「野の花」 第35号  20225月発行

はじめに

聖書通読(3)          T.H.  (岡山)

主の手              T.M. (徳島)

ラスト①            T.M. (徳島)

主の御言             Y.Y.  (京都)

すきな詩               T.H.  (徳島)

神は愛なり            T.K.  (宮城)

新型コロナ禍の啓示     T.Y.  (千葉)

イラスト                T.M. (徳島)

吉村さんのご病気を通して  T.S.  (千葉)

イラスト                T.Y.  (徳島)

岩井従男牧師         T.K.  (徳島)

「心のある御言葉」            T.R. (徳島)

神からの呼びかけ          T.H.  (青森)

「心を高くあげよ!」(讃美歌21) T.E.  (徳島)

日曜礼拝で讃美歌「はてしも知れぬ」を歌って

思ったことさまざま        T.M.  (千葉)

心に残った言葉より     T.K.  (徳島)

「救い」                Y.Y.  (徳島)

あなたはどうか        N.Y.  (大阪)

「いや喜びです」藤尾正人著より  N.N.  (東京)

「右近の遺言」         N.K.  (大阪)

共に歩んで下さる聖句       N.M. (東京)

点滴の新しい方法       H.H.  (徳島)

「人を裁くな」          H.G. (福岡)

神様の大きな力と愛を信じる   F.F.  (徳島)

「遅々とした歩み」        F.K.   (神奈川)

無題               F.S.  (徳島)

詩篇一・二篇の学び       F.S.  (鹿児島)

神様の業             M.K.  (愛媛)

聖句               M.K.  (徳島)

悔い改め             M.N.  (愛媛)

世界が一つになれば      Y.T.  (徳島)

一年を振り返って        A.S.  (東京)

食卓               A.M.  (徳島)

スカイプでの礼拝で思うこと     S,H,  (徳島)

神様の計画            I.M.  (徳島)

食前の賛美と祈り        I.J.  (埼玉)

罪の中からの導き         O.E.  (北海道)

主の恵み             I.M. (徳島)

「神様に守られて歳をとる」    O.M. (北海道)

愛                O.E. (徳島)

みことば             K.K. (徳島)

聖句               K.I. (東京)

礼拝の恵             K.H. (徳島)

「悲しむ人々は、幸いである」   K.A. (福岡)

「いつかは知らねど」       K.R. (北海道)

主の声に耳を澄ます365日 K.T. (徳島)

神様はお一人           K.T. (東京)

柔和なる者           K.N. (福岡)

海陽集会の学びから(2021年10月12日)  S.K. (徳島)

神の時の流れの中で     S.Y. (徳島)

神の時の流れの中で      S.Y. (徳島)


聖句
盲人バルティマイに学ぶ   S.H. (徳島)

心に残った み言葉

U.N(徳島)、T.T(徳島)、H.Y(熊本)
おわりに

はじめに

 

  現在の世界の状況と、そのような状況に対するに、いかなる道があるのか、それを指し示すのが次の讃美歌である。

 

 見よ、闇の力

 地をおおい、

 悪の支配

 迫り来る。

 主にある 民よ、

 恐れるな、

 十字架をかかげて

 立ち向かえ。

 

 外にはむらがる

 悪の霊、

 内にひそむ

 罪のわな。

 主にある 民よ、

 目を覚ませ、

 ひたすら祈って

 備えせよ。

 

 「神などいない」と

 ひそやかに

 ささやく声

 聞くときも、

 主にある 民よ、

 おびえるな、

 勝利を信じて

 固く立て。

 わが戦いをも

 弱さをも

 イェスは共に

 担われる。

 この苦しみは

 いつの日か

 勝利と平和に

 変えられる。  (讃美歌21の539)

 

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 闇は迫っている。

 しかし、そのような闇と混乱は、遥かな古代から現在に至るまで一貫して続いてきたのであって、いまに始まったことではない。

 聖書の巻頭に、はじめに闇と空しさ、空虚があったと記されているが、この世界においては、その最初のときから、闇がたちこめていたのである。

 しかし、その闇に打ち勝つ道もまた、最初から記されている。

 神が「光あれ!」 と言われるならば、いかなる闇や空しさのただ中であっても、永遠の光が生じるということ、闇に勝利の道が確固たる真理として預言され、それは数千年の人類の歴史の中で、証しされてきたのである。

 現在の私たちもその聖書の真理こそ、あらゆるものが崩れることがあろうとも、決して崩れない不動の真理だと信じることができるし、その真理に力を与えられ、導かれて歩みたいとねがっている。   「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」                  (ルカ2133

 

聖書通読(3)

                        T.Y.

 三年目に入り、今は箴言を読んでいます。

 詩編で参考にしたのは、◎「詩篇註解」(上)(下)関根正雄著です。

 訳によって、全く印象が違うのは驚きですが、関根訳は心に響いてくるものが多かったです。

 それに比べ、箴言は非常に具体的で、時にはユーモアもあり、日常的に人々はことわざのように口にして、子供達や若い人達を育てていったのでしょう。

 現代の家庭に、最も欠けているものではないのかと反省しつつ読み進めています。           (岡山)

 

 

主の手

                       T.M.

星のかがやく夜に

ついおそろしくなる夜に

だれかをおそれてしまう夜に

一人であるくみち まっくらになってゆく

 

私はいつも一人でいるようで

いつもつまずいているようで

なんにもみえない

まっくらやみの中にとじこめられた

 

そのとき とおくに光がさした 一筋の細い光だ

しかし その光は私の心を あかるくしてくれた

その光は私をてらしてくれた

その光は私をうれしくさせてくれた

 

その光にむかってあるくと、私の手はにぎられた

〝なにも心配はいらない 私がいるから〟

私の手をにぎった主は そうおっしゃった

私はきいた

〝なぜ今まで あなたは私のそばに いらっしゃらなかったのか〟

主は言った

〝あなたが私を求めなかったからだ〟

 

私は主の手ににぎられた

私の手に力が宿るのを感じた

私のまわりはいつのまにか 光に満ちていた

                                           (徳島)

 

   イラスト

     

幼な子のような心

        T.M.

 

主の御言

                                            T.Y.

 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。…あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。…わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。…あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。…あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。」

(ヨハネによる福音書15章5節~17節)

 

 ある時、ヨハネによる福音書で主の語られた御言をすべて書き出し、自分なりにまとめたことがあった。欲張りなわたしは、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」(ヨハネ15章16節)という御言に出会って、イエス様の真のぶどうの木に繋がるとはどういうことか、イエス様が言われている条件、戒めをまずは知りたく思い、聖書を読み始め、吉村先生や教会礼拝の説教やさまざまな福音も喜んで頂き、心を傾けるようになった。

 

 その内にパウロ書簡にそれらのことが書いてあることに気がついた。

 「…自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、『すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない』と言っている。…同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、『主の御名を呼び求める者は、すべて救われる』とあるからである。」

(ローマ人への手紙10章9節~13節)

 「…信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。…『その声は全地にひびきわたり、その言葉は世界のはてにまで及んだ』。」

(ローマ人への手紙10章17、18節)

 

 わたしは、この主の御言を聴けているのか? 主に向って呼び求めているのか? さらに、聖書を自分なりに御言を求めて読み進んだ。

 「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

(マタイによる福音書6章33、34節)

 「イエスは言われた。『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』。」

                                   (マタイ22の37~39)

 「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」

                                (一コリント人13の4~8)

 「…いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」

                                         (一コリント人13の13)

 昨年2020年12月9日に、義父の竹下晃朗が召天した。義母の信子は2019年5月3日に召天。天上から父母が私たちの祈りに合わせて、「御国の来たりますように」と共に祈ってくれていることを確信している。

 「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる…。」

                                         (ローマ8の章28)

 神の御祝福に感謝します。            (京都)

  

 

 

好きな詩

                         T.H.

 「あしあと」(マーガレット・F・パワーズ)

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。

一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

私は砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。

このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。私があなたに従うと決心したとき、

あなたは、すべての道において

私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。

一番あなたを必要としたときに、

あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」

主はささやかれた。

「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。

あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。

あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

 

英語の原詩も紹介します。

Footprints

One night I dreamed a dream.

I was walking along the beach with my Lord.

Across the dark sky flashed scenes from my life.

 

For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,

one belonging to me and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me

I looked back at the footprints in the sand.

There was only one set of footprints.

I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my

dilemma.

(ここまでは、MSP H 明朝体)  以下のMS明朝体 と比べてみたら、以下のは、語間が緩く、ゆるんだ感じになりますから、MS体を用いる場合には、英文字は必ず MSP体にする必要があります。

 

(以下は、MS明朝体)

"Lord, you told me when I decided to follow You,

You would walk and talk with me all the way.

But I'm aware that during the most troublesome times of my life there

is only one set of footprints.

I just don't understand why, when I needed you most, You leave me."

He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you

never, ever, during your trials and testings.

When you saw only one set of footprints

it was then that I carried you."    (会社員 ・ 徳島)

 

 

神は愛なり

                        T.K.

「神は愛です。愛のうちにいる者は神様のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」(一ヨハネ四・16)

 

「あらゆる困難や疑いや障害にもかかわらず、神に信頼しましょう。

 神は決してあなたを裏切りません。

 ある願いを叶えてくださらない時は、神がそのことをお望みでないというしるしです。

 もし神があなたにそれをしてほしいと、お望みなら、神はその手段を与えて下さるでしょう。

 ですから何も心配することはないのです。」(マザー・テレサの言葉)

 

 以前、家に帰った時、本棚に飾ってあったポストカードの裏に書いてあって、覚えておきたくて、その時、とても励まされて、今、読んでも、励まされています。信仰の友のお祈りや、心優しいお便りは、たとえ顔と顔を合わせてお会いする事ができない時でも、すぐ側にいて、神様の愛が伝わってくるようだと感じました。

 

 また、神様は、たくさんの欠点があるわたしを、それにもかかわらず愛してくださった。ことを神様に感謝して、これから先も、主よ、どんな時にも、信じる力を与えてください。と祈りつつ、最後まで、主イエス様をしっかりと仰ぎみて、聖霊様に心の中を潔めていただいて、共に祈り合って、御国まで導かれて歩むことができたら幸いです。今、スカイプで共に礼拝させて頂ける恵みに心から感謝して、近くにいる兄弟姉妹、また遠く離れていてもお互いに主に繋がる兄弟姉妹と共に祈りつつ、少しでも周りの人達に神様の愛が伝わりますように!と祈り願います。 (パート)

仙台市

 

 

新型コロナ禍の啓示

                        T.Y.

 昨年(2020年)の始め頃から世界中に蔓延して、一時は人間の手にあまる疫病のように思われた新型コロナも、イギリスやアメリカで開発されたワクチンを私たちが接種できたおかげで、我が国ではその勢いがやっと止まってきたように思われます。このコロナ禍では各人の置かれた職業、状況、罹災した状態、結果などによって受けた心情、つまりコロナ災禍は神様からの試練、罰、警告、啓示、こうした状態であったことによる恵みなど、人それぞれ心情が異なると思います。それで私が受けましたことは、初めに述べました海外の頭脳によって開発されたワクチンを私たちが幸いにも利用できたので、多くの死者が出て死を身近に感じ、どうなることかと大変心配しましたコロナ禍も、ここにきて終息して来ましたので私は大きな安堵感と感謝を覚えたのです。世界の頭脳によるワクチン開発とその提供によって当面の世界の難題の一つが解決のめどが立ったように思うのです。私はこれと同じように他の世界の難題である大気、海、宇宙の汚染や温暖化による災害、世界の安全のために必須な核廃絶なども、世界の首脳、頭脳の賢明な判断と協力によって解決される。こうした難題の解決は世界の頭脳の賢明な判断と協力によるしか解決方法はないのだということを、神様はこのコロナの災禍を通して世界の人々に啓示されたのではないか、と私はそう思うのです。

                                           (千葉県)

 

祈り(イラスト)

  

                      T.M.

 

 

吉村さんのご病気を通して

                         T.S.

1 祈りの力

 2021年1月19日の夕拝は詩編十七・1~8「御翼の陰に」というテーマで吉村さんは「主は「応えて下さり、瞳のように守って下さり、御翼の陰に守って下さる」とのメッセージをして下さった。

 ところがその日の夕拝の最後の祝祷は一言もないまま、何か不自然な終わり方をした。私は、吉村さんが倒れられたのではないかと感じて、不安な気持ちで「どうか吉村さんをお守り下さい」と祈って、床についた。そして、その翌朝も私の心から心配が去らず、徳島集会の方にお尋ねしたが事実はまだよく分からなかったが私に出来ることは二つあった。一つは「祈ること」だ。「神様の御心ならば、どうか吉村さんをお守り下さい。」と心の底から真剣に祈って過ごした。もう一つは「祈りをお願いすること」だった。

 これまで吉村さんが伝道されてきた北海道から九州まで全国の教友で、私の知る限りの方に祈りの輪を少しでも広げたいと思い「吉村さんの命が守られますように祈って下さい。」とメールを流し続けた。貝出さん、林さん、高橋ルツ子さんを通して吉村さんの病状についての知らせが届く度に、私はお祈りをお願いしたメールの方々にも、それをお知らせするようにした。何が起こっているのか分からないと余計に心配な気持ちを膨らませ、お祈りする時に不安な気持ちが増えて良くないと思った。又、お祈りする者が心を込めた具体的なお祈りには力があると思うからだった。

 わたしの心配は現実として起こっていた。吉村さんは猛烈な腹痛がその日の夕拝時に起こっていて祝祷が行えなかったのだった。 吉村さんは、病気のある奥さんを山の家で一人置いておけず、一晩痛みに耐えつつ過ごし、翌朝奥さんをデイサービスに送り、そのまま病院に行き、診察を受けられたと聞く。病院では命に関わる容体に、即座に緊急手術することとなった。幸い手術も無事に終わった。その後食べ物が腸に入って行かない辛い時期もあったが、しばらくして口から食べられるようになり、神様の御手が働いたとしか思えない方法で転院先が見つかり転院も出来、少しずつ元気になられていった。一ヶ月余り後の退院時はまだ全快ではないと感じられたので、山の家で過ごされるのは大変ではないかと思われたが、吉村さんの希望で山のご自宅で静養しつつ過ごされた。

 吉村さんのご病気に関わって起こった一つひとつに神様は御手を働かせて奇跡を起こし、吉村さんを守って下さったと私は思っている。そして、それは吉村さんが神様から愛されているからであり、また、わたしたちの祈りを神様が受け取って下さったからだと思っている。吉村さんのご病気を通して、「祈りには力がある」ことを目の当たりに見せていただけたことに感謝している。クリスチャンは祈ることが出来る。そして、祈り合うことが出来る。祈りこそがクリスチャンの力であると実感できた。

 

2 神様に捕まえられて

 吉村さんが手術を受けられたとき、私は吉村さんが聖書講話をすることは難しいと思っていた。また体調がよくなられたら、また力強く聖書の説き明かしをして欲しいとの願いと、「今はどうかゆっくりと静養して下さい」という気持ちで、吉村さんに私は「私が話をします。」とお伝えした。

 しかし私は口が重く語彙も少ないため、思いを言葉にするのに時間が掛かり、まとまらないため、今までは聖書講話は頼まれても断ってきた。そんな私が自ら「私が話します」と口にしたことに自分で驚いていた。

 私の言葉を受けて、後ほど「前講をしてほしい」と吉村さんから声をかけられた。自分から「私が話します」と言ってしまっている手前、断ることも出来ず、前講を受けることとなった。2月から4月まで3ヶ月間5分間の前講をさせていただいた。そして、5月からは前講の担当に貝出さんと対馬さんが加わって下さり、3週に一度の前講を担当している。私に信仰があるからでも力があるからでもなく、神様から逃げられなかったからだ。

 前講を担当するようになって大きく変わったことは①聖書を良く読むようになった。真剣に読む。福音書なら4福音書を読み比べて読む。引照を引いて読む。②聖書箇所をとても早く、以前の半分の時間で開けるようになった。③英語や日本語も辞書を引いて意味を調べるようになった。④普段の生活しているときも、「あ、これは!」と心に前講の話が浮かぶように、ひらめくようになった。つまり、いつも心のどこかで前講で神様の心と聖書の言葉を気にとめて生活している私に変わった。

  今も心の思いを絞り出し言葉にして話をするのは苦手なことで、苦労しているのは変わらないけれど、神様のご命令で、神様に捕まえられた者に与えられる歓びだと感謝して取り組んでいる。

                   無職(畑仕事)

千葉県

   

 

 

岩井従男牧師

                        T.K.

 二〇二一年九月十九日脇町キリスト教会の元牧師 岩井従男師が召天されました。94歳。正にみことばに忠実に神を愛し人を愛し神と人に仕え通されたご生涯でした。

 私は岩井牧師に結婚式を挙げて頂き、以来、折にふれ祈ってくださりお便りをくださりご夫婦でお訪ねくださり大きなご愛と支えを頂きました。岩井師ご夫妻は誰に対しても公平に誠実に全力で神様の愛を注いでくださる方でした。多くの困難の中を通られましたが、どんなときも祈り賛美をし、奥様とお二人、神への信頼を貫かれました。その純粋な信仰に神様も応えられたと思います。

 生まれたときお弱く、産婆さんに小学生になるまで生きられないと言われた先生が、4人のお子様15人のお孫様、曾孫を与えられ94才まで健やかに過ごされたのは神様の祝福です。

 共に歩まれた最愛の奥様を13年前に天へ送られましたが、お一人になられても日々みことばに親しみ祈り、神を第一とする生活は変わることはありませんでした。ただ一人県内にお住まいの娘さんご家族の温かいサポートを受けられながら幸いな晩年を過ごされたと思います。

 

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5・16~18)

 

 神様によって岩井先生とご縁を頂き、大きなご愛を頂きましたことを感謝のことばもありません。さらに師の神様へのまっすぐな信仰とそれに応えられる神の恵みを目の当たりにさせて頂いたこと、何にも勝る私への恵みと心から感謝しております。

                      (徳島)

 

 

「心にある御言葉」

                        T.R.

「あなたがたがわたしを選んだのではない。

わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなたがたを任命したのである。」(ヨハネによる福音書15章16節)

             (団体職員)    (徳島)

 

 

神からの呼びかけ

                       T.H.

 神からの、天からの、救いに向けての呼びかけはあるのだろうか。この途方もない、しかし今苦しくて呻いている人には捨てきれない魂の願い。

 聖書も、キリスト教についても、ほとんど何も知らない一般の日本人にとっても、非常な苦しみの中に陥ってもがいているときには、遂には上を仰ぎ見て 天からの奇跡的助けを夢想するだろう。そして、ありえないことだ、と我に返る。砂浜の一粒の砂のごとき我の苦境を知り、思い計ってくれる存在、しかも天の、神的存在が、「わたしに呼びかけておられる」ということを信じることは難しい。

 キリスト教には、高校生活の最後にロシア文学、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」等を読んで触れた。その小説の一場面、酔いどれの貧乏貴族フョードルが息子たちに問う「神は本当にいるのか」と。このような問が夕食の場で家族の間で交わされることに驚いた。神は存在しない、それは地方都市に住む、キリスト教についてなにも知らない高校生には自明のことだった。しかし、その時、ふと、もしもそのような神が本当に存在していたのなら、どんなにかいいだろう、と思った。漠然と、「力と愛の神」を想像してそのように思った、と記憶する。

 20代後半、社会経済史家大塚久雄の講演集、「意味喪失の時代に生きる」、その中の「若き日に汝の造り主を覚えよ」に次のように書かれている。

「われわれの外側に、あるいは、心の内にさまざまな嵐が吹きつのる。そういう嵐の中ではからずも、復活のイエスの声を聴くことがあります」。

わたしはその言葉を信じた、といっていいかもしれない。苦境の中にあったわたしの魂は、漠然とではあったが、「力と愛の神」を求めた。その力が欲しかった。

 ところで、キリスト教は、当時の世界の宗教には特異な、伝道的性格を持っている。創造主なる神の人間への呼びかけは聖書のはじめから書かれている。罪に落ち、神の前から姿を隠したアダムに創世記3の9「どこにいるのか」と主なる神は呼んだ。また、人間の神への呼びかけ、訴えは、罪に落ちて、罪過が増し加わったアダムから3代目エノシュにおいて創世記4の26「エノシュ(人間)はこの時代、主の名を呼び始めた」。神は罪に落ちた人間に呼びかけ、人間は苦しみの中で、神を叫び求めるものとなる。

 新約聖書において,福音がメシアなるキリスト(救い主)において、ハッキリと現わされた。福音とはイエス・キリストと神の国といってよいだろう。

 イエスはガリラヤ湖の周辺の町々村々を、また湖畔にて、山の中腹にて、神の国のすでに来ていることを宣べ伝えた。マタイ5の3,4「こころ(霊性)において貧しい人々は幸いである。なぜなら、天国(神の国)はそのひとたちのものである。」「悲しんでいる人々は幸いである。なぜなら、その人たちは きっと慰められる。」この言葉はイエスの呼びかけの言葉である。

 キリスト教の迫害者パウロは、復活のキリストのみ声に触れて、地に倒れ、回心させられ福音を宣べ伝えるものとされた。パウロの福音はユダヤ民族を超えて広くローマ世界に、一部の学者、哲学者を超えて、一般の人々に、さらには女性に罪びとに奴隷(解放奴隷が主だったろう)へと下へ下へと広まった。パウロは自身の伝道の成果を顧みてそこに神のみ旨を知らされて言った。Ⅰコリント1の28「力あるものを無力なものにするため、無に等しい者を選ばれたのです。」「キリストはわたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」

 私自身の神との出会いは一冊の本であった。大塚久雄著「こころの貧しさと生活の貧しさ」である。川崎市高津区の図書館の書庫で偶然手にとった。その時以来一人で、その本と聖書ではマタイ福音書を読み続けた。3年後に、偶然、新聞で今井館での初心者聖書講話の記事を目にし、参加することにした。「ここには何かがある」と思った。その頃、高津区北見方のどぶ川沿いを将来に思い悩んで歩いていた時、「だれがあなたを愛したか」という内心に声を聞いた。自問自答していたから、自分で自分に発した声だったかもしれない。その時「だれもわたしを愛してはくれなかった。ただ神のほかには」とわたしは心の中で言った。わたしの信仰の歩みはそのようにして始まった。

                   ボイラーマン(冬期間)

青森県

 

  

 

「心を高くあげよ!」(讃美歌2118番)

                         T.E.

 このことばで始まるのは讃美歌21の18番の讃美です。

もとは「スルスム コルダ」「心を高くあげなさい」と教えていただきました。

この歌いだしのもとのことばが不思議にこころに入ってきました。

この曲は「スルスム コルダ」として1941年に作曲され、歌いだしは英語の原詩の「Lift up your hearts」を生かし、主からの呼びかけのことばとなりました。

日々弱さを覚えるときにこそ主からの呼びかけに力をいただいて讃美しています。

 「こころを高くあげよ!」

 主のみ声にしたがい、

 ただ主のみを見上げて、

 こころを高くあげよう。

 霧のようなうれいも、

 やみのような恐れも、

 みなうしろに投げすて、

 こころを高くあげよう。

 主から受けたすべてを、

 ふたたび主にささげて、

 きよきみ名をほめつつ、

 こころを高くあげよう。

 おわりの日がきたなら、

 さばきの座を見上げて、

 わがちからのかぎりに、

 こころを高くあげよう。

              (鍼治療院 天宝堂)

徳島市

  

 

 

日曜礼拝で讃美歌「はてしも知れぬ」を歌って思ったことさまざま

                       T.M.

 2021年7月4日の日曜礼拝で歌われた讃美歌292「はてしも知れぬ」この讃美歌には思い出が二つあります。高校生の時、英語讃美歌の授業で鈴木校長にその意味を教えられ歌った讃美歌でした。英語讃美歌では「Jesus, Saviour, Pilot me」から始まります。「単語を一つずつ発音するととっても調子が良い」鈴木校長はそう言って何回も発音していました。それは“イエス様は救い主、私の水先案内人です!”という意味で、曲の一番初めにそういう確信を歌っているところがこの曲の良いところだと思いました。

 小さい頃、食卓の壁に船のかじをとる青年とその後ろにぴったりと寄り添っているイエス様の絵が飾ってありました。この讃美歌を歌う時にはその絵の事を思い出します。イエス様は暗い先の見えない中でも水先案内人となってぴったりと寄り添ってくださって静かな港に導いてくださる、そうした気持ちを起こさせてくれる絵と讃美歌です。

 

 もう何年も前の事。実家のある静岡からの帰り道。真っ直ぐ一本道の運転が簡単な東名高速道路は私の運転、難しい都内や横浜のあたりは夫の運転でしたが、その日は夫が疲れていて横浜を通過する時も眠っていたのです。交代できずに横浜のあたりに入ってしまい、初めての事で私はヒヤヒヤ、恐る恐る運転していました。するとパトカーが一台、随分前の方に入ってきたのです。今までスピードを出していた車たちが一斉にパトカーの後ろを静かにゆっくりと走るようになりました。私は安心して運転できたことを覚えています。

この時に「主は、彼らに先立って進み、…昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」(出エジプト13の21・22)の聖句が思いだされました。今も、この時にも、神様は先頭に立ち、また水先案内人として導いて下さる、と思った事でした。

 

 神様、と呼び掛ける時、神様は何らかの助け手を差し伸べて下さる、そう思うことはしばしばあります。今までで一番強く思ったのは子供が職場で苦労した時でした。

 先日、いろいろなことが心に引っ掛かってしまい、朝方目が覚めてからしばらくの間はあれこれといろいろな思いに捉われていました。そして心に響いた聖句は「あなたの重荷を主に委ねよ」(詩編55の22・23)でした。洗面所のところにかけていたカレンダーにある聖句。あれもこれも自分で解決するのではなく神様にお任せして先に立って先導してもらうんだ、その後を自分のできることをやっていけばいいんだ、と思わされました。

またその時に思い出したことは、以前に徳島で行われた無教会全国集会の時に、初めて聞いた手話賛美「歌いつつ歩まん」(新聖歌325)。その中の一節の〝荷を下ろせば〟のところは本当に肩から荷を下ろす動作です。どちらかというと放り投げている動作に見えました。自分の思いを下ろすのは、あれやこれやと考えてようやく下ろすのではなく、お任せして「放り投げる」ということではないか、とその動作から感じたことでした。そうして自分に捉われている思いを神様にお任せすることが出来ました。

 神様が応えて下さるという自分の小さな出来事が積み重なると「これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」(Ⅱコリント1の10)という聖句が本当にその通りだと思えるようになります。

千葉県市

 

 

  

心に残った言葉より

                        T.K.

 思いもよらない苦難が襲いかかった時

  まず落ち着け

  静かに考えよう

  確かに決めよう

  真っ直ぐに行え

  力の限りに尽くせ

  そして静かに祈れ

 

 人生の秋に

  人生の秋は 新しい命につながる

  神は私たちの内に始めようとしておられる

  新しい命に全ては向かっているのだ

  私は喜んで歳を取ろう。

        (ティンクの言葉より)

徳島県

 

 

「救い」

                        T.Y.

 母が脳梗塞で倒れたことを聞き、そのうちにキリスト教の救いについて話そうと思っていたので、間に合わなかったらと牧師、横田真佐美姉に病床洗礼を祈って欲しいことをお願いしました。

 県外にいる姉妹が帰ってきたところで私は洗礼のことを話しました。父は不快感をあらわにし、三人もこの緊急事態に何をという感じでしたが私は泣きながら訴えました。

 姉は私の申し出に「反対するだけの確かな考えが私にはないから」と父を説得してくれました。背後に神様の助けがあったにしてもあの状態で父に話すのは勇気がいったと思います。土曜日の朝救急車で運ばれ日曜日の夜、中央病院集中観察室で病床洗礼を受けることが出来ました。

 不可能と思われていた洗礼を見て夫が「僕も洗礼を受ける」と言ってくれました。本当に嬉しかったです。娘は「ママが強引だから叔母ちゃん達困っていたよ」と心配してくれましたが、私は母を救いたい。必ず分かってくれる日が来るとの一念でした。

 母は意識レベルも低く「ありがとうありがとう」以外は話せない失語症でした。ほとんど毎日通い手をにぎり家族のことを祈り、賛美歌を歌いました。お祈りのあと「アーメン」と声が出ました。「主我を愛す」「いつくしみ深き友なるイエスは」は毎回歌っていたので歌えるようになりました。

 洗礼のことで気まずい思いもしましたし、私の自己満足だったのではと思うこともありましたが手をにぎってお祈りをし賛美歌を歌ったことは、その感触が今もあり私のなぐさめになっています。一年一ヶ月の入院の後召されました。その後父は六年間一人暮らしをし姉、妹も定期的に帰省してくれ、私は週二回、夕食を運び晩酌、食事の間色々話をし後片付をして帰っていました。キリスト教についてはかたくなでした。帰りの車で涙が出ることもありました。姉夫婦が同居のため帰徳しました。父もうれしかったと思います。

 父は母の洗礼のことがあるので私を警戒して自分の葬儀の仕方ははっきり決め義兄に託していました。洗礼の余地はありませんでした。父が緊急入院、手術の出来ない状態で昏睡状態になりました。そういう状態でなぜか、姉夫婦の不在の日が一日与えられました。

 「恐れるな、わたしがあなたとともにいるからだ」「わたしのほかに救い主はいない」「見よ、わたしは新しい事をする。今もそれが起ころうとしている」(イザヤ43章)

「わたしはあなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしはあなたを贖ったからだ」(イザヤ四四・22)

(新改訳二〇〇五年一月十三日と日付がある)

 この力強いみことばの確信を得て、私は姉、妹に相談せず洗礼をお願いしました。神様は救いの恵みを用意してくださいました。

 入院四週間、受洗二週間で天に召されました。八十五年の人生を精いっぱい生きた人でした。四姉妹をわずらわすことなく苦しむことなく逝きました。父ともお祈り賛美歌、本当にたくさんいただいたいつくしみのお礼をずっと伝えました。一回だけ小さな声で「ありがとう」と言ってくれました。今、姉がくも膜下で倒れ療養十三年目です。母の受洗の時助けてくれた姉をどうしても救いたいという思いで見舞っていましたがコロナで会えていません。神様は必ず一番良い方法で良い時を与えて下さることを信じてあきらめないで祈り続けています。

 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたの家族も救われます。」(使徒十六・31)

 「この方以外にはだれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには私たちが救われるべき名としてはどのような名も人間に与えられてはいないからです。」(使徒四・12)

                  (徳島)

 

 

あなたは、どうか

                      N.Y.

  「主よ、救われる人は少ないのでしょうか」と、エルサレムに向かうイエスにある人が尋ねました。イエスは直接お答えにならずに「狭い戸口から入りなさい」と答えました。(ルカによる福音書13章22節)

 台湾は十八年前のサーズ(SARS)の教訓から、現在のコロナ対策は徹底的です。入国者の十四日間の自宅隔離や居場所の追跡に始まり、国内の移動ではどこにいっても行動経路を自己申告させています。日々、LINEにはコロナ感染者の人数が報告されます。感染者数が増えれば社会活動に大きな影響が出るからです。これほど人数の増減に耳も心も奪われたことはないのではないかと思います。古今東西、私たちはいろいろなことで、数量の多寡や、余る、足りないなどを論じ、人と比べて多い少ないと異同に目を奪われています。私もその一人です。

 イエス様に「救われる人は少ないですか?」「家族は救われますか?」「あの人はどうですか?」「みんなが通れるくらい広い門でしょうか」「狭い門だとたくさんの人が入りにくくないですか」と尋ねる自分の姿を想像するのは難しくありません。数や他の問題を気がかりにする私たちに対し、イエス様の関心はまったく違うところにあることに気づかされます。イエス様はいつでも「あなたはどうか」を問うておられることに気づかされます。

 「狭い戸口から入りなさい」との返答は、この人の問いに対し、直接の答えにはなっていません。私が気づかされたことは「扉は開いている」ことと「自分が入る分には十分である」ということです。滅びに至る広い門と救いに通じる狭い門のたとえは、イエスと共に苦しむこと、救いのために努力奮闘することへの、示唆の御言葉として味わってきましたが、他の一面としては、イエス様は救われる人数の多寡を論じる人に対し、門の狭さは人一人が通れる分で十分である、それはあなたはどうか、ということだ、この門はあなたを背負って私が通るのだ、とおっしゃっていると受け取れます。

 さらに、戸が閉められ、入ろうとしても入られない人に対し「お前たちがどこの者か知らない」と家の主人が言います。一方「雀一羽さえ神がお忘れになることはない。…あなたがたはたくさんの雀よりもはるかにまさっている」(ルカによる福音書12章6節)と弟子たちに対し、イエス様は神の創造の深さを分かりやすく教えてくださいます。その神が「知らない」ことはありえないでしょう。では何を知らないのか。もはや遅すぎたのだと言われています。招きに応答するのは今である、と。ある人はさらに「遅すぎたらどうなるのか?」と問うかもしれません。イエス様はふたたび、「あなたはどうか」という眼差しを向けられるに違いないと思います。聖書を通して神様はイスラエルに語られ異邦人を招いておられますが、聖書を読めば読むほど静けさの中にイエス様の声が聞こえてくるようです。(台湾・教員)

(編者注 N.Y.さんは、湾来年春には、台湾での職務を終えて帰国予定とのことです。)

 

 

「いや 喜びです」藤尾正人著より

                      N.N.

 

     十五の驚き

 

   なんという恵み

   なんという祝福

   なんという恩寵

   なんという平安

   なんという自由

  

   なんという静けさ

   なんという明るさ

   なんという豊かさ

   なんという楽しさ

   なんという美しさ

 

   なんという選び

   なんという救い

   なんという贖い

   なんという幸い

   なんという喜び

  

            

 祈りには「どうぞの祈り」がある。

 「どうぞの祈り」は自分の願いごとを祈る時だ。目が自分に向いている。「どうぞ、病気を癒してください」というように。

 しかし、「なんとの祈り」は、主を賛える祈りだ。目が上に向いている。

 「どうぞの祈り」も大事だが、「なんとの祈り」はもっと大事だ。(二〇〇二年八月)

 

 私の祈りはどうか。「なんとの祈り」は「神様がなしてくださる(くださった)良きことへの感謝と喜び」に溢れるときです。でも「どうぞの祈り」の方が長い祈りになってしまいます。

 神の恵みに感謝することがまだまだ足りないからだと気付かせてくださったのは「いのちの水」誌10月号「老年の苦しみとめぐみ」の中の次のお言葉でした。

 

 長い人生―それはまた、感謝して受け取るべきたくさんのものをあまりにも忘れて当然のことのように受け取ってきた歩みでもあったことを知らされる。(中略)大空の美しさ、雨風についてもそこにも深い霊的な意味が隠されていること、草木の一つ一つも、秋の虫たちの声のひとつひとつ…なにをみても、そこに何かを与えようとする神のお心がある。それにも感謝をどれほどしてきただろうか。そうした一つ一つに気づかされていき、苦しいながらも生活のさまざまのところで感謝できるようになることがまた老年の恵みである。

 「いや 喜びです」の本で「老年・感謝の平凡」という文章もあります。その後半の部分にある言葉。

 

 しわがより、毛が白くなるのも感謝。耳が遠くなり、目がかすんでも感謝でないか。 人は衰えゆくもの。成長するのを見るのも楽しいが、衰えゆくのも面白い。

 キリストを信じ永遠の命の中にいる者は、成長も衰えも感謝だ。

 

歳を重ねて、肉体的に衰えて、病院通いが増えていく様は苦痛、困難、不自由極まりないのに、どうして面白いなどと言えるのかと思っていたところへ次のみ言葉が目に飛び込んできました。

詩編92・13~16

 神に従う人はなつめやしのように茂り

 レバノンの杉のようにそびえます。

 主の家に植えられ

 わたしたちの神の庭に茂ります。

 白髪になってもなお実を結び

 命に溢れ、いきいきとし

 述べ伝えるでしょう

 わたしの岩と頼む主は正しい方

 御もとには不正がない

 

 私は、藤尾先生が「面白い」と表現されたのを以下のように理解させていただきました。永遠の命の中にいるならば、たとえ耳が遠く聞こえなくなっても、目が見えにくくなっても、口で言えなくなっても、さらに寝たきりになっても、神様がこの私を用いてくださっている。神様はなにがしかの実を結ばせてくださっている。自分の計画は不要。神様が用いてくださることを見るのは面白いし楽しい。永遠の命に溢れ、生き生きとし、何もできなくなっても祈りという仕事で働けることが面白いし、感謝なのである。…と。

「面白い」とは藤尾先生の実感から出た独特のお言葉なのだと思います。

やはり本の題名「いや よろこびです」とあるだけに、溢れる喜びに溢れておられた先生の信仰のお言葉になっていると思います。

 私も、高齢者。最期の日まで、現実の苦しみ悲しみはそのままイエス様に背負っていただいて、日々喜び感謝、賛美の生活でありたい。日々神様のご用に用いられることだけを今後も祈りの中心となれるように、そして「神様のなせることはすべて時にかなって美しい。」と賛美し続けていけますように、と祈っています。 

八王子市

  

 

 

「高山右近の遺言」

                      N.K.

  

 「神に従う人はナツメヤシのように茂り、レバノンの杉のようにそびえます」(詩編九十二・13)

 

 私の住む高槻市に戦国時代、高山右近という人がありました。キリシタン大名として有名な武将です。洗礼名はドン・ジュスト(正義の人)。両親、家族みな洗礼を受けキリシタン一家でした。今年5月ラジオ放送「福音の光」で高槻の教会牧師の方が右近のことを語られていました。心に深く残ったので紹介します。

 1600年代キリシタン弾圧が厳しくなった頃、国外追放 フイリピンのマニラに追放されたことは有名な事実です。右近は21歳で高槻城主となり33歳まで務めました。

 時は戦国時代 キリシタンとして治める中では相当な葛藤と苦難があったことと思います。

 十戒を犯しているという責め苦の中、信仰によって救われ、別人のようになったと言われます。その中で右近は城内に教会堂を建て、毎日真っ先にきて床にひざまずき「朝の祈り」「夕べの祈り」を熱心に欠かさず行っていたといいます。また、側室を持たず、領民の葬儀があれば当時は差別されていた人の仕事であった棺を城主自らが率先して担ぎ 震えている人には着物を与えたそうです。そんな城主の姿から当時の領民が2,5万人そのうちの1,8万人72%がキリシタンに改宗していたとも伝えられています。

「飢えたる者に食事を、渇きたる者に飲み物を、肌着のない者に衣類を、病人、牢に入りたる者に見舞いを…人の死がいを治むることこれなり…」と 「お大切に」を信条として行なっていました。

 高槻を去ったあとは 加賀の地で26年間 前田家に仕えますがキリスト教大禁教令が出てからは留まると迷惑がかかると、妻、子、孫達と長崎へ行きます。右近を殉教させるとキリシタンを刺激するという理由で国外追放になります。1614年 南蛮船で出港、船中は長く苦しい旅、熱病、暴風にもたたれます。一ヶ月以上の長旅を終えマニラ到着。マニラでは市民から丁重な歓迎を受けますが肉体的に疲労しきっていた右近は着いて40日ほどで熱病にかかります。その病の床で家族に語った右近の遺言が次の言葉です。

 「私はまもなく天に召されます。神がそのことを希望します。私は喜びに満たされ慰められています。今ほど幸せな時があったのでしょうか。家族のことは何も心配していません。キリストのために追放されてこの土地にまで来たが付いて来てくれた愛情に深く感謝しています。神のためにこのような境遇になったのですからこの後も神は真実の父となり給う。泣いてはいけない。私が必要だと思っているのなら考え違いに気づきなさい。おまえたちの身の上は神がお引き受けくださるのだ。今までのことを考えてみなさい。苦しむために外国に追放されたと思ってきたが、自分たちの祖国より良い所に来て、生まれた所より恵まれ、愛され、栄誉を与えられているではないか。

これは神の御業、これからもなくなることはなく、召された後もかえって増していくだろう。

神に従順でありなさい。立派なクリスチャンになりなさい。もし背くならば勘当し、子や孫 親族とは認めない。主なる神にひたすら従いなさい。」

 この遺言の数日後右近は「わが魂は天地万物の主なる神をひたすら讃えまつる。」と主なるイエスキリストのみ名を唱えながら天に召されました。50日前に来ただけの右近に対しマニラ全市の鐘が鳴り響き9日間追悼ミサが行われ、多数の人たちが参列したそうです。

キリシタン大名となった戦国武将は多くいますが家や領地を手放し信仰を貫いた大名は右近ただ一人とも言われています。またキリシタン大名の中でも中心的役割を担っていたとも言われています。私はこの遺言のことを聞き、高山右近のことは知っていましたがこの時代迫害の時代にあってまた自ら戦国武将として戦わざるを得なかった右近の苦悩はどれほどのものだったことかと思いを馳せ、この時代にもキリストに出会い、真の救いの道を知らされていた人があったことを改めて思わされました。また、その背景には伝道のために命がけで遠い異国から来た宣教師の方々があったことは言うまでもありません。

 そして右近の遺言から、次のパウロのみ言葉を思いました。

「わたしは戦いを立派に戦い抜き決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主がかの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかしわたしたちだけでなく主が来られるのをひたすら待ち望む人にはだれでも授けてくださいます。」(Ⅱテモテ四・7~8)

 

「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」(ローマ八・18)

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています。」(ローマ八・28)

 

「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」(ローマ八・30)

 

 これらのみ言葉からすべてのことは最終的によきに働く、神を愛し続ける者への守りと導きーご計画に従って召された者たちへの復活と再臨の希望、この希望を確かに右近達のように迫害の中で信じ続けた人達は確信していた。そして今もなお、証し人として私たちに励ましのエールを送ってくれているような気がします。

大阪府高槻市

 

  

 

共に歩んで下さる

                                           N.M.

 「いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈りない。

 すべての事について感謝しなさい。」

 (1テサロニケ16から18)

                             (ケアマネ)

東京都日野市

 

  

 

点滴の新しい方法

                      H.H.

 私は蛋白漏出性胃腸症という持病のため、血液製剤(血漿分画製剤)のひとつ、アルブミン製剤の点滴を毎週1回、投与しています。50mlと小さいですが、粘り気が高いのでエアー針を瓶に刺し、ゆっくり30分かけて投与します。アルブミン点滴をし始めたころは、まだ両手から探せて、ひじに近いところで可能でした。しかし左腕は2002年に一リットルの胸水を抜いた時から浮腫がひどくなり、駆血帯を数分間巻くだけでも浮腫がさらにひどくなるので、右腕ばかりでしていただくようになりました。その後、右腕も2010年夏ごろから浮腫みはじめて見えにくく漏れやすくなり、少々動いても大丈夫なように翼状針や留置針を使ったりしてくれましたが、だんだん手の甲からすることが多くなってきていました。それでも血管が見つけにくくなり、「ここだ!」と刺しても、前回「OK!」だったところであっても難しくなってしまいました。

 今後もアルブミン点滴は週に1回を継続しなければならないのですが、血管確保はむつかしい。CV(中心静脈)ポート埋め込みはこわい。ということで、何度もかかりつけ医には言われてましたが、1~2年保留にしていました。しかし今年は、とうとう直径2cmほどの大きさの本体となるCVポートと、輸液をする中心静脈カテーテルを皮下に埋め込むことになりました。

 中心静脈カテーテル(当時はIVHという)は、2000年1月ごろ、感染性腸炎で入院したときに使用したことがあります。今回と同じ右鎖骨下だったと思いますが、入院中だけでしたので、CVポートは埋め込まないタイプのものでした。そのときは、24時間持続点滴を数日間するには腕などの末梢静脈では無理という判断でした。

 (母も血管が細く、足に点滴されたこともあります。そのため抗がん剤治療のときに、半年ほどCVポートを右上腕に埋め込んでいました。おかげで抗がん剤だけでなく、高カロリー輸液も入れることができました。)

 かかりつけ医の「もう限界!!」の一声で、とうとう実施することになりましたが、自分の入院の時、母の入院の時、どちらも入院しているときに用いたので、通院治療で使うことには躊躇しました。また、週に何回もするわけでもないのに、という思いもありました。けれども、24年間も細い血管で毎週アルブミン点滴をし続けてきたので、静脈の血管が硬くなってしまい、私は両足も浮腫があり足にはできません。「ポートは埋め込むので傷口が塞がったら、感染リスクは腕に点滴するのと変わらない」との事で、埋め込むことに同意しました。いずれは必要だった処置です。

 「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(2テモテ三・16

 

 3月31日に大学病院の消化器内科の主治医に打診。あっという間に日程が決まり、外来でできる1時間ほどの手術ですが、私は免疫の低下などのことがあるので、自分から入院を希望。4月8日木曜日に手術。右鎖骨下に埋め込みました。

 鎖骨下静脈は血管が比較的太く、カテーテルの血管内走行距離も短いのですが、血液が固まらないように、毎回点滴の前後に、生理食塩水20mlを注入して、断続的に押して止める、また少し押して止めるを繰り返す処置(パルス・フラッシュ)をしています。採血もすこし捨て血をして、ここから行ないます。私は楽になりましたが、看護師ではなく、医師が処置全般をしてくださるようになりました。

 渋々といった具合で同意した手術でしたが、アルブミン点滴の吸収が良く、尿量が増えたように感じます。そのおかげで、手の浮腫も軽減されました。大学病院の主治医の先生も、「中心静脈は心臓に近く流れが速くて太い血管なので、薬剤が長くとどまらない。採血結果は、総蛋白(TP)は6.6以上が3.8、アルブミン(ALB)は4.1以上が2.1と変わらないけれど、手の浮腫が引いて良かったね。もっと早くしておけば良かったね。」と言ってくださいました。

 コロナ禍で不自由なことも多い日常ですが、咳喘息も起こらず、礼拝への会場参加および各スカイプ集会に参加できています。御言葉によって支えられ、強められています。信仰のために、次々と為すべきこと、進むべき道を示してくださる神様に感謝です。

 

  聖いふみは教える(新聖歌 259番)

  聖(きよ)いふみは教える 神が人となられて

 人のために救いの 道を成就したこと

  (折り返し)

 わたしをも愛して 死なれた御方(おかた)は

 神の子のイエスさま ひとりだけだ

 そんな愛を忘れて 道に逸(そ)れたわたしを

 咎(とが)めだてもしないで 迎え入れてくださる

  (折り返し)

 わたしをも愛して 死なれた御方は

 神の子のイエスさま ひとりだけだ

 アーメン               (無職)

 徳島市

 

 

「人を裁くな」

                       H.G.

 馬齢を重ねて過ぎ来し方を振り返るとき、イエスの「人を裁くな(マタイ七・一)」との教えに心が痛みます。何と多くの人を裁いてきたことか、様々な人との取り返しがつかない様々な場面が思い出されます。そして最近、この教えが如何に重い内容をもっているかに気がつきました。

 「裁く」を辞書でひくと、「善悪、非理の判断をする」とありますが、善悪の判断というと思い当たるのは創世記のエデンの園、そこに神は善悪の知識の木を生えさせられました。その実を食べることは禁じられていたのに、アダムとエバは食べてしまいます。二人の目は開きましたが、エデンの園を追い出されてしまいました。神は人間に善悪の判断をさせないつもりでおられた、善悪の判断は神の権限とのお考えだったのです。神は創造された全てを愛しておられるのですから、人間がそこに口出しすべきでないということでしょう。つまり、人を裁くのは神のなさること、神の子イエスはそのような父のみ心を教えられたのでした。そして、善悪の知識の木と一緒に生えさせられた命の木から人間は遠ざけられてしまいます。神の権限を盗み取る者となった人間は、神に対する罪人であり、死ぬ者となってしまったのです。

 善悪の知識の実を食べた私たちは人を裁いてやみませんが、イエスの教え「人を裁くな」はどうすれば可能になるのでしょうか。それは、自分の主権を主イエスに引き渡すことによってのみ、可能なことでしょう。私たちは自分のことは自分で決めたい、自分の主権は手放そうとしません。自分に死んで、生けるイエスを心に迎えてイエスと共に歩むこと、パウロはその消息を、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです(ガラテヤ二・二○)」と書いています。

 古い肉に生きている以上、私たちは裁くことから逃れることは出来ません。そのような私たちの罪を担って十字架上に処分してくださったイエスによって、永遠のいのちに生きることが許されているとは、驚くべきことです。そのことを信じ、希望を持って新しい年も日々を歩みたいと思います。

福岡市早良区

 

 

神様の大きな力と愛を信じる

                         F.F.

  私が信じる神様が、どのようなお方であるかを、詳しく説明しているところがありましたので紹介します。

  それは内村鑑三著「一日一生」一〇月一九日であります。紹介します。 

 「さらに主がその民の傷(きず)を包(つつ)み、その打たれた傷をいやされる日には、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍となり七つの日の光のようになる。(イザヤ書三〇・二六)

 宇宙は神の造りたるものである。しかして神はいまなお宇宙の中にありて、造化の活動を続けたもう。宇宙は完成されたるものではない。ゆえに神の手を離れて独(ひと)りみずから発達することのできるものではない。また未成の宇宙は、もって完全に神を顕(あら)わすにたりない。神は宇宙の中にありて働きたもう。しかし宇宙をもって尽きるものではない。宇宙は大なりといえども、神は宇宙よりも大である。宇宙はつねに神より力の注入を受けて、その成長発達を続くるものである。神は宇宙を総合したるものではない。彼はそれ以上である。神は人類の友であると同時に、またその父である。ゆえに親しむべくして、また崇(あが)むべきものである。自然宗教の誤謬は、神を厳父として見てこれを遠ざくるにある。万有神教の誤謬は、神を兄弟として見てこれに狎(な)るるにある。されども唯一神教の長所は、彼を父とし見、また友とし見て、彼を完全に解するにある。」

 私の信じる神様は私の住む地球や、その上に拡がる宇宙は御手によって創造され、これを思いのまま動かすこともできるのです。神様の絶大な力を感じます。

 私どもの住む地球には人間が生きるに必要な動植物や環境を備えてくれています。身近なところでは美しい草花をはじめ、食物としての緑の葉を持つ穀物、野菜、果物などや蛋白質としての家畜、水産物としての魚類など人間の食物として必要な物はすべて神様が備えてくれています。ここで神様の御業の一つである緑の葉で行われる光合成による澱粉の合成反応は、人工的には、まだ実用化できていないと思います。できたとしても、大きな設備が必要になります。植物は緑の葉で太陽の光を受けて澱粉をつくります。これは神様のなさる創造であります。この様な神様の、偉大な力は私たちの周辺にある、すべてのものに神様の、大きな力を感じます。

 神様は大きな力を持つと共に、大きな愛をもって人間を救ってくれました。

 神様は、御ひとりご、イエス・キリスト様を人間の罪をお許しになるために十字架にはりつけ、その苦しみをとうして人間の罪を、お許しくださいました。

 私は、神様の、大きな力と、愛に感謝して、歩んでいきたいと思います。

徳島県吉野川市

 

 

「遅々とした歩み」

                       F.K.

 キリスト教に出会って、そのときどきのことを記してみようと思う。

 これから生きていくことに於いて、何か確かなるものが欲しいと漠然と思う年代であったと思うが。聖書を手にするのも初めてで、姉の勧めで分からぬまま集会に参加するようになった。間もなく聖書講習会というものにも不安なまま参加した。そこで、他には覚えていないが、右にもひだりにも曲がってはならない。主なる神を愛せよという学びだったように思う。私を見捨てず、とらえて側においてくださいというようなことを祈ったように思う。

 寝たきりで人の世話なしでは生活できない子の様子を見て、生きていて何の意味があるのだろうと、自問していた頃があった。ヨハネ9の3に「神の業がこの人に現れるためである」というみ言葉に出会った時イエスの教えに驚くと共に、ああそうなんだ。神のみ業が現れるためにこの人も神様は必要としておられたのだと安心したことを思い出す。

 そして聖書と内村鑑三の一日一生を読むことを日課にする新しい生活を始めることになった。子供が小さく忙しくなって来ると読むということだけで形だけになってしまっていた。そうこうしているうちに親との同居、子育てとその狭間で大いに悩んだ。その後、介護が始まり日々の生活に追われ、辛いこと悩むことが多々あった。神様はこちらを見ていて下さっていたのだろうけれども、それは分からず日は過ぎていった。祈りの生活では無かったと思う。混乱していたと思う。

 学びの機会があれば、いろいろ参加してきた。断片的な学びが繋がってきたことはあるが、聖霊については、はっきり確信が持てずもやもやとしていた。そんな中、内村鑑三のキリスト教問答の 三位一体の文に出会い理解は進んでいったと思う。そして冬季聖書講習会に初めて参加した時、講師の吉村先生から聖霊の風が吹いたんだねと言われた。

 聖書講習会に参加したことは、色々な思いがあったからではあるが、やはりそこには聖霊の力が働いていたのだろうと気付かされた。それからは「いのちの水」誌などを通して深く教えられ、聖霊はいつも働きかけて下さっていることを学んだ。

 拙い信仰、それでも神さまは捉えていて下さり、そしてキリスト教に長く関わって来たが遅々とした歩み、それでもその都度その都度、聖霊の力が注がれてきたのだと思う。感謝である。

 讃美歌504(「実れる田の面は、見わたす限り」4節)「かりいれ終えなば あまつ御倉に おさめて祝いの 筵にはべらん、垂穂は色づき 敏鎌を待てり いざいざ刈らずや 時すぎぬまに」を思う今である。               (神奈川)

 

 

 

 無題               F.S.  (徳島) 

 祈りの友の皆様方には長い間お祈りして頂きまして、ありがとうございました。

 去る五月二十二日死去致しましたが、主人も主の下に導かれたことと感謝しております。

 家庭での看病を致しましたが、自分の体の不調と相まってほんとうに苦しい思いをしましたが、イエス・キリストがおっしゃったヨハネ一六・33「あなたがたは世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」この御言葉を祈りつつ、くりかえしくりかえし心の内にとどめ励まされつつ看病が出来ましたこと、ほんとうに感謝しております。

                        (徳島)

 

 

 

詩篇一・二篇の学び

                         F.S.

 私の主日礼拝集会は、これまで原則として月二回を鹿児島市で、一回は鹿屋の恵生教会で守り、残りは家庭集会であった。しかし鹿児島市の集会は都合で閉会となり(満十年の恵みであった)、鹿屋のそれも高齢化のために継続できなくなり幕が下ろされた。コロナ禍のために交わりもできない。この半年余り、日曜日は専ら家庭集会である。数年前から吉村先生の詩篇講話(CD)を拝聴している。この間は七十六篇、後半に入った所だった。一方で私は、二千二十年六月から神様の恵みによって徳島の夕拝と海陽集会にスカイプで参加させていただいているが、夕拝では詩篇が連続的に取り上げられる。直々に先生から詩篇講話があり、毎回、新しい感謝に包まれる。詩篇についてのCDと生講話の両方のノートも大分になった。特にどんな事を学んだのかを自分なりに明確にさせたいと思い復習してみた。基調になっていると思われる一篇と二篇について改めて学び考えたことを記したい。

 両篇は対になっている。第一篇は詩篇全体の総則というか基調であると、まず教わった。本当にそうだと感じた。新共同訳では「いかに幸いなことか」で始まる。英訳(NRSV)も同様にハッピーが第一語だ。幸福の基を知った作者がいかに喜びに満たされていたかが伝わってくる。イエスさまの山上の垂訓「幸いなるかな」が自然に想起された。イエスさまは幸いな人の第一に「貧しい人たち」を挙げられた。詩篇第一篇の作者は「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」だ、と言う。「口ずさむ」は少し意訳で、口語訳の「思う」が適切なのでは。上記英訳も「メディテイト」とある。ともあれ、人は皆、神の言葉によって生きることが幸福の秘訣であると断言している。人間の幸福の基は真の神信仰にあると! イエスさまの「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて与えられるであろう」(マタイ六の三三)と直結する宣言である。短い詩の中に「幸いな人の道と不幸な人の道」が明確に対照されて、上記の信仰的結論が提示されている。痛快である。

 なぜ、どうやってこの結論に達したのか。その理由は「神に従う人の道(正しい者の道)」を「主は知っていてくださる」ことを確信したからであろう。それは「流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」自他の経験であったに違いない。恐らく、詩人の長きに亘る真剣な信仰的探求の結果である、個人としてもユダヤ民族としても。

 ところで、英訳(NRSV)には見出しが付けてあり、第一篇は「二つの道」とあった。それで同じ題で吉村先生が鹿児島講演をされたことを思い出し、記録を追ってみた。お話は申命記三十章十五~二十節を基にされていた。「生と死、祝福と呪い」が「主なる神を愛し従うか、神に従わないで偶像に仕えるか」で決まるというものであった。モーセの最後の言葉が詩篇第一篇の内容とまるで同じである。先生は「神を愛し従う」とは新約には「御言葉に聴き従う」ことだと、分かり易く説いて下さっていた。そしてマタイ二二章三七~三九節で最も重要な教えは『心をつくし、…主を愛しなさい』であり、同じく『隣人を自分のように愛しなさい』であると主が答えられたことを引いて、真理・命の言葉は旧約からずっとつながっていて、それを完成されたのがキリストだと。申命記三○章二○節「あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主に従いなさい。それがまさしくあなたの命であり…」はヨハネ四章六節「わたしは道であり、真理であり、命である」のイエスの言葉につながり、また同一五章四節の「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」は、まさに詩篇第一篇の「悪しき者、神に逆らう者」のヨハネ的な表現だと明示されていた。どんな人でも、この二つの道のどちらかを選び歩く。善き道を歩くために、絶えず神・キリスト・御言葉を真剣に求めることを改めて決意させられた。

 詩篇第二篇の作者は、第一篇の結論に立って、今度は個人ではなく国家社会、人類世界全体が怒濤のように悪の道・神に逆らう道を走っている姿をまず描き、それを主なる神が激しく怒り打ち砕かれる、その憤りは速やかであると断言する。だから「もろもろの王よ、賢くあれ。地のつかさらよ、戒めをうけよ」と警告し、「恐れをもって主に仕え、おののきをもって、その足に口づけせよ」と愛の懇願をしている。主イエスの「悔い改めて福音を信ぜよ」に通じる神のみこころを感じた。新旧の一貫性をここでも「聖なる山シオンでわたしは自ら、王を即位させた」や「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」で特に強く感じた。詩は「いかに幸いなことか、主を避けどころとする人は」で結ばれる。一・二篇をまとめて詩篇の信仰的総則と言ってよいと思わされた。善き道を進めますように!   (鹿児島)

 

 

神様の業

                       M.K.

 毎月、吉村先生の聖書講話礼拝記録CDを 数度様から送って頂いています。この大きな恵みをありがとうございます。吉村先生からは「いのちの水」誌、貝出様の詩集「神様は愛」を送って頂きました。ありがとうございます。感謝します。そして 吉村先生の大きな手術の後のお身体と 奥様のお身体が守られます様に集会の皆様のお祈りに合わせてお祈りします。。

 2021年6月に主人の食道にガンが出来ていることが分かりました。現実に起こった事実を直ぐに受け入れるのは難しく、眠れなくなり食欲もなくなりました。ガンが分かり、検査が続く日々の中、離れた場所の娘達にもお祈りをお願いして、家では1人でお祈りをしていましたが、主人に「一緒にお祈りをする」と声を掛けてみました。主人は「お祈りが全然分からないから」と困った顔をしましたが、聖書に書かれている事を話して、吉村先生が前に「主の祈り」(マタイ6の9~13)を便箋に印刷して、下さっていたのを渡しました。

 「はっきり言っておくが どんな願い事であれ あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえて下さる。」(マタイ18の19)

 二人で朝晩お祈りを始めてから、不思議なことが主人に起こりました。1週間経った日曜日の朝、主人が起きてきて 驚いたように「昨日は全然 不安がなかった。全く色々な事を思わずに良く眠れた なんでやろ 本当に不思議 お祈りかな?」と言いました。また、9月の3回目の抗がん剤治療の時、3日目に浮腫がひどくなり体重が8キロ増え 利尿剤の点滴をしても一日尿が出ないので苦しい状態になった時、娘達とそれぞれの場所で一生懸命お祈りすると、次の朝 主人から「夜も1時間おきにトイレに行ったのに 不思議な程その間はぐっすり眠れて 身体中の痛みが全て取れて全くしんどくなかったよ」とメールが来ました。聖書講話で吉村先生は「苦しみの中にも 神様の栄光や 神様の業は あなた達のただ中にある」と話されました。

 「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、〝霊〟自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」(ローマ8の26)

 これからも毎月、短期間の入院で抗がん剤治療が続きますが、先日のCT検査では 担当の先生から「全体のガン細胞が小さくなっています」と言われました。神様に小さな希望を頂き主人と感謝しました。これまでも罪多く小さき弱い者の歩みでしたが 覚えて下さり導いて下さる主に感謝してお祈りします。この恵みをありがとうございます。         (松山市)

 

 

聖句

                      M.K.

 「神は愛なり。」第一ヨハネ四章16節

 

 

世界が一つになれば

                        Y.T.

 讃美歌21の608ページにこの御歌があります。

 369番「われら主にある」

1 われら主にある ひとつの家族、

 青い地球の 神の世界で、

 共に苦しみ 共に喜ぶ。

2 人の心の 罪の深さよ。

 み子のからだの まじわりをさく、

 暗くもえたつ 罪の炎よ。

3 和解もたらす 主の十字架よ。

 憎い敵さえ 愛する友に、

 変わりはじめる 神の世界よ。

4 西も東も へだてをこえて、

 北も南も ひとつの家族。

 平和、正義を 祈りもとめよう。

 

 作詞、作曲者のお名前のところを見ますと、私の読めない韓国の文字です。

 この讃美歌を作られた方は、一つの国を二つに分けられ親族の者や親しき友と別れ別れに引き裂かれてしまった韓国の方の歌でしょうか。

 私達日本人は戦争に負けましたけれど、国が二つに分けられる悲しい事にはなりませんでした。今では、そのような時代が有った事さえ忘れている戦争を知らない者が多くなり、平和を誓った憲法九条を改憲しようとしております。

 ふたたび戦争の世にしてはなりません。

 平和、正義を祈りもとめて、いつの日にか、世界が一つになり、飢えに泣く人や国を追われ、戦火や悪政に国を捨てざるをえない人々が無い世になります様に心からお祈り致します。

 主、イエスキリストの御名によって 感謝してお祈りいたします。 (徳島聖書キリスト集会)

 

 

一年を振り返って

                          A.M.

 この一年で、信仰的に最もインパクトがあったのは、今年2月に出版された「イエスとエッセネ派」に出会ったことでした。

 この本で語られた内容は、今まで馴染んできたキリスト教の教えやイメージとは異なる部分もありましたが、新たな解釈で今までモヤモヤしていた部分がスッキリ腑に落ちたり、可能性があると感じたところもありました。

 また、かつて宗教は科学(医学)と音楽(芸術)も全てが境目がなく、調和していたといわれています。これを産業革命以降に顕著に分けてしまったことが、それぞれの産業分野はそれなりに発達しましたが、ここに来てほころびが目立ってきています。これからは、これらの統合や調和が必要になってくる時代となるのではないでしょうか。

 今私達にできる必要なことは、いつも神様が一緒にいてくださること、一見自分にとって不都合なことでも、全ては完璧な神様の思し召しであることを信じて、〝いつも喜び、祈り、感謝して(Ⅰテサ5の16~18)、希望(Ⅰコリ13の13)を持つ〟ことが大切で、自分が丁寧に扱われたいならば、相手に対してもそのようにすること、つまり、〝隣人を自分のように愛しなさい(マタイ22の39)〟ということに尽きると思います。こうすることが、分裂を避け、調和を作り出すことに繋がると考えます。そして、こちらが先かも知れないが、まずは自分が、そして1人ひとりの心が平安であることが、社会や世界を平和にすることに繋がると考えます。それには、やはり神様が私達の罪を赦し十字架に掛かってくださり、約束の3日目に蘇ってくださったこと、そして、いつも私達と共にいて下さる事を信じることがとても大切だと思います。

 それで、これを機会が与えられれば、皆さんにお伝えしたいと思い、祈っていたところに、夏期聖書集会では、聖書講話としてお話しする機会が与えられて、本当に感謝でした。

 最後に、私としては、この2年間キリスト教独立伝道会を会長として、何とか運営することができましたが、課題も次第に明らかとなってきており、ますます会員を初め皆様のご協力が必要となってきています。これからもキリスト教独立伝道会をよろしくお願いいたします。

職業:自営業(KITAサウンドヒーリング出張サービス〝Kaion〟経営)

東京都大田区

 

 

食卓

                        A.M.

 息子が在宅療養を始めて、1年10ヶ月が過ぎました。いちにち、いちにちを穏やかに過ごしています。彼が昏睡状態にあることは変わりありませんが、私たち家族は今、ここにある幸せに満足し感謝しています。

 さて、息子の食事は半消化体の経腸栄養剤を朝昼夕に胃瘻へ注入するという、味気ない作業のような食事なのですが、肝臓への負担を減らすため、昼の食事を栄養剤ではなく私が作ったものに変えることになりました。野菜スープやポタージュでもいいのですが、お米を食べさせてやりたいので、ゆっくり、ゆったりとお粥を炊きました。ブレンダーで糊状にします。

 ささやかですが、息子が再び私が作った食事を摂る日が来るなんて想像もしていませんでした。

 

「あなたはわたしに食卓を整えてくださる。」(詩編23章5節)

 

 口から食事を摂ることが叶わない息子にも、神さまは食卓を整えてくださったことに感謝して、明日は白いお粥に季節のさつまいもを入れてみようと思います。きっと優しい黄色に染まります。

                         (徳島)

 

 

スカイプでの礼拝で思うこと(証)

                         S.H.

 お祈りありがとうございます。

 スカイプを通しての礼拝は、私の生活の要となって与えられました。定刻が来て、お世話をして下さる方からの着信音と共に、私の心はONに切替わり、そして先生と集われている兄弟姉妹の中に入っていきます。

 先生の語ってくださる み言葉は豊かで、時が過ぎるのを忘れてしまいます。ほとんどの方とは会ったことがないのですが、それぞれの置かれた場所を越えて集えた繋がりを感じます。

 ある日、真心のこもった深いお祈りをして下さる方の、その言葉に触れた時、心強くて優しいイエス様に出会えたように思えました。空間を越えて瞬時に私の所まで、温かいものが届けられました。イエス様は、 互いに愛し合いなさい。と言われました。この み言葉を大切にし、与えられた愛に感謝し、他の人にも心をつくしていけるようにと思います。

 自宅で居ながらにして、このような礼拝に集うことができることを深く感謝致します。   (徳島)

 

 

神様の計画

                              I.M.

 今年は、二年程前から頭が重く、軽いめまいがするので、その原因が知りたく病院を転々としました。

 その結果、パーキンソン病ということが分かり、ショックでした。

 夏には人生で初めての手術で膀胱結石を除去し、近い内に前立腺肥大のための手術をする予定です。

 パーキンソン病は様々な症状が現れますが、私は現在常に頭が重く、足が異常にだるく、手も震えが止まらず、箸を持つ手も不自由になり、全身の倦怠感が毎日のようにあります。

 これまでは、病気はいくつかしましたが、これ程長く、これから加齢と共に更に機能が低下していくという、将来への不安もある病にかかり、とても落ち込みました。

 今まで、職場で忙しく働いてきて、これからはゆっくりとした日々を送ろうとしていたのですが、これは私の計画でした。がしかし、神様の計画があるという事に気付かされました。

 イザヤ書四十三章一節で「恐れるな私はあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ」

 神様は私を置き去りにすること無く、あなたの深いご慈愛の元、平安な場所へと導いて下さることに希望を置きたいと思いました。

                     (施設職員)

徳島県徳島市

 

 

朝の食前の賛美と祈り

                       I.J.

 我が家ではここ10年来家内と二人で朝食の前に賛美歌を歌い、聖書とその日の「み言葉」に関して書かれた本の一節を読み、神に感謝の祈りを捧げることが習慣となって続けています。

 20年以上前に二人の子供は結婚して家を出、家内と二人だけの生活となりました。その私もその数年後に会社を定年退職して通勤のために朝早く家を出たり、出張で家を留守にすることもなくなり、浦和キリスト集会に出席するようになりました。併し、その矢先に「直腸癌」を発症して手術を受けることになり、一時は死も覚悟しましたが、幸いにも生かされて今日に至っています。

 賛美歌は今までに集会等で歌ったもので、「讃美歌」を中心に「ヒムプレーヤー」で伴奏できるものを毎日1曲ずつ順を追って歌うことにしています。

 「み言葉」に関する書物と聖書の聖句については、当初は内村鑑三の「一日一生」(旧版)から始め、その続編、新版、矢内原忠雄(あぶくま守行編)の「日々のかて」、スポルジョンの「朝ごとに、夕ごとに」等をその日の箇所を交替で読んできました。また聖句の方は2014年から数年間は毎年日本聖書協会のホームページから「今日の聖句」をコピーして使用してきました。しかし毎年殆ど同じ個所の聖句が記載の日は変わっていますが、引用されていることに気づきましたので、マンネリ化を避けるべく3年前の2019年1月元旦から取り敢えず3年計画で、創世記から毎日1章を榎本保郎の旧約聖書「一日一章」と共に家内と交替で読み始めました。この原稿を書いている10月半ばの時点では「ダニエル書」等の小預言書に入っており、年内には予定通り終えて、来年からは新約聖書に入り、これも同じく榎本保郎の新約聖書「一日一章」と共に読み進める予定にしています。

 祈りは私の方が少し多めですが、これも毎日家内と交替で行うことにしています。祈りの内容はどうしても子供や孫を始めとする身近な人達に関することが多くなってしまいがちですが、願いではなく、感謝の祈りを多くするよう二人とも心がけています。「祈り」こそが食前のディヴォーションの中で最も大切なものと思っています。この祈りでその日の一日が始まると言っても過言ではありません。

 二人とも年を取って病気がちになりつつあり、信仰の薄い私たちがこれからいつまで続けられるか分かりませんが、可能な限りこの朝食前の賛美と祈りと学びを続けてゆければと願っています。

 さいたま市

 

 

罪と導き 

                     O.E

 主の御名を賛美します。

 1962年(昭和37年)に長女を出産しました。当市が行う乳幼児診察で心臓の音が正常でないので、いづれ大きな総合病院の診断を受けるように言われました。

 どの位かの月日が過ぎてから、娘の目が斜視になっている事も気になっていましたので、札幌医大病院を訪ねました。色々な検査の結果、心臓に異常があるので、娘がもう少し成長して良い状態の時に手術をすることになりました。

 毎年、検査をして4才の時に手術をしました。その時は、2才離れた弟も生れておりましたが、弟夫婦に頼んで私は付き添いました。

 弟が生れてから、私は下の子ばかり見ていて寂しかった娘は「病院はママといつも一緒なので嬉しい。」と言いました。娘の気持ちを受け取る事も出来ない親である事にその時は気付く事が出来ませんでした。

 どの位の入院生活だったか忘れましたが、小さな身体には、大きな傷が胸から背中に残りました。

 次の年に行った幼稚園生活も、3月生れの成長の遅い子供、風邪もひきやすく肺炎等もして休む方が多かったのです。

 小学校に入学する頃になって、教科書をランドセルに入れると重くて後ろの方に倒れる位でしたが、頑張って入学しました。

 入学して間もなく、娘の斜視は弱視から来ているとの事で、又、札幌医大で両方の眼の手術を受けました。この時は、私は付き添わず、眼帯をして何も見えない時もあったのですが、片道2時間以上かけてバスで通いました。

 朝早く家を出ても、長い時間病院にいる事はできません。帰る時は、いつも「ママ帰らないで」と言って抱きついて来て泣きました。

 退院して学校に通えるようになっても、斜視と身体の傷は消えることはなく、担任の先生から「他の子供さんは、学校に慣れて来ているのですが、大澤さんはなかなか大変みたいです」と心配して下さいました。そんな時、娘は私に「もう学校へ行きたくない」と言いました。

 私は娘にそのように言われるのではないかと感じていました。私はここで罪を犯すのです。

「困ったね。人はみな学校に行かなければならないの。その事は国で決まっているので、どうしても行きたくない人は、悪いことをした人が入る警察の牢屋に一緒に入らなければならないの。お母さんは美樹子と離れて暮らすのは寂しい」と言いました。

これは娘に対しての脅しでしょうか?

 

 ローマ書7章24節

 「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるのでしょうか。」

 マタイ伝11章28節~29節

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすればあなた方は安らぎを得られる。」

 

 高慢で傲慢で自分中心な私は沢山罪を重ねて来ました。他人には良き顔、偽りで良い人になって、家族には、こうでなければならないといつも要求ばかりで来ました。

 昨年より徳島聖書キリスト集会の主日礼拝にスカイプで参加させていただき、皆様の御愛労により気付く事が出来ました。感謝でございます。           (北海道)

 

 

主の恵み

                        I.M.

望みも消え行くまでに 世の嵐に悩むとき

数えてみよ主の恵み 汝が心は安きを得ん

数えよ主の恵み 数えよ主の恵み

数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み  (新聖歌172番)

 

  年齢が高くなるに従い、〝老い〟と〝病〟を身近に感じるようになりました。

  老いるということは、今までの体験に裏付けされた様々な知恵や知識が身につきますが、徐々に忘れ去っていく可能性もあります。

  また、体の機能的な衰えも毎年増えてくるようになりました。

 その時、前記の賛美歌の〝数えてみよう主の恵み〟を実感します。

  病気や加齢のため、当たり前に出来ていたことが出来なくなった時、失望と共にまだ出来ることがある事を感謝に思います。

  もちろん、自分の身のことだけでなく、自然の恵みや生き物の素晴らしさなど、神様の創造された物全ては私達にとっての大きな恵みです。

  神様は白髪になるまで、背負救い出して下さると言う約束を信じて、終わりまで神様を見上げていきたいと思います。

                      (施設職員)

徳島県徳島市

 

 

「神様に守られて歳をとる」

                        O.M.

  私が心からイエス様に祈ったのは夫の生死を分かつ大病の病床だったと思う。聖書・賛美歌は手元にないし、その時の私の心にどれだけの信仰心があっただろうか。ただ、ただイエス様にすがって命乞いをした。夫は失明と今もずっと続く透析というお土産も残ったけれど「その時、どんな状態であっても、また二人で暮らせますように」と祈ったことを、神様が叶えてくれたことに間違いはない。視力を失って失意のどん底から抜け出せない夫に主は「見えるものによらず信仰による」(Ⅱコリント5・7)と示された。    

 これまでは学んで研究する信仰「聖書が読めない、学べない…」と一歩踏みだせない時、主の導きで吉村さんと出会わせていただいた。

 二人で歩き出した信仰の道、旧約と新約聖書の大切さ、主の贖いによる救いの本当の意味を知って私の心に入った。主の恵み(新聖172)を数えて賛美も楽しい。 

 病後まもなく20年、主に守られ導かれて二人三脚で講話も担当して、『イエス様がいつも共に歩いてくださるから』ここまで歩んでこられた。

 長期に及ぶコロナ禍であってもスカイプ主日礼拝にも参加できていることは何よりの感謝。視覚・聴覚障害あっても支え合う信仰の友そして全国各地の信仰の友と出会って信仰の深さを知りました。                             

「目を覚まして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4・2)                        体力の弱まっていくこれからも私たちの歩みを主に委ねて神様に守られて歳をとりたいと祈っています。

                     (北海道)

 

 

                       O.E.

 約束を守らないのは 愛ではない

 失敗を喜ぶのは 愛ではない

 かげで悪口を言うのは 愛ではない

 成功をねたむのは 愛ではない

 施しをためらうのは 愛ではない

 裏切られてうらむのは 愛ではない

 自由をうばうのは 愛ではない

 悔いるのを許さないのは 愛ではない  「ぞうきんより」

 この詩は河野進さんの詩集「ぞうきん」の一部分ですが 心に残っています。この詩を読むとタイトルは「愛」なのに なぜ、愛ではないと表現しているのだろうか?

 そしたら愛とはいったい何であるのかな?と思わされました。

 以前に教わったように思いますが「愛ではない」と対照的に「神は愛です」(1ヨハネ手紙四・16)や 神の愛についての個所が思い出され感謝です。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらたたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。」(一コリント13・4~6)

                     (中途失聴)

板野郡藍住町

 

 

みことば

                     K.K.

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ福音書十六章三十三節)  すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。(第二コリント十二章九節) すでに勝ってくださっている主。弱さの中に来てくださる主。主を信頼して歩むことができますように。      (徳島) 

 

 

聖句

                        K.I.

「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。」(イザヤ書26章4節)

東京都

 

 

礼拝の恵

                        K.H.

 お祈り有難うございます。

 今日は「神を見る」と題しての講話でした。ヨハネ1章18節 一節だけの講話でした。

「ああ、幸いだ、心の清い者は、なぜなら、その人は神を見るからである。」(マタイ5章8節)

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1章18節)

 

 キリストがわかったら、神の本質が分かったのである。神がどんなお方であるか、その霊的本質がわかる、見るために必要なことは信仰である。と学びました。わたしにどれほどの信仰があるのかと思わされました。

 旧約聖書では神を見た者は死ぬと言われてきたが新約聖書においては神を見ることが約束されている。

 私は礼拝に参加した時、行く前は暗いこころであっても、帰る時は心も晴れやかになって、家に帰ると何かいいことでもあったん?と言われたことがあります。仕事をした後、礼拝に思い切って参加した時も、帰るときは疲れもなく賛美しながら帰ったときもあります。心は安らかになっていました。仕事をしてしんどいはずなのにと思い、不思議な体感をしたのを思い出します。礼拝に参加する前は嫌なことがあり、こころはとても暗かったからです。礼拝に参加できて本当に感謝でした。

 

 「主に望みをおく人は新たな力を得、

鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40章31節)

 

 「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。 私の助けは来る。天地を造られた主のもとから。どうか主があなを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、、あなたの右にいます方。」(詩編121編1~5)

 

 土屋聡さんが賛美してくださいました。とても良かったです。有難うございました。

 

「私の助けは、どこから来るのか、天地を造られた主のもとから来る。主を信じる人には、足がよろめかないようにしてくださる。

」 幼子のようなこころで、主を仰ぎ見、信じて行きたいと思わされました。            (鳴門市撫養町)

 

 

「悲しむ人々は、幸いである」

                         K.A.

 マタイによる福音書の第五章四節の「悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる。」という言葉は、私にとって以前から疑問が生じる文章だった。

 当たり前のことではないか?という思いとともに、あとで慰められるぐらいであれば、最初から悲しい思いなどしないに越したことはないのではないか?という思いが長い間ぬぐえなかった。

 それが、今年になってから、ギリシャ語を少しずつ独学し、ギリシャ語の原文を読むようになって、長年の疑問が氷解した。

 原文は以下のとおりである。

 

 (マカリオイ・ホイ・ペンスーンテス、ホーティ・アフトイ・パラクレーセーソンタイ)

 

 「マカリオイ」は「幸いなるかな」、「祝福される」、という意味で、「ホイ・ペンスーンテス」は「悲しんでいる者」である。「ホーティ」は英語の”for”と同じで、なぜならば、ぐらいの意味である。「アフトイ」は「その人たちは」という意味である。

 問題は「パラクレーセーソンタイ」という単語である。この言葉は、「パラカレオー」という言葉の未来直説法受動相の三人称複数である。要するに「~されるだろう」という未来形の受動態である。

 では、「パラカレオー」という言葉の意味は何であろうか?通常の訳に用いられるように「慰める」という意味もあるが、「求める、懇願する、勧める」といった意味がある(今岡稔ほか『新約聖書ギリシヤ語辞典』)。英語のサイト〝Bible Hub〟には、〝 to call to or for, to exhort, to encourage〟と訳してあり、つまり「呼ぶ、求めて呼ぶ、熱心に勧める、勇気づける」と訳してある(https://biblehub.com/greek/3870.htm)。

 これらのことを考えれば、「パラクレーセーソンタイ」は、「(悲しんでいる者は、神によって)慰められ、求められ、呼ばれ、求められて呼ばれ、熱心に勧められ、勇気づけられる」という意味を一言で表していると言える。

 悲しんでいる者は、その悲しみを通じて、神の近くに呼ばれ、慰められる。神に求められ、神を求めるようになり、神の道を熱心に勧められ、その道を進むことを勇気づけられる。そのことをこの箇所が一語で意味しているということが、ギリシャ語原文を味わう中ではじめてわかり、長年の疑問が氷解し、そのとおりだと、アーメン、アーメン、と心から思えた。

 人生においては、人それぞれ悲しみがあるが、私の人生においても、抱えきれないと思えるような深い悲しみがあった。特に、私が二十五歳の時に二つ年下の妹が四年間の闘病生活ののちに病気で亡くなったことは、当時においても腸を断つ思いがしたし、今なおそうである。

 しかし、この悲しみがなければ、おそらく私はキリストを信じ、聖書を読む身とはならなかったと思う。人は残念ながら、悲しみを通じてしか、神になかなか立ち帰らない。悲しみなどない方がどれだけ人生は良いかと思っていたが、悲しみによってこそ神の近くに呼ばれ、神の言葉を聞き学ぶ身となるのだと思う。

 そして、悲しみを通じて神の近くに呼ばれ、聖書を学び讃美歌を歌い、キリストを信じて歩むようになった人生のことを、「マカリオイ」、「幸いだ!祝福されている!」とこの箇所は告げているのだと思う。

 神の言葉の無限の深さの一端に、ギリシャ語原文を読むことでやっと触れることができた。これも私の力ではなく、もう五年も前から、福岡聖書研究会の松村敬成さんの召天後にその御蔵書を御家族からいただき、その中にギリシャ語の聖書やギリシャ語の辞書があったことのおかげである。また、片山徹著『新約聖書ギリシヤ語入門』(キリスト教図書出版社)を那須容平さんから以前いただいていたことや、吉村孝雄先生が折に触れて原文に触れることの大切さを説いてくださっていたことのおかげである。思えば、無教会の集会を通じて、多くの良きご縁に恵まれ、多くの良き本にめぐりあえたことも、「マカリオイ」そのものであったと思う。これも悲しみを通じて得られた慰めであり、励ましの一つだったと思う。

 悲しみは、キリストと出会うきっかけとなるのであれば、人生においてたしかに祝福や幸いのきっかけにもつながるのだと思う。「悲しむ人々は、幸いである/その人たちは慰められる。」という御言葉を、今は心からアーメン!と思う。(福岡)

 

 

                 

 「いつかは知らねど」(新聖歌465番3節)より 

                                              K.R.

 

 されば萎えし手を 強くし求めよ

 弱りし膝をも 伸ばし歩め

 約束のごとく 主は世に来りて

 迎え給うべし そのみ民を  

 

 私も今年84才になりました。この歌詞と同じく歩んでおります。それでもいつかは知らないけれども 死もなく、涙もないすばらしい平和が来ます事を信じております。

北海道苫小牧市

 

 

主の声に耳を澄ます365日

                        K.T.

 わたしは決してあなたをひとりにしない(主の声に耳を澄ます365日)の本を朝に主人と読んでいます。

 わたしはいついかなるときも、永遠にあなたとともにいる神である。このことは聞き慣れているからといって、心を動かされなくなってしまうことのないように気をつけなさい。

 わたしの永遠の存在は、尽きることのない喜びの源泉となり、ほとばしる喜びは、豊かないのちの川となって流れます。

 イエスは救ってくださる神、インマヌエルは、われわれと共におられる神を、あなたの心の中に響きわたらせなさい。どんなに忙しいときにも、私の存在を意識しつづけるように努めなさい。

 うれしいこと、腹のたつこと、あなたの心に浮かぶことは、どんなことでもイエス様に話してごらん。こうした日々の訓練の小さな歩みを一歩一歩重ねていくことで、イエス様のそばを離れずにいのちの道を進んで行くことができる。

 

 「あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。」(使徒2・28)

 

 人間は弱さがあり、いろんなことで悩んだり、言葉によってきずをつけられたり、逆に自分が話したことに寄ってきずをつけたりとありますが、御言葉によって励まされ、神様に立ち帰ることを知っています。いついかなるときも主からの聖霊と平安が心の中にありますようにアーメン。

徳島市


  

神様はお一人

                        K.T.

 イスラム過激派組織に囚われ、逃げ延びた女性の本を読んだ。『ザ・ラスト・ガール』(私を最後にするために)。著者ナディア・ムラドは、イラクにある小さな村で貧しいけれども温かい大家族に囲まれて幸せに暮らしていた。そこへイスラム過激派組織ISISがやって来て、男を全員殺し、全ての若い女を性奴隷として連れ去った。この残虐行為の証言である。

 その小さな村は、少数派宗教ヤズィディ教徒の村だった。ISISはヤズィディ教を悪魔の宗教と見做し、根絶やしにしようとした。結婚するまで貞潔を守るヤズィディ教徒の娘を凌辱し、イスラム教への改宗を強いた。ヤズィディ教は、天使タウセ・メレクを崇拝している。タウセ・メレクはヤズィディ教徒と神をつないでくれるという。ムスリムは、ヤズィディ教を非難する。私の心の中にも、非難したい気持ちがあることを否定しきれない。

 しかし、ヤズィディ教の神はキリスト教の神と同じ神様だ。天使タウセ・メレクを造った神は、最初の人間としてアダムを造ったというのだ。アダムが最初の人間だという事が共通なら、アダムを最初にお造りになった神様も共通という事だ。ユダヤ教もイスラム教もヤズィディ教もキリスト教も父なる神はお一人である。

 兄弟喧嘩は止めなければならない。一番悲しんでおられるのは父なる神様であろう。神様は愛と正義の方だから、愛と正義を重んじる宗教なら神様の子どもと言える。人を殺しても良いと主張するなら、もはやユダヤ教でもイスラム教でもキリスト教でもない。イスラム教だけでなく、キリスト教を標榜する先進国にも問われている。神様を崇めることは宗教ではない。宗教で区別することはできない。神様はお一人である。神様は愛と正義のお方である。この神様を仰ぐかどうかがが重要である。ナディアと私は違う宗教に属している。けれども、同じ神様を仰いでいると思う。

春風学寮(無教会キリスト教学生寮)寮母 

東京都世田谷区 春風学寮

 

 

柔和なる者

                        K.MN.

 「柔和なる者は幸いなり、その人は地を嗣ぐことを得べければ也」マタイ5の5。

 最近、今年天に召された秀村選三さんの遺品である内村鑑三著「四福音書の研究」を読んでいた時のことです。ここの箇所が以下のように書かれていました。

「柔和なる者」我意を張らざる者、人に地歩を譲るもの、無抵抗者、剣を以て争わざるのみならず、口を以ても、また筆を以ても害を他人に(特に敵に)加えざる者、かかる者は幸福なり、神に恵まれたる者、人に羨まるべき者なりとなり。

この文章を読んだとき、真っ先に思ったことは私は今まで柔和なる者と真逆の人生を歩いてきたことでした。特に我意を張らざる者という言葉はいろんな場面で我意を張り、譲らなかったことが思い出されて、思わず本閉じてしまいたくなりました。本当に家族に対して、また隣人に対して申し訳ない気持ちで、落ち込みました。

 しかし、同時にイエス様の言葉は私の正体を余すところなく教えてくれました。この事は私にイエス様の十字架の罪の贖いのありがたさを実感させてくれました。とても自分の力では柔和なる者にはなれない、そう思いました。「神様、私を根底から造り変えて下さい」と祈りました。

 朝エレミヤ書を読んでいると33の44の言葉が目に飛び込んできました、そこにはこう書かれてありました。

「人々はベニヤミンの地、エルサレムの地区、ユダの町々で、銀を量って畑を買い、証書に署名し、封印し、証人を立てるであろう。わたしが彼らの運命を転換するからである」とヤハウェが言われる。」

 特に後半の「わたしが彼らの運命を転換するからである」と言われたヤハウェの言葉が希望を与えてくれました。神様は私の祈りに答えて下さいました。そうだ、自分自身我意を張りたくなった時、神様のこの言葉を思い出し、柔和なる御方であるイエス様を見つめて歩いていこうと思わされました。

                 (職業 介護福祉士)

 福岡市博多区

 

 

海陽集会の学びから(2021年10月12日)

                        S.K.

 特に印象深く心に残ったものを記します。

 1、神様の方から「私はお前たちと共にいる」と「留まっている」と、はっきりとした約束なのだから人間の方で背を向けない限りは、絶えず留まってくださっておる。

感想…「これは今でも聖書を与えられる前から、疑問であった事柄ですが、「神様を信じる人と信じない人、自分自身不思議に思うことと、一般に言われる偶然に思うこと」の答えでした。神様を少しでも知るようにならなければ、与えられなければ、すべてのことは偶然、或いは自分でつじつまを合わせて、偶然を装ったのだろうと思います。これは自分を偽るという喜びのないところへと落ちていっただろうと今でも恐ろしく思います。

 2、この状態はハガイ書2章3節にあるように神の言葉と「昔の栄光の神殿を見たのか。今、お前たちが見ているのは何なのか。無に等しいものだ。だからゼルバベルよ。勇気を出せ。」祈りができるということは、一番働きの中心ができるように神様はなさってくださっているということです。

感想…神様が求める方向(御心)と人が求める心が聖書でははっきりと対比するかのように示されると思いました。聖書は善悪をはっきりと示しますが裁きではなく赦しからの力づけであり、励ましを覚えるようになってきた今日この頃です。

 3、「シャーロームを与える」

感想…この言葉は聖書を与えられて初めて私自身は神にしかできないこと、しかもイエス様だけが「与えることのできる」他のいかなるものも真似のできない「主にある平安」、これを覚えようとホームページのホームの名前にシャロームと名付けて今日に至っています。

何があってもここへ戻ろう、求め続けようと決意したものでした。

 一講話の中には計り知れない恵みが含まれており、すべてを網羅することはできませんが、時どきに与えられる「新たな感動」は今力づけられ、過去のすべてのことを「よきもの」に変えてくださっているイエス様に感謝です。(鍼灸師)(徳島)

 

  1


神の時の流れの中で (新聖歌三三三)

                        S.Y.

 一 示し給え 深い主の御心を

   御神の時の 流れの中で

   すべては 益となりぬ

 

 二 示し給え 歩むべきわが道を

   御神の時の 流れの中で

   すべてを 感謝しつつ    

          

この賛美は、一つ一つの歌詞が心に残る賛美です。

 

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ八・28)

 徳島市

 

 

聖句

                       S.K.

 詩編63の7~9「床につくときにも御名を唱えあなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。

あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。わたしの魂はあなたに付き従いあなたは右の御手てでわたしを支えてくださいます。」    (東京)

 

 

盲人 バルティマイに学ぶ

                        S.H.

マルコ104652節.マタイ202934.ルカ18章35~43

 今年を振り返ってみると常にバルティマイの癒し、そしてその信仰に励まされ支えられてきた気がする。

 バルティマイは全盲[自分と共通]で物乞いをして生活を支えるしか手がなかった。彼に限らず身体にハンディのある人や子供といった弱者は社会的にも宗教的にも皆から見下され人間として扱ってもらえないものとしてずっと過ごして来たことと思う。

読み書きができない、そして、何も良いことがなかったかもしれないバルティマイも だれかを通して良き種が蒔かれていた。

それは、ダビデの子孫からイスラエルにメシアが現れて救いが与えられるという良き知らせ。それは、かれにとって単なる知識だったかもしれないけれど、長く続く過酷な人生の中で希望 信仰へと育っていき成長していったのではないかと思う。

そして、機会は訪れて、ナザレのイエス様が弟子たちや大勢の群衆とお通りになっていることを聞いて「ダビデの子イエス様 私を憐れんでください」と叫んだ。(マタイ2030.ルカ1838

 人々が彼を黙らせようとしたけれども彼は「ダビデの子 イエス様 私を憐れんでください」と叫び続けた。この機会を逃したら2度とイエス様にお会いすることはできないとの彼の切実さを感じます。

 イエス様は立ち止まって「あの男を呼んできなさい」と言われ、ご自分の処へ連れてこられた彼に「何をしてほしいのか」と尋ねられ彼は「先生 目が見えるようになりたいのです」と答える。

イエス様は「行きなさい あなたの信仰があなたを救った」と言われ盲人はすぐ見えるようになり なお道を進まれるイエスに従った。とあります。

あなたの信仰があなたを救ったとは、あなたの信仰があなたの霊の目を開かせ あなたの魂が救われたという意味だから、彼は肉眼が開かれた以上に霊の目を開いてくださったイエス様に大いなる喜びを持ってエルサレムに進んで行かれるイエス様に従って行きました。

 私も毎日の小さな歩みの中で、バルティマイのような信仰に倣いたいと思いました。私も社会的弱者であるけれど、2千年前の彼が置かれた境遇と比べたら、はるかに恵まれてきたし、今も恵まれている。

彼のようにめったに無い機会に恵まれて救い主イエス様にお出会いし、信じる者とされた。そして、時が来れば「そのとき見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く。そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」(イザヤ35章5~6節)の御言葉をも確信して待ち望んでいます。そして、救い主イエス様にずっと従って行ける者でありたい。

                          (徳島)

恐れるなーみ言葉から

 

「彼らを恐れるな。

わたしがあなたと共にいて、

必ず救い出す」と主は言われた。(エレミヤ書1の8)

 

 

私に聞け、

私の教えを心におく民よ。

人に嘲られることを恐れるな。

ののしられてもおののくな。(イザヤ書51の7)

 

あなたを造られた主は今、こう言われる。

恐れるな、

私はあなたを贖う。

あなたは私のもの。

私はあなたの名を呼ぶ。(イザ 43の1)

  

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心に残った みことば

U.N〈徳島〉


 今、とても困難な、そして恵みの時を与えられています。

 長年一緒に暮らしていた、夫の弟の癌による死。夫の闘病。そして、自身の体と心の不調。

 その中で神様から、

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私を信じなさい。」

         (ヨハネ十四・1)

「いつも、喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。」 (一テサロニケ五・16~18)


 私は、神様どうしてですか?でも、感謝します。と神様に叫びながら、み言葉に、たすけられています。



T.T(徳島)

 不安性の私にとって、いつも、ほっとする場所に掛けてあるボードに書かれている言葉が、あります。

 


主なる神、イスラエルの聖者はこういわれた。

「あなたがたは、立ち返って落ち着いているなら、救われ、穏やかにして、信頼しているならば、力を得る。」       (イザヤ30章15節)

 


 そして、神をさんびせよ。いつも、どんなときも、全てを善きにしてくださる。

不平不満をいうことを習慣にせず、いつもどんなことにも感謝しなさい。。

 神様から、平安をいただき、いつも、笑顔でいたいと願っています。 


H.Y〈熊本〉

「わたしにつながっていなさい。

わたしもあなたがたにつながっている。

ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、

あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」

         (ヨハネ十五・4)

あとがき

 

 従来は、「野の花」文集は、新しい年になった1月に発行していましたが、今年は、1月に「沙漠にサフランの花咲く」、2月には、「勝浦良明文集」を発行したため、少し間をあけて、発行することし、今月に発行となりました。

 それぞれの投稿者の心のなかに、神様が置かれた思いの一端がここに記されており、主のわざの証しとなっています。

 主は「二人三人主の名によって集まるところには、私はいる」、と言われました。この文集のなかにも主がいてくださり、心して読むものに、その文を通して主が語りかけて下さることを信じています。

  この「野の花」文集のために、多くの方々が、文を書いて投稿され、それら原稿の点検、また書かれた文については、それをパソコンでテキストファイル化、また編集用ソフトを用いてのレイアウト、編集などの御愛労をなされたことを思います。

 神様は、そうした、祈りをもって書かれた文、証し、そしてこの文集の背後の労力、また出版のための費用などに対しての協力費…等々、多くのの方々が主に導かれてなされたことを覚えてくださり、福音伝道のために、またすでに信仰を与えられている人達への励まし、生きて働くキリストの御業の一端にふれて御国への道を歩むための一助となることを信じて感謝です。(T・Y)

  


   主は生きておられる   

 

                       高橋 祐