野の花

2016年1月発行


(本文)

後ろで戸を閉ざし給う神  

                                          H.G

 ノアの洪水物語の下敷きになっているという「ギルガメシュ叙事詩」を図書館で読んでみました。洪水物語は似たようなものがオリエント世界にいくつかあり、氷河時代の記憶が残っているのだろうと言われているようです。

 ギルガメシュは楔形文字で粘土版に刻まれた叙事詩の主人公で、紀元前二六○○年頃古代メソポタミヤの都市国家ウルクの王として実在した人物だそうです。叙事詩が編まれたのは紀元前一八○○年頃といいますから、旧約聖書よりも遥かに古いものです。この叙事詩は生命の探求をテーマにした人類最初の本格的文学作品で、西アジアで一五○○年もの間読み継がれました。ギルガメシュは永遠の命を求めての旅で様々な経験をしますが、遂に神々に列せられて死を免れることになった賢者に出会います。彼、ウタナピシュティムが経験した洪水から救われたいきさつをギルガメシュは聞くのですが、それはノアの洪水物語によく似ています。神々が怒って人間を滅ぼそうとして洪水を起こしたこと、神の指示によって箱舟を作って命あるものの種を救ったこと、洪水が止んでハトやカラスを放ったこと、箱舟は山に漂着したこと、洪水の後で犠牲を捧げたことなどです。

 しかし、ノアの洪水物語にはこれと異なる点があります。聖書の神は人間を作ったことを後悔して洪水を起こしますが、ギルガメシュ叙事詩では洪水を起す神と救う神(知恵の神エア)は別ですから後悔ということはあり得ません。聖書の神は独りですから後悔されるのであり、深く人間の心に関わられる神であることが示されています。ハトが希望の象徴であるオリーブの葉をくわえて帰ってくるという、美しいエピソードは叙事詩にはありません。また、ノアは救われて神の再創造後の世界を管理する責任を負わされますが、ウタナピシュティムはエアによって神にして貰うのです。ノアの物語では神のみが永遠であって、地も永遠ではありません(地の続く限り、とある)。

 私が最も心に残ったのは、ノアたちが箱舟に入った後、神がノアの後ろで箱舟の戸を閉ざされた、と書かれていることです(創世記7の16)。叙事詩では戸を閉ざすのはウタナピシュティムです。ノアに対する救いのみ業は神の意思によって始められ、神が御自ら完成されるのです。主役は神。私達はただ神の憐れみに従うだけでいいのだ、ということがここに示されています。イエス・キリストの十字架の秘義を指し示していると思います。

 これも叙事詩にはないことですが、神は私たちへの契約の印として“虹”を示されました。虹は武具である弓を連想させますが、神は今日もサタン(罪)と闘って私達を護って下さっていることを憶えて、感謝に満たされます。            (福岡聖書研究会)

讃美歌294

                   H.KM

 千葉県のA幼稚園経営の知人(ご家族3人ともクリスチャン)より、石巻で被災された団体に対してA幼稚園父母会主催のバザーの収益金を寄付したいので一任しますとの依頼がありました。前年は、次男を通して障害児者団体に支援金が届けられたとのこと。今回は、私立の保育園でわが息子たちもお世話になった保育園に支援金を届けに伺いました。

 震災時、2階の建物に全員避難し、翌日全員救助されたとのこと。再建は不可能と思っていたところ、ユネスコから多大な支援があり、再開できたとのことでした。M前理事長兼園長夫妻は、引退されて保育園の近くに居住されているとのことでしたので連絡を取っていただきお会いすることができました。

 M氏は身体が不自由になり、自分の元気な姿を知っている人にはできるだけ会いたくないし、断るようにしているが、私どもにはオーケーがでたとのこと。震える手を押さえ乍ら二人の息子の名前を思いだして書いたと見せて下さいました。 

 3・11の体験を語り合い、その後山形での避難生活をお話ししました。M氏より、「全て神さまのお導きですね。私も一時教会に通った時がありました。妻と子供を連れて行った時もありましたが、クリスチャンにはならなかったです。そもそもは、讃美歌の響きが良くて引き込まれましたが、いつの間にか離れてしまいました。心の奥ではまだ求めている」とのことでした。「廊下にキリストの十字架の絵がありますね」と尋ねると、「実は自分が座位した時に見える位置にしている」とのことでした。「好きな讃美歌があるが、歌詞もメロディーもわからない」とのことでした。次回訪問の折に、讃美歌集等用意しますと約束してお別れしました。

 数か月後に訪問の機会が与えられ、讃美歌集を用意したところ、M氏より「けわしきやまじ…」の言葉があったとのこと。偶然開いたところに、「けわしき山路…」があり、曲を流したところ「この讃美歌です!」とのこと。

 讃美歌294番「みめぐみゆたけき、主の手にひかれて」

1 みめぐみゆたけき 主の手にひかれて、

  この世の旅路を あゆむぞうれしき。

  (おりかえし)

  たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ、

  みあとをゆくこそ こよなきさちなれ。

2 さびしき野べにも、にぎあう里にも、

  主ともにいまして われをぞみちびく。

3 けわしき山路も、 おぐらき谷間も、

  主の手にすがりて やすけく過ぎまし。

4 世の旅はてなば、 死のかわなみをも、

  恐れず超えゆかん、 みたすけたのみて。

 何十年ぶりかで、讃美歌を歌ったと大変喜んでくださいました。数曲の讃美歌を共に賛美して温かいお交わりができましたことを神さまに感謝いたしました。

 徳島聖書キリスト集会の賛美集CDと歌詞もお渡しすることができました。奥様からは、「この讃美歌を聴くことで夜間の不穏状態が改善できるとよいですね…。」とのこと。跡継ぎの長女の方を病気で亡くされ、ショックは大きかったとのことですが、長女のご主人と、長女夫妻の娘さん3人が後をしっかり継いでくださっています。同居の次女さんは、障害をお持ちですが、明るい性格でご両親の支えになっておられます。

 次男が生後57日目からお世話になった保育園で、31年の月日が経ちました。150名の大きな保育園も少子化の時代で現在は半数になったそうです。現役時代のM氏は、保育園の2階に居住されていましたので、朝は早朝から、夜は遅くまで自宅で預かってくださいました。愛のある先生方でしたので、私たちも安心して仕事に従事できました。このことをM氏とご家族の皆様に感謝いたしました。

 千葉のA氏に報告しましたところ、ベストな所に届けられて良かったと。全ては神さまのご計画のもとにあると思い神さまに感謝いたしました。  (宮城県遠田郡美里町)

今年を振り返って

                       H.H

 昨年末に離婚をして今年のはじめ礼拝のあとに「離婚しました。」と兄弟姉妹にお伝えするまでは、今後も変わらずに集会に参加できるかどうかが心配でした。しかしそれは人間的な考えに過ぎませんでした。

 旧姓に戻したために名前を呼んでくださるとき混乱させましたが、主にある交わりをしてくださり、また祈ってくださり感謝です。もっと心が落ち込み集会も休みがちになると思いましたが、霊肉ともに守られ過ごすことができました。 神さまの導きと愛がいつまでも変わらずにありました。

 夏以降すこし気になる症状はありますが、礼拝や家庭集会の参加が守られたことを感謝します。このまま入院することなく冬から春先を過ごし、来年の全国集会を迎えられますように。

 「命を得る道か滅びに至る道どちらを選ぶか。」―集会から離れてしまわないで、今に至ることに感謝します。知らずに犯した罪、悪いと知りつつも直せない罪を繰り返していますが、神さまの声に耳を傾けて 信仰が高められ、向上していけますように。

 「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」(創世記9の16)

 8月に北島集会からの帰り、バスの中から前方に ダブルレインボーが見えました。

 「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(黙示録22の16)

 10月の早朝3時30分から5時30分ごろ、東の空に明けの明星(金星)を観ることができ、感謝です。事前に吉村さんに教わっていなければ、起きることはあっても空を見ることはない時間です。自室の窓を開け、幾日も観ることができました。

 御言葉から多くの恵みをいただき、天に神さまの業を見せていただき感謝です。シャローム        (無職)

主にゆだねる 

                        F.F

 自分中心に物事を考え行動すると、順調なときもあり、失敗するときもありますが、その成果によって、大きな動揺を経験することがあります。主を自分の中心においているものは、どのようなことがおきようとも神の愛と大きな力に支えられていると信じ、おゆだねしていると、平安と自信、希望、力があたえられることを教えられます。

 このことを内村鑑三著書、「一日一生」十月二十二日の全文から教えられましたので紹介します。

「なぜなら、わたしたちの福音があなたがたに伝えられたとき、それは言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからである。わたしたちが、あなたがたの間で、みんなのためにどんなことをしたか、あなたがたの知っているとおりである。そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言(みことば)を受け入れ、わたしたちと主とにならう者となり、こうして、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった。」(Ⅰテサロニケ1の5~7 口語訳) 

 人世に処するクリスチャンの心とは何であるかというに、いうまでもなく、肉に死し、霊に生くることである。すなわち自己なるものを神の聖霊の働きによって消すことである。そうすれば如何なる苦痛にも安易(やさ)しくたえられるようになるのである。わが心の中心点にこの歓喜と満足と平和が臨んで、われはわが周囲の人々にまで暗黒を照らす燈台となり、われ自身が幸福なる者となるのみならず、わが周囲の人々までがわれより幸福を受くるに至るのである。幸福なる家庭も、社会も、かくのごとくにして成るのである。われら各自が幸福の燈火(ともしび)となり、泉源(いずみ)となるまでは、いつまで待っても幸福なる家庭と幸福なる社会とはできない。

 どのような時にも主を心の中心にお迎えして自分を出さないような日々でありたいと思います。

私を支えたみ言葉

                    F.K

 看護師をしていた頃、出勤の時、いつも口ずさみ力を得ていたみ言葉があります。

 今もその時のことをよく思い出します。

 み言葉には力があり、私を支え続けてくれました。

 

 「あなたはわたしの僕、

 わたしはあなたを選び、決して見捨てない。

 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。

 たじろぐな、わたしはあなたの神。

 勢いを与えてあなたを助け

 わたしの救いの右の手であなたを支える。」

           (イザヤ書41の9~10)

  

 「主に望みをおく人は新たな力を得

 鷲のように翼を張って上る。

 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

             (イザヤ書39の31)

パウロの願い

                        F.S

 「そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。」         (ピリピ2・1~5/口語訳)

  十月五日の朝、『続一日一生』で右記の1~4節と内村の文章その他を学び、自分なりに得心するところがあった。

 付してある内村の文章は「真理は伝搬的である。ひとりこれを楽しむの真理は真理ではない。伝導の熱に燃えざる信者は信者ではない。しかしてこの熱に駆られて信者は一致協力するのである。」で始まり、「『福音のためにする一致協力』、求むべきはこの一致である。この協力である。信者は福音の旗じるしの下に立ちて堅き団体となるのである。」で締めくくられている。文末に(注一三・四七)とあったので、聖書注解全集第十三巻四十七頁を見たら、確かにそこに載っていた。三、四節の注解の箇所からの引用だった。「真理は伝搬的である。」と冒頭から断言され面食らうが、その前に「われキリストの福音に接するを得て、死より出で生に入ることができた。われこれを人に与えずしてやむあたわずというが、キリスト信者活動の動機である。」とあり、それに続けて「真理は伝搬的である。…」が綴られていた。文意が一層明快になった。

 ところで、私は内村の文章を読む前に、まず聖句を繰り返し黙読する。そして自分なりに意味内容を理解し、ハッキリしないところや疑問に思うことがあったら、頭に留めておいて彼に聞くことにしている。そしてしばしば、毎年読む彼の文章に初めて出会ったかのような感銘を受けつつ、ああこれはそういうことだったのかとなる。しかし、今日書こうとしているのは彼の上記の文章に触発された感想ではない。

 このピリピの聖句を読んで、私はまず、「A、B、C、Dがいくらかでもあるなら」に胸を突かれた。特に「いくらかでも」に。英訳ではanyが使ってある。手紙の差出人パウロは受取人のピリピの人々に「A、B、C、D」が本当にあるのか、あるのだったらと疑念を抱きつつ、しかしあると信じて綴っているのだろうか。また、「どうか同じ思いとなり」「同じ愛の心を持ち」「心を合わせ」「一つ思いになって」と、同じことを言葉を重ねて訴えているが、どうしてここまで強調しているのだろうと思った。とにかく、パウロの熱い心と、一つ思いになることが肝要だとの訴えが感じられる。裏を返せば、相手(ピリピの人々)が一つ思いになっていない現実が想像される。ともかく獄中にある老パウロが、ピリピの信者たちに一つ心になって「わたしの喜びを満たしてほしい」と言っている。懇願している。パウロの願い、喜びとは何だろう。「そこで」も気になった。前の部分を読まなければならない。どうせならピリピ書全体を読んで考えてみよう、短いし、今まで特にこの手紙を研究したことも、集会で学び合ったこともない。この先いつその機会があるかも分からない。今がチャンスだと思い、内村、政池両先生の注解書を学んだ。そして当該聖句について、私なりに理解し得たことは次のようなことである。

  パウロはピリピの集会の生みの親であった。そして彼らはパウロの伝道をずっと支え続けてくれた。彼らだけが、恐らく少数で、各々は小さく貧しい中からパウロの欠乏を補い、不遇・迫害の彼の心を深く癒してくれた。時と所がいくら離れても、彼らを思い祈る度毎に、感謝と喜びがあふれ、キリスト・イエスの熱愛がいや増すパウロであった。しかし、気がかりな事があった。それは、信者間の不和。一つになれない事。4章でそれは二人の有力な女性信者の対立が原因だったのではないかと想像される。その事をどう解決させるべきか、信仰的にいかに乗り越えさせるべきか腐心し、祈り考えて書き上げたのがこの手紙ではないかと思う。

  結論は、「キリストに倣え」ということではないだろうか。手紙は最初から最後まで「キリスト・イエス」あるいは「イエス・キリスト」あるいは単に「キリスト」「イエス」という言葉であふれている。ガラテヤ2の20に、「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(口語訳)とある。一つ思いになれないのは、「党派心や虚栄(新共同訳では、利己心や虚栄心)」があるからで、それはまた、自分の方が正しいとして相手の優れたところを認められない自己中心の考え方が原因しているからだ。「へりくだりの心」を持ち、自分のことだけでなく、他人のことを考えなさい。キリストを思うこと、キリストにあって考えることをしなさい。―ということなんだと理解できました。

 こう書いた後、パウロはキリストとはどういう方かを書き送っています。すなわち、続く6~11節。

 「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を賜わった。それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」。

  パウロの衷心の願いは、「キリスト」が「キリストの心をもって」宣べ伝えられる事、そして福音に与った者が「キリストにあって生活」し和合一致して更に神の栄光のために働くことなのだと思いました。本当に神を畏れ、主イエス・キリストを心から信じ、人を愛する愛をいただけるよう、祈り行きたい。

聖句

                      M.K(徳島)

 「神は愛なり」

分けられた生活

                      M.D

 僕は、この5月から自営業を始めました。「隣人を愛しなさい」という御言から「となりの」と名づけました。「となりびとを愛さなければ」と思っているのですが、「料金内で少しでも多くのサービスを受けよう」とするお客さんや自分の都合のみを要求してくるお客さん、杓子定規で物事を考える公的機関などに、いつ頃からか彼らに反感を抱きながら仕事をしていました。つぶやくことや弱音を吐くことが多くなりました。しかし、「あなたの敵を愛しなさい」という御言を与えられました。本当は「自分の敵を愛することこそが隣人を愛することなのだ」と気付かされました。

 また、開業してからずっと日々の生活に追われるだけの状態で、「本当に御国のために用いられようとして生活が出来ていない」と常に感じながら生活していました。でも、今の状態、この状態と状況の現実の真っ只中で「信じ・祈り・感謝し・懺悔し・主に尋ね・願い・主に聴き従う」このことこそが、実は、世に生きていながらも御国の中にいる「分けられた生活」なのではないかと思いました。今、「敵を愛すること」を思わされます。日々下さる主のこれ以上ない哀れみと恵みを主に感謝し、主の偉大なる栄光の御名を賛美し、主の御前にひれ伏します。ホサナ。アーメン。    (自営業)

主とともに 俳句

                      M.K

道染めて桜紅葉の祈り合ひ

その時のひとりその時の十字架

罪ひとつ知る十字架痛きあきあかね

団栗の光と影に分かれたり

父母透けるわれ透ける草のひと群れ

この死あの死見捨て給うな神よ

秋蒸しぬ頭おかしく生きかねて

サボテンの真ん中走る父の血管

イエス老婆になりて現れぬ用宗の海

悲しみの海に光満ちて夜明けぬ

幼子の昨日まで主とつなぎし手

秋風や汲みつくしえぬ書が置かれ

黄蝶きて言いたげに纏わりて行きぬ

霊の国歩いてゆかん花買いに

光差し影なき岸に着きし夢

枡の底動かず木橋渡りたる

神なくば居場所なき昼青梅線

まぶしすぎ鑑三読めぬ日の三日

孤独透けざる会話している孤独

透き通る糸になりたし秋の朝

積りたる罪持て神に近づきぬ

雪洞のやうな秋の陽息で見る

罪と死ぬ神のいとしき娘なれ

神はみな知りくれたるよ薔薇に近づく

み言葉の箱持て野菊待ちくれぬ

土いじり神がいつしか横にいて

そこはかとなく呼ばれている神の野から

花かおり空あるにひとは戦う

金木犀の坂今朝は国会包囲

かすかすの虫かもこのわが貧しさ

罪の皮なお結晶を夢みる

白き鳥発つ決断のぬるさかな

神拭いくれるてふ黙示録にする涙

                (東京都あきる野市)

サン オブ ゴッド

                      M.K

 映画を観られたでしょうか? 感動しましたね。でも映画の話ではありません。

 「我は天地の創造り主、全能の父なる神を信ず。

 我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。

 主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ、

 ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、

 三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、

 全能の父なる神の右に座したえり。

 かしこより来たりて、生ける者と死ねる者を審き給わん。

 我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、

 聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

 永遠の生命を信ず。アーメン 」

 一般教会では、この使徒信条を主日礼拝の時、全員で唱えます。

 イエス様は三位一体の神であり、カトリックもプロテスタントも「サン オブ ゴッド」です。そうでないエホバ証人、統一教会、モルモン教は異端とされている事は、キリスト者の間ではよく知られている事ですが、彼等もまた自称クリスチャンです。ところが、彼等だけではありませんでした。

 一年前の事です。教会の古い信仰の友を通じて知りあった元有名大学の教授に荒井献氏の本を勧められました。元教授は内村鑑三等多くの無教会の本も読まれていて、阪神エクレシアに一度来られた事もあります。教会内では自粛されていますが、私の友や私に荒井献氏の本を勧められました。本人は「信仰の多様性による一致」と言って、すっかり傾倒されています。

 荒井献著「イエス・キリストの言葉」を読んだところ、「なっ、何と!」その内容に驚きました。イエス様の言動を共観福音書を詳細に比較分析して、その違いを指摘しています。又共観福音書以前に書かれた資料をも引用し、そこにはイエス様が神であると書いていないとあります。結局、荒井献氏は、マタイ、マルコ、ルカの三者がイエス様を神に仕立て上げたような解釈をされています。

 これではイエス様は単なる良い教えをした偉い人になってしまう。本当に死にたいと思っている様な人には救いがなく、罪の赦しも永遠の命も無い。もしイエス様が「サン オブ ゴッド」でなければ、それを信じている私達はパウロの言う「すべての人の中で最も憐れむべき存在」となる。こんなことに私は「黙っておれない」。この本には聖霊様が無い事、表題に「イエス・キリストの言葉」とあるが、イエス様が言われた最も重要な「私が上げられた後、助け手なる聖霊を送る」、「私は世の終わり迄いつもあなた方と共にいます」と言う言葉がありません。この本は「信仰の純粋性を逸らし害である」と、ワード2枚にビッシリ書いた反論の手紙と吉村さんの「キリストの神性について」のCD講話を送りました。

 しかしながらその後、信仰の浅い私は動揺し、理詰めに書かれた物には説得力があり、インパクトが強く、黒い染みのような記憶となりました。三十年近く前、受洗後間もない頃、私は燃えていて、内村鑑三や三浦綾子氏の小説等いろんな信仰書を読んでいました。ある牧師から「ブルトマンを読まない方が良い、読んだら信仰をなくす」と言われた言葉を思い出し、「あぁ、こう言う事だったのか…、困ったなぁ…」となりました。

 私は日々、吉村さんの講話CDを一時間ほど聞いています。ちょうどイザヤ書の後半を聴いていました。イエス様が来られる事が何度も預言されていて、又イエス様がどの様なお方かも話に出て来ました。主日礼拝ではガラテヤ人への手紙を学んでいました。パウロが違った福音に対して厳しく注意をしています。そしてこの時期キリスト教の映画をよく観ました。「神は死んだのか」「天国は本当にある」「サン オブ ゴッド」「エクソダス」。特に「天国は本当にある」は本も読みました。本当にあった話で三歳の男の子コルトンが生死をさまよい、その時「イエス様に会った」と言います。知らないはずの聖書の話をして、知らない親族の事も話し、コルトンは誰が描いたイエス様の肖像画を見ても「違う」と言うのに、もう一人の「イエス様に会った」と言う女の子が描いた絵を見て「この人」だと言いました。一ケ月程経った時、頭の黒い染みが消えている事に気がつきました。

 サタンはとても巧妙です。その人に相応しい方法でイエス様から離そうとします。病気や家庭の問題、仕事上の問題と苦難を与え、「神などいない」と言わせ、又ある人には趣味や娯楽に関心を向けさせ、元教授のように多くの信仰書を読む人にはその中に逸れた物を与え、うまくそちらに引っ張ってしまいます。彼は、折角若き日に狭き門より入れたものを、老年になって誰しも通る大通りに出てしまっている。その上違った福音を他者に勧める者は裁きを免れる事はないでしょう。「初めの愛」に戻られる事を祈るばかりである。また個人ばかりでなく集会がおかしくなっている所もあります。イエス様は「サン オブ ゴッド」である。この世にある限り、今も生きておられるイエス様に、右にも左にも逸れる事がないよう、お祈りします。              (兵庫県)

「死に勝つ」を読んで思ったこと         M.K

 

 人は、最後の日には何も持たずに神様のところに帰るという。神様から頂いた命、この世に生を受けた時も一人で何も持たずに来た。帰る時も同じく、一人で何も持たずに帰る。

塚本虎二著書の「死に勝つ」は、人々の死を以て示された真理の書であり、読み終えた後には、慰められ勇気づけられ、逆に死が喜びに変わることが理解できた。しかし、一度読んだくらいで簡単に理解できる問題ではなく、最後までサタンとの戦いで悲しみや苦しみに負けそうになるかも知れない。その時、著者のこの言葉を覚えておきたい。

 自分から「人の子」といい給うたイエスは、多分人間のうちで、一番自分の弱さを知り給うた人であったろう。「実に心は熱すれども肉体よわきなり」と彼はいい給うた。私達が、少なくとも私が、世の何人何物にもましてイエスに心を惹かるる理由は、ここにある。然り、ただここに在る。しかし世にクリスチャンと称する人であって、人間離れしたる強い人の何と多いことであろう!

 イエスの弟子である限り、私はいつまでも弱い弱い人間であるであろう。弟子は師に勝らず。私は人の子イエス以上に強い人になってはならぬ。神なしに、十字架なしに、生くることのできるような強い人になってはならぬ。私は世の人がその強さを誇るときに、パウロと共に、ただ私の弱さを誇る。

 この先、どのような悲しみや、辛いことがあろうと、弱い人間であることを許していただき、ただひたすら「神の深い深い愛」を信じ、全てを委ねて最後の日を喜びに変えていただきたいと願う。               (愛媛県松山市)

み言葉

                      Y.K

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものは無かったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」               (Ⅰコリント10の13)

 夫が重病にある時、私もどん底の中でもがいていた。

 夫を乗せて鍼治療に通った、その待合室にこのみ言葉があった。まだ信仰も何も分からないとき、このみ言葉が私の目に留まり、心に強く響いた。

 「そうだ、今はとても苦しいけれど、頑張っていればきっと逃れの道がある筈」と勇気と力をいただいた。

 私が集会に通うようになったきっかけとなったみ言葉のことが今でも心にある。              (徳島)

夜明けの星々

                       Y.A

 「いのちの水」誌でも吉村先生が紹介してくださっているように、この秋の夜明けの空はほんとうに美しく天体ショウを見上げているようである。

 午前四時頃、研ぎすまされたように星々が輝いており、星空の彼方に引き込まれてしまう。十月二十六日、夜明けの空は金星と木星がほぼ横並びで、その少し下に火星が輝いている。三人家族のように…又、少し南の上にはオリオン流星群の流れ星が三回も観られた。寒さも忘れ、あっという間に1時間が過ぎてしまう。しかし東の空はまだ暗い。やがて太陽が西の甲斐駒ヶ岳の峯を照らし朝がくる。

 私の所属している南アルプス集会では、詩篇を学んでいる。先週は五十六篇と五十七篇、ダビデがサウル王の攻撃から逃れて洞窟に逃げ込んでいる時に詠ったものだという。ダビデもきっとこの星空を洞窟の中から仰ぎみていたにちがいない。「憐れんでください」(キリエ・エレイソン)。あの苦難の中でのダビデの祈り。ダビデの静かな祈りは、星空の天に届けられたのであろうか。

 そして「キリエ・エレイソン」の祈りは、やがて「ハレルヤ」の讃美、あかつきの讃美へと昇華していったのだろう。神の御手を想いながら夜明けの空を眺めている。

 

眼をあげてみつむるオリオン閃光の一瞬川の流れのように

午前四時明けの明星に手をあわす祈りのことば考えながら

三人の博士もダビデも仰ぎ見し明けの明星イエスの星よ

                                               (山梨県)

原発事故と除染

                                         Y.S

 原発事故で放射能に汚染された福島県浜通り地域は、いくら除染しても決してクリーンにならないことは、みんな気付いている。森や山や川が汚染されてしまっているということは、家の廻りの庭や道路を除染してみても放射性物質は際限なく襲ってくるのである。この世が罪に汚染されているのと似ている。創造主が人を造った事を後悔するほどに罪にまみれた人間を、神は何度も滅ぼそうとした。生き残った少数の人たちの懺悔と努力によって再び命を与えられてもまた罪をおかす人間の性。それはもはや手に負えない。

 「神に対して、人は兄弟をも購いえない。神に身代金を払う事はできない。魂を購う値は高くとこしえに払い終えることはできない。」(詩篇49の8)とコラの子が歌っている。旧約の時代に、動物を捧げることで罪の許しは得られないことを既に見通していた。

 このように人間の知恵ではどうにも手の打ち用がない現実に対して最後は創造主である神のお出ましをお願いするしか方途がないことに気付いたというべきか、それしか手の打ち用がないということであろう。矢内原忠雄(1893‐1961 内村鑑三の弟子、経済学者、元東京大学総長)が太平洋戦末期、陸軍の横暴に対して「この国を葬って下さい。」と発した言葉は、神のお出ましを願っての祈りであった。      (山梨県)

最近、思ったこと

                      Y.T

 年を重ねて、改めて人間の心の闇、悪の深さに驚かされることがあります。創世記の昔、神は人間をお創り下さいましたが、神の国と神の義を求めて歩むはずの人生にも、いつも闇がうかがっている事を思わされています。

 吉村氏(徳島聖書キリスト集会代表)は「いのちの水」誌十月号や集会だよりにも、この世の深い悪の存在、その前に私達は無力感を感じるが、そこに神が「光あれ」と言われた時、忽ち光が生じ闇の力に打ち勝つこと。この短い一言は祈りと深く結び付いている。祝福はみ言葉に従うところにある。どんなに苦しく、罪があり、取り返しのつかない事であっても、尚赦しを乞う時赦され、み言葉に従う時祝福がある。(申命記28の2~6)大きな希望と慰めを受けました。 

 私は最近認知症の方の事で考えさせられる事があります。認知症と言っても、各人により、進度が異なると思います。まだ初期の段階のときは、最近の事は少し忘れても、人間としての喜び、悲しみ、苦しみは、みな健常な人間と同様に持ち、人間としていかに考え生きるべきかという事も(長い人生の歩みがあるからかも知れませんが)考えることが出来ると言うことです。しかしすべての人がそうではありませんが、認知症と聞くだけでその人を廃人化し、物と同じ扱いをし、すべての物を取り上げて相手の意向を聞かず、人間として相手に対処しない例を見てきました。認知症であっても人として対し、愛をもって受け入れていくとき、病の進行は遅くなり、よき対話ができるのです。相手が病であっても、人をひとりの人格として対するためには神の前に、ひとりの人間は神が創り愛されている人で、私達に託された人であるとの思いがどんなに大切かをすごく感じています。

 愛の忘れられていく世の中で、神様の福音を病む人々に伝えることの大切さを思います。

「悪の霊は様々の形をとって私達を呑み込もうとしている。選ばれると言うことは苦しみを与えられることである。神と結びついた選ばれた人には苦しみがある。その苦しみが神によって用いられている。」(吉村氏の文章より)

 選ばれた者とは、神の愛を知らせていただき、神のものとしていただいた者のことでしょう。

 罪なき神の子が人として十字架にかかって下さり、憎み、迫害、すべての罪をご自身の生命にかえて負い、赦してくださいました。「ここに愛があります。」(Ⅰヨハネ4の10)

 この愛を深い感動をもってお受けします。

 世の中の闇を思うとき、子供たち(家族や世の中の)への伝道の必要性を強く感じ、その時「デイトリッヒ・ボンヘッファー伝記」(村上伸著)を再読し、その親子関係に強く心打たれました。

 ボンヘッファーは八人兄弟でした。父は精神科の医者で大学医学部の教授で彼らは不自由なく育ちました。が、その中で受けた知識や能力を単に自分だけのために使わず、むしろ他人のために役立てようとしました。八人兄弟とその連れ合いの中で、四人が反ヒツトラー抵抗運動に参加した為に処刑されるか逮捕、投獄、亡命など色々な形で苦しみを受けています。両親は彼らを最後まで、出来る限り助けたとの事です。他者のために生きる事と共に、神の義によって生きることが、家族の中に生きて伝えられていたのでしょう。

 父カールは忙しく子供にとって身近な存在ではありませんでしたが、子供と共に過す時間は大切にし、口数は少なくても必要な時は最も適切な助言をしてくれる人でした。彼が一番大切な事として子供たちに教えたのは「言葉」でした。核家族の多い世の中で私は信仰を伝えるために、無言の行動だけでなく、大切な事を折々に短くとも「言葉」で伝えることが大切であると思います。ケースによって異なると思いますが、私も父が言ってくれた短い言葉(今考えると聖書の言葉です)がいつも心に残っていました。カールの子供たちは、皆「本物」を見分ける感覚が備わっていたこと、「本物」とは神の言葉により示される良きこと以外ありません。時々に語ったカールの言葉が子供たちの心を育てていったのでないかと思います。そして彼らが自主性を持ったことです。

 生命をかけて主を信じ、神に従ったボンヘッファーは「我々がキリスト者であるという事は、今日ではただ二つの事においてのみ成り立つだろう。すなわち祈ること、人々の間で正義を行うことだ。」と言い、命を捧げました。獄中の詩の一行に「私が何者であれ、ああ、神よ、あなたはわたしを知りたもう。私はあなたのものだ。」と。弱くても強くても神は私達を知りたもう。この主を、私達は言葉を祈って使って子供や人々に伝えたいと思います。

 「神よ、私がののしりに苦しまなければならない時、私を見捨てないでください。あなたは私を赦してくださったのですから。私と同様にすべての神なき者をも赦してください。そして、私達すべての者を、愛する御子の十字架を通して、あなたの御許にまで至らせてください。アーメン。」(註1)感動しました。

 どうか言葉を使って、神様のみことば、愛とみ心を人々にのべ伝えることができますように。貧しい私達一人一人を主が憐れみ、用いてくださる事を心より祈ります。皆様に感謝をもって。

註1.主のよき力に守られて ボンヘッファー一日一章

              五月二十四日 新教出版社

「わたしはまことのぶどうの木」

                        Y.M

 聖書の中で、最も好ましい聖句を一つ挙げなさいと問われたら、わたしはヨハネによる福音書第15章1節から17節を選ぶでしょう。イエス様のぶどうの木のたとえは、わたしにとって、実に分かりやすく、愛に満ちた慕わしい言葉です。

 イスラエルの代表的な果樹に、オリーブの木、いちじくの木、ぶどうの木があると思います。「イエス時代の日常生活」の著者ダニエル・ロブスは聖書において、オリーブの木を国家にとっても、個人にとっても、「健康、喜び、また平和の木」。イチジクの木は味がおいしく、瞑想にふけるに好都合であって、「イチジク木の下にいることは、幸福と平安の同義語」と預言者ミカは言っていること。ぶどうの木は「生命の木」。旧約聖書はぶどうの木を選ばれた民族と比し、「イエス様はぶどうの木を御自身にたとえておられる」と書き記しています。イエス様御自身のお言葉である「まことのぶどうの木」の聖句について、使徒たちが書き記した聖書書簡の中に、共通する思想があるのではないかと探してみました。

 たとえば、ローマ8の1~2(霊による命)、37~39(神の愛)。エフェソ1の10~14(神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる)。コロサイ2の6~15(キリストに結ばれた生活)。3の12~17(日々新たにされて)。Ⅰテサロニケ5の16~24(結びの言葉)。また、ヘブライ10の19~25(奨励と勧告)、12の1~29(主による鍛錬)。Ⅰペトロ2の1~10(生きた石、聖なる国民)、4の12~18(キリスト者として苦しみを受ける)。Ⅰヨハネ4の7~21(神は愛)。という風に次々と出てきて、イエス様のぶどうの木の言葉は、この主の御言葉を中心に放射線状に取り巻くように、わたしたちの信仰の神髄と根幹を成しているのではないかと思いました。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」とイエス様が約束して下さったこの御言葉を覚えながら、聖書のいろいろな聖句をとおして、豊かな恵みに与ることができ感謝です。

 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしとつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」

           ヨハネによる福音書15章1~5節

一人一人が、かけがえのない存在

                       A.S

「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43の4より-新改訳)

 10月17、18日に無教会全国集会に参加しました。青年の交流会があり、そこで、日本のこどもの自己肯定感が低いとのこと、それがいじめなどにも結び付いているのではないかという話題がでました。

 その後、インターネットで、実際に調べてみました。自分自身に満足しているという項目が、ほとんどの国が70%を越えているのに対し、日本の若者は45.8%となっていました。         (内閣府の2014年度のデータより)

 人は自分の価値を保とうとしたり、高めたり必死になります。他の人の価値を低くして(他の人を誹謗中傷などをする事により)自分の価値を保ったり、偽ること、過剰な努力により自分の価値を高くすることもあります。

 自分も、自分の価値を作る為に必死になっていました。しかし、それは失敗に終わりました。そして自分には、価値がない、生きる意味がないと思い、悩み苦しんでいた時に、神様がそんな自分をも価値有るものとして、愛して下さってる事を知り、救われました。

 仕事や勉強の能力が他の人より、優れていれば、人間の目から高価とされると思いますが、病気や怪我になってしまい、その能力が失われれば、人間の目における価値は低くなってしまいます。人間の目は、変わりやすい信頼がおけないものだと思います。

 どのような時も、価値があると見て下さる目があります。わたしたち一人一人をつくって下さった神様の目です。この神様の目に信頼して生きる時に平安が与えられます。

 自分の事を大切にできるようになり、自分の能力を伸ばしたり、感謝して他者のために使ったりできるようになります。神様の目から見ると高価な存在という事がわかれば、人と比べて嫌な思いになることもなくなります、自分に満足できるようになるのです。

 その神様の目から見ると、他の人も高価な存在になります、そうすると他の人のことも大切にしようという思いが与えられてきます。

 価値なきものを価値あるものとして下さる方、愛されるに値しないものを愛して下さる方、そのような神様がおられます。そして、その神様が今の日本の若者、自分の価値がないと悩んでいる人を救って下さることを自分は信じています。神様と人が結びつくことにより、いじめ、悪い争い、人間の悪い部分が消えていき、平和が実現されていくのだと思います。我々一人一人に与えられている神様の愛を伝える働きは小さいようで、とても大きなものだと思うのです。       (会社員)

主の恵み

                 I.M

風を呼び 花野の径のどこまでも

主の恵み 小鳥の歌の花野径

我がいのち 神に返さん山眠る

うろこ雲 悲しき離散主の祈り

主のみ声 道案内かうろこ雲

秋空や 神のみ旨の広さなり

秋澄みて 主に寄り添われ行く山路

秋風の やさしき中に我祈る

名月を 背中に浴びて山路行く

頂に 寝転び仰ぐ秋の雲

露草の 雫こぼして野道行く

鈴虫の 音色透けたる野の小径

詩篇と賛美とヒルティの言葉と    I.E

 最近、集会で詩篇37篇を学ぶ機会が与えられ、この詩に繰り返されている「地を継ぐ」というみ言葉について、あらためて深く思わされました。またそれと前後して「わずかなものでも分けあい(つかわしてくださいー世界のさんび2の34番)」というスペインの賛美も知らされ、み言葉と賛美、いまこの二つが今わたしの中で響き合っています。

 どこからか、生活にも浸みこんでくるような、ある響きが聞こえるように思える時、それはほんとうに幸いな、主からのいただきものだと感じます。

 神を知らないときは、自分や他の人間、また当面の関心事などが共にある生活ではなかったかと思われますが、そのようなところから見れば、神が常に共に歩んでくださる生活が、いかに幸いであるかを知らされます。

 詩篇37篇は、「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる…」(1・2節)、「悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ」(9節)とあり、また「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。」(7節)とも言われています。苦しむ人、圧迫されている人、やり返すことのできない人も、主に望みを置き、主と共に忍耐する人は良きものをいただき、満たされると、学びました。

 主と共にする忍耐は、常に希望を伴う、とパウロも書いているように、本当にこのことを受け入れるなら、それは神から人間への大きな希望のメッセージであると感じます。

 イエスさまの山上の教えでは、「ただ神により頼む人は、幸いだ。天の国はその人たちのものだから。悲しんでいる人々は、幸いだ。神がその人たちを慰めてくださるから。耐え忍ぶ人は幸いだ。神がその人たちに約束の領地をくださるから。御心にかなう生活に飢え渇いている人々は幸いだ。神が満たしてくださるから(共同訳マタイ5の3~)」とあり、こうして「地を受け継ぐ」ことが重要なメッセージとなっているのだと、これも改めて知らされました。

 このスペインの賛美の歌詞もまた、

 「わずかなものでも分けあい、自分が動けなくても、誰かを助けようとする時、力のみ神がささえ われらとともにゆかれる(1番)。憎しみ、あざけり受けても、なぐさめられずにいても、愛してゆこうとする時、愛なるみ神が支え われらとともにゆかれる。(2番)。よろこび こころにあふれて、小さき人を受け入れ、真実 語ってゆく時、真理のみ神が支え われらとともにゆかれる(3番)」

 付加されている解説にはー

 この賛美は、わたしたちが神を、「力のみ神」「愛なるみ神」「真理のみ神」と告白することと、わたしたちの毎日の生活での行動の関係を歌っています。

 成否や効果といった思惑とは関係なく、共に歩んでくださる神への信頼がわたしたちを行動へと動かすという確信が、ニ短調のメロディーに乗せて、印象深く、力強く歌われます。

 とあります。

 神無しで生きるこの世が、乾いて実もならぬ不毛の地(ヘブライ語ではトーフーとかボーフーと言う)であっても、神がわたしたちと共に歩んでくださるとき、その中を豊かに歩んでいけることを思います。しかも、それには、何の功績も、代価も要らないのだという、神の深いご計画や、英知は、わたしたちの知恵をはるかに超えていると聖書は語っていますが、これを信じていくときには、神がこのことを生活の中で実感させてくださるのも確かだと思います。

 また、道に迷いそうになったとき、カールヒルティの言葉からも、同一の霊に導かれていることを感じさせられ、つねに、あるべき位置に引き戻してくれました。

 ヒルティも、「…このような幸福をもたらすものは、ただ神への信仰、神のそば近くあることの実感(岩波文庫「眠られぬ世のために1」60頁)である」等々、それぞれ生きた時代や国、生まれや育ち、言葉を超えても、同一の霊に導かれていることを知らされ、これらの言葉を通しても、生きて働かれる主の霊を感じます。 

 地を受け継ぐということー。聖霊なる神が共に歩んでくださるそのことが、この世にありながらも、地を受け継ぐことにつながっているのではないかと思うこの頃です。

(徳島聖書キリスト集会 所属)

わたしの十字架の道        「祈りの友」生

 題名は私の日記帳のタイトル名であります。日記帳のサイズはA4の30行の大学ノートで手造りであります。一日一ページで、上からの割付は順に西暦年月日とその日の天気に 気温・湿度・行を変えて各項目は上より信仰関係―起床―入浴―家事(おもに食事関係で、私は朝食と昼食で、夕食は長女)―買い物は(店名)―散歩(メインにしているコースは立川の昭和記念公園でその日の歩いたコースなど)―水分補給(200cc当りを正の字で表わす)―諸事(雑用など)―尿の状況(回数と間隔時間(表記))、特にこの項と水分補給は膀胱癌の再発防止に役立てるためです。さらに就寝、以上10項目です。

 この中で「信仰関係」は朝食前の祈祷と内村鑑三先生の「一日一生」の朗読、聖書の学習状況、「祈りの友」の午後のお祈りの実施、就寝時の祈祷(朝と夜は夫婦)、信仰関係の方々とのメールの交換と本文の書き写し、なるべく書き、日記一日分の中に書ききれない時は別冊のノートに 月2回の聖句暗唱の決定状況の記録、この聖句暗唱の決定は、集会が終わってからなるべく日を空けないで次の集会分を決定させる。暗唱の方法は、その都度、私製ハガキに書き写して二つ折りにしてメモにして持ち歩いております。おもに暗唱用でありますがこの中には「祈りの友」の歌も入っております。

 この歌の1番から4番の内の出だしの一番「日毎(ひごと)の重荷、疲れ果て 思いみだれて うなだるる  心に響く 十字架の 主のみ叫びや 午後三時」イエス様の十字架が忍ばれます。

 一方、創1の1~5までの1節で文語訳で「元始(はじめ)に神 天地を創り給えり」この一言で天地は神によって創られました。一番新しいところで、2015年11月に予定しているルカ5の31~32新共同訳で「イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」」私のように何回も手術をし、何回も大小さまざまな罪を犯し、それなのに悔い改めに導いてくださった主に感謝尽きせじであります。ですから、これらのメモは罪を重ねてまいりました私の目標になります。

 聖なるヤハウェ(ヘブライ語で、日本語訳では「主」と訳されている)とイエス様からの聖霊はわたしをたしかな道に行けるように導き守ってくださいます。その聖霊は肉眼では見えませんけれども、自分の身近の変化でも、集会の学びの中でも、その聖霊が降らなかったらこうはならないと感じることがあります。

 かつての私を導き天国のことを教えてくださった「師」も「人間は感じることが大切」と常に申しておりました。もう一点加えますと「師」はローマ3の23・24を文語訳で「凡ての人間を犯したれば神の栄光を受くるに足らず、功なくして神の恵みによりキリストイエスにある贖罪(あがない)によりて義とせらるるなり。」と私の耳に召天なさる寸前までの40年間、事ある毎にこの聖句を引用してお話しされ続けました。たえず申されたこの聖句は、わたしの体に染み込んで、聖霊が注がれて守られ導かれております。

 私にとりまして、日記帳は、十字架によって導かれ守られております足跡であります。

                    無職 立川市

詩篇の学びから

                     I.M

 私達「いのちのさと」での夕拝は約9年ほど前から詩篇を学んでいます。私達の経験からは計り知れない試練にあっている作者は悩み迷って叫んでも結局は神様に帰り、神様を信頼する喜びに満ち、神様を賛美しています。私達もこれから先、様々な出来事に合うかもしれません。神様の存在を信じられない時があるかもしれません。でもこの世の全ては神様のみことばによって作られました。神様の創造物の中で生かされています。

 神様がいろいろな形で見守って下さらなければ一秒も生きていけません。私達が神様を知るように、神様が私達を選んでくださった大きな恵みに感謝します。主の道を最後まで全う出来るようにと願っています。

「主よ、あなたは近くにいてくださいます。あなたの戒めはすべて真実です。あなたの定めを見てわたしは悟ります。それがいにしえからのものであり あなたによってとこしえに立てられたのだ、と。」(詩篇119の151~152)

「地の塩の箱」江口榛一氏を想う

                       O.H

 「私のお腹のシコリのために、毎朝、山上のお祈りを心から感謝申し上げます。…手術後ずっと食欲が出ないで居りましたのに、このごろやっと一膳のご飯をおいしく頂くようになりました。私のためにいつもお心にかけてお祈り下さる江口様に深く御礼申し上げます。…私のためのお祈りを他のご病人のためになさって下さいませ。お願いいたします。

 私の教会で40歳の方が胃癌で亡くなられました。年老いた両親、二人の幼い子供さんと夫人を残して、八か月に亘る闘病生活に終止符を打ちました。残された未亡人が、生活のために今後いかばかりか苦労するであろうかと胸が痛みます。お慰めの言葉に窮します。この世の不条理・不公平に、ただ恐れおののくのみで御座います。…」これは、すでに召された水戸の私の叔母が、1969年に、文中の江口氏に宛てたもの(江口氏発行「地の塩の箱」同年7月号記載)です。半世紀ほど経て、昔の書籍の中から見つけました。叔母一家は、私の親戚の中で唯一のクリスチャンホームであったことも忘れていました。叔母が江口氏と関わりがあることなど露ほども知りませんでした。私は江口氏との面識はないのですが、わずかな接点がありました。それは、若い時、一人でよく山や旅に出ていた頃、とある駅の待合室で「地の塩の箱」を目にし、添えられていた文面を読み感動し私もその箱を作りたいと思い手紙を出したことがあります。私の優柔不断さから実現しませんでしたが、江口氏からはお葉書を頂いたり数冊の冊子が送られてきました。

 江口榛一(1914~1979)氏に関しては、ご高齢の方々はご存知かと思われますが、キリスト者で作家、詩人、書家、社会教育家です。山本有三に師事し、芥川賞候補になったり、詩が教科書に載ったりしたこともあります。真夜中から4時まで創作活動、「毎朝未明、露しとどな草生(くさふ=草原)に座って小一時間、目を天にあげてお祈りするのがならわし」とあります。

 「地の塩の箱」は、江口氏の知人の悲惨な事実(必死で働いても食べていけない家族があり、その娘が内緒で売春をして家計を助けていたのが親に知れ、娘は自殺)を目の当たりにしたのがきっかけとも言われています。箱にお金を入れ誰でも困った人が使えるようにしたものですが、単なる慈善事業ではなく、キリスト教信仰に基づいた「無償の精神」を徹することによって自らも隣人も社会をも変えようと試みたものと思います。氏の言葉によると「…「地の塩の箱」は精神の純潔運動であり、これによってわが民族もしくは人類に眠っている偉大な可能性すなわち献身・犠牲・・相互信頼・共同・清廉その他の諸徳を呼び覚まそうという試み…。」とあります。シュバイツァーやガンジーにも相通じるものがあるとも述べています。氏の生存中「地の塩の箱」は全国で700か所を超え、カナダやアメリカなど国内外の多くの人に認められ用いられました。箱には「み心の天のごとく地にも行われんことを」というマタイ福音書の引用もあります。今は、その人も箱も存在が忘れられようとしていますが、私には今でも聖書の神との繋がりへと導く力の一つになっているように思います。

 最後に江口榛一氏の詩の一篇を掲げます。句読点も原文のままです。

    今は冬

 今は冬 憩いの時、

 木々はなべて葉をおとし

 根の上に厚くしとねして

 しずかに眠りにはいる時。

 けものらはふかぶかと毛を垂れて

 ねぐらの奥にこもる時

 しろがねの雪はやさしく積もり

 かよわな草たちをはぐくむ時。

 人の子は炉べにつどい寄り

 ひと夜むつみかわす時、

 はだ寄せてやすらかに眠りまどろむ時。

 いまは冬 なべて憩いと眠りの時。

 ただ 家持たぬ者と「荒野に呼ばわる者」だけが

 ちまたにさすらい 苦しむ時

                                        鹿児島

私を聖書に導いた言葉

                        O.S

「キリスト教入門」 矢内原忠雄著

「人間は、霊的実存である」 

 初めて矢内原 忠雄の著書「キリスト教入門」を読んで心が喜んだ思いがした。

 聖書を読み出したが、教会に行ったこともない私の力では、聖書は読めないことで、悩んでいたからである。

 「キリスト教入門」は、そんな私の指導書になった。 「人間」、「霊的存在」は、今日まで私と聖書を結ぶ良き関係を保つ言葉として、生涯を導いている。      (札幌)

絵具箱

                       O.T

「ヒゲ」

 2004年3月からヒゲを生やした。

 時の内閣総理大臣小泉純一郎氏が、イラクに自衛隊を派遣したのに対し、抗議の意思を表し、自分自身がいつまでも忘れないようにするためであった。しかし、あれから十数年経ち、隠やかならぬ時勢となってきた。

 十八歳からの選挙権付与、秘密保持法、周辺事態法、自衛隊特別措置法、集団的自衛権に続き、憲法改正、そのうち徴兵制も始まるかもしれない。

 次には何をもって抗議の意志を表そうか、と考えている。いっそ、ヒゲを剃ってしまおうか。

「ベラスケス」

 スペインの宮廷画家ベラスケスは「ラス・メニーナス(女官たち)」で有名である。手の込んだ複雑な画面構成がしばしば話題となったりしている。

 彼は宮廷お抱えの画家であると同時に、執事長のような仕事もしていたらしい。宮廷の膨大な絵画の管理から、王族たちの部屋の見回り、祭りの演出、また外交官の様な仕事もしていたらしい。その他宮職の俸給の支払い業務までやっていたとか。なぜ、これほどまでの信頼を受け、宮廷にとってなくてはならない存在となったのか。

 彼はユダヤ人であったらしい。そうであれば納得できるような気がする。自分を隠し、ひたむきに生きる。ベラスケスは必死に描き必死に人生を生きた人物に違いない。

 「真理の子」

 救われた時、聖書をテーマに絵を描くことを決意した。神に感謝の気持ちが第一だったが、〝福音が日本中に広まるように〟との願いを込めて始めた。

 しかし、最近読んだ内村鑑三によると、福音は国を救わずして、かえってこれを滅ぼすかも知れないこと。信者の増えることは、必ずしも信仰の証拠にはならない、と書いてあった。多くの場合、誤謬こそ社会多数の帰依賛成を博するものである、という。なるほど福音が広まり、信徒が増えるだけでは、真理の支配する社会とはならない。世界のキリスト教国を眺めると、なるほどとうなずける。だが、少数の信者しかいない、としても真理は真理の子によって証明されるのである、と結んであった。

 勇気をもらった。

 「エル・グレコ」

 エル・グレコはスペインの古都トレドで活躍した画家である。

「聖衣剥奪」や「五旬節」「オルガス伯の埋葬」などが有名で大原美術館の「処女懐胎」は傑作である。

 しかし、グレコの描く人物を見て違和感を覚えない人はいないと思う。おそらく十二・三頭身もあろうかと思われる細長く歪曲した人物像である。

 解説書を読むと、グレコは教会の壁に掛けることを計算して描いたらしい。つまり、会堂から信徒が見上げることを想定して描いたための十二頭身だったのだ。

 色彩も墨絵のような黒っぽい画面である。想像するに黄金に輝く教会の会堂に映える色彩としての黒ではなかったか、と思われる。

 以前、美術館でグレコを見たことがあった。掛け軸のような細長い画面に、黒い修道服を着た男の像だった。背景も黒く、顔だけが浮き上がって見えた。バランスの悪い絵だな。と思った。しかし、今になって思えば、あの絵は教会の輝く黄金の壁に掛けられ、下から見るために描かれていた、と納得した。

 「オーナー」

 初めての個展を計画した時、画廊をどこにしようかと迷った。ある画廊が目に止まった。そこは、一階が薬局で地階と二階が画廊という建物だった。電話をしてみると、聖書をテーマの作品だったら、地階がふさわしいのではないか、とお勧めをいただいた。

 あれ以来、三十数年お世話になっている。今、画廊は古いビルを売却、新築のビルの五階に転居した。

 オーナー夫妻も老齢となられた。クリスチャンの御夫婦には大変お世話になっている。修道院のシスターにまで個展の案内状を出してくださったり、ミッションスクールに寄贈する作品の仲介までしていただいた。高名な画家たちにも紹介していただいたり、伝道集会のお誘いも受けた。また、娘の結婚の心配までしていただいたりした。

   今年七月にお会いできる日を楽しみにしている。

                               北海道

神の導き

                   O.N

詩篇23篇より

1節 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

3節 魂を生き返らせてくださる、主は御名にふさわしく

   わたしを正しい道に導かれる。

6節 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。

   主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

                                                    板野郡

詩編22編の学びから「なにゆえ遠く離れて…」                 O.M

 この詩編はイエス・キリストが十字架上で息をひきとる前に叫ばれた言葉『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』「わが神、わが神、なにゆえわたしをすてられたのですか」(詩22の2)と関係があった。集会で主人の月1回の講話担当(ヨブ記1章づつ、現在31章に至る)レジメ担当の私にとって苦しみのただ中にいるヨブの苦しみと重なるものがあった。ヨブにとって、イエスにとっても、主に懇願しどんなに絶叫したことだろう。取り巻く群衆の声は(詩22の9)『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう」と。

 『神を遠く感じる時』これからの体力の不安、これからやって来る苦難…  神により頼む者となったつもりの私、身のおきどころのない程に苦しいのは何故…。これからやってくる苦難に立ち向かう力はどこから来るだろうか?

 これまで越えて来た人生の中で、(主人の発病と障害)最大の危機を乗り越えての今があること。このことを通して、主により頼む力が増し加えられたことに心より感謝。すぐに心の平安は取り戻せないけれど、出会う苦難に耐え、解決していく力は主が備えてくださっていることを確信して主に委ねる者となりたい。           (札幌市)

見ないで信じることの困難と賜物

                                       O.E

 「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉で言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(Ⅰペトロ1の8~9)

 「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」(マタイ5の4)

 「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20の29)

 このみ言葉の箇所はⅠペテロと関連した2か所からの学びで、とても心に残った学びで感謝でした。

 教えられたことはキリストを見たことがないのに、信じることは困難。しかし、キリストにいつも結びついていたら悲しみの中にも喜びがあるとか、見ないで信じる人は幸いであるというのは、キリスト教の信仰が本物であると教えられて自分自身の信仰がどれほであるか思わされました。

 私たちは日々神さまの言葉を聞き、信じて従って歩めるように導かれたいと思います。                    (中途失聴者)  板野郡

祈り

       K.K

この、天に続く

美しい秋の空から注がれる

神の力を

どうか、今、与えて下さい

病気の重荷を負った友や

思いがけない問題に悩む友

その苦しみや不安の中で

主よあなたに出会い

語りかけられ

励まされ

そして慰められて

新しい力を得ることができますように

主よ

どうか今

あなたが来てください

 徳島市


「わたしが歩む道を」の賛美に励まされて         K.M

 私の思いが届かない。

 愛とはどのようにすれば正しいのか分からない。

 心の中の罪に苦しむ時、

 神のみ言葉を待つ

 み言葉が来てくださいますように

 神様に導かれる歩みができますように

 主の平和と平安をいただけるように祈る

 集会の中で この賛美を聞いた時

 涙が溢れてきた

 このように私も歩んでいきたい…

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「つかわしてくださいー世界のさんび 2」24番

「わたしが歩む道を」

1 わたしが歩む道を 見失わないように

  いつも わたしのそばに 主よ、ともにいてください。

  ひとりで 歩む時も あなたのみちびきあれば

  迷わず いけるでしょう。たとえ 暗い道でも。

2 わたしの 出会う人と 平和に過ごせるように

  わたしの こころをいつも 愛で満たしてください。

  ともに 力を合わせ 互いに 手を取りゆけば

  豊かに 歩めるでしょう。弱い わたしたちでも。

(編者注…「つかわしてください―世界のさんび」は、日本キリスト教団出版局発行。NCC(世界教会協議会)などで歌われていた世界各国の賛美が一冊の賛美集としてドイツで発行され、そこから80曲ほどを選んで二回に分けて日本語版が発行された。ここで引用されたのはその第二冊目。現在日本で発行されている各種の賛美集のうち、もっとも広範囲の国々の賛美が収録されていて、従来のような欧米中心でなく、アフリカ、アジア、南北アメリカ等々の賛美が含まれている。メロディーもよく、かつ歌詞は初めての人でもわかりやすい訳となっている。)

痛みと信仰

                                              K.Y

 弱音を吐きます。とにかく体全体が痛いのです。おもにお腹と背中です。「お腹を刃物で切り開かれて、その中に熱い鉄板を入れられた感じ。いつも燃えていて火事状態です。」これが40年間続いています。年々強くなっているようです。それに加えて年齢が増すにつれて耐える力が弱くなっています。

 先日、脳外科を受診しました。その結論は神経ブロックと言う首に注射器で薬物を打つ方法もあるが、私の場合以前に首の手術をしていて癒着があるのでリスクが高すぎるために却下となりました。結局は今までどうりに麻薬系の薬物で心と痛みのバランスを取るしかありません。

 私はキリスト信仰があるので、今まで耐えて来られたのだと思います。イエス様の最期の痛み、もの凄いものだったでしょう。想像を絶するものだったと思います。それに比べると私の痛みなどちっぽけなものです。イエス様の十字架を見上げながら、痛みも引っくるめて全てを主にお委せするのが最善の生き方だと信じます。 徳島市

聖句

                K.I(東京都)

 「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(口語訳 ピリピ人への手紙2の13)   東京都

信仰の杖

                       K.H

信仰こそ

1信仰こそ旅路を 導く杖

 弱きを強むる 力なれや

 心勇ましく 旅を続け行かん

 この世の危うき 恐るべしや  

4信仰をぞわが身の 杖と頼まん

 鋭き剣も 比ぶべしや

 代々の聖徒らを 強く生かしたる

 聖霊(御霊)をわれにも 与えたまえ

                  (新聖歌二七五番)

お祈り有り難うございます。

 「賛美は祈り」と言われていますが、心が弱っているときや 苦しい時、またどのような時も賛美をしていると心が落ち着いてきます。

 孫にも私が歌っている賛美が大人になっても心に残り、信仰が持てるようになればと、願っています。

 これからも信仰の杖を持って歩んでいきたいと思います 

                  (徳島県鳴門市)

「青いひも」

                           K.A(福岡)

 「主はモーセに言われた。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

 代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせなさい。それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。」(民数記15の37~41)

 いつの頃からか、この箇所を、ほぼ毎日、読むようになった。申命記第六章四節から九節、同第十一章十三節から二十一節、そしてこの箇所と、詩編の第百編、および第百四十五から百五十編の順で、ほぼ毎朝、毎夕、何百回と声に出して読んできた。何かの本で、ユダヤ人はそうしていると知ったためだったと思う。べつに私はユダヤ教徒ではないのだけれど、朝夕これらの箇所を読むと、とても心が元気になる気がする。さすがに昔の人たちは、良い習慣を持っていたものだと思う。

 しかし、この民数記の箇所に出てくる「青いひも」は、なぜ青いひもなのだろうか。漠然と疑問に思いながらも、何か意味はあるのだろうと思いつつ、よくわからずにずっと過ごしてきた。

 福岡聖書研究会の集会で出会った方の中に、李栄培(イ・ヨンベ)さんという韓国の長老教会の牧師さんがいる。ほぼ同い年なので、親しくさせていただき、同じく福岡聖書研究会にときどき来てくださるちょっと年上の作曲家の遠山さんたちと一緒に、ドライブに行ったり、いろんな聖書の話をすることができたのは、今となっては本当に良い思い出である。

 李栄培さんは、今年の秋に韓国に帰った。帰国される少し前、この民数記の「青いひも」の意味を、思いきって質問してみた。すると、予想外に明確な答えが返ってきた。

 「『青』は空の色、天の色であり、つまり神様のおられるところです。その天界の領域・神の霊の領域と、しっかり絆を結び、いつもそのことを忘れないようにしなさい、ということでしょう」、とのこと。

 なるほどと思った。とても納得がいった。

 詩編第三十六編六節には「主よ、あなたの慈しみは天に あなたの真実は大空に満ちている。」とある。とても美しい箇所で、吉村先生が「いのちの水」誌で以前引用されていて印象に残り、それ以来よく思い出す聖句である。秋の晴れ渡った空の青さを見ていると、それだけで幸せな、感謝の思いでいっぱいになる。なんとこの世界は美しく、主の慈しみに満ちているのだろう。

 出エジプト記第二十四章十節には、神の足もとは「サファイアの敷石」のようなものがあり、「大空のように澄んでいた」と記されている。また、ヨハネ黙示録第四章六節には、神の御座の前は「水晶に似たガラスの海」のようだったと記されている。この青空は、何かしら、そうした神様のおられる場所の似姿なのだと思う。

 申命記第十一章には、神を愛し、心を尽し魂を尽して神に仕えるならば、秋の雨と春の雨が降るが、神から離れれば、「天は閉ざされる」と書かれている。この箇所も、単に天候不順になって雨が降らなくなるというよりも、神の霊との交流を失い、雨のような神の御言葉によって魂の潤いを得ることができなくなることをそのように述べているのだと思う。

 人は、神の霊とのつながりを決して忘れず、失わぬように、日々に「青いひも」を自らの心にしっかりと結び、結び直していくことが本当に大事なのだと思う。

 とはいえ、自分ひとりだと、いつの間にか、青いひもを忘れ、聖書の学びもおろそかになり、御言葉のすばらしさを忘れてしまいがちになる。自分の人生を振り返ると、なんと神の愛を忘れ、あらぬ方向にさまよい、神の慈しみに対する認識も感謝も見失い、人生の困難や苦労に打ちひしがれ、落ち込んだことが多かったことかと思う。

 しかし、私の場合、たまたま福岡聖書研究会を知り、またその集会の場において吉村孝雄先生のことを知ることができた。徳島聖書キリスト集会にスカイプを通じて参加し、また、福岡聖書研究会において、聖書を学び、讃美歌を歌う機会が与えられていることは本当に恵まれたことと思う。

 これはひとえに、神の側からの一方的な恵みと働きかけだった。青いひもを私の心の四隅に結んでくださったのは、ひとえに神様の側だった。そういえば、「いのちの水」誌の表紙はいつも青色である。これもまた、神様が私に結んでくださった「青いひも」だと思う。

 青いひもさえあれば、どんなことがあっても、モーセたちがエジプトを脱出することができたように、神の御導きと御恵みによって、いかなる苦難も乗り越えることができるのだと思う。主に感謝。

God bless you

                  K.M

God Bless You 新聖歌198番

      (神の祝福がありますように)

     作詞:関根一夫 作曲:岩渕まこと

God bless you 神のみ恵みが

豊かに あなたの上に 注がれますように

あなたの 心とからだと

すべての営みが 守られ 支えられ

喜び あふれるように

わたしは 祈ります

God bless you  God bless you

God bless you  God bless you

God be with you 神の御守りが

いつでも あなたの上に 注がれますように

あなたが どこにいるとしても

何をするとしても いつでも神様が

共におられますように

わたしは 祈ります

God be with you  God be with you

God be with you  God be with you

God bless you  God bless you

God bless you  God bless you

関根一夫牧師の終わりの決まり文句は

「いてくれて、ありがとう」

です。         (コンビニ店員)              東京都

聖書の御言葉から

                        K.I

「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。」(出エジプト16の15~18)

 神様は、いつも私に必要なものを必要なだけ与えて下さっていることを思います。

 私は、今年で60歳になりました。その年月を振り返ってみますと、仕事や生活などの上で、無事に歩んでこれたのも神様が、必要なものを与えて下さったからだと感謝します。  徳島市

「自分を離れて生きる」という講演を聞いて

                                            K.S

 今年のキリスト教無教会全国集会で成澤光さんの「自分を離れて生きる」という題の基調講演をお聞きしました。

 成澤さんはご自分の肉親の介護の経験を通して、イエスさまが教えられる無償の愛というものがいかに実践するのに難しいか―このことを自分を離れて生きることの難しさと表現されました―ということの気づきを与えられたという話しから始められました。その上で、なぜ人は無償で人を愛せないのかという問題から人間の罪を考察されました。

 成澤さんは旧約聖書の創世記3章の失楽園の記事に人間の罪の大きな2つの特徴が語られていると指摘されます。

 一つ目が人間の自己中心性です。イブを蛇は「それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなる」という言葉で誘惑します。その言葉に負けたイブは自分でその実を食べ、さらにアダムにも食べるように勧めます。このことから、人間が自分ですべてを判断して自分の力だけで生きていけるようになることがいかに私たちにとって魅力的かということがわかってきます。神のように善悪を知るとは、自分が神となること、つまり自己中心に生きることを意味しています。その誘惑に勝てず、自分で判断して神に背いて、実を食べてしまうのです。また自分をすべての価値の中心において生きることは知らず知らずのうちに人を傷つけることにつながると思います。

 二つ目が人間の自己保有性です。アダムは神に問い詰められて、悪いことをしたと思っていても次のように自己の正当性を主張します。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」女はあなたがわたしに与えたものでしょ、つまりあなたが悪いんでしょと責任を神さまになすりつけているのです。神に言い訳をして責任転嫁するほど、人間は自分の非を咎められ批判されることに耐えられないのです。このことも世の中に気持ち悪くなるほど、自己弁護、つまり言い訳が溢れかえっている現実から実感できるのではないでしょうか。

 このような罪のゆえにパウロのいう「正しいものはいない。ひとりもいない。」ということになるわけです。そして自分を離れてキリストに生きるということがいかに難しいかわかります。けれどもこの現実を受けいれることはわたしたちにとって、とても苦しいものです。なぜなら自分が一番直視したくないものだからです。なんでも自分の力でできる、自分が一番正しいという考えは一見、自信に溢れて自由に自分の人生を歩んでいるような気になりますが、実はそれは罪に縛られた全く不自由な生き方であったのです。そのように気づくと私たちは生きていく意味を見失い、人生に深く絶望してしまいます。

 しかし私たちの無教会主義の先達たちは次のように語ります。

 まず塚本虎次先生「真に自分の不信仰に気づいた人だけが信じますと言える。」次に矢内原忠雄先生「自分が信仰がないと泣いている人ほど十字架に近い。」

 このことから言えるのは、私たちは真に自分の罪に絶望し、神さまに自分の罪をすべて打ち明けるときに、神さまが一番望んでおられる悔い改めが起こるということです。神さまの方に向き直ることができます。そして神さまのみ言葉によって生かされていることを思い起こすことができます。そして絶望が希望にかえられます。価値観が180度転換します。

 繰り返しますと、自分は何もない、取るに足らない存在であるにもかかわらず、こんなわたしに溢れる恵みが与えられていることに目が開かれることが悔い改めです。そのようなときにわたしたちには本当に深いこころの平安と感謝が与えられます。

 信仰の大先輩の成澤さんのこのようなへりくだった姿勢に本当に感動を与えられ、自分の傲慢さに恥ずかしくなりました。このお話しを聞いて、聖書を最初から最後まで貫いている教えが、無条件に神を畏れ、人を愛せよというものであることに改めて気づいたのと、罪の問題と悔い改めの関係がよくわかり本当に感謝でした。

              (塾講師 岡山聖書集会主宰)   岡山市

いつも喜んでいなさい。

                                             K.E

 ある時期に 心の中に 喜びが消えた時期がありました。何をする気にもならないで ぼんやりして過ごしていました。なにもしたくなく信仰の火が消えているようでした。主にある 喜びこそが すべての原動力であることがわかりました。内からわきあがる喜びこそが聖霊様に満たされることで賛美も祈りも人を愛することもすべてここからきているのだと教えられました。霊的に弱っているときにサタンの餌食になってますます喜びのない生活になってしまいます。

 内からあふれる喜びが笑顔となり口から賛美があふれ、言葉となり人にやさしくできたり人のために祈り 尽くすこともできていくことに気づかされます。

 ある人の笑顔に救われ信仰を持った人の話も聞きました。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5の16~18)の聖書の御言葉で初めに、「いつも喜んでいなさい。」が来ていることの意味と大切さを改めて思わされています。

                            徳島県

サムエル記を読んで

                        K.N

 福岡聖書研究会では10月からサムエル記の学びが始まりました。

 サムエル記上のテーマは歴史を導かれる神様であり主役は神様ということですがこの視点で読んでみたいと思いました。

 サムエル記はまずサムエルの誕生に至る過程が記されています。

 1章5節「主はハンナの胎を閉ざしておられた」とあります。

 人間の最も基礎になる生と死は神様が握っておられることが書いてあります。自分がどこの家に生まれるのか自分では選ぶことはできません。この人の一生を左右することが神様の御手に委ねられているのです。

 サムエルの父であるエルカナにはペニンナとハンナという二人の妻がおり、ペニンナには子供が生まれましたが、ハンナには子がなく 奢り高ぶって、ハンナを見下すペニンナの前でハンナは苦しんでいました。夫の慰めの言葉もハンナの苦しみをどうすることもできませんでした。

 10節「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた」

 ハンナはありのままの自分を神様の前に注ぎだし、また泣いたと書いてあります。当時子供がないということは結婚した女性にとっては致命的な事でした。誰にも理解されず、全く一人ぼっちのように感じるとき また先に希望がなく暗闇に心が閉ざされる時、神様に訴え,祈る事ができることは大きな幸いです。

 18節「ハンナははしためが御厚意をえますようにと言ってそこを離れた、それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった」とあります。

 ハンナは神様にありのままの自分の心を打ち明けた事で平安が与えられたのです。祈りが叶えられたから平安が与えられたのではありませんんでした。ハンナは祈る中で自分のことを全て神様に委ねたのではないでしょうか。ここに苦しむものを救おうとされる神の恵みが注がれています。

 20節「ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ、主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名づけた。」

 願いを聞いて下さった神の名をいつも覚えているようにとの思いがこもっています。

 ハンナは28節で「私はこの子を主に委ねます、この子は生涯主に委ねられたものです」と表明します。

 ハンナはやっと授かった男の子を、ハンナにとっては何にも代え難い大事な者を主に委ねました。きっとずっと一緒にいて自分の手元に置き成長を見守りたかったでしょう。ハンナはその思いや、子供への執着心を手放しました。

 2章21節にはこう書かれています。「主がハンナを顧みられたので、ハンナは身ごもり、息子を三人と娘を二人産んだ」

 神様はハンナに溢れるばかりの恵みを与えてくださいました。神様を第一に求めたことで思いがけない喜びがハンナに与えられたのです。

 ハンナの心を思う時、その喜びは私の心をも満たしてくれるのです。                (介護福祉師) 

    福岡市

心に残った讃美

                      K.T

  わたしが歩む道を

1 わたしが歩む道を

  見失わないように

  いつもわたしのそばに

  主よ、ともにいてください。

  ひとりで歩む時も

  あなたのみちびきあれば

  迷わずゆけるでしょう。

  たとえ暗い道でも。

2 わたしが出会う人と

  平和に過ごせるように

  わたしのこころをいつも

  愛で満たしてください。

  ともに力あわせ

  互いに手を取りゆけば

  豊かに歩めるでしょう。

  弱いわたしたちでも。

    つかわしてください世界のさんび2、24番

 徳島市

心に残った聖句

                      K.M

 詩編136編より

「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(1節)

「葦の海を二つに分けた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」                      (13節)

「イスラエルにその中を通らせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(14節)

「天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(26節)

マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように。

徳島市

神様の臨在

                      S.T

「わたしはある」ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。(ヨハネ8の24)

 夏の集会(2015年8月末の近畿地区無教会 キリスト集会)で不思議な体験をしました。

 二日目の早朝礼拝の時です。雨が今にも降りそうな状態でしたが、緑豊かなさわやかな中で礼拝したいと思い、屋外で礼拝の時を持ちました。

 私が司会でしたので、今日の御言葉 ヨハネ8章23・24節を読み、皆で賛美をし、一人一人お祈りをし始めた時、左後方からパラパラとテントに雨粒が落ちる音がし、右側の木々に雨が当たる音がしました。雨を避けるところはないので、途中だけど建物に入らないといけないなと一瞬思いました。

 が、音はすれど自分の頭上に雨は降ってこない。そっと腕を見ました。濡れていない。周りを見ました。周りの人も濡れていない。濡れないのです、私たちの上には雨が落ちてこない。不思議な気持ちがしました。神様の臨在を感じました。

 実は集会の三日前にヨハネ8章24節の“わたしはある”の御言葉をいただいていました。それで早朝礼拝の時、その箇所を読み、祈りました。

 私のような祈りの少ない者でも、“神様がわたしはある”と神の臨在を教えてくださったのです。神様は生きて働いてくださっています。

 そして、いつも私たちのそばにいてくださり、守っていてくださるのです。

 罪だらけの私ですが、日々、神様に祈り、罪を清めていただき、神様に従って行きたいと願っています。 

                    大阪狭山聖書集会

みことば

                      S.Y

 秋の澄んだ雲ひとつない真っ青な空を見ていると、心の中まで清められる気がします。そして明けの明星である光輝く金星や星空を見ていると、詩篇19篇2~5節のみことばを思い出します。

天は神の栄光を物語り

大空は御手の業を示す

昼は昼に語り伝え

夜は夜に知識を送る

話すことも、語ることもなく

声は聞こえなくても

その響きは全地に

その言葉は世界の果てに向かう

 今も神様の言葉が自然を通し語り続けられていることを思います。

 礼拝でも二人、三人主の名によって集まる所に主がいて下さり、絶えずみことばを語りかけて下さっている。その主のみことばを待ち望み、聞き取って歩んで行きたいと願います。

 徳島市

小さな発見

                       S.J

 長い間、人間社会の事しか見えていませんでした。それも家庭という狭い中で生活してきました。

 「いのちの水」誌を通して自然界の事、夜空の星の事を度々目にするようになりました。

 畑の草取りをしていた時、ふと手が止まりました。小さな花達、葉っぱ、茎等は種類毎に全部違うのです。色、形、大きさ、太さ、高さ等、はっきりと、或は微妙に違うのです。  

 驚きました。何の目的でこんなに繊細で行き届いた業をされるのか、ずっと疑問でした。

 やっと分かりました。私なりに。

 それは次の瞬間には刈られ、掘り起こして捨てられる存在を承知の上で、愛らしい花達を精一杯咲かせて、私達の心を潤し、慰め、癒やし、励ます為に造られたのだと。

 神様のお心は、この雑草と見える花々を通して迄、私達に恵みを与えて下さっているのだと知らされた次第です。

 次に、夜中ふと目覚めると余りにも外が明るいのです。何だろうと思い起き出してみると、十月二十八日午前三時は満月で、昨夕の雨は嘘のように晴れ渡り、煌煌と地上のものを写し出しています。

 その明るさの中で東の空に一際輝く星、金星のまばゆいばかりの光、続いて木星も。火星はわかりませんでした。「いのちの水」誌十月号に載っていました。南の空にも明るい星が一つ。私にとっては大発見です。子供達が小学生の時に使った星座表があり今も同じ。

 普遍的なものを余りにも知らな過ぎました。

 常識的な事もわかっていません。それだからこそ今後は、私なりの小さな発見を次々して行きたく思っています。夜の外は怖いので視野は狭くなりますが二階から眺める事にして。

徳島県

「ヨブ記」から学んだこと

                       S.M

 ヨブは、一日のうちに財産と10人の子どもの一切を失いました。その後、ひどい皮膚病になり、素焼きのかけらで体中をかきむしるようになりました。

 悲嘆に暮れるヨブのもとへ3人の友人がやってきましたが、彼らは「ヨブに罪があるからこのような目にあったのだ。だから、神の前に罪を悔い改めよ。」と立ち替わり入れ替わりヨブを責め続けました。その頃のヨブの状態を示している言葉があります。

「もはや、わたしは息も絶えんばかり、苦しみの日々がわたしを捕らえた。夜、わたしの骨は刺すように痛み、わたしをさいなむ病は休むことがない。病は肌着のようにまつわりつき、その激しさにわたしの皮膚は見る影もなく変わった。わたしは泥の中に投げ込まれ、塵芥に等しくなってしまった。」(ヨブ30の16~19)

 ヨブは、「これほどひどい目に遭うほどの罪は犯していない」と主張し続け、神様がヨブをなぜこのような目に遭わせられたのか、神様御自身が答えてくださるようにひたすら求め続けました。それはヨブにとって長い苦しい時間でした。

 そしてヨブがこの3人の友人との論争で語り尽くした時、ついに神様御自身がヨブに語りかけられました。ヨブの側からどんなに望んでも神様にたどり着くことはできませんでしたが、神様は御自身がお定めになった時に、ヨブに現れてくださいました。

 その神様との出会いから、ヨブに知らされたことが何なのかを考えたいと思います。

 長い神様のお言葉の後(ヨブ38~41章)、ヨブはまず、神様は「すべてができる」お方であることを告白しました。「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。」(ヨブ42の2)神様のなさることをすべて見極めようとすることは人間の分を超えることであって、人間は神様のみこころがなることを受け入れるしかないのだ、と知ったのです。「神様を見る」という恵みに満たされた者は、神様の前に自分が無に等しいことを告白せざるを得ないのです。

 それは、イエス・キリストがゲッセマネで「わたしの願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られ、御自分の願いを退けられ、御自分の前に置かれた神様の盃を飲み干す決心をなさったことにつながるもののように思います。

 ところで、神様はヨブを責め続けた友人たちに怒りを表され、「お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかった。」と仰いました。(ヨブ42の7)

 3人の友人は、因果応報(善人には恵みを、悪人には罰を下す)に従って、神様が、人間を取り扱われると決めつけたため、彼らは神様の怒りを買ったのだと思います。神様は、「お前たち(3人の友人)のために、ヨブに祈ってもらえ」と彼らに仰いました。

 ヨブはこの時まだどん底の境遇にありました。しかしヨブは自分の病の癒しや財産の回復のために祈ったのではありませんでした。ヨブにとってどんな時でもいちばん重要なのは神様との関係でした。神様との平和が何よりも優先されてきました。だから、ヨブは神様が命じられることにまず従って、3人の友人のために執り成しの祈りをしました。彼らは、ヨブの苦しみを全く理解せず、慰めも憐れみもせず、ヨブのことを罪人だと責め続けてきたのでした。友人たちは、ヨブの憐れみを乞う哀願に応えてくれなかったのです。

 しかし、ヨブ自身にも罪があったのです。ヨブは歩んできた生涯が正しいことを残らず神様に告げようとしました。これほどひどい目に合う罪は犯していないことを神様に主張したかったのです。自分の潔白を驚くべき確信をもって表明したのです。ヨブは公然と神様に挑戦をしようとしていました。(ヨブ31の35~37)ヨブは純粋ではありましたが、恐るべき高ぶりが同居していました。そこに人間の真の罪深さがあります。

 そのようなヨブでしたが、友のために執り成しの祈りをした時、神様はヨブの祈りを受け入れられました。そしてまた、このように傲慢になっていたヨブの罪をも赦してくださいました。そして神様はヨブの境遇を元に戻されました。また、それ以上の祝福(財産を2倍にする)を最後に与えられました。

 わたしたちも、わたしたちに罪を犯した人たちの罪が、キリストの十字架によって赦されるように祈り続けることによって、わたしたち自身の罪が赦され清められることがあります。しかし、わたしたちのために真の執り成しの祈りをしてくださる方は、十字架に架かられ、復活された主イエス・キリストです。

大阪府

好きなみ言葉

                                            S.K

 好きなみ言葉はたくさんありますが、まず詩篇一篇が思い浮かびます。

いかに幸いなことか

神に逆らう者の計らいに従って歩まず

罪ある者の道にとどまらず

傲慢な者と共に座らず

主の教えを愛し

その教えを昼も夜も口ずさむ人。

その人は流れのほとりに植えられた木。

ときが巡り来れば実を結び

葉もしおれることがない。

その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。

(詩篇1の1~3節)

 

 流れのほとりに植えられた木のように、生きている神様から養分をいただき、緑の葉をいつもつけていたいと思います。

今年心に残ったみことば

                      S.M

「見よ、その日が来る炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。わたしが備えているその日にあなたたちは神に逆らう者を踏みつける。彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。」(マラキ3の19~21)

 今年一年も沢山の恵みを頂ました。一番心に残り、今の私の希望となっているのが、このみことばです。この世の悪の力が押し寄せて来ても、日本が戦争に巻き込まれようとも「我が名を畏れ敬う、あなたがたには義の太陽が上る」と主は約束して下さっています。再臨の時には、神様を信じ求めて来た人たちの声を聞き分けて下さり救い出して、新しい天地に移して下さることを堅く信じて祈る日々でありたいです。

愛唱聖句と愛唱讃美歌

                      S.K

「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。

命のある限り、主の家に宿り

主を仰ぎ望んで喜びを得

その宮で朝を迎えることを。」

                 (詩篇26の4)

「生ける限り主を」(リビングプレイズ9番)

生ける限り主を讃美し、心を尽くして主をたたえよう

神の御前で安らぎ、讃美し喜びに満ちる

わが魂よ、誉め歌おう、心を込めて声の限り

わが魂よ、誉め歌おう、力の限りたたえよう

 

大阪府

「ダニエル書の学びから」(海陽集会にて)

                          S.K

 海陽集会では今年(次回)の第二火曜日の集会をもってダニエル書の学びを終える予定です。

 先生に聖書を学ばせていただいて長くなりますが、「ダニエル書」自身は初めて教わりました。聖書を手にして間もないころは、黙示録(啓示録)と並んで、一般的には何か未来を予測したようなものを想像したかもしれませんが神の御性質の普遍性と大きく異なる受け取り方をしているのが一般的だと思わされています。最初のころ「黙示録」を教えていただいたのですが、言葉の大切さや、原語の大切さや、その意味の深さや広さを教えられてきました。また、この「啓示」という一般的はわかりにくいもので多くの間違った「解釈」を私欲のために利用されてきたこともいつの時代にもあったことを思わされています。

 その書かれた「意図、目的」から大きく外れて行ってしまうことの危険性は常にあることと、その書かれた時代のことも「神様がどのように導いてくださったか」神様を常に見つめ仰いでいなければならないこと、また、神様の万能をいつも思っていなければならないことを過去の歴史を判断するうえでも必要なこと、闇の中を探るのでなく光を求め、祈ることの重要性を思わされました。

 ダニエル書もその「神を信じる者への迫害のただなかにあって最初の大きな試練」をせきだらに記されていて「神の権威を冒涜したもの(悪)」からどのように救われるかということと。神に従うものがどのように従っていったかということを明確に知らされました。いつの時代にも表面の評価でなく背後の神を思い、祈ることの重要性と、神につながる手段で一番強いこと、祈りの中ですべてのことを変えてくださることを、また他者へと祈りを広めていくことの重要性を時を超え、力に勝って神が望んでいてくださることを教えられています。ダニエル書の学びを感謝です。アーメン。         (鍼灸師)

徳島県

創世記の学び

                        S.M

 吉村孝雄氏(徳島聖書キリスト集会代表)の聖書講話CDを通して創世記を一度学びましたが、2014年10月から再び創世記を学ぶ機会が与えられ、現在29章まで進むことが出来ました。3000年以上前の過去におこった個人の記録ではありますが、非常に身近に感じながら学んでいます。

 特に創世記12章から最終章にかけてアブラハム、イサク、ヤコブとその子らについて、またその奥様方について非常に詳しく書かれております。どのようにして神の「祝福」が伝えられてきたかよくわかりました。

 アブラハムの妻サライ(サラ)に子供ができないのでサライの提案によってハガルというエジプト人の女奴隷を側女として与えて彼女が身ごもりました。今度はハガルが自分が身ごもったのを知るとサライに対して辛く当たった。サライは自分からハガルを側女として提案しておきながら「このような不当な目に遭ったのはあなたのせいです。」と言って責任逃れをするし、それに対してアブラハムも応戦し、「好きなようにするがよい」などと言っています。とんでもない夫婦だと思います。最終的にはハガルとその子供は家を追い出されることとなりました。ハガルは被害者です。(創16章、創21の9~21。)

 アブラハムと妻サラには年をとってもなかなか子供ができなくて悩んでいたが、神から「彼女によってあなたに男の子を与えよう。」と言われたアブラハムは「百歳の男に子供が生まれるだろうか。」と笑ったと書かれています。(創17の15~17)またサラもやはり「ひそかに笑った」と書かれています。(創18の12)神の言われることを二人とも信じることができなかったわけです。

 次の世代のイサクと妻リベカ、そしてその子供たち兄エサウと弟ヤコブの親子関係兄弟関係が複雑です。お互いの自己中心のために家庭がダメになって行く様子が書かれています。(創27章)最終的には兄エサウが父の言ったことを根に持って、ヤコブを憎むようになり、「その時がきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」と考えるようになりました。兄弟の殺人事件にまで発展しそうになり、ここでも結局ヤコブは家を追い出されるところまで落ちぶれることになります。(創27の41)

 創世記のこの物語の主人公たちは欠点だらけです。醜いところがいっぱい出てきます。自己中心の考えによって身近な家族の人々を悲しませる人たちです。結果的には「殺してやろう」とまで考えてしまう人たちです。他人ごとではありません。私もこの人たちとまったく同じです。神様の前に出られるものではありません。

 欠点だらけな自分にまったく失望します。イエス様が人として来られ十字架の死と復活によって永遠の命を与えられました。欠点だらけにもかかわらず祝福の列に加えていただきました。そしてそのことを思うと欠点だらけの自分をそのまま認めることができます。また近くの人を愛する気持ちも与えられるような気がします。永遠の命を受けたからにはこの祝福を次の世代へ伝えて行きたいと思います。

    長野県

「星のように」

                    S.H

 全盲の私は生まれて一度も星を見たことがない。けれど、格別星に関心がある。いつから関心を持つようになったのか。やはり、キリスト信仰を持ち、聖書を学ぶようになってからかもしれない。もちろん、実際に見ていないのだから自分の中にあるイメージでしかないけれど、見えない私にも神様が御計らいを持って、ある種直感を与えて星を見せてくださっているのだと思う。

 そして、聖書の御言葉を解き明かしてくださる方がしばしば繰り返し、話題に出される星の説明を聴く時、「清いもの、永遠に光輝きを放つもの、希望を与えてくれるもの、闇の中で確かな道を示し導いてくれるもの…」といったようなイメージがどんどん広がっていく。

 「わたしは明けの明星である」(黙示録22の16)とある。イエス様の象徴である金星は私のイメージだけでなく、肉眼で見てみたいと強く願う時もある(これはないものねだりでしかないけれど)そして、小さくてよいので星のように輝く人生を生きたいと願わされてきた。イエス様と共にある人生はすでに輝きに満ちた人生だけれど、「何事も不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、咎められるところのない清い者となり邪な曲がった時代の中で非の打ちどころのない神の子として世にあって星のように輝き命の言葉をしっかり保つでしょう。(フィリピ2の14~16)との御言葉によって星のように輝いて生きるとはどういう生き方であるかをはっきり知ることができた。

 そして、地上の命を終えて御国に入れていただき、復活した後には「目覚めた人々は大空の光のように輝き多くの者の救いとなった人々は永久の星となって輝く」(ダニエル12の3)との大いなる御約束が与えられていることをしって感謝にあふれた。

 ダニエル書は月一度の海陽集会での学びで出会った御言葉で、こんなに素晴らしい御言葉をいただけて幸いです。

 残された人生、いっそう心して、日々御言葉を携えて歩み、人と関わりながら輝く星のように生き切りたいと願わされています。

 徳島県

堤道雄先生の思い出

                        S.Y

 政池仁先生と共に、私は長い間その薫陶を頂いた、堤道雄先生は2005年10月6日、86歳で、この世の生涯を終わられました。去る10月11日に横浜で、先生の昇天10周年記念会が持たれました。以下の文章は、その時の感話として述べたものです。

 

 堤道雄先生は、無教会の独立伝道者として、たくさんのことをなさいました。

 まずすぐに思いつくのは、無教会キリスト教全国集会の提唱です。

 無教会は、各自ばらばらでまとまりがない、それはそれでよいのかもしれないが、一年に一度皆で集まって、心を一つにして礼拝を守ろうではないか、と、そのような趣旨で、この会を提唱なさいました。それが1987年11月でした。それから29回目の全国集会が今年も開かれます。

 先生は19歳のころから熱心に教会に通い、丁度その頃、お父上の蔵書の中に内村鑑三全集を見出し、その日記編を読んで心打たれ、内村に傾倒するようになられたようです。

 早稲田大学在学中、中退して神学校に行き、牧師になろうと思い詰めなさるのです。しかし、お父上に、大学を卒業してからでも遅くはない、と諭されて、その志を一度胸に納めなさいました。先生は無教会の先生方の聖書雑誌をたくさん読んでおられたようですが、戦争に対するご自分の思いに一致するのは、矢内原先生の「嘉信」と、政池先生の「聖書の日本」だけだ、として、この二種だけを読み続け、他をすべてお辞めになったとのことです。

 その後従軍されますが、戦後、先生は1950年1月(32歳)に、徳島で月刊聖書雑誌「真理」を発行、翌1951年1月(33歳)に横浜の公立中学校で英語の教師をなさりながら、横浜聖書研究会をスタートさせ、伝道活動を開始なさいます。そして、その30年後の1981年(53歳)先生は公職を辞し、無教会独立伝道者として立たれました。

 先生の伝道は日本各地におよび、果ては韓国、台湾にも足を延ばされました。建国記念日が制定されると、この日を登校日とした山形の独立学園に毎年行かれ、憲法や非戦論を生徒に語られました。先生がいま健在であったら、現在の状況をどのように思われるだろうか、と考えてしまいます。

 その様な堤先生に、わたしが最初にお会いしたのは、政池聖書研究会でした。

 わたしが政池集会に出席するようになったのは1964年の3月で、その会場は、市谷の西式健康会館でした。ある時、わたしが市谷の駅から会場に急いでいると、同じように駅から早足で、会場に向かわれる体の大きな方がおられ、それが横浜から通われる堤先生でした。先生は、毎月の第一聖日に、ここで話をなさることになっておられました。

 堤先生は、多くの場合政池先生と行動を共になされ、夏と冬の聖書講習会はもちろん、キリスト教講演会も、いつも講壇を共になさっておられました。

 ある方がその様子を見て、「池あるところに堤あり」と言っていました。まさにその通りでした。

 当時、蕨の野崎忠雄さんのお宅で、毎月第3土曜の夕刻から、堤先生をお迎えしての家庭集会があり、それに加えていただくようになりました。10名足らずの小さな会でしたが、先生の聖書のお話が終わった後、先生を囲んでの自由な歓談の時があり、普段はなかなかお聴きできないことなどや、その時々の政治の問題などを自由に、それこそ膝を突き合わせて、お聞きすることができ、楽しみでした。最初は、わたしだけでしたが、結婚してからは家内、そして母親と参加させていただきました。先生は、一度だけ、お腹を壊されてお休みになりましたが、お元気で、ほとんどこの集会を御休みなさることはなかったのです。この時のことで覚えているのは、先生は、真冬でも、オーバーコートは着用なさらず、いつも、襟巻だけをお使いになっていたことを思い出します。

 この集会は夕刻7時に始まり、9時ころまで続くのですが、会が閉じると、わたしは大体30分もあれば、帰宅できるのですが、先生はそれから横浜へ、そしてそこから相模鉄道の三ツ境というところまでお帰りになるのです。先生何時ころお家にお着きになりますか、とお尋ねしたところ、11時回りますかね、とおしゃっておられました。

 わたしが家に帰ってのんびりお風呂に入り、床に就こうとして時計を見ましたら11時でした。ああ、先生は、ようやく今頃おうちにおつきになるのか、と改めて先生のご苦労を思わせられました。

 先生は、少しも偉ぶるところがなく、謙遜で、いつも、初めての人が聞いても分かるように話そうとなさり、誰に対しても親切で、優しい方でした。しかし、不正に対しては本当に厳しい方でもありました。

 先生は、戦後、政池先生から引き継いで、中野療養所の療養者への伝道を続けられましたが、その時のことを原さんや石塚君子さんから伺ったことがあります。療養所の長い廊下を抜けて病室に行くのだそうですが、その廊下で、紙くずが落ちていると先生は必ず拾ってポケットに入れるのだそうです。また、原さんが、タイヤのゴム草履だと足が汚れるので、草履のスリッパを使っていたら、原さん、どうしてあなただけ、みんなと違った草履をはいているのか、と言われ、答えに窮したことがあったそうです。それ以来原さんは、この先生の前では決して嘘はつけない、と思った、と話しておられました。

 療養所の若い娘たちはみんな貧乏で、先生がいらしても、お茶の一杯も出せなかったのですが、先生は一言も愚痴らしいことを言われたことがなかった、とのことです。その様な中野療養所に、横浜から二時間もかけて通って来られた先生でした。

 堤先生は、宮沢賢治を尊敬なさっていたのではないでしょうか。特に、あの「雨にも負けず、風にも負けず」は先生のお心を見事に歌っているのではないか、と思ったことがあります。

 雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケズ、丈夫ナ体ヲ持チ、慾ハナク、決シテ怒ラズ、イツモ静カニ笑ッテイル、一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ、アラユルコトニ自分ヲ勘定ニ入レズ、ヨク見聞キシ、分カリ、ソシテ忘レズ、野原ノ松ノ林ノ陰ノ、小サナ茅葺ノ小屋ニイテ、東ニ病気ノ子供アレバ、行ッテ看病シテヤリ、西ニ疲レタ母アレバ、行ッテソノ稲ヲ負イ、南ニ死ニソウナ人ガアレバ、行ッテ怖ガラナクテモイイトイイ、北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイイ、日照ノ時ハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ、ミンナニでくのぼート呼バレ、褒メラレモセズ、苦ニモサレズ、ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ

 もしかしたら堤先生は、「ミンナニでくのぼート呼バレ、褒メラレモセズ、苦ニモサレズ、ソウイウモノニワタシハナリタイ」という、この詩の言葉を、本当にお考えになっていたのかもしれない、と、ふと思うことがあります。先生はそういう方でした。

 わたしは、そのような堤道雄先生そして先生をどこまでも支えて、共に歩まれた久子奥様に出会わせてくださった、父なる神様に深く感謝するものであります。

              (浦和キリスト集会)

〒330‐0072 さいたま市浦和区領家3の12の11

         電話 048‐886‐8400

 

 

義兄を偲んで

                      S.M

 33年間、透析を続けて生活していた義兄が61歳の若さで先日亡くなりました。クリスチャンでない義兄でしたので葬儀は仏式で行われ、長々と御経が続きました。御経に馴染みのない私には、違和感しか感じられず「兄の霊が天国で慰められ、よい場所が備えられますように。」と御経をバックに神様に祈っていました。それと同時に「賛美歌を歌って送ってあげられれば良かったのになあ。」と深い後悔の思いが生じました。そして、今まで義兄の病気について自分が如何に無関心で暮らしてきてしまったかを思い知らされました。

イエス様は、重要な掟の二番目として「隣人を自分のように愛しなさい。」を挙げられました。離れて暮らしているから、あまり会わないから、と都合の良い言い訳はいくらでもできますが、義兄の病気の癒しや魂の救いについて真剣に考えた事がなかった隣人愛の微塵も無い自分が露わにされました。

 自分の生活や家族にばかりに目がいっていると、親族の中で色々な事が起きた場合、一時の慰めや支えになれたとしても、時間が経つにつれ、いつしか他人事になり無関心になっていきます。でも『無関心は罪です』と、義兄を通して神様がはっきりとその事を示してくださいました。

 これから私は、親族一人一人の救いを真剣に考え、祈っていきたいと思います。そして亡くなった義兄の救いも祈り続けていきたいと思います。死後の世界についての考え方は、キリスト教の中でもいろいろあると思いますが、最後の審判の時までは、まだチャンスがあると私は信じたいのです。新しいエルサレムで皆が会えますように!!

 長野県

主の御名を讃美します

                        O.T

 このたびの鬼怒川洪水によって、床上浸水した我家に多くの方々からご支援を頂き、再建がなされています。

 今思うことは、この出来事が背後におられる神さまの一方的なお恵みであることを私共が忘れることなく、日々主を仰いで生活出来ますように、ということです。

 庭の片隅に咲くブッシュセージの紫の花が何事も無かったかのように神様の変わりなき御心を思わせてくれます。青い空も夜空の星々もそのことを証しして下さっています。

              (渋谷聖書集会子ども会)

茨城県

かみさまがつくられる自然のせかい

                       T.M

 せかいでは悪いことをしたり、せんそうをしている国もあると聞きました。わたしは、せんそうはぜったいしてほしくありません。

 空の鳥や土や草花、山や川を見ると、かみさまがこのせかいをかみさまの自然のせかいにつくりかえてほしいと願います。

                     (小学三年生)

徳島県

平和にまつわる賛美歌

                     T.Y

 8月に、戦後70年を迎えましたが、毎年この時期になると、思い出される1曲があります。平和にまつわる賛美歌は、多く存在しますが、特に、讃美歌21の371番「このこどもたちが」は、集会での希望の賛美でも、リクエストしたことがあります。以前にも、電子ピアノでも演奏したことがあるもので、内容も、わかりやすかったように思います。

 平和憲法が、崩壊しつつあるようですが、改正されることがないように祈りたいものです。

 以下に、印象的な部分を入れておきます。

1 このこどもたちが 未来を信じ、

  つらい世のなかも 希望にみちて、

  生きるべきいのち 生きていくため、

  主よ、守りたまえ、平和を、平和を。

3 「つるぎをすきとし 槍を鎌とし、

  洪水のように 正義を流せ」。

  神のみ言葉は世界にひびく。

  主よ、教えたまえ、み旨を、み旨を。

どうぶつがすき

                       T.Y

 ノアのはこぶねのおはなしがだいすきです。

 どうぶつがたくさんでてくるから。

 どうしてかみさまはヘビみたいなきらわれるどうぶつをおつくりになったのかな。

                   (幼稚園年長)

徳島県鳴門市

「ことば」

                     T.Y

 人の「ことば」は軽い。

 「ことば」が生命であるべき政治家が特にひどい。

 言いたい放題。

 責任という「ことば」も死語になってしまった。

 もみがらのようにあちこち浮遊している人の「ことば」は、

 何も残さず、やがて消え去る。

 神の「ことば」は重い。

 目をこらし、耳をすませ、心を尽くして祈れば、

 神の風が吹き渡り、

 神の「ことば」を届けてくれる。

 永遠のありかを教えてくれる。

 人の「ことば」に生命を吹き込んでくれる。

                        (岡山市)

良い死

                      T.H

 「『良い死』というものがある。それは自分の死を最後の贈り物にできること。

 それが愛する者への最大の贈り物になる。自分の境遇を呪い、苦々しい思いで、死んでいくとすれば、残された者には罪責感しか残らない。しかし、自分の人生に満足し感謝して死ねるとしたら、それは『良い死』となり、愛する者への『最大の贈り物』とすることができる。」

         (『最大の贈り物』ヘンリ・ナウエン著)

この言葉はあなたがたにとって

                      T.K

 

「この言葉はあなたがたにとって、むなしい言葉ではない」(申命記32の47)

 

 父が今年5月21日に亡くなってから暫く不思議とずっと「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。」(ヨハネ14の27)とのみ言葉がいつも思い出されていました。関根先生が「お父様は今頃、ああ、やっぱり間違っていなかった。とおっしゃていることでしょうね。」といってくれましたが…、私も、父は神様のみもとに行かせて頂いて喜んでいつもの笑顔でいることでしょう、と日々思っています。

 わたしは、スカイプでの集会の時や日曜礼拝でみ言葉を聞いているとき、また賛美の時に、同じところにいるような(しっかりと説明はできないのですが)とても安心している状態を感じさせて頂くことがありました。

 あるスカイプ夕拝の時に『主は…これを見つけこれを囲い、これをいたわりご自分のひとみのように守られた。鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ翼に乗せて運ぶように、ただ、主のみがその民を導いた』

              (申命記32の10・11)

とのみ言葉を教えて頂き「聖霊の助けは、死をも超えていく、その時こそ神様の翼に載せて神の国へ運んでくださる。」と聞きました。「本当に心から望めば永遠の翼に乗せて霊的なところに連れて行ってくださる。」と吉村先生から教えて頂き、こんなに嬉しいことはありません。ただ、ただ感謝しました。また、み言葉が私たちをずっと繋いでくださっていること、み言葉という神様の翼に乗せていただいて、ここまでこの世を運んで来てくださったことも教えて頂き本当に感謝でした。

 そして、あの時感じたのは、きっと神様に多くの方々が覚えて祈ってくださった日々のお祈りと私の本当の必要を知っていてくださった聖霊なる神様がとりなしてくださって励ましてくださったことを思い、なんとお礼を言ったらいいのか言葉にならない有難さを感じ本当に感謝でした。有難うございます。

 聖書の言葉は、本当に神様の深い愛と知恵をもって書かれていて、それを小さな経験をとおして教えてくださることを、確信させて頂けました。すべてに感謝しています。

 また今年の夏に仙台の集会の時に覚えた賛美は、希望がもてて、とても慰めです。

 

「幸いうすく見ゆる日に」(アイルランド民謡 ロンドンデリーの曲)(新聖歌330番・讃美歌Ⅱ157番)

       詩 奥山 正夫(JESUS IS LORD 42番)

 

2 愛する者を失いて 望みの消ゆる時に

  われ汝をひとりにせじと 優しき声を聞きぬ

  さればわれ笑みをたたえて

  友なるイエスに応(こた)えん

  主よ汝が愛に生くれば われに乏(とぼ)しきことなしと

 

「神に対する感謝を忘れるのは、私たち自身を益とすることを拒むこと。なぜなら感謝は祈りと同様私たち霊的生活の成長を促す有力な手段だから感謝は私たちの重荷を去り希望を盛んにし、信仰を増進させることを助ける。神に対し、受けた恵みを感謝することは私たちの友をも益する道である。」(スポルジョン朝ごとにより)

 人の一歩一歩を計画し、日常生活の細かなところまで守ってくださる、その神様を信じてキリストが私たちの心の内に住んでくださいますように、これからも私たちの主にあるお交わりの間に主イエスさまがいてくださって聖霊が豊かに働き主の憐みとお守りが皆さまと共にあり、みこころが天に行われるとおり地にも行われますように!

(仙台市)

心に残った本より

                    T.R

 忙しい人が多いと思うが、私もその一人だと思っています。そんな忙しい人を支える「賢者の生活リズム」(ケン・シゲマツ著)という本と出会いました。それは、「多忙な日々によって、生活がすっかり奪われていると感じている人々へ、祈りや聖書を読む時だけでなく、勉強や仕事をしている時も、運動や遊んでいる時も自分の存在の中心部分で神を経験することができたらどんなにすばらしいか、今のさまざまな生活を続けながらも日常生活のすべての面で神を経験できる生活リズムがあることを発見した。」という文から始まっています。特に心に残ったところは、「安息日には『すべきこと(例外をのぞいて)』を無視して、いのちを与えるものに専念すべきです。」「真の休息が得られない理由の一つは、自分の価値を人に認めてもらおうとするからです。」

 また、礼拝について、「生活の焦点を自分にではなく、イエスに合わせ、イエスの招きの声に耳を傾け、応答する時に真の安息日を経験します。」という文です。

 今の私はさまざまな事によって身も心も忙しく感じます。一週のうちに一日の休息どころか、ひとときの休息(真の休息)もとっていないように思います。まず、このことから少しずつ改善して、主イエス様中心の生活リズムを作っていくことに努めています。

 徳島県

北海道瀬棚集会に参加して

                         T.S

(1) 祈り祈られることへの感謝

 あの時、私は、聖書講話で学んだこと理解したことを整理して、何をどのように言おうかと直前まで準備していた。しかし、感話を述べる順番が私に回ってくると、準備したものとは全く違う思いが急に口から飛び出した。これまで自分の心奥にしまい込んでいた息子に関わる不安や苦しみ、様々な思いが溢れ出してきた。いろいろな感情がまぜこぜになって飛び出してきた。自分でも不思議だったし、止まらなかった。きっと、瀬棚の仲間には話して聞いてもらえると直感で感じたのだろう。話し終わった後、少しすっきりした。見せている自分と心奥の自分が一致したから。そして、何より嬉しかったのは「祈っています」と言葉をかけて頂けたこと。私の息子の苦しみを思い、遠く北海道から祈っていて下さる。苦しみを分かちあうように、共に祈っていて下さるという。私とともに祈っていて下さる。私は一人ではない。複数の祈りが共鳴して、神様に届けられて、神様からのまなざしがより明るくなるように感じられた。「祈っています」、なんと嬉しい言葉だろう。神様のなさることは、人間の思いや予測を超えている。まだまだ渦中にあり、これからどうなっていくのかも分からないなかで、不安や恐れ、苦しみを抱えている私は、励まされ、力づけられ、支えられている思いがした。

 息子のことについては、私の罪を打ち砕かれたとの思いもあった。私の中に子ども達が順調に育ち、巣立っていけたことを誇る気持ちがあった。私は、知らず知らずのうちに人と比べて「誇る」気持ち(傲慢)が巣食っていた。その誇りは、一瞬にして木っ端みじんに打ち砕かれた。人と比べて誇ることなど、「命」と比べたらくだらない、つまらないことだった。最も大切な命について、私は全くの非力であった。知らず知らずのうちに住み着いていた自分を誇る罪を打ち砕いて下さった神様に謝り、罪に気づかせて下さったことに感謝し、私は神様のご計画を信じて頼り、祈りつつ生きていくしかできない。

(2)暗闇の中で光から目を離さずに付いていくこと

 初日のプログラムが終わって、Nさんの家に泊めていただくため、Rさん(Nさんの奥さん)が運転する先導車の後に付いて走った。北海道のどこまでも広がる暗闇の中では、先導車の明かりだけが頼りだった。ナビも役に立たない。真っ暗な画面に車の位置を示す矢印だけが光っているだけ。真っ暗闇の中に置いていかれたら迷子になってしまう。Rさんは山道に慣れていたから山道の運転がとてもうまかった。私は必死の思いで運転し続けて、やっとの思いでNさんのお宅に到着した時は、ほっとした。振り返ってみると、20分間の真っ暗な山道のドライブ中、信号機や街灯は一つも無かった。また、すれ違う人や車も全くなかった。まるで、苦難や試練に会い苦しみや恐ればかりで頼りにする物が何もない中、イエス様だけを光と仰いで必死で生きる生き方に似ていると思った。

 車から降りて、夜空を見上げて思わず感嘆の声をあげた。数えきれないほどの多くの星々がキラキラと明るく澄んだ光で瞬いていたからだ。本当に美しかった。本州ではアルプスなどの山奥まで行かないと見ることの出来ないほどの美しい星々を見ることができた。暗闇の中、イエスの光を見失わないよう必死で生きていくと天国もこんな美しい輝きで迎えてくれるのかなあ思った。北海道に来て良かったなあと思った。

心に残ったこと

                     T.Y

 第二ペテロの手紙3章14~18節の学びから、「神の約束に従って待ち望む」というところが心に残りました。(主婦)

板野郡

主が共におられる 

                       K.K

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手であなたを守る。」(イザヤ41の10)

 私が不安に押し潰されそうな時、心がわなわな震えてどうしようもないとき立ち返るみことばです。

「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから」                  (イザヤ41の13)

 今も毎日のようにこのみことばを言葉に出し、自分に言い聞かせています。 私の右の手を握っていてくださるイエス様の手の温かさ、強さを感じていたいと思います。

「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31の8)

 神様が私の前を進んでいてくださる。道を既に開いていてくださる。私は安心して進めばいい。何ができなくても失敗しても孤独と思うときも神様は私の側にいてくださる。私のことをすべてわかっていてくださる。そして「決して見放さない」と語りかけてくださる。いつも側にいてくださり、すべてをわかっていてくださり、決して見捨てず、最善の助けを与えてくださる方がいるというのは何と幸いなことだろう。私はこの方を信じて祈り求めればいい。

「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和があなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4の6~7)

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43の4)

 人の目、人の評価ではなく、この神様の目を見つめて永遠の愛のうちを歩ませていただきたいです。

 それ以外に

 何を望むことがあるだろう

 主に導かれて

 主と共に生きること

 

 それ以外に

 どんな幸いがあるだろう

 主がほほえんで

 わが子よと語りかけてくださること以外に

            (伊丹悦子著「星になって」より)

「ここに愛が」

     ―本田路津子著「マイ ポートレートⅡ」より

                     T.E

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Ⅰヨハネ4の10)

 この一年もいろいろなことがあり、自分を正当化して人を裁いてしまう罪に苦しみました。

愛されているのに、赦されているのにと主イエス様を見上げこのみ言葉にすがります。

「ここに愛が」という讃美はこのみ言葉そのものなのでそのまま心に神の愛と恵みが入ってきます。

 ここに愛が 

ひとり子を権わし 神は私たちに

いのちを得させて くださいました

私たちが神を 愛したのではなく

神が私たちを愛し 御子をつかわされた

※ここに愛がある

神の愛がしめされた 

ここに愛がある

神は愛なり

イエスさま あなたは 私たちの罪を

その身に背負って くださいました

十字架の姿は 驚くべき恵み

神が私たちを愛し 御子を遣わされた

※繰り返し

祈る勇気

                    T.K

 「どのような時にも、"霊に"助けられて祈り、願い求め、」      エフェソ6の18

 先日、私は悲しみの中にある友達を訪問する機会が与えられた。突然の出来事を聞いた時からずっと祈っていた。行く時も祈って行った。でも大事な大事な事を忘れて帰って来てしまった。夕食も一緒にご馳走になったのに、「私クリスチャンだから祈るね」と言う一言が言えなかった。食事の時もそっと一人で祈っただけだ。友達も私がクリスチャンである事をよくよく知ってくれているのに、なぜ悲しみの中にいる友達の為にその所で祈れなかったのか。神様に対しても、友達に対しても申し訳ない思いが続いている。

 韓国に帰国された方と共通の知人は、「Pさんはいつ来ても祈ってくれたんよ」と会うたびに私に言う。クリスチャンでもない年輩の方ですが、Pさんと言えば祈っていたことを10年経っても心に残っているのだ。

 普段から友達が来て食事を共にする時も、私一人祈るだけ。「クリスチャンだから祈るよ」と言ってみんなの前で祈る事が出来ない。クリスチャンの人が悩みの中にいる時には、「祈ろう」と言って一緒に祈るのに、クリスチャンでない人が来て悩んでいても、その夜に祈るだけ、悩んでいる人の前で祈れない。

 クリスチャンでない人の前で声を出して祈るのには、私にはとても勇気がいる。先の聖句にあるように、霊に助けられなければ出来ない。でもそれをする事により、証しであり、祝福がある事を学ばされました。自分の決意や、力では出来ない。やはり神様の霊が与えられなければ出来ない事である。

徳島県

いつくしみ深き                匿名

 私は10数年前に、教会と出会い、洗礼は受けない形で、様々な事で教会と関わらせて頂きました。数年前、無教会のことを知り、「いのちの水」誌などを通して、今もつながらせて頂いています。

 教会に行っていた頃、私の好きな讃美歌と多く出会いました。その一曲は、「いつくしみ深き」(讃美歌312番)です。

 今年、きっかけがあり、その讃美歌を家の楽器で弾いたり、そっと歌詞を口ずさむ事が、日課のようになっています。

 最後の所の「アーメン」も弾いたりなど、しています。教会から離れても、無教会にも一歩ふみ出せなくても、私の心の中に讃美歌への思いなどがある事を思っています。

 「いのちの水」誌10月号の児童虐待。私は子供時代にその事を経験しました。今も心などに弱さを持つ私です。

 「いつくしみ深き」などの讃美歌などを通して、私の心に、愛となぐさめといたわりなどを頂けたらと願います。

                       (北海道)

聖句

                      N.S

 哀歌3章22~27節より

「主の慈しみは決して絶えない。

主の憐れみは決して尽きない。

それは朝ごとに新たになる。

「あなたの真実はそれほど深い。

主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い

わたしは主を待ち望む。

主に望みをおき尋ね求める魂に

主は幸いをお与えになる。

主の救いを黙して待てば、幸いを得る。

若いときに軛を負った人は、幸いを得る。

            (徳島聖書キリスト集会)

ふるさとの自然の中で神様を感じる

                        M.T

 私はこの頃、自然の中から神様の愛を感じることが多い。 

 先日、田舎へ行った時、実家の近くで岩肌のくぼ地に咲いている小さな野菊を見て、新約聖書の主イエスのみ言葉「野の花を見よ」を思い出した。

 昔の王様が着飾っても及ばないほどの美しさを持つ、小さなこの花に神様の愛が注がれている。

 子供の頃見た野菊はもっと株も大きく、花も多く付いていた。同じ場所に咲く野菊は、小さくなったが、岩のすきまにしっかり根を張って生きている。

 何よりもこの花を見せてくれた神様の愛がうれしかった。

 世の中の移り変わりは速くて激しいが、自然をしっかり見つめ神様を見つめて、自分を見失わないように生きていきたい。

 実家は空き家となり行く事が少なくなったが、今度は家族でこのところで星空を見たいと思っている。

罪を示される喜び

                        N.N

 「いのちの水」誌で「神の言葉」に聞くことの重要性を繰り返し学べました。 

 「マルタとマリヤ」の話で「マルタ」を私は同情の目をもって読んでいたことがありました。一人で忙しい思いをしているのを知って手伝おうとしない人がいたら、誰かに愚痴を言いたくなります。我慢していれば不満が積み重なって爆発したくなります。「一生懸命しているのに認めてほしい人からは認めてもらえない。」と思えば恨みとなります。初めは喜んで始めたことも見返りがなければやりたくなくなる気持ちになります。妻であり母である女性のありがちなパターンと言えるでしょう。望んでいないのに、内在している罪、それはアダムとエバの罪を引き継いでいるのかもしれません。

私はこの罪を何度犯してきたことでしょう。

 「私はなんとみじめな人間なのだろう」この嘆きも何度してきたことでしょう。しかし罪を自覚できることはなんとありがたいことでしょう。さらにキリストの十字架により罪がゆるされ清められると信じられることはなんと幸いなことでしょう。努力で得られたのではありません。その時々にみ言葉を求め祈りにより聖霊により、砕かれ、清められ感謝へと変えられていっているのです。私にとってまず罪を示されることは一番感謝なことです。

 マルタに共感しつつも聖書の読み方として何を私たちに語っているか汲み取ろうとしたときに、マリヤの主をお迎えする心持ちは最初からマルタとは違っていると気付かされました。マリヤはみ言葉をいただけることを楽しみにしていたと思われます。主イエスに傾聴しているマリヤを想像すると、笑顔でイエスから離れまいとしているようです。主イエスは「なくてはならない」ものはこのマリヤの姿勢だとマルタに諭されたのでした。

 私はマルタの話から「神と富とに兼ね仕えてはならない」のみ言葉に出会いました。マリヤもマルタも両方大事というなら神と富とに兼ね仕えるのも両方大事ということになりましょう。しかし両方大事といえども、どちらかが疎かになるのではないでしょうか。

 「神のみを信じる」「のみ」が抜けるとき「神と富両方大事」と思っていなくても、私たちは弱い。富の誘惑があり、金銭欲・名誉欲といったものに引かれて、信仰者の間でもそういったことを話題にしがちですし、自己を誇らないとも限りません。

 自分を知らない、自分のしていることがわからないのは、どこかの一首相だけでない、ということ、私たちは誰をも裁けない、必要なことは「神を愛し隣人を愛する」ことだけと聖書は教えてくださっています。「敵を愛する」ことは簡単ではありませんが、「祝福を祈って、呪ってはならない」のみ言葉に従っていけるものになりたいと思います。

 「祝福を祈る」とはどういうことか、私は長年具体的な意味をよくわからなかったのですが、「その人によきものが与えられるように。その人が最善のものになるように。」祈ることだと、「いのちの水」誌等で教えられて日本の悪しき指導者に対しても祝福を祈れるようになりました。

  

 「いのちの水」10月号より。「礼拝においても神に求め、神からの力と啓示を受けること。議論や研究、あるいは意見を述べ合うのが目的ではない。キリストと出会うため、啓示を受けるためである」と、明解な言葉を示していただけて感謝でした。

 また「もう神様のことを語るのは、同じ内容だからやめようと思ったことはない。それは自分の意思ではなく、神様が心を燃やしてくださってきたからだと感じる」とありました。「心を燃やしてくださった」という言葉に強烈な印象受けています。

東京都

オスラー博士講演集 「平静の心」を読んで

                      N.H

 最近信仰の友にいただいた本の中から感じたことを書きます。

オスラーは牧師の家庭で九人の子供の一人として人生を歩み始めたと著書の中であります。医学博士として一八八九年から活躍した人で、学生達相手に講演を行った内容が記録されている本です。

 「カーライルとの出会い」という小タイトルがあり、カーライルはヒルティの本によく出てくる名前で、生きた人物に出会ったのかと読んでいくと、カーライルの本に出会ったことが書かれてありました。オスラーの人生を変えた出会いであったそうです。

「『我々の主たる務めは。遠くにかすんでいるものを見ることではなく、眼の前にはっきり見えるものを実行に移すことである』いう一節のこの言葉が胸を打ち脳裏を離れず、私の役に立ってくれた」と本の中にありました。「この言葉により、彼に与えられた唯一の才能を最大限に生かす習慣を持つに至った」と解説にあり、出会いの大切さを思います。

 私もまだ人生が何かを知らず、混沌として自分が何者でどこに行くのかを彷徨している十七歳の時、ゲーテの人生訓のような言葉に出会いました。すっかり忘れていましたが、キリスト教に導かれるまで、ことあるごとにこれを思い、その言葉に合わせて内面の修正をしていたことをふと思い出しました。今は御言葉が指針になっているので、それ以外の言葉で導かれたいとは感じませんが いろいろな所と通って今に至ったことが振り返るとよく見える瞬間でした。

 今では、ゲーテもキリスト者でキリストの言葉を分かり易く要約して伝えたのだと分かります。

その内容は

①すんだことはクヨクヨせぬこと。

②いつも現在を楽しむこと。

③とりわけ人を憎まぬこと。

④未来をすべて神に任せること。

⑤すべてのことに感謝すること。

 オスラーは読書をよくした人で医学生に毎晩就寝前に30分間本を読むように勧めています。指定した本の第一番目に旧約聖書、新約聖書がありました。

 聖書は、医学生だけでなく、人類皆の必読の書です。聖書からすべての良きものが生み出されたから本当は聖書一冊あれば他の本はいらないくらいであるという人もいます。

 オスラーは内科の教科書を作る等、現代の医学に多大な貢献しましたが、元になっていたのは、聖書の教えであったことがよく分かります。聖書こそ、人生の羅針盤、人類にこのような、神の知恵がなければ、人類は野蛮で強いもの勝ちで、無秩序で人々がとても安心して住める環境にはなっていなかったと思います。

 医学、看護学という、最も弱い病気の人に尽くす学問や実践はこうしてキリスト教を土台に精緻で深い倫理的な面とその上での研究や探求などにより近代化されたのを思います。

 今、こういったキリスト教を元とした精神的な規範から離れ、様々な利権に汚され、商売がからんだ医業になっている様相があり、医師や病院をそのままでは信用しがたい気持ちがします。

この世は人間が作った混沌とした世界に見えますが、長い歴史を見ると、必ず神様のみ心が支配し、欠陥も人間の行き過ぎた欲も修正され一本筋の通った道が見えてくると思います。

 間違ったものを見分け、神様の御言葉を指針に進むことが自分をこの世から救い神様という固い岩盤の上に身を守ることであると思います。人工的なモノから遠ざかるすべを見につけ神様の造られた自然の法則の中に身を置きたいとこの本を読んで思いました。

感謝と讃美

                     N.T

 今年も吉村孝雄さんをはじめ徳島聖書キリスト集会の皆様にお世話になり感謝です。毎月の「いのちの水」誌、「集会だより」、メール配信の「今日のみ言葉」、スカイプ集会、毎月数度勝茂さんから送られてくる礼拝CD、これらをじっくり読み聞きしていますと追いつかなくなってくる状態です。

 その上に「祈りの友」により、あるいは、そうでない方も祈っていて下さることです。そして実に時宜にかなって寄せ書きや集会での讃美などもメールでお送りくださったりお手紙をいただいたりしております。どれだけ励まされ慰められ勇気を与えられたかわかりません。Ⅰペトロ3の8のみ言葉が思い出されます。「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」地理的には遠く離れたこの地にも祈りの風が吹き来たり、祝福の波が心に打ち寄せてくるようです。

 先月のスカイプ集会では吉村さんから内村鑑三の言葉を教えて頂きました。「聖書は大なり。しかれども、生けるキリストは聖書より大なり。我ら聖書を学びて生けるキリストに出会わねばならぬ。」(文章は異なりますが意味はこのようです)。吉村さんや徳島の集会の皆様、集会に参加されているお一人お一人に生ける主イエスキリストが寄り添って歩んでおられるように感じています。中でもスカイプ集会では聖霊の働きが身近に感じられます。今まで何気なく読み過ごしてきた聖書の箇所が深い意味をもって心に響いてきます。参加する人は北は札幌から南は福岡まで日本の各地から地理的には離れたところからですが不思議に一つの場所で礼拝を共にしている気分にさせられます。感話の時間もまた恵みのひと時で今吉村さんから学んだことをより深く学びなおすことができます。これらは聖霊の働きであり、そのうながしで話されているのだと思わされるのです。聖霊は目に見えませんが聖霊の働きは目にすることが出来ることを示されます。

 現代は悪霊の跳梁している時でもあります。エフェソの信徒への手紙でパウロがいっている言葉を肝に銘じて歩みたいと願います。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗しすべてを成し遂げて、しっかりと立つことが出来るように、神の武具を身につけなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なお、その上に、信仰を盾としてとりなさい。それによって、悪いものの放つ火の矢をことごとく消すことが出来るのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉をとりなさい。」(エフェソ6の12~17)

                         (福井市)

お隣の犬の話

                     N.Y

 利用者さんと話しをしていて、近所の犬の話になった。うちの庭の花を見に来たことがある利用者さんは「近所に沢山犬がいたね」と言われるので、「あの家は早朝3時30分に毎朝起きて犬の世話を始めるんだけど、おじさんは早朝なのに大声を出すし、犬は長時間全力で鳴き続けるし、うるさくて昨日も眠れなかった。」と話すと、私がクリスチャンと知っている利用者さんは「それはイエスさんが、中川さんを鍛えようとしていることやから、感謝せんとね。」と言われた。これじゃ、どっちがクリスチャンか分からないなぁと苦笑いしながらも、利用者さんがイエス様のことを意識してくれたことが、嬉しかった。私だって、感謝したいけれど、この状態は十年以上続いているし、3日も連続で眠れない日が続くと気が滅入る。母に話すと、「私はあの家のこと、イエス様が言われる通り祝福を祈ることにしたよ。」と言う。私も「うるさいな」と思う時、その家の人が庭にいて声がする時などに、祝福を祈るようにした。隣のおばさんは以前から我が家にいい印象がないらしく、境界線の植物のことなど、少しのことで厳しく言ってくる。うちは「ハイ」とできるだけ言われた通り対応してきた。こちらからは犬のことを言った事は一度もない。けれど神社のお祭りの献金を募ってきて、拒否しても許してくれないので、仕方なくうちも町内会を出ることになった。するとそれが嫌だったのか、隣のおばさんの態度はますます硬くなっていた。

 そんなこんなで祈り始めて一カ月程。隣のおじさんが道で草刈りをしている所を見かけた。自分の家からずいぶん離れたところなのに、とても責任感の強い人だな。おじさんはいつもよく働いて尊敬出来る人だなと思った。翌日家庭菜園でししとうを収穫していると、隣のおじさんと目が合った。お互いに「こんにちは」と明るく挨拶をした。すぐにおじさんに、「昨日は近所の草刈りを、ありがとうございました。」とお礼が言えた。するとおじさんは恥ずかしそうに、「いえいえ!」と手を振りながら犬の散歩に出かけた。

 その次の日から、おじさんは早朝に犬の世話をする時、そっとするようになった。もう大声を出さないし、エサ入れもそっと置くようで、いつもの「カポン!」という大きな音もしなくなった。犬もおじさんを見習ったのか、何故か長時間鳴かない。ちょっとは鳴くけれど。そして今度は、おばさんと庭で目が合った。おばさんは深く会釈して出かけていった。何かが変わった。やっぱりイエス様の言われる通りするのが、何より効果がある。イエス様はすごいと思った。

 次に先日の利用者さんの所に行ったとき、利用者さんが笑顔で「隣の犬はどう?」と聞いてくれた。私の愚痴を聞いてあげようと思ったみたいだった。私は「それが、隣の人のことを祝福して母と祈ったら、急に静かになったんですよ!」と報告出来た。利用者さんはびっくりした様子だった。何はともあれ、

それから約一カ月、お隣さんは静かに早朝の散歩に行かれる。これからもお隣の祝福を祈り続けようと思う。

「働きの果」

                        N.K

 島根県奥出雲 斐伊川の流れに沿って、小高い山々と田園風景が広がる田舎町。中学二年生の頃だったか…。

 「『テッペンカケタカ!』ホトトギスの鳴き声をよく聴いていると、こう聞こえます。」

 黒板いっぱいに白いチョークで書かれた。「テッペンカケタカ!」

 国語の授業の時間、遠くの山からホトトギスの鳴き声が聞こえてきた時だった。授業を一時中断して、先生はそう教えてくれた。その時の情景を今でもよく覚えている。夏の夜、ホトトギスが鳴くたびにそれを思い出す。

 先生の授業は国語の教科書では飽き足らなかった。毎回教材は多義にわたった。宮沢賢治、ジョン・スチュワート・ミルの論説文・ 古今東西の詩、哲学など多くの自主教材を投げかけてくれた。

 その授業は決して生徒の発言で賑わう、意見をたたかわすというような授業ではなかったが、深閑とした、魂に心地よいものだった。深く考えさせられるあやのある授業だった。生徒達と人間的な触れ合いを好むというより、とにかく授業で生徒に全人格をぶつけ、闘いを挑んでおられた。その背景には聖書があった。

 私を信仰に導いてくださった先生である。中二の時、家庭集会に参加するようになった。その聖書講話は毎回魂に響くものだった。徹底した十字架信仰、たえず「イエスをもつこと」を言われていた。「先生教」にならないように、とよく言われた。「余った時間で聖書を読み、信仰するのか?」とよく問われた。

 高校を出て、関西に移ってからも心にとめてくださり、各地の無教会集会を紹介してくださった。

 毎週テープを送ってくださり、必ず毎回感想のはがきを送っていたが、時折厳しい返信が来ることもあった。

 その先生を帰省のたびに訪ねている。ご夫妻とも90才になられた。お二人とも高齢からくる病で介護施設を利用されている。

 訪ねても先生とはあまりお話しすることができない。稀にお身体の調子が良いとお顔だけ拝見し、挨拶をして帰る。

 今年、帰省した折、関東におられる娘さんと話す機会があった。私もそうだが、ご両親の介護の関係で、毎月帰省されている。

 「もう、讃美歌を歌ったり、聖書の話をしたり、お祈りなどできなくなってしまった。あんなに熱心だったのに…。」と心配そうに言われた。

 それを聞いた時、私は「そんなことはない、例え聖書が読めなくなっても、祈りができなくなっても、神様はきっと先生の働きを覚えてくださっている、ご本人が祈ることができなくなってもイエス様が祈ってくださっている、またまわりの私たちがそう信じて祈り続けていかなければ…。」即座に口からそんな言葉が発せられていた。

 『○久しき伝道の経歴ある先輩が一朝病の為に心身不随となり、信仰の歓喜をさへ表現するを得なくなったとすれば、人は如何(どう)思うだろうか。神の祝福が彼を離れたのであると思うだろうか。

 以ての外の事である。神は人をば使えるだけ使い給う。而して過労の為め使用に堪えなくなれば、之を棄て給う。

「棄て給う」と言ったとて、祝福し給わぬということではない。神は彼をば最早や伝道の器として煩(わずら)わさない、というだけの事である。

 彼が神によりて定められた戦闘を戦い終えた時、神は彼の銃をば地に置かせ給う。その時、或人は死して此の世から取り去られ、或人は病気の為め世から隠される。神のみ心には服従しなければならない。イザヤを見よ、エレミヤを見よ、はたペテロを見よ、パウロを見よ、神は彼等を

用いられるだけ激しく用い給うた揚げ句に棄て給うたのである。彼らが如何なる晩年を送ったかに就て、聖書は何の記録も留めない。

 働きの果は天に積まれて、働きし者の上にあれ。彼の前に帽を脱いで、尊敬と感謝とを表わせよ。彼の霊魂は、他人が如何思おうと、彼自身が如何思おうと、神が確実に引き受け、責任を以って之を永遠の生命に入らしめ給うであろう。』(矢内原忠雄全集14巻より)

「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(ヨハネ1の3)

 「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ6の40)

 「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊“自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(ローマ8の26)

 神様は自分の作った人間の世界に対し、責任をもってくださる。そして導いてくださっている。

イエス様はあえて子なる神として(一人の人間として)罪びとの救いのために地上に顕われてくださった。

そして復活され、その霊自らがうめきをもってとりなしてくださっている。このことを信じて祈り続けていきたいと思う。

 先月訪ねた時、珍しく玄関の間に不自由な体で出てくださり、少しお話しして、共に祈りの時をもつことができた。感謝であった。

 祈りの友 

 「祈りの友」に入会して二年、今年初めて「祈りの友」合同集会に参加した。

  会報発行の為に原稿募集の時期になると、毎回一〇人程度の方に依頼の文書発行、また集約の時期に電話等でお話しする機会が多い。何回か続けていくうちに、今どうされているかなあ、お元気かなあと主にある親しみが湧いてくる。

 祈りの友の関係で私の同郷である姉妹と交わりを持つようになり、お誘いしたら今年の近畿集会にも参加してくださった。二日間泊を共にし、主にある恵みを共有できたことは感謝であった。 またもう一人「祈りの友」会員で同郷(島根)の兄弟がいる。偶然にも若いころ恩師の家庭集会で一時期共に学んだことのある方で、私が大阪に出てからもう何十年もお会いしていなかった。お一人で有機農業をがんばっておられる。母を心配して時折訪ねてもくださっている。九月に帰省した時も、奥出雲の集会を臨時でもってくださり、懐かしい兄弟姉妹方と主にある交流をもつことができた。

時々お会いして近況報告、祈り合うことができるようになった。本当に主の導きを感じている。

 祈りの友会員の方々でまだ直接会ったことのない方であっても、電話で何回かお話する中で、抱えておられる重荷、困難な状況をお聞きし、お一人おひとりの重荷を共に担い合い、祈り合うことによっていっそう主からの励まし、祝福を受けることを実感することができる。祈りの大切さを思うこともしばしばである。これらのことは「祈りの友」の交わりがなかったら叶わなかった。

 「祈りの友」通信ができるまでは目に見えない多くの兄弟姉妹のご愛労がある。その一端を担わせてもらいながら、今年はこうした原稿集約の準備の過程での主にある交わり、その過程の中にも大きな神様の御手を思うことができ、感謝であった。

 九月二十三日の合同集会では懐かしい兄弟姉妹と膝を突き合わせて、聖書に学び、共に祈りあい、近況報告の中でも交わりをもつことができた。初めての出会いもあり、励まされた。

 今年は北海道の集会にも導かれて参加することができたが、同様に四国集会、近畿集会、こうした特別集会で兄弟姉妹と直接出会って、主を讃美することでいただける大きな恵みをいっそう受けることができた一年であった。

大阪府高

「友よ」‐マタイによる福音書20章1~16節より          N.F

 「友よ」という呼びかけは、一般的には、親しく交わる同じ仲間に対し使う。イエスも何回か聖書の中で「友よ」と呼びかける場面があるが、私たちが真似の出来ないような厳しい状況に置かれている中で、敢て、と思いたくなるような時に「友よ」と呼びかけている。

 例えば、12弟子のひとりであるイスカリオデのユダに裏切られ、祭司長や民の長老たちに引き渡される緊迫した情況の中にあっても、ユダに向かい「友よ」と呼びかけている。ここでは、マタイによる福音書20章「ぶどう園の労働者」のたとえに登場する友について考えたい。

 イスラエルの日中の活動時間は、朝の6時から夕方の6時までといわれている。主人が夜明けに労働者が集まる場所に出掛けて行き、1日1デナリオンの日当を提示し、主人・労働者双方合意の雇用契約により労働者をぶどう園へ送り出す様子が描かれている。

 刈入れに忙しいぶどう園の主人は、多くの労働者の手を借りたいため、日雇い労働者が職を求めて集まる労働市場に出かけた。9時に出掛けると、何もせず立ったままの労働者を見つけた。12時も、3時も出かけて行き、同じように送り出した。そして5時頃出かけて行けば、まだ突っ立っている人がいて、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、「だれも雇ってくれないのです」と、その労働者は答えた。

 この労働者は、あと1時間で1日が終わるというのに、雇ってくれる人の現れるのを待った。ただひたすら待った。何としてもその日の食料を手に入れ、家路について愛する妻に、子に、渡したい。この切なる思いを胸に沈め待った。立ち続ける日雇い労働者の気持ちを思うと切なさがこみ上げてくる。家族のために絶望に飲まれそうな心を奮い立たせ、信じ続ける一家の主の真面目な姿が、刻一刻と時刻が迫る中で主人の目に留まった。

夜が明けて直ぐ、あるいは6時にぶどう園に送られた人たちの喜びとは違い、夕暮れ迫る5時に声を掛けてもらった労働者は、泣きたくなるような深い喜びが込上げたであろう。そして、1日の労働が終わり、労働者たちが帰って来た。主人は、労働者たちを呼び、最後に来た者から順に賃金を払った。主人は、あえて最後に来た者から渡した。それは何故だろうか。仕事がもらえず絶望の淵に立たされた時に声を掛けられた喜び、そして今、いの一番に日当を手にした喜び、この思っても見なかった二重の喜びを早く家に帰って家族と共に分かち合わせてあげたい、そのような配慮ではないだろうか。

 最初に出掛けた労働者は、主人に訪ねた。「最後に来たこの連中は、1時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」(12)主人は、答えた。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。」(13)この時、主人は不満を口にしたこの労働者を「友よ」と呼んだ。

 ぶどう園の主人は、雇用主と労働者の関係でなく、同じ釜の飯を食べる仲間と考えている。日本の大企業とは雲泥の差である。日本の労使関係は対等でなく、金を払う使用者側が強い。しかし実際は、働く側は労働力を提供、雇う側はその代価の賃金を提供し、両者の関係は対等であり、「友よ」である。しかし現実は、企業側は「雇ってやる」という傲慢な意識がある。雇用者よりも一段上に立った感覚は拭いたくても拭えない。日本の企業で労働者を「友よ」と呼べる経営者は、果たして何人いるだろうか? イエスは2千年前から同じ釜の飯を食べる仲間として、主人と労働者の対等な関係をしっかり捉えていたのである。

 話をぶどう園に戻したい。ぶどう園の主人と労働者の話しは、天国のたとえとして語られている。天国は、夕暮れ5時に声が掛けられた労働者のように、ただひたすら神を待つ者が祝福されるところであろう。いくらで雇われるかを気に掛けずひたすら謙遜に、一心に、主人に従う者が祝福されるところ、先に雇われたものが先輩面、古参面して、お前たちとは違うというような顔をする者は、先に立つことはできないところ、常に神の深い御心により統治されるところである。イエスは幼子のようなへりくだった姿を、午後5時に雇われた労働者の中に見たのである。

 1時間しか働かない人に不平を漏らしたこの人に呼びかけたイエスの「友よ」は、我欲に膨らむ自己中心的な我々にも「己の心を冷静に見詰めてごらんなさい」と、反省を促すイエスの深い愛の言葉として耳に響く。

                     (静岡県清水市)

テゼ共同体の歌と礼拝メッセージの共通点

                         N.Y

 テゼ共同体の讃美に今日も強く励まされています。彼らの讃美の特徴は、短い句を何度も何度も繰り返すことで讃美が共同の祈りに聴こえることだと思います。

 「ラウダテ(たたえよ)  オムネス(すべての) ジェンテス(人よ)ラウダテ(たたえよ)  ドミヌム(主を)」

 と同じ文句で讃美し続けます。ところが短く単純な句にも関わらず飽きることがなく、私にとってはその意味がどんどん広がりを持ってそして深まっていくのが分かります。

 ラウダテ…たたえよ、ああ、そうか自分はたたえるために生かされているのだ、いつでもその準備はできている、今すぐたたえることができる。

 オムネス…すべての、一人ももれることなく、どんな人も。

 ジェンテス…人よ、人は神様に造られた存在。神様は自分のお造りになったすべての人が自分をたたえることを望んでおられる、一人ももれることなく、あの人も、この人も、一人一人、すべての人のためにイエス様が来られたのだ。

 ドミヌム…主を、他の誰でも、何ものでもない、聖書に一貫して書かれているこの神様をたたえるのだ、と。どのようなものもすべてが御手の中にある、そう疑いなく素直に信じることができます。

 この短い句は、神様が私たちに示してくださった句であるようにも思いますし、自分が大いなる御手の中にあることで自分の内側からの力に押されて噴出する押さえきれない気持ちを表した句のようにも思われます。この句が18回繰り返されます。

 また、「ヴェニ(来てください) サンクテ(聖なる)スピリトゥス(霊よ)」 という讃美もあります。

 ヴェニ…来てください、私はただ待つ存在です。あなたの方から来てくださるのです。遠いお方ではなく、誰よりも近くに来てくださいます。どうぞ一番奥深くまで来てください。今は御顔を見ることができませんが、どうぞ私を買い取ってください。

 サンクテ…聖なる、あなたこそ聖、他のすべてのものから分かたれた方、清いお方、涙をぬぐってくださる方、永遠に変わることのないお方、

 スピリトゥス…霊よ、イエス様、風のようにどこにでも来てくださる方。この句が33回繰り返されます。

 テゼの讃美は単純な楽曲の中に、讃美の豊穣性がことごとく現れています。驚くべきはその短い文句と単純なメロディであるにも関わらず聴く者(讃美する者)に主の御心をはっきりと示してくださることです。

 この事実は普段の主日礼拝にも当てはまります。毎日曜日、私は礼拝の一つ一つから慰めと励ましを頂いていますが、毎回変わる聖書箇所の講義でも、その中心的なメッセージは変わることがありません。一点を指し示していると思います。それは、最も良いものが誰にでも与えられるということで、(すべてを滅ぼすと思われている)死そのものを打ち破り、信じるすべての人を生かしてくださるという神様の愛です。

 テゼの楽曲は100を超えますが、その中に

「ジーザス(イエス様) リメンバーミー(私を思い出してください) ウェンユーカム(あなたがお入りになる時には) イントゥーユアキングダム(あなたの御国に)」

 という讃美があります。これは十字架上ではりつけにされている犯罪人の一人が死の間際に同じくはりつけにされているイエス様に言った言葉です。ルカ福音書23章にその記述があります。お聴きになったことがない方も、以前聴いたことがある方も、聴いて味わってください。イエス様がどのようなお方なのか、犯罪人の単純な、しかし幼子のようにまっすぐで、真に謙遜な信仰が溢れるように伝わってくると思います。インターネットの「ユーチューブ」で「ジーザスリメンバーミー」と検索すれば、一番上に出てきます。

              高校教員(数学)

大阪府

子どもの詩の国  Y.E

 子ども時代に、スチーブンソンの「子どもの詩の国」に出会えたら幸せなことです。 私は70歳を過ぎて出会いました。

 何度も繰り返し読みました。

 60年ほど前、スチーブンソンの本に出会いました。でも、この本は男子向きの本だと思って読みませんでした。

 長いときが過ぎて、「子どもの詩の国」という本に出会いました。私の大好きな、ターシャ・タューダーという人が絵を書いた本です。とても心に残りました。 この本には、著者のスチーブンソンの幼い頃のすがたがほうふつと浮んできました。もっと早く―中学時代に、この本に出会っていたらよかったと思いました。

一つの思い

世界にはいろんな食べ物や飲み物が満ちている。

そこに小さな子どもたちが、

あらゆるキリスト教の地域で、

食前の祈りをささげていると

思うのは、とても嬉しいな。

おやすみなさいの時間にぬけだして

…ああ、ぼくのはるか上では、みんな動いているんだ。

何万、何億の星たちが、みんな。

一本の木の葉っぱだって、こんなにたくさんはない。

教会や講演に集まるひとたちも、こんなにたくさんいない。

空から、いま、ぼくを見下ろす星の数ほどは。

星たちは、やみの中で光っている、まばたきしている。…

そのうち、大人たちがぼくを見つけて、ベッドに寝かせたけど、

夜空は まだ、ぼくのまぶたに まばゆかった。

むすうの星が ぼくのあたまの中を、まわっていた。

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 野の花 第二十九号 二〇一六年一月発行

発行所 いのちの水社

発行者 吉村 孝雄(徳島聖書キリスト集会代表)