野の花(第33号 2020年1月発行)(本文)

はじめに

賛美より忍びうる者に勇気あり幸福論(第三部)
                 ヒルティ著(岩波文庫)より

k.k(徳島)

二〇一九年の二つの大きな恵み

A.F(福岡)

神様にありがとうって言ったら

K.T(岡山)

「年をとるってどんなこと」ーある詩より

T.K(徳島)

ステファノの殉教

N.K(福岡)

主の愛

K.M(徳島)

小さき者  礼拝の学びから

S.Y(徳島)

主による鍛錬

R.S(徳島)

初めの愛と初めの行い

S.E(愛媛)

新しくされて

S.M(徳島)

「祈り」

S.H(徳島)

心に残ります讃美歌

S.K(東京)

「共にいること」に思うこと

K.S(徳島)

聖書通読

T.E(岡山)

涙の意味

T.H(徳島)

恐ろしい台風を経験して

T.M(千葉)

心に残る聖句

T.Y(徳島)

私の支えとなるみことば

T.R(徳島)

イラスト

T.M(徳島)

イラスト

T.Y(徳島)

荒れ野の四十年

T.H (青森)

15号と19号台風に思った事

T.M(千葉)

恵みのとき

T.K(徳島)

心に残っている讃美

T.E(徳島)

天地創造の三種類

T.K(徳島)

み言葉の恵み「矢嶋楫子伝ーわれ弱ければ」と

N.S(徳島)

「讃美の紹介」

N.K(大阪)

ラクビーワールドカップに魅せられて

N.M(静岡)

母の闘病

H.H(徳島)

最近の出来事から

N.Y(大阪)

扉を叩き給うイエス

Y.G(福岡)

復活の恵みを信じて歩む

F.G(徳島)

小さな決心

F.S(鹿児島)

光をいただき

M.K(埼玉)

聖句

M.K(徳島)

キリスト者の完全

M.K(兵庫)

日韓対立を憂う

M.K(東京)

不思議な助言者

Y.M(埼玉)

讃美歌はわたしの応援歌

Y.I(徳島)

弱き者へのよい知らせ

A.S(神奈川)

神様からの贈り物

A.S(香川)

主による平安

I.M(徳島)

うさぎ山公園で

I.T(神奈川)

土曜会館での集会・憐みの神

U.M(島根)

主の守り

A.S(徳島)

わたしが悩むときも

O.E(徳島)

札幌集会のその後

O.M(北海道)

 あとがき

 

 翼を持つ言葉

 

 言葉は、不思議な力を持っている。私自身、一冊の小さな古ぼけた本のわずか一ページのその一部に記されていた言葉によって、それまで全く知らなかった世界が開かれ、生涯の方向が変えられた。

 それは、二千年ほども昔、復活したキリストが使徒パウロに啓示として告げた言葉であった。

その言葉は、この長い歳月を時間を越えるという翼をもって私の魂に届いたのだった。

 無数の人たちー世界のさまざまの民族、そして年齢や健康の度合い、学問とか知識、判断能力などの卓越性などにかかわらず、また、いかに罪深き者であっても、そうした神の言葉は、地域も時間をも越えていく、翼をもっている言葉となった。

 ヨハネ福音書の冒頭において、キリストは人間として生まれる前から存在し、神であり、また神とともにある、被造物のうち、キリストによって創造されなかったものはない、と記され(*)、キリストは神であるからこそ、万物の創造者でもあると記されている。 

*)ヨハネ1の3、ヘブル書1の2

翼を持つ言葉

 そのキリストこそは、翼を持った言葉そのものでもある。

 そのキリスト(神)によって創造された大空からも、星々からもまた、雲や、夕焼けなどからも翼をもった言葉が人間に向っている。 

 野の花を見よ!とのキリストの言葉ーそれは、野の花もつばさを持った言葉を放ち続けているからであった。

 聖書そのものが、いまから数千年も昔に記された本であり、普通なら、まったく相手にされないような時代である。

 しかし、そこにあるのは人間の言葉や考えでなく、神の言であるゆえに、それは世界を自由に飛び翔っていく。

 この「野の花」文集に記された言葉もまた、小さきながらも翼を与えられたものとなるようにと祈りつつ…。                      (T・Y)

賛美より

             K.K

主の十字架によって赦され生かされています。

心に残る賛美です。

 

「みゆるしあらずば」 讃美歌 511

 

一 みゆるしあらずば ほろぶべきこの身

  わが主よ、憐み 救いたまえ。

  イエスきみよ、 このままに、

  我をこのままに 救いたまえ

 

二 罪のみ積もりて いさおはなけれど、

  なお主の血により 救いたまえ。

  イエスきみよ、 このままに、

  我をこのままに 救いたまえ。

 

三 み恵み受くべき 身にしあらねども、

  ただ御名のために 救いたまえ。

  イエスきみよ、 このままに、

  我をこのままに 救いたまえ

 

四 みわざを世になす 力あるものと、

  わが身も心も ならせたまえ。

  イエスきみよ、 このままに、

  我をこのままに 救いたまえ。

忍びうる者に勇気あり

幸福論(第三部)ヒルティ著(岩波文庫)より

                      K.H

 ヒルティの本は聖書ともに読んできたもので、私が苦しいときや悲しいとき慰め励まし導いてくれた本です。

「忍びうる者に勇気あり」から

 

「さあ、おまえが長くとらわれていた

悲しみと悩みからのがれ出て、大きく息をせよ。

おまえのうえを被うていた、暗い試練の時はすぎた。

やがて闇の夜は過ぎ去る、その不安な歳月とともに。

おまえはその苦しみをとおしておまえの神のまことを知った。

 

かつておまえが誓ったことを忘れず、いま幸福にいだかれて、勇ましく行え。

おまえとともに多くを忍び真価を示した人々を忘れるな。おまえの敵としてうろつき、おまえを悩ました人々を忘れよ。

かれらみずからそれを選ぶことなしに、しかも神のために働いた人たちだ。

人生の至上の宝は幸福ではない、浄福を授けられることだ。

幸福はたちまち過ぎ去り、われらとともに葬り去られる。

浄福は永遠のかなたから、ひびきくる一つの妙音。

とこしえの国に生きるべく、われらはこのうつし世で備えよう。

 

 大きな苦しみも、まったくの不幸として偶然にやって来たのでなくて、ある目的をもって恵み深い御手から与えられたものだと考えれば、耐えやすいものになる。

 「十字架は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる者には、神の力である。」

 愛はすべてに打ち勝つ

  愛はすべてに打ち勝つ

          眠られぬ夜のために (第二部)より

  お祈り有難うございます。今年も近畿集会に参加できておおくの恵みをいただき感謝でした。この世にあっては悩み苦しみがありますが、この世は仮の宿、み国にいくまで、み言葉に従い神様を信じていきたいと思います。
二〇一九年の二つの大きな恵み

                       F.A

 二〇一九年も主から多くの恵みに恵まれてきたことに感謝します。中でも、思い出深いこととして、二つのことがありました。

 ひとつは、三月に福音歌手の森祐理さんのコンサートが徳島で行われた時に、行くことができたことです。徳島聖書キリスト集会が主催で行うコンサートなのでもしよかったら、と中川陽子さんからメールでご連絡をいただき、なぜか行く気になり、飛行機や宿泊の予約をして行くことになりました。

 とはいえ、私はそれまで森祐理さんの歌を聞いたことがなく、御姿も見たことがなく、福音歌手というのもなかなかイメージが湧かず、映画『天使にラブ・ソングを』の主役を演じたウーピー・ゴールドバーグのような人を勝手に想像していました。

 三月は仕事や用事で忙しく、くたくたに疲れている中で飛行機に乗り、お金も時間もかかるし、自分はなぜ徳島に向かっているのだろうかと不思議に思いながら、会場に向かったものでした。

 ところが、森祐理さんのコンサートは、想像をはるかに上回る素晴らしさでした。ウーピー・ゴールドバーグとは全く似ておらず、私よりも年上のはずなのに随分と若く見え、美しい素敵な方でした。歌もトークも、主イエスの愛の深さや広さをあらためて深く感じさせるものでした。森祐理さんの弟さんが阪神大震災で若くして召されたという御話も、私の妹も若くして亡くなったので深く心に響きました。翌日の日曜礼拝におけるマネージャーの岡さんの証も、信じられないような神の御業の数々で、とても胸を打たれるものでした。その場に連なることができて、本当に良かったと思います。

 また、日曜の礼拝の後、中川さんのお父さんが車で賀川豊彦記念館とドイツ館に連れて行ってくださり、貴重な資料や展示を見ることができました。ドイツ人捕虜に優しく接した松江豊寿少将のエピソードや、賀川豊彦の圧倒的なエネルギーに深く感動させられました。

 さらに、徳島では、大阪から来ていた那須佳子さんに初めてお会いすることができました。息子さんの容平さんとは以前青年集会などでお会いしたことがあったのですが、佳子さんとはそこで初めてお会いし、八月に行われる近畿地区無教会キリスト集会での講話担当の御話を具体的にすることができました。

 もともとは、大阪狭山集会の宮田咲子さんが、私が誰も読まないと思ってデータの保存のためにブログにアップしていた講話の資料を見つけて読んでくださり、私を二〇一九年の近畿集会の講話担当者にと提案してくださったそうです。

この近畿集会が、この一年で本当に恵まれていたと思う、二つめのことです。

 お引き受けしたはいいものの、講話のテーマの第二テモテは正直それまであまりきちんと読んだことがなく、何を話していいのやら、徳島から帰った後はかなり悩み、ただひたすら第二テモテを仕事の合間に繰り返し読んでおりました。

 すると、本当に不思議なことがありました。ある時、通勤の電車に乗っていた時に、第二テモテの文章を踏まえた形で、天から私の脳裏に讃美歌の歌詞が降ってきました。十七年前に亡くなった私の妹が生前につくっていた曲に載って、歌詞がふと浮かんできたのでした。それから、ピアノの先生をしている私の妻に楽譜にしてもらい、吉村孝雄先生にも相談して修正を少し入れていただいて、讃美歌「永遠のいのち」が完成しました。もし、近畿集会で講話をする御話がなければ、第二テモテをそれほどしっかり読むことはなく、この讃美歌は生まれていなかったと思います。

 八月は、実は近畿集会の直後の日程に東京で行われる研究学会で報告する予定があり、その準備も忙しく、また八月の上旬に熱中症で倒れてしばらく目が回って通常の活動ができない日が続き、正直きちんと講話が務まるか心配で、ただひたすら神に祈って本番に臨みました。

 自分がきちんと務まったかどうかはわかりませんが、思うことを存分に語ることができ、その後の感話の時に多くの方々から、本当にあたたかかく、真剣な、深い感想をいただいたことに、心から感動し感謝しています。もし聖書の真理を少しでも伝える一助になれたのだとしたら、それはひとえに私の力ではなく主のおかげでした。

 近畿集会において、近畿や徳島や全国各地から集まった方々が、讃美歌「永遠のいのち」を一緒に歌ってくださったことも、本当にありがたく感激することでした。本当に、はかりしれない恵みに恵まれた、素晴らしいひとときでした。

 その後の、東京における研究報告も思いのほかとてもうまくいき、神様の御加護に感謝しております。

 「私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。」(ヨハネによる福音書 一の十六)

 主の恵みに、心から感謝します。   (福岡聖書研究会)

神様にありがとうって言ったら
                       K.S  

このせかいが神様が創ったのなら

この場所も天国なんやで

 

神様がいない人には関係ないこと?

夕焼けが切なくてあったかくて

美しいから

僕は神様に語りかける

 

神様がいるから

やっぱりここも天の国

間違いないよ

 

だって

幸せを知ったのは

間違いなく

今立つこの場所

 

死んだらもっとわかるかな

ほんとの天国に行くのかな

地獄やったりしてね

そしたら

もう一度このせかいに戻りたいな

 

僕の天国は

神様が側にいてくれるところだから

今この場所が天国なんだ

 

大切なことは

 

大切なことは心の中にある

もしもあなたが

愛をその心に求めたら

そこには神様がいる

 

すごいやろ

神様がいるんやから

どんなことになっても

そこには意味があって

それに気付いたらうれしくて

きっと動きたくなる

 

反対に悪いこと願ったら

悪魔が味方して

こわいよ

 

何がこわいって

最初は味方する顔して

気付いたら

悪魔の言うこと聞いて

逃げられなくなる

 

でもね

やっぱり神様は最強やから

神様に助けてって言うと

必ず助けてくれます

 

だから

あなたの心に

神様の愛を求めてね

大切なことは心の中にある

尊厳

 

尊厳と言う言葉から

浮かぶ思い

 

すべてが違っていても

違わない土台

人が生きる基盤

それが尊厳

 

愛を知っていれば

 

すべての命に対する

同じ愛があれば

踏みにじられることはない

憎しみの対象でしかない

悪しき隣人でさえ

尊厳によって立っている

 

互いの尊厳がなくなれば

争いの歴史

目に見える力をぶつけ合い

都合の悪い存在を抹殺する

誰も信じられなくなって

奪い合うことが正義となる

弱いものは奴隷とされ

言葉がその力を失い

人は人ではなくなってしまう

弱いものは奴隷とされ

「年をとるって どんなこと」ーある詩より

                                          K.T

年をとるって どんなこと

  忘れっぽいと いうけれど

  一杯つまった 智恵の箱

  出すのに ちよっと迷うだけ

 

2 年をとるって どんなこと

  耳は遠いし 目も悪い

  あらゆるものを キャッチして

  私を育てた 疲れです

 

3 年をとるって どんなこと

  腰が曲がると いうけれど

  お世話になった 人々に

  感謝 感謝の姿です (芹沢春江作)

 

 十月の中頃、視覚障害者のための、音訳ボランティアの方々と交流会があり、参加しました。その時に紹介してくれた、芹沢春江作の中から朗読して頂いた詩です。心に残り、その通りだと思いました。

 感謝してみ国に行くまで、導いてくださいと祈ります。

ステファノの殉教

                       K.N

 私の所属する福岡聖書研究会では毎月一回「婦人会」があります。参加者が順番で担当となり聖書個所を決めることになっています。参加者がそれぞれ学んだことを出し合うことになっています。この方法はもう何年も前から先輩の姉妹たちがやってこられてやり方だとの事です。私も仲間に加えてもらい毎月参加するようになりました。今月は使徒言行録7の54から8の10までのステファノの殉教のところの学びでした。

 ある姉妹が55節「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとをみて、」のところを矢内原忠雄さんの文章を読んでくれました。正確には覚えておりませんが、『ステファノはイエス様が復活して昇天したことを表白した』と言われました、そして56「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」といった。」ここのところは『そのことが彼の死によって明らかにされた』ともいわれました。

 私はこのことを聞いた時、イエス様は復活されたんだ、そして今イエス様は天におられ神様の右に立っておられるんだということが確信されました。本当に思いがけないことでした。私の中に喜びが広がりました。

 この恵みを与えて下さった神様に感謝でいっぱいです。

主の愛

                                           K.M

   恐れるな、私はあなたと共にいる。(イザヤ四十三・5)

   私、私が主である。私の他に救い主はない。

                                   (イザヤ四十三・11) GOD BLESS YOU

        新聖歌 198

            作曲 関根 一夫

            作詞 岩淵まことソング・ブック3

ESS YOU

 God bless you

 神の御恵みが豊かに あなたの上に注がれますように

 あなたの心とからだと すべての営みが守られ支えられ

 喜び溢れるように わたしは祈ります

 God bless you God bless you

 God bless you God bless you



 God be with you

 神の御守りがいつでも あなたの上に注がれますように

 あなたがどこにいるとしても 何をするとしても

 いつでも神様が共におられますように わたしは祈ります

 God be with you God be with you

 God be with you God be with you

小さき者  礼拝の学びから

                       S.Y

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ五・3)

 私達はみな大きな罪があり、赦していただいている。罪ばかりの人間。たまにいいことをしたのは、神の力であって自分がしたのではない。自分がした記憶さえない、それが心の貧しさである。自分の罪深さを知っていたら、良い事をしても、それは、とるに足りないことであるとわかる。罪を知っている人こそが、神の国を受け継ぐことができるのである。

 自分中心でいたら、必ずさばきを受けると言う事を示している。この裁きを受けないためにすること、それはイエスが十字架で罪を赦してくださったと言うことを信じる。それだけで永遠の火から逃れることができる。

 私達自身が小さき者である。神からの愛を受けなければ、小さき者への配慮はできない。イエスは目を覚ましていなさいと言われた。目を覚ましていると自分の罪がわかりそれを赦してくださる、神の愛もわかる。

 自分が小さき者となって、罪赦され、いのちの水を頂いてそれから小さき者に、何かを提供することが示されている。

 この学びが深く心に残りました。たえず目を覚まして、十字架を仰ぎ罪赦されて聖霊を注がれて歩みたいと思います。

                        S.Z

 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。

 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。…霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。     (ヘブライ人への手紙十二章五~十一)

 若い頃、苦労していなかった私は、ある時から、何時も困っていたので、困った時の神頼みで信じていてもどうすれば良いか分からないままに神様に頼らざるを得なかった。細い細い一本の信仰の糸である。その糸を通して神様から命の水が流されて来ていたのである。神様は私を御自分から離すまいとして、私の性格を利用し何時も困った状態に置かれたのだと思う。「ファーッ」と宙を歩くような私の性格だから浮き上がらない生活、土中に足を突っ込んで歩くように厳しい訓練をされたのだと思う。

今後も出来得る限り

 そして巡り会った「いのちの水」誌。その中には頻繁に自然界の事が書かれている。空に浮かぶ雲を見上げれば、その表情は刻一刻と変わって行く。日没後の雲は、形、色、動き等が豊かだ。 近くに見える柿やその枝、その緑。これ等すべては神様が直接関わっておられるのだと身近に感じるようになった。長年、自然界など目に入らなかった。有って当り前の意識しかなかった。自然の美しさに気付かない時は、造られた人間の身でありながら、いつの間にか自分を高い位置に置き高慢になっていたからだと気付く。

 今後も出来得る限り、広く神様の私達への愛を知って感謝して過ごしたいと願っています。

初めの愛と初めの行い

                     S.E

「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めの愛を離れてしまった。それゆえ、あなたがどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。悔い改めないなら、私はあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。」  (ヨハネの黙示録2の4、5)

 

・2018年の4月ころから2019年8月ころまでキリストから離れてしまいました。

「苦しみに遭ったのは私には良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした。」 (詩編119の71)

・2019年1月31日に九州の福岡で股関節の手術を受け、5週間ほど入院していました。

「しかし、私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。だから、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書22の32)

 

・もう一度やり直す力を与えてくださったのは、神様です。そしてそのために無教会の信仰の友を前もって派遣してくださっていたのです。

「主はこう言われる。あなたがたの先祖は私にどのような不正を見つけて私から遠く離れて行ってしまったのか。彼らは空しいものの後を追い空しいものになり果ててしまった。」

                   (エレミヤ書2の5)

 

・人は信じた対象のようになっていくと思います。人間の思いや人間の意見、人間の考えなどは一時的には力が出るように感じても決して長くは続きません。

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。」

                 (ヨハネの手紙一1の1)

 

・神様は人間が観念で造り上げたものでは決してありません。それは霊的にも肌感覚のある実在です。

「初めから聞いたことが、あなたがたの内にとどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたの内にとどまるならば、あなたがたも御子と御父の内にとどまります。」

               (ヨハネの手紙一2の24)

 

・この道しかないのです。この世的なものに引っ張り込まれることのないように、油断しないで目を覚ましていたいものです。

「私はあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにしてもあなたを守り、この土地に連れ戻す。私はあなたに約束したことを果たすまで、決してあなたを見捨てない。ヤコブは眠りから覚めて言った。本当に、主がこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった。」(創世記28の15、16)

 

・当たり前の感覚というのは恐ろしいものです。主の恵みを数えることを忘れて祈らなくなっていました。今は近くの福音派の教会(インマヌエル松山キリスト教会)で日曜日の礼拝と水曜日の祈祷会に参加しています。たった一言でも御言葉によって力を得るために。

 

ああ神は愛なり けがれはてし

われさえ愛したもう 神は愛なり

(教会福音讃美歌26神はひとり子を)

 

・教会や集会は所属欲を満たすものではありません。私たち自身が日々神様につながっていることが大切だと痛感しています。神様から愛されている確信のみがこの世的な承認欲求を斥ける道であると気付きました。

・2020年1月1113日に、横浜市で開催される冬期聖書集会(キリスト教独立伝道会主催)を心待ちにしています。 

 在主

新しくされて

                       S.M

 コリント2の5の17「だからキリストと結ばれる人は誰でも創造されたものなのです。古いものは過ぎ去りあたらしいものが生じた。」

 このみ言葉は、わたしが名刺を作ったときに載せたものです。み言葉の説明をしながら名刺を手渡そうと思ったのですが、あわただしく名刺を渡すだけで、ゆっくり聖書の話をする機会はなかなか恵まれません。でも神様は、このみことばの通り、私のようなものでも、新しく作りかえてくださったことに感謝しています。

祈り

                         S.H

 「何事でも神の御心にかなうことを私たちが願うなら神は聞き入れてくださる。これが神に対する私たちの確信です。

私たちは願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら神に願ったことはすでにかなえられていることも分かります。」(Ⅰヨハネの手紙五章十五?十六節.

 マザーテレサは「たとえ疲れている時でも、誰かが自分を見

愛を傾けておられる神様の御言葉の約束と

る時には私は微笑みを持ってその人に返しますから、私が微笑む度に誰か一人の人の魂を天国に迎えてください」と祈ったと何かの本で読んだ記憶がある。彼女のように広く知られた人でなくても神様の御意志にかなった願い事はかなえられることを知っている。私も人類を救おうといつも愛を傾けておられる神様の御言葉の約束と、万能の神様に信頼して一人でも多くの人の魂が救われるように祈っていきたい。

心に残ります讃美歌

                      S.K

 

「主を仰ぎ見れば」讃美歌三五五 一番

  主を仰ぎ見れば古きわれは、

  うつし世と共に 速くさりゆき、

  我ならぬわれの あらわれきて、

  みずや天地ぞ   あらたまれる。

                       (二、三、四番)は割愛いたしました)

「共にいること」に思うこと

                                      S.K

 聖書には全ての創造主であられる神のもとより離れ、父の右に座されている主イエス様、主イエス様のとりなし、これがすでに実現していること、これら聖書に書かれていることを一つとして正しいと、また聖書に書かれているみことばの一つでさえ信じ喜ぶことができなかった、自分勝手に好きに振舞うことがよいことだとさえ思っていたころ。

 私は聖書を与えられて、初めて「他者」というものにだんだんと触れて知ることができるようになっていったと思う。それは自分よがりでなく本当の友でも与えられたかのように喜びと共に、先人たちの証、奨め等々があっても主が私の利己的な思い、自分中心的な状態を破って下さらなければ自分では到底、自分自身にさえ、自分のことさえ否定したり、「生きる」ということにさえマイナス思考しか抱けなかったと思う。

 イエス様がご自分を低くして御父と子の関係性、神がどのように愛してくださっているか、これらのことは一つ一つの「神のことば」「救いである神ご自身へと」導いてくださっていること、すべてのものがこの方によって生み出され、この神、唯一の神によって一つであることを知らされてきたと覚えます。

 神が私たちのところに来られて、信じないものから信じることのできるものへと変えてくださったこと。神によってすべてのものから守り保たれ、時間や病のただ中にあっても生きることの「いのち」の大切さをイエス様のしてくださっていることの何ものにも代えがたいと思える御父の心をだんだんと与えられ知らされ、強くせられていくのだと感じます。

「否定」から「受け入れる」「与えられている」という「喜び」…「この喜びをだれも取り去ることはできない」といわれる「完全な状態」これを勝ち取り、あたえてくださった主イエス様のことを、私に良くしてくださったイエス様のことをこれからも伝えていきたいと思います。

  聖書通読

                       T.H

  聖書を一日一章、新約から読み始めました。三年以上かかりそうです。「声に出してゆっくり読む」「メモをする。特に繰り返されている言葉、印象に残った言葉、名前など」を心がけています。今、ようやく、ヨハネ黙示録にたどりつきました。

 福音書が、記者によって個性的であることを知りました。特にルカは異邦人であるからか、その視点がより広く、低く、女性にも行きわたっていることに、親しみを感じました。その続きである使徒言行録も、ルカがその場にいることで、同じ地平線を移動しつつあるような実感を覚えました。

 噛んで含めるように書かれた数多くの手紙類も、まさに今の私たちに送られた祈りそのものに思えます。

 趣を異にするヘブライ書は、理解しがたく、富田和久先生の助け(*)を借りました。思い込みで固まっていた頭に風が吹き込んできました。(:)富田和久著作集 第三巻「へブル人への手紙」

小さな山、大きな山を越えつつ、読み進めています。

涙の意味

                       T.H

 「流した涙は心を潤す。」

 今年の徳島での森祐理さんのコンサートを鑑賞して、心に残った言葉です。

 泣くのは弱いことではなく、むしろ強くなるための糧なのだと思わされました。

恐ろしい台風を体験して

                                             T.S

 9月に猛烈な台風15号が、千葉県をゆっくりと通り過ぎていった。風速50mの暴風が3時間吹き荒れて、家は震度4ほどに揺れ続けた。生きた心地がせず、一睡もできず、恐ろしくてわたしの心は震えていた。そして、出来ることはただ祈ることだった。「わたしにはこの家しかありません。み心ならばお助けください。この家の屋根が吹き飛ばないように、壁が崩れないようにお守りください」と真剣に心から祈っていた。

 台風が過ぎ去り、あたりは静かになった。心の底からほっとできた。幸いにしてわたしの家の屋根も壁も守られ、またその後の停電も断水もなく助かった。しかし、あたりの被害状況を見て回ると、高さ10m以上もある大きな木々が根こそぎ倒れていたり、直径が40から50センチもある太い木々が、あちこちであたかも楊枝を折るように途中から折られていた。また、大きな街路樹が倒れて、カーポートに突き刺さっていたりもした。その様子から体験したことのない暴風だったことが改めてよく分かった。

 この試練を通して、わたしは変わった。これまでのわたしは、静かな夜を当たり前だと思っていた。しかし、恐ろしい暴風で眠れられぬ夜を体験してからは、静かな夜は神様が守って下さっていると感じられるようになった。そして、寝るときに「今夜も静かな夜を与えて下さり、有り難うございます。」と心から感謝するようになった。また翌朝も、「深い眠りを与えて下さり、有り難うございました」との感謝をもって起きるように変わった。

 当たり前の生活の一つひとつが、すべて神様の守りの中にあると感じられるようになり、いろいろなことにありがたいと神様に感謝できるように変わった。以前は「いつも喜んではいられないし、すべてのことに感謝はなかなか出来ないなあ」と心のどこかで思っているわたしがいた。しかし、恐ろしい台風を体験してからは、寝ているときもわたしが気づかないときでも、神様がいつも側で守っていて下さっていると感じられるようになった。「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ一 5の16~17)の言葉を心の底から味わうことができるようになり、感謝しています。

心に残る聖句

                     T.Y

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」      Ⅰコリント10の13)

私の支えとなるみことば

                      T.R

「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように、共に働くということを、わたしたちは知っています。」

             ローマ信徒への手紙8章28節

高橋 祐 高橋みこと

高橋 祐

高橋みこと

(小さなことでも準備が大切。神様の楽園に入るためにしっかりと準備すること。)

荒れ野の四十年

                 T.H

  「四十年の間わたしはこの世代を嫌い、『彼らは心迷える民、わが道を知らざる者』と言い怒って誓った、『彼らはわが休みに入るべからず』と」(関根正雄訳。詩編95の20,21)。イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態から、神が遣わされたモーセを通して解放された。「わたしは彼【イスラエル】の肩から重荷をのぞき、かご【苦役の道具】はその手から取り去られた」(詩編81の7)。出エジプトの後、神による紅海の奇跡を目の当たりにして、女預言者ミリヤムは小太鼓を手に取り歌った、「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し馬と乗り手【エジプト軍】を海に投げ込まれた」(出エ16の21)。しかしやがてイスラエルは約束の地を前にして強力なカナンの住民を恐れ上ってゆこうとしなかった。主は言われた。「わたしの栄光、わたしがエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度(とたび)もわたしを試みわたしの声に聴き従わなかった者はだれ一人として、わたしが先祖に誓った土地を見ることはない」(民14の22)、「お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまでお前たちの罪を負う」(同14の33)。

 詩編81編と95編は、神への礼拝と讃美から始まり、イスラエルの子らの先祖たち、出エジプト世代の頑なな心を明らかにし、それゆえに「み声に聴け」との神の警告で閉じられる。「わたしは君をエジプトの国から導き出した君の神ヤハウェである。君の口をひろく開けよ、わたしはそれを満たそう。しかしわが民はわたしの声に聴かず、イスラエルはわたしに従わなかった。それ故わたしはその心の頑なの中に彼らを放置した。その計画(はかりごと)のように歩むようにと」(詩編81の21,22)。「今日、君たちがみ声に聴き従うように、荒れ野なるメリバやマッサの日のように君たちの心を頑なにしないように。そこで君たちの先祖はわが働きを見ながら、わたしを試み、わたしを験(ため)した」(詩編95の7)。そして、冒頭の「四十年」の審判の言葉が続く。

 この詩編を読む時、私は身につまされる。私の場合は、しかし、神の一方的な憐みを受けて、40年間の放置・棄却寸前に御手によって引き上げられたとの感を深くする。わたしもまた、頑なな心、しかしそのことに気づかず、逆に自らの熱心さを免罪符にしていたのだ。

 26歳の時の福音の言葉による呼びかけから始まった歩みは、その都度その都度助けられて憐みは取り去られなかったが、頑なな心に真には気づくことがなく、除かれなかった。この熱心なわたしになぜはっきりとした聖霊の実感、劇的な回心の経験が与えられないのだろうか、と不平を持ち、心の底に神への不審と疑念を蔵していた。

 63歳の時、初めの呼びかけから37年目に、神の御手が触れた時(そのように私は信じているのです)、神への不審と疑念は取り去られた。間違っていたのはわたしであった。「罪びとの頭なる我。そんなにひどかった訳ではないさ、と自分に言う。しかし、二つの事実は、今わたしは認める。わたしはなにか心が魂が清澄ではなかった」(日記から。2016年1月17日(日))。「わたしはあの時神の判決を認め受け入れた。何十年も熱心に信仰生活を続けてきて、37年目になって始めから存在していた汚れを認めた。わたしは汚れていると。同時にもう一つ、わたしの自分本位性の認識も同時に示されたと言える」(2016年2月11日)。

 あまりに遅かった。自分なりに精一杯だったと思うが、この世的には恵みであるものを得る機会を失い続けた。他者に、父、母、兄姉、姪に多くの罪を犯した。しかし、得られなかったものへの悔いよりも、犯した罪、ことに、父母への強い罪責感にもかかわらず、日々感ずる「自分自身と他者から自由にされた、されつつある、自由の息吹(いぶき)の感覚」はなにものにも代え難い。解き放たれた自由の霊によって心は他者に対して恐れを感じつつも開かれてゆく。そして、この出来事がまったく外側から来たもの、意想外であったもの、それゆえに、自らの内側から分かって求め得るものでも、分かって求めたとしても、その力は自らの内にはないのである。その認識に至るとき、罪びとの無力と恵みは神の絶対的主権であることを知る。

荒れ野の四十年

                 T.H

  「四十年の間わたしはこの世代を嫌い、『彼らは心迷える民、わが道を知らざる者』と言い怒って誓った、『彼らはわが休みに入るべからず』と」(関根正雄訳。詩編95の20,21)。イスラエルの民はエジプトでの奴隷状態から、神が遣わされたモーセを通して解放された。「わたしは彼【イスラエル】の肩から重荷をのぞき、かご【苦役の道具】はその手から取り去られた」(詩編81の7)。出エジプトの後、神による紅海の奇跡を目の当たりにして、女預言者ミリヤムは小太鼓を手に取り歌った、「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し馬と乗り手【エジプト軍】を海に投げ込まれた」(出エ16の21)。しかしやがてイスラエルは約束の地を前にして強力なカナンの住民を恐れ上ってゆこうとしなかった。主は言われた。「わたしの栄光、わたしがエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度(とたび)もわたしを試みわたしの声に聴き従わなかった者はだれ一人として、わたしが先祖に誓った土地を見ることはない」(民14の22)、「お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまでお前たちの罪を負う」(同14の33)。

 詩編81編と95編は、神への礼拝と讃美から始まり、イスラエルの子らの先祖たち、出エジプト世代の頑なな心を明らかにし、それゆえに「み声に聴け」との神の警告で閉じられる。「わたしは君をエジプトの国から導き出した君の神ヤハウェである。君の口をひろく開けよ、わたしはそれを満たそう。しかしわが民はわたしの声に聴かず、イスラエルはわたしに従わなかった。それ故わたしはその心の頑なの中に彼らを放置した。その計画(はかりごと)のように歩むようにと」(詩編81の21,22)。「今日、君たちがみ声に聴き従うように、荒れ野なるメリバやマッサの日のように君たちの心を頑なにしないように。そこで君たちの先祖はわが働きを見ながら、わたしを試み、わたしを験(ため)した」(詩編95の7)。そして、冒頭の「四十年」の審判の言葉が続く。

 この詩編を読む時、私は身につまされる。私の場合は、しかし、神の一方的な憐みを受けて、40年間の放置・棄却寸前に御手によって引き上げられたとの感を深くする。わたしもまた、頑なな心、しかしそのことに気づかず、逆に自らの熱心さを免罪符にしていたのだ。

 26歳の時の福音の言葉による呼びかけから始まった歩みは、その都度その都度助けられて憐みは取り去られなかったが、頑なな心に真には気づくことがなく、除かれなかった。この熱心なわたしになぜはっきりとした聖霊の実感、劇的な回心の経験が与えられないのだろうか、と不平を持ち、心の底に神への不審と疑念を蔵していた。

 63歳の時、初めの呼びかけから37年目に、神の御手が触れた時(そのように私は信じているのです)、神への不審と疑念は取り去られた。間違っていたのはわたしであった。「罪びとの頭なる我。そんなにひどかった訳ではないさ、と自分に言う。しかし、二つの事実は、今わたしは認める。わたしはなにか心が魂が清澄ではなかった」(日記から。2016年1月17日(日))。「わたしはあの時神の判決を認め受け入れた。何十年も熱心に信仰生活を続けてきて、37年目になって始めから存在していた汚れを認めた。わたしは汚れていると。同時にもう一つ、わたしの自分本位性の認識も同時に示されたと言える」(2016年2月11日)。

 あまりに遅かった。自分なりに精一杯だったと思うが、この世的には恵みであるものを得る機会を失い続けた。他者に、父、母、兄姉、姪に多くの罪を犯した。しかし、得られなかったものへの悔いよりも、犯した罪、ことに、父母への強い罪責感にもかかわらず、日々感ずる「自分自身と他者から自由にされた、されつつある、自由の息吹(いぶき)の感覚」はなにものにも代え難い。解き放たれた自由の霊によって心は他者に対して恐れを感じつつも開かれてゆく。そして、この出来事がまったく外側から来たもの、意想外であったもの、それゆえに、自らの内側から分かって求め得るものでも、分かって求めたとしても、その力は自らの内にはないのである。その認識に至るとき、罪びとの無力と恵みは神の絶対的主権であることを知る。

15号と19号台風に思った事

                       T.M

 15号台風の時にはいろいろな方が心配して下さってお電話を下さいました。本当に力を与えられて嬉しかったです。ありがとうございました。

 我が家は奇跡的に停電もなく普段通りの生活を続けることが出来ましたが、この街を囲んでいた大きい木はぼきぼきと折れていて、風景が一変していましたし、車で移動すると、次々と目に入る景色が昨日とは全く違っていました。まず、信号が動いていないので、どこの交差点も渋滞、その上、車同士の事故。信号機は暴風でどれも横を向いている。プレハブ家屋が根こそぎ横倒しになっている。田んぼの中の大きな看板は同じ方向に倒れている。それでも昨日と同じように職場で勤め働いている人たちがいる。

夜になると、停電している地区は真っ黒。電気が来ないとこんなに暗いのか、と思いました。

 自分たちは電気も水もガスも来ているので普段と同じような生活を送っているのですが、停電地区のニュースをテレビで見たりしていると、いつもとは違う雰囲気で、何日かすると気持ちが疲れて来ました。

 こんなに災害がひどいのに、何の援助もなく、ただただ当事者が四苦八苦して生活している、という事に見捨てられているような気持ちになってきました。ある人は『すぐ道の向こうの家の明かりがついたのにこちらはまだ灯かないと見捨てられたように感じる。』と言っていました。その時、福島と沖縄の事を思いました。福島も沖縄もその土地の人たちは同じように見捨てられているような思いでいるのではないか、と。

 そのような中、何人もの遠くの方が電話を掛けてくれました。その声を聴いたときに本当にほっとして嬉しかったです。感謝でした。

 そのうちのお一人の方が「うちも昨年の台風で瓦が壊れて、屋根修理が今年の2月に漸く終わった」とおっしゃいました。それを聞いたときに、自分は今まで、被害に遭われた地域の事を知って大変だとは思っても、そこに住んでいる一人ひとりにまで思いを寄せる事をしていなかった、とハッとさせられました。今も自分の事ばかりで他の方の事に目が向いていなかった。心を配って一言でも声をかける事の大切さを思いました。

 また、私は電話をかけて貰った時、自分が温かい気持ちになるのが分かりました。その時に徳島スカイプでの日曜集会で教えて頂いた「(神様を)愛することは祈ること」という言葉を思い出しました。(マタイ22の37・マタイ7の21・コリント信徒への手紙二1の11)声を掛けることに消極的になってはいけないと教えられました。

 台風19号の時は、15号よりも大きいと予測されていたので、私たちは早々に近くの公民館に避難し2泊しました。固い床の上で沢山の人と雑魚寝だったので十分に睡眠はとれないけれど、頑丈な建物でみんなと一緒で安心して過ごす事が出来ました。真夜中に目が覚めたとき、一晩中起きて仕事をしていた係の人が「台風は通り過ぎて外は綺麗な星空ですよ」と教えてくれました。外に出たら満天の星。あまりにも美しかったので、その時に起きていた人にも声を掛けて一緒にまた外に出ました。神様がアブラハムに見せた星空はこんな感じだったのだろうか、こんなに美しい星空を見せて下さった神様に感謝でした。

恵みのとき

                       G.K

 秋晴れの空に金木犀が香る美しい季節です。暑い長い夏が終わり台風の時期も過ぎて訪れたこの穏やかな静かな季節をしみじみと味わい喜んでいます。

 今年は相次ぐ台風と大雨が長野や関東の各地に大きな水害をもたらし多くの人が被害を受けました。多くのものを失い心身共に傷ついたお一人お一人に神様の助け守り導きをお祈りします。

 私は今幸いなことに穏やかな日々を送らせて頂いています。時間に追われ心身をすり減らしていた生活を退き、自分と周囲に心を配るゆとりもできました。健康も守られ、キリスト教書店という良き職場も与えて頂き、神様の恵みのうちに感謝の毎日を送らせて頂いています。今までもそして今日も神の憐みと兄弟姉妹の祈りにより生かさせていることを思い感慨無量です。

 柿が赤く実り菊の花が膨らみ山茶花のつぼみも膨らみつつあるこの秋、私も人生の実りのときを迎えていると感じます。神様から与えられている穏やかな恵みのときを神を愛し人を愛する、神を賛美し神に喜んで仕える豊かな実りの日々とさせて頂きたいと願っています。

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっておりわたしもその人につながっていればその人は豊かに実を結ぶ」  ヨハネ十五章五節

心に残っている讃美

                      T.E

 罪ゆるされしこの身をば

   一、罪ゆるされし この身をば

     主イェスはいつも 愛したまいて

     永久の救いを 与えたまえり

     イェスこそわが主わが命

 

     (くりかえし)

     主はわがために 血を流し

     今も恵みを 与えたもう

     われ何をもちて これに応(こた)えん

     われ何をもちて これに応えん

 

  二、 この身は弱き ものなれど

     主イェスはいつも 祈りに応え

     絶えず導き 力を賜(たも)

     イェスこそわが主 わが力

 

  三、 世の荒波に 悩む時

     主イェスはいつも われをあわれみ

     心の痛手  すでてをいやす

     イェスこそわが主 わが望み (新生讃美歌300)

               (鍼治療院 天宝堂)

天地創造における三つの重要なこと

                       T.K

 風・光・水。これらは人が生きていく上に最も必要な神様が創造された物であり、聖書でも最初から記されている。

 風…地は混沌とし、闇と深淵が覆っていた。それだけではなく、神の霊(ルーァハ 息、風)も満ちていたとある。使徒二章二節から、「一同が一つになって祈っていると、突然激しい風が吹いて…一人一人に霊が留まり聖霊によって語り始めた」とある。自然界の風はとてもさわやかに感じる風から大災害を起こす風もある。しかし神様からの風(聖霊、神の息)がいつもいつも、たとえ微風であっても常に吹いている事を感じて生きていきたい。

 光…創世記一章三節で神は「光あれ」との言葉によって、混沌とした闇の中に光が与えられた。私たちも神の光を見ないと心はいつも混沌としている。ヨハネ八章の十二節に「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」とある。エペソ書五章八節からも「以前は暗闇であっても主に結ばれて光となっています。

 「光の子として歩みなさい。光からあらゆる善意と正義と真実とが生まれるのです。」とある。突然の暗闇に落ち込んでも見るべきもの、イエス様に顔を向けて暗闇から出ていけるのだ。神様からの光は求めれば求めるほど与えられる。

阪神エクレシアの学びより

 水…創世記二章十節には、エデンから一つの川が流れ出ていたとある。神様のいる所から水が流れ出ている。生ける水、命の水である。水がなければ私たちは死につながる。それと同じように神様から流れ出る水を飲まなければ枯れて死んだようになる。ヨハネ四章十四節で、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(いのちの清水を飲んで、新しい力を得よう、いのちの清水をのめばこころは満たされる)  (阪神エクレシアの学びより)

み言葉の恵み

                       N.S

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。        (マタイ11章 28~30)

 このみ言葉によって私は約六十年前の若い日に初めてキリスト教を知りました。若いときには何でもないものでも悩みの種になるものですが私も人並みに悩みがありました。そしてこのみ言葉に出会ったとき、本当に肩の荷がストンと音を立てて地面に落ちたように思いました。同時に大きな喜びと安心が湧きあがりました。私はこの教えには嘘がないと直感し即座に信じました。単純そのものでした。

 現在米寿を目前にしてもやはり悩みは尽きません。若い時よりもそれは重くなり手に余るものばかりですが、今まで罪深い私の長い人生を見捨てず守り導いてくださった、主を信じて仰ぐだけで生きる力を与えられます。

 聖書には恵みの言葉が満ち溢れています。しかし年と共に頭も弱くなり何回読んでも暗記できませんが、「わたしを信じよ」と言うイエス様の一番短い御言葉を思い出すだけで力が出てきます。残りの短い人生を恵みのみ言葉に縋って祈りつつ歩みたいと思います。

 救い主イエスキリスト様と、御子の御父なる全能の神様にすべての感謝と賛美を奉げます。

「矢嶋楫子伝ーわれ弱ければ」「讃美の紹介」

                       N.K

矢嶋楫子伝ーわれ弱ければ

 明治時代 キリスト教主義の女子学院の校長に「矢嶋楫子」という人があった。私はこの方のことを三浦綾子著「われ弱ければ」という本から知った。

 どこの学校でも校則というものはあるけれど、楫子が作った校則はただ一つ「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。」

 本当の意味で相手の人格尊重の思いがあれば、規則はそう多く作る必要はないが、会社にしろ学校にしろ 規則を持たないところはどこにもない。楫子は幼子のように神の力を信じ、校則が生徒を縛ることの空しさを感じていたようだった。

「人の心を治める者は神以外にはない。」宗教教育は人目を恐れる人間を造ることではなく、神を畏れる人間を造ること。試験の時間にも監督の教師を置くのをやめていったのもその一つの表れでした。

 矢嶋楫子をキリスト教に導いたのは、アメリカ人のミセス・ツルー女史でした。ツルーは牧師であった亡き夫の遺志を継いで東洋の日本で宣教する学校経営を手がけ、楫子を見込んで女学校の校長に迎えたのでした。楫子はツルー女史の人格に触れて、自分の自己中心的な姿勢に傲慢さを痛感し、「ツルーのような人格の人間が信じている神を、自分もまた本気で信じてみたい」と思ったのです。

 楫子自身は不遇な境遇の中で生まれ、成人してから一つの大きな罪を犯し、規則では押さえることのできない人間の弱さを自らの体験から痛感していました。自分の弱さを深く自覚した後、ひたすら神を見上げ祈りつつ歩んだ一生が書かれています。

 わたしは、矢嶋楫子伝を読み、次のパウロのみ言葉が思い浮かびました。

「わたしは自分のしていることがわかりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。」(ローマ書7の15)「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7の24) が、その後に「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。」(ローマ8の1~3)と続きます。

 楫子もまた聖書と出会いみ言葉に触れるうちに、この世で犯した罪を赦し、新しく生かしてくださるキリスト・イエスに出会い、霊によって深く信じる者とされたのだと思います。

 もう一つ、心に残っていることは、楫子が教会に通い出した頃、ヨハネ8章の「姦淫の女とイエスのまなざし」と主題のつけられた牧師のお話からです。

 牧師はこう言います。「…みなさん、イエスは何を思って、地面に何かを書いておられたのでありましょう。イエスはどんな表情をしていられたのでありましょう。醜く愚かなパリサイ人への嘲笑でありましょうか。はたまた憤りでありましょうか。それとも人間たちへの絶望でありましょうか。あるいは困惑でありましょうか。わたくしは限りない憐れみの思いにあふれていられたのだと思います。キリストのその御心を知る由もなく、人々は、『さあ、答えられたい、ゆるしか、石打ちか』と居丈高に迫った。しかしイエスは地面にものを書きつづけられた。人々はいらだってさらに迫った。するとイエスは、ようやく身を起こして、彼らを見まわして言われた。

 みなさん、イエスはなんと言われたか。これぞまことに驚くべき言葉であります。わたくしは世界の歴史上、これほどのみごとな言葉を残した人を知らないのであります。イエスは実に、『汝らのうち、罪なき者まず石を投げ打て』と言われたのであります。…この姦淫の女はその後いかなる一生をたどったことでありましょうか。聖書はその後のことについては記しておりません。しかしみなさん、わたくしたちはかのパリサイ人のような者であり、同時にこの姦淫の女のようなものであります。…最後にイエスは女に言い給うた。『われも汝を罰せじ、行け、この後ふたたび罪を犯すな』と。この言葉をわたくしたちの心に刻みつけようではありませんか。」

 楫子はその説教の後、不思議な喜びに満たされ、真剣にキリストに従うべきだと思ったとあります。この姦淫の女のみ言葉は主イエスの赦しと愛ーを最も象徴する話として私も深く心に刻まれています。忘れてはいけないみ言葉だと思います。

 そしてまた、日本にキリスト教を伝え、キリストの愛によってすべてを包み込み、楫子を信仰に導いていったミセス・ツルーのような方が歴史の中で多くあったこと、教育の世界に留まらず、様々な分野でキリスト教精神による活動の広がりがあったこと、主のご計画の深遠に思いを馳せています。


 

讃美歌の紹介

 「こがねの城を経めぐるとも」(讃美歌二の147番)

 この讃美は、日本では古くから有名な「埴生の宿」でも知られています「埴生」とは、「土で塗った粗末な家」のことです。この曲は、ジョン ハワード ペインというアメリカの劇作家の作詞、ヘンリー ビショップというイギリスの劇作曲家の作曲でオペラ音楽として1823年に作られました。14年後イギリスパプテスト教会の牧師によって讃美歌として作詞されました。「ホーム、スイートホーム」です。

 幼い頃、映画「ビルマの竪琴」で初めてこの歌を聴いたとき、不思議な印象と共に心に残っていました。その後アニメ映画 野坂昭如原作「火垂るの墓」でもエンデイングシーンで流れ、再び心に焼き付いていました。この何とも言えない郷愁、哀愁、魂に迫ってくるものは何なのだろうかとずっと不思議と心にありました。今年になってまた耳にしたので調べてみると、讃美歌にあることがわかりました。みなさんすでにご存じかもしれませんね。それぞれ一説だけ紹介します。

   唱歌 「埴生の宿」 作詞 里見 義

 1,埴生の宿も わが宿 玉のよそい うらやまじ

   のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友

   おお わが宿よ たのしとも たのしとも

二つの映画でそれぞれに使われた意味も分かる気がします。

 

   讃美歌二147「こがねの城を経めぐるとも」

1、こがねの城を経めぐるとも わが家にまさる住まいはなし。  したしきおもわ浮かぶところわが家のほかにあるべきかは

  ああ、わが家よ、みめぐみつきぬ 愛の園よ

 

 私たちにとって本当の「ホーム」は単なるハウスではなく、神様のもと、帰るべき所は神様の家なのですね。讃美歌二編 148でも同じメロデイーで「父なる神のさずけましし」があります。

   讃美歌二ー148「父なる神のさずけましし」

 1、父なる神のさずけましし、契約をとわに まもりそだて

   きよき愛もてむつみあえる われらの家はいともたのし

   ホーム・ホーム スウイート・スウイート・ホーム

   めぐみあふるる 愛の家よ。

集会でもよく用いています。ぜひ讃美してみてください。

ラクビー・ワールドカップに思ったこと

                       N.M

 2019ラクビーワールドカップ日本開催が近づくにつれ、私は、日本チームは弱いし、細かなルールもよく分からないスポーツだし、果たして日本開催は成功するだろうか…と不安視した。せっかく日本で開催されるのだから、せめてテレビで日本チームを応援しようと観戦した。

 タックルされた選手は、倒されては起き上がる。タックルした選手も倒れては起き上がる。体の大きな選手たちはスクラムを組んで力比べをし、スクラムの後方からボールが出れば直にスクラムを解き、出たボールの位置を確かめる。そして、瞬時に攻・守のポジションに散る。ホイッスルが鳴り、プレーが中断すれば、どの選手も汗がしたたり落ち、肩で激しく呼吸する。

 また、プレーが中断する度に選手が集まり、真剣な顔で意見交換し意志統一を図る。ホイッスルが鳴り、審判から危険なプレーと判断されペナルティーを宣告されれば、キャプテンは審判に歩み寄り、神妙な顔をしてその説明を受け、素直に従う。

 試合時間が長くなると相手チームの動きも予測でき、守備ラインの薄いところを狙い、ボールを持った選手が後方を走る選手にパスをすると見せかけて相手守備を引き付け、他の味方選手にパスし、見事にトライ。トライした選手にチームメイト数人が駆け寄り、肩をたたいたり、頭をこすったりして称える。

 やっとトライが成功したというのに、派手な喜びを表さない。これは「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」の精神があるからと言う。それと言うのも、平均体重が100キログラムを超す両チーム16人のフォワードスクラムの格闘をはじめ、タックルしてはボールを奪い合い、何度もパスを重ねてトライ成立するまで、15人全員の力が結集した結果だからである。

 ラクビーの特徴は何かと問われれば、私は「愚直なスポーツ」と答えたい。あらん限りの力で押し合い、ボールを奪い合い、ホイッスルが鳴れば、審判の判定に従順に従う。ノーサイドの笛が鳴れば、敵味方を越えて健闘を称え合う。相手チームの選手と健闘を称え合うことが素直にできるのは、敵味方双方の選手が、体力の限界ギリギリまでプレーしたことを一番よく分かっているからであろう。試合終了後しばらくの間、観客も敵味方の区別なく全員総立ちになり惜しみない拍手を送る。

 もう一つの特徴を言えば、外国出身者が多いことだろう。

 他のスポーツと比べ緩やかな条件のため外国出身者が多いと言われている。この点からしてもラクビーは、今日のグローバル化が進む時代を先取りしたスポーツと言える。「外国人」を敏感に感じてしまう島国日本人の私達の内に根付く意識は、時流に合わないことに気付かされる。

「愚直」にボールを追う姿、この姿は、キリスト教を信じる私達に、ひたすらイエス・キリストを信じなさい、と教えられているように思います。私達は、「神、イエス・キリストのため」、また「隣人、特に小さき人」のため、信仰に生きます。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコ12の29~31)の御言葉に従います。

 イエスは、私たちの罪を贖うため命を捨てられました。ご自身の生涯を棒に振りました。イエス・キリストが私達のためにどのようにしてくださったか、ただキリスト・イエスだけを見詰めなければなりません。

 イエスが十字架上で流された汗、血は、そのために命を落とされたので、ラクビー選手の流した汗とか血とは、比べ様もありません。その上、イエスは、あらん限りの拷問、侮辱を受けました。この世を去る十字架上のイエスの姿を心に刻み、命を捧げられた愛に、私たち一人一人がどのように応えるのか、「めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」(ガラテヤ6の5)の御言葉を忘れずに歩まなければならないと思います。

 ノーサイドの後、インタビューに応える選手の顔がアップで画面に映し出されました。疲れ切っているにもかかわらずインタビューアーの質問にじっと耳を傾け、試合を冷静に振り返り、丁寧に答える姿の美しさに、他のスポーツにない爽やかさを感じたのは、私だけでないと思います。この謙遜な姿は、自分を捨て、ただチームの勝利のためにプレーした証しではないでしょうか。ラクビーファンなら誰もが、選手の謙遜な一途な姿勢に感銘を受けると思います。

 私達も、主イエスのために汗をかき、痛み、苦しみに耐えながら、為すべき具体的なものを示されるよう、一人一人が祈りの中で示された道を一歩ずつ進んでいきたいと願っています。

母の闘病

                       H.H

「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。」   (Ⅰコリント16の13~14)

 2019年は試練の連続でした。お祈りを感謝します。

 1月に私はインフルエンザと続けて咳喘息になり、母に感染しないようになるべく別室に居たのですが、おなじように咳をしていた母が食事もとらずに寝続けていました。咳がひどくて食べられないのかと様子を見ていましたが、連休明けに脱水と意識障害を起こし救急搬送されました。

 「急性腎不全」や「敗血症」などで命が危ない状態でした。集中治療室にいた4日間はとても不安で心配しましたが、個室へ移ってからは徐々に意識もはっきりしてきて安心しました。その後、服用している薬の調整もあり、2ヶ月入院しました。

 3月は間に合わないかと思っていた森祐理さんのコンサートに参加でき、お話と賛美を聴くことができ多くの恵みをいただきました。

 そして私は母の腎臓は良くなったと思っていたので、イースター特別集会の感話で神さまへの感謝を伝えて いつも通りの生活に戻れると思っていました。

 ところが前月の採血検査で「慢性腎不全」と診断されました。食事療法を始めることとなり栄養指導を受けたところ、私の食事療法とは蛋白摂取量など制限が異なるので、本などで一から勉強です。

 しかし同じ頃にもっと大変な病気が見つかり、食事療法どころでなくなってしまいました。

 近所の耳鼻科、眼科で診てもらったところ、大学病院の眼科へ紹介されました。

 そこで「悪性リンパ腫」と診断され、抗がん剤治療と、脳に近いので脊髄腔に抗がん剤を注入する治療を受けました。

 副作用もいろいろとありましたが、 約2週間で退院できました。

 母は不安感が強いようなので、入院中は昼過ぎから消灯まで話し相手をしていました。

 1月の救急搬送から始まり、大学病院のそれぞれの診療科の主治医からの説明を聞くたびに深刻な内容が続いたので、精神的にきつい時もありました。

しかし母が精神科の薬の量が変わったり、なんども告知を受けたにもかかわらず、大きく落ち込むこともなく「先生が言った通り、次々と検査と治療をしていくしかない。」と前向きに闘病を続けられていることに感謝します。

 これからも苦しい治療は続きますが、神さまが癒しの方法を備えてくださっていると信じて母と共に病と付き合っていこうと思います。

 日没の時間帯に、鳥が集団で東へ飛んでいく様子や美しい夕焼け、山の向こうに太陽が沈んでいく様子を病室から見ることができました。   

 東の空に雨上がりの虹を見ることもありました。

 母の好きな飛行機雲もよく見えました。

 ふだんはゆっくり見ることができない風景をふたりで眺めることができました。

 不安な時、苦しみの時のあいだに、恵みの時も与えてくださる神さまに感謝でした。       (無職)

最近の出来事から

                        N.Y

 2019年10月に参加した無教会全国集会ではとても恵みを受けた集会となりました。福島県二本松市から参加されていたOさん。この年の台風19号で田んぼ2反(600坪。聞き間違えでなければ)が完全に浸水するという水害に遭われたそうです。大きな被害があった中でいろいろな話を聞かせていただきました。治水が一般的になる前にはこうした河川の氾濫や水害は多発していたこと、そして同時に、その水害によって山から運ばれてくる養分で田畑の土が豊かになること。しかし現在はコンクリートで護岸された堤防やダムのために山からの水には栄養がほとんどなくなってしまっていること。Oさんの畑は無農薬です。周りは農薬を使っていますが、自分の畑の作物に起こるいろいろな不思議なこと、自然の驚くべき作用を、実体験を基にたくさん伺い知りました。神様の深いはたらきを思い知りました。

 また最近のNHKニュース(十一月三日)で、「小中学生の九割が近視」というショックなニュースを読みました。原因は調査中ですが、屋内で過ごす時間が増え、外で遊んだり、光を浴びたり、遠くの木々や緑を見ないようになったことが主因のようです。

 この二つの出来ごとを通して、私たちは知らないうちに神様の大きな恵みの中から離れていってしまっているように思いました。水害のリスクを減らすための護岸工事、人の生活を豊かにする屋内での様々な活動。それ自体は悪いことではないはずですが、神様からの恵みを感じる機会が減ってしまっているようです。

 今回の無教会全国集会では農福連携(農業+福祉)の施設経営の中で神様の視線を感じておられる方の話、平信徒伝道で生きた信仰をつらぬいたノルウェー人の話、宮田咲子さんの主日の聖書講話など、神様をそば近くに感じ、み言葉をもって日々を歩むということを主が伝えてくださっていると強く感じました。

扉を叩き給うイエス

                       Y.

 就職した最初の年、私たち新入社員は外部の研修講座を受けさせられました。私はどういう訳か東京神田の「話し方教室」に行くことになりました。きっと話すのが下手だと思われたのでしょう。それは週一回小さなビルの一室に仕事帰りの十数人が集まる講座でした。顔ぶれは年齢も仕事も様々な男女で学生もいました。そんな中に一人加わったのです。

 第一回の日、講座運営の司会者に「皆さん、今日は何も用意がないでしょうから、ご自分のお母さんについて話してください。時間は五分で。」と言われて、順番にそれぞれ母親のことを話しました。その一人は母親が亡くなったばかりだった若い女性で、涙ながらに母への感謝を話しました。そして全員が終わったところで、司会者が「今日の皆さんの話を聞いて一番良かったと思う人は?」と全員に投票させました。母親を亡くした女性が多くの票を集めましたので「今日はあなたが一番」と、ご褒美に鉛筆を一本貰ったのでした。

 それから毎回同じことを繰り返すのです。先生はおらず、司会者がいるだけの講座です。二回目から話すテーマは自由、五分の時間だけは厳守です。さてそうなると、いつも今度は何を話そうか、と気をつけながら生活することになります。講座の期間は三ヶ月余り(十数回)だったでしょうか、毎週のことですから大変です。

 さて、講座が終わって不思議なことが起こりました。毎回鉛筆を貰う人が変わるのです。終わってみると参加者全員が仲良く一本ずつ貰うような結果になりました。そこで学んだことは、良い話とは、話す本人が感動したことが話されることに尽きるということでした。話術などは無関係、トツトツとした話し方でも、感動したことが話されると聴く人も感動するのです。そして皆が均等に鉛筆を貰えたということは、全員等しく感動する体験をしているのだ、ということでした。先生はいない講座でしたが、良い学びをさせて貰いました。

 私たちの集会では、約一時間の聖書講話の後、お茶の時間をもっています。皆さんが感想や一週間で経験したことなどを自由に話されます。しばしば小さな奇跡の体験談で、本人はそう思ってなくても、主がなさったとしか思えない奇跡についてです。「話し方教室」とは違って話されない方もおられますが、あの時学んだことからしても、ひとり残らず等しく小さな奇跡を経験しておられるのだろうと思います。イエス様は全ての人の心の扉を叩いて下さっていて(ヨハネ黙示録三:二〇)、それはクリスチャンに限られていないに違いありません。スルーしてしまわないように、目を覚ましていることが求められていると思います。                 福岡聖書研究会

復活の恵みを信じて歩む

                       F.F

 キリストを信じる者でもアダム以来、人間に罪が入り、この世で生きている限り神様の前では私ども、すべて罪人であります。罪を神様から指摘され、その許しをイエスキリストの十字架に求め罪、許され平安と力が与えられ感謝です。

 神様の前には、私は、いつも小さきものとして歩んでいくことが神様から、さまざまの愛をうける幸いを教えられ感謝です。神を信じて歩む信者には復活の恵みがあたえられることを内村鑑三著「一日一生」二月二十二日から紹介します。 

復活の恵みを信じて歩む

 しかし事実、キリストは眠っている物の初穂(はつほ)として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムによってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。 (コリント書第一書一五・二○--二二) 

 信者が復活するのではない、彼のうちに住(す)みたもうイエスが復活するのである。彼は義によりて生きたもうのである。しかしイエスは信者のうちにありて復活したもうて、信者と共に復活したもうのである。信者はイエスの復活の同伴にあずかるのである。彼と共に挙(あ)げらるのである。「われ生くればなんじらも生くべし」(注)と彼が言いたまいしはこのことである(ヨハネ伝一四。・一九)。かくて信者の復活に、あえて不思議なるところはないのである。イエスの復活が当然であり自然であるがごとくに、信者の復活もまた当然であり、自然であるのである。   注 旧約

 信者は死によって罪から開放され神さまの元に行きイエスの復活の同伴にあずかり、さきに逝った愛する人たちと同じ世界に行ける幸いを感謝します。

この感謝を与えられて日々歩んでいけることは信者の特権だと思います。

小さな決心

                            F.S

 主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。

                 (Ⅰヨハネ三章・十六節)

 今夏、衝撃的な出来事がありました。かつて、小学校教師をした時に担任した子(女性)が人の命を奪うという罪を犯し、裁判の結果、懲役十五年の刑が確定したという報道に接したのです。

 当時、こちらでは連日報道されたのですが、その時は気づきませんでした。しかし、今年に入り裁判が行われるということで、再び新聞やテレビで報道がなされ、年齢も明示されてあり、名前と年齢から、今回急に、「もしや」「まさか」との思いが生じたのです。嘘であって欲しい、と願いながら、恐る恐る、担任した当時の学級文集を取り出しました。学級名簿を綴じていたからです。ああ、間違いなく彼女でした。「どうしてあんな子が…」!今も信じられません。

 私がこの子たちを受け持ったのは、今から二十六年前、一九九三年度(平成五年度)、鹿児島市のS小四年担任の時。私は当時四十四歳。全国的に有名になった八六水害を経験した年でもあり、その点でも今も忘れられない年度です。歴史的な大雨で近くの川が氾濫し、学校の校舎は一メートル三十センチ浸水しました。

 先の学級文集には学校提出用で家庭にも配布した「学級経営案」(B四)も綴じています。「学級経営の目標」の一つに「人の心の傷みがわかる子供の育成」を掲げている。また、「学級訓」の項には、「○強く かしこく 心豊かな子 ○よく見 よく聞き よく考える子 ○人にしてほしい事を自分からする子」、最後の「担任の信条」の欄には、「○どの子もかけがえのない人格を持ち、存在価値は等しい。 ○目に見えないものこそ大事である。」と、一応もっともらしい事を書いています。「ねっこ」というのが学級通信(週報)の名称でした。「〃目に見えないもの〃、しかし、それがなかったら成長も生存も見込めないもの―それは木で譬えるなら「根」「根っこ」だと思うからです。…こ」と、第一号に書いています。人生の根の営みに小学校教育の貴さがあるとの思いは、今も変わりません。

 始業式の翌日から六月末まで「窓ぎわのトットちゃん」の読み聞かせをしました。これはその数年前から始め、その後担任したどのクラスでも、一年生でも六年生でも実践しました。彼女も気に入って家庭でも話していたのでしょう、読み聞かせが終わる頃、帰宅したら母親が「トットちゃん」を買って来てくれていて、彼女が小躍りして喜び、これから自分で毎日読もうと書いた日記が、「ねっこ」に残っています。

 学級通信「ねっこ」の半分は、たいてい子どもたちの日記を掲載しました。三十三名分を平等に掲載する方針でしたが、なかなかそういきませんでした。日記は短文ですが、題をつけて書かせました。彼女は題材の見つけ方も書きぶりも優れていて、一年で七回載せています。感受性が豊かだったことが、残された日記からもうかがえます。

 学級文集には、全員の作文も一つずつ綴じています。彼女は「八月六日の災害」の題で、臨場感豊かに書いています。そして、その最後を「こわれた家とか橋、道路などが早くよくなって、元のような平和な鹿児島になるように、私は、神様にいのりたい。」と結んでいます。学習発表会では、国語の教科書で習った「ごんぎつね」を私のシナリオで劇にして発表しました。彼女は、主人公の「ごん」と共に人気の多かった「兵十」の前半役に選ばれ、好演しました。「うん、少しは入ってるぞ。うなぎはいねえかな。おっ、いたいた。おっかあが喜ぶぞ。」と言って、あみの中から取り出し喜ぶ彼女の姿がアルバムに残っています。笑顔がすてきで、誰にでも優しく、友達に信頼されている存在でした。ああ、そんなあの子が!

 結審したのは八月で、もうだいぶ日が経ってしましました。 私にできることは、「大丈夫、心配しないでいい。神さまは、どんな人もお見捨てにならない。イエスさまを信じ従っていけば、希望を持って生きていける。」と伝えることです。

 十一月八日、一年ぶりに吉村先生においでいただき、ルカ七章三十六~五十節を基に「多く赦された者は、多く愛する」の講話をいただきました。今の私に、そして信じられるならば、彼女にも、最も力と慰め、希望をかきたてるものでした。ただただ、愛なる神さまに感謝です。

「どうやって」彼女に福音を伝えたらいいか、と自分中心に考える自分があり、自信がなく勇気が湧かず、ズルズルと日を重ねていました。救いは「神さま」がなさるのだと言い聞かせて、すぐにも獄中の彼女に会いに行こうと決心しました。

光をいただき

                      M.K

 去年の12月、娘が1300gの極小出生体重児を出産しました。入院中、高齢による色々な合併症が発生して度々の検査や その検査結果を聞くとき 病室で2人で いつもお祈りをしました。 お祈りの時、いつもお祈りを合わせる事が出来る神様の大きな恵みを思いました。

 小さな命を助けて頂きましたが 現在2つの病気があるので小児外科と小児内科で定期的な検診を受けています。

 その度にお祈りを合わせる恵みを頂いています。お祈りをしていると 信仰の薄い者ですが 罪を赦して下さり 罪の中から救い出して下さり 清い光の中へと導いて下さり 光の中で包み込んで下さるように感じます。

 4月の聖書講話の礼拝CD(*)で「光の子」を学びました。

「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。」(テサロニケ5-5)

 本当の光は天地宇宙を創造した神様、そして神様の子イエスキリストである。そのイエス様を信じるとき、私たちはいつも霊の太陽の光を受けている昼の子となる。

 イエス・キリストこそが光。私たちはその光の中を歩ませていただいている、と吉村先生に教えて頂きました。この恵みをありがとうございます。

 毎月、礼拝CDを送って下さる数度様ありがとうございます。

この1年も「いのちの水」誌「集会だより」そして貝出様の詩集「祈り」を吉村先生より送って頂きました。

 ありがとうございます。この恵みを感謝してお祈りします。

「神は、わたしたちの主イエスキリストによる救いにあずからせるように定められたのです。」(テサロニケ5ー9)        (松山市)

*)編者注 礼拝CD(集会CD)とは、徳島聖書キリスト集会の主日礼拝と夕拝の全部の内容をMP3形式で録音したCDのことで、毎月はじめに前月の録音を希望者に送付しています。

費用は、毎月五百円(送料込、一括一年間支払も可)です。この録音CDを聞くには、MP3対応のCDプレーヤまたはパソコンが必要です。MP3対応のCDプレーヤは、種類が少ないのですが、ソニーのCDラジオ(型番ZS-E80)が使いやすくて、多くの人に用いられています。

聖句

                       M.K

   神は愛なり

        (第一ヨハネ四・一六)

キリスト者の完全

              M.K

 息子が中学生の時、「聖書は道徳の塊だ」と言いました。聖書を知らない日本人は殆どの人がその様に思っているのではないでしょうか。  

 十戒の後半、「汝の父母を敬え。殺すなかれ。姦淫するなかれ。盗むなかれ…等」を知っていても前半の「汝、我が顔の前に我の他何者をも神とすべからず。何の偶像をも彫むべからず。安息日をおぼえて潔くすべし。…等」は知らないのではないでしょうか。

 内村鑑三は「キリスト教は道徳教ではなく贖罪教である」と言いました。イエス様が私の罪の為に十字架に掛かって 下さいました。罪と言えば信者でない人は殺人、強盗、偽証…等、法律を破るような罪を思い浮かべますが、キリスト教は「心の内なる罪」も大きな罪です。妬み、恨み、怒り、貪り…等が全くない人はいません。この「内なる罪」はどうしても人間の力でなくすことが出来ません。

 信者でない人が一人で聖書を読むとこの「内なる罪」に気付き難く、奇跡の所にくると小説の作り話ように受け取ってしまうのではないでしょうか? 自分の「内なる罪」に気づかない限り、その人にとってイエス様は必要ないでしょう! 日本で伝道は本当に難しいと感じます。

 マタイ5章48に「天の父が完全な者であられるように、あなたがたも完全な者になりなさい」とあります。ここを読めば誰でも「神様と同じように完全になるなど、絶対無理」となるのではないでしょうか。

 「キリスト者の完全」とは、品行方正で誰からも非難されることのない人ではありません。「義人はいない、一人もいない」と聖書にあります。神様のように心まで真っ白な人はいないのです。では「キリスト者の完全」とはどのような人の事でしょうか。

 品行方正で真面目でよく働く兄が、父から何のご褒美も褒め言葉もなく、放蕩息子の弟は先に父から財産分けをしてもらい家を出て行きます。しかし、お金が無くなると厚かましく帰ってきますが、父が怒るどころか、かえって父から絶大な歓迎を受けます。

キリスト者の完全

 この箇所の聖書を少し読んだ信者でない友達が「可笑しい、解らない」と言います。でも私とNHKのチコちゃん5歳は知っています。

 キリスト教は良い行いをたくさんすれば、救われるのではなく、神様に繋がっていることが完全な人である。品行方正の兄には彼の内に「神の言葉」が無かったのである。 表面的に「良いこと」と思われていることをするだけでは、傲慢になったり、人をけなしたり、知らず知らずの内にそうなってしまい、本当に人間は弱いものである。父が弟を温かく迎えたように、神様は神に立ち返る人をいつも温かく迎えて下さる方です。

 イエス様は言われました「7を70回赦しなさい」。神様の内に留まっていることが「キリスト者の完全」である。神様への愛も人への愛も少ない私ですが、この世にある限り神様の内に留まって行きたいと願っています。

日韓対立を憂う

                M.K

 私は学生時代に、ある在日朝鮮人の家族と出会い、在日朝鮮・韓国人問題に関心を持ち始め、一九七二年夏に、「韓日友和の会」(政池仁会長)主催の、韓国で行われた「国際青年ワークキャンプ」(前半の一週間は韓国第三の都市・大邱でワークと慶州見学、後半の一週間はソウルと近郊の見学)に十五人の青年たちとともに参加し、この二週間の韓国旅行の体験がきっかけとなり、公立学校の教員をやめて、一九七四年から一九七七年まで約三年間、韓国の高麗大学校に留学し、韓国史とキリスト教史を学びました。帰国後は、東京のキリスト教主義の恵泉女学園中学・高校で社会科の教師として約三十年間働き、特に、留学体験をもとに日本と朝鮮に関する授業に力を入れて取り組みました。その間、一九九五年から現在まで「日韓青年友和の会」(歴史的謝罪にその活動の基礎をおく)に関わり、韓国側の「韓国聖書信友会」という無教会のグループの協力を得て、日韓の青年同士の相互理解と交流の旅を目的とした活動を立ち上げ、日韓の平和の礎に寄与すべくささやかなボランテイア活動に関わって、約二十五年経ちました。

 私が関心を持って以来約半世紀が過ぎ、「朝鮮半島と日本」の関係は、山あり谷ありで、決して平たんな歩みでなかったことは言うまでもありません。北朝鮮とは我が国が国交を結んでいない唯一の国として敵対して来ましたし、特に拉致問題をはじめ、核・ミサイル問題を通じで国民感情が悪いことは変わっていませんが、南の韓国とは二〇〇〇年代に入り、サッカーのワールドカップ共催や「冬ソナブーム」などの韓国文化への関心の高まりで、国民レベルでは交流と理解が進み、今や日韓を往来する人々が一〇〇〇万を超える時代となり、関係は徐々に広がり深まってきていると思っていました。しかし、最近は日韓両国の政治的対立が厳しくなり、両国民の悪しきナショナリズムがぶつかる戦後最悪の深刻な状況となっています。

 もちろん、韓国の文在寅大統領の日本に対する政治的対応の問題があることは事実ですが、他方、六月末のG二〇経済会議以後の安倍政権の居丈高な対応も問題があります。参議院選挙前を意識して、韓国に強硬な姿勢を示すことにより、安倍政権を支持する勢力や反韓感情を持つ有権者の票を取り込もうとする一連の動きがありました。既に、一九九〇年代から始まっていたアンダーグランドの反韓感情が、二〇〇〇年代に入ると、ヘイトスピーチなど表面化してきて、安倍政権時代に野放しの状態になり、一部のメディアも反韓感情を煽っていますし、「反日」を煽る韓国のメデイアも問題であります。

 このような安倍政権をはじめ、反韓感情を持つ日本人の背後に、明治時代以来の朝鮮・韓国人へ誤った蔑視・差別感情、日本国の相対的衰退への焦りと不安、分極化が進み、貧富の格差が広がり、苦しい生活を強いられている人々の社会や政治に対する不満が底流にあります。本来なら、安倍政権や自民党の政治に向けられねばならないことですが、国民の大部分は情報操作によって騙され、逆に支持している状況ではないでしょうか。

 根本的問題は、1910年から一九四五年までの植民地支配をめぐる歴史的認識の違いにあります。韓国側は「韓国併合」を非合法として認めず、「三六年」間の植民地支配への批判があり、他方、日本は「併合」を合法として、植民地支配に対する反省に立ち、心からの謝罪をせず、アメリカの圧力によって結ばれた「日韓基本条約」(「賠償」という言葉は使わず、「独立祝賀金」として経済協力の名目で、有償・無償併せて五億ドルはお金ではなく、日本国の「生産物・役務」の供与で、結果として日本経済の発展に寄与するものであった)で済んだという姿勢が、真の解決に至らない原因であります。一体、反韓感情にいきり立っている日本人は、どこまで日韓(朝)の近代史、「三六年」間の植民地支配の実態、「日韓基本条約」の内容を学び知っているのでしょうか。悪しき歴史修正主義を妄信し、相手を深く理解して自らを省みようとせず、自らの知的貧困・想像力の欠如を露呈しています。自らを正しとせず、謙虚に、韓国の人々の主張を聴いて判断すべきであります。

 「韓国なんかと付き合うな」という暴論まで飛び交っていますが、果たして、それが可能なのでしょうか。国家間の利害がぶつかるのが国際社会であり、平和的関係をいかに構築するかが政治・外交力であるはずです。私たちは極右化しつつある日本社会の中で、冷静に考え対処しなければならないと思います。

 「朝鮮半島と日本」は地理的関係から、古代以来交流して来たし、これからも否応なく付き合っていかねばならない隣国です。朝鮮半島とどう向き合うか、今日本人全体、特に、「天に国籍を持つ」キリスト者一人一人が問われています。

                   東京・渋谷聖書集会

不思議な助言者

                               Y.M

 今年、主の2019年もあと2か月余りとなりました。間もなく主の御降誕を祝うクリスマスの時を迎えようとしています。クリスマス礼拝で朗読されることの多い、旧約聖書イザヤ書第9章6節の御言葉「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」(口語訳)。救い主メシア誕生の預言の御言葉です。「その名」の四つの名称は神のまことの御一人子、主イエス・キリストの御性質と神ご自身であることを啓示しています。

 高校生の時に信仰が与えられた私は、この御言葉に非常に強く印象づけられました。ただ、その中で、「霊妙な議士」とはどういうことなのだろう。とても含蓄のある、たぶん名訳なのだろうけれども、ぼんやりとしたイメージの言葉として時が流れました。その後、1970年9月に新改訳聖書が発行されました。新改訳聖書によりますと、この箇所は「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」とあります。そうか、「不思議な助言者」ということかと、納得がゆきました。新改訳聖書による9章6節の訳は、その後、第1版から第3版、またこのほど発行された新改訳聖書2017も一貫して同じ訳です。

 また、私が36歳の時、同じ教会の信仰の先輩で、私の父親と同世代の方ですが、お母さまが逝去され、お花料のお返しに、King James Versionの聖書を頂きました。この英文聖書によるこの箇所は“and  his  name  shall  be  called   Wonderful,  Counselor,  The  Mighty  God,  The  everlasting  Father,  The  Prince  of  Peace. とあり、ああ“Wonderful,Counselor か、なるほどと思いました。ちなみに、頂いた聖書の後ろの白紙に、吉岡正行兄 母とみ昇天記念 昭和53年9月26日 藤平重雄 と毛筆で達筆に書かれていました。藤平兄は、90歳を過ぎても、北浦和伝道所の委員として、礼拝の司会や奨励のご奉仕をされ、牧師の松尾節先生を支えておられました。奥様もキリスト者で、その弟君は、東京芸大教授の服部幸三氏で、さいたま市に住んでおられました。NHK.FMのバロック音楽の解説を長年にわたりされた方で、キリスト者として、最近主の身元に召されました。

 そして、1987年に日本聖書協会から、カトリックとプロテスタントによる「新共同訳聖書」が発行されました。その翻訳によると「ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にあり、その名は驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。」英文聖書によると“Wonderful”だから「驚くべき」と訳すことは「不思議な」と共にどちらも欠かせない意味をもっていると思いましたが、「指導者」については、“Counselor”よりも意味が広い訳だと思いました。しかし、ヘブライの聖書をとりだして見てみると、ここは、「ペレ ヨーエーツ」と書かれています。「ペレ」はランゲシャイトのヘブライ語小辞典に“wonder, wonderful thing  or  deed, miracle“とあり、「ヨーエーツ」は名尾耕作先生が編纂された旧約聖書ヘブル語大辞典によると「顧問、助言者、議官」、ホラデイのヘブライ語辞典には“Counselor”とありました。それで、日本語の翻訳聖書はどれも良い翻訳であり、口語訳聖書が「霊妙な議士」と訳した意味も、理解できました。

 今年のクリスマスで、私は信仰生活が満60年となります。この小さき者が

(主の2019年10月30日に)

何とか、今日まで、歩んでこられたのは、聖書の御言葉おかげであり、主の御憐み以外の何物でもありません。イエス・キリストは「道であり、真理であり、命」です。本当に、主の御言葉は豊かで、慰めに満ちていると思います。主は、日々を、どのように生きてよいか分からなくても、祈ることによって、私たちと共にいて、行くべき道を示してくださる、「不思議な、驚くべき、奇跡の」、「顧問、助言者、カウンセラー、指導者」として、私たちのそばにいて、常に導き、守って下さる主、メシアです。その深き恵みに、感謝しつつ、今年もクリスマスの時を迎えたいと、願っています。(主の2019年10月30日に)

讃美歌はわたしの応援歌

                        Y.I

 一日は、CDカセットにセットされている、讃美歌名曲集の再生ボタンを押すことから始まります。

優しく、厳かに、そして時には悲しく、歌は住まいに広がり私を包んでくれます。

 朝の食事のときには、集会でパンと紅茶をいただくときに歌う感謝の歌を手話をしながら歌います。

 今朝、無事に目覚め、こうして食べ物をおいしく食べることができる身体を感謝し、今日一日を御教えに背かず過ごせますように、イエス様の御名により感謝してお祈りをいたします。

 家事をする間も歌は流れ、私に語りかけます。讃美歌は聖書のようだと思います。聖書は携えていたら仕事はできません。でも、歌はいつも共にあります。神様の愛を語り、勇気を与え、ともすれば迷いの道へはみ出そうとする心を引き戻してくださいます。私は自動車の運転はできません。自転車にも乗れないのです。どこへ行くのも歩きます。

 買い物に行って重い荷物を抱えて、家路をたどります。外出のときはカセットはありません。けれど、小さな声で歌いながら歩きます。「主我を愛す」そして「歌いつつ歩まん」です。ハレルヤ♪ハレルヤ!重い荷物も、神様がそっと手を添えてくださっている、少し軽くなった、そんな気がして元気が出ます。イエス様は共にいてくださる、「一人じゃない:一人暮らしもこのごろでは淋しくありません。集会に行けば共に進む人達がいます。

 家にも神様のことを話せる友が、遊びに来てくれます。私に後どれほどの時間が与えられているのかわかりませんが、このようなうれしい老後をくださいました神様に感謝し、そして讃美歌に感謝して、イエス様の御名によりお祈りいたします。アーメン。ありがとうございました。

弱き者へのよい知らせ

                       A.S

 

詩篇103  2~4

 わたしの魂よ、主をたたえよ。

 主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。

 主はお前の罪をことごとく赦し、

 病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。

 

 信仰生活を始めて、大きく変わったことは、いつも感謝をできるということです。自分の罪が赦された感謝、神様がよくしてくださったことへの感謝、目が見え、歩け、声を出せる、文字を書ける、今まで、特に気づいていませんでしたが、それらは、すばらしい神様からの恵みであると思います、創造主の神様への感謝がうまれます。

 一方、この世では、単純な仕事しかできない人、能力が低い人を見下したり、差別があるように思います、差別を受けている人にとって、神様は本当の避け所になります。

 

ヨハネの福音書6の37

わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。

詩篇46の1

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦、苦難のとき、必ずそこにいまして、助けて下さる。

 

御言葉によって、また自分の存在価値を保証してくださります。

エペソ2の10

私たちは神の作品であって、良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いを歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。 

 自分は普通の人が普通にできることで、できないことがあります、しかし、そのような苦手な部分を嘆くばかりでなく、苦手な部分が、あまり出ないような仕事の方法や奉仕を見つけて、自分を最大限に活かすことが大切だと思っています。奉仕にも、聖書を教えることだけでなく、困っている人にパンを分配する奉仕、メッセージを多くの人に届ける奉仕、苦しんでる人と一緒に聖書を読む奉仕、神様は限りなく、用意してくださっているように思います、何か一つの仕事や奉仕で行き詰っても(適合する努力、工夫も必要だとも思います)、きっと神様は別の道を用意してくださっていると思いますから、あきらめないでチャレンジをしたらよいと思っています。一人一人は神様の作品なのだから、きっと神様が良い道を用意してくださってるように思うのです。

 自分が、このような前向きな考えをしているのは、聖書の言葉の働きがあります。

第一コリント12の22

それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないのです。

マタイ12の20

正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる燈心を消さない。

 と言った、神様が、弱い者、傷んでいる者をも用いて下さるということを聖書から学んでいるからだと思います。

 神様の愛、聖書の言葉を知る前の自分は、本当にネガティブな人間でした。

一度、落ち込むと前を向くことができず、過去にばかり縛られていました。

 傷ついた葦を折る、ということについての解釈は以下のように教わりました。

 昔のパピルス職人は、よいパピルス紙を作成するために、少しでも傷のある葦は、捨てていたようです。しかし、イエスさまは、傷ついた葦のような存在のものをも、活かしてくださる、神様の栄光と勝利のために用いるという事です。

 人間の世界は、傷ついた葦のような弱い者、能力の低い者を切り捨てる傾向を感じてしまうので、御言葉に癒され、力を与えられます。

 そして、聖書のことば、神様の愛、真理、希望を伝えるというのは、学力や頭の良さ、体力、経済力など、この世的な能力がなくても、それぞれの人が色々な方法で、工夫して、できると思います。

このよき知らせが多くの苦しんでいる人に届くことを自分は願ってます。            会社員、渋谷聖書集会

神様からの贈り物

                      A.S

 毎朝の聖書に聴従後は 高松市の栗林公園の近くにある自然豊かな“奥の池”を朝夕一回りの散歩を日課としています。その散歩中、天地創造された神様に私たちは筆舌に尽くしがたい贈り物を頂いています。その時の感動を述べたいと思います。

 四季朝夕、そこに展開する山々・池のほとり・池の中・散歩道には様々な草木、鳥たち・虫たちなどの生き物。空を仰げば青空、それに浮かぶ雲の色形、その上空には形の変る月、星座の星たちの登場…草木は山に色どりを添え、花が咲き実がなる。その中を小鳥が飛び交いその囀りは、どうしてこんなにおしゃべりなのでしょうと思うくらい。虫たちは草むらで澄んだ音色の合奏、池には水鳥に追われながらも蛙やカメと戯れる赤白大小の魚、ひと時も同じものがない。ふと見上げれば上空には天使の梯子がかかり虹がある。遠く近くの山並み見ればその色どり、今ぞ唱歌の「紅葉」を思い出す。思わず口をついて出てくる

?秋の夕日に てるやま紅葉…山のふもとの裾模様?と二人の合唱…ヒカエメの小さな声で…

この小さな幸せを頂きました。 神様に感謝した次第です。

主による平安

                      I.M

 生きている限り、辛いこと悲しいことと様々な出来事に遭遇します。特に今の時代は、文明が進んでいるのに関わらず、温暖化が進み、地球規模の災害に絶えずおびやかされています。

 世界を見渡すと内戦・テロ・犯罪など平和とは程遠い状態です。私達の身近にも愛する人との別れ、病気・深い悩みなど、問題は尽きません。

 神様を見上げるなら、これらが神様のご計画でありあり、私達はその中を通っているだけと信じるなら、その先には祝福があると思えるなら、平安を保つことができます。ショッキングなことが起きたら、主が私達のために戦ってくださり、平安へと導いて下さるということを信じていきたいです。

 

わたしは絶えず主に相対しています。

主は右にいまし、私はゆらぐことがありません。

私の心は喜び、魂は踊ります。

体は安心して憩います。     (詩篇十六 八から九)

うさぎ山公園で

                       I.T

 私が片倉町に住み、11年が過ぎました。家から20分ほど登ったところに「うさぎ山公園」があります。遊具は何もなく、所々にベンチとぶら下がり棒と身体の屈伸を計るものとが1つずつある自然を生かした公園です。

 なぜ「うさぎ山公園」なのか不思議に思っていたのですが、何度か足を運ぶうちにわかりました。公園の入り口の広場から見上げるとなだらかな丘陵地帯で、ちょうどうさぎが伏せているような優しい丸味をおびた丘が右に左にといくつか重なっており その間を散歩道が上へ上へと登っているのです。なる程と思いました。常緑樹に四季折々に咲く木もあって、こぶし、梅、雪柳、色々な種類の桜があり、下草も腰を下ろすのに丁度良く手入さされている静かな公園です。私は以前は聖書を持ってよく出かけたのですが、最近は足が弱くなり、御無沙汰でしたが先日調子が良いので出かけました。少しきつい坂をゆっくり登り公園の中腹の入り口着きました。見るとすっかり秋色になり落ち葉もたまっています。

僕が20分程の距離なのに全く違った世界で驚きました。坂道の両側の樹々は紅葉し、中にはすっかり葉を落としたのもあって、冬木立の向こうには青空と白い半月も見え、美しさに佇んでいました。私は冬木立が大好きです。自然に葉を落とし冬空にすっくと立っている姿、木、本来の姿をすっきりと見せてとても凛々しく見えます。

 私はああは出來ないなぁと自分の弱さを思うのです。道を進むと急に目の前が開けて黄色い銀杏の木が見えました。広場の周りに植えられた何本もの銀杏の木、枝ぶりも大きさも色づき様々で秋の日に輝いています。どれも皆ちがう美しさです。環境も同じなのに画一でない。神の作品だなあと感心しました。みんなちがって、みんないい世界です。途中で真っ赤に染まった桜の葉を見つけ拾いました。厳しい風雨に耐え氏名を終えて散る木の葉一枚もこうして美しく装ってくださる主の憐み。「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなた方にはなおさらのことではないか」

               (マタイ六・2021

 久しぶりに訪れた公園の静かな自然の中で神様の姿と恵やさしさにすっぽりと包まれ、胸いっぱいの安らぎをいただいた。夕暮れでした。  感謝!

・憐みの神についての所感

         ー土曜会館での集会(吉村先生を迎えて)

                                 U.M

〇土曜会館での集会(吉村先生を迎えて)

   私共の島根県木次町寺領(雲南市)で開かれている「土曜会館」での吉村先生を迎えての特別集会は今年で満10年となりました。この小さな集会を覚え、力づけ、お祈りくださいますことを深く感謝いたします。

今回のメッセージは詩編51篇の「憐みの神」について語っていただきました。

 私共は肉体的にも、精神的な場合においても時として絶望的な状況に追い込まれることがある。その時、憐み深き神様は「永遠に汝すてず」と憐みの風を(聖霊)を送ってくださる、赦しの神であることを実例をもって話してくださいました。

皆さん、感話会において、感謝とお礼を、そしてよき伝道されることをお祈りしました。

 

〇憐みの神についての所感

 

神の愛がなければ人類は滅亡してしまう、

神様は愛のうちに万物を創造された。

しかし、人は、罪を犯す存在になってしまった。

その罪は人類を自然界を滅亡させるほどのものである。

ねたみが、争いになり、戦争に発展する。

小さな戦備品だったものが今では核兵器まで作り、地球を滅ぼすほどのものになった。

その根本たる人の罪を、どうして救うことが出来るのか、人が本心に立ち返って、真実に生きる道はないのか、

ここに神意識が起こらなければいけない。

人の心をどんなにさがしても、自己本位のみ残る。

ここまでは私達の概念として、解されることであるけれど力にならない。

そんな時、神なる創造者は、細き声をもって、行き詰った心に深い憐みの眼差しで見つめられていることを悟らしめる。

創造者の責任において、創造者の義において「決して汝をすてず、永遠に愛す」と

かくして神様はイエス様を罪のいけにえとしてささげ義をまっとうされるのである。

かくして我々は滅亡の危機を聖霊の導きにより、悔い改めを繰り替えしながらも、

絶対者なる神様の愛をいただいて歩むしかありません。

主の守り

                      A.S

 八月の末に、思いがけなく腰椎の骨折をしました。一時は気持ちも落ち込み、もう歩けなくなると思ってしまいました。

 でも、看護師さんが「リハビリを頑張れば歩けるようになりますよ」と言われ、厳しいリハビリを一生懸命に頑張りました。それで回復することができ、十一月には退院予定です。

神様に感謝しています。八十六歳です。また、スカイプで礼拝にも参加できます。これからの人生、頑張っていきたいです。

わたしが悩むときも

                      O.E

 1 わたしが悩むときも 日々ちからをあたえ

   あふれる恵みを主は 満たしてくださると

   信じて私は今 すべてを主に委ね

   喜びに満たされて この日も過ごします

 2 憐れみ豊かな主は 日々わたしを助け

   心の重荷を負い 悩みをやわらげて

   あなたの生きるかぎり 力を与えると

   約束してくださる やさしいお方です

                (リビングプレイス33)

 人はだれでも多かれ少なかれ大小の悩みはあるかと思われます。 私自身いつも家族、人間関係、体のことなどどうでもいいような どうしようもない贅沢な悩みで日々歩んでいるときに この賛美が与えられ心に残っています。

 聖書では「思い悩むな」と言ってくださっていますが

 なかなかこのみ言葉の通り従えませんが、主が悩みも重荷も負ってくださり 悩みをやわらげて力を与えてくださるのですから、主にすべてを委ねて歩んでいきたいと思います。

 「何よりも神の国と神の義を求め信じなさい」と教わっていることに感謝いたします。

札幌集会のその後

                     O.M

  主人の病後、光を失って途方に暮れていた主人に「会いに行きます。」瀬棚から札幌まで会いにきて下さった吉村兄、徳島集会の兄姉に初めましての出会いでした。ここからが私と主人の新たな信仰の門出となりました。

 そして始まった札幌聖書交流集会が今年で十六回、今は主にある他の教会の方も心待ちにしている集会です。そして今、心あっても高齢化のために出席できない方もある現状も否めません。また札幌聖書集会の日曜礼拝の出席にも難しい事情が生じてきました。

日曜礼拝に出席できることは、私たち世代にとって神様に出会う日、一週間の生活リズムでありとても大切な、心身ともに満たされる時間です。

 当日出席できた兄弟姉妹は、晴れやかな気持ちで祈りを一つしますが、健康面、家族の援助、入所施設の理解、冬季の雪道による足元の不安、その他いろいろあって参加できない方々もあります。

また近況を電話で知らされて、出席かなわなかった兄姉のために祈ります。(資料を送ったり、体調への気遣いも必要だろうし…)

  私たちの「祈り」が届いて主による癒しが注がれますようにと祈るばかりです。

 集会出席が難しくなってしばらく会うことができなくなっている方々への気持ちです。

『主がいつも一人一人に共に歩いてくださる。祈り祈られている信仰の友がいる。』ことを、日々思い出してください。

お互いに祈り合う心で繋がっていましょう。そしてあなたがいない集会の留守を守っている教友にエールをお願いします。これからあなたの後に続く私たちの良き信仰の道標となってください。

 

【私にとって大切にしている本】   ヘルマン・ホイヴェルス随想集より

【人生の秋に】 最上のわざ    マーガレット・F・パワーズ  あしあと

あとがき

 

  「野の花」のような文集の意義、それは、それぞれの人が、信仰の歩みのなかからの証し、御言葉からの恵み、考えたこと、読んだ本の中からの引用や感想などによって読む人の心のなかに、さまざまの種が蒔かれることです。 

そして、その種が御心にかなったときに、だれかの心のなかに新たな芽を出していく、それは、福音の新たな種であったり、主のふしぎなわざへの驚きや賛美となり、あるいは、励ましや慰めの力であったり、共感する内容によって主にある兄弟姉妹という実感をより強められる…等々御言葉にかかわるそれぞれの内容は、風が思いのままに吹くように、思いがけないところに吹いていきます。そして、ときには、それがさらに他者にも伝わっていき、何らかのよきはたらきをすることが期待できます。

 主がこの小さき文集をも福音のために用いてくださいますようにと願っています。(T・Y)