「野の花」 20181月発行 (内容・もくじ)
 

はじめに

 

 

 

「真理と信仰」

 

Y.M(埼玉)

 

私の好きな賛美歌

 

Y.E(徳島)

 

イラスト

 

Y.T(徳島)

 

暗い現実と明るい希望

 

A.S(神奈川)

 

秋夕焼

 

I.M(徳島)

 

女性の四季

 

I.E(徳島)

 

み言葉 コリントの信徒への手紙

 

O.N(徳島)

 

日記より

 

I.T(神奈川)

 

神さまに従いなさいと

 

O.E(徳島)

 

みことば

 

K.K(徳島)

 

神の言葉に聞き従うこと

 

K.M(徳島)

 

賛美は祈り 我が力

 

K.H(徳島)

 

「十二小預言書よりいくつかの聖句」

 

K.A(福岡

 

瀬棚聖書集会に参加して

 

K.I(徳島)

 

天からの贈りもの

 

K.M(山梨)

 

森祐理さんのコンサートに行って

 

K.T(徳島)

 

「病気と社会」高橋宏著に出会って

 

K.N(福岡)

 

「お母さん」と呼ばれて

 

K.M(徳島)

 

主が共にいて下さる

 

S.Y(徳島)

 

神様の恵みと私の使命

 

S.J(徳島)

 

「主に信頼できますように」

 

S.Y(大阪)

 

私の信仰と病気

 

K.K

 

「永遠の命・復活について思うこと」

 

S.K(徳島)

 

あきらめずに祈る

 

S.M(徳島)

 

「イエスの招き」

 

S.H(徳島)

 

「取り去られ与えられたこと」

 

S.M(長野)

 

「赦す」ということ

 

T.M(島根)

 

神の光

 

T.H徳島)

 

「こだわり」

 

T.H(岡山)

 

黒人もみんないっしょ

 

T.<M(徳島)

 

ライオンはやさしい 

 

T.H(徳島)

 

我家の讃美礼拝

 

T.Y(京都)

 

贈り物の本二冊から

 

T.R(徳島)

 

「わが愛に居れ!」(ヨハネ15の9

 

T.K(宮城)

 

思ったこと感じたこと

 

T.S(千葉)

 

心に残る聖句

 

T.Y徳島)

 

十月中旬に

 

T.M(千葉)

 

中秋の名月

 

T.Z(徳島)

 

「私の弱いときこそ」

 

T.E(徳島)

 

夫を天に送って

 

T.K(徳島)

 

マザーテレサの詩より

 

N.N(東京)

 

神の愛

 

N.K(徳島)

 

「いつも喜んでいなさい」

 

N.K(大阪)

 

幸せなら手をたたこう

 

N.H(徳島)

 

イエスとの出会い

 

N.M(静岡)

 

ジョン万次郎の物語

 

N.Y(徳島)

 

森祐理さんのコンサート

 

N.Y(大阪)

 

食事療法の見直し

 

H.H(徳島)

 

モーセに倣って

 

H.G(福岡)

 

自分に頼ることなく神に頼る

 

F.F(徳島)

 

ネパールで宗教について新しい動き

 

F.T(兵庫)

 

「ガラテヤ人への手紙」雑感

 

K.S(鹿児島)

 

導いて頂き

 

M.K(愛媛)

 

聖句

 

M.K(徳島)

 

私には敵はいない

 

M.K(兵庫)

 

祈りについて

 

M.K(愛媛)

 

「あなたの罪は赦されています」

 

M.M(兵庫)

 

あとがき

はじめに

 

 現代は、核に振り回されている時代である。

 いまから70年あまり前に造り出された核兵器は、それまでのいかなる軍事兵器にも増して人類破滅をももたらしかねない恐るべき破壊力を持つものとなった。

 その核兵器の副産物として原子力発電がなされるようになり、その原発が、人類の現在及び将来にきわめて危険なものであることが、ソ連のチェルノブイリや福島の大事故によって明らかになった。原発の大事故によって都市、町や村全体が壊滅的な打撃を受ける。さらには、風向きや雨などの気象状態によっては、広大な他国の地域まで、放射能によって深刻な汚染にさらされるという事態となる。

 また、その高レベル廃棄物は、もとのウラン鉱石の放射能のレベルに戻るには、10万年もかかる。そのような長期に及ぶ歳月にわたって管理が必要とされるようなものは、そもそも造ることは許されないはずのものである。

 そして現在も世界を揺るがしているのは、やはり核兵器による脅威である。

 そして、こうした事態をもたらしたのは、根本的には、人間の名誉欲、地位や権力欲、金銭への欲望など、つねに自己中心の考えー罪がある。

 そうしたものが、科学技術を利用して、人間の欲望を拡大し、憎しみや復讐心をもまとって肥大していく。

 こうしたすべての根源は、聖書に言われている罪である。

 キリストはこうしたことも見抜いたうえで、この地上に来られた。人間世界の根本問題は、罪である。その罪からの救いのために来られたということを改めて深く知らされる。

 国家間の政治問題など、私たちが直接にはどうすることもできない。

 しかし、そうした問題の根源にある罪の問題は、すでにキリストが解決してくださっている。

 キリストを単純に、幼な子のように信じること、その十字架が人類の根本問題である罪の問題を解決するものであったこと、もっとも強大な力である死の力にうち勝つキリストの復活の力、さらには、世の終わりにおいては、キリストの再臨によって新しい天地が創造されるーという聖書の真理が、現代は新たな光をもって私たちを導こうとしているのである。

 これらの、聖書の示す真理こそが、今後のいかなる事態にも対処する道である。

 この「野の花」においてもそうした聖書の真理が各人によって証しされており、それによって私たちが相互に励まし合う一端となればと願っている。

 「真理と信仰」 

                      Y.M(埼玉県)

 かつて、三十七、八歳の頃、わたしは北海道に出張し、帰りの列車で途中下車し、山形県の基督教独立学園高校を訪れたことがあります。伊佐領という無人駅を降り、バスもタクシーもない駅前で、どうしようかと思いましたが、気持ちを取り直し、旅行カバンを下げ、真夏の強い日差しの中、とぼとぼと歩き始めました。すると、一台の車が通りかかり、車が停止し、幼児を乗せた母親がわたしに声をかけてくれました。「どちらまで行かれるのですか?」と。わたしが「独立学園にゆくところです」と言いますと、「どうぞ車にお乗りください。わたしは高校の隣に住んでいる者ですから」と言って、親切にわたしを車に乗せてくれました。とても美しい方でした。学校の前に車が着き、わたしがお礼を言っていると、玄関からひとりの男の人が出て来られました。「よくいらっしゃいました。どちら様でしょうか?」と聞かれ、「吉岡と申します。埼玉からまいりました」と言って、名刺をお渡ししました。すると、「どうぞお上がりください」と応接室に通してくれました。こちらはアポイントメント無しの、非礼な訪問者であったにもかかわらず、丁重な出迎え、親愛溢れる、お話しぶりにすっかり感激し、その時アブラハムの旅人に対する、謙遜で、親切な応対を想いおこしました。その方は、事務長の畑中さんという方でした。お渡しした名刺を見られ、「県立高校の事務長さんをなさっておられるのですね」と仰られ、独立学園高校について、簡単に説明して下さり、また、御自分がご家族共々、「この学園の中で、十分に必要が満たされ、溢れるばかりの恵みを受けているのです。」とお話しして下さいました。しばらくの会話の後、鈴木弼美校長先生とひろ夫人が入って来られました。先生は独立学園草創期の頃のお話をされ、教育の重要性について、とりわけ農業が大事であることをわたしに語って下さいました。先生の洞察に満ちたお話と深い信仰から出る人格に大きな感銘を受けました。この時の訪問がきっかけで、2年後に、わたしは妻と息子、娘の4人の家族で訪問させていただきました。2晩泊りで、桝本華子先生の音楽の授業を見学させていただいたり、夕拝や食事を共にさせていただきました。鈴木弼美先生の御著書「真理と信仰」をこの時、入手しました。また、後日、畑中事務長さんは、叶水夏の学校の参加を勧めて下さり、1985年の夏、わたしたち家族は再び小国の独立学園を訪れることが出来ました。集会中、島忠勇先生によるイザヤ書講話を拝聴しました。40章のバビロン捕囚からの帰還の御言葉を語られるうちに、先生が感極まって涙を流しながらお話しされたことは誠に印象深いものがありました。また、北海道の瀬棚で牧場を営んでおられる河村正人さんのヴァイオリンと桝本華子先生のパイプオルガンのデユオによる演奏を聴かせていただきました。独立学園は、聖霊降臨後の、原始キリスト教の信者の生活を想わせられました。

 数年前から「いのちの水」誌を毎月送って頂くようになり、毎年、夏に吉村孝雄先生と徳島聖書キリスト集会の一部の方々が、独立学園の卒業生と関わり深い北海道南西部の瀬棚で開催される瀬棚聖書集会に参加されておられることを感銘深く、読ませて頂いております。

 鈴木先生の御著書の表題からも「真理」が信仰の前提であることを示しているように思います。真理は神の御言葉である聖書に書かれています。そして、イエス・キリストこそ真理そのものであります。

 わたしは学校現場を含め、約10年間、県の教育委員会で働きましたが、知育や体育の向上を目指すだけでなく、学校教育では、聖書を教えないと、本物の教育は行えないことを痛感しました。また、45歳の時、わたしは、鈴木先生の御意志に応えるべく、農林部に異動を希望し、農業経済課で農協検査員として5年間はたらきました。大学時代に会計学のゼミに入って学びましたが、農協検査にその学びが非常に役立ちました。勉強したことは無駄にはならないものだとその時思いました。農林行政には8年間携わりましたが、とても充実した時期でした。 県庁を定年退職した2003年の春、農林部から他部局に異動してすでに7年経っていましたが、農業経済課の人々は、わたしの退職を慰労し、祝う会を開いてくださいました。そして、集まってくださった現役とOBの方々、約30名の中に、荻野展二さんがおられました。荻野さんは、埼玉県妻沼町出身のキリスト者で日本初の女医となり、北海道瀬棚で活躍された荻野吟子さんの御親類の子孫にあたることを知らされ、主の摂理を覚えました。

「長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります。」(Ⅱヨハネ1の1~3)

   さいたま市

私の好きな賛美歌

                      Y.E

 私の好きな賛美歌の一つが三二〇番です。この曲を集会のみなさんと賛美する時、イエス様が側にいてくださっているように感じます。

 

主よ、みもとに 近づかん

のぼる道は 十字架に

ありともなど 悲しむべき

主よ、みもとに 近づかん

 

うつし世をば はなれて

天がける日 きたらば

いよよちかく みもとにゆき

主のみかおを 仰ぎ見ん。

 

 この賛美を歌うとき、とくに一節は、気持ちがひきしまります。みもとに近つけていただけるという信仰が与えられていたから、いろいろの苦しみに耐えて生きていけたのだと思います。

 この世を去るとき、すべてのものからときはなされて、神のおられる霊の大空に翔けて、主のみ顔を仰ぎ見ることができると思うと嬉しいです。

(徳島)

(イラストが書かれています)

                      Y.T
                                                                                                                                             (徳島)

暗い現実と明るい希望 

                       A.S

 聖書の学びで、バビロンという国に捕囚される前のイスラエルも、危険を察知した時に、イザヤ、エレミヤをはじめとする預言者のことばを無視し、エジプトの援助を求めようとし、その結果、バビロンに捕囚されたことを学びました。

 今の日本も、核や、軍備を増強したり、それに頼っているのを見ますと、滅びの方向に向かってると思います。福島の原発や沖縄の基地の問題などの、マスコミが報道しない情報を信仰の友を経由して知ったとき、本当に暗い気持ちになり、絶望だけが膨らみました。 

 しかし、イエスさまがもう一度きてくださり、新しい天と新しい地を作ることなどが聖書に書かれており、このようなイエスさまの再臨の希望が自分に力を与えてくれています。

 僕は、最終的なゴールが、神様のことばによって見えているので、目の前に起こるいろいろな問題に関しても、正気を保つことができています。

 このような悪い情勢の中でも、希望があります。今は視力を与えられていない友と、スカイプを通してウクレレという楽器で一緒に賛美をしたり、練習をしたりしています。その友が、同じ状態の友にウクレレや賛美を教えたりしています。この輪が広がっていくように祈っています。このような関係ができていることを神様に感謝しています。楽器を適度に行うことは、心や脳にもよい影響があるのではないかと自分は思っています。初心者用の楽譜など作っていますので、始めたい方、興味がある方は僕まで連絡をください。支援したい気持ちがあります。

 教育の格差というのが社会問題になっていると思うのですが、音楽や語学などの分野は現代の技術があれば(インターネットをうまく使えば)、大きな経済的な負担がなくても学習できるような環境を作れるのではないかと自分は思うのです。

 高齢者の孤立の問題、老後破産なども社会問題になっていると思うのですが、これも、中心にイエスさまの愛があり、みんなが仲よく集団で暮らせるようになれば、改善できると自分は思うのです。集団で仲よく暮らせば、電気代、ガス代、水道代、食材費などすべて、少なくなると思います。

 全国規模のネットワークが自分には与えられていることを深く感謝しています。祈りの友の会員の方が、以下のような問題に取り組んでいることを知りました。

 〝ある方(最高裁で無期懲役刑とされている方)が無実を訴え続けている、そして有罪とするには、複数の矛盾点がある。〟

 僕も色々調べた結果、これは再審を請求するべきだという思いに決まり(その方やその方の関係者はどれほどつらい思いをしているのかと自分は思うようになりました。)、全国にいる信仰の友にこの情報を提供したところ、大阪、長野、北海道などの方々からも応答がありました。このようなネットワークが自分にあることにとても感謝をしています。この問題のことも関心を持ってくださる方がいれば僕に連絡をください。

 福音の伝道に関しても、多くの伝道者の方、牧師の方などがとてもよい聖書のお話をインターネット上で、無料で聴けるようにしてくださっています。自分がよいお話をできなくても、そのようなお話をCDにして、インターネットが繋がっていない人に配ったり、そのお話を友人と一緒に聴いたりすることもできます。経済の格差の問題の解決、平和の実現などすべての根源は神様、神様の言葉にあると自分はおもっています。社会福祉が発達し、経済格差が少ないノルウェーという国も、国教会ではない、平信徒の福音伝道というのが基盤にあることを僕は学びました。福音が広がること、神さまの支配が訪れることをお祈りします。

秋夕焼

                      I.M

 鰯から 鯖へと流れ 秋の雲

 思い出の 山でありけり 秋夕焼

 遊び子の 秋夕焼を 連れ帰る

 柿の色 残し夕陽の 山に落ち

 深々と 落葉散り敷く 山上る

 雲の間を 移り渡りて 後の月

 吊るし柿 山の夕陽を 吸いつくし

 用水に 流れし月を 子らの追う

 秋雲の 追われ追われて 山の端に

 野に暮れて 帰りの路を 照らす月

 風に触れ 白き花野を 行き戻る

              (いのちのさと職員)

徳島市

女性の四季

                       I.E

 長かったような、短かったようなこれまでの人生の歩み。振り返ってみると、こうした時の流れの中にも、人生の四季がたしかにあることが思われる年代になりましたが、そこにもずっと神のみ手が働いてくださっていたことを改めて、しみじみと思わされるこの頃です。

 人生の秋から、更に進んでその冬に近づいているようにも思える今年、丁度読んでいる本の中に、今の気持ちがそのまま、簡潔に表現されているのを見つけました。ほんの一部ですが紹介させていただきます。

 

 (前半は略)―詩篇の記者が、

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

 この日は言葉をかの日に伝え、この夜は知識をかの夜につげる。

 話すことなく、語ることなく、

 その声も聞こえないのに、その響きは地にあまねく、

 その言葉は世界のはてにまで及ぶ」(詩篇十九篇)

と歌った時、彼はおそらく、神の創造の偉大さに圧倒され、全地にあまねく響き渡る神のみ声を耳にしたに違いありません。

 

 信仰とはまさしく驚きの中に、神へのおそれを深めていくこと、神の恵みを再発見すること、賛美の思いを新たにしていくことにほかならないと考えるからです。

 

 この中で強調したかったことは、私たちの視点が、いつかの時点で「する世界」から「ある世界」に向けられる必要があるということです。前者は動的ですが、せわしく、ゆとりがありません。後者は静的ですが、味わいと広がりがあります。そうして「ある世界(being)は、すでに存在していて、わたしたちの目が開かれさえすれば、無限の深まりをもって、わたしたちの前に展開しはじめるのです。ちょうど詩篇の記者が、驚きの中に神を再発見したように。そして、実際、わたしたちは、年齢を加えると共に、「する世界(doing)」から遠ざかって行くのです。  

「女性の四季」―〈する世界〉から〈ある世界〉へ―(工藤信夫・著)より

 

 人は誰しも、個人差はあれ、年齢と共に肉体は衰えていきます。しかしここで言われている「味わいや広がり」、また既に存在していた霊的、無限的世界は、歳を経てなお、成長し続けるのも事実のようです。

 すでに「ある世界」、その世界は同時に、すでに「無限の深まりをもってわたしたちの前に展開し始めている世界」でもある―それは新たな冒険の旅。スリリングな展開であるとも思えます。「わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく(Ⅱコリント4の16)」と言われているように。

 ちょうど読み始めたこの本の中から、わたしの人生にとっても、時にかなったみ言葉による慰め、また無限のゆたかさを投げかけてくださっている神の英知を思わされます。

 神の英知は人間の知恵を遥かに超えている。そのひとつひとつが単なる偶然ではなく、神のみ手によることを思わされ、深く感謝です。

 

(※文中のbeingとdoingは、伊丹が付加。このことについても、他の箇所で著者の詳しい記述があります)

                                               (徳島)

み言葉

                  O.N

 信仰 希望 愛         ( コリント前書 1313より)
                                                                                                                              徳島市

日記より

                       I.T(横浜市)

 八月三十日 四七年目

 秋川渓谷で洗礼を受けた日。

死のうと思って死ねなかった私が、本当に死ぬんだと、砂利をふみしめた足の裏の感触が蘇る。あれからいろんな事があった。その都度、竹の節のように信仰生活がみことばによって支えられ、思いが変えられてきたことを

心からありがたく思う。主に愛されている私、真暗闇の中で、いきなりイエスさまの胸に、ドン、とぶつかり目が開かれて…。

神の愛の流れに乗ってプカプカ浮いている私です。「君に守られて今日まで来ぬと」

 

 九月十九日 ふえる友

 昨日届いた祈りの友、いのちの水、祈りの友通信に目をとおす。いろいろな人の近況が記されている。でも今日も又私の知らない所で苦しみ悩んでおられる人がおられる。新しい祈りの課題もあるでしょう。そのところに主が届いてくださるように。会員も増え、協力者も与えられ大きな集団となり、知らない人が知らない人の為に祈る大きな恵みの輪、主よ感謝です。

 

 九月二六日 夜香木(ナイトジャスミン)

 夜香木の香りが涼しい汐風に乗って部屋に入って来る。いつも、オヤと思う。そしてホットする。ほんの一枝咲いているのによく香る。寝る時、窓を閉めるのがもったいない、と思う位。何度も咲くけど今年はこれで終わりかも。私も、キリストの良き香りが放てるといいのだけど…。私がいることでホッとできるといいのだけど。主よあなたの香りが感じられる者とならせてください。

 

 十月一日 株分け

 明日、雨になるかも…。

キルタンサス(蘭の仲間)を植え替える。鉢一杯に株がふえて土が殆どない程に。三つの鉢に分けた。強い繁殖力。誰に貰っていただけるかな。福音もこんな風に広がるといい。株が肥えることが先決。一人一人が主によって成長すること。よく言われるけど、「羊が羊を産む」と、産み出す羊になれますように。

 

 十月四日 つづく

 田中さんから缶詰がきたよ。田中さんちにすだちを送ろう。おいしそうな缶詰と古切手田中さんの愛がいっぱい! それですだちを送る。愛が行ったり来たり。田中さんの言うつづく…。天国まで、恵みは続きますハレルヤ!(古切手はかにた婦人の村への資金のため、村人のリハビリのため)

 

 十月十二日 不純なお天気

 「今日まで夏日。明日から冬になる。」と。そう言われてもピンと来ない。今日は半袖、明日はセーター。体がついて行けばいいけど妹が骨折。弟がかぜ、みんないろいろありますね。主よお守りください。

 

 十月十七日 奥は千畳敷

 「神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできない」(ルカ18の17)

 私は神の国など何も知らないで、ただイエスさまが私の代わりに死んでくださった、そのことだけで信じた。でもそれで神の国に入らせていただけると後で知った。せまい入口だけど奥は千畳敷といった人がいる。こんな私をも御国に入れるようお導きくださった主を賛美し感謝申しあげます。

 

 十月二十日 源泉

 「忍耐と慰めの源なる『神』」(ロマ15の5)

 神さまは憐れみ深く愛のお方だから、私のことも、できるようになるまで待ってくださる。いいえできない私のことを赦し愛してくださっている。泉の水がつきないように主の愛を注ぎつづけてくださっている。その愛をいっぱい受け溢れて人を潤おす者となりますよう、主よお願いします。

 

 十月二一日 食欲

 「口を開いてわたしが与えるものを食べなさい」(エゼキエル2の8)

 「この巻物を胃袋に入れ腹を満たせ」(同3の3)

 主のみことばをよく噛み、味わいお腹に入れ力を得て主の御用に立つように、先ず満たされることが大切。主よ霊に満たし愛に満たされ、その溢で御用ができますように。

 「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(詩篇81の11)

 主よ感謝します。              (神奈川)

神さまに従いなさいと

                      O.E

 「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因でありませんか。あなたがたは欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり、戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみにつかおうと、間違った動機で願い求めるからです。神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人は、だれでも、神の敵となるのです。それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。『神は私たちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。』それで、こう書かれています。

『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。』

 だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。」

               (ヤコブ書4の1~7)

 この聖書の個所を読んで私自身が受け取ったことは、日々私の家族たちが神様に背き、罪を犯し自己中心に過ごしているから、争い戦いが生じて当然だと思わされました。

 いつも、神さまに従っていくのはなかなかできないことですが、神さまを仰ぎ、罪の悔い改めをして恵みを与えて下さる神さまに少しずつでも従ってゆきたいと思います。

                    (中途失聴)

板野郡

みことば

                     K.K

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」          (Ⅱコリント12の9)

 

「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」   (マタイ25の40)

 

「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7の37~38) 

… いつも、心にみことばがありますように。 (看護師)

徳島市

 神の言葉に聞き従うこと

                       K.M

自分の思いと願いが届かない

苦しくて胸が張りさけそう

からだの中から押し上げるストレスで

爆発してしまった。

でも

何も変わらない

今まで神様が力をくださり、導いてくださったのに

大切に思っていたものを一つ一つこわされ

神様に祈ることもできなかった。

 

エレミヤ書で「神の言葉に聞き従うこと」を学んだ

主の声に聞き従わせてください

従う力も与えてください

主のみ声を聞こうとしなかった私

学ぶことによって自分の罪が少し軽くされた。

 

人間の思いでなく、神様の真理に従うことの大切なこと

他の人にも神様から来る愛をあげられますように。

神様から聖霊が与えられますように。

これからも導いてくださるように祈ります。

(エレミヤ書 四二章より) (美容サロンルカ 美容師)

賛美は祈り 我が力

                        K.H

 しずけき河のきしべを 讃美歌520番

1 しずけき河の 岸べを

  過ぎゆく ときにも

  憂き悩みの 荒海を

  わたりゆく おりにも

  こころ安し 神によりて安し

3 うれしや 十字架の上に

  わが罪は 死にき

  救いの道 歩む身は

  主の導き 受けて

  こころ安し 神によりて安し

 

 主日礼拝マタイ12章15節~21節の学びのとき、歌われていた讃美歌520の歌詞が心に響いてきました。

 嫌なことや、苦しいことがあったとき、賛美を心の中や声にだして歌っていると、だんだんと、心が静まってくるのを覚えます。感謝です。

 

 「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい 休ませてあげよう」(マタイ11の28)

 

 神様の御言葉にふれ、賛美礼拝できて感謝でした。

 悩み苦しみの中におられる人のところに神様のみ言葉が届きますように、一人でも多くの人が救われますように。(徳島)

「十二小預言書よりいくつかの聖句」 

                       K.A

 十二小預言書の中の好きな聖句を抜粋し、若干の感想を記す。

 

「ああエフライム なおも、わたしを偶像と比べるのか。彼の求めにこたえ 彼を見守るのはわたしではないか。わたしは命に満ちた糸杉。あなたは、わたしによって実を結ぶ。」(ホセア14の9)

 

 創世記と黙示録には「命の木」が登場する。「命に満ちた糸杉」は、その命の木のこと、十字架のこと。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」(ヨハネ15の5)。常に私を見守り、支えてくださるキリストの愛。そのキリストにつながって生きることのできる信仰が与えられたこと。その恵みにただただ感謝。

 

「主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み くだした災いを悔いられるからだ。」(ヨエル2の13)

 

 心から神に立ち帰ること。キリストの十字架の愛に立ち帰ること。ただそれだけで、あらゆる罪が赦される。あらゆる修行や努力や自分の功績は一切要らない。しかし、心を引き裂き、砕かれた心にならないと、神に立ち帰ることができない。大きな悲しみや挫折は、そのためのことだったと思うと、それもまた神からの恵みだったと思えてくる。

 

「善を求めよ、悪を求めるな お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように 万軍の神なる主は お前たちと共にいてくださるだろう。 悪を憎み、善を愛せよ また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が ヨセフの残りの者を 憐れんでくださることもあろう。」(アモス5の14~15)

 

 聖書こそ人に良心を教えてくれる。この聖句を読むたびに、大きな勇気を与えられる。この世の空気の中にずっといると忘れかけてくる良心の感覚を呼び覚まされる。

 

「兄弟が不幸に見舞われる日に お前は眺めていてはならない。ユダの人々の滅びの日に お前は喜んではならない。その悩みの日に 大きな口をきいてはならない。その災いの日に わが民の門に入ってはならない。その災いの日に 苦しみを眺めていてはならない。その災いの日に 彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。逃げて行く者を殺すために 別れ道で待ち伏せしてはならない。その悩みの日に 生き残った者を引き渡してはならない。」(オバデヤ12~14)

 

 この世界に起こっているさまざまな苦難や問題に、目を閉じて、耳を塞いではならない。オバデヤのこの聖句は、そのことを教えてくれる。しかし、この世界には苦しんでいる人々がかくも多いのに、自分はそれに対して何もできていない。そのような罪人の私をも赦してくださるキリストの十字架。

 

「ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。」(ヨナ2の2~3)

 

 神に祈ることはどこからでもできる。たとえ魚の腹の中からでも。そして、どこからでも神は祈りを聞いてくださる。神に祈る信仰を与えられている我々には、いかなる時にも絶望はありえない。常に呼べば聞いて答えてくださる神がいてくださる。

 

「ヤコブの残りの者は 多くの民のただ中にいて 主から降りる露のよう 草の上に降る雨のようだ。彼らは人の力に望みをおかず 人の子らを頼りとしない。」(ミカ5の6)

 

 世の中がどれほど悪い方向に流れようと、わずかでも「残りの者」がいれば、神の教えの雨と御言葉の露に潤う若草や青草のような「残りの者」がいれば、この世は捨てたものではない。私は幸いにして、そのような地の塩、世の光とでも言うべき多くの方々に会うことができた。

 

「主は恵み深く、苦しみの日には砦となり 主に身を寄せる者を御心に留められる。」(ナホム1の7)

 

 神が私のことを御心に留めてくださっていること。そして、いかなる時にも、砦となり、避け所となり、よりどころとなってくださること。この深い恵みに思い至る時、大きな安心が与えられる。

 

「しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし 聖なる高台を歩ませられる。指揮者によって、伴奏付き。」(ハバクク3の18~19)

 

 神を讃美すること。いかなる状況でも、神を讃えること。聖書の信仰と、他の多くの宗教の信仰との大きな違いは、現世利益の有無に関係なく、どのような状況にあっても、神と共に生きることの喜びが与えられ、いかなる状況でもあるがままに神を讃えることができる信仰にある。神のおかげで、低いところを歩むのではなく、「高いところ(「高台」の別訳)」を歩む人生、勇ましく高尚な生涯を歩ませていただくことができる。 (福岡)

瀬棚聖書集会に参加して

 

                         K.I

 7月13日から15日までの瀬棚聖書集会に、約十年ぶりに参加することができました。

 今回は、吉村さんの配慮で、徳島から京都府の舞鶴、そして、小樽から瀬棚まで、車に同乗させていただきました。その途中で、公共の交通機関では、行くことができない所や景色などと接することができました。

 11日に徳島を出発し、午後には舞鶴市の添田さん宅の集会に、参加することができました。山の奥深い所で信仰を基に農業をされていて、交わりが与えられました。

 その夜から21時間のフェリーの旅で小樽に着きました。長時間の船でしたが、穏やかな日本海で夕焼けも見ることができました。

 3日目は、小樽から日本海側を通って瀬棚までいろいろな景色を見ながら進みました。弁慶岬では、岬の突端まで連れて行ってくださり、青空と海、珍しい植物を含めての緑の大自然を感じることができました。

 今回の瀬棚聖書集会では、「Stand by me 主とともに生きる」というテーマでした。4日間で4回の講話が吉村さんからありました。

 講話の中で第1講話は、「背信の民、苦難の民のそばに立つ神」と題して創世記4章、出エジプト14章からでした。罪を犯した者、その罪が周りの人にまで影響するような罪であっても直ちに裁かず、語り掛けてそばにいてくださる、導いてくださる神様であることが一番印象に残りました。

 ファームステイ(宿泊)は、野中さん宅でした。お孫さんの食膳の祈りが、幼子らしい素直な祈りで、心に残りました。

 瀬棚集会を終えて、札幌集会にも参加することができました。

 そして、大塚さんのお宅に宿泊させていただき、交わりをもつことができました。

 今回の8日間の日程で、神様が作られた自然の中での信仰生活は、より清められたものとなるように思いました。

徳島市

天からの贈りもの

                       K.M

 2017年10月18日午前5時25分、いつもの様に東のドアを開け空を仰いだ。その瞬間、アッと声を上げて息をのんだ。昨日まで長雨で、どんよりとした空ばかりであったのに、今日は美しい空をバックに輝く「眉毛の様な細い月」、右下には明るい「明けの明星」が語りかけて来る厳粛な瞬間であった。

 こんな清らかな風景を見せて頂けた感動を、是非どなたかと共有したい思いに駆られ、「徳島の今のお天気はどうだろうか。近くの友を起こしてしまうかしら。」などと迷っているうち、とうとうこのチャンスをお伝え出来なかった。

 星との出会いは終戦直後父の勤務先に当時珍しい天体望遠鏡が据えられ、よく観望会が開かれた。その都度、父は私を連れて行ってくれ、その道々興味深く星座の話をしてくれたものだった。印象に残っているのは、「アンタレス」の赤さについてや、「白鳥座」はクリスマスのころになると北の空に十字架になる話であった。

 時を経てシナイ山に登った折、人工的な光のない自然の静寂さの中に現れたヘールボップ彗星の光の輝きと尾の太さに大歓声が上がり、また歩く正面にさそり座が現れアンタレスの赤さも明瞭に認識できた事など思い出される。都会の空では見ることの出来ない澄み切った暗闇の中に星座をみつける事が難しい程の満天の星は、モーセもエリヤもこの星をここで見たと思うと、時代をはるかに超えて親しい思いになった。

 最近は「いのちの水」誌により吉村先生から、「時の星空」を紹介して頂ける。初めて夜半「明けの明星」(金星)に出会った時、その明るさに、これまた声を出す程の驚きであった。

 それから「イエスの星」(*)として、早起きしては毎朝祈りをささげて来た。(この星がない時も)。星の瞬きは世俗を離れて、聖(きよ)き天の御声を語り掛けてくださる。

 

*) 金星をイエス様の星という。「わたしはダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(ヨハネ黙示録22の16)

 

 「わたしはあなたの指の業なる天を見、あなたが設けられた月と星を見て思います。

 

 

 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか。

 人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」

              (口語訳、詩篇8の3~4)

 この聖句を心に秘めながらいつも夜空を見上げています。

 

山梨県

森 祐理さんのコンサートに行って

                      K.T

 9月18日に香川県で開催された、森祐理さんの25周年記念コンサートに行く機会が与えられ、ワクワクしながら会場へ向かいました。今回はいつものコンサートと違って

映像をまじえてと聞いていました。

 朗読ミュージカル「三本の木」(テーマ御言葉「そのとき、森の木々もみな、主の御前で喜び歌おう」詩編96の12)というタイトルでした。

 ある山の頂上に3本の木が立っていました。木たちも「それぞれ何になるのだろう、何に使われるのだろうか」と。人間にもそれぞれ夢や希望があるように、3本の木々もそのように夢や希望があったと思います。

 一つ目の木は、宝石箱になりたいと。

 二つ目の木は、大きな帆船になりたい。

 三つ目の木は、高い木になって多くの人に木陰をつくりたいと願っていました。

 三本の木は、立派に成長しました。そこへ3人のきこりさんがやってきて、一本ずつ切り倒して行きました。

 一つ目の木は、木工所に運ばれて、家畜の飼い葉おけに加工されました。のちには、旅人が来て、泊まる宿がなく探していたところ馬小屋があったので、そこに宿をとりました。旅人はお腹に身ごもっていました。そこで産声あげ、飼い葉おけに寝かされるのに使われました。

 二つ目の木は、造船所に運ばれて小さな漁船が作られました。ガリラヤ湖で漁師のふねとして使われていました。ある日嵐が来てどうしようもない状況にあったとき、船に乗っていた人が「嵐よとまれ」と叫ぶと嵐はとまりました。

 三つ目の木は、放っておかれましたが、人のための木陰になりたかったので、本当は切られたくなかったのですが、最後に切られてしまい、十字架に作られました。大勢の群衆の中で一人の人が、皆んなからあざけられ、十字架に釘打ち付けられました。でも3日目によみがえり、復活しました。

 

「主を迎えて。

 主は来られる、地を裁くために来られる。

 主は世界を正しく裁き、真実をもって諸国の民を裁かれる。」(詩編96の13)

 

 1部の讃美の中で「たとえ未来が見えなくても」「十字架より叫び聞こゆ」が、心に残っています。

 2部では、「しあわせなら手をたたこう」の曲で「しあわせなら手をつなごう」と歌ったとき、隣の人と手をつなぎ、私の右の手は、まったく知らない人でしたが、ニッコリ笑顔で手をつなぐ事が自然とできました。それは神様が愛してくださっているからだと、思うことができました。森祐理さんは讃美の終わった後で、両手を高く上げ顔も天を仰いでいたことが印象的でした。

 その日、神様に満たされて帰ってきました。

 その夜、きもちよく眠りについたのですが、朝3時ごろに目を覚まし、なにげなく窓を開けて空を見ると、明けの明星が南東に輝いていました。数分見ていたけど、ベランダ(南)に行って見てみようと思い、空を見ると星がたくさん輝いていました。

澄み切っていたのでもっと見たいと思い、双眼鏡を持ってきてしばらく見とれていました。20分ぐらい今日までのことをいろいろ思い出しながら空を見上げていました。

 小学生の時、湯上りで外にいると母が来て「星がいっぱいだよ」と言ってくれて、空を見上げると「うわーっ」というくらいたくさんの星がきらきらと輝いていました。

 そのころから、月、夕日、星、空を見ることが多くなりました。野原の花もよく見ていたけど、名前はほとんど知りませんでした。父はあけびの熟した実を取ってくれたり、銀杏を拾ってきて、これは中の実はみどりで美味しいといって食べさせてもらいました。

 私は、両親に優しい愛情で育ててもらったのに、成人になって24~5才ごろに、母に「私なんかどうして産んだの」と、母を泣かせてしまいました。その時、母からいろんな事を聞かされて涙しました。神様に出会ってから思い返してみると、母にとって一番悲しかったのでは…。

 今思えば神様は、神様を知らないときから、私を導いて下さっていたのだと思いました。

 残りの人生を主を仰いで歩んで行きます。

徳島市

「病気と社会」高橋宏著に出会って

                       K.N

 無教会文庫に納められているこの本との出会いは、年に一度開催される九重聖書集会に参加した時です。ご自由にお持ち帰りくださいと置いてあったこの本を、何の考えもなしにもらって帰ったのが、この本との出会いです。

 この本の著者である高橋宏さんは福岡市で、1977年より季刊誌「病友」を発行されました。1980年から「新生集会」を始められた方で、医学博士でもあります。この本のあらすじは、「病気と社会」という題名が示すとおり、歴史の中に見る病と社会の関係を実例を挙げながら、詳しく書いてあります。病気が決して個人の出来事ではなく病者は社会が強要した文明の陰の犠牲者であることを、イギリスの産業革命や、日清、日露戦役に我が国の産業革命下での「病気」との関連が書いてあります。また、現代においては、癌ということに焦点を当て癌細胞の自己中心的な、秩序を乱す活動と、人類社会の癌化について述べておられます。「公害水俣病の発生」の小見出しが付いている箇所では、水俣病と「罪」がテーマです。

 「苦難の僕」では現実の苦難の僕としての著者の考えが書いてあります。この箇所では、イザヤ書53章を不特定多数が担った、或いは担わされた苦難を背景にしながら、イザヤ書を読むことにチャレンジし、この世の徹底した倒錯の深さに迫っています。また「生と死」ではサケ、アシタカグモ、ウナギ等の自らの生命を積極的に捧げていく姿が描かれ、我々の未来は、我々の自己犠牲においてのみ、切り開かれていくものであるという重大な真理を学び取ることができます。と結んであります。「キリストエクレシアはキリストの生命の継承が行われるところであり、キリストの生命とはイエス様の十字架の犠牲によって始まったものである」とも書かれています。筆者は本書の序に「疾病を広く生物学、社会科学宗教(福音の立場から)、といった総合的視野から学び直す時、深い真理内容が啓示されていること、それらの真理が疾病の問題を超えて、深く現実社会や文化の問題、更には人生の問題にまで痛切な批判を伴って発展していく事実を、是非読者の皆様に知っていただきたい、と願ったことが本稿執筆の最初の動機です。」とありました。以上簡単にあらすじを書きましたが、家に帰ってからこの本を読み、この序文に書いてある通り、病というものが、社会のありようと深く繋がっていることを知り、驚きました。ローマやアテネを衰退に追い込んだのもペストであることを初めて知りました。軍事力に物を言わせて、異民族を征服、支配していた栄光のローマは当然その代償として、多くの外来病原菌を移入し、悪疫に悩まされた事実を読むとき、果てしない人間の欲望が引き起こしたことを思わされました。また、我々本来に与えられている免疫抵抗の能力は、幾世代をかけての先祖たちの夥しい犠牲と苦闘によるものであることを、「現代文明の罪は、人類が過去に支払わねばならなかった莫大な犠牲の大きさ、重さを正しく知ろうとしない、その高ぶりの姿正こそ、人類の罪が集約されている」という言葉を読んだとき、今まで心にも止めなかった、目には見えない「犠牲」に目が開かれました。人々が観光に行って賞賛する巨大なピラミッドや建物の陰には、重労動に苦しんだ多くの人々の存在があり、華々しい文明の一方には社会の最も底辺で支えてきた人々の犠牲があることを改めて考えさせられましたし、衝撃を受けました。

 そして筆者は「十字架の福音に生きるキリスト者にとって、主の受難と贖罪の現実を抽象的或いは観念的に了解するをもって事足れりとし、この世の悲惨な犠牲的現実に無関心であり、無知であるとするなら、イエスの福音を実生活の中に生き生きと捉えていないことであって、福音を生命としてではなく、教理的か、知的か、あるいは律法的にしか受け止めていない結果であって、深き反省を要する事実ではないでしょうか」と述べています。

 罪とは何か、それは自分さえよければいいという、自分自身のことのみ埋没する心ではないでしょうか。私はこの本を読んで、自分が多くの犠牲に支えられていることを思いました。

 「苦難の僕」の箇所では、この世と神の国の価値の転倒について書かれています、現実の主の僕の特徴は醜さであったと書かれています。この世は美しいもの、颯爽としてかっこうがいいものに憧れ、自分もそうなりたいと強く願います。弱さや、醜さ、病苦そして悲惨な出来事、それをすべて舐め尽くし、人々から軽蔑の目でみられ、無視されている存在こそ実は神の特別なる選び人だと言う事は、何という価値の転倒だろうと思います。私が長年苦しんだ欝病の原因も自分の中に深く根付いている価値観、「人より上を目指し、賞賛されたい」という願望がことごとく打ち砕かれたとき自分の中にあるのは虚しさだけでした、その時言いようのない暗闇の中に突き落とされたのです。それが私の実態であり、今もなお虚しさは襲ってきます。「肉につける思いを十字架につけ、心の中心にイエス様をお迎えすることが、できますように」と祈りつつ、社会に目を向けて人と共に歩んで行きたいと願う者です。(介護福祉士)

福岡市

 「お母さん」と呼ばれて

                       K.M

 二〇一七年八月二六~二七日の両日、京都での第十七回近畿地区キリスト集会に出席したその日から、私の神様は以前よりももっと近い存在になってくださいました。

 その集会で、青森の岩谷香さんと一年ぶりの再会の嬉しさ。その時、岩谷さんが私に「せめて、ひとこと、哲也さんに『お母さん』と呼ばせてあげてください、と神様にずっとお祈りしておりました。」と言ってくださった! そのことばに私は驚愕!思わず声をあげました。私はその時、神の御愛、真剣な教友の祈りを聴いてくださる神の慈愛、慈悲を、宇宙の遙か彼方ではなく、その人、その人の側近くいましたもう神様を知らされました。

 「お母さん」と言ってくれたという、その言葉も、有り難く心にすーっと入ってきました。それまで、「ひと言も発せないあの子に物言えるはずがない」「不思議!」「何で?」の私でした。でも、それは人間の考えでした。

 「神様に不可能はありません。神は万能です。本人が話せなくても、言葉にならない思いを神様は他者を介して言葉として伝えられます。可能です。」と言ってくださった先生を思わされました。

 二〇一七年七月十七日、息子が言ったというその言葉「お母さん」。私の耳では聞いておりません。同じ病室で、いつも、父親のお昼の食事介助に来られる親思いのTさん。(若くて耳も確か)父親に付きっきりのその方が、ちょうど私に話しかけていました。

「あの、わたしは叔父のお葬式に明日、明後日、行ってきます。ここに来られないけど心配しないでね。…うん、足の痛みも少しはラク。大丈夫、行けそう。行ってきます」

と言ったあとで

「あっ!哲也さんが、お母さん、と言った!」

「えっ!いつ?」

「今!今!」

と哲也を指さす彼女。私は振り返って見ましたけれど、うんとも、すんとも…。大きく目を見開いて天井を見ているような感じの我が子。加齢とともに私の耳は難聴。いまいち、実感がない。それと、息子がわたしを呼ぶのであれば、いつも「母ちゃん」で、せっかくのTさんが伝えてくださったそのことに、お礼を言いつつも半信半疑の私でした。

 そして、前文の近畿集会でのことの次第。青森からの祈りの言葉を、四国のもの言わぬ息子が発することができたのだと知らされました。「お母さん」と呼ばれたこと。驚きや不思議ではなく、神の御愛の賜物でした。お昼に病院に来られて、食事介助が終れば帰られる隣のTさんの耳、口を通して聴かされた「お母さん」これぞ本物!

 終日、寄り添い、手足をさすっていても、息子の口の動きの意味がわからないか、声に気がつかない私かもしれない。あっ!神様はそれをご承知で、Tさんの来室時を用いられたのですね。今後「不思議…」「何で…」は私申しません。「それは神様です!」と声、高らかに主を讃美します。「神の御業です!」と。すべて感謝でございます。

徳島市

 主が共にいて下さる

                     S.Y

 昨年十二月と今年七月に、六四年間生きてきて初めて入院、手術を経験しました。病名は心臓の発作性上室性頻脈症 WPW症候群です。

 四十才の時に、会社の健康診断で心電図に異常があると言われていました。時々頻脈があったのですが、多忙だったので大丈夫だろうと勝手に思っていました。年齢と共にだんだん悪くなり、専門の病院で診てもらったら、カテーテルの手術をしないと治らないと言われました。すぐ予約をして昨年十二月に一回目の手術をしました。もう大丈夫と思っていましたが、一か月もたたないうちに頻脈があり、今年の七月に二回目の手術をしました。

 手術前日の主治医の説明で難しい手術と言われて少し不安になりました。

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神、

たじろぐな、わたしはあなたの神

勢いを与えてあなたを助け

わたしの救いの右の手であなたを支える。」

(イザヤ41の10)

「あなたの道を主にゆだねよ。

主に信頼せよ。

主が成し遂げてくださる。」(詩篇37の59)

 このみ言葉に励まされて、恐れずすべてを委ねて受けようと思いました。何があっても主が共にいて下さる。主にある多くの方々が祈って下さっていたので平安がありました。

 手術中は痛みもありましたが、耐える力が与えられ予定時間に無事に終わりました。又起こるかも?と言われているので気をつけています。

 「主の山に備えあり。」(創世記22の14)

 神様はすべての必要を知っていて下さり、思いがけない助けや支えが与えられ感謝でした。病気にならないとわからない気がつかない、自分の罪や弱さを知らされ、神様の憐れみによって生かされている恵みを思いました。

 退院の日の早朝の雨上がり、病室の大きな窓から遠くの山並み、雲の中から大きな虹を二回も見ることが出来ました。神様が共にいて守って下さったことを実感しました。日々祈って下さっている祈りが、大きな力支えになっていました。感謝です。

 私の周りにも病気の方々が多くいます。少しでも覚えて祈っていきたいと思います。

徳島市

 神様の恵みと私の使命

                       S.J

 二〇一七年九月号八月十三日付の集会だよりに「今日一日も意味があって造られている。神に方向転換する時、ただ過ぎていく一日に意味が与えられる。…そのことを毎日の生活で生かしていく必要がある。」とある。この中の ただ過ぎていく一日に意味が与えられる、の言葉が心から離れなくなった。私にとって意味のある一日とは何か。即ち神様のみ心の中を歩くとは今の私にとってどういう事だろうか。折も折 外部からの煩わしい事から解放されて落着く時が与えられ、我家を見渡せるようになった。しっかりしない性格の為か何かあると疲れてしまい何もかもが中途半端に終っていた。屋内屋外問わず片付が出来ていない。この事は以前から気にはなっていたが 今回はっきりと示された。神様に問う。すると神様からの命令ではなく「あなたの思っていることをやりなさい。」と示される。

 応援してハッパをかけてくれているように感じる。畑や家の片付けに、こうして直接神様の息がかかっている事を思うと、やりがいのある仕事となって来ているのである。今の私の使命は家の内外を美しくすることが目標である。時々テレビや新聞等でイラクやケニアで恵まれない子供達の為に尽力している日本女性達の居る事を知らされる。偉いなあ、と感心する。それに引き換え私は自分の事だけで手を焼いている。しかしこの時も祈る特権が与えられている事を示される。田舎で畑の草取りに追われていようとも 全世界に向かってすべての人々に平和が来ますようにと祈ることが許されているのである。有難いなと感謝する。

 二〇一七年六月号の「いのちの水」誌に野草たちの一つ一つの葉の中ではおびただしい化学反応が行われている。とあった。緑、緑である。赤でも黒でもなく誰が緑に決めたのか。野草の花達、一つ一つ個性を持ち、愛らしく美しい色は誰が決めて造ったのかを思い巡らす時、今も天地創造の神様が 生きて働かれている事を実感させられる。天地宇宙を造られた神様は実にキメ細かい心配りをされているのである。太陽から程良い距離にある地球。大気有り、雲有り、水有り、地中のぬくもり有りで植物は育っている。特にこの夏、野草達の著しい成長ぶりを見るにつけ、元気一杯の溢れる生命を圧倒される思いで眺めて来た。オゾン層も用意して私達を守って下さり、誠に私達は守り、守りの中に置かれている事に気付く。私達が無頓着、無関心であろうとも、神様の側からはずっと変わらず、私達に与え続け守り続けて下さっているのである。

 人々との交わりが少なくなった今、自然と共に過ごし、少しでも多く神様の恵みを数えて行きたく思っています。

「骨の折れる仕事や、いと高き方が定められた畑仕事を嫌ってはならない。」(シラ書7の15)

「契約をしっかり守り、それに心を向け、自分の務めを果たしながら年老いていけ。」(シラ書11の20)

 神様にだけ、イエス様にだけ従っていきたい。これが私の本心。

 この言葉を声に出して言えば自分自身に言い聞かせる事になり思わず襟を正す姿勢となる。この気持の連続であれば良いのだが、いつの間にか横道に逸れてしまっている。

 神様の忍耐を思い軌道修正しながら歩んで行きたく思います。

阿波市

「主に信頼できますように」

                       S.Y

 今年の一月に 初めて年頭アシュラムに参加しました。アシュラムとはインドの言葉で[退修]という意味で、スタンレー・ジョーンズ博士によって日本に紹介されたもので、「祈りの生活をもってみ前に自らを整え、今日における主のご委託にこたえんというのがその願いです。」と説明がありました。

 二泊三日、主題聖句「約束によって生まれる子供が、子孫とみなされるのです。」(ローマ9の8)の御言葉を、9章から12章を一人でゆっくり、またファミリーと呼ぶ数人のグループで深く味わい分かち合いました。

 三日目に、ファミリーで祈りの課題を出し合い一年間そのことを祈り合う。というプログラムがあり私は、「いつも、どんな時も神様に信頼できますように。祈って欲しい」とお願いしました。神様より自分を優先し、事あるごとにどうしようと思い悩むのではなく、造り主、贖い主であられる神様をいつも信頼するものでありたい。果たしてこの一年「あーっ、どうしよう」と、ため息をつくことが何度かありましたが、ファミリーの祈りで思い悩む時間が短縮されたように感じます。

 神様、こんな私を今年も祈りの友によって哀れんでくださってありがとうございます!!あなたにより頼むものとしてください。主に感謝します。(高槻聖書キリスト集会)(大阪)

私の信仰と病気

                                         S.K

 私の2017年は病気の連続です。入院が3度あり、病名は精神病「統合失調症」、「膀胱癌」4度目の手術、「胃腺腫瘍」初手術で計3度であります。この中で、精神病が一番厄介で、入院は40日でありました。テンションが上がったり下がったりで不安定でした。ベットの拘束も何回かあったようです。これらの病気でまとめられるようになりましたのは入退院含めて約半年かかりました。

 私は罪深い気の弱い人間のサンプルのような人でイエス様の福音書での癒やしの場面は多くありますが他人事ではありません。この病気(精神病)の医療の世界と、信仰の世界を私にはまとめられません。むしろ難しいです。

 この問題を公表しますのは躊躇いがありましたが、敢えて公表いたしました。私には信仰の世界と切り離せませんでした。それは、医療の世界も人であります。携わる方にも聖霊が働きます。統合失調症が快方に向かいましたのも、10年来精神病ということで通院し、今回血液による検体検査をし、それぞれの薬の効き具合のデータを調べて割り出しました。その処方された薬が私の体に合い、精神状態が安定してきまして、テンションを感じることが少なくなってまいりました。

 半年も読まなかった聖書は読めるようになり、日記ノートも記せるようになり、「祈りの友」の祈りも捧げられるようになり、伝道誌も読めるようになり、記念公園の散歩にも行けるようになり、家族に迷惑をかけていたことも少なくなりました。

 これらのことは、私の努力などで出来ることでなく、「神様、イエス様、聖霊様のお働き」を信じる者には、このような御業がお働きになり、救いの道が無償で価なしに与えられる(ロマ書3の24より)ことを信じ感じさせられ感謝して頂けるようにしてくださいました。

 今号もこうして寄稿できたことを感謝いたします。

立川市

「永遠の命・復活について思うこと」

                       S.K

 

「あなたがたは、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」(Ⅰペテロ1の23)

「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」(Ⅰペテロ1の24~25)

「だれでもキリストにあるならば、その人は、新しく造られた者である。 古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。」(Ⅱコリント5の17)

「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1の1)

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネ1の1~4)

「すると、玉座に座っておられる方が、『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また、『書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である』と言われた。また、わたしに言われた。『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。』(黙示録21の5~6)

 

 とくに渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。の値なしに…ただ神の、神によって、「神の側からの愛によって」を不思議に思っていました。

 変わらぬもの神からの愛の律法、神の御心(神のことば)を仰いで救われること。

 神はその御心(ロゴス)によってすべてを創造されすべてを新しくされました。

父なる神、み子、聖霊は神の御心(ことば)に集約されその源であることから、みことばを愛すること、イエス・キリストを喜ぶこと、信じることは(ともにあるまた居る)という神が望まれた真の御心を状態を叶えてくれるもの…。

 人の思いでなく、ただ神の言葉が成る。すでに神が用意され、運び、完成させていただいていることを思わされます。

 私たちはただイエス・キリストを喜ぶこと(感謝)、賛美すること(祈り)が力であり、イエス様(復活)ご自身を与えていただくことだと思うこの頃です。

 主に感謝いたします。アーメン。(鍼灸師)

徳島県

あきらめずに祈る

                                   S.M

 詩編61編3節、マタイ福音書12章38~42節を学んで、絶体絶命に追い込まれたヨナが全能の神様の力を信じて祈ったようにあきらめず祈ります。また南の国からソロモンの英知を聞くために訪ねて来たシェバの女王のように神様の英知を求めて日々をおくります。ごく身近に居る家族や仕事で関わる人たちに苦しめられても、その人たちのためにともに救われますようにと祈ります。

 神様は私の味方になって下さり祈りを聞いて下さると信じます。

(徳島)

「イエスの招き」

                        S.H

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすればあなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11の28~30)

 

 イエス様のこの招きの御言葉を感謝して受け取りたいと思います。日々なにかしら苦労があって悩みや苦しみは尽きないからです。心も身体も魂にも安らぎを与えてくださるイエス様の元に日々全ての重荷を下ろしたいと思います。そして、イエス様の軛を負ってイエス様に学び続けたいと思います。

 軛とは、2頭の牛を繋いで農作業を行うための物だと理解しています。

「わたしの軛は負いやすく荷は軽い」との御言葉だから、聖霊の源であるイエス様に導かれながら歩めば良いので努力の必要もないはず。ただ、いっしょに繋がれているので、イエス様と違う方向へ行こうとする時には激しい痛みが生じることも学びました。               (三療師)(徳島)

「取り去られ与えられたこと」

                                    S.M

 個人の病気については、あまり公にしない方が良いのかもしれない。しかしイエス様は病や盲目で苦しむ人について、「神の業が現れるため、また神の栄光のためにあり、もし信じるなら神の栄光を見る。」と言われた。事実ラザロを死から復活させられ栄光を現された。病気の苦痛(イタミ)や人生の患難(ナヤミ)は大小はあっても誰にでも起こり得ることなので、わたし個人に生じたことではあるが、人生の「実験結果」を分かち合いたいと思う。(ヨハネ9の2、11の1~43)

 二〇一七年一月末、急性心筋梗塞で救急搬送された。肺まで影響が及び三日間意識が遠のく危機を通った。意識が戻ったものの、心筋梗塞が引き金(がね)となり脳梗塞を発症し障害が残った。生還できたことがありがたい。感謝。体は衰えてはいるが、歩行可能。両手も使える。会話もできる。だが、この障害が実際何を意味するものか告知されていなかった。心中不安あり。退院して再び働きたいという願いと極端な体力低下と回復の希望や不安とが入り混じった状況を抱えたまま二か月間入院した。

 自由を狭められた病室でイザヤ書を学んだ。エルサレム神殿と城壁を徹底的に破壊され、バビロンへ捕囚されたユダ王国の民。絶望の底の中で罪を悔い改めた。暗闇のただ中で「帰還と救いの光が必ずもたらされる。」との希望と確信がこの私にも迫って来る。囚われの地の五〇年の不自由な生活と私の入院生活が鮮明に重なって見えて来た。

 神はアブラハムに語られたとおり五百年後エジプトの奴隷であった彼らの子孫を救い出された。そして三百年の後カナンの地と栄光のダビデ王国まで与えられた。しかし王たちも民も神の戒めに背き続けて来た結果、二〇代五百年近く続いた栄光の王朝もついに絶えた。(列王下24の18~25の12)、歴代下36の11~21。

 裁きがこの私の身にも生じた。何回も警告されていたにもかかわらず、警告を無視し続けた結果である。審判が下され国が滅び囚われの身となって、初めて自分たちの大きな罪に気付いた。二三歳から現在までの四〇年間。自分を振り返りながら悔いて天井を見上げた。「わたしを仰いで救いを得よ。」と迫って来る。(イザヤ45の22)回復の期待と不安を持ちながらイザヤ書を学んだ。

 退院前、医師から次の二点が告げられた。「車の運転はダメ。脳のダメージが大きい。」と。傷ついた頭を更にガーンと殴られ、残響が留まったまま退院した。

 復活の春四月、苦難と不自由な現実を持って家に帰った。退院できて感謝。しかし今まで当たり前であった自由が大幅に狭められた。誰にも理解されない患難は解消されないまま沈んだ日々がしばらく続いた。

 七月末、天使が遣わされた。「お前はもう復活したんだよ。萎えた手と弱くなった膝をまっすぐにして立ちあがれ。そして自分の足で大路をまっすぐ前に進め。」と。励まし慰め勇気をもらった。(ヘブライ12の12、イザヤ35の3)病の苦痛、神の裁き、そしてどん底からの復活。イエス様はわたしの苦痛(どん底)どころか十字架の死にまで低くなられた。イエス様の光を通して自分の状態を見るとそれは神のご意志だ。

 今回の裁きは古い自分に死にキリストと共に生きよとの神の言葉(コロサイ3の9)。体はちょうどうまい具合に衰えている。機能しない部分もあるが、ほとんど変わっていない部分もある。もうしばらく生きるだけの寿命も与えられた。エッサイの株は残された。(イザヤ11の1)

 不従順なユダの王と民は捕えられバビロンへ連れ去られたが全くの奴隷ではなく、ある程度の自治と自由は残された。イザヤ、エゼキエルに示され約束されたとおり、憐みによりキュロス王を用いて民を立ち上がらせ祖国に帰還させた。神の大路は既にあった。しかも我々異邦人のためにも。(ローマ9の24)

 「わたしの方を向いて進め。それで十分だ。むしろ生きて私の栄光を現しなさい。」と。わたしは主の栄光を証しするのにちょうどいいあんばいで還(かえ)されたのだ。わたしの人生の実験とイザヤに示された神の言葉とを重ね合わせながら神の業を証ししていこう。

 「人はみな草のようだ。草は枯れ花は散る。しかし主の言葉は永遠に消え失せない。」(Ⅰペトロ1の24~25)「わたしが道、真理、命である。」(ヨハネ14の6)

〒387‐0015 

長野県

「赦す」ということ

                      H.M

 ある「聖会」で「キリストの十字架」について語られた。

 

――コリー・テンブームというオランダ人の女性は、第二次世界大戦時に家族と共に約800人のユダヤ人、反ナチス活動家の命を救った人である。しかしとうとう、家族全員が逮捕される。父親と兄は獄中で死亡し、コリーと59歳の姉ベッツイはドイツのラベンズブルック収容所に送られ、そこで姉はやせ衰え亡くなる。コリーだけ奇跡的に釈放された。終戦後、彼女は各国を回り、神の赦しや人との和解について伝道活動をする。ある日、ドイツのミュンヘンにある教会でコリーは「神は我らを憐れみ…すべての罪を海の深みに投げ込まれる」(ミカ7の19)についてのメッセージだった。

 礼拝後、一人の男性が寄って来るのが見えた。その男は忘れもしない、ラベンズブルック収容所で最も残酷な看守の一人だったのである。姉と一緒にその男の前を全裸で歩かされた恥辱の記憶が甦った。その男にも苦しめられて、ベッツイは死んだのだ。

 その男は「わたしはその後クリスチャンになりました。神が罪を赦してくださることは有難いのですが、あなたの口からも聞きたいのです。赦してくれますか?」と言い、手を差し伸べた。

 幾度も赦しの大切さを語ってきたコリーは凍ってしまう。怒りと復讐に燃えた思いが心の中でぐるぐる回る。同時に、自分の罪深さを痛感する。キリストがこの男のためにも死んでくださったので、イエスより壁を高くするつもりか?と自分を責める。コリーは、手を上げるように必死に努力したが、無理だった。心の中で叫ぶ…「主イエスよ、わたしはこの人を赦せないのです。主の赦しを与えてください。」そしてぎこちなく、ただ機械的にコリーはその男性の手を握った。そうすると、信じがたい事が起こった。肩に電流が流れ出したかのように、イエスから来る赦しの愛が腕を伝わって走り、コリーが握手した手に溢れたのである。涙を流しながら彼女は言った。「兄弟よ、あなたを赦します、心から赦します。」

 コリーはその時のことについて書いた。「それは決してわたしの愛ではないことを悟った。たしかに努力はしたが、わたしには力がなかった。」イエスの赦し、イエスの優しさが与えられたのである。

 わたしたちはコリー・テンブームよりもずっと小さなことで人を恨んだり、怒ったり、赦せないという思いを抱く。しかし、怒り、恨み、憎しみは私たち自身を毒してしまうし、みんなの幸福を妨げる。そういう時、コリーを見習って祈ろう…「主イエスよ、わたしはこの人を赦せないのです。主の赦しを与えてください。」

 熱心に祈り求めるならば、イエスは必ず不可能と思われることでも可能としてくださる。十字架の愛の勝利はそこで現れるのである。――「司祭:ケビン・シーバー「人を赦すことができる」より引用」

 

 私はメッセージに深く聞き入っていた。私の中に、人の道理からしてもどうしても赦せない、また今後も深く関わらなければならない人が浮かんだ。感情では赦すことは難しいけど、主の赦しの祈りを捧げ、聖霊に従おうと魂に教えられた感謝な時となった。

松江市

神の光

                       T.H

 「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。

 『光あれ。』

 こうして、光があった。」(創世記1の1~3)

 

 全ての人に光は注がれています。全ての人がその光をみることができますように。

鳴門市

「こだわり」

                    T.H

 得か、損か

 上か、下か

 内か、外か

 先か、後か

 大か、小か

 長いか、短いか

 早いか、遅いか

 数字が踊る。

 目が奪われる。

 グルグル、グルグル、相対の世界。

 自らを縛り、回り続ける。

 

 解き放て。

 解き放て。

 広い、広い宇宙へ

 高い、高い未来へ

 満ち、満ちている主のもとへ(エレミヤ23の24)

 唯一絶対の神の国へ

 自らを解き放て。(詩25の17)    (岡山市)

黒人もみんないっしょ

                       T.M

 イングリッシュキャンプで私の学校のALTの先生が来ていました。その先生は黒人ですが、他の先生はほとんど白人でした。

 先生たちは私たち子どもを見て、とてもにこにこしていました。でも黒人の先生が話をしていたとき、白人の先生たちは冷たい顔をしていたので、私は傷つきました。黒人だからって何が悪いのだろうと思いました。

 後日、小学生新聞を見て「黒人差別、米国の悲しい歴史」という題の記事があったのでとてもおどろきました。

 白人が一番すぐれていると考える「白人至上主義」の人たちの運動が問題になっています。トランプ大統領は「両方悪い」と発言し、批判されました。みんないっしょという平等主義「リンカーン、キング牧師、オバマさん」という記事もありました。

 私の学校のALTの先生は、私にとってとても良い友達です。                    (小学校五年生)

鳴門市

ライオンはやさしい

                        T.Y

 ダニエルの本が好きです。どうしてかというと、ライオンはダニエルを食べなかったので、ライオンはやさしいと思いました。

 ダニエルがかみさまにおいのりをしていたから、かみさまはライオンに食べないでといいました。ライオンがかみさまのことをきくなんて、ふしぎだなあと思いました。(小学校二年生)

鳴門市

 我家の讃美礼拝

                      T.Y

 「ああうれし、わが身も 主のものとなりけり

 うき世だにさながら あまつ世のここちす

 うたわでやあるべき すくわれし身のさち

 たたえでやあるべき みすくいのかしこさ」

(讃美歌529番1節)

 これは義母の愛唱歌である。

 昨年の暮れから義母の下で讃美礼拝をすることが日常となった。それまでは、共に教会で礼拝に預かれていたのが、昨年の12月に転倒骨折により人工骨頭置換の手術を受け、2週間の入院治療。リハビリでまたなんとか歩けるようになり、医療と介護関係者を驚かせるほどの奇跡的な快復を見せたものの、外出には車イスが必要となった。そこで、教会礼拝はあきらめ、義母の下で家族だけの讃美礼拝をするようになった。

 義母の病気がわかってから10年、義母を囲んで毎月1回自

宅でしていた讃美歌を歌う会がまた始まったような感じである。自宅での時はピアノ伴奏に合わせて声高らかに讃美したが、今は義母の声を聴きながら義母が歌えるようにアカペラで小さな声で義母のペースを気にしながら讃美している。メロディのわからない歌は義父に歌いだしのメロディをきき、思い出して歌いだす。夫の先取り歌詞とで義母も歌いだす。10曲ほど讃美してから、内村鑑三の「一日一生」を夫が読んでくれる。そして主の祈りを皆で唱え、最後に義母の愛唱歌讃美歌529番を讃美して我家の讃美礼拝は終わる。

 1週間1週間とこの讃美礼拝がなんとか無事に終えられると何かほっとして、その週の始まりを意識する私である。

 そして、この讃美礼拝が義母が天に招かれるその折まで続けられますことと、私自身も天に招かれるその折まで主の祈りを唱えられるように、日々心を込めて一言一言を魂に刻む祈りができますようにと祈り願っている。

 

「悪しき者は悲しみが多い。しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。」(詩編32の10)

「神は神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ8の28)(京都)

贈り物の本二冊から

                       T.R

 「わたしは決してあなたをひとりにしない」サラ・ヤング著の本から心に残ったところは他にもありますが、特に現在の私の心情を支えてくれるところは10月29日のところです。この本は、一年三百六十六日、一日ずつメッセージが記されています。

 10月29日

 わたし(主イエス)のもとにしばらくとどまっていなさい。今日の活動に飛び込んでいこうとする衝動の手綱を、ぐっと引き締めて…。

 あなたの一日をわたしとふたりだけで始めることは成功の備えには欠かせないものだ。

  中略

 今日、あなたに何が起こるかは、わたししか知らない。

 わたしは、あなたが道を進んでいくときにそれらの出来事に遭遇するように計画した。

 もしもあなたが旅の備えを適切にしていなかったら、あなたは気力を失い、疲れ果ててしまう。

 わたしがあなたに活動の備えをしているあいだ、わたしと一緒に心を休めていなさい。

 

 「賛美の力 POWER IN PRAIZE」マーリン・キャロザース著「第六章 不平よさらば」より

 不平をやめてキリストにあって喜ぶこと、それによってはじめて私たちは暗い世の中にあって「いのちの言葉」をかかげて、灯台の光のように輝くものとされるのです。このことはピリピにおいてそうでしたし、(ピリピ2の14~16、同3の1)今日もそうなのです。つぶやくことをやめて、まわりに見られる暗いこと、ゆがんだことのすべてを主に感謝しようではありませんか。そうすれば、神の光が暗闇に輝いてくるのを見ることになります。

 

 本当にそのように意識して生活してみると、説明できない開放感がありました。なかなかいつも上手く出来ませんが、そのことを意識する努力をしています。確かに心も身体もこれまでと、一日の疲れのようなものが違って感じられます。何という恵み!

 この二冊の本はK・Tさん、Y・Nさんからの贈り物です。

 神さまにこの二冊の本のすばらしい恵みと、すばらしい信仰の友を感謝いたします。 

鳴門市

「わが愛に居れ!」(ヨハネ15の9)

                        S.K

 このみ言葉は、今年何度も聞く機会があってその都度、とても慰められ励まされました。

 「いのちの水」誌4月号でも、また6月号P3でも、キリストの愛の内にとどまるとき、私たちの内から自然と恐れは消えていくからである。とは、本当だと思い信じました。

「わたしは常に主をわたしの前に置く。

主がわたしの右にいますゆえ、わたしは恐れない。それゆえ、わたしは喜び、平安である。」(詩編16編より)

 このみ言葉も、今年時を同じく、2度聞くことがありました。とても不思議と力が与えられ心に覚えておきたいみ言葉となりました。

 これまでの人生を思うと、いつも悲しみの中、心の中で「いつくしみ深き」を自然と歌っていました。小学生の頃から、そして、深い悲しみの時、その「いつくしみ深き」を封筒に折らずに入る大きさにきれいにコピーしてお手紙とともに贈ってくださった信仰の先輩もいらして、いつもこの賛美に励まされ、本当に慰められて来たことに感謝します。

 最近「心の讃美歌・唱歌」大塚野百合さん監修の本に出会って、いつくしみ深きを作詞したジョゼフ・スクラィヴィンが幾度も人生の悲劇にみまわれたからこそ書けた賛美だと知りました。野百合さん訳の一節を紹介いたします。

「なんと素晴らしいことでしょうか。主イエスが私たちの友人であり、私たちの罪と悩みを負ってくださるとは!祈りによってすべてのことを神に打ち明けることができるとは、なんという特権でしょうか!しかし、なんとしばしば私たちは平安をうけそこない、無駄に心を痛めることでしょうか、すべてを神に打ち明ける祈りをしないゆえに」。

 『マザーテレサ日々のことば』10月19日に

〝神がいかに謙虚でおられるかということに心を打たれます。

神は、神であるにもかかわらず、しもべの姿をとっておられます。今日もなお神は、私たちのように弱く不完全な道具をお使いになることで、ご自分の謙虚さを示していらっしゃるのです。

神は、私たちを通して働いておられます。

ですから、心に喜びを持たなくてはなりません。喜びと謙虚さは両立できるのですから。〟

 これはずっと前から、私が励まされてきた日々のことばの一つです。

 最近私たちの集会で、マタイ9の35~38の所を学びました。(このためにMP3を急いで送ってくださって感謝でした。)

 そこで「主イエスが、深く憐れまれた」ということ、その意味には「はらわたが痛む」という意味を持っているそうです。私たち一人ひとりを本当にはらわたが痛むほどの深い愛をもって今も、憐れんでくださるとはどんなに感謝なことでしょう。この主イエスのつらさは私たちの言葉では言い表すことのできないものであったに違いありませんが、主は弱りはて打ちひしがれている群衆の中にご自分が倒れこんで、そこで初めて、「共に立とう、あなたも神の力によって癒されて居るのだ」と声をかけてくださる。『主イエスの十字架というのは、他の誰よりも罪びとになられたことだ』と、改革者ルターは説明したそうです。共に悩むというより群衆よりももっと低いところに立って下さった。主は私たちの愚かさをよく知っていてくださり、その上でこよなく愛して下さり、その愛によって罪のために死んでいた私たちをイエス・キリストの十字架によって、恵みによって救ってくださったことを再び深く思い本当に深く慰められました。

 人はみな「その人にしか分からない苦しみ方で苦しむと。C・Sルイスが妻との死別を背景に書いた「悲しみをみつめて」の中での告白に〝わたしは誰の言うことも耳に入りにくい。あるいはたぶん、耳に入れようと思いにくいのであろう。だれの言うこともまるで興ざめだ。それなのに、わたしはほかの人たちがまわりにいてほしい。…わたしには話しかけずにいてくれるだけでいい〟と、人が悲しみにある時、それがいかなる場合であっても、たとい周りの慰めや励ましなどを拒絶しているように見えても、人の心の奥深くには「ほかの人たちにまわりにいてほしい」という切実な願いがあるということ、この心の事実を知って、私たちのできることはほんの一滴にもならないかもしれませんが、周りの人たちの為に祈り、少しでも、主の真理を神様の愛を生活の中で伝えていくことをさせて頂けますように、日々聖書のみ言葉に聞き従いたいと思いました。

「主が『あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない』」(ヨシュア1の5)のみ言葉を思いながらまた祈りながら友の傍らに立つこと、諦めないでその実践に努めたいものです。

 

 アイルランドに伝わる祈りを最後に紹介したいと思います。

友よ、あなたの行く手の道が、

身を起こしてあなたを迎えるように。

風が、あなたの歩みを励ますように。

太陽が、あなたの顔を暖かく照らすように。

雨が、あなたの畑をやさしく潤すように。

私たちがふたたび会う日まで

神が、あなたを大いなる掌のうちにおいてくださるように。

 

(ヴェロニカ・ズンデル編/中村妙子訳『祈りの花束-聖書から現代までのキリスト者の祈り』)

どんなことが起こっても主イエスさまをしっかりみつめて天国まで導かれていきたいです。

(仙台市)

思ったこと感じたこと 

                        T.S

① 私は迷えるユダヤの民と同じだ

 聖書を読んでいて、自分はその主人公の位置から読んでいた。しかし、現実を振り返ると情けなくなる時があり、気がつくことがある。

 神様の愛に感謝する心で満たされていたはずなのに、些細なことで元の自分が頭を出してしまう。神様から目が離れ、自分中心になって自分の気持ちや考えでいっぱいになっていることに気がつく。自分の義を振りかざしている自分がいる。神様に愛されているのに何度も何度も裏切り、試練を通して、悔い改め神様の方に向きを変えるユダヤの民と同じだなあと気がつく時がある。

 神様はそんな自分にも信仰を与えてくださった。そんな自分を何度も立ち返らせてくださっている。神様の愛を感じる。こんな私を神様が愛し続けてくださっている。

 神様、ごめんなさい。そして、こんな私を愛してくださりありがとうございます。

  思い煩うのはやめなさい

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝と祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ書4の6~7)

 日光オリーブの里のアシュラムに参加した。フィリピ書を静聴の時に黙読をし、恵みの時に分かち合いあった。その中で特に心に響き、今でも心に残った聖句が、フィリピ書4章6~7節である。

 思い煩いがちな私。思い煩うのは止めなさいという。神様に感謝と祈り願いをささげ、さらに求めているものを正直に神様に伝えなさいという。心の中にある神様への感謝も願いも求めている物も神様に包み隠さず全て正直に打ち明ける時に、与えられる神様の平安。自分の根本にある心と考えをイエス様を通して守って頂けるとのことである。

 人間関係ではあり得ない。建前と本音の使い分けや忖度などと混じりっけが全くない、澄み切った心の内。素直に打ち明けて、わだかまりも思い煩いも何もなくなった秋の澄んだ空のような心となり、神様の平和が訪れてくれるという。なんと恵みに溢れた言葉だろう。澄み切った心を思い浮かべると、心に力が与えられ平安になってくる。

③ 神様の導きに感謝

 以前の私は神様の存在を信じられなかった。神様を心から礼拝することができなかった。祈ることができなかった。

 今、私は神様の導きで信仰が与えられた。神様を信じて祈ることができる。礼拝に参加し御言葉を真実だと心から信じて受け取ることができる。

 神様、礼拝を通して聖書の御言葉の意味を説き明かしてもらえることに感謝しています。

 神様、神様の愛の広さ深さ大きさに触れて、心に力と勇気と希望が涌いてきます。

 神様、不安の黒雲が消え、私の心は神様による平安で満たされていきます。 ありがとうございます。

千葉県

心に残る聖句

                      T.Y

 「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」 

                (マタイ10の30)

 掃除をしている時 また寝ようとするとき枕を見ると髪の毛が沢山落ちています。今までは全く気にもしていなかった事でしたが、この聖句を学んでからは、私の髪の毛まで神様は見ていてくださると思うと、うれしくなり「神様ありがとう そして感謝します。」と祈っています。

 「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。」(Ⅱテモテ2の8)

 Remember Jesus Christ!(覚えておきなさい、思い起こせ)と言う言葉が自分が迷っている時、困っている時、悩んでいる時 いつも頭の中で浮かんできます。(主婦)

徳島県

 十月中旬に

                      T.M

 十月中旬に、長崎を旅行した事が心に残っています。長崎・平戸・天草・島原。

 映画「沈黙」を見て、その場所を訪問し、250年もの長い間潜伏して信仰を固く守っていた方たちの事を知りたかったからでした。

 たくさんの立派な天主堂(教会)があるのです。澄んだ青空の中に建っている姿は本当に美しかったです。窓にはステンドグラス、煉瓦作りの重厚な壁。けれども資料館や遺産館に展示されていたものは見ているのも辛いものがありました。

 天主堂では朝早くからミサが行われ、昼も毎日ミサがある、という事を知りました。天主堂の中の見学は自由でした。天草の天主堂では「ミサが始まるまでに5分あるから早く見学していらっしゃい」と言われました。すると3~4人の方がすでにおられました。「○○さんはまだ来ていないね~」と一人の方が話していました。

 こうして毎日毎日、近所の方たちが集まり、心を一つにしてお祈りをしている姿をみていると、昔から続いているこうした祈りが一人ひとりを支え、共同体を支えているんだ、と思いました。

 ド・ロ神父(1800年代)が始められた救助院を見学した時。ド・ロ神父が自国から持ってきた大きな時計が今でも時を刻んでいました。15分ごとにチャイムが鳴るのです。

 その時、働いている人たちはそのチャイムを合図にお祈りをするのだそうです。15分おきのお祈りとは殆どいつも心を神様に向けている事だと思いました。「お祈りをする訓練だったのですね」と説明して下さったシスターが言いました。

 ある資料館では隠れキリシタンの方の祈りの声が流れていました。主の祈りのように決められた言葉を祈るのです。

 人家から離れた藪の中に2~3人の人がしゃがんで入れるような岩がありました。「祈りの岩」といって人目を避けて祈っていた所だったそうです。

 「祈って信頼すること」がどれだけ多くの人に力を与えて下さったかを深く考えさせられた旅でした。

市原市

中秋の名月

                        T.K

 中秋とは旧暦八月十五日。空気が乾燥して月が鮮やかに見え、夜でも寒くない、旧暦八月十五日と九月十三日の夜が最も月見に良いとされていたそうです。今年の中秋は十月四日。天

候にも恵まれ大きな美しい月でした。名月と言うに相応しく七色の光を円状に放っていました。

 十二年前の九月、夫が亡くなった直後が中秋で、満月がとてもきれいだったのを覚えています。それ以後、毎年中秋の名月は心にとまるものでしたが、こんなにしげしげと眺めたのは初めてです。

 というのも今年、人間ドックで思いもよらなかった生活習慣病や器官の不調を複数指摘され、これはいけないと夜、歩き始めました。毎晩歩き続けるうちに自然と空へ目が向き、月や星を眺めるようになりました。星座は残念ながらよくわかりませんが、月は鮮やかです。月って毎日こんなに満ち欠けするのかと初めて知り、新鮮な感動を味わっています。形、大きさ、色、見える方向、高さ…は毎日異なり、流れる雲の合間に見え隠れしたり、また覆われた雲の中から光を放っていたり…表情は豊かで尽きることはありません。

「今夜の月はどんなだろう。」

 歩き始めて四ヶ月。身体の黄信号は良くなったか確認していませんが、今では月に誘われるような気持ちで夜になると外へと出かけています。

 テレビもパソコンも電気も車もなかった昔、人々はゆっくりと月を見上げ、虫の声を耳にし、キンモクセイの香りをかぎ、自然との対話の中に身を置いていたのでしょう。

 私も秋の夜長、細く静かな、しかし確かで途絶えることのない神の声、「わが子よ」と語りかけてくださる声に耳を澄まし心を澄まし「はい、お父様」と応えてゆきたいと思います。                        (徳島)

「私の弱いときこそ」 

                                                T.E

神の力は私の弱さのなかに

神の力は完全にあらわれる

私の弱いときこそ私は強いのです

私の弱いときこそ私は強いのです

 

 この讃美は武 義和さんのCDの中にあります。

 私がよく口ずさむこの讃美は次のみ言葉から生まれています。

 

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(Ⅱコリント12の9~10)

 

 今年私は讃美ができない時が二か月あまり続きました。六月初めに軽い風邪をひきました。微熱程度で鼻水も喉の痛みもないのに咳だけがずっと残りました。病院で医師からは風邪の後遺症で人には移らないですと言われました。咳止めの薬を飲みました。薬で咳が止まってきたのですが、その副作用で吐き気が出て胃の痛みが出てきました。薬をやめたらまた咳が出てきました。夜になるとそれがひどくなり突きあげるような咳で体全体で咳き込みました。咳で脇腹が痛くなってきました―咳が長引いたので肋骨に疲労骨折が起きました。長く続くので念のため肺のレントゲンを撮ってもらいました。特に問題はなく、加齢ですねと言われました。加齢と言われたらどうしようもないから、とてもがっかりして、これはずっと続くのかもしれないと心が重くなりました。

 自分の体に対してメンテナンスができていないと思ったし、夜眠れないときに自分の隠れた罪を知らされ主の憐れみを祈りました。

 私の仕事は鍼治療をしながら聞くことが大切なのに私が話をしすぎてかえって心の重荷を軽くしてあげられないことがよくありました。人と話をしはじめると咳が出るので、苦しかったけど、患者さんと接するときはいつもひたすら聞くことが中心になりました。また礼拝に参加して声を出すと咳が出るので、ずっと讃美もできず、みんなの讃美を聞かせてもらっていました。

 八月の京都での近畿集会で一緒に讃美しましょうと声をかけてくれていた兄弟にも「まだ声が出ないから難しいです。祈ってください」とお願いしました。身近な友にも頼みました。不思議にギリギリ十日ほど前になり咳が止まって声が出て、当日に何とか讃美ができました。ずっと周りで祈ってくれていたから、私の弱さを主が憐れんでくださって良きようにしてくださいました。讃美が好きな私です。いつまで続くのかと不安もありましたが、讃美ができない人のことを思わされました。

 癒されなくても受け入れなければならないのに主にお任せし癒されました。そしてこの二か月あまり主からいただいた沈黙は恵みだったと知らされました。これからも何が起きても主は「私の恵みはあなたに十分である」とのみ言葉を思い出し感謝に変えていただきたいと思います。(鍼治療院 天宝堂)

徳島市

夫を天に送って

                        T.K

 もう半年が過ぎた。時の流れが早かったのか遅かったのか? たとえ寝たきりであっても、私の大きな支えであった。「おはよう」から始まり、「お休み」と言葉を交わす相手がいなくなり、食事には文句を言われたり、口喧嘩も出来なくなった。一人ぼっちになった私は、神様の事は何処へやら、こんなに早く、何の前触れもなく、静かに、天に召されるなんて、全く思ってもみなかったことでした。新聖歌426番「世には良き友も」の3節に、(死ぬる間際にもそばにいて、いと安かれ)とある。「神様なんて…」と言っていた夫といつも側にいて夫をも支えていて下さったのだと確信しました。

 寝たきりの夫を残して私が天に召されるのは、夫には残酷過ぎるので、夫が先に天に召される事は私たち夫婦の希望でもあった。また夫の希望通りに「コロッと」逝ってしまった。また私の願いでもあった、最後まで家で看ると言う事もその通りになった。様々な事も神様のなさる事は時にかなって美しいとある。全てはその通りなのだ。それに不平を言う事はないのだけれど、心の準備も出来ていなかったし、やはり自分の事を思うのでとてもとても辛かった。小さな目標を見つけては(この時までは頑張ろう)とそして前向きに歩もうと過ごして来た。

 今まで参加出来なかった集会にも参加出来るようになりました。早速 北海道せたなでの集会に参加出来ました。私一人では決して参加出来る事ではありません。私は目が悪いし、今まで生きていて一人で旅行するなんて一度もなかったのです。夫が元気な時には、実家へも、私の友達の所へも夫と一緒だったのです。こんな私を連れて行って下さって本当に感謝です。おまけに舞鶴での集会に参加をすると言う機会も与えられました。

 瀬棚での集会のテーマは「Stand by me 主と共に生きる」でした。証しの時もあり、私がその証しの一人でした。ちょっと辛いし、きついなあと思ったのですが、その中で私は示されたのです。35年前の交通事故、あの最も悲しい辛かった時に、神様を知らなかった私の叫びを聞いて下さり、私を支え導き続けて下さった神様が、今も私を支えて下さり、絶対に神様は私を見捨てる事はなさらない。これからもずっと、主が共にいて側に立って下さっているのだ。何も心配する事も恐れる事もないのだ。と Stand by me 主は私と共にいて下さるのだ。

 瀬棚ではファームステイをさせてもらった。とても温かく迎えてもらい感謝でした。懐かしい牛との面会(私の実家では子供の頃に牛を飼っていた。)北海道に親戚が出来たように思わされた。銀世界にも行って見たい。

 帰りには札幌での「札幌聖書集会」のお交わりに参加出来た。遠く離れて住んでいても、神様にあるお交わりは特別なものがある。

 夫を看る事が神様から与えられた私の使命だと思っていた。その使命が終わって、どうするの? 何をするの? との思いもあり、私が願う思いは神様の思いとは異なる事かも知れませんが… 神様の方へ向いていれば、たとえどんな事が起ころうとも、最善を成して下さる事を信じて残された人生を歩んで行こう。夫との再会が出来る時まで。

徳島県

マザーテレサの詩より 

N.N

 「私は信じ切っていました。」

 

 主よ、私は思い込んでいました。

 私は心が愛に漲っていると、

 でも、心に手を当ててみて、

 本当に気づかされました。

 私が愛していたのは、他人ではなく、

 他人の中にいる自分を愛していた事実に。

 主よ、私が自分自身から解放されますように。

 

 主よ、私は思い込んでいました。

 私は与えるべきことは何でも与えていたと。

 でも、胸に手を当ててみて、

 真実が分かったのです。

 私の方こそ与えられていたのだと。

 主よ、私が自分自身から解放されますように。

 

 主よ、信じ切っていました。

 自分が貧しいものであることを。

 でも、手を当ててみて、

 本音に気付かされました。

 実は思い上がりと妬みとの心に、

 私が膨れ上がっていたことを。

 主よ、私が自分自身から解放されますように。

  

  マザーテレサの詩?一瞬疑いたくなる詩です。

 でも、神のみ前に立たされて、自分が思い込んでいたことが次々に露わにされ、救いを求める正直な告白の詩に、マザーテレサも人間だった、同じ罪に泣く赤子だったと、むしろほっとさせられています。

 主よ、私も自分自身から解放されますように、と祈れる者にしてください。

(八王子市)

神の愛

                       N.K

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。

わたしの愛にとどまりなさい。

わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、

あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」

(ヨハネ15の9~10)

徳島県

「いつも喜んでいなさい」

                       N.K

 9月礼拝記録 列王記上19の1~8「静かなる細き声」を聴いた。徳島の吉村さんは50年前神様の不思議な導きで一冊の本からキリスト教信仰が与えられ、さらにこの「静かなる細き声」の講演を聴かれ 信仰の道を歩まれるようになった。以来この神様からの声は絶えることなくその歩みの中に息づき、力と平安を与えられ続けておられる。それを見れば主イエス様に出会われた時から今日までこの世の様々な勢力からの反対や妨げにあっても、主が導かれてきたのがわかる。

 人はひとたび聖霊を与えられると、使徒行伝での使徒の歩みのようにすべてこの世の楽な生活より孤独であっても、神を仰ぐ道を選び伝道の道を歩んでいく。歴史の中でもこのように主からの声を聞き 従う道(それがいかに迫害と死が待ち受けているような道であっても)を選んできた人々がいた。そうした方々の働きによって信仰の純粋が守られてきた。人の業績を褒めたたえようと思っているのでなく、「聖霊」を受けるということはこういうことなんだと 最近特に思っているからである。

 

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリストイエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5の16~18)

 10月の礼拝でこのみ言葉を学んだ。どんなときにも「いつも喜んでいなさい。感謝しなさい。」というみ言葉は時に理解し難く辛いものと思える。きれいごとではできない。どんなに主イエス様を信じていても苦しいことも喜びなさいとは本当に正直難しい。身辺で辛いことがあればあるほどこのみ言葉の意味を思い、悩んでしまう。でも信仰生活の最終的な目標がここにあるような気がする。どうすればこういう信仰を持てるのだろうか。

 「困難な問題や病気や災難のゆえに讃美するということは、文字通り、その病気や災害が起こったことを私たちの人生における神のご計画の一部として受け入れて、是認することを意味します。…そのことを感謝していなければ、神を心から讃美するということはできません。また、私たちはどんな事でも感謝する時、その事について本当に喜んでいるのでなければ、その事を本当に感謝するということはできません。」(「讃美の力」より)

 私たちは祈りの中で簡単に「讃美します、感謝します、」と言うが本当に神様を讃美し感謝するということは すべてのことを受け入れる覚悟を持つということなのだ。それは自分の力では到底できることではない。いつも自分の感情に左右されているからだ。

 

 詩編の詩人たちはどんなに敵に囲まれても困難が押し寄せても、神にあえぐように祈り叫び、その中から神をとことん讃美した。全編に渡って殆ど、どこにおいても悩んだ末、迷った末、時には恨んだ末にそれでも最後は主への信頼、祈りと讃美に満ち溢れている。

 砕かれ、清められ、試練によって自分の隠れた罪を知らされ、それを癒される道があることを知った時、心から喜んだのである。罪のゆるし、救いの喜びにあふれた時、聖霊がはたらき、すべてを主に委ねる覚悟を持つことができたのである。

「…信仰は私たちが神の約束に信頼し、依り頼むようになればなるほど成長するのです。しかし、その信仰は様々な状況を通して精錬され、試されなければなりません。…私たちは長い間、感覚や感情や知性に、信仰を指図するものとしての信頼をおいてきたからです。信仰を働かせるためには、その習慣が断ち切られなければなりません。信仰とは私たちがその証拠を見ることも感じることもできない何かを信じるというはっきりした決断を意味するのです。…私たちを新しく変えるために主が用いられるすべての状況を心から喜んで、感謝と讃美をもって受け入れることです。」(「讃美の力」より)

 神様は常に私たちに最善と思われることを為されている。惨めに思えるようなその只中で心から喜び、感謝できるようになりたい。それが聖霊を常に新しく受けることなのだ。

 「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。叫び求めよ、近くにいますうちに…。」(イザヤ55の6)

 そのうちに、はいけない。今しっかりとみ言葉を聴くこと、そして聖霊を受けていくこと。礼拝で受けたメッセージが強く心に刻まれている。

 

 私が信仰に導かれる出発点となったみ言葉、「すなわち、わたしは雲の中に虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9の13)

 神様は永遠にいまし私たち一人ひとりを決して滅ぼすことはないと約束してくださった。このみ言葉が私にとっての「静かなる細き声」だ。虹が大空にかかるたびに思い起こしている。

 秋も深まった夜、毎夜外に出て夜空を見上げる。闇の中にオリオン座が輝いている。その中の三つ星 私にはその三つの星がいつも「神と子と聖霊」に思える。どのように時代が変わろうとも不動の場所で闇の中で光っている。うろたえることはないのだ。

大阪府

幸せなら手をたたこう

                        N.H

 「幸せなら手をたたこう」

 今年九月一八日、森祐理二五周年記念コンサート会場で、森祐理さんの歌声に合わせて会場は心一つになりパンパンと手を叩きながらこの歌を歌いました。みんな笑顔で、「そうよ、私達は幸せよ、何故なら今はイエス様を知っているから…」と会場いっぱいの人々は心から応答しました。中学生の時よく歌ったこの歌が実は讃美の歌だったとは祐理さんのトークを聞いて初めて知りました。あの中学生の頃も、友達がいて、先生がいて、両親や兄弟が居て、平和な日常があって、まだ見ぬ将来への憧れも同時に抱いて幸せだと感じて歌った歌でした。

 この歌は、祐理さんのお話しによるとフィリピンの激戦地で日本軍が多くの村人達を教会に閉じ込め虐殺したその場所でボランティア活動をしていたクリスチャンの木村利人さんが、初めは憎まれていた現地の人と和解できた事が基にあってこの歌が生まれたそうです。木村さんは、日本人が加害者であると知り悔い改めずにはいられなかったそうです。そしてこの活動は労働だけでなく朝夕に礼拝し聖書を読み、祈り合う事もしていたそうで、その事から現地の人の日本人への憎しみが愛と赦しへと変わったということで、主イエス様が執り成して下さったのだと思いました。

 そこの校庭で子供達が歌っていたスペイン民謡と和解の事が木村利人さんの心にあり、日本に帰る途中、詩編一篇と四七編をその曲にのせてみたそうです。神様につながり神様の教えに従っていたら本当に幸せで47編にあるように「手を叩きたくなる」、まさにこの歌は讃美歌です。

 私が中学三年生の時流行ったこの歌が賛美の歌であり、日本軍の侵した罪への悔い改めと平和への祈りが込められた深い意味があるのだと森祐理さんのコンサートで知り、会場の皆で共に歌えたことは心に残る今年の一コマでした。

 

 この日は、台風一過による青空が広がる穏やかで温かい一日でした。コンサートには、徳島から十人程の兄弟姉妹が参加でき、県外の教友とも会場で交流でき、このコンサートに聖霊様が働いてくださったと思わされる良い時でした。

 祐理さんの活動がビデオで紹介され、世界の被災地に立ち、現地の悲しむ人、重荷を負っている人に賛美を通して心の支援、魂の支援をされている姿、それを受けた現地の子供達の災害や戦争に負けない純真な笑顔が印象的でした。どこでもその国の言葉で歌う「幸せなら手を叩こう」は神様の愛が届くのか皆に笑顔の輪が広がり心が一つとされていました。

 今後も森祐理さんの神様を中心とした福音へのご奉仕が祝福されますようにと祈ります。森祐理さん自身、弟さんを震災で亡くされ、その傷から主イエス様の愛がしみこみ このような、悲しむ人、苦しむ人への活動に押し出されたという事で、神様は私達を試練を通して、そこからよき事につながるように万事が益となるように働いて下さいます。どんな試練も苦しみもよきものへとつながっていくと信じて、自分の分として様々な歓迎しない苦しみも受けて行きたいと思わされました。

(有限会社マンナ在宅支援ミルトス ケアマネージャー)

徳島県

イエスとの出会い

                        N.M

 私が二十代後半の頃、当時の職場の女性職員から「西さんは、材木屋さんだよね」と言われた。その時、どんな意味かよく分からなかったが、話を聞いているうちに理解できた。「木(気)が多い人」とのことであった。私の性格をよく捉えているな、と妙に感心したものだった。確かに私は、気が多く、色々な人に心を惹かれ、時に意気投合し親しくなったり、時に裏切られ意気消沈したり、そんな人間模様の中を歩んで来たように思う。

 当時の私は、既にイエスと出会っていた。大学一年の時、突然、病気の宣告を受け、それを境に、私の生活が一変した。いろいろな人に出会い、助けられ何とか大学を卒業することが出来た。病気をしなければ、視界良好な一本道の人生を歩んだであろう。しかし、病気をしたことにより「朝日ジャーナル」を手にし、当時連載中の記事から矢内原忠雄と無教会に出会い、二十四歳の時、浜松聖書集会に導かれ、イエスについて話をお聞きした。私なりの曲がりくねった青春時代の中、やっと聖書集会に繋がることが出来たため、真面目に毎週の主日礼拝に参加した。しかし、正直なところ、礼拝の講話をお聴きしても、イエスの教え、福音伝道に励む姿は、余り心に残らなかった。イエスが、霧の中に隠れていてよく見えなかった、というのが正直なところである。イエスよりも日々の生活の中で出会ういろいろな人の方に気持ちが向かっていた。それでも集会の先輩方々から、励まされ、導かれ信仰から離れることなく、私なりに信仰生活を続けたのであった。

 そして、集会への参加が重なるにつれ、また、自分なりに聖書を読むにつれ、イエスに出会ったペテロとパウロのことが、印象に残り、このことがとても重要な出来事のように思えてならなかった。

 福音書の中に、ペテロがイエスと出会った記事がある。ガリラヤ湖で漁をしている最中、ペトロはイエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」と声を掛けられると、網を捨て直ぐに従った。来る日も来る日も、湖上の船に揺られ、魚を追う漁師・ペテロには、「人間をとる漁師にしよう」の声が、妙に親しく耳に聞こえたのであろうか。また、ペトロの眼に、特別、イエスの姿が鮮やかに飛び込んだであろうか。はたまた、ペテロの耳底にまで、イエスの透き通った声が、響き渡ったであろうか。「ついて来なさい」の一声に、即刻反応したペトロであった。網を放り投げ、御後に従った。漁師にとって、網は生活のすべてである。舟、漁の技法、築き上げた人間関係、信頼関係等は、生計を支える上で、無くてはならないものであった。この大切なもの全てを、一瞬の決断で捨ててしまった。ペテロにとりイエスとの出会いは、それほど鮮烈な出来事であった。

 しかし、出会って約二年後、イエスが逮捕された。イエスの動向が心配となり、総督官邸の庭まで忍び込み、様子を伺っていた時、不意に「イエスの仲間だ」と告げられると、三度繰り返し、イエスとの関係を否定してしまった。この行動が、イエスの予告通りであったことに気づき、イエスがメシアであり神の子であることを悟った。同時に、胸いっぱいに膨らんだ己の罪を嫌という程、味わわねばならなかった。その後さらに、復活されたイエスに出会った時、逆にイエスから三度、「この人たち以上に私を愛するか」と、問われた。この愛に満ちた執拗なまでの問い掛けが、ペテロの心の奥深くまで染みた。このことを通して、ペテロは、古いペテロと決別し、本当の意味でイエスと出会う人間に生れ変わった、と思えてならない。

 もう一人、イエスの出会った使徒・パウロを記したい。パウロは、イエスが十字架で亡くなられて三年後の西暦三十三年頃、イエスに出会ったと言われている。イエスの信徒を迫害する集団の一員であり、その先頭に立っていたパウロは、エルサレムの街のあちらこちらの会堂を荒らし回り、信者を捕まえては牢に送っていた。そしてダマスコの会堂にも迫害の手を伸ばそうと、その街へ向かう途上で、突然、復活したイエスと出会った。パウロは、天から降り注がれた光に照らされ、驚きの余り路上に倒れた。そして、イエスから「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」、と呼び掛けられた。その後三日間、パウロは目が見えず、飲食ができない生活を過ごした。ペテロ同様、あまりにも突然の声掛けにより、命じられるままに従うパウロであった。

 パウロのイエスとの出会いは、人の手を介さず、神の啓示によって実現された。この出来事は、神の御心と受け止めるしかないように思う。迫害の先頭に立ち信徒を苦しみ続けた人を敢えて選ばれた神、その御旨は「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神」(ガラテヤ1の15)とあるように、神の御計画でありましょう。以後、パウロの福音伝道は、活動範囲の広さと言い、伝道期間約三十年という長さと言い、鞭打ち、投石等などの苦難の数の多さと言い、そして世に残された手紙の数と言い、他の使徒とは比較にならない足跡を世に残された。パウロの業績を振り返ってみても、復活したイエスとの出会いは、神の御心と言うほかないように思う。

 このように考えてみると、二人に共通していることは、二つあるように思う。先ず、復活したイエスに出会ったこと、もう一つは、ペテロ、パウロ一人ひとりを、神の御計画の中で使徒として召命されたことである。(ペテロ=ヨハネ福音書21の19b)、(パウロ=使徒9の15~19a)

 私は現在、六十代半ば、この歳まで来ると、「西さんは材木屋さん」と言われてきた私も、今では、信仰上の兄弟姉妹を除けば、わずか数名の人と交流があるだけとなった。いよいよ「材木屋さん」も店じまいである。一切の仕事を離れた今、以前と比べれば自由になる時間もあり、聖書に接することが出来る。幸いにも聖書には、福音書の外、使徒達が命を捧げてこの世と戦われた多くの手紙が、収められている。聖書からこのペテロ、パウロ二人の働く姿に真摯に向き合いたい。そして、聖霊の風により、未だ私の心にあるイエスの姿を包む霧を除いていただきたい、と切に願っている。(静岡)

ジョン万次郎の物語

                        N.Y

 2017年は12年振りに「黒潮の大蛇行」という海流の自然現象が起こりましたが、江戸時代の有名な漂流者、ジョン万次郎が漂流した年も黒潮の大蛇行が起こっていた時であったといいます。それで、万次郎は一気に遠く北の方に流されずに済み、関東のずっと沖の鳥島という小さな島に流れ着くことができたのでした。

 万次郎は遭難当時13歳の末で、遭難は漁師の見習いになって、ほんの数日と言う時でした。鳥島で食料が尽き、もう駄目かと思った時に、アメリカの捕鯨船が万次郎たちを発見したのです。

 当時の日本は鎖国中で、アメリカの船は日本の港に近づくことが出来ませんでした。そこで捕鯨船のホイットフィールド船長は万次郎たち5人をハワイに連れて行きました。そして万次郎の利発さに感心した船長は、この子をアメリカに連れて帰って育てたいと強く思うようになります。万次郎も船長を父のように慕い、仲間と離れ、一人アメリカについて行くことを決心しました。

 万次郎は日本では文字を知りませんでした。しかしアメリカでは当時の最高水準の学校に行かせてもらい、高等英語・物理化学・航海術等を習得することができたのでした。

 日曜日は教会に連れて行って貰いましたが、そこでは人種差別を受けました。船長は町の名士なので、家族は講壇の横の特別席が与えられていたのですが、万次郎は黒人の席に座るようにというのです。船長は万次郎のために教会を二つも変わって、差別のない教会に移ったのでした。

 万次郎は差別にも遭いましたが、アメリカの民主主義のすばらしさを肌で感じます。国の代表は選挙で選ぶということも驚きでした。しかし、母親のことや自分が日本人であるということを決して忘れることはなく、どうしても日本に帰りたい気持ちが強くなりました。

 ようやく日本に帰ってきたのは、万次郎が24歳の時、ペリーが黒船でやってくる2年前のことでした。万次郎たちは長崎奉行所で厳しい取り調べを受け、踏み絵も踏まされた上で国に受け入れられました。土佐の藩主は万次郎の知識に期待し、武士の身分を与えました。万次郎はそこで初めて日本の文字を学びます。

 万次郎の有能さは幕府にも伝えられており、ただ一人アメリカを知る人物として意見を問われ、謙虚でありつつも臆することなく考えを述べました。特に伝えたかったことは、アメリカの民主主義やその根底に流れる精神でした。万次郎が伝えたその精神は、幕末の日本を動かした人たちの心に大きな影響を与えたと考えられています。咸臨丸で共に航海したブルック船長は「万次郎はわたしが今まで会った人の内で、もっともすぐれた人物である。…わたしには、万次郎が誰よりも日本の開国に貢献した人物であるように感じとられた。」と書き残しています。

 万次郎はアメリカで使っていた聖書を危険すぎて持ち帰ることができませんでしたが、病気の妻のために危険を冒して英字の聖書を買い求めます。その聖書には妻のイニシャルと、ページを折った跡が何カ所もありました。万次郎の信仰のことは記録には残っていませんが、ホイットフィールド船長に書き送った手紙の中には、クリスチャンでなければ表現しえない言葉が何度も書かれてあるといいます。

 晩年になって、万次郎は色んな名士から呼ばれて、高級な料亭などで食事をいただくことがよくありました。そんな時、万次郎は料理を少しだけ食べて、残りは全部折箱に詰めてくれと頼みます。それで、万次郎についたあだ名は「ケチの中万(中濱万次郎の略)」でした。万次郎はその人柄で皆に愛されていました。ただ、あんなにケチでなければなと周囲に言われていたのでした。万次郎は言い訳などしませんでしたが、その折詰めは、馴染みの乞食たちに配る為の物だったのでした。

 万次郎のことを読んでいると、旧約聖書でエジプトに売られ、後に飢饉からユダヤ人を救ったヨセフの物語が心に浮かんできます。鎖国中の漂流という一見最悪にしか見えない出来事を通して、神様の大きな御手で世界を旅し、固く閉ざした貝のような日本に真の愛と自由の精神を伝え、開国の準備をさせました。開国は英語教育や医療と共にヘボン、フルベッキを始め、クラーク博士といったプロテスタントの伝道者がこの国に入ってくる大きな転機となりました。

 今、クリスチャンの人口が格別に少なく、一見神様から遠く見える日本ですが、万次郎のことを知ると、今現在も神様はこの日本と言う国を決して忘れることなく、深く愛して下さっているということが信じられます。そして、神様が御心の時に日本人の心を神様に向けて下さることを、諦めずに祈っていかなければと思わせてくれるのです。(ケアマネジャー)(徳島)

森祐理さんのコンサート

                        N.Y

 10月21日()、森祐理さんの25周年記念コンサートに行ってきました。中川陽子さんの紹介です。

 福音歌手としての歩みの中で、たくさんの出会いや恵みをいただいたこと、なにより今日までの歩みは主が森さんを用いてこられた導きそのものであることへの感謝が印象に残っています。「主に用いられることの喜び」は、最初の朗読「3本の木」の中心的なメッセージでもありました。お話しの主役である3本の木は、それぞれ夢があったのですが、それらの夢は叶いませんでした…叶わなかったけれども最終的には3本とも神様に用いられたことに気づく、というお話しです。話の主役は実は神様であったことが分かる物語です。

 「そんな3本の木が自分の人生と重なる。」

との森さんの言葉が心に残っています。その場に集まった方々の信仰のあるなし、働きの大小に関わらず一人一人の存在が神様にとっては意味があります、というメッセージで溢れており、聖書の真理の一端を述べておられました。

 また2016年に森さんのお父様がお亡くなりになったのですが、臨終の際「(1995年の阪神淡路大震災で先に亡くなられた祐理さんの弟さん)わたるに会える」とお父様がおっしゃったエピソードに触れて、「大変な悲しみであった弟(渉:わたるさん)の死が、今、父の喜びの拠り所になっている」という実感をお話ししておられました。素敵なコンサートでした。

 森さんは25年にもわたる福音歌手としての歩みの原点について、次のように話されています。

 「わたしは十歳からずっと教会に行ってましたけども、十字架というものの重みを知ったのは声を失ったときです。その時初めて自分の罪と向き合い、イエス・キリスト様の十字架の、そのあがないの尊さを知ることができました。もしもう一度歌えるんだったら、今度は神様のために歌いたいそんな風に祈りました。神様わたしを赦してくださいと祈ったんです。まだ声はでなかったですけども、本当に罪が赦されたっていう、そんな心が温かい思いがいっぱいになったときに、初めて讃美したいって思いました。」

(2010年3月28日 徳島聖書キリスト集会 ホームページより)

主に用いられることの根底には、こうした感謝の応答、喜びの自然的な湧き起こりがあることが伝わってきます。

 今回の森祐理さんのコンサートを通して、改めて、主に用いられることの喜びとその原点を思いました。また神様にとってはすべての人に生の目的があること、そして毎日の何気ない道や職場という場所もまた、主の祝福の基(もとい)になるということを思いました。(高校教諭)      (大阪)

 食事療法の見直し

                        H.H

 私の腸リンパ管拡張症という病気はあまり患者がいないので、新しく診てくださる医師に説明する機会がありました。いつごろからどの症状が現れたか、いつごろは栄養値がどうだったか、どのように説明を聞いたかなど自分なりに資料を作るために過去の病歴や採血結果などを見直してみました。忘れている部分も多くありました。

 総蛋白(TP)が5.0以上、アルブミン値(ALB)が3.0以上を最良値としてましたが、下痢の状態が続いたり胸水が増えたりして 最近はTPが3.8前後、ALBが2.0前後が続いていました。

 栄養指導を受けながら作成した食事カードがあるのですが、症状は増えるばかりで食事療法にまじめに取り組むことが嫌になってしまいました。

 油っこいものや食べてはいけないものはやめて、食材や調味料は守る。それだけでした。カロリーや脂肪の摂取量には気を付けていても、1日に必要な蛋白質100g以上は摂取できていなかったと思います。

 6月に座りにくいほど両脚の浮腫の状態がひどくなり、体重が4kgほど増えました。浮腫がひどい時は利尿剤ラシックスを服用しますが、アルブミン値が低いので効果がなくなり、週に1回アルブミン点滴のあと静脈注射で入れることが4週間ほど続きました。

 食べたものを写真で撮影して記録(レコーディング)していくと励みになると聞き、スマートフォンのアプリを使って記録することにしました。そのノートを共有して叱咤激励してくださる姉妹の協力も得て、ようやく食事カードによる療法に取り組むことができています。

 再開後8月の採血結果は5年ぶりくらいの良い値でした。ラシックスを毎日常用するようになりましたが、すこし栄養状態が改善されたので内服で効くようになりました。

 採血結果の値が低い状態が続いていても、体が慣れてしまい、体調を崩すことはありませんでした。周りの人に「元気になったね。」と言ってもらえます。浮腫がひどくなって手足は重かったですが、知り合いから「太ったね。食べ過ぎ?」と言われるぐらいで栄養不足とは見えません。一生付き合う病として向き合い、自分自身でしっかり自覚しないといけないことを再認識しました。

 

 「罪を告白することを恥じるな。川の流れを無理にせき止めてはならない。」(シラ書4の26)

 

 自分の罪に気づいていても正しく改めることは難しいです。しかし神さまが助けとなる人を与えてくださったり、負担とならないように工夫するための知恵を与えてくだったことを思います。集会に行くことができなくなる前に改善できたことに感謝します。

 罪の中にあっても霊肉ともに守り、導いてくださった神さまに感謝します。シャローム (無職)

徳島市

 モーセに倣って

                       GH.G

 私たちの集会で出エジプト記を学び始めました。モーセは百二十歳で死にますが(申命記34の7)、その生涯は三段階に分けられます。

第一段階は四十歳まで。生まれたモーセは姉の機転もあって王家の子となり、成人します。恐らく良い教師に恵まれて当時の最高の学問を身につけたことでしょう。第二段階は八十歳まで。エジプト人殺害の報復を恐れて逃亡したのをきっかけにシナイ半島ミディアン地方での羊飼いの日々です。二人の子をもうけ、妻子を養うために働いたのでした(使徒7の23)。そして第三段階は、モーセ八十歳から死ぬまでの四十年です。ホレブの山で神の召命を受けてイスラエルの民を率いてエジプトを脱出、荒野の四十年を送りました(使徒7の30、出16の35など)。第一段階は勉学の期間、第二段階は世俗での勤労の期間、第三段階は神のために働いた期間、夫々四十年です。

 モーセの寿命は一二○年でしたが、今日の私たちの寿命を九十年とすると、三十歳までは学びの時、六十歳(定年)まで世俗での働き、六十歳から神のために働く、ということになりましょうか。

 無教会(に限らずキリスト教会全般でしょうが)の高齢化が言われて久しく、他方で働き人が少ない、という問題があります。しばしば定年を迎えて、新しい人生をどう歩もうか、聖書を学ぼうと思う、という方にも出会います。かく言う私も文句なしの高齢者。

 遅くはありません!モーセに倣って人生最後の日々を福音のために働かせてください、と祈ろうではありませんか。

                     (福岡聖書研究会)

福岡市

 自分に頼ることなく神に頼る

                         F.F

 人間は、すべて自分の力で生きていけるように考え行動をしますが神様抜きの生活では、内なる魂を満たす生き方ができないことを教えられました。この記事を内村鑑三著「一日一生」十月十八日から紹介します。

 

 「初めから高くあげられた栄えあるみ座は、われわれの聖所のある所である。またイスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者はみな恥をかき、あなたを離れる者は土に名をしるされます。それは生ける水の源である主を捨てたからです。」

 (エレミヤ書17の12~13)

 

 人は善悪を知るにいたって(すなわち知ると自ら信ずるにいたって)神のごとくなれり。すなわち神に依(よ)ることなくして万事を処理するにいたれり。しかして自立と同時に、彼は天与の自由を失えり。彼はいまは生命の樹に触るるあたわざるにいたれり。されども彼は彼の失いし自由を慕うてやまず。しばしば手を伸(の)べてこれを取って食わんとせり。あるいは彼の哲学をもって、あるいは彼の発明にかかる宗教をもって、彼は生命の樹の果実(み)獲(え)んとせり、されども神の恩賜(たまもの)なるこの果実を、彼はいかなる手段をつくすも獲(う)るあたわず。彼の熱心、天を焦(こが)すも、彼の深慮、地を穿(うが)つも、彼は自らつとめて限りなく生くることあたわず。永生(かぎりなきいのち)は神の賜物なり。人のこれをぬすみ取らざらんがために、神はまわる焔の剣をもって、これに達するの道をふさぎたまえり。【創世記三章参照】

 

 人は善悪を知ると自ら信ずるにいたって神のごとくになり、神により頼むことなく、すべてを処理するにいたって、自立と同時に人に与えられていた天与の自由を失った。このことが創世記に示された人類の姿、エバが、神が禁じた樹の果実をとって与えたのでアダムが食べエデンの園から追放された(創世記三章)。そこから人類に罪が入り今に至っている。そして、罪の入った人類はこの世で罪を、繰り返し、生のある内は「初めから高くあげられた栄えあるみ座は、われわれの聖所のある所である。」という神の御許には行けないのである。

 罪ある身体のある内は十字架の罪の許しを得ても、再び罪の人となり、内なる魂の攻めるところとなり、天与の自由を失い苦しに入る。

 しかし十字架上の主を信じ罪の許しを祈る者は神の平安が与えられ力強く歩むことができる。

 御許に行くまでは自分に頼ることなく神様にたよって歩む日々でありたいと思います。

徳島県

ネパールで宗教について新しい動き

                        F.T

 私がネパールに行きだして久しくなりますが、長らくネパールのカリン地方で活動されて来られた方から次のような緊急の連絡を受け取りましたので要約します。

 

 「2015年憲法はネパールを『世俗国家』の規定の基に宗教の自由を認めていたが、同時に古来の宗教文化(ヒンズー教)に特別の権利を認めている。しかし再びキリスト教は迫害の時代に向かっている。ネパールの教会とキリスト者への圧迫を法律を通して行おうとしている。

 こうした状況下のある兄姉達が主を仰ぎ、知恵をつくして進めるようにお祈りください。以前にもこのような法律があったが、再び迫害の時代に向かっている。 鳥羽季義」

 

 私達がネパール訪問後教会の礼拝に出席すると大きな礼拝堂は大勢の人々で満たされていた。特にカースト制度があった名残りでカーストの低い方々が喜んで礼拝に出席されておられた様でした。そして心から主を信じる大勢の人々で喜びに溢れていた。

 しかし2016年の礼拝の様子は極端に礼拝参加者は少なくなっていた。

 ヒンズー教の長老達が教会の活発な様子に危機感を覚えて国に働きかけてより厳しく法律を作り取り締まりを再び強化しだした。ヒンズー教の家に生まれた人々がキリスト教に改宗することを禁止し、罰則強化を打ち出したのでした。(礼拝自体2万ルビー、2年以下の罰金の刑罰……)

 私は少し前から聞いていましたが、危惧していたことが現実になったとのことです。

 

 神が創造された美しい自然に満たされた国ネパールの主を信じる方々のために祈りたいと思います。2018年の暮れに再度訪問してごの目で確認してきたいと思っています。

 

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせられることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃れる道を備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10の13)

兵庫県

「ガラテヤ人への手紙」雑感

                         K.S

2017年1月末から4月末にかけて、鹿児島聖書集会で「ガラテヤ人への手紙」を学んだ。パウロの「行いによらず、信仰によって救われる」という福音理解が熱く熱く語られている。パウロのガラテヤ人への主にある叱責、説得、勧めを自分に向けられたものと受け止め、特に感じ考えたことを書きたい。

  パウロは、同じ福音を「ローマ人への手紙」で重厚に丁重に論じているが、「ガラテヤ人への手紙」は彼が心血を注いで伝えた福音が律法主義によって福音でないものになりさがっている実情の中で書かれただけに、冒頭から怒りと嘆きで始まっている。長さこそ短いが、ありったけの力で「わたしの福音に帰れ」と説き進めている。

  パウロが命をかけて伝えた福音とはどんなものであったか。それは端的に言って「主イエス・キリスト」の「十字架と復活」の福音であった。彼はそれを「神から」「復活のイエスから」直接に啓示され、彼自身の神観、キリスト観、生き方を大転換させられて使徒とされたことを初めの数節でまず述べる。「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内にお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。」(1の6)の嘆きは、3の1になると、「ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。」と、嘆きと共に怒りが露わになる。パウロの福音の内容が「イエス・キリストの十字架の恵み」であったことが分かる。

 パウロはこの福音が、「人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によった」ことの体験を語る(綴る)が、それは自らの信仰生活がいかに転倒していたかを悟らされることであった。それにも拘わらず、そんな彼に神は、異邦人にこの主を伝える使命を与えられた。彼はエルサレムのケパなどとは独立に、むしろ彼ら以上に純粋に、かつ強く「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰による」ことを知らされ伝えてきたと言っているように感じる。むろんパウロはこれを自慢して言っているのではない。思うに、若いときから人一倍熱心に律法を守ろうと努力してきたにもかかわらず、反キリストの頭であった彼であったが故に、律法を完全に守ること―人を自分のように愛するなどは出来ない、律法によっては罪を自覚させられるだけで、それを脱する道は、神自らが人の罪を赦し、新たな生命を注いで下さる以外にない、イエス・キリストの十字架と復活がその道だ、と深く受けとめられ、自分のような者もその恩恵に与った、と誰よりも感謝し、あのすさまじい伝道生涯を送ったのであろう。

  「ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。」(4の19)わたしたちの内に常に主がおられるのだ、この方にすべてをゆだねて歩め、それが福音なのだというパウロの訴えが聞こえる。この手紙には、前の方に「…わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(2の19~20)とあり、結論部分にまた、「しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇りとするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。…ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。」(6の14~15)とある。福音とは、キリストの十字架の信仰を厳守し、肉の自分に死に、キリストに生きることなのだと終始訴えているように感じられた。その尊さ・真実は体験を通して味わうほかにないと思う。

 なお、十字架の恵みに関連してヨハネ3の16、Ⅰヨハネ3の16を、また永遠の命に関連してヨハネ17の3が想起され、感謝であった。一にも二にもキリストである。アーメン。

鹿児島県

導いて頂き

                       M.K

 「あなたの神 主が導かれた この四十年を 忘れてはいけない」(申命記8の2)

 何も善いものを持っていない私を 一方的に神様は導いて下さり 14年前に、松山の家庭集会に 友人に誘われ、吉村先生の礼拝に参加できる恵みを頂きました。その後 途中、学びをお休みした時期もありますが 2009年12月からは、徳島キリスト集会の数度勝茂様に毎月、礼拝記録CDを送って頂き、聖書の学びを頂いています このような大きな恵みを 心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

 この学びを頂き、お祈りを頂き、力を頂き、導いて頂き、これまで一歩、一歩、進んで来れました。ありがとうございます。取るに足りない者を 神様は「探して下さり、休ませて下さり、神様の軛を

かけて下さり、荷を軽くして下さった」(マタイ11の28~29)今月、送って頂いた礼拝CDで教えて頂き 改めて感謝でした。導いて下さる主に寄り頼み、仰ぎ見て これからも日々、主に立ち帰ることが出来ますように。お祈りします。

 「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えて下さる。」(詩篇37の23)              松山市

聖句

                       M.K

 「神は愛なり」

 「愛がほんとうに人生経験の結論となりますように。」

(徳島)

 私には敵はいない

                      M.K

 これはノーベル賞を受賞した中国の作家で人権活動家の劉暁波氏の言葉です。去年の7月13日投獄中で亡くなられました。新聞から劉氏の言葉を抜き出しました。

「最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛によって憎しみを消しさることが出来るように望んでいる」「私は、未来の自由な中国が訪れることに対して楽観的な期待に満ちている」「私は自分の国が自由に意見を述べることが出来る場所になる事を待ち望んでいる」。又、劉氏は天安門広場で起きた民主化運動で非暴力を貫き、学生に向かって「恨みを捨てよう、恨みはわたしたちの心をむしばむ。私達に敵はいない。理性的に対話をしよう」と訴えました。学生がどこからか銃を入手してきたとき、劉氏は取り上げてその場で壊しました。棒を持つことさえ許しませんでした。

 私はこれらの劉氏の言葉が、イエス様の言葉と重なりました。イエス様は「私達の戦いは血肉ではない、悪霊である」「敵を愛し、敵のために祈れ」「剣を取る者は剣で滅びる」

「彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのか解らないでいるのです」と、イエス様は十字架上で神様に祈りました。

 劉氏はきっとどこかでイエス様に出会っているのではないでしょうか。経歴を見るとアメリカのコロンビア大学で研究活動をしていた、とありました。聖書か信仰書または敬虔なクリスチャンを通じてイエス様に出会っているのではないでしょうか。

 歴史の中でガンジーに現れたイエス様はキング牧師に現れ、そして劉氏にも現れたのではないでしょうか。どんなに暗闇の世であってもイエス様は生きて働いておられ、光となって下さっていると感じました。中国では今も人権派弁護士や民主化活動家が弾圧されています。日本も70年程前はそうでした。どんな世でもイエス様の言葉は変わる事なく永遠に続きます。クリスチャンには希望があります。キング牧師が仲間と一緒に歌いながら行進した We shall overcome を劉氏も獄中で歌っていたのではないでしょうか。信仰、希望、愛は永遠に変わる事がありません。暗闇の世でもイエス様は光です。どんな時も私達を罪と死から解放して下さったイエス様の光を求めていきたいと思います。(兵庫)

祈りについて

                      M.K

 「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。探せ、そうすれば見出すであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもには、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父は、なおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ11の9~13、マタイ7の11)の聖句に私たちの祈りの全てが基づいているそうです。そして、祈りにおいて誠実であること、自分の実際の罪を具体的にあげて告白し悔い改めてゆるしを願うこと、そのうえで祈ったならば、ただちにその祈りが実現するように努力しなければならないと書かれています。

 祈りで思い違いをしやすいところは、「私たちが自分でできることを、神は私たちのためにしてくださらないことです。祈りは、私たちが面倒なことから逃れる安易な方法ではありません。祈りは、私たちが自分の責任を避け、自分に割りあてられた労苦から逃げる、方法ではありません。」というところです。ですから、祈りは、ある状況からの逃避の手段であるのではなく、克服の手段でありむしろ、祈りによって私たちは、いかなる状況にも耐え、それを克服する力を与えられるようになるというのです。もうひとつ、悲しいことは人生の非常の場合や危機の場合でなければ、祈らない人々が多いことです。私たちは、毎日、神と会う約束の時を持つべきです。最後に最も重要なことは、祈りの最高の形態は、沈黙して神と応対し、神の語ることを聞くことです。最高の祈りは、私たちが沈黙して待ち、自分に対して語られる神の声を聞くこと、神の前にたたずんで、神の平和と力が自分の上に、また私たちのまわりに注がれるように祈ること、そして私たちが神の前の永遠の腕によりすがり、神のうちに静かで完全な安らぎを感じることです。祈りは、人生における最も大切なことです。以上は「はじめての祈り」ウイリアム・バークレーの著書からの抜粋です。

 この著書は、信仰の友からいただいたものですが、改めて祈りの大切さを教えていただきました。神に全てを委ね、神の声を聞き、人生の終焉まで静かに祈りたいと思います。

 

平和を求める祈り

 

神よ、

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

 

憎しみのあるところに愛を、

いさかいのあるところにゆるしを、

分裂のあるところに一致を、

疑惑のあるところに信仰を、

誤っているところに真理を、

絶望のあるところに希望を、

闇に光を、

悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

 

慰められるよりは慰めることを、

理解されるよりは理解することを、

愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

 

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、

自分を捨てて死に、

永遠のいのちをいただくのですから。

                                                     松山市

「あなたの罪は赦されています」 

                      M.M

 「すると、人々は中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところに連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦されている』と言われた。」(マタイ9の2~3)

 2017年2月26日の主日礼拝に、私はスカイプで参加していました。その日の講話のテーマは「罪の赦しと信仰」でした。

 イエス様が家の中におられたので、入口まで人でいっぱいで、病気の人の友人達は、その家の屋根をはがして穴をあけ、病人を寝たまま床を吊りおろし、イエス様の前に連れて行ったと、マルコによる福音書には記されています。ですが、この病人本人の信仰については3福音書(マタイ、マルコ、ルカ)のどれにも書かれていないことも、大切なポイントであることも知りました。その人が信仰を持っていたか否かは問題ではなく、他の人々の祈りの力の大きさが語られているのでしょう。彼らの病気の人への愛と、イエス様の御力を信じる強い信仰を見て、イエス様はその人の罪を赦し、病気を癒されたのです。そしてヘッドフォンから「神様の愛を受けて、誰かのために祈ることは、祈りによってその人を霊的な壁を壊して、イエス様の所に連れて行くことです」と言われる声が聞こえた時、私は単にストーリーを知っていただけだと思いました。そこまで考えの及ばなかった私は「このお話を聞けてよかった」と、とても嬉しかったです。私もそのようにして頂いたと気付かせて頂いたからです。

 15年位前のことです。90才を既に越え、無理からぬことですが母の記憶も判断力も怪しくなり、体の自由がきかなくなって来ました。それにつれ次第に気難しくなって、介護が困難になって来ました。時間に縛られ自由がなく、孤独で、母への感謝も尊敬も消えて、心の中で「もう…お母さん…」と呟くことが多くなりました。

 その頃、「ローマ信徒への手紙」を通読していたのですが、深く読み、理解することができないまま、何度か目に入った「神に喜ばれる」という言葉が頭にこびりつき、「こんな私は神様に喜ばれない、イエス様に仕えるように母に接することのできない私を、神様が喜んでくださる筈がない」と思い込み、時には声をあげて泣き、どんどん落ち込んで行きました。礼拝に行けないばかりか、毎月きちんと届く「いのちの水」誌も「福音」も封筒から出すことさえできませんでした。

 この心の病気がどれ位続いたか定かではありません。何年も続いたある日、本当に唐突に「今私がしていることが一番神様に喜ばれないことではない?」と思うや、「宮田さん(集会を主宰しておられます)に本を返しに行こう」と、即、大阪狭山市に向かいました。その日はお会いできませんでしたが、まるでリハビリのように、彼女と二人で聖書を学び、スパージョンの「朝ごとに」を読み始めたのは、それから間も無くのことで、今も若い(私よりは)お二人に支えられて続けています。

 ずっと後に聞いたことですが、大阪狭山聖書集会の兄弟姉妹は、7年以上もこんな私のために祈り続けて下さったそうです。「誰も祈らない日はなかったですよ」と言われました。決して諦めず、私を霊的な板にのせ、霊的な壁を壊して、イエス様の所に連れて行って下さいました。その方達のイエス様への強い信頼の御蔭で、「あなたの罪は赦されています」とイエス様が言って下さったと信じています。

 2017年9月号の「いのちの水」誌にカインについて書かれていますが、そのパラグラフの中に「重い罪を犯したからただちに捨てられてしまい、滅ぼされてしまうということでなく、そのような人間をもしるしを付け、悔い改めを待とうとされる神のお心が感じられる」とあります。「あなたはどこにいるのですか?」という神様の御声に対しても、耳を両手で塞いで、暗闇の中でうずくまっていた罪深い私をさえも、滅びから守ってくださったことを心に、感謝の日々です。この恵みに導いて下さった皆さま、ありがとうございました。(兵庫)

あとがき

  ここに寄せられた文章によって、私たちは、数千年も前から流れてきた真理の流れの一端に接することができる思いです。

 この世には、さまざまの悪しき出来事があり、到る所に伏流水のように、その流れがあり、それが大きな問題となって噴き出しています。

 しかし、そうした流れのさらに奥深いところでは、真理の流れがあります。

 この世の問題で疲れ、不安になり、将来に希望を失わせるような事態に直面するーそれはだれにでも生涯のうちで出会うことです。

 若いとき、壮年期の仕事に打ち込んでいるときには、そうした不安もない人もいることでしょう。

 しかし、この世の数々の不正や混乱、闇、そして自分自身の身に生じる多くの苦しみや悲しみに長い人生を通じて出会うとき、そうした若いときの元気は失われ、複雑な道に迷い込んでしまうことも多くあります。

 そのようなときにこそ、私たちは、いっさいを御支配され、いまも支え、そして将来をも変革する唯一の力を持っておられる全能の神とキリストに希望を置くという恵みが与えられています。

 天地は滅びるとも、私の言葉は永遠に続くーとキリストは言われました。

 永遠から永遠に流れる真理の流れ、神の言葉の力に、私たちはすがり、そこから聖霊を与えられ、今日の複雑で困難な時代に生きる力と洞察を与えられたいと願います。

 キリストは、聖霊による洗礼をさずけるために来たと言われています。人類全体が悩まされ、苦しむ問題の解決は、人類全体を愛をもって見つめ、過去から現在、そして将来をも包み込んで、いっさいを支配されている神の言葉以外には、私たちを導くものはないのです。

 だれの言葉が千年二千年を越えてまったく変ることなくその輝きを失わないでいるでしょうか。

 それは星のように、現在も輝き続けているのです。

 この文集を読んで、それぞれの人たちのうちに、そのみ言葉の一端が輝いているのを感じます。

 この「野の花」が、今後とも、私たちを導き、人類にいかなることがあろうとも、さし示し、その究極的な解決の道をあたえてくださっているキリストへとさらに立ち返るための一助となりますようにと願っています。

 この「野の花」文集の作成には、原稿をお寄せくださった多くの方々、そしてそれを受け取り、あるいはテキストファイル化したり、現在のようなレイアウトに編集された方々(林、貝出)の奉仕があり、それなくしてはできないことでした。

 そうしたすべての方々に感謝をささげます。

 

 

      互いに愛し合いなさい。

   

わたしがあなたがたを愛したように、

     あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 

          ヨハネ13章34節