「祈りの風」

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老いの身にも

               T.I.(神奈川県横浜市)

 私は42才の時、迷いネコが暗闇でイエスさまの胸にドンとぶつかり方向転換させられたような信仰者です。長い人生、いろいろな出来事があり、ああすればよかった、こうすればよかったかなと思うことが、しきりに出て来た時がありました。

 そんな時、「この人は、できるかぎりのことをした。」(マルコ14章8節)に出会いました。そして、その時、その時に、しっかり考えて、それが精一杯だったのよねと、自分を赦し、今までマイナスと思った出来ごとも全部ふくめて、今の私がある。

 イエスさまと出会って全部〇だと、おだやかに暮らしていましたが、最近になって、わたしの一番の古傷をしきりに思い出され、どうしたことかと思っていたところ、何回も「赦し」のメッセージを続けて聴かされました。和解は相手が必要だけど、赦しは自分のこと、赦しは新しい扉が開く神のプレゼント、と。自分の心に問いました。 あの時、こうすればよかったのに、と自分を責め続けていた私、向きを変えれば相手に矛先を向けています。相手を赦せない。と気づき「主よ、赦せません」と祈りました。自分でもハッとする程の思いでした。 赦せない、赦せません、と繰り返しているときに「わたしの目には、あなたは高価で尊い」イザヤ43章4節が聴こえました。こんな私が赦され、愛されている。と思った途端、私の心から、いたみがなくなりました。不思議なほどの静けさです。

 こういうことがおきる少し前、老いて体力も気力もなくなり、気持ちはあっても出来なくなって良くないなと思い淋しくなっていました。そんな私に、何かが出来る、出来ないでなく、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」ルカ10章20節のメッセージをいただきました。イエスさまが、命の書に名を書いてくださったのだから何ができなくなっても大丈夫と安心し、喜んでいなさい。と。本当に私の存在を喜んでくださる主のご愛を心から感謝したことです。

 自分でも気づかなかった心の古傷を主は表に出し、いやしてくださいました。老いの身にもご愛で覆ってくださっている主。「あなたは、わたしのもの」と言ってくださる主に心から感謝しています。

 

「胸の奥に潜む罪と汚れに

人知れず悩むは、誰ぞ誰ぞ

すがれイエスに イエスの愛に

心は、平和と喜びに満ちん」(新聖歌175 胸の奥に)


 

 詩編より

               K.I.(東京都日野市)

 

「人の歩みは主によって定められる。

 主はその道を喜ばれる。

 たといその人が倒れても、

 全く打ち伏せられることはない。

 主がその手を助けささえられるからである。」

        (詩編 第38章23~24節)

 


 

「テゼの源泉」を読んで

                                     K.A.(福岡)

 最近、ブラザー・ロジェの『テゼの源泉』(ドン・ボスコ社)を読み直していて、キリストが心の中にいることを強調している箇所にあらためて胸を打たれました。「キリスト・イエス/あなたはいつもわたしの内におられました/それにわたしは気づいていませんでした/そこにおられたのに/わたしはあなたを探していませんでした」(九頁)パウロも「キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラテヤ 二の一九)とはっきり言っています。復活したキリストは、常に私の心の奥底に来てくださり、共に歩んでくださっていました。そのことに長く気づかず、また気づいても忘れることを繰り返してきました。しかし、いつしか、そのことに気づくように導いてくださっていました。

 すべての愛を支える愛であるキリストの愛に気づき、またそのキリストがどこか遠くにいるわけではなく、最も私のすぐ近くに、心の中にいてくださることを、常に喜び感謝して生きていきたいと思います。


 

「科学史・科学哲学入門」を読んで

                  O.Y.(神奈川)

 寮生たちと読んだ村上陽一郎著『科学史・科学哲学入門』には驚かされました。この本によれば、科学と神学は本質的にほとんど大差がないということです。《科学は客観的で、物質現象や実験に基づくものであると思われていますが、実は全然そうではなく、人間の価値体系や解釈に大きく影響されている。そして科学が今のまま暴走を続けると必ず人類は滅ぶ。だからこそ、科学を包括する大きな神学を打ち立てなければならない。そしてそのような神学を打ち立てる可能性を切り開くのは、キリスト教とユングである。》以上がこの本の要約です。きっとそうでしょう。しかし私たちがことさら努力しなくとも、キリストの愛がきっとそのような新しい神学へと導いてくれると思います。キリストの愛は、全てに打ち勝つ究極の命ですから。

 


 

神の憤りの盃

                                 K.N.(福岡県)

 福岡聖書研究会の集会でエレミヤ書を共に学んでいます。今日はエレミヤ書25章の学びでした。エレミヤはユダの民全てとエルサレムの住民全てに23年間主の言葉が私に臨み、私は繰り返し語り続けてきたのに、あなた方は聞き従わなかったと語り始めるのです。悪の道、悪行から立ち帰れと、また、あなた方は他の神々に従い平伏した、あなた方は聞き従わなかったと。

 続けてエレミヤはバビロンの王ネブカドネツァルにこの地の住民、および周りの国民全てを責めさせると、預言の言葉を語ります。

 15節からは神の憤りの盃についての預言です。

「イスラエルの神、主は私にこう言われる。私の手から憤りのぶどう酒の杯を取り、私があなたを遣わす先のすべての国民にこれを飲ませよ。彼らは飲んで、よろめき、私が彼らの中に送る剣を前にして正気を失う。」と。

 この神の怒りの杯はヨハネの黙示録14章9節から11節にも出てきます。

「また、別の第三の天使も後に続いて、大声でこう言った。誰でも、獣とその像を拝み、額や手にその獣の印をうけるものは、」

「その者たちも、神の怒りの杯に注がれた混ぜものなしの怒りのぶどう酒を飲むことになる。また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられる事になる。」

「その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上がり、獣とその像を拝む者たち、また誰でも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」

 なんという恐ろしい預言でしょうか。この神の憤りの杯の所を読んでいる時、私の中に浮かんだのはゲッセマネで「この杯を私から取りのけてください」と祈られるイエス様のお姿でした。ルカ福音書には「汗が血の流れるように地面に落ちた」と書いてあります。

 私こそがこの杯を飲まなければならないのだと思いました。

エレミヤ書に書いてあるように、神様に背を向けて、自分中心に生きてきたからです。イエス様は私の代わりにこの神様の怒りの杯を飲み干して下さいました。全人類の為にも。

 エレミヤ書二十五・6には「あなたがたは他の神々に従い、それに仕え、それにひれ伏してはならない。自分の手で造ったもので私を怒らせてはならない。そのようにすれば、私はあなたがたに害を加える事はない。」

 7節「しかし、あなたがたは私に聞き従わなかったー主の仰せ。あなたがたは自分の造ったもので私を怒らせ、災いを招いた。」

 ここには神様の怒りの理由と災いを招いた根本が書かれてあります。そして私の言葉に聞き従え、聞けという言葉が繰り返し繰り返し語られます。

 偶像崇拝の行きつくところは滅びだ、だから今私の言葉に聞き従いなさいと言われているのです。エレミヤ書は二千年以上前に書かれた預言書ですが、今の私たちにも神様の言葉として語りかけてきます。

 今エレミヤ書を読み、共に学ぶことで驚き、感動した事があります、それは思いもよらなかったゲッセマネで祈られるイエス様との出会いでした。

 


 

老い楽川柳(4)

               T.N.(岡山)

・世界は今 同じ言葉に 戻るのか

・洪水は 神の警告 聖書(ほん)伝え

・願いから 始まる私の 祈りかな

・まず讃美 祈りの原則 教えられ

・主は言う 「わたしのところで 休みなさい」

・高齢者 しかも後期と 納得し 

・高齢者 なりて分かりし 事多し 

・老いの坂 下り坂か 登り坂か 

・回復は 元に戻ると 限らない

・情報に 助け求めて おぼれる子

・スマホの 中へ居場所 求める子

・裁断機で 人間の罪は 消えません

・うやむやに 大事なことほど うやむやに

・自らを 捨てて救った アフガニスタン(中村 哲氏)

・オリンピック 権威と金が うごめいて

・人と人の 密が大事と コロナ教え

・全世界 密になりすぎ コロナ舞う

・コロナ曰く 深く静かに 生きなさい

・彼岸花 咲いて存在 知らせたり

 


 

キリストの香り

                  T.K(徳島)

 キリストの香りを放つ人に出会いました。わたしの通う教会へ、新しく着任された牧師の夫人。初めての礼拝の朝、牧師と夫人は教会の玄関で、一人一人を笑顔で迎えられました。 夫人は薄いグレーの夏のワンピースにレースの白いカーディガンを羽織り、その清楚な服装と容姿は白百合のような印象を与えました。礼拝後、挨拶に立った牧師は「妻がお話します」と夫人を前へ招きました。皆の前に立たれた夫人は、マスクを外し、お顔を見せて下さり、「こんにちは」と声を出さずに挨拶をされました。そして、マスクをかけ、ご自分がどのような経緯でイエス・キリストを心に迎えたか、その後の歩み、牧師との出会い、お母様のことなどを、簡潔に率直に話されました。最後には「祈ることがあれば、言ってください。祈りますから」と。 そのお話の内容も、話す姿も声もさわやかで清らかでした。「キリストの香り」とは、このことだと思いました。その週、わたしは何度も夫人の清楚な姿と声を思い出し、癒されました。 夫人は初めての地、徳島で、引っ越し早々保育所へ就職し、保育士として働いておられます。保育所でもきっと、キリストの香りを周囲の人に放っておられると思います。

 


 

主の導き

                       T.Y.(徳島)

 母は「何が幸福かわからん」「いつ何が起きるかわからん」と言っていました。たまたま幸福になったり、不幸になるのか、何か絶対的なものはないかを考えるようになりました。一九八五年三十九歳の時、転勤で七回の引っ越しの後、徳島に家が与えられ、母が新築の家を見て、「良子、こんでもう、気が済んだだろ」と言いました。本当に欲しいものはこの家と違う、と思いました。母は、わたしが何かを求めていたことを感じてくれていたことを知りました。こどもの頃より幸福に敏感でした。物質的なものだけでは満たされない自分を持て余していました。

 一九八八年十月、甲状腺がんの手術をし、薬を飲み続けることになり、声もかすれて元気が出ませんでした。

 一九八九年二月二十二日、夫のはとこに誘われ、ルーテル教会に行き、温かい優しさの中、キリストを熱心に語り、祈り、感謝している人たち。忙しい競争社会にこのような空間があることが新鮮で驚きでした。ピュリュコさんのお祈りに号泣しました。その日、かすれていた声が出るようになりました。行くつもりのなかった教会へ四回通い、三月九日の夜、湯舟の中でまばゆい光が降り注ぎ、今までの人生すべて意味があった。本当の父に会ったように思え、涙があふれ瞬時に洗礼を決心しました。翌朝、気持ちが変わっていないので、はとこに話しました。教会で、良子さんがバッバッバッと変わっていくのが見えたと言いました。長い間探し求めていた答えが、すべて聖書の中にあると思え、それまで抱えていた、心の飢え渇きは全くなくなりました。聖書が抵抗なく読め、探していた答えがすべてあると思えました。「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心は誰が耐えるだろうか」(箴言十八・24)わたしはこの聖句の状態にいました。「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は魂の牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(ペテロ十二・25)

 礼拝後、学びに誘われ次々と聖書を開いていくうちに、この先何があっても恐くない、大丈夫、という気持ちになり、新改訳の重い聖書を持って嬉々として家まで歩いて帰りました。その頃の体調では考えられないことです。復活、再臨がスーっと入ってきました。キリスト教についてはほとんど何もわかっていない頃です。新しい聖書で、開けるのが精いっぱいで印もつけず、後から考えてみて、ヨハネ黙示録七・15から17でなかったかと思っています。ピュリュコさんがフィンランドに帰られる四か月間はそれまでの日常とは全く違う、不思議な素晴らしい日々でした。

 次の宣教師が来られる三か月間は信徒だけで、悪魔も働いていたと思います。初めの感動の余韻だけで通っていました。

 神様と劇的な出会いと確信があったにもかかわらず、その後の歩みはお粗末なものでした。正しく生きてきたつもりだったので、十字架、罪の赦しが頭ではわかり、たくさんの本、テープからも共感できるのですが、新しくされた喜びはピュリュコさんがいなくなり、徐々に薄れていきました。自己義認が強く、砕かれそこなっていると思うのですが、教会ではマルタを古い自分のまま自力で頑張っていました。その間も榎本牧師の早天のテープ、吉村先生のCDを聴き続けていたので、これではいけないと思っていました。集会の方に関わりたいと思いましたが、神様のお許しがないと思っていた頃、榎本師の民数記の終わりのところで「あなたはそこにつかわされている。」申命記のはじめで「そこにも神様はおられる。」と示され、礼拝はルーテルでそれ以外は集会でお世話になろうと思っていました。

 二〇二一年、元旦の早朝に起きることができ、スカイプで、徳島聖書キリスト集会の元旦礼拝に参加させていただきました。

  その後、一月二十日、吉村先生の緊急入院、手術に際しての集会、他、皆様の対応は見事でした。先生の人生をかけての献身の実が結んだように思われました。

 信仰の生涯を全うし、教会で告別式をすることは、一番の証、伝道になると聞いていましたので、わたしも漠然と教会で、と思っていましたがコロナによりリモートや家族だけという形もあるので、告別式のために教会につながっているより、自分の信仰を喜びのある、救いの確信のあるものとしたいと思い、教会と吉村先生にお許しをいただいて、移らせていただきました。

 教会では、罪が示されても、自分はまだましな方と傲慢不遜でしたが、徳島聖書キリスト集会とそのスカイプ集会では、真剣に信仰に歩もうとしている多くの方たちと出会い、圧倒されています。それだけでも大きな恵みです。米田武子さんが感話の中で「間に合ってよかった」と言われ、わたしも本当にそうだなと思いました。


 

試練の中で

                N.K.(福井)

 一年ほど前から、幻覚、幻聴、時間の感覚がずれて曜日や夜昼の区別が出来なくなって混乱したり、家の中で転倒したりすることが多くなり、それに伴う打撲、外傷、骨折(肋骨)もあり、外科医にしばしばお世話になりました。今年四月には入浴中に眠ってしまい溺れる寸前に家内に助け出され入院いたしました。約一か月の入院でいままでのパーキンソン治療の基本薬が無効であるばかりでなく副作用が出ているといわれ、別の薬に変更されたところ翌日から暗闇から光の世界にきたようなさわやかさを味わいました。幻覚、幻聴は消退し、転倒もなくなりました。劇的改善にあずかりました。以来、日常生活は介助なくできておりまして、時々大声で讃美歌を歌わせてもらっています。

 退院後、しばらくして香西さんからマラナ・タ誌が送られてきました。詩編122編の講解説教が載せられていました。今まで何度も読み返し記憶するくらいになっていた特愛の詩編です。しかし、新しい訳で読んでみると、どの言葉もはらわたにしみとおる感動をおぼえるのです。全編をとおして押し寄せ来る神の愛に圧倒される思いでいっぱいになりました。異国の地に奴隷として連れてこられたこの詩人は、民族の滅亡という悲運をなめつくそうとしていたものと思われます。周囲にはあらゆる場所でバビロンの偶像が祭られ敬われており、お前の神はどこにいるのかとあざけられています。そうしたきびしい情勢の中で、詩人は滅びから救おうとされる愛の神の細き静かな語りかけをきいたのでした。それは目に見える現実がいかにきびしいものであっても、確かな希望を与える福音の言葉だったにちがいありません。なぜなら詩人が目をあげて見える世界は神の創造された世界であり、それを支配される主なる神は愛の極みをなされる方だから。こんな小さなものも惜しみ給うてそのために高価な犠牲をはらうことをいとわれない方が、今私とともにあって慰めてくださる。この講演の最後に内村の言葉が引用されていました。この詩人の心境もこれと似た心地ではなかったかと思われます。「あえて大事業をなさんとせず、大伝道を試みんとせず、大奇跡を行わんとせず、ただ神の命これ重んじ、彼の言葉これ従い、神を信ずるこれ事業なりと信じて、生涯をおくることである。信仰の生涯の大部分は忍耐である。静粛である。待望である。神にありて自己に足るの生涯である。また、神より何物をも受けることなきも、神ご自身を賜りしが故にその他を要求せざる生涯である。」人生の終わりに試練が与えられていますが、このような待望、静粛、忍耐の日々でありたいと思っています。


 

家庭礼拝の中から

                 N.Y.(台湾)

 台湾に来て以来、現地の長老派教会に通っていましたが、使用言語が現地の台湾語であるため礼拝に心から参加できないため、毎日曜日は自宅で礼拝を持つようになりました。

 ルカによる福音書1章からはじめ、今日の箇所は10章1~24節でした。物語の場面を、毎回1~3枚の絵にします。今日の絵は喜びながら村々から帰ってきた弟子たちがイエスに報告をする場面です。イエスは「悪霊が服従するからといって喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われました。イエスは浮かれる弟子たちを諫めているようにも読み取れますが、そうではなく、イエス様は喜びにあふれて、天の父に報告しているのだと思われます。イエスは大の大人である弟子達を「幼子」(原文に「のような」はない)と言い、財布も袋も持たずに遣わし、ある村では拒まれつつも、自分の元に戻ってきた弟子たちの成果とそれ以上に信仰を、とても喜ばれています。

 思えば、十二弟子たちは悪霊に打ち勝ち病気をいやす力と権能を授かり、業を行い、福音を告げ知らせて戻ってきました。しかし、その後、自分たちの中でだれが一番偉いか、という議論や言い争いが起こってしまいました。誰が一番イエス様のように多くの人をいやし、奇跡を行い、伝道に成功したか、と。またある時には、一緒に従わない者にはイエスの名前を使わせまいと考えたり、イエスを歓迎しない村を焼き滅ぼそうと提案したりもしました。イエスにつき従いはじめた頃の弟子たちの姿はなかったと思います。

 これらの箇所から、私は「一人前になる」ことの意味を改めて考えさせられました。一般的には、社会人としての権利や義務をしっかり果たすことができたり、必要とされる能力や技術を十分に身につけるなどした好ましい状態が「一人前」と言われます。人を一人前にする、人が一人前になるということは家庭や学校、社会の中でも大切なことで、異論の余地はないと思います。

 しかしことイエスへの信頼、信仰のこととなると、半人前で、未熟で、依存心が強いーーむしろ全面的にイエスに依存し、寄りかかる方が大切であることが、今日の箇所から分かります。無信仰の信仰、とも通底します。弟子たちは自分たちがイエスを信じ切って「行ったこと」を喜び報告しました。イエスは「そう言っておいただろう」と幼子のように信頼する弟子と父、ご自分との関係をお喜びになりました。そのような状況を思い浮かべながら絵を描くことは楽しくもあります。

 台湾に来てから、こどもさんびかを歌うことが多くなりました。言葉がやさしく歌詞も単純で、自然の恵みへの感謝やイエスに対する信頼がテンポの良いリズムに相まってのびのびとしています。

 かなしいことがあっても

       こどもさんびか改訂版131

かなしいことがあっても

なきたいときにも

いつもいつも

きみのこと

守ってくれるだろう

イエスさまがきて

イエスさまがきて

イエスさまがきて

守ってくれるだろう

 


 

「主の御はからいを何一つ忘れてはならない」

    ー数えてみよ 主の恵みー

            N.K.(大阪・高槻市)

 毎週、家庭集会の為の讃美を選んでいるとき その讃美の関連聖句を読んでみる。

「望みも消え行くまでに」(新聖歌172番)には 詩編103編2節とあった。

 「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」(新共同訳)

 新共同訳では「主の御計らい」とありますが、口語訳では「そのすべてのめぐみ」とあります。私自身のこれまでの歩みを振り返ってみても神様から受けた恵みは計り知れない。自分が為してきたことのように思っているが、一つひとつのことはすべて主の恵みであり、計らいだったと思えるのです。中学時代 国語教師であった恩師から誘われ家庭集会に参加するようになったこと、成人してからも学校という場で仕事を与えられたこと、高齢にさしかかった現在も家庭集会をもつことが赦され、たとえ数人であっても共に聖書を学び讃美できる兄弟姉妹を与えられていること…、色々と苦労なこともあり、今でもあるけれど信じ続けることができたこと。それらはあたりまえのことではなく背後に神様の導きがあり、すべてが主の恵み、御計らいなのだと思えるのです。

「私たちがキリスト者となっているのは、誰かの伝道による。しかし、誰かがいくら説いても、ならない人はならない。それゆえに、私たちがキリストの復活を信じ、十字架による罪の赦しを信じることができるようになったのは、神が直接にその人の魂に語りかけた、働きかけたということなのです。」(「いのちの水」7月号 P14)

 キリストを信じてきた人々が苦しみと絶望の中でも信じ希望をもって歩んできた、苦しい時にイエス様のあの苦しみと十字架の赦しを思うとき不思議な平安が与えられてきた。

 主は私たちの内にまた背後で常に働かれ、最終的にはすべてを最善に為してくださることを信じていきたい、そのような信仰を持たせてくださいと祈ります。

 「天が地を超えて高いように 慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。」(詩編103編11節)

 「主の慈しみは世々とこしえに 主を畏れる人の上にあり 恵みの御業は子らの子に」(詩編103編17節)

 

 神の恵みが注がれていてもその恵みを受けることができないような時もあります。根深い罪ゆえに生活に及んでこない生かされてこない、主を畏れる者でなくなる時があります。人間的なことが大きなものになってくると私たちの思いはすぐにこの世のことに奪われてしまい、恵みを受けることができなくなってしまいます。私たちの神様への期待はあまりにも小さすぎる。でも罪を犯し続けている私たちを、ただ信じるだけで赦してくださっている方がおられる、その一番の大きな恵み!

 愛がなく神様の言われるようになかなか生きられない者であるのに、いつも変わらぬ真実をもって、欠陥品の私を赦し、助け導き続け、与えてくださった恵みの数々、これまで良くしてくださったその御はからいを何一つ忘れることのないように、そのことを今日も思い起こすことができますように、心が落ち込むような時でも神様の祝福は完全でいつも大きな御腕の中に自分があることを知り、その恵みは数えきれなくあることを信じ、目を開いてくださいますようにと祈っていきたいと思います。

「…しかし罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、私たちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」 (ローマ 6章20~21)

「キリスト者の生活の生命線ともいうべきは祈りである。その祈りとは主の霊にうながされて為すことであり、主にあって為すことである。それは常に主を思いつつなすことであり、主のみもとに近づくことにもなる。」(「いのちの水」7月号1P)

 


 

力は主にのみ在り

                   N.M.(静岡)

 

 今年の4月から清水聖書集会の礼拝は、「ヘブライ人への手紙」を学びました。そして7月11日の第二週の礼拝では、最終章13章を学ぶことができました。この手紙11章には、旧約時代の指導者たち…アベルから始まり、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ…の名前が連なり、信仰によって神の約束の言葉を信じ、この世を終えたことが記されています。そして手紙13章7節には、締め括りとして、「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。」と記されています。私にとって、この言葉が大変心に響いてきました。新約の時代を迎えると同時に、イエスがこの世に誕生し、34年間の短い人生を終え、御国へと帰られました。それから約二千年の時が流れた現在、キリストに巡り合って45年間の西澤に、「神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい」と、直接語られているように心に迫ってくるのを覚えました。同時に私が入信以来、礼拝を共にし、導きを受けた石原正一様の信仰の姿が偲ばれたのです。

 約20年前の清水聖書集会の代表は、石原正一様でした。御自身が経営する新聞店二階を礼拝の場として開放してくださいました。その石原様は、2010年4月24日御国へ帰られました。石原様は、礼拝に出席することを最大の喜びとし、また参加することを励みとされました。今、私の手元に石原様からの手紙があります。「3月23日以降の異常の疲れは…、最近、臥床安静の時を欲しています。それで聖書の担当ができない状態です。集会兄姉に御迷惑をおかけして申し訳ありませんが、暫く体調が整うまで礼拝の担当を辞退させていただきたく宜しくお願い致します。2010年4月10日 西澤正文様 集会兄姉皆様 二伸 尚、体調許す限りは出席して礼拝を共にさせていただきたく宜しくお願い致します。まことに勝手ながらお願いまで。」 結局4月4日の礼拝が石原様の最後の礼拝出席になりました。その日の石原様は、階段の途中で立ち止まり、小休止を取り、呼吸を整えてから席につかれました。これが最後の礼拝になるとは思いもよりませんでした。 この手紙は、いつもの石原様らしく、一字一字丁寧な文字で書かれていました。それから三日後の13日に書かれたメモが手元にあります。 「九十三がわが齢の限界なり 兄弟と再び聖国にて会わん 2010・4・13 主にある元木兄、愛する兄姉みなさん」 たった三日間しか経っていないのに、文字は大変乱れ、これが石原さんの文字か…と思うほどでした。いよいよ御国が近づいて来た思いがあったのかもしれません。胸に迫るものを感じました。 このメモの五日後の4月18日、礼拝を共にした家族から、「西澤さん、礼拝を終えたら父が寄ってほしいと言っていますので会ってください」と告げられ、石原様が休まれている部屋に伺いました。石原様から「わたしの葬儀をお願いします」と頼まれ「はい、承知しました」と約束しました。亡くなられる六日前の事でした。

 思えば、余分な心配を掛けたくない、と言う石原さんの集会皆さんへの優しい心遣い、同時に、礼拝に出席し、清水聖書集会の兄弟姉妹と共に主を賛美し、賛美の歌を歌いたいという強い願いも叶わなかった気持ちがひしひしと伝わって来ました。 約束を告げて部屋を出る時、部屋に掲げられた紙が目に入りました。石原様自筆の毛筆で書かれた言葉でした。 「主に委ぬ 一切を主が負い給う 『全ての重荷を我に委ねよ 自力にて此れを負わんとすること勿れ』 力は主にのみ在り 2月25日」

  ベッドで過ごす時間が多くなり、御自身で書かれたこの言葉を励みとし、また、神様を慕い求めることを心の拠り所とされていることが伝わって来ました。 これぞ石原様の信仰では!と強く思いました。この世を去る日が刻一刻と迫っていることを御自身で受け止める生活の中で、水がバケツからあふれ出るように、自然と心の中から湧き出た言葉だ、石原様の信仰そのものだ!と実感しました。 35年間という長い間、近くで石原様を拝見し、私自身、本当に信仰に生きられた人との印象を強く持ちました。祈りのある生活、聖書をよく読むことの大切さを何度も何度も繰り返し話されました。また、私は、石原様から一言、直接言われた言葉があります。「西澤さん、人は謙虚な姿勢をなくしてはいけません」と、穏やかな口調で言われました。それだから尚更、胸に迫ってきました。言われたことが、今でも昨日のことのように蘇ってきます。また、どんな人でも、人との交わりには、「主にあって敬愛する○○さん」と、必ず、神、キリスト・イエスを介在され、交わりをされたように思います。生活のあらゆる面で神を迎え入れ、神中心に生活された人でした。 前々から「私の告別式は、最後の伝道の場としたいです」と言われました。式に参列された方全員を、会席の場に招待されました。儀式めいた雰囲気を一掃され、御自身の告別式を、主を信じる兄弟姉妹の交流の場とされたのです。一人でも多くの方に参加して頂き、キリスト者同士の交わりを深めていただきたい。それが伝道になると信じ、願っておられました。御遺族が、告別式に参列された方へ、父の記念になればと、部屋に掲げられた「主に委ぬ 一切を主が負い給う…」の言葉を出席者に配られました。清水聖書集会の元木様も自宅の居間に貼ってあるのを拝見し、石原さんの御言葉に励まされているな、と思いました。 キリスト・イエスと共に生活され、信仰を堅持しつつ御国へと帰られた石原様。今、ヘブライ人への手紙を学び終えて思うことは、一人の信仰者を長い間に渡り、身近で拝見できたことは、動かすことのできない事実であったこと、これはわたしにとってとてつもなく大切なものであったことと教えられました。石原様の神様を信じる姿は、残された清水聖書集会の兄弟姉妹一人一人の杖であり、天国へ向かう道しるべとなりました。

 


 

「神様」

              N.M.(東京都)

神様 今あなたは何処におられるのでしょう

神様 今私は主を探す旅に出ます

神様 何処にいるの 貴方を探し出せない

神様 諦めて家に帰りました

神様 守られて感謝して祈ります

神様 わかりました あなたの居る所が

   私のただ中に共にいて下さった。

神様 ありがとう やっと気づけました

神様 私は今一番幸せです

ありがとう ありがとう 神様に感謝します

  これに曲をつけて歌うようになりました。

 


 

「祈りの友」の先輩の文章より。

             H.G.(福岡)

 神兵

 私は久しぶりの病床に伏して、自分などはむしろ早く世を去った方がいいのではなかろうかと、そんな事さえも考えていた。その時、突如、電光のごとく閃いたものがある。神の戦だ! 悪魔世に満ちて、神の聖名は崇められず、神の聖意は地に成っていない。霊界の戦もまた、今たけなわである。 真の神を知らされた汝は、神に召し出された神兵ではないのか。無能でもよい、病弱でもよい、それは神様が御存じで選び給うたのである。むしろ、それは神の聖名の顕れん為に必要なのかもしれない。汝ただ死に至るまで忠実なれ。(内田正規「午後三時の祈り」より)

 

 もしも君のお子さんが幾日でも親である君に対して黙り込んでいたとしたら、とても我慢できないだろう。よしそれが君を煩わすだけのことであったにしても、とにかく話しかけてもらえたほうがうれしいだろう。祈らないことほど神を悲しませることはない。 (西川賎「祝福は限りなく」より)

 


 

無くてならぬもの 

               F.S.(鹿児島県)

 コロナ禍の中で集会や訪問は依然として不自由窮まりない情況にあり悲しく辛いが、聖書の学びは一人でも豊かに恵まれることを実感する。書棚の整理を兼ねて古くて新しい聖書の真理を学び神の恩恵を浴びるのは本当に楽しい。今年の前半、矢内原全集の第七巻(ルカ伝)全文とMOL広報(ハンセン病者福音宣教協会月刊誌)の所々のパソコン入力を終え、後者はゴメンナサイという気持ちで処分した。そして最近は、5月25日から石原兵永『聖書の言』の所々を入力している。言誌は私がとっていたのではない。敬愛園恵生教会の書庫にあったものをいただいてきたものである。1962年5月号(319号)から1982年12月号(559号)まで、欠号もあるが実に深い信仰と愛に満ちている。私はこれまでこの中の『山上の垂訓』『ガラテヤ書』『コロサイ書』をそれぞれ印刷し、集会の兄姉に配って喜びと益を共にしてきた。しかし、それだけで言誌を手放すのは忍びがたく、残りの文章から自分も人も何度でも読み味わって力と慰めを得たいものを選び打ってからサヨナラすることにした。今1966年11月号(373号)に入っている。 1963年6月号(332号)の巻頭言に表題の「無くてならぬもの」があった。あまりにも感動したので転載しお裾分けしたい。 誌友の一人Mさんは長いこと全生園で療養生活を送っているが、最近「小さき声」というパンフレットを発行し、日夜ぎりぎりの限界状況の中で経験するたましいの叫びを語っている。その中に次のような話があった。

 「Sは60歳の盲人で手はきかず、足は室内をやっと歩ける程度で、物に寄りかからなければ立っていることができない。結核病室にいたが、退室して間もなく、神様の言を聞きたいと私に言った。私はマタイ伝を一、二章ずつ毎日読んであげた。そしてマタイ伝が終わって、マルコ伝にうつろうとしたとき、わしは頭が悪い、マタイ伝だけでよいから、わしに神様の言を一言でもよいから教えてくれと言った。私は五章三節、「幸福なるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり」を午前と午後、就寝前の三回に分けて教えた。Sは小学校中退で、講談本以外は読んだことがない。そのためか非常に喜び、寝ている間に忘れてしまわないかと心配になり、その夜は眠れなかったという。明くる日、もう一言教えてくれとSは言った。私は次節を前と同じ方法で教えた。その次の日になると、もう一言と言った。そして、もう一言、もう一言と言って、山上の垂訓を暗記してしまった。長い節は三日位かかったが、終わりの頃には、一度に一節が覚えられるようになった。 Sは山上の垂訓が終わると、マタイ伝全部暗記したいと言い出し、一章から始めた。Sの記憶方法はおもしろい。頭の中で、まず大腿部にヒラカナで聖句を書きそれを完全に覚えると、消して次の聖句を書く。私がくり返し読んでいると、待ってくれと大きな声でストップをかけることがあった。大腿部に書くところがなくなってしまったというのである。もっと小さく書いたらと注意すると、小さいと読みにくいとすましている。こうして、1959年の初めから今年の二月まで丸四年かかって、マタイ伝28章を暗記してしまった」という。 神の言を教えるMと、神の言を学ぶS、この二人の間に完全な福音伝道が行われたのである。…夏になるとSは必ず倒れた。全身の皮膚がマヒして汗が出ないため、気温が三十度を越えると、体温は39度から40度になる。…この苦しみは外の人には全く理解できない。 このような中で、Sが学び取ったものは何か。それはただ一つ、神の言であった。そしてイエスが言われたように、無くてならぬものは多くはない(ルカ10の42)。世の人が無くてもよい不用なものを余りにも多く求め、ただ一つの必要なものを忘れている中で、彼は人間としてそれがなければ生きることの出来ない、ただ一つの神の言を得たのである。

 上記のMさんは松本馨さんで、私も全生園で40年程前に面会しました。その時は御本人も失明されていました。引用文からも推察されますように、すばらしい福音の使徒でした(キリスト教図書出版社無教会文庫『十字架のもとに』著者)。それにしても、Sさんの神(真理、命)を求める真率さは涙なしには読めません。読みながら私は、若き日の体験を想起しました。年に数回でしたが、私は日曜日に恵生教会の礼拝に出席し、午後は盲人棟「千歳」の一室で集会に参加しました。聖書の学びは聖句暗誦でした。一日にせいぜい三節だと言われました。私が出会った時はヨハネ伝17章でした。その年のクリスマス、皆で分担してヨハネ16~18章を披露し喜び合いました。今はもうどなたも御国に召されました。私も恩恵を無にせず、無くてならぬものー神とキリストを求め続けていきたいと思わされています。

 


 

主に結ばれて

                                   M.N.(香川)

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」

           (新改訳 へブル書十二章一から三節)

 常にイエス様を仰ぎ見て、目を離さず、いつも神様の愛を思い続けることができますように。主キリスト・イエス様に結ばれて、聖霊様に力をいただいて、走り続けることができますように。天のお父様と、主キリスト・イエス様と、聖霊様の栄光が永遠に続きますように。 

 


 手塚縫蔵の人と働き

                    M.M.(兵庫)

【手塚縫蔵の生涯】 

 手塚縫蔵(てづか・ぬいぞう)は、一八七九年(明治十二)一月七日、父手塚由蔵、母ぬいの長男として、長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)の農家に生まれた。

 一九〇二年(明治三十五)二月、長野県師範学校卒業前に、日本基督教会長野教会において高木信吉牧師からバプテスマを受け、キリスト教信徒となった。

 一九〇二年四月に教員となった。一九〇四年に長野県師範学校校長の辞職を主張したため、教員は休職扱いとなった。そのため東京へ行き、東京神学社に入学した。けれども、一九〇五年には教員としての復職が認められたため、再び教員をすることになった。

 一九〇八年、教員を休職することを願い出て、東京神学社において学ぶことになった。植村正久から牧師の道に進むことを勧められたものの、一九〇九年に信州にて小学校校長の職に就いた。

《日本及び日本人》の読者会である〈東西南北会〉主唱者となって、長野教育に重要な発言を発信し続けた。大正自由教育の理解者と受けとめられ、手塚縫蔵のところには、白樺系の教員が集うようになる。

 一九一六年に松本聖書研究会を開き、そこに出席する人々は一九一八年に松本伝道教会を設立した。その教会はほとんどが教員であった。その中から小学校校長になった者が三〇名におよんだ。手塚縫蔵の人格と信仰は、信州における教育界に大きな影響を与えたと言われている。

 一九三六年(昭和十一)に教員を退職した。退職後は、松本日本基督教会の牧師となって教会に仕えた。時代は日中戦争を経て太平洋戦争へと向かっていく。時局には敏感に対応した。太平洋戦争を聖戦ととらえた。それとともに矢内原忠雄を支持して、誰よりも熱心に矢内原忠雄の思想活動を応援した。

 手塚縫蔵は、一九五四年八月十六日、松本市郊外の浅間において召天した。「キリスト教人名辞典」(日本基督教団出版局、一九八六年)、「日本キリスト教歴史大辞典」(教文館、一九八八年)の双方において、手塚縫蔵を教育者として扱っている。

 

【手塚縫蔵の課題】

 手塚縫蔵は、旧、日本基督教会の信徒として、熱心に信仰生活を守っていたキリスト者の教育者であった。我が国が戦時体制に入っていた際、時局に順応した思想を持つに至った。ナショナリズムに迎合することはあっても、天皇制とか国体論に対決することはなかった。太平洋戦争が終結して、戦後を生きることになっても、二月十一日は紀元節、四月二十九日は天長説、十一月三日は明治節を覚えて、その日を大切な日としていたことが日記に記されているという(大島純男著「手塚縫蔵 その光と影」(自費出版、二〇二一年七月二十日、一四六~一五〇ページ)。

 これらの点は、人間としての弱さということになる。信仰が熱心でも、純粋でも、この人の汚点としてぬぐい去られることはない。

 自戒として言い聞かせている思いがある。平和な時代に生きている今日のキリスト者であるが、時代が急転回して皇国教育思想が復活してきた場合、自分の命をかけても、イエス・キリストへの信仰告白を希薄にしないで貫ける人がどれだけ存在するか、ということになる。

 


 

 「イエスの血潮による勝利の祈り」を読んで

                M.M.(福岡)

 昨年末よりバジレア・シュリンクさんの御著書を少しずつ読むようになった。特に、「イエスの血潮による勝利の祈り」には心をひかれた。この祈りの載っている本を持って、あることについて考えながら電車に乗っている時、愛のない、情けない自分に気付き涙が出た。こんなに情けない自分はイエス様にすべて明け渡しますので、新しく造りかえてください、と心の底から祈った。今までわからなかった自分の姿、罪をイエス様が覆いを取って示してくださったのだと感じた。この祈りをする時、主イエスの流された血潮の痛みを考えながら祈らずにはいられない。その恵みだけを享受しようとしていないか反省する。今では毎日の大切な祈りとなっている。

 バジレア・シュリンクさんはマリア福音姉妹会を創設されたお一人とのことで、シスターの方々が福岡聖書研究会に来て下さり、バジレアさんの多くの御著書へと導かれたことに、心より感謝申し上げます。

※マリア福音姉妹会については 2020年の「福岡聖書研究会だより」に秀村弦一郎様が原稿を寄せられています

 


 

「詩篇二十三篇から示されたこと」

                   M.J.(茨城県)

 日本及び世界では、コロナウィルス感染の防止対策にずっと取り組んできていますが、インド株による感染速度は速いそうで、ワクチン接種がだいぶ進んできたにもかかわらず、感染への不安は未だに人々を脅かしている状況です。私自身もそんな不安からの影響をうけていると感じてきました。

 そんな中で、少し前に、詩篇二十三篇からのあるメッセージを聞きました。そのお話しによると、詩篇二十三篇に私達は、例えていうなら、アルプスの少女ハイジのような美しいのどかな山岳風景のようなイメージをもっているかもしれないが、聖書にある地の実際の羊飼いや羊はむしろ非常に厳しい状況に置かれているのだということで、荒涼とした荒野や、険しい谷のような写真も見せて下さいました。

 羊という動物は、非常に憶病で、目も鼻も弱く、耳だけは非常に敏感で、ちょっとの音にでも怯える性質があるそうです。緑の牧場に伏させ…とみ言葉にありますが、羊が伏す時は、安心している状態であり、怖れ、緊張、イライラ、飢えから解放されていなければ、羊は決して足を折って腹ばいになることはないというのです。羊飼いはいつも羊が解放されているように導いていなければならない。どこまでも広々とした緑の野というよりも厳しい谷間のような所で、羊の食べる草や飲み水のある所へいつも導き守っていなければならないと…。

 一方、私達人間の人生には、いろんな不安、怖れがあり、おそれから解放されないと平安が得られないということがあります。人生には病その他、いろんな困難があり、長い一生を生きていくのは何と大変さがあるのだろうと思うことがありますが、主イエス様は、最後の晩餐の時に、「わたしはあなたがたを残して孤児とはしない…あなた方に助け主を与え、助け主はいつまでも共にいてくださる」(ヨハネ十四の16、18)というお約束を下さいました。詩篇二十三の4に、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、わたしはわざわいを恐れません。あなたがわたしとともにおられますから」とありますが、死の陰の谷と表現されているような厳しい困難や、苦しみ、悩みの中を生きていく時も、慰め主なる聖霊さまがいつも共にいて導いて下さり、「あなたがたは、この世にあっては悩みがある。しかし勇気を出しなさい、わたしはすでに世に勝っている」といわれた主イエスさまが、最大の苦しみである十字架にもかかってくださって、贖いの救いのみ業を成就して下さり、いつも共にいて下さる時に、死の陰の谷を行くような時にも主イエスさまと聖霊さまの導きがあると信じていく時、苦しみの中にもなくならない希望をもって生きていける、そのことこそが、詩篇二十三篇の感謝に繋がるのだと示されました。

 過去を振り返って過去の苦しみから解放されず、愚痴をこぼしたり、嘆いたりしていた自分を恥じて、神様とイエス様に愚かだった私をお許し下さいと悔い改めの祈りを捧げました。過去からも、これからの道からも解放され、羊飼いなる主イエス様を固く信じていく時、心の中に詩篇二十三篇の感謝と喜び、希望をもって前を向いて生きていかれると示され、心が新たにされ強められたことが感謝です。

 羊飼いが羊を水のある所に導く時、その一つは、朝露をしっとりと含んだ草場に導くことで、朝露こそ最も澄んだきれいな水ということでした。

 そのように、私も朝ごとの祈りとディボーションを大切にして、清いみ言葉の水で希望と感謝に生きる羊でありたいと祈っています。詩篇二十三篇は、何も問題のない所で生きている者の感謝と讃美の歌ではなく、大きな問題や困難、苦しみのただ中を生きている者こそに掴みとらせて下さる感謝と讃美の歌なのだと示され、新たな力を頂きました。

 


 

俳句

                              M.K.(東京)

我が影のわれを真似たり春の夜

夜の闇抜けては花に逢ひにいく

春の夜半目覚めて神の輪郭思ほゆ

桜より梅わが手のひらには似合ひたり

さみしさやこのさみしさのつらき春

星のうえなずなに花粉われに言葉

カサブランカひかりまとひて花弁そり

おしろい花今朝点々と庭灯す

片隅を日が照らす紫陽花と遊ぶ

戦いのつづく悲しみ春よじれ

物影がにほふ百合の夜の静寂

この痛み形而上学として眠らん

浸りをる神の領分痛む夜は

野にうつる空愛しをり七月の

君ともに神にありてぞ苦しまん

とく戻らむ冷たき雨より主のみ胸へ

主のひとひやおら近づく光連れ

やはらかき金の朝陽や葉鶏頭

 


 

祈り

                   Y.T(徳島)

 「私は困難に陥った時 神さまに願い呼びかけ 訴え助けを求め  お祈りしました」  何とか他の者に頼らず 自分の力で切り抜けようと  頑張りました  けれど  老いた体は無理が効かず  焦る気持ちは  「何で私ばっかりに!」と  その時神様が「私を忘れて居るのではないのか?私が居るのだよ」と神様の声がした様な気がしました。  勿論私も朝に夕にお祈りしています  神様有難うございます と事有る度感謝のお祈り致します  けれども  それは本当の祈りだったのでしょうか、 習慣づけられた 一つの儀式の様に  朝近所の人に出会った時「おはよう…」と  挨拶を交わす程度のものになっていたのではなかろうかと、思い至りました。

 先日集会の講話で学んだのです。

 祈りとは 心の奥底から湧きいでる叫びでなければならない主を振り向かせる必死な助けを求める思い 主を信じ求める祈りでなければ 祈りでは無い  そして祈りは呼吸する様に口から迸る感謝の念であり何時も共にあるものである。と  み教えを頂きました。 何時も私の心の内に神様がいて下さる様に心を磨かなければと思いました。

  今日は主日礼拝の日です。  礼拝毎に主イエス様への思いを新たにし  祈りと共に感謝して行きたいと思います。

 


 

祈りの友合同集会の報告

 

第9回「祈りの友」合同集会

      二〇二一年九月二十三日(秋分の日)

     オンラインでの集会 11時から16時 参加者56

 

プログラム

 開会礼拝

 1、開会メッセージ 吉村孝雄「祈りの友の祈り 真珠の歌より」

2、聖書からの祈りに関する聖書講話

 ①「父の約束された聖霊が来るまで熱心に祈って待っていた」 西澤 正文(清水聖書集会代表)② 「レアとラケルに対する 神の愛ー創世記より」 小舘 知子 (春風学寮母)③ 「主イエスの御名によって」秀村 弦一郎(福岡聖書研究会代表)

3、昼食

4、自己紹介・近況報告  5、祈りに関する証、感話

 ① 「罪の赦しの十字架」浅井慎也 (東京)②「祈られ、助けられ」冨永尚(松山市)③「どんな時にも神に信頼せよ」 田嶋恵子(仙台)④那須佳子(大阪府高槻市)「祈りつつの歩み」⑤「信仰と祈りの友への導き」栗栖陽子 (島根)、 ⑥「祈りに応えてくださる神さま」綱野悦子(徳島市、全盲)、 ⑦「祈りの友の祝福」対馬秀夫(青森)、⑧「中途失聴者の 困難の中の恵み」奥住芙美子 (徳島市、録音、聴覚障がい者)、⑨清水 勝「日毎の糧を」(大阪市)

6、午後三時の祈り

7、閉会集会 感想 大塚正子(北海道)、峰原 順子(茨城)、 鎌田厚志(福岡)祈り(司会者)

 

 開会メッセージ

    「祈りの友の祈り 真珠の歌より」吉村 孝雄

 祈りの友の困難から生まれた短歌が、真珠の歌として本になっているので紹介します。

 苦しみはとこしえならず 耐えしのび

     待たば つひには過ぎ行くものぞ(福岡 井上泰)

 ちぎられし聖書はながき 親しみに

      綴り合わせて読みて見しかも  福岡

 艱難を尚もたまへと 祈りつつ、

           進めて負へば 軽き十字架   (福岡)

 はろばろし 太平洋の波は越え

           君と祈りの聖座に語らむ   (山梨 西川 賤 )

 苦しみはのきわまる時し むらぎもの

          心は澄みて み神を思ふ(埼玉 星野)

 ひもすがら主と交わりて主をほむる

          楽しみありて 病忘れぬ (茨城)

 動かれぬ 身の衰えも神様の

      御旨とぞ思ふ 今は素直に(山梨 )

              「祈りの友の祈り  真珠の歌より」 

 神様が過去の人にいかに、愛を与えたか、遠く離れても祈りがいかに届けられたか。出版されて70年になるが祈りの友の心の状況の一端がわかります。

 


 

聖書からの祈りに関する聖書講話

 

「父の約束された聖霊が来るまで熱心に祈って待った」

              N.M.(清水聖書集会代表)

 私は、使徒言行録一章十三~十四の祈りの場面がとても大切に思えてなりません。どうしてこの祈りが大切なのか、考えたいと思います。

1.何時、何処で祈られたか

 一章3~5、8~9を読みますと分かります。イエスは十字架上で亡くなり、3日後に復活し、弟子たち、婦人たちに姿を現し、40日間共に過ごされました。そして、9「こう話し終えると天に上げられた」とあります。ですから復活されたイエスが天に帰られた直後です。エルサレムに上ると、いつも使用していた宿に集まって祈っていたのです。

2.イエスと弟子たちが共に過ごした3年間

 復活したイエスが消えてしまわれた今、集まった人たちは、思い思いにイエスと共に過ごした約3年間の日々を思い起こしたでしょう。

 弟子たちは、間近でイエスの福音の話を聞き、御業を見て生活しました。イエスは、マタイ、マルコ、ルカの3福音書で、弟子たちに御自身の死と復活を3度繰り返し打ち明けました。

 また、イエスが逮捕される前日、特にイエスが目を掛けていたペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子だけを連れてゲッセマネで神に祈りました。ルカ福音書には、「汗が血の滴るように地面に落ちました」と書かれてありますので、十字架上の死を想像し、死が刻々と迫る中、必死になってもだえ苦しむ中の祈りだったのです。この時、3人の弟子は、イエスが渾身の力で祈っている側で眠りこけていたのです。イエスはさぞ悲しかったでしょう。心中を察するに余りあります。

 イエスが逮捕された時、弟子たちは全員、イエスの前から姿を消し、逃げていました。辛うじてリーダー格のペトロが、大祭司の屋敷の庭に入り込み、遠くから様子をうかがうのがやっとの事でした。

 イエスが十字架にかけられた場面では、遠くから見守っていたのは複数の女性だけでした。この女性たちは、イエスが埋葬された墓まで足を延ばし、天使からイエスが復活したことを告げられ、その後復活したイエスにお会いしたのでした。

 またイエスの身内は、イエスが「気が変になっている」(マルコ3章21)と言ううわさを聞き、イエスが家に戻っている時、取り押さえに来たこともありました。

 ここで、使徒言行録1章に戻ります。復活したイエスが天に帰られた今、弟子達、婦人たち、イエスの母、イエスの兄弟たちが、エルサレムに来た時によく利用する宿の2階で一同相見え、熱心に祈られたのです。

3.この祈りの時間の大切さを思う

 ①集まった人々が悔い改める時

 皆それぞれ、生前のイエスからお聞きした話や目の前で拝見した癒しの業などが、走馬灯のように次から次に思い出し、イエスは真に真実な方であったと受け止める時間であり、同時に、自分自身を悔い改める時間でもありました。

 イエスが公の伝道を開始される時、最初に話された言葉は、「悔い改めて、福音を信じなさい」でした。ただ福音を信じなさい、でなく「悔い改めて」信じなさいです。イエスは最初から人々に悔い改めを求めていたのです。遅まきながら今、祈りの輪に加わった人々にとり、イエスの「悔い改めなさい」の言葉が目の前に迫る時となったのではないでしょうか。

②心の中を空っぽにする時

 今までイエスを信じ、行動を共にしつつも、心の片隅には自分自身を頼るものがあったことを想い出し、今、自分を捨て、心の中を空っぽにする時間が必要でした。

 イエスは3福音書で3度、繰り返し死と復活を予告しましたが、最初の予告では、どの福音書にも「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさい」と言われました。ただ私・イエスに従えでなく、「自分を捨て」て、従ってきなさいです。自分を捨てなければ私について来ることはできない、と言っています。

 ですので、この祈りの時は、心から悔い改める時間、自分を捨てる時間だったのです。イエスはこのことが大事で、この準備ができるのを待っていたのです。「父の約束したのを待ちなさい」とは、この後、聖霊を送るので準備して待っていなさい、ということです。神は天上からじっと機の熟するのを待ち続けたのです。

4.私の今まで感じたことのない安らぎの体験

 私は3年前、2018年1月25日木曜日から27日土曜日までの3日間、京都のセミナーハウスで「年頭アシュラム」が開催されることを開催日直前に知り、飛び入り参加しました。土曜日までなら日曜日の礼拝を休む必要もなく参加できたのです。受付で「他の人と話をしないように」と言われました。広い会議室はガラス張り、木立に囲まれた静かな落ち着いた会場でした。

 知る人は誰もいない集会へ一人で参加する、しかも話をしないよう言われ、ただポツンと始まるのを待ちました。この時間が実に心地良く感じました。いままで感じたことのないものでした。異国の地にやって来た異邦人の心境でした。「西澤正文」と言う一人の人間にへばり付いた多くの肩書、多くの人たちとの様々な人間関係から解放され、心の芯から湧いてくる深い安らぎを感じることができました。家に帰って思いました。今まで体験したことのない心底から生まれた深い安らぎ感は、「自分を捨てた」状態だったと思ったのです。

5.私の証人になる人とは

 イエスは「父の約束を待ちなさい」と命令しながらも、「聖霊が降れば、力を受ける。…地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とさらりと言っています。これはどういう事でしょうか。聖霊を受ければ、」自然とそのような使命が生まれるという事ではないでしょうか。

 キリスト教独立伝道会では、全国各地で開かれている集会へ伝道者を派遣しています。以前、私は派遣者を登録した一覧表を作りました。その一覧表に「伝道の際に大切にしていること」「何故伝道したいと思うのか」の二つの項目を設けました。ひときわ目立った内容を書かれた人がいました。吉村孝雄さんでした。

 その内容を紹介します。伝道する際大切にしていることは、「語るだけでなく、メッセージを語る時に参加者に聖霊が注がれるように。また、神の力を与えられ聖霊に促されて語ること」を心掛けると言っています。また、何故伝道したいのか「主がそのように為せと言われるのを感じるから」と書かれています。この文を読むたびに深いため息が漏れます。何故伝道したいか…主がそのように為せと言われるのを感じるから! よどみなく、また力みもせず、しかし、はっきりと言っています。人の思いでなく、また、神、イエスの命令でもなく聖霊が、吉村さんにそう語らしめている、そう受け止めました。これこそ神の約束された聖霊を受けられた人の言葉であると受け止めています。今も、です。

むすびとして

 使徒言行録一・8~9「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまでわたしの証人となる。」 この言葉は、復活したイエスが地上で話された最後の言葉、地に残された最後のメッセージです。2章に入りますと直ぐ、激しい風が吹いて来るような音が家中に響き渡った様子が書かれています。

 それから約2千年近く経った現在、聖霊は地上に、私達の周りに漂っています。祈りの友に集う私達一人一人の上に、聖霊が降るよう、そのためにも悔い改め、心が空しくなるよう熱心に祈り合っていきましょう。

 


 

「レアとラケルに対する神の愛ー創世記より」

               K.T.(春風学寮母)

 創世記(二十九の16~三十の24)に、レアとラケルという姉妹の話があります。父ラバンの策略により二人ともヤコブの妻となり、ヤコブをめぐって長い間争うことになります。ヤコブはラケルを愛していて、ラケルと結婚するつもりでした。けれども、ラバンはヤコブをだまして先にレアと結婚させてしまったのです。結婚式の夜、ヤコブの元にラバンが連れて行ったのはレアの方でした。翌朝、ラケルではなかったと知ったヤコブは、ラバンに激しく抗議します。ヤコブはラケルとの結婚を許してもらうために、七年間もラバンに仕えていたのです。ラバンはヤコブに、ラケルも嫁がせるから更に七年うちで働くようにと言います。ラバンのたくらみは成功しました。かわいそうなのは、ヤコブとレアとラケルです。

 「ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。ヤコブはラケルを愛していた」とあります。二人が結婚していれば、だれも傷つくことはありませんでしたが、騙された三人は、それぞれの苦しみを抱えなければならなくなりました。ヤコブは愛する人と二人だけの幸せな暮らしを夢見ながら、七年間身を粉にして働いてきました。けれどもその夢は粉砕され、二度と手に入らなくなってしまいました。そして、家族の主でありながら、まだ七年も舅に仕えなければならないという理不尽な目に遭わされました。ラケルはヤコブに愛され、ヤコブとの結婚を楽しみにしていたはずですが、結婚式当日、花嫁は自分ではなく姉にすり替えられてしまったのです。このような不条理があるでしょうか。まるで竜巻に何もかもひっくり返されてしまったかのようです。レアは、父親から物のように扱われてヤコブに与えられました。ヤコブの同意もなく強引に夫婦にさせられました。ヤコブが愛しているのは、自分ではなく妹だと知っているのです。どんな気持ちでしょうか。結婚式の翌朝、ラケルではないと知った時の、レアを見るヤコブの目を想像するとぞっとします。ヤコブは、ラバンに怒りをぶつけました。「どうしてこんなことをなさったのですか。私があなたの下で働いたのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、私をだましたのですか」。ヤコブの怒りは当然ですが、レアは居た堪れなかったでしょう。

 不幸な三人が、一人の夫に二人の妻という歪(いびつ)な結婚生活を始めます。「ヤコブはレアよりもラケルを愛した」とはっきり書かれています。レアはヤコブに愛されていませんでした。レアの苦悩は、並大抵ではないと思います。夫は自分を愛していない。夫は妹の方を愛している。妹は美しく、自分は美しくない。美しい妹が愛され、美しくない自分は愛されない。夫の愛はすべて妹に取られてしまいました。このような状況に耐えられるでしょうか。レアは、地獄の日々を過ごしていたことと思います。

 

 「主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。」

 

 神様は、レアの苦悩を知っていてくださったのです。夫に愛されない女を憐れに思ってくださいました。一夫多妻制に悩む女の人は過去も現在も大勢いると思いますが、その社会の中では、その様な悩みは取るに足りないこととされてしまいます。その人が我慢すれば済むことと見做されます。そういう社会の男の人は、女の人の悩みなど想像できないのでしょう。ラバンやヤコブがレアの苦しみを気にかけていたとは思われません。誰もわかってくれない孤独な悩みを、神様だけはわかってくださいました。  神様の細やかな優しさに驚きます。夫が妹を愛して自分を愛してくれないという悩みは、人に相談しにくいものです。高尚な悩みではないと思われるからです。

 けれども神様は、たかが男女のことだと侮られはしませんでした。レアが地獄の苦しみを味わっていることをよくわかってくださいました。夫から疎んじられる辛さを神様はわかってくださるのです。一人の女の個人的な悩みを、しっかりと受け止めてくださる方なのです。天地を創造し、星々を自由自在に操るお方が、男女の三角関係を憐れんでくださるとは、驚くべきことです。人に話すのさえ恥ずかしいような悩みを、深く憐れんでくださる神様。このような神様を賛美せずにはいられません。このような温かいお方だからこそ、信頼してお祈りすることができます。レアは神様の憐れみによって次々と子を産みます。その間、ラケルには一人も子供ができませんでした。

 

 「しかし、神はラケルも御心にとめ、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を産んだ。」

 

 神様の心は、何と大きく温かいのでしょう! レアを憐れんでくださった神様は、ラケルをも憐れんでくださいました。対立する片方を愛したら、もう片方は愛せないというような方ではありません。ヤコブの愛を独占しているとはいえ、子どもを授かることのできない苦悩は計り知れません。

 神様は、ラケルの悲しみにも目を留めてくださいました。なんと細やかな心でしょう。なんという公平性でしょう。完全な愛と正義の方です。片方だけをひいきするのだったら、その愛は真実ではないと思います。ひいきをする人の愛など信じられません。いつ、自分がひいきされない側になるかわからないからです。敵対している二人を、公平に愛して憐れんでくださる神様。このような神様を賛美します。このような公平な神様だからこそ神様の愛を信じて、お祈りすることができます。

 それだけではありません。ラケルが産んだ男の子は、後にエジプトで宰相となったヨセフです。それからイスラエルがエジプトに寄留するようになり、400年後に神によって導き出されて出エジプトとなります。レアとラケルと二人の女奴隷たちの産んだヤコブの十二人の息子たちが、イスラエルの十二部族になります。

 神様は、個人の悩みに寄り添うと共に、大きな歴史を動かしていらっしゃいます。歴史を導いていますが、人を単なる歯車とはなさいません。人間には想像もできないことです。神様だからこそお出来になることです。このように細やかで、このように偉大な力ある方だからこそ、信じて頼ることができます。神様は、夫に疎んじられているレアを憐れんでくださる憐れみ深い方であり、敵対するラケルも憐れんでくださる公平な方であり、一人一人をわが子のように大切にしてくださりつつ同時に歴史を導く偉大な方であり、このような超越的な愛と正義の方なので、私たちは安心してお祈りすることができます。

 祈りのお手本は、イエス様が示してくださいました。「主の祈り」は、祈りの中の祈りだと思います。いろいろな祈りがあります。悩みを訴えるのも祈りだと思います。身近な些細なこと、人に言うのは恥ずかしいようなこと、神様に叱られそうなこと、どんな悩みも恐れずに訴えて良いのだと思います。

 憐れみ深い神様は、耳を傾けてくださるに違いありません。また、祈っている間に何か教えてくださるかもしれません。祈るべきことが修正されることがよくあります。

 祈り始めたときには気づいていなかった罪があって、祈りの中で気づかされ、反省して、求めるものが変わっていきます。この過程は、神様のカウンセリングを受けるようなものだと思います。これもまた神様との交流で、喜びです。ですから、恐れず、罪ある心のまま祈り始めて良いのだと思います。

 神様に直していただくのは、大変心地の良いものだからです。レアは生まれた子どもに名前を付けていきますが、命名の変遷に神様のカウンセリングの効果が表れているようにも思われます。長男ルベンの名は「主は私の苦しみを顧みてくださった」と苦しみに重点がありましたが、末っ子は「幸せ」となっています。長い苦しみの中で神様だけを頼りにして、神様の憐れみを受けつつレアは成長していったのではないかと思います。

 レアとラケルの物語から、神様の深い愛と正義と力が示されました。このような神様になら何でもお祈りすることができ、たとえ間違っていても教え導いてくださると信じることができると思います。


 

「主イエスの御名によって」

            H.G.(福岡聖書研究会代表)

 聖書箇所 ヨハネによる福音書6章5 8章13

 イエスは目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに言われた。「どこでパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」… 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、それが何になりましょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。それで、人々は座った。その数はおよそ五千人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が十分食べたとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」と言われた。集めると、人々が大麦のパン五つを食べて、なお余ったパン切れで、十二の籠がいっぱいになった。                        (聖書協会共同訳)

 ガリラヤの町や村で宣教に回っておられたイエスが、ガリラヤ湖畔の町ベトサイダ郊外の人里離れた処で、五つのパンと二匹の魚を元にして五千人の群衆を満腹させられたという、驚くべき奇跡を起こされました。

 空腹の群衆が満腹にされたというと、まず想起するのは四十年に及ぶ荒野を彷徨中の出エジプトの民に天から与えられたマナとうずらの肉です。不平不満を呟き反抗する六十万の民に困り果てたモーセの嘆願の祈りに、神が応えられたのでした(出エジプト十六章1121、民十一章21)。また、エリシャが入手した二十個のパンで、飢饉で飢餓に陥っていた百人の人々を食べさせてなお余りが出た、という物語(列王下四4244)もあります。神に忠実なモーセやエリシャの切実な祈りに神が応えられたのでした。

 五千人への供食という大奇跡のポイントは、イエスの祈りだと思います。神の子イエスによる祈り―父なる神がパンを与え給うことを感謝される祈りです。

 パンを生み出すといえば、思い出す話があります。荒野でイエスは「石ころをパンにしたらどうだ」とサタンに言われて拒否されたことがありました。その時の問題はご自身の空腹でしたが、ここでの問題は五千人もの人々の困窮です。その人々への愛から、五つのパンを五千人分に増やすことに神の許しを得られた、その感謝なのでしょう。神の権能を等しく持っておられるイエスはその権能の発動に祈りを忘れられることはありません。4つの福音書には重要な局面でのイエスの祈りが報告されています。十二使徒の選任に際して、変貌の山で、最後の晩餐の場面で、ゲッセマネで、など枚挙に暇ありません。

 そして増やしたパンを人々に与えられましたが、具体的には、ルカ福音書にある通り「弟子たちに渡しては群衆に配らせられた(ルカ9章16)」のでしょう。弟子たちは、イエスの祈りによって神が発動された恵みの実行役を担当するのです。弟子たちの祝福された業はイエスの祈りがその根拠なのでした。

 「余ったパン切れで十二の籠がいっぱいになった」とありますが、十二は弟子の数です。この籠は弟子たち一人に一つずつ託されたのではないでしょうか。イエスの愛の業を引き継ぐ者となりなさい、と。

 私たちに求められているのは、生きて働き給う復活のイエスの祈りに聴き従って、その手足となってお役に立つことにほかなりません。

 中村哲医師は、アフガンの荒地に水を引いて65万の人々の食料を確保する働きをされました。それは、荒野を彷徨する60万の民に、マナやうずらが与えられた故事を想起させます。モーセを通しての神の恵みの業と同じく、中村哲医師は生けるイエスの手足となって、愛なる神の恵みを証されたと思います。

各地にありますが、福岡でもホームレスの人々への炊き出しが行われています。毎週火曜日に食事を求める約100人に集会のご婦人たちも手伝って、食事が提供されています。それは、100人にパンを配って食べさせたエリシャの業です。不思議なことに必要量の食材は備えられますが、そこには生けるイエスの祈りがあるのでしょう。そして復活のイエスの手足となって働く人々=小さな籠の一つを引継いだ人々=が。

 私たちも小さな籠を託された者として、復活のイエスの祈りに聴き従う手足となりたく思います。私たちが何がしかの業でお役に立つのは、イエスの祈りを土台にするときです。私たちの「祈り」もその業の一つです。何も出来ない状態になっても、祈ることでお役に立つことが出来ますが、その根底にあるのはイエスの祈りです。イエスの祈りに支えられて祈ることが許されていることは、大きな恵みです。

 生けるイエスの、即ち聖霊の助けによって祈らせていただいていることを、「主イエスの御名によって」と祈るのです。その祈りがどんな結果になろうとも、聴き届けられると信じることができます。これは大きな感謝です。

 


 

 祈りに関する証、感話

 罪の赦しの十字架

                    A.S.(東京)

 ぼくは、過去を振り返ると、たくさん人を裏切ったり、自分を守るための嘘をついたり、責任を人のせいにしてしまったり、たくさん悪いことをしています。そのことを振り返ると、とても苦しくなり、自分は死んだ方がよいのではないかと思ってしまいます。その苦しさは自分の力では解決することができませんでした。

お酒やたばこ、アルコール、麻薬などをする人の中にも、ぼくと同じような自分の罪に対する苦しみから逃げるためにやっている方もいるのではないかと思います。

 しかし、イエス様の十字架は、その私の罪からの苦しさをイエス様が私の代わりに背負ってくださったのだ、という教えを聴きました。それを受け入れないことは、イエス様の十字架での大きな苦しみを無駄にすることだ、イエス様の恩恵に感謝して、恩恵を受け取っていきるべきだということを教わり、イエス様の罪の赦しの十字架を受け入れました。

 イエス様の十字架は、罪悪感や過去の失敗を後悔する気持ちを神様に感謝する気持ちに変えてくださりました。私たちの罪や失敗をイエス様が赦してくださるのが、イエス様の十字架だからです。また、すべての人に平等に、開かれていて、すべての人が受け取ることができる恵みです。

 イエス様の十字架の恵みを受け取った自分は、今度は、それをまだ知らない人に伝えたいという人生の目的も与えられました。罪悪感や過去を後悔しながら生きる人生から、神様とともに、今を歩めるようになれると実感しています。

 アルコールや麻薬は、人を壊していきますが、イエス様とのつながりは、その人を神様の形へ近づけていくと聖書は約束してくださっています。イエス様は、絶えず、変わらずに、愛と真実を私たちに示し続けてくださります。

「私たちがほろび失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみはつきないからだ。」 哀歌3章22

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように新しくなる。」詩篇一〇三・3~5

 お祈りに関する証

 約一年半前、コロナで東京に行けなくなり、集会などもいけなくなったとき、自分一人でいると、心がおかしくなりそうだったとき、自分の家の近所の教会の早天祈祷に参加することをゆるされました。

 朝の6時半から7時10分までです。会社に出勤する前に参加しています。 新聖歌の曲を一つ賛美し、牧師先生がお祈りし、聖書を輪読で一章よみ、1~2分黙読する時間があり、参加者が受け取った恵みを証し、それが終わると、祈りの課題を共有し、最後の20分くらいは、各自がお祈りをします。チャーチオブゴッド教団の川崎キリスト教会です。

  自分のことを無教会の集会に通っていると言っても、広い心で受け入れてくださり、そのようなことは、今後、自分も他のクリスチャンの困ってる人にしたいと思っています。そこに集われている方々のお祈りに対する真摯な姿勢に本当に学ばされており、また一人では、祈るときも、あまり、集中できないのですが、みんなが祈っている中に入ると、自分もお祈りすることができ、また、その時間がとても恵みを受けるので、ずっと続いています。

 他者のことをお祈りすること、病の方の事をお祈りすることは、聖書では、教えられているのを知っていましたが、実践していなかったことを告白します。会社に行く前にお祈りしていくことで、前より、心が安定しているように思います、お祈りのときに、自分の生きる目的も再確認しているからかもしれません。

 また自分自身が、お祈りしてもらえることが、本当に大きな力になります。

 牧師は、20分間ずっと、教会員やその関係者のことをお祈りし続けるのですが、その中に、浅井兄弟が今日も一日会社での働きが守られ、神様の栄光が表されますように。また両親に神様の救いがありますように。ということをいつも祈ってくださります。それは、短い時間になるのですが、ぼくにとっては、大きな恵みです。

 そして、祈祷会が終わったあと、必ず見送りに来てくださり、神様の祝福があるようにと、お互いに短く挨拶して、ぼくは会社に向かっています。僕自身、お祈りしていただけるのは、とても力になることだから、もっと他の方の事もお祈りしたいと思います。

 お祈りだけでは、意味がないということをいってる人が、いましたが、そんなことはないと思います。お祈りにより、人の祝福を祈る、そして、つながりを持つというのは、本当に大きな力になると思います。

 自分が苦しんでいた時も、祈りの友の方が助けてくださったことがありました。普段から、お祈りしあう関係があったら、苦しんでいるときは、お互いが助け合えると思います。

 互いにお祈りを続け、霊的な状態や信仰をよい状態に保つことは本当に大切なことだと思います。祈りの友のみなさまとも、今後ともお祈りによりつながりたいと願っています。

 「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一テサロニケ五章1618)とあります、この言葉は、前の章の4章17節に、こうして私たちはいつまでも主とともにいることになります。

とあり、その言葉への信仰者のなすべき応答だと僕は思っています。

 神様は私たちといつまでもともにいてくださる、人がたとえ見捨てても、いつも恵みと哀れみを私たちに与え続けてくださる、決して見捨てない方がわたしとともに、永遠にいてくださる。だから、すべてのことに喜び、祈り、感謝するのだと思います。 自分の力では、喜ぶことも、祈ることも、感謝することもできません、神様の恵みにより、喜ぶこと、祈ること、感謝することができるようになるのだと思います。

 また議論はしばしば、分裂を生むのを見てきましたが、祈りあうことによる分裂は見たことがありません。祈りを大切にして歩みたいです。

 友人の黒田ひろし が 洗礼受けることになった。徳島での全国集会に参加したことある。感謝です。

 今日は、証をする機会を与えてくださり感謝します。みなさまに神様の恵みが豊かにありますように。


 

② 祈られ、助けられ

                 T.M.(松山市)

 弟が亡くなりましたのは去年の一月でした。弟は私の住んでいるところから車で一時間ばかり離れた長浜市でひとりで住んでおりまして、本当に貧しい暮らしをしておりました。亡くなったということも、一人暮らしで家族がおりませんので、いつ亡くなったかわかりませんでした。近所の人がどうも様子がおかしいと言うことで、知らせてくれて、それから警察の方に連絡しました。私が駆けつけた時はもう夜中になっておりまして、警察の取り調べなんかもあったんですけれども、どうも何日か前に誰も知らずに亡くなったということで、本当に可哀想なことをいたしました。

 それで真夜中ですからどうしようもないので、私の知り合いの松山にある葬儀社に電話して、夜中に葬儀社が車で来てくれて遺体を車に積んで、また松山のほうへと連れて帰るようなことを致しました。その時は本当に気持ちが動転しておりまして、家族6人ほどでお葬式をしたんですが、本当に心ならずも、その時は家の宗教の浄土宗でせざるを得ないような状況になってしまいました。 弟に対しては本当にもう心が痛むことばかりです。

 それから半年ばかり経って六月に、今度は母が亡くなりました。九年間も入院していていました。母の時は親族など多くの人が集まり、その時は私の属しております松山聖書集会の親しい友人が手伝ってくれました。私とその友人と二人で、始まって以来の無教会の葬式を、私もはじめてすることができました。その時は本当に祈りながら、母を送ることができ、弟の時もこうしたらよかったなあと思いました。

 弟のことも母のことも、本当に心が痛むようなことばかりですが、その時に支えてくれた聖句があります。それは使徒言行録16章31~32節「救われるにはどうしなければならないのですか?」と牢番が尋ねたのに対して、パウロとシラスが「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われる」です。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われる」という言葉が思い出されて、それが本当に自分の支えであったんです。特に弟のことを思うともう心が痛むばかりなんですが、私の集会の友人は「キリスト教というのは、そんな小さなもんじゃないから、仏教でお葬式をしたからってそれで救われないとか、そういうことは絶対にないから心配しなくていいから。」と言ってくれました。

 弟と母が亡くなったことで私は毎日毎日の祈りが特にそれまでになく力を与えられたような気がして。毎日、祈りの友のことを思いながら、祈りが支えになっています。

 


 

「どんな時にも神に信頼せよ」 詩編62章7節

                   T.K.(仙台)

  朝の静思の時を与えられて、み言葉を読むとき、私にとって「神様は今日一日も共にいて下さって弱い私たちをいつも目を注いでくださる」ことを思い、感謝する大切な恵みの時です。

 私の好きな讃美に水野源三さんの「朝静かに」という詩があります。

 朝、静かに この一日の 御恵みを祈りおれば

 我が心に あふれくる 主イエスにある安らぎ

  朝、静かに 霊の糧なる 御恵みを学びおれば

 我が心に あふれくる 主イエスにある望みよ

  朝、静かに 新しい日を たもう御神たたえおれば

 我が心に あふれくる 主イエスにある喜び

 

 毎朝読むみ言葉の本とお祈りの本は、同じものなのですが、毎年同じ、み言葉に心をひきつけられて覚えておきたいと印をつけたり、ポストイットにメモを書いて貼っておいたり、また、何度も読んでいるはずなのに、今朝は特別、響いてくるみ言葉があったりします。

 今日の題にしたみ言葉は、その両方でした。今年、半年間、子供のことで、自分の思いどうりにならない日々でした。いつも主にしがみついていないと、自分の罪で自分を責めて、どうすれば良かったのかと悩み、いつも体調が悪く重荷に押しつぶされそうでした。そんなときに神様のみ言葉は助け支え慰めてくれました。

「あなたはわたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった」朝、心に響き渡りました。感謝しかない。心の奥から感謝しました。変わることのない恵みの声が、私のかたくななことを知り、邪悪な心も理解しておられるのにもかかわらず神様は私たちを愛してくださってそのような私たちにいつも目を注いでくださっていて「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」と言ってくださっている。

 また、7月6日の夕拝の時、(詩編1912-15)「罪の赦しから広がる世界」という主題で吉村先生がお話しくださいました。わたしの罪を担って下さったことによって、罪を赦していただけたこと、本当に心の深いところから感謝の気持ちが湧き上がってきました。

 わたしはあなたに立ち帰ります。これからの道を共に歩んでください。主よ、あなたはわたしの力、案内人です。本当に私たちの心が弱い時にイエス様をいかりとし、灯台とし、救助艇とし、港とすることができますように!嵐が私たちの周りを吹きまくったとしても、神様はご自分の子供である私たちをその御手で守って下さる。と信じ祈ることができますように助けてくださいますように!知らずに犯した過ち、隠れた罪、心の奥底に生まれてしまうどんなに小さな高慢も一瞬のうちに打ち砕いてください。ただ、神様の恵と憐みと、助けを必要とするものです。それを忘れずにいることができますように、お守りください。御手にすべてを委ねて、ただ、あなたの愛だけを誇ることができますように。アーメン。

  本当にわたしは弱い者です。風向きが変わると考えが揺らぎ、経済的に苦しくなるともう駄目だと思い、友に誤解されると、人生は終わりだと思ってしまいます。そのような時、ほんとうに、静かに主イエス様、あなたのみ懐に飛んでいきたいと願います。その時、主よどうぞ静かさの中で、聖霊様が私たちを助けてください、何をどの様に祈ったらよいのかわからない私たちに代わって本当の必要を神様にとりなしてください。私たちの人生に働きかけてあなたに喜ばれる者へと私を変えてください。あなたのご計画に近づくための訓練をわたしが拒むことなく耐え抜く力をお与え助けてください。あなたの光を輝かせることができるようにわたしたちを形づくってください。と願っています。

 最近、「スザンナ・ウエスレーものがたり」ジョン・チャールズ・ウエスレーの母、という本を手にしました。大塚野百合さんが書かれたものです。その中に「静かであることを切望せよ」という詩が載っていました。

「あなたがいい仕事をしているのに世間がそれに気づかず褒めてくれないといって なぜ不満なのですか?(中略)神のように静かに働く人を この地上に見いだすことはできません。」

(サムエル・バレンタイン・コール)

という人の詩ということですが、本当に私たちが望むべきことは人からの賞賛ではなく神様が認めて喜んで下さることなのです。そうスザンナは子供に伝えるのです。私も祈りたいと思います。

 人生の目的は御心を求めて歩むこと、いつも忘れずに、忘れてしまっている時には、気づかせて頂けますように!私たちの大切に思う人たちのこともあなたの恵みと憐れみで導いてください。アーメン。

 スザンナは祈りを大切にしていたジョン・ウエスレーとチャールズ・ウエスレーのお母さんでした。母の祈りが聞かれ、チャールズが作詞した讃美歌273Aの詩を野百合さん訳で書いてあったので紹介したいと思います。ところどころ基督教独立学園で鈴木弼美校長から教えていただいた直訳が私が高校生の時つたないながらも聞き取ってかいたノートに書いてあったので、それも加えさせて頂きます。

一、主イエスよ。(私のたましいを愛するところの)わたしのたましいの恋人よ。(あなたの懐に飛んでいかせてください。)あなたのみ懐ににげたいのです。

より近い所の海の大波が逆巻き(まだ嵐が盛んな時に)嵐が荒れ狂うときに私の救い主よ。人生の嵐が(過ぎ去るまで)おさまるまで私を隠してください。

安全に港に導いてください。そして私のたましいを 最後に(受け止めてください。)引き取ってください。

 

二、あなたのほかにわたしの(隠れ場)逃れ場はありません。

 頼るものがないわたしはあなたにすがります。

 わたしを一人にしないでください!どんな時でも なお、わたしを慰めてください。(わたしのすべての支えはあなたにかかっています。)

 わたしはあなただけに信頼し、(わたしのすべての助けをあ なたが持っています。)あなただけがわたしを助けたもうの です。私の無防備な頭をあなたのみ翼で覆ってください。

 

 讃美歌にはないのですが、2番と3番の間にも詩があるそうです。続いて読ませて頂きます。

 わたしの呼びかけを聞いてくださらないのですか?

 私の祈りを受け入れてくださらないのですか?

 見てください!わたしは沈み、気絶し、倒れます…

 見てください!私は悲嘆をあなたに投げかけます。

 あなたの恵みに満ちた手で私に触れてください!

 そのときわたしはあなたから力を与えられ、

 希望の無いときに、希望を持って立ち上がり

 死にかけているのに、生きることができるのです。

 

三、(おゝ、キリストよ!わたしの求める所のすべてであります。)キリストであるあなたこそ、わたしが望むすべてです。

(すべて以上のものをあなたの中にみつけます。)あなたの中に見いだすすべてにまさって

倒れた者を起こし 気絶している者を元気にし

病人を癒し、目の見えない者を導いてください。

あなたの御名は義であり、聖であり、すべてまことの正しさの源です。

あなたは今後も変わりなく、まことと恵みに満ちておられます。

 

四、あなたには満ち溢れる恵があり、私のすべての罪を覆ってくださいます。

癒しの流れがゆたかにあふれるように。

私の心の中を(純粋にして保ってください)潔めてください。

あなたは命の泉です。その水を(自由に)私に飲ませてください。

私の心のなかであなたの命が湧き上がり、永遠に続きますように。

 アーメンです。

 この詩を書いた時、チャールズは自分の石のような心が主の十字架の愛によって砕かれることを心から感謝して主イエスを心の底から恋していたのですと書いてありました。

 どうか毎日、神様からみ言葉を信じて受け取り、そこから、聖霊様に導かれ、必要な力を与えられて、理解できないことも受け入れ、疑わないようにさせてください。暗がりにおいてさえなお望み続ける希望、決して絶望しない希望をお与えください。神様は決して間違いをなさらない。「わたしの所に来るものをわたしは決して捨てません。」ヨハネ六章37と神様は、私たちを最善の方法で守っていて下さる。あなたの所にいつでも行くことができる恵みを、感謝します。

「主があなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り

あなたの魂を見守ってくださるように。」詩編121篇から

 これからも信仰の友として、祈りの友として主にあって良きお交わりをよろしくお願いいたします。 


 

④ 祈りつつの歩み

                N.K,(大阪府高槻市)

 はじめに「祈りの友」に関わってのお話しを少しさせていただきます。

「いのちの水」9月号後半に 吉村さんが「祈りの友」についてこれまでの経過を改めて書いてくださっていました。この「祈りの友 」が1932年に内田正規さんの投稿から始まり、以来これまで90年続いてきたこと、いかに多くの主にある方々の祈りとご愛労の中で続いてきたかを読ませていただきあらためて背後に主の導きがあることを思いました。

 現在の「祈りの友」誌も発行に向けて 多くの兄弟姉妹の投稿によって集められそれを編集してくださる兄弟姉妹の働きがあります。

 私も会誌発行の知らせが入ると、担当している10人余りの方に原稿依頼のお手紙を書きます。その中にはまだお目にかかったことがない方がたくさんおられます。日頃事情があって集会に来られていない方もおられます。でもこの機会に連絡を取ることで様子を伺ったりお話しすることができます。こうしたかかわりの中から目には見えない霊の繋がりを感じています。

 そんな方の中から少し紹介したいと思います。一人は大阪に住んでおられるSさんという女性です。お一人暮らしの高齢の方で 両足に病があり両杖で生活されています。Sさんは不自由な生活の中でとにかく日曜日に教会に礼拝に行くことを一番の願いとされていて電車を乗り継ぎ時間をかけて行かれています。7月にお電話した時 今年に入って突然乳がん末期の告知をされ緊急に手術、長い入院生活からやっと退院された時でした。コロナで教会に行けない時は牧師さんに講話テープを送ってもらい一人自宅で礼拝を守っておられたようです。退院した今も通院リハビリが始まるけど早く教会に行きたいと話されていました。いつもSさんと話していて感じることはお一人の生活でどんなに寂しいことだろうと思いつつ、それでも明るい声で礼拝に行くことを支えにされていてこちらが勇気づけられます。今回のガン治療の後も「どんなことがあっても私は神様を信じ希望を持っている。いつか元気なうちに高槻集会にも行きたい。」と言ってくださいました。お目にかかったことはないですがずっと以前から主に在って「祈りの友」として力づけられる存在となっています。

 もうひとかた私の田舎の島根におられる0さんは奥深い山の中でこれもお一人で何とか生活されています。今年93才になられ免許証も昨年返納されました。集会に行くためには車は必需品 でも幸いお嫁さんが月二回の集会の折には送迎してくださるようです。私がまだ高校まで田舎にいて恩師の家庭集会に行っていた頃、共にみ言葉を学ぶ兄弟でした。母が全盲になり、鬱状態でいる頃帰省して介護していた数年間 よく家に来てくださり一緒に母の話し相手になり、共に祈ってくださっていました。祈り終わると母は「ありがとう、ありがとう」と涙しながら感謝していました。今も時折電話をしてお話ししています。住んでおられる所は本当に山奥で、伺ったときは見晴らしの良い山上に連れて行っていただき本当に天が近く静寂な自然の中、祈りにふさわしい所でした。0さんもやはり主と共に在り、祈りつつ体の痛みと闘いながらの生活です。こうした友の存在はなかなか会えないけれど主に連なるものとしての私自身の慰めになっています。

 九州にいる姉妹のことをお話しします。この方も今年93才、お目にかかったことは一度もありません。「祈りの友」誌に母のことを書いていた時があり、それを読んで突然お手紙と贈り物をいただきました。それ以来の「祈りの友」でずっとお手紙の交換、時折お電話で話す間柄です。吉村さんが九州に行かれた時、寄られると本当に喜ばれ聖霊の働きを感じ力をもらうと話されています。これまで多くの困難な生涯との闘い、今も多くの病を持ちつつ、イエス様を仰ぎながら、娘さんの助けを借り生活されています。先日も電話でお話ししていたら貝出久美子さんの詩集「神様は愛」を読んで、この一ヶ月抱いていた悩みが一掃されたと喜んでおられました。このようにまだ会ったことのない方が多いですが祈り祈られ、の主に在る友があることは本当に恵みだと思います。吉村さんがこれまで北海道、九州、山陰、東北各地の伝道の行き来に祈りの友のお一人おひとりを訪ねて地方の方々を励ましてこられたその働きの大きさを思わずにはいられません。

 さて、「祈りにおける戦い」 コロサイ書の学びの中でも、またいのちの水八月号でも書かれていました。 コロサイ4:12「…彼はあなた方が全き者となり、神のご意志を確信しているようにと、いつもあなた方のために、熱心に祈っている」。「熱心」はアゴーニゾマイ「戦う」という意味を持つ言葉であると。「祈りにおいて、あなたがたのために戦っている…」その中の一つの訳として「あなたがたのために、祈りつつ、決して戦うことをやめない…」を紹介してくださいました。祈りにおける強い意志と確信ー祈ることを止めない。パウロは「神のご意志を確信するように祈ることを止めない」ようにと言います。

 近況から一言、一年ほど前から集会の姉妹と共に主日礼拝の他に「聖書を読む会」を始めています。ローマ書から学び始め、やっと8章にたどり着きました。パウロが7章で自分の内には善が住んでいない、善をなそうとする意志ははあるがそれを実行できない、わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。と人間の深い罪の本性を呻くように告白しています。それは私たちの告白でもあります。その拭えない罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送りその肉において罪を罪として処断されたのです。(8章3)

その神の恵みは100%です。何か自分の力で為そうとした途端 人は傲慢になります。人間の業をプラスしなくてもよい、ただ主イエスを信じ仰ぎ、聖霊をいただけるように祈っていけばいい。そうすれば自ずと為すことを示されていくと思います。イエス様が私たちの代わりに十字架についてくださり、復活して新しい命をくださった。この恵みの確信が祈りであることが よりはっきりと実感できるローマ書の学びになっています。

 私自身も退職してもう何年にもなりますが40年余りの教員生活は祈りなくしてはできませんでした。日々起こる問題課題との闘い、朝 校門を入るときに祈り、教室に向かう階段を昇りながら祈り、黒板に板書しながら祈り…夕方 帰り道の川原に立ち寄り 明日からまた、新しい命をくださいと祈って出かけていました。今も週二日お手伝いに行っていますが、その時と変わらぬ気持ちで祈って子どもたちと接しています。信じていてもなかなかよくならないですが、祈りは生きて働くイエス様との応答、会話 イエス様も祈ってくださっている、これからもその聖霊の風を受けていきたいと思います。

 最後に今年出された貝出久美子さんの詩集から一つお読みして終わりにします。

 

 きかれない祈り   貝出久美子詩集「神様は愛」より

   おまえの祈りと願いがわたしに届いていないと言うのか

   わたしには耳がなく目がなく

   そして、わたしには愛がないと言うのか

   おまえの祈りは聞いている

   おまえの悲しみは見ている

   わたしは、おまえを愛している

   祈りがきかれないと嘆くおまえは

   わたしに向かって宣言しているのだ

   「あなたには力がない、あなたには愛がない」と

     それでも、わたしは見捨てない

     わたしはおまえを愛している

     静まれ!そして、待ちなさい

 


 

「信仰と祈りの友への導き」

                   K.Y.(島根)

 私が「午後三時祈りの友会」を知ったのは初めてキリスト教の礼拝に出席した時でした。

 中山貞雄先生の集会に出席したのですが、遅れての出席でしたので、中山先生の聖書のお話はすでに終わっていましたが、「午後三時祈りの友会」と称す結核患者さんのキリスト者を中心にして作られた全国的な会であり、この会の会員である加茂州一様が、証しをしていらっしゃる時でした。

 加茂様はカリエスで長い闘病生活を続けられ、その結果下半身は不随であり、病いの苦しみから何度も自殺を図ったが全て失敗に終わり、その苦しみの中からキリスト信仰によって救われたとお話し下さいました。

 茨城県のお宅から、全国の祈りの友会員をたずねまわっておられ、同じ会員である中山貞雄先生御夫妻のもとに立ち寄られたとの事でした。お身体のご不自由さはかなりひどく、一人旅など到底考えられない様な方が、全国を一人で旅をしておられ、しかも苦しみから何度も自殺を図ったという方が、喜びに溢れた顔をして壇の上に立っておられる。

 その頃私は自分程不幸な者はいないと思っておりましたので、何か脳天を強くたたきつけられた思いがして、強い衝撃を受け、どうしてかわかりませんが、唯々涙があふれ出て、その涙を押しとどめる事が出来ませんでした。

 栗栖家は浄土真宗の家であり、姑もいましたので私がキリスト教の礼拝に出席するなどとうてい考えられませんでした。

 偶然他の集まりで出会った方が、キリスト者で中山貞雄先生の集会に出席しているとお話しして下さり、私も何時か礼拝に出席したいと考えていました。当時中山先生は市民会館の一室を借りて礼拝をしておられましたので、たまたま日曜日市民会館で神楽舞があり、その券を親戚から頂いたので、息子を神楽を見せに連れて行き、息子は神楽の会場に入れ、私は礼拝に出席したのでした。

 当時夫は仕事上体力や神経を使いはたし、うつ病が良くなったり悪くなったりをくりかえしておりました。何とか中山先生に夫の為にお祈りして頂きたく、姑に強く訴えて、昭和五十年(一九七五年)一月やっと礼拝に出席致しました。

 そして中山先生が夫の為に月一度我が家においで頂くようになりました。そして八月からは夫も礼拝に出席する様になり、二人で礼拝に出かけられる様になりました。そしてまもなく「祈の友会」に入会させて頂き今日に至っております。

 


 

「祈りに応えてくださる神さま」

                T.E.(徳島市、全盲)

 祈りについてまず心に浮かぶのは私が目の病気で失明の不安のなかにあって聖書に触れたころ、まだ何もわかっていない私が祈ったのは「神様、私の目を見えるようにしてください。もしそれがだめなら私の命をとってください」という祈りでした。そのときにはこの祈りは聞かれませんでした。しかし、そのあとで、25才頃に私が失明したときあんなに不安だったのにイエス様が谷底に落ちていくところを引き上げてくださったと感じたのです。不思議な平安がありました。「明日のことを思い煩うな」というみ言葉にすがり信じて生きていこうと思ったのです。

 それから集会に導かれ、み言葉の学びをとおして自分の罪を知らされ心の目が開かれていきました。私の最初の祈り「見えるようにしてください」という祈りは心の目が開かれて、きかれていったのです。

 それからの信仰生活はいろいろな波があり、罪が示され、弱さを覚えてもうだめだと思ったり、信仰がなくなりそうと思える試練も何度もありました。しかし「イエス様、もうダメです」との私の叫びにイエス様は十字架から「わが愛におれ」と言ってくださいました。

 どんな時もイエス様が私の信仰がなくならないようにと祈ってくださっています。また信仰の友が背後でいつも祈りを持ってまた具体的に支えてくださり守られました。神様は真実な方です。耐えられない試練にあわせず試練とともに逃れの道を備えてくださるというみ言葉の通りです。私の失明は神様の選びで、ちゃんと導きの御手をのべて罪から十字架の愛の恵みをくださっています。

 次に母とのことをお話します。

 母は私が失明してからずっと具体的な支えをしてくれていました。母は、私がキリストを信じていることで何の心配もしないで先にいけると言っていました。

 母は90才で脳梗塞になり右半身の不完全麻痺になりリハビリでかなり回復しましたが介護が必要になりました。それでも私と父と近くに住む兄夫婦がケアーしてくれて自宅にいてデイサービスに通いながらの日々を過ごしていました。父が先に亡くなり、その後は私と母との暮らしで、母は認知の低下も見られ体力も弱ってきていましたがそれなりに守られていました。

 昨年の5月に母は椅子から降りるときに落ちて右腕を骨折しました。すぐに整形外科で手術。95才での全身麻酔の手術でしたが手術は成功しました。しかし、骨粗しょう症により回復が遅く、また安定剤の服用や腹部をベルトで固定されていたので母は歩けなくなりました。

 もう家に帰るのは難しいと言われ、リハビリのある老健施設に入りました。それからはコロナのために母とは面会できなくなりました。寝てばかりで食事も会話もできなくなり認知症は進んでいきました。

 このままではもう会えないまま母は命を終えるかもしれないと思うとつらくて面会できるところを探しましたがどこもありません。どうかコロナの中でも母と会えるところが見つかりますようにと切に祈りました。

信仰の友も祈ってくれていました。

 ある日、突然に祈りが聞かれたのです。高齢者住宅にあきができたと突然、連絡をもらいました。そこは毎日でも家族なら体温を測り手指消毒をすれば15分の面会ができると言うのです。そして、そこでは認知症は家族とのかかわりが一番だと言ってくれました。兄とすぐにそこを見学し施設を変わることにしました。

 それまでの母は、私とも目も合わせず、ただ「いえー」とか「いやー」とかいうだけでした。それがその高齢者住宅に移って二日後に、施設の職員に「ありがとう」と言ったのです。母が施設ではじめて言った言葉が「ありがとう」だったと聞いてすごいなと感動しました。イエス様が母とともにいてくださいとの祈りが聞かれていると感じました。

 10日くらいするとほとんど寝て食べなかった母が口から食べる量が増えてきました。そして私たちが面会に行くと「よう来てくれた」と言ったからびっくりしました。そして母は「来てくれてありがとう」とか「お世話になります」とか、またわたしや兄嫁の名前も呼んでくれるようになりました。職員や利用者の人たちとよく話すようになってきたしよく食べるようになり、ひとりぐらしになった私の心配までしてくれるようになりました。うれしかったです。

 その日も母の面会に行き、リハビリのために足を曲げると「痛いからもうやめて、ほっといて」と左手で払いのけにきました。「痛いことをしてごめんなさい。だけど左手がよく動くようになってきたね」と言いました。それが母との最期の会話になってしまいました。

 その次の日に母は高熱を出し昏睡になりました。誤嚥性肺炎でした。この施設でも治療をしてくれるので病院に行ってコロナで面会できなくなるよりここで最期を看取ってもらうことを家族は願いました。集会の兄弟姉妹にこれまでの母のためにどれほど祈ってくれていたかを感謝し今の母のために祈ってくださいとお願いしました。翌日はクリスマスだったので母の横で「きよしこの夜」を歌って祈りました。すると大きな荒い息がおだやかな寝息に代わってきていきました。

私は毎日、イエス様いつも母とともにいて平安を与えてくださいと祈っていました。これまでの母との日々を神様に感謝し、残された命をどうか魂を救い、安らかに御国にいけますようにと祈りました。昏睡が続く中で毎日讃美とお祈りをして帰りました。1月2日、母の96歳の誕生日を迎えてから母は召されました。

 実は母がいすから落ちたのは私のミスでした。それで腕を骨折させてしまったことがずいぶんながくつらかったです。その日の私は母に少しイライラしてしまい愛がたりなかったからです。自分自身の罪を思いました。イエス様はすべてご存じです。

でも、イエス様は赦してくださいました。そして、母とともにいつもいるから大丈夫。守ってあげるからと言ってくださいました。これが主の最善だと思いました。

 そして、そこからも最善に導かれこのコロナの時期に面会ができ、会話も食事もできるようにしてくださり、祈りに応えてくださって、母は静かに召されて行きました。

 多くの祈りに支えられました。祈りに応えて下さる神様の真実に感謝します。そして、わたしもこれからもとりなしの祈りを続けて行きたいと願っています。


 

「祈りの友」の祝福

                    T.H.(青森)

 日本人にとって「祈り」とはなんなのだろうか。わたしは青森県弘前市という町中でうまれ育った。ものごころついたときには祖母と両親兄姉がおり、祖母が日蓮宗を信仰しており、毎朝右手で太鼓をたたきながら「南無妙法蓮華経」と繰り返していた。その背中を覚えている。父も母も祖母のようには太鼓をたたくことも、題目をとなえることもなかった。祖母が亡くなるとともに家からは宗教的雰囲気は無くなった。

 書物を通して、キリスト教に出会って、教会にゆくこともなく、自己流に聖書を少しは読んでいた。マタイ福音書であった。 しかし、祈りをしたことはなかった。

 当時の私の感覚は、ひざまずいて神に祈ることに強い抵抗感、屈辱の意識をもっていたのだった。それは自分の弱さを認めることだったから。そのようなわたしが最初に祈った時を覚えている。わたしの姪とケンカをして、後で母から姪の事情を聴いた時、わたしはたまらない思いに駆られて、神に祈った。ゆるしてください、という祈りだったのだろう。

 無教会の交わりを与えられて、初めて、私的な場で、互いに祈り合ったことがある。34歳の時で相手の女性は20歳年上の婦人であった。柔らかな陽射しの下、小さな庭に面した縁側のイスに向かい合って座った。ある集会で出会い、一言二言言葉を交わしただけの人だった。わたしは自分のことを話しながら涙を流してしまった。そして、互いに祈り合った。「祈られる」ということがどんなことなのかをその時体で感じた。その時以来の交際がはじまった。 

 ずっとわたしのことを祈り続けてくれていた人であった。わたしもまた思い出しては祈っていたと思う。わたしが今日までなんとか信仰の道を大きくは外れないでこられたのは、やはりその人の祈りがあったからだと感じる。「祈られていること」の大切さと力を思う。

 2年後、弘前の無教会集会に出会って、15年ほど通った。少人数の集会であった。ほぼ毎回祈りにあたっていたと思うのだが、どのように祈っていたのか思い出せない。祈りは苦手であった。或る時、先生が、祈りは人に聞かせるためではなく、神にむけて祈るものであることを行動でしめされたことがあった。  

 2010年5月、かっての集会の人とふたりで「市浦二人、三人集会」をその人の村の一軒家で6年7か月毎週持った。マタイ18章19,20節「あなたがたのうち二人が地上でこころを一つにして求めるなら、わたしたちの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」しかし、こころをあわせて、同じ目標をもって祈ることは難しかった。互いに努力し、配慮し、聖日礼拝を守り続けたけれども。聖書を、信仰を学ぶことが主であった。祈りは以前として課題であり、苦手であった。

 集会の5年目に入ったときに「祈りの友会」に加入している。「弘前二人三人会が出来るように」との祈りを願い求める文を課題集に3回のせている。あらためて、困難な時ではあったけれども、祈られていたのだと思う。しかし、「市浦二人三人会」としての集会はそれから2年後に終わることになった。

 「祈る」ことを真正面から受け止め、その祈りの中で、祈りの友の兄弟姉妹、ほとんどの人に面識がないのに、課題集、通信を頼りにして祈り続けることは初めての経験だった。いわんや遠くに思う苦しんでいる人たち、子供たち、また社会、世界のことを祈り続けることは、「祈りの友会」において課題とされ、訓練させられたといえる。

 最初のころどうだったのかと、日記で確認してみると、「まずしっかりと祈りの友の会の中に在って祈ること」「祈りの友の会の祈りを忘れていた」「祈りの友の会の祈りがマンネリ化している」等々があり、4か月後あたりに、「○○さんへ祈りの会報の一文をFAXした」とあって初めて、吉村さん以外の人の名前が書かれている。そして「通信の第三号が来る」とあり、9月に合同集会の「寄せ書き」がおくられてきた。コピーされた自筆の会員の言葉と名前に感慨深かった。

 「祈る」こととともに、「祈られること」が、神の力として自らに及ぶ、ということを現実の出来事から感じることがあり、それゆえに、「祈る」ことが空なことではない、祈りはきかれるのでは、という感覚をもつようになってきている。 

 「祈りの会」の不思議さ。わたしはずっと一人か、少人数の集会にしか属していなかったので、マルコ十章30節「今この世で兄弟、姉妹、母、子を百倍受ける」との言葉に深く感じ入る。そこを起点にして、徳島聖書キリスト集会・スカイプ集会、キリスト教独立伝道会、と世界が大きく拡がってきていて、この8年間の、最初はゆっくりに、そして速さが増して、ある時点に大きく変化したことに驚く。そして他方自然な形で少しづつ実際に顔と顔をあわせての、また具体的な事柄をとおしての交流に入ってきており、制度的でない、緩やかな交流、然し、確かな聖霊の愛の現れを、静かな微風のように感じる。


 

「中途失聴の困難の中の恵み」

        O.E. (徳島市、録音、聴覚障がい者)

 皆さんはじめまして。私は徳島聖書キリスト集会の奥住です。

中途失聴、難聴で重度聴覚障害者です。私は「祈りの友」に入会していますが、人工内耳を入れていて、耳の雑音がひどく、しずかに祈ることが難しいのです。キリスト教の祈りは、仏教とちがった祈りがなされて、心に感動を覚えてきました。

 祈りはどこでも誰でもができますが、私にはなかなか祈りに集中できない理由があります。「静まる」ということが難しいのです。頭の中の騒音がますます大きく聞こえて頭の中をかきまわし、言葉が記憶できず、祈っていることがわからなくなるのです。私が祈れなくても、皆さんが祈ってくださっていることを思い、感謝します。ありがとうございます。

 手話通訳や口話で皆さんが祈ってくださるのを伝えてくださっているし、すぐそばで来て助けてくださっておりますことを、大きな恵みと感謝致しております。

 祈りだけでなく、話すことも言葉が記憶できないので、感話などもなかなか言えない状態です。世間話は知っているからお話ができますが、聖書の話となるとスムーズに話せないです。こんな状態を知ってくださる御方、神さまは私の心の奥まで知ってくださって、思っていること祈りたいことをずっと見抜いておられるすばらしい御方に出会えたことを喜びと感謝でいっぱいです。

「祈れなくても、相手を思うだけでも祈りである」ということを本で知り、私のようなちっぽけな祈りでもできると思いました。困難にあったときや病の中にいても、神様に叫び求めれば、そばに来てくださって、救いだして助けてくださる経験を覚えます。

 神様、イエス様は、優しい御方です。すばらしい神様は愛です。感謝でいっぱいです。これからも神様がともにいてくださいますから御国を目指して歩んでいきたいと思います。

「わたしは世の光。世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイ伝の28章20節に書かれています。終わりです。ありがとうございました。

 


 

「日毎の糧を」

                   S.M.(大阪市)

「私たちの日ごとの糧を今日お与えください。」マタイによる福音書6章11節 

 これは、「主の祈り」の四番目の祈りだ。

 私たちは、日ごとの糧を、毎日、その日にいただく。天災が起こるとき、私たちはオロオロする。大雨で土砂崩れが起これば、畑は土砂で潰される。また、作物は腐る。日照が不足すれば作物は発育不全になる。また猛暑や冷夏になれば米も育ちにくい。作物には適度の日照と雨が必要なのだ。それは天地万物を支配する神の恵みとして創造物に与えられている。自然から離れ、農業に接していない都会人でも、野菜の高騰によってそのことを知るのだ。

 私たちは、弱い存在として、「私たちの日ごとの糧を今日お与えください」という祈りを、神様に献げなければならない。

 さらにこの祈りは、現在日々の糧に困窮している者にとっては切実な祈りだ。

 だが、自分がなんとか毎日の食べ物に不足していない経済状況にあるならば、この祈りはそれほど切実なものとはならないだろう。

 ここで注目しなければならないのは、「私の日ごとの糧を」とはなっておらず、「私たちの日ごとの糧を」となっていることだ。ここでは、私一人の今日の糧を祈り求めるのではない。「主の祈り」は、個人的な祈りではない。家族として、また、信仰共同体として、さらにもっと広く神様に造られた人間全体を視野に入れて祈ることが求められている。

 私たちは、自分たちの住んでいる地域で、食べることに困っている人がいないか、関心を持つべきだ。また、国内で、食べられなくて困っている人がいないか、関心を持つべきだ。今、コロナウィルスのためには倒産や失業をし、多くの人が食べることができなくなっている。特にシングルマザーの世帯は深刻で、困窮して母親は一食しか食べられない人もいる。私たちはまず、分かち合わなければならない。助け合わなければならない。

 そして、世界に目を向けるなら、驚くべき数の人々が、食べ物が無くて苦しんでいる。

 7月12日に、国連食糧農業機関など国連の五つの機関は世界で飢餓に陥った人は、2020年は8億1100万人、世界人口の10分の1に当たると推計すると報告書を公表している。新型コロナウィルスの感染拡大で食糧供給に支障が出たため、前年の6億5030万人から急増した。地域別では、アジアで4億1800万人と最も多く、アフリカで2億8200万人、中南米で6000万人。

 私たちは、私たちが直に目にすることができないこの人たちの飢餓の苦しみに心を向けなければならない。この悲惨な現状を知らせる情報に目と耳を研ぎ澄ますべきだろう。

 この現状について、いろいろと原因を述べることができるだろうが、私たちはできる限り困窮している人々に手を差し伸べることが必要だ。

 私たちは聖書の中にある「ラザロと金持ち」のたとえを忘れてはならない。私たちが貧困に陥り、飢えに苦しむ人々のことを忘れるなら、また無関心で過ごすなら、終末の時、神の裁きを免れないだろう。

 「日ごとの糧を今日お与えください」という祈りは、毎日、毎日、神から糧をいただく生活を送っている者の祈りである。豊かに自分の食料のために蓄財する者には、この祈りを捧げられないだろう。神様がその日の糧をくださることを祈り求めて生きている飢餓線上にいる人々のことを私たちは、片時も忘れてはならない。

 そして、私たちは切実な思いを込めて、神様に向かって、全世界の飢餓に苦しんでいる人々のために、「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と共に祈ることが求められている。

2021年10月23日(記)