニューヨークの事件のようなことが生じたのである。テロとはどのように防備しても本来生じうるものである。根本的なテロ対策とは、そうした武力に頼ったり、さまざまな組織の改編とか戦争対策でなく、日本がつねに世界の平和と福祉のためにエネルギーと資金をも使っているという事実である。
 そうしたことは、個々の人間でも周囲の人たちにつねによきことを計っているなら、自然と周囲にわかるように、おのずと世界にはわかることである。そのような世界の平和と福祉のために貢献している国をテロで襲うなどということはきわめてありそうもないことである。こうした武力によらない方法こそが根本的なテロ対策であり、また戦争を起こさない、加わらない道なのである。
 このことは、新約聖書において、キリストやパウロが繰り返し述べている隣人への愛と、敵や迫害するもののためにも祈れという精神とも合致するものである。


(*)イージス艦とは、アメリカ海軍が開発した新型艦対空ミサイルシステム(イージスシステム)を装備した艦艇。強力なレーダーとコンピューター、ミサイルをもち、同時に飛来する10以上の目標を迎撃できる。防衛庁は洋上防空体制の一環として87年に導入を決定した。イージス(Aegis)とはギリシア神話のゼウスが女神アテナに与えた盾のこと。


st07_m2.gifキリストの愛・聖霊・平和

 私たちがキリストを信じ、愛しているとき、互いに信じる者同士も主にある愛をもって関わることができる。主イエスは「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」(ヨハネ福音書十四・15)と言われたが、その掟と訳されている言葉の内容とは、互いに愛しあうということであった。すなわち、神(主イエス)を愛することが原点であり、そこから互いに愛し合うこと、仕え合うことが生まれる。
 主イエスも、一番重要なこととして、神を愛し、隣人を愛することと教えて、まず神を愛することをあげられた。
 しかし、私たちが神を愛する前に、すでに主は私たちを愛されたのであって、最初の出発点は、私たちが神を愛したことでなく、神がまず私たちが気付かないうちから愛して下さっていたことである。キリストが最後の夕食を迎えるときにも、わざわざ弟子たちの足を洗うということをされた。それは主イエスの弟子たちへの深い愛の象徴的行動であった。

イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 (ヨハネ十三・1)

 このように私たちがまず神を愛したのでなく、まず神の方から、主イエスの方から私たちを愛して下さったということは、聖書で繰り返し言われている。

わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからである。(ヨハネ第一の手紙・四・19)
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。( ヨハネ第一の手紙四・10)

 パウロも同様にこのことを強調している。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示された。(ローマの信徒への手紙五・8)

 このように、まず私たちへの神の愛があった。そのことを知ると、私たちにもおのずから神を愛し、主イエスを愛する心が生まれる。そこからキリストの戒めである、互いに主にあって愛し合うということが生まれてくる。
 私たちは単に信じているだけなのか、主イエスを愛しているのかが問われている。主イエスへの愛がなければ、戒めも守れない。自分を愛してくれるものだけに好意を示そうとする、それは聖書の愛でなく、人間の好き嫌いの感情であり、それは特定の人のみに注がれる差別的な感情である。そこからは決して真実なものは生まれず、分裂や混乱、ねたみなどが生じる。
 キリストへの愛を持つことができるのは、神からの多くの愛を頂いたゆえであり、その愛によって無差別的な愛が初めて生まれる。

 まず神を愛し、キリストを愛するときに与えられるのは、真理の霊、すなわち聖霊であると言われている。この聖霊のことを、新共同訳聖書では「弁護者」と訳している。 この原語は、パラクレートス(*)というギリシャ語である。これは、「そばに呼ばれた者」の意である。そこで、「助け主」(口語訳、新改訳)「慰め主」「励ます者」」など、いろいろに訳されている。(**)
これらの訳語のすべてをもっているのが、原語なのである。

(*)para は「側に」、kletos とは、kaleo(呼ぶ)から生まれた言葉で、「呼ばれた」という意味。それで、parakletos とは、「側に呼ばれた者」という意味になる。
(**)英語でも、Comforter(慰め主)、 Helper(助け主) , Advocate(弁護する者), Counselor(助言者)、 Paraklete (原語のギリシャ語の音写)などといろいろに訳されている。

 弁護者とは、私たちが罪あると指摘され、裁かれるときでも、そばに立って私たちはあがなわれた者だと弁護してくれるお方だからである。私たちの生活のなかで、繰り返す失敗や罪をとがめられる、そうした責めから守り、いやしてくださるお方だからである。罪を赦されることが一番の慰めであり、励ましであり、力づけであり、助けることでもある。罪に沈んでいくこと、滅びゆくことから助けて下さるから「助け主」(Helper)なのである。
 この弁護者(助け主)とも言われる聖霊が与えられると、「主の平和」が与えられることにつながっている。主イエスは、聖霊が弟子たちとともにいつまでもいると言われると共に、神とキリストがその人の弟子のところに行ってともに住むともいわれ、さらに、主の平和を弟子たちのところに残し、平和を弟子たちに与えると言われた。
 このように、神、キリスト、聖霊が信じる人のもとに共にいると言われ、主の「平和」がそのことと深く結びついているのがわかる。神や復活のキリスト、あるいは聖霊が人のところに住んで下さることによって、主の平和を与えられるというのである。

しかし、弁護者(慰め主)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。
心を騒がせるな。おびえるな。
『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。(ヨハネ福音書十四・26〜28より)

 このように平和を強調しているのは、このヨハネ福音書が書かれた頃は、ローマ帝国がますますその領土を拡大しつつあったときで、時のローマ皇帝ドミティアヌス(在位AD八六〜九一年)は自分のことを「主」とか「神」と呼ばせて崇拝させることを強化していた時であった。
 他方、ローマ帝国はこの時代には、広大な地方を平定し、地中海世界の覇者となった古代ローマの支配下に保たれた平和の時代が訪れた。これを、パックス・ロマーナ(PAX ROMANA ラテン語で 「ローマの平和」の意味)という。しかし、この平和は武力と支配、搾取のうえに成り立っていた平和にすぎなかった。
 これに対してキリストは、こうした剣や人間の欲望によるによるみせかけの「平和」でなく、ゆるがない神からの平和を与えると約束されたのであった。
 聖霊が戻ってくるとき、私たちはこの世の平和とは本質的に異なる平和を与えられる。それは神が与える平和。現在の世界においてもこの問題が新たな重要性をもって迫っている。武力による平和か、キリストが約束する武力とは関係のない平和の方向を目指すのかである。

 この箇所で私たちは、主イエスが平和といって何も困難が生じないようなことだけを言っているように受け取るならそれは重要なことを見落としていることになる。
 なぜなら主イエスは私の平和を与えると言われたが、それはその平和を受けて自分だけがそこに安住するためでないことは、この平和という言葉のがどういう状況を見つめつつ言われたかを考えればわかる。
 さきほどの箇所をもう一度注意して見てみよう。主の平和を与えると約束されたがそのすぐ後で、

心を騒がせるな。おびえるな。 

 と言われている。このことは、当時の弟子たちが、恐れを感じる状況にあったことを暗示している。もし恐れがないようなのんびりした状況ならば、このような言葉を伝える必要がない。
 私たちが平和とか平安という言葉で思い浮かべがちなのは、ゆったりとして家族そろって健康であって、社会的にも穏やかな状態などである。そのような平和も感謝すべきものであろう。
 しかし、ここで主イエスが言われたのは、おそれ、おびえるような状況のただなかにおいて与えられる平和である。キリスト者たちは以後長い迫害の時代を耐えて行かねばならない。それはまさしく恐れとおびえがある状況である。しかしそのような状況にあってもひるむことなく、信仰を守り、み言葉を伝えていくためには、神からの特別な賜物がぜひとも必要であった。それが主からの平安、主の平和なのであった。
 キリストが地上からいなくなった後には、聖霊が弟子たちのところに来ることが詳しく説明されているのが、ヨハネ福音書の十四章であるが、その章の最後に、「立て、さあ、ここから出て行くのだ。」という言葉がある。しかし、実際には主イエスの教えはその後の十五章もずっと続いている。そのため、この言葉は、象徴的な意味が込められていると考えられている。主の平和を受けた者は、おのずから主のこの呼びかけを心に聞き取るというのである。自分だけでその平和を持っているのでなく、主の平和を与えられた者は、立ち上がって、各自の場から出ていき、この世のただ中で証しをするために、主の平和が与えられているという意味が背後にある。
 それほどに、主の平和というものは力あるものであり、自然とそとにあふれ出ていく本質を持っているということが暗示されている。


st07_m2.gifことば

(128)喜びの心の源
 一般に現代の人たちに欠けているのは、とりわけ、喜びの心である。その他の点ではすぐれた人たちですら、喜びの心がない。…喜びの心を妨げるのは、いつもその人の自愛心や我意や、あるいは何らかの怠惰である。
 神への完全な従順こそ、喜びをうる条件である。
 喜びの心は、神へ従順であることの偽りない証しであり、それはだれでも立てられる証しである。(ヒルティ著 「眠れぬ夜のために・上」の序文より)

・ここで言われている喜びは、ふつうの娯楽や交際、旅行などの楽しみや喜びでなく、それらとは全く別のところ、神から来る喜びのことを指している。娯楽や交際などのことが全くできないような人でも、例えば病床にあるような人でも、与えられ得るような喜びをいっている。そして聖書で約束されている喜び、使徒パウロがガラテヤ書で「聖霊の実」としての喜びに触れているが、それもこのような性質の喜びである。

(129)聖書と聖霊
 聖書知識だけでは人を救うことはできない。聖書知識に加えて聖霊の力をもってして人の霊魂は救われるのである。聖書そのものは死せる文字である。…
 聖書を学ぶ理由は、聖書によりて救われるためでない。聖霊を身に招くためなのである。聖霊が、聖書知識に点火して、死せる霊魂を活き返らせるのである。(内村鑑三著「聖書之研究」一九〇七年三月号より)

・聖書に関する知識だけでは、魂の救いに至らないのは、キリストの時代に聖書の細かな知識をもっていて人々に教えていた律法学者やパリサイ派の人たちがかえってキリストの真理を受け入れることができず、逆にキリストを殺そうとするほどに誤ってしまったことはこれを示している。この内村の言葉は、パウロの次のような言葉がもとになっている。
(私たちは)文字に仕える者ではなく、霊(聖霊)に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。(Uコリント三・6)

(130)そこでは、私たちは安らぎ、見るであろう。私たちは見て、そして愛するであろう。私たちは愛し、そして讃美することになろう。これが、終わることのない終わりに私たちの目にすることである。(「神の国」第二七巻30章 アウグスチヌス著)

  There we shall rest and see, we shall see and love, we shall love and we shall praise. …(EVERYMAN'S LIBRARY 「THE CITY OF GOD」の英訳文)

・これはアウグスチヌス(*)の大作、「神の国」の最後の部分の一節である。私たちに与えられる最終的な恵みと祝福はこのように、主の平安のうちに憩い、主のみ顔をくもりなく見ることが与えられる。それは何らの妨げなく主との交わりに置かれるということであり、さらに神へのまったき愛のうちに生きることになり、神をかぎりなく讃美するような状態であろう。それは終わることのない終わり、つまりそのような状態は世の終わりに訪れるが、この終わりの祝福された状態はもはや終わることがなく、永遠に続くという意味である。これらのことは、聖書に記されてている。その一つをあげておく。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(Iコリント一三・12 )

(*)古代の指導的なキリスト教著作家(教父)として最も重要な人物で,かつヨーロッパのキリスト教を代表する一人。その理論は中世思想界に決定的な影響を与えた。著書「神の国」「告白録」「三位一体論」など。(AD三五四〜四三〇)


st07_m2.gif休憩室

○ウグイス
 我が家では、毎日ウグイスの美しいさえずりが聞こえてきます。ウメにウグイスという言葉もありますが、ウメの咲く頃にはほとんどさえずっていなかったのですが、新緑の美しい現在では間近にその歌が聞こえてきます。ちいさな体からあのような澄んだ声、しかも大きな声が出されるのには驚かされます。自然の中からの音は水の音、風にそよぐ木々の音などとともに小鳥のさえずりは心に神の国からの水を注いでくれるものです。

○ウツギ(ウノハナ)
 五月になると、低い山地ではあちこちにウツギとそのなかまが見られます。谷間の木々の緑があふれているようなところに純白のウツギが咲いているととりわけ美しく感じるものです。ウツギ(空木)とはこの木の幹が中空なのでこの名があり、ウノハナというのは、卯月(陰暦四月)に咲くからとも言われますが、卯の花が咲くから卯月というのだとも言われます。古来、ホトトギスなどとともに、初夏の代表的風物の一つとされ、白く咲き乱れるさまは、雪、月、波、雲などにたとえられたということです。水晶花、夏雪草(なつゆきぐさ)、垣見草(かきみぐさ)その他いろいろな名前があります。
 多くの人が、ウツギという花で思い出すのは、つぎの歌ですが、現在では様々の庭木があるためか、ウツギを庭に植えているのはほとんど見かけたことがありません。

うの花の 匂う垣根に
ホトトギス 早も来鳴きて
しのびねもらす 夏は来ぬ
 
これは佐々木信綱作の「夏は来ぬ」の一節です。しかし、ウノハナには香りはなく、この歌で言われている、うの花が匂うというのは、「色が映える」とか、「生き生きとした美しさなどが溢れる」意味だと考えられます。なお、こうした意味では、讃美歌にも「星のみ匂いて」(讃美歌一一五番一節)のようにあります。
 この歌でもホトトギスとともに歌われていますが、この季節には確かに現在もホトトギスが飛来してきて、その印象的な強いさえずりを聞くことができます。


st07_m2.gifお知らせ

○第二九回 キリスト教四国集会(無教会)は六月十五日(土)〜十六日(日)の二日間、徳島市での開催です。五月三十一日が申込締め切りとなっていますので、参加希望の方は申込をして下さい。申込先はこの「はこ舟」の末尾に書いてある住所、電話などを用いて、吉村まで。
 この四国集会が、主の祝福されるものとなり、「主の平和」が参加者に与えられ、聖霊の注がれる集会となりますように。
2002/5

落ちた者    2002/4

 社民党の次の代表者になるのではと思われていた女性代議士が秘書の報酬に関する流用問題で、辞職する羽目になった。社民党は現在の平和憲法を守ろうとする政党であり、憲法の平和主義を変えようとする方向へとその道が整えられつつある現在の政治状況においては貴重な存在といえる。しかしそのホープとされていた人が見る見るうちに落とされていくのを国民は目の当たりにした。
 ある女性タレントが、新聞で彼女のことについて、「自民党の狸おやじにかみついたら、反撃を受けて一撃で倒されてしまった」というようなことを言っていた。彼女は、心身ともに相当な痛手を受けているようだ。
 政治の世界に限らず、この世では、こうしたことはよく起こる。絶えず権力や金の力などが渦巻いているのが政治や現実の社会の状況である。そこでは油断しているとすぐに倒されるし、また自分が原因で倒れることもある。
 雪印の問題も同様である。それまで好調であった企業も一部の社員の正義感の欠如や油断から、してはならないことをやりだし、それが止まらなくなる。それを外部に漏らされるとたちまち、突き落とされてしまう。プロ野球のようなはなやかな世界も数年前までたぐいまれな監督として有名であった者でも、不都合な出来事が生じるとたちまち落ちていく。そして今回の雪印のように、企業などではひとたび落ちてしまうと、もう二度と立ち上がれないということもしばしばみられる。
 聖書の世界ではどうだろうか。
 この世の世界では、裁判になるような罪とか失敗、不正によって落ちていく。そしてそれは一部のものと考えられていて、落ちこぼれとにならないようにと巧みに罪をも隠し、弱者を押しのけようとする傾向がある。
 しかし、聖書の世界では、そのような一部の者だけが落ちていくのでなく、人間がだれしも持っている自分中心の考え方、不信実、愛のないことなど、はじめから罪深い存在であって、楽園から追放された存在であり、人間はみなあるべき正しい所から落ちている者である、とみられている。滅びのなかに突き落とされた存在、それが人間なのである。この世でどんなに成功しようとも、もてはやされていてもそれでもやはり突き落とされた存在であり、滅び行くものでしかない。人間はみんなそうした自分中心の罪というなかにあり、死ぬとたしかに闇のなかに落ちていくことになる。
 こうしたすべてが落ちていく状況にあって根本的な救いの道、落ちている者を引き上げるために来て下さったのが、キリストであった。キリストは一人高いところにあったのでなく、人間と同じところに立たれて、みずからも人々から捨てられるという道を歩まれたのであった。 
 キリストは最初に故郷に近い町で、神の言葉を宣べ伝えたとき、ただちに人々の怒りを買った。

人々は皆怒って、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。(ルカ福音書四・29)

 主イエスはこうした危険な状況からその伝道の生涯を始めることになった。そしてそれから三年後、ついに裏切り者によって売り渡され、十字架にかけられて重罪人として処刑されることになる。この世から突き落とされてしまったのである。
 福音宣教に関わる者は以後の長い歴史においてこのような危険に遭遇することがたびたび起こる状態となったのである。イエスが直面した危険は、以後の歴史においてキリスト者たちが真理を伝えようとするとき、繰り返し経験されていくことの預言となった。
 主イエスを崖から突き落とそうとするこの世の力は、ずっと主イエスの生涯のあいだ続いた。
そしてイエスという存在は闇に葬られたと思われただろう。十二人の弟子たちですら逃げてしまい、筆頭の弟子すらも三度も主イエスを否定したほどなのだから。
 しかし、どのように突き落とそうとする力が強くとも、神はそうしたあらゆる闇の力にまして強い。
 殺されてこの世から抹殺されたと思われたにもかかわらず、キリストは三日目にはよみがえった。そしてその復活の力をもって弟子たちに新しい力を注ぎ、命をかけて福音伝道をする者と変えていった。
 復活とは、突き落とそうとするいかなる力にも勝利するという力である。
 キリスト教そのものが、国家権力の総力をあげて突き落とされようとしたのであった。じっさい、紀元六十四年には、当時の皇帝ネロによってローマの大火の原因がキリスト教徒にあるとされ、多数が逮捕された。それ以来、三百年近い年月にわたって、ローマ帝国の武力によってキリスト教はこの世から突き落とされようとしたのであった。
 日本の江戸時代においても同様である。やはり同じように数百年という長い間にわたって、キリスト教は突き落とされる状況に置かれていた。
 しかし、それにもかかわらず、キリスト教は落ちたままではいなかった。不死鳥のようによみがえってきた。それはキリストご自身が闇に突き落とされて三日目によみがえったからであった。キリストと結びつくものはなんでもそのような不滅の力を与えられてきたのである。
 すでにキリストはつぎのように約束している。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ福音書十一・25〜26)

 もしも、復活がなかったら、私たちはすべてこの世から得体の知れない闇の世界、死の世界へと突き落とされていくものでしかない。どんな権力者も、王者もみな同様である。
 しかしキリストの復活があり、信じる者には、その復活の力が与えられるゆえに、私たちはどのような所に落ちていったとしても、ふたたび新しい力を与えられて立ち上がることができると約束されている。

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。(イザヤ書四十・31)


st07_m2.gif同じこと
繰り返しということ)

 キリスト教の伝道においては、同じことを繰り返し告げる。キリストの真理は変わることがない。だから、当然キリスト教の文書も本質的には同一のことが書き続けられていく。
 そのことを表面的に受け取ると、また同じことが書かれていると思う人もあるだろう。しかし、キリスト教の真理においては、本質的に同じことを書くことこそが重要なのであって、読む者の関心を惹くために興味本位で書くことはキリスト教の真理にそぐわない。
 その点で、対照的なのは、新聞やテレビ、週刊誌、雑誌などである。それらはつねに目新しいことを書き続けなければならない。その理由は、単純なことである。つまり同じことを書いては売れないからである。それがどんなにつまらないこと、または、社会的に良くないこと、いまわしいことであっても、人々の関心を引くようなことであれば、書きつづける。 

 使徒パウロもその伝道の記録でもある使徒行伝で見ると、つぎのように繰り返し同じことを語り、証ししていることがうかがえる。
 キリスト教徒を迫害する指導的人物であったパウロは、迫害のさなかに天からの光を受けて、回心する。回心の後にただちにパウロはキリストの福音を宣べ伝え始めたことがつぎのように書かれている。

サウロ(パウロのこと)は、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 (使徒行伝九・20)

 また、現在のトルコ地方にある、アンテオケという都市では、つぎのように語っている。

こうして、…、人々はイエスを木(十字架)から降ろし、墓に葬った。しかし、神はイエスを死者の中から復活させて下さった。…わたしたちも、…あなたがたに福音を告げ知らせている。すなわち、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのである。…
 しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかった。だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされる。
(使徒行伝十三・29〜39より)

 ギリシャのテサロニケという都市では、パウロはつぎのように語った。
「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。(使徒行伝十七・3 )

 さらに同じギリシャの都市アテネでも次のように宣べ伝えている。

さて、神は…、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられる。それは、キリストによって、この世を正しく裁く日を決められたからである。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証を与えられた。」(使徒十七・30〜31)

 また、エルサレムで捕らえられたとき、最高法院(日本で言えば国会のようなところ)でユダヤ人相手に自分の行動を説明したときにもつぎのように語っている。


パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場で声を高めて言った。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」 (使徒行伝二十三・6)

 以上のように、パウロの最初の伝道における内容の要点は、キリストがふつうの人間でなく、旧約聖書に現れたような預言者と同列の人間とかでもなく、「神の子」すなわち神と同じ本質をもったお方であることが語られている。それは、死に勝利して復活したそのキリストにパウロが出会って変えられたからであった。そしてあたかも神があらわれるように、キリスト教徒を迫害しているパウロに現れ、パウロのいっさいを変えてしまい、彼に命じて復活のキリストを宣べ伝える者とされた。
 パウロに実際に復活したキリストが現れ、現実にそれまでの彼の信仰の根本が変えられたため、彼にとって復活を疑うということはなく、キリストの復活こそがキリスト教の伝道において最も重要なことになった。そしてその復活があったからこそ、キリストは神の子であり、神と同じ力を持っているからこそ、人間の罪をもぬぐい去ることができる。それがもう一つのキリスト教中心的内容となった、私たちの罪のためにキリストが十字架の死をとげて下さったということである。パウロは、それによって人間の罪が赦され、罪の束縛から解放されたという確信が与えられたのである。
 このように、パウロの宣教の内容の本質はきわめて単純であって、それはキリストが復活した、だからこそ神の子であり、その死は人間の罪をあがなうものであったということに尽きる。この単純な真理をパウロも行く先々で繰り返し宣べ伝えていたのであった。ギリシャの都市コリントに宛てた彼の手紙には、その二つを最も重要なことと明確に述べている。パウロはどこに行ってもこの真理を繰り返し宣べ伝えていたのがうかがえる。そしてそこには聖霊の助けと祝福がつねにあったからこそ、短期間にておどろくべき多くの人たちがキリストを信じるようになっていったのである。

最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものである。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、…、また聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと…。( Tコリント十五・3)

 ふつう、繰り返しというとつまらないと思う者が多いだろう。しかし、キリスト教そのものもこのパウロが宣べ伝えた単純な真理を繰り返し語ってきたのである。どうしてそれが飽きることなく、繰り返し語られ、しかも新しい力をもってつぎの世代にも受け継がれてきたのだろうか。
 それは、そこに聖霊が伴っていたからである。どんなに同じことを語ろうとも、そこに主がともにおられ、神の権威と力を伴わせるときにはその単純な繰り返されてきた言葉がおどろくべき力を発揮する。
 私自身も、パウロが強調している真理、キリストが十字架にかかって死んだことは私たちの罪からの解放のためであったということの簡単な記述を見て、ただそれだけでキリスト者へと変えられたことを思い出す。それは作者の文章の巧みさでもなく、知識や洞察の深さによるものでもなかった。そこに聖なる神の霊が働いたからであった。
 疲れている人、心身の弱っている人に対して、キリスト教関係の讃美がふしぎな力を発揮することがある。つい先日も、そうした人に続けて出会ったばかりである。病気で弱っていた人が、讃美歌を聞いていると、新しい力を注がれていったのである。
 讃美歌の言葉そのものは、同じ言葉の繰り返しであり、曲そのものも同じ曲を繰り返し、何十年も歌っている。にもかかわらず、その歌はあらたな力をもって、聞く人、讃美する人に迫ってくることがある。それはそこに聖なる霊がはたらくからである。 
 キリスト教の内容について私たちが書いたり、語ったりする内容もいくら繰り返しであっても構わない。そこに聖霊がはたらくとき、それはどんな目新しいことや高度な学問研究などにもまさって力を発揮する。単なる繰り返しと感じさせない力が現れる。しかし、そうした聖霊が伴わないなら、繰り返しはじつに退屈で、良きはたらきもなく、かえって真理への関心を失わせるものとなるだろう。
 他方、どんなに目新しい記述も一時的な関心をひくとか、知的な興味を満足させることはあっても、聖霊が伴わないときには、魂の救いとか霊的な力にはならない。 
 専門的な学識の深さや、あるいは百科事典的な知識でもなく、ただ聖なる霊がそこにはたらいて下さるかどうか、そこにすべてがかかっている。


st07_m2.gifアンクル・トムス・ケビン(その二)

「アンクル・トムス・ケビン」の中から (その2)
 前回にごく一部を紹介したが、何人かの方々から感想などを頂いた。そして私の周囲の人たちも子供向けのものしか読んでいないし、そのためにこの本は子供のための物語だというように思っていたというのが多かった。またずっと以前に読んだが、もう一度読んでみたいという方々もおられた。
 それで、今回もこの本の内容の紹介を続けたい。
 これは小説である。しかし、すぐれた文学作品は単なる作り話ではない。それは人間の深いところをじっさいに流れる共通の感情を明らかにし、私たちが気付かなかった清らかさや美しさ、あるいは神の愛などをあざやかに浮かび上がらせてくれる特質がある。本来なら眠ったまま、あるいは耕されずにいたであろう、私たちの魂のある部分が耕され、深められ、そして清められるのである。そして固まりかけていた心がよみがえるような思いを与えてくれるものである。

 つぎにあげるのは、奴隷のトムが慣れ親しんだ主人のもとから、売られていくときの状況である。

トムの小屋の窓越しにその二月の朝は、灰色で、ぬか雨が降っていた。打ちしおれた人々の顔には、悲しみに閉ざされた心の影が映っていた。…クローばあやはもう一枚のシャツをテーブルの自分の前にひろげていた。彼女は、…ときどき顔に手をやって、頬に流れる涙を拭いた。
 トムはそのそばに聖書を膝の上にひろげて、頬杖をついて、すわっていた。しかし何も口をきかなかった。まだ早かったから、トムの子供たちは小さな粗末なベッドで一緒に寝ていた。
 優しい誠実な心を持ったトムは立ち上がって、静かに近寄って子供たちを見た。「これが見納めだ」と彼は言った。
 クローばあやは声をあげて泣き出した。
「あきらめなきゃならないなんて、おお、神様、どうしてそんなことができるでしょう?あんたがこれから行くところについて何かわかっていたら。どんなふうに扱われるかわかってたら。奥様は一、二年のうちに買い戻せるようにやってみるとおっしゃる。だけど、ああ、河下へ行って帰って来たものなんかありゃしない。あんたは殺されちゃうだろう。栽培地じゃひどくこき使うって話を聞いたことがあるよ」
「クロー、どこにだって、ここと同じ神様がいらっしゃるよ」
「そうかね」とクローばあやは言った。
「いるとしておこうよ。しかし神様もときどき恐ろしいことをなさるものだ。私にゃ安心できないよ」
「わしは神様の御手の中にいるのだ」とトムは言った。
「何ものも神様がなさる以上のことはできないよ。それが、わしが神様に感謝するただ一つのことなんだよ。それに、売られてミシシッピ川の下流へ行くのはこのわしで、おまえや子供たちではない。おまえたちはここにいれば無事だ。何か起るとしてもわしにだけ起るんだ。
 神様がわしをお助け下さるだろう。わしにはわかってる」。

○「神はどこにでもおられる、そうしてどんなに悪がひどいことをしようとも、神はそれらすべての上におられて、最終的には救って下さる」、これが、家族と引き離され、激しい強制労働が待ち受けている南部へと売られていく絶望的な状況にある奴隷トムの唯一の希望であった。これは、使徒パウロが、つぎのように述べていることを思い出させるものがある。

 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまった。
 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いだった。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになった。
 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけている。(Uコリント一・8〜10)

 そして、こうした困難にあっても、「神は必ず助けて下さるということを知っている」と確信している。この確信もパウロの持っていたものであった。それは本当に助けてくださるかどうかわからないが一応信じるというようなものでない。「知っている」のである。信仰は単なる根拠のない希望でなく、一種の知識となる。よく知られた著作家のつぎの文もそのことを述べている。

 だれでも信仰の一時的な動揺を完全に免れるわけにはいかない。さもなければ、「信ずる」とはいえないであろう。しかし、信仰上の経験を重ねるうちに、信仰がしだいに一種の「知識」となる。(ヒルティ著 眠れぬ夜のために・上 四月四日の項より)
………………
 自分自身の悲しみに耐えて、自分が愛している者を慰めようとする健気(けなげ)な男らしい心!
 トムは、こみ上げてくるものをこらえていた。しかし彼は勇気を出して強く語った。
「神様のお恵みのことを考えようよ!」トムは…体を震わせて、そうつけ加えた。
「お恵みだって!」とクローばあやは言った。
「そんなもの私にゃ見えないよ。これは間違ってる!こんなことになるなんて間違っているよ!だんな様は借金のためにあんたを売っちまうようなことをしてはならなかったんだ。だんな様はあんたのおかげで二回以上も助かったんだ。あんたを自由にしなければならないのだ。何年も前にそうすべきだった。今だんな様は困っていなさるのは確かだ。でもそれは違うと思うよ。なんと言われても私の考えを変えることはできないよ。あんたは忠実だった。あんたは自分のことをする前にだんな様のことをして、自分の女房や子供のことよりも、だんな様のことの方を考えた。
 それなのにあの人たちは自分の苦しみから逃れるために、心にある愛や心の血を売り飛ばすあの人たちはいまに神様のお裁きを受けるんだ!」
「クロー、もしおまえがわしを愛していてくれるなら、おそらくわしたちが一緒に過す最後の時に、そんなふうに言わないものだ。なあ、クロー、だんな様の悪口は一言だって聞くのはわしは辛いよ。…
 天におられる主を仰がなければいけない。主はすべての上におられるんだ。雀一羽も御心なくば、落ちないんだ。」

○神からの恵みのことを考える、そのことは、キリスト者に与えられた特権でもある。聖歌のなかにも、つぎのような歌詞のものがある。

望みも消え行くまでに 世の嵐に悩むとき
数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み(聖歌六〇四番、新聖歌一七二番)

 苦難のときには災いや苦しみのみが心に浮かんでくる。それらをつぎつぎと数えてしまう。そのような時にこそ、過去に受けた主からの恵みに思いを注ぎ、そこからいまの苦しみや困難からもきっと助け出して下さると信じる心を強められる。
 パウロのつぎのような言葉もこうした状況を知った上で言われた言葉だと考えられる。

そして、いつも、すべてのことについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。(エペソ人への手紙五・20 )
 
 いつも神に感謝せよ、と言われてもいま困難と苦しみのただなかにあるときにはどうして感謝できようか。それができるのは、ここで言われているようにかつての神からの恵みを冷静に思い起こすことによってのみ可能なのである。

 奴隷をどうしても売らざるを得なかったシェルビー氏の夫人はそのような悲しむべきことになってしまうのを、どうすることもできなかった。彼女ができることはただ、心からの愛と祈りの心をもって、奴隷たちの前に出ること、そうして将来、買い戻すと約束することであった。つぎはそうした場面である。
………

その時男の子の一人が「奥様がいらっしゃるよ」と叫んだ。「奥様だって何もできやしない。何しにいらっしゃるんだか」とクローばあやは言った。シェルビー夫人がはいって来た。クローばあやは明らかに不機嫌な様子で椅子を勧めた。夫人はそういうことは気づかないようだった。彼女は青ざめて、憂わしげだった。
「トム」と彼女は言った。「私…」
 そして急に口をつぐみ、黙りこくっている一家の者を見て、椅子に腰を下ろし、ハンカチーフを顔に当てて、涙を流し始めた。
「まあ、奥様、もう何も、何も」
 今度はクローの泣く番だった。しばらくの間彼らは皆一緒に泣いていた。
 そして身分の高い者も低い者も、みんな一緒になって流すこうした涙のなかに、虐げられた者の悲しみと怒りはすべて溶け去っていったのであった。
 ああ、苦しみにあえぐ人たちを訪ねたことがある人たちよ、あなたは冷たい心で与えた、金で買うことができるどんなものも、真実な同情の心から流した一滴の涙ほどの価値もないことを知っているだろうか。
 「トム!」とシェルビー夫人は言った。「私はおまえの役に立つようなものを何も上げることができない。お金を上げたら、取られてしまうだろう。
 でも、本当に心から、神様の前で、私はおまえのことは忘れない、お金が自由にできるようになったら、お前の行き先をつきとめて、必ず、すぐにおまえを連れ戻しますからね。その時まで、どうか神様を信じていておくれ!」

………………………………………………………………
○売られていくトムはただ、神にのみ望みを託していた。そして今後の過酷な生活をもそれによって耐えていくことができると信じていた。神は信仰を持つからといって困難や苦しみに会わせないという保証はない。しかしそうしたあらゆる困難からも、必ず共にいて助け出してくださるということを確信していたのであった。
 そして、自らの力ではどうすることもできない夫の事業の状況のゆえに、夫の手によって所有している奴隷が売られていくことに耐え難い思いをもっていたシェルビー夫人もまた、神に望みを託していた。この物語に現れるキリスト者たちは、奴隷を所有していた立場にいた者も、売られていく奴隷も、そして逃亡奴隷を危険を犯してかくまって、逃がしてやる人たちも、真剣なキリストへの心、信仰を持っていて、その信仰が生きて働いているのが感じられる。

 トムの売られていく状況と並行して描かれているのは、やはり売られることに決まった若い女奴隷と子供のことである。この女奴隷はエリザという。彼女がシェルビー氏の家から売られる寸前に命がけで逃げ出して氷の流れる危険な川を渡り、迫り来る追っ手から逃れて、倒れたところを救い出されたことは前回に少し記した。つぎはその助けられた家での出来事である。

 エリザは自分を介抱してくれる、その家の夫人をじっと見つめた。
「奥様」と彼女は突然言った。「奥様はお子さまを亡くしたことがおありでしょうか?」
この問は思いがけなかったし、まだ生々しい彼女の心の傷に深く触れた。それはこの家の一人の愛らしいヘンリーという子供が葬られてから、やっと一ヶ月がたったきりであったからである。
「では、私の気持ちをおわかり下さるでしょう。私は二人の子供をつぎつぎに亡くしました。この子だけが残りました。しかし、この子が売られようとしたのです。もしそんなことになれば私は生きていけないと思いました。それでこの子を連れて夜逃げたのです。追いかけてきた人たちにもう少しで捕まるところでした。私は冷たい水を流れる氷の上を跳んで川をかろうじて渡ったのです。最初に気がついたときに一人の人が私を助けて岸にひきあげてくれたことです。」…
 エリザを助けた人の家は、上院議員のバード氏の家であった。彼は逃亡奴隷をきびしく扱うようにという法案を通過させるのに力を入れた人物であるが、その夫人のメアリは奴隷の苦しみに深く感じる人であった。そうしたところにエリザが運ばれてきたのであった。
 そしてエリザの苦しみと非常な命がけの逃亡の旅を聞いて、バード氏も心を動かされた。そしてエリザを自分の地位が危なくなるようなことをしてでも、逃がしてやろうとするのであった。
 そしてこの死ぬかも知れないと覚悟しつつ、幼い子供とともに逃げていこうとするエリザへの思いやりが生まれてきた。

 彼は扉の所で、ちょっと立ち止って、少しためらいながら言った。「メアリ、おまえがどう思うか知らないが、あのタンスには、亡くなったヘンリーのものが、いっぱいはいっていたはずだね」そして彼はそれだけ言うと、扉をしめて出て行った。
 妻は彼女の部屋に続いた小さな寝室をあけて、ローソクを手に取り、タンスの上に置いた。それから鍵を取出してそっとタンスの鍵穴にあてて、突然手を止めた。…バード夫人はそうっとタンスをあけた。
 そこにはいろいろな形の小さな服やエプロンや、靴下などがはいっていた。爪先がすり切れた一足の小さな靴さえ中からのぞいていた。おもちゃの馬やこまやまりもあった。
 それはバード夫人が、愛児が亡くなったとき、涙をながしながら張り裂けるばかりの心で集めた形見の品であった。彼女はタンスのそばに腰を下ろし、頭を抱え、涙が指を伝ってタンスに流れるまで泣いた。
 そして突然頭を上げると、急いでなるべくきれいで役に立ちそうな品を選んで、それを集めてひとまとめにした。
「お母さん」とそれを見ていた、彼女の子供が、やさしく彼女の腕に手を触れて言った。
「誰かにおやりになるの?」
「可愛い子供たち」彼女は優しくしかも真剣に言った。
「もしあの可愛いヘンリーが天国から見ているとしたら、私たちがこんなことをするのを喜んでくれますよ。普通の人にこれをあげようとは思いません。でもね、母さんは、私よりももっと苦しみ悲しんでいる一人のお母さんにあげるのですよ。神様がこの品物と一緒にお恵みを下さるように」
 自分の悲しみをすべて他の人の喜びへと実らせていく清らかな魂がこの世にあるものである。そういう魂をもっている人のこの世の望み(子供)は、多くの涙とともに土に埋められても、それは種のようにやがて花を咲かせ、芳香を放って、よるべなき人々や悩める人々の心の傷をいやしてくれるものなのである。
 今、明かりのそばにすわって、そっと涙を流しながら、頼るもののない放浪者(逃げている奴隷のエリザ)に与えるために自分の亡き子供の形見を揃えている、思いやり深い婦人はそうした人間の一人なのである。 …バード夫人は大急ぎで小さいきれいなトランクにいろいろなものを入れて、それを馬車に乗せるようにと夫に言ってから、エリザを呼びに行った。彼女は子供を抱いて現れた。急いで馬車に乗せると、エリザは馬車から手を差し出した。それにこたえて出されたバード夫人の手と同じように柔らかく、美しい手であった。
 エリザは大きな黒い瞳に、はかりしれない真剣な意味をこめてバード夫人を見つめて、なにか言おうとした。彼女の唇が動いた、一、二度言おうと繰り返した、が、声にはならなかった。― そして決して忘れることのできない表情で天を指さして、崩れるように座席に腰をおろして顔を覆った。戸が閉められ、馬車は動き出した。

She fixed her large, dark eyes, full of eanest meaning, on 'Mrs. Bird's face, and seemed going to speak. Her lips moved,--she tried once or twice but there was no sound,--and pointing upward with a look never to be forgotten, she fell back in the seat, and covered her face. The door was shut, and the carriage drove on.

○エリザはバード夫妻からの特別な愛情を受け、逃げていくことができた。このような追いつめられた弱い女奴隷の心には万感胸に迫るものがあっただろう。そして彼女ができたことはただ、無量の思いをこめて恩人を見つめ、天にいます主を指し示して、神からの祝福を祈って別れることなのであった。

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 南北戦争という悲惨な戦争も引き起こすことになった奴隷差別問題、そのあとで、奴隷解放令が出されたが、このような歴史的な状況から生み出された小説はおそらく二度と書かれることはないであろう。それゆえに、少しでもこうした小説の内容に触れていただきたいと思った
 前回述べたように、トルストイが特別にこの本を高く評価し、またスイスのキリスト教著作家のヒルティが、最も書いてもらいたかった書物としてあげているのは、この本の内容にある。この世の悪や罪などを描くことだけにおわっている通常の小説などと根本的に違うのは、この本が、そうした現実の悪のただなかにおけるキリストの愛と光が示されている点である。


st07_m2.gifどこへ行くのか

シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」(*)(ヨハネ十三・36)

 このヨハネ福音書における言葉は、弟子のペテロが、イエスはこれからどうなるのかという単純な質問だと思ってはいけない。そこにはさまざまの問題が秘められているのである。 

 どこに行くのかという問いは私たちの奥深くにある。生きている間も私はこのまま生きていってどこに行くのか、自分の人生はどうなるのか、どんな状態になっていくのか、死ぬときはどうなってどこで死ぬのだろう、死んだ後はどこへ行くのか…等などである。
 明日のことも誰一人確言できないのがこの世である。大会社であっても、不正が発覚して数ヶ月もしないうちに会社が消えていくという事態にもなる。政治家も同様である。今をときめくような力を持っていた者もそうした不正が暴露されると、たちまちかつて想像したこともないようなところへと赴かねばならなくなる。
 さらにこの人間社会全体はどこに向かっていくのか、環境汚染問題、温暖化、資源枯渇などなど真剣に考えると将来、人類はどこに行くのかという大きな問題に突き当たる。
 地球や太陽すらどこへいくのか、という問題があり、五億年、十億年といったきわめて長い時間を見るなら、地球や太陽の死という問題すらはるかな前途には控えているのである。
 こうした様々の分野で「どこへ行くのか」という問いかけは生じる。その中で究極的問題はやはり、私たちは死ぬとどこへ行くのか、死のかなたに何があるのか、という問いである。
 なぜなら、環境問題にしても、地球や太陽の「死」ということですら、究極的には「死」の問題であり、死のかなたには何にもないのか、それとも何かが存在するのかという問題に直面する。
 こうした身近な毎日の生活や個々の人の人生だけでなく、あらゆる問題は最終的にはどこに行くのかという問いかけをつねに私たちに投げかけてくる。
 人間全体は、どこへ行きつつあるのか全くわかっていない。科学者も同様であって日本で最初にノーベル賞を受けた湯川秀樹氏も単に将来については暗い、不安を持っているだけであった。
こうした本来あらゆる人間が持っている、「自分はどこへ行くのか」「この世界はどこへ行きつつあるのか」というようなすべての問題の究極的な解決は、死に勝利したキリストが与えてくれる。主イエスが行くところは、無ではない。闇ではない。死後の不気味な沈黙や恐ろしい霊たちのいるような世界でもない。
 それは、光であり、真実であり、慈しみそのものである神、永遠の存在者である神のところへである。死んだらこのような輝かしいところに行くとは当時はまだ確信はなかった。弟子たちにとっては、死んだらどうなるかという問題については、最大の疑問符のままであった。
 イエスが行くところは、イエスを信じる者もまた行くことができる。イエスがこの世に来るまでは人間は究極的にどこに行くのかわからなかった。旧約聖書の世界ですらそれははっきりとはわからなかった。
 そうした全世界の人類があいまいであった問題に明確に答えたのが、キリストであった。キリストこそは道であり、真理であり、命そのものであるという宣言がそれである。そしてその道によって父なる神のもとに行くという宣言である。 
 キリストを信じて、道であるキリストによって父のもとに行くためには、重要なことがある。それは自分というものが砕かれねばならないということである。ペテロは「あなたのためなら命をも捨てる覚悟がある」とすら言い切った。しかし、キリストの行くところ、すなわち神の国に行くために不可欠なのは、そうした自分というものが砕かれることであるのをペテロはまだ知らなかった。自分の弱さや罪を思い知らされ、あらゆる誇りが一掃されなければ本当にキリストの行くところには行けない。自分の力でそうした自我をうち砕くことはできないので、キリストの十字架を信じて自我の罪を拭って頂かねばならないのである。

わたしの父の家には住む所がたくさんある。…行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
(ヨハネ福音書十四・2〜3より)
 この箇所は、キリストがいるところ、すなわち死後の天の国に信じる者も迎えられて、キリストと共にいるという約束であると考えられる。しかしそのような死後の問題だけを言っているのではない。十三章の三十一節から始まる、最後に残す教えは、どれも単に死後のことを述べたのではない。すべて現在のこと、弟子たちがキリストの死後にいかに生きるべきかという問題であるからである。キリストは死んでも父のおられる霊的な家(場所)にいる。そして信じる者もキリストのいる霊の家にともに住むことができる。「あなた方を私のいるもとに迎える。私のいる所にあなた方もいるようになる」これは、二十三節の「私を愛する人は私の言葉を守る。私の父はその人を愛し、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む」といわれていることと同じことを別の表現で表していることなのである。
 我々人間は、そしてこの世界や宇宙は、究極的に「どこへ行くのか」、この問は万人の問である。意識しなくとも、人生の歩みのどこかでこの問が浮かび上がり、その答えを探そうとする。しかし大多数の者は、その答えを得ることができないで老人となり、真の平安を知らないままにこの世から去っていく。
 ペテロがキリストに向かって発したこの問いに対するその答こそは、私たちが究極的に与えられたいと欲しているものにほかならない。
  
(*)この言葉は、新約聖書の外典である、ペテロ行伝(**)のなかに出てくる。そしてこの書物のペテロの言葉をもとにして、有名なポーランドの作家、シェンケビッチの代表作は「クォ・ヴァディス」という題名をとってい。「主よ、どこへ行かれるのですか」というのはラテン語では、ドミネ、クォ ワーディス Domine, quo vadis ? という。ドミヌスとはラテン語で「主」という意味、その呼格が、ドミネ Domine となる。 qou は英語のwhereで、「どこ」、ワーディスは「行く」というラテン語 vado の二人称単数形。 )
(なお、新約聖書の外典とは、新約聖書のうちには含まれなかったが、古代によく読まれていた文書。ペテロ行伝は、紀元二世紀の終わり頃に書かれたと考えられているから、古くから知られていたのがわかる。)(**)ペテロ行伝のなかからこの「主よ、どこに行かれるのか」という箇所を含む部分を下に引用する。

 ペテロは悪意をもった人々によって殺されそうになる。そこで、彼の身を案じる人は、使いをペテロのもとに走らせ、事情を明かした上で、ローマから去るようにと言わせた。他のキリスト者たちも、ローマを去るよう説き勧めた。そんな彼らにペテロは、「ローマから逃げ出せというのか」と言った。すると、「いえ、逃げるのではありません。あなたはこれからも主にお仕えすることのできるお方だから、別の場所に行って安全な地で、伝道して欲しいのです。」
 ペテロは兄弟たちに説得され、ねらわれているのは自分一人だといって、誰にも自分のために苦しませたくないからと、一人でローマの町を出て行った。
 ペテロが市の門を通り過ぎようとしていた時、主イエスが向こうの方からローマの町に入って来られるのを見た。それを見て、ペテロは、「主よ、何処へ行かれるのですか」(Domine, quo vadis ?)と尋ねた。主は彼に答えた、「私は十字架に掛けられる為、ローマに入って行く」。
 ペテロは驚いて彼に問い正した、「主よ、もう一度十字架に付けられるつもりですか」
「そうだ、ペテロよ。私はもう一度十字架に付けられるために行くのだ」と答えた。そう答えて、主は天に昇って行かれた。
 ペテロは非常な驚きに打たれて見送った。しかしその後でハッと我に帰った。
「私は人問的な思いわずらいにとらわれて、主の御心が何であるか問おうとしなかった。これまで大切な事は主の命じられた通りにしてきたし、少なくとも主に力づけられてから行動した。
 私は不信仰なことをした。それでまたもや主を十字架につけてしまうところだった」と自分の罪を悔い改め、ローマに帰った。(新約聖書外典 ペテロ行伝・三五より)


st07_m2.gif休憩室

○なぜ、バラ科なのですか?
サクラやウメはバラ科なので、アンズもきっとバラ科でしょう。何でバラ科なのでしょう、と毎年思います。全然バラと似ていないから。学者達の考える事は分からないとよく思います。(大阪の読者から)

・大阪のある方からの質問です。私たちが神の創造された自然に向かうとき、深く知るほどに奥がいくらでも深いのを知らされます。サクラやウメがバラと似ていないのに、どうして同じバラ科なのか、というようなことも、実はより深く観察すると、確かに似ているのです。
 バラというとき、華麗な大型の園芸のバラを思い出しますが、野生のバラが元にあります。野生のバラとして代表的なのが、ノイバラ(野イバラ)であり、ほかにテリハノイバラ(照り葉 野イバラ)もあります。ふつうに野バラといっているのはこれらを指すことが多いのです。このノイバラの花とウメやサクラの花を比べると確かに外見的にも似ていると感じるはずです。 
さらに細かく見ると、バラ科では、葉が互生(*)すること、托葉(**)があること、花が両性(おしべとめしべがある)、かつ放射対照であること、さらに、がくは5枚、で花弁(花びら)も同数、つまり5枚あること、そして雄しべは多数ある。(10〜20本)などといった共通点があるのです。つまり、よく似ているのです。
 花の色、葉の形、大きさ、などがずいぶん違っていても、上のような共通点によって同じグループの植物だとわかるのです。
 このようなより詳しい自然(植物)に関する知識も、いっそうそれらを創造された神への思いを強めてくれることにつながります。自然に関する知識も私たちが信仰なければ、自慢とか誇りにつながることが多いのですが、それらの奥深い自然の背後に、神の御手があることをつねに思うとき、神の栄光をたたえる心へとつながっていきます。

(*)ゴセイ 植物の葉が茎の各節に一葉ずつ付いている。
(**)タクヨウ 葉の付け根にある葉のようなもの。

○五つの惑星が並ぶ!
 四月中旬から五月中旬頃まで、水星、金星、火星、木星、土星が並んで見えるというめずらしい状態になります。ただし、水星は太陽にごく近いので、晴れている時、注意深く西の空を見ていないと見つけることはできません。これらのうち、金星と木星は強い輝きなので、晴れてさえいれば、必ず見つけることができます。夕方の西の空の低いところに強い輝きで光っているのが金星です。それよりもっと高いところに見える強い輝きの星が木星です。この二つはまずだれでもが夕方薄暗くなろうとするころに西の空をみるとわかるはずです。


st07_m2.gifことば

(126)絶えざる祈り
 神との交わりには、特別の時刻や時期(朝夕など)や姿勢や身振りなどを全然必要としない。反対に、最も簡単な言葉、あるいはただ心に思うだけで十分である。いろいろな外的な用意はかえって妨げになることが多い。
 最も大切なのは、われらの主とたえず心のつながりを持つことである。使徒パウロはこれを「絶えず祈る」といっている。
 祈りは単純、かつ誠実に、すこしも形式にこだわらずに、なさねればならない。それだけでなく、なお祈りに対する神の答を聞くことができなくてはならない。そのためには、日常の騒々しさや利己心にすこしも妨げられない、微妙な心の耳が必要である。(ヒルティ 眠れぬ夜のために 上・一月二十一日の項)

○ここでヒルティが最も重要だと述べていること、「我らの主とたえず心のつながりを持つ」 ということは、キリストのよく知られたぶどうの木のたとえと同じことを意味しています。

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。(ヨハネ福音書十五章より)

 このことが、「絶えず祈る」ということの本当の意味だと言っているのです。そして、この絶えず、主と心のつながりを持つというところから、自ずから導かれることが、神からの答えを聞き取るという姿勢です。神(主イエス)との霊的な交流を持っているならば、当然神からの語りかけもあり、それを聞き取る耳も持っているということになります。

・原文のニュアンスを知り、ヒルティのいわば肉声に少しでも触れたいという方がいるようなので、「祈りは単純…」以降の原文をあげておきます。 Mann muss nicht bloss einfach, aufrichtig und ohne jeden Formalismus, bitten, sondern auch die Antwort horen konnen. Dazu gehort ein feines , vom Gerausch des Tages und der Eigenliebe ganz unbehindertes inneres Ohr.

(127)一日のはじめに
 主イエス様、この一日を始める前に
今 わたしは あなたのところにまいりました。
あなたに触れていただくためです。
どうか あなたの目を
わたしの上に しばらくのあいだ注いで下さい。
あなたの確かな友情が、
今日のわたしの労働と共にありますように
騒音のあふれる砂漠のようなこの世界にあって
あなたへの思いが絶えることがないように
どうか わたしをあなたで満たしてください
あなたの祝福する日の光が
わたしの思いの高みを満たしますように
そして わたしを必要とする人々のために
わたしに力を与えてください
(「祈り―信頼の源へ―」 マザー・テレサ ブラザー・ロジェ共著」より)


st07_m2.gif返舟だより

○「主よ、憐れみたまえ」の祈り  
 インターネット・メールの「今日の御ことば」(*)の、イザヤ書三三章2節の御ことばの学びには、とても恵まれました。「憐れんで下さい」という祈りには、こんなに深い思いがこめられているなんて、思いもしませんでした。字面(じづら)だけの意味でしか、使っていませんでした。喜びも悲しみも、そして願いもこめられている祈りなんですね。それに、自分にはどうしようもなくて、ただイエス様におすがりするしかないという、本当の謙遜な心の状態が、現れている祈りですね。
 教えていただき感謝でした。学びを頂戴して以来、この御ことばを祈りの度に、使わせていただいております。私は、家族の事でここ数年、重荷を負っていますので、御ことばが心にしみます。
 神様にお頼りできる幸いを感謝せずにはいられません。 (インターネット版「はこ舟」読者。関東地方の全盲の方) 

(*)「今日のみ言葉」は、私(吉村)が、毎月数回、インターネット・メールで希望の人に送っているものです。み言葉とその英語訳、それについての簡単な説明、そして季節の野草などの写真とその説明などを付けているものです。
 ここで言われている「今日のみ言葉」は、今年三月七日に送信した内容についてのものです。「はこ舟」読者には、インターネットに未接続の方もかなりおられるので、三月七日の内容を下に引用しておきます。(植物の記述は四月十一日のものです)
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今日のみ言葉 60 「朝ごとに」  (イザヤ書 33:2)

主よ、我らを憐れんでください!
我々はあなたを待ち望む。
朝ごとに、我らの腕となり、
苦難のとき、我らの救いとなってください。

LORD, have mercy on us,
we wait for you.
Be our arm every morning
and our salvation in time of distress.

主よ、憐れんで下さい!という叫びは、新約聖書にも、いろいろみられます。例えば、二人の盲人が主イエスが来たのを知ると、大声で叫んでこういったのです。
「主よ、憐れんでください!」 
 追いつめられた人々、地位も、学問も、また金もない人たち、そのような弱い立場の人たちにも与えられていること、それはここにあるように、主に向かって、「憐れみたまえ!」と祈ること、叫ぶことです。
 この叫びは、どんな状況にある人にもできることです。健康な人、病気の人、また地位の高い人、低い人に関わりなく、大人、そして子供、老人などなど、だれでもできます。
 そして、病気の苦しみで、また人間関係のあつれきによって、あるいは、仕事の上の問題とか、生きるとは何であるのか、分からなくて苦しんでいるとき、そして誰もがそこに向かっていると言える死が近づいているときに、私たちの魂の深みから生じる叫びはこの「主よ、憐れんで下さい!」という叫びなのです。
 私たちの日常生活で、いろいろの罪を犯すとき、そのような罪の赦しを願う心もまた、「主よ、憐れんでください!」ということです。神の憐れみによってのみ、私たちの罪は赦され、清めを受けるからです。
 朝ごとに、私たちは罪や悪の力に負けないように、新しく神の力を与えられる必要があります。それゆえ、「主よ、どうか私たちの腕となって下さい、私たちの力となって下さい…」という祈りが自然なものとなります。そして主はそのような願いを聞いて下さるのです。
 主よ、憐れみたまえ!という祈りは、私たちの祈り、願いを最も簡潔に現したものといえます。
 ミサ曲の中にも、「キリエ、エレイソン」というのがあります。これはギリシャ語で、「主よ、憐れんで下さい!」( kurie eleeson)という意味なのです。この短い一言のなかに、私たちの悲しみも苦しみもまた、願いも込めることができるのです。

(ここに植物の写真がある)
ジロボウエンゴサク 02.03.26 徳島県海部郡
 山の渓流沿いにしずかにその可憐なすがたを見せていたものです。小さい植物ですが、誰しもがこの花を見れば近寄って見ると思われます。私は県内のあちこちを移動することが多いのですが、この植物は一箇所でしか見たことがありません。滅びないで生き続けてほしいものです。
  関東地方以西,四国,九州などに分布。次郎坊えんごさくという名前は、一部の地方ではスミレを太郎坊と呼び,これを次郎坊と名付けたと言われます。
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○三月号の「アンクル・トムス・ケビン」についての紹介文について返信がありましたので、その一部をあげておきます。
1)三月号のストー夫人による、「アンクル・トムス・ケビン」のところは感動のあまり、繰り返し輪読させて頂きました。…(関東地方の方)

2)このたび、S兄から関西無教会小史と○○をお送りくださり、吉村兄から「はこ舟」四五四号をお送り下さり、ありがとうございます。
 実は私は三月十日(日)集会の当番の折りに、讃美歌21の二一一番(朝風静かに)を選び、ストー夫人のことに触れ、シュバイツァーと野村先生のことについて語ったばかりでした。その直後、両兄からそれぞれストー夫人に関する文章と○○をご恵送いただき、見えざる糸で結ばれているのを感じました。両兄にあつくお礼を申し上げます。…(九州の読者から)

・右の来信によれば、三名がほぼ同時に、ストー夫人のことについての文章とかコメントを全く離れた別々のところで書いたり話したりしたとは不思議なことです。ストー夫人が「アンクル・トムス・ケビン」に主にうながされて注いだ内容を現代においても、浮かび上がらせるようにとの主のお計らいのように感じたことです。

3)「アンクル・トムス・ケビン」、なんという美しい内容でしょう。私は原作は読んだことはなく、子供向けに書かれたものと、かなりよくできていると思うテレビ映画だけです。今このストー夫人の勇気と信仰の本、「アンクル・トムス・ケビン」を読もうとしてももう体力的にも、目にも無理になってしまいました。日本語訳の本が高価だということは残念です。家に帰ったら原書を買って、トムと少女エヴァの言葉と思いだけでも、読めたらいいと思います。エヴァが死が近づいたのを予感したときの表現、キリスト者はこのように、死を迎えられたら何と嬉しいことでしょう。原作の一部を読ませていただいてありがとうございました。(関東地方の方)

4)「アンクル・トムス・ケビン」についての説明で、素晴らしい本であることを認識させられました。(関東地方の方)
2002/4

神の喜ばれるもの

 聖書に示されている神は、決して難しいことを要求されない。本来私たちがだれでも、いつでもできること、すなわち幼な子らしい心をもって、神を仰ぐことである。
 この単純なことを最も神が喜ばれるということは驚くべきことであり、大きな福音である。
 これは、罪をおかしたときにも赦しを求めて神を仰ぐことであり、喜ばしいことがあったときも感謝を捧げて上を仰ぐことであり、生きる道に迷うときには、歩むべき道を示したまえと仰ぐことであり、苦しみのときにも救いといやしを願って主を見つめて祈り願うことである。
 このような単純なことを、最も神は喜ばれ、それを待っておられる。
 このことは、キリストより数百年も昔にすでに預言者によって言われている。
地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五・22)

 
上を仰ぐ、心からなる愛のまなざしは、それを受けられる神のがわからは、たしかに最もきれいな型通りの祈りより、もっと値打のあるものである。
 われわれもまた、小さな子供や、さらに小動物のそのような物言うまなざしを、どんな美辞麗句よりも愛するのである。
(ヒルティ)


st07_m2.gif善の宣伝(宣べ伝えること)の重要性について

 この一年ほどは外務省や自民党にかかわる不正に国民はたえず驚かされてきたと言えよう。新聞、テレビなどのマスコミもそうした不正を報道し、外務省や自民党が少しでもその悪を止める方向に進むようにと、世論を導こうとしてきた側面もある。しかし、多くの週刊誌などは鈴木宗男代議士のことを大々的に取り上げることで、かつてないほどに売れるという商魂からやっている側面も強くみられる。
 外務省に関わる数々の驚くべき不正や嘘を知らされ、国民はあらためて、外見がいかに立派そうでも内面はまったく別だと言うことを思い知らされている。
 マスコミがいくらこうした不正を報道しても、そのことも必要なことであるが、それだけではこの不正の根源はどうすることもできない。こうした明白な嘘、悪の行いを報道することによって、国民は悪を退ける力が少しでもつくだろうか。逆である。悪をつねに見せつけるほどにかえって人間は悪に引き込まれてしまうからである。今まで外務省を他の省庁よりもランクの高いものとして見ていた国民も、なんだ、外務省も他と同じか、それ以下だとの思いを抱いただろう。そして結局人間とはこんな嘘や不正が当たり前なのだと思って、悪の力に引き寄せられる気持ちになってしまう場合が多いのでないか。
 そうした点から考えると、マスコミは日本中に悪の力がいかにつよいか、いかに日本の中枢にまで浸透しているかを大々的に宣伝していることになる。
 しかし、人間に本当に必要なのは、悪の宣伝でなく、善の宣伝である。善の力、真実の力がいかに強いかといとうことを知らされるのでなければ、悪を宣伝するほどに人間は悪へと傾斜していかざるを得ない。
 そういう意味で、キリストが宣べ伝えたこと、

神の国が近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。(マルコ福音書一・15)

というメッセージの意味の深さを知らされる。神の国とは神の正義と真実による御支配であり、そのような御支配がキリストが地上に来られたこととともに近づいて、いますでにここにある。だからそのキリストを受け入れ、救い主として信じてその喜ばしい知らせを信じよということなのである。これは、神の力、すなわち宇宙をも創造して今も支配している力であり、人間の深い悪、罪をもぬぐい去る力の到来を宣べ伝えることであって、現代のようにマスコミによって悪がくまなく宣伝されている状況においては、とりわけその重要性を感じさせるのである。
 聖書を注意深く読んでいくと、そこには善の力がいかに強いか、いかなる悪にも勝利する力であるかがじつにさまざまの方面から詳しく書かれているのに気付く。現代のような悪の宣伝が洪水のようにあふれている時代にますます神の言葉たる聖書の重要性が浮かび上がってくる。


st07_m2.gifアンクル・トムス・ケビン(アンクル・トムの小屋)から

 このアメリカのストー夫人(*)による小説は、世界で最も大きな影響を与えた小説の一つだろう。それはアメリカの奴隷解放に大きな影響を及ぼした。この小説は深いキリスト教信仰に基づいており、かつ著者自身が奴隷制の悲惨さをも見て、実際に逃亡奴隷を助けることにも関わったし、何とかしてこの悪の制度を変えねばという、信仰に基づく情熱的な心で書かれている。
 それゆえ、この小説は決してたんなる子供向けの物語でなく、社会的な悪に対してキリスト者はいかに対処するべきなのか、国家そのものが悪をなしているときに、その悪い法律に盲従していいのか、というきわめて社会的な、そして困難な問題をも同時に含んでいるのである。ここには、聖書に記されているように「人間に従うよりも、神に従うべきだ」(使徒行伝五・29)という、悪との戦いの精神がにじんでいる。
 しかし、残念なことに、日本では、子供向けに簡略にした物語としてしかほとんどの人は知らないし、大多数の人は、この物語の全体を(簡略版でなく)、大人になって読んだことがないと思われる。しかし、この小説には、単にアメリカの黒人奴隷の解放に関わる歴史的な重要性があっただけでなく、現代の私たちにとっても、キリスト者のあり方についても心に響く内容が多くみられる。
 その中には、その時代においてどうしても必要であったから、神が書かせたのではないかと思われるような雰囲気が流れている。
 これは、もともと奴隷制に反対する立場の新聞に連載されたもので、最初から現在のような形で書き始められたのでなく、彼女によると終わりの方の内容から浮かんできたという。
 この小説を書くきっかけは、義妹によって、「奴隷制がいかにいまわしい制度であるかを、国中が感じるようなものを何か書いて欲しい」と、熱心に頼まれたことであった。大きな影響を持つようになった書物とか仕事は、しばしば自分からの発意でなく、他人からのうながしや暗示によると言われるが、この小説の場合もそうであった。それは、神が義妹を用いて、ストー夫人にこの小説を書くように導いたと言える。
 この小説が出版されるとたちまち世界的に広がり、数多くの版が現れ、海外の訳も出た。出版されてから二十七年ほど経った一八七九年の時点で、イギリスの大英博物館には、アンクル・トムス・ケビンには、絵入り本なども含めて、四十三種類もの版が出版され、十九種類の翻訳が置かれてあったという。
 以前に販売されていた、角川文庫とか新潮文庫本などの入手しやすい全訳本が現在ではなくなっていて、新訳もあるが、かなり高価な本(**)となっているので、一般的ではない。それでこの本の中から印象的な内容を短いコメントを付けて抜粋してみる。なお、英語の原書は現在でも数多くの版が出版されていて、インターネットで簡単に入手できる。日本語訳を持っている人は、比べながら重要箇所を参照することで、ストー夫人の直接の表現に触れることができる。(***)

(*)ストー夫人 Harriet Elizabeth Beecher Stowe (1811―96) アメリカの女流小説家。牧師の家庭に生まれる。聖書に基づくキリスト者の立場から『アンクル・トムの小屋』(1852)を書き、奴隷制反対の感情を全米的に盛り上げ、南北戦争の気運を促進した。この小説は一八五二年刊。出版後一年で30万部以上を売り尽くし、十年たらずの間に三百万部が読まれるほどになって、世界的な名声を得た。ケンタッキーなどの農園を背景に、黒人奴隷トムがたどる悲惨な境涯が、トムの深いキリスト教信仰を軸にして語られている。一時はやさしい主人セント・クレアとその娘エバのもとで幸福に暮らすが、二人の死によりふたたび売られて悪魔のような奴隷商人レグリの手に落ち、鞭(むち)と責め苦で非業の死を遂げる。この小説に対してなされた、奴隷制を擁護する人たちの激しい攻撃に対し、作者は『アンクル・トムの小屋への手引』を著し、この物語の真実性を例証した。
(**)「新訳 アンクル・トムの小屋」明石書店刊 628ページ 六五〇〇円
(***)例えば、アメリカのSignet Classic シリーズの「Uncle Tom's Cabin」は1966年の初版以来、四十年近く経った現在も発行されていて、700円ほどで購入できる。

 アメリカで、黒人奴隷を持っていた人が、会社の倒産によって奴隷を売らねばならなくなった。そのジョージという名の奴隷はやはり黒人奴隷のエリザと結婚していた。自分たちが売られていくことを知った、ジョージはひそかに命がけの脱走を計画する。

「何をなさるつもり?ジョージ、悪いことはなさらないでね。あなたが神様を信じ、正しいことをするように努めていれば、神様があなたを救って下さるわ。」
「俺は、おまえのようなクリスチャンじゃないんだよ。エリザ。俺の心は苦しみであふれている。俺は神様なんぞ信じることはできない。なぜ、神様は世の中をこんなふうにしているんだ」
「ジョージ、私たちは信仰を持たなければならないわ。私たちに悪いことが起こっても、神様はできるだけのことをしておられるのだと、信じなければならないって、奥様も言っておられたわ。」………
「エリザ、俺のために祈っておくれ。おそらく、神様はお前の言うことは聞いてくださるだろう。」
「ジョージ、あなたも祈って。そして神様を信じていて下さい。そうすれば、悪いことはしたくならないはずよ。」

○当時の黒人たちにはおよそ神などいないと思われるような理不尽なこと、暗黒の力に支配されているかのような悲惨なことがたくさんあった。しかし、不思議なことに、そうした苦しみと悲しみとそして重い労役のただなかにおいても、愛の神を信じる人がつぎつぎと生まれていった。
 ここに現れるエリザという女も同様であった。どんなに苦しみが生じてもなおかつ神の愛と導きを信じ続けていくところに、悪に打ち倒されない力が生まれてくるのであった。

○奴隷トムを所有していたのは、やさしい主人(シェルビー氏)であったが、商売の仕事がうまくいかなくなって、どうしても所有している奴隷を売らねばならなくなったのである。その時にその夫人がつぎのように述べている。
 
「こんなふうに、愛するエリザたちを売ってしまわねばならないとは、これは奴隷制度に対する神様ののろいだわ。むごい、あんまり、むごい、ひどいこと。…私たちの国の法律のもとに一人でも奴隷をおいておくことは、罪悪なのです。私はそれをいつも感じていました。子供のときからもそう感じていました。教会に行くようになってからは一層強く感じました。…奴隷制度が正しいものだと考えたことがないこと、奴隷を持つのは気がすすまなかったということはご存じのはずよ。…」(第五章より)

○この物語の主人公である、奴隷トムの特徴はつぎのように述べられている。

 彼が特にすぐれていたのは、祈りであった。その祈りは、心を動かす率直さと幼な子のような熱心をもってなされ、聖書の言葉が豊かに息づいていた。
 彼の生命の中には、聖書の言葉がすっかり消化され、彼自身の一部となり、ひとりでに彼の口から、無意識のうちにしずくのようになって出てきたのであって、そのような祈りはなにものも及ぶところではなかった。
 彼の祈りは、聞く人の神へと向かう心に強く働きかけて、彼のまわりの至るところで、共感の祈りを呼び覚まし、トムの祈りの声がまったく消えてしまうほどであった。(第四章より)

○祈りは、人を現す。いつも実際に祈っている人と、ふだんあまり祈っていない人の祈りは自ずから違ってくる。隠れたものは現れるものであって、隠れた祈りを日々続けているときには、その祈りは人前で祈るときにもその霊的な雰囲気が自ずからにじみ出るものである。
 祈りをたんに人間的な言葉をつらねて祈るのでなく、御心に従って祈るように聖書では記されている。
それゆえに、私たちの祈りのなかでもみ言葉に自然にうながされるように祈ること、み言葉をそのまま祈ることの重要性を知らされるのである。
 主イエスも、すでに祈りを多くしていたはずの弟子たちに、どんな祈りが最も深く、またすべてを包むものであるかを「主の祈り」によって示している。

○親しかった仲間の奴隷が売られることに対して、残された奴隷たちは怒った。そして奴隷を買うために来た商人が、その奴隷に逃げられていらいらしているのを見た。

「いい気味だ!」クローばあやは憤然として言った。あいつは心を改めないなら、いつかひどい目に会うだろう。神様があいつを呼びつけてお裁きになるよ。」
「あいつは、地獄に行くね、きっと」小さいジェークが言った。
「当たり前だよ。あいつはたくさんの、たくさんの、人の心を引き裂いた。…」クローばあやは厳しく言った。
「悪いことをしたやつらは永遠に焼かれるのだろう、きっと。」子供のアンディーが言った。
「それが見られたら嬉しいんだがなあ」と小さいジェークが言った。
その時、一つの声が響いた。
「子供たち!」みんなはぎくりとした。トムであった。彼はそこに来て戸口のところでそうした会話を聞いていたのであった。
「子供たち」と彼は言った。
「あんた方は自分が言っていることの意味がわからないのじゃないか心配だ。子供たち、恐ろしい言葉はいつまでも消えないものだよ。考えただけでも恐ろしいことを言っている。どんな人間に対してでも、幸いを願わなければらないよ。」
「あいつらのために祈ることなんかできるものか。あいつらはとても悪いんだから」
「草や木だってあいつらを非難するだろうよ。」とクローばあやが言った。…
「迫害するもののために祈れ、と聖書には書いてある」とトムは言った。
「あいつらのために祈れって?」クローばあやは言った。「ああ、それはあんまりひどいじゃないか。私にゃできない」
「そう思うのは当たり前だ。クロー、そしてそういう感情は強いもんだ。」トムは言った。
「しかし、神様の恵みはもっと強いんだ。それにあんなことをするような人間の哀れな魂はどんなに気の毒なものか、考えなくちゃならないよ。おまえは自分がそんな人間じゃないことを神様に感謝しなきゃならないよ。そういう気の毒な魂が、どんな目に会わされるかということを考えたら、私は本当に何万回でも売られたほうがましだ。」

○このトムの言葉のように、キリスト教の迫害の時にはいつも敵対する者のためにどうするかが問われていった。そしてキリストの霊に導かれた少数の者たちは、最初の殉教者ステパノのように、いかなる迫害のときでも敵を憎むことなく、その敵のために祈り、幸いをすら祈ったのであった。そしてそうした祈りの心は、ただ生きたキリストだけが与えることのできるものであって、彼らの祈りの背後にあったキリストが、その福音を広げていくように導いたのである。

 つぎにアメリカ上院議員のバード氏夫妻が現れ、夫人のメアリーが言う。

「この地方に逃げてくる哀れな黒人奴隷たちに飲食物を与えることを禁じる法律が通りそうだというのは本当でしょうか。そんな法律が討議されていると聞いたんですけれど、キリスト者の議員だったらそんな法律は通過させないと思いますわ。…そういう法律はあまりに残酷でキリスト教的じゃないと思いますわ。ねえ、あなた、そんな法律は通過しなかったのでしょうね。」
「ケンタッキー(アメリカ合衆国中央東部の州)から逃げてきた奴隷を助けることを禁じる法律は通過したのだよ。あの向こう見ずな奴隷廃止論者があまりやりすぎたものだから、ケンタッキー州の連中はひどく神経質になって、それをしずめるには何とかしなければならなくなったようなのだ。もうキリスト教的とか、親切とかいってはいられないのだ」
「それで、その法律ってどんな法律ですの? 逃げてきた哀れな奴隷の人たちに一夜の宿を与えることまで、禁じやしないでしょうね。温かい食物や、古い着る物を少しやったり、静かに仕事をやらせることまで禁じるというのじゃないでしょうね。」
「いや、そうなったんだよ。おまえ。…」
バード夫人は穏やかな青い眼と血色のよい顔色と、特別にやさしい声をもったはにかみやの小柄な女性であった。…しかし今、彼女は、顔を赤くしてすばやく立ち上がった。それはいつもの様子とは全く違っていた。そして断固とした態度で夫に歩み寄り、きっぱりと言った。
「ねえ、ジョーン。あなたがそういう法律はキリスト教的であると思っているのか知りたいの。」
「残念ながら、そう考えたのだ」
「ジョーン、あなたは恥ずべきですわ。かわいそうな、家庭も住むところもない人たち!恥ずべき汚らわしい法律ですわ。私は機会があり次第、そんな法律は一人で破ってしまいます。機会が与えられるとよいと思います。女として、そのような人たち、哀れな飢えている人たちに、かわいそうに一生の間、虐待され、圧迫されてきた奴隷であるという理由で、温かい服やベッドを与えてやることができないとしたら、世の中はどんなにか悪くなることでしょう。…
 ジョーン、私は政治については何もしりません。でも、私は、私の聖書を読みます。そうすると、飢えた人に食物を与え、着る物のない人には着せてやり、頼りのない人は慰めなければならないということがわかります。私はそういう聖書の教えに従いたいのです。」
「しかし、おまえが法律に反して奴隷にそんなことをしたら、大きな社会的な災いを引き起こすだろう。」
「神様に従うことは決して社会に災いを引き起こすものではありません。そんなことあり得ないということはわかっています。神様がお命じになることは、いつだって一番安全で間違いのないものなのです。」

「私、あなたがそういうことをなさるのを見たいわ、ジョーン。本当に。例えば、吹雪の中に、一人の黒人奴隷を追い出すようなことを。」
「残念だがそうする。非常につらい義務だろうが。」
「義務ですって。そんな言葉を使わないで。それは義務などでないことはわかっています。奴隷が逃げるのは、寒さや飢え、恐怖にあまりにも苦しめられ、しかも誰にも助けてもらえない時なんですよ。
 法律があろうとなかろうと私はやります。そうすれば神様は私を助けて下さるでしょうよ。」

 上院議員のジョーンとメアリ夫妻が、このような議論があった後で、逃げてきた黒人奴隷のエリザが子供とともに、寒さのために衰弱しきってジョーンの家にたどり着いた。追跡してくる奴隷商人たちの手から逃げるために、川を流れる氷の上を命がけで飛び歩いて逃げてきたのであった。
 意識不明になっていたが、正気になったとき、バード夫人は言った。

「どこから来たの?」
「ケンタッキーからきました。」と女は答えた。
「いつ?」今度はバード氏が言った。
「今夜」
「どうやって来たのです?」
「氷の上を渡って」
「氷の上を渡って来たって!」
「そうです。神様がお助け下さったから私は氷の上を渡ってくることができました。私を追いかけてくる人たちがすぐ後ろに迫っていたからです。他に方法がなかったのです。やれるとは思いませんでした。ああしなければ、死ぬだけでした。
 やってみなければ、神様がどんなに大きな力で助けて下さるか誰にもわからないのです。」

○このエリザの言葉には、作者のストー夫人自身が、逃げてきた奴隷を助けることに関わったこと、そしてその際の困難や危険をも、神の助けを与えられて導かれたという経験が感じられる。実際、ここでエリザに言わせている言葉は、現在でも生じることなのである。
 困難や苦しみのとき、どちらを選ぶかという難しい選択をせねばならない状況に置かれたととき、本気で神を信じて、決断したときにだれも予想しないことが生じた、例えば、助けとなる人が現れたり、必要な物や金が与えられたり、状況が変わって危険を逃れたり…ということである。
 私自身もそのようなことをいくつか思い出す。こうしたことを経験すると、この不可解な、謎に満ちた世界、偶然と悪が満ちているだけの世界のようであっても、その背後に驚くべき真実な神の御手が働いていることを知らされるのである。

○トムが奴隷として売られて行ったのは、セント・クレア家であった。その家では、愛する娘(エヴァ)が病気がちであった。彼女の病がだんだん重くなってきたある日のことがつぎのように記されている。死を前にして、恐怖とか不安でなく、逆に主の平安を与えられていた魂のすがたがつぎのように心に残る表現で記されている。

エヴァは心の中で天国が近づいたという静かな喜ばしい予感に確信を持っていた。
夕日のように静かな、しかも秋の明るい静けさのように美しい境地にあって、
彼女の小さな心は安らかであった。

it rested in the heart of Eva,
a calm,sweet,prophetic certainty that heaven was near;
calm as the light of sunset,
sweet as the bright stillness of autumn,
there her little heart reposed,…(アンクル・トムズ・ケビン第二十四章より)

 そしてさらに、このエヴァが自分の行くところは主イエスのもとであるということを言うが、それはつぎのように表現されている。

私たちの救い主キリストの家へ。
そこはそれは喜ばしく平和なところなのだわ。
そこでは、すべてがとても愛すべきところなの!

To our Saviour's home;
it's so sweet and peaceful there,…
it is all so loving there!


○このような、深い信仰を持っていたエヴァは、この後まもなく、天のふるさとへと帰っていく。後に残されたのは、愛する娘を失って悲嘆にくれるその家の主人(セント・クレア)であった。しかし彼は娘が深い信仰を持っていたにもかかわらず、どうしても神を信じることができない。

「トム、私は信じない、信じられない。私はなんでも疑うくせがついてしまっているのだ。聖書を信じたい、しかしだめだ。」
「ご主人様、愛の深い主にお祈りなさいませ。 …主よ、信じます。私の不信を救って下さい …、と。」
「 ……私にとっては、エヴァも、天国も、キリストも、何もない。」
「ああ、旦那様、あります!私は知っているのです。本当です。」トムはひざまづいて言った。
「信じて下さい、旦那様、どうか信じて下さい!」
「どうしてキリストがいるっていうことがわかるんだ。トム? お前、見たことなんかないじゃないか。」「私の魂で感じるのです。旦那様、今だって感じています!
 ああ、旦那様、私は年取った女房や子供たちから引き離されて売られた時には、悲しみのあまりほんとにもう少しで死んでしまうところでした。何もかも奪われたように思ったからです。
 そのとき、恵み深い主が私のそばに立って言われたのです。 …『恐れるな、トム!』 …
 主は、哀れな者の魂に光と喜びを与えて下さいます。あらゆるものを平和にして下さいます。 … …私は哀れな人間ですから、自分からこんな考えがでてくるはずはないのです。主から出た考えなのです。」
 トムは涙をぽろぽろ流しながら声を詰まらせて話した。
……セント・クレアは頭をトムの肩にもたせかけ、その堅い、忠実な黒い手をしっかりと握った。「トム、お前は私を愛してくれるんだね」と彼は言った。「私はお前のように、心の善い正直な心をもった人間の愛などを受ける値打ちなどないのだよ。」
「旦那様、私よりもずっと旦那様を愛しているお方がいますよ。恵み深いイエス様は、旦那様を愛しておられます。」
「どうしてそれがわかるんだ、トム?」
「私の魂の中でそれを感じるのです。 …『キリストの愛は人知を超えるもの』なのです。」
(「アンクル・トムズ・ケビン」第二七章より)

 奴隷トムの主人であった、セントクレアは「今も、キリストがいるということがどうしてわかるのか?見たことがないではないか。」とトムに問いかけた。これは現在もほとんど誰もが問いかけることであり、これと同様に語るキリスト者に対して不思議に思うことであろう。
 キリストは確かにおられる、それはなぜか。トムは「魂で感じる」と言っている。これも現代のキリスト者も共感する言葉であるだろう。
 信じるとは全くいるかどうかわからないのを、いるとすることである。しかし、キリスト者は単にどちらかわからないのを信じるのでなく、キリストがおられるのを、魂において実感するのであって、そこから本当の力も励ましも感じるようになる。

 「アンクル・トムズ・ケビン」という書物は、小さい字で書かれた文庫本で上下2冊、七四〇ページにもなる分量であるが、あちこちにこのようなキリストの心と聖書の精神が見られる。
 いかなる書物も、アメリカの歴史において「アンクル・トムズ・ケビン」ほどに直接的で、しかも力ある影響を及ぼしたものはない言われている。奴隷たちの受けた苦しみや弾圧を、生き生きと描いて、この本は特に北部アメリカの人々の奴隷制への反対の感情に火を付け、奴隷解放へと導く大きな力となったと言われる。
 作者のストー夫人と同時代のトルストイやヒルティなどもこの作品を高く評価したのであった。
 このストー夫人の名作は、ロシアを代表する大作家トルストイが、その芸術論で、「神と隣人に対する愛から流れ出る、高い、宗教的、かつ積極的な芸術の模範として、シラーの「群盗」、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」、ディッケンズの「二都物語」、ドストエフスキーの「死の家の記録」などとともにあげている。(「芸術とは何か」第十六章)
 また、ストー夫人やトルストイとも同時代であった、スイスのキリスト教思想家ヒルティも、この作品については、こう言っている。

 あなたはどんな本を一番書いてもらいたいと思うか。この場合、聖書の各篇は問題外としよう、同じくダンテも競争外におこう。 … …
 わたしの答えは、ストー夫人の「アンクル・トムズ・ケビン」、デ・アミチスの「クオレ」、テニソンの「国王牧歌」である。 そのあとに、ゲーテ、シラー、カーライルなどの幾冊かの本がつづき、ずっとあとに、たとえばカントやスベンサーがやって来る。(「眠れぬ夜のために下」七月十六日の項より」)
 
 書店で販売されている、世に文学作品といわれるものの中で、小説、物語などのたぐいは無数にある。しかしそれらのうちのきわめて多くのものが、たんに罪を描くのが内容となっていると言えるだろう。すぐれた人間を描く伝記文学にしても、その人間の良い点ばかりを書いて英雄視したりして、現実の人間の罪をもったすがたを正しく描かれていないことが多い。人間を偶像化して描くことはそれ自体が罪なのであって、真理にかなった書物とは言い難い。
 どうしてこのようになるのか、それは当然である。真の光、いのちの光というべきキリストを信じず、生きているキリストを実際に感じていないならば、光を指し示す内容を書くことはできないからである。
 そのようななかで、このストー夫人の作品は、この世の闇のただなかにおける、神の愛が主題となっている貴重な作品である上に、当時の社会的な大問題に正面から取り組むという広い視野をも同時に持っている内容となった。
 ヒルティがどんな作品を書いて欲しいかとの問に、この「アンクル・トムス・ケビン」を第一に上げているのも、この世で最も大切な神の愛についてこの小説が強い印象を与える内容となっているからであり、それはまさに永遠の神の言葉たる聖書そのものの主題にほかならない。


st07_m2.gif弟子たちの足を洗うキリスト(その一)

 最後の晩餐という言葉は、広く知られています。レオナルド・ダ・ヴィンチという天才画家がその場面を描いたことで、教科書にも必ずといってよいほど取り上げられてきたためです。しかし、その絵だけが知られていて、その最後の夕食のときに、どんなことを教えたのかはキリスト者がほとんどいない日本人にはあまり知られていません。
 さらに、その夕食の直前に主イエスが何をされたのかに至っては、ごく一部のキリスト者にしか知られていないと思われます。それは弟子たちの足を洗ったということです。
 
 さて、過越祭の前のことである。
 イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、愛し抜かれた。(最後まで愛された)
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
 イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り…、(ヨハネの福音書十三・1〜3)
 
 この数節にキリストの本質と使命が圧縮されています。
まず、「過越祭」(*)ということが、最後の夕食のことを書き始めるに当たって記されています。このことは、十二章の冒頭にも、「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこは死者の中から復活させたラザロがいた。」と特に書かれて、読者の関心を過越祭へと導く役割を果たしています。それは、地上に来られたキリストの目的に関わることだからです。
 過越祭において、十字架刑で殺され、血を流すことは、はるか昔の出エジプトのときの過ぎ越しのことが、霊的な意味において実現することなのだということなのです。

(*)キリストよりも千数百年の昔に、モーセがエジプトで奴隷のようにこき使われていた人々を神の導きによって導き出すとき、小羊の血を塗ったイスラエルの人々の家には神のさばきが過ぎ越したという重要なことを記念する祭り。
 あなたたちのいる家に塗った小羊の血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。 (出エジプト記十二・13)
 
 イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り…

 この短い一言は、イエスの死は、神の定めた御計画によるものであり、神の定めた時が来たから、地上の生活を終える。キリストが殺されて滅んでしまって、いなくなるのでなく、父なる神のもとに帰ることだと言われています。すべてを愛と真実をもってなされたような、神と等しいお方を、十字架につけて、重罪人として殺すこと、それが単なる悲劇とか悪の勝利でなくて神の深い御計画であって、最善のことがなされたということです。

 つぎに「愛し抜かれた」とありますが、原文は口語訳のように「最後まで愛された」とも訳される表現です。(英語訳ではそちらの方が多数を占めています。)ここにもイエスの本質が記されています。人間がどんなに不真実であってもなお、イエスは私たちをどこまでも愛し続けて下さっている。世の終わりまで共にいるということは、世の終わりまで愛し続けて下さるということです。
 この世が不正や悪や不真実で覆われているとき、ただ一つだけ、いかなることがあっても消えることなく、弱ることなく続いている愛があるということは驚くべきことです。
 パウロの言った有名な言葉、「信仰と希望と愛はいつまでも続く」というのも、神の愛について言われている言葉です。

イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り…、

 すべてを委ねられたとは、神の持っておられるすべてがキリストにあるということです。だから全知であり全能であり、また真実とか正義、愛などあらゆる神の本質がキリストにもあるということになります。このことは、すでにヨハネ福音書では、冒頭の第一章に記されています。このことを信じないときに、他の宗教も同じだなどという考え方になっていきます。
 キリストにすべてが神から委ねられているからこそ、私たちはキリストに対して神に祈るように祈ることが赦されるのです。

(イエスは、)食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。(ヨハネの福音書十三・4〜11)

 これで最後という夕食のときに、イエスがなされたのは、驚くべきこと、だれも予想すらできないことでした。それは水をたらいに汲んできて、弟子たちの足を洗い始めたということです。だいたい、足を洗うということは、現在でも、病人以外では他人にしてもらうということはふつうはまずないことです。老人の背中を流してあげるとかは耳にすることはあっても、足を洗ってあげたというのは、母親が幼児の外で遊んで汚れた足を洗ってやるというようなこと以外には、耳にしないことです。
 当時は現在のようなきれいで丈夫な履き物もなく、非常な乾燥地帯だから、足はずいぶん汚れるはずです。その上、当時はイスラエルの人にとっては汚れているとされた異邦人も多く、路上で死んだり、戦いのために血を流したりすることも多く、そのような地を歩いていく人には汚れがつきまとうということが言えます。そのような汚れを洗うというのは、そのころは非常に数が多かった奴隷のするような仕事であったと言われています。
 こともあろうに、そうした汚れに関わることを主イエスが直接にしようとされる。弟子のペテロはそんなことをメシアであり、未来の王であるようなお方がするなどとはもっての他と、「私の足など決して洗わないで下さい!」と思わず言ってしまったほどです。
 しかし、主イエスは、「もし、私があなたの足を洗わないなら、私と何の関係もなくなる。」と、これも驚くべきようなことを言われたのです。じっさいにこの場面ではこの主イエスの言葉は理解しがたいことのはずです。足を洗ってもらわなければ、イエスと関係がなくなるとはどういうことなのか、誰一人わからなかったのです。現在の私たちも、ここを初めて読んだときには、おそらくたいていの人が何のことかわからないと思われます。
 文字通りの意味で、イエスが足を洗わねば、イエスと何の関係もなくなるという意味ではないのはすぐにわかります。文字通りに取るなら、イエスが実際に足を洗えるのは、この十二弟子だけであって、他の人間はみなイエスと関係なくなるというようなことになってしまいます。そんなことはもちろんあり得ません。 それではどんな比喩的な意味がここに込められているのか。
 それは、足を洗うとは、汚れを除くということなのです。イエスによって私たちは日々の汚れ、罪を清め、赦して頂かねば、イエスとは関係がなくなる。

イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。…」 (ヨハネの福音書十三・10)

 弟子たちはいつ体を洗ったのか、体を洗ったのなら、足もきれいになったのではないか等などの疑問が生じます。この言葉を理解するには、少し後に出てくるつぎの箇所が参考になります。

わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。(ヨハネの福音書十五・3)

 イエスの話した言葉を信じることによって、その人間の本質は清められる。 なぜかといえば、主イエスの言葉を信じることは、それを語ったイエスを受け入れることだからです。
 しかし、そのようにして清めを受けても、日々の生活のなかでさまざまの罪を犯し、間違いを繰り返すのが私たち人間の実態です。そのような私たちの日々の汚れを主イエスによって清めて頂くことが、キリストによって「足を洗って頂く」ということです。
 罪が清められないのに、そのまま生活していくとき、それは神との間に壁をつくることです。そのためにますます神から離れ、人間中心の心で生活していくようになります。そのことがイエスとは関係がなくなるということです。そのことは、べつの箇所で言われているように、キリストというぶどうの木から切り離されるということです。そうなれば、枯れてしまうと言われているように、霊的な養分を受けられなくなるから実際にその人の魂は枯れていく、滅んでしまうということになります。
 
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。( ヨハネの福音書十三・14 )

 「互いに足を洗い合う」とは,現在の私たちにとってどういうことを意味するのか、それは他の箇所によってよりはっきりとこの言葉の意味が浮かび上がってきます。
 当時のユダヤ人は、異邦人を汚れた者とみなし、外国人と交際したり、訪問したりすることすら禁じていました。(使徒行伝十・28)そして動物や人間の死体に触れても汚れると考えていました。道を歩く際にはそうした汚れを受けることにつながります。そういう意味で足とは最も汚れた部分だということになります。そのような足を洗うということは、実際、だれもやりたがらないのは当然です。
 このことを、現在のキリスト者にあてはめて考えてみます。キリストを信じる者同士が、罪などに対して、それを洗おうとしないとは、その罪を見て、その人を見下したり、排斥したり、憎んだりすることです。そしてそれを洗い合うとは、互いの罪を見てもそれを祈りをもって、その罪が清められるようにと願い、罪を犯すような心がなくなるようにと祈りの心をもって対することだと言えます。
 こう考えてくると、「互いに足を洗い合う」とは、同じヨハネ福音書に現れる「互いに愛し合う」ということと同じ意味を持っているのがわかります。キリスト教でいう、愛とはこうした人間の奥深い出来事である罪を赦すというところにはっきりとその力を現すからです。神の愛もやはり、私たちの罪を清め、赦すためにキリストを送って来られた点にあると言われている通りです。

わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 (ヨハネの福音書十五・12 )

 このことは、とくに重要なことであるので、ほかの箇所でもつぎのように繰り返し言われています。

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 (コロサイ人への手紙三・13 )

互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 (エペソ人への手紙四・32)

だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。 (ヤコブの手紙五・16 )

 このようにキリストを信じる者同士の特質は、「互いに…しあう」というところにあります。その原点は、キリストがまず私たちにそのように罪を赦し、汚れたところを洗って清めて下さったというところにあります。
 こうした重要な教えは、ユダの裏切りという記述にはさまれるようにして記されています。このことは、キリストの愛は、サタンの攻撃のただなかで行われたという意味が込められています。サタンは人を攻撃し滅ぼそうとする、しかし、キリストのわざはそのただ中で行われ、神のわざであることが明らかにされるのです。現在においてもどのように、サタンが勢いをふるっているように見えても、そのただ中で、キリストの力はそのわざをなしている。そしてそのことが最も現れるのは、私たちが互いに、相手の罪をキリストからの愛をもって赦し合い、互いに祈り合うことにおいてであるとされています。そのことが神の力が泉のようにあふれていくことにつながるのだとわかります。


st07_m2.gif詩の中から

詩人の魂

彼の魂には、歌うたう小鳥がいる
そして金剛石のような思想や黄金の言葉
山、牧場、家畜の群
これらもみな、その魂のうちにある。

さらに、喜びと悲しみ、闇と光
日の光と陰、昼、夜
悪を憎む心と、正義への愛、

滅びることのない業をなそうという
永遠的で、絶えることなき祈りと
いやすことのできない渇きとは
みな、詩人の魂のうちにある

THE POET'S SOUL

Within his soul are singing birds,
And diamond thoughts and golden words,
Mountains,meadows,lowing herds,
Within his soul;

And joy and sorrow,darkness,light,
Sunshine and shadows,day and night,
Hatred of wrong and love of right;

And one eternal,constant prayer,
A hunger and a thirst are there,
For deathless deeds to do,to dare-
Within his soul.

(Robert Loveman)

○これは、内村鑑三が欧米詩人の作を日本に紹介するために編集した詩集「愛吟」の冒頭に置かれた詩である。これが最初に置かれているということは、このような魂こそ詩人のものだと内村自身が共感したからであろう。
 詩人の心とは何か。それはこのように、美しい自然に感じる心であり、魂のうちにいつも音楽がある心であり、この世の苦しみや悲しみを感じ、天来の光を受けつつ、闇の正体をも見抜く心であり、さらにそうした闇のただなかにあって永遠の光を見つめ、その光に導かれて朽ちることのない働きをなそうとする心である。主イエスは「ああ、幸だ、義に飢え渇く者は!」といわれたが、正しいへの強い願いと祈りがこの詩人の魂にも感じられる。



日がひかりはじめたとき
森のなかをみていたらば
森の中に…人をすいよせるものをかんじた(八木重吉作)

○日の光を受けて、森は育つ。その森には樹木たちが黙して立つ。ただそれだけなのに、不思議な力を持っていて、人間を引き寄せるものがある。それは沈黙の力であり、その一つ一つの樹木にいわば神によって育てられてきた時間の長い蓄積があるからだろう。そこには人間にあるような私利私欲がない。ただ神とともに成長してきた姿がある。人間は揺れ動いてとどまれない。そのような動揺ある存在は、そのゆえにこそ、動くことなく、ただ沈黙して存在しつづける木々に、森に心惹かれる。人間の集まりは騒然としてくる。しかし樹木たちの、とくに大木たちの森には森厳とした雰囲気が満ちている。



森はひとつのしずけさをもつ
いちどそのしずけさにうたれたものは
よく森のちかくをさまようている (同右)

○森の持つ深い静けさ、それは無限の静けさをたたえた神から来る。森の静けさに打たれるとは、神の静けさに打たれることである。山の持つ深い味わいもここからくる。


st07_m2.gifことば

(124)キリストがヨハネ福音書のなかで、ニコデモとの対話(*)において語っているように、神の霊は思いのままの時に、思いのままのところに、風が吹くように行くのである。
 あなたがその霊を呼ぶことはできない。(神の)霊があなたを呼ぶのである。
 いつでも、そのような呼びかけがあれば、一切をさしおいて直ちにそれに従う覚悟をしていなければならない。というのは、それは、夜の静かな時ばかりでなく、時にはちょうど多忙をきわめている瞬間にも、訪れることがあるからだ。
 その時こそ、「しもべはききます、お話しください」と言うべき時であり、その度ごとに、あなたが真と善とにおいて、大きな躍進をとげる時である。(ヒルティ著 眠れぬ夜のために下 三月十二日の項より)
(*)風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである。(ヨハネによる福音書三の八)
(**)サムエル記上三・10

○新約聖書が書かれているギリシャ語では、「風」も、「霊」も同じ言葉、pneuma (プネウマ)である。神の霊(聖霊)は、神ご自身の御計画に従って、ある人に、ある集まりに注がれる。人間的な手段ではそれを呼ぶことはできない。
 しかし、待つことはできる。キリスト教が弟子たちによって初めて宣べ伝えられるというその出発点において、弟子たちは聖霊が与えられるように祈って待ち続けるようにとキリストから命じられた。彼らはその言葉に従って祈りをもって集まり、そこで祈りを続けているときに神からの聖霊が豊かに注がれたのであった。(使徒行伝二章)

(125)聖霊を消してはならない
「聖霊を消してはならない」(テサロニケ前書五章十九節)。
 聖霊は自分一人が楽しむために我らに与えられるのではない。聖霊はその力によって神の事業をなすために我らに注がれるのである。聖霊を注がれてそれに従おうとしない者は聖霊を隠す者である。神の恵みを拒む者である。そのようなことをすれば、聖霊はついに自分を離れ去って、私はふたたびその恵みを受けることができなくなってしまうであろう。(「聖書之研究」一九〇五年 内村鑑三)

○キリストの最初の弟子たちも、聖霊を受けたとき、ただちにそれを用いて神の国のため、福音宣教を始めたのであった。神の国のために用いさせて頂くことを、つねに願って求めるとき、聖霊は与えられ、そのわざは祝福される。


st07_m2.gif休憩室

○春の花
 春には多くの花がいっせいに咲き始めます。ウメ、サクラなどの樹木の花をはじめ、スイセン、チューリップ、アネモネ、フリージャなどと花屋にもよく見られる花が多くあります。それらの色や形も鮮やかで目立つものももちろん美しさも姿も多くの心を惹くものです。
 他方、野草には、春先に山のやや湿ったところなどで咲いているセントウソウなど、純白のその花の直径はわずかに数ミリ程度ですが、手にとって見て、さらにルーペで見ればその美しさは心に残るものです。決して花屋にも出ることなく、花瓶にもいけられることもない小さい花なので、山道でしか出会うことはありません。しかし、こうした花に山の自然の中で出会うとどこかほっとするような気持ちにさせてくれるものです。人間の商魂や収集欲などに汚されない野草だからです。

「あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」(ルカ福音書九・48より)

 聖書のなかにはこのように、小さき者を重んじる言葉がいろいろあります。自然のままの人間は、たえず大きいものを求めます。大きい家、よい成績、スポーツなどでは優勝、多くの金、さらに大きい国、強力な軍備などなど。しかし、キリストの心は小さいもの、取るに足らぬようなもののなかに大きい意味を発見することを教えてくれます。

 聖書のなかにも小品であるけれども、心に残る内容のものも収められています。例えば、旧約聖書のルツ記です。ここには、信仰と勇気と愛が見られます。ルツという一人の異邦の女性がいかにして、キリストの祖先の一人となっていくかが描かれています。
 また、新約聖書のなかでは、フィレモンへの手紙は、わずかに一ページ余りの短い手紙ですが、そこにキリスト信仰はどのように人間を変えていくかが記されており、印象深い内容となっています。

○星
 春の星というとまず北斗七星です。北の空にちょうどひしゃくを立てたような形になってはっきりと見えてきますから、だれもがすぐに見つけることができます。これは星座でなく、大熊座という星座の一部分です。このわかりやすい形のため、また北極星を見つけるための手段としても、世界中で昔からどれほど多くの人たちの心をさそってきただろうかと思います。
 昔は、電気がなかったので、夜は大多数の人々にとって、室外も室内もともに真っ暗であったわけです。油を灯火として使うということは、とても高価すぎて庶民では到底長い時間を使えなかったので、夜の長い時間は本当の闇であったと考えられます。そこで星を見つめる時間もはるかに多かったと考えられます。電灯がなくともはっきりと見えるものは、星や月だけであったからです。
 日が暮れてからの長い時間は、夜空の星を見つめ、闇に輝く光のことに心を向けるための時間であったように感じられます。
 星を見ながら古代の人たちは何を考えたのだろうか。聖書の神を信じた人々は、星を通して、天地を創造された大いなる神の御手を思い起こした人たちも多かったはずです。今も、あわただしく、騒音や人工的な光が満ちている中、夜空の星たちは、「静まれ、天地創造
2002/3

神を仰ぐまなざし   2002/2

 私たちは人間に取り囲まれている。そしてそこではさまざまの言葉があふれている。そしてすぐ近くにいる人間とも、多くの言葉を交わすだろう。しかし私たちの心の最も深いところでの一致は得られない。
 人間と人間は決して全面的に一致するようにはできていないのである。そもそも人間同士は決して、相手の心や考えの奥深くを見抜くことができないのだから、たとえ親子、夫婦でも、また同じキリストの集会の一員であっても、完全に心が一致することはできないのは当然だと言えよう。
 こうした心のすれ違い、誤解、無理解などは、どんな人間関係であっても、程度の多少はあれ、だれにでも経験されていると思われる。
 恋愛関係にある男女はたがいによく分かり合ったという錯覚を持つ。しかし実際に結婚すると、いかに相互が違っているかを知らされることになる。そのために離婚も多くなる。昔から結婚は恋愛の墓場であると言われている通りである。
 人間同士は神抜きで向かい合うためでなく、私たちすべてが、まず神(キリスト)のほうに向かうことを期待されている。夜空の星があのように心惹く輝きを持っているのも、自然の数々のすがたがかくも清く美しいのも、私たちがそれらを創造した神の方向へと心を向けさせるためのように思われる。
 神を見つめ、そして神からのまなざしを感じるようになって初めて私たちは人間をも正しく見つめることができるようになる。
 神を仰ぐ心は、神に留まろうとする心であり、神からのまなざしを感じるとは、神からの命の光が私たちに向かって注がれているのを感じることであり、神ご自身が私たちのところに来て下さって、私たちの内に住んでくださるということにつながっていく。
 このことが、有名なつぎの言葉の意味でもある。

わたしの内に留まっていなさい。そうすれば、わたしもあなたがたの内に留まっていよう。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしの内に留まっていなければ、実を結ぶことができない。(ヨハネ福音書十五章四節)


st07_m2.gifキリストの改革

それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」
境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。
他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、
イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」
それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。(マタイ福音書二十一・12〜17)

 この箇所は、驚くべき記事である。
キリストというと柔和な、やさしい、愛の深いお方であると誰もが考えている。しかし、この箇所に見られる主イエスは、およそそうしたイメージとは異なっている。
 ヨハネ福音書によれば、主イエスは、縄で鞭を造って、売り買いしていた人々をみんな追い出したとある。場所は、エルサレムの神殿である。この神殿は、完成するのにヨハネ福音書によれば、四十六年も要したというものである。(ヨハネ二・20)そのような壮麗な神殿には、各地から多くの人々が集まってきていた。そのような状況のなかで行われた主イエスの行動は、驚かされるものがある。
 しかもヨハネ福音書では、この主イエスが神殿の境内で商売をしていた人たちを追い出した記事は、ヨハネ福音書全体の最初にあたる部分(二章)に記されている。その上、縄で鞭をつくって、追い出したとこまかく記されている。

イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し…(ヨハネ福音書二・15)

 これは、主イエスの使命がどこにあったかを、目を見張るような行動で象徴的に現したということができる。当時の神殿を中心とした宗教は、儀式を行うことを主として、権力や金の力と結びついてしまっていた。それは形式的な宗教となり、主イエスのはげしい言葉、「強盗の巣」ということが当てはまっていたことが推察できる。主イエスはそうした形式的な宗教を、根本から一層して、真実な心をもとにした新しい礼拝のかたちを導き入れることにあった。
 このような、実力行使というべき行動は福音書のなかでもここだけである。それだけに、ヨハネ福音書の扱い方なども含めて、主イエスは、この象徴的行動にいかに深い意味をこめて行ったかが暗示されている。過ぎ越しの祭りという最大の行事のために、ユダヤ以外からも多くの人たちが集まっていたのであり、そのような人混みのただなかで、突然行われたこの激しい行動をもし私たちが現場にいて目撃したとすれば、ものも言えないほどに驚いたのではないだろうか。世の人から捨てられ、無視されていたハンセン病とか生まれながらの盲人やろうあ者、歩けない人たち、病人などに神の愛をもって近づき、そこに深い痛みをもって彼らの苦しみをともに担い、いやされたイエス、そのイエスがこのような社会的に公然と、また権力者たちの激しい憎しみや敵意を買うことになるような行動をされたのである。
 そこには、神からの命令によって何としても、このまちがった宗教を退け、本当の霊的な信仰のかたちを作り出すのだという決意に燃えていたのが感じられる。神からの熱心の火であった。主イエスのさきがけとして来た、洗礼のヨハネが、「自分の後から来るお方(イエス)は、聖霊と火によって洗礼を授ける」(マタイ福音書三・11)と予告した通りであった。また、イエスより五百年あまりも昔の預言者が、神からの命令として受けたつぎのような言葉を連想させるものがある。

彼らを恐れてはならない。またその言葉を恐れてはならない。彼らが反逆の家だからといって、彼らの言葉を恐れ、彼らの前にたじろいではならない。たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。(旧約聖書・エゼキエル書二・6〜7より)

 大勢の人々、祭司たち、有力者たちは以前から主イエスに敵対感情を抱いていて、殺そうとはかっていたのである。そうした状況のただなかで、このような人々を圧倒するような行動がなされるなら、どのようなことが起こるか、それは理性的に考えればただちにわかることであった。しかし主イエスはそうしたことをすべて見通した上で、ただ神の言葉にしたがって行動したのである。

わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。(ヨハネ福音書五・30)

 主イエスは神殿に群がっている群衆たちや商売人たちを前にして、かれらの信仰における姿勢をつぎのようにきびしく非難された。

『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。
 神殿が強盗の巣となったという。つまり、そこは祈りを捧げるところでなく、宗教を材料として商売をして金をもうけるための場となってしまった。本来金儲けをする場でないのに、そのようなことをしてだれも何とも思わない、それは金を奪い取るようなものだとして、強盗の巣という厳しい表現になったのである。 私たちの周囲でも、このような言い方をするならば、じつに多くの場が「強盗の巣」のようになっているのに気付く。宗教も多くはまさに、金を信者をだましてまで奪い取るようなことをしている。仏教の戒名を付けるといって、多額の金銭を取るなどというのは、まさにそうした例であり、政治の世界でも最近のニュースで取り上げられて明らかになった、外務省の腐敗ぶりはひどいものがある。しかし、これも氷山の一角であろう。有名な牛乳関係の会社がやっていた偽装もやはり、一種の強盗のようなやり方である。しかし、これもまた、ほかのさまざまの種類の会社もまた同じようなことを以前からやっていたのでないかと言われている。
 そればかりでない。日本全体が、アジアなど発展途上国から、資源や自然の美しさ、労働力を奪い取ってきたという側面がある。フィリピンにはかつてゆたかな森林で覆われていた。しかし、近年は日本への木材の大量輸出のために相当部分が、はげ山になってしまった。また、以前はそれぞれの家がバナナを栽培して自分たちの食料としてつくっていた。しかし、日本への大量消費に合わせて、広大なバナナ畑となっていき、自然は破壊され、人々の生活スタイルまで壊されていったという。それは日本の豊かな生活やぜいたくのために、フィリピンの国の自然や生活までが奪い取られていったといえよう。
 神殿のような信仰の施設の根本は、「祈り」である。祈りとは、神に向かう心の基本姿勢であり、神を信じたときから、祈りは生まれる。その神が生きて働いておられる、いまも私たちを見守っておられるということを信じたなら、その神に向かって語りかけ、その神からの憐れみと赦しをおのずから受けたいと願うようになる。それは信仰と一つである。信仰なくば、そのような姿勢はなく、信仰あれば、必然的に生まれるのである。
 神を信じて二人、三人がキリストの名のゆえに集まるときには、そこに主イエスもともにいると約束されている。祈りはその場におられるキリストに向かう心なのである。
 しかしそれは決して形式的、強制的、あるいは見せかけであってはならない。そのようなものは祈りではなく、人間に宗教的だと思ってもらうためのポーズにすぎないし、それは神などいないとみなしていることにもなる。なぜなら、本当に万能の神、すべてを見抜いている神がおられるならそのような、見せかけのための祈りなどできないからである。
 私たちの集会や集会場もまた、「祈りの家」となるのが基本である。そこでは人間的なおしゃべりとか、議論の場となってはならず、あるいは勉強すら主体でなく、神にむかうまなざしを深め、神からの語りかけとして聞く姿勢、そして神にむかって心を注ぎ出すという「祈り」が不可欠の内容となる。
 讃美も、祈りの一つの形である。それは神からの聖霊を待ち望むためであり、自分の思いや祈りを運ぶものである。
 また、み言葉の解き明かしは、神からの言葉を聞く姿勢でなされるのが正しいということになる。
 さらに、代表者の声を出しての祈り、讃美、解き明かし以外に、各人が黙して、直接に神の言葉を聞くために、神に向かい、神に心を注ぎだし、神からの語りかけを聞こうとする時間も不可欠となる。
 この神殿のまちがった風習、習慣をきびしく非難した主イエスの行動のすぐあとに、「枯れたいちじくの木」の奇跡がある。

道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。(マタイ福音書二十一・19)
 
 これは不可解な記事として、聖書を初めて読み始めたときには受け取られるだろう。私もそうであった。実がないからといって、枯らしてしまったのはなぜなのか、と疑問がわいてくる。
 しかし、これはすでに述べた神殿が「強盗の巣」と化してしまったことへの、主イエスの厳しい非難と同様の象徴的意味が込められた行動なのである。
 「葉のほかは何もない、実がなっていない」これは、当時の形式的な宗教を表している。神殿は、数十年もかけて、建設した。それは数キロ離れていても大理石の輝きが遠望できるほどであったという。また、祭司たちも多くいて活動していた。しかしそれは形式的、儀式的であり、命がそこになかった。それは要するに葉ばかりで、真実なる礼拝という実がなかったのである。そのような形式宗教ばかりに、こだわって真の神への礼拝に背を向け、神から送られたキリストをも敵視し、迫害していくならば、そうしたかたくなな心をもった者たちは裁かれ、実がならないようにされるということなのである。
  こうした新しい信仰のかたちを、世界に導入することがキリストの目的なのであった。そのために人間と神との間を隔てているもの、罪を取り除く必要があったのである。そしてそれが十字架にかかって処刑されるということの意味なのであった。
 現代でも宗教というと、教祖とか指導者の命令通りになんでも従うというイメージが強い。祈りの仕方も多くの宗教によってはひざまづくとか特定の姿勢、唱える言葉、あるいは時間などが決められている。しかし、キリストによる信仰の形は、神ご自身に導かれること、神ご自身と同じ本質を持つ聖霊によって、また今も活きて働くキリストによって導きを受けてそうした祈りやかたちはまったく自由な道が開かれたのであった。
 これが主イエスが、つぎのように言われた意味なのである。

まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 (ヨハネ福音書四・23)


st07_m2.gif自然界の精妙さの意味

 身近な植物について、教員であったころ、折に触れて生徒たちに教えはじめてから、もう二十年ちかくになる。私は大学では化学(生化学)を専攻したのであって、植物学を学んだものではない。また、高校や盲学校の高等部などで教えていたのは、数学、物理、化学などであったので、教えるといっても、専門的なことでなく、たんに身近な植物の名前からその性質や形状、分布などに触れるに過ぎないが、そのために植物世界のふしぎさ、精妙さに驚かされることが多くなった。
 花を見ても、人々がまったく目に留めない雑草といわれているものであっても、それを手にとってルーペでよく見ると、驚くほどの美しさや微妙な模様、形を持っているのによく出会う。
 それらの美しさや複雑な形に接するたびに、心が動かされる。つぎにこの模様や形は何のためなのか、と考えてしまう。そんな精緻な模様などなくても、この植物は立派に育っていく。アケボノソウなど、小さい花びらのなかにさらに複雑でしかも美しい模様が入っているから、これは一体だれのためなのか、と考え込むのである。
 葉の形も植物によってじつに様々である。微細な毛が一面に生えている葉もあれば、光沢があって輝くもの、ツバキのように固い葉もあるが、ヒヨドリジョウゴのような柔らかい葉、ヒイラギのようにトゲのある葉もある。葉にとげがなくとも、ヒイラギは何の不自由もなく生きていけるはずだ。トゲを切り取っても生育には何も影響もしない。また同じヒイラギでも老木は葉のトゲがなくなり、別の木かと思われるほどになる。
 また、幹にしても、松の木は成長すると、幹の表皮は独特のかたちとなってはがれ落ちていくし、幹が全面にするどいトゲで覆われているタラノキ、逆にヒメシャラのように、数ある周囲の樹木のただなかで、美しいなめらかな赤みがかった木肌をもっている植物もある。
 これらの植物の花の美しさやかたちの複雑さは、人類が出現する、はるか以前から存在していた。その美しさを理解し、受け取ってくれる存在は何一つなかった。あたかも人類が現れてその美しさをくみ取ってくれるのを待っていたのかと思われるし、こうした無限の変化あるすがたは、人間がそれを受け取って、創造主たる神へのまなざしを持つようになるのを待ち続けていたかのようである。
 そしてそのとき、初めて植物たちもその目的を達したことになるのではないかという気がするほどである。
 植物は人間が生きていくには、絶対的に必要である。毎日の米、パンなどの主食や野菜、果物はもちろん、肉や卵、魚もみんな植物が元である。牛や鶏など動物たちの餌の元をたどるとすべて植物になるからである。またその上に人間が生きていくのに不可欠な酸素は、植物が作っているからだ。
 こういうことは、学校の理科教育でも学ぶ。しかしそれだけでない。美しさや力、またそこからそれらを創造した神へのまなざしを持つように導くこともまた、植物たちはその役目としているのである。口から入る食物は植物が作っている。心に直接に入っていく目に見えない食物とでもいうべきものも、また植物に啓発されて気付くということも多いのである。
 そして植物以外の自然、頭上の青く広がる大空、いのちあるかのような変化と動き、澄んだ光を投げかけていく星たち、また様々の色を見せる雲たち、そして山々や渓谷、すべてそうした自然はそのような無限の美しさや変化がなくとも単調な色や形であってもよいはずなのである。しかし、それは毎日変わっていくほどの変化をたたえつつ、ときには息をのむほどの美しさをも見せることがある。
 これらも人間に働きかけて、それらの美しさと力と無限の多様性をもって、人間の心を動かし、それを受け入れる者の心を神へと引き寄せる働きを持っている。
 演劇の舞台で人間はさまざまの衣装や表現をこらして演技をする。それを見てくれる観客に、その演劇の意図が伝わり、心動かされるようにという目的があるからだ。
 ちょうどそれとよく似たことが言えるだろう。神は、この世界、宇宙を一つの舞台とし、そこで自然界のものに、さまざまの衣装を着せて美しくし、また植物の成長や海や山の変化という演技をさせ、そして人間の前に提示しているのである。それだけでない。時間の流れ(歴史)の中でも、大いなる演技が見られるように神はなされている。
 神がその全能をもって創作した宇宙という舞台を私たちが心して見入るほどに、ますますその奥にある創造者たる神のお心やご意志が感じられてくるように造られているのである。
 そうして神のご意志を教えられつつ、私たちもまた一人の「演技者」として、神という総監督の指示に従って生きていくことが期待されているのである。


st07_m2.gifすべての人を引き寄せるもの(ヨハネ福音書十二・27〜36より)

「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。(ヨハネ福音書十二・27〜36)

 主イエスが、十字架にかけられる時が近づいたとき、大きな動揺と苦しみが訪れた。当時の政治や宗教の有力者たちから憎まれ、捕えられ、辱められ、そして十字架につけられて群衆の前でもだえ苦しみながら死んでいく、弟子たちも裏切り、逃げていく…そのようなことを思い浮かべるとき、人間としての弱さをも持っておられた主イエスが重い心となり、苦しみつつその道を歩もうとされたのがうかがえる。

今、わたしは心が騒いでいる。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。

 心騒ぐ、主イエスともあろう方が、心騒ぐ、動揺するといわれている。それほどにこの十字架で処刑されるということはイエスにとっても大きな試練であり、困難なことであった。このヨハネ福音書における言葉は、ほかの福音書でのゲツセマネの祈りと共通している。他の福音書はゲツセマネの祈りを書いてある。しかしヨハネ福音書ではそのゲツセマネの祈りのことが記されていないが、その代わりにここにその苦しみの一端が記されている。

「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみ、苦しみ始められた。そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
そして少し進んで行き、うつぶせになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。(マタイ福音書二十六・36〜39より)

 神の子であり、救い主であるから人間のような苦しみや悲しみはなかったのではない。私たちが感じるような苦しみや悲しみをもさらに深く体験されたからこそ、真の救い主であり、また共にいて下さる友でもあり得たのである。

主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。(新約聖書・ヘブル書二・18)

 このような動揺の中からイエスは神を仰いで、御名の栄光をあらわして下さいと祈っている。自分が殺されるという直前になってもなお、このように主イエスの最大の願いは、神の「御名の栄光が現される」ことであった。
 聖書においては、神の名とは、神の本質そのものを意味する。神の名を信じるとは、神を信じるということであり、神の御名を宣言するとは、神ご自身の本質を宣言することである。(*)

(*)例えばそれは、次のような箇所にも現れている。
主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、罪と背きと過ちを赦す。…」(出エジプト記三十四・5〜7より) この箇所では、神が御名を宣言するということは、すなわち、神が憐れみ深く、忍耐強く、罪を赦すといった神ご自身の本質を宣言することと同様だとされているのがわかる。

神は、モーセに同胞を救うためにエジプトに行くようにと命じられた。そのとき、モーセは、「彼らはその神の名は何か」と尋ねるだろう、その時に何と答えるべきかと、神に問うた。その時、 神はモーセに、「わたしは存在する。わたしは存在するという者だ」と言われ、また、人々にこう言いなさい、『わたしは存在する』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出エジプト記三章より)
 ここでも、神の名とは、神の本質を意味するということが示されているのがわかる。

 神の御名の栄光が現されるようにというのが、主イエスの地上で最後まで持ち続けた願いであった。
その意味は何であろう。ヨハネ福音書では、イエスが十字架につけられることをも「神の栄光を現す」ことであるといわれている。
 ふつうは最も恥辱と苦しみの象徴でしかない十字架が神の最大の栄光の現れであるという。だから御名の栄光を現してくださいとは、十字架の道を取らせて下さいとの願いであり、ゲツセマネにおいて、御心のままにして下さいという祈りと同様な内容を持っているのがわかる。
 こうして主イエスが激しい心の戦いに勝利したとき、神の声があった。
 その内容は「私は、すでに栄光を現した、今からもさらに栄光を現す」という約束であった。この神からの言の意味はイエスの三年間の伝道においても、さまざまの奇跡や行動によって神の栄光を現した。ラザロと言われる人を死んで四日も経っているのに、復活させたことはその代表的なわざであった。同様にこれから迎えようとしている十字架の死と復活によってもさらに神の栄光が現されるという意味である。
 しかし群衆はそのような深い意味は全く分からなかった。たんに無意味な音、雷のようなものが鳴っていると思ったり、一部の人々がせいぜい天使の語りかけだと思ったほどであった。
 十二人の弟子たちは、三年間も主イエスと共にいて、数々の奇跡や驚くべき愛のはたらきに接していたのであるから、十字架で処刑されることや復活ということをすぐに理解して、受け入れられただろうと思われる。しかし実際はそうでなかった。主イエスが自分はまもなく、十字架刑に処せられて殺されること、しかし三日目に復活するということを確言したときにも、ペトロはイエスをわきへ連れてきて、「主よ、とんでもない。そんなことがあってはならない。」といさめたことがあった。そして主イエスから厳しく叱られたのである。
 当時の宗教的あるいは、社会的指導者や弟子たち、さらに群衆たちがいかに理解しようとしなくとも、主イエスは真理を語られた。人間に迎合することでなく、真理に鈍感なこの世に対して、警告と救いのメッセージを述べ伝えることが主イエスの使命であったからである。

今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。(三十一節)

 主イエスが追放されてこの世から追い出されるのに、この世の支配者が追放されるとは一体いかなる意味だろうか。主イエスご自身が、捕らえられて裁かれようとしているのに、「この世が裁かれる時」だと言われる。普通に読んでいてとても理解できる言葉ではない。
 それは人間を支配している最も強い力、罪の力が追放されるということである。同時に、罪の報いは死であるといわれているように、死の力をも追放することであった。罪の力と死をもたらす力こそは、「この世の支配者」のうち最も強大な力なのである。キリストの十字架とはその根元的な力を追放することであった。
 そしてそのとき驚くべきことが生じる。十字架とは当時の人たちにとっては、現在のように、キリスト教のシンボルとして特別な意味を持つものでは全くなかった。それは単に最も気持ちの悪いもの、悪と残虐な刑罰そのものを連想するものにすぎなかった。それは恥辱と陰惨、苦しみや悲しみの象徴であった。
 しかし、そのようないまわしいことのシンボルであった十字架が、神の力を持つようになり、あらゆる人を引きつける強大な磁石のようなものになるというのである。
 人間を引きつける物は数々ある、音楽や美術、スポーツの能力、文学的才能、あるいは、美貌、権力、金、食物などなど。しかし、この箇所で言われていることは、キリストが十字架に付けられるならば、今後その十字架は、あらゆる人を引きつけることを止めない力となり、決定的な力をもって人間を引きつけるようになるというのである。そしてこの預言通りに、キリストの十字架は世界中で人を引きつけるシンボルとなってきた。過去二千年の間、最も人間の魂を深いところで引きつけてきたのは、まさにキリストの十字架であった。そのような長い年月にわたって生じていく事実を、このキリストの言葉はすでに予告していたのに驚かされる。
 じっさい、過去の大きい働きをしたキリスト者を振り返ると、パウロも然り、ルターも然り、内村鑑三もまた同様であった。彼らはキリストの単なる教えに引かれてキリストの僕となったのでない。教えだけでは決して生涯にわたってキリストの僕となることはできない。
 キリストの教えをいくら覚えても、自分がいかに敵を愛することができないか、隣人への愛がないか、正しいことも言えないということを思い知らされるばかりである。そのような高い水準の教えなど到底できない、あんなことは単なる理想だと、自分の弱さ、醜さのゆえにキリストの教えから離れたくなるであろう。単なる教えだけでは、その魂を永続的にキリストに結びつけることはできない。ただキリストの十字架がそれをなすのである。自分がいかに弱くても善いことができなくても、それを赦し受け入れてくださり、さらに新しい力を与えて下さる十字架に付けられたキリストこそ、私たちを永続的に引き寄せるものなのである。
 内村鑑三はこの十字架に強く引き寄せられた人の一人である。彼の生涯の力はここから生まれ、広く深い活動の源泉はこの十字架にあった。それゆえ繰り返し十字架の重要性を述べているが、ここでその一部をあげてみる。

わが信仰
 わが信仰は単純、かつ簡単である。すなわちイエス・キリストが、わが罪を救うために十字架の死を遂げられたということがそれである。なぜ私の罪を救うために十字架にて死んだのか、その説明を私は十分にすることはできない。また、私は自分がどうして罪人となっているのかについても知らない。
 しかし、私はただ自分が罪人であるのを知っている。また、私はなぜキリストの死がわが罪を救うのかも知らない。私はただそれが私の罪を救う唯一の力であることを知っている。私は自分に罪があるという事実を知っている。また十字架によって救われたという事実を知っている。しかし、罪の原因とか救いの哲理とかは私がよく知るところではない。
 まことに私の信仰は事実を信じる信仰である。教理の説明または信条の事ではないのである。(「聖書之研究」一九一〇年五月号)

同一の福音   
 年は改まった。しかしわが福音は改まることはない。わが福音は十字架の福音である。罪のあがないの福音である。…われは今年も明年も明後年も、私が世に生きているかぎり、同じこの福音を唱えたいと思う。(同右 一九〇七年一月)

 このように、内村鑑三はキリストの十字架こそは、キリストの福音の中心であり、それが自分の罪からの唯一の救いであることを、生涯にわたって宣べ伝え続けたのである。
 私自身もまた、キリスト教という信仰に初めて接したのは、この十字架の福音を説いた書物の、わずか数行によってキリスト教信仰を与えられて今日に至っている。罪の赦しの福音は単に赦しを受けただけに終わるのでない。そこからそれまでになかった新しい希望と、力が与えられ、それまで見えなかった見えざる世界が見えてくるように導かれていった。
 そしてこの冷たい宇宙のただなかにあって、その中心に罪深い自分をも見つめ、愛して下さる存在があるという驚くべき事実に目が開けたのであった。私はいまも十字架に引き寄せられつつある。そしてこのヨハネ福音書にあるキリストの一言、「私が地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せる。」の深い意味を感じるのである。


st07_m2.gif力では解決しない

 アメリカのブッシュ大統領は、北朝鮮、イラク、イランなどを悪の枢軸といって、それらの国々への軍事攻撃をも辞さない構えを見せている。困難な問題を武力を持って解決しようとすることは、必ずいろいろのところに新たな困難を生み出す。アフガニスタンへの武力攻撃をしたことで、世界の多くの国々がそのアメリカの武力攻撃を認めるような風潮を作り出した。日本にもその風潮が伝わって、自衛隊をインド洋まで派遣するというような憲法の精神からでは考えられないことをいとも簡単にやってしまった。
 こうした武力攻撃を認める考え方は、武力の重要性を宣伝することであり、そのための武器、兵器の重要性を宣伝することであり、現在紛争が生じているさまざまの国において、そうした武器や兵器の販売や購入が広く行われる風潮をさらに作り出していく。
 こうした武力を肯定する考え方によって、これらの武器、弾薬が広く世界的に広がってしまったのである。
 第二次世界大戦後のソ連とアメリカとのきびしい対立状態(冷戦)が終わった後、社会的な平和が世界に訪れたかというと決してそうではなかった。この十数年の期間においても、世界のさまざまの地域での戦争、紛争によって死んだ人々はおびただしい数に上る。
 小銃、携帯型ミサイル、迫撃砲などの小型の武器によって発展途上国を中心に年間五十万人以上が死亡しアナン国連事務総長の言うように、「事実上の大量破壊兵器」なのである。これは毎月四万人以上がこうした武器のために殺されていることになる。しかもこうした犠牲者の九割が一般市民で、その八割は女性と子供だという。
 毎月四万人以上とは、一日平均では、毎日千三百人以上の人が、冷戦終了後十数年にもわたって死に続けているという計算になる。
 アメリカの去年九月の世界貿易センタービルで亡くなった人は、三千人余りという。このことが全世界に大々的に報道されて、日本もそのために平和憲法も踏みにじって自衛隊をインド洋まで派遣し、さらに巨額の費用を、その問題の関連で、アフガニスタンにも拠出することになっている。
 あたかも重大な問題はあの事件だけであるかのようにである。
 しかし、このように、武器による、いわば小規模のテロによって、世界で平均すれば、毎日毎日千数百人が命を落とし続けているのである。そしてこうした武力によって問題を解決しようとする姿勢が、さらに世界に武器をはんらんさせ、その犠牲者が生まれるということになっている。
 また、一日に一ドル(百二十円ほど)以下で生活している人々は世界で、十五億人を越えている。それは全世界の人々の四分の一という大きい割合なのである。すなわち、全世界の四人に一人がそのような極度の貧困な状況にある。
 また、このような武器による被害の別の例は、地雷によるものである。
 現在、世界では地雷が一億二千万発以上も、地中に埋まっているという。しかもその大部分は、アフリカやアジアの貧しい国々である。とくにアフリカのアンゴラには、千五百万発、カンボジアやアフガニスタンにはそれぞれ、一千万発もが地中にある。
 これらによって毎月八百人が死んでいき、千二百人が手足を吹き飛ばされたりして、生涯にわたって大変な苦痛を受けるような被害にあっている。
 これは、毎日、二十分に一人が、地雷の被害にあって、死んだり、手足の切断などに出会っている計算になる。 しかも、この危険な地雷を一個取り除くには、十万円以上の費用がかかるといわれ、現在のペースでは全部取り除くためには、千年以上も要するという。
 こんな非人道的な地雷を、埋めてあるものも取り出して全部廃棄しようという、数年前に議論された条約(対人地雷全面禁止条約)に、アメリカ、ロシア、中国などが反対したのである。
 このように、小型武器とか地雷によって今も、おびただしい人々が、殺されたり、重い障害を受けて悲惨な生涯を送らねばならなくなったりしている。
 これは、要するに武力を肯定する考えから生まれたものである。日本のように戦争を否定する憲法を持って、武器を外国に輸出することもしないなら、こんな悲惨な状況は生じないのである。このようなよい結果を伴ってきた平和憲法も、人の心の弱さと無知から投げ捨てようという人が多くなりつつあるのは、まことに悲しむべきことである。
 自分の国のことだけを考えて、武力を肯定してはいけないのである。武力肯定の考えは必ず武器の生産や輸出入を肯定することになり、そうした武器の生産が増やされ、その武器が世界の多くの国々に用いられ、そして弱い人々、貧しい人々がそこで犠牲になっていく。
 武力の肯定がこのように、結局は弱い人々、貧しい人々の生活を破壊していくことにつながっているのを知らない人が実に多い。
 武力を用いるかどうかという問題は、表面のことだけで考えてはいけない。そこから派生してくる数々の悲惨をも深く心に留めなければならないのである。


st07_m2.gifことば

(122)真に善いことや偉大なことで、最初は小さなところから出発しないものはまれである。そればかりか、たいていは、その前に蔑み(さげすみ)と屈辱とが加えられる。
 そこで、春先の嵐から春の近づくのを予感できるように、屈辱からその後に来る良き結果を確実に推測しうる場合が多い。もしあなたが屈辱のなかに、あとでそれだけ多くの恵みを授けようと願っていられる神の御手をみとめて、その屈辱をよろこんで受けいれることができるならば、あなたはすでに大きな進歩をとげたのである。(「眠れぬ夜のために 第一部 九月十五日の項より」)

○この最大の例は、いうまでもなくキリストであった。キリストは、生まれたときも、家畜小屋で生まれるという最もみすぼらしい所であったし、死ぬときも、最も重い犯罪人と同じ辱めと筆舌に尽くしがたい苦しみを受けられた。キリストの生涯は、そのような蔑み(さげすみ)と屈辱の淵から出発したのであった。
 そしてキリスト教自体も、はじめは、キリストを裏切った弱い人たち、しかも漁師とか取税人といった社会的には当時は下層とされていた人々の小さい集まりから出発した。さらに、ローマに広がっていったときも、そこで重罪人として捕らわれ、磔(はりつけ)にされたり、飢えたライオンに食べられるとか、さらしものにされて最大の辱めを受けたのであった。そのような屈辱とさげすみのただ中からキリスト教徒の集まりは出発したのである。
 また、日本において最も影響力を持ち続けてきたキリスト者は、内村鑑三であるが、彼もまた若いとき、最初の結婚にて大いなる苦しみを味わい、二番目の妻はわずか二年足らずで病死してしまった。そして一高にて教職にあったとき、教育勅語への敬礼が足りなかったということで、各地の新聞にも掲載され、自宅も石を投げられるなど侮辱も受けた。それは日本中の問題となったほどで、一高をも免職となった。その他いろいろの苦難、悲しみに直面していったが、それが後のキリスト者、伝道者としての生き方に大きな力を与えることになった。
 私たちも何か真によきことを少しでも手がけるときには、そうした辱めやさげすみを受けることすらも覚悟しておくべきなのだと知らされる。

(123)感謝の回想
 私はかつてエレミヤとともに嘆いて言ったことがある。「ああ、私はなんと不幸なことか、誰もかれもがみな私と争い、われを攻めて、皆が私をねらっているのだ」と。
 しかし、今になって私は感謝していう、「ああ、私はなんと幸いなことか、人がみな私と争い、私を攻め、私をのろったので、私は神に結ばれてその救いを受けることができたのだと。
 人に捨てられることは、神に拾われるであったのだ。人に憎まれるとは、神に愛せられることなのである。人に関わりを絶たれるは、神に結ばれることなのだ。
 今に至って思う、わが生涯にあったことのうちで、最も幸いであったことは、世に侮られ、嫌われ、辱められ、斥けられたことであったことを。エレミヤ記十五章十節。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇八年)

・この内村鑑三の言葉は、右のヒルティの言葉と通じるものがある。そしてこの言葉は、主イエスが言われた言葉にその源を感じさせる。信仰を持っていても、世の人や職場の人たち、さらには家族にすら退けられ、憎まれることすらある。しかし、そのようなこともすでにキリストは預言的に言われている。

私は、(人間的な、妥協的な)平和でなく、剣を投げ込むために来た。
人はその父に、
娘はその母に、
嫁はそのしゅうとめに、敵対することになろう。
こうして、自分の家族の者が敵となる。(マタイ福音書十・34〜36より)
 
 しかし、このような事態になったときの悲しみはいかばかりであろうか。その深い悲しみに対しても主イエスは、必ず慰めと励ましがあることを約束しておられる。

ああ、幸いだ、悲しむ者。なぜなら、その人は(神によって)慰められるからである。(マタイ福音書五・4)


st07_m2.gif休憩室

真冬の星座
 二月ももうじき終わりです。この頃は夕方から深夜にかけて一年中で最も美しい星空が見えるころです。それは、きびしい真冬の大気のなか、凍り付くような夜空のただなかに、一年中で最も多くの明るい星たちが南から頭上の空に輝いているからです。夜八時頃以降に、外に出るなら、南の方から頭上にかけての夜空には、たくさんの明るい星たちが競うようにまばたいています。現在は、本来の冬の星座のほかに、土星と木星が加わっているので、とりわけ心をひくものがあります。
 土星、アルデバラン(牡牛座の一等星)、すばる、オリオン座(一等星は、青白い輝きのリゲルと赤い輝きのベテルギウスのふたつ)、大犬座、子犬座、双子座、そして御者座、そして頭上に近いところには、最も澄んだ明るい星である、木星のつよい輝きが見えます。もし、まだ見ていない人がいましたら、ぜひ天気のよい、冬空に向かってこれらの星座を探してみるとよいと思います。
 冬の星空のようなものは、絵画で表現するのは困難です。神が大空いっぱいに書き上げた絵だと言えます。
 また、星は単なる物理的なものでなく、一種の音楽のようなもので、無言のうちに見つめる人に語りかけるものがあり、天の国の音楽がそこから流れ出しているように感じるものです。

讃美歌21について
 最近は、讃美歌21を使う教会や集会が徐々に増えています。私たちの集会でも次第に多く用いられるように成っています。先日に大阪府南部の家庭集会で、讃美歌21の五〇八番の讃美を用いましたが、もう八〇歳にもなるような老齢の方が、この讃美は歌いやすくていいと言われたことがあります。また県外での別の集会でも、何度か讃美歌21のよさを知った方もいます。新しい心で新しい讃美を歌うためにも、讃美歌21がさらにキリスト集会で用いられるとよいと思われます。
 ここには、それまでの讃美歌などには見られなかった、グローバルな讃美歌集となっています。例えば、二十一番は、インドの讃美歌で、歌詞もよく、独特の明るくてよいメロディーです。五百八番もインド北西部地方(パンジャブ地方)で歌われていたメロディーだということで、これも歌詞の内容もよく、曲ともに歌いやすく、明るいメロディーです。従来の讃美歌は圧倒的な部分が、ヨーロッパ、アメリカで歌われている讃美歌で、インドなどのものはなかったのですが、今回はこのようにいろいろの地方の歌が取り入れられています。
 また、三五四番「天の神、祈ります」という曲も、作曲者がフィリピン生まれのエレナ・マキーゾという女性で、後にアメリカのハートフォード神学校やユニオン神学校で学んだということです。この讃美歌の曲はフィリピンで人々に歌われてきた曲(民謡)のスタイルが用いられていて、とくに三節は短いながらも現代社会や私たちの身近な人々への祈りをこめて歌うことができる、メロディーと歌詞がよく調和した讃美です。

(1)天の神、祈ります、憐れみと祝福を。
その民をひとつとし、愛される み神よ。

(2)救い主、み子イエスよ、十字架と復活の
み恵みに感謝して、歌います、わが主よ。

(3)来て下さい、聖霊よ、悩むもの力づけ、
傷ついた人々を いやすため、今すぐ。
「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心から讃美せよ。」(エペソ書五・19)

 
キリスト者とパソコン
 最近のパソコンの普及は、十五年ほど前からパソコンに関わっている者としては、その性能の飛躍的にたかまったこと、それと老若男女の各年齢層に広がっていることは、驚くばかりです。しかし、多くはメールだけに使ったり、ゲームとかの遊び、またはワープロとか、年賀状造りに使う人が多いようです。キリスト者としては、第一に聖書の学びに書物とは断然ちがった効果的な使い方があること、キリスト者同士の通信や祈り、定期的に行われる集会のまとめや記録、さらに、キリスト者の信仰に不可欠な讃美が自由に歌えるというようなことです。聖書の学びに用いるとき、キリスト者は生涯聖書を手放すことはないはずなので、生涯にわたってパソコンが座右の必需品となるのです。
 通信については、とくに県外の人、海外の人とも、すぐ近くにいるような感覚で通信ができることは、かつては考えられなかったことです。こうした重宝なものが神の言葉の学びやキリストのからだとしてのキリスト者同士のより緊密な交わりに用いられるとき、さらに祝福が与えられると思われます。


st07_m2.gif返舟だより

○ある中部地方の方からの来信です。

 痴呆になった夫は、○年前に亡くなりました。○○先生のお励ましを頂いて、先生がおっしゃったように、イエス様は共にいて下さいました。現実は厳しいものでした。けれども、夫は私にとってますますいとおしい人となって、私は愛し抜きました。いつ、私も倒れるかと思いましたが、皆に助けられ主人を見送ることができました。イエス様がともに担ってくださったのです。感謝でございました。心のいと深いところにおいて主イエスの愛の息吹きに触れて生かされたあのときを一生忘れないでしょう。
 罪のなかに落ち込んで苦しみ、体調もくずしてしまったりする私ですが、イエス様を見上げて一日一日を生かされたいと祈っております。

・このように、正常な反応を示さなくなった痴呆の夫に対してますます愛を注いで最後まで面倒を見ることができたとのこと、そのような愛を注ぐように導くのが、主イエスであり、神からの愛をゆたかに受けているのでなければ到底このような心で介助することはできません。こうした人知れぬところで、キリストはいまもその力をあらわし、弱く、孤立する者をも励まされるのだとわかります。

○また、九州のある読者の方からは次のような来信がありました。

 …高価な香油の箇所は、私も好きなところです。学生時代に、ギリシャ語のテストを控えてこの箇所を勉強していたら、夢の中でこの部分が現れ、香油の芳香までが知覚され、驚いて目をさましたことがありました。主の言葉にじっと聞き入ることの祝福が、マリアの捧げの行為につながったとのご説明感謝です。テニソンの詩も味わい深いですね。…

・夢にまで現れるということは、聖書の箇所がふかく心に入っていたのを感じさせます。
 私が学生時代に読んだ本に、「みつばさの蔭に」という印象に残っている本があります。
 川西瑞夫(みずお)という、東京帝国大学で物理学を学んでいた若い学生が、当時、経済学部の教授であった矢内原忠雄の聖書講義を受けてキリスト者として真実な歩みをしていた。しかし高熱を出す病気となって意識不明の状態となり、死のときが近いと思われる状況になった。しかしその時に口から時々出てきたのが、「…安し(やすし)、安し…」だったという。それは、讃美歌五二〇番の「静けき川の岸辺を」の部分であった。

静けき川の岸辺を
過ぎゆくときにも
憂き悩みの荒海を
わたり行くおりにも
こころ安し、神によりてやすし

 このことを、読んだのは学生時代の終わりで、深い印象に残っています。意識不明になって高熱の状態であるのに、うわごとのように讃美歌の歌詞が出てきた、それはそのような状況でも讃美歌を無意識的に歌っていたのをうかがわせます。そして彼の口から出た最後の言葉は、両親を呼ぶ言葉でなく、キリスト教信仰を学んでいた師である、「矢内原先生!」であったということです。真実な若い魂がいかにキリストを真剣に求めて生きたか、その本全体に流れていたのを思い出します。

○メール版「今日のみ言葉」 
毎月数回希望の方に、インターネットメールで送付している「今日のみ言葉」についての応答が時々あります。その中からいくつかをあげておきます。

○・・二月一八日の「今日の御言葉」ありがとう。良い言葉ですね。み言葉の中へ、スウーッと溶けていく感じがします。
まだ聖書が手許にないままなので こうしてときどき聖書を解説付きで読ませてていただけるのが本当にうれしい。
 聖書は日本語だけで読んでいたら意味がわかりにくい。英語で読むかギリシャ語で読むかした方が良いとは聞いていますが、自分で両者見比べながら読むのは かなり大変です。だから英語も一緒にあって 有り難い気持ちです。
Be still (静かに。心のなかを問いかける)  この言葉は特に 好きです。
(関東地方の方)
○今日のみ言葉をありがとうございます。
主の前に 静まり、耐え忍びて主を待ち望め。
毎日出勤前に、覚えて出かけたいみ言葉です。
いろんな人の前に騒ぎ立つ心で向かう自分なので、このみ言葉は私に必要なみ言葉です。
耐え忍ぶということも今の私には特に必要です。(四国の方から)

○…メールマガジン(「今日のみ言葉」のこと)を読みました。実は「はっ」っとさせられました。とても、不思議です。先生の書く文章はいつも心癒され、時に「はっ」とひらめかされるのです。
今回は「神の国」と言う言葉、その言葉一つで「はっ」と何か納得してしまいました。自分の今までの悩みが吹き飛ばされたようです。これは上手くは表現しがたい感情です。…僕がしなければいけないことは分かっているのです。しかし自分の弱さや怠け心ゆえにそれが出来なかったのです。もっと自分の甘い気持ちに厳しく、自分の心に響く声に忠実に生きていきたいと思いました。(アメリカ在住の方)

○短い一言であっても、神の言葉のゆえに、長く聖書を学んでいる方、また若い人などいろいろの人に何かを働きかけることができるのだと感じています。

st07_m2.gifお知らせ

 今年の四国集会は、六月十五日(土)午前十時〜十六日(日)午後四時までです。場所は、徳島市の眉山会館です。


訂正
一月号 テニソンの詩の原文のうち、次のあげる最後の行が落ちていました。When I have crost the bar.
2002/2

  2002/11

後ろを振り返る
そこに道が続いている
船が海原を通っていくときに後に道を残していく
そのように、はるか遠くまで、道すじが続いている
いろいろのことがあった
敗戦の混乱のただなかで中国で生まれ
幼少のころに重い病で死に瀕したこともあった
はっきりと記憶にあるのはその頃からのことだ
脇道もあった
危険な道をも通った
それらのさまざまの分かれ道は薄らいで
今残って見えるのは、遠くから今に至る一筋の道
それはただ、見えざる御手によって導かれた道

そして前方を見る
何が生じるかわからない
人は自分でその道を決めることはできない
いかに安全であろうとしても
思いがけない困難が降りかかり
今までのすべてが崩れ落ちるようなこともあるだろう
脇道に引き込まれそうになることもあるだろう
地雷を踏むように、突然足もとが炸裂し
死の蔭の谷を歩み
孤独と病の苦しみにさいなまれる状況に追い込まれるかもしれない
前途を覆いそうになる雲が見えることもある
現にそのような状況に置かれている人たちもたくさんいる

しかし、後方はるかから続いてきたこの道は
必ず現在のこの地を通って、かなたの御国へと続く
私はそれを信じる



st07_m2.gif戦いの主


 キリスト教は戦いの宗教である。
同時に愛の宗教である。このふたつは相容れないと思われるだろう。たしかに我々の戦いというイメージは殺戮と結びついている。それは愛とは正反対である。
 旧約聖書ではじっさいに武力を用いての異民族との戦いが記されている。万軍の主という言葉は、そうした戦いの神というイメージに合うものであった。
 しかし、キリストが現れてからそうした武力による戦いというのは意味を失った。そしてはるかに深い霊的な戦いこそが本当の戦いであることが明らかにされたのである。
 愛されるとは何か、それは私たちの苦しみの根元を取り除いてくれることである。そしてその上で、最もよきものを与えられることである。苦しみと悩みの根元をそのままにしておいては、いかによいものであってもそれが本当によいものと感じられないからである。
 私たちの一人一人の心に苦しみの根元を置こうとする、ある力が存在する。そのような闇の力はだれの心にも働いている。
 ある人が「自分ではどうしてこんな心が、と思われるような暗い心が、ふと他人に対して生じることがある、冷たい気持ちが、また高ぶる心が、ときに残酷なような気持ちすらが生じることがある」と言われた。
 程度の多少はあっても、人には自分ではそんな気持ちや心の動きはあって欲しくないのに、どこからともなくそんないやな気持ちが飛び込むことがあるだろう。この世のあらゆる問題や不正、困難、犯罪などはすべてそうした闇の力、暗い衝動に動かされての結果である。
 キリストはそうした悪の力に対する戦いを真正面から行うお方なのである。
 その意味で、キリスト教は戦いの宗教なのであり、たしかに人間性の奥深くにひそむ闇の力を明らかにし、そこに光をあて、その闇の力の根元を除くために、この世に来られたのであった。
 闇の力とは、たんに殺人や盗みなどをさせるだけでない。私たちを自分中心にしてしまうことも、人から評価されなかったらその人を憎んだり、ねたんだりする心、あるいは、病気や事故などで苦しみに会ったとき絶望しそうになる心、この世の真実を疑い、そんなものはないと思わせるような力、それらはみんなそうした闇の力のはたらきなのである。
 そうしたさまざまの闇の力との戦いこそ、キリストの目的であった。
 私たちがたとえ大事な家族を事故で失ったときであっても、その悲しみにうち倒されないようにしてくれるなら、また憎しみが燃えそうになるときにも、その憎しみの炎を消して、しずかな祈りの心を生み出すように導く、そのためには、その闇の力との戦いがなければならない。そしてその戦いに勝利してはじめて私たちは本当の平安が与えられるし、そのような勝利への力を与えるものこそ本当の愛である。
 キリストが十字架にかけられたのもそうした闇の力との戦いに勝利するためであった。悪との戦いに完全に敗北したように見えるあの、十字架での死が、歴史上で最も大いなる勝利の
 キリストの生涯は単なる教えでなく、また奇跡をおこなって人々を驚かせるためでもなく、こうした戦いこそがその本質にあった。これは目には見えない戦いであって、最大の使徒パウロもまたそのキリストの戦いをキリストの力によって続けるのがその生涯の目的となったのである。

わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足りる。(Uコリント十・4)
 キリスト者の戦いとは、肉のものでない、つまり、目に見える武器や策略を使うのでく、神からの力そのものが武器である。それがあれば、どんなに強い敵の力をもうち破ることができると言われている。パウロはキリスト教伝道の生涯であったが、それは言い換えるとこの神の力による戦いの生涯であった。
 「私はすでにこの世に勝利している」という主イエスの最後の夕食での言葉は、私たちが自分の力で戦わねばならないと、恐れるとき、そうでない、あなた方の戦いはすでに私が代わりになしとげて、勝利しているのだという励ましであり、約束なのである。


st07_m2.gif生と死

 最も鋭く対立するように見える、生きることと死ぬことと。死んだら永久に帰らない、すべては消え失せてしまう。そこには最大の断絶がある。
 そのようにほとんどの者は考えている。
 しかし、新約聖書、とくにヨハネ福音書はそうした断絶でなく、信じる者には、ずっと続いているということを明確に示している。私たちのこのせいぜい七〇年から九〇年ほどの命は、死によって破壊されたり消え失せるのでない、それは何という大きな啓示であったことだろうか。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。…生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ十一・25〜26)
 主イエスは二千年前に、十字架上で殺された。しかし、復活していまも生きて働いておられ、無数の人々を救って来られた。このヨハネ福音書の言葉のように、確かにイエスは決して死ぬことはなかったのである。キリストを信じる者も、またそのように、死んでもなお、生き続けるような存在に変えられる。


st07_m2.gif飽食と飢餓

 現在の世界は八億人もの人たちが、食物もわずかしかなく飢えた状態にあるという。毎日数万人もの命が飢えと貧困のために死んでいる。アフガンの問題がアメリカの攻撃でにわかに光が当てられると、たちまちアフガンの問題が最重要問題であり、世界の他の地域では、難民とか飢餓の問題はあたかもなくなったかのように、マスコミでもアフガンのことばかり述べている。
 世界の食糧は、必要量の一・七倍もあり、飢える人たちが大量に出るのが不思議なほどである。しかし、日本やアメリカ、ヨーロッパなどの豊かな国々が、そうした貧しい国々の食料を大量に輸入し、それの相当部分を家畜の餌にして、肉を食べているのである。牛肉一Kgを生産するには、最低でも八Kgの飼料が必要。その餌になるトウモロコシや大豆はほとんどが外国から輸入されている。
 飢えた貧しい国々からそうした貴重な食物がなんと動物の餌にするために、外国に流れ、自分たちは食べるに必要なものすらごくわずかしか残らないという状況になっている。
 なんと不正な状況だろうか。
 これは政府の政策や啓蒙も必要だが、根本的にはそのようなぜいたくな食事でなくとも、十分に満足を感じるような、心の変革が必要だといえる。
 その変革のためにキリストは来られた。そしてキリストを本当に受け取った人は自分から少しずつでも変わっていくのがわかる。
 どんなに貧しくとも、悲しみに包まれていても、もしその人がキリストを知ったなら、神の国が与えられ、そこから満足と喜びがわいてくる。
 それを主イエスはつぎのような有名な言葉で述べている。

 イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は幸いである、なぜなら、神の国はあなたがたのものだからである。
今飢えている人々は、幸いである、なぜなら、あなたがたは満たされるからである。
今泣いている人々は、幸いである、なぜなら、あなたがたは笑うようになるからである。
しかし、ああ、災いだ、富んでいるあなたがたは!あなたがたはもう慰めを受けているからである。ああ、災いだ、今満腹している人々は。なぜなら、あなたがたは飢えるようになるからである。
ああ、災いだ、今笑っている人々は。なぜなら、あなたがたは悲しみ泣くようになるからである。
(ルカ福音書六・20〜21)

 極度に貧しい国で生きていながら、他人の苦しみを見て分かち合うということを実際に経験して、心動かされた、日本人の経験が一冊の絵本になっている。
 そのような分かち合う心、それはキリストがそこにおられてそのような気持ちにさせているのである。それこそ、ここで言われている、「貧しい者は幸いだ、神の国はその人たちのものである」ということの一つの意味だと言えよう。
 そして豊さを存分に味わっている人たちは、飢えるようになる。事実、そのようにぜいたくな食べ物でなければ気がすまないというところに、すでに精神の貧困があり、「飢え」という状況がある。


st07_m2.gif高価な香油を注ぐ

 主イエスが十字架に付けられる少し前に、高価な香油を注がれるという出来事があった。これは、マタイ、マルコ、ヨハネの三つの福音書に共通して書かれている。そしてルカ福音書においても、少し違っている点があるが、やはり香油を注ぎかけたという点では共通している。
 これを見ても、この香油を注ぐという記事の重要性がうかがえる。マタイ、マルコ、ルカの福音書はだいたい共通点が多いが、ヨハネ福音書は相当内容が異なっている。
 そのため、この四つの福音書すべてに記されている内容は、五千人のパンの奇跡など少ししかない。

この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。
それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。…
祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を三百グラムほど持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。(ヨハネ福音書十一・53〜十二・7より)

 マリアが注いだ香油は高価で純粋な香油で、値は三百デナリオンだという。当時の一日の賃金が一デナリオンであると記されているからこれは現在の日本の状況で考えると、一日の賃金は一万円ほどと見るならだいたい三百万円もの高価な香油だということになる。
 これを主イエスの足に注いで使ってしまうということは、じつにもったいないことだ、そんなことをしないで貧しい人たちに与えたらたくさんの人を喜ばすことができたのに、というユダの言葉はごくふつうの考えだと言えよう。ユダとはキリストを裏切った者であり、ダンテの神曲でも最も深い地獄に置かれているのであるが、このあたり前と思われる言葉がユダの言った言葉だとされているところに、聖書がいかに常識的な考え方と異なるものであるかがよく現れている。
 貧しい人たちがいるとき、お金を分かち与えること、一時の食物を与えることは、社会に福祉的な制度がなかった時代には特別な必要性があっただろう。そして実際にキリスト者たちは多くの貧しい人たちに食物やお金を与えた。しかし、お金とか食物、衣服などは一時の必要としては重要であるが、それが永続的になると、依頼心を起こして仕事をしなくなるし、強いものが多く奪っていくという事態も生じる。そこで新たな混乱や紛争が生じることになる。
 目にみえる物を与えても、それだけでは永続的な力を発揮することができないのである。ヨハネ福音書の著者はこの点を深く見抜いていた。それゆえに、マリアが持っていたような主イエスへの深い信仰と愛、捧げる心こそが、永続的な力と影響を生み出すのであると言おうとしている。
 これは今日のようにたえず経済問題、要するに金の問題が最大の問題であるかのように、毎日の新聞やテレビなどで報道されていることへの鋭い反論だといえよう。主イエスのためという純粋な心があるとき、そこには計算がなくなる。損得もなくなる。一度しかない命すら捧げてもよいとまで心は変えられていくのである。
 当時の最も地位のある人たち、祭司長、律法学者、パリサイ派の人たちが揃って主イエスに敵意を持ち、殺そうとまでしていること、そして弟子たちすらイエスの死のことが受け入れられなかったとき、このマリアという女性は、自分では気づかないうちに、キリストの死のために準備をしていたことになった。
 この女性の名はマリアと言われ、それはマルタの姉妹であった。この姉妹についてはルカ福音書に記されている。マルタは、イエスをもてなすことに一生懸命になっていたが、妹のマリアが手伝うことをせずに、じっと主イエスの言葉に聞き入っていたことに心が揺れ動いてイエスに対して、妹のマリアを叱ってくださいと頼んだことがあった。

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ福音書十・38〜42)
 常識的には接待をしないで、じっと聞き入るばかりの妹が叱責されるのが当然と思われるが、主イエスは、マリアがみ言葉にじっと聞き入る態度を祝福された。これによって最大の主イエスへの接待とは、その語るみ言葉に聞き入ることだということが暗示されている。
 いま取り上げているヨハネ福音書においても、マルタは準備をしていたが、マリアは高価な香油を持ってきて注ぎかけたという。
 イエスの言葉にじっと聞き入るということは、イエスの持っているものを受けようと真剣になっていることである。ここでの高価で純粋な香油を注ぐということは、自分の持っている最もよいものを主イエスに差し出すことである。なぜこのような心が生じたのか、それは、主イエスにまず聞き入るということから、イエスに満ち満ちているものを受けるということがあった。

わたしたちすべての者は、キリストに満ちあふれた豊かさの中から、めぐみの上にさらにめぐみを加えられた。(ヨハネ一・16)
 マリアは主イエスにじっと聞き入ることによってこの豊かさからの恵みを受け取り、そこから捧げる心が自然に生まれたのである。
 主イエスから受けることなくして、イエスに捧げようという心は生まれない。神から受けたと感じたことがないものは、むしろ神をのろうことすらある。どうして運命はこんなに自分にきびしいのか、なぜ神がいるならこんな目に自分を会わせるのか等など。
 マリアはイエスのみ言葉に聞き入ることから深い平安と力、そして励ましを受けたのであった。さらに、「そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。」と記されているように、死んでしまった兄弟のラザロを復活させて頂いた何にも代えがたい経験があった。この一言はマリアがいかに感謝していたかを示すものである。それを言葉で表すことなく、行動で示したのであった。
 マリアが三百万円にも値するような高価な香油を注いだということから、どのようになったか。それを福音書はつぎの一言で言い表している。

家は香油のかおりでいっぱいになった。

 これは何でもないような言葉である。しかし深い意味がこめられた一言だと言える。マリアのこうした行動は決してマリア一人で終わったのでない。その後二千年にわたって全世界で数知れない出来事の象徴的出来事となった。この出来事は初めて聞いたときには、当時のキリスト者にとっても、にわかには信じがたかったのではないだろうか。ふつうの庶民であったマリアやマルタといった女性ばかりに見える家庭に、数百万円もの高価の香油があったこと自体が常識的には不可解だし、それを家族のマルタやラザロの許可もなく勝手にあっという間に使ってしまったこと、そんなことがあり得るだろうか、という素朴な疑問を持たれることがあっただろう。しかし、この出来事はそうした疑問を吹き飛ばすように、この事実が現に当時のキリスト者たちの行動においてつねに生じていたことであったので、自然に受け入れられたと考えられる。
 ヨハネ福音書はキリストが処刑されてから六十年ほども経った、紀元一世紀の終わり頃に書かれたといわれている。その時にはローマ皇帝ネロの迫害が始まってからもうだいぶ経っていて、多くの人たちが殉教していったのは広くキリスト者たちに知らされていた。
 彼らは自分が持っている最も重要なもの、高価なものである命を、キリストのために捧げた。それはこの一人の女性が数百万円ともみなされるような、考えられないような高価な香油をイエスに捧げてしまったのと本質的に同様な意味を持っている。そして香油の香りが部屋中に満ちたと記されているが、キリスト者たちの殉教のすがたが、キリストの香りを徐々にローマ帝国中に満ち広がらせることになったのである。
 キリストご自身が実は、そうした世界に満ちる香りの元となられたお方なのである。使徒パウロのつぎの言葉はそうした意味が込められている。

キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物としてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。(エペソ書五・2)

 キリストが香りなら、キリストに従うものもまた香りとなると言われている。

救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りである。(Uコリント二・15)

 このようにして、高価な香油を注いだマリアの行動は、ただ一回きり生じた出来事でなく、以後の無数のキリスト者たちの生涯や存在そのものがこの世界において、香油となり、キリストの香りを漂わせるものとなるという預言的行動となったのであった。


st07_m2.gif河口の浅瀬を越えて   
 テニソン作

日は沈み 夕べの星が輝く
そのとき、私を呼ぶ一つのさやかなる声が聞こえる!
海に私がこぎ出すとき、
浅瀬にうち寄せる潮の音はないであろう。

潮は満ち満ちていて、流れつつも眠るがごとく
波音も泡もない。
無限の深みからやってきた魂が
再び、魂のふるさとに帰るとき。

夕暮れ迫り、夕べの鐘は鳴り、
その後に闇(死)が訪れる。
私が船出しようとするとき、
そこには別れの悲しみはないだろう。

潮の流れは、時間と空間の限界を超えて
私を運んでいく。
わが希望は、わが導き主を顔と顔を合わせて仰ぐこと、
浅瀬を越えていったその時に。



 テニソンとは、十九世紀のイギリスを代表する詩人であった。詩人とは、暇にまかせて響きのよい言葉を並べる人ではない。それは自らの精神にて体験された経験を短い、しかも的確な言葉で表すことであり、一般の人が見過ごす日々の出来事や、自然、歴史などのなかに、宇宙の真理をありありと見てそれを簡潔な、韻律ある言葉で表し、人々を真理の世界へと招くところに深い意義がある。
 旧約聖書のイザヤ書、とくに後半部には多くの霊的な内容が詩のかたちで表現されているし、詩篇の人間の内部で何が体験されるのかということが、特別な言葉の力をもって表現されている。
 ダンテの詩も、苦難のただなかで、歴史のこと現実の世界のこと、そして自らが体験した神との深い交わりが、壮大なスケールをもって描き出されている。
 テニソンのこの詩は、この大詩人が世を去る二年前、八十一歳の秋のある日に、身内の者に語ったところによれば、一瞬にしてひらめいたという。あたかもこの世を去るときの白鳥の歌のごとく、生と死とを見つめて歌われた詩となった。
 テニソンがいよいよ死を迎えたのは、それから二年後であったが、その時、その身内の者に「覚えておいてくれ。私のこの詩は、私の詩集のどんな版にも、必ずその終わりにのせるように。」と言い残したという。
 夕べとなり、暗くなるが、そのときに星は輝き始める。星は、地上にて見えるもので最も神秘なもの、決して人間によって破壊も汚されることもなく、永久的にそのすがたを変えないもの、それは人間の世界を越えたなにかを指し示す。それはこの詩人にとって神の国の光を暗示するものであった。自分が死を迎えるとき、それは暗いだけのものとか不可解な謎の世界に無理やりに引きずり込まれるのでもない。また無になってしまって消えてしまうのでもない。
 そこに地上ならぬ光が輝き、その彼方から、一つの声が聞こえる。それは澄み切った声であり、その響きゆえに神の国からの呼びかけだとわかる。人生の終わりに際してこういった、クリアな声が聞こえてくるのはいかに幸いなことだろうか。この声は、しかし終わりのときになって初めて聞こえるのではない。すでにヨハネ福音書では繰り返し、この声に従うことがキリスト者の日々の歩みであることが記されている。

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ福音書十・27〜28)

この詩の題となっている、浅瀬(bar)とは、大きい川の河口にある砂の堆積したところ、砂州をいう。その砂州を越えると、先は広大な海である。その海はこの詩では、死後の世界すなわち神の国を表している。死後の神の国へは、浅瀬を越えていく。死を迎えるときには、死後の無限の世界は音もたてることなく、その深い意味を暗示するかのように、静まって自分を迎えようとしている。その沈黙は神の国は満ち満ちたものが存在するからである。深いものは音をたてずに流れてくる。
 みずからの生涯は、もう終わろうとしている。その予告のように人生の夕闇がひしひしと実感され、死の世界が間近に迫っている。しかしこの世からの最後のときにも、私には別れの悲しみ、つまり死の悲しみは感じないだろう。
 それは、なぜか。
 海、すなわち死は私を時間や空間を越えたかなたへと持ち運んで行くのかも知れない。
 しかし、私には希望がある。
この世を終わりまで導いてくださった主イエスを顔と顔を合わせて見るということがそれである。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。(Tコリント十三・12)

 この詩の作者は、地上の生活を導いてくださる主イエスのことを、パイロット(Pilot)と言っている。(英文の原詩参照)現在ではこのパイロットという言葉は、日本語では飛行機の操縦士しか意味しないようになっている。しかし、もともとこの言葉は、ギリシャ語のペードン(pedon)という、舵を意味することが語源であり、舵取りの意味を持つようになり、英語では少し語形が変化して現在の形になっている。それゆえ、もともとは舟の舵取りであり、水先案内人のことなのである。
現在の讃美歌にも主イエスが水先案内人であることを内容としたのがある。

果てしも知れぬ うき世の海の
浅瀬荒波 いわおの中を
主よ、水先の導(しるべ)したまえ。

指し行く浜辺 間近くなりて
磯打つ波の 逆巻くときも
主よ、水先の導(しるべ)したまえ
(讃美歌二九二番より)

 ここに引用した讃美歌の原詩は、「救い主なるイエスよ、私を水先案内して(導いて)ください。」Jesus, Saviour pilot me という言葉で始まっている。
 死という未知の世界へと私たちはすべて進んでいる。それは果てしなく広がる大海原へと舟を進めていくのにたとえられるが、それは適切な水先案内人を与えられているとき、暗闇に沈み込むことでなく、光に満ちた主イエスにまみえることなのである。そしてそこに行く前から、この詩人のように、個人的に私たちを呼ぶ声を聞いて主の平安を与えられつつ、水先案内人たる主イエスに導かれていきたいと思う。 


st07_m2.gif死ぬと人はどうなるか

慰霊
 日本では死者に関する儀式をするときには必ずといってよいほど、慰霊ということが言われる。毎年八月十五日前後の頃とか、今年では一月十七日には阪神大震災の犠牲者の慰霊祭が各地で行われたというような見出しで記事が書かれている。
 徳島県鳴門市には、ベートーベンの第九交響曲が日本で初めて演奏された場所がある。その近くにそれを演奏した兵士たちで捕虜収容所で亡くなった者たちの石の碑がある。そこには、ドイツ語と日本語でつぎのように書かれている。

第一次世界大戦中の日本での捕虜生活の内に没した兵士たちの霊を祀る。

Zum Gedenken an die im Ersten Weltkrieg in japanischer Kriegsgefangenshaft verstorbenen Soldaten.

ここで注目すべきは、ドイツ語では、「〜への記念に」(Zum Gedenken)となっているのに、日本語では、「霊を祀る」という表現になっていることである。「〜を記念すること、思い出すこと、覚えておくことと」と、死んだ人の「霊を祀る」というのとでは、全く意味が違うのである。
 霊を祀るということは、神を祀るということと同様に、それは礼拝の対象となる。だから、日本では○○神社では○○が祀られてあるというと、その○○を拝む、神として拝むのである。そして靖国神社のように死んだ人はどんな悪事をした人でも一種のカミになったとして、礼拝したりする。これは物事の善悪にかんする感じ方にずいぶん大きい違いをもたらすことになる。
 しかし、ドイツ語の文を見てもわかるが、キリスト教の浸透している人々においては、このように死者に対して拝むとか礼拝するなどということは決してない。

 さらにこの石碑の別の面には、つぎのような言葉が書いてある。

「この碑はドイツ連邦共和国政府の委託により建立され、一九七六年のドイツ国民慰霊祭の日に…」

Dieser Gedenkstein wurde errichtet in Auftrag der Deutschen Bundesregierung und eingeweiht am Volks-trauertag 1976…

 ここで、ドイツ政府の委託ということで、この碑は、ドイツ語原文では、「記念の(石)碑」(Gedenkstein
(*))であるのに、単なる「碑」と訳しており、「記念」という語をわざわざ削除して日本語訳としている。また、ドイツ語の「悲しみの日」(trauertag)を、全く異なる意味の「慰霊祭の日」と訳している。
(*)「gedenken」とは「覚えておく」、「Stein 」とは英語のstone で、「石」の意味であり、Gedenksteinとは、記念碑という意味になる。

 このように、死者を記念するということを日本では使わないで、慰霊という言葉を使うのである。慰霊とは、霊を慰めるという意味であるが、死者は生きている人に慰められる必要があるという断定からこの言葉がある。それは死者がみんな一様に悲しんでいる、とみなしているから慰める必要があるということになるが、そもそも死者がみんな悲しんでいるなどということは全くわからないことである。
 例えば、キリストはわずか三十三歳という若さで、なんの罪もないのに、最も重い刑罰を与えられて、十字架上ではりつけにされて殺された。仏教的にいうなら最も呪われた死に方だから、死んで深い悲しみや恨みを持っているからたくさんの供養をし、慰霊をしなければ、その死者は幽霊のようなものになってたたってくるということになる。
 しかし、キリストが十字架で殺されて、あの世で泣いているとか自分を殺した人たちを恨んでいるなどということは、およそこっけいなほどのことである。十字架で処刑されているときからすでに、人々の罪を深く知って、その罪を赦してくださいと、神に祈られていたからである。キリストは十字架で処刑されてのち、三日目には復活して神のもとに帰り、神と等しい存在となられたのであった。
 捕虜として死んだ人たちも、寿命での自然な死もあれば、神を信じて捕虜の境遇も感謝して生きた人もいるだろうし、不満をもって死んだ人もいるだろう。日々を感謝して神のもとに帰った人は、地上の喜びをはるかに越えた清い喜びと平安を与えられているはずであって、地上の悩み多い人間がその死者の霊を慰めることなど、まったく無意味だということになる。
 しかし、日本の方式では、そうした人も一律に、死者としてなぐさめるということになるがこんな不合理なことはない。

法事
 日本の宗教的な考え方では、死んだら信仰あつい人も悪人でも同じように、死後は行き先が決まらないので、地上に残った人が、その人の魂の安定化のために法事と称するいろいろの儀式をすることになる。死んだ後の魂は不安定で生きている人にたたりや災いをもたらす恐れがある。だからそれを防ぐために、法事をするというのが、もとにある考え方である。そしてこれは仏教の教えだと思われているが、インドで生まれた本来の仏教にはそのような、魂を鎮め安定化するためのものでなく、四十九日の間に天界や人間界、畜生界などに生まれ変わるのであり、その行き先が決まっていないから、儀式をするのだとされていた。
 (「日本の仏教」渡辺照宏 108P 岩波新書他)
 それが中国に入って三回忌までするようになった。さらに日本に入ると、魂が鎮まるまでは死後三十三年から五十年かかるとされていたので、七回忌、十三回忌、…三十三回忌と追加されていったのである。これは時代とともに増え続け、現在では五十回忌が行われるようになった。五十回忌は一九五五年ころ以降になって追加されていったと言われている。
 このように、日本では仏教と思われているが実はそうでなく原始的な日本の宗教の習慣から来ている風習に仏教の衣を被っているという状態になっているのである。

ギリシャの哲学の場合
 また、死後の魂に関する、このようなことは、キリスト教以前のギリシャ哲学の英知ある人々もすでに知っていた。今から二四〇〇年ほども昔に、ギリシャの哲学者、ソクラテスはつぎのように述べている。

私がこれから行く死後の世界は、第一にこの世の神々とは別の賢明で善い神々のもとへであり、またこの世の人々よりもすぐれた、すでに亡き人々のもとへであると考えている。だから私は死を厭わないのである。…この上もなくよい主人(神々)のもとへ行くということは、なにかこのようなことで断言できることがあるとすれば、これこそまさにそうだということを知っておいてもらいたい。私は死んだ人にとっては、何かがある、しかも昔から言われているように、善き人々にとっては悪しき人々にとってよりもはるかによい何かがあるという希望を持っているのだ。(「パイドン」63BC)

 このように、これから裁判を受けて、毒殺されることを予感していたにもかかわらず、殺された後は、最善の世界へと導かれることを信じていた。ソクラテスの弟子たちの後に残った者が、ソクラテスの霊を慰めるなどといえば、それは逆であって最善の神のところに行ったソクラテスの方が、地上の闇に生きている者を慰めるのだというだろう。
 このように、キリスト教以前の四百年ほども昔の、ギリシャ哲学の時代から、死者の霊を一律に慰める必要などはないということを一部の英知ある人は知っていた。
 また、今日の仏教式の法事では、遺族が死者のために食物などを供することで、死後にたたるような霊にならずに静まった霊になると考える。あたかも人間が死者の運命を左右する力があるかのようなことを言う。しかし、すでに述べたプラトンはこの点でも、すでにそのようなことは無意味であるとその最晩年の著作で語っている。

人が死んだときには、その人の真の自己(魂)は、他の神々のところに行っている。それは、自分が生きているときになした言動の説明のためなのである。
 死後に神々のところに赴くということは、善き人々(正しく生きた人々)には自信をもって迎えられることであるが、悪しき人にとっては(神々の裁きを受けるのであるから)きわめて恐ろしいことである。
…人間がいったん死んでしまうともうどんな助けも届かない。生きている間にすべての近親者は彼(不正に生きていた人)を助けるべきだった。(プラトン著 「法律」第十二巻9より)

キリスト教では
 この点ではキリスト教も同様である。死んだ者のために祈ってその人が受けるべき刑罰を軽くできるというようなことは全く記されていない。死後の魂は主イエスも言われたように、神の手にあり、人は生きているときの言動や、地上にある間に神に心を向けたか、キリストを仰ごうとしたかなどによって神が適切なさばきをされるのである。

体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄(ゲヘナ)で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイ福音書十・28)

 キリスト教では、地上の命ある間に、神とキリストを信じるようになった者は死後は復活して、主のように変えられて、主とともに永遠の命を与えられる。

わたしたちは皆、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく。これは主の霊の働きによる。(Uコリント三・18)

 主と同じ姿に作り変えられるなら、主と同じように霊的存在となり、時間や空間を越えた存在になると考えられるし、主イエスの言葉によると、天使のような存在になるとも言われている。

主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っている。(Uコリント二・14)

 また、このような言葉によって私たちは復活のとき、ほかの復活した人々とともに神の御前に置かれるとあり、復活した人々はともに出会うことになるだろう。主と同じすがたに変えられるのなら、当然肉体を持っているときのような制限がなくなるので、イエスのもとに復活している人たちとともに会うことになると考えられる。 
 また、キリストのもとには神の国の賜物が満ち満ちていると記されている。つぎのように生きているときからすでに信じる者にはキリストの恵み、すなわち神の国の恵みがあふれるばかりに与えられたのであって、死後はキリストのすがたと同様に変えられるのであれば、なおさら完全に与えられるであろう。

わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ福音書一・16)

この意味は、私たちにとってよきものはあらゆるものがある、しかも地上で経験されたことの完全なものがあるということである。だから肉親や親族、友人などで、最もよき心情のつながりで結ばれていたものは、そのような最もよき感情をさらに完全にした心が与えられるであろう。

 このようなことから考えると、たとえ死に方がどんな状態であっても、生きているときの心によって神が一人一人を裁き、神のみもとで永遠の命に安らうか、または何らかの裁きを受けるかということになる。これは生きているときの言動、心の方向によって神がなさることであって、人間は関わることができない。また、ある人が息を引き取る寸前までどのような心が動いたか、罪を悔い改めたか、神を仰いだのかなどは、他人にはその本当のすがたは決してわからないのであって、ただ神のみがそれを知っておられる。だから元気なときに信仰がなかったから滅びるなどと簡単に決めしてまうことはできないのである。
 死後の魂の運命について人間がどうこうできるとは聖書では記されていない。
 私たちは死んだ人のことについては、何ら根拠のない習慣によって縛られるのは意味のないことであるし、これから育っていく若い人々に、宗教とは無意味な面倒なことだと思わせることにつながる。
 すべてを最善にして下さる神、どんな重い罪であっても心から悔い改める者にはすでに生きているときから、その罪の赦しを与え、神の国の賜物をゆたかに与えて下さる神を信じて、死後もそのような愛をもって死者を扱ってくださるのだと委ねることができる。


st07_m2.gifことば

(118)聖書と活けるキリスト

 聖書は大である。しかし活けるキリストは聖書よりも大である。我らがもし聖書を学んでキリストに接することがなかったら、われらの目的を達したと言うことはできない。聖書は過去における活けるキリストの行動の記録である。
 われらは今日キリストの霊をうけて、新たに聖書を作るべきなのである。古き聖書を読んで新しき聖書を作らない者は聖書を正当に解釈した者ではない。聖書はなお未完の書である。それゆえわれらは、聖書にその最後の章の材料を提供すべきなのである。(内村鑑三「聖書之研究」一九〇四年十二月号)

○新しい聖書をつくるべし、といわれてキリスト者の中には驚く人が多いと思われる。聖書は完結したものであってそれは神の霊が書かせたものだ、それに付け加えるなどととんでもない、と思う人がほとんどのはずである。内村は人間がさらに書き加えたものを聖書として出版せよなどとはもちろん言っていない。
 ここで内村が言っているのは、キリストは今も活きて働いておられる。過去に聖書を書いた人たちは活きたキリストに働きかけられて、み言葉を与えられ、それを書いたのが聖書となったのである。それなら、今も活きたキリストが働いて、キリスト者に語りかけているのであるから、キリスト者はその神からの語りかけを受けて何らかの各自ができる方法によって、世に提供するべきだし、そうできると言っているのである。今も活きておられるキリストの言葉を受けて、この世のなかに聖書のいわば終わりの章を、祈りや言葉、文章や行動という形で書き加えていくべきなのである。それほど神は昔も今も永遠の命を人々に注ぎ続けておられる。

(119)不幸の極

 病気になってもよい、私はただ神の聖意を知りたい。貧しくともよい。私はただ神の聖意を知りたい。人に憎まれてもよい。私はただ神の聖意を知りたい。
 私の不幸の極(きわみ)は神の聖意を知ることができないことにある。私は病気を怖れず、貧困を怖れず、孤独を怖れず、私はただ神に棄てられてその聖意が私に伝えられないことを怖れる。
 神よ、私にいかなる苦しみを下されようとも、あなたと私との間に霊の交わりを断つことがないように、と祈り願う。(同右 一九〇二年六月)

○この世には、人間の意志と神の意志がある。人間の意志、それは至る所にみられる。まず自分の利益、自分の楽しみ、自分が評価されること、自分を守ることを第一にしようとする心、それは人間の意志である。しかし、神の意志とは、最善のこと、最も愛に満ちたお方の心である。
 宇宙を創造されたお方、万能の神が最も求めておられることは何だろうかと尋ねる心、それは神のご意志を第一にしようとする考えである。神のご意志がわかるということは、神にまっすぐに向かっているということであり、そこから正しい判断力とか、苦しみに耐える力、汚れたことに染まらない勇気、弱い立場の者への共感などが自然に与えられる。それゆえ、内村はまず神のご意志を知ることを第一の願いとしているのである。

(120)菜食主義的な生活法は、原則的にいえば、たしかに最良のものである。けれども、なによりも先ず、文明化した人類をもう一度そういう暮し方にもどし、また一般に、生活法をもっとずっと簡素なものに慣れさせねばならないだろう。いわゆる文明こそが、この単純な生活から人類をひき離してしまい、そのことが結局、人類の損害となったからである。(「眠れぬ夜のために・第二部 一月十一日」ヒルティ著)
 
○今回の、狂牛病問題は政府のやり方のずさんさがまたしても露呈したが、このような機会にこそ、食物の問題を考え直すことは重要である。牛肉を生み出すには、アジア、アフリカの貧しい国々から大量の食物を輸入し、それを牛などの家畜に与えて肉を作るとい方法を取っている。そのためにそうした国々の飢餓状態がなくならないということにもつながっている。菜食を主とする食事というと、従来は単に個人の健康維持法といった狭い範囲のことと考えられていたが、今日では世界の貧困や飢えている人々とのつながりにおいても考えねばならない状況となっている。
 タンパク質を摂るのに、肉でなく、大豆などの植物で摂るということ、豆腐、納豆、みそを多用することなどが今後ますます重要になってくるだろう。
 ヒルティはすでに百年も前に、このように文明化した人類をもう一度、簡素な生活に戻って行かねばならないことを説いている。最近では、自転車道路を造り、自転車をもっと多く使うことなどが提唱されているが、冷暖房を使う時間をなるべく少なくし、寒いときは暖房を強めるのでなく、服を多く着る、暑いときはなるべく扇風機で我慢できるようにする…など具体的に一人一人が真剣に考えていかねばならなくなっている。

(121)愛をもってすれば、あらゆるものにうち勝つことができる。愛がなければ、一生の間、自己とも他人とも戦いの状態にあり、その結果は疲労困憊に陥り、ついにはべシミズムか人間嫌いにさえ行きつくほかはない。
 しかしながら、愛の実行はつねに、初めそれを決心するのはむずかしく、やがて神のみ手に導かれてそれを行いうるまで長い間たえず習得すべきものであって、愛は決してわれわれにとって自然に、生まれながらに備わっているものではない。ついに愛をわがものとした人には、他のいかなるものにもまして、より多くの力ばかりか、より多くの知恵と忍耐力をも与えられる。なぜなら、愛は永遠の実在と生命の一部分であって、これは、すべての地上のものとちがって、老朽することがないからである。(「眠れぬ夜のために」 第二巻 一月九日の項)

○ここでの愛はもちろん人間の愛でなく、神の愛、神から受けた愛のことである。それはこの「愛は決して自然に生まれつき備わっているのでない」と言っていることからもわかる。神の愛を受けてそれをもってすれば、あらゆるものにうち勝つ。ヒルティのこの確信は彼の生涯の結論でもあった。それゆえ彼は、その墓碑銘にこの言葉(ラテン語)を選んだのであった。次にその原文をあげておく。
「AMOR OMNIA VINCIT」 アモール(愛) オムニア(すべて) ウィンキット(勝つ)


st07_m2.gif休憩室

ウメと星

 冬の植物といえば、必ず新聞やニュースで目に触れるのは、ウメとスイセンだと思われます。このいずれもが香りがよく、姿や花の色なども美しいものであるためにいっそう昔から人々の心を引きつけてきたのだと思われます。
 また、このいずれも野性的で、温室とか花壇で肥料や温度あるいは害虫などを気にしたりせずとも、たくましく育っていくことも広く知られている理由の一つでもあろうと思います。
 さらにウメはその花や香りもよいだけでなく、その果実もまた薬用として日常の常食としてまた弁当のようなものにまで昔から今に至るまで広く用いられていることもあります。
 ウメと言えば、おそらく現代の多くの人たちにとっては、梅干しや梅酒のほうがずっと身近に感じていると思われます。それらは大都会のデパートやスーパーでもいつも売られているからです。しかしウメの自然の状態の花に接することができるのは、田舎や山間部の地方の人でなければ容易には触れられない人が多いはずです。また、最も寒いときに咲くウメの花を味わう心のゆとりを持っていない人が多くなっています。
 聖書の世界では、花はウメとほとんど同じ白い花を冬に咲かせる樹木があります。それはアメンドウ(アーモンド)です。旧約聖書でも特に重要な預言者の一人であるエレミヤに最初に臨んだのが、このアメンドウの花を神が指し示したことでした。神は自然の風物を用いても語られるという例です。

主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「アメンドウの枝を見ます」。 (エレミヤ書一.11)

 アーモンドには二種あって、野生のアーモンドは白い花をつけ,その種子は苦味を帯びています。もう一つは栽培品種で赤い花をつけ,種子はおいしく、菓子として用いられています。聖書に出てくるのはもちろん野生種の白い花を咲かせる方です。
 まだ若かったエレミヤに対して、神がたえず目を見開いて民を見張っている姿をアメンドウの白い花に目を向けさせることによって象徴的に述べています。


星と詩

 興味深いのは、日本の古代での代表的な歌集である万葉集には、サクラの歌は38首、ウメの歌は104首と、圧倒的にウメが多く歌われているということです。ウメよりはるかにサクラが華やかで春の暖かい頃に咲くのでよく目立つから多く歌われていると思われますがそうではないのです。
 もっとも当時のサクラといえば、現代のようなソメイヨシノでなく、自然の山に多いヤマザクラが多かったと思われます。古代人の方が、現代人よりもウメの花の良さをより深く知っていたのがうかがえます。寒中に単独で花を開くウメの良さを感じ取る心は、夜の闇のなかに清い光を沈黙のうちに投げかけてくる星の良さを感じることに通じると思われますが、意外なことに万葉集では星はほとんど読まれていないのです。夕方に断然他の星の輝きを圧して光る金星は夕づつの名で詠まれていることと、天の川などをのぞくと、星の歌は万葉集の四千五百首のなかでわずかに二首しかないということです。
 それに対してギリシャや中国の古代の詩には星は多く現れるし、聖書には旧約聖書では七十回近く現れ、新約聖書では三十回ほど現れることと考え合わせても、日本の万葉集に星がきわめてわずかしか現れないのは特異なことだと思われるのです。
 地上の制約を超えた、遠大なものを見つめるという心が乏しかったのだろうかと思わされるのです。唯一の神を見つめる心とは、星を見つめる心と通じるものがあります。キリストも明けの明星にたとえられているほどです。


st07_m2.gifお知らせ

四国集会
 今年の徳島でのキリスト教四国集会(無教会)は、以前の「はこ舟」で五月開催と書きましたが、いろいろの都合で変更となり、六月十五日(土)〜十六日(日)となりました。会場は徳島市の眉山会館です。予定に入れておいて頂ければ幸いです。四国集会という名称ですが、従来から県外の方々の参加も自由なので、京阪神方面とか九州、関東方面からも参加者がありました。今年もそうしたいろいろの地域からの参加者も交えてともにみ言葉を学び、主にある交流が深められ、ともに前進していくための場となればと願っています。この会が主の祝福を受けるものとなりますよう、ご加祷下されば幸いです。

私たちの集会で発行している「野の花」文集ができました。この文集も誌上のエクレシアとなり、それらの文が主によって用いられること、そして御名があがめられることを目的としています。


st07_m2.gif返舟だより

 ある若い友人からつぎのようなメールがありました。現在は外国にいますが、旅立つ直前に送られてきたものです。少し長いのですが、一部を引用します。

 本当のことを言うと僕の方も今にも倒れそうで悩み続けています。本当に何も手につかないといった状態です。
 けれど聞かずにはおれません、死んでしまうとはいったいどういうことなのでしょう?死ぬとどうなってしまうのでしょう?
 母や父やほかの人達の言うように何も無くなってしまうのでしょうか?
 これは、ぼくにとって本当に悲しいことです。今まで生きてきたことも全て消えてしまう、人生に何の意味も見出せなくなってしまいます。
 自分がこの疑問についてずっと悩んでいたからというのもあるのです。はっきり言って不安で一杯です。いくら悩んで、答えを見つけようとしても答えが出ません。
 僕は人よりも「死」というものが幼い頃から人よりも身近にありました。最近の飛行機事故など、そういった一連の事件を目のあたりにしたからかもしれません。…本当に神様はいるのでしょうか?
 永遠なんて本当に在るのでしょうか?僕はここ何年間か自問自答してきました。死ぬってどういうことだろう…。
 どうして生きているのだろう…。生きるって何だろう…。本当に死んでしまうと真っ暗になって、何も無くなってしまうのだろうか?

 このような疑問はこの友人が書いているように、どんなに考えても答えが出てこない、それは当然だと思われます。
こうした問題に対して平安が与えられるのは、人間の思索や、経験、学校の学びなどではないからです。
それは神からの啓示が必要だからです。
私もそれについて説明しましたが、その説明とか祈りを、神ご自身が用いてくださって、この友人に神からの啓示が臨むのを待ち望むばかりです。
2002/11